【政治】 戦前から日本は「スパイ天国」だった!

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428名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:13:59.32 ID:ynsLuDDtP
知ってた
429名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:14:13.63 ID:Y5+SvJwI0
http://blog-imgs-42.fc2.com/o/m/o/omoixtukiritekitou/201109090642581d6.jpg
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430名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:34:28.08 ID:Gaw9xQ4cO
当時の進歩的文化人(笑)は多かれ少なかれ
共産主義にシンパシーを感じていた
日本は共産主義の危険性をいち早くわかって弾圧した
アメリカはアホだから共産主義の危険性をわからず
ソ連を唆し日本を叩いた

さもありなん
431名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:35:36.08 ID:9KfBP5Sc0
いまや総理が朝鮮人だしな 安倍
大阪市長もバリバリの在日朝鮮人な 橋下
432名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:35:57.10 ID:1oWxwqIAi
朝日新聞と近衛文麿が日本を北朝鮮型の情報統制の国家社会主義国家に変質させ敗戦に導いた。

近衛の大陸政策のブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、日ソ中立条約締結、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。
尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。
ゾルゲ事件では尾崎の同僚であった朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。

史実を追えば、近衛と尾崎は日本を国家社会主義国家にするためのきっかけとして盧溝橋事件を率先して拡大した。

1937年7月11日、現地軍は第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。

しかし、7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。

1940年に近衛内閣で大政翼賛会が出来、日本は単一政党しかなくなった。これが政治的には国家社会主義体制の開始だろう。

経済的には、1940年12月7日に「経済新体制確立要綱」が作られる。これにより統制経済が始まる。
1942年5月26日には傘下組織である日本文学報国会が結成。

1942年6月23日には大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本婦人会・大日本青少年団の6団体を傘下に統合した。

1942年12月23日には大日本言論報国会が結成された。

こうして朝日新聞の所為で日本は国家社会主義国家になったのだ。
433名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:38:14.78 ID:jlSyKvGmO
>>431
誰が総理なら良いの?
返答無き場合は431が工作員確定な。
434名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:38:38.05 ID:F+dMcuh70
情報せっせと集めたにもかかわらずスルーされた東機関カワイソス
アホアベゲリッピは大亜本営の失敗を繰り返さんように。
435名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:40:05.97 ID:1oWxwqIAi
戦後の朝日の工作の大成功事例は細川連立政権だ。

細川護熙は、朝日新聞記者の記者だった。

細川が現在の日本の政治の混迷の源泉だ。民主党の議員は細川新党ブームで政権奪取したこの時、国会議員になった者が多い。
日本の今日に至る衰退、解体はこの時に始まったと言っていい。

細川は、公爵近衛文麿の孫で元朝日新聞の記者。
日本には華族出身のコミュニストで売国奴が結構いる。

コミンテルンのスパイだったゾルゲの共犯で死刑になった朝日新聞の尾崎秀美に操られて太平洋戦争を招いた近衛文麿。
大学時代にわざわざ東大から京大に移り、マルクス経済学の河上肇に学んだ。
フランス留学中もコミュニストと交流。
近衛内閣のブレーンはコミュニストばかりだった。ある意味、日本は赤化して資本主義の総本山のアメリカに戦争を挑んだ。これが事実だ。

細川の父親も侯爵の家に生まれ、コミュニストの巣で「官庁人民戦線」で知られる企画院事件があった企画院顧問。近衛文麿の側近だった。

また、近衛文麿のブレーンになった公爵西園寺家の嫡男の西園寺公一は、ゾルゲ事件で尾崎秀美らと同様に逮捕。他の共犯者は死刑だったが、公爵家を廃嫡で済んだ。戦後、中国に移住し大臣級の扱い。

日本解体を狙う売国勢力に華族は神輿として担がれやすいのだ。
細川が出てくる運動は日本解体工作だ。
436名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:49:10.00 ID:1oWxwqIAi
現日本国憲法のドラフトの一つを作成した鈴木安蔵も朝日と同じバターンだ。戦前はアジア主義で戦争を、煽った。実はアカだった。
マルクス経済学者の河上肇の門下で近衛文麿と同門だ。
朝日新聞と同じく、アジア主義で対米戦争に誘導している。
敗戦革命を企図していたのは間違いない。

