【外交】米・フィリピン、新たな軍事協定で中国牽制か [4/27]

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89名無しさん@13周年@転載禁止
感動的な文明史的文書・・・
フィリピンの非核兵器法案 フィリピン上院 法案413号
http://www.inaco.co.jp/isaac/shiryo/philippines_2.htm
 この憲法の中には、「合衆国基地の撤去への道を開きうる別の条項」(第28条第8項)が時限爆弾のように
埋め込まれてあった。それは以下のようなものであった。
  『1991年のフィリピン共和国とアメリカ合衆国の間の軍事基地に関する協定の満了以後、上院によって
正当に合意され、議会の要求がある場合には、それを目的とした国民投票に於いて民衆によって投ぜられた
多数票によって批准され、かつ相手方によって条約として承認された条約によらない限り、フィリピン国土内
においては外国軍事基地、軍隊あるいは施設は認められない。』
 この条項は、1991年以降の米軍の基地存続を極めて困難にするものであった。というのは、まず基地存続
のためには、上院で多数をとりかつ、議会の要求のあるときには、国民投票で多数をとらなければならない。
そればかりではない。フィリピンに基地を置くにはアメリカの議会でこれが審議され、条約として批准しなければ
ならない、としているのだ。
 これは高いハードルである。ペンタゴン(トルーマン政権以降、アメリカの政治を事実上支配しているのは
ペンタゴンである。国務省、CIAは事実上ペンタゴンの支配下にある。従って私は「アメリカ政府」という
権力の所在の曖昧な表現を用いる代わりに、権力の所在が明確な『ペンタゴン』と言う言葉を使うときがある。)は、
これまで伝統的な手法として、行政協定という形で世界に軍事基地を置いてきた。議会の審議を避け、
他者の容喙を許さないためである。日本に置かれている基地もそうであるし、フィリピンの基地もまたそうである。
 この憲法条項は、単に政府間の取り決めでなく、アメリカ議会の審議を経て批准してこい、と言っているのだ。
 1989年8月24日、フィリピン上院は「軍事基地設置条約」の批准を拒否した後、国民投票をへて軍事基地存続
は不可能となった。1991年11月26日、クラーク空軍基地はスービック海軍基地と共にフィリピンに返還され、
フィリピンは長い闘争の後、無血革命にも等しいアメリカからの、名実ともに独立を達成したのである。
90名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/29(火) 16:42:51.61 ID:hqDM8ah80
米軍のフィリピン移駐について考える (内田樹の研究室)
http://blog.tatsuru.com/2012/07/22_1537.php
これまでもアメリカの西太平洋戦略の転換を論じるときには必ず触れたことだけれど、1991年、フィリピン政府は
米軍基地の存続を図る米比友好安全保障条約の批准を拒否し、植民地時代から一世紀近く駐留した在比米軍は
翌年末までに全面撤退した。
米軍撤退に至るにはさまざまな国内事情があったが、「米軍基地の撤収はフィリピンの真の独立の第一歩」という、
アメリカの軍事的属国状態からの脱却志向があったことが第一の要因であることは間違いない。
1987年に独裁者マルコスが倒されたあと、当時のコラソン・アキノ大統領は、新憲法を制定し、そこには
「外国軍駐留の原則禁止」がうたわれていた。
米軍の海外最大の基地であったクラーク空軍基地、スーヴィック海軍基地はこのときフィリピンに返還された。
外交条約である以上、いくら「かつての植民地」とはいえ、かりにも主権国家内に政府の同意なしに基地を置き続ける
ことはできない。
もちろんこの安保条約批准拒否をアメリカは喜ばなかった。以後20年、憲法の規定は現在もそのままだが、
すでにアメリカはさまざまな例外規定の抜け穴を通って、フィリピンへの再駐留を進めている。
日本と同じように、フィリピン内部にも親米派と対米自立派のあいだには激しい確執がある。
コラソン・アキノは対米自立を志向したが、続く親米のラモス政権は、ラモス自身がウェストポイント陸軍士官学校
の卒業生ということもあり、何より中国が南シナ海の南沙諸島へ露骨な領土的野心を示したことに強く反発して、
米軍の再駐留へ向けて動き出した。
米軍の恒久的な駐留は憲法違反になるので、アメリカ軍は「訪問米軍」というかたちで断続的にフィリピンを訪れて
いるだけで常駐はしていないことになっている。(「半年の訓練後、一日のインターバルを置けば、次の半年の
合同演習は再開可能」というふうに地位協定を解釈したので、同一兵員は366日のうち365日フィリピンを「訪問」
できる)。
9190@転載禁止:2014/04/29(火) 16:46:22.59 ID:hqDM8ah80
2001年9・11によってフィリピンへの米軍回帰運動は一層加速した。
フィリピンもまた国内ミンダナオ島にイスラム系ゲリラを抱え、その掃討戦に消耗を強いられていたからである。
「テロとの戦い」という旗幟の下に米比両国は急速に接近していった。

