【京都】非業の関白、豊臣秀次供養塔発見 秀吉の死後建立か
1 :
シャチ ★@転載は禁止:
http://www.47news.jp/CN/201408/CN2014082101001554.html 豊臣秀吉のおいで、関白になったが謀反を疑われ自害した豊臣秀次(1568〜95年)の供養塔の石材の一部が、
京都市下京区貞安前之町で見つかり、
発掘調査会社イビソク(岐阜県大垣市)が21日、発表した。
秀吉に子が生まれたのを境に“謀反人”として非業の死を遂げた秀次に関する資料の多くは破棄されたと考えられている。
出土場所には当時、大雲院という寺があり、藤田恒春・元京都橘大非常勤講師は、
秀吉の死後に塔が建てられたと推測した上で「大雲院を開いた僧が、ひそかに秀次を弔うために建立したのでは」としている。
そんな殺生な
3 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 00:49:28.22 ID:zgUdwJGr0
誰?
とよとみひでじ
秀次の優秀さは近江八幡の今を見れば分かる
豊臣秀次(とよとみ ひでつぐ)
豊臣 秀次 / 羽柴 秀次は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・大名・関白。
豊臣秀吉の姉・日秀の子で、秀吉の養子となる。
通称は孫七郎。幼名は治兵衛。
はじめ、戦国大名・三好氏の一族・三好康長に養子入りして三好信吉と名乗っていたが、後に羽柴秀次と改名する
秀吉の甥っ子か
へー埋もれてたのか
大垣の発掘業者がやってくれたんか
田畑の百姓を弓の的にして嘲りながら射殺した人?
> 発掘調査会社イビソク
なんか韓国人の名前みたい
10 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 00:56:13.90 ID:zcC+nkSr0
付足しのマイナスイメージが蔓延っていて、損をしている人だね。
それなりの能力がないと、左大臣、関白は務まらないよ。
殺生関白
12 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:00:02.88 ID:IoXb6dkV0
>大雲院を開いた僧
だれなんだろ
豊臣政権になんらかの関係があったひとなんだろうと思えるんだけど
気になるところ
14 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:00:16.57 ID:saST0w120
老害だな
一旦跡取りを決めて地盤固めをしたのにガラガラポンで壊す
家康に付けいる隙を与えちゃったよね
秀吉「そのルパン三世みたいなモミアゲが気にいらない」
16 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:01:43.73 ID:2ClWkdeF0
駒姫
17 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:03:37.73 ID:zcC+nkSr0
秀次事件が豊臣政権崩壊を決定的なものにしたね。
秀吉の後継者だったのに、秀頼が生まれたから疎まれた奴か
哀れだよな、最後は家族ごと殺されちゃたしね
19 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:04:36.48 ID:06C3OQlq0
20 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:04:51.23 ID:Gd4phX/o0
>>1 この人、秀吉の韓半島侵略を止めていれば、名君になれたかもしれないのにな
単に畜生塚から近かったから建てたとかかな?
>>20 ふーん、出家前の経歴とか、秀次との接点あたりまで資料があればいいのにね
秀次って残っている実績は秀長より優秀に思えるのだけれども
ゲームじゃ能力低いがさ
で、秀吉の死後建てられたということはやっぱり豊臣家の痕跡消すために徳川幕府が壊したのかしら
27 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:10:07.48 ID:Lg6b8goi0
28 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:10:54.60 ID:Mgm+ExbT0
北畠具房と並んで特産品の奉行やらせるのに必要な人材
29 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:11:51.52 ID:0c+fJjJ+0
>>26 朝鮮半島は単に通り道
別にあんなところを狙って頑張ったわけではないよ
30 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:11:53.00 ID:FGeW9fXZ0
>>21 韓半島なんて地名はないんだよ
そもそも、おまエラは韓民族じゃないし
古代の三韓とおまエラ朝鮮人は何の関係もない
大韓民国←通名
国号すら通名、もちろん金朴李もシナからの借り物=通名
情けねえ民族だなあ
31 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:14:37.34 ID:Gd4phX/o0
>>23 ググれば相模出身とか安土宗論に出たとかすぐ経歴でてくるってば
32 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:15:35.50 ID:a57EA6170
>>29 朝鮮出兵じゃあなくて、唐入りと言うべきだよな。
33 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:15:40.99 ID:yln4hYYFi
26←アホや。何も知らんのね。
淀殿がいつの間にか妊娠し、腹の子は豊臣秀吉の実子だと主張した時点から
関白の座と、約束されていた将来の豊臣家の跡取りの座を、すべて失った人。
鶴松も秀頼も、本当に豊臣秀吉の実子だったのかは極めて怪しい。
・豊臣秀吉は特に人生の終わりになるにつれて必死に子作りをしたが、淀殿以外妊娠した女性はいない
・豊臣秀吉は手の指が6本ずつある、いわゆる遺伝子奇形を持っていた
豊臣秀次の肖像画って
どおくまんの絵に似てる
妻側室子供もあとから三条河原で処刑されたんだっけ。
まだ側室になる前だった駒姫も処刑されたんだよね
秀次本人はわかるけど、一族皆殺しはさすがに酷いよね
>>36 淀殿による、他の跡取り候補への抹殺指令であったから、
そのあたりは徹底している。
38 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:21:15.31 ID:BwdPl5y+O
>>25 いや…秀吉が壊させたんだろ。秀次の墓なんかあったら自分には都合が悪いからな。
秀次は謀反人として殺したかったんだろ。
秀次「秀頼なんか要らんかったんや」
ちなみに、小早川秀秋の関ヶ原における韜晦と徳川支持も、
淀殿に抹殺されかかったことが影響しているという話。
要するに、淀殿が秀頼以外の豊臣縁者を抹殺して回ったことが、徳川への権力移行をもたらした。
淀君・・・話聞いてたらあんた洒落ならんわwwww
42 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:25:54.83 ID:csB3Pxlh0
秀長が死んで秀吉がおかしくなったのは有名だよな。
43 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:26:28.82 ID:mDRl96x10
サブローの教科書焼きやがった
44 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:27:28.87 ID:562RrimW0
秀次は普通に関白の仕事をしてた。仕事の中には諸将との話もあった。
が「秀次は豊家を乗っ取ろうとしてる」とか、例の連中が秀吉に告げ口始まった。
で、秀頼誕生でおしまい。
秀吉死んで「こんどは徳川が・・・」つまり、豊家を潰したのは三成。
45 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:27:37.49 ID:8nrfnh2E0
46 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:29:46.18 ID:n8aUzATY0
秀吉は韓国を侵略した人?1000年経っても許さない呪われた家系?
豊臣秀次培養塔に空目した
>>46 韓国人の名前に「秀吉」が多いのは、彼の偉業に韓国人が媚びているのだと思います。
49 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:36:09.42 ID:9YAr0inHO
秀次は暗愚のイメージがある人多いけど、実際は教養人で性格も温厚だったらしい。
フロイスも記している。
武将や政治家には向かなかったんだろうな。
50 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:36:34.81 ID:lpa05Zs60
韓半島www
朝鮮半島と呼んでやってる漢字圏の国は、下関条約以降の日本だけ。
支那じゃ今も昔も、吉林半島なんだぜwww
立志の部分だけで秀吉を崇拝する現代人も多いけど、
秀吉ってよくよく見るとかなりの鬼畜だと思う。あんなん尊敬できん。
>>37 鎌倉幕府の北条氏とやってることは同じだな。
ただし北条氏は有力御家人を粛清したが、淀殿は
徳川家が健在のまま秀次の血筋を根絶やしにした。
秀次も上手く立ち回れなかったものかな?
自分は一大名となって秀頼を立てるとか。
秀頼関白で秀次が後見。
秀次の子供たちが有力大名となって政権を固めたら、
一体どうなっただろうか。
小牧長久手の戦いで豊臣秀次は大軍を率い、壊滅逃亡しているから、
徳川家康との軍事才能は、雲泥の開きがあった。
しかし豊臣で天下が静まっているうちなら、彼が後を継いでも何ら支障はなかった。
豊臣秀次は、豊臣秀頼という存在、つまり淀殿が殺したと言ってよい。
54 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:47:16.35 ID:BCxmEg8n0
秀吉は周りの親族や千利休などを猜疑心から次々虐殺していったがそれが
たたって死後豊臣一族は家康に根絶やしの皆殺しになった。馬鹿の見本だ。
55 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:48:08.63 ID:fO5qp6Vd0
おおこれは凄い発見じゃないか
56 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:48:15.73 ID:9YAr0inHO
ちなみに秀次の姪(弟の秀勝とお江の娘)は九条家に嫁いでその九代目の子孫が大正天皇の皇后。
つまり天皇家に秀吉の傍系の血が入ってるわけだ。
秀勝、秀保兄弟の死も暗殺説があることを考えれば皮肉な結果だね。
57 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:48:38.26 ID:qfOUq0W50
劉備だって、我が子可愛さに養子を殺してるからな。 親の情なんてそんなもん。
秀吉いなきゃ百姓で終わった身上なんだから、娘と秀頼が結婚で満足すりゃよかったんだよ。
58 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:50:38.99 ID:S1a6Bbll0
>>41 秀吉が淀君の母親を殺した様な物だから、多分恨んでいたんだろうよ
60 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:50:57.18 ID:qfOUq0W50
>>54 馬鹿の見本は君じゃないか、
徳川家康も相当だが、200年以上続いたぞ。
今気付いたけど、豊臣氏が武士出身なのに征夷大将軍にならず関白という貴族になったが、
武士であるアイデンティティを保って征夷大将軍になった徳川家に失地したのは
平氏対源氏の場合と全く一致しているな。
やっぱり貴族になろうとした時点で武家からの反発を食ったということもあるのかね。
62 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 01:58:06.77 ID:kbh7aw1j0
>>50 ヨシリン半島?
クレヨンしんちゃんに登場しそうな名前だなw
>>60 信康をなぜ自決させたかについては論議があるにしても
信長との公の関係を優先させた故の苦渋の選択であるとみるのが自然。
「家康も相当だが」って?
家康は源頼朝がやはり猜疑心が強く親族を多く殺したので後が続かなかったのを
教訓に、傍系を含む親族を親藩として各地に置いて一族が絶えないようにしたわけですがね。
人に対して馬鹿の見本だとか簡単に言わないほうがいいんじゃないの?
>>64 家康が凄いのはとにかく絶やされないよう血筋を残す、そこだな。
そんで徳川と松平とを分けて、同じ一族なのに徳川姓(自分の子孫)
にだけ宗家の相続権があるという話に持って行った。
幕末には一族連枝でも新政府側に回る連中が多く出たが、
ご時勢でしょうがないだろう。
66 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 02:42:29.83 ID:RHGPhLtr0
持ち上げられて落とされるの最大振り幅の人だろうな
67 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 02:45:02.02 ID:aPoCceew0
無謀にも朝鮮出兵したんだってな笑わせるよ
68 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 02:53:48.32 ID:65Nicrl9O
羽柴秀長がもう少し生きてたら、違う結末もあったんだろうな
同じように武田信繁が川中島で死ななかったら、武田家にも明るい未来があったかもな
>>65 親藩の上にさらに御三家を立てて直系が絶えないようにし、
それを尾張、紀州、水戸に分散させて置くというのはとにかく磐石な配慮だよな。
後世からみると、九州にもう一家立てて置いたらさらに磐石だったかもしれないが。
他に秀吉と家康が違うのは、秀吉が華美を好んだのに対し家康が天下を取った後も吝嗇といわれるまでに倹約であったことと、
自ら学問を好み、周りにも学問することを推奨した点かな。
>>37 淀君って茶々だよな、3姉妹がブスだったら世の中変わってただろうな
それにしても茶々も凄い人生だったな
71 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 03:02:37.72 ID:mfZ6sM4f0
>>69 九州は、下手に分家置くと担がれたら怖いから、直轄にしたんだろうよ
>>71 すでに足利直冬や懐良親王という先例があったので、当たり前の判断ですね。
73 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 03:09:55.84 ID:HPRs/Tuc0
「心にもあらぬ恨みは濡れ衣の…」一の台が想い出される
74 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 03:47:04.61 ID:A3KPmr9Bi
あ
75 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 03:48:05.49 ID:A3KPmr9Bi
>62
吉林省もしらないの?
>>10 関白って何の仕事してたの?
結局、超時空太閤の追認しかしてなくね?
お拾が生まれた時に、引退するべきだったね。
お拾が姫なら、また変わってたろうに。
この人の処刑で秀吉から武将らの心が離れていったんだよねえ
79 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 04:34:43.98 ID:kuiGL+Jx0
80 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 04:41:28.18 ID:K/w1miFB0
鹿児島の実家のそばに秀頼の墓がある
81 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 04:50:12.09 ID:dXL2HSGV0
え〜と、黒田官兵衛で誰が演じてる人?
秀頼ってだれが父親か証明されてるん?
83 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 04:56:23.98 ID:NAmh3iVt0
大野治長
イビソクって、先日銅銭が詰まった室町の瓶を掘り出したとこか
85 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:00:17.18 ID:xzAiY4J5O
秀吉が10年早く死ねば豊臣政権は長持ちしたかもとは言われる
晩年の秀吉はキチガイ
86 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:00:55.68 ID:rOniv4yaO
>>77 秀次の将来見込んで担ぎ上げたり娘あてがってる連中がごまんといたので、そう簡単に抜けられんよ
あと失脚していよいよ生命の危険を感じた秀次が自分から高野山行く等様々に命乞いしてるのを
本人含め縁者をほぼ皆殺し(後々面倒な有力大名の縁者も多いにも関わらず)している点からして
たとえ早い段階で秀次が逃げたとしても結果は同じだったと思う
秀次の息の根と止めて家系抹殺しない限り止まらなかったよありゃ
87 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:01:43.55 ID:Lf6Hg4LS0
秀吉が唐のトップになって秀次が日本のトップになる予定だったんだけど
秀吉が耄碌してたからなあ・・・
そもそも唐じゃなくて天竺をめざすべきだった
88 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:03:17.28 ID:ls0rZVbQ0
>>21 ?????
