【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 天理市 ★3
2 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:00:49.92 ID:69SP54p/0
それうちのおばあちゃんの…
天理の城壁の完成はいつですか?(´・ω・`)
ここだけの話 新聞にちょくちょく載るが卑弥呼を研究してる人が10人くらいしかおらん。
ソースと関係した話する気がないんだから、日本史板行けよ。 なんで専門板があるのにここでやる?
6 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:15:59.94 ID:NTjL5HOI0
卑弥呼って、そもそもシナがつけた蔑称だろ
っていうか、誰だよ盗掘した野郎は。 そこを最初に明らかにして、再発防止しねーとまたやられるぞ
8 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:20:55.27 ID:YZzk+/s60
>2012年に盗掘され ほら ハングル案内表示なんてしてるから こうなっちゃうんだよ
9 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:23:22.50 ID:TWu5xpsq0
日御子 太陽の子じゃないの?
天皇家のDNA鑑定をすれば、あらゆることがわかる。髪の毛くらい手に入るだろう。
11 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:26:32.79 ID:1DplCOVU0
>>8 >ハングル案内表示なんてしてるから
同意 地名以上に中韓語表示はするべきでない
やるなら英語表示にするべき
12 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:27:40.66 ID:TWu5xpsq0
13 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:28:49.94 ID:qw0s4wrb0
>>9 日子だね。
ミが付くと女性になるかもしれんね、イザナミとかね。
15 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:43:02.01 ID:Qarb9YNC0
>2012年に盗掘され !? 連帯責任・・ 昇給停止
天文学者の意見では、日食が観測できたのは九州北部なんだよな それだけで畿内説は弱い
いい加減、日本語での正式名称で表記しろよ
包茎談
20 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:49:23.31 ID:xMy8JSQ30
>>19 家ってのは、奴隷の住む建物って意味だけどバカは知らないよなw
宮内庁が何でもかんでも陵墓指定するから研究も文化財保護も進まない
中学の頃、カバンにマーカーで卑弥呼とか大書きしてた連中いたけど、あいつらも子孫なのか?
23 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 12:59:59.17 ID:d/ubEnbv0
ハングル表示ってどういう理由でやってるの? 日本人が読めないようなものを張るなよ。
>>11 奈良は既に奴らの領地と化してるから今は何言っても無駄よ
25 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 13:04:08.71 ID:Qarb9YNC0
・・・ 皇室や政府宮内庁与野党議員国家地方公務員とかに記録は残ってないのかなぁ?・・・ 連帯責任 昇給停止
ハングル表記は当たり前だろ? もともと文化の進んだ朝鮮半島由来のものだし、ここまで身分が高く敬われる埋葬者は韓人に間違いないからな 日本にあること自体がおかしい
壱与未齢十六也 イヨはまだ十六だから と魏志倭人伝にある
28 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 13:09:12.24 ID:d/ubEnbv0
>>26 お前の思い込みはどうでも良いから。
どういう理由でチョン語が表記されてるのか知らないの?
30 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 13:13:43.68 ID:OCMH9BBF0
31 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 13:26:43.46 ID:Qarb9YNC0
>>26 >ハングル表記
? ハングル表記なしで結構。
朝鮮語は15世紀半ばまでそれを表記する固有の文字を持たず・・・
え〜っ!びっくり・・
32 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 13:29:04.88 ID:Lrgongw00
たしか、ドグウという組織作って進化侵略体と戦ってるから墓はないよ。
盗掘されていたのか。警備を厳重にしないと それで、棺まで掘られて、中も荒らされたのかな 本当のところどうなの? 犯人は捕まえられないのか?日本人がやったとも思えないな
34 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 13:53:23.20 ID:opnVrnL30
墓誌が出てきて邪馬台国論争に決着?
35 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 13:59:56.39 ID:/z4RaG3W0
>>421 >ただ残念ながら美努邑付近には猿田彦信仰も佐田彦信仰も見られない・・・・・
意富多多泥古の住まう河内美努邑近在に猿田彦(佐田彦)信仰が
ないのが、何故残念なの?
そもそも2010年代に見られないからといって、古代当時もないと
どうして断定できるのかね?
36 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 14:00:44.10 ID:BGGIKt5UO
北九州なのか畿内なのか
37 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 14:01:19.21 ID:oW3nXge40
まだやるのかよ 2chの邪馬台国論争なんてただのお国自慢の延長 地元マンセーしてるだけ 現場で発掘していかない限り一歩も前に進まんよ
39 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 14:14:41.47 ID:Qarb9YNC0
>>36 >北九州なのか畿内なのか
?
どちらでもない可能性も残されているようですぅ・・
邪馬台国なら今俺の横で寝てる
卑弥呼って居ない 卑弥呼神社が無いから
42 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 14:56:55.77 ID:UyPmla9O0
卑弥呼の後継者、台与(壱与とも言う)は “トヨ”と読むのが正しい。 実は、彼女は日本人なら誰でも知っている、 日本最高格の神社に祭られている。 それは伊勢神宮だ。 伊勢神宮外宮に豊受大御神として祀られている。 『古事記』では豊宇気毘売神と表記され、『日本書紀』には登場しない。 神名の「ウケ」は食物のことで、食物・穀物を司る神であるとされるが、 この女神に関して『記紀』がほとんど沈黙している。 なぜか?その理由は、 卑弥呼(実は姫御子、姫巫女が正しい)ー台与という邪馬台国が 現天皇家の祖先に滅ぼされたことから その怨霊鎮めの意味から、 雄略天皇が夢の中で天照大御神のお告げを受けたことにして 前政権の最後の女王台与を祀ったのだ。 豊受のトヨは台与のトヨなのだ。 これほどの最高格式神社の祭神なのに 『記紀』がほとんど沈黙しているのは、 天皇家が滅ぼした前王家封じの意図を隠蔽し、 かつ、天皇家および国家への祟り封じで祀っているからなのだ。 この意味では、 天皇家の祖先に国譲りして自殺した大国主命を祀る、 出雲大社に通じるところがある。
>>20 すまん。知らなかった。お前の家は奴隷の住むところだったのか、悪かった。
>>42 だから豊国(今の大分県あたり)の豊だと何度言ったらわかるのかなこの子は。
もちろん台与が治めていた国という意味合いを持つ。そうして卑弥呼は日向
(ヒムカ)で、これは後世になって付けられた宮崎県ではなく、大分県や福岡県
に地名として存在する。
45 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 15:40:42.28 ID:smv0aC4c0
邪馬壱国の「壱与」で、 壱国(大壱国=タイ国)の王が以降代々「壱」姓を名乗り、 最後の「壱ワイ(岩井)」が継体に討ち取られて 権威が失墜して 「壱」朝が終った、 とか何とか読んだ。 日本とタイは親戚なのか?
サバーイディールー?
当時の九州の海岸線地形が今と同じという前提で議論している人が多いのが笑える。 大型河川流域は海だったんだよw 更に、河川を船で上ることも考えて欲しいねw 今の九州のかなり内陸部まで船で行けたってことさ。
天理教団がなにか知ってたら面白いな あそこの文献の数や価値は半端ないらしいけど
一大率=イワレ=イワレヒコ
逆でしょ 卑弥呼がそれまでの畿内旧皇族を滅ぼして日本王となったんだよ だから宮内庁は正確な学術調査進まないようにしてる
帯方郡から邪馬台国まで12000余里 そしてその道程は南に海を10日、陸を一月行ったところにある 南に海を10日とは九州上陸地点である末廬国までの行程だろう となるとそこから南に一月、陸上を移動した先に邪馬台国はあったということだ つまり邪馬台国は熊本長崎もしくは大分となる さらに弥生時代の鉄器出土数で日本ベスト5のうち1〜4位までを熊本が占めること、 そして古代熊本おいて石の文化が著しく発展していたこと これらを考えると熊本が邪馬台国だろう
九州説は魏志倭人伝の記載から破綻してます 近畿説は無理やりピースをはめても年代が破綻してます 邪馬台国は阿波で最終決着してます(´・ω・`)
>>52 『晋書』帝紀では邪馬台国を「東倭」と表現している。
また、正しい地理観に基づいている『隋書』では、都する場所ヤマトを「魏志に謂うところの邪馬臺なるものなり」と何の疑問もなく同一視している。
すなわち「魏志」がすべて宋時代の刊行本を元としているのに対し、それ以前の写本の中には、南を東と正しく記載したものがあった可能性もある。
55 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 19:38:36.32 ID:9a1JAcCpO
その隋書では倭国の中心は阿蘇山て記述があんだが
距離・緯度・東は海 水銀朱・地5000里 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
>>55 そりゃ中国から見れば火山は珍しいから特筆すべきだろう
しかし中心という記述は無い
南方経由できた高表仁が阿蘇山の噴火に出くわしただけだろう。
>>55 このように九州王朝説は捏造100%でできています。
60 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 20:59:25.76 ID:9a1JAcCpO
倭国王に拝謁後にランドマークとして記述したとしか思えないけどなぁ 他の百済や新羅の使者も珍しがってるとか言ってるし 物見遊山とは思えない
時系列で考えて ・紀元前100年頃の日本は100余国からなる国 ・西暦57年、奴国が後漢に朝貢し光武帝から金印を授かる ・倭国大乱 ・西暦184年、倭国大乱をおさめるため、卑弥呼を女王に共立 ・西暦238年、卑弥呼が魏の皇帝から親魏倭王の金印を授かる ・西暦247年、卑弥呼死す ・3世紀初頭、阿波に前方後円墳が築かれる ・3世紀中頃、奈良盆地に大規模な前方後円墳が出現する 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
63 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 22:03:06.72 ID:HUULOWTv0
みなさん九州論で盛り上がってますか?
64 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 22:09:05.69 ID:9a1JAcCpO
すかしてるな
>>44 わかってるね。それ正解wwwww
邪馬台国がどこにあったか、それから500年間くらいについては、
俺が一著をまとめる予定だが、命名法はそれだよ。先達の研究と同意見だ。
日本書紀ではツクヨミノミコトが怒ってウケモチを斬ってしまいます (豊受大神別名が保食神ウケモチです) 古事記ではスサノオノミコトが怒って大宜津比売を斬ってしまいます ほぼ同じ説話です 大宜津比売は阿波国の別名です 台与は卑弥呼の一族なのは間違いがない 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
67 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 22:32:58.99 ID:HUULOWTv0
大体、当時九州以外は縄文未開の地でしょ。
68 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 22:38:06.28 ID:w/+6MD1NO
やまとは卑弥呼の墓がある三輪山のふもとにあったが正解。
逆に畿内説を推進するサイトないの
>>69 畿内には説よりマキムクがあるでしょ
大和の地が奈良なのは間違いなんだし(´・ω・`)
71 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 23:01:57.52 ID:DN9NR9VI0
邪馬台国が巻向遺跡で、百襲姫が卑弥呼なら納得することが多いよ。 百襲姫や天照の伝承から、卑弥呼は殺された可能性が強い。 じゃ誰が殺したのかといえば、台与に天照分祀を依頼した崇神だろ。 崇神はどこ出身かは、この頃から突然表れる前方後円墳が吉備で始まったこと。神武天皇の最後の滞在土地で最も長くいいたのも吉備であること。 つまり吉備出身の豪族だった崇神が卑弥呼政権を簒奪した。 これが天皇家の始まりで都合が悪かった日本書紀には邪馬台国は載せられなかったんだろ。
>>69 >>70 のいうように今は纒向の発掘がそのまま邪馬台国の研究になってるから
現在進行で大規模な考古学研究が行われているといえる
サイトから見る文献主体の畿内説だと門外不出の海部氏系図関連の方が面白い
大和は奈良です 台与の墓はホケノ山古墳です ホケノ山古墳の先例が 阿波の前方後円墳ですから 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
74 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 23:19:04.77 ID:/4xENZ0a0
>>72 纏向の発掘費用を集めるための道具として邪馬台国を利用している、が実態だろ。
阿波南部海部地方に勢力をもっていたのが海部氏 阿波に繋がるワケです(´・ω・`)
>>74 推測ばかりで研究する場所すらないんじゃ費用は落ちないのは当たり前
_ .. - .. _ /:::::::::::::::::::::::`ヽ、 /;::::::::::i:::::ト、::::::i::::i::ヽ ,l::::::::ハj ヽ! ∨l::',i::i:i _ (( ,ヘ, l::∨○ ○ l:::l::i:|l / 」 )) キーボードのVとBとNを '、/\.i_L""r-‐¬""イi::i|√ ̄\ よく見てみるのじゃ . / .ハルゝヽ、__,ノ_ノ/Li/ 〉 / .ソヘl i:__.」:i::iノ / | ./ハ!、∞ノハ 丿 \____丿(__ _i」_)丶_/ ル;i=====ミvレ /::::::::::::::::::::::::コ ノ::::::::::::::::::::::::::::ヽ
78 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/13(日) 23:25:10.08 ID:HUULOWTv0
邪馬台国九州説はロマンがあります。 成立年代不明の古い神社も多いし邪馬台国は吸収です(´-ω-`)y-~
79 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 00:08:39.30 ID:GVupCr8K0
畿内説 三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だー … 大きさから魏で作られた鏡じゃありません。 箸墓(前方後円墳)が卑弥呼の墓だー … 卑弥呼の墓は径百余歩の「冢」=円墳。 纒向が卑弥呼の都だー … 纒向は宗教施設。居住生活した様子がありません。 邪馬台国が大和朝廷の前身だー … 卑弥呼も壱与も記紀に出て来ません。
80 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 00:13:40.44 ID:GVupCr8K0
畿内派は倭人伝を「当時の列島の中心は邪馬台国」と勝手に拡大解釈して 「だから列島の主役たる大和政権の前身」としたくて躍起。 ところが倭人伝は「列島の中心は邪馬台国」と記してるわけではないw 魏に「戦争に負けそう!助けて!」と泣きついてきた豪族に とりあえず使節を送った見聞録。 地方豪族なのか、他にもっと栄えた中心が無かったのか、何も記してないんだw だから同時期に 近畿に大遺跡があろうと 近畿から前方後円墳が広まろうと そもそも邪馬台国と関連つける論拠にならないんだw
81 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 00:16:13.91 ID:Vg1tkg4O0
82 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/14(月) 00:38:57.21 ID:+04olR3F0
魏志倭人伝に書いてある国は現在の郡に相当する広さのようだな。 すると邪馬台国は20数カ国の頂点の国だから奈良にあるとすると 北部九州までが支配下ならば20数カ国では少なすぎると思う。
名前が2つあるのは変だし、古代の日本は「壱与と台与」という双子の幼女が W女王として君臨していたという設定にしてくれ
84 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 00:47:18.50 ID:C68sogHD0
魏志倭人伝なんか、朝鮮半島南部に住んでる倭人に聞いた話を元に 適当に書いたものだからw 信用出来るのは地名くらいだよ 陸行何日、水行何日とか全部適当な数字w
85 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 00:54:56.28 ID:nGqceMMs0
邪馬台国は別府だよ。
86 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/14(月) 01:03:38.76 ID:+04olR3F0
>>84 日本人が書いたのならば信用出来るが中国人が書いたのはどこまで信憑性
があるのかな。
87 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 01:04:41.45 ID:I7DSoOkH0
>>85 それはいいのう。夢があるのう。男のロマンじゃのう。
ちなみに秘宝館が潰れたのは残念。(´-ω-`)y-~
>>35 大タタネコの故地とされる東河内にも南の陶ムラ周辺にも
猿田彦は昔から見当たりませんよね
89 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 01:29:12.58 ID:h3cMpfvA0
倭人伝は軍事偵察報告を元に書かれ、 だから正確と判断すべき。 魏呉蜀の三国対立する緊張下、 倭は島々に展開していたから 水軍の弱い魏から見て、 味方にすれば強力な補完勢力 呉につかれれば背後から挟み撃ちにされかねない、 情勢を把握せねばならなかった。 派遣された張政は 魏正規軍を示す黄幢を授けたとあり、 その権限がある武官(塞曹掾史)。 www.kurumi.sakura.ne.jp/~mmrnet/yamataikoku/yamataikoku4.html 塞曹掾史は、国境守備隊長のような役割であり、 実務経験の豊かな下級武官と考えられる。
90 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 01:44:19.10 ID:h3cMpfvA0
「一万二千里」 「水行十日陸行一月」について、 対馬 → 一大国 が一千里、 一大国 → 末羅 が一千里、 したがって1里は約80m。 すると 「一万二千里」 「水行十日陸行一月」 ともに1000km弱の全工程 として矛盾ない、 だから「どちらも全行程」でほぼ間違いない。
そもそも場所なんて本質的な問題ではなかろう 常に定位置とは限らないし それより権力の推移が重要
新たに卑弥呼当時の遺跡が出てきて、 その遺跡から文字資料が出てこないと永遠に決着がつかんな
卑弥呼の墓があるところが邪馬台国。日本のどこかにある。徹底的に探してみないか。 怪しいところは全部住民どかすとか神社だろうがなんだろうがひっぺり返して 徹底的に探せば見つかるはず。
94 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 03:00:01.13 ID:xUJwANow0
96 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/14(月) 04:08:52.36 ID:+04olR3F0
邪馬台国支配下の国数が20数カ国と言う事は福岡、佐賀、長崎、大分 山口西部が邪馬台国支配下だったと思う。邪馬台国の南は狗奴国だから それは熊本県鹿本地方の事だろう。邪馬台国は筑後地方の瀬高付近かも しれないし、久留米付近か宇佐付近かのどれかだろう。
97 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/14(月) 04:34:32.21 ID:+04olR3F0
久留米の近くにはヤマトと呼ぶ地名が2カ所あり、佐賀県大和町(現神埼市) 福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)がある。江戸時代の秀才本居宣長は 瀬高町を邪馬台国と比定した。みやま市のHPにも卑弥呼の里へようこそ と書いてあるので瀬高が邪馬台国の中心地と決定した。 もう議論の余地は無い。
98 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 04:45:36.62 ID:NkMlAO5Wi
もう聞くに堪えん!! ●当時の日本列島は九州が上で北海道が下と考えられていたんだ。 つまり時計回りに90度回転した姿。これに当てはめるとドンピシャ 畿内説が正解となる。分かったかな・・園児たちよ
邪馬台国がどこにあったかよりも、当時の日本各地に、かつて想定していたよりも多様な結合様式が存在していたという事実こそが、歴史学には重要 邪馬台国を発見することが目的となったが為に、発掘調査それ自体が恣意性の高いものになってしまうことが最も危険だ
奴国は福岡 邪馬台国は熊本 投馬国は宮崎 狗奴国は鹿児島 でFA
101 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 06:24:38.03 ID:I7DSoOkH0
今日も九州説で快調に飛ばしましょう。(´-ω-`)y-~
102 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 06:53:24.14 ID:mfB+t0ud0
日本人はずーっと四方を海で囲まれ小さい日本列島に住み続けてるのに 千年や2千年前のしかも日本人の頂点に立ってた人にこともわからないとはね アホすぎ
>>79 三角縁神獣鏡が国産だったら、3世紀の畿内では銅鏡を作れる技術があったということですか?
あんな精巧な模様や漢字を金属に加工する技術が畿内にあったとは。
あんな巨大な前方後円墳を作るには、相当な労働力と日数と権力が必要ですね。奈良県の狭い地域だけであんな
巨大な古墳を作る労働力や財力があるのでしょうか?
宗教施設というのは、国家をまとめる中枢のようなものではないですか?
104 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 09:43:03.74 ID:Q5Wmoy5h0
105 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 11:40:59.34 ID:q09vFfh20
三角縁神獣鏡は銘文以外はほぼ呉鏡。 www.geocities.jp/taru638/page040.html 魏の年号が入れてあるのに 銘文が魏で普通の韻を踏んでおらず 大陸のまともな工房で作られたものでは有り得ない。 yamatai.cside.com/tousennsetu/innritu.htm detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q10113968125 bell.jp/pancho/travel/izumo/kanbara%20jinja.htm 列島側で漢文は「まあ読み書きできる」程度の者が銘文を書いている。 呉の技術者が渡来して列島にも工房を構え、 政治的理由で魏の年号を入れたものを造らされたと考えるべき。
106 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 11:48:36.65 ID:N+0M4x4f0
常識で考えたら卑弥呼はメヒコから来た渡来人だろ。
107 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 11:52:49.54 ID:q09vFfh20
常識で考えて 卑彌呼も卑彌弓呼も 倭人伝の時点で西日本一帯の覇者ではない。
邪馬台国って朝鮮半島の南部も支配してたんだろ 機内が本拠だったら一大帝国だな
109 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 12:09:10.10 ID:N07LVYif0
>>92 諸氏百家。小国家集合体の国体から生まれる。
日本はイザナギイザナミの神話から続いている。
>>98 帯方郡の使者は卑弥呼のいる都のある邪馬台国を目指してくるわけで、
しかも邪馬台国から遠く離れた国々については詳しいことはわからないとしている
すなわち、魏志倭人伝に書かれた倭の記述に関しては邪馬台国周辺の文化や様子を書かれたものと考えるべき
男子は皆顔や体に墨や朱を塗って刺青をしている。
倭地は温暖で冬夏生菜を食す。皆裸足である。
これらの記述を見るに南方の風俗としか思えないが・・・
どうもチブサン古墳の壁画を残した人々に共通するものがあるように思う
やはり邪馬台国は九州にあったように思われる
熊本には「火君(ひのきみ)」という豪族の伝承が各地に伝わっている この火君一族の長こそが卑弥呼だったのではないか? 実際、向野田古墳では昭和44年に朱に染められた長大な石棺の中から女性一人の骨が完全な状態で多くの副葬品とともに見つかっている この石棺の長さは4mもあり全国でも2番目に長いと言われる 女性が単独で古墳に埋葬されるのも極めて珍しい 相当高位の人物であったことがうかがえる
>>79 でも三角縁神獣鏡には魏の年号(景初3年)が彫られているし、中には徐州で取れた
石を加工して陳氏(漢人)が洛陽で作ったと書かれたものすら存在するんだけどな
113 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 12:45:58.84 ID:Q5Wmoy5h0
>>110 >男子は皆顔や体に墨や朱を塗って刺青をしている。
これは海人の風俗でもあるが、それなら瀬戸内や南紀、東海も範囲になるぞ。
>>105 そして、呉の年号である「赤鳥」の文字が記された本物の呉鏡も出土している
後漢の霊帝時代の漢鏡も出土している
だが蜀鏡は日本にはほんのわずかしか存在していないようだ
邪馬台国とは山大国、すなわち阿蘇山を象徴とした阿蘇〜菊池周辺地域のことです
>>106 アスカとナスカは地下でつながってるというアニメがあったなぁ。
>>107 だからそれ以後西日本の覇者となる経緯が記されてないだけだよ
なんらかの理由で
118 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/14(月) 13:25:19.89 ID:+04olR3F0
邪馬台国は福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)で決着しているんだよ。 新井白石や本居宣長もそう結論づけている。そして邪馬台国と支配下の軍隊が 東征して瀬戸内の国々を従えて近畿地方の豪族と対決して勝利し、ヤマト朝廷 となるんだ。
>>105 じゃあ、畿内には中国人の技術者が住んでたんだね
120 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 13:48:22.73 ID:Qw1CjpvZ0
>117 巨大な箸墓古墳(全長280mの前方後円墳)を 卑弥呼の墓とするのは無理という事。 > 卑弥呼以死 大作冢 徑百余歩 これは直系70mくらいの円墳。
日本人ってD2とO2ばっかり 沙沙貴君がD2 O2が呉越か? D2が神別、皇別 O2が諸蕃か? でも、諸蕃なら、呉(O2?)や劉(O3?)などの漢や秦氏(O2?)と、百済(C3?)や高句麗(C3?)が半々づついると思うから O2と同じ割合でO3やC3もいなくちゃおかしいよな? でも、ほぼドンピシャの割合だっけか?