戦時中は「即ち日本が大東亜共栄圏建設の指導、中核国家たるべきことは、あらゆる点よりみて絶対的客観性を有している」(『政治文化の新理念』、1942年、利根書房)、「東亜共栄圏の確立、東洋永遠の平和の確保と云うも、
なお目的の究極を尽せるものとは云い難い。八紘一宇の大理想を以て皇道を全世界、全人類に宣布確立するにあると云わねばならないのである」(『日本政治の基準』、
1941年、東洋経済新報社出版部)という大東亜共栄圏のイデオローグであった。

で、それ以前は、
相馬中学、二高を経て、京都帝国大学哲学科に入学。文学部哲学科に入学したものの、
河上肇の影響を受け経済学部に転じる。1926年(大正15年)京都学連事件で検挙され、この事件が治安維持法違反第1号となり大学を自主退学、豊多摩刑務所に2年間服役した。
出獄後は吉野作造(明治文化研究会を結成し『明治文化全集』を編集)の影響を受け、マルクス主義の立場から大日本帝国憲法の制定史を研究、
1933年(昭和8年)、著書『憲法の歴史的研究』として刊行したが「唯物史観的」として発禁処分を受け学界からは完全にパージされてしまった。

鈴木以外の憲法研究会のメンバーはマスコミ関係ばかりだな。
こいつら赤でインテリで英語がてきたなら、GHQで検閲官してた。

戦後の鈴木は、社会統計学者の高野岩三郎(元東大教授、後に初代NHK会長)らと「憲法研究会」を結成することになった。「憲法研究会」は、終戦直後の1945年10月末に高野が鈴木に提起し、同年11月5日、杉森孝次郎(元早大教授)、
森戸辰男(元東大助教授で後に片山・芦田内閣の文部大臣)、室伏高信(評論家・元朝日新聞記者)、岩淵辰雄(政治評論家・元読売新聞政治記者)ら
当時日本を代表する言論人が参加した、民間の憲法制定研究団体である。
437名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:51:11.23 ID:KdB6odUU0
日本は同名結んだドイツ調べる為にドイツに一番諜報員を送ったからね
この時点で判断ミスでしょ
438名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:53:30.71 ID:1oWxwqIAi
>>437
そうでもないぞ。ゾルゲもドイツ人だったがコミンテルンのスパイだった。
439名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:56:15.53 ID:KdB6odUU0
ドイツがソ連に進攻して同盟国として失敗だったとい逸話があるじゃん
440名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 09:57:33.03 ID:1oWxwqIAi
瀬島龍三など大本営の参謀はコミンテルンと連携し敗戦革命のために間違った戦争指導していた可能性すらある。

コミンテルンは、コミュニストに積極的に軍に入るように進めていた。敗戦に導き、革命武力を得るためだ。

大本営には正しい戦果の報告が上がっていたが瀬島が握り潰していた。そして、楽観的作戦で敗北を重ねた。

この辺りは堀栄三大本営参謀の回想録 『大本営参謀の情報戦記』 に詳しい。

また、瀬島は敗戦直前に満州に軍使として渡り、ソ連と交渉。帰還できたがあえてせず、シベリアで赤化した日本のトップとなるべく訓練を受けたとされる。

また、シベリア抑留も日本の関東軍参謀がソ連軍と交渉し、賠償のかわりに日本兵を労働力として提供するという密約を交わしていたという説もある。

しかし、実際は賠償の代わりで無く、思想訓練して革命軍として使うつもりだったろう。
実際、抑留者は日本帰国時は「天皇島に上陸し、革命軍として戦う」とインターナショナルを歌いながら上陸した。

