【社会】「西郷の首」は本物だった 西南戦争で自決後、発見将校の「履歴書」見つかる
先日某所で西郷隆盛の写真を見せてもらったよ
その写真を収集した元の人物が人物だけに信憑性あった
あの人、あの写真を公開する気ないのかなぁ
歴史的に貴重な資料が他にもてんこもりだったし
81 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 22:52:35.30 ID:XW/fOgd30
俺は西郷さんは若かった頃は堀の深いイケメンだったと想像する
82 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 22:53:50.87 ID:Bv2fRRVN0
83 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 22:55:24.45 ID:bD7FlyOy0
正直、西郷は歴史的に重要な人物というわけでは無いと思う。
別に西郷が居なくても、誰かが薩摩や官軍の指揮をとっただろうし。
>>83 西郷の自己顕示力の強さと、彼に心酔する部下を多数抱えていたことが、
西郷隆盛を抱き込めば世の中が動く、幕末の状況を作りだしたのだと思います。
西郷自身は定見があったのかは不明ですが、周囲が西郷の話にのみ従った。
そのため彼を擁する薩摩藩は力を発揮した。
首があっても
顔がなけれな復元できんしょ!?
おまえらパカか?
88 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:10:51.21 ID:2VheRPUd0
大津事件で津田三蔵は、西郷生存説を信じてロシア皇太子に斬りかかったという説は本当なのかなあ
>>86 床屋で首刈ってくれってやつ思いだしたじゃねえか
>>82 ごつくて角張った顔してた
>>75を見たらイメージは近い
出回ってる合成した肖像と目のあたりは似てたけど
鼻から下はあんまり似ていなかったな
91 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:37:39.99 ID:8lUzxH4U0
西山本門寺の信長の首も証明できないかなあ
女子小学生バッハの頭蓋骨みたいに、肉付けして銅像を作りなおすといいよ。
バッハは骨と肖像画の特徴がほぼ一致したようだけど、西郷は違うかもしれない。
93 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:39:20.41 ID:zxORM/c30
なぜかドラマの九州人は否定が多い
「じゃっどん〜」
って必ず言う
94 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:40:14.44 ID:OBkAyTvE0
西郷なら首より肥大化した玉の方が解りやすいんじゃ?
95 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:40:28.14 ID:c9yU9nmwO
じゃっどん、
96 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:40:49.58 ID:YmWpmuPR0
>>9 オイは、とか
おっどん、とか 言うが、それが東京とかの人に
『 オイドン 』に聞こえるみたいだ。
97 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:43:33.18 ID:ILXgDhMsO
おいどんの首を知らんでごわすか?
98 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:43:40.68 ID:YmWpmuPR0
>>93 北西九州では、それが 『ばってん』になる。語源は
長崎英語通詞が流行らせたBUT and であるとも。
どのみち、反語であり、『 が、しかし 』というニュアンス
ブス専だったんでしょ?
100 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:51:32.61 ID:R5Mb7lnE0
「晋ドン、晋ドン、もうここらでよか」
101 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/07(金) 23:55:14.58 ID:rNioEbyx0
郷中はアッー!
102 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 00:22:42.65 ID:fwgJEfKN0
>>101 (*´Д`)西郷さん、清水寺のお坊さんと心中未遂・・
ホモであり実像とまったく違う顔が有名な西郷どん
105 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 02:08:44.05 ID:P1Gw2ML10
ああ、そのタタリで第7連隊は203高地に連れて行かれて絶滅しかけたんだな
106 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 07:15:56.37 ID:UHJCaqgX0
西郷さんの最期
エピソード1《 まさかの命乞い 》
明治10年9月24日、鹿児島市城山。7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く切腹した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、助命嘆願してたんです。
19日、政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
西郷軍への従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が助命嘆願、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍に助命を拒否され、山県有朋に、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという始末でした。
107 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 07:18:14.39 ID:UHJCaqgX0
西郷さんの最期
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に処刑されていた 》
西南の役の最後の日、城山で西郷は足を撃たれたあと自決したことになっていますが、
その西郷の足を撃ったのは、西郷の部下である桐野利秋であったという説をご存知ですか?
政府軍に助命を拒否された西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、洞窟を出て投降しようとした。
しかし玉砕を主張する桐野がこれを発見、激怒して西郷を追いかけ銃撃したというのが真相のようなのです。
桐野による西郷銃撃は、目撃者の証言もあるのです。
108 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 07:20:26.73 ID:XIXs5lHP0
千葉真一三尉「とったぞ!信玄の首!」
109 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 07:31:55.12 ID:UHJCaqgX0
西郷さんの最期
エピソード3≪創られた西郷自決 ≫
ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に”正座”し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、出典はご存知ですか?