そんなことで評価されるかよ。
敵地を征服するから、歴史の英雄になれるんだろうが。
現代の価値観に毒されたバカだね。。
89 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:04:08.81 ID:Q6Hk3jEU0
>>36 あれで最上義光はブチ切れた。
各武将の豊臣離れを決定的にしたね。
家康を頼って秀吉に反旗を翻せば良かった
秀次生きてれば関ヶ原はどうなってたんだろうな
92 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:06:42.80 ID:PpJqFE0J0
秀次殺さなきゃ、豊臣は残っていたかもな
家康が秀頼殺さずに済んだかも
93 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:07:05.24 ID:Lf6Hg4LS0
>>91 負ける要素無し
関ヶ原が戦地になることもなく北条攻めと同じことになる
秀次だけじゃなー
耄碌した秀吉がさっさと死んで、秀頼も乳児のうちに死んで、それで秀長は長生きで甥のサポート
この3つが揃わないと豊臣ウンコ
95 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:13:37.81 ID:4l8lCzTZ0
みんな詳しいなあ。チョン専門なのかと思ったら、秀吉関係も勉強してんのか
あ。ふーん。すごい。
まぁ、個人的には豊臣が潰れた事は良い事じゃね
謀反人の家だしな
徳川も今川にたいしてはある程度そうだろうとは言えるのかもしれんが
どうも、秀吉の所業から豊臣に肩入れできん
97 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:20:57.72 ID:4WPd6PLP0
>>68 どうかな秀長は良い時期に死んだとも言えるよ
長生きしてたら秀長も粛清の対象になったかもしれないし
大河の黒田官兵衛で陣内が演じた宇喜多直家の小さい子供が
後の朝鮮討伐で総大将になるとは、・・・
官兵衛の息子や幼児期を共にした他の子達も朝鮮討伐に参加してる
秀次の一族女子供まで皆殺しは残酷だが
この秀次ってのも相当キチガイ野郎だったんだろ
妊娠した女中の腹をかっ割いて赤子を取り出したとか
100 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:31:25.00 ID:Lf6Hg4LS0
残酷に皆殺しにしたから後付けでキチガイ設定を付けたとも言われてる
>>99みたいに虐殺を正当化する論拠にできるからw
101 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:31:42.80 ID:kPbwor3i0
秀次の嫁が伊達政宗の娘だった気がする。嫁、側室、子供全員を秀吉は殺しているはず。
秀吉は完全に狂っていた。自分の子供かどうか分からない子を守るために、大切な一族を殺している。
102 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:32:17.06 ID:ppMWodyF0
この人可哀想だよな
>>101 まじですか! これまでの説を覆す大発見ですよ すぐに研究者に伝えたほうがいい
104 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:33:57.81 ID:ppMWodyF0
>>99 秀吉の無謀を正当化するためのつくり話だろ
警察とか今でもやるじゃない
「でも、被害者は風俗嬢だったんですよ」
あれと同じ
>>9 無知は罪だぞ
イビデンとかイビソクは揖斐川の揖斐
106 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:37:24.85 ID:duOZ2YaD0
107 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:38:18.71 ID:xcrx1E1yO
淀→秀頼産む→世継ぎ→まだ赤ちゃん→秀次邪魔
この似た話、江戸時代の大名 旗本でも 沢山!
秀吉が淀を側室間違い。庶民が実子疑念で噂、粛清された庶民300名余り!
108 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 05:39:37.37 ID:rL2mYn5d0
>>108 池田の娘だっけか?
正室は
これやるとさらに殺された親は豊臣離れするだろうな
自分の力が無いばかりにと思うだろうし
優秀だったからこそ後継者に指名されて
優秀だったからこそ秀頼の為に殺さなければならなかった名君であり
秀吉の自己正当化の為のプロパガンダにより極悪人に仕立て上げられ
徳川の世になっても豊臣家に対するプロパガンダの為に名誉が救済されなかった不遇の人
彼の父ちゃんの一生も暴風雨に巻き込まれた小船のようだったなぁ
義弟や息子達が次々と亡くなる中、20年ほど先まで生きて死んだ
甥の最後は見なかったが
秀次の嫁って最上義光の娘でなかったか?
>>99 妊婦の腹割きはお家騒動の末に死を遂げると付いて回る。
武田義信(信玄長男)とか松平信康(家康長男)等々。
実際、やったかもしれんが、まぁ、なんというか、事後の正当化の…な。
揖斐測量
114 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 06:34:23.83 ID:fzgmT5RTO
改名せず木下藤吉郎のままでいれば日本の歴史は変わっていたかもしれない
115 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 06:51:00.06 ID:giU8KlE20
>>37 それってソースあるのか?
淀殿は良きにつけ悪しきにつけ、でかい粛清や陰謀を主導できるタマじゃ
ないよ。それが出来るくらいなら、家康にああも翻弄されていない。
秀次の妻妾たちの処刑は、秀吉の狂気が生んだもの。
116 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 07:04:32.00 ID:onUm6wQyi
>>68 秀長、竹中半兵衛が生きてれば、わからなかったよな。
黒田、加藤、福島、浅野、藤堂は豊臣側についてただろうし。
そうなれば、家康は戦わないと思うけど。
>>97 秀長が粛清の対象になったとは思えないけどねえ。
秀次や利休の処分も秀長が死んでいなければ穏便に済んだ可能性は
高いと思う。さすがに朝鮮出兵は止められなかっただろうけど。
あと、秀長に加えて蒲生氏郷が生きてれば、豊臣の時代が続いた可能性
まであるな。
竹中半兵衛は過大評価されてると思う
>>116 竹中さんはえらく早く死んじゃったから、ちょっと想像するのが
難しいな。
秀吉の失敗は一度も大陸の地を踏まなかった事
冬にでも行ってれば絶対あんな所欲しがらなかった
息子が秀吉時代に1万石も貰えてないんだから
竹中半兵衛って史実では、秀吉の与力その一くらいのポジションだったんだと思う
122 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 07:23:46.98 ID:Vhp4XMWZ0
>>122 冷遇というか秀吉が暗殺した説まであるね。
でも徳川嫌いだから、もし仮に秀吉死後も生きてたら、五大老に入ったと思われる
豊臣秀長とともに家康の抑えにはなったと思う。前田あたりとも仲がいいし、石田、
加藤、福島あたりは小僧扱いだろう。
まあ伊達との争いで消耗しちゃう可能性もあるかもしれないけど。
身勝手なもんだ
跡継ぎが居ないからと跡継ぎにされ、跡継ぎが産まれたらお前いらない死ね
其のような考えだから家が続かない
頭だけで良い事ばかりを計算して可能性を摘み取った結果、自滅
現代に言える
125 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 08:10:45.71 ID:l/B98hYni
秀頼が秀吉の本当の子かどうか疑問に持っている奴がいるけど
秀吉自身がわかっているよ
だいたい忍もいるし絶対噂になるでしよう
誰にも知られず(秀吉にも)子供作ることなんて可能なんですかね
秀吉の子じゃなかったら秀次に後を継がせたくなくって
秀吉の了解のもとの子でしょう
126 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 08:16:52.11 ID:giU8KlE20
秀次を生かしたまま秀頼の後見人にしておけば豊臣政権は安定し、
秀吉の死後、関ヶ原待ったなしの展開はなかったかもしれない。
ただ秀次と秀頼の間での後継争いそのものは、偶発する危険があったかも。
あと、徳川を筆頭にどのみち地方の大大名の整理には着手する必要が
あっただろうから、無能ではないにせよカリスマ性のない秀次や秀頼では
持て余した可能性はある。公家という立場がここで俄然、重荷になる。
天下の政道は徳川将軍家に任せて、豊臣家は武力を放棄し京都の新興にして
最大の富豪公家になるのが唯一の軟着陸点だったと思う。
あと鎖国をせず、重商主義で国力を底上げするというアイディアがあれば
封建大名も弱体化したかもだが、西欧との外交関係というスキルを得るに
は宣教師容認がワンセットなので、朝廷や仏教勢力の調整が難航しそう。
127 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 08:20:28.53 ID:QV5BzUeX0
秀吉って前半と後半で別人みたい
劣化が酷すぎ
>>127 頭が良い事と人をまとめるのは別って事だな。
感情に左右されやすい所が秀吉にはあったんだろう
だからこそ成り上がれた
ある意味怪人というか、変わり者なんだよ
130 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 08:47:07.11 ID:Z9X+2EQ+0
おんな太閤記では
中村雅俊が演じてたな。
秀吉は西田敏行
131 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 08:51:01.37 ID:Vhp4XMWZ0
>>125 逆に考えれば実子だったらもっと慎重に仲間を大事にして磐石な体制にしたかもよ
なんか不義の子っぽいからどーでもいーやみたいになって皆殺しとか…
でも淀殿っていったらお市の方やひいては信長とつながることができるんだから夢だっただろうし
夢にすがって狂ったのかもね
132 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 09:02:11.18 ID:Icnv+v5M0
>淀殿は良きにつけ悪しきにつけ、でかい粛清や陰謀を主導できるタマじゃ
>ないよ。
大学時代の日本史の先生(女性)が、
「単なる感情や好き嫌いで動いていた、我が子大事の浅はかな女。
こういう女のせいで、今も昔も『これだから女は・・』とバカにされる」
と、憤慨してたのを思い出したw
>>130 おかか〜
妹の朝日姫がピン子だったが合ってたw
せんだみつをと別れさせられたときは泣いたよ
朝鮮征伐で子飼いの大名の亀裂が決定的になった感じがするな
半島の法則こわいです…
134 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 09:35:40.74 ID:Icnv+v5M0
ちょっとぐぐったが、秀次の生母のトモって、92まで生きてるんだな。
弟の秀吉に、実子秀次を殺されて夫を讃岐に流罪にされ、
さらに夏の陣で徳川方に孫娘を処刑されたんだから、つらい人生だったろうな。
135 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 09:35:59.49 ID:BN96Ma+m0
信長秀吉家康はただの鬼畜独裁者
秀次にまつわる悪評はたぶん秀吉によって死後に捏造されてるので
簡単に鵜呑みには出来ないんだよな
137 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 09:48:11.52 ID:4Rpf/5Kyi
信長の野望での秀次の低能力っぷりは・・・コーエーテクモは印象だけで能力値決めてるだろ
大河の主役になった途端グラが格好良くなったりするし
138 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 09:51:33.07 ID:LTZmfz4jO
両べえ+秀長がブレーンとして生き続けていたらなあ
両べえについては一方が死なないと跡取りが殺されてしまうというデメリットもあったけどな
最近だと、「江」で秀次演じた北村有起哉がよかったかな。
ドラマ全体の出来はアレだったけど。
142 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:08:38.20 ID:qzyN5d6M0
秀次が秀頼と争うとは思えない。
やっと豊臣一門が天下を取ったのに
秀吉の正当直系の後継者と争ったら
秀次に味方する大名なんて少ないだろうし
乱世に逆戻りだし。
秀頼の補佐役のままで居る方が安全パイ。
秀頼の関白とか御三家みたいなポジションを模索するだろう。
143 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:15:49.69 ID:IyOt5+4F0
この人は死人に口なしの典型例だな
144 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:16:29.46 ID:x1LrKbHe0
>>1 朝鮮人売笑婦の対日誣告騒ぎの一方
韓国では、国家ぐるみで、
史上空前の規模で慰安婦の強制連行と性奴隷犯罪を行っていた。
主犯は大統領 朴正煕!
日本人多数を北朝鮮に拉致したのも朝鮮人
日本に密入国して悪事を重ねる韓国人
その韓国人が何を言うか!
145 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:20:21.13 ID:QLzQrjbDO
>>129 ポルトガル人宣教師ルイス・フロイスによると小柄で目付きが鋭かったらしい。
フロイスは「ちびでものすごく醜い」「六本指であった」とか書いてなかったっけ
147 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:25:43.04 ID:xRGswIwe0
基地外の人だろ
フロイス自身がキリスト教に対する好き嫌いを元に
人物評するからあてにならなくね?
只、6本指は本当かもしれんが
149 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:33:03.18 ID:cGJkodHU0
結局秀吉は種無しだったってことが滅亡の引き金を引いたってことだね
>>148 指が六本あれば日本の記録にもいっぱい残ってるはずだが
へー街のど真ん中だね
何か建てる予定でもあるの? それとも単に発掘?
>>150 多指症って1000人に1人らしいから
それほど指摘するほどでもないとか?
153 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:42:48.94 ID:qzyN5d6M0
秀吉は種無しと言うよりも子作りが遅かったのでは?
若い頃はおねにラブラブ。
年老いて精子が劣化してから若いつか処女を相手に子作りだろ。
精子なんて女体からすれば異物で排斥するべき存在。
免疫力全開。
それを勝ち上ってくる精子のみが受精出来る。
老いた秀吉の精子では若い、つか妊娠経験の無い女体の免疫力には敵わない。
家康は経産婦を相手に子作り。それは正解だった
先に秀吉が死んで、秀次が生きてたら、歴史が大きく変わっただろな。
155 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:45:42.76 ID:DHw+i/Le0
>>99 秀次は名君として地元近江八幡では人気がある。
それが事実なら嫌悪されてるはず。
豊臣秀吉の父親を調べると、
いわゆるクグツ師だったのではないか?
と書いてあった。
157 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:49:00.59 ID:jJ0GZTAx0
>>5 まあ、秀吉が優秀なブレーンをつけてやったからなんだけどね
>>142 周りがイエスマンばかりになると人間はいつしか勘違いしてしまうものだよ。
小牧長久手のころから秀吉甥というだけで池田恒興は秀次を総大将に祭りあげちゃって、そのぐらいから勘違いが始まってたんだろうよ。
159 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:55:59.62 ID:wMGEBsXS0
>>122 蒲生は松坂→会津へ大加増。
政宗と家康の監視っていう東国を抑える上での大役。
ついでに、妹が秀吉の側室。
>>150 たしか前田利家も書き残してたはず。>六本指
161 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 10:58:46.15 ID:DHw+i/Le0
秀吉も織田家の跡継ぎの優秀なのは殺してるし、家康に根絶やしにされたのも自業自得。
助命嘆願が通って使者が刑場へ向かっていたけど、着く前に妻妾たちは殺されたとも言われてるんだよね
秀次は及第点を挙げられる人物だったのに、ほんと秀吉は馬鹿をやったよなあ
ちなみに芸能関係では謡抄を編纂させてるんだよね
秀次の兄弟たちも早世してるけど、やっぱ秀吉が消したんだろうな
163 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 11:03:40.12 ID:Rpiwrqet0
跡継ぎの予定だったのに老いてからできた実の跡継ぎのせいで秀吉からイラナイ子扱いされてしまった不幸な人
古今東西珍しい話ではないと思うけど
養子とったら実子が生まれたとか
御家騒動になるかは当主と家の力量しだい
166 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 11:17:48.73 ID:As+mETit0
>>21 >この人、秀吉の韓半島侵略を止めていれば、名君になれたかもしれないのにな
韓半島とか言ってる時点で在チョン決定。
「唐入り」であって、半島など通り道にすぎんだ。
167 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 11:25:32.05 ID:UzxQsRix0
最上義光の娘が可哀想だった
最近の研究では、秀頼を秀次の婿養子にする話がまとまっていたそうな。
それでも粛清されたとなると、やはり朝鮮出兵の賛否問題か??
秀次の子供を産むかも知れない女を皆殺しにしたから
どこまでも跡継ぎ問題だと思うよ
170 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 11:52:32.54 ID:qzyN5d6M0
直接に親子(養子だけど)対決、喧嘩ならば
星一徹と飛馬みたく
分かり合える接点を見つけられたのかもしれないけど
偉い人だけに間に石田光成とか入り込んで
直接対話が出来なんだよね。
石田光成?だれそれ??
>>170 意見が対立する者同士が直接面と向かえばまず間違いなく悪化しますので
それが権力者同士であれば戦争不可避
間に人を挟むのは穏便に済ませるための知恵です。
>>171 知らないの? 2chのスレではたまに出てくるよ
174 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 12:51:45.36 ID:zmI29xg60
>>86 一の台(母娘諸共)を寝取られた恨みなのかねえ?
