【歴史】信長、秀吉も畏怖「戦う城」から「見せる城」へ…信長以前に独自発展か
1 :
ニャー雄一 ★@転載禁止:
産経新聞 5月5日(月)19時59分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140505-00000554-san-soci 堂々とそびえる天守閣に瓦、漆喰(しっくい)、石垣…。こうした「城」のイメージは、織田信長の安土城(滋賀県近江八幡市)から全国に普及したとされる。それ以前の城は、
戦闘目的に特化した土造りが一般的と考えられていた。しかし、最新の発掘調査では、戦国時代の奈良市周辺で、信長以前にも瓦を使用するなど、「戦国三大梟雄(きょうゆう)」の一人に数えられる
武将・松永久秀によって独自の発展を遂げていた可能性が浮上。
専門家から「安土城以前に畿内では『戦う城』から『見せる城』への転換があったのではないか」と脚光を浴びている。(橋本昌宗)
■屈指の山城
奈良市との府県境に近い京都府木津川市の鹿背山(かせやま)城。市教委が平成20年度から現地調査を進めている。ここで安土城よりも古い時代の城の瓦が出土した。
鹿背山城はそもそも、興福寺(奈良市)の勢力下にあり、街道や木津川の水運を押さえる交通の要衝だったとされる。武将・松永久秀が入手し、改修を加えて城の防御力を強化したとみられる。
安土城以降、普及する天守閣や石垣を備えてはおらず、基本的には土造りの城だが、滋賀県立大の中井均教授は「土造りの城の最終段階ともいえる防御施設で、久秀が大和を守る最前線の城として強化した」と注目する。
この城跡からは、畿内以外の同時期の城にはない瓦も出土しており、中井教授は「畿内では他の地域のような巨大勢力が成長せず、あまり防御施設は進歩しなかったが、見た目で周囲を威圧するという独自の発展を遂げたのではないか」とみている。
(続きはソース先で)
人は城、人は石垣、人は掘とはいったい何だったのか・・・
(´・ω・`)ションボリ
姉様より先でいいのでしょうか
爆死さんか
5 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:36:13.57 ID:0FO0QiDS0
戦国時代の城を再建してくれたら喜ぶ人いっぱいいるだろうな。
爆弾正
>>2 人は人、城は城、石垣は石垣。
つまらない結論だが、現実はそんな物だ。
8 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:37:14.56 ID:CF5Fw3Qu0
>>1 ソース先見ないと主題が多聞山城だとわからん
ジョブズと発想が同じなのか?
機能的かつ美しいみたいな。
子供手当てで皆にお金を配ります
高速道路を無料にします
沖縄の基地は最低でも県外へ
もちろん消費税なんて絶対に引き上げません
これで不足があるなら言ってみなさい
11 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:42:15.03 ID:SnOL1zs90
>>2 信玄は征服した他国には築城していたよ。
いわゆる戦力の前方展開による国防だ。最前線を本国から遠ざける
ことに主眼を置いた。その結果膨張政策を継続することになった。
国力の誇示のための本国拠点の築城といったことに重きを置かない
リアリストだっただけ。
12 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:44:13.89 ID:YEzjzz0G0
あの時代を忠実に再現する連続ドラマが観たいよなあ。
NHKとかいまの日本映画界は朝鮮人だらけで反日だから絶対無理なんだが。
13 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:44:32.11 ID:XxzFcUel0
>>2 /::l:`! 土田舎の甲斐を誰が欲しがるのじゃ
/:::::::l::::l
/:::::::::l:::::l 「ト、
/::::::::::l::::::l |::l:ヽ
/:::::::::::l::::::::l l::::l:::ヽ
/:::::::::::::l:::::::::l l::::::l:::::ヽ
トミ,===干l l::::::::l:::::::ヽ 信玄入道殿にはお山の大将がお似合いじゃ
r{ミ' __", ,_"_{ミ! l::::::::::l:::::::::ヽ
Lti ''゙`! i"` iツ |==__土__=ニl
! '゙、'ーヽ/ {;f´_"、_"_ヾ;!
/ヾ'、._三゙イ l:! r=ソ '、=` fi
_,人ーゝ---彡>、 ti,、_,:'^^`ヽ lj
,. -‐ '´ `iー― i´ `丶、 ヽ'´ ̄`ソ7ヽ、
/ { ij | | ,ゝ、 ,ィ{`三彡/ノ,イ`ー--;-,、
/ ヽ. リ | | ///>、 ,.ィヾミゝ,-、= '"´| | 下'、
/ ヽ l} | | ,//////>r '" |ミ==///>、、 | | | ヽ、
. / 丶 `l! | | //////l |. ///////>、 | | /´丶
/ `ー-゙'- 、、li! | __j ,〈//// |、 f'i | ///////// | |i/ ヽ
{ - ― ' _r'´``ー--y'´ ーtイr―-'、 ̄´ }ト、 ll! |//////// | ,!ノ_,. --― ヽ
ヽ ‐ '´ / | ニブ{ミ三 /l /ノヘ ヾ/丶、/// | ,.ィニ´__ ',
〉 ,' /ーr‐ '"´ `ーrイ | /` ̄`7`ニ丶/ ,r‐{f'"ヾ`丶、 l
まあ現代も首相になったり知事や首長になったりすると権力を誇示する
税金を無駄つかいしたご立派なお城(笑)を作ろうとするけどなw役所だろ現代の城ってw
15 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:45:09.34 ID:xAPBm1oW0
個人的には大御所時代の駿府城がみたい。姫路城より美しいらしい。
教科書でも山城から平城へってあったな
軍事拠点から政治拠点、権威の象徴へ
17 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:46:20.68 ID:9+fkHnAq0
18 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:46:31.86 ID:juESdGO30
19 :
大島栄城 ◆n3rBZgRz6w @転載禁止:2014/05/05(月) 22:46:32.60 ID:SNKo2y0l0
日本人の興味にしつこく寄ってくる韓国人
いいかぜんうぜえんだよ、NHKもそうだけど
ほっとけよ
日本の設備で実際激戦に使用したのは熊本ぐらいじゃねえの
20 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:47:33.16 ID:iVeiEYZH0
ほとんど役に立たなかったけどな
可能性が浮上って言うかこれ有名な話だった気がするんだけど
22 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:48:54.51 ID:nqnV0idb0
23 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止:2014/05/05(月) 22:50:03.04 ID:zAyDqfODO
500年前なら3階建でも結構目立ったんだろね
24 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:50:12.38 ID:1CLZmLUh0
>>11 安土城も小田原城も大阪城も落ちたし、
落ちない城は無いからなあ。
砦っぽい城が戦略的には良いのかもな。
25 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:51:37.04 ID:AmLuisFiO
見せるハコモノ は戦国時代からか
都庁は金かかり過ぎだろ
かなり前から知られてたと思うが
27 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:52:27.43 ID:1CLZmLUh0
>>18 平蜘蛛って茶釜に黒色火薬ぶち込んで、天守閣ごと自爆。
28 :
ありのままに@札幌太陽太陰暦 ◆tj7xjfW1kk @転載禁止:2014/05/05(月) 22:52:46.54 ID:PRVn37MiO
>>19 日本最後の内戦は、戊辰戦争の前後でその時代は蝦夷地の函館が激戦地になりました。
今は、ダリアやアカシアの花が咲いた美しい街です。(笑)
29 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:52:50.64 ID:0yiJLCyyO
さすがはギリワンやな
31 :
大島栄城 ◆n3rBZgRz6w @転載禁止:2014/05/05(月) 22:54:02.14 ID:SNKo2y0l0
>>28 なるほど、機会があれば写真でも撮りにいきたいもんですわ・・・
32 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:54:14.77 ID:3lq83DHL0
盛られた話も幾分かあるけど、松永弾正の生き様は鮮烈で異彩を放つ。
33 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:54:35.08 ID:tXgFbS7y0
35 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:55:05.61 ID:hyXifTGE0
空にそびえる鉄の城は?
37 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:56:05.58 ID:xAPBm1oW0
>>20 墨俣城は戦略的に重要な城だった。
備中高松城とか忍城は難攻不落の城だった。
一概に城といっても群雄割拠してた戦国時代は洞窟みたいな山城も多かったんだよな。
本当に軍事だけの難攻不落の城に山城って多い
39 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:56:57.17 ID:MX1HCnrv0
スーパーロボットマジンガーZ?
40 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:57:04.08 ID:1CLZmLUh0
>>32 150歳まで生きようとしていたみたいだからなw
信長包囲網の中、謀反ってのはチャンスだと思ったんだろうな。
41 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:57:29.23 ID:iVeiEYZH0
42 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 22:57:53.49 ID:gWC1/0gH0
43 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:01:10.66 ID:iVeiEYZH0
安土城なんてのは成金の象徴
信長の自己満足の世界
>>24 大阪城は出来レースで落ちただろ
本腰入れたら奴は落ちない
45 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:01:35.69 ID:juESdGO30
>>27 ゴッホの「ひまわり」を棺に入れて焼いてくれといった
安田火災の後藤康男会長は松永になり兼ねたね。
47 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:03:59.73 ID:1CLZmLUh0
>>45 現代でも松永ばりの怪老人は結構いるんだなwww
48 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:04:13.90 ID:DxtFwjFD0
松永久秀って絶対、信長以上の偉人だってw
もし天下とってたらすごい国になってたw
49 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:04:32.81 ID:r4L3CRq6O
考え方が現代人。戦国時代は常識で考えなきゃな。
>>2 そもそも信玄って石垣の城作ってないよな確か
51 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止:2014/05/05(月) 23:07:55.82 ID:zAyDqfODO
ボンバーマンのくせに君主論の理想体という意見もある
52 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:08:53.25 ID:hyXifTGE0
>>38 山城は守るに易いが
執政には向かない
平地に建てると軍事拠点の役を果たさない
そこで迷路のような塀を巡らせるようになる
というのを、信長が始めたと聞くが
53 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:09:34.84 ID:xAPBm1oW0
熱海城は天下の名城。
54 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:12:15.77 ID:gWC1/0gH0
松永弾正って赤影の悪役のイメージが強くて・・。
金目教と卍党と松永。
イメージだけで言うと尼子の月山とだ城が最強イメージ
信玄は「うちの家族とそっちの家族で結婚して仲良くしよう。よし、結婚したな?じゃあ潰しに行くわ」であまりにも有名
56 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:12:57.47 ID:hyXifTGE0
57 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:13:49.90 ID:1CLZmLUh0
>>48 室町の剣豪将軍をリアルで血祭りにしたからなあ。
当時はゴロゴロ居た下克上の体現者の一人だけれども、
松永幕府は遠過ぎたな…w
58 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:14:11.41 ID:mLS0jvCV0
日本の城って、ヨーロッパや中国に比べると
格段にレベルが低いよな。
>>11 でも、武田家は当時の最先端技術の結集である築城術に長けた武将が少ない印象
野戦が天才的に強過ぎて、守り(籠城戦)が疎かになった気がする
しかし戦国時代は個性的な人物には事欠かないな
61 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:17:00.90 ID:iVeiEYZH0
信玄は孫子の兵法を実践してたからな
兵は詭道なり
62 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:17:19.31 ID:Y1nXFuR10
>>34 義満の北山第か
巨大な政所と住まいの寝殿は後々の本丸御殿
と見世物的かつ威信を示す金閣と天鏡閣は後々の天守閣だな
63 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:18:56.15 ID:mHzZLBlc0
小田原城あたりも当時は土造りとやらだったのか?
松永久秀よりも前だろ?
>>58 軍事面全部ね。
石投げて殴り合っていた戦国戦法ではどうあがいても向こうの堅牢さや装備にかなわない。
66 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:19:35.71 ID:juESdGO30
近所の城跡は、戦国前期のモノなので土塁とか、山登りの頂上に礎石だけとか、
神社になっているのばっかり。
67 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:22:06.83 ID:mHzZLBlc0
>>19 激戦ってなんだよw
熊本城は近代戦の火気の攻撃的で唯一落とせなかった城だな。
西郷隆盛が加藤清正を褒めちぎってた。
68 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:22:11.21 ID:u7BJJupt0
大坂城は太閤殿下のお心、戦う城でござる!
とか大野治長だったか誰だったかが言ったせいで篭城して負けてもうた
真田信繁は篭城なんか以ての外、討って出るべきと言っていた
69 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:22:38.94 ID:YYymFVaBO
稲葉山のは?
道三の城
>>58 それだけヨーロッパや中国は激戦地だったんだよ
日本は所詮内戦だから
73 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:27:44.48 ID:mHzZLBlc0
>>70 ヨーロッパの戦いには古くから傭兵が使われていて、敵の傭兵と予め作戦を作りわざと戦いを長引かせていた。
何故なら、傭兵だから戦争が長くなれば長くなるほど金になったから。
だから実際はには向こうの戦争はのんびりしてたらしい。
74 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:28:12.47 ID:VDnWI/vf0
>>59 信玄といえば甲府、ここは天然の要害
中心に築城はしなかったけど、要所には城らしきものはあったよ
築城に長けたのは山本勘助だね
信長が明らかに死に方をリスペクトしてるからして
本当に松永を尊敬してたんだろう
76 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:30:10.97 ID:0tBAtuVl0
>>58 そもそも城の概念が違うから。
欧州や中国の城は、城というより城壁に囲まれた町だ。
城の中に完全な都市機能を有しているんだよ。
それはそうと日本の城ベスト3は、安土城、大坂城(豊臣期)、江戸城だよ。
どれも現存してないけどなw
77 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:32:22.59 ID:juESdGO30
福岡城って天下の黒田官兵衛の築城にしては大したことないよね。
78 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:32:40.62 ID:00WXW+3w0
なんなのその見せブラみたいな言い方
まあユーラシア大陸に住んでる連中は言葉も通じない相手としょっちゅう戦争してたからなあ
80 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:33:58.04 ID:1p34s6Kc0
>>76 江戸城はあるじゃん。天守閣がないだけで。
81 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:36:03.16 ID:xAPBm1oW0
>>74 信玄の居城は躑躅ヶ崎館だっけか?あれは城というより要塞と言った方
がよいのかな?
82 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:36:49.74 ID:hxbZPeAO0
昔の戦争って、いちいち土木技術駆使したりして、今では信じられないようなことするよなw
水攻めとか堀埋めとか、すげぇとしか思えんw
83 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:36:54.72 ID:elPsXmH80
日本の城はキャスルだから
例えば江戸の城下町を城壁で囲んで初めて要塞と言える
欧州中国インド等々はフォート
ワンランク上の要塞だからな
84 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:37:40.94 ID:xDsZ6pAP0
85 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:37:52.44 ID:gWC1/0gH0
伏見桃山城キャッスルランド
>>59 信濃の高遠城や小諸城なんて、武田流の築城術で名高いだろ。
>>81 あれはすこし防備した政庁
要害山城という山城がある
89 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:41:46.83 ID:77MD5JtkO
>>81 甲斐の躑躅ケ崎館は城でも要塞でもない
ただの屋敷だよwww
90 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:42:18.94 ID:hyXifTGE0
>>85 俺も城だと思って行ったら
バスの他の客はちびっことそのおじいちゃんしかいなかった
91 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:42:42.96 ID:VDnWI/vf0
>>81 甲府は盆地で広く、ほぼ中心に躑躅ヶ崎館があるね
お館というべきか城というべきかはよく分からないけど
司令所的機能だったのでは、と思う
>>74 山本勘助が有能なのはフィクションだろう。
94 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:43:53.62 ID:xAPBm1oW0
95 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止:2014/05/05(月) 23:43:59.06 ID:zAyDqfODO
城は台地の先端につくるのが定石なり。
代表例)江戸、大坂、名古屋
96 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:45:04.20 ID:juESdGO30
大分の竹田城もいいね。断崖絶壁に城跡、
滝廉太郎が荒城の月を作曲した気持ちがわかる。
どんな難攻不落の城でも、迂回されたら意味ないからな。
現代戦で要塞が廃れてるのはそのせい
98 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:46:38.79 ID:gV7TpSva0
城壊しまくってホントもったいないことしたよな
>>83 だって日本と中国じゃ数が違うんだもの。
30万の兵隊とか嘘だろって思っちまうw
100 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:47:13.53 ID:tiRdDauUO
三大梟雄って
宇喜多直家
津軽為信
松永久秀だっけ
101 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:47:20.11 ID:VDnWI/vf0
>>92 有能かどうかはよく分からないよねw
結局死んでるわけだし
ただ信玄が能のない家臣を厚遇するとも考えにくいし・・・
んで。どこらへんから韓国が出てくんの(´・ω・`)
だから自案を発展させた(であろう)安土城が披露目され、自城には信長から破却指示が出るに当たって、
松永某は人一倍憤懣やるかたなかったろうな、という。
実は謎の裏切りでも何でもない
覇王たろうとする相手であろうとそうも何事も好きにされてたまるか、という才と誇りに裏打ちされた意地やね。
しかも、この人割り箸を貯めて資材の代わりにしたりと城をかわいがってたもの。
評価は実績に比べて異常に低い筒井の殿様との因縁や双方の事情や巻き込まれる側と言い(多門院日記)
変に魅力的な人たちやな
104 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:48:33.82 ID:xDsZ6pAP0
>>96 竹田城跡は渋いね
志賀親次無双の城は別のだっけ?
