【地域】奥州藤原氏めぐり新説? 被災地高台移転…掘り起こされた歴史

このエントリーをはてなブックマークに追加
1環境破壊ちゃんφ ★
奥州藤原氏めぐり新説? 被災地高台移転…掘り起こされた歴史
2014.1.4 22:20

東日本大震災の被災地で高台移転事業が本格化する中、
宅地などの造成工事で出てきた遺跡の発掘調査が進んでいる。
多様な年代の遺跡が見つかり、資料の乏しい中近世の空白を埋めるほか、
奥州藤原氏との新たな関係性を示す出土品もあり、歴史の通説を覆す可能性も指摘されている。
津波で大きな被害を受けたふるさとの歴史を掘り起こす思わぬ副産物に被災者らの期待も高まる。(高木克聡)

岩手県大船渡市三陸町で昨年12月中旬、発掘された戦国時代のものとされる
城館「小出館(こいでたて)」の遺跡発掘調査の説明会が開かれた。

市によると、遺跡からは、鉄粉など製鉄施設の跡や高価な陶磁器、銅銭などが発見され、
担当者も「交易などで富を得た豪族がいたのでは」と推測する。 

大船渡市をはじめとする県沿岸部の三陸地方では、めまぐるしく勢力図が
塗り替えられた戦国時代前後の文書などがほとんど残存していない。三陸町でも
南北朝時代以降から江戸時代にかけての歴史は空白のままで、地域を治める豪族の名前すら不明だ。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/140104/trd14010422240011-n1.htm

続く>>2-3
2環境破壊ちゃんφ ★:2014/01/04(土) 23:34:11.99 ID:???0
周辺の他市でも同様に発掘調査が進み、新たな発見が続いている。
2年間で6件の本調査が行われた釜石市では、約7000年前の縄文時代
早期の遺跡が発掘され、地域の歴史を大幅にさかのぼることができた。

なかでも平安時代末期から鎌倉時代の川原(かわら)遺跡は、漆器など
奥州平泉文化を色濃く残しており、この地を治めていた勢力が奥州藤原氏との
交流を持っていたことが明らかになった。加えて、遺跡の年代などから
藤原氏滅亡後も同勢力が独立を維持していたとみられ、藤原氏とともに
没落したとされる通説に疑問を投げかける可能性もあるという。

同じく沿岸の宮古市でも、5〜6世紀の古墳時代の日の出町二(ひのでまちに)遺跡から、
これまで出土していなかった西日本の須恵器などが見つかり、
当時の物流を知る手がかりとなりそうだ。


岩手県教育委員会によると、集団移転事業などによる遺跡の本調査は、
沿岸部の8市町村で31件実施したという。これまで遺跡の発掘調査は、
公共事業の削減もあって、各自治体ごとに年間1〜2件の発掘が行われるだけだった。
各自治体の担当者は「これだけ大規模の遺跡調査はこれまでなかった」と口をそろえる。

