タイ首相のクビを切った司法クーデターの行方
インラック首相突然の失職で分かった軍部や裁判所、王政派など本物の実力者たち
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2014/05/post-3267.php ニューズウィーク日本語版 2014年5月20日(火)15時53分 パトリック・ウィン
この数カ月、あの手この手で自分を首相の座から引きずり降ろそうとする勢力を
かわしてきたタイのインラック首相だが、ついに屈することになった。46歳の温厚
な彼女は、もう首相ではない。先週、憲法裁判所により「倫理を欠いた」行為があ
ったとして違憲判決を言い渡され失職した。
インラックの倫理違反自体は極めて地味なものだ。3年前、インラックは国家警
察本部長官を国家安全保障会議事務局長に起用し、警察本部長官の後任にはインラ
ックの親族を就任させた。憲法裁判所は、これを縁故主義による不正な人事である
とし、選挙で選ばれた首相失職の正当な理由になり得るという判断を下した。
インラック陣営は、この裁判は司法クーデター以外の何物でもないと反論している。
今のタイでは、選挙で選ばれた首相や政党そのものを裁判所があっけないほど容
易に追放し解散を命じられる。32年の立憲制定以降、82年間に18回ものクーデター
を実行した悪名高いタイの軍部が最後にクーデターを起こしたのは06年。その軍が
統治下で憲法を改正し、微罪でも裁判所が政治家を追放できるようにした。
軍と蜜月関係にある裁判所は、この権力を積極的に行使し、これで3人の首相が
裁判で失職に追い込まれた。そのうちの1人で、テレビ番組でタイ料理を作りなが
ら政治についてぼやいたサマックは、報酬を伴うテレビ出演が憲法で禁じられた「
首相の兼業」に当たると見なされ、その座を追われた。
狙われるタクシン派首相
失職した首相には共通点がある。皆、タクシン元首相に忠実だったことだ。タク
シンはインラックの実兄で、地方の労働者階級や農村の支援を受ける政治的なネッ
トワークで影響力を持っている。このネットワークは00年代以降、すべての主要な
選挙で支援する候補者を勝利に導き、タイを支配してきた王室や軍などの守旧派に
揺さぶりをかけてきた。
インラックを悩ませてきたのは、裁判所だけではない。この数カ月、王政主義の
デモ隊は彼女を拉致すると脅迫し、民主政府の代わりに人民評議会の設立を要求し
てきた。
裁判所にも公然と認められているこの反政府勢力は、インラックが所属するタイ
貢献党が勝利すると目されていた2月の選挙では投票を妨害。当選者が確定しない
事態を引き起こし、インラックを追放するよう裁判官たちをけしかけてきた。
一方タイ北部では、裁判所と軍に選挙結果をねじ曲げられることに反発した勢力
が「赤シャツ隊」を結成。クーデターを未然に阻止するのが彼らの狙いだ。だが、
リーダーの1人は、今回のインラックへの「不当判決」で赤シャツ隊が反クーデタ
ーを叫んで戦うことはないだろうと話す。今回の判決でインラックと9人の閣僚は
失職したが、選挙で選ばれた与党自体は解散していないからだ。
だがその存在感も風前のともしびだ。タイ貢献党は、昨年12月の下院解散後、次
回の総選挙までの「暫定政府」にとどまっている。タイ貢献党が巻き返すと見られ
ていた2月の選挙は実質的に無効となり、次に行われるのは7月の予定だ。それま
では、ニワットタムロン副首相兼商業相が首相代行を務めるしかない。
次回選挙でインラックが勝利すれば、再び政権の座に返り咲くことができるかも
しれない。だが、選挙で選ばれた指導者を軍や裁判所が意のままに辞任に追い込む
ねじれた民主主義は、簡単に治りそうもない。