105 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:48:54.17 ID:NeN/dgCy0
武田は過大評価 信州一つとるのに人生の殆どを費やした
天下人の器ではない
>>7 四方を山で囲まれた甲斐の国自体が巨大な城のようなもの。
侵入を許した時点で負けだから、甲府に城なんて建てても無意味だと信玄は分かっていた。
>>97 現代は空母と呼ぶ移動要塞の時代だからな
機動部隊1個で中規模国家の全軍に匹敵するから厄介だよな
>>83 あっちの方だと城外の民衆はさらわれて奴隷になっちゃうからね
武田は金が取れる北朝鮮
熊本城は近代兵器使っても落ちなかったな
天守閣を自焼させたのもったいなかった
112 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:50:15.14 ID:kJjf1BGF0
派手好きが作った聚楽第見たかった
信玄も謙信も家康も力攻めの攻略を諦めた鎌倉の玉縄城
現在では跡地が女子校になってしまい、一般人は立ち入り禁止で難攻不落のままである
寺院が城郭を兼ねてるとこは、かなり古くから石垣も瓦も使ってるだろ
それに、見せる城と戦う城に区別する必要があるのか?
115 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:53:06.48 ID:iVeiEYZH0
しかし信州を攻略した事により信長がこしを抜かしたというのはある
それからは終始下手に出ていた
信州は有力勢力が群雄割拠してたので結局内部で誰も平定出来なかった
うっかり逃げ遅れると城と包囲軍に挟まれて餓死
領民は戦争で傭兵と領主に殺され、戦争が終われば山賊になった傭兵と領主に殺される
ヨーロッパは地獄
118 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/05(月) 23:57:47.42 ID:iVeiEYZH0
真田の働きがでかいな
真田はことごとく優秀
信玄の懐刀
>>86 武田家の城は前線基地としての城で、防衛拠点としての城でない気がする
このあたりが他家の城と違う
なんと「のぺぇっ」っとした異形の・・・
124 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:08:58.92 ID:gXIHTK/70
小田原の一夜城跡公園は中々いいよ
もう一回天守閣を作ればいいのにと思う。
125 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:09:30.66 ID:5jOPyYCs0
大阪城に張り出した「真田丸」ってどんな城だったのかな?
126 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止:2014/05/06(火) 00:10:27.13 ID:AP6xf0vlO
昔のままの城だと地震や火事でぼろぼろ死ぬから難しいね
128 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:15:36.58 ID:xeROUVum0
> 最新の発掘調査では、戦国時代の奈良市周辺で、信長以前にも瓦を使用するなど、
> 「戦国三大梟雄(きょうゆう)」の一人に数えられる武将・松永久秀によって独自の発展を
> 遂げていた可能性が浮上。
えっ?
そんなネタ、最新なの?
天守閣が松永久秀によって始まることなんて、様々な歴史小説でもネタになってるじゃん・・・
>>84 丹後田辺城も開城はしたけど落ちてはいないわな。
あ、江戸城もそうか。
130 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:19:15.32 ID:rqjlpQDE0
>>1 しかし、やはり現在の城の形を作ったのは信長だろうな。
そもそも「天守閣」の「天守」とは「天主」から来ており「神」のこと。
それは、自分を神格化しようとした信長によってこそ建設が可能であった。
>>89 最近は周辺の発掘も進んで、馬出しなんかも再建されたよ。
ただ、本体は宗教施設(神社)になっているんで、県庁だと手が出せないらしい。
ボンバーマンは時代の最先端やな
133 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:21:11.30 ID:oArml3nN0
天守なんてほとんど意味無いよ
周囲が大事
134 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:21:39.71 ID:tRs6Z+gP0
>>24 石山本願寺の様に10年掛けても遂に落城しなかった例もある。
たかが城一つで信長の運命を変えちゃった。
城が堅牢であれば籠城側の力量次第って事だね。
135 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:23:52.77 ID:XkzpdR3F0
大軍を寡兵のこもる堅城にひきよせて籠城戦にもちこみ後詰の援軍で勝利。
結構、戦訓がある。
大内ー尼子の月山富田城、武田ー村上の戸石城、武田−織田の長篠城。
やっぱり実戦至上の山城だね。
松永久秀は死んだ日に領民総出でざまーみろの祝宴開かれたくらい嫌われてた
侵略されて殿様殺された民衆がw
>>134 ただ、信長の奮闘のおかげで欧州みたいに宗教に支配される国にならなくて済んだんだよな
138 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:29:53.06 ID:kmv745ny0
>>47 それは、大昭和製紙の齊藤了英がゴッホとルノアールを棺桶に入れてくれと言ってたという話が
それより有名なひまわりを購入した後藤と混同されたものらしい
>>135 ただし、敵軍より強力な後詰めを持っている場合のみに許される戦略だけどね・・・
>>54 なぜ月山(がっさん)が変換されいて
富田(とだ)が変換されていないのか不思議で仕方ない
141 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:32:47.76 ID:H7UX65aE0
堅城ベスト3は
春日山城 石山本願寺 月山富田城
>>2 時をさかのぼるが諸葛亮もそんな感じのことを思っててそう。 演義しか知らないけどさ
>>60 やっぱり後世に名の残る人は違うんだよ。
格好いい逸話で好きなのは上杉−武田の戦いで信玄を兵糧攻めで部下が攻めてたら謙信が正々堂々じゃないということで食料を敵に送った上で戦ったという話。
変わり者というより格好いいよ
144 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:34:47.25 ID:kmv745ny0
>>136 死者に鞭打たないなどといって過去の指導者の批判的論評を行わないというのが
日本人の伝統ではないという実例がまた一つ
人は城〜は北条が言うならわかるけどなんで信玄が言うんだよとは思う
あと氏真は謙信の部下じゃありません><
>>136 大都会岡山の基礎を築いた
宇喜多直家との大きな違いだな
147 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:37:35.15 ID:oArml3nN0
結局城というのは防衛戦のための要塞なので作りは大事だけど
包囲されて篭城してる時点で遅かれ早かれ戦の流れ的にはもう駄目だろうな
人生50年だと思ってたからああいう場所に豪勢な城を早めに建てておこう、と思ったのかなあ。
長期的展望をしたら中途半端な場所だと思うからさ
149 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:38:07.59 ID:XkzpdR3F0
>>139 追加で北条ー上杉の河越夜戦。
ちなみに戸石崩れと河越夜戦は籠城側の後詰が包囲側よりも寡兵だった
大逆転劇ね。
150 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:41:32.83 ID:tRs6Z+gP0
>>141 春日山城って実績ある?
ベスト3ならオーソドックスに小田原城と石山本願寺 + 1 じゃね?
時を超えた熊本城入れて3つかな
152 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:43:27.27 ID:cUIh8qVq0
城プロの俺が一言。
水城、山城は甘え。平城こそ至高。
153 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:45:14.55 ID:m6gXPw8g0
>>59 築城技術もあったよ。
勘助(海津城)→昌幸(上田城)→幸村(真田丸)
と続いているから。
>>143 敵に塩を送るって話だけど、塩を今まで通り売ったという話だからw
あげたわけじゃないぞw塩の販売を独占できるようになったわけだから、
上杉としてはウマーという話w
松永弾正の城を参考に、信長が城を作ったなんて、今さらだろ。
155 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:45:47.93 ID:aKy5esEb0
浄土真宗は信長死後でも残るし
日本最大の宗派でしょう
信長が焼き討ちにした延暦寺は現在も生き残ってる
武士の時代は百数十年前に終わった事を考えれば
宗教は武士に勝ったと言える
157 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:46:27.90 ID:5jOPyYCs0
大阪城って掘り埋められなきゃ天下一じゃないの?ああ石山本願寺と同じか?
安定のギリワン
武士は宗教弾圧のための宗教弾圧なんかしてないから
>>149 攻城戦において強襲は一番頭の悪い戦法だから仕方ないよ・・・
一番賢い戦い方は包囲戦だ
のぼおの城
>>1 これのどこがニュースですか?>ニャー雄一 ★
163 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:51:08.97 ID:8PXnvTBf0
寺院建築の技術者がおり
他国よりも寺社勢力に対抗するため
見せる城がうまれたのかも。
164 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:51:11.49 ID:kbiscDQ50
中国朝鮮等のアジアもヨーロッパも、戦争とは基本的に皆殺し
だからマンガの進撃の巨人みたいに街全体を城壁で囲って
戦闘員以外の一般市民も守るのが普通
日本は、戦争に勝とうが負けようが基本一般庶民は安泰で
戦闘員たる武士の長である殿様を重点的に守る城が発達
幕末に会津を一般市民ごと抹殺しようとした闘いなどはまさに白人式
165 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:52:16.22 ID:agu7ZZvn0
今、携帯電話のゲームアプリの覇業の上級やってるんだけど、
上杉謙信でやってて、残り俺含め5国なんだけど、全員同盟断りやがって、
4国を俺一人が相手にしてるんだよ。ありえないだろ。勝てるのか?
166 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:52:33.74 ID:5jOPyYCs0
石山本願寺は猿に任せたら早期に落城したんじゃないかな。
167 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:52:49.50 ID:soPqXj570
>>137 それは云える。
坊主(宗教)が政治に口出すとろくな事がない、中東イスラム教を見れば解かる
近代化が遅れる。今の日本も層化が増えると日本が弱体化するのは目に見えている。
168 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:53:06.67 ID:oArml3nN0
進撃の巨人って平地に壁作ってその内側に住んでる時点でかなり間抜けだよな
>>153 そうだ。敵に塩を送るって話だな
なるほどね上杉側にもメリットがあったわけか。
170 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:54:14.46 ID:m6gXPw8g0
>>165 圧倒的に強いのか嫌われているのかw
各個撃破するしかないよ。一番弱い国から滅ぼしていけw
171 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:57:48.90 ID:agu7ZZvn0
>>170 なんか最近そうなってるんだよwいつのまにかw
ここから勝ったら俺、無敵だな。頑張ってみるわw
173 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:58:19.80 ID:m6gXPw8g0
>>166 秀吉ではだめだと思う。
食料の封鎖ができないので、囲んでも意味なし。
海上輸送でいくらでも食糧が手に入ったし。
毛利水軍が負けてからも、食糧の輸送は海からできていたからね。
174 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 00:58:44.37 ID:cbwnzX1Z0
鹿背山城って、あのミッキーカーチスが茶釜「平蜘蛛」ごと爆死した城か。
あのハハハハと高笑いしながらドヤ顔で平蜘蛛の火薬に火をつけるシーンは
信長ザマアって表情で最高だったwww
175 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:00:31.23 ID:m6gXPw8g0
>>171 5国のうち、一番弱い国を滅ぼすまでは、
2番目か3番目に強い国は絶対に攻めず、
せめなかったらこっちから攻めないよという手紙を送り続けろw
>>137 織田が石山本願寺に敗北して滅亡しても一向宗が天下を獲ったとは思えない
織田が滅びれば守旧派の中心だった毛利氏が足利将軍を鞆から京都に戻して
細川や山名の代わりに毛利の威光を背景にした室町幕府が存続しただけの話
「鹿背山城跡からに安土城より古い瓦が出土した」ということだけでしょ?
なんでそんな根拠のないファンタジーを専門家として主張できるの?
国史の人の考えはわからない。ただの予算獲得か観光客寄せなのかな。
俺も公費を使って趣味と研究を一致させて生活したいぜ
179 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:04:22.06 ID:reLmfTFk0
>>113 北条家好きだから一度実際に見てみたいんだけどな。
見学会とかしてくれないかなあ。
>>157 外堀だけじゃなく内堀も埋めないと落ちないと進言したのは、
家康がスカウトした城大工の中井正清だったというな。
秀吉の大阪城をつくった大工頭領中井正吉の息子で、正清
はそのとき親父の補佐をしていた。
>>169 横からスマンね
個人的には謙信の経済的感覚は信長に次ぐものがあると思っているよ
当時の越後は決して米処ではないのに
あれだけ毎年の外征を支えきってなお黄金を貯蓄できる経済力は
貨幣経済を知っていないとできないことだから
悪漢とかやられ役の再評価ブームって、嬉しいと同時にちょっと寂しいよな
せっかくおいしいキャラを確立してたのに、実はいい人でしたとか
正史では凄い奴だったとか言われても
>>58 何を以てレベルが低いと言ってるのか分からん
それは堅牢性の事を語っているのか、造形美の事を語っているのか
185 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:08:27.77 ID:Bft1YcZW0
松永久秀って死んだあと信長に茶器もってかれるのがイヤで
茶器と一緒に爆死したとかいうやつか
そんなことより
松永久秀の一族郎党全員処刑
荒木村重の一族郎党全員処刑
負の連鎖を完全に断ち切る信長は天才だ
人間というものをよくわかっている
たいした城を築かなかった武田と、江戸城ができるまで最大の城塞をつくりあげた北条って正反対の思想だったんだね
187 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:12:43.04 ID:tRs6Z+gP0
>>137 誤った知識(マンガ、ゲーム)に基づく誤解が多いんだが、本願寺はキリスト教と違って宗教権威による政治への口出しや支配をやる気はない。
本願寺の教義にある「王法為本」という言葉の意味を調べて欲しい。
189 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:13:39.64 ID:soPqXj570
ヨーロッパでは一族郎党全員処刑 は当たり前。
190 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:15:47.04 ID:5jOPyYCs0
>>185 まあそれやってたから自分も殺されたんだけどな
>>140 月山は山形県にある有名な山だから変換できるんだろ
193 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:17:52.36 ID:cbwnzX1Z0
>>185 だが村重本人は生き延びたという理不尽さ
腹切って死ぬべきだったわ
まあ城は敵の攻撃から守るだけが目的なら天守閣なんざ必要無いからな
重要なのは掘と城壁ぐらいなもの
難攻不落と呼ばれた大坂城も外堀と内堀を埋められたらあっさり落城しているし
>>181 有名な話だと思うけど上杉謙信はそもそも算術の達人ですぞ。
なので何事もドンブリ勘定ということにならなかった。
196 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:18:25.00 ID:WAgcgYu60
小田原城って氏政が降伏しなきゃ、あとどれだけもったんだろう?
食糧備蓄自体はまだあったよね?
いつも疑問に思う
197 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:18:56.39 ID:oArml3nN0
甲府は盆地だしな
山に囲まれてるので特に城は必要無い
198 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:19:12.67 ID:GjZnxAOd0
>信長、秀吉も畏怖「戦う城」から「見せる城」へ
「お前の城門から、大事な天守閣が丸見えだぞ?」ってこと?
199 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:21:27.75 ID:qvF7OK8TO
どかーん!
>>196 まあ氏政が降伏しなくても
寝返り、脱落者続出で落城時期はおそらく大差無い
城の周りに即席の街を作って毎晩ドンチャン騒ぎをしたり
内応工作乱発で次々と疑心暗鬼で相手を揺さぶり続ければ
食糧より先に気力が尽きる
201 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:23:47.01 ID:WAgcgYu60
北条早雲に力攻めされて三浦親子は籠城で2年間も持ちこたえたし
食糧・水さえ確保できれば城ってかなり持ちこたえられるものなんだと思う
天守閣は最初は遠くを観察する施設だったろうにいつのまにか権勢誇示を兼ねる施設になったんだろうね
203 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:25:10.72 ID:oArml3nN0
ヨーロッパの城は日本の戦国時代の頃にはもう純軍事的価値は失われていたという話だ
大砲で重い砲弾をぼこすか撃ち込めば簡単に崩れてしまうから
205 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:27:19.89 ID:Z/tUAAk20
三大成り上がり大名の1人
>>202 それは物見櫓で事足りる
最初から天守や石垣は戦わずして相手を圧倒するもの
207 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:29:33.58 ID:8XOaUxYD0
寺社勢力の強い地域は公的な建物での瓦の使用率が高いという話に終りそう。
208 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:31:16.31 ID:WAgcgYu60
ベネチアとオスマントルコの戦争では
ある島の(名前忘れた)攻防を巡って守備側のベネチアが数千
オスマンは10万人以上の死者が出て何十年も攻防してたんだよね
最後はオスマンが力攻めで落としたけど、その頃は長年無数に打ち込まれ続けた大砲で
ほとんど瓦礫の山だったそうだ
そういや秀吉が家康に大坂城の落とし方を伝授した逸話があるが
その内容も「堀を埋める条件で和睦して、また城攻めしたらあっさり落ちるよ」という単純なものだったから
秀吉も「こんな条件で和睦に応じる馬鹿なんていねーよw」という意味合いも込めて伝授したんだろうな
210 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:32:57.69 ID:8XOaUxYD0
>>202 少なくとも信長の天主は楼閣などの御殿施設の類であって物見櫓からの発展ではなさそうだが。
松永のシジイは信長を凌ぐというか、信長がガキの頃から数奇者の最前線にいた奴だし、信長よりも目利きのスキルも高いし全然不思議じゃないな
212 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:37:39.73 ID:soPqXj570
>>205 戦国時代は下剋上の世界だろ成り上がりもくそもないだろ。
それとも乱世の間々か室町幕府の再興でも夢みているのかw
213 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:39:21.46 ID:Z/tUAAk20
>>212 その成り上がりのレベルが違うだろ松永クラスだと
アホか
214 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:40:53.07 ID:WAgcgYu60
三大成り上がりって誰と誰と誰なの?
信長、秀吉、家康
216 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:42:27.60 ID:Bft1YcZW0
一番の成り上がりというか
完全のっとりという意味で道三だろうな
217 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:42:45.36 ID:/Ew/UQt+0
広島に来て、何かの誘導で広島城に来てしまうほど、悲しいことはないよな。
歴史的に何も見るべきものがないからな。
熊本城と姫路城がほんとダイナミックで最高峰の城らしいな。
>>188 船道前もある
専売する青苧のみを扱って船を出すわけではないからね
ということは流通や商人の往来、つまり貨幣経済に注目していたということ
これに関わる使役も税としてあったから
流通による交易で銭を稼ぐという明確な目的がみてとれる
日本海の海運と流通に注目していなければこの発想は出ないと思うよ
>>195 55の話かな?
