【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 天理市 ★2
1 :
brown_cat ★@転載禁止:
奈良・西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇
卑弥呼の後継者、台与(壱与とも言う)の墓説があり、宮内庁が陵墓として管理する奈良県天理市の西殿塚古墳(3世紀後半〜4世紀初め、前方後円墳)の
前方部頂上に巨大な石積みの方形壇が築かれていたことが8日、宮内庁への取材で分かった。
卑弥呼の墓ともいわれる箸墓古墳(同県桜井市、3世紀中ごろ〜後半)の後円部上にも石積みの円壇があり、埋葬施設を覆う特別な施設とみられる。
2012年に盗掘され宮内庁書陵部が調べていた。ほとんどが陵墓として立ち入りを制限されている大王墓の構造を考える貴重な手掛かりになりそうだ。
書陵部によると、西殿塚古墳前方部の方形壇は一辺22メートル、高さ2.2メートル。中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
墳丘を覆う葺(ふき)石と似たこぶし大から人頭大の石が大量に見つかった。さらに下にも石が続いており、壇全体が石積みだった可能性が高いという。
方形壇はほかの古墳にもあるが、大半が土壇で、石積みはほとんど例がない。
西殿塚古墳は全長230メートル。宮内庁は6世紀の継体天皇の皇后、手白香皇女の墓に指定しているが、研究者の間では箸墓古墳の次に造られた大王墓と推測されている。
後円部にも一辺35メートル、高さ2.6メートルの方形壇が築かれており、後円部と前方部にそれぞれ埋葬施設があるとみられる。
http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG08036_Y4A400C1CR8000/ 前スレ
【奈良】卑弥呼の後継者、台与の墓説がある西殿塚古墳に巨大な石積み方形壇 天理市
http://ai.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1397015847/
また九州だ近畿だ荒れるから
卑弥呼はさいたま出身ということにしようぜ
3 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:27:46.91 ID:NaNqtEd+0
今、卑弥呼主婦に成ってるの?
なんで日本史板でやらないの?
5 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:31:15.67 ID:5p8B1g8r0
卑弥呼が古代韓国人だったことがこれで証明できた。
6 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:36:46.52 ID:FEaXqLLq0
卑弥呼が天皇の系譜ってのは確定してるんかな
_ .. - .. _
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,l::::::::ハj ヽ! ∨l::',i::i:i _
(( ,ヘ, l::∨○ ○ l:::l::i:|l / 」 )) キーボードのVとBとNを
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ル;i=====ミvレ
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8 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:39:23.05 ID:px/2GA/f0
>宮内庁への取材で分かった。
偽善者団体 宮内庁じゃ嘘八百の可能性が濃い
何度も言うが大和朝廷の記録では卑弥呼に当たる人は神功皇后ということになっているが
台与に該当する人がいない
邪馬台国と大和朝廷は無関係だろ…
11 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:41:15.49 ID:1t81dg7B0
掘れば金印が出るかも
12 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:42:16.69 ID:tgRy6py70
ホーケーダン?
13 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:44:54.53 ID:qFoR6L/h0
邪馬台国を頑なにヤマタイ国と呼ばせてる連中ってなんなの?
14 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:46:58.73 ID:EhUEwl210
邪馬台国は九州だ。
常識で考えろ、バカw
包茎男?
16 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:52:04.45 ID:HJ9NMJna0
17 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 07:52:41.73 ID:FY2ouFzx0
>>2012年に盗掘され宮内庁書陵部が調べていた
おいおい、誰だよ
邪馬台国は近畿だ。
常識で考えろ、バカw
20 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:02:08.15 ID:CdvPg6sd0
22 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:08:31.82 ID:wlLi/jJB0
卑弥呼や台与は3世紀だよ。全然時代が違うよ、箸墓は。
そんな基礎の基礎も分からなくなっている畿内設の連中はチョウセン人並だな。
wiki見て思ったこと
>宮内庁が管理しており、研究者や国民の立ち入りは禁じられているが、2012年(平成24年)に盗掘された[5]
一番肝心な方々の立ち入りが禁止されてないような
24 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:12:54.10 ID:ro9yiw2c0
卑弥呼が死んで、男たちの統治時代に国が荒れたので
その後に壱与を建てて、氏族長たちが国会議員みたいな民主主義国家になったんだろ
卑弥呼が九州で壱与が近畿って事でいいじゃん
卑弥呼は日向(ヒムカ)、台与は豊(トヨ)。
ただし日向は後世の宮崎ではなく、豊国(今の大分あたり)にあり、今も
地名として残る。
また豊国の別名が豊日別(とよひわけ)、肥国(今の熊本あたり)が建日
向日豊久士比泥別(たけひむかひとよじひねわけ)なのも意味がありそう。
ちなみに今日、日向とされてる宮崎は古事記の国産み神話に書かれて
いる九州には含まれておらず、景行天皇が名づけたとされている。
奈良や九州の人間が古都自慢するなら分かるが、京都人が古都自慢するのは韓国人ぽい何かがある。
27 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:21:56.55 ID:px/2GA/f0
宮内庁は日本史を全く知らない偽善者集団だ
富士高天原は、皆神山だと述べた
富士高天原王朝の階段ピラミッドは世界最高だとか語った
しかし、世界最高は大室山に眠る階段ピラミッドだった
無知、ムチ、むち、む、、、、、、ち、、、、、、、、、、、、、w
近畿におけるヤマトという地名は、東征における植民地化でニューヨークとか
ニューハンプシャーみたいに本国の名をつけるみたいなことなんだろうな。
いわばニュー倭(やまと)
29 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:31:35.51 ID:r2pUbRYo0
半島から渡ったウリ達の祖先がヒミコ・・・
つまり、半島から近い九州説の方が可能性が高いニダ
>>13 どうみてもヤマトだけど
邪の字がシナの忌み名っぽいから避けてるんじゃない
31 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:36:33.76 ID:o3ssT5et0
なんで古代日本には文字がなかったんだよ
32 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:38:22.97 ID:jS2+m/lS0
ただし、天理教は関係ない
>>10 記紀(特に神話部分)は大和朝廷を作っていた豪族たちのそれぞれの伝承を
集めて編集、創作されたものだと思っている。だから台与にあたる人物が記紀
に見られなくても、不自然ではない。
ちなみに皇室の祖廟とされている大分の宇佐神宮は八幡大神(応神天皇)、
比売大神、神功皇后だが、この比売大神が卑弥呼だと考えられる。
宇佐神宮は出雲大社と同じく四礼四拍手だが、これは卑弥呼と大国主神が
大和朝廷にとって同じ立場だったからではあるまいか。
34 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:46:20.70 ID:NYRyT4Kz0
35 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd @転載禁止:2014/04/10(木) 08:49:14.60 ID:M/mHQPiN0
>>10 日本書紀でそういう推察が書かれているだけだね。
記紀が編纂された当時の人から見ても500年ほど前の伝承記録なので、正確性を欠くのは仕方がない。
古事記の書き出しからして、歴史が正しく伝わっていないから諸説を整理するとなってるぐらいだ。
考古学的には、纏向遺跡が魏志倭人伝頃の都市遺跡とみられるが
纏向は崇神、垂仁、景行天皇が都を置いたとされる場所で、周辺にはその時代の人物のものとされる古墳が広がっている。
>>30 毎度疑問に思うことだが
当時の中国の歴史書の読みがそれほど正確にわかっているだろうか?
>>33 だったら卑弥呼は大和朝廷の支配下の豪族の伝承が取り込まれただけではないか?
今の天皇家とは関係ない
37 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:53:37.09 ID:MsaHMQCC0
景行天皇の九州巡幸記述での女王や女神が多い事多い事。
普通にその集落のババ様だと思うけど、邪馬台国の面影は残している。
そこで崇神朝が"イリ朝"という分け方をすると、景行天皇から"タラシ朝"に、
"入る"から"帯"になる。
ある種の政変、政策変更がヤマトであり、九州勢が反発したと見ても良いだろう。
垂仁帝をイクメともいい五十久米とも当てられ九州との関連は深そうだ。
でその政策変更は何かといえば、特区免除の破棄で税金を徴収した事だったかも?
優遇処置破棄で反発する国々は現在もあり、日本武尊や神功皇后が活躍する時代を迎える。
38 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:54:40.64 ID:DssxpXam0
宇佐から10kmぐらの山あいにに安心院という町がある
卑弥呼の墓がある
地元ではここが大和発祥の地と言い伝え残っている
戦前皇学館は伊勢と安心院の2か所にあった
39 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 08:59:12.13 ID:PLvpAZ6C0
>>1 そもそも西殿塚古墳に前方部・後円部に埋葬施設があるなんて
前から分かってたことで今更なんだが・・・
一応外からの測量じゃなくて職員が入って確かめたからってことで
ニュースになってるのかな?
しかし相変わらず客寄せパンダ的に「卑弥呼」だの「台与」の文字が入るなw
こういうのがあると未だに「九州説vs畿内説」で「邪馬台国論争」なるものが続いてると思う人間が出てくるんだろうなあwww
40 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd @転載禁止:2014/04/10(木) 09:01:11.68 ID:M/mHQPiN0
>>22 箸墓は3世紀の古墳だろ。
土器編年による推定でAC300年から前後150年の誤差と言われているが
何故か前を無視して300年から450年とのたまっている学者の言うことなんか信用できん。
放射性炭素同位体による測定でも4世紀中と3世紀中に該当するところがあるが、何故かここでも3世紀の方はろくな根拠も示さずに否定する。
皇国史観を否定する事が至上命題になってる歴史修正主義者を学者と呼ぶべきではないのではないか。
記紀の伝承には不正確なところが多いが、当時を知る数少ない手がかりであって無視したり全否定すべきものではない。
ついでに四礼四拍手の他の例として、新潟の弥彦神社があげられるが、
これも出雲大社と同じ境遇の神社だからであると思われる。
出雲大社に祀られている大国主(オオクニヌシ)が妻問いに出かけた高志
国が越(今の新潟)であり、大和朝廷側に占拠された出雲のいわば同盟国
であったのではあるまいか。とすれば、出雲大社の大国主にあたる人物が
越にもいて、弥彦神社で天孫のニギハヤヒの子供として祀られていることに
なる。
いや、自分で書いてて、けっこうそれらしくなってきた気がするんだが。
もちろん元ネタは高木彬光と梅原猛、井沢元彦ねwww
42 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 09:06:00.82 ID:CdvPg6sd0
43 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 09:10:50.96 ID:PLvpAZ6C0
>>40 >何故か前を無視して300年から450年とのたまっている学者の言うことなんか信用できん。
今は3世紀末ごろが主流じゃないのか?
大型定形古墳の出現を4世紀初頭以後と言うのは
昔の京大の某先生の学説が支配的だった頃の時代の話じゃないのか?w
因みに九州説をとってる森浩一でさえ
箸墓は九州から卑弥呼の遺骸が運ばれて埋葬される可能性とか
台与の墓の可能性があると言ってるw
>>36 「大和朝廷を作っていた」豪族の中には、大王だった今の天皇家の祖先も
含まれている。ていうか、そもそも天皇家の神話(アマテラス)系が大王家
のものだったかすら怪しいわけでさ。
45 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 09:14:57.14 ID:49ALalH9O
最近は邪馬台国にヤマタイとは振り仮名を振らないのが基本で読み方は諸説あるということになっている
中国で古代語の復元研究が進んで当時はヤマタに近い発音していたとされている
ヤマトでもヤマタイでもどちらの可能性があるのが現状
46 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 09:16:01.45 ID:PLvpAZ6C0
>>44 と言うか太陽神とか乙女が岩屋に隠れるというのは南方系の神話で
天孫降臨系はモンゴル〜半島の北東アジア系の神話
これをミックスしてるのが記紀神話だからなw
47 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 09:20:19.43 ID:ZwH9WOUJ0
研究禁止しているはずの古墳が盗掘されるってなんだかなぁ
48 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 09:29:33.70 ID:PLvpAZ6C0
まあ被葬者が卑弥呼かどうかなんて
例の金印でも出ないとわからないだろうけどw
このW埋葬施設の被葬者が(骨の欠片とかで)男女の組み合わせってことが分かれば面白いな
考古学で言われるヒコ・ヒメ体制があったことの証拠にもなるだろうしw
因みに
>>37で
>景行天皇の九州巡幸記述での女王や女神が多い事多い事。
を言ってるが大和も倭迹迹日百襲媛命とか出てきて
武埴安彦命との戦いもその妻との呪術合戦のようなもので始まってる
で割りと注目されないが神武が大和平定の時に女賊を討ってたりと
結構女が表に出てる風を思わせる話はあるw
49 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 09:30:41.54 ID:qtws7NMd0
>>13 邪馬臺国の「臺(台)」は
上古 : t?g
六朝 : t?i
隋唐 : tai
(? はeを180度回転した文字)
と発音は時代と共に変化していた。
つまり当時は「ヤマト」と発音していた。
天照大神の諱ってどれなんだ?日神か?大日霊神か?
天皇家の家系図に「諱 日神」って書いてあったり「諱 大日霊神」って書いてあったり、2種類あるんだよなー。
伊勢神宮の外宮に豊受神社があるんだけど
ひょっとしてこれは台与受け神社なのか
52 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:00:50.45 ID:loEXbRrX0
盗掘って2年前かよ・・・宮内庁は何やってんだ
普段の態度からして、責任逃れなんてするなよな
53 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:07:28.33 ID:FVn0DKs/0
九州説って専門家はほとんどいなくなった。
昔の、「弥生時代はBC300〜AD300」の呪縛から開放されない人だけ。
一般人がトンデモ説や売らんかなの本を信じてる。騎馬民族説と一緒さ。
ある意味、凡人にとっては近畿説は夢がないんだろうね。
九州説でいる限り、九州のどこかにあったという夢を見続けられる。
近畿説では、現実がそこにあるから、「夢」でなくなってしまう。
現実の世界も結構いいよ。
東大寺山古墳出土の鉄剣とか、唐古鍵遺跡の各地の土器とかさ。
54 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:10:12.74 ID:zPtKvMx10
>>51 倭姫命は,崇神天皇の皇女:豊鍬入姫命の跡を継ぎ,天照大神の御杖代として大和国から伊賀,近江,美濃,尾張の諸国を経て伊勢の国に入り,神託により皇大神宮(伊勢神宮内宮)を創建したとされる
(御杖代は依代として神に仕える者の意味であるが,ここでは文字通り[杖の代わり]として遷幸を助ける意味も含まれる.ちなみに,倭姫命が伊勢神宮を創建するまでに天照大神の神体である八咫鏡を順次奉斎した場所は[元伊勢]と呼ばれる).
伊勢の地で天照大神を祀る最初の皇女で,これが制度化されて後の斎宮となった.
55 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:13:02.84 ID:px/2GA/f0
古墳の年代測定は、記紀から来ていると市町村別歴史課の担当者が語った 大マジで
56 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:15:03.95 ID:9MlSqlcEO
>>25 縁起が良い名前だから 後から地名に付けたかもしれないよ
57 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:15:59.12 ID:TOZn4wy30
藤原カムイのせいで、凄く可愛いイメージなんだが
58 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:16:48.19 ID:G1L83EkF0
ヤマト 大和は邪馬台国から名づけたので
邪馬台国は近畿と誤解されるきっかけになった
むかしから語呂合わせの好きだった日本ですた
59 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:19:43.76 ID:ztGgEGT+0
>>54 その[元伊勢]が三輪山の麓にある檜原神社だっけ
あそこの三ツ鳥居は面白いよね
60 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:20:07.63 ID:aRwgPjPY0
>>宮内庁が管理しており、研究者や国民の立ち入りは禁じられているが、2012年(平成24年)に盗掘された
責任者処分しろよ
管理じゃなくて放置じゃねーか
61 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:21:29.96 ID:DssxpXam0
中国ー朝鮮半島ー北九州ー近畿
中国の落ち武者の末裔 こんなん当たり前だろ
忽然と土人が近畿に国なんかつくれるか
62 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:23:30.54 ID:PLvpAZ6C0
>>53 >九州説って専門家はほとんどいなくなった。
>昔の、「弥生時代はBC300〜AD300」の呪縛から開放されない人だけ。
変な話なんだよな九州の考古学は
「邪馬台国の時代は既に古墳時代が始まってる」
と言ってたのに
(ここらが某先生の 「邪馬台国を弥生時代と言い続けてきた考古学者の大罪」 という台詞になるw)
畿内説を唱えてるような近畿関西の学者の年代観に縋ってるというのはw
>畿説では、現実がそこにあるから、「夢」でなくなってしまう。
まあ「自由度の大きさ」が九州説の魅力だな
無限のカスタマイズパーツがあって自分だけのオリジナル古代史ストーリーが作れちゃうというwww
63 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:23:37.48 ID:BWZdjEhE0
根拠が何もない
考古学も言ったもん勝ちなのか
64 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:25:38.58 ID:PLvpAZ6C0
>>60 無理言うな
管理たって立入禁止の立て看板があってたまに見回りが精々だぞ?
66 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:29:23.85 ID:px/2GA/f0
>>53 古墳を作り、その中に鉄剣とか土器とか埋めれば、書物が正しいんだとか語るトンデモ歴史学者は信じると思うけどw
何かを隠すとき、貴方なら何をする?
前スレで新潟の大規模な古墳の事が記述されていたが。
地方からそんなものが出てくるのは意外とのことだが
しかし新潟は古墳時代は越の国だ。
記紀には、崇神天皇の時代に四道将軍の道主王が派遣され
さらにスサノオに退治されたヤマタノオロチは、コシのヤマタノオロチと呼ばれていた
この事実から越の国
つまり現在の福井、富山、新潟の三県に跨る地域を支配する
蛇をトーテムとする部族による巨大な王権があったことが推測され
その勢力は、大和朝廷を脅かした出雲王朝すら敵対しうるものだったと考えられる
こう考えれば、大和朝廷に負けない古墳が存在しても不思議はないかもね
>>63 仮説を証明するべく根拠を積み重ねていくのが科学・学問ってものだよ
三世紀当時のことは、決定的な証拠となりえるもの
つまり文献が存在せず
証明が難しいのは事実だが、だからと言って言ったもの勝ちなんていい加減なものではないよ
69 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:37:49.64 ID:wlLi/jJB0
箸墓からは馬具が出ている。馬のいなかった卑弥呼の時代に何故馬具があるの?
もう都合の悪いことは見えませんという畿内説にはうんざりです。
70 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:44:22.73 ID:keaVmlJt0
卑弥呼は宇佐だな
でその後朝鮮から来たのと合流して畿内征服だろう
あっという間に
71 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:44:45.30 ID:PLvpAZ6C0
>>69 別に箸墓が卑弥呼の墓とかどうでもいいが
じゃあその馬具は槨のような外部から遮断されたところから出てきたのかな?
馬具自体の考古資料の価値はあるだろうが
こういうつまらないイチャモンつけレベルに出されると
その価値もあったもんじゃなくなるな
>>69 弥生時代末期には馬は渡来しているのは確実視されている。
そもそも馬の渡来時期は四世紀ごろと推測されているだけで確実なものはないよ
馬具が箸墓から出土した話は初耳だが
三世紀中ごろから末に作られたとする箸墓から馬具が見つかったとなれば
馬の伝来の歴史を塗り替えるでしょうな
73 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:50:09.10 ID:wlLi/jJB0
>>72 魏志倭人伝に倭には馬がいないと書いてあるでしょ?
74 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:50:44.11 ID:PLvpAZ6C0
>>67 >こう考えれば、大和朝廷に負けない古墳が存在しても不思議はないかもね
と言うか吉備には全ての中でも五指に入る巨大なものもあるし
上毛の太田天神は200m超級、日向の女狭穂塚は180m
(この2つが畿内挟んで東西にあるのが面白いw)
古墳=畿内 でもないんだな
むしろこの埋葬文化が全国に広がったところにヤマト王権の伸展を見るわけで
75 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:53:24.04 ID:2Oju+n3T0
中国華南華中山東北方中国から直接日本に来た部族のほうが菅ストロー半島を通って北部族より多いだろうにw
76 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:55:29.32 ID:DssxpXam0
伊勢神宮と宇佐神宮の地形はそっくり
大和と安心院は地形もそっくり
よくもまあ こんだけ似た土地があると思うよ
女王が国を治めると争いがなくなる変態国家
78 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 10:58:50.82 ID:YmD4/89i0
ほ…方形壇 !
ちゃ、ちゃうわい!
>>74 崇神天皇の時代に四道将軍を派遣したとあるが
実際のところ、派遣というか屈服させたって考える事もできる
四道将軍が派遣されたとする丹波や吉備は、それぞれ大和朝廷に対抗した
巨大王権が存在した地域だった
そこを占領したわけだが
四道将軍は、占領軍司令官として派遣された王
あるいは恭順を示した王だった
って考える事ができるな
>>77 まあ、魏志倭人伝自体、日本語も理解できたかもわからない
魏の使節の証言をもとに書かれたものだから
かなりあやふやな部分もあるし
そもそも記述自体が非常に少なく、はっきりした事は分からん
81 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:02:44.87 ID:PLvpAZ6C0
>>79 と言うか3〜4世紀に
二正面作戦どころか四正面作戦で
全国を平定する武力持った国なんか存在するのかとw
82 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:05:16.57 ID:px/2GA/f0
>>77 男に見栄っぱりが大杉、女性に見栄っ張りが少なかったとか
単純な法則があったと考えられる
包茎団は実在した
84 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:09:13.74 ID:X9z9/LaJi
いも子が女性ではないように、ヒミコは女性でないかもしれない
皇子が女性ではないので
85 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:10:23.89 ID:keaVmlJt0
いろんな本読んだが宇佐で確定だよ
国東半島見たみ
日本じゃねえから
畿内とか最近ってわかる
>>64 昔は管理人が常駐してたそうだ。経費削減でいなくなって、
たまに橿原から掃除に来るって、天皇陵で会った地元の人がいってた
87 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:12:22.69 ID:3rnFbQjw0
>>68 >だからと言って言ったもの勝ちなんていい加減なものではないよ
東京大学なんか言ったもの勝ちじゃないか。
88 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:13:41.18 ID:X9z9/LaJi
魏誌倭人伝は最後に「南紀」に至るとその地域の風土習慣生活の記述になる
>>81 4世紀から7世紀にかけて生活に役に立たない巨大古墳つくりながら、
海を超えて高句麗や新羅と戦争し、東は関東東北の蝦夷を制圧してるからなあ
古代の倭国は凄い国力だろ
台与はまだ16だから〜
91 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:21:08.05 ID:PLvpAZ6C0
>>72 >馬具が箸墓から出土した話は初耳だが
まあ自分が説明しなくてもググって貰えれば詳しい話はいくらでも出るが
老婆心で書いとくと
2001年の近くの民家の新築工事で周濠部分出てきたもので
同じ地層から出てきた土器片が纏向4式(布留1式)で4世紀初頭のものと考えられてる
>>69は邪馬台国・卑弥呼にしか話の照準を合わせてないが
その4世紀初頭という年代さえ疑問視する声が学者の中にあったらしい
しかもその馬具=輪鐙なんで人が実際に乗ってたという話になる
ただその場所が後世の「上ツ道」が通ってた場所で
(今で言えば車がビュンビュン通ってる国道・幹線道路)
で閉じた空間でないのも考慮する必要はあるかと・・・
92 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:34:22.23 ID:keaVmlJt0
ナガスネ彦
畿内の土着人
長い手足の人から縄文系と思われる
畿内には縄文人が住んでた
93 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:36:32.22 ID:bmhWGaeC0
邪馬台国は九州にあったに決まってるだろう。
どんな記述にも、瀬戸内海を渡ったらしいものはない。
近畿には別の王国があったんだよ。それだけの話。
近畿から半島南部を経営するとかありえないから。
馬の話なら極めて簡単
邪馬台国にはいなかったかもしれないけど蝦夷の勢力圏には普通にいたからね(縄文期の遺跡に痕跡あり)
交易で馬具が巻向にわたっていても不思議はない
卑弥呼は天理教信者だったのか。
天理教すげえ。
96 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:43:36.58 ID:CZMTPBMj0
>>94 縄文期のいつごろ?
アイヌには馬の文化はないよね。
>>94 ハクセキレイとか不思議なんだよな
北の方に住む鳥で畿内では厳しいだろうに
国産み神話の時にセックスの仕方を教える重要な役どころだったりする
本来畿内にも当然九州にも居ない鳥なんだけど
>>10 魏書を入手した書紀の著者が卑弥呼の記述に基づいて神功皇后記をでっち
あげているので、そもそも合うはずもない。
>>80 しかも朝鮮人の通訳を介したうえで…だしなw
糸島からは他の地域には行ってないので、通って来た島や土地の情報以外は
すべて伝聞だろうしな。
(それに基づいて書かれた)文章が残っているからと、それを盲信あるいは
自説に都合のよい部分だけを抜き出して邪馬台国はどこだとやっても何の意
味もない。ましてや資料批判を省いた議論、考古学的データを無視した議論
は時間の無駄なだけ。
それと支那の史書は前史をそのまま踏襲することが伝統なので、古い情報が
誤った情報(当時の支那の官僚や学者は倭国はかなり南にあると思い込んでい
た)が紛れ込んでいることも考慮にいれておかないといけない。ゆえに(おそ
らく報告書に記載がなかったために)風俗・植物・動物の記述は、かなり南方
の地域の古い記事が採用されている可能性がある。
99 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:46:48.49 ID:X9z9/LaJi
中国→韓国→四国→和歌山県→紀の川→ヤマト
という説
>>73 倭人伝にいないと書いてあったとしても、本当にいなかったかどうかは不明だし、
卑弥呼が死んだ頃にもいなかったかどうかはさらに不明。
101 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:51:42.13 ID:U+Y4dD530
>>98 お前の推測にも根拠がない。
ただの想像だ。
例えば、対馬の道を、禽鹿の径の如しという記述があるが、この感想が朝鮮人の感想とは思えない。あそこには近世に至るまでまともな道は無かったからな。
中国人らしいバカにした記述だ。その他の記述も極めて確かで、有る程度の高官のものだろう。
卑弥呼に旗を拝授した?とかいう記述もあるから来たのは間違いない。
102 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:54:18.41 ID:KH/AR1fW0
>>97 それは新潟とかの日本海沿岸の知識じゃないの?
出雲から北陸方面に勢力を伸ばした権力があったのは確かなんだから。
103 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 11:57:59.80 ID:KH/AR1fW0
対馬というのはちょっと特殊な島で、集落はみんな山に囲まれてる。
隣の集落に行くには山越えの小さな道を通って行くって状況が昭和まで続いていた。
あれを禽鹿の経の如しというのは実に適切な表現なんだよ、中国人的には。
104 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:00:18.27 ID:qtws7NMd0
105 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:01:51.32 ID:PLvpAZ6C0
>>101 当時の日本を詳細に記してると思われる部分があったとて
じゃあ倭人伝全体がその原資料でもって書かれた確証はない
そもそも東南アジア地域の情報が混合されてる可能性なんて大昔から言われてる話だ
あと「禽鹿の径」というのはお前みたいに書いた人間の国籍考えるより
季節を考えるほうが建設的だな(記述の中で出る鮑漁も夏がシーズン)
古代史にまで「国籍透視」を持ち込むなw
106 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:03:01.25 ID:KH/AR1fW0
こうやって、チョンはなんでも自分のものにしようとする。
倭韓なんでものは一切存在しない。
107 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:06:43.26 ID:px/2GA/f0
>>99 中国 → 朝鮮半島経由ならば、南の島は九州北部になっても不思議じゃないよね
伽耶任那が否定できなくなってきて
自分たちのプライドを保てる新しい起源を出してきたのだろう
>>104 白村江の戦いに繋がらないトンデモ理論はどうでもいい
110 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:07:53.19 ID:KH/AR1fW0
>>105 お前の論理は何事をも言っていない。
全部が中国人の物かもしれないし、そうでないかもしれない、という結論しかでてこな。
また、国籍透視を先にやったのはお前の方だろう。
チョンの書いた記録でもあれば別だが。
中国の記録が中国人によって書かれただろうというのが、国籍透視だとか。
バカですか?
ちょっと論理回路がいかれてるとしか言いようがない。
111 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:10:22.76 ID:keaVmlJt0
くだらない
真実が知りたいだけなのにな
112 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:13:43.94 ID:a1qFbb7AO
台与って美人だったんだろうな。だから卑弥呼亡き後揉めてた国がまとまった。
113 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:14:43.91 ID:paCFDJ1p0
>>105 あと禽鹿の径に季節は関係ない。
道自体の幅はかわらないんだよ。
九州に上陸した後の、前に人を見ずなんて表現には関係してるかもしれないが、そっちは道幅のことではないし。
お前は古代史とかかかずらわってないで、頭の訓練でもしろ。
114 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:18:03.55 ID:PLvpAZ6C0
>>110 >全部が中国人の物かもしれないし、そうでないかもしれない、という結論しかでてこな。
やっぱりチョン・チュンから離れられんのだなお前みたいな奴はw
問題なのは倭人伝全体が果たして一つの資料(報告書のようなもの?)から書かれたかどうかだよ
混同の可能性があるものの一部をとって
例えば風俗・風習の記述から「日本の何処其処だ〜」と言っても意味が無いって話で
それより前に資料の検証だろうって話
115 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:20:12.29 ID:keaVmlJt0
だから宇佐だろ
倭という民族は、朝鮮半島南部から九州地方に広がっていると、大陸側は認識していたようには思えるけどね
初期の段階では倭自体が諸勢力が分立していたから、朝鮮半島の南と九州では勢力が別だったとは思う
その後、新羅、百済によって朝鮮半島南部の倭人支配地域はだんだんと解体されつつあったが、
大和朝廷の成立後に奪還をしたのだと考えている
117 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:25:38.79 ID:PLvpAZ6C0
>>110 あとな
お前は自分では気づいてないだろうが
>禽鹿の径の如しという記述があるが、この感想が朝鮮人の感想とは思えない。
と言うのはその記述内容で中国人か場合によっては朝鮮人もありえるって話だろうが?
中国人(魏使)による記述というのなら
そもそもそんな見方自体出てこない
火病起こしてるものだから
元々自分が考えてないものまで書いてしまうヒステリーだ阿呆
118 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:26:13.32 ID:nUHESov30
天照大御神=神功皇后=卑弥呼(中国語の当て字)
119 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:26:35.20 ID:keaVmlJt0
宇佐だろ
北部九州
瀬戸内海
九州南部
瀬戸内海
中国地方
全部見渡せる
ちょっと奥にあるから安全
ここを拠点に中国の使者は探索に出たのが魏志倭人伝の邪馬壱国の後の記述
120 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:29:01.02 ID:keaVmlJt0
宇佐だろ
北部九州
瀬戸内海
九州南部
四国
中国地方
全部見渡せる
ちょっと奥にあるから安全
ここを拠点に中国の使者は探索に出たのが魏志倭人伝の邪馬壱国の後の記述
121 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:30:02.50 ID:3rnFbQjw0
>>104 引用:魏志倭人伝
「韓在帶方之南東西以海爲限南與倭接」
韓の帶方(現在のソウルあたり)の南東西海岸まで與倭接(倭国の合併国)
ちょうど今の韓国らへんが(離島は除く)倭国の合併国だった。
122 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:35:25.13 ID:qtws7NMd0
>>116 朝鮮半島南部の倭国は朝貢の際に中国人から見ても名文と思われる上奏文を出している。
また献上品も卑弥呼が贈ったものとはレベルが違う多種・豪華なものだった。
123 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:35:51.03 ID:j6rGLTbz0
美少女だったかどうかだけ知りたい
125 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:43:08.59 ID:JLs0KzDp0
126 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:47:00.56 ID:X9z9/LaJi
中国→韓国→瀬戸内海→南北(南紀)→ヤマト
中国→韓国→山陰山陰→田畑はあっても食糧難→南北(南紀)
中国→韓国→九州九州には燭の王に所属し使者を派遣の記述その先には→沖縄→燭→燭の記述は略
中国→韓国→山陰山陰四国→大阪→和歌山→紀の川→ヤマト
風土習慣生活の記述
紀伊半島の東の記述
親魏倭王の記述
戦乱の記述
127 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:47:11.54 ID:keaVmlJt0
>>122 それはいつの時代
倭の五王は卑弥呼が三世紀中ごろなのに対して
五世紀中ごろだよね
倭人伝の記述内容なんてほとんど信憑性ないだろ
卑弥呼だの台与ってのは近畿や九州より
台湾やフィリピンに居た可能性の方が多いんじゃないか
奈良の古墳の話の前振りにおかしなネタをからめなくていいよ
129 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:52:33.58 ID:CPEYfEIk0
邪馬台国畿内説を信じている奴は
小保方のSTAP細胞を信じているやつと同じw
130 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:53:30.13 ID:keaVmlJt0
日本じゃない風俗ってたとえば?