175 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 12:53:26.07 ID:aAyFe/WQ0
島屋の南側のマンション建設地かな。
祇園の通称「銅閣」のある敷地との土地交換で大雲寺から島屋になった辺りだ。
滅んだのは罰かな
178 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 12:56:09.30 ID:iMyA4Kc/0
秀次事件で先見の明がある武将達を全員敵に回したからな
結果正則清正みたいな脳筋しか有力者が居なくなった
で脳筋は案の定目の前の奴憎さで一番大事なものを滅ぼしてあぼーん
そう考えると同じサルなのに唯一の実子のカエサリオンには目もくれず
遠縁の甥に過ぎないオクタビアヌスを後継者に指名したカエサルの自制心は秀吉の比じゃないな
180 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 13:03:19.97 ID:kRq0DrQF0
我が子の可愛さは
秀吉も家康も差は無いんだけど
スキルとして家康は弱小ながらも大名で
お家騒動を経験してるから、予防も出来たのだろうね。
家光と忠長の時にヤバかったみたいだけど
181 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 13:05:09.26 ID:mLq0va4s0
頭がいい武将ほど先を見越して秀次に取り入ってたからなー
182 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 13:05:40.86 ID:gI5N8uhG0
秀次はろくでもないクズだったんだろ
発掘調査会社ってあるのか…
>>182 と言う噂を秀吉が立てて殺す大義名分にした。
実態は、実子である秀頼が出来たので養子であった秀次が邪魔になっただけ。
そこで極悪人であるという風評を立て一族郎党皆殺しにした。
186 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 13:11:42.78 ID:NQMDxh0Q0
それより、秀吉や秀頼の墓捜せよ、ホントに実在するならw
187 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 13:12:34.13 ID:mfZ6sM4f0
>>179 できるだけ遠縁にしたかっただけじゃん。
秀吉の晩年はただのキチガイだからな
190 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 13:14:07.47 ID:dfhv1Ojs0
191 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 13:14:19.57 ID:hxnx9ILm0
>>186 秀吉は文化庁だったかがブルドーザーで遺体ぶっ壊したと思う
192 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 13:14:56.48 ID:pn1Fo13t0
>>183 関西は、工事すると、地下から遺跡が見つかるんで
その地域の埋蔵文化財センターから業者に委託されて
一通りの調査を行うらしい
あまり遺跡がない地域の場合、民間企業じゃなくて
埋蔵文化財センターが直接、臨時で調査員を雇って、調査する
子沢山てイメージしか
秀吉・秀長の養子は早世し、種なし老人に急に子供が出来て、秀次は不業の死。
普通に考えれば陰謀がありそうなわけで、淀殿と結託してそうな石田三成が怪しい。
石田三成が、浅井長政の遺児と考えると辻褄が合う。
黒田長政を処刑せずにかくまった事例の前に、浅井長政の長男を殺さなかったという
話があってもおかしくない。
浅井長政の子どもたちが、豊臣家の乗っ取りを謀って、最終的に成功しなかっただけ
なのでは、なかろうか
>>188 最後は生まれの素養が出たんじゃね。
誰も咎める者が居なくなれば、後は当人の信念や世界観といった教養が行動原理になるが、
農民出身の秀吉にはそういうの期待できないしな。
>>183 公務員ぜんぜん働かないしだらだら納期伸ばすからな
外注しないと調査報告書なんかいつまで経ってもできんよ
>>178 これで、秀吉は密かに全国的に諸侯の信望を失ったんだけど、
特に致命的だったのは、奥羽の最上と伊達が、これを期に家康推しに転向したこと。
この頃は、伊達はまだ胡散臭く蠢動してるが、
最上は、いつの日か豊臣を打倒しようと心に誓うレベルになった。
秀吉も、権力闘争をする為政者として当然、さまざまな人に恨まれているわけで、
織田信孝は呪いながらも死んでしまったが、最上義光は、秀吉を恨み倒したまま存命する。
この義光の、同時代でも稀に見るストレートな怒りは、
関ヶ原の伏線として、意外に重要な役割を果たす。
東北の中小田舎大名の動向が意外に重要なのは、
これで、関ヶ原の戦いの「東西対立」の構図が、ここに確定したから。
ここに、秀吉は自分で作った「関東平野に家康を封じ込める」という政策を、自分で破壊してしまった。
奥羽が転向すると、孤立しているのは、徳川ではなくむしろ佐竹になる。
でも山形は小さすぎ僻地すぎるため、秀吉本人は、これが針の一穴であることに、最後まで気づいてない。
この件もあって最上は血縁者を大事にするイメージあるわ
将来は残念なことになったけど
維新も戦国も差が無いほどのつまらなさ
徳川も織田も前田も
百姓だった秀吉に仕えることになって
かなり面白くなかっただろうな
203 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 14:32:20.68 ID:NQMDxh0Q0
朝鮮から攻めてきた徳川家康に、西日本の雄であった毛利が関ヶ原まで追い詰められて散ったのが
正しい歴史なのに、家康を日本人に偽装しようとするから、信長や秀吉を捏造する嵌めになるw
3代将軍家光が言ってるだろう「俺は日本生まれでネイティヴ日本語がわかるから、爺ちゃんや父ちゃんみたく
騙されて殺されたりしないぞ」 →違約されて「おれは産まれながらに将軍だ」w
後の歴史から考えると豊臣家の弱体に繋がったな
出家処分なら歴史は変わったかも
淀の父親を殺したのが信長
母親を死に追いやったのが秀吉
浅井家がうまく生き残ってれば歴史変わってたのかもな
織田豊臣徳川浅井、傍系だの母系だのはみんな交じり合って象徴さんの
中では生きてる
>>203 徳川が朝鮮であるという歴史学的および考古学的、かつ民族学的根拠はなに?
210 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 14:47:45.32 ID:NQMDxh0Q0
>>208 徳川の血脈は既に廃嫡されてんじゃね? 宮廷内でよくあること
だって徳川はチョンだろうw
211 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 14:48:51.67 ID:CRl/hWt/0
発掘調査会社
これ商売になるのか
212 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 14:51:07.80 ID:NQMDxh0Q0
213 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 14:58:30.68 ID:qfOUq0W50
>>q95
アホか。 それじゃ織田や武田の残虐性の説明ができないわ。
214 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 14:59:57.26 ID:B0TXNZ7x0
>>182 そうでもなかったみたいだよ
今の近江を整備したのが秀次
>>211 大きな商売にはならないけど地域によっては確実に需要がある
限られて入るけど院生の就職先になってそうだわ
現場好きには高校の歴史の先生よりはいいだろ
ひとりキチガイがいる
218 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 15:27:56.11 ID:NQMDxh0Q0
>>217 でもそれ、ホントの歴史なのか? 大河ドラマに洗脳されてるだけじゃね?
219 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 15:36:06.85 ID:St81GKSFO
>>203 また白丁が、ウンコ食って嘘吐いてるよ。
徳川の先祖は中国百済系の「カモ氏」だ、エベンキ!
俺達のイビソク
揖斐川測量
1度仕事でやり取りしたことあるわ
221 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 15:40:31.80 ID:NQMDxh0Q0
>>219 「朝鮮に歴史書なんて残ってないって言ってたのは、アンタたちじゃないですか!」(民主党風w)
222 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 15:42:03.41 ID:t2bKp0xe0
秀次本人より
連座させられた連中の方が悲劇なんだが
秀次の部下だった大名は全部徳川にくっついたのだよね
いずれは天皇制を廃止し、日本の秩序を根底から作り替えようとした信長を
朝廷の後押しを受けた戦国一のネトウヨ光秀が滅ぼし
その光秀を倒した秀吉は、信長の後継者だけど朝廷の権威を否定することはない
ということを示すために関白になったんだよな
今考えた
>>205 出家で済んだのに
その後、一族郎党を処刑したからね
豊臣の旧臣をほとんどその時に処刑しちゃった
227 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 15:56:12.23 ID:60hRxQra0
やっぱ家康が戦国最強だろ
戦では生涯無敗だし
229 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 16:08:29.29 ID:UGWy23RKO
>>227信玄にびびって、ウンコもらしながら逃げ帰ったんだぞ。
>>186 豊臣秀吉の墓は方広寺にあるが、徳川時代に豊国神社も含めて根来寺に勝手に寄附されたため、
その際に多くの文書や遺物は散逸している。現在の形は明治以降の復興だ。
豊臣秀頼は長らく墓がなかった
(鹿児島県鹿児島市谷山に、伝豊臣秀頼墓とされる五輪塔があるが、南北朝様式だ)が、
現代になって秀頼と淀殿が自決したとされる一帯が発掘され、出てきた人骨のお墓がある。
231 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 16:31:01.60 ID:9LisX0tx0
秀次の娘二人は許されて
一人は真田幸村の妾となり
もう一人は別の武士の嫁になり
大坂の陣で豊臣に馳せ参じて徳川方に殺されてる。
一概に淀の陰謀とは言えないんだよね。
>>223 秀次派の連中がそっくり徳川派になったわけか。
>>212 いや、全然答えになってないが?
徳川家は朝鮮通信使を再開させたのが、朝鮮人だという歴史的証拠なのか?
>>225 やってることは左翼テロだよw
>>229 三方ヶ原はホームゲームで勝てると思ったんだがね
いきなり引き返してきやがるんで計画倒れさ
名家の出でもなく、己の立身出世のために只管働いてきた結果、後に残るもの
残すものを考えてこなかった故に焦った挙句、選ぶ事が全て上手く回らなくなる
運は波の如く、押し寄せれば引きも強い
237 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 17:44:18.26 ID:jMp5ZTcnO
秀吉も天下人なのに自分の子供ができないってとこから疑心暗鬼になっちゃうってのはわからんでもない
238 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 17:58:49.35 ID:CpcceJqw0
秀吉に子種が無かったのが豊臣家の不安定化の要因だろ
家康みたいに子だくさんなら早くから豊臣家の盤石な支配体制構築出来ただろうに
秀吉の晩年に秀頼が誕生した事は豊臣家の支配体制に寄与するどころか
不安定化と崩壊の原因になってしまったよな
殺生関白とまで言われて可哀想にねえ。
秀頼が生まれてポイ捨てされた悲劇の人
??選びに理想を求めすぎた為、子を作すのも遅れた
執着の裏返しがこの有り様よ
関ヶ原に豊臣秀頼が毛利輝元の大軍と共に出陣してたらどーなったかわからんで。
>>242 物語上は淀君が止めたとかなってて研究上は臣下同士のいざこざとなってるが、実際はどうなんだろうね。
冬の陣でも出馬を促されたが淀君が止めたことになってるが。
>>233 秀次に近すぎて処罰されかかった大名の殆どを家康が取りなして助けたからな。
元々秀次は東北の反乱鎮圧で東日本の諸大名に人脈を築いていたから、それらがそっくり家康に渡ってしまった。
関ヶ原の合戦で上杉が孤立無援になったのもこのせい。
元々徳川から遠かった蒲生も上杉転封で敵に回してしまったし、政治的な駆け引きが兎に角下手すぎた。
>三成
245 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 18:33:48.01 ID:CpcceJqw0
>政治的な駆け引きが兎に角下手すぎた
優秀な官僚だったのかもしれんが政治家能力はほとんどないよね
この人
>>142 秀次と秀吉なら明らかだが、秀吉亡き後の秀次と秀頼ならかなり微妙。
何せ朝鮮出兵しなかった秀次の資金力はかなりのもので、秀次に借金をしていた大名は相当いた。
これらの大名が秀次派として疑われてしまったくらいだからな。
秀頼に三成が付くような展開なら、関ヶ原の合戦で東軍だった大名の殆どは秀次に付いたと思うよ。
むしろ、西軍だった連中から秀次に近付く大名も出たのでは?
獅子身中の虫と思われていた三成をバッサリ切り捨てる決断が無い限りは豊臣の主戦力である武断派は秀頼に付かなかったと思うよ。
>>245 実務家と政治家って別もんだからね
理想に理解を示さないと政治はできないし理想ぬかないと実務はできないし。
よく「企業家を教育界に政界に」というけど、ダメな人のことも考える能力がないとできないからな。
正反対の適正。
ヤリ手だから政治させようとかもってくととんでもない(近年いちばんわかりやすい例はワタミとか、居酒屋や予備校形式いれた佐賀や福岡の学校)
成り上がりとは違う
永い間苦労を受けて世過ぎし、人望を次第に集めた家康にみな従ったわけだね
>>248 そんな浪花節じゃなく、戦国時代を生き抜いた実力だと思うよ
人望といういみではそこまで家康が集めるタイプという話題はないし。むしろ仲間と従業員をきっちり分けるタイプ。たらしこまないといえばいいのかな。
>>245 政治家で言えば三成に近いのは宮沢喜一だろうな。
実務能力は極めて高いんだが、バランス感覚も下からの人望も決断力も無い。
出世欲もあるけど、トップになったり前面に出てはいけないタイプ。
>>247 >理想に理解を示さないと政治はできないし理想ぬかないと実務はできないし
家康と三成の場合はそれ逆だべ
「豊臣家の正義」(豊臣体制の継続)と言う観念的理想に突っ走ったのが三成で
己の野望を達成する為のドロドロの現実主義を貫いたのが家康、
じゃね?
>>251 ゴールからの逆算ではそうだね
私が言いたかったのはどっちかというと、他人の心情の勘案斟酌の部分かな。
「こうあるべきだ!」を逆算して押し付けたのが光成(官僚型)で、「こうあればいいなあ」が政治家の資質というか。
そこは大きいなとおもう。
俗に言う融通ってことか・・・
>>249 織田政権から豊臣政権時代まで見ても家康に関する人望は滅茶滅茶高いよ。
織田が一番苦しかった時期でも姉川に自ら参陣したし、戦局不利だった三方原でも武田に決戦を挑んだ。
狂ってしまった秀吉晩年の暴走も秀次事件でも清正の謹慎処分でもよくフォローしていたし、秀吉自身の朝鮮渡海も最後まで諌めていた。
結果論だが、秀頼が郡山転封を受け入れて織田秀信(幼名三法師)と同程度の扱いを受け入れていれば豊臣家も生き残れたんじゃないかな。
>>251 三成が秀次事件でやったことは自らの権力指向の現れだよ。
形式的だったとはいえ、代を譲られ関白となっていた秀次を、お家衰退も構わず政争によって一族郎党を皆殺しを忠実に執行したのだから。
秀次事件に限らず、そうした自らの行績で敵に回すことが三成には多すぎる。
官僚としての実務能力は高くても政治家としては無能の一言だね。
>>253 上にも書いたけど、織田信長の女婿の蒲生氏郷は家康を嫌ってたよ。
まあ家康の人望が厚かったと言うより秀吉末期のグチャグチャな政治に
すっかり嫌気を指してしまった諸大名達が、つぎに自らの運命を託す相手として
家康に期待したってところだろ
末期の悪政、家康が裏で糸を引いてたなんてのはないのかな?
積極的にではないにせよ、わざと持ち上げたりで目や耳を潰したり
258 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 20:14:19.05 ID:plPRdUfT0
豊臣がこの世から一切消えたと考えてる人がいるけど
皇族と九条家と二条家と東本願寺は
秀吉の姉のともさんの血が流れてるからな
>>256 輝元、利家、景勝とか家康さんに比べたら粕だからな
豊臣姓も、ねねの兄の木下氏(旧杉原氏から改名)を通じて、大名で幕末まで続いてるのは
結構知られてないね
261 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 20:31:55.01 ID:kRq0DrQF0
応仁の乱の以降の戦乱の時代に
諸侯も疲れ果てていたのかもね。
「もう、我が家はサラリーマン大名でいいから平和を!」みたいな。
武家にとって最も大事なことは家を守ること
ぶっちゃけて言えば勝ち馬に乗るのが正義
>>258 個人的には父系母系はともかく本人からの直接の子孫じゃないとやっぱり
グっと来ないわ。
数代も経てば兄弟レベルの傍系なんて誤差の範囲なのは頭ではわかってる
けどなー。
天秀尼さんに子供でもいたら・・・
264 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 20:33:59.11 ID:rZ4ZYN3N0
>>258 豊臣は秀吉が初代なのに、
姉も豊臣になるのかい?
