【歴史】 前田利家、佐々成政の古戦場 弾丸はタイ産鉛 金沢・切山城
1 :
百谷王 ★@転載禁止:
金沢市が国史跡指定を目指す「加越国境城郭群と古道」の調査で、
加賀の前田利家と越 中の佐々成政(さっさなりまさ)が戦った
切山(きりやま)城跡(同市桐山町)から出土 した火縄銃の弾丸が、
東南アジアのタイで産出した鉛で製造されたことが4日までに分か った。
タイ産鉛の出土は北陸で初めて。織田信長や豊臣秀吉が政権を握った織豊(しょく ほう)時代、
最盛期を迎えた南蛮貿易との関連を示す貴重な発掘資料で、
海外の物資を調 達して覇権を競った戦国武将のダイナミックな姿が浮かび上がった
切山城跡の弾丸は2011年11月、金沢市埋蔵文化財センターの発掘調査で出土した 。
市は国立歴史民俗博物館に弾丸の分析を依頼し、3月末発行の調査報告書に結果を掲載 した。
分析は「鉛同位体比法」と呼ばれる手法で行われ、質量がわずかに違う4種類の鉛の同 位体比が
世界各地の鉱山で異なることを利用して産地を調べた。
その結果、切山城跡で出 土した弾丸の鉛は、日本や朝鮮半島、
中国華北・華南のいずれの産地とも異なり、タイの ソントー鉱山で産出されたことが分かった。
国内でタイ産の鉛が出土した例は、キリシタン大名大友宗麟(おおともそうりん)の館 跡である
大友氏遺跡(大分市)の十字架や、島原の乱でキリシタンが立てこもった
原城跡 (長崎県南島原市)の弾丸など九州に多い。
近年では長(なが)篠(しの)の戦い古戦場 (愛知県新城市)や
駿府(すんぷ)城跡(静岡市)の弾丸でも確認されているが、北陸で は切山城跡が初めてとなった。
鉛同位体比法で東アジアの金属流通を研究する平尾良光別府大教授によると、
織豊時代 、中国に輸出する大量の銀を精錬するため国内産の鉛が消費された一方
、火縄銃の普及で 弾丸の需要が急激に高まり、
ポルトガル、イギリス、オランダなどの船で中国やタイの鉛 が輸入された。
>>2以下に続く
2 :
百谷王 ★@転載禁止:2014/04/05(土) 04:07:07.72 ID:???0
>>1 これのどこが速報性のあるニュースですか?>百谷王 ★
佐々さんの祖先?
ササじゃなくてサッサと読むんだぜ。豆な。
7 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 04:25:26.80 ID:v+cWYI6G0
山田長政より前だ罠
8 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 05:12:06.47 ID:Y/CuuKPe0
>>1 >海外の物資を調 達して覇権を競った戦国武将のダイナミックな姿
新聞記者は無知の極み。火薬の材料の硝石はほとんどが輸入品。
集めたのは、堺と博多の商人。武将は単なる消費者。
9 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 05:18:01.79 ID:SARvevgE0
>>8 キリシタンに改宗して、海外貿易に雄飛したという変な思い込みが
あるからねぇ
敵もタイサン
花慶に出てきた佐々成政はなかなか味のある男だった
12 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 05:23:05.49 ID:yNHXiCbXI
>長(なが)篠(しの)
長篠(ながしの)でいいじゃんか
13 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 05:35:13.28 ID:AH1rMSOJ0
利家とまつ
14 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 05:37:58.87 ID:2CDqgG910
唐行きさんを売って得た弾と弾薬。
15 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 05:40:26.56 ID:UJlYJrMs0
チンコつかまれるとションベン出す人?