刺青は日本の伝統だよね
雷火の壱与ちゃん思い出した
132 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 12:58:48.37 ID:tTed3Ili0
卑弥呼は御真津比売命
トヨは豊鍬入姫命(初代斎宮)
一年の数え方が違ったので色々おかしい所が多い
あと、金印なんて貰っているので、天皇と無関係の方がありがたいってのもある。
133 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:04:13.04 ID:49ALalH9O
意外と九州説の強みは、中国の古代語研究の進展のおかげで倭人伝に出てくる地名のほとんどが九州の地名に当てはまることがわかったことなんだよな
134 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:07:05.39 ID:3rnFbQjw0
>>128 倭人伝の記述は正確だよ。
陸里と海里が同じ距離だとして扱う京大と東大が頭可笑しいだけ。
今現在でもマイルは陸マイルと海マイルは距離違うのに(常識なので著者はマイルとだけ書く)
近年のメートル法の考え方当てはめて、同一距離の単位として
「里」を扱うなんて、古代人はタイムマシンでメートル法の思想学んだと思っているのだろうか。
135 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:07:09.86 ID:keaVmlJt0
宇佐が邪馬台国として
女王国から海を渡って東へ1000里にも倭種の国があり
中国地方かな
女王国より北の諸国には特に一大率という官が置かれ、諸国を監視し、伊都国で治めていた。
北九州かな 関門海峡とか
南には男王卑弥弓呼が治める狗奴国があり女王国と不和で戦争状態にあった。
ここは薩摩とか
136 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:08:25.12 ID:PLvpAZ6C0
>>130 東南アジア辺りとの混同で言えば↓こんな感じかな?
(他にも検索すれば出てくるだろう)
>
http://www.geocities.jp/thirdcenturyjapan/nihon.html >ただ、漢書地理史・粤地の条の[憺(にんべん)]耳・朱崖に関する記述をみると、
>「服は単被のようなものに穴を開けて、そこに頭を通して着ている。男は農耕をする。禾稲紵麻を栽培している。女は蚕を飼い、糸を紡ぎ布を織る。馬と虎はいない。
>民は、五畜を持っている。兵は矛・盾・刀・木弓・弩・竹矢を持ち、鏃は骨である。」
>と書かれています。この記述は、魏志倭人伝の『所有無與[憺(にんべん)]耳朱崖同』の直前の記述とそっくりです。
>『所有無與[憺(にんべん)]耳朱崖同』という記述は、この直前の部分が漢書地理史・粤地の条の[憺(にんべん)]耳・朱崖に関する記述と同じであると解釈するのが自然ではないでしょうか。
なんかコピペっぽいw
あと日本にあったかどうか疑問なのは卑弥呼の墓で百人の殉葬があったことになってるが
今のところ考古学的に「殉葬」があったことは確認されてないはず
(「そうじゃないか」と言われてるものはあるが)
行程記事にしろ風俗記事にしろ丸飲みで信じるのはやめておいた方がいいとw
137 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:10:15.35 ID:keaVmlJt0
普通に日本じゃんそこ
ヤマト・大和・邪馬台・・・
天智天皇の皇后、倭姫王も不思議な存在だと思う。
やまとひめなんて名前で、存在感の大きい天智天皇の皇后の割には
生没年不詳、母も不詳、子供なし。
あまりにも資料が残ってない。
本当に居たのかなぁ。
139 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:10:31.33 ID:d3LPgSbz0
140 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:11:45.89 ID:BCGEWHqP0
卑弥呼ってハニワ原人使って地球征服しようとした女王だよね
141 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:16:18.19 ID:otoBlh1J0
邪馬壱国を邪馬台国のままにしとくために壱与まで台与に変えちまったのか
まあ 『 邪馬台国論争 』 なんて所詮20世紀の遺物
70年代辺りからのブームだともう学術論争から一種のそれこそ単なる一過性の「ブーム」
よく言われる明治辺りからの 京大vs東大 って構図でもなく
マスコミによって煽られ作られた社会現象の側面が大きい
こうやって古代史のスレはどうしても邪馬台国のスレになってしまいがちだが
この手のスレ見るのが初めての人間は
未だに「邪馬台国論争」なるものが続いてると勘違いしない方がいいw
「畿内説で決着した」と言っても間違いではないが
邪馬台国論争自体無くなったというのが正しいだろう
相撲という競技がなくなったら東西の横綱どっちが勝ったもないわけでw
143 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:21:57.71 ID:G+L1QYMRO
邪馬伊都国でいいじゃない
144 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:28:16.55 ID:keaVmlJt0
畿内は100%ない
>>144 そもそも畿内だろうが九州だろうが3世紀の日本に「邪馬台国」なんてものはない
中国史書に邪馬台国と記された(モデルになった)国があるだけ
(日本はあったがジパングはなかった・・・ようなものか?)
その邪馬台国そのままの国を追い求めてたのが九州説
まあ21世紀になっても夢を追い続けるのは自由だが
そろそろ九州で一本化とか出来んもんでしょうか?
候補地ナンボあんねんとw
台与→とよ
邪馬台→やまと
147 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:42:09.33 ID:G+L1QYMRO
伊都=岩戸
148 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:47:44.35 ID:keaVmlJt0
畿内説って九州みたいな筋道がなくて
いきなり遺跡が見つかりました
魏志倭人伝は適当な文章だから信じなくていいよ
だからダメ
真実が知りたいだけ
どうみても九州それも宇佐だ
>>134 へえ、そうなのかい
あたまのおかしくない人が読むと邪馬台国は朝鮮半島南西海岸にあるわけね
しかし中原の歴史家が朝鮮半島のことを正確に知りえたかは疑わしい
(日本列島のことは全然知らなかったろうから半島の方がまだ詳しいにしても)
で、いずれにしても倭国伝は日本の近畿や九州の描写ではないじゃんかよ
奈良の古墳の話に卑弥呼だのをからめるのは不見識
150 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:53:06.97 ID:keaVmlJt0
魏志倭人伝はめちゃくちゃ正確
151 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 13:58:13.24 ID:yjWCaJ93O
152 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 14:09:09.91 ID:keaVmlJt0
真実が知りたい古代史好きにとって
畿内説は魏志倭人伝の記述はめちゃくちゃ(それどころかほんとにめちゃくちゃ正確)
て言って
でかい古い遺跡が出てきました卑弥呼かもしれません卑弥呼確定です
だから納得がいかない
てか糞つまんねえんだわおまえら
古代史を愚弄するなよ
153 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 14:11:17.52 ID:3rnFbQjw0
>>149 >あたまのおかしくない人が読むと邪馬台国は朝鮮半島南西海岸にあるわけね
そんなこと一言も書いてないが?
155 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 14:18:28.36 ID:Sish6PwH0
つーかさ、お前ら後の日本国を無意識に前提にして話してるだろ
だから九州を辺境みたいに勘違いするわけだよ
倭の支配地域は朝鮮半島まで及んでたことを思い出せ
そして東日本は未開地域だったことも踏まえて、韓国と近畿を
日本の両端と考えて地図見直してみろ
九州北部が中心に来るだろ?
半島を放棄して、本州を固めることで、中心が近畿に移ったんだよ
そして東北を完全に傘下に治めたころから、関東が中心になってくわけ
156 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 14:42:36.51 ID:qFoR6L/h0
157 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 14:44:42.89 ID:r3Qrm35p0
畿内説
三角縁神獣鏡が卑弥呼の鏡だー
… 大きさから魏で作られた鏡じゃありません。
箸墓(前方後円墳)が卑弥呼の墓だー
… 卑弥呼の墓は径百余歩の「冢」=円墳。
纒向が卑弥呼の都だー
… 纒向は宗教施設。居住生活した様子がありません。
邪馬台国が大和朝廷の前身だー
… 卑弥呼も壱与も記紀に出て来ません。
>>155 「倭」ってのがどこにあった国か知らないが
日本国のもともとの中心地は出雲だろ
だんだん中心が西に移っていったのは確かだが
古墳時代には埼玉の豪族までもが近畿の大王に仕えていたことを考えると
スタート地点が九州ではやっぱ端っこすぎるよ
159 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 14:50:11.68 ID:BCGEWHqP0
>>158 出雲王朝と畿内の大和王朝は別モンでヤマトタケルノミコトに退治された話が
出雲に攻め込んで征服した話じゃなかったっけ
ついでに熊襲征伐も九州の豪族を制服した話
160 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 14:53:54.46 ID:r3Qrm35p0
>>158 卑弥呼は「親魏倭王」に叙されているが
「倭王」であって
「倭国王」でないのに注意。
あくまで倭の一豪族の扱い。
邪馬台国が「倭国」の中心と考える根拠はそれほどない。
161 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 14:54:19.58 ID:G+L1QYMRO
タケルって名前をクマソから貰ってる時点でさ
そんで帰りしなによってる出雲もなぜかタケルって
>>33 宇佐八幡宮の今の設定を持って卑弥呼やら天皇家やらを考えるのってナンセンスだよ。
もともと、その地で祀られていた神とかを、
朝廷の支配が及んだときに取り込んで、調停ルールの神で上書きしてるケースがほとんどだから。
宇佐八幡で言えば、創建当初から祀っているのが秦氏の一族だから
本来は秦氏に関わる神だと言われているし。
神社の由緒書き見て八幡神が応神天皇だとか神功皇后だとか言っちゃうと、根本的なところで勘違いするよ。
神社そのものの来歴見ないと。
うちの神社なんか明神系の神を祀ってたら明治の神仏分離令で廃止されて、
神社庁指定のこじつけ日本神話の神にすげ替えられたからなw
そういうのが至る所にあるわけで。
>>159 全然別の場所に大和王朝ができたなら出雲と王朝交代する必要ない
大和王朝が元の出雲王朝とだいたい重なる版図を得たからこそ交代することになった
で、交代のときに出雲側が諏訪まで逃げたと伝えられているから
当時既に長野県も日本国として認識されていたことがわかる(辺境扱いであっても)
ヤマトタケルは出雲王朝との交代劇とは何も関係ないけど
九州が大和王朝の発祥の地ならそんな後の時代になってまで
「まつろわぬ熊襲」がいることはおかしいよね
164 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:04:02.14 ID:G+L1QYMRO
だからタケルって記号がヒントだろ
順番からして最後にタケルになったのはヤマト
それがタケルの元祖面してる
>>160 そうだね
「倭国」の版図がどのへんかもわからないが
卑弥呼はただの倭の一豪族だね
「邪馬台」が「ヤマト」と読めるんじゃないか?という連想だけで
無理に大和にあてはめる人が多すぎると思う
そもそも我々が呼ぶところの「大和朝廷」「大和王権」が
当時自らを「ヤマト」と呼んでいたなんて根拠はないのが本当のとこだろう
166 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:11:47.45 ID:r3Qrm35p0
>>164 諏訪は友好国だったとも考えられる。
なお当時は「日本」の概念は無い。
分家が各地に封じられて
反乱起こしたのを
「まつろわぬ熊襲」と記録して
誤魔化した可能性もある。
167 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:14:28.41 ID:G+L1QYMRO
分家が本家をやっつけたってのもあるぜ
信長とかも元はそうだし
168 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:17:58.60 ID:qFoR6L/h0
>>165 「読めるんじゃないか」じゃなくて、万葉仮名でそう読めるのは確定だから
その上で邪馬台国と大和朝廷が続いているのかどうかは知らんが
>>13 え、ヤマタイコクって読まないの?
変換でも邪馬台国ってちゃんと出る。
>>166 俺宛のレスだよね?
日本国と書いたのは便宜上で
厳密に言えば現在の日本国の母体となった豪族連合体といったところ
>>163で書いた「日本国」は連合体を指していて
諏訪はその連合内の豪族が治めていたということ
だから出雲の友好国と書いても意味はほぼ同じだね
出雲のオオクニヌシが中心となって諏訪まで含めた各地の豪族と姻戚関係を結び
今日の日本国と重なる小ぶりの版図の豪族連合体の盟主となったものが
出雲王朝だろう
>>168 大陸の歴史家が万葉仮名使ってるわけないので
万葉仮名でヤマトと読めることを根拠にあれこれ言うのはほぼ妄想だよw
171 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:25:00.17 ID:r3Qrm35p0
ああ、166 は
>>163 の間違いね。
>>168 魏志倭人伝には
「邪馬台国」でなく「邪馬壱国」
と書いてあるんだろ?
九州は邪馬台国はない
まるたい王国は今でもある
>>158 だんだん西に、は
だんだん東に、の間違い
174 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:36:11.24 ID:2zBYCYu40
しかしこれだけ議論百出の事柄を義務教育で教える必要はあるのか?
その時間を近現代史に割く方が有意義だろうに
175 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:39:54.60 ID:3aQfZUPm0
ヤマタイ
邪馬台
トヨ
台与
ヤマトと読まないタイヨと読まない不思議
>>174 正論
しかし実は近現代史を教えるのが面倒だから
わざと古代史で時間かせぎしてたりしてなw
177 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:46:43.42 ID:r3Qrm35p0
近現代史は客観的に記述するのが難しい。
評価が定まっていない
というより
現存する団体が直接の利害に関るから
ゴネまくって
教科書として決定稿に至らない。
>>166 どういう流れのレスなのか読んでないけど
諏訪はタケミナカタが逃げ込んでるから、友好国ともいえないんじゃ
179 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:50:39.01 ID:PLvpAZ6C0
>>155 >倭の支配地域は朝鮮半島まで及んでたことを思い出せ
>そして東日本は未開地域だったことも踏まえて、韓国と近畿を
こういうのは前世紀的な考え方というか知識だな
と言うか単なる知ったかぶり?
流石に未だに九州説にしがみついてる人間のことだけはあるw
無論、大型定形古墳の時代には巨大古墳を擁する埼玉古墳群もあるし
この西殿塚やその前の箸墓に先行するいわゆる「纏向型」さえ関東に普通にある
(確か北限は石川県だったか?)
もう3世紀4世紀の日本を考える時
西日本で完結するなんてありえない
180 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:51:54.86 ID:MsaHMQCC0
>>161 神武記の一節。
其の梟帥(たける)兄磯城(えしき)等(ども)を斬(き)りつ。
タケルって「梟帥」とも当てるからね。クマソやヤマトやイヅモの他にヤソ(八十)もある。
族長、有力者だったり、軍の命令や勇者というか戦に集合した旗頭(小豪族)だったりの一般名詞でしょう。
盗むとは違うだろうね。
181 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 15:55:45.83 ID:r3Qrm35p0
征服により、その地の王者の称号を継承した、ともとれる。
そういえば、何で大和と書いてやまとなのだろう?当て字にしても無理ありすぎじゃね
>>182 船とかいてふねと読むなんて無理すぎだろっていってるようなもんだろそれ
184 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 16:11:56.28 ID:r3Qrm35p0
称号、というか肩書というか、
いろいろなのがあり
例えば神聖ローマの7大選帝候みたいのもあったわけだから、
・「タケル」号を名乗れないと「倭国国王」位の継承争いに加われない、とか
・「タケル」号を名乗るには、世襲でなければ、
他の「タケル」号を名乗る者を倒して称号を奪うしかない、とか
の事情があった可能性も考えられる。
>>81 四道将軍の派遣と、畿内式の古墳の広がりが時期的に一致している事実もあるし
四道将軍の存在の有無はともかく、何らかの史実があったのは間違いないよ
崇神天皇の御世に急速な日本統一が起こったとしても、歴史を紐解いてみれば
ありえない事ではないだろう。
例えば織田信長とか、日本史にもそういう人物は存在した
186 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 16:14:12.69 ID:3aQfZUPm0
漢字が日本語に取り入れられる時に大和が意味する中国語が日本ではヤマトと呼ばれていたかと言えば違うのでは?
187 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 16:16:44.14 ID:G+L1QYMRO
わざわざ説話にしてる所にヒントがある
何でタケルなのかと
つうか神武がタケルだったんだろうよ
将軍職みたいなもんだったんだろう
途中で本家になり大王家の始祖になったんだろうな
188 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 16:22:22.12 ID:JyiBmntL0
>2012年に盗掘され
おいおい、おととしじゃねーかよ。盗掘されるくらいなら学者に掘らせてやれよ
タケルってのは単に個人の勇猛さを讃える褒め言葉だよ
個人の勇猛さで統治できるのは小さい集落だけ
豪族連合の中心となる者はタケルである必要はない
というかやたら勇猛な奴は不適格だからこそ
皇子であるヤマトタケルは父に疎まれ辺境行脚に追い込まれた
190 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 16:41:37.99 ID:r3Qrm35p0
ヤバイ称号を得てしまったので
疎まれ死地に追いやられたとも想像できる。
義経が勝手に官位に就いたと頼朝に討伐されたように。
191 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 16:56:10.08 ID:r3Qrm35p0
そもそもヤマトタケルの記録にはかなり異同があり
一人の人物の記録ではなく
数代にわたる称号継承者の記録と考えた方が
いいのではないかともされる。
一部の古記録で
『常陸国風土記』は倭武天皇、
『阿波国風土記』は倭健天皇(ないし倭健天皇命)
と記されるなど、
この時期の王族内で複数の称号が並立し
どの称号が最高位なのか明白でなかった可能性も示唆される。
192 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 16:59:17.02 ID:G1L83EkF0
唐に聖書を漢字で書いた文書があって
天孫降臨と当時の説話ミックスしたのが古事記
キリスト教の博愛の概念を和に変えて
神に昇格させ支配者ねらい
文字で支配できると思ったのはキリスト教のおかげ
193 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 17:06:19.08 ID:r3Qrm35p0
天照大神の一族が
出雲の大国主から国譲りを受けその宗主権を継承したとして、
大国主の勢力圏がどこまでだったか。
九州南部や四国は圏外だった可能性も十分あり、
その場合はそれぞれの地域の王の称号があって
天照大神の一族が征服するたびに
その部隊を指揮した一族の者が
その地域の王の称号を継承したのではないか。
そうなると一族内で
各地の王の称号を持つ者が並び立ち、
どの称号が最高位か争う事態も十分考えられる。
大神、神、彦、主、命、尊、天皇
元々の尊称は「尊(みこと)」
195 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 17:10:06.48 ID:G1L83EkF0
アマテラスは語呂合わせ好きなのでアマデウス
元々長い間、邪馬台国=ヤマトコクって呼んでたのに
元祖ネトウヨ学者の本居宣長が突然、邪馬台国=ヤマタイコク
とか呼び出したせいでこんなことになった
1000年も邪馬台=ヤマトって呼ばれてたのに一学者の説で大混乱
>>192 古事記のどのへんに「キリスト教の博愛の概念」が出てくんの?w
>>193 最高位なのは部隊を派遣した側の中央の称号に決まってると思う
征服部隊の長が征服先の王の称号を名乗ったら
当然称号は各地で並び立つが
それらは全てローカルな称号に過ぎないから
序列はそれぞれの支配する地域の豊かさや格で決まる
>>196 ヤマトもヤマタイもどっちもこじつけだけどな
「みこと」の由来とは?
>>198 ソースは忘れたが「コト」は威厳や権威を表すんじゃなかったかな
「ミ」は尊称で「ミコト」は「尊い威厳のある存在」の意味だろう
魏志倭人伝に書かれている
魏が日本に送ったものに相当すると思われる多数の銅鏡
周囲、百歩と呼ばれる大規模な古墳
さらに大規模な集落
魏志倭人伝の時代に、これらの全てが揃っている地域は
日本では、いまのところ畿内以外に発見されていない
その事実から考えれば、畿内に邪馬台国が存在した考えるのが
もっとも可能性として高いと思うけどね
そもそも魏志倭人伝の邪馬台国に至る航路は、素直に読めば大和に至る事もわかっているし
201 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 17:52:17.10 ID:G1L83EkF0
倭国を和国に変えたのは唐の景教の
自己犠牲キリスト
から唐軍に壊滅された倭国が抗争相手だった
本州の大国に和を持って尊しとなすと言って
合併した
202 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 17:52:43.90 ID:JA1nEjpdO
ほんとうか
いや魏志倭人伝の記載のとおりに進んだら絶対に畿内になんて着かないよ
かといって九州にも着かない
正直どこにも着かないわけだが邪馬台国が実在したとしてフィリピンあたりじゃないの
まあ倭人伝なんて伝聞がソースで半分以上がヨタ話だと思う
204 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 17:53:07.89 ID:FVn0DKs/0
遺跡の状況からすると、古墳開始前夜、四国は西から九州が、東から近畿がちょっかいを
出していた様子が伺えるらしい。
そして、大規模前方後円墳前夜、日本各地に様々な古墳が作られていた。
纏向型前方後円墳の原型、前方後方墳の原型、円墳、方墳。
高地性集落は、一世紀には瀬戸内海周辺を中心にし、二世紀は西は九州北西部
から東は静岡まで広がっていた。
遺跡から出てくる中国製鏡は、弥生時代前期・中期は九州が圧勝しているが、
一世紀後半(後漢前期)以降西日本一帯に広がる。
そして後漢後期((二世紀後半から三世紀はじめ、)の鏡は近畿が圧勝する。
アテネがローマ帝国の首都ではないように、九州は三世紀の日本の中心ではない。
纏向以前の鍵唐古遺跡でも、西日本各地の土器が出土している。
三角縁神獣鏡の成分を分析すれば、日本ではなく
中国の銅山から採掘された銅を用いたものだとわかっている
それだけなら、銅を輸入しただけって可能性もあるが
中国の工房で精製された可能性が高いことも、当時の工房を調査したわかっている。
三角縁神獣鏡は、中国で作られたものであり。
魏の皇帝が卑弥呼に下賜した物だと考えられる
魏志倭人伝で記載された銅鏡百枚とは、数多という意味であり
日本向けにオーダーメイドされた鏡だったのだろう。
そう考えるのが普通ではないの。。
206 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 18:02:55.26 ID:wlLi/jJB0
穴ぽこが出てきたら、即卑弥呼の宮殿発見 とか
桃の種が出てきたら、即卑弥呼の都発見 とか
石積が出てきたら、即台与の墓発見 とか
こういう余りにも幼稚な妄想をぶちまけるのは、いい加減止めてもらえませんか?
207 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 18:19:04.46 ID:FVn0DKs/0
西殿塚古墳はどうみても手白香皇女の墓と違うんだから、発掘させたっていいと思うけどなあ。
つーか、本物の方をもっと大事にしてやれよと思うな。
継体陵とか仲哀陵とか欽明陵とかさ。
出雲王朝の存在が気になるのだがね
私は出雲は一時的にも大和を勢力圏内にしていたと考えている。
そうでなければ、国譲りの神話の存在が説明できない
大和勢力と出雲との間での下克上があった
そのことは、記紀編纂当時の知識人の多くが知っていた事だった
だからこそ、国譲りの神話で、それを正当化する必要があったのだとね
だったら、出雲が大和を支配したのは、何時ごろだろうか?
邪馬台国以前か、それとも以後かで、日本史がかなり変わってくる
209 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 18:29:02.41 ID:HXc6+4x20
卑弥呼とか邪馬台国って言ってるバカは左翼の手下。
冷静に考えてみろ、
その時代って日本の起源から何年だ?
日本ができ天皇が国を治めて何百年たつ?
卑弥呼、邪馬台国、倭 どれをとっても差別用語じゃないか。
このあったかなかったかわからない現在の中国大陸にあった魏という国の
書物の一つに書かれてただけのものを日本の教科書に無理やり載せる意味は何か?
これこそが自虐史観の原点である。
倭人 小人セムシ完全に差別用語であるので本来使用してはいけないはず。
>>208 仮に日本の近隣の朝鮮半島などに邪馬台国があったとしても
辺境の一豪族に過ぎないわけで
あんまり日本史の本筋とは関係ないだろ
記紀に邪馬台国は出てこないから
関係するとすれば出雲王朝の時代のことだろう
211 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 18:31:35.28 ID:Nn+t30kU0
本当の古代史はまだまだわからない。
中国の研究者が倭人は江南にいた海洋民だといってる.。.
その説では戦乱期に東に行った(海を渡った)連中と西にいった連中
がいて、日本人と越南、雲南・チベット方面の民族に分かれたとか。
海洋民だからそれ以前から日本との交流はあったと思う。
すでに、日本には一万数千年に及ぶの縄文文明があった。
多分天皇のご祖先は水稲技術をもって日本に渡った一族と王族
と関係があって、春秋戦国時代の今から2674年前に日本の初代
天皇である神武天皇になられた。
太平洋側に入った呉人は瀬戸内や大阪湾に入って、越人は日本
海側に入植した。仮説、空想だけど。
212 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 18:33:02.04 ID:PLvpAZ6C0
>>207 継体の后の墓を大きなものにしたいと言う思惑があったんだろうか?
仮に継体が応神の血統でなかったとしても手白香皇女により繋がるからなw
じゃあ西殿塚の元々の被葬者は誰だったのか?って話で
崇神より前に箸墓・西殿塚と二人ほど大王クラスの人間がいたんだろうか?
>>138 倭姫王の影の薄さは父・古人大兄皇子が中大兄皇子に殺され、
母親は不明だけれども父親が蘇我氏本家に近い存在だったので、
蘇我氏出身の可能性があるけれども、蘇我氏も中大兄皇子に(ryなので。
倭姫王の立后は、古人大兄皇子の鎮魂の意図も無いとはいえないかも。
壬申の乱後消息不明な方々の中には、倭姫王の他に
弘文天皇の弟妹かもしれないと推測される方々もいます。
倭姫王は敗者側としてその後を正史に記録されなかったのかもしれないね。
214 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 18:39:52.98 ID:o3ssT5et0
水行何日ってのはアレじゃないの
1日漕いで停泊地で接待受けて2-3日遊んでたんじゃ
215 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 18:47:33.13 ID:MmNYjGSk0
「やまと」=大和=奈良というのがそもそも早計なんだよな…
もしかしたら筑後の山門郡かもしれん訳で
隣には八女郡なんてのもあるし
216 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 18:56:04.55 ID:G1L83EkF0
朝廷支配が近畿以北になったのは奈良平安くらいで
むしろ近畿以北の日本支配のほうが長いが
日本書紀などのペテンの効果でありがたがるの多いが
明治維新で殺戮したのは公家の悪辣さ
でも、こういう歴史ロマンの話大好きだわ
自説云々を持たない頃が一番楽しめる
218 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 19:03:26.79 ID:G1L83EkF0
悪辣が凝集したのが昭和天皇
219 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 19:04:16.36 ID:qtws7NMd0
220 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 19:17:29.04 ID:G1L83EkF0
武器を捨てて日本人見殺しにしろと命令
したのが昭和天皇ですた
221 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 19:19:50.42 ID:FVn0DKs/0
>>212 この地域に墓があると記紀に書いてあるのが継体の妃だけだからなあ。
墓を大きくしたいと考えたのもあるかもしれんけど、そんなら雄略陵は
何を考えてあんなのにしたのか幕末の人に聞いてみたいよね。
奈良の古いでっかい古墳で被葬者が記紀にないやつって、いくつかあるけど
誰なんだろうねえ。
まあ、桜井茶臼山古墳とかメスリ山古墳とか、発掘しても誰と書いたものが
出てくるわけじゃないから、天皇陵を掘ったらわかるとは思えないけどさ。
伝開化陵なんか、面白いと思うけど、話題にならんのよね。
222 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 19:21:53.52 ID:n0gWk0MB0
「やなもと」が訛って「やまと」に化けたでござる。
邪馬台国と大和朝廷が記録上断絶しているように見えるのは
2000年周期の大地震と津波のコンボのせいだと思う。
大地震と津波で数年に渡り無政府状態になり
政権や行政を担当していた組織もズタズタになり
まともな引き継ぎ無しで事実上一から再建したから
邪馬台国時代との繋がりが曖昧になってしまった
というか事実上別物になってしまったんだと思う。
邪馬台国=奈良 アマテラス=卑弥呼
天皇家は九州から出て、大阪の河内〜堺に拠点を築く。ここから、天然の要塞である奈良(邪馬台国)を攻めて、
邪馬台国の王の座を奪い取る。したがって、卑弥呼は大和外の伊勢に葬られる。
仁徳天皇陵など巨大古墳が大阪に多いのは、天皇家が拠点を築いた名残である。
225 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 19:53:46.33 ID:xThLQtfK0
おまいら20:00からBS103犬HKプレミアムで卑弥呼だってお
台与はまだ、16だから
記紀におけるナガスネヒコとは邪馬台国のことである。
九州系天皇家は日本を治めるために邪馬台国の墓系(前方後円墳)を継承し、巨大古墳を築造していった。
陳寿は焦っていた。10時から魏志倭人伝の打ち合わせだったが寝坊してしまったのだ。
陳寿はつぶやく、「ヤバイ、遅刻だ。」
それを聞いた助手、「邪馬壹国っすか?書いときますね。」
229 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:04:55.61 ID:xThLQtfK0
当時の倭国と中国の以外な結びつきとは!
だって!!! ばっかじゃないの、犬HK!!!
当時中国があるかYO!
ちょっと実況行って来る
大和と邪馬台国はつながってないと思うね
どこかの時点で近畿の大和が九州の邪馬台国を滅ぼしたとみる
231 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:06:42.57 ID:uhe3LCvI0
>>209 でも、中国の歴史書に「倭の五王」って記述もあって
これは、現在の天皇家の祖先だって、ほぼ確定してるんだぜ?
その「倭の五王」の前に登場する人物が卑弥呼なんだから、
完全に架空だとか無視するのも良くない
232 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:10:59.62 ID:wlLi/jJB0
倭国大乱の痕跡ゼロが畿内。なぜか? まだ縄文人し住んでいなかったから。
ただし、鬼道を行い人々の心の拠り所であったわけで
もしかしたら邪馬台国を滅ぼした大和が卑弥呼の血を引く者をそのまま国家の象徴とした可能性もあるな
それが今につながっている可能性も
234 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:13:45.99 ID:NklVt9V10
>>205 普通ではない。
いわゆる「三角縁神獣鏡」は
その銘文が韻を踏んでおらず、
魏皇帝の命でオーダーメイド&下賜されたものでは有り得ない。
おまけに魏鏡は小型、
大型の鏡は三国志の時代には魏と対立した呉の文化圏のものと相場が決まっており、
大型の三角縁神獣鏡は
呉系の職人が列島に渡来し
政治的都合により魏年号を含む銘文を入れ造らされたと考えざるを得ない。
235 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:14:13.09 ID:1gxVQq5Y0
>>235 第二次世界大戦後と状況は同じだったかもしれん
237 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:19:04.90 ID:wlLi/jJB0
倭国30か国を瀬戸内畿内まで勝手に広げているNHK・・・ここにもねつ造でっち上げ
238 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:21:04.19 ID:NklVt9V10
>>231 >「倭の五王」って記述もあって これは、現在の天皇家の祖先
根拠は?
現在の天皇家が「倭国王」を称し大陸に朝貢した記録は無いわけだが??
239 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:22:52.35 ID:4P8o4q+O0
普通に畿内ってか奈良で決まりじゃないか?