遺跡が見つかった当初は、工事の遅れを心配する声も上がったが、
少しずつ心の平穏を取り戻している被災者にとって、ふるさとの歴史がよみがえる
遺跡調査は大きな心のよりどころとなっている。
3名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:34:28.38 ID:5WunKTaW0
起源は?
4名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:37:08.74 ID:V3Er04Sb0
>>3
もちろんウリたちが支配していたニダ
5名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:37:27.22 ID:8bshJmin0
高台が一番ってことか。
6名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:37:35.73 ID:bAY+j1I/0
やっぱ海沿いには住んでなかったんだな
7名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:40:53.41 ID:OL5+xoDI0
義経のその後についてとか出てこんのか
8名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:46:38.86 ID:e9KIgfvW0
古来から街道などは洪水の被害が及ばない土地に通してたというからな
9名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:47:27.49 ID:mo0eERj30
考古学や歴史学者には不幸中の幸いな。
10名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:48:37.77 ID:5xAEQVxX0
陸奥を名乗る者には忠誠を誓えとか
11名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:50:55.46 ID:piKJxWjd0
アラハバキかスーパーハボキが出土したら教えてくれ
12名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:52:13.55 ID:79h04/JxO
>>6
高台だけど海に近い場所だよ
13名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:53:57.14 ID:ye/EKFI6i
ジョジョリオン楽しみにしてます
14名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:55:40.14 ID:51BszgFR0
遺跡発掘の恩恵を受けようと
戦国ゆるキャラ三陸ちゃんとか
三陸名物遺跡まんじゅうができるわけか
どこにでもある話だな
15名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:57:04.13 ID:gf5pR07S0
アルテイら東北騎馬民族は大和朝廷とは完全に別の国家です。
16名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:57:29.73 ID:RpR0wGm30
怪我の功名ならぬ津波の功名
なんつったら怒られるかな。
17名無しさん@13周年:2014/01/04(土) 23:57:36.67 ID:w9FWTZyH0
朝鮮人が藤原氏は朝鮮人だと言ってます。
本当でしょうか?
18名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:00:27.15 ID:qY/qcdb10
アイヌ人だった説
19名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:03:09.41 ID:6Ha6HlXk0
調査のせいで移転が遅くなったりはしないのか?
次は千年後だから別に構わないのか
20名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:03:15.59 ID:znIU08ORO
>>11
スーパーはぼきなら俺ん家にあるよ
21名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:24:54.55 ID:zfydymfi0
>>15
その当時の日本に馬っていたの?
22名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:29:29.69 ID:hh3rDS/60
>>17
調べれば簡単に解るレベルの話であっても、国を統べるものが率先して嘘をつく文化を持つ、そんな人達と言わざるを得ません
23名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:43:24.81 ID:aCmr9DPa0
うちの地元も高台移転の造成中に遺跡が出てきたんだけど、
移転が遅れるどころか宅地造成出来なくなる可能性があるから
無視してそのまま造成したらしい。
たぶん、こういうところは多いと思う。
24名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:47:27.43 ID:sP50CUBB0
ウリの神話に出てくるニダ
25名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:50:31.27 ID:sjKsMfEr0
TVでやってたな 実は日本という国名は奥州を示していて 中国と貿易をしていたと。
これは 支那の文献に書かれている事を発見された。
26名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:52:25.94 ID:Hi+aIqFC0
大昔の津波で高台に流されて来たんじゃないのかw
27名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 00:55:58.74 ID:/H+ZukGx0
>>15
農耕民で遊牧処ろか牧畜の痕跡すら無いんだけどw
28名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 01:14:20.10 ID:sjKsMfEr0
>>25
日本語 OK                            えっ     俺かい!
29名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 01:16:13.02 ID:g26LkU3K0
>>17
>>22
捏造情報を歴史書に書くくらいだから藤原氏は朝鮮人です
30名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 01:18:49.10 ID:g26LkU3K0
>>23
そういうの告発して新聞紙上に乗ればいいのに
31名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 01:41:45.48 ID:C4w9YNia0
北海道の鰊御殿も高台だし、「此処より下に家を建てるな 」の石碑とか。
有史以来、何度も大津波で大損害があったんだろうな
32名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 01:51:49.44 ID:yK3LzrfYO
北海道のニシン漁も、網元は高台に居をかまえていたらしいよな。
それをお得意とする商家もやはり高台にあった。
個人事業主的に地引き網にちかい漁をやってる家は
利便性から海近くに住んだ。
33名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 01:52:31.46 ID:6pWZ706V0
>>9
多くの文化遺産が津波で押し流されたり
史料が損失しちゃったりする反面
いままで住宅街の土の下に眠っていた遺構が発掘されるという側面もあるんだな……
34名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 02:01:03.81 ID:GrwIrt700
>>17
藤原氏は朝鮮人ではないが、中臣鎌足は百済の王子「余豊璋」だという一説がある。
35名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 02:31:19.03 ID:Ns7ec62aP
>>31
ちゃんと伝えないといけないな。
先人はちゃんと遺してくれてるんだもの。
36名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 04:50:19.64 ID:WqBv0Ikl0
>>15
日本語で大丈夫ですよw
37名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 04:52:19.61 ID:E8gnj3cU0
こうなったらゴッドハンドを使ってもいいから復興に結びつけてしまえ?
38名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 05:00:12.19 ID:BsOyGDA90
>>34
桓武天皇の生母である高野新笠が百済王家の子孫だって理由で
皇室を在日認定してる奴がいたな
39名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 05:05:42.09 ID:4IVHP7D30
>>15