城の防御力と見た目は比例しないよね
小田原城も水をはった掘も石垣も存在しなかったわけだし
空堀や土塁の防御力は見た目以上に強い
220 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:43:40.85 ID:WAgcgYu60
そうか、そりゃ三英傑以上の成り上がりは居ないだろうな
221 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:44:25.55 ID:oArml3nN0
早雲、道三、秀吉
松永は割とその場のノリで動いてるイメージがある
223 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:44:36.02 ID:Z/tUAAk20
>>214 北条早雲、斉藤道三、松永久秀
三人とも秀吉よりも出自が怪しく卑しい地の底から大名へ成り上がった
224 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:44:46.10 ID:Bft1YcZW0
道三は油うり
秀吉は針うり
蝮は親子二代でしょ
家康も信長も大名の跡継ぎとして産まれてる
>>134 農民と僧侶が篭もり長期間持ちこたえて落城はしなかった石山本願寺
名だたる名将と浪人含めて武士が籠城したが、堀全部埋められてついに落城した大坂城
この差はいったい・・・・
>>212 下克上っても大多数は最低でもどこぞの中小クラスの豪族だったりするわけだ
下克上の世だから成り上がりは存在しないなんてのは暴論。秀吉なんかは成り上がりではないとでも?道三は出自を下の身分に詐称して成り上がりを演じたから微妙だけど、それでも成り上がりには変わりない
228 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止:2014/05/06(火) 01:46:30.00 ID:AP6xf0vlO
>>218 港町の宿代が統一されてたって話だし貨幣経済
の先進地帯だったわけでしょ
道三の成り上がりは
実際には親子二代によるものだと聞いた
商人だったのは親父だけで
息子は初めから武士だったと
可能性って前から歴史好きには知られてる話だったと思うんだが
233 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:47:52.44 ID:WAgcgYu60
>>219 北条早雲が大森氏の小田原城を奪った時には小田原城は実は実在してなかったという新説がある。
地質学者や地震学者がたまたま発見したのだが早雲が攻める2年前に伊豆で地震が起こり
小田原を大津波が襲った事が分かり、さらに当時の文献でもそれが確認された。
火牛の作戦を本当にしたかどうかわ分からないが、当時の小田原城は復旧中で
ほとんど城の態を示してなかったらし。
234 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:47:56.21 ID:b0hUQr/x0
斎藤道三、宇喜多直家、そして松永弾正…戦国三大梟雄と言われてるが、
実際のとこ一番の食わせ者なら毛利元就だろ、JK
>>191 教訓・ハゲを怒らせてはいけない
お前ら小倉智昭に謝っとけよ
236 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:48:16.64 ID:Z/tUAAk20
>>232 いや、流浪の乞食坊主(仮)だよ
実質は流れ者のチンピラ
237 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:49:00.42 ID:kbiscDQ50
秀吉が百姓だったってのも眉唾っぽくなってるけど、それでも足軽から天皇に姓を貰って関白だからな
成り上がりなんて陳腐な語彙で表すのも失礼なくらいの成り上がり
239 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:49:33.50 ID:Hy/zgiaJ0
>>1 信長の見せる城は、安土城から、というのは間違い。
安土城より前の小牧城からということが分かってきている。
小牧城と比べないと意味がない。
>>186 山梨で城を囲まれる状況は既にオワットルがな。
241 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:50:39.47 ID:Z/tUAAk20
>>226 全軍を持って敵に当たれるかどうかが大きいね
背後から突かれる心配がなければいくらでも攻められるし
244 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:53:01.07 ID:oArml3nN0
北条 早雲(ほうじょう そううん) / 伊勢 盛時(いせ もりとき)は、室町時代中後期(戦国時代初期)の武将で、
戦国大名となった後北条氏の祖である。伊勢 宗瑞(いせ そうずい)とも呼ばれる。
北条早雲は戦国大名の嚆矢であり、早雲の活動は東国の戦国時代の端緒として歴史的意義がある。
一介の素浪人から戦国大名にのし上がった下剋上の典型とする説が近代になって風聞され、通説とされてきた[6]。
しかし、近年の研究では室町幕府の政所執事を務めた伊勢氏を出自とする考えが主流である[7]。
1950年代に発表された藤井論文以降、伊勢氏のうちで備中国に居住した支流で、備中荏原荘(現井原市)で
生まれたという説が有力となり、その後の資料検証によって荏原荘の半分を領する領主(300貫といわれる[8])
であることがほぼ確定した[9]。
幕府申次衆の書状と駿河国関連の書状において照らし合わせたところ、記載された史料の「伊勢新九郎盛時」
なる人物が同一である事も決め手となった[10]。従来の説は文献の解釈の違いによるところが大きく、
さらに「備中伊勢氏」説は史料が最も豊富で多岐にわたる事も出自解明に寄与した[10]。
近年の研究で早雲の父・伊勢盛定が幕府政所執事伊勢貞親と共に8代将軍足利義政の申次衆として重要な
位置にいた事も明らかになってきている[11]。早雲は伊勢盛定と京都伊勢氏当主で政所執事の伊勢貞国の娘と
の間に生まれた。決して身分の低い素浪人ではない。
裏切っても裏切っても手放したくない気持ちは解る
芸術家気質なのかもな松永の爺さん
246 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:53:39.66 ID:L/J0REj20
248 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:54:31.72 ID:6wjV9Ehm0
2ちゃんに群がる40代50代のおっさん
お前らの人生10回分の時間を巻き戻しただけで信長の時代になっちゃうんだぜ
戦国時代てのは意外と最近だ
249 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:55:14.76 ID:kbiscDQ50
時代は違うが源平なんか日本人ですらない
外人部隊雇ってたのは中国も一緒だけど、あちらは写実的な兵馬俑で
もろペルシア人の容貌のが出て来たら、全部埋め戻して隠滅しちゃうからスゴイなw
250 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:55:42.13 ID:gr1hmtmp0
南無八幡大菩薩
>>223 道三は1次資料で道三の父親が僧侶から還俗して長井→斎藤家と乗っ取ったって証明されてんだろ
作り話をそのまま信じるなよ
『戦う城』から『見せる城』
じゃなくて
『戦う城』+『見せる城』
だと思うが
253 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:58:49.33 ID:Z/tUAAk20
254 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 01:58:59.52 ID:soPqXj570
>>213 ホンダラ、最初から詳しい書けやボケ、このアホンダラの脳足リン。
>>190 清盛は寿命をまっとうしたじゃん
清盛が死んだから平家がほろんだんだろ
>>253 あれを説というなら油売りなんか説もいいとこだわなw
てかお前、早雲の出自も知らなかったようだけど、いつの時代からやってきたんだ?
258 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:02:11.51 ID:Z/tUAAk20
>>257 早雲のも説だ
証明されてない
声がでかいバカがいるだけw
259 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:02:58.66 ID:mBPrtvbE0
松永弾正久秀を大河にしたほうが良い
悪巧みをする奴が主人公ってなんか素敵やん
>>2 それは端的に言えば内政が軍事にも繋がるって話だと思う
>>244 しかし、その身分や領地を捨てて、駿府へ赴いた時点で、一介の素浪人と同じことではでは?
263 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:04:59.00 ID:Z/tUAAk20
成り上がりではない出自の高貴な細川も松永以上に食えない奸物
264 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:05:28.53 ID:WAgcgYu60
よく見たら馬鹿の産経新聞がソースじゃん
読んで損したw
>>258 それを馬鹿というなら、史料的信憑性に欠ける後世の創作や俗説をデカい声で叫んでるお前が一番の馬鹿だろw
一休さんはとんち坊主でしたと力説するくらいのw
266 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:10:19.28 ID:Z/tUAAk20
>>265 お前のようなバカに説明しても理解できないからいいよw
267 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:10:26.70 ID:WAgcgYu60
よそのスレでも産経新聞社はワタミに絡めてスターバックスの宣伝をしてたぞ
しかも正午を午後12時と表記。 馬鹿の手本だw
268 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:11:12.88 ID:oArml3nN0
>>265 一休さんはブラックユーモアなとんち坊主だと思うが
270 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:13:13.50 ID:GDTNB1ur0
岡山で宇喜多家関連のイベント開いてる組織の名前がうきうきクラブで笑ったわ
>>261 荘園主、しかも将軍の側衆やってたって素性がある時点でただの素浪人とは言えんだろ。何をするにもその素性が有利に働くわけだし、おそらく利用もしただろうしね
>>266 捨て台詞いただきましたw
唐津 臼杵 諏訪高田 福岡
水を利用した城ってかっこいいよね
273 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:18:59.98 ID:/Opj7skI0
>>1 は?
少なくとも30年以上前から一般的に知られていたことを今更、ナニ言ってるんだ
安土城の前に松永の多門城があり、その前もあるというのは常識だ
アホかとバカかと
275 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:20:58.94 ID:sIKjH7870
大河の宇喜多直家はちょっと違うような気がする。
資料的にはああいうんで合ってるのかな?
>>233 面白い説ですね
戦を仕掛けたきっかけは津波で大森氏が弱体化したところなら
火牛ではなく松明を大量に持った勢子で大軍に見せかける偽装かもしれませんね
277 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:22:51.09 ID:Z/tUAAk20
>>271 いや、バカにこれ以上構ってらんないからw
>>275 狡猾さと非道さだけでのし上がった人物像はよく描かれてるよw
278 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:22:52.77 ID:8XOaUxYD0
>>226 石山本願寺は結局水上封鎖ができなかったんじゃなかったっけ?
包囲する側の規模も桁違いだしね。
>>273 信貴山の多聞山城だったと思う
>>275 まあ合ってると思うよ
実弟でさえ兄の前では着物の下に帷子着てたっていうし
油断ならないDQNだったと思う
280 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:24:36.97 ID:yPyer/rg0
芸術は爆発だ
281 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:25:57.61 ID:jjZbVA9s0
>>277 お前それ勝利宣言にしか見えんよ、かなり惨めな
>>264 おエライあなた様は何処から転載すれば納得するんでしょうねぇ?
283 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:26:43.73 ID:cUIh8qVq0
平蜘蛛はどこぞの史料館に保存されてるぞ。
信長の命令で爆破現場から見つけ出したといわれてるらしい。
284 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:29:11.19 ID:jjZbVA9s0
>>279 信貴山と多聞山は別の城
あと謙信ですが、毎年のように越山して関東平野でかっぱらいやってたんで裕福でした
285 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:37:23.71 ID:jjZbVA9s0
>>89 館、って付けられたのは江戸期でそれ以前は古城と呼ばれていた
だから正確には躑躅ヶ崎城が相応しい
中世段階では単に躑躅ヶ崎とか府中とか甲府とか記述されるが
元々城は平地の方が先なんだけどね
要するに「戦う城」から「見せる城」ではなく
城下町で民衆をどうみるかの問題だったのよ
なんで本丸だけで城を見るんだ(´・ω・`)
商業や経済が発展したら
山の上から領地見てても仕方ないでしょ(´・ω・`)
>>284 失礼
信貴山城だったね
信貴山朝護孫子寺が毘沙門天信仰だったから毘沙門天=多聞天で間違えた
289 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:45:32.08 ID:7v0MZd2d0
政教分離なんて19世紀の科学が発達してからでしょう古来より日本の政治家は仏教高僧に自ら進んで教えを求めてる
信長は政教分離をしたかった訳ではない
信長は意のままにならぬものを弾圧しただけだよ
290 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:48:37.71 ID:dhYpTBEe0
>>289 とはいえ、民衆の虐殺などという非常手段を、宗教相手には取っているわけだから
何かしらの区別はあって宗教絡みは特別視してたように思う
291 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:50:12.29 ID:jjZbVA9s0
>>286 高地性集落とか、高い所に城を築くのは先史以来の基本かと
古代の朝鮮式山城も山だし、東北の城柵も丘陵や低山に占地しますぜ
>「畿内では他の地域のような巨大勢力が成長せず、
>あまり防御施設は進歩しなかったが、
>見た目で周囲を威圧するという独自の発展を遂げたのではないか」
アホですかこの教授は国府や守護所は平地にあるだろ
山に城がある時点で防御力を考えてだろ(´・ω・`)
293 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 02:57:43.10 ID:Gzv+i3d+O
知らなかったそんなの…
>>291 白村江の戦い直後に高地性城塞が一気に増えたんだよね
それ以前は集落から発展した城柵だから当然平地にあって、狼煙を上げる場所を山の上などにするなどの発展を経て、そこに他国からの侵略の驚異があって高地性城塞へと繋がったってことになるのかな
中央集権国家への過程に伴って城の形態も変化したようにも思える。それまでは所詮集落同士の戦い、言い換えればご近所同士の小競り合いに過ぎなかったんだよね
>>53 さっきスカパーの、ゴジラ対キングコングで二匹に壊されてた。
少なくとも信長以降は本丸だけ見たらダメなのよ
城下町も含めて城なのよ(´・ω・`)
>>217 ダイナミックてどういうこと?
城の形が変化するの?
298 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 03:12:38.13 ID:sIKjH7870
延暦寺の焼き討ちは無かったという説もあるけどどうなんだろうか?
>>298 堂宇を焼いたことは事実みたいだけど
山中での殺戮はなかったという説はみたことあるね
だいたいあの時代は僧も麓の坂本で暮らしていて山中はほとんど無人だったみたいだし
300 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 03:18:05.26 ID:iCOnIoSb0
ただの素浪人の姉が、名門今川家の嫁でその子が時期当主になる
ここに大いに無理がありますわね
伊勢から北条に名を変えたのは、関東を制圧するため鎌倉時代の北条氏から取ったものだが
鎌倉北条氏は本当に平氏だったかどうか怪しいが
伊勢氏はが平氏だったのは確実なのだが
早雲素浪人説のおかげで後北条氏はパチもん扱いのイメージがあるが
本当は鎌倉北条氏よりも、戦国北条氏の方が名門なのよね
>>298 麓の集落に火を付けて回ったのはたしかなんだろ?公家の日記に煙が見えたってあるくらいだし
そこに人がどのくらいいたのかは議論の対象で、門徒や町衆は殆ど居なかった(追い出した?)って説が最近あるけど
、とにかく延暦寺という当時の仏教最高権威に火を付けたというのは相当な衝撃で、多分に大仰に言い伝えられた可能性はあると思う
302 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 03:23:03.31 ID:jjZbVA9s0
>>294 高地性集落は弥生からです…
環濠集落でも、例えば関東だと横浜市の大塚遺跡は丘の上に占地してますな
303 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 03:26:28.32 ID:jjZbVA9s0
>>301 比叡山に城郭遺構が発見されてまして
要するにコレを焼いたんじゃないかと
山頂部は発掘によると当時既に堂宇が廃絶してて、焼こうにも焼くものが無かったようで
>>302 なるほど。海っぺりと内陸部で差異ってないのかな?
海っぺりはそれこそ縄文の時代から高地性集落が多かったと思うんだけど。北部九州なんかはどうなんだろ
305 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 03:28:57.62 ID:sIKjH7870
瀬戸内海の高地性集落は倭国大乱と関連が有ると言われているけど。
年代が1世紀から2世紀。
306 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 03:30:22.30 ID:jjZbVA9s0
>>292 中井さんは枡形虎口だとか馬出とか横矢掛とか障子堀とか
そーゆー防御パーツの発展が少なかったと言いたいのかと
あの当時の叡山には浅井、朝倉の兵がいたけど
それも山麓にいたのかもね
>>302 戦うコト考えたら高い方がいいでしょ
外敵が多ければ余計に
当たり前のコトでしょ(´・ω・`)
309 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 03:41:19.03 ID:jjZbVA9s0
>>304 縄文海進の頃は海沿いの海岸段丘に集落構えても今みたら内陸の丘の上に見えちゃうかもですね
北九州は疎いけど、実見した越後の鮫ケ尾城の中腹にある環濠集落は直江からかなり内陸にあって海なんか見えませんでしたな
環濠も竪穴式住居も埋れ切らず観察出来て
中世城郭の鮫ケ尾もバッチリ残っててオススメ
310 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 03:42:21.85 ID:e7p3g4lB0
>>297 行けば解る。
熊本はまだ行ってないんで知らんが姫路城は凄いの一言だよ。
313 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 03:56:23.89 ID:pkJ44h2T0
奈良の城が尾張から見えるとかマジすげぇな
現代でも畏怖
314 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 04:04:47.42 ID:Qw3pOrR20
考えたらお城がニュースになるぐらい
話題になるってのは城好きからすればいいコトです
まぁ江戸城の再建はいらないけどね(´・ω・`)
最新の発掘調査じゃなく
文献に基づいて何十年も前から言われてるだろ禿げ
317 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 04:16:00.39 ID:IouRoVbM0
昭和の時代から、信長の城造りは、斎藤道三と松永弾正を 師としてきた といわれてるのに、
新発見みたいにいうこの記事、なんなの?
318 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 04:30:27.97 ID:WBEudrAHO
遊園地のとしまえんも室町時代の城の跡地らしいけど、
時代的に考えて城というより、砦のついた屋敷だったのかな
しかし桶狭間の戦いって兵力が違いすぎる織田があんな簡単に勝てるもんかね?