265 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 20:37:02.18 ID:zfgzbLUQ0
木下は、チョン
>>264 ならないよ。というか「豊臣」は本姓であって名字ではない。
秀吉の名字はあくまでも羽柴。
267 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 20:41:24.89 ID:kRq0DrQF0
「豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だった頃、琵琶湖の南に『金目教』という怪しい宗教が流行っていた…」
その教えを信じない者は恐ろしい祟りに逢うと言う。
藤吉郎は金目教の秘密を探るべく
飛騨の国から仮面の忍者を呼んだ。その名は
秀次一派の粛清によって秀次のもとで生まれつつあった
豊臣官僚体制が完全に消滅してしまったんだっけ
>>264 最初に賜ったのが秀吉なだけで同世代でも場合によっては父親とかでも
賜ればなり得るよ
彼女も彼女の夫も賜ってないから違うけど、弟は賜ったから豊臣じゃん
270 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 21:00:41.35 ID:plPRdUfT0
>>263 秀吉本人が1番だけど
大政所さまも好きなキャラだから
そっちの血が流れてるのはいい
むしろ秀吉の父系とかどうしようもない
271 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 21:02:25.51 ID:plPRdUfT0
ああ木下弥右衛門の血も姉ちゃんに流れてたな
>>270 小出さんとこにその妹さんの血は残ってたなぁ
直系は断絶しちゃったけどなんらかの形で子孫とかいるだろうな
有名な伊達政宗のいとこにあたる駒姫
当時15才の美少女だったらしいね。
しかも側室になるために京都に行く途中で
処刑が決定されるという悲劇・・
274 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 21:24:16.91 ID:Hi9r+pnDO
>>266 トヨトミじゃなく
トヨトミノになるのか
275 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 21:40:05.22 ID:T2RRV/Y90
>>214 近江八幡の関しては秀次じゃなくって家臣の田中吉政の手腕が凄いとも
276 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 21:44:13.59 ID:XJvGBEj00
秀次の妾女達30人ほどとその子供達が処刑された
畜生塚の話は余りにも有名であるが、その陰で謀反人と
して次々と極刑に処せられていた家臣達の話は全く語ら
れていない。男達は皆武士らしく謀反人にもかかわらず
切腹して華々しく散っていったのに、その妻子達は生き
身の女としては最も恥辱に塗れた苦しみの極端に大きな
磔刑に処せられ虐殺されたのだ。何か不平等だな。
>>255 家康を嫌う、数少ない武将の一人だったな。
>氏郷
その数少ないアンチ家康だった蒲生なのに、死後息子秀行を冷遇して家康派に追いやったのが三成。
因みに上杉の会津転封では、上杉が立つ鳥跡を濁しまくりだったため後任の堀を恨ませてしまって、これも家康派に追いやってしまった。
やること為すことが全て裏目に出るのが晩年の秀吉&三成の所業。
参考までに家康は関東転封の際には綺麗に引き渡して称賛を受け、関ヶ原の合戦の際には後任の大名のほぼ全員を味方に引き入れている。
(特に東海筋は100%味方になった)
堀は秀政が小田原で陣没したときに秀吉に所領没収されるところだったし
早々に秀吉に不信感抱いてた
上杉が立つ鳥濁しまくったのは秀吉が堀を冷遇したがってる空気を読んだだけ
あと関ヶ原の時の東海筋の大名って、駿府→中村一氏、掛川→山内一豊、
浜松→堀尾吉晴、岡崎→田中吉政と、ことごとく秀次の宿老だった連中なんだよな
堀の越後転封といい秀吉や三成は何を考えてたんだろうか?
279 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 22:53:10.12 ID:QkRHGKpm0
豊臣秀次は文武両道の好青年、叔父(秀吉)とは大違い
ルイス.フロイス
殺生関白などと汚名を着せられたが無益な殺生など何一つしていなかった
淀と石田三成に嵌められたというのが正しい歴史なのだろう
280 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 23:06:37.74 ID:kRq0DrQF0
秀秋や秀家みたいに他家降下すれば良かったか?
(まあ、秀家は元々が宇喜多だけど豊臣を名乗るの許されてたし)
>>279 秀次の真実は闇に葬られてるからな
狂人にしなければならなかったんだろうし
淀君一派がどうのというよりも、徳川に続く正当性とかもあるのだろう。
徳川の正当性のために、ノブや秀吉よりすごいんですよが成立しないといけなかったこともあるし
282 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 23:09:12.76 ID:hmPEZyGi0
おそらく秀吉は家康に政権を譲るために邪魔な秀次を排除したのだろう。
小田原征伐後に家康を関東に移して豊臣家をしのぐ石高にしたことでも
わかる。家康を超大名にして家康政権を揺るぎないものにしようと
したものと思われるのである。
伴天連追放令もあり秀吉への負の評価が合ったろうからそこはさっぴいて
考えたほうがいいかも
ただ、秀次がそこまでアホとも思わんから意味なく人を殺したりはしてないと
は思うけど
>>280 実際は一度後継者筆頭に躍り出て、しかも人格面・金銭の工面で人気があったってのが裏目だったろうから、
後継者争いの中で生まれた猜疑心をどこまで解消するかってのはかなり無理ゲーだったろうね
>>279 三成は助命嘆願に動いていたという話もあるにはあるが
286 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 23:28:27.47 ID:QkRHGKpm0
>>283 たしかにルイスフロイスの人物評価は
親キリスト派か否かで大きくわかれるのであてにならんというのは確かだが
文武に熱心で温厚な好青年という秀次評は間違ってなかっただろう
オーナー経営者であった信長と雇われの秀吉の差が
天下取ったあとに大きくでたね
287 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 23:29:47.87 ID:kRq0DrQF0
「泳いで参った」は秀吉も家康も
「もう、一生、泳いでいろよw」な扱いだったんかな?
他家への臣籍降下も出家も許されない秀次は、どうすればよかったんだ?
288 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/22(金) 23:37:13.89 ID:QkRHGKpm0
でも歴史は面白いもんで
天下取ったのは信長ではなくその下でこき使われていた秀吉であり家康
明治維新も坂本竜馬、高杉晋作、久坂玄随らは皆死んでしまい
明治政府のお偉いさんに収まったのはその下でパシリしてた連中
なんでも先頭切る男は長生きせんね。。。。
289 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止@転載は禁止:2014/08/22(金) 23:41:15.53 ID:psfokllNO
>>288 人によるだろ
チンギス・カンとか65まで生きたし、イブン・サウードやガンジーも長生きだ
神武天皇は75歳だっけ?w
日本は突出する人を嫌うのかもな、やっぱ
291 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 00:04:19.20 ID:7F4wzsD20
そりゃ敵対勢力と戦闘切って戦い常に矢面にも立つのだから
長生きせんわな
まさに太く短く
292 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 00:05:43.13 ID:5ELhluG30
連座制で死刑にされた侍女やら何やらは
いっしょくたに死体を穴に捨てられて
上から「畜生塚」と書いた石碑を立てといたんだっけ
んでそれを見た最上義光(娘が連座制で処刑)が秀吉に対して激怒し
関ヶ原では徳川についたんだよな
>>285 結構遺臣が三成に仕えてるから三成がはめたのはないだろ
>>290 >日本は突出する人を嫌うのかもな、やっぱ
人種まったく関係ないと思うが
あなたのもの自体、国内の改革・革新を進める人で長生きしてない人と、海外の成功で長生きした人を比べてるだけじゃね?
その辺は単に時代の流れに乗れるかどうかでしょ
ごく希に裸一貫からのし上がるのがいるけど
296 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 00:34:41.19 ID:7F4wzsD20
そのまま秀次に譲っておけば
徳川幕府はなかったかもしれんな
>>288>>290 実は、(前近代の)日本史には、今の人も同時代の人も、みんな固く思い込んでるある固定観念があった。
この固定観念が、288のような感想を産むことになり、290のような誤解を生むことになる。
それは、
「自分の正しい血縁で子孫への世襲に成功した為政者だけが、絶対的な勝者」
という発想だよ。もちろん、王権の血統のようなものは、世界中どこでもある発想だが、
「世襲だけが、政治の承継における絶対正義」という文化圏は、必ずしも多くない。
これは家族制度と深い関わりがあり、
日本が、エマニュエル・トッドの言う直系家族になったのは、室町時代後期なので、
ちょうど、日本社会を直系化させた戦国時代最終段階の武将の「成功度」について、
世襲が唯一絶対の基準になったのは、当然の話ではあるけど。
一番最初に気付いたのは共和制ローマだろ。
早い話が人材の使い捨て。
子供が優秀とは限らない。人も常に優秀とは限らない。旬のうちだけ、上手く神輿に担ぎ、用が済んだらポイ。
299 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 01:18:25.36 ID:TkmV6yKg0
秀次若かったんだな30にもなってなかったとは。 もっとおっさんだと思ってた
淀君はやっぱり豊臣を恨んでたんじゃないのか?
浅井攻めで勲功第一は秀吉だし、そのせいでパパとおじいちゃんはどくろの杯に
母親死んだのも秀吉のせいだし
>>20 貞安って日蓮宗と宗論やった坊さんじゃないか?
んだ。安土宗論の人だ。
四条に貞安前之町っていう地名も残ってる。
寺自体は上にもあるように高島屋が店を広げたときに移転。今は円山公園の横。
305 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 01:53:36.15 ID:7F4wzsD20
>>299 まあな
淀君の産んだ子供は大野というサムライの子
これは大阪城内では周知の事実
ただそれを秀吉に言ったら首が飛ぶのは確実
それで皆黙っていた
大阪城落城でも大野、淀、秀頼は最後を共にした
秀次の失点って長久手くらいじゃん
307 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 04:57:36.78 ID:IP+cPSTt0
こういう無念の非業の死を遂げた人物は
本当の人となりを明らかにしてあげたいね
それでやっと成仏できるのではと思う
>>36 皆殺しは知ってたが駒姫その人は知らなかった
309 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 07:59:09.18 ID:pc2n8gEL0
秀次が優秀かどうかといえば、足軽から始めれば足軽のまま途中で死んで終わり
秀次のブレーンの問題
秀吉がいなけりゃ無能
310 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 08:52:38.51 ID:JxZYiNKY0
でもそれは後継者としては優秀の裏返しなんだよ
2代目は正しくひきつがなければならないから
変な色を出されては困るわけだ
古来歴史伝承は勝者の側から作られるもので
この人にまつわる、無能、残虐伝説はいろんな敗北者に噂される
ステロタイプに過ぎないから、本人の能力人となりについては
完全に白紙状態
>>309 それはコロンブスの卵で、それこそここにいる人だって同じだろう
普通のいい人が権力持つだけで温厚な人格者になるし、その逆も然り
そもそも何もやってない平凡な人なんて、1000万プレーヤーでもバッジ持ちでも歴史上は上に上がれない三下だ
俺らは豊臣政権の末路を知っているから秀次を排除した秀吉を非とするが
応仁の乱の足利氏、細川京兆家の没落、その他多くの武家が養子と実子の家督争いで没落してる点
を考えれば秀次殺したのは無理からぬ事だと思うけどな
この場合秀次を出家させようと、後々秀頼に跡を譲る約束等々いくら手を尽くしても無駄というのは
戦国乱世に幾らでも事例がある。そして秀吉の頭にあったのはそうした直近の例
313 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 09:33:55.79 ID:QTDp9m9R0
>>308 何年前だったかニコ動でhistory-reproductionという企画があって、いろんな歴史動画が投稿されたけどその中に秀次事件があるよ
駒姫を題材にしているので見てみるのもいいかも
314 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 09:39:56.06 ID:BmflOJBW0
秀次を殺したことじゃなくて
大名達の家族を片っ端から殺しまくったのが最悪
大名の家族は「裏切らないための人質」になるくらい決定的な要素なのに
女を殺すのは、妊娠してる可能性を考えてとか理由はわかるが
まだ何もしていない駒姫まで処刑したのはひどい。
確か秀吉の妻が中止するよう進言して、秀吉も渋々
承諾して早馬を走らせたけど、間に合わなかった
らしいね。
316 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 09:53:35.12 ID:DSeny6lJO
>>34 秀吉多指症説は一部の文献にしか記述のない、極めて眉唾なエピソードだが。
秀吉の骨でも見つかれば検証も可能だけど、それもムリだろう。
訂正
駒姫を、じゃなくて駒姫も
だな
319 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 10:02:27.31 ID:DSeny6lJO
>>58 やっぱり出自は大事だよねえ。
都知事なんか見てると、つくづく実感させられる。
>>316 遠慮の要らない外国人宣教師と、秀吉の親友による話。
極めて眉唾、とは言いすぎだな。
多指症は現代日本だと生まれてすぐに切っちゃうから大抵は痕跡も残らない
ここにいる人でも普通にいてもわかんない
ちなみに自分は尻尾があったかもって思ってる。昔付き合ってた医者に指摘された。
親にはわざわざ聞いてないけどw
確かに、駒姫処刑は意外に効いてるよなあ。
東北の奥地の田舎大名とはいえ、鉄板の反豊臣大名を、自らの手で作ってしまった。
関ヶ原でも、最上の強さ云々というより(実際はあんまり強くないw)
「山形は何があっても絶対に翻意しないし、両刀使いもしない」という常識が
東北全体に広まっていたことが、戦いの行方に結構効いてる。
もっとも、その後徳川氏も最上氏を潰すわけで、悲劇の名家ではある。
そして、その潰された最上の血(山野辺氏)は、水戸徳川家に受け継がれ、
水戸徳川の「勤王思想研究」のコアになり、
徳川幕府の内からの思想的崩壊に、絶大な貢献をするというw
珍走一代記のような、変なDQN属性がある隣の伊達氏の暴走とは違った意味で、
妙に「スケールのでかい話」を、長いスパンで展開する悲劇の家だと思う>最上家
義光公は戦後にH天皇のおかげで郷土の英雄から奸雄に追い落とされちまうしな
でもあれだけの後継者問題を起こしてしまった以上、家を取り潰されたのは仕方ないと思うが
325 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 11:34:18.00 ID:+bU/SxDh0
秀次事件
三条河原で女性子供たちが次々と首を跳ねられる絵が残されているが
介錯役や監視役のひげ面の男たちが皆涙を流しているという異例の絵画だったな
当時の常識からしてもこれはおかしいと皆思っていたのだろう
とはいえ為政者としては怖いのだろ
平家が滅びた理由の一因だし
遣りすぎではあるが、怖くもある
あと、正妻は生かしてるな
政治力の違いか、親交の違いか知らんが
殺された家は余計に反感持つのに
327 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 11:49:10.94 ID:i8I3t9qu0
>>325 まだ戦国の荒々しい気風が残ってるこの時代の人すらドン引きするとは
秀次事件てマジで異常だったんだな。
赤ちゃんを犬か猫の様に持ち上げて、刀を突き刺すとか
幼女まで首を刎ねるとか、興味本位で見に来た民衆が
後悔したなんて記録もあるな。
329 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 12:07:39.28 ID:+bU/SxDh0
源平の合戦でも女は赦免
男の子でもまだものごころつかない年齢の子供はお寺に預ける
が基本だったからね
330 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 12:09:40.01 ID:i8I3t9qu0
>>328 当時の民衆って合戦や処刑も娯楽見物として楽しんでたとも言われてるけど
そんな民衆から見ても女子供を皆殺しは異様だったんだろうな。
秀次は秀吉の姉の男子(外甥)、家康は秀吉の妹の夫(義弟)
今の感覚で言うと後継者としてそんなに差がないような気もするが
秀吉の妹は、既婚者だったのに家康に押し付けるために
無理矢理離縁、再婚させられたから気の毒だよ。
家康にしてみれば、勘弁してくれと思っただろうな。
333 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 12:20:20.88 ID:+bU/SxDh0
秀頼より秀次のほうが血はつながってたのだがな
秀頼は大野という武士の淀君の浮気相手の子供なのだから
>>331 今の感覚でも血が繋がってるかどうかは全然違うだろ
335 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 12:25:00.94 ID:+bU/SxDh0
>>334 今の感覚でも血がつながってるかどうかはかなり重要
え・・・そう書いてるように読めない?
