【英エコノミスト誌】 神風特攻隊のパイロットを題材にした映画は、不安になるほど国家主義者たちを勢いづかせている

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518名無しさん@13周年@転載禁止
シベリア抑留に見る日本軍の差別実態その七

収容所に入って2年がたつ頃、抑留されていたシベリアの収容所で、
「アクチブ」の思想教育教師がこう口にした。アクチブとは、共産主義化した日本人のことだ。
 その途端、「とんでもないやつ」「引きずり下ろせ」と生徒側の捕虜たちが大騒ぎになった。
アクチブはもみくちゃにされ、その場から逃げ出した。
 抑留時代、捕虜たちは、旧ソ連側から重労働を課せられたほか、共産主義教育も施された。
軍国主義をたたき込まれていた捕虜たちにとって、「天皇制打倒」は想像もつかない言葉だった。

 しかし、2、3カ月後、雰囲気が変わってきた。「捕虜になってまで階級章を付けているのはおかしい。
階級や年齢に関係なく、皆に信頼される人を幹部に選ぶべきだ」との声が主流になってきた。
 収容所では、ソ連側は将校の労働を免除していた。労働や教育以外の多くの面では、
日本側に運営が任されていた。日本側は、たまに支給されるコメや肉、ウズラ豆は将校用と決めていた。
上官から下級兵士へのビンタなど暴力は日常だった。
収容所のあちこちで討論会が始まった。軍国主義のままの「将校グループ」と、
軍隊秩序を否定する「民主グループ」に分かれていき、相沢さんは、下級兵士中心の民主グループに加わった。
対立は半年程度続いた。民主グループの中には、夜に出歩いて将校グループに捕まり、リンチを受けた者もいた。

 ついに、収容所内の総会で、将校らから収容所内での役職が剥奪された。
選挙が実施された。相沢さんは分隊長から小隊長に昇進した。
 新リーダーの下、ウズラ豆など将校用食材も、下の者に平等に回るようになった。
上官からの暴力もなくなった。収容所内の仕事も分かち合うようになった。
それまで小さく縮こまっていた者たちが、元気になってきた。
旧軍の秩序にも押しつけられていた下級兵士たちに、生き延びる唯一の道が開かれた。
 民主主義が実現したかに見えた。しかし、「一部のアクチブが狂信的になり、憲兵のような特権階級になっていった」と相沢さん。
軍隊での役職が上級だったとか、夜の勉強会で居眠りしたとか、
言動が軍国主義的だとか、ささいな理由をアクチブが取り上げ、その他の者が大勢でつるし上げた。

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