清洲会議じゃ信長は何も指示しなかったというし、当時今川側の家康が裏切ったのが新説じゃないの
>>315 観光資源としては江戸城天守閣は有りだろ。
大阪城、名古屋城はおろか、
鶴が城、小田原城ですら観光の目玉になっている。
木造で再現して欲しいが、身障団体がエレベーター附けろとか
五月蝿いから無理だろうな。
四国や九州って宇喜多や松永的な謀略家的な武将があんまり思いつかん
322 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 05:23:55.55 ID:72J0XUn10
見栄や体面を気にして生きてた武士でさえ天守建てる金を他に使おうって決断したんだよ
その天守を観光用に建てるとかアホだろ
何もない天守こそ最高の遺産なんだよ
>>320 天守閣って結構、現代においてはしょぼいから個人的には再建するなら本丸御殿にしてほしいところ
なんだけど、でも江戸城本丸御殿を再建したらおそらく日本有数の観光地になってしまうだろう。
本丸は現在の皇居東御苑(一般開放されてる)にあった建物だけど、国内海外人が大勢訪れるせいで
天皇皇后に迷惑になるかもしれないからなるべくやめてほしい。だから個人的には現状維持でいいや。
天守閣が面白い建物ならいいけど絶対周りの高層ビルのほうが楽しいと思う
325 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 05:41:08.62 ID:9IG/YO/rO
長宗我部国親は謀略家
327 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 05:49:38.85 ID:5jOPyYCs0
>>321 黒田官兵衛の中津での城井鎮房の一族を皆殺しにしているよ。
家臣団と共に謀殺され、返り血を浴びた壁は、何度、塗っても血の跡が
浮かび上がって来るから赤壁にしたという。
328 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 05:54:35.09 ID:rT9XucFu0
329 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 05:55:26.55 ID:6k5+E/3g0
松永浮田は梟雄てイメージがあるけど
クロカンちょっと違う感じ
331 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 05:57:53.78 ID:5jOPyYCs0
>>324 NHKBSプレミアムで江戸城本丸のCGやってたけど、とんだ迷路だぞ。
どんな罰ゲームだよ。
>>319 清須会議の時点で信長は死んでいるんだから指示出来る訳ないだろ
桶狭間だって今川方がよくある兵同士のいさかいと勘違いしている間に、
スルスルと本陣に到達してしまっただけの話
333 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 05:59:50.46 ID:+Hm0pAcf0
竹田城址ファンきてんね
昭和30年代から言われてる事だけど、論拠が1つ増えたって事かな?
ボンバーマンは調べれば調べるほど味のある武将だな
336 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 06:03:46.76 ID:Q+H7DAIn0
相良の上村頼興は宇喜多直家にそっくりな外道だよ
>>321 龍造寺、大友、島津の騙し騙され泥臭い戦い
338 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 06:08:22.05 ID:5jOPyYCs0
柳川の立花藩も小ずるく立ち回っているね。
339 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 06:09:11.67 ID:6WCIclf20
多聞櫓が、この名前で呼ばれるには、
久秀の多聞城に造られた久秀デザインの櫓からきているらしい
天守閣も多聞城から
ルイスフロイスが絶賛してる
信長の安土城は多聞城をパクりました
江戸城はなんで再建しないのかと思ってたら、あれは無理だね。規模がでかすぎて簡単には再建できない。
規模がでかいわりには、あまり見栄えのするところがなくてべったりしてる。
まあ、残念だね。
341 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 06:22:31.23 ID:TOr0r5880
信長に独創性はないよ
信長以前に楽市楽座なって普通にあったし 鉄砲採用も信長が初めてじゃないし長い槍も道三のパクりだし
安土城は多聞山城のパクリだし
信長はパクリ王と言えるでしょう
342 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 06:24:28.39 ID:GlJ5VP770
ひらぐもちゃん GO!!
なんでも信長が最初みたいな風潮はいくない。
344 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 06:29:57.46 ID:ZL/SP8XY0
「大阪城というんだ。この城砦をめぐって数百年前とついこの間、戦いがあったのだよ。一緒に来たまえ」
という次第で私たちは出かけた。
門から城内に入っていくと、数百メートルにわたって長さ10メートル、高さは4〜5メートルほどの巨大な枡形石がいくつも並んでいた。
しかもそれらを組み合わせるのにさほど苦労したという跡も見せず、すべては見事に納まっているのだった。
「あの小さな日本人たちがこんなものを造ったとは!」と、私は周囲に聳え立つ巨石の群れに圧倒されて叫んだ。
「石の建造物にかけては古代ギリシアのミケーネ人並みの腕前だ」と、ヒル先生は5メートル四方もある一枚岩をステッキで叩きながら、うなった。
「しかもただ築いただけじゃないよ。これを攻め落とした連中までいたんだ。見たまえ。銃火の痕が残っている」
そのとおり、石にはところどころ亀裂が走り、その裂け目は青銅色になっていた。
この怪物のような城砦を攻めなければならなかった側の軍勢にとって、悪夢のような戦いであったに違いない。
インドの城なら私も知っている。偉大な王たちの造った砦もたくさん見た。
しかし北インドのアクバルの城砦も、南インドのシンディアの城砦もこれほどではなかった。
大阪城の石垣は飾りもなく、彩色も施されず、ひたすら獰猛なまでの堅固さと、線の究極の純粋さを目指して築かれていた。
大阪城のような要塞の守備にあたるのは山地の巨人族か、ギュスターヴ・ドレの絵に出てくる怪人族こそふさわしいと思われるが、
そこにいたのはグルカ兵のような日本人であった。
『キプリングの日本発見』より 1889年長崎〜神戸〜大阪
Great!
メスの松永久秀をゲットした!
346 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 06:44:42.37 ID:I4EqSKYi0
>>289 アホか。
政教分離は度重なるキリスト教の政治介入に手を焼いた
西洋が生み出した発想だが、政治対宗教政策・対策なんてのは
それ以前から腐る程あるわ。
日本で言えば平安遷都の目的がそのものじゃねぇか。
信長の場合は今で言えば対カルト戦争そのものだし。
少なくとも政教分離はお題目だけでカルト政党一つ
対処できない今の日本より遥かに政教分離を実践しているわ。
347 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 06:46:47.81 ID:mmsxvr920
>>2 今、日本はそれを捨て、新自由主義という名の拝金主義に走ろうとしているw
企業は、企業の生き残り・経営者・出資者のみが儲けるためw
日本政府は、ここ30年続けた大失策のつけである莫大な借金のためw
今に見てろ。
日本は、仮に莫大な国債発行残高の問題が何の犠牲もなく解決しても、間違いなく没落する。
人を第一に考えない社会など、まともに機能するわけがないw
岩崎弥太郎(三菱財閥創始者)
「およそ事業をするには、まず人に与えることが必要である。それは、必ず後に大きな利益をもたらすからである」
ヘンリー・フォード (フォード・モーター創業者)
「奉仕を主とする事業は栄え、利得を主とする事業は衰える」
「ほかの要因はさておき、我々の売上は、ある程度賃金に依存しているのだ。
より高い賃金を出せば、その金はどこかで使われ、ほかの分野の商店主や卸売り業者や製造業者、それに労働者の繁栄につながり、それがまた我々の売上に反映される。
全国規模の高賃金は全国規模の繁栄をもたらす」
早川徳次(シャープ創業者)
「一.近所をよくする。近所を儲けさせる。二.信用、資本、奉仕、人、取引先、この五つの蓄積を行え。
三.よい人をつかんだら、決して放すな。四.儲けようとする人は、儲けさえあればいいんだ。何事にも真心がこもらない。
五.人によくすることは、自分にもよくするのと同じだ。人を愛することは、自分を愛するのと同じだ。
事業の道も処世の道も、これ以外のものはない。」
松永久秀は 平蜘蛛渡したくないって、最後は茶釜と
爆死した人だから、十分有り得る話だよな
349 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 07:02:16.39 ID:4nnOovlX0
浅井父子と朝倉のドクロ杯とか信長はカルトだよ 自らを神とかね
こんな人間は残らない
延暦寺も浄土真宗もカルトじゃないから生き残ったな
350 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 07:04:38.80 ID:5jOPyYCs0
カルト認定の学会はいつ滅ぶの?
351 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 07:04:44.40 ID:oIRmHZHa0
>>1 へっ?
多門櫓の近代城郭は松永弾正がはじめたもの…って常識だろ?
>>346 法家の曹操は、当時の民間宗教の道教を解体し、国教の儒教を廃絶しようとした。
宗教は政治家にとって、表に出てはならない存在なのは、昔から変わらないだろ。
日本も林羅山みたいな糞儒家が、一時期巾をきかしたけど、吉宗の時代頃から蘭学も取り入れはじめ、
儒教は絶対ではなくモラルというかたちで残ったから、隣の糞半島みたいな国に成らずにすんだ。
353 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 07:13:08.05 ID:TGxrLbKn0
現在でもアメリカや欧州は宗教が政治に関与することは何ら問題ではないけどね
354 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 07:15:14.82 ID:TJPrIkIE0
>>24 オソレスだが
江戸城は落城していないだろう?
どういうわけか、城としては落城せずに明け渡している
大日本帝国崩壊時でも、城としては落城していない。
>>2 甲斐は盆地そのものが天然の要害であまり堅固な城を建てる必要がなかったからでは
>>349 金箔の髑髏を杯じゃなくて肴にしてな
トロフィー扱いだったのは否定できないが、供養的な意味もあると言われてる
盆地って弱くね
攻められやすく護りにくいと言われた京都と同じじゃん
江戸城ってなんで天守閣ないの?
359 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 07:51:59.27 ID:sB0ksRml0
日本列島そのものが城、いわば不沈空母である!
>>148 東海道、琵琶湖の要衝で京と岐阜尾張の中間の位置だから戦略的に建てたんだよ
天皇を迎える御所もあったそうだし
琵琶湖の東西と対岸にも城を建てて琵琶湖の水運を独占できた
中四国を制圧したら大坂に本拠を移す構想だったようで秀吉がそれを踏襲している
361 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 07:57:58.95 ID:XYHQGO1Ti
>>358 江戸が火の海になった大火事で焼けた後
復興予算が付かなかったので
362 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:00:22.20 ID:4bLnMp0Q0
安土城の天守閣って
結局吹き抜けじゃなかったのか
363 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:07:41.63 ID:+qY+nrs40
364 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:14:58.87 ID:wR2pLW3mO
信長……アーチチ アチ 燃えてるんだ廊下
天守閣も石で作ればよかったのに
>>21 それは多聞櫓(や天守)についての話じゃないかな?
>>348 切腹する時に卒中を起こしたりするとみっともないからって、頭のてっぺんに
お灸を据えながら腹を切ったという話もあったはず。
山城ってなんか山賊の砦みたいだよね。
369 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:40:44.77 ID:j0S0EDIn0
370 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:41:16.78 ID:Rb+5tlsn0
>>359 火山や地震や台風だらけの欠陥空母・・・
371 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:42:09.81 ID:bjoGwyuW0
孫子
計篇
・兵とは国の大事なり。死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。
・算多きは勝つ。
・兵は詭道なり。
作戦篇
・兵は拙速なるを聞くも、未だ巧久なるを睹ざるなり。
謀攻篇
・国を全うするを上と為し、国を破るは之に次ぐ。
・百戦百勝は善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。
・彼を知り己を知れば百戦殆うからず。彼を知らずして己を知るは一勝一負す。
彼を知らず己を知らざれば戦う毎に殆うし。
形篇
・勝兵は先ず勝ちて而る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む。
>>58 こう言う奴は江戸城が皇居の範囲だけとおもってるんだろうな
373 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:45:23.87 ID:bjoGwyuW0
勢篇
・戦いは、正を以って合し、奇を以って勝つ。
・色は五に過ぎざるも、五色の変は勝げて観る可からず。
虚実篇
・善く戦うところの者は、人を致して人に致されず。
・善く攻むる者は、敵其の守る所を知らず。善く守る者は、敵其の攻むる所を知らず。
軍争篇
・其の疾きこと風の如く、其の徐かなること林の如く、侵掠すること火の如く、動かざること山の如く、
知り難きこと陰の如く、動くこと雷震の如し。
九地篇
・始めは処女の如く、敵人戸を開くや、後は脱兎の如く、敵は拒ぐに及ばず。
火攻篇
・戦えば勝ち攻むれば取るも、其の功を修めざる者は凶なり。
・怒りはまた喜ぶべく、慍りはまた悦ぶべきも、亡国はもってまた存すべからず、
死者はもってまた生くべからず。
>>368 ちなみに日本で最初(あるいは最初期)に天守が建てられた信貴山城は名前のとおり山城。
聖徳太子が物部侵攻した時に毘沙門天が現れたことで有名な朝護孫子寺が山の中腹に
あって、その上の信貴山城跡まで歩いて登れるんだが、結構大変。
ちなみに信貴山の麓には松永弾正の墓と言われてる場所も(確かいくつか)ある。
>>1 可能性が浮上も何も、
天守閣の原型は爆弾正の多聞櫓
すっげー今更
376 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:50:17.60 ID:UF84P67wO
>>375 一時期、信長厨のウリジナルが蔓延していたから、今更の話題も必要。
それでも信長厨は聞く耳持たないけどな、
377 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:53:35.55 ID:c4eypoTE0
江戸城は保存してほしかった、現存すれば集客率・経済効果抜群だろう
378 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:53:58.43 ID:wYtNuJVj0
超巨大四城
安土城
大阪城
江戸城
肥前名護屋城
379 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 08:54:35.51 ID:R2dnR0Yt0
大分旅行予定してんだけど中津城は大分空港から行くには不便?
>>360 北国行くにも東国いくにも安土近辺を通過しないとダメだからな
京都へは1日あれば行ける距離と絶好の位置だった>安土
>>2 国内で武田信玄の支配力に限界があったから。
武田信玄が直接支配できてるのは甲斐の3分の1で
あとは小山田と穴山が抑えてた。国内に敵が入った時点で
両者が裏切って武田軍崩壊は目に見えてるから
領内に敵を入れないという戦略に徹するしかなかった
>>188 それを京都は京阪で売ってたとか。
そしてその座の関係者が近衛家や山科家だったはず。
越後関係で近衛前久や山科がやたら出てくるのは
その関係もあって
物産を直江津等から船で若狭に出す→鯖街道で京都入
だったんだろう。上杉謙信が晩年京都に上洛する気配を
見せてたのは(実際手取川の合戦の後越前まで進んで
京都に数日内に行けた)、そのルートを織田に握られる
ことへの危機感があったんでしょ。
>>379 レンタカーか最寄りのJRの駅まで行くことを勧める
空港からバスだとどうしても大分別府方面や湯布院方面が
多いので
>>327 あれは官兵衛の意志というより秀吉の意向だな。
宇都宮氏は秀吉の転封命令に逆らっての事だったから。
秀吉からすれば関白の権威に盾つく大名を成敗する
必要があったし、肥後の佐々の例のように不始末を
理由に官兵衛を粛清できたから。
官兵衛も秀吉の粛清の意図を容易に読めただろうから
必死になるしかなかったけど当時でもあまりに凄惨だったので
後味悪くて供養しまくった
>>219 小田原城は西は箱根の山道を固めて北と東は無数の支城を設置して
どこか一か所が攻められたら即座に隣接した支城が救援に向かうシステムで
防御力を保っているから城自体の防御力はあんまり必要ない
ただしそのネットワーク型の防御も大軍ですべての支城を一斉に攻めるという
秀吉の物量作戦の前には無力だった
>>146 意外だが宇喜多は領民を大事にしたからな。
もともと爺さんが死んで家が一旦滅んで極貧状態の
幼少期は庶民の世話を受けて庶民の家で生活してたから。
成長した後も地元民といっしょに開拓したり外敵を撃破したり
と領民との連携プレーしてる。
>>384 これと同じことを謙信が一時期してたんじゃなかった?
小田原攻めの時関東の武将のほとんどが上杉に寝返り10万規模の大軍に。
北条方は領土が氏綱当時の時代まで一気に縮小して小田原城以外はほとんど
城無し状態になった。
あの時は兵糧の補給と統制の問題から長続きしなかったけど
もしそれらがある程度解決できてたら北条氏はその時点で滅亡してた
>>137 本願寺とか仏教系にはきつかったが、キリスト教とか南蛮文化には寛容的だったろ、信長は。
逆に秀吉とか家康はキリスト教の危険性察知して、キリシタンには厳しい対応してたぞ。
信長だけでなく、安土桃山の3傑は宗教勢力には一線越えさせないような対応はしてたんじゃないかな。
388 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 09:46:58.31 ID:V1saE6uz0
>>344 論点がずれてないか?
石垣の石の大きさを競うじゃないですよ
アクバルのアーグラは高級な石材の赤砂岩を削って加工して積み上げてる
宮殿は白大理石なんだよ
ちなみに現在 日本の建築で砂岩が使われていたら
それは間違いなくインド産だ
信仰の問題にとどまる限り干渉せず、それが宗教外に口を出すようになったら
遠慮なく弾圧
ってのが信長 秀吉 家康の共通政策でしょ。信長は一向宗への対抗上、あるいは経済的な
利益目的(商人に法華宗多かった)で法華宗を保護してたけどそれが他宗派を攻撃しだした時は
安土宗論のように容赦しなかった。一向宗も信仰に留まり本願寺に加担しないなら問題なし、
逆に一向宗の本願寺系以外の連中とは手を組んでた。
>>387 政治に関わるか関わらないかじゃね?
仏教系でも政治に関わらなければ別に気にしてないだろ
秀吉、家康がキリストを危惧したのは、他国の尖兵に成り得るからじゃね?