前田利家は戦場から逃げた腰抜け。
しかも、信長に取り入って兄貴から家督を奪った。
姑息な所が嫌い。
この頃からグローバル化してたのか
佐々は太閤立志伝で勝手に秀吉をライバル視してイチャモンつけまくるクズだった
その子孫もクズだった
19 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 07:13:26.82 ID:eBSYvhQHi
だが、それがいい
20 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 07:37:12.78 ID:2QmoAjHjO
本家を出た慶次は最後は上杉景勝に取り立てられて関ヶ原の時には山形攻めに参戦
米沢に飛ばされた後は米沢で亡くなったと言われてるがな。
>>17 火薬に必要な硝石は日本ではほとんど採れなくて、
最初期から鉄砲火力は貿易によって支えられるものだったらしい。
貿易商の中には火薬材料一式に、合わせて輸入した弾丸も加えて、
鉄砲隊消耗品セットとして売ったケースもあったのかもな。
22 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 07:53:48.08 ID:JQ+u7HYX0
>長(なが)篠(しの)の戦い古戦場
信長の時代から使ってんのか。
独立の気風のあった堺商人の交易の範囲。
比べて今の経団連ときたら蛮人に恐れをなして他人の税金で生きてるだけ。
23 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 07:59:02.60 ID:1Ng6DjV+0
北陸の方だと硝石も生産してたような気がするが、この時代はどうだったんだっけ
24 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 08:02:33.04 ID:2QmoAjHjO
戊辰戦争の所だと官軍も賊軍も今のアフガニスタンみたいに各国の前装式と
後装式軍用小銃があふれたからそんなレベルじゃないはずだよな。
25 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 08:07:48.31 ID:49Pm10Km0
>>12 百舌鳥(もず)は、どう表記するんだろうね。
26 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 08:08:32.88 ID:lGAr8q4lO
>>23 飛騨の合掌作り家屋で有名になったあそこの陰の産業だろ硝石生産
あれは江戸時代だよね
(´・ω・`)
27 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 08:14:08.47 ID:76dwP7N0O
スレ違いだが
何で日本にはクロスボウが浸透しなかったのか気になる
28 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 08:28:26.95 ID:2QmoAjHjO
中国の三國志の時代には弩(クロスボウみたいやつ)は使ってたみたいだが、
仮に飛鳥時代に当時の新羅と唐あたりと戦争をやっていれば中国軍(唐軍)側で
使われてたかも知れんが、初の対外戦争の白村江の戦いじゃその記録もないんだよな。
それもそうだが中国でもヨーロッパでも使われてた投石器のような攻城兵器
も日本は使わなかったよな。櫓組んで登るとかはあったみたいだが。
29 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 08:30:14.67 ID:1Ng6DjV+0
30 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 08:31:14.31 ID:hKN6xRbw0
日本の戦争は同一民族で行われていたからで解決する問題が多い
弓は狙い撃ちができるからじゃないかな
燧石銃が出ても狙いやすい火縄銃だったし
山で狙撃されたらかなりきついと思う
32 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 08:44:14.77 ID:OaM0F1cT0
佐々成正は富山から厳冬の立山越えをして、浜松まで行ったおかしな人です、しかも往復で。
そのルート今でもあるのかしら?
>>28 日本でも律令の軍制で弩の装備は定められているぞ
武士の登場で姿を消したけど
弩は国家レベルで資源を投入しないと維持できない技術の塊だったからだと言われている
2000年ごろに日本の歴史を否定しつつ全て中国韓国由来であるように主張する流れが強まった時期があったが、
その頃に
種子島銃はその領主に手渡したのはポルトガル人だが、乗ってきた船は中国のものであった
という主張が強くなったんだよな
今でもそうなのかな?
またその時期に、もたらされた銃はその銃床の装飾から、タイなど東南アジアで作られたものであろう
という主張が多かったのだ
だがこれは逆で、その後に種子島銃が堺で量産された後で
それが海外に輸出され、そこに描かれた模様や彫刻を向こうで真似たというのが正解らしい
だがどっちが先かを見極めるのは本当に難しいw
まあ、当時の勘合貿易やら倭寇やらの行き来で、それが相互にもたらされて影響していったのだけは確かであり、
その流れに大航海時代のヨーロッパも無縁ではなかった、という説明しか出来ないな
台風という単語もこの時期に出来たとか、
あるいはもっと昔に、ライオン型の彫像が獅子やシーサーや狛犬などになったとか
山羊座の由来のパンの神(化けた姿がカプリコン)がインドでマカラという従来の空想上の怪獣と混同され
それが日本に来てしゃちほこになったとか
東西文化交流の話は面白い
その割に戦国期まで火薬兵器はなかなか普及しなかったな
湿度の高さがやはりネックか
中国だと宋の頃から対遊牧民戦争でガンガン使用されている
グレネードみたいな使われ方する震天雷とか
近世シナの科学力は異常(それでも遊牧民には負けるというのがアレだが)
36 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:17:54.33 ID:yMlzcwhk0
桐山町?どこ?