邪馬台国はw
2000年に一度の大災害からの邪馬台国の生き残りは
被害が軽微だった畿内に都を移して
同時に邪馬台国の象徴だった卑弥呼やトヨの古墳も
畿内に作る。
我らこそ邪馬台国の正統な後継者であることを
内外に示し、アピールするために。
そのアピールの為に失われてしまった中国から贈られた
神獣鏡のレプリカも作ってみせたかもしれない。
241 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:23:34.37 ID:wlLi/jJB0
犬山の東の宮古墳出土鏡をさも卑弥呼の鏡みたいな扱い方するNHK・・・これもでっち上げ
242 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:26:23.39 ID:SrK6BPsR0
西殿塚の前に箸墓に行ったが何もなかった。しかし失敗した。行燈山にでも掘るかな
畿内説の面倒なところは
朝鮮半島支配を認めたくないためヤマト王権の歴史を短くしたい左翼と
中華王朝の属国があった歴史を認めたくないためヤマト王権の歴史を長くしたい右翼
の両方から攻撃を受けてるところ
244 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:29:04.37 ID:wlLi/jJB0
倭に鉄の生産技術が無かったとだと? NHK
半島で鉄を生産していたのは倭人。半島南部は倭国。
>>136 編集の締め切りが迫っていて、思わず書き写しちゃったんだろうね。
小保方の論文みたいに。
>>236 んーもっと怖がったんじゃない?鬼道の使い手の血統の国滅ぼしちゃったら
247 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:47:01.83 ID:NklVt9V10
>243
いや畿内説のしょうもないところは
何の根拠もない妄想なんだw
>157 >160
畿内派は倭人伝を「当時の列島の中心は邪馬台国」と勝手に拡大解釈して
「だから列島の主役たる大和政権の前身」としたくて躍起。
ところが倭人伝は「列島の中心は邪馬台国」と記してるわけではないw
魏に「戦争に負けそう!助けて!」と泣きついてきた豪族に
とりあえず使節を送った見聞録。
地方豪族なのか、他にもっと栄えた中心が無かったのか、何も記してないんだw
邪馬壱を邪馬臺に変えたせいで、
壱与まで巻き添えになっているのが笑えるな
ステップ式ピラミッド
250 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:53:12.21 ID:G+L1QYMRO
どう考えても応神は九州勢の別王朝だよな
>>247 しかも貢物百倍返しで、「王として認める行為」を書き残したのは、
自慢入ってね?と思うんだw
252 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:57:44.86 ID:oZOu0iI70
>>203 松本清張は魏志西域伝みたいなのも、距離は出鱈目だと言っていたよ。
つまりは「遠く、遠く」の意味で「〜里、水行○○日」みたいに使ってるらしい。
253 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:58:15.39 ID:wlLi/jJB0
倭の北岸は半島の南岸にあった狗邪韓国。のちの任那。
古墳の形が日本と同じことから明らか。
254 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 20:58:32.82 ID:NklVt9V10
>250
いや任那日本府の長官か何かに封じられていた
天照大神の直系子孫(分家スジ)が
実の父でないかと思う。
応神誕生説話はたしかにあやしげだが、
天照大神の直系子孫であれば
それでも民に無理矢理にでも受け入れさせる事はできる。
天照大神の直系子孫でなければ、まず無理。
山岸涼子の漫画なら読んだ
隋書に王がいる所は魏の時代から変わらず竹斯って書いてあるんだから、
向こうの本に依拠する限りは議論の余地なんて無いんだけどな
日本書紀を信じるなら、
日本の中心は神武天皇いらい奈良とか大阪なんだから、
どちらかが間違っているということになるわけだが
257 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:05:04.85 ID:NklVt9V10
>251
自慢というか、狂喜乱舞した。
魏は政変で権力交代した直後で、
新政権は現代の言い方すれば
「承認します」という外国からの使節を待望していた。
そこへイの一番に来たのが卑弥呼の使節。
邪馬台国側もそのタイミングを睨んで
「これでなんとか援軍が期待できるだろう」と
渾身一擲で遣使したと思われる。
だから得体の知れない地方豪族の使節であっても
とりあえず歓待した。
でも情勢視察させた結論として援軍は送らなかったから消滅したw
258 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:07:05.76 ID:G1L83EkF0
魏志倭人伝の南行が王のいるところから
離れる意味なのわからないと解けない
大坂の難波京から肥後まで行ってるのはたしか
259 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:08:46.75 ID:jt3ytPd70
「やまと」という口語音が先にあり、そこに中国人が付けた「邪馬台」「倭」という漢字、転じて大韓民国チックに「大倭」「大和」という字を当てたのだろう。
そこまでは誰も異論はないはず。
>>257 やっぱり話盛ってるよなあ?
適当に日本の話集めて、こんな国からも「王に認めてくれ」って
頼まれる魏スゲー!魏最高!みたいなw
>>232 倭国大乱の後に卑弥呼を共立したとある。
出雲に大量の剣が埋葬されていたのは、倭国大乱の再発を封印するため。
262 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:10:17.65 ID:PLvpAZ6C0
しかし未だに倭人伝の
行程記事の読み解き=暗号解読ゴッコ
に入れ込んでる奴がいることにびっくりだわw
70年以後のブームを知ってる爺さんが昔とったナントカで頑張ってるのか?w
263 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:10:37.03 ID:NklVt9V10
>256
そこで九州王朝説ですよw
倭の五王の時代も経て
遣隋使・小野妹子までは筑紫の九州王朝からの派遣、
小野妹子が帰国するころに政権交代して
九州王朝(倭)は覇権を失い
近畿(日本)に列島の主役が移った、と。
264 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:14:35.31 ID:tBcPXyC20
>>168>>171 原文が「邪馬臺国」だったからこそ「邪馬壹国」と勘違いした。
本来「臺ダイ」と「台タイ」は別の漢字。
天「台」宗を旧漢字で天「臺」宗とは書かない。
>>263 倭の五王の時代は仁徳天皇の時代。巨大古墳が大阪にいっぱい築かれた。
266 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:19:34.88 ID:PLvpAZ6C0
>>232 >倭国大乱の痕跡ゼロが畿内。なぜか? まだ縄文人し住んでいなかったから。
こういう無知無能が九州説
じゃあ畿内の弥生時代は実年代で一体いつから始まったんだよとw
兎に角イチャモンつける事で頭がいっぱいのクズ
267 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:21:33.60 ID:G1L83EkF0
上京で東北から北陸もそう
南行は今で言う下りなだけで魏志には肥後までの
下りのはなし
268 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:23:06.58 ID:NklVt9V10
>265
いやだから
近畿天皇家が「倭」と自称した記録は無いんだよ。
近畿勢は遣唐使の時代より以前は「唯我独尊」状態で、
九州王朝は、応神〜仁徳朝や、継体朝の時代に
外交的に曖昧に近畿優位を認めていた時期はあっても、
大陸との交渉では一貫して倭の代表とふるまっていた、
と考えると矛盾は無いかと思われる。
また、倭のことをヤマトと読んでいる。
例、倭迹迹日百襲媛命 = ヤマトトヒモモソヒメノミコト
271 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:28:43.44 ID:NklVt9V10
272 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:31:08.34 ID:w/8vP9jt0
これ盗掘した朝鮮人は一族郎党、呪いがかかったんではなかろうか
あの〜
九州じゃなかったら死んでもいいんすけど俺
274 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:33:58.80 ID:3rnFbQjw0
>>260 話誇張してないよ。
本州に着いてから、近畿まで水行30日で着いている
今までの距離で記すさず日数であることから、手漕ぎボートでなく
河の流れに身を任したのんびり河くだり。
その30日の行程の地域が全て完全な支配下でなければ、のんびりどころか自殺行為。
一方的な弓や投石の的になる
275 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:34:48.24 ID:PLvpAZ6C0
『九州王朝説』と『東遷説』
かつての邪馬台国ブームが生んだ
2大キチガイ電波
教祖二人の対立をプロレスに例えてる人間もいるぐらい
もう学問というよりカルトの域w
2ちゃんだと九州説と言っても大概どちらか
あるいは両方の悪いところどりってのが相場w
壱与はまだ
277 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:36:21.42 ID:oZOu0iI70
江田船山古墳とかトンカラリンを見るにつけ、
邪馬台国は九州に在ったと思うようになりました。
とりあえず倭からの献上の話が記録に残ってるのは周の前期
年代がほぼ特定できるのがその後の成王の時で3000年ちょい前
つまり神武の東征よりはるか前に海を渡って周と交易していた勢力が存在したわけだ
んでこの時点で倭というのは100以上の国の総称として扱われ1000年ほど引き継がれる
これは後に奴国王が倭王ではなく倭の奴国王として漢より金印を受け取っていることでも証明される
んでこの奴国なわけだけど倭国の南端にあったとの記載がある
奴国の位置は今でいう福岡なわけだからここが南端とすると倭の中心は九州の外に存在すると考えるほうが自然
畿内かどうかはわからんけど九州にのちの邪馬台はないだろうなというのが個人的な見解
279 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:38:21.04 ID:G1L83EkF0
南無妙法連で朝廷が日本支配で
南には法に支配されたいい国ないと唱えさせたので
南の意味は王から離れた意味なのわかった
弥生時代鉄器の出土数で言うと西矢護免遺跡をはじめ
熊本が飛び抜けて多い。邪馬台国だった可能性が高いと思う
281 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:43:03.83 ID:y6MO2C4A0
>>274 >河の流れに身を任したのんびり河くだり
30日も?
日本の川は結構流れが速い上にそんなに長い川が有ったか?
魏志倭人伝の日数って参考になるのかあれ
10日とか20日とか書いてあるけど30日あったら東北だって行けるだろ
284 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:45:32.81 ID:wlLi/jJB0
>>274 帯方郡から1万2000里という距離表記を完全に無視してるね。
どうして都合のいい方だけ取るの?
>>280 訂正
○ 西弥護免遺跡
× 西矢護免遺跡
日めくりここにあり、、、卑弥呼ここにあり!!
>>274 んーそっちじゃなくて。五十カ国の集合した、
鯨面獣身の素もぐり漁をしている国民が、
酒を作る余裕=米か果実豊富と、
蚕を育てる余裕=桑豊富と、
鉄を作る余裕=燃やす木が豊富で水害も起こさない←米作る人と対立しかねない
を持ってるって書いてあるじゃん?そこら辺盛ってね?話に聞いた日本を、
一つの国、もしくは五十カ国として書いてね?って思うのよ
今ですら、北海道は雪降ってるし、関東は桜散ってるしね
288 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:46:37.76 ID:NklVt9V10
>278
>倭の奴国王として漢より金印
有り得ない。
金印は、
魏でなら唯一回だけ匈奴の王に贈られたのみ、
よほどの大国にしか贈られない。
倭を構成する百余国の一つでしかない奴国の王に贈られるなど
漢代でも有り得ない。
西の大国・匈奴と互角の
東の大国・倭奴の国王に対し贈られたもの、
との解釈しか、中華の秩序体系の中では不可能。
289 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:48:02.72 ID:oZOu0iI70
黄巾の乱から逃れてきた連中が熊本に上陸したのは間違いないと思う。
それから久留米と日向に。久留米から佐賀大和(吉野ヶ里)とルートを
たどって、博多に到達したのではないか?なので、久留米あたりに
邪馬台国があってほしい。
>>256 隋書のどこに書いてあるの?>魏の時代から云々
>>269 単純化すると、奈良時代の大和政権の官僚が魏書などを見て、自分たちが支那から
「倭」や「邪馬台(yamato)」と呼ばれていたことを知ったのか否かということかな?
倭をヤマトと読んでしまってるので前者だとは思うが。
もともとの倭国は支那側から見る限り北部九州のことだけを指していたものと俺は
思っている。支那との交流の玄関口は北部九州のみだったしな。
291 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:48:42.39 ID:mElJAunm0
>>274 帯方郡から邪馬台国までが1万2000里
帯方郡から現在の韓国南端近辺の狗邪韓国までが7000余里だぜ?
>>288 あの金印は江戸時代につくられた偽物説が強い
漢字しかない国が倭と委を混同するとは思えん
294 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:50:56.30 ID:mElJAunm0
>>243 違う。畿内説の面倒なとこは、とっくの昔に死んでるのにしつこいのだけは
いっちょまえなところ。
小保方擁護とそっくりwwwwwww
中国人はいい加減、今も昔も。
帯方郡から狗邪韓国までが7000余里
帯方郡から邪馬台国までが1万2000里
ってなんかどっちの説にとっても半端な感じだな
297 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:53:36.02 ID:mElJAunm0
近畿説は「纒向はすごいんだぞー」と言っているだけ。
もはや、邪馬台国についての議論ですら無い。
近畿説は邪馬台国論争から脱落し、消滅しました。
近畿説は小保方擁護と同レベルwwwwwwww
>>281 多分、瀬戸内海。
黄河や長江など大河を見慣れた中国人から見れば、瀬戸内海も河みたいなもの。三十日は三日の誤りかも知れない。
299 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:56:49.81 ID:wlLi/jJB0
>>293 偽物ってのは本物が有ってのことだろ? 本物がどこにあるの?
あるいは偽物作者が大金はたいてそんなもの作る意図がないわな。
>>288 後漢書の范曄がなんらかの資料を基として「奴国に印綬した」という記述が
ある以上、ありえないと断定するのはいかがなかものかな?それに大国でな
いテン王に送られてるし。
301 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:57:04.43 ID:U4ZFbX7s0
>>279 南無妙法連華経の南無はサンスクリットで「帰依する」という
意味の「ナーム」の音写なんだけどね。
>>293 その割に一応祀ってあったみたいだけど?
303 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:58:29.71 ID:tBcPXyC20
>>269 その通り
古代から「倭」は中国人の憧れの的。
「倭」は古代の有名ブランド。
だから「大和朝廷」も「倭」と同じ音読みの「和」を名乗った。
「倭」も「和」も「禾」が漢字の音を表わす形声譜
聖徳太子も倭国大乱を知っていたからか十七条憲法の最初に
「以和為貴 和をもって貴しとなす」を持ってきた。
304 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 21:58:48.25 ID:3rnFbQjw0
>>292 手漕ぎボートで日の出から日没まで漕いで移動できる距離が「千里」
なんだろう。
陸の「里」と一緒にするほうがおかしい。
305 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:00:17.43 ID:oZOu0iI70
>>303 「倭」って「背の低い連中」くらいの蔑称じゃなかった?
>>288 それは漢の事情によるものかと
奴国が使者を出した年は光武帝の晩年にあたり明帝の即位年でもある
んで明帝が目指したのは西域の平定でありそのためには背後に存在する楽浪郡の周辺国をけん制する必要があった
そこにタイミングよく使者が来たので奴国を大国として扱い利用したわけだ
307 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:02:14.07 ID:3mZDlchm0
邪馬台国の時代に石積みの方形壇なんて、本当にあったのか?
近畿説は、なんでもかんでも目ぼしい遺跡を邪馬台国に合うように年代を古く見過ぎるから、
こんな風に辻褄が合わなくなる。
308 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:03:37.72 ID:PLvpAZ6C0
>>293 >あの金印は江戸時代につくられた偽物説が強い
大陸で出た金印と同一の規格だったりと
当時の人間が知りえなかった共通性があり
本物であるのは確定だぞ
金印偽物説は自分で調べてみるといい
いや自分も本物であって欲しいとは思ってる
310 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:06:46.19 ID:PLvpAZ6C0
>>309 何を読んでいってるのかしらんが
偽物を造った人間が予知能力を持っていない限り無理だ
311 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:09:17.29 ID:wlLi/jJB0
卑弥呼の塚のサイズは径100歩、
100歩といったらせいぜい50m
箸墓のような巨大な墓になぜなってしまうのか?
頭おかしいんじゃないの?
>>306 こういう東アジア的な視点と東アジア史料の知識を、距離があーだ、
方向があーだ近畿だ、九州だ、いやどこだとか江戸時代から続く矮
小かつ結論のでない議論しかできない人たちに持ってほしいんだよ
なあ。
>>296 さらに狗邪韓国から対馬国までが1000余里
つまり現在の韓国南端から対馬までが大体当時で言う1000里余りと考えられる
そして対馬国から一大国(一支国、壱岐)までが1000余里だという
これは地図を見ればわかるが確かに韓国ー対馬までと対馬ー壱岐までの距離はほぼ同じだ
ここまでで9000余里
あと3000余里で邪馬台国に到着するということになる
つまり壱岐を中心とした半径が当時で言う3000余里の円の円周上もしくは道のりと考えると円内に邪馬台国が存在するということになる
そうなると熊本、大分、長崎、山口となるが
伊都国(福岡県糸島市)は邪馬台国からみて北方の国だというからやはり九州内の熊本か大分、長崎だろう
たぶん熊本だと思う
315 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:13:21.46 ID:y6MO2C4A0
>>298 黄河や長江など大河を見慣れた中国人でも海と川の違いは分る。
舐めてショッパイのが海。
>>310 自分も偽物説に反論してきたが、どうしても引っ掛かるのが「倭」と「委」の差なんだよな
中国の文献で日本を「委」と表記したものある?
>>316 逆に江戸時代の贋作職人が、金印を作る技術と知識を持ってる筈なのに
何そこ間違えてんねん!間違えたままにしとくなや!鋳造からやりなおすやろ!
贋作職人としてのプライドは無いんか!て思うのはどうだろう?
中国ならば分かる
>>306がいい事言ってる。大国「扱い」で利用するんだから
モノホンの金印なんてやんねーよwwwって意味になる
>>317 その辺も含めて反論したけど、やはり引っ掛かるんだわ
江戸時代と違い漢字しか文字がない国で一字違えば意味がガラリと変わる
しかも他ではその表記がないのに、公式の金印でやらかすかと
319 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:25:01.94 ID:PLvpAZ6C0
>>316 いや光武帝の子リュウケイに贈られた金印がサイズも模様入れるに使ったタガネも同じもので
同一工房じゃないかとまで言われてるが(と言うかこれでほぼ決着がついた)
偽物説ってのはこれを偶然かなんかで片付けてるのか?
320 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:25:33.51 ID:wlLi/jJB0
321 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:26:00.03 ID:5E7W1CzY0
古代のロリ姫だっけ
>>318 三流の発展途上国用だから適当だったんじゃない?
現代でもオリンピックの表彰式で間違った国旗を上げてしまいました
みたいなミスはあるんだし。
やべ、字違くね?
倭国用だからこれでいいよ。
みたいな。
>>318 >>319 紐か何だかもじゃなかった?
はいはい大国大国ー金印あげるよーだが偽物だけどなwwwみたいな
325 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:32:46.15 ID:RST1LrJf0
卑弥呼の死後に男王が立つと国は乱れた
新女王(13)が立つと治まった
326 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:33:02.70 ID:NklVt9V10
>300
後漢書は正に「倭奴國」から使者とある
それを「倭の奴の國」と一部で勝手に読んでるだけ
members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/wakoku-kanbun2-gokan.htm
>倭奴國奉貢朝賀
>306
それでも奴國王に金印はない。小国過ぎ。
>倭國王帥升等
には
・「倭國王」帥升
・倭國「王帥升」
両解釈ある。
倭國「王帥升」解釈で
倭奴國王でなく倭國王と記述があるように見えても問題ない。
倭國と倭奴國の範囲の違いにより両表記が並存、
金印は「倭奴」國王。
>>316 仮借なんてよくある話。
古い時代ほど同音の漢字の使い分けはいい加減だった。
>>318 基本的にはありがちな略字なんだけど
その意味を2種類受け取れるんだよね
いい意味で受け取れば字体のバランス的にそのほうが美しいから
悪い意味で受け取れば蛮族として人編を省略した
どちらで正解かは正直わからんね
>>326 今となっては少数意見だけどその説も昔からあるね
329 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:37:33.80 ID:tBcPXyC20
>>305 「倭」という漢字には2つの意味があり発音(音読み)も意味によって使い分ける。
1)「ワイ」(現代中国語でwei)と読んで「説文解字」には「順皃=従う様子」と書いてある。
清の時代に「説文解字」を研究して解説書を書いた段玉裁の注釈には
倭與委義略同=倭と委は意味が略(ほぼ)同じ。
委,隨也。隨,從也。委は、随うことだ。隨は。従うことだ。
と書いてある。
2)ワ(現代中国語でwoウォ)と読んで古代の日本のこと。
中国の歴代公務員試験受験用漢字字典には
「倭 東海中女王国」と書いてある。
http://dict.variants.moe.edu.tw/cutshing/cutshinga/sa00195/a0019521.jpg 「背の低い人」を表わす漢字は「矮ワイ」だ。
現代中国語や婆姦国語で「倭」と「矮」が同音なので「背の低い連中」の蔑称というわけだ。
しかし中国の古代史研究者には「倭」は「倭の女王卑弥呼」そのものを表わす漢字だという者も居る。
「倭」を分解すると「禾」が「ワ」という音を表わし、「女」+「人扁イ=人」で「女人」
すなわち「ワの女人」というわけだ。
倭と委じゃそもそも音が違うような?
331 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:40:29.26 ID:JZBIjEdc0
>>320 奴をドのように読むようになったのは唐代のことで、委奴国をイト国と読むことはできない。
委奴は現存しない地名を表しているか、あるいは「奴」は助詞の「の」「な」を表しているのだろう。
332 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:40:33.91 ID:PLvpAZ6C0
>>324 >紐か何だかもじゃなかった?
広陵王璽が亀で日本のが蛇って話か?
序列としては合ってるんはずだぞ?
(外臣と内臣の違い逆にもし同じだったらそっちのほうがおかしい)
つまり偽物の疑いのある金印の他に「倭」を「委」と表記した文献はないということか
っていうか今気づいたけど「委国」と書くと凄い違和感
334 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:50:13.54 ID:NklVt9V10
匈奴 - Wikipedia
>
>現在、「匈奴」は日本語の漢音で「きょうど」と読まれ、現代北京語では
>「ションヌゥ(Xiōngnú)」と読まれている。各国の読みも北京語に準じて
>「Xiongnu」としている。 これらは現在の読みであり、研究者によれば
>「フンナ」もしくは「ヒュンナ、キョウナ」が「匈奴」の当時の発音
>と推測されている。
なるほど
335 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 22:57:44.63 ID:RST1LrJf0
漢が奴国王にゆだねる、だったりして
336 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:01:09.51 ID:NklVt9V10
>333
1−5 倭奴国を倭の奴国と読む誤り
www.geocities.jp/yasuko8787/1-1-5.htm
聖徳太子の著書に、「大倭国」を「大委国」とした例がある。
337 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:04:14.65 ID:NklVt9V10
聖徳太子と日本人 —天皇制とともに生まれた<聖徳太子>像
books.google.co.jp/books?id=y4HkAgAAQBAJ
「委」をワと読ませる例は、
藤原宮跡の木簡には見えるが、
七一〇年の平城遷都以後には見られない。
338 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:05:12.37 ID:tBcPXyC20
>>328 説文解字によると「倭」と「委」は同じ意味と書いてある。
同じ意味なら同じ音読みをすることもある。
>>330 たとえば「漁師」の「漁」には「リョウ」という音は無い。
「ギョ」と読むのが正しい。
しかし「漁師」と書いて「りょうし」と読んでいる。
「りょうし」というのは元々「猟師」の読み方。
339 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:05:17.52 ID:G+L1QYMRO
うーむ
奴国が先にありきな気はするな
狗奴国とかもあるしさ
340 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:05:56.89 ID:F1rcGeoB0
投馬国もおかしいんだよ。
この国だけトウマと漢音読みするけど、
邪馬台国をジャマダイ国とよばないように、
この国も呉音で呼ぶべきなんだ。
ヅマ国とさ。
341 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:08:38.02 ID:M/C6sKSy0
このスレの住人、2012年に盗掘があったという方を何で問題にしないの?
問題ありありありすぎじゃないか。
なぜ盗掘を許した?
犯人は誰?
どの程度の被害?
報道はそのときあったのか?
などなど
342 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:11:14.92 ID:p4zPYS6/0
北九州に邪馬台国はありません。
あるのは朝鮮渡来の成りすましエタが作った893大国です。
>>336 そこ、中国ではその表記は見つかってないと否定してるじゃん・・・
2012年って日本がミンス党に占領統治されてた時代だから
345 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:14:16.68 ID:oZOu0iI70
邪馬台国は久留米あたりだと思う
>>340 伊都国は帯方郡の使者の拠点だったから魏志倭人伝の伊都国以降の道程の記述は伊都国を中心としたものだと思うんだよな
だから伊都国から南へ水行20日の投馬国とは今のさつまのことだと思う
ちなみに邪馬台国は伊都国から南へ水行10日陸行一月だから海から離れた菊池市か阿蘇の辺りだろう
山岸凉子の漫画で言ったら、台与ってだれ?
348 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:21:20.86 ID:PLvpAZ6C0
もしあの金印が偽物ならば
・後年大陸で出てくるものとサイズがたまたま同じになった
・模様も使用したタガネが一緒と言われるぐらいにたまたま同じになった
・適当にデザインた蛇鈕も中国の序列に合うようなものにたまたまなった
予知能力でもない限りないわw
>>348 江戸時代、印章の収集ブームでね。おりしも中国でも大ブームで、古印についてのその手の情報はものすごくたくさん入ってきてたんだよ。
邪馬台国は昔ヤマトコクと読まれていた
だから邪馬台国=大和朝廷だというのは皆知っていた
それを魏に朝貢してたことを問題視し、日本国は中華帝国に朝貢などしたことがないという
皇国史観に則って邪馬台国=ヤマタイコクと呼び名を変えたのは本居宣長
歴史教科書で出てくる国学者だよ
こいつは更に卑弥呼は倭国王を名乗った九州の女酋長だという勝手な解釈まで既成事実化しようとした
ゴッドハンドと一緒で結論ありきの捏造野郎
351 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:29:11.64 ID:NklVt9V10
>350
すくなくとも列島側の古文献でのヤマトの表記は
「夜麻登」。
日本海ルートだと、投馬=敦賀でびわ湖経由で奈良っていうルートもありうる。敦賀は元々、大陸との玄関口だったし。
353 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:29:44.20 ID:PLvpAZ6C0
>>349 鈕の形状やタガネで打ち込まれた模様の情報まであったのかい?
しかも広陵王璽王とかそこから先の時代になって出てきたものだぞ?
当時いくらデータ集めても入手できるはずがない
354 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:30:43.64 ID:gnS++F780
wa は多分古代日本語で「われわれ」みたいな感じの語でしょ。英語の we だよ。
自称に類する語が多民族から呼ばれるときの民族名になることは非常によくある。アイヌ(=人間)なんかもそうだし。
で、古代中国人が日本民族を指すときも wa と呼んだ。
しかし中国語の場合はどういう漢字を当てるかという問題がある。そこで「倭」が当てられたわけだが、
中国人は別に蔑みとかの意味合いはなかったと思ってる。
まず、古代中国人は多民族の呼称に関してはその時々の友好関係で色々変えている。
しかし発音は基本的に一貫している。友好関係が悪いときには変な字を当てたりするが、
別に友好関係が悪くなければそんなことはしない。
(もし中華思想で多民族はさげすむというなら、近現代でもアメリカ=美国なんて字は当ててないはず)
もう1つの論拠は、日本書紀の中で人名・地名などに出てくる日本語の「わ」という音を音写する際、
渡来人が書いたとされるパートでは「倭」の文字をほぼ一貫して当ててる。別に国名とか関係なくてもだ。
つまり、「倭」と「和」は恐らく発音が違っていて、日本語の「わ」に一番近い音が「倭」だった。
ネイティブである中国人にはその発音の違いはクリティカルだけど、日本人には違いが分からなかった。
(今風にいえば、英語のLとRの綴りを日本人がよく間違えるようなもの。ネイティブからすればありえない)
しかし、日本人は「倭」という漢字の意味を嫌って、「和」に換えてもらうように積極的に働きかけたのだろう。
金印は捏造ではないと思うよ
あれが捏造ならやった奴は必ず親魏倭王印も作ったはずだから
356 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:31:32.21 ID:RMEZNrec0
357 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:31:48.03 ID:oZOu0iI70
邪馬台国=九州説でもっと盛り上げてほしい。
358 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:31:57.22 ID:G+L1QYMRO
伊都国に邪馬台国の一大率がある時点で九州だろ
これが狗奴国との戦いために居るとしか思えんわな
畿内で邪馬台国と狗奴国が死闘をしてる時に
わざわざ九州に兵站をさくとかあり得んよ
しかも古代で律令制もないのにさ
コピペだけど
> 漏れもわざわざ偽者を作る理由はよくわからんが、
> 当時、偽の印を作ることが流行していたのも事実らしい。
> 金印発見のまさにその時に生きていた藤原貞幹は卑弥呼がもらった
> 親魏倭王印の偽物をつくり、その印影を『好古日録』に残している。
>>347 山岸の「青青の時代」なら壱与かと
つか>1にも「壱与」ってあるじゃん
更にコピペ
> 広陵王璽
>
> 出土は広陵王に封ぜられた劉荊墓自体ではなく、100mほど離れた土の山から見つかった。
> 発見者は近くの工場のおばさんで、家に持って帰ってしばらく保管していた。
> このような事情により、出土状況から劉荊墓の副葬品であるかどうかは確定できない。
>
> テン王印
>
> 他の印章に比べて作りが粗雑。少なくとも漢の中枢に近い工房で製作されたとは思われない。
>
> 以下、個人的な所感
>
> 実際に、この本による多数の印と比較しても粗雑な印象をあきらかに受けるし、
> 王の字のまん中の横棒はあり得ないくらい上に彫られており、対称性を著しく欠いている。
> おそらくテン王の私鋳印であるか、あるいは、テン国に赴いた使者が現地で作らせたものだろう。
>
> また、掲載された前漢代の印を見るといずれも文字は罫線で囲まれている。
> 中罫線はなくても外周には枠が存在している。それに対して、テン王印は罫線がない。
> これは後漢代の印に一致する特徴。中原の印章に準じて作られたものであるなら、
> 時代は武帝代ではなく、もっと下がる可能性がある。
> 石塞山での出土状況はどうだっただろうか?武帝代で疑りようがないものだっただろうか?
>
> まあ、いずれにしても、この二つの金印を根拠にして漢委奴国王印を真印とする事は出来そうにない。
>
> 他、印について議論されるときに俎上に並ぶ印はことごとく流通品であり、真印である保証がない。
> もろもろの印に関する議論も慎重にしたほうがよさそうだ。
辛坊が学者先生に邪馬台国論争はどれくらいの学者達で
争ってるのか?と聞いたら
10人くらいって言ってたw
金印に関しては発見時の状況が怪しいってのは事実だな
封印された石の中から出てきたとか言ってた割にその場所は特定されていない
魏志倭人伝で、邪馬台国までの方角や距離が色々類推されてるが
唯一、古代と現代で解釈がぶれない記述が「水行10日」なんだよね。
「水行」だけは今も昔も不変。とにかく日本上陸したあとに
海だか川だか、「水行10日」したってこと。
九州上陸後に水行10日はあり得ないから、瀬戸内海か日本海を使った、
つまり邪馬台国は畿内ってことになるわな。
365 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:40:14.00 ID:F1rcGeoB0
>>346 薩摩は、句奴国=熊蘇の一部だろう。
この当時から薩摩かどうかも怪しい。
五万戸と書かれた人口があるなら、それなりの遺跡がないとおかしい。
やっぱ投馬国=出雲しかないと思われ。
ならば、倭人伝での間違いは方角なので、邪馬台国=大和だろうと。
366 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:43:38.08 ID:oZOu0iI70
>>364 それって方角を捻じ曲げてるんじゃない?普通九州のずっと下になると思うけど。
367 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:44:01.99 ID:PLvpAZ6C0
>>361 と言うか違う時代違う国で造ったものが
同一規格品になったという方が更に驚くわw
>>366 九州のずっと下にそんな国の遺跡がないから方角が間違ってたんだろうね。
とにかく水行だけは、昔の人も、「水と陸地の違い」で間違えることはないから
方角の間違いなんじゃないかな。
369 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:47:43.64 ID:oZOu0iI70
というか魏が呉を挟撃したいという妄想が邪馬台国の位置を捻じ曲げて書き残したという説もあるよね。
370 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:52:01.14 ID:NklVt9V10
>九州上陸後に水行10日はあり得ない
何故?
古代は道の整備が進んでないから、
庶民でないなら船旅の方が普通という気がするが。
371 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:52:51.30 ID:F1rcGeoB0
まあ、今だに九州説が説得力をもつのかは解る。
邪馬台国の記述が記紀にないから。
倭国の大乱の記述もない。
作成者が倭人伝を知らなかったわけではない。卑弥呼の記述があるし。
しかし、記紀では卑弥呼は正統な女王として扱われていない。
372 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:57:07.03 ID:PLvpAZ6C0
>>371 あの記事が挿し込まれたのが何時の時代の話だったんだよって話だな
大和朝廷に邪馬台国だの卑弥呼だのの記憶が残ってた時代じゃあるまいに
373 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/10(木) 23:59:32.84 ID:YjkIdB860
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
> 中央部が東西2メートル、南北1メートルにわたって盗掘され、
70年前の慰安婦の件ですら意見が分かれて
溝が埋まらないのに2000年前の話で決着が付く筈もなし。
375 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:01:59.51 ID:94j7yQxD0
>371
日本書紀は天皇以外に神功皇后に特に一章を割き
そこに倭人伝の卑弥呼の記述を引用するなど
卑弥呼=神功皇后と
印象付けようとした形跡がある。
おまけに日本書紀には
100年ほどずらさないと諸外国の記録と合わない部分がかなり続いていて
それが
神功皇后の章に
倭人伝の卑弥呼の記述を引用するためだったかも知れないのだ。
376 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:03:27.89 ID:y6MO2C4A0
>>364 九州上陸後の水行は九州海岸沿いと解釈するのが自然だと思うが。
>>370>>376 陸行1月するような一行だから、船使うってよっぽどの水路だと思うんだよね。
畿内(もしくは出雲)以外だったら九州南部まで行ってしまいそう。
そんな場所に墳墓や出土品あるんだろうか。よく分からないけど。
378 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:12:31.08 ID:1BTjR2VH0
俺は邪馬台国九州説なんだが
もちろん畿内にも別の大きな勢力があって、やがて出雲勢力を吸収し統一する。
魏志倭人伝に書かれていた邪馬台国の行程は倭人に「嘘を教えられた」偽の場所。
完全な友好国ではない大陸の巨大国家の使者がやってきた、その目的は分からない。
相対するのは倭の国の役人。
「あなたの国の首都はどこですか?その行きかたは?」と聞かれ、すなをに教えただろうか。
邪馬台国が外交の権利を分権していたいと国が大きな港を持っていたのは、邪馬台国からすると
一番近くて交通の便が良いのが伊都国だったはず。だから邪馬台国は伊都国の内陸部。
しかし、それを大陸の強国に教えると大群を持って攻められる危険がある。
だから、嘘を教えた。
379 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:16:25.86 ID:ZH9zydtq0
歴史って難しいね
俺は頭悪いからわからん サッカーでも見てる方がいいわ
大津選手頑張ってるかな…
380 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:20:15.01 ID:BFH8mKOh0
陸行、水行の記述は松本清張の清張通史の説を取りたい。
381 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:23:41.43 ID:94j7yQxD0
>377
そこで古田読みですよ
classic.music.coocan.jp/_book/furuta/furuta.htm
382 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:26:37.66 ID:y6NGCBYM0
>>329 倭というのは日本人が自分のことをワレあるいはワと言ってたからだ。これを聞いた中国人あたりが
倭となずけたのである。
青森では今でもワと言う。
民族の名称にはこのようなケースが多い。
アイヌもイヌイットも人とい意味だ。
アーリア民族のアーリアは高貴な人という意味だ。
383 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:27:48.26 ID:YAWG9rgJ0
>>378 子供の遣いじゃ無いんだから
魏から遣わされた使者がそれで納得して国に帰るかな?