>>390 一向宗も信長と敵対しない(政治に口出しない)という条件で和解を求めたら
信長はあっさり認めてる。それ以降の本願寺は政治に口出さないを徹してた。というか
口出すような余裕がなくなってた>本願寺
・和解の過程で強硬派と和平派が揉め分裂の兆しが出てきた
・信仰上の問題から一向一揆に限界が来ていた
・本願寺のスタンスに高田派や仏光寺派は総スカン、本願寺派内部でも距離を置く門徒続出
と
一説には、
聚楽第と伏見城と駿府城の遺構を使っている西本願寺は凄いな。
まさに隠れた天下人の城のようなもの。
ある意味で本願寺は戦国時代の最終勝利者の一つだな。
本願寺のように十万を超える門徒宗が関が原や大坂の陣の時期でも本気を出したら、徳川も石田も黒田も勝てなかっただろう。
393 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 10:38:45.63 ID:ly4zZQLw0
信長が存在してなければ信長の功績は全て家康が全く同じことしてたろうな
そして光秀に謀反されることなく無事に天下統一してそうだ
火弓に油の入った小瓶を付けて
数千 数万打ち込んだら
大抵の城とか楽勝で落とせる
って思う俺はド素人ですか(´・ω・`)
397 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 11:05:50.84 ID:dhYpTBEe0
>>396 1平方メートルあたりに必要な油の量と、
瓶の容量と
火の海にしたい城の面積を具体的に数字で仮定して
もう一度計算すると良いと思う
油と多少の水混ぜても
火って広がるんじゃなかったっけ?
時代が時代だから良い油は無いと思うけど科学的な消化剤もないしさ
やっぱダメか(´・ω・`)
>>394 信長が今川義元を討ってなければ家康は今川の武将止まり
>>396 効果あげる前に返り討ちだろうな
城からも打ってくるぞー
>>400 義元の姪と結婚してて桶狭間の時は今川の属国・配下で織田の山城潰してたぞ。松平元康は義元の元だし。義元が死んだから今川から独立したんで生きてたらそのまま今川の幕臣。
>>402 じゃあ独立すればいいじゃん
三河で独立し尾張も取ればそこそこ行けるだろ
>>398 重くすると飛ばないから射程は相手>こっちだよ、蜂の巣になるよ
じゃあ遠くに飛ばそうと大掛かりな装置作ると今度は数打ち込めないよ
当時は砂で消化だから油でも消されるよ
だからせいぜい火矢つっても相手が消火怠ってどっかに火がついたらいいなあ程度の代物だよ
>>393 北条はその間に武田に外交工作して野尻湖周辺(謙信が春日山に帰る通行路)を攻めさせたり
と後方攪乱してる。軍事は武田や上杉に比べて基本的に弱い。それでも秀吉くるまで大丈夫だったのは
政治力でなんとかしてたようなもん>北条
ただし謙信の側も、勝沼家(信玄の叔父の家)を調略させて信玄が国内動揺で動きにくいように
するなどそれなりに政治工作もやってる
>>394 その前に脳梗塞で死んでる>信長
食生活から当人が高血圧で糖尿病だったみたいだから
本能寺の変なくても数年以内に死んでたか
下半身不随で隠居状態になってた。
>>396 そんだけの油どうやって調達する?
あの当時の油は今と違ってぜいたく品だから
カネがないとそういう戦できません。
>>403 義元が生きてたら攻め滅ぼされておしまいでしょ。
>>332 だって今川は東海一の弓取りだぜ?
奇襲攻撃が成功したことになってるが信長は軍法会議で何も指示を出さず部下たちから不満が出たと何かで読んで覚えてるよ
義元は桶狭間山という山上で軍の指揮を執ってたけど、
尾張制圧が目的だったので軍勢を諸方面に分散させてしまい本陣周辺
に隙ができたところを、大雨で忍び寄ってきた信長軍の攻撃を受けて混乱。
山を下りて後退するところを田楽狭間で打ち取られたんじゃなかった?
あの当時の街道は2人くらいしか歩けないほどの狭さだから大軍
が移動しようとすれば間道使って兵力分散するか、長い列を延々作るしか
ない(横をやられたらアウト)
>>385 まあ地元の宇喜多と四国からやってきた(?)松永じゃあ状況も違うだろうけど。
占領した土地の民意を高めるなんていうのは、天下統一を計った信長以降、
重要になってきたんだと思うしね。
それまではあくまで地元は大事だけど、外では略奪が当然だったみたいだし。
信玄が尊奉していたという孫氏にも「兵量は敵地の略奪で賄え」みたいなことが
書いてあったはず。
>>403 尾張を取ったって周囲に今川、武田、一向宗やらがいて家康単独では勝てんだろ。三方ヶ原で信玄にボロ負けしてウンコチビりながら敗走したの有名だろ。信長がいなければ武田今川辺りが天下取ってる。
412 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 12:38:42.11 ID:Of6sqIVa0
>>396 火矢が必ず藁の上に墜ちるのは、時代劇のやくそく事
もちろん現実は、それなりの対策をとるだろう
>>410 信玄は甲斐が不作や不景気になると信濃に遠征(要は略奪)にいってたな。
ただだんだん信濃が領国化してくるとそういうわけにもいかず新たな遠征先が必要になった。
駿河や飛騨がその対象になったのは必然
>>394 信長が居ないって事は今川義元が討ち死にしないって事だから
今川の一武将で生涯終えたんじゃね
>>413 飛騨に略奪するようなもんあんの?
遠征費用のが高くつきそうだけど
飛騨国内の合戦で、人数が100未満対100未満の戦いだった気がする
>>409 大軍が狭い道に弱い、ってのは三方ヶ原の戦いはそれを逆手に取ったものらしいね。
信玄が城にこもる家康を素通りして、大軍を狭い道しかない方面を移動させようとした時に、
チャンスとおもった家康が追撃したのを、逆に実は信玄がそれを待っていたって動画でみた
>>415 どうだろうな?
ただ信玄が海に出るなら飛騨経由で越中(謙信の背後)へというのが
最短ルートだったような。ただし野麦峠やアルプス越えに往生するのか数千人程度
しか攻めてない
>>416 信玄からすれば素通りできたらそれでよし
そうでなくても出てくれば滅ぼせると。家康はあそこで打って出ないと三河や遠江の
豪族に見放されること確実だったので出るしかなかったんだけど
418 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 13:58:09.81 ID:zHw5HhY+0
>>2 武田信玄は農民人気も高くて怪しい奴を見つけるとすぐに信玄に報告が行った
甲斐の国が城みたいなものだった
>>416 浜松に犀ヶ崖っていう史跡があって三方原の戦いで夜襲を仕掛けてきた武田軍を徳川軍かこの崖の上に白い布をはり橋に見せかけて人馬もろとも崖の下に落として一矢報いたという奇襲作戦があったな
>>418 山国で収穫少ない上年貢率が5割だったのによく人気保てたもんだと思う>信玄
そのやり方も勝頼の時代に一気に問題が出てきて全部勝頼が悪いということに
世間ではされてるけど。
勝頼カワイソス
421 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 14:29:49.86 ID:gr1hmtmp0
>>406 糖尿病だったとか初めて聞いたんだがどこ情報よそれ
423 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 14:45:25.55 ID:nb44UUX30
信長が現代でいう「糖尿病」だったんじゃないか?ってのは複数の文献で見たよ
やたらと喉が乾いて云々とかなんとかって
>>423 飲水病とか。
関白の藤原一族はこれで死んでる人多い。
>>424 人はなんでか英雄を病気持ちにしたがるんだよ
ナポレオンもカエサルもてんかんだったことになってるし
やたら喉が渇いてたっていうんなら信ぴょう性増すが、どこの文献だろ
>>426 ナポレオンは
痔主な上、皮膚病とかいろんな病気持ちだったのは有名な話。
というか長年戦場のキャンプ生活してると食生活乱れて胃がん(戦国武将で
死因一位)で死んだりとか病気になる人多いよ。
>>427 なんだろう、いまいち会話が噛み合ってないw
まあ、人間で病気にならずに一生を過ごすなんてことはありえないけど
たいした論拠もないのに、決めつける医者は信用出来ないよなぁ
430 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 15:13:02.63 ID:nb44UUX30
「糖尿病」の発症の引き金がストレスだとすると、当時の武将のストレスは甚大だと思うw
>>12 戦国時代なのに愛だの友情だの平和だの反戦だの非武装だのとかやるからな
432 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 15:21:12.89 ID:yskLmchC0
この時代どこの大名に使えてもブラック企業だったんだろうな。
433 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 15:21:23.03 ID:qoMKSuc50
戦場にはならなかったが一乗谷城も相当の城だったらしいな
434 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 15:25:35.33 ID:gr1hmtmp0
>>432 現代のほうが拘束時間は長く、人間関係は学生から社会人まで見ず知らずの寄せ集めだから複雑だけどな
まあ現代は死が身近ではないね(ほんとは明日地震、事故が起きない保証はどこにもないけど)
>>2 躑躅ヶ崎の館は、かなり立派な城だよ
しかもそばに要害山と言う山城もあってな
>>394 家康に叡山焼き討ちができるとは思えない
438 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 16:07:48.50 ID:U+oXwPuB0
山城遅れないで
>>2 「人は城、人は石垣、人は堀」
人材重視の大切さを説いたもののはずなのに…おかしい…
なんかブラック企業の社訓っぽく聞こえてきた。
>>437 でも信長には家康のような天下太平の世を作るの無理だもんね。
>>2 信玄は孫子マニアで風林火山は勿論のこと、 その孫子の五事の第一「道とは、民をして上と意を同じくし、これと死すべく、これと生くべくして、うたがわざらしむるなり。」を参考にした。
ちなみに死んだのを敵に悟られないようにした信玄も諸葛孔明も孫子の兵法からの引用
信玄も敵の城で打ち取った敵兵の首を石垣にズラリと並べて見せしめとかやってたからな
しかし信玄は凄いよな。天然の要塞ではあるが甲府に敵を一歩たりとも踏み入れさせなかったんだから
>>1 > 「戦国三大梟雄(きょうゆう)」の一人に数えられる
> 武将・松永久秀
残りの二人は誰だろう…
斎藤道三?
毛利元就?
北条早雲?
それ以外のだれか?
446 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 16:57:53.55 ID:gr1hmtmp0
>>445 戦国三大梟雄
松永久秀、斎藤道三、宇喜多直家だってさ
447 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 17:09:57.81 ID:tSP3lLw30
>>441 天下統一中の人と、天下統一が終ってからの人比べても仕方ないだろ
>>443 戦国時代に、友愛とか反戦とか唱えてる大名はいないんじゃね?
そんな大名の家臣には誰も成りたくないだろうし
畏怖の対象でもないと統治もしずらいだろうし
瓦があっただけで?
>>449 なぜか、
大河ドラマの女性セリフで定番の
「戦は嫌でござりまする」
が脳内再生された・・
>>208 パーンとかディードリットが出てこないロードス島
453 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:14:00.76 ID:53VL4Nan0
>>394 信長が存在してなければ家康なんて世に出られてないだろw
今川の人質で終了
>>395 ムガル帝国時代の世界最大クラスのキャノン砲
大砲長さは6.15m、重さ50トン。
口径は28cm、最大射程距離は35Kmとか言われてる
この時代には化け物みたいな兵器だったが
当時のインドは豊かだったからな
455 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:20:01.89 ID:gr1hmtmp0
>>453 それは逆も言えるよ
浅井朝倉戦、対関東勢力は三河衆いなければどうだったかな
456 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:24:31.16 ID:53VL4Nan0
>>455 姉川では三河衆がいなければ歴史はかわっただろうな
見せる城ってあんまり戦場になってないから値打ちないよね。
458 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:32:06.28 ID:GvvRWY9j0
>>24,59
違うお。というかそういう風に変に恣意的に解釈しちゃうと、間違った教訓にしかならないんじゃないかなぁ。
信玄は地の利を生かして館と呼ぶ砦を持っていたが、城を作らなかったのは籠城に人数を掛けさせないためだ。
実際、日本の歴史で本城で籠城してのち盛り返したのは北条の対謙信戦くらいなもので、大体が本城を取り囲まれるようだと時すでに遅し状態。
北条だって相手が謙信で、落城は無理と判断したら自身は本国まで引き返すような相手だったからできた作戦。
だから城は無用だし、城を作ったら抑えの人数がいるとかバカじゃね?というのが信玄の考え方。
要するに、大抵の攻防は相手の前線を敗れるかどうかというのが日本の戦争の特徴だね。
というわけで信玄はコスパに注目することでその戦略を貫いた。
「総見院さまは常に相手の領国で戦っていました」なんて言われた信長の戦略もこれと同様。
若いころは美濃衆が信長の本城に後詰として入って、信長自身は麾下全軍を率いて出て行ったなんて話はまさにこれだし、
軍団制を布いて領国内に配置するのではなく、前線を駆け回らせ続けたのも同じ戦略的な観点からくるものだ。
459 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:33:09.37 ID:tCeR0LLKO
460 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:37:31.20 ID:VN9p7aRp0
>>432 実績を出した者にきちんと恩賞を与えて低い身分でもどんどん取り立てて
出世させた信長が一番ホワイトなんだよねえ。
>>457 別に直接合戦やってる相手に見せるためにそうしてるわけじゃないぞw
町衆や近隣諸大名に知れ渡ればそれが威となり、余計な戦をしなくても力を示せる。そのための豪華絢爛な城
462 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:40:55.24 ID:eg8zs72G0
>>460 自分の好き嫌いや門閥じゃなく、実力だけで評価したのは特筆すべき
そのせいで殺されたけどその点は他の小大名にはまねのできない器
463 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:41:49.08 ID:zKWcwjpb0
>>58 古代ローマ(ローマに首都が合った時代)や日本と違って、
強烈な階級社会で、城壁に富を費やした中世ヨーロッパや中国なんかは
一般の人間にとって、悲惨極まりない世界だぞ。
家畜や城壁が目立たない文明こそが、幸せな文明だ。
徳川とか三河衆は退却しないとか言ってボロボロ死んでくしな
465 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:42:13.28 ID:HWOS3kY10
大名を企業に例えると誰に仕えたい?
信長は仕事ミスすると死刑にされそうだからイヤだ
でも秀吉は戦いの嫌いな優しい人で、農民出身だから人の気持ちもわかる!
ボーナスに黄金くれそう。
よってオレは秀吉!!
466 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:43:09.18 ID:X0zDfnyZ0
>>14 上和泉半国細川家が天下を取った時は、
特に何か建設したという話はなかったが
467 :
大島栄城 ◆n3rBZgRz6w @転載禁止:2014/05/06(火) 18:43:55.58 ID:6DLqryDf0
どうでもよいが、俺の居住地そのものが
昔の城跡地・・・
>>463 一般人はブルジョアジーと呼ばれたのにか?
>>465 信長は上級仕官には厳しいけど
下級仕官には優しいエピが結構残ってるよ
単に給料多く払うのだから、それに見合う仕事しろと
ただ、定年近いような年齢になると厳しいかもな?
もう、給料そんなに要りませんと思っても、見合う手柄立てないといけないから
秀吉は晩年耄碌したから、ある日突然死ね、御家取り潰しって言われるかもしれんよ
470 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:49:20.37 ID:69Gozv8D0
熊本城こそが最強だろ
>>468 金持ちの事だと思うけど
一般人は関係ないのでは?
2のせいで信玄の実力が語られるスレになってるw
473 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 18:53:25.56 ID:dU9XX9uz0
山の上に建てた城って見守られてる感あっていいよね
遠くからも見えるし
造るのは相当大変だと思うが
司馬遼太郎は乃木希典をバカにするけど、
乃木希典と第三軍を以て落とせない戦国の城は存在しない
熊本城は江戸時代初期完成?なのに
武器が刷新されてるであろう、西南戦争で落城しなかったしな
>>444 穴山や小山田を裏切らせなかったのもスゴイ
>>460 ただし後半〜晩年になると欲や猜疑心が増してそれまで取り立てた武将に
難癖つけてどんどん領地を没収していった。>信長
秀吉が子供がいないのを理由に信長の子供を養子にしたり、毛利攻めの仕上げを
ワザと信長にお願いしたのも信長に警戒されないため
>>465 秀吉も厳しいぞ?優しい面が世間で言われるだけで実際は
・兵糧攻めは非人道的な側面大きい。
・三木城陥落時に城兵の助命が約束だったのに、実際は結構秀吉軍に虐殺されてる
・上月城の陥落時に降伏者を容赦なく串刺しに
と普通にやってる。
攻め手側が「絶対に殺す」という強い意志を常に持っているわけじゃない。
農作業があるから
もうすぐ雪が降るから
兵糧が無くなったから
攻め手の側にもいろいろ事情があるわけで
籠城が常に愚策というわけではなかろう。
城には十分に存在価値がある。
479 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 19:07:56.65 ID:HWOS3kY10
>>472 秀吉は人情家のはず・・・
なら家康だな。家康は元人質の為か仲間を大切にし、敵にも塩を送ると行った事をしているはず
関が原の頃の家康ならともかく
今川家臣扱いの頃の家康だと明日をも知れない大名じゃね?
481 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 19:11:37.84 ID:B6/2zTsiO
キンキンギラギラのバロック外交か
三河武士を見るとつくづく天下を取るって大切だと思うよな
下手したら、家康の父と祖父を殺害してるのに
三河武士は義理堅いと言われる
義理堅い連中が主君を殺害するのかと
>>476 逆に西郷党の戦い方・軍備・思想を考えた方がいいのかもね。
銃剣突撃がメインならさもありなんだ。
>>479 東北の唯我独眼竜、俺がルールだことダースベーダーまーくんはどう?