日本では百済系、高句麗系(C3?)は少ないな むしろ、O2やO3の呉越、秦、漢だけで半数超えてる 日本は龍の国だから、D2なのは間違いないが O2O3もかなり多いとなると D2がO2O3を従えてたと考える そういえば西日本は昔、大漢国って呼ばれてたよな ということは東日本の高天原がD2帝国で 西日本の豊葦原中国はO2O3の王国だということだ だから国譲りして、ニニギが豊葦原中国の領有権を主張し出したんだな? 中国大陸も領有権主張しようぜ
123 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 14:06:06.14 ID:Qw1CjpvZ0
>122 「日出処天子至書日没処天子無恙」云々としたため 中華の覇者(天子)たらんとした ツワモノが7世紀にいたよ。
>>30 >7月4日、木村ゆういち 福岡・九電本店前「福島で頭が2つある子供が生まれている」(参院選の演説)
>
http://merx.me/archives/36204動画が非公開にされてしまってる これ、街頭演説の様子を自分で上げてたんだけど
頭2つの子が生まれてるっていうののソース出せって言われて、
選挙管理委員会に選挙法違反で通報される騒ぎになって動画は木村自身が閲覧禁止に。
説明はそのうちすしますっていいながら結局何も説明しないで
いまだにバックレてるって件じゃないかw
>>35 流れ読まずにレスするけど
今見られないから当時なかったとは言えないというのはその通りなんだけど
それを言ったら何でもありになってしまうので
どこかの時点で存在したと言うことは証明しないといけないよ。
上代の話をしているのだから、証明できる時代は古ければ古いほどいい。
126 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/14(月) 14:35:04.03 ID:+04olR3F0
>>113 海人の風俗は壱岐、対馬、松浦半島の漁師の風俗を現したもので
瀬戸内の事では無い
127 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 14:42:26.19 ID:1abmo7Bm0
夏殷周秦=O2 漢(以降)=O3 元々、中華は中夏って呼ぶし(華夏族) 漢(O3)が中華を乗っ取ったから、華夏族(O2)が日本に帰化した そして天孫族(D2)の庇護を受けた 無理やりかな?
俺生粋の日本人だけど、蛇なんて大っ嫌いだわ。 ぞくぞくする、いやゾッとすると言うのか。 そんな俺も、頼光の子孫です
>>125 そんなこと言い出したら
そもそも卑弥呼なんて人物がいたかどうか証明なんてできない
>>129 アホかw
卑弥呼は三国志魏書にれっきとした記載があるだろ。
詳細はおいといて、存在が当時の文献に載っていることは確かだろう。
そういうのを「証拠(史料)」っていうんだよ。
だから、あるとすうるならそういう証拠を出さないといけないっていう話。
出せないのならあくまで可能性の話でしかないってのはわきまえないと。
>>128 しめ飾りお嫌いですか?
しめ縄は蛇ですけど(´・ω・`)
>>130 アホはおまえ笑
史料も可能性の範疇にすぎない
133 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 15:55:20.66 ID:bWB7PT7e0
●古代スレの特徴 卑弥呼、伊勢、出雲、奈良、魏志倭人伝、巻向…など学校や本や新聞で得た知識を品評しあう ↓ 勢いは止まらず1スレ目はあっという間に埋め尽くされる ↓ 2スレ目に入る頃から歴オタだけが残り自己流の世界観を強調する ↓ 3スレ目に惰性で突入するも心の虚しさが個人を襲う←★いまここ ↓ 疑問だけが残り新たな情報を得ようと歴史本を漁る
134 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 15:57:06.71 ID:Q5Wmoy5h0
>>126 そうはっきり言い切ることができるのは何が根拠なんだ?
今の天皇って偽者なんでしょ?明治のときに全く血統の違う人を祭り上げたんでしょ?
>>132 三国志は正史です
正史ではないというのならその間違いを見つけなければ
卑弥呼はいたというコトです(´・ω・`)
137 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 16:03:43.35 ID:FUWCgpVc0
やっぱり古墳の調査と天皇のDNA鑑定は是非やってもらいたいなあ 日本神話からも天皇=余所から来た人、大国主命その他=元から日本に居た人って構図が見て取れるんだし、天皇家がどこから来た人達かが分かれば日本の成り立ちが解明されるかもしれない
>>136 だからそれはその史料が正史であるという仮定で
卑弥呼は存在したと推定しているだけの話
俺はその推定自体は反対してないけど
証明と言っといて後出しで(史料)とか呟くなってこと
しかもこの史料はどこまで正しいかなんてまた議論が別れる
139 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 16:27:32.85 ID:bq7uyDtg0
>>137 釣りだろうけど一応
ミトコンドリアDNAで遡れる先祖は母系なので
皇室的に全然無駄で意味が無い
>>139 というか地下に埋葬されて1500年以上も経った毛や骨から正確なDNA検査できるのか?w
細胞や随が残ってるのならともかく。
141 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 17:05:22.05 ID:bWB7PT7e0
歴史とは己の心と向き合うことである
その通り 己の勝手な都合でこの資料は正しいこれは正しくないなどほざいてはいけない
>>136 正史の意味分かってるのか
正しい歴史って意味じゃないぞ
144 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 17:24:32.95 ID:fDSy4q5F0
日本には日本の正史がある。今年は皇紀2674年だ。
145 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 17:35:53.70 ID:yrLWq+dD0
>>135 イギリス王室とか李氏朝鮮もいい加減だよ。
スウェーデン国王の始祖はナポレオンの将軍ベルナドットと
ナポレオンの恋人のデジレ。
>>143 中国に間違えてるんだボケって喧嘩売るのか(´・ω・`)
>>138 だから、きちんと推測できるものがあるって事だろうが。
少なくとも卑弥呼の存在は描かれているわけで、
そういう人物がいたという前提で話をする裏付けになるの。
何もないところで、きっとあったはず、っていっても、
裏付けがない以上、それは空想の範囲を出ないの。
その違いは大きいんだがなあ。
そういうことも理解できないの?
149 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 18:19:38.46 ID:W5+6qzy40
>>133 >疑問だけが残り新たな情報を得ようと歴史本を漁る
これはどうだろうねえ・・・
特に邪馬台国九州説何かをぶってる奴の頭の中は70・80年代辺りで止まってるんじゃないのかな?
仮に考古学のニュースがあっても自分達に利するものは何もない
まあ新たな情報と言ってもそれで畿内説にケチをつけることしか考えてなさそうw
>>146 何処の国でもそうだけど、確証が持てない事は別に訂正するよ
何勘違いしてんの?
ましてや、正史といっても、別冊の中のほんの一部だし
どうでもいいとしか思ってないだろ
>>148 違うっつってんだよ笑
俺が卑弥呼の存在否定なんかしてないのも読解できんのかょ
その人は猿田彦伝説について語っていて
おまえが勝手に卑弥呼との状況証拠の差をあげつらってるだけ
>>150 勘違いしてるのはお舞だ
正史は正しい歴史書って意味だ
根拠も無く他国の正史を批判するというコトは
その国に喧嘩を売ってるってコトだ(´・ω・`)
153 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 18:59:18.02 ID:aBefo5Zk0
まぁ別に構わんよ。 今更こんだけ中国にケンカ売られてんだから
>>138 だから、猿田彦がその地で信奉されていたという史料(証拠)はあんのか?っていう話だろ。
可能性としてはあっていいが、裏付けのないものはしょせん空想の域を出ないんだよ。
いきなり卑弥呼の話を始めたのはアンタのほうだw
そして、アンタのID抽出してみたが
猿田彦の話なんぞ一言もしてないだろうがw
おれ、エスパーで人の心を読む能力なんてないんで、無茶ぶりしないでくれる?
まあ当時の日本側の記録がないんで 「卑弥呼はいなかった」 「邪馬台国なんてなかった」 「朝貢なんてでっち上げ」 という可能性も無くはないのかな?w がこのスレで畿内説と呼ばれてる物は別にそれでも困らない 初期ヤマト王権に「邪馬台国」という二つ名が付かないだけの話 考えられてる王権の発生プロセスや勢力の伸展にさほど影響ない まあ九州説はそれこそ完全に消え失せるしか無いだろうな 大抵は倭人伝の行間にしか存在しないのだからw
156 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 19:25:04.34 ID:fc8fid6gO
でっち上げと言いながら固執すんだよな
>>154 わけの分からんヤツだなあ(苦笑)
俺が猿田彦の話したなんて書いてないだろうがw
卑弥呼はもの喩えだ
おまえが史料を最初は「証明」と言っておいて後出し語彙改竄したのは許してあげるが
その「史料じゃないと状況証拠としてダメ論」が手前勝手だょという指摘ダワ
>>157 史料でもって、その論を証明するんだろうがw
その史料が民俗学的なもんでも歴史的なもんでもいいけどさ。
そういうのを出せない以上、それは単なる空想だよって言う話だろ。
おれはずっとそう言ってんの。
それに何か異議あるけ?
阿という文字は口を開いて最初に出す音 阿とは最初という意味です 最初の倭です 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
161 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 19:48:38.81 ID:ZV2zQmoBO
>>158 史料以外にも伝承とか風習文化など文字媒体になってない状況証拠もあるでしょ?
ワカリマスカ??
或いはそれらもひっくるめて広義の史料だ♪とかまた後出しじゃんけんシマスカ?
奈良は大倭国といいます すなわち最初の倭国は阿波 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
164 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 20:15:44.37 ID:PmWm8o0j0
テレビの邪馬台国番組で 古代の発音を研究してる台湾の爺さんに 卑弥呼の当時の発音を聞いたら 「ピャーメーカ」 と叫んだ。 「ミカ姫」=卑弥呼 と主張する古田の説を補強する傍証。 www.furutasigaku.jp/jfuruta/himiko/himiko1.html
165 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 20:16:52.62 ID:YEHD/mrm0
歴史って当時の人が間違えて書いててもそれが真実となりそうで怖いな
阿波さんちーっす
>>161 俺、猿田彦に関する最初のレスで「証明」っつってるよな?
民俗学でも文献学でも歴史でも風俗でもそれこそ伝承でも証明手段はいくらでもある。
それでいいし、別にそれに異論を唱えた覚えはないが?
「史料」って言う話をしたのは、おまえさんが卑弥呼の話を始めたからで
卑弥呼の場合は「三国志魏書」という「史料」が存在するので証明できるだろっていってるわけよ。
猿田彦に話が戻ったので、
>>158 ではまた「証明」っていう言い方に戻したの。
おわかり?
「史料」っていうのは証明手段の一つであって、卑弥呼の話題においては重要な証明手段になり得るの。
で、全レス通しておれは
「裏付けのない説は空想の域を出ない」っていってる訳なんだが、
それについておまえさんは何か異議があるのかね?
おまえさん、そこのところにはまったく答えないんだよなw
倭大国魂神社が阿波にあります 大大和座国魂神社が奈良にあります 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
169 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 20:44:51.65 ID:PmWm8o0j0
awabi.2ch.net/test/read.cgi/history/1374502470/ 邪馬台国は四国徳島だった!3
170 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 20:45:13.25 ID:I7DSoOkH0
九州説でほぼ決まりのようですね。(´-ω-`)y-~
>>167 何を言い訳がましいことばかり書いとんかね(失笑)
卑弥呼はバカでもワカリワスイ喩えと言ってるでしょ?
その「裏付けのない説は空想」ごっこに対して
こっちは最初からずっと「史料」とやら以外でも状況証拠になるのょ
て書いてあげてるんデスワ
>>155 畿内から出る銅鏡は中国産ではなく国産鏡といい張る九州説の人は、逆に、畿内に漢字を理解できた人がいるという
ことを主張しているようなもの。
ということは、卑弥呼の伝承が、当時は文字として残っていた可能性もある。
174 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 20:58:36.91 ID:PmWm8o0j0
だから古田が筑後国風土記に記録されてると言ってるってw >164 www.furutasigaku.jp/jfuruta/himiko/himiko1.html
Y-DNA YAP(+) D2グループ D2...only predicted P37.1+ Doi Unknown Origin D2 D2...P37.1+ & neg.for subgrp Matsumoto (same as N117680) Japan D2 D2...P37.1+ & not tested for subgrp Endo Japan D2 Ogawa Shokichi Ogawa, d.1909, Toyokawa Japan D2 Utosawa Kizo Utosawa, b.1912 Japan D2 D2a...M116.1+ and not tested all subgroups Segawa Japan Japan D2a Ouchi Hikozaemon Ito, b.c.1856, Fukushima-ken, Japan Japan D2a D2a1b2a1a...CTS5406+ Masada Hatsuji Masada, b 1859, Hiroshima, d 1925, Hawaii Japan D2a1b Miyawaki Japan D2a1b Karaki Bunsaku(Bunzou) KARAKI, ?-1886 Japan D2a1b D2a1b2a1a..predicted CTS5406+ Tomura Japan D2 BEADLE Unknown Unknown Origin D2a1b Kobayashi Kobayashi Japan D2a1b Nagai Chôbê Chikakata Nagai, ca 1790 - ? Japan D2a1b D2b1...CTS220+ Takaoka Yoshimichi Kaemon Takaoka(1724-1795), Hyogo, Japan Japan D2 D2b1...Predicted CTS220+ Sasaki Hideyoshi Genzo Sasaki b.1112 and d.1184 Japan D2 Takaoka Yoshinao Takaoka (1584-1636), Sakai, Ōsaka, Japan Japan D2
176 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 21:04:07.81 ID:I7DSoOkH0
九州説でほぼ決まりのようですね。(´-ω-`)y-~
こういうの学生時代というかもうちょい子供のころにものすごく興味あったけど どうせ答えでないからだんだん興味うしなった。。。生きてるうちにわかるのかなぁ
>>165 間違いというより訛りで聞いていて、さらに自国発音に直している。
役人の難升米やエキヤッコから聞いてるから邪馬台訛りか北九州訛りだと思うが、
モリ(防)が役職名として共通語になってる点は驚かされる。
>>171 いや、証明手段は何でもいいよ?
そう言うのがあるならそれで証明したらいいさ。
>>35 は「そもそも2010年代に見られないからといって、古代当時もないと
どうして断定できるのかね?」って言ってるわけだが、
可能性を語ってるだけで、そういう傍証を何も出してないのよ。
で、猿田彦信仰がその地であったかも、という可能性について俺は何も異議はない。
しかし、証拠出して証明しなきゃ空想の域を出ないよって言ってるわけ。
なんか間違ってる?
で、あんたがわかりやすい卑弥呼の例を出してくれたから
卑弥呼の場合、三国志魏書って史料が存在証明の有力な一つだろ、って言っただけだが
なんか間違ってる?
その2点の要点は「裏付けがあるかどうか」ってことね。
卑弥呼は裏付けがあり、その場所における猿田彦信仰には裏付けがない状態で、
それではまだ空想のレベルなのよ。
で、途中までおまえさんは延々と、
第一級史料に存在を明記されている卑弥呼と
そういう証明ができていない(空想の域を出ない)ある土地での猿田彦信仰を同列に語ってて
なんじゃこりゃって思ったけどさw
繰り返すが、猿田彦信仰の可能性は否定しない。
ただ、裏付け(証明手段はなんでもいいぞ)がなければ、空想レベルだよって話。
で、何でもいいから証明したらいいさって話。
なんか間違ってる?
いい加減さあ、重箱の隅突っつくだけのレスやめたら?
それしかできないんだろうけど。
180 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 21:15:42.80 ID:I7DSoOkH0
大体、邪馬台国に文字はあったのかね?三国志曹操の墓ですら「曹操の墓」 みたいに書いてあったそうじゃないか。(´-ω-`)y-~
>>178 めちゃめちゃ詳しいですね(^^;;;
自分がおもったのは、今でいうと東○スポとか週刊誌とか個人ブログとかが適当なこといっぱい
書いてあると思いますが当時のそういう適当な伝聞とかが記されてたら真実になっちゃうのかなーとw
でも当時は一般人は字も知らなかったですね・・・><
だめだあふぉすぎる自分。でも古代はアフォすら魅了するものがありますね。
生きてる間に答えまでいかずとも大発見があればいいなー。
>>179 おまえ(爆笑)いいかげんワードの変遷で誤魔化すのやめたら?w
最初は証明
それから史料→証拠→裏付け
また一巡して証明w
おまえのFラン文系脳が喚く「証明」て何よ?
自分基準で確度の高いものを「証明」
低いものを「空想」と書いてるだけなんだよ
>>180 卑弥呼は鬼道(占術)を使った
文字が存在しないのなら占いはできない
現代人がそれが古代文字だと分からないだけ(´・ω・`)
JAPAN DNA Project - Y-DNA SNP Masajirou Miyazawa,1849-1913 C3 C-M217 Taichi Ogawa, b.c. 1880, Saga, Japan C3 C-M217 Hideyoshi Genzo Sasaki b.1112 and d.1184 D2 D-M64.1 縄文人 (same as N79329) D2 D-M64.1 瓊瓊杵尊 Ninigi-no-mikoto D2 D-M64.1 Kizo Utosawa, b.1912 D2 D-M64.1 Yoshimichi Kaemon Takaoka(1724-1795), Hyogo, Japan D2 D-M64.1 Tahischi Kato; Abt. 1825 D2 D-M64.1 Saburo Masuda (adopted son of Isezo Masuda) D2 D-M64.1 Yoshinao Takaoka (1584-1636), Sakai, Ōsaka, Japan D2 D-M64.1 Shokichi Ogawa, d.1909, Toyokawa D2 D-M64.1 Hikozaemon Ito, b.c.1856, Fukushima-ken, Japan D2a D-M116.1 Chôbê Chikakata Nagai, ca 1790 - ? D2a1b D-IMS-JST022457 Bunsaku(Bunzou) KARAKI, ?-1886 D2a1b D-IMS-JST022457 Hatsuji Masada, b 1859, Hiroshima, d 1925, Hawaii D2a1b D-IMS-JST022457 Hisakichi Machida; ca. 1875 N N-M231 Tadataka Miyata N1a N-M128 Seikuro Watanabe,b.Middle19th C,Kanai Sado Japan N1c1 N-M178 Masahachi Aoki, 1837-1917 O O-M175 SAITO ,Tokyo, Shinagawa-Ku,Japan 1935-2000 O O-M175 Kitaro Miyaji, 1867 - 1957 O1a1 O-P203.1 Soubei Nishimori (Unknown - 1885), Japan O2b1 O-47z Soubei Nishimori (1830's - July,1885) O2b1 O-47z Zenbei Sato (1816 - 1903) O3a3 O-P201
185 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 21:36:35.43 ID:PmWm8o0j0
>180 > 張政等因齎詔書黄幢拝仮難升米為檄告喩之 檄文を告喩しているので 日本人が読めたかどうかは別として 漢字文書は渡されてる。
奈良で決定なのに屁理屈だけで他の地域が説などといってあほらしい
>>67 そんなことないにょ
関東平野でも鉄器とお馬さんと古墳あるにょ
巻向のあたりによく観光ついでで古墳巡りに行くけど あの辺の人は「邪馬台国?別にどーでもいいわ」ってスタンスの人多いよな 急襲説の人ほどヒートアップしてる感じ
189 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 21:48:02.61 ID:I7DSoOkH0
まあ、九州説でほぼ決まりのようですね。(´-ω-`)y-~
>>93 高度成長期に破壊された遺跡多そうだから無理じゃないかのう
>>182 つ
>>167 日本語の意味考えたらわかるだろw
裏付け=証明。
史料は証拠品。それを持って裏付け(証明)する。そういう風に言葉を使ってるはずだが?
間違った意味で使ってたり、意味が違うことを言いだしたっていうなら
おまえさんの突っ込みもわかるよ。
俺が使った言葉でどっか内容が破綻してるか?
そうでないなら、おまえさんの指摘は単なる「揚げ足取り」っていうんだよ。
>おまえのFラン文系脳が喚く「証明」て何よ?
>>167 >>179 で証明できるものなら何でもいいって言ってるが?
いっとくが「史料」はおまえさんが出した卑弥呼の話だぞw
まあ、猿田彦に史料があるならそれでもいいし結構なことだが。
たとえば、民俗学的に、猿田彦を連想できような習わしでもいいし、伝承でもいい、
もしかしたら、昔はそういう祠や祭りがあったかもしれない。
そういう「何か」で、信仰の形跡を裏付けしないとって言う話。
裏付けられるなら何でもいいし、それこそ何か特定のものに限定させた覚えはないが?
で、それができてないんだから「空想の域を出ない」って言われたってしょうがないだろうってこと。
間違ってないだろ?
繰り返すが、俺は信仰の可能性を否定してるわけじゃない。
現状、証明できない以上は「空想レベル」と言われても仕方ないだろうと言ってるに過ぎない。
俺に対していくら揚げ足をとり続けても、証明できない以上は、「空想レベル」から何も動かないんだぞ。
そこを勘違いしないように。
実際その証拠を出して証明してくれたら「空想の域を出ない」というのは撤回するよ。
それに異論はなにもないしね。
>>98 この前のNHKBSの番組に三国志当時だかの地図を紹介してたけど、ほんとそんな感じで描いてあったね
日本が台湾くらいの位置にあって九州が北、本州の上の方にある青森が南、北海道は無かった気がする
あれだと畿内説の方が信憑性が高いと思った
現皇族のyDNAを調べるのが難しいなら。 旧皇族、旧華族、旧士族のyDNAを調べればいいのではないか? 旧士族なら日本中に沢山いるだろう? 今のところ、旧士族とおぼしき人のyDNAは以下しかない。 D2a1b2a1a..predicted CTS5406+ Nagai Chôbê Chikakata Nagai, ca 1790 - ? Japan D2a1b D2b1...CTS220+ Takaoka Yoshimichi Kaemon Takaoka(1724-1795), Hyogo, Japan Japan D2 D2b1...Predicted CTS220+ Sasaki Hideyoshi Genzo Sasaki b.1112 and d.1184 Japan D2 Takaoka Yoshinao Takaoka (1584-1636), Sakai, Ōsaka, Japan Japan D2 Hideyoshi Genzo Sasaki b.1112 and d.1184 D2 D-M64.1 瓊瓊杵尊 Ninigi-no-mikoto D2 D-M64.1 Yoshimichi Kaemon Takaoka(1724-1795), Hyogo, Japan D2 D-M64.1 Yoshinao Takaoka (1584-1636), Sakai, Ōsaka, Japan D2 D-M64.1
195 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:01:35.31 ID:tMnpAcOs0
客観を装いつつも、疆理図数枚中の特異な1枚であるという説明どころか15世紀の朝鮮で 作られたものだという説明も隠し、あたかも3世紀の中国の世界感のように疆理図を示す。 かつて日本史上なかったような国際感覚を持つ3世紀の女王 娯楽番組とはいえ佐村河内の件から何も学んでいないのか それとも本気で信じており真実のためなら強引な手法も止む無しと考えているのか
yDNAのD2a1が1000年前〜500年前の間に急増したとすると、源氏以外は考えにくい。 と、言うが。はたしてそうだろうが? D2a1が古代に分岐したものだからと考えて(例えば神武天皇の皇別、多氏など)、それがちょうど1000年〜500年の間に急増したと考えられないだろうか? むしろ、天皇家はD2b1なのではないか? 神別 D2 皇別 D2*,D2a,D2b 現天皇 D2b1 源氏 D2b1 多氏 D2a1 とか、考えられないだろうか?