384 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:36:50.23 ID:IKywDsJ40
邪馬台国は土蜘蛛のたぐい
倭国は北九州を中心として半島から中国地方までで形成された国家群
旧唐書に曰く、日本は倭国の別種なり
大陸から九州を経由して近畿地方に流れてきた流亡の王族達を中心にできた国が日本なのである
勢力を増した日本は白村江で勢力が衰退した倭国を話し合いで併合する
それを記念して倭国の王を大国主として祀ったのが出雲大社
併合に逆らった九州の小国家は土蜘蛛と呼ばれ討伐の対象となった
って小説どうかな
>>360 その子の名前が思い出せなかったから聞いた
ありがと
386 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:38:05.12 ID:o4YbF3UT0
>>375 同感。どうも崇神天皇のクーデターを隠す為にあれこれ付け加えた感じだよね。
百襲媛姫が卑弥呼なら、男弟は吉備津彦で
崇神ではないよね。
387 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:39:11.88 ID:rMvCfA5y0
>>336 要するに、倭の奴国のような言い方は日本人しかしない。
倭奴国とは倭国そのものである、ということですかね。
つまり、倭国という大国を魏は畏れていたが虚勢をはってみせた。
而して最高の礼を尽くしたと考えていたので、わが意を得たりです。
いいものを読ませていただいた。それが本来の中国の日本への
接しかたなんだよな。すこし前まではそうだったんだが。
>>1 >2012年に盗掘され
天皇陵を国が発掘調査しないとチョンが盗掘し放題だから
さっさと発掘調査するか24時間警備しろよ
389 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:45:35.04 ID:uT8Dga+T0
>>377
大陸からある程度の方向は判っても地図や海図のない時代の話しだからね
正確にピンポイントで直に船で行くなんて無理無理
天候に左右される船旅なんて水先案内人の腕次第でも
それこそ何日かかるかなんて変わるもんだべ
390 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:45:47.21 ID:y6NGCBYM0
奴というのも漢字では卑屈な意味だが
奴は奈良の奈と同じで大地という意味がある。
ラも平らというように状態を表す語である
391 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:46:39.28 ID:a5gGU5Im0
魏の使節は、卑弥呼への下賜品を大量に運ぶ必要もあり水行しかしていないの
ではないか。魏志倭人伝の陸行の部分は紹介だけで実際に行ったわけではない
、と考えるのが合理的と思う。その証拠に、海を始めて渡った時は「始度一海」
とわざわざ書いているのに、始めて陸行した時には何も無いのはおかしい。
魏志倭人伝なんて興味無いがちょっとググッテ見るか
>>371 倭国大乱はスサノオとアマテラスの確執でしょ。アマテラスが怒って天の岩戸に隠れたという。
394 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:57:34.36 ID:2tzeKgNPO
倭人伝の文献論争なんて百年近くやっても結論が出ない
新たな物証で議論しないと解決しないだろ
395 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 00:57:52.06 ID:GAdUGwRf0
卑弥呼は斎宮のことでしょ。
古代には嫁入りがなくて、
共同体の祭祀を女性が行ってたのが、
出雲の影響で、
大和でも嫁入りが行われるようになって、
男系の皇族が成立、
祭祀も男系で継承しようとしたら、
古来の風習を変えることに反対意見があって、
困って神宮を伊勢に移転、
皇族の女性が、
伊勢まで行って斎宮を務める伝統が続いた、
って流れだと思うよ。
だから古事記の冒頭、
国産みに際してイザナギとイザナミが、
柱を巡りなおして声をかける順番も入れ替わる。
大河ドラマ
卑弥呼役 卑弥呼
台与役 桜樹ルイ
397 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:04:36.06 ID:kSVDiSdE0
>>394 ま、そういうことだよね
宮内庁が発掘させない限り、真実は明かされないわkだが、
宮内庁は、真実が明らかになると困ることがあるんじゃないかな?
398 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:11:17.00 ID:BFH8mKOh0
>>396 戦国、明治維新ならいざ知らず、あの時代は単調過ぎて数字稼げないだろ?
東北のアテルイのドラマですらコケたからな。
399 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:11:47.93 ID:cp8hzZLo0
巻向の箸墓では吉備で使われた特殊器台や円筒埴輪が多いがそれらや
楯築墳丘墓の弧帯文などは大蛇に近い文様で、邪馬台国の王族が同じ
蛇信仰を持つ吉備族と提携する形で邪馬台国の政り事を行っていた。
古代中華の太陽のカラス信仰を持っていた皇室の先祖はその中に組み込まれる形で
日本列島に住みついたが、鳥信仰のために巻向や箸墓の神と相性が合わず
すぐに追い出されて転々とし、伊勢に落ち着いた。
皇室の祖先と卑弥呼の一族は無関係である可能性が高い。
だから邪馬台国も卑弥呼も『記紀』に記すことができなかった。
400 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:12:31.73 ID:YAWG9rgJ0
401 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:12:34.18 ID:GAdUGwRf0
男系化したのに祭祀は女性、
ってのは何が困るかったら、
嫁入りが無かった頃はともかく、
嫁いで余所に行ってしまうようになると、
祭祀を継続できなくなる。
つまり嫁にいけなくなっちゃうんだわ。
昔はね。
402 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:16:03.91 ID:o4YbF3UT0
>>395 崇神の頃は大物主が主力で、
天照は地方をさまよっていた。もちろん台与と言われる豊鍬入姫命が祀っていたわけだけど。
天照が主力となり伊勢に祀られるのは
100年後の天武のときから。
403 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:18:35.75 ID:GAdUGwRf0
伊勢神宮が今の場所になる前は、
転々としてたんだってね。
404 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:20:45.70 ID:2tzeKgNPO
>>397 英国リチャード三世みたくDNA鑑定やって欲しいわ
素人のオレにだって古墳の中に偉いどなたかが眠ってるってことくらいは分かっているが歴史の真相究明のため皇室にはいずれ決断して戴きたい
もし万系一世が証明されたなら、皇室はそれこそ世界遺産クラスなんだと思うし、そうでなくたって戦後日本の皇室制度は日本の誇るべき宝であることは間違いないと思うよ
405 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:20:48.88 ID:bYHxWZ2BO
壱与=伊予
伊代はまだ16だから〜
センチメンタルジャニーは正しかった
なんとなくググッテ読んでみたけど、畿内だな。
南を東にすれば簡単じゃん。
そもそもシナの地図には関東地方が一番南になってる地図があったりする。
こんなもんだ。
407 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:22:24.01 ID:BFH8mKOh0
皇族の血統はとりあえず大化の改新あたりで一度切れてるんじゃないの?
蘇我氏が皇族だったって説もあるし。
>>182 日本にヒノモトとルビを打つようなものじゃないか?
もともとヤマトあるいは、ヤマトに類した言葉があり、
日本人もしくは、その一部族の自称もしくは本拠地だった
一方、中国の方では、日本(東北地方除く)と朝鮮半島南部を合わせて倭と考えていた
その倭がどうも蔑称らしいということで、日本側として和と書くようになり、
中国式に大和を国号として称するようになった
中国式が正式という考えがあったので、大和とは書くが、
よみはもともとの日本語に従って、ヤマトと呼んだ
こんなところだろ
卑弥呼近畿説なんて未だに言ってる学者なんて
引くに引けなくなった可哀想な京大閥だけだろ
本気で言ってるなら知力に難があるわwww
410 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:26:51.75 ID:bYHxWZ2BO
普通に山戸(ヤマト)だろう
411 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:26:53.55 ID:2tzeKgNPO
ついでながら、日本の誇るオカルト論文誌月刊ムーはマクモニーグルゆう超能力者に邪馬台国の在処と卑弥呼を透視させてたな
マクモニーグルとマキムクの音が似てるのはただの偶然
412 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:31:07.13 ID:an7h6EkL0
トヨなのかイヨなのかはっきり
413 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:31:43.26 ID:GAdUGwRf0
ヤマトは、イズモと同じで地域名称、
ワは私達を意味する日本語話者の自称で、
もともと全体としての国号が無かったのが、
日の本の国を称するようになったんでしょう。
ワに当てられた倭の意味を敬遠して、
和に置き換え、大をつければ大和だわな。
>>403 元々、伊勢神宮の地は、ニニギが日向に下向する天孫降臨の時に、道案内をした猿田彦の住居だから。
で、猿田彦の子孫を太田命と言って、この人が倭姫命に伊勢神宮の土地を与えてあげた。
そして、その太田命の子孫は神(みわ)姓を称している。
そう、三輪神社の太田田根子のこと。
世間ではあまり知られてないが、太田命(猿田彦の子孫)=太田田根子(大物主の子孫)だから、猿田彦=大物主となる。
415 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:32:28.47 ID:8icHdpNw0
416 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:32:29.29 ID:cp8hzZLo0
>出雲の影響で、
>大和でも嫁入りが行われるようになって
古代の日本は出雲も含めて母系社会。
筑紫の方は一部父系の感もなくはないが。
そして女王レベルの祭祀担当の女性はみなが神妻。
嫁げない。
豊は美称。
天照の名称も玉木の宮に北接するオサダの天照信仰から取ったか
北九州の天照彦信仰か旧事本紀にある人気の天照國照彦天火明櫛玉饒速日尊
から取ったもの。
鏡作神社もそうなっている。オサダと同じ。
418 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:40:26.92 ID:GAdUGwRf0
日本における嫁入り、
つまり男系の神話的起源は、
オオクニヌシがスサノオのとこから、
駆け落ちした件でしょう。
だからわざわざ古事記に書かれてるわけで、
その後で国譲り、そして天孫降臨となる。
嫁入りで成立した皇族の男系始祖の起源神話で、
高貴な人は旅をしてきた、天照大御神に命により、
という構成になってる。
419 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:45:38.03 ID:bYHxWZ2BO
スサノオとオオクニヌシの関係って逆な気がするよなぁ
420 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:46:59.78 ID:s5zfbf6x0
>>414 その線もあるが、大値根子で古代の「値」役職の長の意味にも取れないことはない。
ただ残念ながら美努邑付近には猿田彦信仰も佐田彦信仰も見られない。
大物主や高尾張族の祖神と結び付けたかった不比等の入れ込みかもしれない。
逢坂の鹿島の元地の経緯を考えるとそう思えてしまう。
422 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 01:54:45.57 ID:OrliEiAbO
423 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 02:09:27.96 ID:GAdUGwRf0
嫁入りという概念がない時代には、
女性は生まれた共同体で子供を生むんで、
生まれてきた子供も女性の共同体に入る。
つまり必然的に母系部族社会になるわけで、
そもそも母系とか男系という意識もない。
通い婚から婿入りを経て、
女性が男性側の共同体に移籍するようになると、
生まれた子供も男性側の共同体に属すので、
そこで初めて男系という概念が生じる。
母系部族社会から男系氏族社会への移行ね。
多くの場合、駆け落ちも含めて、
いわゆる略奪婚が嫁入りの原型で、
共同体間の交渉は、やがて様式化されるようになる。
男性側の共同体が、
女性側の共同体に対して行う賠償が結納になり、
共同体の移籍に伴って、
女性が持って行く財産が持参金となる。
424 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 02:28:53.61 ID:8icHdpNw0
425 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 03:57:33.13 ID:56S/VAq90
卑弥呼って名前の文字の意味考えたらなんか違うような感じ
見下された感じの巫女みたいなの?
卑弥呼はマリア?大国主がキリスト?
サルタヒコの天狗顔はキリストか?
大和朝廷はそれ以前の百余国に分かれていたとする豪族集落国家を
統合して、各国から代表が畿内にある朝廷に参加させたわけで
一豪族国家だった邪馬台国とは別物と考えるほうが自然
幾つにも分かれていた部族集落が地形の理に沿って統合されていった。
九州と一部の南朝鮮海南部あたりの勢力が任那を作り上げた時期あたりには
出雲勢力、四国畿内勢力、北陸、東北と独自の勢力ができていたはず
これが朝鮮半島および中国モンゴルあたりの勢力分布抗争の影響を受けて
国内統一政権へと加速させた。
当時の白村江の戦いの動機とか見ると国防意識のほうが強く
いかに大陸国家の侵略を驚異にと感じていたかわかる。
統合にあたっては国内における大規模な戦いはなく小競り合い程度で
協議による連合国家として発達したと推測したほうがいい
大和朝廷の各地方職の権限など考慮すればそのほうが自然
藤原一族によって官僚体制が牛耳られても
結局豪族に連なる勢力によって武家による封建国家につながるわけだから
>>399 提携というより、吉備の王権が奈良に東遷したと考えたほうがよいな。
428 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 05:37:04.65 ID:iGOOvEZk0
>>425 実名敬避俗の風習があるから。
漢字には呪力があると信じられその対象の本質を指し示す実名は避けられた。
実名を使うのは相手を霊的に支配する呪術の意思と見なされ無礼な行為
逆に一見して蔑称にみえる仮の名の漢字を使うと言うことは
本質は全く別の所にあると言うことで、実は尊称。
>>411 確か本が出てたよな?
似顔絵が若い頃の薬師丸ひろ子みたいで
おぉ、これは良いな
と思ったのを覚えてる。
確か場所は九州でも畿内でもなくて
出雲のあたりとか言ってなかった?
430 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 06:56:26.02 ID:o4YbF3UT0
>>429 確か広島と奈良を行ったり来たりしてるとか言ってたような…
>>425,428
卑弥呼っていう文字を割り当てたのは中国(魏)なんですが…
魏志倭人伝にもあるように邪馬台国は魏の冊封国に入っていた東夷国
432 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 08:17:11.77 ID:D9o4+n020
台与=タイヨ=太陽
盗掘したやつは宝が欲しかったんじゃなくてなにか別の目的があるのでほ
インディジョーンズのように
普通の学者が知らないような何らかの仮説を元に
埋まっていた筈のお宝を手に入れたとか?
九州のは元祖邪馬台国、畿内のは本家邪馬台国
437 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 09:55:42.30 ID:w1EyNwuM0
古代大和は女性中心だったんだよね
そして古代大和の時代は貧民でも二人の妻を持てるくらい経済的余裕があったそうだ
それを藤原がクーデーターして
政権とってから全国的な税制度で庶民からも税を徴収
現在の天皇家のような血統が違う連中でのっとって国民全部を荘園制度でギューギューにした
藤原と今の天皇家は
どこの犬の骨ともしれん連中で古代大和の
卑弥呼の血統とは縁もゆかりもない
仏教伝来の時に一緒にやってきた連中
438 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 10:04:48.61 ID:gX6MRbXg0
古来から一貫して人命を軽視する東アジアの歴史などどうでもいいよw
439 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 10:16:58.65 ID:w1EyNwuM0
それを言うなら現代の方が人命軽視だろ?
1900年までの歴史よりも
この100年行われた戦争の方がはるかに死者も多かったぞ
440 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 10:27:51.92 ID:GAdUGwRf0
皇族には男系氏族名が無いから、
少なくとも男系氏族として渡来したのではないでしょ。
嫁入りで男系氏族が成立したと考えるほうが妥当だよ。
女性が共同体の祭祀を務める風習は、
皇族の女性が斎宮を務める伝統に残ったんでしょ。
沖縄の一部では今でも、
共同体の祭祀を女性が務める伝統が残ってる。
441 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 10:31:35.36 ID:kqmgNCLDO
おーいはに丸 DVD-BOXのステマ
邪馬台国は東北(八幡平)だ。
常識で考えろ、バカw
443 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 10:55:40.91 ID:nnLHqpoR0
男系ニニギ命
と
女系コノハナサクヤ姫
政略結婚で成立した共同統治が出発点だから
渡来の男系文化と
土着の女系文化と
混合されてる。
>>442 その常識とは以下のうちのどれだ?
1.三国志(魏書・呉書・蜀書)などの支那の史書を読み、史料批判し、三世紀前後における東アジアの状況を理解している大学教員もしくは大学院生レベルの常識
2.魏書の倭人の文だけを読み、史料批判もせずにその中だけで読み解こうとする三流大学生レベルの常識
3.倭人の文すら理解できずに、己の貧困な知識を総動員して適当に答える低偏差値高校生レベルの常識
3か?w
445 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 12:00:36.16 ID:D+nUqMYS0
>>1 > 2012年に盗掘され宮内庁書陵部が調べていた。ほとんどが陵墓として立ち入りを制限されている大王墓の構造を考える貴重な手掛かりになりそうだ。
盗掘される前に調査しろよ。アホか。
446 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 12:12:50.10 ID:iGOOvEZk0
>>431 >卑弥呼っていう文字を割り当てたのは中国(魏)なんですが…
>魏志倭人伝にもあるように邪馬台国は魏の冊封国に入っていた東夷国
そう、だから尊称としてその漢字を当てた
また冊封国は他だの通商条約で主従関係ではない
中華思想は明の時代に西洋人に見せられた世界地図に衝撃をうけた明人が
自分の心守る為に「真ん中に位置する国が偉いんだ」との思想生み出した
歴史的には浅い代物。
447 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 12:13:16.54 ID:gudbVbN60
日本古代史をを言葉遊び、文字遊びに堕して、
日本の国家像を矮小化する傾向は遺憾である。
はっきり言って、邪馬台国、卑弥呼論争は下らん。
>>442 デスヨネー
まあネタ抜きでも一戸とか八戸とかの縄文出土品は明らかに水準を超えてるからな
あのあたりに何らかの有力勢力がいた可能性は高い
倭人伝の記述が信用できるとするならば
確かに邪馬台国は八幡平かもしれん
倭人伝の記述は信用できないとするならば
邪馬台国の存在自体を疑うべき
古墳のあるところには権力者が居て国があったが
その権力者は誰も卑弥呼や台与ではないし
その国はどれも邪馬台国ではない
451 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 15:16:58.76 ID:nnLHqpoR0
列島では、
卑弥呼の墓が最初の古墳。
古墳時代とは卑弥呼以降を言う。
これ常識。
まぁ前方後円墳勢力が九州から関東、東北の一部にまで勢力を広げたのは遺跡や史書からわかってる
これが記紀にある皇室の勢力であることもだいたい記述と一致してる
ただこの前方後円墳勢力と邪馬台国と関係があるかどうかは依然として不明だな
邪馬台国と言う存在を前方後円墳勢力と結びつける決定的証拠は何もない
というか邪馬台国自体が正体不明
誠実な歴史批評をするのなら「わかりません」というしかない
453 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 17:27:30.37 ID:yOTfeWEY0
ニュー速+に古代日本史関係のスレが立つと、必ず嫁入りだ婿入りだと自説を延々垂れ流すキチガイが一人沸くな
で毎回誰にも相手されてなくてワロスw
454 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 17:45:45.83 ID:nJQE/Hz20
平地にある国を「ナラ」
山の入り口付近にある国を「ヤマト」と呼んでいただけで
色んな場所に「ナラ」や「ヤマト」はあったんだと思うな
魏志倭人伝の方角が間違ってるとかはないな
古代であっても星や太陽、月を見て方角はわかっていただろう
古代の人を馬鹿にしすぎ
どう考えても九州内の話だな
当時は南朝鮮から九州までという広い範囲を邪馬台国が支配していたんだろう
近畿の別勢力が邪馬台国を滅ぼしたと思う
日本の歴史にはっきりと邪馬台国の存在も卑弥呼も残されていないことからそれが分かる
>>455 倭人伝の記述を信じれば邪馬台国がそんなに広大な国のわけがない
日本のどこかにあったとしても有象無象の小国の一つだったから歴史に残ってないんだよ
だがそもそもその時代に日本のどこかから
遥か遠方の魏に使節を出してもあまり意味ないわけで
魏志にある邪馬台国はもっと魏に近いどこか大陸の沿岸部の小国だろう
458 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 18:59:48.11 ID:D9o4+n020
>>425 卑弥呼は仮名が出来る前に漢字の音で表わしたものだから
漢字の意味を考える必要はない。
臺與はトヨ
壹與、壱与は誤写
一大国、一大卒は「一支」の異体字「一丈」の誤写。
「支」は中国語の客家(ハッカ)方言、廈門(アモイ)方言、潮州(テオチウ)方言で
kiと発音するので「一支」は現在の壱岐を表わす。
>>458 卑弥呼は、多分、ヒメミコの訛ったものでしょう
トヨも、高貴な女性への尊称であるトジかトメが訛ったものだ
一つの仮説となるのですが
景行天皇の御世に、サホヒコ王の乱がある。
このサホヒコ王の母は、沙穂の大闇見戸女
その祖母は春日の建国勝戸女
どちらもこの名前から考えて巫女王だったと考えてよいでしょう
もともと卑弥呼は、巫女集団の中から象徴的な王として選ばれて祭り上げられたとの説がある。
それならば何も、大王氏以外から選ばれた可能性も考えられ
当時、春日から佐保までの畿内の広い範囲を支配していた沙穂氏から、二代に渡りヒメミコが選び出された
って考える事も出来るわけでね。
そう考えれば、サホヒコ王の乱は、王権が安定してきて
折衷案として、大王氏は他氏族から巫女を招く必要がなくなったから
邪魔になってきた沙穂氏を滅ぼしたって事も考えられる
大闇見戸女の娘は戸女ではなく、姫であったのも、巫女集団の存在意義がなくなったから
だって事もあるのではないかとは思いますが
460 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 19:17:02.69 ID:kSPI3AXc0
>>457 >倭人伝の記述を信じれば邪馬台国がそんなに広大な国のわけがない
いや、倭人伝の記述を信用すると、七万戸もの戸数を持つ国が、
九州内に存在出来る場所がないんだけどね。
大体奴国の二万戸で充分埋まってしまう。
吉野ヶ里でも推定千戸程度だし、それより巨大な弥生後期の環濠遺跡は
西日本各地に既に確認されているんだよw
>>458 >>臺與はトヨ
>>壹與、壱与は誤写
邪馬台国の台はそうかも知れんが、
その字まで間違うかなぁ。
462 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 19:21:27.46 ID:bFzMX88b0
>>1 >卑弥呼の後継者、台与の墓説
↑これってホント何の具体的根拠もないファンタジーだよね。
>>462 時期と形が向こうの記録に一致するという状況証拠だけだね
直接名前が刻まれてるわけではない
水行何日とか陸行何日とか何万戸とかいう数字はイマイチ信用できんな
魏の役人が自分の出張報告を大きな仕事に見せるために誇張して書いたんじゃないの
箸墓古墳が、卑弥呼の墓ってのは
箸墓が建造された時期
箸墓の規模
何れも合致する事から、可能性として高いとは思う
また、被葬者がヤマトトモモソ姫
つまり女性だ
女性がこれほど大規模な墳墓に祭られた例は、そうはないでしょうし
この点からも、やはり卑弥呼の墓は、箸墓古墳だと思いますけどね
>>449 「井」いらない
「東北の雪国っぷりなめんな。貫頭衣なんて着てたら冬死ぬわ」
とは思ったが、ミステリー?としちゃ面白かった
>>464 当時の中国の役人たちの証言は、割合、信用に足るものだとは思う
もちろん妄信は出来ないが
あえてそうしたことを嘘の記載をする理由もないし。
使者は、それなりに調べた事を記録として残しているのでしょう
468 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 20:08:16.81 ID:BFH8mKOh0
魏志倭人伝の記述は少しばかり割引いて見る方がいいだろう。
>>467 何度か来てるからな。
最初の報告と違えば修正されるし。
最後の水行とか陸行って、全体の合計とかいう話もあるしな。
470 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 20:13:46.61 ID:uT8Dga+T0
>>458 その通り
一支→壱支→壱岐だろう
対馬国から一支国までが1000余里と書いてある
つまり対馬から壱岐までが1000余里、すなわち帯方郡から壱岐までが9000余里ということだ
帯方郡から邪馬台国までが1万2000余里と書いてあるので残り3000余里で邪馬台国に到着するわけだ
となると近畿ではない
そして邪馬台国より北方の国々については戸数、道里を略載することができるが
その他遠く離れた国々ついてはよく分からないと書いてある
これは邪馬台国が九州中央付近にあり、南下するルート上の国々だからわかるということだろう
472 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 20:20:58.17 ID:YDqfdZEE0
>>464 陳寿って男が書いたんだけど出張なんてするわけないし、
伝聞の伝聞のさらに伝聞、もっと伝聞みたいな、しかも
いつの話かわからんようなことを適当に書いただけのもの。
福岡(奴国、不弥国)から、南へ水行20日で広島県福山市鞆地区(投馬国)に至る。
ということらしいから、さらに南に水行10日と陸行1月行くと
女王の都のある奈良県(邪馬台国)に至るってことでしょ?
474 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 20:25:54.72 ID:xm6bQqfR0
>>473 それでは距離が滅茶苦茶
対馬から壱岐までの距離を見てみるとわかる
3000余里じゃとても奈良まではいけないよ
7000余里も使って韓国の沿岸をつたってやっと狗邪韓国に到着するという程度なのに
それに、卑弥呼ってまんまアマテラスの内容じゃん。
シナでは昔から日本の幼女の太陽神の伝説が有名で、そのことを知ってるから、昔の出来事を真似て書いたんだろ。
なんてことない史書だよ。魏志倭人伝なんて。昔っから言われてる日本のイメージを、真似て書いただけさ。
>>473 方角は間違わないと思うよ。
何度か使者が行ってるし。近畿にゆくには、南じゃないじゃん東じゃんって。
最初だけじゃなく、卑弥呼の死後にも旗持って行ってなかったかな。
>>475 え?福岡から奈良まで三千里なんてどこにも書いてなくね?
水行が20日と10日、陸行が1月で、福岡から奈良に着くとだけしか書いてない。
場所は九州だよ。出てくる国名がみな九州にあるものばかりだし。
例えば、対蘇国と隣り合うと書かれているが、対蘇国を「とす」とするなら・・・九州の中心部が邪馬台国だ
>>478 帯方郡から邪馬台国までが1万2000余里と書いてあるよ
陳寿は年齢的に邪馬台国の使者をリアルに見てる可能性がある
その後の史書は年代的に魏志倭人伝ベースだが
明代の地図でも、日本の対馬や壱岐を北に置いて、佐渡を南に置いてるんだし。帯方郡からの視点で、普通に奈良を南と表現したんだろう。そう考えるのが自然だな。
>>482 それだと仮に方角がそうであったとしても距離が全然合わないよ
484 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 20:48:47.97 ID:bYHxWZ2BO
狗奴国が九州以外にイメージが出来ないよな
邪馬台国と狗奴国が近接して接戦をしてるとしか
畿内だと、かなり間延びしてるというか
戦国時代でも、かなり距離感があるよな
畿内だと狗奴国がイメージが出来ない
>>480 帯方郡から北岸狗邪韓國に至る七千余里。
対馬まで千余里
壱岐まで千余里
末盧國まで千余里
ここまでで、壱万里だよな。
帯方郡から女王国に至る、1万2000余里である。
なんで九州の南に行くことになったんだろうね?
福岡から奈良の距離(12000里−7000里=3000里)の部分は、水行20日とか水行10日という表現の仕方に変化してるから、陳の体験の分量でおおよそこんくらいかな?ってな感じで測ったんだろう。わからん
卑弥呼って読めるけど、書けといわれたら書けない
>>485 それらの国々は邪馬台国よりも北方の国々だと書いてあるでしょ
>>484 ほとんど全部、九州の話なんだよね
九州だとするなら、どの国名もなんとなく面影が残っている。
対馬だ壱岐だ松浦だ鳥栖だと九州の話しかしてないのに、突然畿内に飛んでどうすんだよなあ
台与をとよと読むならそりゃあ豊の国、大分方面だろうな
490 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 20:58:50.21 ID:iGOOvEZk0
>>471 >一支→壱支→壱岐だろう
違う見島
一大國 (一支)方可三百里(海里80メートルとして24km)
見島 海岸線長24.3 km
見島は蜃気楼の影響で三つの島に本州から見え「三島」と呼ばれていた
住んでいる島民にとっては不満やるかたない話で、通称は無視して
とにかく「一」にこだわって名乗った為に名称がぶれて記されたんだろう。
491 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 20:59:09.11 ID:kSPI3AXc0
>>480 >帯方郡から邪馬台国までが1万2000余里と書いてあるよ
そんな記述は何処にもない、万二千里は女王国まで。
しかも大雑把な数字だし。
492 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:01:43.11 ID:BFH8mKOh0
大体、三角法とか正確に海上で位置をつかんでいるの?
方角は風や潮に流されて狂ってくるんじゃないの?
列島は半島と違って独立国だからな。
属国のは正確でも、異国のは間違う可能性だってある。
494 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:07:13.38 ID:kSPI3AXc0
正確に距離方角を把握出来るなら、当然地図として残すもんだよ。
三世紀当時東アジアの地図なんて何処にも存在しないのに、
まともな地理感覚なんて持ってるはずがないのだ。
しかも隋書の時代でさえ「倭人は日を持って距離を測る」だからな。
行程で邪馬台国の所在地を知る事は無理だよ。
>>488 近畿説の人は方向が間違ッてるに違いない。
記述の通りだと、沖縄まで行ってしまう勢いじゃん。
って理由で近畿じゃん。
末廬国から残り2000里。
大雑把な距離としても、近畿にするなら全く不足。
496 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:11:53.28 ID:JGH5INN60
卑弥呼は、もともと、大和言葉の意味からすれば、
「日御子」とすべきところだろ。
「御子」は今では「巫女」と書くようになった訳だけど。
497 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:15:24.93 ID:BFH8mKOh0
大体、秋山 真之だって、バルチック艦隊の到達日時を間違えたくらいだから、
古代、正確な海図や航海法があったとは思えない。大体、この時期のこの風に
乗れば、日本の方面に向かうくらいのもので、到着地点は長崎から島根くらいの
誤差はあったんじゃないの?
498 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:16:05.95 ID:kSPI3AXc0
畿内説だとモモソ姫=卑弥呼とされる事が多いが、
別名では「モモソ姫、またの名を日女命」とされてるんだが?
もう答えは出てるよw
「自郡至女王國、萬二千餘里。」ってどういう意味なんだろう。
韓国が7000里、狗邪韓国から邪馬台国までが12000里って意味かな?
帯方郡から女王国に属する国までが12000里なのか?
500 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:22:35.50 ID:vp5rS33V0
古代の測量技術だって侮れない。
6207.teacup.com/stromdorf/bbs/630
wajin128.at.webry.info/201002/article_6.html
www.systemicsarchive.com/ja/a/mikado.html
漢代の【 測量技術 】の精度を測る格好の文章が有りますので、ご紹介しましょう。
古田読みでおk
classic.music.coocan.jp/_book/furuta/furuta.htm
501 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:22:58.72 ID:kSPI3AXc0
そもそも「12000里」なんて数字は「遠い国だ」という位の意味しかない。
朝鮮半島の金剛山の事を「万二千峰=とても多い山」と呼称するのと同じ事だから。
卑弥呼と言ったら日本人の中では最も有名な女だと思うが
紫式部とどちらが知名度高いだろうか
503 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:26:10.11 ID:YAWG9rgJ0
>>499 年齢を数えるのに満XX歳と言う。
この満は決して一満では無い。
萬二千餘里の萬は「二千餘里に満る」そういう意味じゃなかろうか。
504 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:26:15.74 ID:GAdUGwRf0
女王国って認識してるのは中華で、
日本側の考えとは違うでしょ。
倭人のいる領域と、女王国に属する領域は別にして考えると、帯方郡から女王国に至るまでの距離を、1万2000余里としてるのかな。
伊都国の場面で初めて、この国は女王国に属すると書かれてあるから、帯方郡から伊都国に至るまでの距離のことを、1万2000余里としてるのかな?
それだとドンピシャな距離なんだな。
507 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:29:49.52 ID:kSPI3AXc0
>>505 事実だから仕方ないだろう。君の思い込みが激しいだけじゃないの?