金沢市民だが知らん
鉄砲は威力も精度もあまりよくなかった。17世紀くらいまでは威力、射程距離で長弓に劣る。
高速で移動する騎馬を歩兵が撃滅するのは無理。
土木の変やサルフの戦いみたいに武装で勝っていても騎馬の機動力でやられてしまう。
城に篭って迎撃するしかない。
38 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:23:21.08 ID:K5uUAJmR0
鉄砲は(渡来直後はともかく)鎧を貫けるのと射程が長いのが有利に働いたと
弓は射程がそれよりは短い反面、連射しやすいから結局使いどころ次第だったと妄想
>>28 投石機は応仁の乱で一応記録あったような朧記憶
そういや武田の石つぶての部隊なんかも他国採用しなかったのかねぇ
鉄砲用の鉄だって輸入じゃなかったっけ?
40 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:28:42.72 ID:yORl2M8u0
>長(なが)篠(しの)の戦い
こういうルビの振り方、いい加減やめろ
読みづらいって何で気がつかないの?
ルビふらないと読めないような購読層なのかよ?
41 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:29:17.59 ID:yMlzcwhk0
初期の砲は野戦用では無くあくまで攻城兵器なんだが
>>37 高速って日本古来の駒ってそんな速度出るのか?
後、騎馬で突撃とかしてたら戦費が追いつかない気するが
そんなに日本は畜産の生産性が高かったのか?
京みたいな街を囲むタイプの城じゃないと投石機の効果は薄いんじゃないかな
山城に必死に投石してもしょうがないし
鉄砲用の鉄は刀と同じ鉄のはず
44 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:32:09.72 ID:yMlzcwhk0
>>38 普通にどこの軍でもやってた
当たり前すぎてあえて書くまでもないほど普通に戦法
戦国期の死者の10%は投石によるもの
45 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:33:32.39 ID:8xStlpkY0
ジャップには発明とか無いしw
古来、全て舶来便りで、それを猿マネするだけ
46 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:34:07.18 ID:Q0t+jukMO
おやっとさあーにゃん
(-_-;)y-~
なまり
47 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:35:44.56 ID:yORl2M8u0
>>45 お前の国じゃ、当時鉄砲の量産はおろか、鉄砲自体作れなかっただろ
>>42 銅像の騎馬武者姿は嘘
実際はポニーサイズの馬にまたがって
ドタドタと走ってた。
リアルに銅像にすると滑稽な姿になるのでしない。
49 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:41:06.40 ID:K5uUAJmR0
>>44 レスサンクス
ああ、なるほど当たり前すぎていちいち広言されてないってのは納得です
50 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:41:38.72 ID:9JUkoLKT0
>>17 縄文時代から黒曜石の輸出をしてたし
それ以後も水稲の輸入、律令制の輸入、絹の輸出
トルコ系、インド系などの移民もあり
豊臣が天下統一してまずしたことはフィリピンの宗主国であったスペインに
俺が日ノ本統一した秀吉だけど挨拶ねーの?って手紙出したことだし
日本がペリーによって開国したと思わされてるね
51 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:43:34.35 ID:H1d4z3EY0
水車も作れなかったのは有名な話。
52 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:44:03.22 ID:yORl2M8u0
>>48 まだこんなこと言ってる奴いるのか(プゲラw
鎌倉時代〜江戸時代に書かれた屏風を全部見てこいよw
こいつは曲木平九郎とか知らんだろうな
>>52 今もある愛宕神社の石段駆け上がった奴だろしってるは
銅像のは西洋馬がモデルだろ
違うか?
あれは木曽馬なのかw
AKBのおしっこで作った硝石でなら撃たれてもいい
55 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:53:33.70 ID:yORl2M8u0
>>53 前九年の役やら後三年の役やら、元寇やら
あれのどこがポニーなんだよ
世界中でポニーに乗ってた戦うのは日本人だけってか?w
スゲー自虐ww
ちなみに6世紀から既に日本は馬の輸入してるけどね
そんなことも知らんだろう
当時は糞尿を煮てそのまま浴びせてた
よかったな
57 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 09:56:57.92 ID:yORl2M8u0
これだから、日本だけポニー厨と話すのは嫌い
未だにそんなこと言ってて笑えるw
ちなみに6世紀から馬の輸入じゃなくて、馬の輸出入ね
戦国時代(笑)の1000年も前田
>>55 じゃ、どのくらいの大きさの馬だったのか?
