■高さは共に15.5メートル。東北一の「防潮堤と水門」が村を救った。
岩手県普代村の奇跡 これが公共事業だ 死者ゼロ (日刊ゲンダイ)
http://ameblo.jp/usausa2000/entry-10850081946.html 3000人の村の堤防があの津波をはね返した
当時は『他のことに使えばいいのに』『ここまでの高さは必要なの?』
普代村は1896年の明治三陸大津波で1010人の死者・行方不明者が出た。
1933年の津波でも約600人が死傷しました。戦後、和村幸徳村長が
『2度あることは3度あってはいかん』と県にひたすらお願いし、建設の運びとなった。
かなりの費用がかかるので、当時は『他のことに使えばいいのに』『ここまでの高さは必要なの?』
といった批判もたくさん受けましたよ(苦笑)。きっと今は天国でホッとされているのではないでしょうか」
●田老町の巨大防潮堤は高さ10メートル 【生かされなかった教訓】
http://ameblo.jp/matsui0816/entry-10962552769.html 普代村では、15mの津波があった過去の教訓から
15.5mの高さの堤防を作っています
では、田老地区は堤防の高さは10mであった為に、
13mの津波に飲み込まれてしまい壊滅的被害にあった
わけですが、その田老地区には明治28年に15mの高さ
の津波が来た事が記録されています。
つまり、田老地区は15mの津波が来たことを知っていたのに
堤防は10mの高さのモノを作っていたわけです。
ならば、どうして15mの教訓を活かさなかったのでしょうか
15mの教訓を生かしたところは誰一人として被害にあって
いないのですから