清州会議で秀吉が右手にずっと手袋はめてたんだけど何か意味あるの?
338 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 12:29:41.45 ID:+bU/SxDh0
>>331 豊臣政権の政治機能を何らかの形で継承し、家康と秀忠が、【伏見か大坂で政務を行う】体制だったら、
そのような解釈が普遍的だったかもな。
実際、17世紀の最初の10年くらいまでは、秀忠と江戸の譜代連中はともかく、
少なくとも「NEO天下人家康」は、多少はその方針も加味して振舞っていた節があった。
でも、こういう家康の振る舞いを全力でお断りしたのが、他でもない淀&秀頼母子だったんだから、
政治現場に近い大名勢から徐々に、「豊臣アボンでもしかたなくね?」という見識が広まっていったのは、
これは当然のことのように思える。
一方、政治と関係ない畿内の庶民は、秀吉の追悼に熱狂していた。
豊臣政権は、近畿一極集中を極限まで進めた政権で、
畿内の民衆は、今の首都圏民のような事実上の経済特権を受けていた。
「徳川の畿内離れ」は、彼らに不安と不信感を、かなり早い時期から与えていた可能性がある。
340 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 12:37:50.28 ID:+bU/SxDh0
近江を一気に発展させたのは信長でしょう
安土城を中心に楽市楽座、関所全廃
京都とは違った意味で日本の中心にしようとした
341 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 12:55:57.41 ID:a18Pt18j0
考えの合わない親戚を潰さなければ、その一部は徳川と仲良くして江戸時代も存続してたでしょうに。
豊臣一族は内ゲバやってたのが滅亡の最大の原因だろう。
>>24 秀次も秀長も実績は上げてるんだが、いかんせん単身での活躍が限られるからなあ
秀吉そのひとや自分の副官がすげぇ有能だから、
本人がどれだけ頑張ったのかよく判らんという不幸
>>323 最上ん家は伊達とは別ベクトルで変な歴史だよな
身内ゲンカが伝統というのは当時の大名共通の悩みとはいえ、
それが毎度しまらないオチになるのはあそこくらいだろう
当主自身も決して無能でないのに
>>342 最上家はTHE河内源氏って印象の家系だな。
信玄以前の武田家とかもそうだけ
河内源氏の末裔の一族って庶家もプライド高くて宗家に反抗心強くそれぞれ国人化して、ひたすら内ゲバしてる感じ
秀吉の息子って処刑されたと言われてるけど実は養子で生きてたんだろ?
本当面白いよなぁw
345 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 13:49:29.91 ID:XeBBh8Wa0
秀次が関白を下ろされたあと、
どのくらいのタイミングで摂家関白に戻ったですか?
>>342 秀次は結構な名政治家だと思う。秀長は言う程でもない。
このことは、2人が設計した城下町を見れば分かる。
近江八幡は、設計としては神懸かり的に素晴らしい物で、
後の「戦闘より合理性を追求する江戸時代型の城下町」のひな形になる。
具体的に言うと、晩年の家康が設計した、名古屋と駿府の直接の原型で、
松平忠明の大坂魔改造の指針にもなってる。
秀次の時代に、あのような町割りが出来るということは、相当な先見性と大胆さと独創性がある。
秀吉時代の大坂は、意外にも、経済的な観点からいえば糞設計だ。
これに対して、秀長の郡山はかなり凡庸なんだよな。
しかも石材調達は信長仕込みの宗教的鬼畜っぷりだし。
秀次が嫌われていたのは、どうも「京都文化標準での無教養」が原因だったらしいね。
これは平安末以来、21世紀に至るまでずっとそうなのだが、
京都人は自分の尺度での教養度で、他所からの為政者の人格すべてを判定する。
でも、それは合理的なガバナンス適性とは、ほとんど関係しない。
347 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 16:10:14.80 ID:mVLVrYAfO
鹿児島市に墓あるよね。
死ねって言われて死ねるってよく考えたらスゲーよな
俺なら逃げるし、ダメなら秀吉と刺し違えるわ
道糞は逃げました
352 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 19:52:25.74 ID:a/sjRFqD0
>>346 豊臣秀長はあくまでも『血のつながった』秀吉の側近だからな。
堺屋太一の本でもそこは強調されていたな。最後まで補佐役に徹した生涯だって。
大阪はもともと軍事都市&港湾都市みたいな位置づけを最初は期待されていて、
天下の台所としての機能を大いに発揮するのは大坂の陣の後。
大坂城がある場所は旧東成郡大坂だけど、町としては港がある西成郡のほうが
順調に拡大していった(難波も福島も堀江も船場もみんな旧西成郡)。
秀次が嫌われていた、ねえ。
陣内孝則や成宮寛貴や池内万作や北村有起哉を見ると、何となく分かるかも(笑)
昔からの先進地域で信長秀吉によって抵抗勢力狩り尽くさたりかなり開発されている近江と
宗教勢力や土豪絡みで中世屈指の難治の地だった大和・紀伊じゃ治め易さがイージーとハードモードくらい違うが
紀伊なんて戦乱冷めやらんし、この後の浅野時代ですら面倒な事になっている
秀次が凡庸でないのと秀長が言われる程有能か?って趣旨には同意だが
町割り比べて単純に秀次>秀長ってのはちょっと・・・
354 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 21:22:19.91 ID:Vr5plNzE0
秀次が秀頼に取って代わろう!な野心を持っていたか?は
本人にしか分らないけど
秀頼を殺すだけで完成!なんて甘いモノでは無い事位は
理解してたでしょ?
秀次が謀反人に成っちゃうじゃん。
家康を筆頭に諸侯に仇打ちの口実を与えるだけだし、
秀次自身には何ら実績が無いんだから従う諸侯は少ないだろう。
秀次自身がゼロから天下統一を始めなきゃいけない。
秀頼の摂政関白、執権、の立場で納まってる方が得策だろ?
355 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 21:51:07.05 ID:a/sjRFqD0
>>353 あの当時の近畿は、中央部と端っこで差が大きかった。
近江ももともとは紀州や大和方面とそんなに変わらなかったけど、
早い時期に織田や豊臣によって統一された上に商業促進もあって
一歩先んじたのが大きかったな。
しかしそれにしても、秀吉の作った大坂の町と家康が再建した大坂の町を
比較してみると想像以上に違うんだな。
井伊に作らせた彦根の町といい、北の要として重視した丹波篠山といい、
実は家康って大坂やその他近畿の発展に結構寄与しているのでは?
大阪の観光名所になっている道頓堀も家康(正確にはその孫)が作らせたものだし。
356 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 21:55:08.13 ID:ZIRR64Wq0
秀次残しておけば滅びずに済んだものを
現代に続く大阪発展の基礎を作ったのは松平忠明とかなのは分かってる人は
知ってるよ
でも今の大坂城の土台が秀吉からのものと思ってる人には説明するきにならん
358 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 22:03:44.41 ID:yFE0WzeO0
秀次とその関係者の粛清で、多くの人の心が秀吉から離れた
結局残ったのが大野治長レベルでは、どうしようもない
359 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 22:07:25.02 ID:fASjzj7QI
>>99 そんなのは偽りのいいがかりという事情が知られていたから、
今回発見された供養塔がつくられたんじゃないかな。
あまりにもあわれだということで。
360 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 22:20:47.99 ID:a/sjRFqD0
>>357 関西特に大阪は徳川嫌いが多いんで、その点はしょうがないわな。
実際には大阪はもちろん、伏見や兵庫や尼崎あたりも
家康のおかげで大きくなった要素が大きい。
あと信長は京都の中に屋敷を持たず、秀吉は逆に聚楽第を作って住み、
家康は郊外の伏見桃山城で妥協したっていうところに、三英傑それぞれの
京都に対する価値観が垣間見える。
>>352 秀長の凡庸さというより、「秀次のずばぬけた優秀さ」のほうに、
強調ポイントがあると理解してくれればありがたいw
近江八幡の町人地の町割りの独創性は、時代を考えれば本当に神といってもいい。
そして、ひっかかるのは、秀吉の愚かしいとも言える都市計画なんだ。
秀吉期の大坂の中心町人地は、上本町なんだよ。
自分の城の裏口に港を作って、自分の交通の便を図りながら、町人には反対側に住まわせる。
これが長浜以来の秀吉の芸風なのだが、都市政策としては実に糞だ。
上本町に来るように言われたのは、中世都市平野の商人なのだが、
「おみゃーら、上本町に移住するぎゃ」と言われても、
河内平野の水陸交通網を、フルに使って繁栄を享受してきた平野商人に、
上本町に来い、なんて言われるのは、「丘の上で干物になれ」と言われるに等しい。
当然、平野住民の大半の答えは、「だが断る」で、
当初の構想の1/3規模になってしまう。
これが、秀吉の大坂首都構想の二つの大失敗の一つになる(もう一つは上京まるごと移転計画)
>>64 猜疑心が強かったのは頼朝本人ではなく嫁の北条氏一族。
いくらなんでも実子まで殺されてるのに快かった筈はないよ。
実は頼朝自身も急逝しているので、暗殺の噂があるんだよな。
363 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 23:03:57.06 ID:Vr5plNzE0
秀秋は上手く立ち回ったよな。
秀吉の死後には秀頼の成人までの中継ぎ関白までお勧めされてたし。
秀家は水泳バカ
364 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 23:06:34.14 ID:a/sjRFqD0
>>361 秀次はそれなりに都市計画の才能があったが、秀吉には足りなかったってことだな。
築城の名手が必ずしも都市構築の天才とは限らないという良い見本。
例外は家康と娘婿の池田輝政ぐらいか。
戦後大坂を復興する時に、松平忠明は全国各地の商人や伏見の町人を
移住させたけど(備後町や伏見町、土佐堀、阿波座、京町はその名残)、
それは旧平野郷の町衆のように土地勘に詳しくなくて一から新しい町を
起こすにはもってこいだったんだろう。
365 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 23:40:45.56 ID:E6spAVSB0
秀吉って、秀頼の父親が誰か疑わなかったんだろうか
色んな女との間に子供が出来ないのに、爺になってからそんな簡単に出来るかよ
本当に自分の子供だと思ってたんだろうが
もしかして認知症とかでてボケてたんですか
366 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 23:44:20.79 ID:E6spAVSB0
>>362 自分の地位が脅かされるのを恐れて優秀な兄弟殺しまくって
周囲には北条しかいなくなった馬鹿
頼朝の評価って判らんわ
強かったのは兄弟達、政治家としての能力も低すぎ
367 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 23:47:40.13 ID:2WS1MBUQ0
豊臣秀吉と薩長閥はそっくりだ
安倍政権も薩長閥の流れだ
成り上がりの権力者が、天皇への忠誠を示して権力を誇示するために
天皇家ゆかりの白村江のあった朝鮮半島を侵略してみせる
そのパターンで日本に災いをもたらしたところまでまったくそっくり
368 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 23:53:33.00 ID:2WS1MBUQ0
安倍政権みたいなのを愛国だと勘違いしているニワカ愛国者が多い
ネット時代になって大量生産されたエセ右翼は、みんなこのパターンで騙されてる
戦前の日本が良いと思い込まされてるが、
戦前の日本などは薩長の傀儡、天皇陛下は薩長閥に利用されていたに過ぎない
必要以上に神格化して、結局日本の若者を犠牲にして何の結果も出せなかった
本当の愛国とは風土と文化の良い部分を守り悪い部分を改めることだ
370 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 23:55:10.15 ID:pFniBCVX0
これまたウソくさい話ですな
一部ってどうよ
371 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/23(土) 23:57:24.92 ID:TcBZX1Ml0
陳腐な歴史観だなw
372 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 00:01:55.48 ID:wpiTorQJ0
>>368 自民党を愛国なんて誰も思ってないわ、生粋の売国政党だろ
いつも思うけどサヨて何でそう思い込んでるのか?本当に単細胞
他は半島や中国の工作員確定の政党ばっか、どこに入れろというのか
消去法で嫌々入れてるだけ、まともな愛国政党があればそっちに入れるだろ
373 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 00:10:34.09 ID:3CW0bgVE0
>>365 完全に淀の色香に籠絡されてたと思われ
周りは秀頼の父親は大野治長とわかっていたが
誰も秀吉に告げられなかった
それで機嫌損ねたら打ち首なのだから
ここらがオーナー経営者の信長、家康と雇われの秀吉の差
374 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 00:12:16.22 ID:iKbLJkHp0
>>365 信長に養子もらう前に 子供できてるよ。
>>360 豊臣秀吉すら、明智光秀を破った直後に居座った大山崎の城、
晩年に常駐した桃山の伏見城(途中で地震があって二か所跡地がある)と、京都の中心にはいない。
聚楽第は秀次、大阪城は秀頼にさっさと譲って、秀吉の常の住居ではない。
>>367 こいつは阿呆だな。
関東軍が「今に会津が江戸になる」、と謳いながら日本政府を無視し続けていたことなど、
記録にも山ほど残っている。
377 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 00:16:30.04 ID:3CW0bgVE0
>>377 近江時代に生まれてる可能性があるらしいよ
もちろん成人する前に亡くなったみたいだけど
石松丸秀勝だな。いた可能性のほうが高いかなー
380 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 00:26:53.29 ID:3CW0bgVE0
>>378 秀頼の前に淀が一度懐妊でも早くに亡くなった
でもそれも大野治長の子供
もしそうだとしてもたぶん秀吉ではないはず
信長の命で京都二条城警備という楽な仕事させてもらっているとき
綺麗な京女見つけると若い若くない関係なくみづから声掛けしていた
という秀吉種無しでなければ子供はうじゃうじゃいたはず
そして大隈重信にせよ、福沢諭吉にせよ、戦前の在野文化人は藩閥政府には冷淡で、
むしろ中国に駐屯している日本軍と日本資本家こそ国士である、とマスコミは主張し続けた。
民衆は、文化人やマスコミらの、反薩長という掛け声に踊らされ、政府よりも、自らの職よりも、
大陸に関東軍が建てると宣言していた国家と工場に期待していた。
だから、侵略は正義である、という捻じれた感覚に陥っていた。
「中国の中に、日本人のための反薩長の国を建てる」、というID:2WS1MBUQ0のような妄想に浸っていたんだよ。
豊臣は良くも悪くも秀吉の個人商店だった。
作ったのも秀吉なら、崩壊する原因を作ったのも彼自身。
後継者に指名した秀次を、プレーンもろとも始末したのは大失敗だった。
若い男の成人の親族がごく少数で、豊臣家自体に忠誠を誓う人間があまりいないのに
幼君だけでは乗っ取りに合うのは目に見えてる。
かつて秀吉が織田家にやったことだ。織田の成人親族はいたけど分裂させた上で乗っ取った。
383 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 00:34:48.30 ID:3CW0bgVE0
淀君は周りの見えないバカ女代表に思われているけど
豊臣家滅亡を目指してたのならすごいものあるな
秀吉の浅井攻めでおじいちゃん、父親、弟が殺され
柴田勝家絡みで母親を殺され
秀吉には恨みしかなかったはず
いけめんの父親浅井長政にくらべ
秀吉は信長に猿ではなく禿ネズミと言われてたのだから
384 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 00:46:29.65 ID:3CW0bgVE0
淀にとっては
貧弱な体格で体力もない秀吉爺さんを勃起させて
射精までもってくのも一苦労だったと思われるが
タイミング合わせて大野治長を寝室に呼び込んでいたのだと思う
ちなみに大野治長は身長180センチ
秀頼も同じく長身
秀吉は155センチぐらいだったでしょうか?
