【STAP問題】小保方氏、異例の採用 英語面接を日本語で実施 推薦状も1通も届かず [6/5] ★2

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164名無しさん@0新周年@転載は禁止
>>120 >>149
ベル研究所の論文捏造事件が教へてくれること
http://tensei211.blog.fc2.com/blog-entry-124.html
 ベル研の調査委員会は最終的に16の論文に捏造があつたと結論づけます。この結論に対して、
シェーンは次のやうな書面を寄せます。
《たとへ、私が誤りを犯したとは言へ、誰かを誤解させようとしたり、誰かの信用を悪用したいと思つたことは
一度もありません。かうした誤りがあつたため、信憑性に欠けるてゐることは認めますが、
やはり報告された科学的効果は本物であり、刺激的で、研究する価値のあるものだと私は心から信じてゐます。》
 著者もシェーンを確信犯的捏造犯とする見方には否定的です。
《これは想像にすぎないが、シェーンは自分の思い描いた実験成功の空想を、頭のどこかで現実に起きた
こととして置き換えてしまっていたのかもしれない。》
《彼が確信犯的に捏造をずとずっと犯し続けていたと捉えてしまうと説明のつかないことがいくつもある。
そうした矛盾ともとれる要素につじつまを合わせようとすると、シェーンが頭の中で捏造をリアルなものとして
変換していた、とでも考えるほうが自然だったりもする。》

 パトログに対する著者の見解はかうです。
《シェーンの世界的な研究成果にすっかり踊らされていたというのが他の人々への取材から得た実感です》
《実験の肝心のところを見ていない、そのことを伏せようとする意図が「驚いたことなどない」という言葉に
込められている》

 さて、この本を読んでの私の感想はまづ、ベル研事件と「STAP細胞」論文事件との類似性です。
 類似点のひとつは、捏造したとされる人物の意識です。いくつかの過誤(不正といつてもいいでせう)は犯したが、
全体として間違つてゐることはしてゐない、といふ意識。
 もうひとつの類似点は、研究チームのトップが、実験者の不正を知らなかつたといふ事実です。