いわゆる「米軍再編」(transformation)はソ連崩壊による「東西冷戦モデル」から、9・11以後の「対テロモデル」
への軍略の変換に伴う制度設計そのものの書き替えである。
単に「仮想敵が変わった」とか「兵器や輸送手段が高度化した」というだけなら、机の上でちゃっちゃっと設計図を
書けばおしまいだが、実は「在外米軍をどこに駐留させるか」という頭の痛い問題がある。
駐留先をどこにするかを決めるときに関与する非軍事的ファクターは「どれほど反米感情が強いか」と
「どれほど金がかかるか」である。
フィリピンがわりとあっさり放棄された理由の一つは「けっこう金がかかる基地」だったからである。
1946年独立以来、フィリピン政府は巨額の軍事・経済援助を受けてきた。最大の名分は「基地使用料」である。
これは巨額の財政赤字を抱えるにアメリカにとって無視できないほどの財政負荷になっていた。
沖縄にアメリカが固執するのは、現地の激しい反基地運動にもかかわらず、日本政府が法外な「在日米軍駐留経費」
を負担して、アメリカの財政負担を軽減していることにある(2010年度で総額7000億円)。
日本国内では、つよい反米感情に遭遇することもない。
沖縄でも、反基地感情はつよいが、基地の外に出た米軍兵士が間断なく罵倒や暴行に警戒しなければならない
ということはない。
そういう点で、日本はアメリカ軍にとって、二重の意味で「居心地のよい」駐留地なのである。
しかし、軍略上の重要性で考えると、沖縄はあくまで「東西冷戦構造における対ソシフト」の一環であり、中国との
軍事対立に備える基地としては「近すぎる」。中国の中距離ミサイルの射程内だからである。
9290@転載禁止
だから、できることなら、沖縄以外のところに移したい。
でも、金がない(海兵隊のグアム移転費用を含んだ軍事予算案はアメリカ議会で否決されてしまった)。
だから、「金がかからない」で、かつ「軍略上有効」な場所はどこかということが再編の軸となる。
沖縄にぐずぐずいるというのも、悪いソリューションではない。
沖縄に居座る限り、日本政府からはいくらでも金が引き出せるからである。
もめればもめるほど、金が出てくる。

属国が従属的であるのはけっこうだが、あまりに従属的になりすぎて「使いものにならなくなった」というのが
現在のアメリカ政府の日本理解だろうと思う。

上に書いたようなフィリピン移駐が米比両国で進んでいるという情報を、私はこの記事ではじめて知った。
でも、普天間基地がスタックしている背後には、「そういうこともあるかもしれない」と思う。
そして、たぶんこの後アメリカは西太平洋の軍略上のキーストーンをフィリピンに移すことになるだろうと思う。
日本からアメリカの基地が撤収することはうれしいことだが、その理由が「主権国家から『出て行ってくれ』と
言われたから」ではなく、「従属国があまりにだらだらで、まともな交渉相手になれる人間がいないから」
であるとすれば、まことに情けない。


2014/4/28
米軍、22年ぶりフィリピン駐留 新軍事協定に署名
http://www.nikkei.com/article/DGXNASGM2800W_Y4A420C1EAF000/
 新協定により、米軍はフィリピン軍の基地を利用できるようになる。南シナ海に面するルソン島スービックなども
含まれる。物資補給のための施設の建設、航空機や艦船の派遣も可能となる。核の持ち込みは禁じる。
 22年前に米軍が撤退した背景には、冷戦終結に加え反米世論の高まりがあり、フィリピンは憲法で外国軍の
常駐などを禁じた。こうした事情にも配慮して協定の有効期間は10年とし、「常駐」でないことが明記される。
協定の更新は可能。
 米比両国は、米軍撤退後も地位協定を結んで米軍の一時滞在を受け入れているほか、共同軍事訓練を
定期的に行っている。現在約600人の米兵が南部ミンダナオ島ザンボアンガの基地などに滞在しており、
新軍事協定により人数は増えるとみられる。