385 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 00:46:35.58 ID:iKbLJkHp0
>>383 淀君はバカ女No1で間違いないかもしれないけど
No2が その妹のお江だろうなwww
家光って 秀忠とお江の子じゃないんじゃねーの?
淀殿を貶めたいのでない人は”君”ってつけないほうがいいと思う
長政に美形のイメージないなぁ 体格はよさそうだけど
織田はいうほど美形かはともかく整ってはいそうだ
>秀吉は155センチぐらいだったでしょうか?
今より平均身長が低い当時でも小男扱いされてたんだから
(ちなみに家康でも160cmとかそんなもんで、それで当時の普通の体格)
150以下だろ
145とかそんなもんじゃね?
>>88 秀吉の朝鮮侵攻は徳川時代に既に酷評されている
歴史を勉強してからモノを言った方がいいよ糞ガキが
秀吉の身長、実は1hydeじゃないのか・・・
キリストのが生まれたのはちゃんと計算したら紀元前2年になっちゃったくらい
の衝撃
>>386 むしろ幼名を茶々といった、感情優先無能女性の名称呼称は、当時有名な小説に準拠している場合が多く、
どちらも敬意があるというほどではない。
しかも、偉丈夫だった秀頼が、秀吉の実子とするのは少し無理があるように思う。
体格面から秀頼が秀吉実子ではないと言う人がいるけど
淀君父の浅井長政はかなりの巨漢で会ったらしいのでその面では実子ではない説の補強にはならない。
秀頼から見たら祖父の長政がガッチリしてんじゃね
故に遺伝子としては持ってても不思議ではないと思うけど
ましてや幼少の頃から食の事情も良いだろうし
>>391 その前に秀吉自身種無しの確率の方がかなり高いだろw
秀吉が生涯の内におねと茶々としかセックスしてないのなら理解できるが
側室やらつまみ食いやらしてて秀頼一人という方が常識的に考えられない
淀殿も当時にしてはかなりのデカ女だったらしいしな
まあ秀吉の種ってのは大いに疑問があるが母系の遺伝子として
大男になるのは不思議じゃ無い
史実云々ではなく、呼称として君はさすがに女郎みたいじゃん
396 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 01:40:43.65 ID:3CW0bgVE0
>母の市は戦国一の美女と謳われた美女であった。長女である淀殿は母の面影を受け継いでいたといわれ、美貌の持ち主であったという。
>当時の女性としては非常に長身で身長170センチ・メートルほどあったとされる
なるほど 秀吉は自分より一回り大きい淀殿に晩年は夢中になっとったか
で、アナタのように誹謗したいだけの人は別にそれでいいとおもう。
中立の立場の人は使うべきじゃないってこと。
>>396 それ、一次資料は何? いくらなんでもでかすぎないか?
今でいったら185とかだろ。日本の女ならバスケ選手でも高いぞ
江戸時代に日本人の体位落ちてるからな
戦国でそれなりに恵まれた連中の体位は今とさほど変わらないんじゃない
400 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 01:46:19.07 ID:3CW0bgVE0
>>395 淀君と書かれる文献は江戸時代以降になってから
当時は淀殿、淀の方が正解と思われ
君という呼び名が女郎云々というのも違うと思う
平安時代には源氏の君などというようにそれなりの高貴な人に対して
使われているのだから
401 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 01:47:56.75 ID:o28sx99m0
402 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 01:48:11.53 ID:3CW0bgVE0
>>398 資料はウイキペディア
でも坂本竜馬の姉貴おうねだって当時は大女と言われてたのだから
女=小さい
というわけでもなかろう
仏教の影響で肉食を禁じてた時代以外は日本人もそれなりにデカいよ
一次資料・・・
>>393 でも徳川の歴代将軍も結構子供少ないぞ
家斉を除いてw
406 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 01:52:14.46 ID:3CW0bgVE0
>>399 戦国時代は何キロも走って合戦とかしてたから
肉も食ったのよ
猪、シカ、牛、キジだなんだと
江戸時代はサムライも頭脳労働になったので
それほど食わなくなったと思われ
肉食の有無は大事なのよ
朝鮮人なんか極貧だったくせに戦前は日本人より一回り大きかったとされる
408 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 01:57:28.42 ID:3CW0bgVE0
>>398 信頼できる資料で淀殿の身長にかかわる文献は今のところなさそうだ
>>408 だよね サンクス
オレが知ってるのもTVだか本だかが服とかから推測しただけのものだ
wikiなんかもそれの孫引き
410 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 02:19:52.21 ID:3CW0bgVE0
>>405 間引き
側室の孕んだ子供はたいてい堕胎させた
将軍は知らんけど。。。。。宣教師の資料より
411 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 02:33:55.47 ID:p7tcGHwy0
>>387 適当にググると信長が165、秀吉が140なんて数字が出てくるね。
まだ面会してない駒姫含む側室皆殺しで、
それなのに正室は、処刑しないって
そんなもん恨まれんほうがおかしいもんね
413 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 02:37:12.72 ID:p7tcGHwy0
秀吉も、自分が子供が成人するまで生きられないから
可能な限り障壁を取り除こうとしたんだろうが、
哀しい事に思考力も知性も低下した老人、あまりにもやり方がストレートすぎた。
少し考えれば秀次には功はあっても、秀吉に匹敵するような偉業はないわけだし、
きっちり遺言で元服後には秀頼に関白職を譲るように書いておけば何の問題もなかったのに。
恐らくは関白としての権威を保った秀次の前には家康も下手な事はできず、
無事秀頼にスイッチできたと思うんだけどなあ。
>>412 正室は、別の有力大名の血縁で殺せなかったらしいね。
ちなみに駒姫についてはさすがに周囲から助命嘆願があり、
結局は折れて処刑中止を決断したらしいが間に合わなかったみたい。
小牧・長久手で自分に味方してくれて、嫡男とともに討ち死にした
武将の娘はさすがに殺せないだろ
本能寺の変の際にも相当世話になってるし
最高権力者が自分の妾の身辺ぐらい調査もしてないとでも思ってるのかよw
種無しとか本気で言ってるんなら馬鹿すぎる
まあいわゆる乏精子症だった可能性はありそうだけど
特に大野とか言ってる奴。秀吉が死んだ後、子供が生まれてないのはなんでだよ?
ホント、こんなバカばっかりだと政治家も仕事が楽だろうなあ
>>405 家康は多いだろ?
徳川の歴代将軍の実子がよく育たなかったのは後宮の悪習のせい
乳母をはじめその時代の女がつけるようになった白粉による鉛中毒が原因といわれている
成人も鉛白粉の病状はでっかいが、小児だと死産、麻痺、精神障害の原因になって非常に中毒の影響がでかい
というのはわりと知られた話だと思った
>>393 秀吉は子ができないか非常にできにくかったというのは同意だが、
体格を根拠にするのは誤りだって事。
>>416 あれだけ女好きで妾を多数抱えててた秀吉が
淀しか子供出来なかったのは何でだよ?
そっちの方が奇天烈で摩訶不思議だろ
みんな内心じゃ変だ変だと思いながらも口には出せなかっただけだろww
わかった
謙信とおんなじで実は女だったんだよ
421 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 10:58:34.10 ID:JdPSniWA0
>>405 家斉の息子の家慶の子供の数を数えてごらん
徳川慶喜も多いだろ
20人以上作ってて「少ない」「普通」はないわ
吉宗は効率的
423 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 11:23:22.03 ID:QIoIu8up0
秀次の正室は池田恒興の娘で池田輝政の妹なので助かり
駒姫は山形の田舎大名の娘なのでまだ秀次との面通しもしていないのに
構わず打ち首
そりゃ最上は怒るわな
伊達政宗の従妹にも当たるので正宗の秀吉嫌いの原因の一つにもなったと思う
慶喜は徳川宗家から大分離れた血筋だけどな
本来なら水戸家出身なんて将軍になるのほとんど不可能
(本当に他に後継ぎがいないなどの特殊事情でもない限り)
なんだが幕末の動乱と言う時勢で将軍になってしまった
425 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 11:30:32.96 ID:7inajc/D0
>>393 結婚して暫くしてオネとの間に子どもが出来たけど流産した。
流産が二回でその後は無し。
この時点でオネが卵無しになった可能性があるが、
その後に秀吉に子の話が聞かないのでこのあたりの合戦中等の事故で後天的な種無しになった可能性もある。
あと、秀吉は六つ指だったようでDNA欠損による傷害があった可能性もある。
となるとDNA的障害を持つ子は比較的流れ安いのでオネが流産した可能性はここの可能性もある。
426 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 11:33:36.37 ID:QIoIu8up0
けして豊臣秀次とはしっくりいっていなかった石田三成でさえ
秀次の謀反などありえないと進言していたのに
あえて結構
すべては秀吉の親ばかから起きたこととしか思えん
側室達は秀吉に献上する形を取って、助命出来たらよかった
女好きな秀吉なら了承したかも
秀頼も実の子じゃないって説もあるよな
権力者のそういう噂が当時からあったから
徳川家は大奥システムにしたんじゃなかったか
>>423 親兄弟にすら冷たい・容赦ない政宗が
従妹の死ぐらいで心痛めんだろ
>>429 だよな
っていうか、東北の近隣なんて親戚ばっかりだろw 東北に限らんか
431 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 11:46:29.80 ID:QIoIu8up0
>>427 それをやると
斉藤道三と長男のような複雑な状況に陥るのでするわけないでしょ
妻子まで処刑せずとも、仏門に出家させる程度済ませられなかったのか
晩年の秀吉は耄碌しすぎで作り上げてきた物を自分で壊しちまった
成りがり秀吉は、伏見城、大坂城、名護屋城、大仏などの大普請をやり続け、
半島へ出兵し、民のための政治はしなかったよねえ
大阪の陣の後、家康は秀頼の妾腹の男子国松は処刑したが、家康は女子は尼にして東慶寺に入れたな。
平家が頼朝と義経を助けたんで成人後に旗揚げされて滅亡に至ったので、男子は助けなかったが。
頼朝は、妊娠中の静御前の出産を待って、生まれたのが男子だったので奪って捨てたが静本人は助命している。
ここらが穏当な処置。
436 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 12:12:09.04 ID:QIoIu8up0
>>434 そこが天下布武の信長との違い
心身症に陥ったとしか思えない光秀がわけわからんことしなければ
われわれが学んだ日本史は秀才タイプの秀吉家康ではなく
天才型の信長の作った織田幕府
かなり違った物になっただろう
>>432 足利義昭も出家しいたけど、還俗している。
始末しないと、自分の死後秀頼から簒奪すると考えたんだろう。
自分も簒奪者だしな。
438 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 12:17:58.23 ID:JPf8t4HM0
秀吉、嫌いなんだよね
小賢しいというか、狡賢いというかさ
ちゃっかり関白の座に着いて
俺は明智光秀の方が好きだね
禿げネズミ、最後は狂い死にしたからザマア見ろって感じだわ
439 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 12:21:38.33 ID:QIoIu8up0
>>438 まあな
秀次の正室とその子供は有力大名の娘なので免除
側室は女子供すべてバッサリ
そりゃ豊臣政権崩落の終わりの始まりにもなるだろう
440 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 12:22:39.35 ID:JdPSniWA0
>>436 一代のカリスマだけではどうにもならんよ
システム化した家康のおかげで、安定した、良くも悪くもね
441 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 12:24:38.61 ID:QIoIu8up0
世界に100年先駆けて政教分離
世界初の鉄板船
3千丁もの鉄砲の大量投入した長篠の合戦
日本初の自らデザインした天守閣を持った安土城
自分の領地になった時点で関所は全廃
天才信長が作ったその後の日本史を見てみたかったよ
たらればで言っても仕方ない
信長だって粛清癖がもっと酷くなってやっぱり結局他の誰かに裏切られてたかもしれん
対抗の求心は家康ではなかったかもしれんが
443 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 12:34:49.45 ID:kcxAQ2XQ0
>>34 長浜時代に秀勝1号(石松丸)が早世してる(腹は南殿)
>>316 明治の阿弥陀ヶ峰豊国廟の再建の際秀吉公の遺骸と思しきものが発見されて
現在も埋葬されている
444 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 12:37:49.51 ID:ddDM/l6z0
秀頼は170pから180pあったという話もある
母方の遺伝子だろうが 秀吉は150p程度か?
秀吉も自分が種なしで しかも九州の名護屋城に出掛けた直後の
妊娠だから 或いは知ってたが 承知の上で実子として周りのものに
認めさせ 自分の後の基盤を固めたかったのか
明智の謀反も必然と言うか、信長のやり方だといつか辿り着く
避けられない運命、だったんじゃね?