鮭様の方が実はよっぽど人情家で部下と領民に優しかったという…印象って大事なんやね
>>482 > 三河武士は義理堅いと言われる
> 義理堅い連中が主君を殺害するのかと
三河武士「ぎりぎりの決断でした」
486 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 19:21:46.95 ID:Bft1YcZW0
>>446 道三が戦国時代の梟雄なら
角田美代子は現代の梟雄
487 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 19:28:41.13 ID:VN9p7aRp0
>>477 >>秀吉も厳しいぞ?優しい面が世間で言われるだけで実際は
>>・兵糧攻めは非人道的な側面大きい。
>>・三木城陥落時に城兵の助命が約束だったのに、実際は結構秀吉軍に虐殺されてる
>>・上月城の陥落時に降伏者を容赦なく串刺しに
>>と普通にやってる。
それ味方じゃなくて敵に対してじゃん。
秀吉は身分の低い足軽出身ゆえに信長のように部下に厳しく出来なかったん
だよねえ。
気前のいい話しのわかる人情家にならざるを得なかった。
488 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 19:31:02.44 ID:rEpGZLw90
平蜘蛛の中はエロ動画だらけだから残して死ねなかったんだろ
松永が天守閣等の目立つ発想で城作ってたというのは結構昔から有名な話だろ
少なくとも20年位前には既に紹介されてるエピソードだった
>>487 当時、戦は武士のものという気分が世を覆っていた時代で、そんな時代に兵糧攻めor水攻めなんての多用したのは、
籠城する一般住民含めて皆殺し作戦というわけで、決して下々のものに優しいとは言えないと思うな。
加えて、秀次事件を見ても身内に対する仕打ち、連座させた範囲の広いこと、家臣の妻女に手を出したり、意外にも結構やってる虐殺事件。
お前さんの仮想している立ち位置が偉い人ほど、直接的に目をつけられたりしてやばげw
ただ、足軽等低すぎれば、ふつーに討死する時代。世渡りはげにも難しゅうございますなぁw
>>488 実話としてエロ師としても有名だったらしいよ
48手集とか隠してたのかも?
492 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 19:37:56.60 ID:gr1hmtmp0
>>482 天下目前に散った人気者の織田信長も弟殺ししてるけどあんまそこ言われないぞ
関係ないだろ
昔、松永久秀が主人公の妖怪とかいうタイトルの小説読んだらほぼ官能小説だったおもひで
>>484 政宗もしかりみんな東北弁だったんだろうな。
>>487 三木城合戦で部下を使い捨てにしてる>秀吉
谷衛好を助けられたのにさっさと見殺しにした。
人情家なのはこういう時に使い捨てにするためだよ。
死んだ当人たちは「秀吉様のために」と思って死んだの
だろうけど
信長のほうが庶民には人情味ある気がする。
秀吉のほうは増税と連座制などで庶民生活締めあげたし。
>>492 信長が義理固いっていうの?
裏切り易いとは言わないけど、信長自身はその辺は普通じゃね?
大名自身が身内を殺すのと、家臣が主君を殺すのでは全然違うじゃん
497 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止:2014/05/06(火) 19:48:04.81 ID:AP6xf0vlO
そうだ物の大小は関係ない、雰囲気が大事って
本書いて家臣に配ったのもこいつだ
神社仏閣に負けないくらいけれんに走れるのはやはり室町時代を超えないとダメか
>>490 協力しなけりゃ住民は虐殺&略奪だからねぇ。
秀吉が三木合戦のあと三木だけは税金永久免除(明治維新まで続いた)なんて
政治をしたのも領民巻き込んだ戦になって相当恨まれてるからによる(一向宗の多い
エリアなんで)。
>>496 意外に義理堅い>信長
信長が一向宗を虐殺しまくったのは和議をしたのに
本願寺側が一方的に破ることを繰り返したから。
ドラマとかだと信長が一向宗との約束を破ったから
みたいな感じになってるけど実際は何度も和議をしたのを
本願寺側が破ってるから一向宗信用できないという
話になっただけ
信長が自分にウソをついたという人間だけは
容赦しなかったと明快なんです。
501 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 19:54:02.71 ID:X0zDfnyZ0
>>494 確かに息子がその後奮戦しているもんな
最終的には、帝の外祖父になるとか当時としては、破格の出世
>>3 いつも扶桑の方を先に補給してるから安心しろ
秀吉って、光秀を討つまでと、討った後では評価変わらない?
討つまでの秀吉なら嫌いではないけど
光秀討って以降の秀吉は嫌い。特に死ぬ直前
只、天下統一とキリスト教を危険視した事についてはよくやったと思う
>>501 セガレはかなりの武功者かつ文化人だったようで。
しかもエラクなった秀吉や清正にも意見したり喧嘩したりして
相手をびびらせてる
505 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 20:04:13.70 ID:VN9p7aRp0
>>490 >>当時、戦は武士のものという気分が世を覆っていた時代で
んなわけねえだろ。
武士でもなんでもない連中が刀や鉄砲を持ってた時代だぞ。
広い土地を治めている、いわゆる地侍以外はどっから武士でどっから百姓がよく
わからん状態だった。
当然、ふだん畑を耕している百姓もいざ戦になれば槍を持って戦ったし、ちょっと
腕に覚えがあれば積極的に仕官を願い出たのですよ。
>>503 たしかに、キリスト教を危険視したのは評価できる。
日本がイスパニアとかポルトガルの植民地にならないですんだからな。
>>503 明智倒した後は
・主家であった織田家の子息を殺したり、信長夫人を処刑
・主家の人間を冷遇
・子供かわいさに秀次殺した結果、譜代の家臣を大量に失う
・千利休殺して石田三成を台頭させる
・朝鮮出兵で国内経済を疲弊させる
とプラスの面よりも致命的なマイナスの面が目立つな
508 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 20:07:37.41 ID:HWOS3kY10
くそ
誰が理想の上司なんだ
人を殺さず、人情家で、大盤振る舞いで戦は強い大名は居ないのか!!
509 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 20:09:01.01 ID:gr1hmtmp0
>>505 そういう連中が武器持ってたのは基本自衛目的(当時は村ごとに砦あったあるいは
ちょっとした砦にしてた)で積極的に戦うという意志は住民にはほとんどなかった。
ただし播磨のあの周辺は武士も庶民も一向宗ばかりで伊勢長島の件が
伝わり恐怖になってたようだ
511 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 20:17:42.64 ID:VN9p7aRp0
>>510 >>そういう連中が武器持ってたのは基本自衛目的(当時は村ごとに砦あったあるいは
>>ちょっとした砦にしてた)で積極的に戦うという意志は住民にはほとんどなかった。
そこまでレベル下げちゃうと戦が民衆のものだった時代などなかったことになら
ないか?
日本の歴史全体を通して見れば、民衆が武装しているのが当たり前で、戦で活躍すれば
身分の差を越えて出世が出来る稀な時代なんだが。
むしろ「戦が武士だけのものじゃなかった時代」のように思える。
>>499 >三木だけは税金永久免除(明治維新まで続いた)
凄い話だなw
513 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 20:22:11.22 ID:h0/+RWR90
最新の調査って
大昔から言われてる説だろ
>>508 人を殺さずと戦が強い、人情味と大判振る舞いってかなり両立しがたいような気がするw
それはさておき。日本は記録を残す際、虚飾を嫌って事実を事実として記録しているからね。
基本はみんな等身大の人間。逸話もいい話も悪い話も人間味のある形で共に残る。
ただ、”道”などの規範はあったし美学もあるから、
諸外国の感想や、当時の記録や文化、諺などからも察せられるけど庶民から大名に至るまで平均値は高かったみたいよ。
。
516 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 20:30:13.77 ID:9uaZ8vsT0
>>470 そうだね。でも、城主は使い勝手が悪いからとか、しんどいからとか言って
水前寺あたりの平地に屋敷を建てて、ほとんどそこで生活してたっていうし。
>>503 伝えられてないだけじゃないかな。
上で出てた三木譲の虐殺もそうだし、延暦寺焼き討ちにも参戦してるしということで、天下様以前でもそれなりに実績がある。
>>2 人は尻、独りマス掻き、アナル掘り
(´・ω・`)ションボリ
>>508 伊達政宗なんていいよね。現実的には徳川家康かなぁ
信長なんて洒落にならんわw
>>515 福島県観光旅に行ったとき、
地元の人では有名ではないのか会津藩の宣伝ばかりで切なかったな・・・・
会津では、
蒲生氏郷は、あまり有名じゃないのか?
知勇兼備の名将だと思うんだが・・・・・
>>511 ご指摘ごもっとも。
でも、戦争の美学というのも多分に残ってた時代で、そういう意識も根こそぎ否定するのはどうかと思う。
街でも村でも商人も農民もみな武器を持ってたが、武家対武家にしゃしゃり出て抵抗しなければ掃討対象にはなってないよ。
むしろ敵国であっても織田家においては軍事行動中の村などは荒らさないのが基本方針。敵の城下とか信長の特命があった場合は違うけどね。
それにゲリラ的反抗を行った例も少ないんじゃないかな。一向一揆関係くらいなような。
ちなみに、地侍程度じゃなかなか鉄砲はもってないんじゃないかなw
さらに士官を願い出てというか、陣借りするやつは勿論攻撃対象だけどね。
>>508 三大英雄では間違いなく家康なんだけど、大名級に取り立てられると後の世でお取り潰しに会う罠w
貴方の子孫には鼻毛を伸ばすとか、領国ではきっちり内政家だが江戸城ではバカを演じる能力必須。
>>512 籠城戦で三木は疲弊しまくってたからな。
それでいて助命されるはずの兵士(地元民)は秀吉軍の下っ端の兵
士に虐殺されたりと当初の約束と違うと混乱したから秀吉はかなり地元民
に恨みを買ってたと思われ。
・別所一族の遺骸を丁重に葬り
・税金を永久免除して人を集める
・一向宗は一揆に加担しない限り信仰を認める
と宥和政策をバンバンやってる
>>460 桶狭間の時も今川本陣の情報を持ってきた人間に1番恩賞出したぐらいだしな
まあ、農家の跡継ぎ以外の息子にとっちゃ
農閑期に雑兵として参戦して非正規雇用されるのは当たり前だったんじゃね?
腕に覚えのある奴は、そのまんま足軽(契約社員)として定着
出世して正社員登用
実に分かりやすい
ブラックと違って、やるべきことも明確だしな
>>520 統治が実質1代限りでかつ短期間だったから>蒲生
だから長期間統治した松平家の印象のほうが強い。
あの藩は当時としては珍しく社倉制度なんてやって領民が
飢餓死するのを最小限抑えたり、学問を盛んにしてる。
明治維新で負けた会津藩の連中が学者とか知識人になって
世のなかに出ていったのも会津藩時代の教育のおかげのよう
なもん
>>519 政宗は
出奔した家臣(しかも親戚)の家族を皆殺し、一揆扇動して
やばくなると首謀者を殺して使い捨てあとは知らん振りとかエゲツない
ことしてる。
>>524 あの時は首は討ち捨てにしてたから。
首の数が手柄の尺度になる時にクビはいらないと
全軍に出すってのはかなりの非常時の時
>>525 足軽になるのは農民の次男三男坊といわゆる「厄介者」と言われた連中。
財産相続できんから足軽にでもなるしかなかったんだよ。秀吉は正にその典型
仕えるなら前田利家が良いかな
家族ぐるみで秀吉の親友っていうのがイメージ良い
地味加藤さんとかは、意地っ張りだけど部下には優しいので仕官先にはいいかも
あとは薩摩の胆練り集団も腕が立つなら良い仕官先やも知れませんぞ
主君と苦労を分かち合いたいなら筒井さんところは超お勧め。
文化人で散々しでかされた松永弾正に観劇を進めたりと人格者でもあるし、実は戦績も凄かったりする
信長の才幹を見抜けなかったのは痛いけれど、家臣にも右近(島)左近などが支え続けるだけの人ではあったはずでよ
>>528 あの二人適当にウェットで適当にドライな関係だったから。
秀吉は上杉に「前田の領国好きにしていいよ」と平気でやってるし
娘を側室に寄越せとか結構親友とは思えないようなことをやってる。
前田も賤ヶ岳で秀吉軍を本気で破る寸前まで攻撃したりと秀吉に
肩入れする素振りがまったくなかった
利家とまつでも秀吉と利家の関係は微妙なものと描かれてただろうに
531 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 21:20:19.51 ID:gr1hmtmp0
>>528 まあ二人とも国持ちだし自分が養う家臣衆もいる立場だからな
個人間の友情だけでは動けないけど、全体的には仲良いんじゃね
豊臣政権下でも前田利家のことは信頼してるし
>>531 実際に秀吉が利家を信頼しだしたのは最晩年の話。
それまでは前田を家康と並んで警戒して結構利家と
は揉めてる。八王子城攻めでの異常な叱責(上杉のほうは特に咎めなし)、
蒲生家の存続の件しかり
533 :
出雲犬族@目指せ小説家 ◆iDqnNoVELU @転載禁止:2014/05/06(火) 21:30:30.57 ID:M3iNcq/J0
.
U ・ω・) 歴史上の人物の評価なんて、時代毎にどんどん変わっていく。
信長秀吉家康への評価も、これから100年くらいの間で、
二転三転四転五転くらいするよ。
長年の懸案だったGKをどうにかしたはずなのに
何でガンバは降格圏付近をウロついてんだろ
535 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 21:43:06.37 ID:e3bq4ptB0
上司にするなら家康でしょ。譜代限定だけど。
537 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 21:45:07.56 ID:VN9p7aRp0
>>535 家康は家臣の譜代大名の土地は小さく。
外様の土地は広くしたんだけどな。
538 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 21:51:58.15 ID:CPcdmcp30
家柄も良くないポッと出が勝負するなら織田家だろ。
戦上手すぎて12万石しか貰えなかったよりは良心的なのかも知れぬ
540 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 21:52:50.04 ID:xFEe3ocm0
541 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 21:56:16.63 ID:X0zDfnyZ0
>>458 大内の月山富田城攻めとかもそうだけど、
本城守りきって勢力盛り返すことって、割と珍しくないような
本城陥落してから奪還してお家再興を繰り返していた少弐や小田みたいな名家も多いけど
542 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 21:57:40.76 ID:nuwxAhCy0
まぁ茶器抱えて爆死するようなヤツが自分の城誇示しないわけないわな
543 :
出雲犬族@目指せ小説家 ◆iDqnNoVELU @転載禁止:2014/05/06(火) 21:59:05.40 ID:M3iNcq/J0
.
U ・ω・) 信長は、譜代じゃ無い自分が拾った野戦司令官たちは、全国統一後に難癖付けて全部殺す予定だったみたいだね。
能力が神がかってた秀吉だけがそれを見抜き、信長の子供を養子に貰って生き延びようとしたみたい。
熊本城は戦う城だったと、築城して200年以上経って証明される
落ちたけどね
545 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 22:00:31.68 ID:Xig3nUhX0
>>519 政宗の家臣の尻をおっかけていた小早川秀秋の家臣を欲しくなったんで、
その家臣と秀秋が欲しがっている家臣をトレードしようとした
しかもその家臣は親の代から政宗に仕えている忠臣
という酷い話があったりするww
まあ信憑性は知らんけど
>>533 いつ伍長閣下がナポレオンと並び称される英雄になるか興味がある
547 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 22:02:37.42 ID:xZu74srq0
秀吉て戦国武将の中でも下々に優しいイメージあるけど、
紀州攻めなんかでは非戦闘員も含めて大規模な、な斬りしたり
信長に劣らず結構やってる事えげつないよな。
そういえばこの頃は衆道がお盛んだったな
信玄が浮気を謝る手紙とか
誰の下に就くかを考えるときに敵に容赦ないのはそこまで考えなくてよくないか?
>>541 後だしすんませんだが、この時の小田原城籠城の特異な点として、援軍が無かったってことね。
牽制はしてたけど、本質的に純粋に守り切って後挽回したという例は寡聞にして知らないので。
551 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 22:11:05.08 ID:Xig3nUhX0
>>492>>496 信長が同母弟を殺害したのは弟が謀反起こしたから
しかも一度目の謀反を許した後にまたやった
この弟だけじゃなく、別口で謀反起こした異母兄も一度は許されてる
しかも弟の子供を男子なのに助けて後には仕えさせてもいる
熊本城の石垣や名古屋城のお堀とか見ると攻め落とそうっていう気力なんか一瞬で吹き飛ぶような威圧感あるよな
あまり大きな声では言えないけど、家臣になるのだったら
宇喜多直家が案外いいかも。あの人は潜在敵を姻戚関係にして
油断させた後で暗殺するのが得意なだけで、自分の家臣には
理不尽な粛清はしなかったみたいだし。
554 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 22:16:54.01 ID:/XzRqJlk0
武田軍は戦に勝てば、兵士に占領地の女を強姦することを許可していた。
それが戦闘のモチベーションになり最強の武田軍を作った。
信長はそれを禁止し厳しく取り締まった。禁を破ったものを自ら手打ちにしたこともある。ゆえに、民衆の支持は高かった。
洛中の人は信長が武田軍を討ったことを喜んだ。従軍慰安所は許可していたので売春宿は繁盛した。
555 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 22:17:34.84 ID:W2fRIpB7O
>>520 蒲生氏は江戸時代に会津から四国に大幅減封で領土替えになったが
その時家臣の多くが会津に帰農したと言われている
戊辰戦争で会津の百姓があまり協力的でなかったのも、松平は所詮余所者であると考えていたからとも言われる
武市半平太ら土佐勤王党の郷士達が山内が主君ではなく旧長曽我部の家臣だと自負を持ってたのと同じような話だ(`・ω・´)
信長が磔で殺した10歳の浅井万福丸は妹の子供では無かったんだよな
557 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 22:27:36.76 ID:Bft1YcZW0
もともと信長の代での織田家は
すでに津島の交易で莫大な利益をあげて
大きな経済力のある大大名だった
信秀の代ですでに
朝廷に軽くポンと4000貫文献上
するぐらいの大大名
信長が小大名というのは
はっきりいってウソ
>>543 佐久間や林の些細な理由での追放からしてすでに粛清は明らかだった。
その次に標的にされたのが明智でしたという話。明智は秀吉の陰に隠れて目立たないけど
事実上の近畿管領で近畿全体に影響力を持ち経済的にも軍事的にも信長を超える存在
だったから粛清対象に
>>546 あの人はムリポなんじゃない?