戦後、瀬島は伊藤忠でトップになったが、東芝のココム違反事件で、ソ連に工作機械を輸出する指示を出したのは瀬島とされている。

日本にとって第二次世界大戦はコミンテルンによって仕組まれ敗戦したのだ。
441名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:07:04.77 ID:xabNfFev0
外人「日本は(スパイにとっては)とてもいいところ」
442名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:13:58.21 ID:Gaw9xQ4cO
>>437
ドイツがソ連に侵攻するように
欧州の情勢は複雑怪奇ですからw
日独伊三国同盟がまともに機能したとも
思えないんだが
443名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:19:36.84 ID:v+YspodL0
>明石元二郎
>福岡藩士・明石助九郎の次男として元治元年(1864年)に福岡の大名町に生まれる。
>藩校修猷館(現在の福岡県立修猷館高等学校)を経て
>明治16年(1883年)に陸軍士官学校(旧陸士6期)を卒業し、
>更に同22年(1889年)に陸軍大学校(5期)を卒業する。
>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3%E5%85%83%E4%BA%8C%E9%83%8E

この人は江戸時代に、侍の家に生まれ、侍として育てられた侍だ。
だから戦の厳しさ、戦争の過酷さを体で理解していた。
だけど、それ以降の、こういう侍以降の日本の指導者は、
侍の哲学や処世方法を、きちんと理解できない、誤解していた、
侍の上辺だけコピーしていた、そういう浅いところがあったと思う。
444名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:23:23.49 ID:1oWxwqIAi
>>443
日本は、維新の功臣の元老がいて薩長閥の時代は機能していたが、学校秀才に世代交代した昭和に入ってからは機能せず失敗だった。
統帥権を盾に赤化した軍の一部が対外戦争で危機を作り、赤い華族とマスコミが結託して国家社会主義を進めた。
天皇親政の建前では歯止めがない状態だったのだ。

史実を追えば、近衛は日本を社会主義国家にするためのきっかけとして盧溝橋事件を拡大した。

1937年7月11日、北平特務機関長の松井久太郎大佐と大使館付武官補佐官の今井武夫少佐は、第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。
近衛は日本を社会主義国家にするためのきっかけとして盧溝橋事件を拡大した。

1940年に近衛内閣で大政翼賛会が出来、日本は単一政党しかなくなった。これが政治的には国家社会主義体制の開始だろう。
経済的には、1940年12月7日に「経済新体制確立要綱」が作られる。これにより統制経済が始まる。
1942年5月26日には傘下組織である日本文学報国会が結成。
1942年6月23日には大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本婦人会・大日本青少年団の6団体を傘下に統合した。
1942年12月23日には大日本言論報国会が結成された。

こうして日本は国家社会主義国家になったのだ。

帝国憲法でなく、GHQ憲法でない国づくりが必要だ。だが、自民党案は国家社会主義を進める方向だ。
現実的には徐々に改憲していくしかない。
445名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:25:44.07 ID:QNo5+1GS0
>>2
あの当時から思ってたんだけど、重い病気の家族を持つやつを重職につけるなよ…
というか病気になった時点で職を解いて隔離監禁だろうが
おままごと軍隊はこんなんだから中国にばかにされるんだ
446名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:32:46.24 ID:1oWxwqIAi
手遅れだが慰安婦問題は、朝日新聞を使った中国共産党の日韓の離間策であった。また、最近は米国慰安婦も問題になり、韓国国内では、反米かつ反政府運動になりつつある。
また、慰安婦問題を米国内で拡散しているのは中国だ。

中国は北朝鮮のスパイを韓国のマスコミや教育界に送り工作。アホな韓国は向こうに行った。
元日本人と日本人の泥仕合を中国と朝日新聞はあざ笑っているはずだ。
次に中国共産党は日米離間を狙っている。真の敵は中国。

第二次世界大戦でも、アメリカの国内世論を南京大虐殺で反日に誘導したのは中国共産党。
アメリカ国内で、反日運動を行ったのはコミンテルンの活動家で南京大虐殺について描かれた「アジアの戦争」の著者エドガー・スノーらだった。
また、同様にジャーナリストとして日本批判記事をアメリカの新聞に送っていたスメドレーはゾルゲ諜報団のメンバー。赤狩りで国外脱出後、急死。
さらに「大虐殺」の証拠の一つとされた『ラーベ日記』筆者、ジョン・ラーベは、コミンテルンの大物スパイ、
ゾルゲの活動を上海で支援していた赤軍諜報部員の友人だった。