馬の専門家らしいからお聞きしますが
59 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:00:05.75 ID:9JUkoLKT0
60 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:03:53.70 ID:yORl2M8u0
>>58 当時の屏風で表示されるくらい
あれが当時の普通レベルです
何度も言うけど、当時の屏風すべて見てから初めて聞いてください
ところでポニーの専門家に聞きますが、当時どれくらい小さかったの?
ポニー専門家としては答えるべきだよね
屏風にはポニーレベルの馬なんて表示されてない
>>32 意味わからんよなあいつ。冬の真っ白な立山を見上げて、改めてそう思った。
62 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:05:28.92 ID:K5uUAJmR0
>>57 んーでも、西洋風の重騎兵的な戦術どっかの合戦でやってたっけ?
基本人馬の体当たりによる運動エネルギーで敵陣地を潰すので騎馬隊自体も消耗品扱い
馬が相当数いないとできないと維持出来ないと思うんだわ
まあ騎兵の機動性生かしたのは一ノ谷の戦いって有名どころあるが
あれも義経に従ってたの70騎だけでしょ
西洋の戦術は弓騎兵に負けちゃう
64 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:07:44.49 ID:js4wxRFa0
>>27 奈良平安期に一応大陸から導入されたっぽいけど
大陸との交流が先細ったため廃れたそうな
65 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:07:44.83 ID:7klhPCW20
火縄銃や弾薬は高価だったんだろうなあ
ざっくり1丁1000万円、1発打つのに弾丸と硝薬で1000円ぐらいのイメージでいいんだろうか
いやもっと高いかな
信長みたいに3000丁も揃えるなんて、兵士の費用も考えると大金持ちしかできないな
66 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:09:23.63 ID:yORl2M8u0
>>62 日本だと騎馬は槍持ち、徒歩を従えるのが普通
ホークウッドなど有名な傭兵集団と戦法が似てる
誰が騎馬隊なんて言った?誰も言ってない
ナポレオン時代の人海戦術サーベル突撃の時代と勘違いしてないか?
こっちが聞きたいのが、なぜ当時の屏風にポニーがいないで、普通の馬がいるのか?だw
>>60 日本馬の大きさは検索して調べろ
俺はポニーの専門家ではない
銅像の馬の同じ比率の馬が存在してなんて考えられない。
屏風絵を全部見ろと言われても見られないだろ。
あなたは屏風絵の専門家でもあるらしいから
恐れ入るぜw
大阪夏の陣で戦国が終わり、戦が無くなり職業軍人はどうなったか?
海外へ活躍の場を求めた。東インド会社の傭兵の半分が一時期サムライだったとか。
競走馬のサラブレッドは肩高165〜180cm
農耕馬のペルシュロンは170cm800kg
重騎兵用だったシャイアーは183cmで800kg〜1t
こんなデカい馬だったら、ひよどり越えなんて出来ないよ
畠山の馬担ぎ降りも不可能だよwww
といっても当時の日本の馬でも300kgあったからそれを担いで降りるとか化けモンだな
71 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:18:51.10 ID:K5uUAJmR0
>>66 ああそりゃすまんかった
銅像の姿が誇大表示って人に屏風は正しく書かれてるって反論してるようですね
そりゃ実際の戦闘そのものには使われ無いとも主張なら見当違いでした
72 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:18:51.56 ID:2QmoAjHjO
当時身長170越すのもいれば、重量級の武将もいたわけだしなあ。
戦国大名や武将で長身ってあんまり聞かないよなあ。
秀頼でかすぎ問題
このスレの主役の前田もでかいぞw
74 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:20:39.30 ID:7klhPCW20
ケン・フォレットの「大聖堂」というイングランド中世を舞台にした小説なんかを見ると、
軍馬は体格も訓練も普通の馬とは全く別物だったらしい
重い騎馬武者を乗せて、危険な戦場を走らなきゃならないから当然ではある
日本でも同じ状況だったんじゃないかな
てか長篠にいちいちふりがな振る必要あるのか?
フツーの読みだろ?