ボヘミアの伍長と最後までドイツ軍にさえ馬鹿にされてた
人だろ(映画でもその描写あり)?
>>548 女を戦場に連れていけなかったからな。
かといって地元民をそれに使うとトラブルになり
いろいろ面倒だし安全性もある。だから小姓の尻だった
わけで。
小姓の側も戦地での尻の洗い方とかいろいろ
テクニックがあったそうだw
ちなみにあの当時好まれたのは今のような美少年では
なくてごついイカツイ感じの男。あの当時の美感覚だと
イケメン=ごついイカツイ男
だったみたい
559 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 22:33:36.68 ID:Q4xynHha0
>>557 兵力は?領土狭い=農民少ない=足軽少ないではないの?
>>550 援軍というか武田家に北信濃を攻撃するように
盛んにけしかけてたようで>北条
信玄は野尻湖周辺を攻撃してけん制したはず
>>551 津田信澄だな。織田家一族の中では信忠を別にしたら
イチバン優秀だったとか。本能寺の変で疑われて殺されたけどさ
>>553 死ぬ前に先行き不安になって大領の家臣を粛清してる>宇喜多
それ以外の家臣粛清は皆無に近いけど、弟が生涯兄の前に
出る時は鎖帷子来てたらしいから家臣の粛清はある程度は
してたんじゃない?
>>555 戊辰戦争の時に逆賊として放置されてた会津藩士の遺体を咎め覚悟で
弔おうとしたのはその地元農民でなかったか?静岡では次郎長が同じことしたけど
会津では地元農民がそれをしたとか
なんだかんだで一番穏健だったのは徳川家なんかな
島津から豊臣まで畜生だらけだし
結局、一番支配者として順当だったのが徳川だったかもしれん
>>557 近隣の大名と対比するとまだまだでしょ戦に明け暮れるだけの小大名でっせ
土岐斯波今川の地盤と投入可能兵力とは随分差があるように思えるが…
周辺は敵だらけで家督相続時点でさらに内紛で倍率ドン
そこから兵農分離・軍団制による統治体制の確立と、武運と先見性は相当よ?
最近変に信長はんを落とす向きがあるなぁとは思ってるけど、やっぱり海の向こうの人も混じってるんやろか
565 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 22:47:39.61 ID:ildR0FJ70
実際、天守閣や櫓の起源は中国の楼閣だろうな。
西域の楼閣には名古屋城や大阪城の櫓群みたいなとこもある。(再建だろうが)
566 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 22:50:41.63 ID:Bft1YcZW0
>>564 オマエ、従五位下の官位が
律令制のもとでどれぐらいのもんかわかってない
>>560 兵力的には信長が尾張統一してやっと1万集められるようになったから
せいぜい数千だったんじゃない?ただし商業地を抑えていたこともあって浪人とか
を召し抱えて戦力補充がやりやすかったと思われ
>>557 信長が重用してたのも生駒氏というのも商人だったし。
カーチャンの土田午前もたしか商人の家のはず
織田家は早い段階で商業に着目してたのは確か
>>563 島津も案外いいかもな。
あそこは根は上も下もいい意味でもかなり質朴だから
戦になると薩人マシーンになるけどそれ以外は
敵でも勇者は尊敬し涙するくらいの情を見せる。
長宗我部のセガレや宗茂の親父がその例
>>564 お困りの国の人は秀吉には粘着してても信長のことなんてロクに知らないよ
変な信長sageは単に世間の主流に反発する俺様カッケーの類だろ
秀吉という人たらしの伝説は秀長とセットだよ
だから秀長が死んだ事によって秀吉の印象が変わる
>>568 いやいや、島津「だけ」はあかん
8公2民でググッてみ
>>567 ふむふむ
織田家って戦術的にはどうなんでしょう?手取り川の大敗をみる限り
鉄砲に頼り過ぎというか、勢いや数の暴力に頼り過ぎというか
573 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止:2014/05/06(火) 23:00:08.77 ID:AP6xf0vlO
お江が嫁いだ知多半島の佐治氏も10万石に
相当するといわれていたし尾張は金持ち多いね
>>547 秀吉は残酷だろう
主君の息子をどうしたよ
575 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 23:01:51.10 ID:Bft1YcZW0
鉄砲なんか
カネが腐るほどあるから
信長は大量に導入できたわけだ
鉄砲なんか舶来もんで
ものすごい高級品だった
信長のすごいところは
のちに鉄砲鍛冶を地場産業へ昇華させるという発想だ
576 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 23:02:19.20 ID:9tp3vUzy0
信長の若い頃といえば、やはり今川義元だろうけど、
戦略ミスで首をとられたおかげで、ずいぶんと評価が低いよね
鉄漿で馬にも乗れない短足麻呂とか、酷すぎだろう
息子にいたっては、脳味噌0のフットボール選手だ
ただし、何気に生き残った
武田信玄、北条氏康と三国同盟結んだほどの
つわものなのに・・・
>>14 役所なんて規定年数たたなきゃ建て替えなんてできねーよ
知事や首長なったらポンポンたてられるなんてもんじゃねーわ
織田家というより桶狭間頃の尾張の石高が
50万石とかだろ。弱小とは言えんて
長篠だと織田徳川で600万石超あってもおかしくないレベルだろ
579 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 23:06:25.26 ID:Bft1YcZW0
>>578 尾張の広大な濃尾平野は
莫大な石高をもたらす農耕にすばらしく適する場所だからな
単純に面積で小大名大大名とかいってるヤツは
バカと低学歴にありがち
>>566 守護・守護代争い、分家本家
国内外の統治状況に問題があると自覚しているから信秀は献金や上洛をしてまで
必死に正統性をアピールしてたわけでさ、位はその結果でしょ?
どうみても攻め込まれたら終わるという、吹けば飛ぶ状態なんだけど…
>>566 横からだが、現代の叙位制度でも五位は知事相当だわな。
つまり当時有数の人傑。
>>569 チョンは秀吉しか目に入らないアホだけどシナは結構日本の戦国大名とか歴史に詳しい奴が多いらしいね
家康の小説がベストセラーになったりネットで「好きな日本の武将は?」みたいなお題で今川とかのマニアックな薀蓄垂れる奴が多いみたい
>>572 勝った長篠の合戦だって足軽の損失は、武田軍とそんな大差なかったらしい。
武田方が、経験豊かな実践指揮官クラスを大量に失って、その影響で軍団の再建もままならず滅亡。
戦術的に質より量&戦略的に常備兵による農繁期からの解放?
>>575 鉄砲より玉薬の国産化が難しくて高価だったという話じゃなかったか。
585 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 23:12:58.73 ID:9tp3vUzy0
官位はインフレし続けてたからな
江戸時代の大名だと、もれなく従五位下以上
戦国時代だと、信長以前でも高い官位をもらった
戦国大名もいるけど、本格的に凄くなったのは
秀吉が天下とってからか
信長の時代になると鉄砲は火薬の材料こそが入手難だったから、奴隷貿易をしてでも手に入れたんだろう
>>82 水攻めなら日中戦争でも蒋介石がやったじゃないか
死んだのはほとんど中国人だが
正二位内大臣 織田信雄
589 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 23:23:07.85 ID:9tp3vUzy0
江戸時代でも、初期の頃は豊臣時代に高い官位を
もらってた人が自動的に出世(官位ってのは、そういうモンらしい)
のを除けば、宗教、文化人枠以外で最高位は4くらいだった気が
将軍と御三家、御三卿とかは別として
>>571 8公2民・・・・ (((((((( ;゚Д゚))))))))ガクガクブルブルガタガタブルブル
江戸時代の大名だと
薩摩藩島津氏と島原藩松倉氏あたりで
暴君の優勝決定戦ができそうだな・・・・
591 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 23:36:28.40 ID:X0zDfnyZ0
>>590 8公2民は、伊達藩や土佐藩なんかも有名だね
基本、石高を高めに申請していた所は、家格に合わせた事をするために、
民からかなりの酷い比率で年貢を収奪していた
姫路城に比べて江戸城の天守閣って規模の割にこじんまりして見えるよね
苦労して再建しても意外としょぼくなって周りの高層建築に負けそう
593 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/06(火) 23:54:48.52 ID:V35ZXyL50
大阪城も見せる城だったから家康に完璧に攻略されてしまった
大阪城とOBPの景観は外人に人気だそうだね
595 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止:2014/05/07(水) 00:07:25.08 ID:adZHI16MO
天守なんて結局はちょっとオシャレな櫓ってだけだ
弘前城とか何あれ?
実際に見て、あまりの小ささに見本か何かかと思った。
一国一城令とか、御一新とか、大東亜戦とかなければ、
かっこいい城がいっぱい残っていたのにな−。
特に明治政府は、文化財保護の政策を積極的にとらなかっただろ。
反乱がどうのとか言って城壊すし、鎮台とか置いて城壊すし、
さらには放置プレイで城壊すし、とんでもないやつらだよ。
だから田舎者に天下取らしたらダメなんだよ。
大東亜戦で日本までぶちこわすし。
>>593 城に篭った守将が大間抜けだっただけで、大阪城の守備力自体は石山本願寺以上だった。
実践経験がないど素人が指揮をとってたからああなった。
>>587 あと2年後には現代風に進化した水攻めが見れるかもww
>>597 ああ、和睦の条件に堀を埋める事をあっさり呑んでしまったアホだから尚更
600 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 00:24:49.57 ID:ZDclfP1E0
>>495 農民や木っ端商人には信長は優しいし寛大だった
逆に坊主と女には情け容赦しなかった
秀吉は真逆に近いw
>>572 数の暴力で季節かまわず戦しまくったというのが大きいだろうな>織田の戦法
兵農分離ができてない敵のほうは収穫や田植の時期に戦させらて経済的に疲弊して
いって調略で裏切りが出て最後は滅亡や降伏になってるところばかり
>>590 薩摩でそれで大規模反乱おきなかったのがスゴイ
602 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 00:31:16.49 ID:ZDclfP1E0
>>601 だから幕末一気に下級武士たちが暴発しまくったんだろw
結論から言うと、三方ケ原の戦い以降の徳川家が
仕えるのには一番いいと思う。
>>2 ただし再度逆らった奴らは男は一生金山働き女は遊女だったからな。
>>600 外出中にサボった女中とそれを匿った坊主の話だが
実際坊主は本能寺の変のあとも生きてたんだと。あと女中の場合成敗というのは
髪を斬ったりして放逐したという意味とか。
まあ領主がいない好きにサボって 油断してたら何かしらの反乱でも起きて城が落とされました
なんてことになる時代だから信長が激怒するのも当たり前だが
>>602 チェスト関ヶ原なんじゃない?
たしか江戸時代通じて薩摩藩ではそれを教え込まれたみたいだし。
まあ、長州同様に上級武士連中使えず下級武士が政治に登用されて
政治を動かしたのは確かだけど
土佐藩はそれができず武市瑞山殺したので明治維新で貧乏くじ引いた。
>>596 もったいないよね……。
それに、そういう風に短い間に何度も街の徹底的な改造を強いられてる割に、
街並みの洗練度が何処もイマイチなのは、どういう訳なんだろ??
607 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 00:59:09.89 ID:1Pz53tTO0
ほんと半平太が生きていれば龍馬は死なずに済んだのではないか
維新後に薩長藩閥政治にならなかったのではないか
そういうことを考えるのが好きです
608 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 01:05:03.29 ID:I6BrZ47r0
毛利と長州は戦国末から明治維新までずっと頭おかしい
609 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 01:08:43.35 ID:ZDclfP1E0
>>605 家康も遺言が「くれぐれも南(薩摩)を見張れ」だしな
島津はよく改易されなかったよなー
>>596 幕府に遠慮して、隅櫓を天守とすることにしたんだわ。
だから小さい。
場所もおかしいだろ。
「幕府に遠慮して」「幕府を恐れて」「幕府の命令で」
城下町いくとこんな卑屈な話ばっか転がって来てたまにふと陰鬱な気持ちになる
司馬史観肯定するわけではないが、
幕府政治が日本の文化をじめっとさせたってのは一理あると感じなくもない
将軍家も大名に遠慮して、天守閣の再建をしなかったな。ww
615 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 04:04:13.46 ID:LWmfs3mE0
>>565 つーか直接の手本は寺院だろ
石垣を積む職人集団である穴太衆は元々寺院の石垣を築いてた
金閣もそうだが天守閣を舎利殿のようなシンボルと考えれば・・・
実際天守(天主)閣が居住スペースだったのは安土城だけ
信長でも岐阜城の山頂の天守は詰城として普段は使われず
政務をとるのは麓の居館でだった
仏教自体伝来は中国や朝鮮からでその建築様式の影響を受けてるのは当然だから
中国が起源といえばそうかもしれんが
安土城の天守閣作ったのは明智光秀
>>600 残虐度で言うと
秀吉>信長>家康か
家康にはさすがに残虐エピソード無いな
秀吉の上月城と同じことを家康は伏見城と鳥居元忠でやってるじゃん
どうせ伏見城って西軍どもに捨て置いてもいいぐらいどうでもいい城だったんだろ
621 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 08:21:54.22 ID:I0ABho4l0
>>619 家康は堀川城(浜松市)攻めで撫で斬りやってるし、
妻と息子の信康を自害させてるし(信長の命令という通説は今では疑問多い)、
豊臣秀頼遺児は男児は処刑されてる(千姫の子供ではなく側室の子供)
622 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 08:51:05.27 ID:m/NNywUS0
>>341 信長は革新性も発想力もないな!
信長は小説マンガの世界では かっこよく描かれているだけで!
623 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 08:59:57.93 ID:aHJq75T40
>>576 最近ではそういう大衆レベルでも再評価されつつあるっぽいけどね
嬉しい限り
624 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 09:06:31.78 ID:hhpdsuZ40
武田信玄が御館様と呼ばれたように信玄が住んでいた所は石垣がない館だったんだろ。
つーれた、信長つーれたw
626 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 09:24:22.18 ID:q2YBflgZ0
>>621 夏の陣で稀に見る
大虐殺・乱捕りしてるじゃん>家康
パクることは悪いことじゃないよ
ローマだって建築はサムニウムから、美術はギリシアから、戦術はカルタゴからパクって大帝国を作り上げた
明治政府の廃城政策は文化財の観点からすると愚策だったな。
神社・寺院 城郭 大正風な洋館 など
それぞれの時代で魅力ある建築物があるけど、
文化的な建築物は後世に残したほうがいいね。
現代の建築物も後世から見たら観光スポットになりそうな未来的なデザインもあるし。
城は当時としては時代遅れの無駄な箱物だし、明治維新時に維持する金も余力もない
潰す事で広大なスペースが確保できて学校役所鉄道等のインフラに活用ができた
大名屋敷があった場所は外国の大使館に転用されたのも有名
だからこそ住民や旧主が維持し現存している所は立派
城下町の狭くうねった道で不便に暮らしてる身としては身近で複雑な問題だわ
630 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 11:08:45.70 ID:vKlh8csJ0
>>585 官位は戦国時代から大名は従五位の下以上だろ
あれは華道なんかの家元制度と同じで、奏上して授与されるものだから
六位以下の官位は誰も欲しがらなかっただけ
四位までは所詮地下人だから、まあ同じこと
江戸期になると幕府に対する遠慮があるので、室町からの名門外様は
高位官職をランクダウンさせていた
>>610 表向きには徳川や諸侯とのガチバトルも辞せずという姿勢でいながら
実際には土下座外交に徹してたからな
島津は秀吉の九州征伐でも薩摩大隅安堵されてるしその辺の駆け引きはうまい
金の問題じゃね?
薩摩はやっぱり遠いし
真田は世渡り上手だよね。
あれだけ徳川に楯突いて、明治維新まで取り潰しに遭うことなく存続。
16年の大河の脚本は三谷幸喜が担当!!
>>593 なぜ山城から平城になったか。
そこが問題だよw
大阪城は見せる城じゃないよ。
>>636 ああ、自己レス訂正。
>593の言うような意味での見せる城じゃないよって意味ね。
分かりにくいなw
スレタイ的な意味での見せる城という面は勿論あったにせよ。
>634
昌幸と信繁が暴れたイメージが先行しすぎている
信之個人は将軍達+幕府関係者から信頼を得ていてその上で長生きしてる
こういう当主の家は江戸初期では安定するし、初期さえ乗り切れば後はそうそう潰される事はない
これでよし
足りないことはない
みんな自走ですねw
大阪城なんて水攻めしてやんよ
641 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 17:54:56.57 ID:16xnsMze0
642 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 18:21:29.99 ID:LnwotDD20
>この城跡からは、畿内以外の同時期の城にはない瓦も出土しており、中井教授は「畿内では他の地域のような巨大勢力が成長せず、あまり防御施設は進歩しなかったが、見た目で周囲を威圧するという独自の発展を遂げたのではないか」とみている。
山城ったって非戦闘時に管理してる人たちの詰め所や戦闘時に集まった人の詰め所や武器食料の倉庫だって必要やん?