俺の頃は「イヨ」だったが今は「トヨ」なのか
調べてみたら解らず終いで確定してなくて、今はトヨが有力ってだけなのかね
同じ漢字でヤマタイ国とヤマト国でまた別れるのか
日本史、名前の三大謎
卑弥呼の次代のトヨ(イヨ)
秀吉の嫁ネネ(オネ)
もう一人誰だ
509 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:31:39.18 ID:BFH8mKOh0
大体、魏志倭人伝が正確無比と決めつけるから道を誤るんだよ。
510 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:33:59.74 ID:GAdUGwRf0
倭人というのは日本語話者のことで、
女王国というのはヤマトの斎宮を誤解したんでしょ。
511 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:37:20.31 ID:bYHxWZ2BO
あれは間違いこれは正確だ
ご都合主義だな
512 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:42:07.77 ID:GAdUGwRf0
祭祀を男性が継承しようとしたら、
反対意見で対立が起こったので、
女性の継承は続くことになったけど、
神宮は移転されたんじゃないの。
なぜそうなったのかと言えば、
出雲で嫁入りが始まって、大和も影響を受けて、
男系の皇族が成立したからじゃないか。
513 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:44:18.02 ID:vp5rS33V0
>509
倭人伝は軍事偵察報告を元に書かれ、
だから正確と判断すべき。
魏呉蜀の三国対立する緊張下、
倭は島々に展開していたから
水軍の弱い魏から見て、
味方にすれば強力な補完勢力
呉につかれれば背後から挟み撃ちにされかねない、
情勢を把握せねばならなかった。
派遣された張政は
魏正規軍を示す黄幢を授けたとあり、
その権限がある武官(塞曹掾史)。
www.kurumi.sakura.ne.jp/~mmrnet/yamataikoku/yamataikoku4.html
塞曹掾史は、国境守備隊長のような役割であり、
実務経験の豊かな下級武官と考えられる。
張政は墓が発見されて帯方郡の太守になったことが確認されている
邪馬台国に10年位派遣されてたらしいからその功績だろうね
この卑弥呼っていうのは、まんまアマテラスのことだよな。
でも時代が合わない。
卑弥呼の後任が台与っていうところも、天照大神>>豊鍬入姫命>>倭姫命という斎宮の系譜と似てる。
中国には昔から、東海上の島国に住む幼女の太陽神の伝説があるから、昔からあった伝説を、まんま書いただけだろう。
この伝説は、魏志倭人伝よりずっと前の、山海経のころからあるし、まんま書いただけだろう。
>>496 当て字であることは確実だけど、当時の中国語(漢語?)の発音を基準に考えるべきだろう
俺の知ってるだけでも幾つかの説が有るけど、どれも「ヒミコ」ではないんだよね
517 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:54:36.05 ID:pGdZbGgD0
天理教では
人類の祖先が9億年まえに天理市に落とされたとされてる
その落とされた場所のしるしが八角形の甘露台
それに向かって信者は拝んでいる
なお、9億年まえに落とされた人類の祖先はごく小さいもので
あったが、年代を重ね徐々に大きく進化し今の人間となった
とされている
進化論を唱える珍しい宗教だ
ちなみにダーウィンが進化論を発表したのは1859年
おそれくそれより前に天理教教祖が進化論を唱えたと
考えられる
518 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 21:54:50.38 ID:BFH8mKOh0
さて、アマテラスは実在した人物でしょうか?恐らく実在ではないでしょう。
しかし、モデルとなった人は居た筈です。たぶん、大和盆地に跋扈していた
豪族の始祖伝説を拝借して作られた神の可能性が非常に高い。男神を女神に
しているところからして、かなりいい加減である。各豪族の始祖として名前が
出ているアマテラス、ニニギノ、ホアカリはすべて太陽と農耕の象徴を示す
始祖で、各豪族に共通の始祖である。日本書紀を執筆した当時の藤原氏は、
自分たちのルーツをどんなにがんばって遡っても、せいぜい継体天皇まで
だったと思われます。しかし実際は紀元前660年まで皇紀を整えないと当時の
中国政府に認めて貰えないので、後は豪族の帝紀を手当たり次第拝借して
書き連ねたと考えられます。一番整って古い物部氏の皇紀を拝借したので
しょうが、途切れ途切れとはいえ、崇神天皇までは何とか遡れる。時代は
西暦300年代の前半です。それ以上はどうひねり回しても無理なので、
崇神天皇の前半を切り取って神武天皇に仕立てているのです。その過程で、
豪族の始祖をそのまま先祖にする訳にも行かないので、伊勢にかつてパージ
されていた宗廟をとりあえず皇祖として祭り上げ、あとは直系になるように
いろんな実在しない神をちりばめて取り繕ったのであろう。
http://izumiyayoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-f296.html
天照大神は日本だけじゃなく、中国でも知られているからな。
天帝の妻の義和として知られている。
あと中国では射日神話があって、まんま天照大神に謀反をおこした神話が残っているからな。
実在はしてるんだよ、間違いなく。
520 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 22:02:06.28 ID:vp5rS33V0
>518
神武東征の地名が弥生中期の海岸線と一致するなど客観性がある、
記紀は「適当に書き連ねた」ものではない。
神武東征はどこまで真実なのか?(2)
book.geocities.jp/piezo_comic/yama21.html
記紀」の編纂者の創作では書けない描写がいくつも出てくるのは、
神武東征が史実にそったものだった証だろう、と。
521 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 22:07:13.77 ID:JiKNpCG30
522 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 22:09:50.85 ID:GAdUGwRf0
台湾じゃ今でも母系の文化が残ってるし、
沖縄の一部では、女性が祭祀を行う伝統もある。
日本で出土した土偶には、
女性の神官らしき像もあるから、
古代社会で巫女さんは特別だったんでしょ。
それが大和から見て出雲のほうで、
たぶん大陸や半島の影響か何かで嫁入りが始まって、
母系部族社会から男系氏族社会への移行が起こると、
祭祀も男系で継承されるようになる一方、
古代からの慣習は斎宮に残ったんじゃないの。
だから天照大御神は皇族の祖神で合ってるんだよ。
>>148とかの宇佐厨
うむ。
ここだけの話だが、アソとウサは古代九州王国の聖地なのだ。
それをパクったのがイセ。
あまたらすリドルスター
525 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 22:14:21.17 ID:YDqfdZEE0
>>516 「当時の中国語(漢語?)の発音」って復元できるのか?
日本に経典としてはいってきた漢字の発音は呉音だが
時代的、地域的にどうなのか。近いかもしれないが。
どうでもいいけどさ、九州はニニギから目立ちはじめた土地であって、それ以前から古く伝わる土地じゃないんだよね。
九州よりも出雲の方が、伝説も古いし、九州はニニギが天孫降臨してから神武天皇が神武東征したまでの間だけ!w
527 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 22:16:07.35 ID:iGOOvEZk0
>>495 末廬国は今の出雲市だろ、肥沃な出雲平野の描写も描かれている
>>522 記紀神話のアマテラスって、ギリシア神話のアテナと芸風がかぶってるよね。
・アテナはゼウスの額から武装した姿で生まれた
・アマテラスはイザナギの目から生まれて、男装して武装する場面がある。
・しかもどっちも美しく聡明である。
この手の「父の娘」というモチーフは、いかにも父系社会になってから形成された
ものだという気がする。
529 :
婆うざい@転載禁止:2014/04/11(金) 22:26:15.19 ID:vp5rS33V0
記紀編纂は7世紀。
ギリシャ神話もエジプト文化もバイブルも
みーんな何百年も前からのものだ、
とっくに東洋に伝わってる。
記紀どころか記紀がベースにした
大陸の文献や各豪族の伝承史料で
参考にしてるのは当り前だ。
530 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 22:28:20.52 ID:GAdUGwRf0
男系社会になってからの付け足しと言えば、
なんでイザナギとイザナミは、
わざわざ結婚しなおしたのかってのも、
疑問は解けるんだけどね。
それまでは通い婚とか婿入りだから、
男は意中の女性と仲良くするためには、
女性の伯父さんや兄弟に肩身が狭いんだわ。
一方で年をとってくると、
女性のところに行かなくなったりして、
女性も寂しい。
>>528 古に天地未だ剖れず,陰陽分れざりしとき,渾沌れたること鶏子の如くして,溟にして牙を含めり.
其れ清陽なるものは,薄靡きて天と為り,重濁れるものは,淹帯ゐて地と為るに及びて,精妙なるが合へるは摶り易く,重濁れるが凝りたるは竭り難し.
故,天先づ成りて地後に定る.然して後に,神聖,其の中に生れます.故曰はく,開闢くる初に,洲壌の浮れ漂へること,譬へば,游魚の水上に浮けるが猶し.
時に,天地の中に一物生れり.状葦牙の如し.便ち神と化為る.
国常立尊と号す.至りて貴きをば尊と曰ふ.自余とば命と曰ふ.並に美挙等と訓ふ.下皆此に効へ.
次に国狭槌尊.次に豊斟渟尊.凡て三の神ます.乾道独化す.所以に,此の純男を成せり.
>>528 日本神話に対して、ギリシャ神話というと、全くの真逆。
ギリシャ神話では、カオス(混沌)ができて、ガイア(大地の女神)が生まれるとある。
それに対して、日本の天地開闢では、
混沌(カオス)、次に国常立尊(男性の陽神)がうまれる。
陰=太陰、月、地、下、女、左。
陽=太陽、日、天、上、男、右。
この、対極は中国の道教神話を読めば、おそらく分かると思う。
>>529,
>>532 いや、その手の「オルペウス神話がイザナギの黄泉行に!?」みたいな
伝播の話じゃなくて、神話の「型」は当時の社会を反映しているという話だよ。
母系社会の女神はガイアのような地母神だけど(記紀で言えば
オオゲツヒメあたり)、アマテラスにそういう性格はないよなと。
>>528 要するに、西洋は陰である地、日本国は陽である天、ということ。
535 :
婆うざい@転載禁止:2014/04/11(金) 22:43:46.09 ID:vp5rS33V0
ア マ テ ラ ス は 男 神 だ !
女神がアマノウズメのストリップで釣られるか!!
明治維新の時に政治的都合で女性にされただけだ!!!!
mitizane.ll.chiba-u.jp/metadb/up/assist1/Sh-H0226.pdf
>>533 アマテラスは本来の皇祖神ではなく
後世の付け足しだから不自然な神格なのだろう
だから「アマテラスと似てるから卑弥呼は日本の統治者だった」なんて話も成り立たない
卑弥呼はどこか辺境の小国の女酋長だろう
537 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 22:46:15.60 ID:GAdUGwRf0
イザナミが黄泉に行っちゃったからかな。
>>536 禿げ上がるほど同意。
そういうことを言いたかったの。
>>533 本朝皇胤紹運録に、天神四代から天神七代までは夫婦で即位した系譜がある。つまり昔の日本国は一夫一妻制だったということ。
540 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 22:49:42.79 ID:GAdUGwRf0
地母神の性格変化は、
万物の母の死と、
娘の誕生で交代してるんでしょ。
>>539 ニニギさんは抱き合わせ販売の奥さんですら返すほどだし、
天孫族は一夫一妻だよね。
一方、出雲のオオクニヌシさんは取っかえひっかえ…w
>>540 いや、アマテラスにしてもアテナにしても、誕生に母は介在してないのよ。
徹頭徹尾「父の子」だと。これは父系社会でしか生まれ得ないよね。
543 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 22:59:42.72 ID:vp5rS33V0
東征の記録が弥生時代の海岸線と一致することから、
神武天皇の生年は西暦100年頃かちょっと後くらい。
www2.odn.ne.jp/~cbe66980/Main/zaii05.htm
その5代前の天照大神は
だから西暦紀元前後の生まれ。
天照大神が
3世紀の卑弥呼と同一人物かもと考える方がそもそもおかしいんだよ。
544 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:02:30.74 ID:GAdUGwRf0
卑弥呼が統治者というのは、
中華側の勘違いでしょう。
天皇と斎宮が違うのと同じで、
社会の変化によって地母神も変わったんじゃないの。
545 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:07:45.32 ID:vp5rS33V0
中華側の記録でも
卑弥呼は象徴的に君臨しているが
実務は弟が執っている。
古田の言う
九州王朝(阿毎多利思北孤)や熊曾建の「兄弟統治」に通じる。
www.furutasigaku.jp/jfuruta/tyosaku6/kumaso3.html
マンガの火の鳥みると
卑弥呼は日本の王と描かれてるけど
じゃああの主人公の少年は朝鮮民族?
547 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:10:14.12 ID:vp5rS33V0
それはマンガ
アマテラスは二人の弟がいたが
ツクヨミは何もしないし
スサノオは非行がもとで追放されてしまった
卑弥呼がアマテラスのモデルならこんな神話にはならない
卑弥呼の後継者は女である壱与だがアマテラスに女の後継者はいないし
549 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:12:59.50 ID:GAdUGwRf0
とっくに男系が根付いてる中華からすれば、
次の斎宮を、男性が務めようとしたら揉めた、
なんて聞けば、
なんか勘違いもするんじゃないの。
たぶん王権とか、そんな感じだと。
でも実際には、
神に仕えるとか神と一体化する、
寄りまし的な存在だと思うけど。
ネパールのクマリがそんな感じだけど。
なるほど
九州付近にいた卑弥呼が朝鮮勢力と組んで畿内を侵して新皇族になった
したがって今の〇+も外来侵入者を起源とする…
宮内庁もうやむやにしたいわけだ
>>549 魏志倭人伝の記述を見ると、卑弥呼は祭祀者でありながら、
現世の王でもあった感じだよね。んで、中華の使者もそこらへんの
事情は理解していたから「能く衆を惑わす(支持率は高いです)」という
報告をしたんじゃないかと思うの。
552 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:25:36.10 ID:vp5rS33V0
> 名曰卑彌呼 事鬼道 能惑衆
この記述から斎宮との関連性を想像するのはむずかしいと思われ。
553 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:27:37.85 ID:GAdUGwRf0
ちなみにネパールの場合、
クマリが王の任命を行おうとしていたら、
急に攻め込まれて王様が逃げちゃって、
仕方がないんで、攻めてきた側を王に任命した、
なんて話があるらしいけど、
諏訪の場合、
幼少期に現人神を務めた少年が、
成長すると一族を率いるとかやってたらしい。
大和では、
斎宮を男性が務めることには反対があったんで、
神宮は移転するけど、皇族の女性が斎宮を務めて、
天皇を加護するとかなったんじゃないの。
なぜ、皇祖が天照大神じゃなければならなかったのか?
なぜあそこまで抗議したスサノオは皇祖になれなかったのか?
これも陰陽で解決できる。
陰=太陰、月、地、下、西、母、女、左。
陽=太陽、日、天、上、東、父、男、右。
こういうのが陰陽なんだが、陰陽はもっと深い意味があって、陰陽の区別の他に、陰の陽とか、陽の陰とかがある。
陰の陽は陰の中心、陽の陰は陽の中心と言う意味だ。
つまり、陽の国である日本国の皇祖が天照大神であることで、陽の中心であることになる。
ま、国常立尊やイザナギが陽神と呼ばれたのに対して、天照大神は陰神ではなく、日神と呼ばれたんだが。
>>550 卑弥呼のいた時代の半島の支配層は漢民族なわけだが
楽浪郡帯方郡って中華王朝の出先機関だぞ
>>555 支配層は漢民族かもしれないけど
実際船に乗ってやって来て殺戮強姦する兵隊は地元のヤツだろ
卑弥呼もよい働きした兵隊さんには褒美やるよ
>>554 女は陰なのに太陽神っておかしいよね
陰陽で考えればアマテラスは本来男の神だったはずで
そのモデルである実在の王も当然男だ
558 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:47:46.03 ID:vp5rS33V0
陰陽五行説が日本に伝来したのは5,6世紀の事とされているわけだが?
559 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:49:17.57 ID:RJcWz5v50
>>514 その墓の周辺から、当時の日本の史料とか出てこないかな?
魏志倭人伝以外にも資料欲しいよね
560 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:50:05.89 ID:Jzxkk4Gq0
>>557 陰とか陽とか、そんなの中国式の思考だろう。
アマテルが男か女かとは関係無い。
561 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:50:56.50 ID:BFH8mKOh0
というか新羅とか百済の時代と今の朝鮮と人種が違うんじゃない?
エベンキ族とか。
>>560 中国式の思考とか言ってもだな、日本書紀の冒頭、天地開闢や本朝皇胤紹運録は、陰陽なしでは語れないんだよ。
563 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:53:14.50 ID:Yz6IC6Cc0
564 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:53:38.43 ID:Jzxkk4Gq0
>>550 なんだよ、朝鮮の勢力と組むとか。
朝鮮は支配下の地域に過ぎない。他の倭国領土と同じかそれ以下。
チョンか、お前は。
>>559 墓の場所が韓国だからあいつらに都合の悪い資料は握りつぶされてると思う
>>561 卑弥呼の時代には新羅も百済も存在しない
楽浪郡帯方郡によって支配された漢民族王朝の時代だ
568 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:56:13.47 ID:Jzxkk4Gq0
>>562 それは奈良時代の著者の思考様式。
神話は遥か古代のもの。勝手に変えるわけにはいかんよ。
569 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/11(金) 23:58:11.60 ID:vp5rS33V0
記紀の編纂が7世紀末、
陰陽五行説が日本に伝来したのは5,6世紀だから
記紀は影響を受けているだろう。
しかし天照や卑弥呼に影響があったのかね?
やっとスレを読み終わったw
>>423 魏志倭人伝の各国の長官や副官の名前に「ミ」や「ミミ」が
よく出てくるけど、天皇家(=天孫族)の息子が地元民(海神族)の娘と
結婚するたびに、名前に「ミ」や「ミミ」が入った子が生まれているんだよね。
だから当時の列島が母系社会だったのは間違いない(谷川健一「青銅の神の足跡」)
そんでもって
>>553へのレスだけど、↑を踏まえても、>.551で書いたように
祭祀王と現世の王との分離は上古の早い段階で終わってたんじゃないかなと思う。
>>562 もろに道教の影響バリバリだよね。
マキムクで大量に出た桃の種とか。
天皇家は半島からの渡来人
宮内庁は必死で隠してる
>>568 陽神とか陰神とか書いてある皇統譜がもとにしたのが、記紀の冒頭「古に天地未だ剖れず、陰陽分れざりしとき・・・」の天地開闢なんだぜ?
573 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:04:43.92 ID:9N0+HVzg0
>>572 だから、それは史書の形式や内容を整えるためのものでしょ。
あの本は中国に送られてるからな。
そういう発想と男か女かは関係ないだろう。
元は男だとは思うがね。
日本の天地開闢の神話と似たようなもは他にもあるよ、中国の道教神話、ギリシャ神話、聖書の創世記、天地創造など。
日本がぱくったというなら、他の国も神話をパクったことにならないの?
575 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:09:32.23 ID:uyH5pl4F0
>571
半島からと言うか、
「楽浪海中有倭人」
これが日本列島のことでなく、朝鮮半島の東側の島々でないかと指摘はある。
倭人は自分で
「倭者、自云太伯之後。」呉の末裔と言っており
春秋戦国時代は呉の水軍を構成していて、
漢代になると楽浪郡との水運に活路を見出し(楽浪海中)、
三国志の時代には中華文明が内戦で衰弱したので
水運だけではやっていけなくなり
日本列島へ侵攻した、
それが天孫降臨と思われる。
576 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:10:14.25 ID:81oV+VbL0
>>558 縄文時代を忘れてないか?
日本の本質は女性中心社会だそうだよ。
577 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:10:51.44 ID:qeAF6mO00
皇族は少なくとも、
男系氏族として渡来したんじゃないだろう。
だって男系氏族名がないじゃん。
嫁入りで男系化することによって皇族が成立してから、
そもそも男系の始祖は誰なのかという疑問が、
天孫降臨の回想で語られるわけで、
だから国譲りしてから、高貴な人は旅をしてきた、
天照大御神の命によって、と言う構成になる。
狗奴国が熊本で狗奴国の官、狗古智卑狗(きくちひこ)が治めた土地が熊本県菊池群だろう
狗奴国は卑弥呼のいる都のある邪馬台国の南であると書かれているから
邪馬台国は福岡の南部から熊本の北部だろう
熊本県の菊水町〜山鹿市の辺りではないだろうか
日本でもここでしか見つかっていない鉄器のある方保田東原遺跡やオブサン古墳、チブサン古墳もあるし
一応5〜6世紀の物だろうといわれているが内部の異様な壁画をみても刺青をしていたという邪馬台国の文化に近いものを感じる
さらに菊水町のトンカラリン、その周辺の松坂古墳からはシャーマンと思しき変形頭蓋骨の女性の人骨が見つかっている
近くには有名な太刀の見つかった江田船山古墳がある
あ、あとインド神話とかも。
俺は古代は現代人の認識とは異なり、コスモポリタニズムみたいな、世界が1つの国家だったと思うな。
青森に誰かの墓があるとかも、否定はしないよ。
580 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:13:39.56 ID:uyH5pl4F0
>575
は間違えた「西側」ね。
>577
氏族名は「アマ」だろ。
581 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:15:32.12 ID:OSj7v17v0
>>574 分布とか成立年代とか、「よりシンプルな方が原型の法則」とか、
いろいろあって、伝播の方向はなんとなく推測できるのよ。
たとえばイザナギ・イザナミは、東南アジアに分布する兄妹始祖神話の
類型らしい。最初に生まれた子は不具で、何かリカバリーをする(イザナギ・
イザナミの場合は男から声をかける)と、まともな子が生まれるあたり。
>>577 なんだか、さっきから、男系とか母系とか言っててワロタw
江戸時代の皇統譜である本朝皇胤紹運録では、天神初代の国常立尊から天神七代の伊弉諾尊までに、2つの系譜を載せている。
一つは、「国常立尊─国狭槌尊─豊斟渟尊─埿土煮尊、沙土煮尊─大戸之道尊、大苫辺尊─面足尊、惶根尊─伊弉諾尊、伊弉冉尊」という皇位継承の系譜。
もう一つは、「国常立尊─天鏡尊─天萬尊─沫蕩尊─伊弉諾尊」という父子の系譜だ。
まるで、応神天皇から継体天皇までの系譜のように。
おそらく、男系は初めっからだろう。
584 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:28:18.05 ID:qeAF6mO00
江戸時代と言われても困るが。
卑弥呼=大日霊貴神
台与=豊鍬入姫命
586 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:34:18.69 ID:uyH5pl4F0
だから記紀は
神功皇后のところに
倭人伝の卑弥呼のあたりを引用してるんだよ。
朝廷自身が
卑弥呼を神話の時代の祖先とみなしてないの。
587 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:37:53.02 ID:4qesoLy60
卑弥呼が客寄せに使える時代は終わった。
ヒミコ?なにそれ?おいしいの?
という態度に終始している日本書紀で、本当に知らないか関係なかったと思われる。
皇軍に滅ぼされた土蜘蛛や女酋はたくさんいるので、その中にトヨなりその後継なりが含まれた可能性はある。
あるいは魏に助力を請うほどに強かった狗奴国に滅ぼされたか。
討伐の為に魏勢力を入れようなどと、態度としてふさわしくない、情けない媚中卑弥呼なので、
卑弥呼とか関係ない、知らない、うちの皇統朝廷はそんなことはしていない、というスタンスを貫いた。
古事記は後世の私見で偽書というか勅撰が偽りであると確信しているのでソースとして使わない。
588 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:37:53.32 ID:qeAF6mO00
古代から男系だったんなら、
天孫降臨してから国譲りしたんじゃなくて、
国譲りしてから天孫降臨したってのは、
順番が奇妙でしょ。
589 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:38:28.17 ID:0M1jvq8H0
>>580 そんな小さな島々より日本列島を考えればいいだろう。
なんで無視するんだ。
590 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:44:33.28 ID:uyH5pl4F0
>589
あまりに遠いから。
それに、
弥生時代中期くらいになってやっと人口が百万越えて
征服する価値があるだけの生産力になった。
591 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:45:38.37 ID:0M1jvq8H0
>>590 で、それらの島々にはどんな遺跡があって、何億人住んでたんだ?
592 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:48:25.15 ID:ou98RKse0
邪馬台国と大和が無関係とか思うヤツはどうかしてるわ。
じゃあ邪馬台国程の大きな勢力が訳もなく何の証拠も残さず
自然崩壊したのかよwって話になる。
593 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:49:28.80 ID:uyH5pl4F0
中原〜楽浪郡の水運で食ってたなら
食糧は買えばいいから島々の生産力は問題にならない。
遺跡は北朝鮮に発掘依頼してくれ。
594 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:52:20.07 ID:0M1jvq8H0
>>593 なら、島々に住む必要すらないだろう。
その本拠地でやってろよ。
そもそもその島ってどこよ。
遺跡は?
当時百万の人口って相当な規模のはずだが。
それに、弥生の頃は、朝鮮じゃまともな稲作はできなかったはずだぞ。
595 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:56:48.83 ID:0M1jvq8H0
水運で食ってたとかいい加減な事をよく言うもんだ。
李朝の頃だって沿岸でしか活動出来なかったチョンがw
596 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:57:43.64 ID:OSj7v17v0
邪馬台国が九州に在ったとする方が自然
597 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 00:59:27.01 ID:L3kKlSy40
卑弥呼って、そもそも新羅の卑族の名前だわな。
日本とは、古代韓国人の奴隷が造った国でしかない。
それを認めたくない倭猿のみっともないコンプレックスが生み出したのが邪馬台国妄想。
日本人が敬うべきは邪馬台国ではなくて韓国なのだよ。
日本の主は韓国である。
天皇が呉太伯の子孫なら、yDNAはO2かO3にならね?
でも、「Hideyoshi Genzo Sasaki b.1112 and d.1184」(佐々木秀義(1112〜1184))の子孫は、yDNAがD2だったらしいよ。
599 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:02:12.32 ID:0M1jvq8H0
>>597 ま、どうでもいいがw、魏志にはろくに半島の為政者の事や、朝貢のことは書いてないけど、倭国の事は大々的に書いてるんだよね.w
貰ったのは金印だし。
半島は中継地でしかない。
卑弥呼の時代に新羅は存在しない
楽浪郡帯方郡という漢民族王朝の出先機関によって半島は植民地化されていた
半島は泥印だっけ?
泥って・・・
かなり侮辱されてね?
602 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:03:41.03 ID:aQyJ6OFK0
邪馬台国は朝貢したから記録に残っただけで、同時代の畿内に比べて大国だった
という確証はない。痕跡が残ってなくてもおかしくはない。
>>577 欠史八代を含めた記紀、特に本来の史実が記載されているといわれる一書に曰く
の内容の詳細では、女系継承とも見える連続の箇所なども含め、雄略手前の頃までは
少なくとも仲哀天皇までは母系機能や女系機能がかなり機能している。
雄略の振る舞いの数々の中で旧来のヤマト的精神文化を唾棄し愚弄するような
エピソードを見ると、共立の属性が抜けなかった王制段階から何かが変化したと思われる。 。
604 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:05:28.46 ID:0M1jvq8H0
>>600 というか、ろくに人がいなかったんだよね。
半島全部でも数十万じゃなかったかなあ。
ほとんど何の影響も与えていない。
倭国から半島への侵攻は朝鮮の記録にもあるが、逆はないからね。
605 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:08:25.45 ID:uyH5pl4F0
>594
意味がよく分からないが....
昔の本拠地の呉を追われて島々に移ったんだろうという話。
なお気候変動にもよるが、後漢の頃は半島でも穀物は生産できていた。
当時でも辰韓で「土地肥美にして、五穀及び稲に宜し」と記録がある。
members3.jcom.home.ne.jp/sadabe/kanbun/sankan-benkan.htm
辰王不得自立為王。土地肥美、宜種五穀及稻、曉蠶桑、作縑布、乘駕牛馬。
>>601 泥印って封泥のことだろ。
泥にハンコを押して文書の封印に使う。
>>592 男性原理的な律令導入の歩みの中で、古来ヤマトの母系女系的な属性を残す氏族など
たとえそれらが、天皇家先祖の渡来以前に相当に力を持っていた、場合によっては古来の
邪馬台国の王族や列島各クニの先住や土着の王族であろうと屁とも思わない、とうような
意味合いが見える。
肇国天皇の経験した怖ろしい経験から、平城京の位置を纒向地域からなるべく外したくなる
気持ちも分かるが、本来のヤマト的なものから意識的に国体を遠ざけていこうという兆候が
すでに雄略天皇の話の中に溢れている。
>>594 辰韓の一部地域では出来ていたと思われる。
呉の子孫が新撰姓氏録で、呉の帰化人を諸蕃に分類するかな?
609 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:17:02.18 ID:qeAF6mO00
南方から日本に稲作が伝わるのと同時に、
航海術も伝わったんじゃないの。
んで人口が増加して、
半島南部まで活動域になったけど、
唐と新羅が高句麗を挟み撃ちするときに、
百済はいっぺん滅ぼされて、
倭人も追い出されたんじゃないの。
そのご新羅が半島を統一するけど、
また分裂して後三国時代を経てから、
高麗が再統一し、それを李氏朝鮮が継ぐ。
610 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:19:40.49 ID:uyH5pl4F0
>608
九州王朝の阿毎多利思北孤は
「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」としたため
『天子』という中華思想の最高位たらんとしたが、
近畿大和朝廷は
中華に朝貢したことなど無い、と
中華思想からの訣別を指向した。
だから大陸由来の過去は
無かった事になった。
611 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:20:55.08 ID:0M1jvq8H0
>>605 で、そこから西の方の島に運んでたのか?
一体どういう繋がりで?
三国志にも対馬の人間について南北に交易してたと言う記事はあるが、朝鮮人については無いぞ?
612 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:21:23.34 ID:z7FQAuZE0
葺き石がある時点で、4世紀後半から5世紀だな。
たぶん石室もあるだろう。
有棺無榔封土作冢(魏志倭人伝)
だから、かなりあとの古墳で、
卑弥呼やトヨの時代とは関係がない
日本にはワダツミさんがいるくらいだから、元々航海の技術はあったんだろう。
なんで島国の人間が大陸の人間に教わらなきゃならない。
614 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:22:55.00 ID:uyH5pl4F0
>611
どこから唐突に朝鮮人が出て来たんだ?
615 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:24:13.28 ID:0M1jvq8H0
>>614 はあ?
辰の国って朝鮮人なんじゃ無いの?
普通に考えてw
616 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:25:16.23 ID:/HxyvGRrO
朝鮮も昔は随を撃退したが、いつからスランプに陥ったんだろうな。
617 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:25:32.04 ID:uyH5pl4F0
>614
はあ?
そんな古代に朝鮮人なんて民族集団が形成されてたのか??
>>610 最高位は天子ではなく天帝。
中国王朝は歴代、天子止まり。天帝にはなれない。
おそらく用明天皇の皇子である聖徳太子が天子ならば天皇は天帝だと伝えたかったんだろう。
619 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:27:35.89 ID:0M1jvq8H0
>>616 それって高麗だろ?
人種が違うのでは。
>>617 じゃあ何人だよw
チョン押しで必死に見えたが。
都合が悪くなると適当ににげるよなあw
>>613 本来の日本は海人族、海んちゅの国。
しかし、山のことも同時に長けているのが古代ヤマトの特徴。
大山津見が渡しの神でもある理由。
ただこの大山津見、天皇家の先祖との直接の繋がりは無い。
621 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:32:42.87 ID:ZbifN1FX0
国譲りのあとに天孫降臨。
出雲に国譲りを強要したのはアマテラス。
基本的には平和裏に行われたようだが、あるいは戦いもして最終的に長野あたりに逃亡した。
となると、地理的に奈良周辺の勢力でしかありえないのではと。
島根の加茂岩倉遺跡で銅剣三百数十本が埋められたのは紀元後100年くらいとされる。
この後、倭国大乱、卑弥呼のお話。
加茂岩倉が国譲りと関係あるとすれば、天孫降臨は紀元後200年、東征は300年くらいになるのか。
忍穂耳以下、ニニギから神武天皇までアマテラスの後胤と述べられているが、、その真偽は置いて考えても良い。
降臨する前、どこにいたかとなると、奈良ということになる。
皇室の祖先は列島外からの渡来ではない。
稲作方面で江南なり長江流域なり江蘇なりはともかく、朝鮮などは関係ない。
百済や新羅などはその時代に存在しない。
622 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:33:32.31 ID:uyH5pl4F0
>618
人間の、だよw
「日出處天子」書簡には
「阿毎多利思北孤」と署名があったと記録されている。
聖徳太子が
「阿毎多利思北孤」と名乗った記録も
「日出處天子」書簡を送った記録も
無いわけだが。
>619
高句麗だろ。
何人て...