駿府はやや難読ともいえるがこれも常識に近いだろ。
日本馬はちっちゃいとかいろいろ聞いてた時
屏風絵とかは日本人も小さいかっただろうから
だいたいこんな感じなのかなと深く考えなかった若かりし頃
時代が違うが南北朝時代の馬の骨が鎌倉の海岸で大量に発見されたが
平均身長は150ぐらいだったらしい
79 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:37:15.46 ID:yORl2M8u0
難癖付けられたので検索したら
>『源平盛衰記』には、武蔵武士が乗りかえ馬三騎と活動している様が
>記述されているが、和種馬が小型であり、大鎧(冑など含め、
>全重量30kg前後)といった重量のある甲冑を着用する武者を乗せた場合、
>体力が足りない為、長期的な合戦には数頭用意した為である。
>その為、騎射が全盛であった中世前期の武士は馬を数頭必要とした。
とあった。
調べてみると案外面白い。
81 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:40:39.67 ID:yORl2M8u0
>>80 モンゴル軍も複数の馬を交互に変えて乗ってますけど?
それも日本だけだと勘違いしちゃった?
>>33 弓を使える職業軍人(武士)が十分いたら不要だからじゃね?
ボウガンはかき集めた農民で使えるが
弓を使えるのは普段から訓練している職業軍人だけ
馬も同じく
ただし遊牧民は除く
戦国時代以降は鉄砲がそのポジションに収まった
サラブレッド並みの馬はほとんどいなかっただろう
前田vs佐々といえば、末森城の合戦(末森城の後ろまき)じゃないか?
>>79ポニーという言葉で動物公園の小さ過ぎる馬をイメージするからおかしいんだ
一般人なら肩高140cmの馬だってでかくて怖いと感じるぞ
>79が例示したウマって、肩高1mのシェトランドポニーレベルの超小型ウマじゃないか!
サラブレッドとか現代で目にする馬がでかいだけで
人も平均160pもないんだから、バランスは取れてる
88 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:51:22.89 ID:V6dEQCzZO
>>83 乗る人間も小さいから問題ない。
屏風絵のヤツにしても当時の日本人の身長考えたらおかしくないと思うが。肩長130cmの馬に身長150cm位の人間が乗ったらあんなもんじゃね?
調べてみたら鎌倉の海岸で発掘された馬の平均身長は130から140ぐらい
当時の成人男性の平均身長が160ぐらい
蒙古襲来の絵に書かれてる竹崎さんの馬は身長150で当時としてはでかい馬
91 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:56:07.62 ID:ZAbjMlAO0
サラブレッドの体高って、脚の長さによる部分がほとんどで、
体格的には木曽馬と大して変わらない。
平均体重は木曽馬が400kg弱、サラブレッドが400kg強で、若干小さい程度。
92 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:56:14.69 ID:yORl2M8u0
>>86 でもさ
>銅像の騎馬武者姿は嘘
>実際はポニーサイズの馬にまたがって
>ドタドタと走ってた。
>リアルに銅像にすると滑稽な姿になるのでしない。
って言ってるけど
どう見てもポニー厨って
>>79のポニーイメージ見たく滑稽なんだよね
「滑稽」って言ってるじゃん
俺のイメージは現実の戦の屏風絵のイメージになるんだけどね
現代と古代の縮尺が違うだけで、銅像の騎馬武者のイメージは変わらないと考えるんだけど、
ドタバタとか滑稽とか言ってる時点で、こいつの考えてる武者のイメージがわかるでしょ
しかし何故鉄砲の話から馬の話になったんだ?
94 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:58:34.82 ID:K5uUAJmR0
まあ馬の大きさについては
>>78 さんみたいな馬の骨の話とか
神社とかに奉納された当時の馬具から大きさを推察が客観的な根拠になるかと
95 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 10:59:42.23 ID:yORl2M8u0
ポニー厨の言う
「銅像の騎馬武者姿は嘘」、「リアルに銅像にすると滑稽な姿」とは?