で現代に戻ると、以下は産経記事。
日本非難を露骨にしたこんな活動を米国内で一貫して進めるのは一体、だれなのか。日本側では単に「韓国ロビー」というだけで、その実態は伝えられない。
すでに慰安婦碑を建てた東部のニュージャージー州などでの動きを含めて表面に出るのは、
ごく少数の韓国系米国人の名と特定地域で旗揚げした「カリフォルニア州韓国系米国人フォーラム(KAFC)」というような新参の団体名だけなのだ。
全米規模で機能する韓国系組織の存在は感じられない。
そんなことをいぶかっていたら真の主役がやはり顔を出してきた。

中国系在米反日組織の「世界抗日戦争史実維護連合会」(抗日連合会)である。
抗日連合会はカリフォルニアやニュージャージーでの慰安婦像などの設置を自己の活動の「最新の前進」として自サイトで
公式に発表したのだ。米国各地での慰安婦像の設置を今後も推進すると宣言していた。

産経13年8月31日
(ワシントン駐在客員特派員 古森義久)
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130831/amr13083108510003-n1.htm
447名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:33:50.02 ID:SvtYbWedO
>>445 中国以前に内局や公安に馬鹿にされてるがな
防大卒は書類もマトモに書けない無能で有名。
戦前のエリート達とは別物さ
448名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:35:32.65 ID:uXNK+1z30
今更“スパイ”だなんて言葉使わなくたって目に見える周りにはばかる事なく
うじゃうじゃ居るよ。民主党、共産党、社民党、生活、公明党…!
大マスコミはNHK,朝日、毎日、東京、中日、共同…!

スパイ、売国天国、極楽浄土日本だね!
449名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:37:24.60 ID:1oWxwqIAi
>>448 維新が抜けてる。
橋下は、中国のスリーパー政治家だ。
その証拠は、ある。
今こそ保守なら中国を批判するはすだ。政府の弱腰を批判し、アピールするチャンスだ。今こそ橋下の攻撃性を発揮する時のはずなのに、批判を一切しないことが最大の証明だ。
因みに石原も批判しない。石原は橋下の共犯で売国奴だ。

アメリカ合衆国から堺市まで、市長の立場を逸脱して全方位に喧嘩を売っているのに、まともに国家としての中国や中国共産党を批判したことは本当に一回もない。

一度、尖閣関連で「品がない」などと人柄に例えて批判めいたことはしたが、その時は領土問題と認めて国際司法裁判所に提訴すべきという売国発言の偽装だった。
http://www.j-cast.com/s/2012/09/28148180.html

橋下が首相になれば日米離間し、日中戦争になり核の威圧で意図的に敗戦に誘導されていただろう。

日本はスリーパー政治家だった近衛文麿によって一度滅んだ。

朝日新聞によって軍も首相も世論もアジア進出、対米開戦に誘導された。結果敗戦した。

今も続く中国共産党の対日工作の実態を知るため、近衛文麿が天皇陛下に終戦を勧めるため上奏した近衛上奏文を読んで欲しい。
基本は、平成での工作も同じだ。表は愛国、裏は親中政権を樹立し、日米離間し、中国と紛争を起こし、国内を危機感で統制し独裁化、道州制導入、その上で中国と戦い敗戦講和、結果沖縄独立、敗戦革命でアジア共同体日本民主共和国となる。

(以下抜粋)

抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。

これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。、
450名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:37:27.04 ID:jR9F5fI70
江川紹子にゃー
451名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:43:46.72 ID:hhkMnACzO
極右政党が出てきたらそこに入れるわ
452名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:44:18.13 ID:1oWxwqIAi
中国に称賛された橋下大阪市長が日本の政治に与えた衝撃