197 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:22:13.83 ID:+04olR3F0
九州説でほぼ決まりじゃない、邪馬台国は九州にしか無かったんだから 他の説がデタラメだと言う事だな。 邪馬台国の中心地は福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)です。
>>194 >Chôbê Chikakata Nagai, ca 1790 - ?
って、誰なんだろう?
永井長兵衛親方(1790 - ?)っていう人か?
199 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:23:28.50 ID:X8vTb3mDO
五十歩百歩や嘘八百みたいなもので、水行何日陸行何日はすごく遠いを表しているだけで 具体的に船で何日、歩いて何日ではないと思う。昔は九州かなと思っていたが、今は近畿だったと思う。 卑弥呼が天照大神で、邪馬台はヤマトで大和朝廷の前進で特に矛盾はないと思う。
200 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:24:48.82 ID:8oMa4Qna0
現天皇家を調べても意味ないよ。 少なくとも三回は王権交代しているし。 しかし、今だに九州説とか信じてる奴がいるとか信じられねーわ。 古田が論戦でこてんぱんにやられてから、壊滅したと思ってた。
日本は和から始まる すなわち阿倭 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
202 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:25:13.93 ID:I7DSoOkH0
まあ、九州説でほぼ決まりのようですね。(´-ω-`)y-~
今後は九州内で邪馬台国誘致が激化する模様です
あれ、また微妙に日本語が怪しくなってしまったorz
205 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:27:14.95 ID:X8vTb3mDO
訂正、前進は前身の間違い。
206 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:31:12.93 ID:+04olR3F0
邪馬台国は北部九州の連合国家で規模は近畿地方の国に比べると小さい、 しかしその邪馬台国が東征して近畿勢を打ち破った理由は邪馬台国は魏国と 交流があったので魏国の優れた武器などを手に入れたからだな。
207 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:32:01.34 ID:I7DSoOkH0
なぜ畿内論者は火病を起こすのか。(´-ω-`)y-~
>>194 今のところ、一番有力なのが、宇多源氏か孝元阿倍氏の子孫である、佐々木氏流高岡氏のデータなんだよな。
佐々木秀義の子孫だか、沙沙貴山君の子孫だか、分からないけど。
色々ググってみたら、おおすじ、宇多源氏佐々木氏流高岡氏の旧士族だとは分かる。
こういう人が、D2だというデータは大事な資料になるが、ただD2b1なんだよな。
D2a1bとD2b1の分岐は何年前だろう?
>>207 年代がどうやっても合わないからでしょ
近畿はモノがあって大和だけに
他と違って空想できないからね
邪馬台国は阿波ですけどね(´・ω・`)
210 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:39:10.67 ID:X8vTb3mDO
九州から近畿に移った勢力が、大和朝廷と神武神話を作ったとしても、おかしくはないと思う。 当時卑弥呼のいた所がどこかとなると、私は、今は近畿だと思っている。
>>35 >>125 「今見られないから」とかっていうのは勝手に35さんが時間的限定してるみたいだよね
こういう無茶な議論の流し方って流行ってるの?
アワナギノミコト ─── イザナギノミコト アワ、阿波、安房
213 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:51:52.54 ID:PmWm8o0j0
泣いても喚いても 当時の近畿の遺跡からは 絹は出ない
>>211 歴史の検証は積み重ね
ファンタジーだと話にもならない
議論は何かを見つけないと(´・ω・`)
215 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:55:47.34 ID:8oMa4Qna0
まあ巻向遺跡で、色々解ってきてる。 巻向遺跡は、吉備の楯築遺跡の被葬者が主導した人口的に作った都市である。 ここまでは解ってる。
おそらく 今上天皇 D2b1 源氏 D2b1 多氏 D2a1b 神別 D2 かな? 源氏や平氏や橘氏の子孫や、藤原氏や菅原氏や穂積氏や大伴氏の子孫が、もっともっとY-DNAを検査してくれないと、分からないよ!
217 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:59:16.51 ID:I7DSoOkH0
>>209 こんなん知的な遊びやで。ムキになって火ぃ噴いて怒る事ちゃうやろ?(´-ω-`)y-~
218 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 22:59:59.59 ID:mfiL4ipH0
>>969 >高良山にある古墳は卑弥呼の墓というのは本当でしょうか・・・・・・・・・・
久留米市御井町字高良山の「祇園山古墳」のことなの?
「祇園山古墳」が、どうして卑弥呼の墓だと言えるの?
古墳の遺骨からyDNA検査しよう!
220 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:04:18.20 ID:PmWm8o0j0
wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/himikotyo/himiko3horon.htm
指定されたページがみつかりませんでした。
222 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:07:06.02 ID:fc8fid6gO
応神で完勝したかと思ったが雄略がやり返したとしか思えない ここでもかなり記紀編纂に無理が出てる でもま、雄略がわかりやすいくらい吉備に攻撃的だから これが復讐なのは見てとれる 完全に応神と逆コースだ
>>217 近畿はモノがあるのに矛盾が生じて
根拠が得られないからねイライラしてるんじゃね
まぁ阿波で確定ですけどね(´・ω・`)
俺がガキだった頃 かぁちゃんは卑弥呼で とうちゃんは下僕だった
225 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:13:14.83 ID:PmWm8o0j0
wwr2.ucom.ne.jp/hetoyc15/kodaisi/himikotyou/himiko3horon.htm
226 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:15:36.21 ID:I7DSoOkH0
>>223 モノも当てにならんで。昔、ポッケから遺物出して、
神の手くんみたいなんも居ったしな。(´-ω-`)y-~
何が凄いって、未だに邪馬台国九州説を信じてる奴がいるのに驚いた。
228 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:20:45.82 ID:I7DSoOkH0
邪馬台国の頃は、畿内は石器時代ちゃうか?(´-ω-`)y-~
229 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:21:46.07 ID:VQ/uEygn0
弥生時代にわざわざ畿内に勢力を張る意味が分からん 兵庫県辺りなら分かるが
>>229 阿波が手狭になったから奈良に移動しました
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
国常立尊 天鏡尊 国常立尊の子。 天万尊 天鏡尊の子。 沫蕩尊 天万尊の子。 伊弉諾尊 沫蕩尊の子。 (引用,日本書紀) 沫蕩尊(アワなぎのみこと) アワ 阿波,安房
232 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:34:09.32 ID:I7DSoOkH0
久留米から佐賀平野をのぞんでごらん。 ここにデッカイ国建てたろかいなって気分になってくるで。(´-ω-`)y-~
>>183 鬼道と占術は違うと思うぞ。
倭人伝には占術について別に書いてある。
その俗 挙事行来に、云為する所あれば、輒ち骨を灼きて卜し、以て吉凶を占い、先ず卜する所を告ぐ。その辞は令亀の法の如く、火タクを観て兆を占う。
鬼道はシャーマニズム(呪術)と捉えることも出来るが、
占術は学問だから学問(職業)集団があって言い伝えか、文字(漢字)があった可能性は高い。
>>232 3世紀だと殆ど海の底じゃね佐賀(´・ω・`)
SAGA佐賀
236 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:44:13.61 ID:I7DSoOkH0
>>234 それこそ水行にもって来いやで、ホンマしかし。(´-ω-`)y-~
237 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:47:32.54 ID:PmWm8o0j0
>234 吉野ヶ里は港町だったっんだって?
佐賀は卑弥呼の時代には山際近くまで海 吉野ヶ里で港だから平野は狭い
239 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/14(月) 23:52:47.95 ID:I7DSoOkH0
土地は大刀洗や浮羽まで伸びてるでーもう大分方面やけどなあ(´-ω-`)y-~
>>237 大体長崎本線、鹿児島本線が海岸線だから
バッチリ港町ですね
有明海って当時はデカイな(´・ω・`)
九州王朝は武内宿禰系統の王朝。第8代孝元天皇の皇別。 奴国王とは武内宿禰のことであり、倭王とは第15代神功皇后のことである。
明治以降の天皇制の観点から、新事実が発見されても問題ないような 天皇の墳墓の調査は許可して、都合の悪い真実が発見されると困る 天皇の墳墓の調査の許可はとことん渋るのが宮内庁
243 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 00:11:02.08 ID:7nd7Wsvb0
>>242 それでいて遺跡を保護しているかと思えば木々の根とかの侵食で
じわじわと崩れて行くのは放置している宮内庁
明治天皇だって濃い顔だし。天皇家がD2なのはもうハッキリしていることなのにね。さっさと埋葬者を特定してほしいわ。
卑弥呼って実在したのかな。 出雲の国譲りが伝承されてんだから、卑弥呼だって記紀に 出ててもおかしくないような。
九州王朝は大和王朝の外交の要塞だと思うんだよな。 西は宇佐神宮、東は鹿島神宮。これが、おおよそ倭の範囲だな。もっと広いと思うけど。 中央に位置するのが奈良。
>>246 九州と一言にいうが、北九州は畿内に屈服した後も
南九州は大和朝廷をずっと脅かし続けた。
磐井の乱など、九州王朝が大和朝廷に対して一年もの間
戦い続けている
それ以降、防人が置かれたのも、大陸の脅威よりも、むしろ南九州への睨みを利かせるためだったと考えた方が自然だ
>>245 記紀では、神功皇后が魏志で言うところの卑弥呼と注釈されている
これは当時の日本書紀の編者達が、魏志など海外の資料も調べてから
書き記したことだろうが
現在の学界では当然、否定されている
神功皇后は伝説上の人物だったと考えられるし
仮に実在の人物だったとしても、卑弥呼の時代の三世紀中ごろより
ずっとあと、四世紀ごろの人物だと考えられているからだ
それで、まあ、記紀に出てくる人物の中で、卑弥呼の最有力とされる人物は
崇神天皇の叔母である。ヤマトトモモソヒメと現在では推測されているわけだがね
249 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 00:51:51.25 ID:gs8EezxHO
神功がいないとなると、応神ってどこの馬の骨なんだろな
『梁書』 文身国 倭国の東北7千里とある。が、この倭国は九州王朝のことだろう。「魏志倭人伝」の始めの、郡から7千里以降だと理解されるから、句邪韓国から伊都国のこと(北九州)だろう。 大漢国 文身国の東5千里にあると言うが、文身国を北九州のあたりと考えると、文身国から陸路で5千里東に行った所に「大漢国」があることになる。今日の畿内地方がそれに当たると思われる。 (以上、ここまで魏志倭人伝の12000里と合致する。) 扶桑国 永元元年(499)に「沙門・慧深(慧深僧侶)」が荊州すなわち長江中流地域に到り、土地の者に語った国。大漢国のさらに東・二万里にあるという。関東圏だろうか?
251 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 00:56:34.49 ID:kWtGJbPP0
なんか個人的に磐井の乱について勉強したくなってきたなあ(´-ω-`)y-~
卑弥呼が天照だろう。弟がスサノオだろう。そんなもん習う前から知ってたぞ。 これは日本人としての直感だ。卑弥呼と弟の伝承がずっとされて記紀編纂時に 天照とスサノオになったのだろう。
>>165 そんなの、近世の歴史でもいくらでもあるんじゃね?
勝てば官軍
負ければ賊軍
Aにとっていい人でも
Bにとっては極悪人
客観的な事実など無い
全ては相対的なのだ
254 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 01:09:09.83 ID:gs8EezxHO
記紀の提示してる人物比定には否定的で 記紀の神話の人物には勝手に比定するのか
『梁書』 文身国 「文身國,在倭國東北七千餘里」 大漢国 「在文身國東五千餘里」 扶桑国 「沙門慧深いわく「扶桑在大漢國東二萬餘里,地在中國之東,其土多扶桑木,故以爲名。」」 魏志倭人伝の、帯方郡から7000里あたり(句邪韓国、伊都国)に、文身国。つまり北九州。 文身国の東に5000里に大漢国だから、7000里+5000里=12000里。つまり魏志倭人伝の邪馬台国が、大漢国。つまり畿内。 さらに、大漢国から東に20000里の所に、扶桑国がある。およそ関東圏。ココが高天原。 文身国 = 北九州 大漢国 = 畿内 扶桑国 = 関東圏
256 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/15(火) 01:11:34.31 ID:YaXT7m680
邪馬台国は福岡県山門郡瀬高町(現みやま市)で確定しています。
257 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 01:12:39.11 ID:kWtGJbPP0
258 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 01:13:54.03 ID:4CxkuL1g0
うちの兄貴が卑弥呼のサインもってたな
俺の推測 北九州 = 倭の外交の要塞 畿内 = 倭王の御所(豊葦原中国の首都) 関東 = 高天原の首都
260 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 01:17:24.44 ID:P0frTR5C0
>卑弥呼が天照だろう。弟がスサノオだろう。そんなもん習う前から知ってたぞ。 じゃあツクヨミは? アマテラス・ツクヨミ・スサノオの三柱はセットで生まれてるわけだが? 思慮が足らんな
畿内は大漢国と呼ばれるくらいだから、元々は中国の宗主国だったんだと思う。具体的に言うと、熊野が首都だと思う。
262 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 01:22:57.16 ID:HJfc9r+N0
>>260 もう一人弟がいたとか(スサノオの兄だが)神話上作られたとか三が
縁起ものの数字で三にしたとかその程度のことだろう。
記紀で見ても天照、スサノオに比べてまったく出てこないし。
当時、阿波に権力者がいたのは確かなコトです なのに出てきません存在すらしないと言ってもいい それは邪馬台国の卑弥呼だから消されたのです 残念ですがこれは間違いないコトです 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
イザナギの子って沢山いるよね。 イザナギの子のスサノオが、イザナギの孫の夫婦を救ってあげたし。
266 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 01:33:57.49 ID:kWtGJbPP0
>>264 阿波は日本最古の氏族が居るんじゃないの?未だに皇室に布か何か奉納してる(´-ω-`)y-~
僕はアワの起源は安房だと思うな。 おそらくココが高天原の首都。
>>266 忌部だっけ。神道の元締めだったのに
中臣(藤原)氏に陰に追いやられたんだよね。
そっから日本の神道は中臣中心になった。
>>266 最古の氏族ではないと思うけど
忌部(斎部)氏がいるね
現在は三木家の(´・ω・`)
藤原不比等最強伝説
271 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 01:43:31.65 ID:P0frTR5C0
>>263 >にしたとかその程度のことだろう。
ハイそこで適当な事言って逃げない
月と太陽がいて「蝕」を引き起こす第三番目の存在がいる
神話の構図で言えばこの3つは不可分
と言うか海外(東南アジア)だとこの3セットの構図があるんだけどな・・・
まあこの手の話としては高天原=邪馬台国とか
そんなもの「語呂合わせ」の域を出ない
埴輪にあるサボテンダー。あれが日本人の先祖。
埴輪ってユダヤ人みたい。
土偶よりはいいんじゃね 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
>>251 継体天皇の代替わりの頃だよね。
王位継承で揉めたんじゃないかなぁ。
筑紫の磐井って武内宿禰の子孫じゃなかったけ? 武烈天皇ではなかったと思うけど。
279 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 02:12:47.23 ID:gs8EezxHO
どちらかが兄格で弟格なんだろう 隋書の倭国伝を参照するにさ
>>271 だから、自分で言ってるじゃん。
>神話の構図で言えばこの3つは不可分
だから卑弥呼と弟の伝承を神話にするときにツクヨミを追加したんだろ。
天照とスサノオをモデルがいると思うけどツクヨミは全く架空っぽいしな。
281 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 02:28:00.03 ID:gs8EezxHO
ツクヨミって女のイメージがあるけど 男設定なんだろうか?
天皇家の家系図に、アメノオシホミミの所に 「天照太神与素戔尊化生給 天照太神 与此尊於天宮給 不下此國治天下九万 四千三百年也」 って書いてあるけど、現代語訳よろしく!
天照大神の所に、「日神爲地神始」って書いてあって、 それに対して月読尊は「月神」って書いてある。
284 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 02:47:55.60 ID:1ERAO5lv0
卑弥呼を日御子として太陽信仰と結びつけるのが定説だけど 古代日本が太陽信仰だったら ・太陽信仰なのに太陰暦を使用している ・太陽信仰なのに夏至や冬至に祭祀がない この二つが説明できない
285 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 02:51:48.75 ID:gs8EezxHO
必死にモモソを卑弥呼に比定しようとしてるけど あの人は蛇信仰だからなぁ ナガスネヒコと同じでしょうに
286 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 02:55:24.81 ID:P0frTR5C0
>>284 まあ太陽信仰もいい加減適当安直だよなw
むしろ縄文時代東日本の環状列石に夏至当時春分秋分を
意識したと思われる配置が見えたりする
この西殿塚古墳や纏向のある古代の奈良盆地東南部に太陽信仰の痕跡ってあったっけ?
伺えるのは祖霊信仰・首長霊信仰・五穀豊穣を祈願しての食物霊信仰
あと水路とかから水に関する信仰もあったか?
>>284 卑弥呼の時代(3世紀)には太陽信仰があったんだろうね。
けど、記紀の時代(8世紀)までには失われたんだと思われる。
その原因はいくつか考えられるが、その間500年の隔たりがあるということが
太陽信仰って対外的側面なんじゃないのかな? 太陽神が自ら太陽を信仰するっておかしくない? 外国人が八百万の神を方角に例えて太陽信仰するなら分かるけど。
西洋の地図にも、東側を上にしてある昔の地図があるけど。あれも燃えるような太陽を上にしてるし。
古代に太陽信仰でない民族って無いんじゃないか。
>>288 >太陽神が自ら太陽を信仰する
卑弥呼は太陽信仰の巫女だったわけで、卑弥呼自身が太陽神だったわけじゃない。
しかし、時代が下るにつれ、卑弥呼そのものがアマテラス神として崇められるようになったのだろう。
死ぬと神や仏になる例が、日本では多数あるからね。
292 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 03:17:14.75 ID:EXsps6GN0
旧約聖書とか新約聖書の宗教圏では、 TO図ってのがあって、エデンの方角である東を上にしてある。 左下がヨーロッパ、右下がアフリカになる。
>>290 太陽が重要なのは言うまでもないが、
海洋民族の場合、潮の干満を左右する月の方が重要だったと考えられる。
太陽信仰がそもそも最初にあったという考えは柔軟性を欠いてるだろ。 卑弥呼が日巫女とは限らない。火巫女かも知れん。 皇室の高祖神が、かなり早い段階だろうけど、天照大神が代表となってるし 国号の日本も、日の丸も成立時期を考えると、 飛鳥時代あたりの成立かも知れん。 博物学的知識が乏しいので当てずっぽだけど。
俺は生粋の日本人だけど、蛇はダメだ。みるのも嫌だ。蛇信仰とか拷問だろ。
296 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 03:24:45.67 ID:P0frTR5C0
今でも地方の何処かに残ってるかもしれんが 例えば祭りの時に山から高い木(高木神に通じるw)を持ってきて 祭りの場に立てておく その樹梢を依代として神が天から降下してくるような信仰は 天の太陽を仰ぎ見る信仰じゃなくて 天から神を降ろす信仰なんだよな 山中にある磐座も神を降ろす場だろうし まあ古墳時代やその前の弥生末期の太陽信仰と言われても 具体的にそのようなものだったか伺える材料なんて無いんじゃないか? 皆好き好きにイメージだけで語ってるのが精々とw
出雲系の邪馬台国が、いつごろから八百万の神を持ったのか知らんけど そもそも太陽信仰とは限らんだろう。 大和政権は天照直系とした時期にはすでに太陽信仰だろうとと思うが。
298 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 03:28:59.80 ID:P0frTR5C0
>>294 伊勢で神宮に奉納する物を運ぶ荷車や船には
「太一御用」の幟がたつが
「太一」ってのは北極星のことなんだよな
そもそも「天皇」というのが北極星の擬人化みたいなもんで
ついでに言うと神宮の二十年ごとに建て替えられる
本殿には「天の御柱」というものがあるらしい
(と言うか写真で見た記憶があるから公開されてると思う)
「柱」と言っても構造的に何かを支えているものじゃなくて
ぶっちゃけ「杭」なんだが
これなんかも北極星のイメージだな
他には牛頭天王の牛信仰かな? 考えられる信仰は色々とあるな
>>295 蛇は脱皮するんで、生まれ変わりや不老不死といったイメージがあるんで、信仰の対象になるんだと思う
>>299 牛信仰は5000年くらい前のメソポタミアあたりが発祥だろうね
関係ないけど、アルファベットのAは雄牛が起源
太閤秀吉「全部、磐井が悪い」
>>274 昔、ロボってアニメでハニワ原人ってのが敵キャラで出てくるのを見て記憶がうっすらと。
ヤマタイカとか言う名前じゃなかったかな?
303 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 03:59:42.31 ID:pVgDCAGY0
天照は比較的新しい神。天照が最高神となるのは天武の頃。 崇神の頃に天照は居なかった。 ま、卑弥呼が生きてたとき巫女であって神ではないからね。 なのに記紀では崇神が天照を分祀をトヨに指示して、伊勢神宮のもとを作ってる。
304 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 05:23:55.29 ID:XPTi7IO30
305 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 05:32:55.55 ID:cK7xoNjN0
306 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 05:38:39.99 ID:qm2owhuF0
.
>>16 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 12:43:50.07 ID:LaX6HFmc0
>天文学者の意見では、日食が観測できたのは九州北部なんだよな
>それだけで畿内説は弱い
>>110 >男子は皆顔や体に墨や朱を塗って刺青をしている。
>倭地は温暖で冬夏生菜を食す。皆裸足である。
>これらの記述を見るに南方の風俗としか思えないが・・・
前スレ
>>69 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:37:49.64 ID:wlLi/jJB0
>箸墓からは馬具が出ている。
前スレ
>>73 :名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:50:09.10 ID:wlLi/jJB0
>魏志倭人伝に倭には馬がいないと書いてある
日食と魏志倭人伝の記述からどうしても九州説だな、畿内説は無理がありすぎる。
307 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 05:45:45.11 ID:QlztesCFO
308 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 05:49:33.14 ID:qm2owhuF0
. 九州説+東遷説で決まり
>>302 鋼鉄ジーグだったかな?