どう考えても
>>79のポニーイメージで語ってるでしょ
現実は
>>79の戦イメージなのに
>>72 長身で有名だったのは藤堂高虎
身長190cm体重110kg
まぁ銅像の馬とかはかなり誇張してるでしょ
あくまでも記念碑みたいな物だし
98 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 11:02:27.99 ID:ZAbjMlAO0
>>93 >>37かな。
平原で正面から突撃してくる騎馬の集団を鉄砲の射撃で撃滅するとか、
わけのわからない想定で話をされても正直困るわ。
弓がどうとか言ってるけど、そんな状況じゃ弓だって無理だし。
>>92うむ。
明らかに、日本をバカにしたい勢力がポニー説支持に紛れ込んでいるのは
自分も分かる
長篠は柵を作って待ち構えてたから平地とは言いずらいかな
>>92 「こいつ」が来ましたよw
昔の日本を徹底的に偉大化したり美化する人ですか。
俺の考えてる武者のイメージって
勝手にあなたが想像肥大化させてるだけでしょ。
102 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 11:06:59.69 ID:GUVU/xWs0
馬のほうがロマンが有るだろ。
104 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 11:08:44.35 ID:YjofHVIU0
>>28 白村江の戦い当時の倭国側の軍は基本的に豪族連合軍で規格統一とかの概念が無い。
弩は大陸でも政府の工房で製造して配下の軍団に割り当てで配備するものだったから、基本的
に城市などの防衛戦で使う。
日本では律令時代になって良民を徴兵する軍団制が整備されて弩も採用され、各地の国府や
城砦に規定された数が配備された。
鎧も一般兵用の規格物が作られて配布されている。
平安時代に軍団制が廃止されてからそれらが廃れた。
Oh! タイ産
106 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 11:10:05.90 ID:yORl2M8u0
>>101 俺がいつ美化した?
俺はどこも同じって考えだ
>>79でも、どこの世界もやってることは同じと言ってる
もちろんマウリッツやシャルンホルストなどのような戦術思考は東西変わってくるがね
戦い全般のやってることは変わらないって言うのが俺の考え、
お前のように「滑稽」だと貶めないけど、逆に日本を美化などしてない
どこで美化している?どこで?どのレスで?
今更、戦馬を交互に乗ってたことを調べて喜んでるレベルの君に言ってもどうしょうもないけど
それもどこの世界でもやってるから、日本だけじゃないから
銃が進化して騎兵の突撃が出来なくなってゆき
機関銃の登場で完全に騎兵の時代が終わり新しい陸戦の主役が登場するんだよな
108 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 11:13:08.81 ID:ym60ZwwKO
前田って、密貿易で資産築いて、いまだに電波利権持ってんだよな
109 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 11:19:10.61 ID:ZAbjMlAO0
>>107 重騎兵の正面突撃なんてものは、
西洋においてすら、歩兵が長槍を装備して隊列を組めるようになった時点で廃れている。
側面や背後をついた「襲撃」に類する突撃は、言う通り機関銃の出現で完全に終了した
(それ以前から、小銃の進化、例えば後装銃の出現などで徐々に役割は低下していたが)。
110 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 11:21:15.25 ID:lXzw1RC10
>>101 当時の絵画に描かれた馬とそうたいして変わらんでしょ?
>>45 あんたらいつから鉄砲を自国で作ってたの??
113 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 11:24:47.68 ID:K5uUAJmR0
>>100 それ以前に武田の部隊12000中で騎馬がせいぜい4000でなかったっけ(飽くまで主力は足軽ってこと)
主立った武将の首も逃走路に散らばってるからあそこで壊滅的被害出したかのかなと
そも自分が無知なのか武田って騎馬の速度生かすような戦術心当たりないんですよねぇ
それこそ山が動くってか重装備歩兵が進軍のがイメージに合う
>>107 日露戦争でコサックを抑えられたの飽くまで機関銃のお陰でしょうからねぇ
もっともその10年後の第一次大戦初期でもまだやってる国あったようですが
昨日埋めて今日見つけても大発見な考古学か
そのうち朝鮮半島で精錬された鉄でできた日本刀が発掘されるね
116 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 11:59:48.53 ID:1Ng6DjV+0
騎兵突撃に銃剣でどの程度対応できたもんなの?
>>106 >美化した?
今の銅像のイメージとは違う、滑稽という表現に
ところにかみついてきたことに対する俺の想像。
>マウリッツやシャルンホルストなどのような戦術思考は東西変わってくるがね
俺は凡人だから全く知らない。
どうも戦術の専門家でもあるようですね
>お前のように「滑稽」だと貶めないけど
モンゴル騎馬戦再現
https://www.youtube.com/watch?v=KPXG8pt0lr8&feature=fvw 案外俊敏でかっこよく見える。
嬉しいから張ってみるw
実際こういう感じだったんだろ。
日本の騎馬戦の再現は洋馬だからイメージが違う。
>今更、戦馬を交互に乗ってたことを調べて喜んでるレベルの君に言ってもどうしょうもないけど
俺はそのレベル、認めるよ。
知らないことを知ると嬉しいのでね。
あなたのようなハイレベルの2ちゃんねらとは違うので
許してくれ。
>>117 ただ単に銅像は、立体のモデルが使えるから、現代のサラブレッドになってるだけでしょ?