アテルイ?
40名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 05:22:52.61 ID:JBtYHCJy0
>>25
それ見たよ
最初奈良の大仏は金メッキが施されたがアマルガム法で
これは遡ること40年前の平泉文化から藤原氏を通じ流れてきたもの 、というのも
当時岩手南は金の産出が大きく地域の勢力に影響したのは無論、
中国との交易も行なってたのでそういったルートで金の蒸着法が伝わった
日本と呼ばれたのはその地域だという記録が中国に残ってる
岩手は地名にアイヌ語も多くそちらの関係もまた謎深い
41名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 05:25:51.97 ID:k22wIIP30
>>38
陛下がご発言なされてた時だな
わらえた
42名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 05:26:54.11 ID:9A1zEZgW0
>>37
朝鮮人並みに「東北には原人文化が栄えていた」と捏造しまくったやつだったな。

今、ゴッドハンドは何をしているん?
43名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 05:51:13.64 ID:/H+ZukGx0
>>35
じゃなくて、台地縁は傾斜があるから水を引き易いし
洪水にはならないし水捌けはいいし防衛もし易いし
近世より前の集落は大半が台地縁、平野部の河川沿いに
密集して住む様になったのは人口が増大して以降
44名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 05:59:56.99 ID:4FM5aMeq0
東北(陸奥)の地名をとって日本にした、
とあるのは確か「旧唐書」の中の一説。
東北は「日ノ本」と呼ばれていたから、
「倭」という名を憎んで「日本」と名付けた。
しかし、それも諸説の中の一説。
日本という国号については諸説紛々。
45名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 06:46:09.73 ID:7rQBJ4+BO
>>42
嘘がばれて離婚し考古学から追放され、支援者と再婚して南相馬市で介護補助をしていた。
震災後の情報はない。
46名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 06:51:48.01 ID:c5pWITfW0
中臣氏を少しでもかじっていたらこの主張は出んだろ
47名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 06:56:29.50 ID:G9aQEw+c0
中国からみて日本は東北の方位にあたるから東北が日本を表していただけ。
日本の東北地方とは関係ないよw
48名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 07:00:22.67 ID:QByhBGx50
大化の改新がテロリスト中臣鎌足、とか教科書に載るのか
49名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 07:00:44.94 ID:5wRyWB5c0
被災地住みだけど、エラく景気が良い。
アベノミクス+焼け太り効果が効いているのか?
50名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 07:40:22.86 ID:GrwIrt700
>>38
それ以前に、神功皇后は日本に亡命した新羅王子(天之日矛)の末裔だけどね。
51名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 07:50:06.54 ID:7rQBJ4+BO
>>50
適当な私論を掲げるより、新羅の建国者が日本人という事実を考えるべきでしょう。
52名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 07:50:33.05 ID:HKKVSZ8Ei
結局、土建屋が暴れないと、考古学は干上がるんだな。
53名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 07:57:06.63 ID:7rQBJ4+BO
南部氏がまともな史料を持たないので、室町時代あたりの北東北はわけがわからない。
54名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 07:57:30.52 ID:GrwIrt700
>>51
「神功皇后は日本に亡命した新羅王子(天之日矛)の末裔だ」という事は適当な私論ではなく、古事記に明記されていることです。

あと新羅王で倭人とされるのは新羅の建国者ではなく、第四代王です。
ネットで聞きかじりの知識でなく、自分で調べて物事を判断して下さいませ。

----------------------------------------
半島の『三国史記』には、新羅の第四代の王=脱解は古代日本人だと書いてある。
「脱解、本、多婆那国の所生なり。其の国は倭国の東北、一千里に在り。」
この時代は1世紀だから倭国とは金印の出土した北九州で、そこから435キロ(適当だろうが)
東北に行った多婆那は丹波説が有力。