主役が古屋徹で、ヒミコ?を当時の カツオの声優さんがやってたな
311 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/15(火) 06:14:06.11 ID:1RtdxyPZ0
九州東遷っていうけどさ、 当時の人間の認識で「地縁」ってそんなに軽いものかな? なぜ父祖の地を捨てて東遷するの? 災害とかで住めなくなったならともかく、近畿政権を討伐するほどの勢力があったなら そのまま九州に本拠地を置いて統治すればいいじゃん。 それこそ古墳なんて祖霊崇拝の形なんだから、その地を離れるって矛盾すると思うんだけど。
>>311 神武の東征は記紀では新天地を神の意思を受けて作ったように書かれているが
しかし私は遷都と言うよりも、逃亡したのではないかと思っているよ
日向を拠点としていた勢力が、南九州での勢力争いに破れ
逃走してたどり着いたのが、当時は弱体だった畿内
そこで畿内豪族と戦って、畿内を支配した
こうした事は歴史の中ではよくあることだからね
例えて言えば匈奴に敗れた月氏国が、逃亡の末、新しい地を手に入れて支配し
大月氏国を作った例とか
エジプトを追放されたイスラエル人が、放浪の末にイスラエルを建国したとか
何で、こんなことを考えるのかと言えば、神武の東征がもし遷都であったのなら
九州を拠点とした勢力の拡大ってことになるが。
しかし南九州の隼人族は、長らく大和朝廷と敵対関係にあり
六世紀ごろまで対立が続いていたのだからな。
南九州の戦いに敗れ、畿内に逃げていった一派が、やがて力をつけて大和朝廷に成長した
このように考えるべきではないかとね
313 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 06:44:39.15 ID:kWtGJbPP0
阿波説、ええと思うよ。朱(水銀)のくだりでは、当時そこしか 該当せえへんしな。しかし雄大な九州にロマンを感じたいおっちゃんの 気持ちも分かってんか。 ロマン言うても日活ロマンポルノとちゃうで。(´-ω-`)y-~
314 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 06:57:03.92 ID:P0frTR5C0
>>311 >そのまま九州に本拠地を置いて統治すればいいじゃん。
激戦区()の九州が厳しくて九州を飛び出たとして
大和につくまでに居つける場所が見つからなかったのかって話だなw
邪馬台国東遷説なんて
先ず邪馬台国の場所を確定してから言えという当たり前の話
消火器の押し売り
「消防署の方から来ました」
東遷説
「九州の方から来ました」
315 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/15(火) 07:01:41.84 ID:YaXT7m680
邪馬台国近畿説を言っている者は勘違いをしている。 倭国=邪馬台国では無いんだよ、邪馬台国連合は倭国(百余国) の内のほんの20数カ国なんだ、奈良が倭国の中心になったのは飛鳥時代 からで弥生時代は中心は無かった、従って大陸や半島に近い北部九州の方が 発展するのは当然の事だ。
ノブナガンに出てた。
317 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 07:18:18.10 ID:7mAjFvjrO
本を数冊(九州説と畿内説2〜3冊ずつ)読んだだけの素人の俺からすると、九州vs畿内の図は違和感ありあり。畿内説って二大候補に挙がるものなのか? 特に学者を自負するなら「立派な遺跡→卑弥呼」みたいなのはヤメてほしいなあ。「→」に根拠が提示されてないんだよ、俺の読んだ本では。 こんなん畿内にも勢力があったという証にしかならん。
318 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 07:27:11.79 ID:P0frTR5C0
>>317 俺も大概にドがつく素人だが
遺跡単体の話にしか理解してないのならあまりに皮相的
>>284 そりゃ記紀に明記してあるとおり、支配部族と被支配部族の関係だからでしょう。
wiki >毎年2回、春分日に春季皇霊祭(しゅんきこうれいさい)、秋分日に秋季皇霊祭(しゅうきこうれいさい)が斎行される。
皇室では行われているわけです。ただし庶民には行き渡らなかった。
これは皇室の特権意識もあったと思います。
伊勢神宮は一般的で無くて、地神に結びついた国津神勢が地元では人気でしたしね。
地鎮祭もその名残かもしれませんね。
日本神話ではまず身近な大木が神として出てきて、天と地を分けます。
関西(特に京都)の奴は、日本の中心が関西でないと気が済まないのだろう。
学者がいま一番問題にしてるのは九州説か畿内説かよりも ヤマト王権が成立する直前の3世紀中葉頃の日本の状況なんだけどな その意味で纒向遺跡が重視されてる それも理解できないから九州説なんかにしがみついてるわけだ
322 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 07:37:37.14 ID:SFDrEFPMO
>>311 >九州東遷っていうけど…「地縁」ってそんなに軽いものかな?
明治にも東遷したよね。
倭・百済連合軍が敗れた後とか唐が日本に攻めて来るかも知れないってんで、瀬戸内沿岸に鬼ノ城とか複数の防衛拠点を作った時代がある。
もしかしたら実際の東遷はその時だったりかもな
323 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 07:39:57.94 ID:7mAjFvjrO
そもそもで畿内説という畿内説は全て「南を東に書き換える」という無茶の上にあるよね・・・。
324 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 07:45:20.99 ID:P0frTR5C0
忘れてないか? 神武東征で、畿内にいたのはニギハヤヒだぞ! 神武天皇の曾祖父の兄だぞ! 何で異民族だと思ってるんだ?
326 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 07:54:04.60 ID:Niv4LTNY0
困った時は、ゴッドハンドの出番だ 彼に都合の良い物を、発掘してもらおうぜ
327 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 08:33:42.79 ID:SFDrEFPMO
>>315 >大陸や半島に近い北部九州の方が発展するのは当然
東北の方では黒龍江の辺りと交易してたり、出雲や越の国とか日本海側は割と大陸と直接的なやりとりしてたんじゃないか?
朝鮮半島が近くて利になるのは、倭に朝貢して来てた朝鮮半島からの鉄鉱石とかの入手だろ。だから稲荷山古墳とかから、大王(雄略だっけ?)下賜の象嵌入り鉄剣が出たりするわけで
328 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/15(火) 08:45:08.14 ID:YaXT7m680
>>327 航海術の発達していない時代だから対馬から釜山に渡る方が一番安全だよ。
329 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 08:50:58.84 ID:HF8AiDFcO
日本発の考古学ネタは全部ゴッドハンドに思えてまるで受け付けない、記事本文読む気すらしない 科学ネタもそうなりつつあると思うと、おぼ子の罪はとてつもなく重いな
<長文1> おそらく九州説の人は記紀の内容を知らないでいると思う ここで一度、整理をしよう ・まず、スサノオが出雲とかに天降りした ・タケミカヅチが国譲りしてもらって、一度葦原中国は平定されている ・神武天皇の曾祖父ニニギが、伊勢住みのサルタヒコに道案内してもらって、筑紫の日向に天降りした ・ニニギはアマテラスから天壌無窮の神勅を受け、「葦原中国は天照大神の子孫の治める所だ」となった ・神武東征に先立ってニギハヤヒが河内に天降りし、後に大和に移住した ・神武天皇は葦原中国を治めるに相応しい所に移りたいと思うようになった ・神武東征した ・ナガスネヒコが「何で天神の子が二人もいる?」って神武天皇に聞いた <つづく>
<長文2> <つづき> ・神武天皇は「天神の子は沢山いる」と言った ・神武天皇とニギハヤヒが天神の子であることを証明し合った ・どちらも天神の子であることが証明され、神武天皇もそれを認めた ・ニギハヤヒは、神武天皇の三種の神器をみて、神武天皇に従った これらのことから、豊葦原中国の範囲は、伊勢から出雲や筑紫の日向までになることが分かる 九州王朝のニニギ系、出雲王朝のスサノオ系、大和王朝のニギハヤヒ系 これらが、豊葦原中国の一番を決める争いだったのが、神武東征だろう で、魏志倭人伝は、記紀の内容のどの時代に該当するのか? 九州説なら、高天原から葦原中国内の筑紫の日向に天降りしたニニギ〜山幸彦〜アエズ〜神武東征して筑紫の日向から大和に移住した神武天皇の、この4代の内のことじゃないと、九州には辻褄が合わない 畿内説なら、高天原から河内に天降りして大和に移住したニギハヤヒから、神武天皇など歴代、ずーっと可能性がある
332 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 09:51:47.58 ID:gs8EezxHO
神武って東征のためだけに創造されたキャラクターだから そもそも神武が居なかった、もしくは地元の豪族だった無理があるよな
>>308 違う。東遷も東征も無い。
考古学的に否定されている。
1.近畿説
2.九州説+東遷説
3.九州説+東遷も東征もしてない説
3.が正しい。邪馬台国は滅んだ。
墓ドロボーが居なきゃこの発見も無かったのか
335 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 09:59:46.81 ID:4OR0WTTR0
依然から東征・東遷は学会的には否定されて来たが、実は近畿説が拠り所としている 纒向こそが、東遷・東征を否定する決定打となった。 纒向では西日本全域から土器が運ばれて来ているが、九州のものは僅かしか無い。 征服者としての九州勢という説は、完全に否定された。(もともと否定されてたけどね。)
336 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:00:14.30 ID:gs8EezxHO
神武が武内宿禰なんじゃないの? 年代と身分を誤魔化すために神話創造したんじゃないか 後に武内宿禰の系列が応神に引き継がれて本物の大王に列したからオールOKにしたと
337 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:08:43.09 ID:pyBiQ+KjO
いい加減支那が蔑称卑弥呼やめれや 確か日本では日御子だら
スサノオが、高天原からソシモリや出雲に天降りして、スサノオの子孫が豊葦原中国の国津神となった。 アマテラスが、常陸や下総のタケミカヅチらなど高天原の神々を派遣して、国津神の大国主から豊葦原中国を国譲りしてもらった。 一度、高天原勢が豊葦原中津国を平定しているのに、神武天皇が豊葦原中津国を神武東征して平定しようとするのは。 これは、豊葦原中津国内の内乱だからだと思う。 要するに、戦国時代の日本国は朝廷の下、北は陸奥から南は薩摩まで平定されてはいたが、大名同士で争っていた。 これと、同じではないが、似たように。神武東征とは、豊葦原中津国内の戦国時代だったのだろう。 同族同士が、豊葦原中津国の一番!を競い合っていた。
339 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:16:01.11 ID:4OR0WTTR0
>>337 呼はコとは読めないことが分かっている。ヲのはず。
ただ、ヒメヲでは意味がわからない。
ヒメヲホ(比売大)では無いかと思う。
宇佐の比売大神は比売+大神と言うことになっているが、
ヒメヲホのカミが正しいんじゃ無いかと思う。
但し、宇佐の比売大神は恐らく卑弥呼では無くトヨだけど。
元々神宮は、江戸時代まで伊勢神宮と鹿島神宮と香取神宮しかなかった。宇佐の神宮は近代。宇佐神宮は、そんなに珍しい所ではない。
341 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:27:09.33 ID:60cIZavY0
記紀にも神武兄弟は各地を転々として出兵を依頼し 吉備の軍勢を借りて東征したように書いてある。 東遷はなくても 東征は吉備の影響があればおk。 いわゆる「東遷」の実態は、 九州王朝の下で作られた 万葉集とかを 近畿のものだったということにするため、 近畿に九州北部の 地名をコピーしたり 寺社を移築したり。
342 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:31:19.22 ID:oF6CKNtY0
いつまでも魏志倭人伝とかいう ありもしないウソの名前を教科書で教えるな 三国志はあっても魏志はなし 魏書はあっても魏志はなし 東夷伝はあっても倭人伝はなし 倭人の条はあっても倭人伝はなし
九州は九州人が思っているほど珍しい所ではない。 九州起源説も無い。 九州人にとっては九州説の方がロマンを感じて支持するんだろうけど。 記紀にも明記してあるように元々九州は中央からずっと離れた争いの多い遠い場所。
344 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:41:07.84 ID:4OR0WTTR0
過去にでた邪馬台国説で、一番真実に近いのは、本居宣長の説。 これはやはり流石希代の碩学と言うべき。 但し、本居宣長の説で一番間違っていた点は、彼にとって一番大事なものであった 皇国史観だったという実に皮肉な結果。 九州の邪馬台国こそが正統であり、近畿ヤマト政権は権力の簒奪者だった。 本居宣長が九州の女酋とした卑弥呼こそが正統であり、近畿ヤマト政権こそが地方の酋長だったのだ。
このスレって一体何人、現代の考古学の成果を知っている奴が居るのか不思議だわ。 もう畿内説で決着付いてるのに、未だに九州説を信奉してるなんて 文献史学こねくり回して妄想してた100年前から成長が無い歴史宗派の信者くらいしか居ないだろ。 恥かしいとは思わないんだろうか。
346 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:46:34.73 ID:4OR0WTTR0
347 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:46:42.45 ID:60cIZavY0
>340 宇佐は応神天皇を祀ってるから特別。 応神−−仁徳 は陵墓の巨大さからしていったん西日本を統一している。 応神の誕生譚からして応神で王朝交代しているから (それでもニニギ子孫の一族内部での交代だろうが) 皇室的には中興の祖を祀る重要なところ なのでないか。 さらに天武で王朝交代 (それでも応神子孫の一族内部での交代だろうが) とも絡むのかも www.geocities.jp/haitsudeko/deko/his/iken/25.htm
吉野ヶ里程度の程度の集落なんて 同時期に畿内でもっと大きいものがワラワラ湧いて出てるのどう考えてるんだろ。 マヌケが居るわ。きっと勉強の足らない老人なんだろうが。
349 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:50:01.02 ID:4OR0WTTR0
近畿説と東征・東遷肯定説は小保方擁護と同類。
そもそもアマテラスは九州になんて天降りしていない。 天降りをしたのは、伊勢住みのサルタヒコに道案内され、下界である豊葦原中国内の筑紫の日向に天降りしたニニギである。 そのニニギの子孫であるカムヤマトイワレビコノミコトが神武東征するまでのたった4世代の時代しか、九州という地は注目なんかされていない。
351 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:54:55.76 ID:4OR0WTTR0
近畿説と東征・東遷肯定説は小保方擁護と同類。
352 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 10:57:57.62 ID:60cIZavY0
>350 つ 隋書倭国伝「有阿蘇山」
>>178 福岡・熊本あたりの〜ん(〜の)は奴の名残かね
たとえば南の山って意味で南ん山(南奴山)と言ったり
354 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 11:22:43.06 ID:60cIZavY0
>348 吉野ヶ里は遺跡が倭人伝の描写そっくりなので 邪馬台国を含むの文化圏の一部として注目される。 他でいくら立派な遺跡が発掘されても 倭人伝の描写と食い違いの大きな特徴があるなら それは別な文化圏。 倭人伝は邪馬台国が倭国全体の中心的繁栄地とは言っていないのだよ。
355 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 11:42:14.67 ID:60cIZavY0
>339 呼は「カ」だという。 www.geocities.jp/haitsudeko/deko/his/iken/05.htm
356 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 11:44:09.22 ID:ow+Ohgj/0
「古代の宇宙人」化まだ?
357 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 11:47:37.80 ID:NBBzy0f60
蘇我と称して阿蘇山の近く肥後が九州王朝 自ら滅んだのを歴史に残してる が九州より近畿のほうが大国だった 九州王朝は朝鮮セオリー
358 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 12:01:52.56 ID:60cIZavY0
西暦632年、唐からの使者「高表仁」が 海底火山の噴火に遭遇したような記録があり home.p07.itscom.net/strmdrf/kyusyu_text5.htm この時点の倭国の都は薩摩にあった可能性が高い。
359 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 12:06:18.89 ID:7mAjFvjrO
>345の頭の悪さたるや・・・ リア友で指摘してくれる人がいないんだろうか
360 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/15(火) 12:15:55.52 ID:1RtdxyPZ0
>>322 勝手に改ざんしないで><
>九州東遷っていうけどさ、
>当時の人間の認識で「地縁」ってそんなに軽いものかな?
>九州東遷っていうけど…「地縁」ってそんなに軽いものかな?
「当時の人間の認識で」ってところが歴史学では忘れてはいけない基準でしょ
明治時代と弥生時代じゃ「地縁」に関する意識は全然違うと考えるのが妥当じゃない?
361 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 12:21:27.16 ID:etgX5IKSO
台与は美人。ブサイクだったら誰も言うこときかないだろ。
362 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 12:25:28.12 ID:gs8EezxHO
>>285 モモソの前のトトヒをトトビにする面白いな。鳥飛と当てる人もいるとか。
トビ=トミ、音意味合いともなんとなく同じだから、トヨと関連しそうだ w
モモソを比定すると死後1000人程度の死者という乱を
武埴安・クーデターとして比定してもオケだな w
元祖ネトウヨの本居宣長が邪馬台国=ヤマトコクと1000年も呼ばれていたのを
突如邪馬台国=ヤマタイコク
とか言い出した
邪馬台=ヤマト、台与=トヨ
台=ト、で呼び方は間違っていないと思う
>>361 土居たかことか、太田ぶさえとか
365 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 12:53:11.62 ID:7innruFT0
>>361 ヴィクトリア女王は肖像画が大量に配布されたから人気を得たが
卑弥呼の時代は肖像画を描く紙も無かっただろうから不明。
>>354 全く酷い妄想だな。九州から畿内にかけて当時すでに大きな交易が形成されてたのがわかってるのに
> 倭人伝の描写と食い違いの大きな特徴があるなら
> それは別な文化圏。
こんな理屈にもならん妄想で、マヌケを晒すなんて。
描写に食い違いなんて失禁しそうになったわ。
まず卑弥呼と同時代の奈良の古墳群が、 吉野ヶ里等九州の古墳群と如何違うのか。 まだ倭人伝の描写なるものの違いがどう反映されているのか。 ぜひ知りたいもんだわ。
368 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 13:11:54.02 ID:gs8EezxHO
萌え要素はあったろ つうか元祖萌え神だろう 14歳くらいの女の子を王様にしようぜ、とか 普通のテンションじゃない
清寧没後のオケヲケ兄弟譲り合いのときも 飯豊女王がお前らだらしないから俺がやるわとなったけど これも少女だった説があるんだよなあ
370 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/15(火) 13:35:43.07 ID:YaXT7m680
邪馬台国近畿説の者に尋ねるが、魏志倭人伝に書かれている国名が福岡市近辺 はかなり現在の地名と一致するがそれよりも後の国名は未だに何処の地名なのか 解明されていない、魏使が奈良の邪馬台国に行ったのならば奈良までの国名は 正確に書けるはずだ、つまり魏使は奈良には行っていないと言う事だ。
371 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 13:38:05.70 ID:r4ApFKr60
>>246 伊都国は邪馬台国の出張所であることは書かれてるわけだから・・一大率をおいている(後の大宰府のようなもの)
邪馬台国は伊都国から遠いところになる
近畿か九州南部だけど
わざわざ出張所を作るとしたら近畿だろ
372 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 13:46:17.99 ID:k3bGu90h0
>>350 猿田彦、佐太彦、佐田彦佐太御子は伊勢だけじゃないよね
この重要人物というか、この大神についての記録は
「出雲風土記」が有名だし
373 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 13:47:57.42 ID:7innruFT0
374 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 14:46:08.14 ID:7mAjFvjrO
俺的には邪馬台国など日数行程記事の部分は存在すら怪しいと思ってる(勝手な予想)。 九州も畿内も強烈な根拠がないのに「ほぼ断言」しているのは学問の名に恥じやしないかな。 しかし無理やり感が圧倒的なのは畿内説。 多分学問以前の部分で似た人間の集まりかなと思う。
375 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 14:55:13.57 ID:NBBzy0f60
魏志で狗奴国と書かれたのが難波京滅ぼして 九州王朝の亡命貴族受け入れて 魏志のヤマトの起源主張
376 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 14:55:49.25 ID:SFDrEFPMO
>>338 素戔嗚尊は半島倭人を含む渡来人の神さんで、出雲に元からあった須佐之男と習合された。だからソシモリ→紀州→出雲に行かなきゃならない
そん時に「神武とニギハヤヒ」と同じく、半島倭人を含む渡来人と列島倭人の同化を目的に
本来のイザナギが産んだ日神・月神の神話の月読を素戔嗚に置き換えた。
これは月読と保食神→素戔嗚と大気都比売神に唯一の痕跡がある。
なので月読の神話が無い現状になる。日蝕も、暦の知識が無くとも地上からの見た目サイズが近い月が太陽の所に行った話が合理的だし
月齢と月の位置で、海水面の高さが変わるのは経験的に解る。よって海神の神格すらも本来は素戔嗚ではなく月読のもの
素戔嗚は渡来神
台与(壱与とも言う)が存在したのが西暦250年頃 応神天皇が存在したのが西暦280年頃 畿内がいつから日本の中心だったかだけの問題。
378 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 15:07:56.42 ID:SFDrEFPMO
>>350 >そもそもアマテラスは九州になんて天降りしていない。
孫は高千穂に降りたが、天照が降りた話は知らないなw
だけども、イザナミが天照・月読を産んだのが筑紫(筑紫の島=九州)日向の橘の小戸と神話にある
>>285 「トミ」って名前とか、龍蛇信仰だと、むしろ出雲系っぽいんだよね…。
大規模な東征とかがあったのであれば、文化も当然流入するはずなんだけど
土器の出土状況は逆って言うのもおもしろいよね。
近畿に九州の土器が入ってこないとおかしいんだけど
実際は、吉備や出雲の土器なんかは出てくるのに、九州の土器はほとんど出なくて
むしと近畿の土器が九州に行ってる。
だから、もし実際神武が九州から来たのなら、
軍勢引き連れて戦しながら平定してきたっていう感じじゃなくて、
ごく少数の人間で乗り込んできて、王として迎えられたって言う方がつじつまが合う気がする。
もともと、連合国家だったって言うし。
380 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 15:19:27.67 ID:SFDrEFPMO
>>355 >呼は「カ」だという。
新しい知識をありがとうございます。呼が「カ」ならば卑弥呼は個人名でなく地名という持論にぴったり合います。
卑弥呼→ヒムカ→日向国に関係ある女王。トヨ→豊国に関係ある女王。
国産みで四国が「伊予の二名島なので、トヨがイヨでも伊予国で成り立ち、どちらにしても日向に隣接しますね。
卑弥呼の弟は祟神天皇なんじゃないかと思っている 権威は姉で実際政治してたのは弟
383 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 15:32:00.17 ID:NBBzy0f60
難波京は漢字を使ってた倭国連合 狗奴国は漢字使ってなかったので 歴史は難波京の歴史援用と 九州王朝の伝説
>>378 そんなの、イザナギが黄泉国の穢れを落とす為に、ミソギをしに行っただけだろ。
>>374 >無理やり感が圧倒的なのは畿内説。
同意。距離や日数を無視しても「女王国から西に海を渡っても倭種の住む地がある」ってんだから九州がイヤでも四国ぐらいにしろってんだよなw
まぁお得意の方角ずらすんだろうけど。
知らない土地だろうと何だろうと、太陽も星もあるのに東西南北を間違えるとか有り得んよなw
386 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 15:57:39.54 ID:4OR0WTTR0
>>355 >>380 間違い。呼はカ行の音では無いことがすでに分かっている。ヲかホ。
-----------------
神武東征も東遷もあり得ない。これらは考古学的に否定された。
これが非常に大きい。ほとんど決定的な効果を持っている。
1.近畿説
2.九州説(東征か東遷あり)
3.九州説(東征も東遷もない。邪馬台国と近畿ヤマト政権は無関係。)
これが有力3説だったが、1.と2.は消えてしまった。
事実上、もはや3.しか残っていない。
邪馬台国論争は、終結を迎えようとしている。
近畿説と東征・東遷説は小保方擁護と同類。
>>384 >イザナギが黄泉国の穢れ
黄泉国を死者の国と勘違いしてるんだろw
昭和天皇の大葬の礼とか知ってりゃ分かるけど、イザナギは現代の通夜の原型でイザナミが風葬してある場所に魂呼びに行ったんだよ。
実際にイザナミの所でイザナギがやってんのも「生き返ってくれ」って魂呼びだろ。
トドメに書紀を原文でみれば「伊弉諾尊欲見其妹 乃到『殯斂』之處」ってイザナギはイザナミの殯斂(モガリ=分かり易く言えば風葬)の所に行ったとストレートに書いて有る
388 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 16:04:52.85 ID:4OR0WTTR0
神武東征も東遷もあり得ない。これらは考古学的に否定された。 これが非常に大きい。ほとんど決定的な効果を持っている。 1.近畿説 2.九州説(東征か東遷あり) 3.九州説(東征も東遷もない。邪馬台国と近畿ヤマト政権は無関係。) これが有力3説だったが、1.と2.は消えてしまった。 事実上、もはや3.しか残っていない。 と同時に、3.で全て説明出来る。 神武は東征したのでは無く、近畿側に雇われた雇われ店長だ。日本の古代史の謎は、これで全て説明出来る。 近畿説と東征・東遷説は小保方擁護と同類。
>>386 九州論者が終結しようとしてる、の間違い
もはや虫の息で糖質しか残ってない
390 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 16:07:43.88 ID:4OR0WTTR0
>>389 それお前w
過去にでた邪馬台国説で、一番真実に近いのは、本居宣長の説。
これはやはり流石希代の碩学と言うべき。
但し、本居宣長の説で一番間違っていた点は、彼にとって一番大事なものであった
皇国史観だったという実に皮肉な結果。
九州の邪馬台国こそが正統であり、近畿ヤマト政権は権力の簒奪者だった。
本居宣長が九州の女酋とした卑弥呼こそが正統であり、近畿ヤマト政権こそが地方の酋長だったのだ。
既得権益だから、お偉いさんがココと言えばそこにする理由を付けるだけ。学式
392 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 16:10:51.34 ID:4OR0WTTR0
近畿説と東征・東遷説は小保方擁護と同類。 これらに論は無い。いろんなことを言って誤魔化し、かき混ぜること自体が目的で、そもそも まともな議論をする気などない。
393 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 16:18:06.00 ID:NBBzy0f60
九州王朝倭国滅んだと言うのは倭国王の願い で唐に敗北した国そのものがなければ 占領される理由なくなるから
394 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 16:21:33.75 ID:aTD+fNU50
>>385 いや、東が南になってる行基図とか存在してるから。
>「女王国から西に海を渡っても倭種の住む地がある」
東にじゃなくて?