美化とかじゃなくて。
119 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 12:09:19.01 ID:10lT6B3s0
>>37 火縄は威力あるよ。
腕に当たれば腕はちぎれると思う。
>>38 石つぶては少ない修練で効果を上げられるから専業武士以外の基本戦術でしょ。
>>118 バランスを見て、見た目をよくして作るからね。
俺が作家でもそう作るよ。
121 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 12:19:59.45 ID:h/oY1e0EO
>>116 防御側が方陣組んで、最前列が銃剣の「槍衾」、二列目以降が射撃でも五分五分じゃね?
ワーテルローでピストルもカービンも無いフランス騎兵がイギリス軍の方陣をいくつか潰してるし。
士気とか練度とか地形とか天候とか指揮官とか要素が多過ぎて一概には言えない。
馬は先が尖った物を怖がる習性があるから方陣組まれたら騎兵はかなりきつい
>>118 種が違うから体格も別物だと思うがねえ
サラブレッドと例えば木曽馬。日本人と西洋人のように体格が違うぞ
日本を馬鹿にしたいとかじゃなく、単に在来種が西洋とは違うだけの話をしてるだけでしょ
アラブ種が入ってきていたとしても人工的な交配が現代程の技術ではないし
そりゃ適当に重ねてりゃ血は薄まり本来の体格にはなる
定期的に輸入してきて牧で掛け合わせて作られてきたなんて話を中世では史料で見た事もない
なんでポニーでそこまで反論してるのか分からんが、馬は基本的に労働力とされていたので
足腰が強く重心が低い日本古来の馬が重宝されてるという説は別におかしいと思わんし
それが何故イコールで美化なり貶すなりの話になるんだ?
124 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 12:29:54.01 ID:2QmoAjHjO
まあ朝鮮で鉄砲が広まったのは秀吉の朝鮮出兵の文録 慶長の役前に倭冦が
主力兵器に使っていて捕獲したやつを作って朝鮮軍は鉄砲を装備したらしいしな。
>>123 像と実態が違うというような話からここまで来てしまった。
弾丸のスレなのにスレ汚しすまん。
以後自重。
126 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 12:48:45.93 ID:0J7+XHMtO
しかしこの戦が行われたのがいつかは知らないけど、ちょっと前まで同僚だったんだよな 不思議なもんだよな
127 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 14:13:38.86 ID:beMqO7ns0
>>115 きっとステンレスに日本刀が見つかると思う
129 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/05(土) 14:46:53.87 ID:rXXEAO5J0
佐々成政→佐々宗淳(佐々木助三郎)→佐々淳行(初代 内閣安全保障室長)
織田信長→織田無道→織田信成
131 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 10:54:00.31 ID:+ZsBUUAt0
後世のヨーロッパ騎兵のような組織的突撃じゃないことは
容易に想像できる
騎乗士一騎に一族郎党が付随していくどたどた突撃
長篠の敗北は最初に火力で圧倒されて、指揮の混乱がおこって
想定外の損害が発生しただけだろう
132 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 10:58:15.88 ID:SrcxhDfg0
あれ、佐々成政って切腹させられたんじゃなかったっけ?