家臣らの面前で「このキンカン頭が!」と床に頭をなすりつけられたり
領地召し上げでまだ獲得もしてない敵領土への転封命じられたり
光秀でなくてもいつか誰か暴発するだろ
446 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 12:54:51.74 ID:QIoIu8up0
>>445 >家臣らの面前で「このキンカン頭が!」と床に頭をなすりつけられたり
それウソだから後の小説家が書いたこと
>領地召し上げでまだ獲得もしてない敵領土への転封命じられたり
信長の出した書状ということになってるけど江戸時代に書かれたものということが
判明してるよ
やはり佐久間信盛、林秀貞、安藤守就、丹羽氏勝の古くからの武将を
いい給料取ってる割には働きが悪いと追放したのがいけなかったのだと思う
みないずれ俺らもと使い捨てにされると思ったはず
なんぼ実力主義抜擢主義の織田軍団とはいえさしたる理由がなくて
追放では
>>446 ちょっと変わった話として、信長は、結構若い頃から2型糖尿病だった説というのがありましてね。
糖尿病性神経障害を患っていたことは、ほぼ確実と言われてる。
ヒトラーのパーキンソン病&治療のための覚せい剤とは違い、直接知能には影響しないけど、
QOLを下げるので、生来の激昂気質を悪化させたり、
合理的判断に支障を来したりさせた可能性は、それなりにある。
史実以上に長生きしても、家康のような医学好きでもないし、
(家康は中年以降、アメリカ人並みの高度肥満になったが、
薬好きでそこそこの健康マニアのせいか、生活習慣病からは完全に免れてる。
伊達政宗は、多少の中年太りで、晩年は生活習慣病の人になった。こっちが普通。)
もちろんインスリン注射は無いし、案外耄碌・政権崩壊は速かったような気もする。
449 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 13:41:15.46 ID:ddDM/l6z0
歴史なんて勝者が勝手に作り替える 現代でも然り
殺生関白とかほぼでっち上げ
明智の謀反だって 江戸時代とかに創作されたものが多いと思う
多分信長は安土城を建てた頃から 自分自身将軍とかをちょうえつした存在
と確信してたと思う 天皇 神・・・とか
だから朝廷も恐れをなして何とか策を巡らしていて
千載一遇のチャンスに明智を使った
450 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 13:47:33.71 ID:5/VCh3Li0
>>5 今や荒くれ者ばかりの底辺が住む街なんですがそれは
>歴史なんて勝者が勝手に作り替える
まあこんな事言ってたら「歴史」と言う学問そのものが成立しなくなるけどなw
歴史とは過去の様々な文献(文章として記録されてるもの)を
検証し解釈する事しか出来ないんだから
453 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 14:01:49.41 ID:ddDM/l6z0
>451
文献の質の問題だろうな
謀反に関わる当時の信頼できる公家神官の書いた日記等も当時のものが空白だったり
改竄 捏造されたりしてる 自分たちに災い起こるの避けて焼却したりしている
何百年も経って書かれた文献をもとに小説家が書く それが真実の様に
454 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 14:01:51.83 ID:QIoIu8up0
>>450 自称部落の連中が幅きかしてるのを何とかしないと
455 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 14:03:24.78 ID:KHks+I9h0
群書類従作成過程で、さらに史料が捨てられたとかいうものな。
>>453 だからそんな風にどこまでも疑ってたら歴史なんか成り立たねえと言ってんだよw
どこかで割り切って解釈を成立させないと
457 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 14:13:49.94 ID:FhteW+SKO
歴史は隠蔽されている。
>>425 つ鶴松
まあこの子供も淀なのが更に怪しいんだよね
数多い側室で淀だけ妊娠だもんな連発で
459 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 14:31:29.96 ID:xVjHZwcl0
藤原姓以外の唯一の関白が秀次
秀吉も最初は関白藤原秀吉だもんな
信長なんて混乱に乗じて勢力を拡大し勝手に天下布武をとなえて歯向かう奴を殺戮しまくって、
全方位から敵扱いされてるイスラム国みたいなもん。
461 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 14:55:05.72 ID:QIoIu8up0
>>460 一向宗もしくは比叡山のかたですか?
でも政治に口さえはさまなければああはならなかったかと
でもそれ考えると創価学会ってどうなんでしょうね?
秀吉って種なしだったんだろ 全員他人の種
463 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 14:57:39.96 ID:JCAzmdms0
秀吉って、竹中直人のイメージしかない。
人物としては、信長の業績をまるまるもらっただけの無能だから評価できない。
>>458 果たして、淀の子二人が秀吉に似ていたかどうかだよなあ…
淀からすれば、秀吉はそもそもが親の敵。
別の男の子をはらんで、それが天下人になるなら最高の復讐にもなるわけだしな。
465 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 14:59:51.43 ID:qGNE2evl0
ところで太閤立志伝の続編はまだですか…
467 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 15:02:52.39 ID:5J6xYG5v0
これ公開死刑で見物人がいきさつを書いたのが残ってるけど、
ほんとひどすぎるよ。
たしか30人くらいを4時間くらいかけて殺して鴨川が赤く染まったんだよな?
幼児を子犬のように持ち上げて合口でなんども串刺しとかw
最上家の娘で無理やり秀次の側室にされた姫なんかも一緒に処刑されて、
「あまりに無慈悲すぎる」と嘆願されて秀吉が処刑中止の指示をだしたけど数分間に合わなかったんだよな?
関ヶ原では最上家は徳川側についたけどこの辺の事情も含んでるんだろうな。
ほんと歴史を変えた事件だったと言える。
輝元黒幕説あるらしいな
秀次に返し切れない借金して消したって説
しかし輝元どれだけ無能なんよ、アホな借金するわ
関ヶ原ではいきなり日和見に入って結果領地削減されるわ
毛利が本気だったら秀元が動いて関ヶ原が分からない事になっただろうに
>>467 つっても関ヶ原は宿敵上杉相手だから反豊臣になってなくても東軍参加は揺るがないよ
470 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 15:11:14.77 ID:QIoIu8up0
>>468 そんな無能なら黒幕になれるはずないでしょう
裏で絵をかきストーリー通りに駒を動かす
どんだけ難しいか
471 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 15:13:11.97 ID:5J6xYG5v0
>>469 でも次女をこんな風に処刑され、亡骸もほかの処刑者と一緒に穴に埋められ「畜生塚」とか石碑建てられ、
それを知った母もショックで自害したくらいだからね。
秀吉にたいする怨念は400%だろう
>>467 無理やりとかは当たり前の時代だが、来たばっかりで本人同士は会ってない
473 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 15:17:58.14 ID:AJQkmT1+0
徳川に喰われなくて済んだ
@秀次生存:なにせ関白ですから、家康手出しできない
A秀吉弟生存:豊臣家実質No.2で人望あり。家康手出しできず。
B前田利家生存:豊臣家実質No.3で戦歴あり。家康手出しできず。
これらが死んだおかげで家康に敵はなくなった!
前田利家は豊臣家ってわけじゃないだろ。バランス重視で味方しただろうが。
476 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 15:22:17.30 ID:EJXFcqlj0
>>458 たしか長浜時代に側室に女の子が産まれたことがあると聞いたような
それも諸説のひとつかもしれない
どちらにしろ秀吉がほぼ種なしだったのは同意
駒姫だけでも助ければ少しは印象はマシだったのにな
>>474 世渡りという意味での政治的手腕は抜群だけど、
戦に関してはかなり微妙。
だいたい130万石で戦も強い大名を
わざわざ250万石に加増してどうすんだよ
誰だよ家康に関東任せるの発案したの
>>474 アレしか残ってないが重しにはなってたという意味では。
480 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 15:30:49.07 ID:8lEKLPOa0
>藤田恒春・元京都橘大非常勤講師
この人の待遇が気になる。
研究者としてやっていけてるのか?
481 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 15:34:39.16 ID:uoCrwVCk0
>>473 秀次の関白在位は一年
秀頼誕生により降位
切腹時は出家させられ、無官
>>467 「あまりに無慈悲すぎる」と嘆願されて秀吉が処刑中止の指示をだしたけど数分間に合わなかったんだよな? >
それは作り話な
>>473 確かに前田利家は脅威。
石田三成と違い、さらに多くの軍を集める力もあったろうなあ。
ただ年齢的な面を考えていれば、やはり豊臣家にとって秀次が若く地位も最高だっただけに
彼を秀頼の脅威と考えてしまったことが不幸だったねえ。
そして元養子たちをもっと大事に扱っていれば。
特に小早川秀秋なんかは、変に叱責とかしていなければ裏切りはしなかっただろうに。
>>105 語感でそう思えるという書き込みに対し、揖斐なんて誰も知らんくて当然な地名を知らないと無知扱いとか凄まじい思考してるな
>>463 城攻めは天才的だったらしいがな。兵糧攻め、水攻め
486 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 15:44:40.85 ID:ZIf4iADG0
>>133 まさにKの法則だ。そんな昔から続いてたのか。
ところで、その時代にはもうエベンキだったの?
豊臣に近いはずなのに徳川に付いた大名結構おるよね
豊臣は茶々に潰された
浅井と織田の血を引く
豊臣の側室淀の方
名族近江浅井家の姫(´・ω・`)
>>487 賤ヶ岳の頃から日和見な人だが、もう少し元気に存命していれば徳川も危なかったかもな。
淀殿の実質的排除と三成派と清正正則派の抑えが出来てればだけど。
でも豊臣の最大の恩恵受けたのは利家だろ
秀吉無くして加賀の前田家なんて考えられん
子孫はともかく利家個人だけは豊臣に反目するなんてありえんだろ
>>490 重しにはなれても柱にはなれんのよね。当人が家康霞むレベルの守銭奴だし。
よく調べてみると秀吉って結構初期の譜代をみんなダメにしてるな
羽柴四天王とか
秀吉は三成や淀を重用したのが失敗
もっと清正や秀次を用いてれば
利家は若いころにしっかりカブいて限界を知り、自分ってものが良くわかってたから背伸びしない
結局晩年に人が変わったように家臣たちを無理に働かせたのが決定的
秀吉は良かったんじゃないか
死んでしまえば後のことなんて知ったこっちゃない
利家が存命だったら、というより、
利家死去直後、利長とまつ母子が、家康の策略に乗せられて
【金沢に帰った】
これが致命的転回点だった。
これで、畿内政権としての豊臣政権の「地理的求心性」が瓦解しはじめた。
短期的には、家康が大坂城を事実上乗っ取るわけだが、
家康の策略はここではなく、最終的に、権力核を大坂から剥奪して、自分のホームの江戸へ持って行くこと。
もし「金沢幕府」や「高岡幕府」を開く気がないのなら、
ここは、絶対に大阪を離れてはいけなかった。これ、利家の遺言の一つなんだよね。
誰のせいでもなく、秀吉死んだ時はもう豊臣家崩壊は見えてたんじゃね?
あとは誰がいつ引き金を引くかであって
元々、秀吉自体も主家簒奪だし
501 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 17:00:41.53 ID:5VSS0vaU0
>>499 と言うことは、やはり利家は凄かったんだね。
つうか利家に限らず、毛利にしても、まわりにシンクタンクがいるから
大将が切れ者である必要はないよ。
安倍晋三もそうだけどw
くだらない一言付け足さんと気が済まんのね
503 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 17:06:38.93 ID:7Q/n9vxN0
利長じゃどのみち無理だし。彼らは自分を知ってただけ。
本人の能力だけじゃなく、歴史の積み重ねとか過ごした時間はどうしようもない。
田中角栄が言ってたな
「政治とは出来うる限り敵を作らん事だ」と
秀吉の恐怖政治は秀吉存命の内は有効だったとしても、
それが終わったあかつきにはその宿業が全て自の子孫に跳ね返ってしまった
と言う事やね
絵に描いた様な因果応報
>>504 でも、「他人に呼ばれた時、そのとおりに移動するかどうか」はすごく重要だし、
決定論的に決まってるものでもない。
時は下って、家康・秀忠・家光三代が作り上げた「江戸への参勤交代」は、
文久の改革で「緩和」された。1862年のことで、王政復古号令の6年も前。
この時、英露の外交官は、「江戸の大君政権は事実上瓦解した」と本国に書き送っている。
これで、江戸に外様諸侯が来なくなった。江戸幕府は譜代専制なのに、
外様がいなくなるだけで、江戸は中央政府所在地と認識されなくなった。
仕方ないので、徳川将軍は畿内に人を集めようと、反対のことを画策するようになる。
その最後の〆が、大政奉還後、慶喜の「諸侯上洛要請」だが、諸侯のほとんどは「だが断る」だった。
ここに、徳川の求心性は完全崩壊した。
利長が、ごにょごにょ言って大阪に粘るだけで、状況は全然違っていた。利家はそれを予測していたのだ。
そしたら毛利じゃなく前田が反徳川の旗頭になってただろうし、結果は違ってた
かもしれんが、そうなること自体を利長が嫌がったのでは?
オヤジはともかく、自分はそこまで豊臣にするつもりはないと。
関ヶ原で西軍勝ってたら毛利上杉の二頭政治になってたのだろうか
何で前田が豊臣に殉じないといけないの
大概の家は自分の家が一番大切だろ
父が遺言で遺したから家潰せとか?
ありえないだろ
510 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 18:01:44.01 ID:xeQdkxzAO
タイガードラマ気違い秀吉見よー
\(^o^)/
焼酎うまー
>>508 どうなんだろうな?
例え東軍が負けたとしても徳川勢がそのまま瓦解するとも思えんし
(家康死亡の場合は除く)
そのまま日本を二分する徳川対豊臣の戦乱に突入してったんじゃね?
>>511 関ヶ原時の家康は隠居済みで大将は秀忠だしね
本隊抜きで勝ち切った家康は凄いんだな
本隊率いてた秀忠は…
>>508 ならないんじゃない?
あの時点で徳川は全国一の石高を持つ大大名。
関が原はあくまでも一つの決戦場であり、撤退は可能だった。
後方は全て自軍の領地だったり、自軍が接収した城があったりと…
結局は徳川と、石田三成へは屈しないという大名勢が最後まで領地を守りぬけたと思う。
仮に家康が死んでも、数万の部隊とともに秀忠が健在だったからなあ。
もしも本当に潰そうとしたら豊臣側も甚大な犠牲を強いられた事だろう。
一番うまく行って秀忠に腹を召させ、徳川家の領地を削減するってところまでかも。
515 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:00:27.07 ID:xeQdkxzAO
(-_-;)y-~
タイガードラマ気違い秀吉見たけど、島津家がなんか、土豪みたいにされてた…
516 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:01:18.38 ID:huchj0+G0
>>495 秀吉の家臣
尾張:農民・足軽・親族
美濃:山賊・与力(信長の家臣)
近江:インテリ・旧家・商人
天下人の仕事する上で 近江勢中心になっちゃうのはしょうがない。
尾張・美濃勢は軍事力強化し大名として地方でにらみ効かせるのが一番
>>516 睨み効かせるための蒲生がすぐいってしまったからな
518 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:04:21.05 ID:BKQ6OiKT0
イビソクは建設コンサルだぞ、設計もやる測量もやる
埋蔵文化財調査もやる
何だよ発掘調査会社ってw
>>508 小牧長久手戦直後のような群雄割拠状態だろう
家康や輝元、如水はそれを想定していた
>>509 利長にしたら豊臣に盲従して丹羽や堀や蒲生のようになるのは御免蒙りたいだろうしね
520 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:28:54.69 ID:huchj0+G0
信長の場合 独裁者のイメージで 周りには若い小姓のみ
有力家臣は 中央に抱えてる余裕など無い。
豊臣の場合は 古参は地方で大名 近江勢は中央で政治
家康の場合 古参は 大名化してやはり地方でにらみきかせ、
文官は近くにおいてる。
豊臣の場合 文官と愛妾の出身が一緒、正妻と古株が仲良すぎ(母と子くらい)
跡継ぎを正妻がめかけから取り上げず、めかけが権力握った
古参と文官が仲悪すぎ(唐入りの影響大)
そんな状況で 家康が正妻を丁重にあつかっているので
どーあがいても 石田方の勝利は無い。
秀頼出陣・毛利出陣があったのなら 徳川は壊滅したとは思う。
>>520 てか関ヶ原でも、夏の陣でも思うのだが・・・・・
千成瓢箪の馬印を三成か信繁に託せなかったのかよ?