支配階級は帯方郡から流れた漢人や扶余系遊牧民。
それに倭人もかなり入り込んでた。
農民階級はまあ、現在の韓国人にかなり繋がるかも知れんけど。
623 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:35:06.07 ID:0M1jvq8H0
>>621 奈良方面と出雲が戦って、出雲側がそっちに逃げるって変だろう。
出雲と戦ったのは九州の勢力では。
624 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:37:31.95 ID:0M1jvq8H0
>>622 高句麗と高麗とは本来同じはずだが。
とにかく、半島側に何の大きな勢力もない。
考慮から外して考えるべきだろう。
あっても、ストローでしかない。
625 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:39:10.35 ID:ZbifN1FX0
>>622 お前は朝鮮くさい野郎だな。
>>623 そう考えるのももっともだし、そうかもしれないが、
出雲の勢力は日本海沿岸や奈良まで及んでいたので方向的に的外れというわけでもない。
626 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:39:51.96 ID:qeAF6mO00
半島南部との行き来で、
嫁入りの風習が広がったんじゃないか。
北九州から日本海沿いに新潟辺りで、
内陸部に至る交易圏とか。
627 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:40:02.77 ID:IuvUEF9Q0
628 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:40:31.07 ID:uyH5pl4F0
>623
その人の言う「ナラ」は
ウリナラかも
>624
半島には楽浪郡という大きな勢力があったんだよ当時。
629 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:42:48.49 ID:0M1jvq8H0
>>628 お前はくるってるな。
それは中国の出先機関だ。
歴史をやり直せ。
説だのなんだのひき延ばして儲けてる連中いるだろ
奈良でとっくにきまってる
631 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:45:54.41 ID:0M1jvq8H0
邪馬台国はドコ? → 結論「わからない」
じゃ、有力なのはドコ? → 結論「畿内。だから今、探索してる」
633 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:49:59.65 ID:EgXr2gxT0
>>575 中国史でややこしいのは古代漢民族と現在の漢民族は全く別種
ということと、春秋戦国時代の呉と三国志の呉があって、ただ呉と
いうと、大概三国志のほうと思われることかな。所謂弥生人という
のは春秋戦国の方の呉越同舟で知られる時代にひっくるめて百越
という海洋民族、水軍といってもいいが、その連中が日本に来たこと
と関係があるというのが、考古学的にも認められている。
三国志の呉は仏教伝来と関係あるらしい。弥生人は漢族だが、中国
では絶滅種で、結局古代中国で漢字を完成させた漢民族は一部が
日本に同化して生きながらえていることになる。
いづも、あづみ、あつみ、あたみ、わたみ、というのがそうではないかと。
海民だが農民も同行して日本各地で川を上って水耕地をひらいて回った。
有名なのが信州の安曇野だ。あそこは今でも船祭りをやっている。
634 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:51:45.40 ID:uyH5pl4F0
>630
卑弥呼は絹を献上した記録があるが
当時の奈良の遺跡から絹の痕跡が出ない。
>629
出先機関ではない植民国家だ。
紆余曲折はあるが文化的には
楽浪郡→高句麗
帯方郡→百済
とかなり継続性もあるらしい。
>>621 >出雲に国譲りを強要したのはアマテラス。
その事象のモデルの事態が起きたときにはアマテラスなどない。
皇祖神は別の名前では存在したであろうが、アマテラスではない。
その神名も神話自体も先住の王族やそれに順ずる氏族の持つ旧事からの
借り物である可能性が高い。
出雲の地元には物部との戦いが伝承されている。
禅譲神話のそのフツ主登場の背景や邪馬台国時代と重なる出雲神宝の確認話
などからも、物部王国か邪馬台国か畿内から越若狭瀬戸内海を支配した
綿津見王国からの借り物と思われる。
>>633 「Hideyoshi Genzo Sasaki b.1112 and d.1184」(佐々木源三秀義(1112〜1184))の子孫が,yDNAがD2だったということも考慮すると.
春秋戦国の呉のyDNAはD2,三国志の呉のyDNAはO2ということかな?
637 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 01:58:05.20 ID:uyH5pl4F0
>633
>弥生人は漢族
それはさすがに無い。
弥生時代中期になり人口も生産力も増えてから
やっと楽浪郡とかから逃亡した漢人の亡命を
集団で受け入れられるようになる。
それが銅鐸など青銅器祭祀のひろまりとして表れるが
あくまで弥生中期以降。
弥生人はB.C.1000頃からじわじわと
九州北部で独自に増えた人びと。
>>633 あ、やっぱダメだ。
春秋戦国時代の呉である呉夫差の子孫は日本に帰化して新撰姓氏録に諸蕃に分類されてる。
天皇が春秋戦国時代の呉の子孫なら、同族を諸蕃に分類したりはしない。
640 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 02:05:08.71 ID:qeAF6mO00
諏訪の神様のお母さんが、
新潟の沼河比売だって話があって、
大国主命との間に生まれた、
という伝承があるんだけど、
そこから南下して諏訪に入ったんだそうだ。
もともと諏訪に住んでた地元の部族と争ってから、
一緒に住むようになったとか。
たぶん日本海側との交易圏があったんじゃないかな。
>>571 戦前の宮内省も内務省もそう考えていたので驚くことではないし
その渡来を前提に数多の論文が書かれている。
ただ半島が出自の起点ではなく半島経由という考え方。
古代の半島との関係はスサノオの部分だけでも読めばわかる。
五十猛神を率いて素盞嗚はソシモリにいたなど。
642 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 02:06:43.97 ID:uyH5pl4F0
>弥生人は漢族
であれば、弥生初期から
青銅器とか
漢字とか
漢人の文化が伴っていなければおかしい。
伴ってないでしょ?
>天皇が春秋戦国時代の呉の子孫なら、同族を諸蕃に分類したりはしない。
どうして?
天皇が渡来人とか言ってる奴は戦後一時期流行ったガセに未だに踊らされてんなぁ
こういう奴に共通するのが騎馬民族征服説信じてるんだよw
645 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 02:12:23.12 ID:uyH5pl4F0
天孫族は「アマ」
海洋民族だお
おそらく、呉太伯の子孫を自称した倭人とやらは、新撰姓氏録で諸蕃に分類されている、呉夫差の子孫である松野連のことだろう。
647 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 02:15:20.45 ID:qeAF6mO00
スサノオは日本から半島に渡り、
オオクニヌシは、そこから駆け落ちしたのだ。
とかって古代には考えたとかじゃないの。
半島南部と行き来する経済圏で、
嫁入りの風習が広がったとかさ。
でもタテミナカタのお母さんは、
どうも母系部族の人っぽいんだけど。
648 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 02:17:50.43 ID:qeAF6mO00
失礼、訂正:タテミナカタ→タケミナカタ
649 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 02:18:39.65 ID:dNxfD78k0
あ
新撰姓氏録おもしろいな。
帰化人に、孫権の子孫とかもいるぞ。
651 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 02:20:46.56 ID:IuvUEF9Q0
>>634 卑弥呼の献上品は「班布二匹二丈」で班布は麻布と言われている。
一方倭王の献上品には「倭錦、絳青糸兼、緜衣、帛、布、丹」と絹織物が入っている。
倭国、弁辰では高度な絹製品が作られていた。
>>447 邪馬台国や卑弥呼の存在について議論を深める
ことは、日本の近代以降のの落とし物を取りに行くことでもある。
>>571 記紀が全て絶対的な真実の史実のみで記述されているとみる立場なら別だが
国史文献史学や考古学の専門家でそう見る人間など一人もいない。
高い知見で著名な保守系の論客の高森氏でさえ、確か神武東征を
AD100年頃であろうと講義していたのではないか?
保守系議員の国会での真顔の皇紀267X年質疑など内心苦笑いしている
のではないか。
>>645 ならばわざわざ鰐トーテム氏族とのお産に関するひと騒動の話など無い。
654 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 02:35:25.72 ID:qeAF6mO00
コノハナサクヤヒメが一夜で身ごもったってのは、
一夜の契りのことで、一晩で臨月ってわけじゃないだろうけど、
山の神の娘が、木の花の神で、
火の中で子供を産んだってのは、
焼き畑と関係あるんじゃないかな、
とか根拠なく思ったり。
655 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 02:54:26.87 ID:ePVjWJYU0
>>525 春秋戦国時代から秦漢時代の漢字音は上古音と呼ばれ漢詩の押印や熟語の双声、畳韻などから復元されている。
カールグレン、王力などの研究が有名だ。
上古音の資料で手軽に調べられるのは藤堂明保著「学研漢和大辞典」だ。
この辞典には上古音、隋唐音、宋音とよく似た中原音韻の中世音、現代音が載っている。
柳田國男が「蝸牛考」で方言周圏論を提唱したように
今の首都北京は匈奴を始めとして北狄に蹂躙され住民は中原から追われて
南部に逃げたため北京から遠く離れた中国南部の方言は古代中国語の面影を残している。
また中国から海を隔てた日本の古墳から出土した剣や鉾、和鏡その他の銘文の固有名詞や
記紀万葉の万葉仮名漢字音は呉音より古い六朝時代(日本の卑弥呼〜古墳時代)の漢字音を伝えていると考えられる。
「卑弥呼は倭人語を話したか」の著者安本美典の手法はなかなかいい線を行っている。
漢字音は古い方から上古音、六朝音、中古音(呉音、漢音)、宋音、江戸時代に出島での貿易で伝わった唐音、現代音に分類できる。
現代音中国の標準語とされている普通話(putonghuaプートゥンホワ)は中世の中原音韻が変化した北京官話を基本としたもので
モンゴル語や満州語などの影響を受けていて他の方言に比べると六朝音や中古音との乖離が激しい。
>>463 ピラミッドもそうなんだっけ?クフ王の〜とか言うけどどうも後付らしい。
日本の歴史学会ってもう朝鮮人に乗っ取られてるよ
日本書紀にもある三韓征伐
高句麗の広開土王碑にも倭が百済と新羅を討って臣民としたって書いてるのに
日本の教科書には絶対に出てこない
659 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 03:10:39.86 ID:qeAF6mO00
倭王とか倭国とか言っても、
倭人と言うのが自分をワと称する人達、
自分達の国をワが国と呼ぶ人達だとしたら、
倭人は、単なる日本語話者でしかなかったり。
>>659 倭=和
大和(ヤマト)だが大の字は中華帝国の冊封体制から独立したという意味で
元冊封国が使う文字
例としては大越国とかね
日本も和+大=大和で中華帝国から独立したって話
>>578 トンカラリン周辺の変形頭蓋骨が女シャーマンなら、卑弥呼も伊予も子供の頃から
板の面つけて顔が変形してたのかなぁ。
662 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 03:25:52.80 ID:1Nn6JJpn0
663 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 03:27:56.99 ID:Zp+92hsDO
トヨと読むなら、邪馬台はヤマトと読むべき。
ヤマタイは他には全く出てこない。
>>658 そりゃそうだよ、日本の歴史家は西洋の歴史を学ぶから、マルクスさんやフランス革命に同調し、イタリアやドイツの右派を毛嫌いしてるし。自然と国賊リベラルになっていく。
>>660 中国人が日本の蔑称で「少日本」と言うのは、中華思想から「大中国」に対して
おめえら属国のくせにの意味で使ってるみたいだね。どうも今の日本人からすると
ピンとこないが。
666 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 03:33:15.51 ID:1Nn6JJpn0
>>663 八幡平(はちまんたい)の読み方を変えてみると、ヤマタイにも読めなくないか?
>>667 でも、「Hideyoshi Genzo Sasaki b.1112 and d.1184」(佐々木源三源朝臣秀義(1112〜1184))の子孫のyDNAがD2だったという結果は、けっこう重要な調書になるぜ。
宇多天皇に限らず、天皇のyDNAはD2だということが有力視される。
669 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 03:57:33.40 ID:ePVjWJYU0
>>194 >元々の尊称は「尊(みこと)」
天理教では「みこうと=ミコート」と4モーラ発音する
670 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 03:59:35.06 ID:q4XnqHj60
古代史のスレは相変わらず邪馬台国のスレとかすなw
まあマスコミも客寄せパンダに「邪馬台国」「卑弥呼」の文字を使うからなんだろうが・・・
で、未だに「九州説」というより「邪馬台国論争」なんて物にしがみついてる爺さんだか馬鹿が
「卑弥呼の墓は古墳じゃない」とか言い出す・・・
「畿内説」側に立つ方も卑弥呼の墓になんてものに拘泥すべきではない。
あんなもの実際の見聞に基づいたものか怪しいんだから
「径百歩」云々がよく問題になるが「殉葬百人」とか本当にあったと思ってるのか?
この西殿塚古墳にしろ箸墓にしろその墓域内からあるいは近辺から出てくると?
そんなことに拘るのは未だに邪馬台国論争にしがみついてる馬鹿に任せておけばいい
九州説の人間は九州中掘り返して殉葬の跡見つけりゃ
墓の中から「邪馬台国論争」蘇らせることできるかもよ?wwwwww
671 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/12(土) 04:09:41.40 ID:t2sZHXWZ0
魏志倭人伝に書いてある国名も福岡県内の地名と推察される国があるがその先
は殆ど分からないだろう。瀬戸内の国なのか大分県あたりなのかが推察出来ない
だから九州説や近畿説が生まれたんだろう。俺としては宇佐が邪馬台国で
あって欲しい。
672 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 04:13:46.01 ID:q4XnqHj60
>>423 >つまり必然的に母系部族社会になるわけで、
>そもそも母系とか男系という意識もない。
このへんの見方には賛成同意
そして「(男)系」という系譜を記録として残すために取り入れられたのが
「文字」で大体5世紀頃から体系化が始まったんじゃないかと・・・
日本の古代の謎に
この西殿塚巨大な古墳を作っておきながら「墓誌」がないというのがある
文字がなくてもトーテムポールのような記号的なもので系譜を表すこともできるだろうに
古代の日本が元々母系というより系譜に拘りのない社会で
それが国家の体制を整えていく内に一族の系譜まで整理されるようになって行ったんじゃないかと・・・
まあ西殿塚のW埋葬施設に男女が埋葬されてたのが分かった・・・なんてことになったら
いわゆる「ヒコヒメ体制」があったことの証左になるんだろうが
こと「邪馬台国」に絡めて言うなら「ヒコヒメ体制」は当時の日本に普通にあったということになれば
要するに「卑弥呼」や「壱与」的なるものは全国のあちこちにいたという話になるんだろうがwww
673 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 04:53:11.12 ID:w6kG1mJz0
実際、伊都国があった平原遺跡に2世紀あたりの女王と思われる人物の墓があるんだから、
全国の国に女王はけっこういたと思うよ
>>674 なにー!漢倭奴国王は常根津日子命という人物だったのかー!
チベットもD2だっけか。
677 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 05:41:31.43 ID:9es+JFuJ0
>>23 研究者じゃない外国人は禁止されていないわけかwww
>>674 もう、畿内説でいいよ。もう、畿内説で決まりだこりゃ。
679 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 05:46:49.16 ID:BhulBNrtO
親魏倭王の金印さえ発見できれば一気に解明されるのに
おおよそ安寧天皇の治世が、キリストが生きた時代かー。なんかすげーな。
681 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 06:10:03.51 ID:OSj7v17v0
邪馬台国は九州説でほぼ決まり
>>679 少し前に見た歴史番組でも
しょうもない街おこしポジショントークを排除して
番組中も邪馬台国連合と呼び、プレ大和大王連合扱いの感じだったな
狗奴国(東海東山道五十五ヶ国連合=毛人の勢力域)の方を
先に確定させた方が色々スムーズかもね・・・・・
まあ歴史教育としては単一国家幻想を持つ方が国民の為だとは思うが
683 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 06:17:40.54 ID:OSj7v17v0
九州説なんてほんとは誰も信じてない
>>2 埼玉最強伝説だな。
さいたまシティーはイタリアのミラノみたいなものだ!
アルディージャとレッズがあるからな!
686 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 06:31:49.06 ID:q4XnqHj60
>>684 ミスター吉野ケ里こと某先生も
「分かっててやってる」
という声がwww
投馬国を鳥羽志摩あたりだとすると、邪馬台国は近畿らへんになるのかなぁ。
陸行1月は1日の間違いで
688 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 06:51:57.38 ID:HcUufm750
陸行何日、水行何日って親切に魏志倭人伝に書かれてるんでしょ。
素直にそれをトレースすればいいんでないの。
当時の船を再現して。
2000年前の海抜・地形を割り出して。
当時の船の推進力では、畿内までは届かないでしょう。
九州説が妥当だよ。
689 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 06:56:56.71 ID:HcUufm750
誤記説は採用しないこと。
都合の良い改ざんでしかない。
690 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 06:58:33.37 ID:31221rc10
歴史修正主義者め
そもそも方向から間違ってるでしょ。倭は南に向かって細長い土地だと思ってる。
畿内も九州も邪馬台の一部
意思決定する代表の卑弥呼のいる都が大和ってだけ
後に
日本は近畿にあった?九州にあった?と議論するのは同じ。
両方日本ですから・・・・・・
スレは伸びるがもはや論争ですらない
693 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 07:08:28.80 ID:OSj7v17v0
畿内説は説得力がない
あれ?俺、新2chのこの卑弥呼スレで
693 :名無しさん@13周年:2014/04/12(土) 07:09:29.06 ID:WDeXTgUQK
>>685 埼玉最強伝説とか言ってて恥ずかしくないの?
って書いたんだけど、反映されてないw
>>642 徐福の可能性はあるね。漢字といっても、当時の中国は識字率はそんなに高くないと思う。日本でも、2200年前の中国の半両銭
が19枚見つかってるので、当時から中国から人が来てた可能性も。
697 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 07:33:45.83 ID:HcUufm750
>>691 方角については、当時の方法で測るしかないの。
☆、太陽から自分の位置や進むべき方角を割り出していたんだろう。
今みたいに正確な方位磁針があるわけじゃないからね。
例えば、「東へ」と書かれていても、その東は現在の感覚とはまた違うだろう。
仮に東北東〜東南東の間に入っていれば、当時の精度としては恐るべき精度
だっただろう。
天照が皇祖神になったのは、何時かってのは諸説があるが
いまもっとも有力なのは、大友皇子と天智天皇が皇位を争った
壬申の乱以降からだと言われている。
壬申の乱では、伊勢神宮が天智側に付き、勝利に貢献したことで皇祖神と認められたとのことだ。
そして天照以前の皇祖神は高御産巣日神との説があり
天皇家が祭祀していた神は、もともとは太陽神ではなく
「うぶみ」つまり生殖や生命の神だよ
また、卑弥呼の有力候補に挙げられる
ヤマトトモモソ姫が仕えていた神は三輪山の神である大物主命
モノは神霊を意味する言葉だから、大いなる神霊の王って意味だろうな
この大物主命は、出雲の神である大国主命の別名とされている。
この点を考えれば、この時代は、出雲王朝に畿内は服従していたのかも知れない
だから自分たちの神である大物主を、出雲の神である大国主と同一視したのかも知れないな
>>693 畿内説と北九州説だが、もともと一長一短だった
畿内には魏志倭人伝で書かれた大規模な古墳は存在するが
北九州には存在しない、代わりに大規模集落が存在するが
畿内にはその当時の大規模集落は発見されてなかった。
しかしこの20年余りに発掘が進み、急速に畿内説に傾いたってのが私の見解だ
なぜなら畿内でも、次々と大規模集落が発見されたからだ
しかも、神武天皇の都があったとされる地域など
記紀に書かれた当時の都の跡地などでだ。
このことから、魏志倭人伝に書かれているだけの有力な国が
畿内に当時から存在した可能性が一機に高まっている
北九州説や畿内説の対立は、どうも学派やイデオロギーの対立の様相もあるけど
冷静にこうした発掘結果を考えれば、畿内説がもっとも有力だと思うけどね
701 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 08:19:33.73 ID:HcUufm750
>>700 畿内説採用だと、魏志倭人伝に書かれているルート、日数で到達できるの?
素朴な疑問。誤記説は無しで。
>>698 当時としては、倭の国が南北に細長い国だって分かってるだけでもかなりの
精度だと思う。
702 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 08:21:20.57 ID:zVVzShYW0
お前ら佐村河内って知ってるか?あれにそっくりなんだよ。
>>700 弥生時代の発掘成果から見れば、魏の使いを送れるような文化レベルが質量ともに高い地域は
博多周辺か、吉備(出雲・播磨)か、摂津・河内・大和平野中南部か、東海(滋賀)しかないのは確
かだろう。
博多周辺の場合は3世紀以降は衰退し、4世紀には近畿の様式で統一されてしまう。
摂津・河内・大和の場合は弥生時代中期の繁栄が消え、後期は衰退およびその現状維持が続く。
東海も傾向は同じで、3世紀、積極的にヤマト地域と関わるようになるが、その後には消えて東
に広がってしまう。
吉備は弥生後期も衰退せず、逆に文化が影響する範囲を近畿や北部九州まで広げている。
そして纒向遺跡のような都と呼んで差し支えないのない吉備的な文化を持った遺跡が突然ヤマト
に出現する。そしてそこに東海を代表として全国から人が集まった形跡がある。
しかし、魏書に書かれた倭人の文章を盲信してそのまま考古学データに当てはめても答えは出て
こない。畿内説や九州説を説く以前に最も大切なのは個々の史料批判(文の分析、書かれた理由・目
的の推察、時代背景等)なのだが…。
>>702 九州はお国自慢の延長で地元を盛り上げたい奴が騒いてる
古墳一つ見つからなくても、むしろ見つからないからこそ各地が引っ張り込むのに都合がいい
そもそも倭人伝の位置だと南方の海上にあることになるのに
畿内は箸墓が卑弥呼でなくても箸墓の古墳の研究は続くから盛り上げる必要はない
研究で後から関連性が見えてくるようになってきたわけで
魏の時代の世界地図をテレビで見たけど、日本列島はかなり南方にあると当時は認識していたようですな
>>602 たしかにそうだな
その頃はおそらく日本国内はバラバラで卑弥呼の邪馬台国だけ認知されてた
それで漢の出先機関かなんか知らんが
朝鮮半島で組織された兵と卑弥呼が組んで畿内の王朝を滅ぼし
そこで始祖となった
要するに乗っ取り
707 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 10:40:57.65 ID:BhulBNrtO
肥前肥後辺りが怪しい、日向もな
>>706 当時の中華の先進文明は倭人にとって卑下する対象だったの?
乗っ取っても立場が上ならその出身を権威にするものなんだが何で隠す必要が
ヨソ者が王だけ暗殺して国を乗っ取れるとか思ってないよな
周り王族の親戚関係者で順番待ちなのに戦争になる
709 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 11:47:54.25 ID:ePVjWJYU0
邪馬「台」国はなかった。「邪馬台国」と書いてある中国文献は無いのだ。
邪馬「臺」國、邪馬「壹」國、邪靡「堆」國なら有った。
「臺」と「壹」はパッと見で字の形がなんとなく似ているが字音が違う、
「臺」と「堆」は字音が似ている。
「臺」と「台」は字音の清濁が異なるし本来の意味が違う。
いよの後の女王ってあんま聞かないな
>>691,
>>697 出発点から見た目的地の「方向」というのは、地図の上に引いた
直線の方向とは違ってて当然だと思う。
現代だって、たとえば鹿児島市民が鉄道で東京に向かう時、
東京は北へ伸びる線路の先にあるという感覚だよね。
だから長渕剛の「とんぼ」でも、上京する様子を「北へ北へ向かった」と
歌っている。
713 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 12:03:18.10 ID:f413XYPP0
半島から来た連中が、今の日本を造った! 今のところ、ガチなのはこれだけ!
714 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 12:05:04.25 ID:TabquGQr0
ヤマトトトオットトヒメノミコトはマンコに箸が刺さってオットト
>>705 そりゃそうだ。科学的に正確な緯度を測らない限り
気候や風土で判断せざるをえないけど
日本の太平洋側と同じ気候帯は
中国では長江下流域以南だから
日本列島が実際より南にあったと誤解しててもおかしくない
実際魏志倭人伝は
日本列島が浙江省の東、つまり奄美大島など南西諸島と同じ緯度にあると推測している
>>708 別に卑下する対象ではないが
倭人といっても日本は当時ひとつじゃないから統一認識などない
卑弥呼がほぼ主体となって朝鮮兵力を利用して乗っ取ったんだから
そこで日本国樹立てことにしたんだろ
漢由来など標榜する必要など皆無
717 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 12:45:44.10 ID:N5089WPx0
なんで乞食日本書紀には邪馬台国のことを書いてないんだ?
大和でFAって事かね(´・ω・`)
何で書かないといけないんだ?
邪馬台国なるものが魏志倭人伝にしか記述ないのに
歴史書というのは、その時の権力者によって書き換えられるものだから、どれだけ信憑性があるか怪しい。
>>717 そりゃ、記紀は大和王権の史書だからなあ。
722 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 12:51:34.55 ID:jkMiCLzN0
壱与ってすごい美少女のイメージだよね。
日本の朝鮮人に汚染された歴史学会が広めたヤマト王権w
ほんと定着してきたなw
724 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 12:52:40.69 ID:IQc0YZQc0
>>722 不細工が人心を得て国をまとめられるとは思えん
もう決着がついた話をいつまでやってるの?
>>717 日本書紀神功皇后紀の摂政66年の項で
この年倭国の女王が晋の武帝司馬炎に使者を送ったという記事が晋書から引用されている
つまり日本書紀の編纂者たちは
中国の歴史書に倭の女王の話が載っていることを知っていて、それを否定もしていなことになる
だもんで江戸時代になって本居宣長が初めて九州説を唱えるまでは
日本でも神功皇后=卑弥呼という認識が一般的だった
>>723 倭国大乱で荒れてた2世紀頃、畿内とその周辺の豪族は巫女を神輿に祭り上げて政情を安定させ、
バックアップとして力をつけた崇神天皇が実質王として権力を握った
卑弥呼の時代から権威固めと先進中華文明の輸入のために帯方郡への朝貢をするも高句麗の南下のために崩壊
漢民族の首都が南朝に逃げても朝貢を続けるも費用対効果が合わず雄略期を最後に廃止、ようやく自主独立を目指す
異民族の隋唐が中原を征しても漢民族ほどの尊敬は持てず
白村江の戦いで唐に負けて敗戦処理に倭国の歴史の提出を求められ、倭人伝との整合性を合わせつつ誇張された日本書紀を作成
畿内説はこんな感じが今の主力だろ
ヤマト王権で問題ない
>>722 シャーマンなら子供の頃から頭を矯正されて、顔も変形してたかもしれない。
729 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 14:12:00.56 ID:q4XnqHj60
>>700 違う。
それじゃあ昔の邪馬台国論争がそのまま続いて
畿内説が勝利したかのような話だ
勘違いしてる人間が多いが明治以降で論争を俯瞰すれば
むしろ考古資料に多く頼ったのが九州説で
(「卑弥呼の墓」なんか九州のほうが多いだろうw)
内藤湖南のように文献に重きをおいたのが畿内説
九州説は吉野ケ里ブームで最高潮で終わった
昔の論争は例え畿内説だろうと九州説だろうと
「邪馬台国は弥生時代の都市」で
実は未だに論争にしがみついてる九州説の金科玉条になってる昔の年代観は
畿内説の学者が導き出したもの
更に問題は九州の考古学は今の年代観を導き出していて
両者の間に軽く百年以上の開きがあった
その場合じゃあどっちを基準にして時計の針を合わせるか?
そりゃ舶載品の豊富な九州が基準になるに決まっている
730 :
729@転載禁止:2014/04/12(土) 14:22:59.83 ID:q4XnqHj60
更に70年代辺りからのいわゆる「邪馬台国ブーム」になるともう学術的な論争から離れたものになる
火付け役は宮崎康平が「まぼろしの邪馬台国」で吉川英治文学賞をとったのが皮切りか?
(あくまで文学賞でフィクションの範疇であるのに注目w)
そして松本清張が本格的に古代史に参戦、知識もあるし筆や口もたつ
学者らを向こうに回し快刀乱麻するさまは市井のマニアを魅了したんだろう
そして古田武彦「九州王朝説」や安本美典「東遷説」という二大スター()を生み
両者のプロレスも賑わいの一つとなり吉野ケ里ブームで最高潮で終わった
所詮ブームは一過性のものだからブーム
「悪貨は良貨を駆逐する」じゃないがブームの中で
「自分は暗号を解き明かした」
「こうも読める」
「これが素直な読み方」
・・・と百家争鳴でグダグダになってしまったのが九州説の終焉の姿
まあそれでもネットの時代になり情弱の人間が九州説に手を出してニューカマーになってはいるんだろうがw
731 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 14:23:34.13 ID:ePVjWJYU0
>>715 >科学的に正確な緯度を測らない限り
>気候や風土で判断せざるをえないけど
北極星の見える仰角=北緯なので夜に北を向いて仰角を測れば緯度は判る。
中国は古代から暦を作るため天体観測が発達していた。
こぐま座のβ星やγ星が司馬遷〜卑弥呼の時代の北極星だった。
参照「ウィキペディア こぐま座ベータ星及び天測航法」
>>731 もちろん当時であってもも緯度の科学手測定は可能だ
中国でも日食の予測が行われてたぐらいだし
だが、魏志倭人伝の記事の元になった報告を書いた使者が
そうした天文学的知識を持っていた可能性は低いと言わざるを得ない
漁師の姿が温暖な地域で近畿説は無理がある
って説をよく見るが
当時の気候がどうかを調べないとなんとも言えんよね
734 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 14:27:36.25 ID:L3kKlSy40
>>597 リアル。
倭猿は歴史を知らないからバカなんだよ。
>>734 定番の自己レス釣りはいらんよ
他所でやってくれ
736 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 14:41:06.00 ID:+u2ngAkk0
渡邉義浩の説は納得しやすかった
要は、「当時の中国の目線や都合で書かれている」ってこと
737 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 14:52:55.43 ID:jcLZ3SQ+0
倭人伝にあるのは渡海を恐れる倭人と政情ままならぬ倭国
とてもじゃないが呉の牽制になるような国には書かれていない
無理に卑下する必要はないが、妄想に妄想を重ね3世紀の倭国を近代のグローバル社会の
如く扱うのは娯楽番組とは言えやり過ぎだ
738 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 15:03:11.66 ID:q4XnqHj60
>>737 とは言え例えば「五万戸」「七万戸」という数字は普通に考えて盛り過ぎで
実態以上に大きく見せようという意図を汲めないでもないw
もっとも倭国の朝貢にお膳立てした人間の功績を大きくみせるため・・・とか
3・5・7という陽数(奇数)を好む中国人の修辞とかいろいろ説はあるんだが
>>737 使者が自分で各国の戸数を確認する手段などあるわけがないから
倭国側が示した数字をそのまま報告に残したとも考えられる
この場合誇張したのは使者に大国であることも見せたかった倭国側ということになる
740 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 15:11:15.11 ID:b3r2fM4V0
>>2 >また九州だ近畿だ荒れるから
学会では正直どうでもいい、というのが結論らしい。
どこにあろうと邪馬台国と卑弥呼の歴史的な意義には
特に影響しないからね。
相変わらず各々好き勝手な
・漢字の読み替え
・行程の勝手な計算
だけで珍説を展開するいつものパターンだなw
>>740 これについて研究しても評価されないらしいからな
いまさらあらたな発見があるわけでもないし
743 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 15:19:03.35 ID:jcLZ3SQ+0
>>741 逆にその”自由度の大きさ”がかつての邪馬台国ブームの原動力だったんだろうなw
(当時雨後の筍のごとく出た「邪馬台国○○説」なんか歴史以外の畑からの参戦も多い)
ただ自説をぶちまけるには便利だが結局収集つかなくなって
同じ基準で比較検討し一つのものに収斂させるなんてできない
もうグダグダのバラバラ
745 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 15:22:27.45 ID:tOCzkoKT0
まあ、ひと昔前の研究と違っていまは倭王権の規模が相当なもので、
けっこうな大国であったことが分かって来てるから、発掘次第でいろいろ変わるだろうね。
昔のまんが日本の歴史の弥生末期古墳前期の描写なんか、村の酋長みたいな扱いだったもんなあ
邪馬台国の位置=わかりません
邪馬台国とヤマト王権の関係=わかりません
邪馬台国とは結局何か=わかりません
まぁ誠実な態度で資料と史跡を判断するならこう言うしかないよなw
「ここだ」「こうだ」と断言するような奴はどんな資料を見てるのやらw
748 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 15:30:46.43 ID:l4/NlrrA0
諸国連合を滅ぼして大和を治めたのが第十代辺りの天皇。
749 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 15:32:38.32 ID:94pvK0jw0
いやだから
「倭王」と「倭国王」を区別しないといけないんで
卑弥呼は
「親魏倭王」であって
「親魏倭国王」じゃない。
倭王というのは倭の有力豪族ていどの意味と思われる。
魏は「倭国王」とみなしてないわけだし
従って邪馬台国跡地として「倭国王」規模の遺跡も無くてよろしい。
しかし悲しいかな
>>1のように
未だに古代史じゃあ邪馬台国・卑弥呼が客寄せパンダの現役なんだよなw
この西殿塚の一つ前の箸墓も卑弥呼の墓とか言われる事があり
定型化された大型古墳の第一号の位置づけだが
例えば築壇で前方部五段、後円三段とまだ試行段階・プロトタイプ的な要素がないでもない
ひょっとしたら厳密な意味で「定型化古墳」の第一号はこの西殿塚かもしれない
その古墳に埋葬施設が二つあるというのは
日本の国の誕生期の政治システムがどのようなものであったのかについて
非常に興味深い話なんだろうが
どいつもこいつも卑弥呼卑弥呼とwww
>>2 多分九州じゃない?