396 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 16:38:16.06 ID:4OR0WTTR0
397 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 16:55:06.58 ID:4OR0WTTR0
神武と崇神は、どちらも始めて日本を統治した天皇と言った意味の名前がついている。 これがなぜなのか、古くから議論されてきた。そして全ての論者が説明に失敗してきた。 だが、神武雇われ店長説なら、いとも簡単に自然な説明が出来る。 本当の王朝の始祖は崇神であり(箸墓も恐らくは崇神の墓)、建前の始祖は神武だった、というだけのことだ。 また欠史八代も簡単に説明できる。 神武は恐らく血統がよいだけで無能な人間であり、その子孫も崇神以前は 無能なものばかりだったから、残すべき事績が無かっただけだ。
398 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 17:27:04.76 ID:4OR0WTTR0
また、例えばアマテラスオオミカミは事実上、卑弥呼+トヨだ。記紀はアマテラスオオミカミについて長々と説明している。 なのに、日本書紀では卑弥呼のことについてワザワザ言及し、それが神功皇后のことであるかのような書き様をしている。 さらに奇妙なことに、断定していない。 この奇妙キテレツな記事は一体なんであるか?これの自然な説明が出来た者は、 実にただの一人もいない。 しかし、神武雇われ店長説なら、これもまたいとも簡単に説明可能だ。 そもそも近畿側は九州王朝のブランドとカリスマが欲しかっただけであり、 神武が持ち込んだ九州王朝の神話の中身はどうでもよかったのである。 いやむしろ、どうせ神話でしか無いのだから、詳しく分からないほうが却って都合が良いくらいだったかも知れない。 だから、元々他人の作った王朝の神話であるし、遥か昔の話しだから、本当に 分からなくなってしまっていた、が、正解だ。
399 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 17:31:04.79 ID:4OR0WTTR0
神武雇われ店長説以外に、古代日本史を説明する方法は存在しない。 と同時に、これで十分である。古代日本史の主要な疑問は、殆どすべてこれで説明出来る。 勇気を持ちなさい。 真実をただ恐れるだけでは、ケモノだ。
>>382 崇神は頑張ってさかのぼっても4世紀初頭
3世紀半ばの卑弥呼と合わない
>>397 神武(ハツクニシラス)=崇神(ハツクニシラス)は昔から言われてるよな〜
書紀で崇神天皇と出雲振根の所を読んでごらんよ。
出雲の国譲りに似てるからさ
タケミナカタ→イズモタケル(出雲振根)
オオクニヌシ→出雲振根≒振根が祀っていた出雲の祖神
コトシロヌシ→振根の弟・ヰイリネ
タケミカヅチ→タケヌナカワ
フツヌシ→キビツヒコ
ってな感じで話の流れも合うし、結局どっちのハツクニシラスも対象になる出雲の為に神社を作って祀るんだよな
>>249 そいや、応神天皇は宇佐八幡様てな伝承があったな。
たしか住吉大社神代記。
うろ覚えだけど、神功皇后が中国のとある王様の娘として転生して、
7歳のときにお腹に日光があたったら妊娠して王神(宇佐八幡)ろ産んだとか、
けっこう過激な話w
>>398 記紀では色々と書かれてはいるが。
アマテラスが皇祖神になったのは、七世紀ごろではないかとの説が有力だ
壬申の乱で伊勢神宮は大海人皇子の側についたことから、伊勢を皇祖神としたものであり
本来の皇祖神は、高御産巣日神との説が有力だ
高御産巣日神は、ムスビの神
生産や生殖さらに農耕の神であり、太陽神ではない
このことからアマテラスのような太陽神を卑弥呼との説は、どう考えても無理がある
>>321 うむ。
諸悪の根源は、その手のニュースを伝えるマスコミが、
「(卑弥呼の都といわれている)纒向遺跡で…」という余計な
枕詞をつけるところにある気がする。
>>403 宇佐八幡は元々は秦氏系の一族が祀っている神だから
厳密に言うと日本神話の神じゃないと思うよ。
大和朝廷って言うのは、自分の支配下に及んだ地域で
もともと信仰されていた神を、日本神話の神で上書きをするから、
本来の祭神とずれているケースが結構ある。
うちの神社なんか、主祭神が明神系(仏教系)だったから
明治の神仏分離令で無理矢理日本神話の神様に替えられたよ。
まあ、そういう為政者のご都合主義のあおり食らってるから注意しないといけない。
日本神話のベースになってる古事記だって、
天地天武持統あたりの政治的思惑に中臣氏の野心が絡んでできあがったものだから
それを考慮せずにベースにちゃうととんでもないことになる。
407 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 18:16:11.79 ID:rPLpPPli0
>>387 そのあと千引の石で塞いだじゃん。あれで「あっちとこっち」になったの。
天皇の代替わりはまた微妙に違う異界観のような気がする。
大嘗祭の時に皇太子は先帝の遺骸と同衾して、「魂」を引き継ぐんだよね。。
>>404 高御産巣日神は借りパクされる前はもともと高魂系の血族の神だよね
>>403 日光感精神話はよくある大陸や半島系の神話だよね
天日矛のところでも見かけるし
>>404 アマテラスってそもそも男神って話だよね。
それを古事記が成立した持統天皇のあたりで女神にし、最高神に抜擢した。
>>406 記紀編纂時と明治維新は神々の2大リストラだもんね。
>>404 が書いてる、タカミムスヒ→アマテラスへの交代もそうだし。
>>410 >>406 も書いてるように半島系だよね。
とまれ、宇佐八幡は大仏建立もいち早く応援して、うまく立ち回ったと思うw
>>409 というか、祝詞とかによると、もとはツングース系の神話だったらしい。
溝口睦子「王権神話の二元構造」だっけか。
>>406 仏教と道教のミックスでいっとき陰陽寮以上に一斉風靡した
辛島流の宇佐の祈祷の人気は物すごかったみたいだよね
>>411 だいたい、女神のアマテラスが「寂しいからメシ友が欲しい」と言ってるのに、
女神のトヨウケを連れて来るあたり、記紀を編纂してた頃も
微妙に混乱してたっぽいw
415 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 18:39:32.60 ID:rPLpPPli0
台与(壱与とも言う)が存在したのが西暦250年頃 仁徳天皇が存在したのが西暦320年頃 畿内がいつから日本の中心だったかだけの問題。
417 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 18:43:48.42 ID:NBBzy0f60
神と言う概念は唐のキリスト教のパクリでないの 日本人の神は先祖や季節感 倭国の起源は中国亡命貴族かも知れんね古代文字使わず 漢字だけ 唐軍と戦ったり 巨大古墳作ったり ま日本人に滅ぼされたが
418 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 18:52:54.52 ID:NBBzy0f60
王子が馬ごやで生まれた聖徳太子は 後世キリストのパクリだと思われると思わなかったのは パクリに罪悪寒無かった
419 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 18:53:36.39 ID:DZ5AQ+ej0
卑弥呼にはお世話になりました
420 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 18:54:40.49 ID:gUUyzRJe0
>>1 大川隆法に卑弥呼の霊を呼ばせてしゃべらせれば一発。
>>390 神夏磯媛のような大物シャーマンはたくさんいたよね
彼女は流行りの先端だったし3種の神器も持ってたし
でも卑弥呼じゃないよ
あの3種の神器も新参側に借りパクされちゃったのかな
422 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 19:20:35.87 ID:NBBzy0f60
だからアマテラスは聖母マリアのパクリなので 卑弥呼は別だとは
423 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 19:23:25.52 ID:SFDrEFPMO
>>406 読んでて思い出したけど、天孫降臨の天照大神のモデルは持統天皇だって説があるよな。
持統天皇→草壁皇子(持統のただ1人息子だが即位せず)→文武天皇(草壁皇子の子)。という流れを下敷きに
天照大神→忍穂耳→邇邇芸。というストーリーが作られたんじゃないかって説を たぶんNHKで聞いたことがある
アマテラスが男神ってほとんどトンデモレベルの話だからな
425 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 19:37:46.59 ID:SFDrEFPMO
>>408 >そのあと千引の石で塞いだじゃん。
千引きの石って岐の神(塞之神)のことでしょ
逃來猶追到黄泉比良坂之坂本時
(逃げ来るを、猶ほ追ひて、黄泉比良坂の坂本に至りし時)
って「イザナギが坂の下まで駆け下りて逃げて来てる」から、殯斂の場所は
日本古来の祖霊信仰どおり山の上だと分かるし
塞の神で悪霊・悪神から集落を守るようになった起源神話だよね
あと殯斂の場所とか禁足地に用も無いのに行かないようにって戒めの説話でしょ
根本的に大和朝廷が畿内で問題ない。 が、邪馬台国は魏書を見るなら九州島だし、マスゴミ調に「邪馬台国≒大和朝廷∴邪馬台国は畿内」ってやるなら 邪馬台国≒大和朝廷なら東征もセットだろってなるんだよな。
三国時代の呉が日本に攻め込んだって話もあるけど どうなんだろ。時期的に面白そう。
428 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 19:59:54.59 ID:Kvql+1nv0
なにより紀元前に中国に航る術があったってのが凄いな 海の向こうに国があるって知ってて、その国の言葉を喋れるんだからな 当時の文化は想像以上に進歩してたのかも知れんね
>>312 つまり大暴れして追い出されたスサノオが
近畿に逃げてそこで大和朝廷を立ち上げたわけだ?
やっぱり天照大神が卑弥呼でスサノオが神武天皇じゃん。
>>424 いや、たぶんホツマツタエとかの偽書をイメージして「トンデモ」って言ってるんだろうけど
そもそも「アマテラス」という言葉で女神として語られるようになったのは日本書紀/古事記からなんだよ。
でも、急に出てくるわけはないから、
その原型というか、ベースになる信仰というのがあったのだろうとされるわけ。
それで見ていくと「アマテル」という名の太陽に関連づけられる神がおり
おそらくここが原型という説があるんだよ。
その「アマテル」は男なんだな。
この件と、アマテラスを祀る伊勢神宮での祀り方に、
男性神を対象とするようなものが見受けられるので、もともとは男性神から変遷したのではとされている。
江戸時代あたりからある説だよ。
もともと古事記や日本書紀は、時の権力書の正当性を強調し、権威付をするため作られたものだから
ベースになった風土記の内容をあちこち改ざんしているというのは指摘されているとおりだし、
何らかの意図でアマテラスの属性を変更したとしてもおかしい話じゃない。
まあ、少なくてもトンデモっていう筋合いの説ではないと思うよ。
>>427 >三国時代の呉が日本に攻め込んだって話
その話だと、呉は日本が見つけられなかった挙げ句
台湾に辿り着いて、台湾人が酷い目に遭ったんだっけ?
432 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 20:44:35.07 ID:SFDrEFPMO
>>428 >紀元前に中国に航る術があったってのが凄いな
石器に使われたサヌカイト(讃岐原産だからサヌカイト)の分布を見ると感心するよな
>>429 素戔嗚尊は半島由来の神さんが出雲で元々祀られてた須佐之男と習合されて、本来は月読のだった神話をつけて作られた
半島倭人を含む渡来人と列島倭人を同化させる為の神さんでしょ
>>430 >アマテラスを祀る伊勢神宮での祀り方に、男性神を対象とするようなものが見受けられるので
そんなアナタに天照大神が産まれた日向国の大御神社(通称:九州の御伊勢さん)はどうでっしゃろ?
伊勢の信仰と混ざる前の天照大神はこっちかもな。
記紀の記述によると戦闘力は タケミカズチ>タケミナカタ>ミシャグジ だけは確定済みだな
434 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 20:50:53.83 ID:d5DI8Yf10
>>417-418 そりゃ、どう考えても聖徳太子の厩戸のエピソードは
ミトラ教(ミトラ教を消化吸収した仏教)からの影響だからね
キリスト教のパクリと思われるとは思わなかっただろうねw
435 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 20:56:17.33 ID:DqjgIuSD0
今の太宰府の付近にあったんじゃないかな? あるいは、宇佐~宮あたりが、卑弥呼の墓の跡地 なのではなかろうか?
436 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 21:00:35.19 ID:DqjgIuSD0
馬子=聖徳太子だということを伝えたいが、それを許されない 立場の伝記の編集者は、後の世の人に対するヒントとして 聖徳太子の厩戸のエピソードをこっそりと残して置いたの ではなかろうか。 あるいは「厩戸で産まれたという聖人伝説」にちなんで 馬子は名付けられたのではないか?
437 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 21:02:39.70 ID:kWtGJbPP0
>>361 昔の美人は今とは違う。例えば平安時代の源氏物語絵詞なんかを
見ても、下膨れのオタフクのようなうりざね顔が美人とされた。
言わんをや弥生時代。光浦や大久保顔がもてはやされたかも
知れんのう。(´-ω-`)y-~
>>427 三国鼎立の時代に外征の余裕があるわけないw
>>433 >卑弥呼の弟は祟神天皇なんじゃないかと思っている権威は姉で実際政治してたのは弟
邪馬台国が大和朝廷とする場合なら自分は卑弥呼は男系の中継ぎ女帝だと思ってる
弟(古語でオトト)が大臣(古語でオトド)の誤訳なら、天皇と大臣・摂生・関白・上皇・法王・征夷大将軍・(形式上は)内閣総理大臣と同じパターンになるし
これが日本的にピッタリなんか鎌倉幕府に執権の北条氏とか、室町幕府もそうだし、江戸も大老とか繰り返してるしね
実際の為政者がいて、それに権力を与える形式上の権威でいたから=そうでしかない存在をも甘んじてたからこそ
実在が認められてるとこからでも、現代まで皇統が続いたんかな〜とw
>>398 卑弥呼がアマテラスだと男系じゃなくなるし、卑弥呼は独身で子供はいなしと記してあるから
442 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 21:36:42.15 ID:Wdh3BiBz0
>>327 >東北の方では黒龍江の辺りと交易してたり、出雲や越の国とか日本海側は
>割と大陸と直接的なやりとりしてたんじゃないか?
古代にそれが可能だったなら、今でも北朝鮮から難民が続々日本海側に
漂着しそうだよなw
>>441 弟が継げば男系だよね?
やっぱ天照が卑弥呼でスサノオが神武。
>>442 技術は引き継がれなきゃ退化しちゃうからなあ。
海民が弁当持ってひょいひょい行き来してる東シナ海で
難破しまくっていた遣唐使船w
海岸線を考えれば簡単に分かるコトです 九州は福岡というか春日市辺りと 熊本市にしか平地が存在しません 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
>>442 頭から否定せずに調べて見ると良いよ
日本海側は、太古から大陸との貿易が盛んって常識だから
環太平洋域だとシーカヤックで交易もあったし、大陸と日本の移動を前提とした乗員と船でなくとも
『木造船で脱北9名日本へ迷走』みたいなニュースもたまにあるけど知らないの?
447 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 21:48:18.44 ID:Wdh3BiBz0
>>48 >当時の九州の海岸線地形が今と同じという前提で議論している人が多いのが笑える。
>大型河川流域は海だったんだよw
傾聴に値する意見だな。トヨとかヒムカとか、言葉遊びをやっているのは学問じゃない。
俺がこの意見に共感するのは、関東も千年前は内陸深くまで水運が発達する河川氾濫地域
だったことを、つい3年ほど前に知ったから。邪馬台国論争は、科学的知見を欠いた言葉
遊びをやり過ぎたね wwwwwww
>>329 たしかにあのゴッドハンドの件はちょっと衝撃的だったかも
ただ考えてみればお隣の国なんて、考古学や教育界全体がある意味ゴッドハンドみたいなもんだから、
あの程度で考古学が信じられないってのは日本の先人に失礼じゃないかとw
あとほんと山中教授の偉大な大発見が無かったらと思うとゾッとするね・・・
その点では小保方さんやその取り巻きの人達の罪は重いってのはまったく同意
>>443 継いだのは台与とある。しかし、神功皇后は結婚して子供がいるから卑弥呼ではありえない。
そして、中国にある広開土王碑に404年、倭が帯方地方(現在の黄海道地方)に侵入してきたので、これを討って大敗させた。
という記述があるので、神功皇后の朝鮮出兵はこのあたりの時期と思う。
450 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 21:51:51.86 ID:kWtGJbPP0
>>445 なら熊本でええやん。(´-ω-`)y-~
大勢の人が食べて生きていくのに 水と平地が必要なのは今も昔も変わりません たぶん熊本が奴国です 邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
>>449 トヨが継いだせいで神武系の分家の大和国に
正統な皇統はこちらにあると滅ぼされるなり
乗っ取られたんだと思う。
愛子の子供が邪馬台国の天皇を継いだせいで
畿内の大和に亡命していた男系の悠仁様を担いだ勢力に
駆逐される、みたいなパターンだったんだよ。きっと。
悠仁様の畿内亡命の道のりが神武東征ね。
453 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:05:18.81 ID:Wdh3BiBz0
邪馬台国論争は憶測と妄想、こじつけのオンパレード w
454 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:06:57.93 ID:d5DI8Yf10
さっきお風呂入りながら考えたら 正解にたどりついてしまった…俺すごい 「厩」というと木造の馬小屋を想像しがちだが 当時のことなので、「厩」とは馬を飼うための洞窟や洞穴のことであろう 「厩戸」とは洞窟や洞穴をふさぐ大きな岩(戸)のことである
海岸線から筑後川で 久留米市の可能性がなくもないな って思ったら浦山古墳があるな・・・ でも、邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
少し気がかりなのは、熊本や佐賀県長崎県のあたりは肥(火)の国と言われていて、大分県を豊(とよ)の国と呼んでいた。 この火というのは阿蘇山のことらしいけど。佐賀は吉野ヶ里遺跡があり、やはりあのあたりに巨大勢力があり、3世紀 あたりで消滅している。
>>48 ,
>>447 うむ。
俺も上総と下総の位置関係の理由を知ったときは感動した。
でもって、同じような成立の地名は九州にもあって、実は肥前の国と
肥後の国とは地続きじゃないのだ。つまり有明海岸の沖積平野は
「陸」(堅固たる大地)とは認識されておらず、街道は海上を通っていたと。
そこで、「魏志の言う『水行』とは『渡海』とは違い、沼沢が点在する湿地帯の
行程である」説が出てくるのだな。えっへん。
458 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:11:16.02 ID:kWtGJbPP0
>>453 火病起こす事でもないで。知的娯楽言うてや。(´-ω-`)y-~
459 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:12:13.10 ID:d5DI8Yf10
>>454 の続き
「厩戸」を『洞窟をふさぐ大きな岩』という意味にとらえると
3つのエピソードがつながる
アマテラスが『洞窟に隠れて、大きな岩で洞窟をふさいだ』というエピソード
太陽神ミトラが『洞窟の大きな岩から生まれた』というエピソード
この3つのエピソードが繋がった
>>456 7世紀頃まで九州には権力者が存在しますけどね(´・ω・`)
462 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:16:17.76 ID:d5DI8Yf10
>>459 の続き
「太陽神ミトラ信仰」がインドに伝わり「みろく菩薩信仰」になったと言われている
聖徳太子は「みろく菩薩」を信仰していたことで有名
おー、俺すごい
聖徳太子がなぜ「厩戸」と呼ばれていたか解明してしまった
そういえば九州は このスレで八女、八女言ってた人がいたよな 八女市に何かそれらしきモノがあるのか(´・ω・`)
465 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:20:08.90 ID:kWtGJbPP0
まあ言わば、邪馬台国論争はおらが村、おらが町起こしみたいなもんや。 意見の一致を見る必要もないで。それよりも横道逸れて、いろいろな雑学が 手に入るんが魅力やな。オイラは磐井に興味を持ったしな。(´-ω-`)y-~
>>461 3世紀以降は九州も前方後円墳が築かれ大和朝廷の権力下にある
>>453 >邪馬台国論争は憶測と妄想、こじつけのオンパレード w
そりゃ魏書の地理見ても葬儀の習慣を見ても九州島に有ったはずの邪馬台国を 大和朝廷に直結させたいが為に
邪馬台国が畿内に有ったことにするとか妄想とこじつけ(東西南北の方位すら変える)ですわなw
ま、ともかく
>>1 の古墳の隣接である纒向遺跡の考古学資料からは、邪馬台国と同じ時代に都と呼んでもよい建築群があって、その土器は全国的規模の搬入で、朝鮮からも片辺だがあったと。
しかもこの地は後々まで朝廷の地として周辺に都が作られてる。
遺跡や古墳が(推定年代の4半世紀の誤差でも)卑弥呼以前からなら、倭人伝で語られて当然であろう。
しかし古墳の前方、後方に二つの墓とはどんな人たちだっただろうね。
兄妹の墓とか w
>>464 他にもいたけど、俺も八女説。
開発が進まないと遺跡は見つからないんです! ><
西都原古墳群はどういう位置づけなの?