後がある関ヶ原はともかく、後のない夏の陣はそのぐらいしないとダメだろ。
なんで信繁??
523 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:42:56.65 ID:p7tcGHwy0
>>501 それでも注進を受け入れるだけの器は必要なんだが。この点、吉田松陰の最期
まで面倒を見続けた毛利敬親はかなりの人物。「ボクちん偉いんだ」で意見の
異なる人の話を聞かない安倍とは大違いだw
524 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:44:26.85 ID:fP0bAp+C0
淀の方って、父親の浅井長政が信長に逆らって城攻めされて、殺されたる。
母親が信長の妹だから、母親は助かり三姉妹も助かったが、兄は子供だっが
男の子だから、磔になった。そして実行したのが、信長の命を受けた秀吉
なんだよ。茶々は天真爛漫とか、とても信じられない。w
>>507 利家が、「畿内(具体的には大阪)から動くな」と遺言したのは、
家康を「豊臣政権の【大老筆頭】に留める」ことを、
自分の死後の、「政治情勢のゴール」として念頭に置いた話のはずで、
利長に、「反徳川の旗頭になれ」と言ってるわけではないはず。
徳川氏が「政権のナンバーワン臣下家」になることは、おそらく容認している。
そうすれば、前田はナンバー2になれる。
あとは、ナンバー2を守るための政治的駆引きを利長に託すことになる。大変に難しいけどw
干戈を交える準備をしろ、とはひとことも言ってない。黒田如水とは思いが全く違う。
その意味において、「豊臣を支えろ」と言ってるわけで、
秀頼と一緒に死ね、と言ってるわけじゃない。
秀頼が傀儡化し、事実上の徳川政権が開かれても、このパターンだと前田に発言力がある。
ところが、江戸に政権を巻き取られてしまうと、前田はただの田舎の外様大名になってしまう。
利家はこれ(史実通り)を嫌がったようにみえる。
織田政権以来、ずっと政権中央にいた利家は、このへんの理解はさすがに上手で、
毛利一族の、恥ずかしいほどの田舎策士っぷりとは好対照。
526 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:46:42.34 ID:5ImXvnf+I
>>508 もし小早川が山を下りおりて東軍の横腹を突いていたら、
東軍は壊滅してしまう。
桃配山の後背に陣をとって安国寺らを動けないようにしていた
吉川も功名争いに加わるだろうから逃げ道がない。
負けるはずのない布陣を石田三成はとっているんだけどね。
戦後の仕置きがどうなるかで違うのだろうけど、
豊臣時代になったかもしれないし、群雄割拠に逆戻りかもしれない。
527 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:47:25.21 ID:p7tcGHwy0
>>481 つうか出家しても赦されなかったんだよな。で、切腹と。
>>501 最後の人は本人もまわりもグダグダだろw
530 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:50:50.26 ID:p7tcGHwy0
>>526 あの布陣だとほんと小早川次第なんだよね
家康も危険かなりおかしてる
532 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 19:52:35.91 ID:p7tcGHwy0
>>532 豊臣家臣団で最初に大名になった仙石はあっさり徳川ついたな石田関係なく
>>522 真田信繁。
真田幸村の方が名が通っているが、本名は信繁。
武田信玄の弟の名前から取った。
535 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:00:22.17 ID:p7tcGHwy0
>>480 多分、高校教師(地歴)の定年退職後の隠居仕事だよ。教育委員会絡みだろうね。
>>521 無理無理。
関が原では総大将は毛利だから、自ら陣に出てきて逆賊を打つという形であれば
あるいは可能だったかもしれないが…
石田は不人気にもほどがある中堅大名だっただけに。
あと夏の陣、冬の陣ではそもそも信繁は信頼されていなかった。
客観的に見れば名将の息子でしかなかったわけで、
提示した戦術もほとんど採用されなかったわけで。
なにより、戦力差が激しすぎる上に、ほとんどが浪人という構成。
馬印どころか豊臣秀頼が自ら出陣しても効果があったかどうか。
537 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:03:16.18 ID:p7tcGHwy0
>>463 業績や仕事を引き継ぐにしても能力は要るのだよ。少なくとも柴田を滅ぼした
実力者だからな。クリエイティブではなかったにせよ。
538 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:03:51.04 ID:XZ380/Dl0
>>531 小早川は家康嫌い
でも石田三成はもっと嫌いという苦渋の選択を迫られた
539 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:04:49.76 ID:pe+o3iXg0
非業って秀吉のほうがキツいイメージだが秀次のほうが実はキツイ奴だったんだな。
信長とどっちが情け容赦ない奴だったんだろうな。
541 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:06:05.41 ID:p7tcGHwy0
>>470 両川(吉川&小早川)の叔父が揃って一族の行く末を悲観したくらいの
無能だからなw
542 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:09:59.92 ID:iI8vOIyu0
>>531 その上でいけると判断した家康の決断力は凄い。
やはり器が違った。
543 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:10:24.16 ID:p7tcGHwy0
>>540 後世に悪人として書き替えられた可能性も無くはない。
>>538 朝鮮での失態家康にとりなして貰ったんでなかった?
>>540 少なくとも、追放された後の悪行は秀吉によるものらしいからなあ。
歴史を見ても、戦時において当然とも言える過酷な処罰などは与えていたようだが
別に悪人というようなものはほとんどないんだよね。
546 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:20:13.06 ID:p7tcGHwy0
>>528 石田&淀のチームだから寧々は距離を置いている。家康の方が心情的に近い。
福島&加藤が家康に寄ったのもそのあたりに要因がある筈。
547 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:31:35.59 ID:1uruh8HJ0
秀次の供養塔ならずっと瑞泉寺にあるだろ
慶長に瑞泉寺が建立される前にも処刑された三条河原にいわゆる秀次悪逆塚があったわけだし
548 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:34:05.18 ID:p7tcGHwy0
549 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:39:29.14 ID:p7tcGHwy0
>>547 瑞泉寺の川側に空かずの門みたいに閉められた門があるんだが、
道を挟んだ向かいの囲いに首なしの地蔵が二体あるんだ。誰か、
いわれを知らないか?
551 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:49:24.93 ID:5ImXvnf+I
>>531 そうだね。
桃配山の後背に陣取っていた毛利勢が後背を衝くだけで総崩れになっていた戦いだから。
家康は運が強かった。
少なくとも三回は命拾いしてる。
関ヶ原、三方ヶ原、本能寺と。
本能寺は信長が家康を謀殺するための罠だったらしいからね。
あれが最大の危機だったのかも。
日光東照宮に桔梗紋が残っているのは、それが理由。
552 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:55:31.52 ID:1uruh8HJ0
>>549 境内に地蔵はいくらもあるが首なしなんてあったかな?
>>551 吉川様々なんだよな実際は
そんな広家の希望を反故にしてんだよね
武田潰せば徳川なんて用なしだから本能寺なければいずれ消されてただろうな
>>549 あれか。縁があって見つけたのかもしれんが忘れたほうがいい。
555 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 20:59:58.02 ID:p7tcGHwy0
556 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 21:02:39.50 ID:p7tcGHwy0
>>554 理解した上で記憶の底に鎮めたい。由来をこ存じならお教え下され。
557 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 21:10:32.88 ID:nzP5OUSv0
>>64 信康の件はその通説と異なり、信康が築山殿と結んで謀反を企てたのが原因。
江戸時代になってからはそれだと徳川家にとって都合が悪いので、信長のせいにする様に史実を書き換えた。
事実、当時の史料を見る限りでは信長はこの件に関しては家康から事後報告を受けただけで全く関心を持っていない。
姉歯秀次って
どうなったんだろうな
559 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 21:17:43.76 ID:sVDbqrDB0
>>557 いろいろ説はあるけれど、信長が信康の処刑に積極的だった証拠はないんだよね…
歴史は勝者によって作られるものとしみじみ思う。
>>64 家康って子沢山だけど長男と次男年齢離れまくってるな
562 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 21:29:55.10 ID:5I/anuQN0
秀秋は運が強いな。
秀次と並ぶ豊臣親族なのに
小早川へ養子に出されたのは不運と思っていたら
それ故に豊臣家のお家騒動に巻き込まれずに済んだし
秀吉の死後には石田から中継ぎ関白を斡旋されるし
関ヶ原後も、家康から旧宇喜多加増されてるし。
ああ最上家とか駒姫とかのエピソードの人だっけ?
564 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 21:36:36.67 ID:ZE/+NGLN0
側室29人を惨殺したのは秀吉の秀次への嫉妬じゃないか?という見方もあった
妊娠してるかどうかは殺さずとも何ヶ月か待てばわかることだし
当時でも堕胎術はあったようだし
>>561 家康の戦歴調べると
桶狭間の後は独立のため絶え間なく出陣してるから子供作る余裕ないほど忙しかったんだと思う。
(だからあれだけ短期間で三河統一できた)
566 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 21:43:51.42 ID:XZ380/Dl0
>>564 それだけ秀吉が淀にメロメロだったのだろうよ
秀頼征夷大将軍の邪魔になるような者は全部消して、と
567 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 22:25:32.49 ID:azhAWCb/0
供養塔といっても全員ひとつの穴に入れられたのでは?
568 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 22:40:55.35 ID:sYyXMGB10
>>506 江戸幕府が崩壊した要因はいろいろあるけど、個人的には黒船を初めとする外圧と
身内の水戸家が起こした水戸学にあるんじゃないかって気がする。
尊王かつ極端なまでの保守主義・排外主義は、つきつめるところ幕府の正当性自体が
揺らぐことになりかねない。
実際、大政奉還時の徳川家は非常にビミョーな関係だったしな。
慶喜は一橋家から宗家を継いだけど出自は水戸家なので
先代の地元だった紀州家とはあまりいい関係じゃなかったし、
尾張家はさっさと尊皇で距離を置いていたし、実家の水戸家は
内ゲバに明け暮れていて味方か敵か良く分からない。
569 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 22:48:18.62 ID:XZ380/Dl0
>>567 いまの瑞泉寺のあるところが処刑場でそこに掘られた穴に
首も胴体も放り込まれたと思われるが
鴨川の増水で間もなくみな流されたんじゃないかな?
570 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 23:14:45.98 ID:1uruh8HJ0
>>565 長男信康の母であり悪女としても知られる正室の築山殿が怖かったって話もあるけどね
次男秀康は築山殿の奥女中にお手付きして生まれた子だけど、
嫉妬した築山殿の手が及ばぬようわざわざ家臣に預けたりもしてるからな
家康は後々子を産ませるのに身分の低い女を好んだことでも知られてるけど、
政略結婚で今川義元の姪であった築山殿を正室に、
秀吉の妹の朝日姫を側室したときのトラウマが影響してんじゃないかと思う
朝日姫って後妻だけど身分は家康の正室だよ
>>568 まあ外圧が無かったらもっと江戸幕府体制は続いてただろうな
江戸時代がもう100年続いてた日本はどうなってたのか、ってのは
ちょいと興味が湧くもしも歴史やね
秀次は公家のウケが良すぎた 本人も出自を気にして、その分、公家衆に気に入られようと努力したんだろうが、
如何せん、秀吉は既に太閤として腹の底では帝と同格のつもりでいた。
その点、甥は如才なく公家と懇意になり、豊家が平家化してしまいそうになったから誅伐された。
574 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/24(日) 23:49:32.76 ID:uoCrwVCk0
>>528 小早川秀昭は桃配山頂に土塀を巡らせた仮城を
築いていたんだよ、野戦に積極的に参加する気はなかったんだろう
ロリコン殺生関白秀次
秀吉のお姉さんの子だっけ?秀吉の養子になって、一度は後継者になるはずだったが、
淀君との間に、実子が出来たので、赤ん坊のその子につがせたくなり うざくなった
そんなざまじゃあ、官兵衛にも見放されるわけよ
577 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/25(月) 00:54:47.77 ID:djTOseUK0
>>568 水戸が尊皇だったのは、家康のセーフティーネット。
万が一、倒幕が起きた場合、水戸は天皇側につくことによって徳川の血を残す予定だった。
しかし、吉宗が御三卿なる紀州の血を残す(ていうか尾張に将軍の座をやらない)仕組み作ったから、よりによって尊皇の水戸家から将軍が出てしまった・・・・・
>>579 家康は脱糞などしてない。
食い逃げしただけだ!!
>>572 むしろ田沼意次の改革が成功して幕府が重商主義路線に完全に舵を切っていたら、それこそ本当にもう100年幕府は続いたかもな。
家康は同級生に生涯裏で囁かれ続けるウンコ漏らし系男子
586 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/25(月) 10:56:14.66 ID:YM58fp/L0
でも幕府が開国やむなしと判断した時
日本が他のアジア諸国のように植民地にされてもよいのか
「犬と中国人はいるべからず」のシナのようになってもよいのか?
と猛反対したのは薩長の連中
攘夷運動の真っ最中に英国の砲弾に蹴散らかされ
尊王討幕と方針転換した
ま、そんなもの
>>586 儒教、朱子学って罪深いね。
鳥居耀臓の末路とか見ると・・・・・
現実を直視できない世界にいるとしか思えない・・・・・
>>560 信長の娘が信康の正室で、既に娘は誕生
どうしても徳川を自由にしたいなら、家康から信康に家督を替えるだろうにと
思うのだけど、何故かそうは考えないんんだよな
家康の父、祖父と2代続けて家臣が殺害してる徳川なのに
忠義に篤い三河武士をひたすら信じてる
589 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/25(月) 12:29:52.79 ID:YM58fp/L0
秀次も自分が切腹したのに
まさか側室子供全員打ち首になるとは思わなかっただろう
秀吉に対する恨みは深かったはず
>>587 ググってみたが他人を陥れる所業ばっかやってた割には
本人自身の末路はそんなに悪くねえじゃん w
>>587 武家政権に比べて現代の政治家は有能だよねー()
好んで国を売るのは、戦争をしないためだ
592 :
名無しさん@0新周年@転載は禁止:2014/08/25(月) 19:56:01.84 ID:Wbz8fOrt0
>>583 幕府の財政は米に依存していて商業に関して
は無税だから、税制は改正しない限り
田沼路線は、どっちにしも破綻してたよ。
法人税減税で経済活性化と言うが、江戸幕府は
減税どころか、法人税免税だったが、そのために
商業が抑制されたのは皮肉なところ。
秀頼なんて大野治長が淀と不倫して出来た子供なのに、そんな血の繋がりのないヤツを自分の子供だと信じて跡継ぎにし、本当に血の繋がりのある秀次を自害させるとは秀吉もバカなやつだ。
秀次の悪行も関白から引きずり下ろすために撒いた作り話だろ。
>>590 いやいや、権勢をほしいままにするはずだったのに、
夢一歩のところで敗れ、罪人としての24時間監視の
数十年もの軟禁生活は地獄だったと思うぞ。
いくら下々の者に慕われたとしても、悪党扱いされる生活は幸福だったとは…
その後も親しい知り合いもなく、性格や思想が変わらなかっただけに
相変わらず敵を作り続けていただろうしな。
そして、その時には何の権威もなく、気に入らない奴に対しても何もできなかったわけだし。