そういう建物に瓦使うことくらい全然普通じゃねーの?
武器が足りなくなったら瓦砕いて投げれるし
戦も東と西では違うって聞いた気がする
城攻めのレベルは遥かに西のが大変だとか
西は勢力によっては外国と接してて城の防御構造が優れてるとか
何処まで本当かは知らん
小田原城強いよ
当然、城の規模、自然環境等の問題はあるよ
只、城の防御構造として西のが外国の影響を受けて優れているんだとか
646 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 18:49:40.65 ID:c8bU182A0
魅せられたら
南に向いてる窓を開け一人で海を見るわな
647 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 18:58:24.47 ID:yjJw3E3R0
648 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 19:03:49.11 ID:yjJw3E3R0
秀吉は流通量が増えてだぶついた貨幣をだぶつかなくするために朝鮮出兵(唐入り)して領土を広げようとした。
家康は鎖国して、全国に公共工事をやらせた。
たぶん、信長なら最終的には貨幣の発行権を掌握して自らの権力を確立してただろう。
そしてあるていどの金融引き締めに政策転換し経済をコントロールしてた可能性がある。
649 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 19:10:18.87 ID:H4Urqg9t0
>>291 >東北の城柵も丘陵や低山に占地しますぜ
単純に低地の湿地を避けただけなんだけどね。
城柵の多くは国衙や郡衙の機能も有していたが、それ以外の地域の国衙や郡衙も低湿地を避けて
微高地や小さな丘陵に作っている。秋田城は明らかに防御優先の立地だけどね。
高地性集落については最近は過去に発生した津波との絡みでの見方も出てきて面白い。
650 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 19:12:33.98 ID:+96CpiUGO
651 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 19:15:52.12 ID:H4Urqg9t0
>>636 大坂城は見せるのも兼ねていたと言うべきだろう。
信長の安土城天主のように天守に楼閣御殿としての機能を持たせなかったにも関わらず、
豪華且つ天下人としての象徴を散りばめた高層建築をこれ見よがしに建てたのだから。
当時の貨幣は銅そのものの価値が基本で
金本位制とか昔の経済と比べないと
>>650 そうでもない
というか、陥落しなかった城というのもそれなりにあるが、そういう城は
堅牢だったからと言うよりも逆に「落とす価値が無かったから」という
理由の方が多いからね
その城の戦歴では城の強弱は計れないよ
>>645 別にそういうのは無い
というか、海外の影響なんて別に受けてないし
西洋の当時の築城は大砲対策がメイン課題になってて、日本とは全然事情が違うから
ほぼ参考にならんからね。郭も西洋のは日本のより未発達だし
強いて言えば、近畿・中央に近い場所は経済的に余裕があったから巨城が多かった程度
656 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 19:48:12.42 ID:yjJw3E3R0
城の構造で東西は別に関係ないんじゃねーの?
堅城なんてのはどこにでもあるし
縄張りするときは結局周囲の地形に合わせてだし
まぁ、資金の都合で西の方が豪華ってのはあるのかな
板東武者はそんなものより守れればいいんだよで
家康は江戸城の秘密の通路とかを造らせた人夫を口封じに全員殺したんだよな
659 :
ハルヒ.N@転載禁止:2014/05/07(水) 20:37:17.56 ID:iZEvm8tS0
>>2、それは単戈田各家の単戈田各・単戈術レベルの言舌でしょう( ^ω^)w
1272年と1281年の元寇(げんこうw)に、炸裂弓単の一禾重で在る「てつはうw」が用いられた
様に、王見代の歩兵単戈闘に置いて閃光音響弓単がイ吏われる様に、王見場の兵士は五感
の作用と心王里状態の影響を受けるから、女ロイ可にも防御の固そうな立派な土成は、単に
土成のあるじを満足させるだけで無く、敵兵を畏小布させるのに役立つイ牛(^∀^)ケラケラww
単戈術・単戈田各には、兵を召集し教導し兵立占し糸充卒すると言った正攻法だけで無く、そ
の手のコケオドシも存在するわw
口径の大きい金充だの、サメだの猛獣みたいな兵器への塗装だのが、王見代ではそうww
ぷぎゃwww
660 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 20:59:41.24 ID:m4JvGJX+0
織田信長が宣教師ヴァリニャーノに贈った幻の「安土山図屏風」がヴァチカンに収蔵されると、それを画家ウィンゲがスケッチし、その一部をカルタリが著書の挿絵にするため木版画にしたもの、と伝わっています。
「ウィンゲの木版画
http://castles.chicappa.jp/blog/azuchi-winghe(400).jpg
『天守指図』の二重目(天主台上の初層)で、本来の墨書だけですと、不等辺八角形の天主台いっぱいに天主が建てられたかのように描いています。
しかし、これは池上右平による原資料の「線」の読み違えであると解釈し直しますと、図の色づけのとおり、信長の安土城天主は、実は後継者・豊臣秀吉の大坂城天守(右側)と“相似形”の平面プランであった可能性が浮上します。
http://castles.chicappa.jp/blog/tenshudai-azuchi-osaka(540).jpg
づけした両者は、ともに付櫓が東と北に張り出していて、しかも東の付櫓には出入口があり、北の付櫓はおそらく蔵であった点も共通しています。
さらに、それらの付櫓を除いた天主本体は、同じ11間×12間であって、基本的な平面プランがしっかりと踏襲されています。
>>650 小田原城は殲滅されてないよ。
周りが全部敵になって籠城後の見込みがなくなったから諦めて開城しただけ。
自分が城を作るとしたら、石垣積み迷路作りの城にして
本丸へはどの道も通じていない絶対に侵入不可能な作りにする
663 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 21:16:21.14 ID:yjJw3E3R0
>>654 西日本の城には大砲対策とか考えて石垣を高くして水堀を広く取ってある城が多いってことじゃないかな。
九州は大砲を使った戦をやったり、唐入りに従軍したりした家が多いから。
熊本城なんてその最たるものじゃね?
大砲対策とか戦国末期もいいとこだな
実践的な城というならやっぱ秀吉の天下統一までに建てられた城にして欲しい
>>662 搦め手を整備しないと、日干になるぞ。
築城のセオリーは、大手門と搦手門の整備
667 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 21:45:02.83 ID:q2YBflgZ0
>>665 名城として名高い姫路城でも
基本的な縄張りは戦国期のまま大砲戦予想してないんで
大砲の攻撃には弱いとのこと
>>666 秀吉までだと、毛利の郡山城と広島城が圧倒的になる。
特に山城の郡山城は三万の軍勢に対して3000以外の武士と8000の領民で持ちこたえている。
まあ、2000以外の遊撃隊で10000の尼子本隊が返り討ちに合うからから籠城戦は大変だよ。
望楼型天守となると、大阪と広島くらいしかまともなのがない。
箱館五稜郭は大砲での戦いを想定した城だったな。
ヨーロッパの要塞だったか、縄張り拡大した五稜郭みたいな星形城郭の画像見たことがあるが、上空から見ると美しいな。
>>644 日本じゃ歴史上江戸城に次ぐ規模の広さだよね。大坂城や江戸城に強い影響を与えたって話だが
>>658 半蔵門とかも秘密の通路になるのかな?
服部半蔵始め伊賀者が有事の際、甲州街道を使って将軍を天領である甲府に逃がす為作ったといわれている
やっぱ、山城の方が面白いなー
山1つが丸々城郭になってるのは萌える
リアルだと違うのかもしれないけど大昔の名作ゲーム「天下統一」だと東北の城がすごい堅かった。
だから東北統一する頃には天下の大勢が決まってしまってなくなくリセットすることになったりする面は逆にリアルだった。
674 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/07(水) 22:18:42.64 ID:MSnItoCb0
熊本県菊池市にある鞠智城はとても城とは思えん。
675 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs @転載禁止:2014/05/07(水) 22:21:10.53 ID:adZHI16MO
姫路城なんかは名城扱いだけど池田輝政は家臣
に不備を指摘されてる
>>673 システムとかは凄い良かったけど、奥羽が宮城と山形までしかなくて
南部津軽安東がガン無視されていたのが唯一の欠点
>>673 東北に大勢力が成長しにくくするバランス調整だね
「天下統一」は必ず二大勢力が育って、天下分け目の戦いが起きるのが良かった
>>678 天翔記面白かった記憶あるが、時間経つと西は大内家または下克上した陶家、東は南部家が異様に強大化してた記憶ある。
>>679 名家でもない弱小でプレイする理由ってなんなの?
戦上手な名将や名君の強さを楽しんでこそ真の信長の野望だろ
>>680 地元大名とかでプレイすることが好きだった。
シリーズでも天翔記は城数も多かったのと、パワーアップキットの武将・城紹介が結構勉強になった。
歴史ゲームではないが、桃太郎電鉄とかも各地の特産品とか覚えるのに便利だったな。
682 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 10:39:20.89 ID:ycF+voad0
>>664 どういうものを指して、大砲と言うのか不明なんだが
1kg以上の鉄球を遠くに飛ばせる大砲は1600年ごろには
普及してなさそうなんだけど
>>682 ま、何を指して大砲と言ってるのかは俺にも分からんが、炮烙火矢とか戦国火矢ってのはあるにはあった。
近代的な鉄球を飛ばすのではなくて、焼夷弾的なやつ。ロケット弾的な飛ばし方するのは慶長年間に出てきたみたいだけどね。
鉄砲の普及率は東西で違う気も
弓や投石でも代わりは出来るかもしれないけど
殺傷力が違うと攻城戦も変らない?
685 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 11:10:09.16 ID:+gKG5RzU0
>>1の話しは、昔から言われてたような
>>24 安土城は落ちてない。信雄が焼いた説が有力
686 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 11:11:20.76 ID:bmTFpC2Q0
安土城が戦う城じゃないって大嘘だぞ
実際はすげー戦う城だ
>>574 信孝から人質に取った、信孝の母親と子供も殺してる。
>>677 今でもたまにやるけど、事実上クリアできる大名が限定されてるのが難点だよな
相克も悪くないけど、鉄砲打つのとか面倒
松永久秀ってなんであんなに目がぱっちりしてるの?
689 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 14:50:47.24 ID:l+X0q5nG0
西欧や中国は城壁の意味合いがあるからね。
でもそれで鉄壁かとは言えない。
中国はあれだけ万里の長城みたいなの築いたけど
城も作れない少数の遊牧民に何度も支配されて征服されてるし、
大昔のモンゴル人なんて築城技術は無かったけど、ポニーみたいなちっこい馬と
ミニチュアみたいな弓で世界征服して、欧州の重装騎兵も連中に一方的にボコボコにされてた。
江戸城天守閣はデカイけど地味目と言う話も有るが、
大阪城も勝手に良さげなデザインで復元とかほざいているんだから,
江戸城も外人好みのハデハデで再建すれば良い。
安土城パクレバ良いんじゃね?
信長って何で雑賀衆相手に力攻めして負けてんの?
あいつら鉄砲撃ってくるんだから雨の日に決戦に持ち込めばいいのに
>>689 城塞都市だよね さすがに三國志の時代まで遡ると時間が経ちすぎてるから遺構も少ないだろうけど
復元してみたら圧巻だろうなあ、とは思う。
旧都の殆どが主要都市として残ってるのも面白い…んだけど、中国も文化の保存に積極的になればいいのになあ
そらいきなりお金には結びつかないけど、間違いなく観光面や教養面で貢献すると思うんだけど
…はよ中国共産党から抜け出すんだよ、中国。人的・知的・文化資源の浪費がまじ勿体ない
693 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 17:44:04.02 ID:NdT6OyDV0
ウィーンの古い絵をみて、城塞都市なんだなって思ったわ。
あそこをトルコ軍が包囲してたんだ
695 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 17:56:48.70 ID:NdT6OyDV0
696 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 18:09:55.46 ID:Q44b3tYp0
>>691 野戦に持ちこめればいいけど
砦や城なら雨とか関係ないのでは?
698 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 18:17:26.02 ID:Frxc0V6N0
そもそも天守閣を初めて作ったのが松永久秀だろ?有名な話じゃないか
城好きじゃなくても歴史が好きなやつなら誰でも知ってそうなんだが
>>697 そうだね。しかも攻め手側は鉄砲を使用できない上に弓矢の狙いも付けられず、
体温の低下や装具の重量増などから志気の低下も著しい。
当然視界は悪いは滑るわと門以外の攻撃効率が著しく下がるし、篭もる相手に兵力差を活かしにくくなる
鉄砲・弾薬を大量に抱えた相手だから、篭もられたら包囲継続が正しそう…
だけど当時の情勢がそれを許さなかったんだろう
700 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 18:32:41.22 ID:a8dOuVD20
>>693 日本からは姫路城が選ばれてるな
中国からは一つも選ばれてないなww
松永久秀が天守閣の走りを作ったって有名な話じゃん
なにを今更
>>701 なんでも信長が最初だと言わないと気が済まないチョン気質が多いから。
関東じゃ石垣が流行らなかったと聞いたな
>>122 そこを占拠すれば20年後時効取得出来るよ。
違法建築で相続も出来んから空家やで
怖い人出て来ても知らんけどね。
>>688 松永弾正は、超美男子小姓の名をほしいままにしていたしな
>>624 武田信玄の居城である躑躅ヶ崎館を作ったのは、弱冠14歳で戦国大名となった父親の信虎。
甲府盆地の中心近くにある平城で、後背には詰の城である山城を抱えていて、
親族による内乱とそれに同調した今川の大軍に攻め込まれるという窮地の最中、
その詰の城に籠城中に信玄が生まれている。
信虎はこの躑躅ヶ崎館周辺に家臣らを住まわせる事で家族を人質とし、
強大な権力で南信濃までも掌握した…のもつかの間、
家臣団にそそのかされて神輿に担がれた信玄の謀反により国外へ追放される。
その後、家臣団の合議制により信玄のイエスマン時代が(村上義清に二度も大敗するまで)続く。
>>706 日本のちょっと特殊な戦争形態だと、城って援軍が来るまでの時間稼ぎができればいいものだから、実は石垣はそれほど必要なかったんだな。
そして関東においては石垣を組める技術者が少なかったってのもある。
伊達政宗なんかは築城技術者を上方で雇ったりしてたくらい。
709 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 19:48:06.00 ID:0qD1PKFO0
>>387 こういう見方って余り見ないけど、南蛮の手先だったとも考えられるんだよな
信長の力の源泉は鉄砲をはじめとする南蛮の技術で、火薬は南蛮貿易でしか手に入らないんだから、首根っこを抑えられていたも同然
あれだけ平気で人を殺した信長が南蛮人を殺したっていう話は聞かないし、南蛮人との関係を悪化させるようなこともしていない
ところで天守の話だけど、太田道灌時代の江戸城に既に原型がある。
高い所から矢を放てば敵陣後方まで届くのは当時でも分かってる事で、
更に似たような高層建築は寺社では遥か昔からあり、
戦国初期に登場した山科本願寺は巨大な土塁と堀による惣構、そして天守のような大櫓を
周囲に配置した後の大坂本願寺にも匹敵する巨大要塞(寺)だったそうな。
>>708 放射線だらけの硬く良質な石が産出する(天然ウランも産出)西日本と違い、
関東ローム層の広がる関東では良質な石の産地が少なく、
それに比例して石垣の技術も低い。
またやはり関東ローム層ばかりなので良質な粘土も少なく、
瓦や陶器を作る技術も低かった。
712 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 20:08:42.34 ID:pkljDUOS0
この話は以前から知られてたはず
>>709 鉄砲は南蛮の技術だとしても、直接日本に売り込んだのは倭寇の親玉王直
火薬は中国の発明だし、硝石も中国経由で入手できたはずだから、南蛮の手先ってことありえない。
714 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/08(木) 21:17:20.77 ID:LLoYq4Ap0
もし徳島に行くことが有ったら、徳島城・一宮城・勝瑞城(勝瑞館)の3つは見たほうがいいなあ。
山城・平山城・平城がそれぞれ見比べられる、もっとも勝瑞城は、土塁と堀しか残ってないけどね。
(石材や木材は、徳島城建設の資材として転用されたらしい。)
>>709 >火薬は南蛮貿易でしか手に入らないんだから
これもう完全に誤解だってよ
落ち着いて考えたら分かることなんだけど、
当時南蛮船がどれほど来てたか、その船に積載できる火薬がどれほどのものか、
ってのを分析するとたかが知れてると
農家が尿から作ってるのが主なんだって
「鉄砲」の伝来にも誤解がありそう
種子島に伝来したのは西洋銃、それ以前から(半島経由の?)東洋銃は存在してた
717 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/09(金) 08:51:36.85 ID:BWK4GQfw0
>>715 鉄砲は倭寇経由で日本に来たからな。
南蛮船の来航数を基準にしたのなら、、、ちょっと参考にはならないかなw
719 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/05/09(金) 12:39:45.66 ID:d5vM7k+60
>>710 じゃあなんで法華宗に焼かれたんだよ
山科が焼き討ちにあったから、もう焼かれない様に頑丈は石山御坊を作ったんだろ!!
というか周りの環境次第だろ
平城や海城だとすぐに接敵されるから天守作ってる場合じゃない
その点多聞城や安土城は山城だからな戦う部分は一の丸、二の丸部分に集中すりゃいい