>>465 >邪馬台国論争はおらが村、おらが町起こしみたいなもんや。
そういう向きもあるだろうけど、合理的思考が好きで邪馬台国は九州な自分は
吉備国から分けられて分けられた美作国の人間であります
確かに八女は都市開発が進めば ここ掘れワンワン状態になりそうな気がしないでもない・・ しかし邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
邪馬台国はどこか=わかりません 邪馬台国とヤマト王権の関係は=わかりません 邪馬台国とは何か=わかりません まともに資料や遺跡を読んでもこの結論しか出しようがない 断言してる連中は何を見て語ってるのかその方が謎だwww
474 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:32:02.82 ID:d5DI8Yf10
>>462 の続き
国宝第一号は「広隆寺のみろく菩薩」
広隆寺は「聖徳太子信仰」の寺である
すべてつながった
「厩戸」とは『洞窟をふさぐ大きな岩』という意味で
太陽神ミトラ(みろく菩薩)は『洞窟の大きな岩』から生まれた
太陽神アマテラスは『洞窟を大きな岩でふさいだ』
国宝第一号の広隆寺の「みろく菩薩(太陽神ミトラ)」は
聖徳太子信仰の象徴と言われている
俺すごいわ
正解出しちゃった
終了
475 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:33:40.92 ID:kWtGJbPP0
邪馬台国って木簡とかある時代じゃないし。 ここが邪馬台国って示す物無いなら、永遠に論争抱えたままで 終わりそうだね。 アマチュアから専門家まで、一家言持った人多いけど 決定打は絶対に出ない感じだ。
>>473 映画の方の「ぼろしの邪馬台国」を観るのだ。
真剣に信じて研究に取り組んでいれば、
吉永小百合みたいな卑弥呼が踊りだすのだ。
478 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:37:17.80 ID:Wdh3BiBz0
中国文明を取り入れるのに地理的に優位にあった九州が日本の中心になれず、 近畿が日本の中心になったのは何故か、という問題。さらに、中心を奪われた 九州がなぜその後近畿に巻き返しができなかったのか、という問題。 邪馬台国がどこにあったのか、なんていう問題よりもこっちの方がよほど重要 な問題じゃないのか?
479 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:40:29.77 ID:NBBzy0f60
ヤマト朝廷が九州王の証拠全部燃やした のを推測されるのではある
>>473 >邪馬台国とヤマト王権の関係は=わかりません
ここだけ同意。邪馬台国がどこに有ったかは九州島でなきゃ百歩譲っても四国島
邪馬台国が畿内は認められない。邪馬台国=原大和朝廷なら畿内は神武が紀伊半島を迂回せにゃ落とせんかった(ここで伊勢が絡む)ぐらい栄えてたニギハヤヒとかの国で
九州島から東征して来た神武(現実的には一代でなく数代)=邪馬台国に取り込まれたと考えるのが妥当だろ
>>473 『隋書』では、都する場所ヤマトを「魏志に謂うところの邪馬臺なるものなり」と何の疑問もなく同一視している
482 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:43:54.32 ID:kWtGJbPP0
>>473 東大の某外人地震学者みたいだな。(´-ω-`)y-~
はじめに奴国が中国に使者送ってて、それを邪馬台国が属国にして、 狗奴國に取って変わった熊襲が邪馬台国連合を滅ぼして、大和が熊襲を滅ぼしたでいいのかな?
>>476 >決定打は絶対に出ない感じ
でも、魏書を素直に読みゃ「邪馬台国は九州島」でしょ?
今のところ、マキムクはニギハヤヒで邪馬台国は九州島がスッキリする感じ
国には中心って思想があるからね だから九州・中国・吉備・近畿で中心は四国 四国統一した土佐の長宗我が拠点としたのは白地城 歴史は繰り返す、人類の思考は過去からそうは変わらない 邪馬台国は池田高校(´・ω・`)
>>478 ,
>>486 日本(というか北海道と北東北を除く日本列島)をひとまとまりの
領域とみなす世界観って、せいぜい飛鳥時代あたりからじゃないのん?
それだって、畿内にあるヤマト政権が東北の鉱物や山陰-北九州の
交易なんかを押さえる必要があってこその世界観であって、九州の勢力が
本州に進出する理由は無い気がする。鉄は半島で調達してたわけだし。
>>485 それはとても決定打には出来ない。
魏書を疑う人を、納得させるだけの証拠は出せ無いでしょう。
全てを疑う人からすれば、この論争は「邪馬台国では無いかと思われる」で終わる。
489 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 22:59:00.12 ID:kWtGJbPP0
海の正倉院。玄界灘の宗像大社沖津宮には何かヒントは残ってないかね?(´-ω-`)y-~
490 :
♪@転載禁止 :2014/04/15(火) 23:01:21.51 ID:gUtNVBdy0
>>244 濃い顔って,アンタ,そりゃ,キヨソネが書いた肖像画だもの,濃く描いたんだよ.
Photoshopよりも強力にレタッチできるんだぜ.
明治政府としては,流布される「真影」には君主らしい威厳を伴った風貌が必要だったのだらう.
白村江の戦いに負けたからでねえの? 聖徳太子に関しては、もう白竜が動いてる 安心していい(何を?)
イヨは愛媛、可愛い姫と書いてエヒメ。よって邪馬台国は愛媛県ということで。
493 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 23:06:04.11 ID:NBBzy0f60
ま日本人虐殺した現天皇家とは別な 家柄では在るが
結局適当書いてる魏志倭人伝の、どこを正しくて、どこを間違ってると 考えるのか、その取捨選択だよなあと思う とは言え、国民の風俗は、綺麗に南方の海の民族を示してる これは魏人が「倭国」の話を適当に聞いてまとめて書いたにしても、 きっちりしてるので話半分にしろ信じておきたい所
>>483 大御神社…通称:九州の御伊勢さんとか薦めといてなんだけど、天照が産まれた橘の小戸がある日向国にあって歴史がある神社なのにHP見たら「朝○人に乗っ取られた大日寺かよw」みたいになってたねwww
いや笑えない。2000年〜2001年くらいに見てた「田島みるく」って漫画家のHPで散見してバカにしてた「徳島の霊場」「ちょっと奥の方にある観音像」を〜今になって
遍路道のハングルなステッカーのニュース→13番大日寺のキム住職〜で思い出して「あのコテハンはチョンだったか」って回想してるから笑えない
>>488 >それはとても決定打には出来ない。
魏書を疑う人を、納得させるだけの証拠は出せ無いでしょう
「魏書を疑う」なら邪馬台国の実在も疑って、邪馬台国の話題自体をスルーしたら良いと思いますw
日本国=奈良 倭国=熊本 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
>>494 代々の中原の政権は、良くも悪くも中華思想だもんな。
ぶっちゃけ傲慢ではあるんだけど、周辺を文明で照らそうという
意思は一貫している。んで、「照らす」という言葉は「見る」という意味も
あるわけで、中原政権にとっては周辺諸国の地理を把握し記録することは、
歴史の編纂と同じくらいプライドを持った仕事であったのだ。
てなわけで魏志の記述についても、過誤はあっても捏造はない、
という前提で読むべきだと思うの。 まあ結局、
>どこを正しくて、どこを間違ってると 考えるのか、
という話ではあるんだがw
いまだに ・好き勝手な距離の読み方 ・好き勝手な漢字の読み替え ・好き勝手な資料のつまみ読み ・好き勝手な妄想前提の珍説 これだけで話してる奴だらけなのが邪馬台国 そりゃ歴史関係ない胡散臭いのが次々と湧いて入ってくるわけだw オーパーツと同レベルだな
魏志の距離自体に何も信憑性がない。 あんなもんで地名を比定していく方が間違いの元。
500 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/15(火) 23:49:13.93 ID:YaXT7m680
邪馬台国近畿説の者に尋ねるが、魏志倭人伝に書かれている国名が福岡市近辺 はかなり現在の地名と一致するがそれよりも後の国名は未だに何処の地名なのか 解明されていない、魏使が奈良の邪馬台国に行ったのならば奈良までの国名は 正確に書けるはずだ、つまり魏使は奈良には行っていないと言う事だ。
501 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 23:50:32.32 ID:NBBzy0f60
藤原氏はまあ日本書紀 古事記書いたので 蘇我の後継で 歴史よりペテン藤原つずかせる話しにしたのは 仕方ない
502 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/15(火) 23:53:53.78 ID:DqjgIuSD0
いつの頃だったか、大家の改心の頃だったか、各豪族にそれぞれの歴史を かいた記録を持っているものは隠さずにそれを供出せよという命令が出て、 それで集めた不都合な記録をおそらく抹殺したのだろう。そのため、それ 以前の国内の文献資料が消えている面があると思う。 また、古代は母音が7つだかあったという学説は、可能性としては日本 土着民は5つの母音だったが、半島からやって来てまだ日が経っていない 人間やその直接の子孫は、7つの母音を区別して話しており、また文字も 書けたし読めたインテリだったので、そういうやつらが書記として文献を 書いたので母音が5よりも多く区別されているが、そうではない土着系の 者や数代日本で暮らしたり交わったりした者の場合には音の区別ができず に母音5つで書いた。そのためにそういう文書が偽書と現在は思われて いるのかもしれない。今でも英語をカタカナ書きすることを思って下さい。
役人は都合の悪いものは隠しますが 責任を嫌いますから嘘は書かないと思う 国生み神話から考えても 淡路島、四国、隠岐島、九州、壱岐島、. 対馬、佐渡島、本州とあり 国土の中軸の大八洲国 その中で国神となる女神は四国 大気都比売=卑弥呼 豊受大神=台与 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
このスレ的に籠神社の「海部氏勘注系図」や「息津鏡」「辺津鏡」はどういう扱いなの? 卑弥呼の時代の後に畿内に東遷とかもはや絶滅してるよな 80年代かと
>>497 過誤が過誤すぎるのが難点w
大真面目に行くと太平洋に出るってのが、ワザとなのか、ウッカリなのか
506 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:01:04.56 ID:ywKEoXcQ0
>>497 中華思想なんて魏志倭人伝のころには無いだろ。
507 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:03:10.87 ID:u7+7eKQE0
>>428 縄文人はカヌーで南米大陸まで渡海してたんだよ。
中国大陸なんてお茶の子さいさいですよ。
>>506 前漢の頃からの思想なんだから
三国志の時代なら思い切りあるだろ(´・ω・`)
>>500 FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルが
卑弥呼の国名は「ヤマト国」。
有明〜北九州〜四国の一部〜出雲の西日本に展開する連合国家で
近畿勢力と敵対。
卑弥呼の大叔父が出雲の首長で、卑弥呼のシャーマニズム能力でもって
近畿・ヤマト連合国の王に擁立したっつってたな。
王になってからは機内に住んだとか。
なので、本来のヤマト国としての位置=九州
王として統治した場所=奈良県宇陀市
とか言ってたw
510 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:08:05.37 ID:E3C2+hST0
天照大神=卑弥呼=伊勢神宮 内宮。 豊受大神=台与=伊勢神宮 外宮。 間違いない。
511 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:08:33.20 ID:YKHyA0kJ0
>>500 >魏志倭人伝に書かれている国名が福岡市近辺
はかなり現在の地名と一致するが
ただのこじつけにすぎないだろ。
それなら傍国なんて本州各地の地名にそっくりだよ。
>>498 ,
>>499 距離と方角については、地図に定規を当てて議論している
論者が多い気がする。
・2点を結ぶ直線距離と当時の旅行者が歩いた距離とを同じとしてしまう。
・地図上で2点を結ぶ直縁の方角を、当時の旅行者も把握できたとしてしまう。
「草木茂盛、行不見前人」の山道を歩いた行程を、定規で確認できるわけないじゃんかと。
513 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:12:02.64 ID:zyS6p4KV0
>>512 リアルにやった人いないのかな。当時の船で、当時の荷物で、
とりあえず近畿と九州二方向で試した人
514 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:12:29.22 ID:GwfU6TMV0
515 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:12:31.21 ID:l5qhjRhb0
実際に当時と同じ技術の船で旅程を再現して見れば良いのにな その程度の事もやってないとか学者の怠慢だよ
516 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:12:47.48 ID:YKHyA0kJ0
邪馬台国は畿内、瀬戸内から紀伊半島だよ。 この女王国を共立したのは阿波、吉備、出雲・丹波、東海に奴国。 中心は愛媛中心だったが、3世紀にはヤマトへ都を作ったんだろう。
>>510 そして豊受大神は食物神
食物神と言えば阿波
邪馬台国は阿波(´・ω・`)
隋書に阿蘇山が出てるから決着ついてるだろ 隋使がこれから行くのは倭国なんだ 倭国の都は魏書の邪馬台国と同じね そしたらアメタリシヒコという王が居た そしたら阿蘇山が噴火したから見て見たよ 逆に倭人はマツリゴトだと珍しいもんを出し始めた 他に居た百済や新羅の使者も珍しがってた 素直に読めば決着ついてる
519 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:19:09.99 ID:YKHyA0kJ0
>>518 阿蘇山は倭の火山の総称だから。
大体富士山の旧称も阿祖山、浅間山もアソマからの転化だ。
愛媛は伊の国ではなく予の国太陽でなく月の国 そして平地はあるけど川がない 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
>>513 問題は道なんだよね。
たとえば国道3号線は昔からの街道をベースに作られていて、
延長距離は地図上で測った直線距離の1.5倍くらいだけど、
これだってトンネルも橋もある。当時の道は無くなった部分も多いし、
現代にそのまま歩くのは無理だと思う。
>>520 重信川「」
>>521 山道ですら、登山道作られてるもんね。水行だけでも確かめられないかな
>>519 でも本家本元は阿蘇山でしょうに
常識的に考えて倭国の都にいるアメタラシヒコを尋ねに行ってるのに
富士山や浅間山に行くのよ
卑弥呼(ひみこ)というのは、姫巫女(ひめみこ)がなまったものだろう 卑弥呼の後継者とされるトヨも、当然、本名ではない トヨ≒豊(とよ)あるいは、高貴な女性への継承である 戸女(とめ)がなまったものではないかね。 卑弥呼の本名を特定するのは、現在では困難だが 記紀の人物としたら、ヤマトトモモソヒメがもっとも有力だと 私も思うけどね 魏志倭人伝には卑弥呼は周囲百歩にも及ぶ 巨大な墳墓に葬られたと書かれている ヒメの埋葬されたとする箸墓古墳は、建造時期もサイズ的にもちょうど合うし また、女性がこれほどの巨大墳墓に葬られた例はそうはあるまい ただ、そうなれば記紀に書かれているヤマトトモモソヒメの姿と 魏志のヒメの姿はかなり違いがあるからな。 大物主命がヒメのもとに通い、そしてその本性を見たばかりに死んだとされるヒメの姿と かなり長命だった卑弥呼の姿はギャップがある。 もしかして卑弥呼の死自体、神の呪いを感じる何かがあったのかもね
525 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:28:21.76 ID:YKHyA0kJ0
>>523 隋書に阿蘇の噴火の様子が書かれているが、
天に届きそうな噴火だろ?
当時九州の阿蘇山が大噴火してりゃ九州なんて存在できないよw
それに東西に数ヶ月要する長い地形、東に山地が多いとされてるのに、
九州の話である訳がない。
>>519 そこで宇佐ですよ。 aSo → uSa 。
念のために言っとくが、 iSe はバチモン。
>>522 俺的には水行は「形成途上の沖積平野の湿地帯をズブズブ歩くこと」
だから(
>>457 )、確かめられないw
527 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:37:09.03 ID:YKHyA0kJ0
>>524 モモソヒメは崇神天皇よりずっと年上として描かれてもいるだろう。
それに幼少から20歳までは讃岐や香川で治水の神としての活躍もある。
箸墓逸話はあの墓が造られた事にについての事であって、
年齢云々は無関係だろう。
特異な前方後円墳の事について描かれてるだけの事。
>>526 それは流石に倭人伝に書くんじゃないか?!w
山道酷かったとか書いてんだから、こんな大変だったぜって、
泥行とか何か、言葉無かったのかな当時
>>528 「陸行」と「水行」とで対になってるじゃん。
海を渡るのは「渡海」。
「陸」の語義を辞書で引くと「丘や山がうねり続く大地」の意味で、
湿地帯は含まれていないのだ。
>>525 噴火を見慣れてない隋使には小噴火でもインパクトあったんだろ
活火山で九州についてはつぶさに報告してるのに
突然にぜんぜん知らない火山について報告するかよ
それに百済や新羅のような第三者の様子まで報告してるから
当然に自身による見聞なのは伺えるし
他国の使者が居るからして都周辺だろう
だいたい倭王国の他に秦王国が東にある
これが畿内だろ
ここまで隋書がわかりやすく言ってるのに
何で斜め読みすんのかが不思議だ
531 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:44:31.59 ID:YKHyA0kJ0
宇佐は女王国の西境界線みたいなもんだよ
532 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:50:03.39 ID:YKHyA0kJ0
>>530 >其國境東西五月行、南北三月行、各至於海。其地勢東高西下。
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。古云去樂
斜め読みどころか勝手に妄想するな。
はっきりヤマトが邪馬台国と書かれてるだろw
地形もこれは当然本州の話だ。
>>529 ちょwマジかw魏にゃ湿地帯無いのか?
それ、荷物を木船とかに載せても、湿地帯に埋まりそうだけど、
担いだのかな・・・(;´・ω・`)
534 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 00:56:17.25 ID:jsyLGUOb0
>>515 実験考古学みたいんことはやってるよ。
それで半島から九州への渡来は古代には不可能と
いうこともわかっている。水行何日といっても距離の
ことばかりいうが、実際には海流に乗って移動する。
そういう論議がないのでは話にならない。
昔から邪馬台国は大和だと思ってた。 そりゃそうだよな。
>>509 がファイルアンサーでいいよ。
あれなら出雲の国譲り神話にも合致するし。
>>532 だから最大領土はこのくらいで秦王国も基本的に含まれる
海岸沿いに一周したら海でた
それから都に向かった阿蘇山が有りましたじゃん
>>533 たしかに埋まりそうだよなあ…w
要は現代でいうとメコン川下流のデルタ地帯みたいなもんで、
舟が浮かべば乗って、ダメならソリみたいに引く感じかと。
んで、もちろん大陸にも湿地帯はあるけど、それは内水面の
扱いだと思う。「水滸伝」の梁山泊も葦が茂る湿地帯という描写だけど、
湖ということになってるよね。
539 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:05:37.90 ID:fmw4K8vp0
>>534 帆船なら海流に関係なく行ける
今でもフィリピン辺りでは鉄釘使わない古代帆船を
作る造船術が伝わっている当然鉄は無いので
石で削って作る造船術の伝承でね
540 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:07:13.45 ID:611TlIlx0
541 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:07:39.93 ID:YKHyA0kJ0
>>537 だが富士山もこの時代前後噴火してるし、名も阿祖山だよ?
阿蘇山は記録あるのかな。
単純に「阿蘇=九州」という名前で思い込んでるだけだろう。
隋書ではヤマタイはヤマト、そう書かれているのも事実だからな。
ぜんぜんわからん 畿内の具体的な比定地言ってねえじゃん 隋の使者
543 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:09:50.41 ID:5pisrjb50
>>524 卑弥呼と崇神には何らかの記紀に書けない事柄があるんだろうな。
崇神は卑弥呼の祟りを怖れていたんじゃないかな?
だから、立派な墓をたてトヨに命じて立派な神社を造る必要があったんじゃないか?
もともと崇神という名前は、変だと思ってた。
神という建国の名と、崇という忌まわしい祟りを象徴する名と合わせもつ
ことがありうるかと。
544 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:10:52.76 ID:2ViIerBt0
福岡の最南部大牟田の牟田は湿地帯という意味やで。(´-ω-`)y-~
545 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:11:14.14 ID:611TlIlx0
卑弥呼の時代は、文字もなかったんだよな どうやって、国を治めていたのか不思議だわ
>>544 おお、マジですか! ありがとう。
でも俺、八女説だしなあ…w
もう寝よう。
547 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:12:51.74 ID:YKHyA0kJ0
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也 まあこれに尽きる話を延々グダグダやってるのが九州説。 いい加減時間の無駄だと理解しろよ。
>>545 中国と交流してんのに漢字の記録ないわけないやん
竹簡木簡なんて簡単に腐るしな
単に残ってないだけだと思う
549 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:14:37.17 ID:611TlIlx0
>>548 漢字が日本で知識層に普及したのは、6世紀ごろと言われているだろw
富士山についてなら富士山までの行程を言うだろうし さすがに畿内からは富士山は見えないからなぁ 百済や新羅の使者もそこまで付き合いもしないだろうし 素直に九州の阿蘇山じゃないの?
551 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:17:43.29 ID:2ViIerBt0
>>546 邪馬台国筑後広域説をとれば矛盾はないで。おやすみ。(´-ω-`)y-~
552 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:18:29.75 ID:611TlIlx0
>>550 見苦しい
しなにとっては、日本の山はすべて、阿蘇だったんだろうよ
雷火面白いよな。
>>549 そんなこたしってる
外国に交渉に行くやつが言葉も分からんとどうすんだと
広くはないにしろ使ってないとむしろおかしい
隋書にヤマトは魏志の邪馬台って書いてあるけど、場所まではわからんと思う。 例えば、九州説だとすると、卑弥呼の時代には九州ぐらいが領土だった。 その後大和のほうまで拡大して(つまり東遷してか)隋の時代には大和に 都があったが、政体は九州のころから継続した国だから魏志の邪馬台也、 って解釈したってこともありえるだろう。
556 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:23:20.87 ID:611TlIlx0
>>554 ひとりくらい片言で、何か喋れたとしても、文字が普及していない以上、文字なしで統治していたという事で、
お前は論理のすり替えだけをしているわなw
557 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:26:56.47 ID:611TlIlx0
邪馬台国が大和政権にしろ、所詮、文字なしで統治していたわけで、その権力は限定的で、広範な領土を統治できていたとは思えないけどなぁ
>>552 じゃあ、九州の阿蘇山も阿蘇山でいいんですね
万事解決した
たぶん文字の変わりに語り部が口語記憶オペレーターだった
それがずばりヒミコと呼ばれるもの達だった
そして卑弥呼がそれの頂点だった
559 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:35:08.83 ID:611TlIlx0
>>532 この文を読む限り、本州に邪馬台国があったのは間違いないが、
文字なしで統治していることを考えると、本当の権力基盤は、せいぜい、都の周囲100km程度だったと思うなぁ
>>538 かって知ったる梁山泊!
そうかー今の時代再現出来ないかー残念(´・ω・`)
本州とかザックリしてんな 最大領地じゃないの? 物部と語部が対なんだろうな 今でいう既得権に仏教導入で別のフォーマットを作ろうとしたと
都合のいい部分だけ上げて珍説を叫び続ける いつもの流れで大変よろしいw これが邪馬台国スレの醍醐味だな
563 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:48:37.42 ID:j17qM3ef0
>>285 かつての蛇信仰地域は蛇のことを方言で「くちなわ」と言う地域とだいたい同じ
巨大な注連縄とも親和性が高い
>>536 そう。
>>483 って意外と整合性取れてんのよw
細かいところは変なとこもあるんだけど。
封筒に名前と国だけ書いて封をして渡して予備知識なしで出てきた答えだって言うんだが
マジでそうならすごいわw
565 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:52:27.64 ID:+s9mgnkp0
いやが上にも卑しい呼び名
天皇家が九州なら国生みで九州が最初にできたと書く 近畿なら奈良だと書けばいいコトだ、なのに始まりは淡路島 阿波への道が最初にできる 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
567 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:58:09.17 ID:5pisrjb50
というか卑弥呼が太陽信仰だったと書いてないし。 むしろ鬼道という表現は太陽信仰より蛇信仰の方が、ニュアンスとして近いのでは? 卑弥呼=天照となり、太陽信仰が起こったのは死後日蝕が起こったから。
568 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 01:59:57.99 ID:XE43BFTm0
>宮内庁への取材で分かった。 は??????????