133 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 11:00:22.20 ID:czfW6INQ0
>>128 普通に見える。
上の方で書いてあるけど滑稽とか思わない。
自分の顔が滑稽なんだろ。
134 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 14:05:36.81 ID:HJBtg/B70
>>131 専業武士が出てきて足軽やらも部隊訓練するくらいですから質量ともに揃えば馬の利点使う人でても不思議無いですのにねぇ
最も江戸時代ですら馬に蹄の風習もない(馬専用草鞋履かせていた)んですから最初から速度期待してないかもですが
そういや名馬のエピソードつったら見性院のなんか思いつきますがあれで山内一豊が戦功上げた話は聞きませんし
結局攻撃側からすれば当てるのは馬でも人でもいいんだから速度遅いと標的デカくなるだけってことでしょうか
>>133 大山祇神社の宝物館で奉納された武具みたこと有りますがとにかく小柄で今の感覚では中学生ぐらいって感じました
そのサイズなら良い塩梅なのかもですね
135 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 14:12:55.36 ID:IOEKspk00
たまには「マリンバ・ポニーズ」のことも思い出してあげて下さい
136 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 14:16:59.59 ID:LDkLGV860
信長は南蛮貿易に大乗り気だったしな。
137 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 14:20:50.31 ID:Exo0sHWH0
ごちそうさん
タイ産
139 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 14:38:18.27 ID:B6kJmAE70
>>115 兵馬俑には電気メッキした剣があったんだよなw。
>>27 日本人は器用だから、普通の弓でもけっこう当たったってことじゃないの。
普通の弓が当たるなら、わざわざ構造が複雑で連射が効かないクロスボウを使う理由なんてないもんね。
141 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 14:58:21.68 ID:HJBtg/B70
>>139 電気ですかい
単に電気を使わない鍍金(メッキ)なら東大寺大仏が金銅法でしたし(どうも古墳時代からある)
更に時代下って江戸時代の鏡研ぎが日常で水銀法やってましたがねぇ
142 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/06(日) 15:35:06.19 ID:frZkL8a4O
江戸時代まで海外交流禁止だったんじゃないの?
>>27 それは簡単、山がちな日本の地形じゃ重くて装填の面倒な弩は嫌われた。
あれは中国やヨーロッパの様な何も無い平原で、それも面制圧用の一斉射撃に使ってからこそ真価を発揮する。
>>143 一斉射撃で面制圧(「制圧」は無理だが)は長弓の方が向いている。
クロスボウは一回撃ったら装填にしばらくかかるから
城の防御とか散兵戦向き。
弾道が低いので弓よりもやや狙撃向きとも言える。
日本で弩が廃れた理由には定説はないんじゃないかな。
145 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/07(月) 00:23:04.30 ID:TUTOfVD70
>>144普通の戦術上の有利で片付くんじゃね?主戦兵器が弓と槍になってたのと同じで。
世界中同じでしょその点は。弩が廃れて弓になってたのとか刀が主戦兵器でなく弓と槍
が主戦兵器になっていったのとか。戦争をやり続ければその合理性を追求すればどこの
民族も同じ結果に行きつくんだし。
146 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/07(月) 08:14:09.45 ID:V7pugvjf0
戦国の合戦は陣取り合戦で殺戮戦ではないから
礫、弓矢、やりの順の攻撃で騎乗士の舞台を進めていく
その場合、矢は空に向けて放たれ鏃の重みで落下
ナイフの夕立みたいな状況を作って、敵の同種部隊を退けていく
これを地形的に複雑なところで、やるもんだから
小技専門の軍師なんてのが重宝がられるわけで
147 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/07(月) 08:18:09.16 ID:KeixKpHN0
やっぱり極東なんだよ、日本ってwww
なんでも最後にあらゆるアジア諸国の物がたどり着く地ってことだ
文化から日常物資まであらゆる物がな
148 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/07(月) 12:07:07.26 ID:mKdsSnRF0
弩の有利な点は鎧貫く威力と少ない訓練でそこそこ撃てるようになることでしょうね
矢羽根やら矢自体の長さの都合で狙いが今ひとつと言われるがそれも量揃えれば解決
逆に不利なのは言うまでも無く装填時間かかること
まあ慣熟したら弓で初心者が弩ってぐらいの認識でいいんじゃないかと
和弓と同じく長弓が何故かウェールズのほうにも有ったそうでして(無論細部は異なる)
百年戦争でフランスの弩と争った折、当初は連射速度で押していたそうです
が、長期化→戦死で弓使い減る一方弩は直ぐに補充→最終的には逆転されたとか
大陸だと人間すら補充し易さを追求するほどの消耗戦繰り広げるが
幸い日本はそこまで酷くなかったってことだと個人的には思いますわ
>>148 職業軍人(武士)の発達じゃないかな?
江戸時代だと総人口の2割近くが武士(弓が使える階級)
これだけいれば十分な弓兵が揃う
*モンゴルはほぼ10割が弓と騎乗の達人w
そりゃ強いw
150 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/04/08(火) 10:57:21.48 ID:kkU8Z5ip0
そのころは、戦術としての弓集団は鉄砲に代替されているさ
そもそも、中級以上の士は弓なんて戦場では触らない
鉄砲も同じく、雑兵足軽階級が扱う