さらに初〜四代王の時代に活躍した重鎮・瓠公という者がいるが、彼も古代日本人。
「瓠公は、未だ其の族姓を詳らかにせず。本、倭人。初め、瓠を以って腰に繋ぎ、
海を渡って来る。 故に瓠公と称す」

3世紀・邪馬台国の時代の金海市(釜山港の近く)の辺りは、完全に卑弥呼の支配下だし。
その流れで4世紀初めには、任那=金官加耶国を中心とする加耶諸国も大和朝廷が鉄を採って
いたので影響大。
六世紀前半まで下っても、慶尚南道固城(コソン)郡の古墳・横穴式石室が、古代日本独特の
朱塗りの石室。

誰がどー見ても、慶尚道には多数の古代日本人が住んでいて、影響力を行使したのだから、
その当時の言葉が残っていてもおかしくないわな。

何でもかんでも半島→日本だと決め付ける、日本の学者が未だにいるのが情けない・・・
55名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:00:08.66 ID:GrwIrt700
>>51
よく百済との関係を云々する人がいるが、新羅との関係の方が遥かに興味深い。
中国の史書では百済に関し、その元来の住民については倭人が頗る多いと記されているが、王族はツングース系の扶余であったという。
しかし新羅の場合、なんと日本列島から渡来した倭人が王になって王統をも伝え、述べ8代の王を輩出したとされる。

初代 赫居世居西干(朴氏)
*2代 南解次次雄(朴氏)
*3代 儒理尼叱今(朴氏)
*4代 脱解尼叱今(昔氏) ←倭人。丹波の国出身説が有力。
*5代 娑婆尼叱今(朴氏)
*6代 祗摩尼叱今(朴氏)
*7代 逸聖尼叱今(朴氏)
*8代 阿達羅尼叱今(朴氏)
*9代 伐休尼叱今(昔氏) 13代 味鄒尼叱今(金氏)
10代 奈解尼叱今(昔氏) 14代 儒礼尼叱今(昔氏)
11代 助賁尼叱今(昔氏) 15代 基臨尼叱今(昔氏)
12代 沾解尼叱今(昔氏) 16代 訖解尼叱今(昔氏)
..                17代 奈勿尼叱今(金氏)

そしてさらに、それ以上に興味深いのが建国時に新羅の宰相となって影の王のように振る舞い活躍した瓢公という、
瓢箪を腰に付けて船で渡来したとされる倭人で、この人物は現代の朝鮮人のアイデンティティの根幹を揺るがしかねない問題を孕んでいる。
というのも、現代の朝鮮人の姓名は"中華"への服属意識を如実に表す、漢字漢語を用いた姓=一字、名=二字という漢族式で、
実際の姓自体も漢族が使用するものの借用が殆どという有様だが、新羅の初代王の朴赫居世に始まる「朴」という姓だけは、
辰韓の語の「バク」という単語を借字で音写した独自の姓とされ、特殊な姓と言える。
ではこの「バク」という辰韓の語が何を意味するかと言うと、「瓢」。
宰相として影の王のように振る舞った倭人の「瓢」公となんと同じ。
このことから、瓢公と朴赫居世は共に倭国から渡来した同族、あるいは同一人物であるとも言われている。
ちなみに金氏の祖は、件の、倭人である昔氏初代にして第四代新羅王脱解の治世時に、これまた件の倭人宰相瓢公が拾って来たとされている。
瓢公(あるいは朴氏も)や昔氏一族といった倭人たちが新羅建国に深く関わり、王、宰相として支えたわけです。非常に興味深いですね。
(参考文献:三国史記、三国遺事)
56名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:02:40.16 ID:8MlmZl3kO
>>54
どうあれ、古代朝鮮人と現代朝鮮人の繋がりは全くない
57名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:02:44.01 ID:EvCzk4yK0
>>53
聖寿寺館の火事で大半が消失しちゃったんだろうな
58名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:03:35.17 ID:7y/9XLbF0
釜石の川原遺跡の、
>藤原氏滅亡後も同勢力が独立を維持していたとみられ
この辺が新説なのか。
59名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:10:09.11 ID:yahDHriZ0
説なんて言ったもん勝だから、クソ程あるわね。
巻向が邪馬台国だなんて最大のクソ説だけどね。

アナぽこ 見つけてうれし 卑弥呼かな?