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本。
編纂者と出版元は右翼団体。まるで見てきたように書いていますが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無し。
はっきり言って資料価値のきわめて怪しいプロパガンダ本なのです。
だいたい足を撃ち抜かれたうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が”正座”できるわけがありません。
じつは東大図書館に西郷遺体の検死報告書が保存されているのですがそこにはこう記録されています。
「右大腿より左骨部貫通銃創、頭(頸)体離断」
腹部に刀創はありませんので、切腹はしていない。
また、銃弾が骨を貫通していることから(当時の銃の性能を考慮すると)至近距離から被弾した可能性が高い。
「頭(頸)体離断」は首を切断されていたということです。
つまり、太腿を至近距離から銃撃されたあと、
介錯のためか、頭部を隠すためか、首を切断されたということです。
110 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 07:32:20.11 ID:2yr3WKvR0
111 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 07:35:05.14 ID:UHJCaqgX0
西郷さんの最期
エピソード4≪目撃者≫
桐野による西郷銃撃を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。
城川の証言によると、西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に投降するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものです(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があります。
ところが「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は城川なる人物の実在が証明されていないとし、
この説を奇説として退けていた。
また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説はいったん否定されました。
112 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 07:38:47.93 ID:UHJCaqgX0
西郷さんの最期
エピソード5≪わが眼で見た話し≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として「別府晋介附従卒城川市二」との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです。
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。
ID:UHJCaqgX0
お前がどんなに述べても
覆ることはないから安心しろ
ソースない奴が何を述べても説得力ゼロ
ID:UHJCaqgX0
みたいな馬鹿って実は○○だった説の本とかを真に受けてそうで笑える
歴史的利用価値のある文献かどうかなんて素人には把握できないのに
ドヤ顔で語ってるのが面白い
115 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 08:11:52.09 ID:UHJCaqgX0
征西従軍日誌の捕虜の証言はほかにもあって、
20日、城山の洞窟で桐野が「もはや再興の機を失せり」と嘆いた。
洞窟に潜んでいるあいだ、将校みな激沸喧騒、議論していた。
(玉砕するか降伏するか西郷助命嘆願の返事を待つか、などの議論であろう)
西郷は席に肘をついたまま何も言わなかった。
突然大笑を発したかと思えば、うつろに天井を見上げるのみ。
そのような西郷のあり様を見て、辺見十郎太などはキレそうになり、西郷を睨みつけていたそうだ。
(辺見からすれば、西郷に覚悟を決めてもらって、供に玉砕すべしと言って欲しかったんでしょうね)
116 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 08:18:11.12 ID:UHJCaqgX0
西郷投降&桐野銃撃には城川市二という信用に値する目撃者が
存在する事実はとても重い
さらに、西郷投降&桐野銃撃という二人の行動を動機づける出来事として
以下の事実がある
戦役後半から、西郷は桐野を疎んじ、桐野も西郷を避けていたこと
西郷が、若い者が自決方法などの話をしているのを聞いて、
「腹を切るといっぱい血が出て痛いぞ」と自決を恐れていたこと
一部の者たちが西郷の助命運動を画策し、
それを知った桐野が卑怯・未練であるとしてその者たちを一喝したこと
西郷が、そのような桐野を軍議の場から外し遠ざけたこと
結局、桐野に内緒で2人が政府軍に赴き西郷の助命を願い出て、
うち1人が城山に戻ってそれを報告したこと
117 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 08:19:56.12 ID:LRB0cL9ZO
(^_^;)ナンカ 硫黄島の栗林司令官が米軍に投降しようとしていたトカ言う話みたいだな
118 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 08:33:19.89 ID:4pbRL/QM0
フルベッキ写真の西郷が本物です。明治御一新は全て、八百長です。この話を信じる方はまだ家畜ではなく人間です。
119 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 09:25:55.48 ID:dBgJhLwX0
友達が別府晋介の子孫だったわ
>>49 最後に
真相は月刊ムーを読んで!
みたいに書いてあって萎えたw
フルベッキって何?
フルボッキのタイプミスじゃないの
122 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/08(土) 09:55:07.59 ID:2b/RRCoXO
>>110 広島で起きた鉄道事故の遺体安置所の写真も絵はがきになってるからよう解らんね
もしかしたらニュース速報みたいに知り合いに送って使ってたのかも
「近所で大変な事故があったよー」みたいに
一度、月照と入水自殺しているよね。月照は亡くなったが、西郷は蘇生した。
125 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/09(日) 02:10:18.39 ID:sY+b4cFL0
せごどん
126 :
名無しさん@13周年@転載禁止:2014/03/09(日) 09:23:29.78 ID:3T5aiIoB0
そうか、西郷は自分だけ助かろうとしたのか。
せっこいのう。
精神論主義者の末路なんてこんなもんだろ
UHJCaqgX0
こいつ近代史のとこでも必死にコピペしてるアホだろ
129 :
名無しさん@13周年@転載禁止:
(´-`).。oO(ザ・ラスト・サムライのラスト・ショウだろう…)