569 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 02:00:04.60 ID:611TlIlx0
邪馬台国の動員兵力は、せいぜい1000人程度だったに違いない 文字なしでは、論功行賞もまともにできないし、巨大な軍組織を作ることが不可能だろう
>>569 フランチャイズというより暖簾分けだよな
卑弥呼が日本側の資料では誰なのかが焦点だろ?
572 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 02:04:51.19 ID:j17qM3ef0
>>566 阿波岐原だし古墳は早々に造られなくなるし
地域の遺伝子的な特徴もあるし
阿波は隠然たる存在感がありますな。
日向、豊、伊予、讃岐、阿波、このへんの名付けも気になるでしょう。
573 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 02:05:07.98 ID:MmLFPknx0
伊豆の豊玉姫神社のトヨタマヒメは トヨとなんか関係あるのかな。。 豊玉姫は縄文系の海の女神なのかな 月の女神、水の女神、出雲の神が知りたい 卑弥呼って瀬織律姫のことかな。。zzz
天理市は天理教と関係があります 豊田市はトヨタ自動車と関係があります
>>532 畿内説は方角を読み違えるんだろ?w
だとすると東西が南北で南北が東西だろう
となるとこれは九州島ってことだな
方角に関してはドコに中心を置くかと言うのもある 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
>>547 これのどこが畿内説になるのかね?
都は邪靡堆で魏志の説に則れば邪馬臺というなりってだけじゃんw
「記紀は捏造だ!魏志倭人伝は本物だ!」 「随書は捏造だ!魏志倭人伝は本物だ!」 お次はなんですか?
阿波は現在でも秘境なのに その外部の人が足を踏み入れない秘境から 天皇の即位式である大嘗祭に欠かせない 神聖な神衣アラタエが献上される 常識で考えてもありえないコト 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
お舞らも本当は全てのピースがはまるから 邪馬台国は阿波だと思ってるんだろ ロマンではなく真実を追い求めなさい 邪馬台国は阿波(´・ω・`)
だいたい魏志倭人伝に邪馬台国の場所として 計其道里當在會稽東治之東って書いてあるでしょ 會稽の治める東部すなわち現在の寧波もしくは上海あたりの東だから九州以外ありえない 畿内だったら場所の説明をする起点として會稽は遠すぎるし見当違いすぎる それに帯方郡から女王国まで12000余里と書いてある 畿内だとその倍くらい必要だろう ありえない 当時中国には指南魚という羅針盤が既に存在していたし正確な方角と(おそらく天体観測から距離も)わかっていた
583 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 04:37:02.22 ID:beTQFe8B0
イザナギは明星天子と呼ばれていた! 明けの明星!一番星!金星! 邪馬台国は金星である!⊂( ^ω^)⊃ブーン
584 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 04:43:16.17 ID:beTQFe8B0
おそらくイザナギは本来天神七代ではなく天神六代ではなかったのではないか? 意図的に六代目からずらした! イザナギ=明星天子=明けの明星=ルシファー=第六天魔王 オモダル「あれ?わしは?」
585 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 04:53:37.25 ID:GwfU6TMV0
「卑弥呼の時代は文字が無かった」など馬鹿な事を平然と書いている 者がいるが、奴国にはもう漢字を読める人間がいたんだよ。福岡市東区の 志賀島で発見された金印は「漢奴倭国王」の字が刻んであるぞ。
586 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 05:06:44.03 ID:beTQFe8B0
コレ、中国の日本国王の系譜 宋史日本伝「其年代記所記云初主號天御中主次曰天村雲尊其後皆以尊為號次天八重雲尊次天彌聞尊次天忍勝尊 次贍波尊次萬魂尊次利利魂尊次國狭槌尊次角龔魂尊次汲津丹尊次面垂尊次國常立尊次天鑑尊次天萬尊次沫名杵尊 次伊弉諾尊次素戔烏尊次天照大神尊次正哉吾勝速日天押穂耳尊次天彦尊次炎尊次彦瀲尊凡二十三世並都於筑紫日向宮」 中国人は筑紫日向に住んでたと思っているが 筑紫日向高千穂に天孫降臨したのはニニギからだからなー 神武東征までしか住んでない おそらく中国人は九州を倭国だと思っていた しかし、倭国の首都は畿内だった と考える
587 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 05:08:32.36 ID:OSc740If0
>>585 銅鏡とかの舶載品に文字がありそれを読める人間がいたのと
「文字が使われてた」というのは別だ常識で考えろ
この西殿塚古墳のように200m超級でも墓誌はない
(まあ宮内庁管轄のものは調査はできないが)
中国人と日本国人の歴史認識は異なってた可能性がある。 梁書にだって、倭国の東に文身国があって文身国に東に大漢国があって大漢国の東に扶桑国があるとある 当時、日本の外交の要塞だった九州を、倭国の首都だと勘違いしてたんだろう、ずっと で、畿内が倭国の首都だった
590 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 05:17:27.74 ID:GwfU6TMV0
>>587 お前のほうが常識がなさ過ぎる。古代人をバカにしすぎだな、元々
弥生人は半島経由で中国から渡来してきたと言う説があるからして
弥生人が漢字を読めても不思議じゃ無い。
皇統譜や藤原系譜には、天御中主尊と国常立尊は同一人物だと書かれている。 しかし、ブンはこれはそうではなく、天御中主尊の子孫が国常立尊だと思う。 国常立尊と天御中主尊は同じ働きをしたから、同一人物だと思われるようになった。と、考える。 今の世は5世界目と言われる。 世に天地創造が5回されたのか、 5回の内、2回は反動での働きで、天地創造が3回目なのかはわからないが おそらく天地創造3回目が今の世だろう 一回目は天御中主尊の世界 ニ回目は国常立尊の世界 三回目は俗に言われる、所謂、救世主の世界だ 仏教で説かれる上行菩薩 これが、天御中主尊、国常立尊だろう
592 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 05:27:35.98 ID:beTQFe8B0
>>589 それって、李氏朝鮮が作成した地図じゃなかったっけ?
チョンコロが世界地図を作製できたなんてすげーなって思った記憶がある
594 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 06:08:57.66 ID:2ViIerBt0
よほどの事がない限り九州人は関門海峡を越えるのが面倒臭い。 だから邪馬台国は九州。以上。(´-ω-`)y-~
絶対答え出ない事柄に熱中するんだから やっぱ皆歴史が好きなんだな。 実在を疑われた、「殷」の実在を認められたりした事例もあるけど。 疑うものを黙らせる、文字と言う証拠が見つかったからだし。 邪馬台国って木簡でも見つからないと決定打にならないよ。 木簡ある時代じゃ無いけど。
596 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 06:20:33.83 ID:mX2c25jy0
卑弥呼の子孫が中山みきで、その生まれ変わりが池田大作先生。
597 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 06:23:28.55 ID:2ViIerBt0
ゴッドハンドで邪馬台国が畿内で見つかるんじゃない?(´-ω-`)y-~
598 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 06:24:18.14 ID:Lza0A3+/0
600 :
源猛@転載禁止 :2014/04/16(水) 07:04:05.92 ID:beTQFe8B0
1715年 松前藩主が幕府に提出の上申書の中で、「北海道本島・千島・カムチャツカ・樺太は松前藩領で自分が統治している」と報告 決定的な証拠である。
601 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 07:04:06.60 ID:GwfU6TMV0
俺が東征説を推す理由は弥生時代後期には北部九州の遺跡からは鉄製の 農機具や矢じりや刀などが大量に発見されるが、近畿や瀬戸内の遺跡からは 殆ど発見されていないと言う事だ。また製鉄方法も北部九州が近畿や瀬戸内 よりも格段に発達していたとウィキペディアの「弥生時代」の欄に 記されている。鉄製の武器と木製や石製の武器では勝負は明白だ。
602 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 07:07:09.80 ID:GwfU6TMV0
トンキン人が邪馬台国東京説をぶち上げたら盛り上がるんだが。
>>520 東北の三戸とか八戸って地名の「戸(へ)」というのが、寒冷地だから稲作に向かない東北で主食にしてた
稗(ヒエ)のことだったって話を聞いたことがある。
同じノリで、降水量が少なく稲作に向かないから粟(アワ)を主食にしてたから
粟の国→阿波国だと聞いたこともあるけど、邪馬台国は「禾稲を植え」て食ってるよね
(´д`)
日本刀の起源は、おそらく東日本の蕨手刀だろう。 これで西日本の銅の剣を使う勢力をイチコロにしたんだろう。
>>526 話の流れと関係ないけれど
宇佐って見聞きすると「USA! USA!」って叫んでるアメリカ人が脳内に登場するんだw
606 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 07:19:21.31 ID:2ViIerBt0
>>605 確かに宇佐市に「USA」って冗談みたいな看板あるで。(´-ω-`)y-~
天皇家御用刀工=月山 月山=陸奥舞草刀 舞草刀=蕨手刀 ガハハ、やっぱりヤマト王朝の製鉄技術は東日本が起源だったw
鉄の流れから追うのか それもまた面白そうだね。
おそらくというか、まんま蕨手刀が日本刀の起源だってウィキペディア史に書いてあるわ。 ま、太刀の起源「毛抜形太刀」で検索してみてくれ。
>>476 漢文の読み書きができる人がいてもおかしく無いような気もするんだが
611 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 07:42:25.06 ID:MoJiiVpA0
蕨手刀って日本刀と同じように硬さの違う2種類の鉄で包むように作られてるんだっけね しかも俘囚が配置され、毛人の血の入った平将門が反乱を起こし、その後朝廷は俘囚を強制帰還させてるわけだ つまり現代日本人ってのは斬り付けられてる側だったんだよね日本刀を持つ土着民によって
>>610 勿論、読み書きや漢族と話す事が出来る人が、それなりに居たと思うけど。
問題はそれを物として発掘出来るかどうかじゃないかな。
漢委奴国王印ってどういう扱いなんだろう。
>>601 倭の支配が及んでた朝鮮半島から良質な鉄鉱石を入手するなら、九州島でなきゃ出雲が有利だわな。
半島の鉄鉱石でなく、中華帝国や大陸との交易に用が有るなら朝鮮半島の陸路なんて物騒なとこ通るのもイヤだし
運搬の都合でも船で季節風を利用して、大陸と直接往復する方が楽だよな
遣唐使船だって朝鮮半島の沿岸に沿って移動しても、半島の陸路なんか通らないし半島を避けて直接に向かう航路もあるもんな
614 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 08:43:24.43 ID:r3WyjxpAO
中国では日本のことを倭と呼んでいたのに記述では邪馬台国になってるのは当時日本にいくつもの国が有ったということ?
>>614 そうかも。
或いは民族名と国の名前を分けて表記してるだけかも。
隋とか唐とか国名は変わっても漢族は漢族だし。
邪馬台国だろうが大和だろうが倭人は倭人。
倭人の作った国が邪馬台国或いは大和。
そういう感じかも。
616 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 09:07:31.26 ID:YKHyA0kJ0
>>601 >近畿や瀬戸内の遺跡からは
殆ど発見されていないと言う事だ。また製鉄方法も北部九州が近畿や瀬戸内
よりも格段に発達していたと
ウィキなんて信用する時点でw
瀬戸内海には鉄の痕跡はとても多いのだが。
現在最古の製鉄跡は三原近くにあるとされてるよ。
そこは大三島の近くでもあるからな。
617 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 09:12:17.02 ID:YKHyA0kJ0
>>614 魏志倭人伝をまともに読んでないのか?
あれは「邪馬台国伝」ではなく「倭人伝」だから。
邪馬台国=倭人の国で最大の戸数を持つ、女王が都としていた国の事。
618 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 09:16:52.62 ID:GwfU6TMV0
619 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 09:23:24.01 ID:YKHyA0kJ0
620 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 09:27:43.70 ID:r3WyjxpAO
なんで倭人の住む島から奴国の金印が出たんだろう、朝鮮半島辺りから王族が逃げてきたんですかね?それともあの島だけで奴国なんですか?わかりません?
金印になんて書いてあるか知らないのかな。
622 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 09:35:14.85 ID:5pisrjb50
623 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 09:35:44.24 ID:SrlE6bn70
>>590 一応墨書土器なんか出てるけど記号的な使用のものしかまだないな。
それに、土居ヶ浜人は山東だしそれ以外の移民でも江南が主と見られている。
それらの中に文字を扱える者がいても、秦による統一以前か直後だと、始皇帝によって
統一され更に漢代以降変質した漢字は読めないかもしれない。
あと、弥生人という言葉は今は「渡来人」とイコールで使わないよ。
遺跡の発掘の結果から縄文時代、弥生時代というのが生産が稲作中心かどうかという
程度の違いという扱いになったしね。
624 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 09:35:54.81 ID:rVz1R0Ar0
上の方で、富士山がかつて阿祖と呼ばれてたというのを興味あって調べたけど 富士市にある変な宗教団体が不二阿祖と名乗ってるのと、それに心酔して日本古代文明だの ここが世界を救うだの宮下文書だのとムー系のサイトしか出てこなかった 本当に阿祖と呼ばれてたんだろうか?当然wikiにも出てこないし
邪馬台国論争も領土問題と同じで 解決しないうちが華なんだろうな
626 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 09:51:39.98 ID:SrlE6bn70
>>624 富士山がというんじゃなくて、「あさま」とか「あそ」などが古代においては火山全般やその
関連をさすものだったという話じゃね?
>>607 残念ながら弥生時代の鉄器出土数では熊本が全国1〜4位を独占してるんだ
628 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 10:05:10.00 ID:rVz1R0Ar0
>>626 阿祖=昔の日本で火山をそう呼んだ。とかの記載一切出てこないよ、結構ぐぐったけど
>>620 金印関係なくとも倭人伝みれば奴国は倭の国って分かるでしょw
あれを「倭の奴国」と読むか「委奴国→イトコク→糸島」と読むかで後者の方が好きだな
630 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 10:16:53.09 ID:SrlE6bn70
>>628 そりゃ特定の団体などが使用している「阿祖」という文字で検索したら出てこないだろ。
631 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 10:27:31.86 ID:vQ3u6DQW0
もう解決してるから。
632 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 10:29:02.95 ID:VTCHoWxq0
トヨちゃんって実質、ヤマト王朝の始祖だろう?
633 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 10:30:35.39 ID:AUcpr9I70
NHK教育 ETVテレ 2014年4月16日(水) 15時30分〜15時40分 歴史にドキリ「卑弥呼」 邪馬台国の女王・卑弥呼が生きたとされる時代を見つめ、稲作をきっかけに争いが起こり、むらがくにへと発展していく様子を見る。 中村獅童が、歴史上の人物にふんして歌い踊る! 今回は「卑弥呼」。 日本に米作りの技術がもたらされていた弥生時代以降、むらがくにへと発展していく様子を見る。 前山田健一(ヒャダイン)作曲のドキリソングは「むらからくにへ」。卑弥呼が、魏志倭人伝で1000人いたとされる侍女たちをはべらせながら歌い上げる。 ムーディーでミステリアスなダンスは、振付稼業air:man(エアーマン)。10分で楽しく学べる歴史番組。
634 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 10:34:42.28 ID:2ViIerBt0
>>633 中村獅童は竹内結子とボボかましまくって羨ましいのう。(´-ω-`)y-~
倭在韓東南大海中、依山島為居、凡百餘國。 自武帝滅朝鮮、使驛通於漢者三十許國、國皆稱王、世世傳統。 其大倭王居邪馬臺國。樂浪郡徼去其國萬二千里、去其西北界拘邪韓國七千餘里。 其地大較在會稽東冶之東、與朱崖、?耳相近、故其法俗多同。 建武中元二年、倭奴國奉貢朝賀。使人自稱大夫。倭國之極南界也。 光武賜以印綬。安帝永初元年、倭國王帥升等獻生口百六十人、願請見。 桓霊間倭國大亂、更相攻伐、暦年無主。有一女子名曰卑彌呼。 年長不嫁、事神鬼道、能以妖惑衆。於是共立為王。侍婢千人、少有見者。 唯有男子一人給飲食、傳辭語。居處宮室樓觀城柵、皆持兵守衛。法俗嚴峻。 自女王國東度海千餘里至拘奴國。雖皆倭種、而不屬女王。 自女王國南四千餘里至朱儒國、人長三四尺。 自朱儒東南行船一年、至裸國、黒齒國、使驛所傳、極於此矣。 會稽海外有東?人、分為二十餘國。又有夷洲及?洲。 傳言秦始皇遣方士徐福將童男女數千人入海、求蓬?神仙不得、 徐福畏誅不敢還、遂止此洲、世世相承、有數萬家。人民時至會稽市。 會稽東冶縣人有入海行遭風、流移至?洲者。所在絶遠、不可往來。
>>633 日本で唯一石包丁型鉄器が出土したのは?
→熊本県山鹿市方保田東原遺跡(かとうだひがしばるいせき)だけ
倭國者、古倭奴國也。
>>622 その後、出雲は、弓月君の秦氏族と姻戚し、鎌足の中臣氏となり、伊勢志摩の伊勢神宮社家として君臨する。
天皇家・天照大神内宮を守護する祖霊、豊受大神外宮の出雲氏族の伊勢津彦・斯摩宿祢の子孫として・・
崇神天皇建立の元伊勢 比沼麻奈爲神社 祠掌社家の島谷氏が その伊勢神宮の中臣氏親筋の出雲島族の社家です。
中国の史書の名前と距離なんて何一つ信用できない。 つい最近の明史でさえグチャグチャなんだから。 その上古いものほど伝聞ゲームと清書ゲームの繰り返しで 字が全く狂ってるんだからな。 結局のところ同時代の遺跡の規模から比定していく作業が重要なんだよ。
天橋立 元伊勢 籠神社別宮 和貴宮神社の祖先に島谷出雲守の由来が 出雲族出身を言い表しています。
中臣氏の下の名前に島の一字を当てて出自を示すように・・
金印の倭奴國を「わのなこく」と読むのはそもそも間違い。 「匈奴」は秦漢時代より、北方の異民族北狄を指し、「ふんな」と読み、 匈は民族名(蔑字)、奴は蔑称に付け足す字で、匈奴は匈の蔑称。 これはもうひっくり帰りようの無い中国の諸書の読解。 奴付けるのは、文中で固有名詞として使っているのを明らかにするため。 これを倭奴に宛がうと、 「倭奴」は後漢時代より、東方の異民族東夷を指し、「わな」と読み、 倭は民族名(蔑字)、奴は蔑称に付け足す字で、倭奴は倭の蔑称。
>>645 じゃあ、倭人伝に出てくる邪馬台国の周辺国の奴国は、名前も無いような野蛮人の国ってことになるのか?
647 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 12:52:11.80 ID:kmii4Otp0
>>645 中国人が異民族を呼ぶときは、当該民族の自称をそのまま音写する。
音写に悪い字を使うことはあっても、余計な字を付け加えることはしない。
委奴の「奴」は、俺は日本語の助詞だと思う。
648 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 12:56:29.01 ID:YKHyA0kJ0
>>628 富士一の宮である富士浅間大社の存在(せんげんとも読む)
富士信仰の総本山自体が「アサマ」と読むだろ。
また山の仕事に従事する人を「ソマビト」と世呼ぶように、
ソマは山を総称する言葉でもある。
まあウィキなんて参考程度にしかならないぞ。
我らとか私ら、我々とか我が国って言ったら、「ワ」の国って思われたんだろうなー
>>641 >中国の史書の名前と距離なんて何一つ信用できない。
出ました中国資料なんて信用できないよで思考停止君
有参謀阿奇支者、得罪信長。命秀吉統兵討之。俄信長為其下明智所殺、 秀吉方攻滅阿奇支、聞変、与部将行長等乗勝還兵誅之。威名益振。 尋廃信長参子、僭称関白、尽有其衆、時為万暦十四年。 伝聞ゲーの難しさが分かるだろ。
653 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 13:48:35.94 ID:vQ3u6DQW0
>>647 たぶんそうだと思うけど、向こうがどう思ったかはまた別問題。
654 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 13:52:11.21 ID:9ra8qOM30
>>590 半島経由はない。
わざわざ遠回りしない。
江南より直来している。
毎回信用ならないこととして明史もってくるけど 日本と明、清なんて正式な国交もないのにかなりあたってるだろう
>>648 杣(そま)とは
・古代・中世の日本で国家・権門が所有した山林のこと。
・上記の杣から伐り出された木のこと。
・上記の杣において働いている人のこと。近世・近代の日本では転じて林業従事者一般の意味で用いられるようになった。→杣工
・比叡山の山林の中に建立された延暦寺の僧侶が、寺のある比叡山を上記の杣になぞらえて自称した呼称。
657 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 14:46:11.21 ID:GwfU6TMV0
>>590 直来する事が出来る程の航海術を持っていたとは思われないな、
遣隋使も半島経由での航海だったんだぞ。
>>657 ポリネシアあたりからでさえ、原始的な木船で沖縄・九州までたどりつけるって
数十年も前に証明されてんのに…。
659 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 15:50:38.05 ID:GwfU6TMV0
>>627 熊本県が鉄器出土数第1位と言う事は邪馬台国と狗奴国は数度戦っても
決着しなかったと言う事だろう。しかし東征を始めた頃には和解して
狗奴国も一緒に東征に加わり瀬戸内の国々を蹴散らし服従させ、近畿勢を
完膚無きまでに叩きのめし殺戮の限りを尽くして飛鳥時代に突入
したんだよ。
660 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 15:54:40.64 ID:rRduL75S0
卑弥呼って天照大御神の当て字だろうが
661 :
柴田彦三郎@転載禁止 :2014/04/16(水) 16:02:14.11 ID:beTQFe8B0
中国の資料を信じるなら 日本国の資料も信じなさい
662 :
柴田彦三郎@転載禁止 :2014/04/16(水) 16:05:22.98 ID:beTQFe8B0
日本にはワダツミ(海神)がいるくらいだから、航海技術は世界一だった。
663 :
柴田彦三郎@転載禁止 :2014/04/16(水) 16:13:34.65 ID:beTQFe8B0
290年ころの日本国は、神功の時代だな。 以上。
664 :
柴田彦三郎@転載禁止 :2014/04/16(水) 16:21:53.77 ID:beTQFe8B0
邪馬台国は大和国。 以上。
665 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 17:23:23.75 ID:GwfU6TMV0
日本にやってきた中華民族は渡海術に長けていなかったのは明らかだな 現在の中国人もやっと海洋に乗り出したばかりだ。南方の航海術の 発達した国とは違う。
666 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 17:54:09.24 ID:S85wfZtH0
つ 徐福 www.densetsu-tobira.com/jofuku/saga.html
>>665 羅針盤発見した国にその言いぐさw
難しい海域で海賊行為とか普通にやってたのにw
語れば語るほど己の無知を晒す好例w
668 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:06:27.54 ID:GD4OrWGe0
>>667 何世紀かによるんじゃね?