桃の種 見つけてうれし 卑弥呼かな?
60名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:12:40.29 ID:RnXx1KiT0
欧州藤原氏
61名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:15:19.20 ID:KnnRoVZ20
アテルイ絡みの遺跡出てきたらときめくんだけどなー
62名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:16:30.10 ID:9kFi8oos0
>>17
チョンが通名で使ってるだけだろ
63名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:17:32.67 ID:7rQBJ4+BO
>>54
ほら、事実を認めず初代が日本人である事実に言及を避ける。
朝鮮の自慢は拾い読みの虚偽ということだ。
64名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:19:47.03 ID:EiC6P+L90
まさか鬼一が実在人物だったとか
65名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 08:56:29.64 ID:EvCzk4yK0
>>55
面白いのは12世紀に編纂された正史で倭の影響を認めてるんだよな
んで3王家とも他所から来たらしい表現がある
朴氏は倭人と騎馬民族系の連合体
昔氏は完全に倭人
金氏は倭人により取り立てられたおそらく移民
半島での姓の発祥を考えるとそれらの起源説は7世紀に作られたものと推定されるが
日本の影響が薄まったあとでもそれが塗り替えられなかった事自体かなり興味深い
やはり現代の朝鮮人とは別の思想価値感をもつ人たちが住んでいたのだろうな
66名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 09:37:45.63 ID:0UC/IwOA0
うちの先祖が要請に応じて遠くから奥州合戦に参加して報酬の土地もらってるな
今もその地に子孫が多く住んでいる
その頃その流れで源氏も名乗ってた
67名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 10:55:19.83 ID:eP1kGjV90
新羅も百済も倭の属国だけどな

隋書倭人伝
>新羅、百濟皆以倭為大國、多珍物、並敬仰之、恒通使往來。
68名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 11:03:11.10 ID:GrwIrt700
>>63
「初代が日本人である」という根拠史料は?
「三国史記」では初代でなく第四代だと記載されてます。
根拠史料もない既存の史料と違う話を主張するのは、朝鮮人の所業ですよ。
69名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 11:19:08.30 ID:EvCzk4yK0
>>68
どこの書を信用するかでそこは変わってくる
隋書によれば高句麗の分派ということになるし9世紀の日本の書によれば皇族の祖先から別れた一派ということになる
少なくともこの2つは三国史記より数百年前に書かれたものであり
三国史記の記載をもって全てを否定するのは少々苦しい
70名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 12:13:42.14 ID:GrwIrt700
>>69
要は不明なんでしょ。
なのに何で一つの史料(三国史記)を否定して>>63の如く断定しているのかな、ッて事。


(中国史料より、もちろんこれと矛盾する記述もありますが、けして想像の産物などではありません)

