>>1で言ってるのは、基本的には船場語だろう。
船場語は、京都語(正確には、洛中旧下京の町衆の言葉)の影響が例外的に強い。
しかも、江戸時代の船場の商家は、近江や伊勢の出身者が多く、
彼らは丁稚のリクルートを、地元で行い続けたから、
更に東近畿方言(生駒山・天王山より東側の方言)の影響が強まった。
もともと、大坂三郷は、摂河泉とはどれとも違う、言葉の島のような状態だった。
船場商人の末裔たちが、帝塚山どころか、芦屋や東灘に引っ越してしまい、
企業が、大阪どころか、東京で東大や早慶の学生をリクルートするようになった現在では、
もう、船場語の命運は尽きていると言えると思う。これでは担い手がどこにもいない。
なお、芦屋や東灘の旧商家の末裔たちは、今では、
どこか東京語の雰囲気を漂わせる、あまり「コテコテ臭」がしない不思議な方言を使っている。
アクセントも甲種か乙種か怪しいような、変なことになっているし、
敬語法も、教科書に出てくる標準語にかなり引き寄せられている。