稲の伝来の頃なら羅針盤はないだろ
卑弥呼の頃も原型があるかどうかレベルじゃね
>>668 羅針盤発見は10世紀前後だろうけど、
そこに至る技術や経験の積み重ねってあるでしょう。
海の無い内陸に人間ならいざ知らず
沿海州の人間だっているのに、航海術が無いとか馬鹿なこと言ってるからさ。
670 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:11:29.50 ID:GD4OrWGe0
っていうか、羅針盤を水上で使えるようにしたのは欧州じゃね? 水上って揺れるから、中国に昔からあったような奴だと陸上でしか使えないと思うけど 団塊ジジィって未だに中国をありがたがってて笑えるwwwwwwww
671 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:20:42.07 ID:OSc740If0
>>659 >近畿勢を完膚無きまでに叩きのめし殺戮の限りを尽くして
>飛鳥時代に突入したんだよ。
九州説−東遷説論者のお得意の
『ボクの考えた最強鉄器軍団』
の図だなwwww
鉄といえば古代オリエントのヒッタイトを思い浮かべる人間もいるかもしれんが
結局肥沃なナイル流域を持つエジプトを屈服させることは出来ず
それどころか自分達はどこの馬の骨ともわからないような連中に滅ぼされたというオチw
エジプトで鉄といえば
巨大ピラミッドのクフ王から約1000年後のツタンカーメンの墓から小ぶりのナイフが出てくるぐらい
中南米の巨石文明には鉄は用いられてないし
「鉄=国力」というのは近代の文明を頭の中から払拭できていない
このへんも未だに九州説を信奉してる連中のオツムの中が如何に古いかということの証左wwwwww
>>667 中国には古くから指南車が存在する。
要するに方位磁石のことだが
黄帝が発明したと言われているが、黄帝は夏以前の上古の聖帝だから
実在はまずしない人物だ。
ただ、彼の発明とされているってことは、それだけ古くから
少なくとも、紀元前より存在したってことだ
673 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:25:41.13 ID:S85wfZtH0
殷が貝貨を使ったため 縄文晩期には「たから貝」交易というのが発達してましてな このルートに慣れた人間を 雇えばいいという事ですわ。 www2.ocn.ne.jp/~syouji/kodaisi_4.htm 徐福航海ルートは殷時代(BC1200)からの「たから貝」の交易ルートを利用した?
>>671 ヒッタイタの軍勢が強力だったのは、鉄器の存在よりも
むしろその戦車戦術の上手さによるところが大きかった
当時は、フイゴが開発されておらず。
鉄器の大量生産は出来なかったから
ヒッタイタの鉄生産量は非常に少なく
国力に大きな影響力を及ぼすほどではなかったのよ
675 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:28:22.32 ID:GD4OrWGe0
>>672 船の上で使えないと航海では使えないんだよ
水の上に置くから、水上だと揺れて使い物にならん
676 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:30:48.17 ID:GD4OrWGe0
>>674 ヒッタイト自身も鉄製造技術を他国を滅ぼすか
吸収した可能性が高いって話しも聞くけど
まぁ、言うように数が揃わなければ意味も無いし
鉄とかって硬度もあるだろうしな
>>670 今はあんなだけど
歴史的に見れば、文化を伝えてくれた恩人なんだってばw
得るもの得てからも、なんだかんだで付き合いあったしね。
日本の歴史語るなら、中国・・・まぁ昔の漢族を抜くわけに行かないでしょう。
678 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:32:38.91 ID:sEb1ynzM0
>大半が土壇で、石積みはほとんど例がない。 石積み墳墓は北海道にもあるよ 縄文時代のだけど
679 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:33:48.55 ID:OSc740If0
>>674 そうあと社会全体を運営する法治システムだな
鉄なんか神殿に奉納するか外交時の贈り物に使われたぐらいだったか・・・
兎に角鉄を入手して無敵の軍団というのは安直すぎる発想
「鉄は国家の血である」という誰のセリフだったか近代のイメージをそのまま古代に当てはめてる
もっとも昔は日本でも 鉄剣vs石剣 というのが真剣に語られたらしいので
やはり時代による理解の深化なんだろうなあ
というか日本は青銅と鉄の普及時期にほとんど差が無いわけで だから早い段階で青銅は祭祀の道具とかになってる 鉄がある方が一方的に有利に青銅文化を滅ぼした・・・とか鉄の普及の流れを見てもおかしいわけで
681 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:39:15.15 ID:GD4OrWGe0
>>679 戦争は近代になるまで弓が主力だと思うんだけどな
ボクのが固いんだよとかやってたのかな?
あるいは無防備マンみたいな感じで、鉄があれば相手は戦わずして降伏するし
鉄があれば9条みたいに守ってくれんだとかwww
まんま、安保闘争してた団塊サヨクジジィが好みそうな話しだなwwww
682 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:40:58.75 ID:OSc740If0
>国力に大きな影響力を及ぼすほどではなかったのよ あと特に古代において国力といえば即人口だろうが じゃあ鉄器の豊富な九州が多くの人口を抱えていたのかといえば 未だにそんなデータ見たことがない データによれば弥生時代は畿内や九州じゃなくて東海の方が大きかったりする 未だに九州説を信奉してる奴の頭の中の弥生時代のイメージって 兎に角「西高東低」 九州には吉野ケ里みたいな環濠集落が密集してて 鉄の農具で 稲作やって人口も他地域を圧倒 ・・・てな感じなんだろうな
683 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 18:45:49.31 ID:OSc740If0
>>681 >まんま、安保闘争してた団塊サヨクジジィが好みそうな話しだなwwww
もし古代史にウヨサヨのネタ持ち込みたいならよく考えたほうがいいぞw
今の考古学がかつてマルクス史観の影響を強く受けたのは事実だろうし
かと言って九州説の方も例えば邪馬台国ブーム支えた立役者の一人
松本清張のプロフ見てみれば真っ赤っ赤だったりするwwwwww
>>675 羅針盤がない時代は、お星さまに頼るしかないじゃん
正直、目視による患側の星の位置と、地形だけで航海をやってのけた
当時の船乗りたちには感服するよ
685 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 19:00:00.08 ID:S85wfZtH0
>680 いや青銅器を祭祀に重用する集団が大挙渡来した。 青銅剣vs鉄剣とは違う話。 前漢は楽浪臨屯真蕃玄菟の4郡開拓したが 後漢になると B.C.75玄菟郡東部放棄など後退相次ぎ 一因に寒冷化もあったのか 開拓に動員された農民の一部が南へ逃れ 三韓諸国になったり 列島に渡来した。 この集団に青銅器祭祀を続けていた殷の遺民が多かったらしい。 銅鐸原型は楽浪郡周辺の朝鮮式小銅鐸、 土井ヶ浜遺跡から殷の楽器が出土。 土井ヶ浜は殷人の特徴を持つ人骨が大量出土している。 books.google.co.jp/books?isbn=4434071599
邪馬台国は近畿で決定なのかな
>>686 奈良にあったのは「邪馬台国と呼ばれたクニ」であって邪馬台国そのものじゃない
日本は黄金の国ジパングのモデルになったかもしれないけどジパングそのものじゃないみたいな?w
まあ倭人伝に出てくる邪馬台国そのものが見たければ
九州説になって九州中を掘り返してみるとか?www
688 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 19:11:58.48 ID:t24QQWee0
>>645 これは全く同意だ。
「わな」を「わぬ」と読む以外は。
倭国=倭奴国=邪馬台国=大和国
こまかいことはいいから、そういう大掴みすることから日本の歴史
が展望できる。九州?高千穂だけで遠慮してくれ。
昭和15年11月11日、世界中が日本の歴史を紀元2600年
と認め、ローマ法王庁も祝意を表した。米国のグルー大使が
世界の賓客を代表して祝辞を述べた。これで十分だ。
これに異を唱える者は歴史修正主義者。
>>629 奴国=名を名乗るほどもなき、または知らない国の意。
「名も知らで遠き島より流れ出る・・・・・」そんな感じ。
なお、戦前の日本の知識人は、今とは比べ物にならないほど
漢籍に通じていた。史記や三国志、諸子百家などを普通に口
にして、分かり合えていた。と同時に医者などはカルテはドイツ語
で書いていたし、普通に日本の古文は中学卒、女学校卒でも読めた。
そういう教養環境を、戦後のアメリカや赤かぶれの馬鹿どもは平気で
破壊したことはまことに残念だ。
邪馬台国の一部って事か 首都?を探し当てるゲームスタートだな〜
>>658 そのルートは黒潮の方向だから、ヤシの実だって流れてくるw
だけど東シナ海を横断するルートは対馬海流を横切ることになるから、
誰も利用しなかったのだ。
691 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 19:32:12.74 ID:kmii4Otp0
>>688 とか
>>645 とか
俺は違うと思うぞ。
金印を渡すということは、
「中華帝国株式会社のグループ企業として頑張ってくれたまえ」
って意味だよな。
その金印に、「名乗るほどもない国」とか彫るわけないだろとw
素直に、倭人の住む奴国で良いんじゃ?
694 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 19:37:32.63 ID:/QKC8f/T0
台 与 ↓ ↓ ト よ 邪 馬 台 国 ↓ ↓ ↓ ↓ や ま ト こく つまり、邪馬台国の読み方は、もともとヤマト国と読む。 ヤマタイコクと読み始めたのは本居宣長から。
>>688 古典の時間短縮を強く求めたのは、アメリカや赤かぶれじゃなくて、財界や自民党だ。
696 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 19:47:18.14 ID:xEqIUqJCO
倭国から東に海を渡るとまた国々があって、 「皆倭種なり」 この倭種ってなんだろうか。 顔付きが倭国人に似ているのか 言語が倭国と同じだったのか 入れ墨などの文化か ともあれ「倭」という言葉が国名以外の使われ方をしている。
697 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 19:57:14.90 ID:sEdoairh0
>>696 「わ」「を」っておそらく「外国」って意味だよ
「わ人」は「外国人」という意味
698 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:03:22.90 ID:sEdoairh0
>>694 金印「漢委那国王」の読み方は「漢委ナラ王」だと思う
そら、むら、こちら、あちら、くら
などヤマトコトバでは場所や地域を示すときに「ら」を使う
「国」も場所や地域を示す言葉なので「ら」と読むのは自然
699 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:12:31.82 ID:vC/QsufL0
卑弥呼とか邪馬台国って、 戦前教育の日本の歴史が神武天皇、古事記や日本書紀の神話だったから、 それは天皇崇拝に繋がるので、消し去るために、それっぽいのをでっちあげた物じゃない? わざわざヤマトを邪馬台なんて、中国の当て字で別の存在みたいに扱うのが無理筋。
700 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:14:08.22 ID:MmLFPknx0
トヨとトヨタマヒメは関係あるの?
701 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:14:10.65 ID:SrlE6bn70
>>696 元々「国」というのは都市国家とその統治者の家系のことだから。
それとは別に外部の集団に対する呼称がある。
方位と生業で大きく分けたのが有名な夷狄戎蛮だ。
「越」も元は集団名で国名ではない。
702 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:18:50.61 ID:sEdoairh0
>>688 「奴国」も「ナラ」と読むんだよ
「ナラ」とは平地にある国という意味で
「ナラ」という国は全国に沢山あったと思われる
ちなみに挑戦では国のことを「ナラ」という
平地には大きな集落ができるので
平地にある国を「ナラ」と呼ぶようになったのは自然なこと
現在でも平地にすることを「ナラす」と言うね
>>672 指南車は磁石ではないよ。たしか車輪と歯車を連動させるかして
機械的に出発時と同じ方向を指し示すようにしてたはず。
それは置いといても、遣唐使とかも南路だったか朝鮮半島に近づきもしないルートもあるし
九州の島津も戦国以前から西に出て大陸と直接交易してたよね。
東北倭人やアイヌだって黒龍江の辺りに直接交易に行ってるし、朝鮮半島を経由しないと大陸に行けないって考えてる人は
思いこみだけで考えてて調べもしないか、学校で日本産の黒曜石やサヌカイト(名前の由来は讃岐)の分布を習ったのも覚えてない学習障害だってのは同意
704 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:21:12.30 ID:sEdoairh0
×ちなみに挑戦では国のことを「ナラ」という ○ちなみに朝鮮では国のことを「ナラ」と言う
705 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:23:56.20 ID:kmjH+DzR0
>>660 アマテラスの名はヒルコ(蛭子)の対のヒルメ(日女)だからね。
アマテラスの蘇りもトヨを想像出来るし、
13歳だから周囲が一所懸命あやしたとも言えるし w
またヒルコを手足のない子、蛇としたら・・・へへへ
706 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:25:34.87 ID:vQ3u6DQW0
また、僕の考えた不自然か
707 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:26:24.90 ID:kmii4Otp0
>>703 > 学校で日本産の黒曜石やサヌカイト(名前の由来は讃岐)の分布を習ったのも覚えてない
少なくとも義務教育ではそこまでやらない。高校で日本史Bを選択すれば習うのかも知れないが。
708 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:35:22.91 ID:WGJGIeyr0
九州土人☆卑弥呼
710 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 20:48:18.00 ID:HmBE9iCY0
>>196 >yDNAのD2a1が1000年前〜500年前の間に急増したとすると
これは、D2a1bの中のある特定のものが1000〜500年前に急増したと書いてあるよ。
その特定のやつは推定150万人、3つ違いまでが890万とかだったかな。
オレの推定:
「特定の」が源氏で、
D2a1bの3つ違いまで :皇別と神別の一部(ホアカリ系含むアメノオシホの子孫)
約2000年程度前に分岐してるから。
それ以外のD2は、今の時点でははっきりとは分かりにくいね。
711 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 21:00:29.92 ID:2ViIerBt0
邪馬台国卑弥呼の末裔が磐井じゃね?(´-ω-`)y-~
邪馬台国は朝鮮半島にあるニダ
もう間をとってエジプトってことにしようぜ
714 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 21:59:06.46 ID:2ViIerBt0
それなら南極でよくね?(´-ω-`)y-~
>>711 「肥前国風土記」に出てくる世田姫を卑弥呼に比定して、
さらに世田姫の「人形・馬形」と岩戸山古墳の「石人・石馬」との
類似性に注目している説はあるよね。
だけど、それらの人形や石人と、魏志に出てくる邪馬台国の
「徇葬者奴婢百餘人」とは、ちょっと異質な気もするんだよな。
>>707 学校で黒曜石の分布とかやった記憶があったから、中1の息子の教科書を確認して来たら
本当に出てなかったわ。
ご指摘ありがとうございます。
717 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 22:28:54.65 ID:2ViIerBt0
>>715 でも磐井が邪馬台国連合国家群のどこかの一国の末裔である
のは否めないかもね。(´-ω-`)y-~
718 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 22:48:35.67 ID:GwfU6TMV0
>>671 具体的に書くと戦わずして降参した敵を許す事もせず、生きたまま目を
えぐり出し、はらわたを取り出し、四肢を刎ね、ありとあらゆる残虐な
振る舞いで奈良を乗っ取ったんだよ。
719 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 22:58:34.97 ID:5pisrjb50
まあ米については、中国から伝わったもので、間違いないよ。 朝鮮半島は、南部の一部を除き陸稲だ。 日本のような水稲は、暖かいところから伝わったものだよ。
720 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 23:01:28.94 ID:9ra8qOM30
>>696 漢字は意味を表現する役割と、音を表す役割があることは
知ってると思うけど、意味を表す場合は、それを表す自国語
に置き換えればいいというのが日本独特の訓読みという漢字
作法。倭をヤマトとよむのもその類(たぐい)。倭を種族名に
使っても、それはカレラの勝手でしょ、ということ。
>>671 鉄を持つことの意味は、武器ではなくて農具なんだよね。
労働力あたりの生産性が数倍になる。ナイル河の氾濫原頼みの
粗放農業をやってたエジプト人には、それがわからんのですw
ちなみに、
>>771 が書いている磐井がヤマトに負けて差し出した
糟屋の屯倉は多々良川の下流域なんだが、「タタラ川」という
地名が示すように砂鉄を産む川なわけで、だからこそ価値があったと。
ついでに、もうひとつの鉄の産地である出雲風土記の国引き歌には
「童女の胸鋤」というのが出てくる。通説では「若い女性の胸のように
幅の広い立派な鋤」という訳をあてているが、俺は「緩やかなカーブを描いた
鉄製の鋤」の意味だと思うのだった。
722 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/16(水) 23:19:43.20 ID:GwfU6TMV0
まあ端的に言って弥生時代から近畿地方が倭国の中心地と言う妄想から 離れられない知恵遅れは歴史を勉学する才は無いので古代史を勉強しない 方が良いぞ。
723 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 23:24:18.69 ID:2ViIerBt0
確かに銅器は柔らかいから農耕には向いてないよね。(´-ω-`)y-~
724 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 23:34:27.31 ID:2ViIerBt0
ちなみに不弥国は現在の福岡県宇美町という説らしいね。(´-ω-`)y-~
725 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 23:39:34.23 ID:xXL0uML+0
ノブナガンネタで賑わってると思ったらそうでもなかった。
726 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 23:44:28.03 ID:7JI46BOL0
ヒミコは実在しない。
727 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/16(水) 23:46:52.91 ID:hFt+4nlL0
中国からの使者:「汝住何処?」 通訳:「そちらどこに住むや?」 土民:「山たい」(現代語訳:「山だよ」) 中国からの使者:「彼住耶麻堆国」(こいつらは耶麻堆という国に住んでるのだな)。 中国の書記:「邪馬台国」
>>720 中国の少数民族の中には倭族と呼ばれる人たちがいる。
もともと倭とは、日本の国名というより
東方の島々の民族への侮蔑的な総称だったのだろう。
そもそも倭という文字自体、小さくて醜いとの意味がある。
日本が自ら名乗るような類のものではない
遣隋使が初めて訪れた際、自国の名称を日本と名乗ったことが
隋書の記録にあるが
その際、日本と国名を改めている理由について使者が幾つか語っているが
その一つに「倭という言葉がよくはないから日本と改めた」との記載もある
まあ、それ以降も、けっこう倭との言葉は使われているのだが
漢字の知識が広まるにつれて、倭という蔑称を改めた方がよい
との認識が、日本国内で生じていたのであろうことは理解できる
729 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/17(木) 00:10:27.50 ID:qnaaH2aVO
>697 >701 サンクス 関係ないけど、近畿の大和に邪馬台国があったとする人は、倭人伝記載の方角との矛盾をどう説明しているんだろう。。 当時の中国は棒の影の長さを利用した長距離計算などもしていたらしくて、とてもじゃないが方角ごときを90度も間違えるとは思えない。夕日の方向を見るだけで自分の向かう方角はわかるわけで。
730 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/17(木) 00:15:37.12 ID:qnaaH2aVO
>720 サンクス
731 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/17(木) 00:34:46.24 ID:GIJjGZBc0
方角が皇帝の住んでいる場所から見ての方向として書かれているなんて ことはないよね。メッカが世界の中心だみたいな。
>>722 箸墓古墳の扱いはどうする?
かなり難しくないか?
733 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/17(木) 00:45:51.19 ID:FZShmGL60
近畿地方にあったのは邪馬台国(やまたいこく)じゃなくて 邪馬台国(じゃまたいこく)なんだよ。古代史の研究者にとっては 邪魔でしかない国と言う事だ。本当の邪馬台国は福岡県山門郡 瀬高町(現みやま市)と言う事で江戸時代に解決済みだよ。
箸墓古墳に匹敵するのは、吉野ケ里遺跡じゃ不十分だし 九州中を掘り返して、何かしらを発掘して、反証する必要があると思う。
735 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/17(木) 00:58:27.75 ID:RENQxfzp0
このスレを呼んでて阿波派を支持したくなったw
736 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/17(木) 01:02:00.00 ID:vqsxlRHs0
>>729 伊都国=糸島
末盧国=佐賀県松浦
ここまでは、畿内説九州説とも異論がないと思うけど、
「魏志倭人伝=末盧国から東南へ陸行500里で伊都国に到る。」
これは、実際には東北東であっておかしいですよね。
だから邪馬台国の方角もおかしんじゃないかなぁ?
と言った感じ
737 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/17(木) 01:06:03.88 ID:eMLQGzM40
>>735 俺もw
阿波のどこかが問題にはなると思うけど
>>669 卑弥呼の時代にはすでに羅針盤はあったよ
指南魚っていうんだぜ
>>736 地名はそれであってると思うけど
だからと言ってその範囲が現在と同じとは限らない
糸島がもっとずっと内陸の方まで広がっていたのかもしれない
740 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/17(木) 02:17:22.00 ID:FZShmGL60
>>736 末盧国を唐津と考えたら東北東なんだが船が着いたのは呼子だから東南で
間違いでは無い。
741 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/17(木) 03:35:50.08 ID:51G5foO30
>>722 とある九州の考古学者が自著の中で言ってた
「邪馬台国を弥生時代と言ってきた学者の大罪」
って意味分かるかな?
邪馬台国の時代が既に古墳時代に突入してたというのは
実は近畿関西本州の学者より
年代の指標になる舶載品に恵まれてた九州の学者のほうが先だったんだよ
本来なら摺合せすべきところを無視して年代観を作り上げ
それが勝手に独り歩きして
その上に成り立ってたというのがかつての邪馬台国論争
743 :
柴田彦三郎 ◆176cuJRoro @転載禁止 :2014/04/17(木) 04:30:45.97 ID:xe+4t8Wf0
邪馬台国は金星で決まり。
744 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :2014/04/17(木) 04:38:05.25 ID:FZShmGL60
邪馬台国が奈良にあったと仮定したら魏志倭人伝の記述と矛盾する 箇所があまりにも多すぎて全く問題にならんだろう。 方角を勝手に変えたり、邪馬台国と戦争関係にあった南の狗奴国は どこの事なんだ。あら探しをしたらきりがないんだな。
俺が平成の卑弥呼ですが何か 和を最も尊ぶ
746 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/17(木) 04:41:45.22 ID:9pE1Zzyf0
若い人が興味持ってくれると良いですね 若い人は皇室なんていらないって言ってますよ 別にテレビでオタクな話しなくても良い そういう層はテレビを視聴していないから テレビの視聴層は若い女性を選んだらそっぽを向くよ 高齢女性を選んだ方が絶対に賢いよ
747 :
名無しさん@13周年@転載禁止 :2014/04/17(木) 04:45:55.94 ID:yf+6Qgmy0
おおっとここで邪馬台国畿内説一歩リードか〜
748 :
柴田將監 ◆176cuJRoro @転載禁止 :2014/04/17(木) 04:46:12.43 ID:xe+4t8Wf0
狗奴国って伊勢国じゃないのか? 天狗みたいな猿田彦大神がいるだろ? それだ!
749 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止 :
2014/04/17(木) 04:54:34.54 ID:FZShmGL60 日本史を学んでいる大学生が「邪馬台国は奈良ですよ」、なんて言ったら
周りから白い目でみられて、先生からは軽蔑されて、いつまで経っても
卒業出来ないぞ。
>>748 伊勢は奈良の東だろうが、全く話にならんな。