中国側の記録だと酒豪が多いとか記載あるから。
昔から酒豪が多いのは九州。
752 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 15:45:23.77 ID:KfT5mSi80
>>28 そういうこったな
現に福岡という地名は、九州に元々あったわけではなく、
黒田家が出身である中国地方の地名、備前国福岡庄を移したもの
と考えると大和の地名も由来が疑わしい
なぜ「だいわ」と呼ばれるはずの漢字が「やまと」と呼ぶのか?
結局は宮内庁解散に追い込み、調査を実行しない限りわからないだろう
宮内庁が、わからない、調査させないということを通すってことは
邪馬台国がどこにあったとしても
邪馬台国=大和朝廷ではないということだと思う
日本最大級の古墳群、西都原古墳群
なぜかここは宮内庁の管轄になっていて立ち入り禁止
調査されると朝廷が半島から来たことが証明されてしまうからだよ
>>747 歴史なんていつの時代もオカルトや政治思想の格好のネタだからな
妄想君が大暴れするのは宿命
755 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 17:01:37.73 ID:NsVSLGfR0
>>586 そりゃ、神代と人代にわざわざわけて神話と歴史を一応線引きしたからな。
歴史の話を神代に入れるわけがない。
756 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 17:06:42.69 ID:6VmPo6fO0
>>557 陰陽のことはしらんけど
”光”は”闇”があるから”光”であり其の逆に
”闇”は”光”があるから”闇”であるて哲学的な見地からすると
「日(光)である為にはそれらを統べる月(闇)が必要である。」て考え方
但しこの場合の月(闇)は完全に象徴(シンボル)て捉え方ね
そしてとらぶる
758 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 17:16:07.24 ID:NsVSLGfR0
>>608>>610 太伯の子孫を称したのは大陸を訪れた倭人であって、倭人全てがそうだという話ではなかろう。
各史書がこの話を引用するにあたってそこを無視しているが、それを現代人まで無思慮に踏襲
することはなかろう。
759 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 17:22:14.85 ID:NsVSLGfR0
>>752 大和になったのは記録にもはっきりしていて、飛鳥時代に地名を佳字二字とした事に
始まるものだ。
これによりまず「倭→大倭」となり(大は天子に関するものを形容する)、奈良時代に「倭」
の部分を更に訓読みの「やまと」に対して佳字を当て字して「大養徳」となり、三文字はや
はり不適当と「大倭」に戻された上で「倭」を佳字に変えて「大和」となった。
760 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 17:47:32.38 ID:NsVSLGfR0
>>749 記述されている倭は国(都市国家)の連合体なのだから、倭王は連合の王であって特定
の国の王ではないのは当然では?
史書を見ても倭国と呼称されるのは南北朝時代からだし。
倭が連合体から統一政権に移行する間接的な証拠でもあるのでは?
762 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 17:57:06.82 ID:N5089WPx0
昔は本名は明かさないから全員日神子(ひみこ)だったんだろ
なぜ台与(壱与)だけ本名なのかが謎
763 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 18:28:38.64 ID:kip/+c4K0
764 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 18:32:27.55 ID:kip/+c4K0
>>740 近畿説は「纒向は凄いんだぞー」と言っているだけ。もはや邪馬台国論争ですら無い。
最近のキメ文句は「邪馬台国はどうでもいい」
wwwwwwwwwwwwwww
orz
765 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 18:36:17.94 ID:kip/+c4K0
近畿説は小保方擁護と同レベル。
>>703 神武天皇の宮殿が置かれたとされる橿原からは、大規模な集落跡が発見されている
この橿原あたりは、垂仁天皇と景行天皇が宮殿を構えた場所でもある
卑弥呼の有力候補とされる、ヤマトトモモソ姫は、崇神天皇の叔母であり
卑弥呼の後継者である臺與は、崇神天皇の皇女である豊鍬入姫命との説がある
つまり時代的にも史書と一致する。
そもそも同時期には、巨大墳墓が出現しだしている。
どうしてそれで巨大王権の存在がなかったと考えられるのかが疑問だ。
畿内の有力豪族だったワニ氏は、もともと海人族だったと考えられ
また、畿内の影響下にあった琵琶湖周辺にも息長と呼ばれる有力な海人族が存在し
大陸との交易も可能であったろう
>>729 だから、決定的な証拠
それこそ、卑弥呼が魏より下賜された金印がどこかから発見されるような
決定的な考古学上の発見でもないかぎりは、この論争に終止符はないでしょう。
そして、そんな発掘は、まずないでしょうからね。
ただ、現状では畿内説の方が有力ではないかって述べているdあけで
768 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 18:46:19.26 ID:aQyJ6OFK0
魏志倭人伝の記述から近畿説はあり得ない。ただ、同時代に近畿に国があっても
何もおかしくはない。
769 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 18:49:36.16 ID:NsVSLGfR0
770 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 18:49:36.76 ID:q4XnqHj60
まあ邪馬台国で頭いっぱいの今時九州説にしがみついてるアホは
纏向に関するイチャモンもピント外れ
例えば九州説のアホ曰く
「一次産業の跡がないのに邪馬台国であるわけがない」
そもそも集落一つで七万個なんて数字があるわkがない
(吉野ケ里の最盛期で周辺の中小集落を合わせて5000人ぐらいだったか?)
纏向の土坑の中からは大量の(精米時に出たであろう)籾殻や果物の種といったものが出て
一種の「供食儀礼」があったと推測されるが
そういった食い物も外から持ち込んだことになり
加えて外来土器の多さ等考えれば
文字通りの「都市」としての性格が強まる
(食料の供給は外部に頼る・人や物が各地から集まる)
九州説の頭のなかにあるのは未だに大昔の子供向けに描かれた
村の中心の神殿で鏡掲げてる卑弥呼のいるイラストw
畿内説っていうのがそもそも意味ないよ
卑弥呼が九州から畿内に乗り込んできて渡来系と皇族混合したんだから
そりゃヤマト(邪馬台国)は畿内にもあったという状況もあるわ
場所は正直どうでもいい
邪馬台国がヤマトの原型になったのは間違いない
これが疑問視されだしたのは本居宣長が捏造したところからだからね
天皇家の祖先が中華帝国に朝貢してたという事実を絶対に受け入れられないという結論ありき
ただ邪馬台国からヤマトに王権が引き継がれてるかどうかはわからない
邪馬台国が中国の夏王朝のようにネームバリューとして引き継がれた可能性があるから
773 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 18:53:36.14 ID:NsVSLGfR0
>>771 >卑弥呼が九州から畿内に乗り込んできて渡来系と皇族混合したんだから
魏志からはこれは読み取れないのだが。
邪馬台国東遷説って日本書紀にあるからってだけだもんな
神話と歴史をごっちゃにしちゃいかんでしょ
そりゃひとつの歴史書から全ては読み取れないよ
自分の都合関係なくまんべんなく状況から真実を推定するしかない
俺はかなりの右翼だが、天皇の成り立ちとして
卑弥呼の時代にinvasionableな征服があった事は想像に難くない
頭の堅い皇国史観者には受容できないのだろう
776 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:08:59.46 ID:fD8n/uEo0
卑弥呼はおそらく甕棺などを用いた土着的基底的倭人。海人。
物部や蘇我や皇統はおそらくツングース(夫余)系。
夫余、高句麗、百済、女真などがツングース系。
言語的には日本もツングース系。
ヤマトは、百済(ツングース)を尊び、新羅(自称秦、真はモンゴル)を蔑んだ。
製鉄、馬、馬具、仏教などの伝来と密接に関わった。
777 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:17:18.59 ID:GTDj5WaVO
イワレビコ、ヤマトタケル、聖徳太子などなど
神話的人物が挿入されてる時は、時系列のすり替えが主な目的だわな
天照大神が卑弥呼で
スサノオが神武天皇なんじゃないの?
神武天皇の幼名って「スサノミコト」なんでしょ?
779 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:25:34.75 ID:GTDj5WaVO
>>778 これがSTAP細胞と似てると言われる由縁だな
自分が考えたわかりやすい仮説を、そうであるべきだとして「神話」は創造されるんだよな
これを学会でやると創造は捏造となる
日本書紀の編纂者達は目的があってやるわけだよ
理系と違って積極的な創造は文学的と言われ称される
本当に自信があれば、九州説を叩く必要はない。
出てくる国がみんな九州にまつわる地名だらけで、九州以外にありえないから別に安心。
九州は無関係はありえず、どんなに否定しても上陸は間違いなく九州からだし。
781 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:33:06.64 ID:iGmfjKQM0
http://ryuchan56.269g.net/article/17864123.html エミシは和人とアイヌの中間の形質をもち、頭型などの点で、
東北・裏日本型に属するとみられるが、近畿・山陽・山陰・九州に散在する四七部落を含む、
全国的な日本人の形質調査の資料を整理した形質人類学者小浜基次(「形質人類学から見た日本の東と西」『国文学の解釈と鑑賞』二八巻五号)は、
部落民の形質は異質的なものではなく、現代日本人構成の有力な地方型である東北・裏日本形質に一致している。
頭部については、いずれの地区も共通の中頭型を示し、頭長は大きく、頭幅は小さい。
したがって、畿内のような高度の短頭地区内にはさまった部落は、一般集団との間に明らかな差異がみとめられる。
大陸朝鮮型形質のもっとも濃厚な畿内地区に、もっとも非朝鮮的な形質をもつ東北・裏日本型の部落が孤島として介在することは、注目に値(あたい)する。
おそらくは、婚姻と住居の制限によって内婚率が高く、特異の形質がよく保たれているものと思われる。
と述べている(図2参照)。
重要なことは、小浜基次が「一般集団と近似し、差異は少ない」とする山陰の例をみても、部落民が頭型は、
中頭を示す一般の住民の頭型よりも、さらに中頭の度が高く、エミシの血を引いている現代東北北部人の頭型と一致することである。
つまり、形質人類学のデータは、エミシが部落民の先祖であることを明確に裏づけているのである。
782 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:34:03.58 ID:xFg+EVgj0
>>733 当時は「小氷期」と言われてる。今より寒かった模様
貫頭衣という、布に穴開けて首つっこんで着る様な服着て、
近畿だの東北だので過ごせるかっちゅーの。とは思う
せめて綿入れ半纏や、毛皮も着てるよって表記があればねぇ
783 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:35:42.53 ID:NsVSLGfR0
>>775 >卑弥呼が九州から畿内に乗り込んできて渡来系と皇族混合したんだから
これは記紀からも読み取れないが?
ここで言う卑弥呼とはどういうものなんだ?
そもそも「皇族混合」とはどういう言葉なんだ?
お前の勝手な想像ばかりではないか。
784 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:37:55.28 ID:NsVSLGfR0
>>779 神話とは何か勉強したら?
そのレスの内容はまさしく
「自分が考えたわかりやすい仮説を、そうであるべきだとして「神話」は創造される」
に符号するものなんだが。
785 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:41:37.63 ID:NsVSLGfR0
>>782 沿岸部と内陸部との違いとかは今でも小氷期の江戸時代でもあるよ。
今だって鹿児島で雪が降っても南紀や静岡の沿岸では降らなかったり。
江戸時代も遠州ですら下層の庶民なり漁師なりは大した厚着はしていなかったし。
そもそも魏志倭人伝は時代の違うレポートを合わせた継ぎ接ぎなんだから。
全て張政あたりのレポートというわけではない。
ヤマタイ国の南方的風俗の記述からヤマタイ国=沖縄説まであるが、沖縄説では戸数数万が説明できない
787 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:50:37.71 ID:GTDj5WaVO
ぜんぜんわかんねえわ
トンチンカンおうむ返し
788 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 19:56:34.32 ID:kip/+c4K0
近畿説の主張
「纒向は凄いんだぞー」
「邪馬台国なんてどうでもいい」
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>57 逆に卑弥呼はクソババアというイメージかね?w
「雷火」は結末のストーリーがトンデモ尻つぼみで残念だった。
序盤中盤はなかなか面白かったがゆえに・・
790 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:00:03.90 ID:XUoBB27Z0
>>766 倭国というのは半島の南部も支配圏におく海洋大国だった。
その都が橿原にあったということなんだな。
791 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:02:25.44 ID:Zp+92hsDO
水行何日、陸行何日は、はるか遠くを表しているだけで、
厳密に何日かかったという事ではないと思う。
文献中の何里も遠くなればなるほど、だいたいの距離を表現しているのだと思う。
松本清張の影響で昔は九州かと思っていたが、今は近畿だと思っている。
>>785 そら山梨で豪雪降って、石川であんまり降らない年だったんだから分かるけどw
平均気温的に考えて、奈良あたりの盆地って貫頭衣じゃ冬寒くね?って話
どこを取捨選択するかで話が分かれる事なんだからしゃーないが
京都の底冷えなんて、何であそこに都作ったんだよレベルだと思うわ。寒がりだから
ちなみに俺は「魏志倭人伝って盛ってね?」説だけどね
793 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:05:56.05 ID:EJa1cqCN0
稲作自体が南方的要素。
甕棺も南方由来のもので辿りに辿って東南アジアさらにインドに行き着く。
製鉄など北方的要素と混合してさらに渡海術を持つなど先進地域となっていた九州。
そのころ日本のかなりの地域は稲作をせず、土坑に埋めるだけの文化的要素が見えない埋葬を行っていた。
畿内は稲作は大規模にやっていたが、銅鐸を大型化させて据え置いて眺めるなど意味のわからない、
大きければ良い、田舎者の感性だった。
銅鐸にはほとんど見向きをせず、作っても音色に意味を見出す九州の文化程度は極めて高い。
鉄器の実用性に惹かれ、鉄で石包丁を作ってみたり。
実用的ではない鏡には執心した。
そんな九州に卑弥呼はいた。
>>778 たしか「カムヤマトイワレビコノミコト」
相変わらず宮内庁は陵墓の学術調査許可しないの?
796 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:16:17.53 ID:NsVSLGfR0
>>792 >そもそも魏志倭人伝は時代の違うレポートを合わせた継ぎ接ぎなんだから。
>全て張政あたりのレポートというわけではない。
風俗関連も同様なんじゃね?て話だよw
海人の風俗と農民の風俗が区切りもなく倭人の風俗として書かれているだけじゃ?
水行十日は日本海を行った。陸行一月は丹後のあたりに上陸して歩いていった。
方位は書く人が間違えた可能性が高い。(実際に行った人は毎日陽が上って
降りる方向はわかるのだから間違えないはず)明の時代の地図を見ても
日本列島は南北に書かれているから古代中国人には日本列島は南北になっている
という思い込みがあったのだろう。
798 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:20:25.17 ID:NsVSLGfR0
なぜ日本海を行ったかと言えば瀬戸内海を通った記述がないから。
関門海峡を通った記述もないから。なぜ日本海ルートで招待したかと言えば、
瀬戸内海は内海のため、外国の使者に内側を見せることを嫌ったか、
瀬戸内海には昔から海賊が多くいて危険だったからだろう。
800 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:24:31.98 ID:fBHtloep0
邪馬台国は沖縄の海底遺跡
卑弥呼はイタコの総称
台与は台湾領与那国島という意味
よって台湾領与那国島女王の略
>>796 うん。だから盛ってんじゃね?って思ってる
それだと、行き方が曖昧なのは、戦略的な意味も含めて分かる
風俗も適当に聞きかじりをぶっ込んだと思うんだけど、
それならば鯨面獣身を書く事は無かったと思うんだよねー
そのほうが「夢の邪馬台国」のリアリティーが増す筈なんだけど、
何でアレと貫頭衣と蚕書いちゃったかなーと思うとねえ?って話
>>795 正直全部ひっぺがえしたって
ああ○○様式の土器須恵器ですね、武具バグですね、壁画ですね
程度だろうな(まあそれだってすごいんだろうけど)
まさか保存状態のいい大量の文字資料なんてありえん
803 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:29:00.05 ID:XUoBB27Z0
>>782 魏志倭人伝には女人の服装と書いてあって、貫頭衣とは
いまでいうワンピースのこと。いいファッション・センスしてるよ、
ということでしょ。年中同じなんてことないんだから、少しは頭
働かせよ。
>>802 それで十分んじゃないの。
明らかに間違った比定だってあるんでそ?
邪馬台国は阿波で解決したのに
マダ議論してたの(´・ω・`)
806 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:34:47.86 ID:Zp+92hsDO
ある勢力が九州から近畿に移り、卑弥呼が天照大神になり祭られ、
邪馬台国が大和朝廷になっても、それ程矛盾はないので。
そうなると天皇家の記録が、卑弥呼に触れないのが謎らしいが。
>>806 一番穏当な意見として
倭国連合の盟主権が2世紀末から3世紀にかけて北九州奴国から畿内邪馬台国に移動した
というものがある
808 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:40:43.47 ID:Zm/fhyLh0
邪馬台国=大和国だろ
809 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:40:48.01 ID:xFg+EVgj0
>>803 >いいファッション・センスしてるよ
これは無い。当時の魏が、貫頭衣に関してそんな事言う筈無い
せめて「w」がついてれば分かる。そんでもって男の服装なんてもっと雑だし
だから何でそんな風に書いてんねーん!て話だよ
811 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:50:41.27 ID:GTDj5WaVO
ザビ家に取ってのジオン・ダイクンみたいなもんだな
阿波国の名前は別名オオゲツヒメ(農作物を産んだ女神)
阿波を別名は穀物の「粟」
人が生きていくのには食料が必要
当時の阿波には邪馬台国の人口を食わす食料がある
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
813 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 20:53:54.51 ID:kDqyvu9k0
実際四国が一番条件には合致するんだけどね。
何より徳島には丹山(水銀朱)鉱山が存在する。
巻向周辺の遺跡は阿波や吉備の影響大なんだしな。
女王国から東海を渡って千里余りに女王国と同じような国が有る
徳島からヤマトに変わった答えもある
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
815 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:05:44.47 ID:W5RbU4ya0
>811
それがどうもジンバ・ラル程度らしいんだ。
816 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:11:15.91 ID:GTDj5WaVO
ヒミコと聞いて魔神英雄伝ワタルしか思い浮かばない俺・・・
818 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:27:51.53 ID:W5RbU4ya0
ボウヤだったんだなw
卑弥呼がダイクンで大和朝廷がザビ家か?
邪馬台国を乗っ取った神武天皇が大和を名乗り
建国したと?
>>791 結局こんな風に畿内説に拘れば拘るほど魏志倭人伝を否定し、あるいは無視して無理やりな持論を展開するしかなくなるんだよね
821 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:32:05.96 ID:kip/+c4K0
邪馬台国論争してて、邪馬台国とかどうでもいいとか言い出すからな近畿説はwww
んで挙句には淡路島だとか四国だとか言い出す。
自分は真実が知りたいんだとか言ったりしてねwwwwwwww
本当はグチャグチャにかき混ぜて、誤魔化したいだけなんだけどねwwwwwwwwwwwwwwwwww
822 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:32:12.92 ID:Jz1pixgs0
>>788 俺は九州説寄りだけど、纏向はすごいし邪馬台国は割とどうでもいいと思っている。
どうして魏誌しか見ないの?
古代中国には他にも文献あるのにねw
824 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:34:34.93 ID:kip/+c4K0
はいでたーwwwwww
来ましたーwwwwwwwwwww
825 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:35:00.50 ID:W5RbU4ya0
>822
それでも邪馬台国には何か特別なものがある。
伊都国との関係とか
一大率とか
魏志倭人伝に書かれた
帯方郡より女王国までの距離は12,000余里
ここで問題になるのは当時の中国の地図と精度
古代中国の高度な地図作成技術を見ると
地図の精度はきわめて高いレベル
そうなると帯方郡から東南方向12000里で徳島になる
女王国は阿波です(´・ω・`)
幕府が京都、鎌倉、江戸と北上していったんだから
最初が九州でも不思議は無いと思う。
828 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:37:30.34 ID:kip/+c4K0
近畿説は小保方擁護と同じ。
同類。
誤魔化すことが目的。
国譲りも神武東征も実際に起きたんだと思う。
ただし古墳時代に入ってからの簒奪・王朝交代劇として。
その程度のことなら、これといった考古学的痕跡を残さなくても不思議はない。
830 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:46:46.19 ID:W5RbU4ya0
>829
神武東征は
地名が弥生時代(2世紀?)の海岸線に一致し、
それを7世紀の記紀編者が
伝承に拠らずに再現できるとは思われない事から
弥生時代からの伝承と推定される。
九州はそれらしき古墳を持ってこい
議論はそれからだ(´・ω・`)
832 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:47:37.76 ID:GTDj5WaVO
AパートとBパートに分かれてるんだろうか
Aパートで
狗奴国が原初邪馬台国を倒して乗っ取る
Bパートで
ナガスネヒコの畿内国を後継する際に狗奴国が我こそは邪馬台国であると
Aパートが神武の血統の由来で
Bパートが実際の応神の畿内入りのことではないかな
確かに神武の東遷が怪しいって言いたいのわかるよ
時系列に無理あるんだよな
武内宿禰が本来の神武の血統が担当してた軍事顧問の一族じゃなかろうか
833 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 21:49:12.63 ID:W5RbU4ya0
久留米の高良山の中腹の墳墓跡なんか
時期と規模が卑弥呼の墓の記録と
一致するらしいね。
それか宇佐神宮の裏山とか。
>>826 四国説もありうると思うよ
倭の地を参問するに海中洲島の上に絶在し、あるいは絶えあるいは連なり周施五千余里ばかりなり
とあるから大きな島だったように思える
つまり九州か四国もしくは沖縄か
しかし南に水行10日陸行一月とあるから海からかなり離れたところに邪馬台国はあったはずなので
沖縄ではないだろう
やはり九州もしくは四国だと思う
ただ四国は距離的に離れすぎてるのが疑問ではある
835 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:08:53.77 ID:viGw6aln0
・その後の朝廷・天皇家が奈良拠点
・邪馬台=やまと=奈良の国名に合致 (特に変化しにくい子音が完全一致は大きい)
・奈良のやまとの表記が大和=大倭
これだけ材料が揃ってるからなあ。
836 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:13:02.18 ID:OSj7v17v0
四国説は「水銀」に関してはパーフェクトなんだけどなあ。
837 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:16:58.32 ID:GTDj5WaVO
ヤマトなんて本来は山戸だろうけど
何で畿内だけが国号としてここまで拘ったかのほうが興味あるな
岩戸とか港とかの類いだからな
>>835 ただ、「山門」なら筑後にもあるし、他にも「やまと」と呼ばれた場所はあったかも知れない。
邪馬台国よりはるか前
周とか前漢の頃に使者を送った勢力がどこなのかって方が興味あるな
黒歯国が沖縄で扶桑国が九州か四国
ならその時点での倭はどこなんだろうなと
840 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:26:06.17 ID:TXtbVVMZ0
841 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:26:40.72 ID:OSj7v17v0
邪馬台国は八女壹国か
http://www.geocities.jp/kounmee/sonota/yamataikoku.htm 話はずいぶんとそれるが、私はこの八女の磐井が例の魏志倭人伝に出てくる、
邪馬壹国の女王「卑弥呼」の末裔のような気がしてならない。というのは
八女と邪馬の音が似ているし、宋書の倭国傳に見える倭の五王が、八女王朝
の王たちではないかと思えるからだ。
また百済本記に531年『日本の天皇及び太子・皇子共に死亡した』とある
らしいが、この時期に大和王家の一族が死んだという記録はないという。
所が筑紫の君磐井が死亡したとされるのが、その三年前の528年というから、
関連性が強いように思えるのだ。
王たちは博多で朝鮮や魏と外交を行い、八女に近い有明海から大陸と商い
を通じていたのではないか。巨大な吉野ヶ里遺跡の発見と言い、古田武彦氏
の邪馬台国九州説に耳を傾けたい。
通称魏志倭人伝なる書き物は、晋の陳寿(233-297)が西暦280年頃に
書いた「三国志」の中の、魏書東夷の条の倭についての記述である。
>>837,
>>838 平野から谷筋に入る境界部分は、開拓稲作民にとっての聖地だもんな。
「常陸国風土記」だっけ、野と山との境界で神と人とが争った話があるよね。
843 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:29:40.22 ID:W5RbU4ya0
>839
周代の朝貢記録は
「はるばると大海を渡り」
といった修飾が全く無いので
海洋民族「倭」は当時は大陸に拠点を持っていた
と考えられる。
倭人が「自謂太伯之後」としたのも
かつて大陸の呉の領域に居たことを伺わせる。
844 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:30:15.75 ID:TXtbVVMZ0
隋書にはっきり魏志のヤマト国から使者ありって
書かれてるのに何を疑問に思う必要があるの?
九州説なんて本居宣長がわが国の天朝が中国に朝貢してたわけない
ってネトウヨ的な発想から妄想しただけだろ。
846 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:33:55.18 ID:viGw6aln0
>>838 それは否定しないけど、その後国名になったのは奈良だけだからなあ
847 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:35:40.33 ID:W5RbU4ya0
>845
九州王朝説は、
遣隋使小野妹子を派遣するまでは九州王朝から、
小野妹子が帰るあたりから
近畿勢力に列島の覇権が移った、
としている。
>>845 邪馬台国国の正統な後継者であると自称していただけかもよ。
箔を付ける為にね。
>>843 そっちの「倭」は、たぶん揚子江下流域にいた「倭族」だよね。
高床家屋と稲作文化を持った人らで、彼らのうち北に移動して
山東半島から朝鮮半島に至ったのが東夷だと。
鳥越憲三郎「古代中国と倭族」(中公新書)
850 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:42:05.81 ID:GTDj5WaVO
逆に隋書だと阿蘇山に言及してるな
もはや死語の九州王朝節
>>7 ひこみ (´・ω・`) 君はひこみちゃんだね
853 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:44:37.94 ID:FIvnVEK/0
どうせ全滅にするから場所は問題じゃない
854 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:45:11.04 ID:OSj7v17v0
なぜ磐井が反乱を起こしたのか?そして滅ぼされたのか?
と考えると八女が正当な邪馬台国の後継者だったと考えるのも面白いね。
855 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:45:17.40 ID:kip/+c4K0
856 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:49:18.22 ID:kip/+c4K0
近畿説はネタ。
ただ「纒向は凄いんだぞー」と言っているだけ。他に何も言っていない。
そりゃ邪馬台国論争にすらなって無い。
近畿説は小保方擁護と同類。
857 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:51:32.05 ID:GTDj5WaVO
煽り節こそ少ないのは
今、小保方擁護に忙しいからか
やっぱりネットの煽り節は連中だったのか
>>854 俺はまさに邪馬台国は八女説。
「水行」とは「渡海」でも「河遡」でもなく、沖積平野下流域の沼沢地の行程だと
考えればすべてうまく収まる。形成途上だった当時の筑後平野下流域は、
メコンデルタみたいな風景だったのだ。
859 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:54:35.97 ID:W5RbU4ya0
>849
そっちのも糞もないんだよ。
大陸では史書は権力の正当性を示すため権力側が編纂する絶対的なもので
科挙の合格者なら全文をそらんじているくらい
細部まで徹底的に吟味されている。
そこで注釈なしに「倭」と繰り返し出て来るなら
その「倭」は
どこに出て来るのもすべて同じ対象なんだよ。
さもなければ「あの倭と同じ字だが別種」とか何とか
必ず注釈がつく。
860 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/12(土) 22:55:47.88 ID:GuiNjxOn0
862 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:59:13.49 ID:OSj7v17v0
>>858 それにしても現代の八女・広川近辺の衰退は著しい。
863 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 22:59:55.56 ID:W5RbU4ya0
>860
神武東征は吉備に兵力を出してもらってる。
その後は崇神天皇のころまで
奈良盆地でくすぶってたようなので、
九州の影響は大将の血筋いがいあまり無い
でもおk。
>>859 いや、だからおまいも
>>843で
>倭人が「自謂太伯之後」としたのも
>かつて大陸の呉の領域に居たことを伺わせる。
って書いてるじゃん。中原政府もそう認識していたわけだし、
鳥越説もそれを前提にしているわけで。
865 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:05:02.09 ID:viGw6aln0
>>860 今の東京式は(昔の)京阪式アクセントが変化したものだってのは既に知られている事実だしな。
もともとの東国方言って茨城とかの言葉。これは京阪式よりもっと前に分岐した言葉。
(東京式から見れば京阪式は兄弟で、茨城とかのネイティブ東国方言は親戚の家の子)
同じ関東でも京阪式の系統である東京式が混じってるのは、中央からの移住者の影響。
同様にもし、九州にあった政権が奈良に移転したのなら、奈良だけ九州と同じ方言がないとオカシイね。
866 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:05:40.38 ID:kip/+c4K0
邪馬台国は御井。卑弥呼の墓は祇園山古墳。
他に可能性は無いし、またこれで全て説明できる。
魏志倭人伝の記述とも合う。
纏向はニギハヤヒの祖先が作った都市。
神武が故郷を捨てて憧れて行った土地なのだから、壮麗な都市なのは
当たり前なのであって、そんなもん邪馬台国である証拠になど全くならない。
結局「イヨ」なの「トヨ」なの「タイヨ」なの?
868 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:08:33.79 ID:O0yh1FkD0
・大阪城の蛸石とかすげーデカイけど、
どっかの古墳で使ってたやつを持って来たんじゃないかと。
・奈良の酒船石とかあるけど、あれはある時期の星座の配置をかたどったものなんじゃないかと。
この二つの説って、言われたことある?
>>862 皮肉なことに、田舎では重要な遺跡は見つからないんだよね。
遺跡の発見は開発の副産物だから。
前に住んでた上越市では、縄文・弥生遺跡の位置をプロットした地図を
見ると、遺跡は見事に高速道路と新幹線に沿って並んでいるw
>>866 祇園山古墳、確かに規模はそこそこあるねえ
神籠石もすごい大規模な石組みなので、興味を持たれたら説の補強にどうぞ
871 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:10:31.47 ID:W5RbU4ya0
>纏向はニギハヤヒの祖先
ニギハヤヒは天孫族だろ。
物部氏の祖先が作った宗教施設と思われ。
纏向は生活臭が稀薄で、都市とは思われない。
872 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:15:07.18 ID:W5RbU4ya0
卑弥呼の墓は「径百余歩」の「冢(円墳)」 。
祇園山古墳は東西約25m、南北24mの「方墳」。
径百余歩=60mくらいか? 規模も足りないような。
873 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:15:47.05 ID:kip/+c4K0
邪馬台はヤマトと読む。山門が由来。
邪馬台国は山門で興り、卑弥呼の時代に御井に移った。
卑弥呼の後、朝倉地方に移り(安本美典が言う邪馬台国)、さらに最後は太宰府(倭京)に
移り、奴国と融合し、滅んだ。
近畿ヤマト政権と邪馬台国は無関係。邪馬台国はヤマトの名前とカリスマを近畿に移植した後、滅んだ。
神武東征は記紀の捏造。記紀は神武東征の捏造をやるために書かれたもの。
だから焚書が行われたのだ。
神武は東征したのではなく、近畿ヤマト政権から招かれた雇われ店長。
これで全てが矛盾なく説明できる。
874 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/12(土) 23:17:31.76 ID:GuiNjxOn0
>>865 それ明治時代に捏造された単一民族論の副産物だろ
875 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:19:59.47 ID:OSj7v17v0
>>869 九州に住んでいると、食、レジャー、全てにおいて完結していて、関門海峡を越える気には
ならないんだよね。九州自体がひとつの国のような感覚。それこそが畿内勢力に滅ぼされた
遠因ではないかと思いたくもなる。
876 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:20:45.79 ID:kip/+c4K0
神武はカムヤマトイワレヒコと呼ばれる。
カム(神)は井沢の説でよい。王朝の始祖と言う意味。
イワレはそのまま。謂れのこと。ヒコは王。
神武は、近畿がヤマトと呼ばれるようになった謂れの王であり、王朝の始祖である、という意味。
877 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:20:58.36 ID:W5RbU4ya0
>873
い、いみふめー.....
オマエダイジョウブカ?