百済→王族は扶余族、大和朝廷と親戚 、民衆は長江文明遺臣の倭人(弥生人、百越人ともいう)
新羅→王族は扶余族、三王家すべてに大和出自伝説あり、民衆は倭人と、始皇帝から逃げてきた秦人(漢族)
任那→王族は扶余族、大和の直轄地、民衆風俗は新羅に似る
ツングース→ツングースカ隕石でも有名なシベリアの狩猟牧畜民族、バイカル湖近辺で遺伝特徴が固定された東亜最古級の血筋
オロチョン、エヴェンキ、ブリヤートなど他文明を容れず固有文化・血脈を長く維持してきた部族も残っている。
東胡→ツングースそのもの、中国側の呼称、BC209年、匈奴に破れ四散
オロチョン→もっともツングースDNAが濃い。>ブリヤート>エヴェンキ>蒙古>満州>北朝鮮人>韓国人>日本人
扶余→東胡の末、穢族から分岐(日本に相撲、胡服を伝えた?)
穢族→(ワイ族、さんずいでカイ族とも)、東胡の末、東胡→鮮卑?→穢族→穢四族(高句麗、扶余、沃沮、東穢)に分裂
高句麗→コリョ族(高麗族、大和呼称はコマ族)、高麗を自称、日中史料も高麗表記、 東胡の末、穢族から分岐
高麗→高句麗は便宜上の呼称、高句麗が前高麗、高麗が後高麗、どちらもコリョ族、中国呼称は王氏高麗。
靺鞨(まっかつ)→東胡の末、後に渤海と女真に分裂
渤海→東胡の末、建国時高句麗遺臣も参画、東胡→鮮卑?→靺鞨→渤海
女真→東胡の末、満州族のこと、渤海に近いともいう、東胡→鮮卑?→靺鞨→女真
蒙古→東胡の末、東胡→室韋(しつい)→蒙古、匈奴が西に去ったモンゴル高原に進出、支配層はツングース、民衆はテュルク?
鮮卑→東胡の末、隋、唐の始祖?
契丹→東胡の末
柔然→東胡の末
粛慎→東胡の末
突厥→テュルク系といわれる
匈奴→?謎の民族? テュルク系? ゲルマン民族大移動のフン族? BC209年、東胡を破り四散させた。
71名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 12:23:41.48 ID:EvCzk4yK0
>>70
新旧かなり混ぜたねw
まあ断定できないのはおっしゃる通り
ただそこまでわかっていての(特定の資料だけをもって断定している)>>68はちょっと無いんじゃないかなと
72名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 12:36:22.12 ID:EvCzk4yK0
あとなぜ旧ソ連時代の説を採用したのかわからんけど
ツングースに関してはその節はほぼ否定されてるよ
元々は黄河以北にいたらしいというのが今の主流
73名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 15:51:30.76 ID:nBU7NZIo0
>>30
埋め戻しても基礎が遺跡を壊さなければいいはず それでも一応の文化財調査は必要だな
74名無しさん@13周年:2014/01/05(日) 16:16:14.90 ID:QY5zo9HL0
歴史は繰り返す
75名無しさん@13周年:2014/01/06(月) 01:51:03.88 ID:ZfnGGrsVP
ひょんなことから奥州藤原氏や義経の隠し財産が見つかるかもなwww
76名無しさん@13周年:2014/01/06(月) 01:56:00.11 ID:1SaBsUJ9O
なるほどなるほど

義経チンギスハーン説は
ある直感に基づいてるわけだな
77名無しさん@13周年:2014/01/06(月) 01:57:17.87 ID:crz5vkjv0
ここらは安倍氏とかだっけか。蝦夷やな
78名無しさん@13周年:2014/01/06(月) 01:59:32.46 ID:zy3RKqAK0
>>53
傍系から入った主君殺しの簒奪者が焼いちゃったからな
79名無しさん@13周年:2014/01/06(月) 02:18:38.61 ID:LZ7O1d9VO
斯波、大崎、葛西と滅んで、その後、国人一揆とか、めちゃくちゃに撲滅されて、伊達氏に入れ替えされてから、また弾圧、まともな歴史が残ってない。
朝鮮半島状態…
80名無しさん@13周年:2014/01/06(月) 02:22:33.08 ID:LZ7O1d9VO
ああ、南部館の火事だね…
信直に取っては、南部の文書なんて邪魔だろう…
九戸なんかの資料もないだろうからな… 南部資料が残ってたら凄い事になってただろうなぁ…
三日月が真ん丸なるまで南部領!
81名無しさん@13周年:2014/01/07(火) 01:07:09.59 ID:q57dtkPSO
<丶`∀´>「実は韓国人だったニダ!だから平泉は韓国のものニダ!」
82名無しさん@13周年:2014/01/07(火) 06:15:07.62 ID:Euk56z/S0
>>79
朝鮮と近いのはむしろ関西なんだよ

手掌紋D線3型出現率から求めた朝鮮人との距離

朝鮮 0
近畿 0.007←
中部 0.012
中国 0.035
九州 0.035
四国 0.038
関東 0.048
東北 0.068
南西諸島 0.092
アイヌ 0.118

山口敏「日本人の顔と身体」より
83名無しさん@13周年
>>82
もう一度>>79を読んでみて自分の書き込みがおかしいと思えなければもう君には期待しないよ