878 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:21:41.00 ID:viGw6aln0
>>874 言語学的な常識だよ。
東京式アクセントでは通常区別のない「花」と「鼻」が、
「鼻が赤い」「花が赤い」のように助詞をつけると、助詞のアクセントに違いが生じる。
この隠れたアクセントの違いは京阪式アクセントと100%対応する。
879 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) @転載禁止:2014/04/12(土) 23:24:14.54 ID:gVQgTgxF0
>>876 わざわざ謂われがあるって主張しないとならないって怪しいだろが
王位の纂脱者に有りがちなんだよこういうのは
880 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:24:37.54 ID:kip/+c4K0
新唐書
あるいは、日本は小国で、倭に併合された故に、その号を冒すともいう。使者には情実がない故にこれを疑う。
これが今言ったこと。
日本は近畿ヤマト政権のことであり、倭が九州王朝(邪馬台国)のこと。
倭に併合されたとは神武東征のことであり、「使者には情実がない故にこれを疑う。」とは
それが作り話しであることを中国は見抜いていたと言うこと。
号を冒す、の号とは「ヤマト」のこと。
881 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:24:48.26 ID:GTDj5WaVO
そういや奈良県のサンクスは全てローソンに国譲りするそうだな
今も昔も似たようなことあんだよ
御井も祇園山も奈良も海から遠いんだよなー
海っぷちにあったら、いつかの地震で津波にでもやられてんのかなー
883 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:28:45.93 ID:W5RbU4ya0
>882
「ヤマ」タイコクだしw
884 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:30:05.17 ID:JJHnBVT20
>>13 九州弁だからしかたないんじゃないの。
中国人「あんたのお国の名は」
九州人「やまとたい」
中国人「ふむふむ。めもめも。やまたい、と」
九州人「だからやまとたい!」
中国人「やっぱり、やまたい、と」
というやり取りがあったことは、想像に難くない。
大宰府や出島から考えても
九州伊都国が外交の場所
伊都国は女王国に仕える国
たぶん卑弥呼が亡くなったアトの
男王が伊都国の王だろ
祇園山古墳は女王国に仕える王の墓(´・ω・`)
886 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:32:50.62 ID:kip/+c4K0
旧唐書
あるいは日本は昔、小国だったが倭国の地を併せたという。
新唐書
あるいは、日本は小国で、倭に併合された故(逆になっている)に、その号を冒すともいう。
使者には情実がない故にこれを疑う。
これも疑問が氷解するだろう。
神武は雇われ店長であって、東征などしておらず、実際は近畿ヤマト政権が九州王朝を
併合したわけだ。だから、旧唐書では「日本が倭を併せた」となっている。
新唐書は近畿ヤマト政権が捏造した神武東征を取り入れ、かつ「疑わしい」と評価している。(現にウソだ。)
このように、神武雇われ店長説なら、疑問がするすると解けていく。
888 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:37:48.81 ID:OSj7v17v0
方言というのは、昔の京言葉(都言葉)で、同心円状に伝搬していくもの。
なので古い京言葉は、鹿児島や東北に残っているという説もある。
但し、鹿児島は関ヶ原で負けて、スパイを恐れたため極度に方言の変更を
行ったとされているが。
>>875 言われて見れば、筑紫の磐井の「筑紫」って九州全部を指す
呼称でもあるよね。
磐井さん本人の意思はわからんけど、ヤマト王権が九州の他の地域から
追討軍を徴収した記述がないあたり、「磐井の乱=九州王朝との戦争」という
認識だったのかも知れん。
一方の四国は、阿波は阿波だし伊予は伊予で、四国全体を包括する
呼称は無いんだよね。
890 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:40:18.51 ID:kip/+c4K0
魏志倭人伝は伊都国を起点とする放射読みをする。
伊都国を起点とする放射読みをする根拠は
東南陸行五百里、到伊都國・・・・
郡使往來常所駐。
東南に陸行すること五百里、伊都国に到る。郡使の往来では常にここに駐留する。
これ。駐留したとあるのだから、そこを起点に放射読みするのは当たり前w
(到と至がうんたらはかんたらはデタラメな説wそんな使い分けをした例は無い)
水行十日陸行一月は水行十日陸行一日の写し間違い。
この根拠は、
1 そもそも陸行一月は物理的に不可能。当時は橋がろくに無いから、一月間陸行できる土地がそもそも日本に無い。
2 魏志倭人伝をほぼパクったと思われる梁書では「水行十日陸行一月日」と
なっている。
これで全て分かる。不弥(humi)国は宇美(wumi)であり、投馬(tuma)国は西都原の妻。
邪馬台国は御井。方向も距離もピッタリだ。
>>884 ちなみに、その使者が邪馬台国の南のはずれに来たとき、
「こっち来んな!」と言われたのが狗奴国。
892 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:44:14.46 ID:kip/+c4K0
隋書
その国書に曰く「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」云々。
帝はこれを見て悦ばず。鴻臚卿が曰く「蛮夷の書に無礼あり。再び聞くことなかれ」と。
これも従来は中国の皇帝と日本の天皇を同格においたから煬帝が起こったという
説など他にもいろいろあるが、全部間違い。
煬帝が怒ったのは、あ誰か来た
893 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:47:13.26 ID:OSj7v17v0
>>889 滅ぼされたか取りこまれていったのかは分からないけど・・・。
中世の博多とか、戦国の大友、竜造寺、島津の動きを見ても、
少し日本の中央からかけ離れたダイナミックさを感じる事が
多々あります。
894 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/12(土) 23:47:53.71 ID:GuiNjxOn0
>>878>>865 言語学の通説自体が明治時代の単一民族論に歪められている
>京阪式アクセントが変化したもの
「変化」とか曖昧な表現を使ってお茶を濁しているが、要するに異言語接触によるクレオール化だろ
895 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:48:02.73 ID:qvjbCzCM0
神武は天皇家の伝承を集めただけだろうけど、何となくニュアンスは残ってるよね。
それは吉備にかなり長く滞在している点。
これは崇神のときに吉備式の古墳が、突然爆発的に増えたことでもわかる。
つまり、天皇家は吉備から畿内に入り政権を簒奪したわけだと。
>>890 歴史を古代人をバカにしてるのがよく分かる文章ですね
古代も今とそう変わらない(´・ω・`)
897 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:51:29.89 ID:W5RbU4ya0
>890
対馬→壱大→末羅
が
一千里、一千里
なので
1里は75〜80m。
従って
「一万二千里」
「水行十日陸行一月」
が
900km程度
で
ほぼ矛盾なくおさまる、
つまり
どちらも全行程
で
ほぼ間違いない。
898 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:53:29.49 ID:viGw6aln0
>>894 クレオール化でこのような深層的かつ画一的な変化は起こらない。
899 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:55:27.79 ID:NsVSLGfR0
>>890 >魏志倭人伝をほぼパクったと思われる梁書では「水行十日陸行一月日」と
>なっている。
>水行十日陸行一月日
>陸行一月日
>水行十日陸行一月は水行十日陸行一日の写し間違い。
>水行十日陸行一日
>陸行一日
梁書の「月」はどこにいったんだ?w
900 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/12(土) 23:57:51.45 ID:kip/+c4K0
>>897 違う。
>>890で良い。
邪馬台国は御井。
卑弥呼の墓は祇園山古墳。
だって他に無い。
単里制だから、径百余歩も祇園山古墳でピッタリ。
また卑弥呼の墓の形はありふれたものでなくてはならない。
そうでなければ魏志倭人伝と記述が合わない。
卑弥呼の墓は前方後円墳などでは絶対に無い。
それなら確実に墓の形について記載があったハズと断言できる。
前方後円墳は中国人の目には非常に奇妙な墓の形に写ったハズだから。
901 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:00:45.93 ID:kip/+c4K0
百人余りの殉葬があり、時代も合う。
しかも、九州で最初期の大型古墳だ。
これより前にこれほどの大型古墳は、少なくとも九州には無い。
祇園山古墳で何もかもピッタリ合う。
902 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:02:54.45 ID:kip/+c4K0
作り話より、本当の話のほうが何倍もおもしろいんだよ、みんな。
903 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/13(日) 00:03:31.27 ID:GuiNjxOn0
東京式()は京阪式の出来損ないなのに京阪式を兄弟と呼ぶところに関東人の厚かましさを感じる
904 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:05:25.10 ID:kDqyvu9k0
>卑弥呼の墓は祇園山古墳。
だって他に無い。
単なる思い込みだよ。
>それなら確実に墓の形について記載があったハズと断言できる。
箸墓を円墳で表した江戸時代の絵図も残ってるんだよ。
前方後円墳なんて呼称はごく最近の物だから。
905 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:05:26.66 ID:W5RbU4ya0
>902
それは認めるが、
みんなキミの連投で引きまくっている。
>>900 主張ははっきりしてるから、連投よりもブログにまとめるといいかも知れない
>>887 その6年後に南海トラフが動いて、東南海もやられたらしい
古墳は祇園山古墳と仮定するとして、ではなんで邪馬台国を御井と思うの?その根拠も。
それと、御井とは具体的にどこからどこまでなのかも
909 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:14:26.40 ID:MnS2LR5N0
七万戸の国が北部九州に収まる事はとても考えられないけどね。
考古学的には年代云々じゃない、あり得ない事だからな。
いい加減九州から離れた方がいいぞ。
>.908
横からすまんが、「ミイ」という地名は興味深いよね。
魏志倭人伝の登場人物の大半は「ミ」さんか「ミミ」さんなのだ。
結局魏志倭人伝の記述が全て完璧に当てはまる場所なんて無いんじゃ!
魏人め!適当ぶっこきやがって!
と言う気分になってきた
912 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:20:46.00 ID:9a1JAcCpO
中国の白髪三千丈は昔からだから
>>909 当時の機内(というか奈良平野)にも、それだけの生産力があったようにも思えないんだが…。
>>911 矛盾無く完璧に当てはまるのは阿波です(´・ω・`)
915 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:26:39.98 ID:MnS2LR5N0
>>913 同一文化圏の淡路島周辺+河内平野+大和盆地でよい話。
巻向で海魚の骨の沢山でるのはそういう事だ。
それに御井と言えば淡路島だろ、モモソ母の宮がここにあるの忘れるなよ。
916 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:30:17.07 ID:HUULOWTv0
四国、徳島のような山岳地帯に水の確保も難しい古代において国家が在ったと思うの?
だから北九州と畿内合わせてだよ
卑弥呼が九州からやってきた侵略者で朝鮮勢力を味方にし帝の始祖と仮定すれば
全て辻褄が合う
918 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:31:30.14 ID:MnS2LR5N0
>>913 畿内も瀬戸内と同じで南北が山で挟まれ天候は一年都通して安定してるし
その上で瀬戸内と違い天然のダム湖である琵琶湖を有し、
渇水の心配が少ないからこの当時の農業生産力は日本のどこよりも強力なような
920 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:35:33.51 ID:5rIACUwo0
>>918 その通りそして奈良にも紀ノ川(吉野川)が
近畿と阿波の地名が一致しすぎる
(´・ω・`)
>>921 ニューヨークみたいなもんじゃない?
千葉あたりにも、紀伊と同じ地名がたくさんあるけど、
紀伊から移って来た人達がつけたとか何とか
923 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:41:42.61 ID:MnS2LR5N0
北部九州は伊都所在地で奴国の大半を占める。
なので100%邪馬台国ではないよ。
>>920 大和二上山はサファイヤ(蒼玉)の産地でもあるからな。
阿波の水銀朱は後に大和宇陀の水銀朱に採掘場所が移る。
これで阿波から大和へ都が移る理由も説明できるだろ。
九州説なんて既に終わってるんだよ。
924 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:44:07.82 ID:9a1JAcCpO
ナガスネヒコは卑弥呼とか知らないだろうな
この当時だと安定してる平地は京都奈良近江盆地ぐらいだろ
筑紫平野、濃尾平野、大阪平野の大半は海か干潟だった
関東平野なんて千葉島がある状態だったし
927 :
空山車の鵜 ◆j/LLggzims @転載禁止:2014/04/13(日) 00:46:15.72 ID:zhvqDDAB0
ちょっとトリップだけつけとこう。
まだまだおもしろい話があるけど、またいつかね。
>>915 たしかにイザナギは淡路出身の神だし、淡路−畿内の交流はあったと思う。
だけど海を隔てた地域を一緒くたに「7万戸」はないだろと。
>>919 雨の大半は紀伊山地に落ちるから、その水の出口である「ヤマト」を押さえることが
権力の機能だったということだよね。純粋な生産力については、近世以降のダムなり
溜池なりの施設があってこそのものだという気がする。
929 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:47:00.78 ID:JfpF7+MR0
卑弥呼とか邪馬台国って何なん?
中国の古い本にたった1回名前が出てくるだけなんだろ?
それ以外何もわからなくて古事記にも日本書紀にも出てこない。
そんな奴を学校の授業で覚えさせる必要はない。
930 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:47:04.70 ID:KRjZEcit0
931 :
空山車の鵜 ◆j/LLggzims @転載禁止:2014/04/13(日) 00:49:08.56 ID:zhvqDDAB0
失敗した。日付変わってたのねorz
ID:kip/+c4K0=ID:zhvqDDAB0ね。
932 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:49:29.62 ID:Dg2ynVGO0
>>911 逆に考えるんだ!!
日本列島が移動したんだよ!!
モモソ姫の関係や古墳への影響とか考えると阿波讃岐淡路ってのはやっぱり大きいんだよなあ
吉備ももちろんそうだが
初期ヤマトは淡路島から半径100キロの豪族連合だな
934 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:51:22.97 ID:MnS2LR5N0
>>928 >淡路−畿内の交流はあったと思う。
だけど海を隔てた地域を一緒くたに「7万戸」はないだろと。
海人の国なんだから別に不思議ではない。
それに奈良県に海がない、なんてのも勝手な思い込みだろ。
当時は亀の瀬、生駒越えたらすぐ海だよ。
大体モモソ姫は淡路島どころか、若い頃は讃岐で過ごしてる訳だしな。
>>923 で、そっちを立てると、こっちが立たないと(´・ω・`)鯨面獣身とか
そもそもどっかが間違ってなきゃ、ムー大陸になっちゃうしな(´・ω・`)
>>932 ナ、ナンダッテー!そうだったのかー!
936 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:52:58.74 ID:HUULOWTv0
もしかしたら、魏志倭人伝自体が魏の創作じゃないの?
邪馬台国は無かった。というオチ?
937 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 00:53:04.95 ID:9a1JAcCpO
記紀の神武は嘘っぱちだ
けどヤマト王権の始祖です
倭人伝なんて中国人のデタラメだ
けど邪馬台国は畿内です
よくわからんな
この畿内派の拘りかた
>>920 青い玉がよく分からないけど
献上した織物がアラタエと同じものかと
>>922 阿波から移って・・・
邪馬台国は阿波に間違いない(´・ω・`)
>>929 大和朝廷の元だよ
そこで暗黒なことしてるからうやむやにする為
敢えて混乱させた歴史認識をばら蒔いてるのよ
>>937 神武を始祖としてる畿内説はあまり見ないなあ
崇神ならわかるが
倭人伝通りだと九州の南方海上になるんだが
デタラメじゃないなら海上国家になるのか?
>>934 河内湖の時代の事なら、すぐでもない
>>938 サファイアの事らしい
てかどんどん阿波に洗脳されてきたw
942 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:03:17.91 ID:HUULOWTv0
阿蘇山と阿蘇神社の壮大さ、やっぱ邪馬台国は九州でしょ。
943 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:04:08.33 ID:zhvqDDAB0
みんな、煬帝が怒ったのはなぜだと思う?
従来言われている説は全部間違いね。
隋書はおもしろいよホント。
>>880>>886がヒントだけどね。
日本は二重国家だったわけな。だから煬帝は「此太無義理。」と怒ったわけね。
「日出ずる處の天子、書を日沒する處の天子に致す。恙なきや」云々に怒ったのも同じ理由だよ。
倭王に怒ったわけな。二重国家とかそんなバカな話があるか、お前がシャンとして日本を統合して治めんかい
と怒ったわけね。
隋書
開皇二十年(600年)、倭王、姓は阿毎、字は多利思比孤、号は阿輩?彌、遣使を王宮に詣でさせる。
上(天子)は所司に、そこの風俗を尋ねさせた。
使者が言うには、
倭王は天を以て兄となし、日を以て弟となす、天が未だ明けない時、出でて聴政し、
結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。
高祖が曰く「これはとても道理ではない」。ここに於いて訓令でこれを改めさせる。
天とは邪馬台国のこと。日とは日本=日出ずる處のこと。
倭王とは奴国王のこと。阿毎多利思比孤(アメタラシヒコ=天垂らし(任命した)ヒコ(王))。
これは天=高天原=邪馬台国が任命し、天=高天原=邪馬台国に代わって倭国を治める王という意味。
>天が未だ明けない時、出でて聴政し、結跏趺坐し、
これは実権を持っていないということ。
>日が昇れば、すなわち政務を停め、我が弟に委ねるという。
実際の政務は弟=日本=近畿ヤマト政権が行っていたという意味。
そして煬帝はこれに怒った。「日本=近畿ヤマト政権など認めていない。倭国の代表はお前阿毎多利思比孤だ、
しゃんとせー。それじゃ二重国家だろが。聞いたことねーやそんなのアホ」と煬帝は怒ったわけな。
>>934 記述したのは倭人じゃなくて魏の人じゃんか。
女王国の中で渡海した記述はないんだから、「海を隔てた複数の地域で構成されていました」と
考えるのは難しいと思う。
日本(というかヤマト王権)が海人の国か、というのも微妙な気がする。
もちろん日向三代から海の民と交わってきたけど、天孫族の本質は稲作農家だと思うのよ。
だから海に近づいた「河内王朝」が異質に見える。
945 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:06:27.27 ID:9a1JAcCpO
>>940 神武と崇神を同一視ではなく
もう最初から神武はいない架空というとことですか
それでも結構ですけど
阿波踊りは卑弥呼を天岩戸から誘い出した踊り
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
947 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:09:51.25 ID:zhvqDDAB0
ここで煬帝が送った訓令が、例の有名な小野妹子が紛失したという近畿の天皇宛の国書。
実際は国書ではなく、訓令書だった。
そしてその内容は当然「お前を倭国の代表とは認めない」という最悪の内容だった。
だから、小野妹子は推古天皇と相談した上で、紛失したことにした。
それから近畿ヤマト政権宛に送られたとされる「倭皇」宛の国書は、九州の倭王に宛てた
もので、それを小野妹子がなんらかの方法で盗みとって「倭王」と書かれてあったものを
「倭皇」に改竄して推古天皇に見せた。これが日本書紀に載ったわけね。
948 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:12:15.21 ID:9a1JAcCpO
>>943 聖徳太子=アマタリシヒコ
これが混乱の元だよな
ここでも聖徳太子なる神話的な人物の挿話がある
949 :
空山車の鵜 ◆j/LLggzims @転載禁止:2014/04/13(日) 01:15:40.61 ID:zhvqDDAB0
近畿説なんてダメだよ。全然ダメね。
小保方擁護と同類だよ。まるでアホ話しね。
九州説で良い。後、神武東征は記紀の捏造。
神武は九州王朝からハイヤーされた雇われ店長。
これで古代史はほぼ全部説明出来る。
馬がいなかったのに邪馬台国と呼ぶ
徳がないのに徳島と呼ぶ
この異様な相違点からも
邪馬台国は阿波です(´・ω・`)
>>950 ちょw阿波さんwww
真面目に聞きたいけど、県内どこら辺だと思う?
阿波市か鳴門市か徳島市か小松島市か。美馬までは行かんと思うけど
952 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:21:41.86 ID:zhvqDDAB0
煬帝が怒ったのは、二重国家だから。
そんなケッタイな国家運営があるかバーカと怒ったんだよ。
隋書の最後の
裴世清が答えて曰く「皇帝のコは併せて二儀、恩恵は四海に流れ、
王を慕うを以て化し、故に使者を来たらしめ、ここに諭を宣す」。
これなんかもそう。
早く二重国家状態を解消し、倭国の正当な王朝である九州王朝がちゃんと
一元化して倭国全体を治めなさい、という説教をしたわけな。
皇帝の徳はお前(九州の倭国王)を仲介して四海に流れるんだから、
お前がシャンとしとらんと、皇帝の徳が流れていかんだろが、という意味。
いやもう『記・紀』の編纂者があまりにも壮大に無茶やっちゃってくれたおかげで
未だに邪馬台国にしろ日本の古代の詳細が闇のままだもんな
先月末に話題になった親拝にしても、そもそも周囲の反対押し切って強行した
伊勢神宮完成記念みたいだった持統天皇の親拝以降は明治まで1200年間も天皇の
御親拝無しだって、これどうなってんだ?
おまけに天孫族のプライドも無いのかその祭祀の仕方も倭人の海人族の剽窃とかさ
日本國の最秘の祭祀が大和の海人族のコピペとかもう日本國張りぼて過ぎだろ
>>951 阿波の場合、古代は海の地域が平野部の結構な部分占めてるから、
わりと内陸までいくような気がするね
956 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:29:56.96 ID:S/T4tQUf0
>>953 アマテラスは古来から土着日本人の間で広く信仰された太陽神で名をアマテラスと言ったかは不明
いずれにせよそれと天皇をくっ付ける必要があった
それが祟るとか超長期にわたって伊勢に行かないとか推して知れるものもあるかもな
三重は縄文的要素と渡来的要素の双方が強いところで良く分からないところ
>>955 そうなんだよね
しかも天然の要塞みたいな地形だしね
960 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:40:16.86 ID:9a1JAcCpO
トヨ系が蘇我だからだろうな
961 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:40:33.68 ID:HUULOWTv0
どうも九州説が有力なようだ
>>951 四国山脈が馬の背なんだろうとは思うけど
ドコなんだろね(´・ω・`)
やはり奈良だったか
964 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/13(日) 01:43:53.59 ID:LN8B3/XZ0
卑弥呼の居た当時はすでに稲作も始まっていたので邪馬台国は平野部に
あったのは間違いない。かなり広い平野部だったはず、だから徳島などは
ありえない。魏志倭人伝の国名も福岡市近郊の地名は一致しているが
その先の国名はどこにあるのか解明出来ていないので恐らく九州の平野部
だろう。とすると久留米市、もしくは宇佐近辺かも知れない。
965 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:45:31.66 ID:HUULOWTv0
久留米から鳥栖・佐賀へ向けてのだだっ広い平野を見ていると邪馬台国があったように思える。
>>964 筑後平野とする見方も可能ですね。福岡県最大の平野で
対蘇国(とす、佐賀県鳥栖市)と筑後川を隔てて隣り合っているというのも、一致します
すると、高良山に目が移って、高良山神籠石のような大規模な遺跡は一体なんだろうと思うわけです
968 :
空山車の鵜 ◆j/LLggzims @転載禁止:2014/04/13(日) 01:49:41.20 ID:zhvqDDAB0
天照大御神=卑弥呼+トヨ=鏡(太陽光を反射させて天を照らした)=邪馬台国(御井)
月読命=勾玉(これは月を模したもの)=奴国(博多)(博多は翡翠がとれた)
素戔嗚尊=剣=出雲
日本書紀で伊弉諾尊の左目から天照大御神が生まれ、右目から月読が生まれ、鼻から素戔嗚尊が
生まれたというのは、これは邪馬台国(御井)、奴国(博多)、出雲の地理的位置関係
と中国の盤古伝「盤古が死してその左眼が太陽に、右目が月になった」から作られた。
ただし、これだと「うつ伏せ」になってしまう。だから古事記では左目と右目が逆に
なって「仰向け」になっている。
月読命は「夜の食国を知らせ」と命ぜられるが、これがつまり、隋書の
倭王は・・・、天が未だ明けない時、出でて聴政し、
結跏趺坐(けっかふざ=座禅に於ける坐相)し、
に対応する。
月読命はなぜ三貴子とされながら、天照大御神や素戔嗚尊みたいに事蹟に乏しいかと
いうと、これも簡単で、神武が近畿に乞われて雇われ店長で近畿に行って、その
ときにこれらの神話も持ち込んだわけだが、神武が近畿へ行ったころはまだ
奴国は邪馬台国に監視されている状態で、ある種奴隷身分だから、まだ十分
活躍できていなかった、奴国の王が倭国王として活躍するのは、神武が近畿へ
行った後だったからだ、ということ。
969 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 01:51:14.12 ID:HUULOWTv0
高良山にある古墳は卑弥呼の墓というのは本当でしょうか?
>>966 どの説でも矛盾が出る
そして阿波忌部氏の存在がネックになる
一番矛盾が出ないのが
四国阿波説だっただけだもん(´・ω・`)
971 :
空山車の鵜 ◆j/LLggzims @転載禁止:2014/04/13(日) 01:51:56.40 ID:zhvqDDAB0
ね、古代史の謎がほぼ解けたでしょ?
>>968 御井に限定する理由をお聞かせください。なぜ、御井なんですか?
久留米方面だとするのは構いません、その中でなぜ御井に限定するのか。
>>964 帯方郡の使者は伊都国に駐在して、その近郊の情報はまあ正確だったが、それより遠く、
投馬国、邪馬台国、狗奴国については現地人からの聞き取りだったためあいまいで、
距離も里ではなく日数になっているという話。
975 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 02:09:12.60 ID:zhvqDDAB0
ひとまず、これで最後ね。
隋書
>翌年、上(天子)は文林郎の裴世清を使者として倭国に派遣した。
>百済を渡り、竹島に行き着き、南に○羅国を望み、都斯麻国を経て、
>遙か大海中に在り。また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、
>また東に秦王国に至る。そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。
>疑わしいが解明は不能である。また十余国を経て、海岸に達した。
>竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。
これ。秦王国とは何か?実は、これが近畿ヤマト政権のこと。
秦王とは秦河勝(はたのかわかつ)のこと。
>秦王国に至る。そこの人は華夏(中華)と同じ、以て夷洲となす。
とは、これは倭国の人間が言ったことで、近畿のヤマト政権があるけど
あれは田舎モノの作った国だ(以て夷洲となす)、と、この時すでに落ちぶれ
貴族に堕してしまっていた九州王朝の人間が、精一杯背伸びして言ったわけね。
あんなものはなんの正当性も無い、田舎者の国だ。秦河勝(秦王)の国だ。
という意味。ところが実際はとても大都会だった(そこの人は華夏(中華)と同じ)
だから、裴世清には意味が分からず、「疑わしいが解明は不能である。」と
書いたわけね。
参考
『新撰姓氏録』は弓月王やその子孫を「秦王(しんのきみ)」と記している。
たとえば、仁徳天皇の時に織物などを献上した秦氏にたいして、
天皇は「秦王の献れる糸、綿、絹帛は、朕服用(き)るに、柔軟にして、
温煖(あたたか)きこと肌膚(はだ)の如しとのたまふ。」と記す。
秦河勝は、聖徳太子のブレーンとして活躍し、
また、富裕な商人でもあり朝廷の財政に関わっていたといわれ、
その財力により平安京の造成、伊勢神宮の創建などに関わったという説もある。
村上天皇の日記には「大内裏は秦河勝の宅地跡に建っている」と記されている。
976 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 02:11:46.24 ID:zhvqDDAB0
>>972 あのね、読んでよ。せっかく一生懸命書いているのに。
他に無いからだよ。
卑弥呼の墓は御井の祇園山古墳以外考えられないの。
一番矛盾がないのが邪馬台国が半島にあった説
感情論抜きにして、一度読んで見るのも面白い
978 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 02:21:00.31 ID:zhvqDDAB0
もう大体分かったでしょ?
自分を偽るのはやめようね、みんな。
もうそんな時代じゃ無いよ。
>>976 卑弥呼の墓が御井だろうと決めるのは結構ですが、邪馬台国=御井という書き方はおかしい
もっと広い範囲が邪馬台国でしょう
>邪馬台国(御井)
こういう書き方は変だというわけです
980 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 02:26:52.50 ID:zhvqDDAB0
あと、ここに書いたことは正しいはずね。
全部上げるから、だれか論文に書いてちょ。
私は何の権利も主張する気はないことを、ここに明確に宣言します。
私は、真実に興味があります。真実が広まることが私の利益です。
小保方さんを信じるよとか、そんなのどうでもいいです。
時代遅れね。アホくさ。バカちゃうか。
981 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 02:29:02.16 ID:zhvqDDAB0
邪馬台国から千余里で倭種の国
冬も温暖、丹の山、海人も多い
帯方郡から距離12000里
どれも当てはまりませんが(´・ω・`)
邪馬台国をクシャン朝並みの大国に仕立て上げんとならんかった
理由があったわけだよ。それが司馬を立てんとならんかったことだよ。
しかし昔からわりと日本は人口多かったとおもうで。
おそらく、卑弥呼の時代で、500万人はいただろうな。
卑弥呼ならさっき円環のおことわりしてたよ
ここ見りゃよくわかるけど
九州説唱えてるのあhもはやバカしか残ってない
988 :
空山車の鵜 ◆j/LLggzims @転載禁止:2014/04/13(日) 03:18:20.57 ID:zhvqDDAB0
ちょっと思い出したんでもう一つだけ。
まだまだ言い足りないことがあるから、これで全部じゃないんだけど、一つだけ大事なこと。
神武東征は、もはや学会的には記紀の作り話ということで定説
になっているし、それで正しいわけだが、一つだけ気になることがある。
それは銅鐸の破壊の問題だ。
纒向などの遺跡を見る限り、九州地方の影響は殆ど見られない。
他の地域と同程度かそれよりマイナーなレベルでの影響しかなく、
これは「征服者としての神武」が作り話であることを強力に示してしている。
しかし一方で、銅鐸に関してだけは、これらが各地で破壊されていき、
葬り去られて行ったという事実がある。銅鐸は近畿文化の象徴の一つである。
これは一体なぜか?何を意味しているのか?
これも、非常な謎で、上手く説明する方法が無い。
ところが神武雇われ店長説でキレイに説明できる。と同時に、それ
以外では事実上説明が不可能だ。
銅鐸は、つまり近畿側(受け入れる側)が、自ら積極的に破壊
したのである。神武を受け入れるために。
「軽薄への情熱」というのがある。あれだ。
なぜかと言うと、もし神武側が武力でむりやり銅鐸を破壊したの
なら、それは日本各地で起こったことなのだから、強烈な恨みと
なって残った筈だ。ところが、その形跡が全く見られない。
銅鐸の存在はキレイサッパリと忘れ去られ、たまたま掘り出された
ものを人々が見ても、何に使うのか全く分からなくなってしまっていた。
これは、もし征服者によって無理やり破壊されたのなら、あり得ない現象である。
しかし、神武という冠を迎え入れるために、近畿側が自分で積極的に
破壊して行ったのだと考えれば、なんの不思議も無くなる。
989 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 03:20:40.62 ID:zhvqDDAB0
>>987 いやバカはお前だから安心していいよwwwww
990 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/13(日) 03:32:13.59 ID:LN8B3/XZ0
稲作文化が始まったら国力は米の収穫量に比例するので当然広大な平野部
がある地域が人口も多いので国力がある。しかも邪馬台国は南の狗奴国と
は敵対していたんだから日本全体を治めていた訳では無い、単に魏国と
交流があったというだけだから中国に最も近い九州にあったと考えるのが
自然だろう。
991 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 03:33:39.56 ID:zhvqDDAB0
自分を偽らないようにね。
学者が自分を偽ったら、学問は死に絶えまっせ。
>>987 九州説も宮崎、大分辺りなら
可能性としてないワケではないんだけどね
ただモノがないのよね(´・ω・`)
993 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/13(日) 03:53:24.36 ID:LN8B3/XZ0
宮崎も有望なんだが、金印が発見された北部九州のほうが有望だと
思う。
994 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/13(日) 04:02:09.60 ID:LN8B3/XZ0
993を書いた者だが金印は漢の国から奴国が授かった物だった。
魏国と勘違いしていた
もしかして九州説だと
卑弥呼は魏を後ろ盾にして
大和の天皇家に対抗した反逆者ってことになっちゃうの?
えぇぃ 頭が高い 控え控えおろう
この箸墓古墳が目に入らぬか!
まぁ時代が全て微妙だし距離は合わないけど
しかしモノはあるから畿内説はつよいよね(´・ω・`)
997 :
名無しさん@13周年@転載禁止@転載禁止:2014/04/13(日) 04:23:59.73 ID:LN8B3/XZ0
>>996 やはり言い伝え通り九州の強国が西方の小さな国を服従させて飛鳥に入り
最終的には大和朝廷になったんだと思うが邪馬台国は飛鳥以前の事じゃないか
すみません995ですがスレが終わりそうなのに
素人が荒れそうなことを書き込んでしまいました
近畿説でも中国の皇帝>>日本の天皇(王は皇帝の下)
という嫌な事実が残っちゃいますよね
まぁ九州説、近畿説どっちにしても
邪馬台国は阿波で最終決着したけどね(´・ω・`)
1000 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/13(日) 04:38:02.38 ID:jKLhqQPw0
>>876 イワレヒコのイワレは、奈良県桜井市磐余(いわれ)
じゃないの 入り婿後、その辺りに住まれたんでしょ
三輪にも近いし
三輪山頂の日向神社の祭神は、そのまま日向御子とあるよ
宮崎の日向あたりから出発されたんでしょ
1001 :
1001:
このスレッドは1000を超えました。
もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。