2012年04月23日09時45分
 「中日友好協会」の会長である唐家セン元中国国務委員が4月22日に来日し、橋下大阪市長と会談したという。
 このニュースだけでも驚きだが、もっと驚いたのは唐家セン会長が橋下市長を「(今後)大きな成果を収めるだろう」と称賛したことだ。
 それに応えるかのように橋下市長は唐家セン会長と抱き合って、「(両国は)時にはいろいろとぶつかるかもしれないが、心の底からの友情関係があれば困難を乗り超えていける」と歓迎したことである。
 この重要な出来事を、わずか4月23日の毎日新聞が一段の小さな記事で報じるだけであった。
 しかし、この唐家セン・橋下会談は今後の日本の政局を揺さぶることになるだろう。
 この唐家センの橋下称賛はどう解釈すればいいのだろうか。
 橋下市長は日の丸、君が代問題に見られるように愛国、タカ派の急先鋒だ。
 そのタカ派的な親和性により橋下維新の会と石原慎太郎の緊密さが取り沙汰されている。
 しかも石原慎太郎の尖閣諸島買取発言が世の中を騒がしている。
 それを承知で中国はあえて橋下市長をここまで持ち上げたのだ。
 中国が橋下氏を評価する背景に何があるのか。

http://lite.blogos.com/article/37375/
453名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:47:24.01 ID:0mgIrC8i0
今頃になって何言ってんだ
集英社いらない

先にそういう具体例を挙げながら必要性を説いて
それから対象や要件を絞るように書けばよかったものを

きもちわるいよ、おまえんとこの出版物
454名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:49:27.71 ID:1oWxwqIAi
戦後の朝日の工作の大成功事例は細川連立政権だ。

細川護熙は、朝日新聞記者の記者だった。

細川が現在の日本の政治の混迷の源泉だ。民主党の議員は細川新党ブームで政権奪取したこの時、国会議員になった者が多い。
日本の今日に至る衰退、解体はこの時に始まったと言っていい。

細川は、公爵近衛文麿の孫で元朝日新聞の記者。
日本には華族出身のコミュニストで売国奴が結構いる。

コミンテルンのスパイだったゾルゲの共犯で死刑になった朝日新聞の尾崎秀美に操られて太平洋戦争を招いた近衛文麿。
大学時代にわざわざ東大から京大に移り、マルクス経済学の河上肇に学んだ。
フランス留学中もコミュニストと交流。
近衛内閣のブレーンはコミュニストばかりだった。ある意味、日本は赤化して資本主義の総本山のアメリカに戦争を挑んだ。これが事実だ。

細川の父親も侯爵の家に生まれ、コミュニストの巣で「官庁人民戦線」で知られる企画院事件があった企画院顧問。近衛文麿の側近だった。

また、近衛文麿のブレーンになった公爵西園寺家の嫡男の西園寺公一は、ゾルゲ事件で尾崎秀美らと同様に逮捕。他の共犯者は死刑だったが、公爵家を廃嫡で済んだ。戦後、中国に移住し大臣級の扱い。

日本解体を狙う売国勢力に華族は神輿として担がれやすいのだ。
細川が出てくる運動は日本解体工作だ。
455名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:54:25.53 ID:fI5BbdhT0
>>454
何で同じ内容ばかり書くの?
少しずつ内容をアップデートさせろよ。
それとも、あんたの知っている情報はそれ以上無いということですか?
456名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 10:57:20.96 ID:1oWxwqIAi
松下が中国に技術を売った。

中国と松下の関係は、まだ松下電器産業だった昭和53年にさかのぼる。当時、副首相だったケ小平氏が大阪府茨木市のテレビ工場を訪れた際、出迎えた松下幸之助氏(当時相談役)に「中国の近代化を手伝ってくれませんか」と頼んだのが発端だ。

幸之助氏は「できる限りのお手伝いをします」と返し、翌54年には北京に駐在員事務所を開設。62年にはブラウン管製造の合弁会社を北京に設立し、
日本企業では戦後初めて中国に工場進出した。その後も次々と合弁会社の設立を進めた。

出会いから30年後の平成20年。来日した胡錦濤国家主席が大阪府門真市の松下の本社を訪れた。そのとき、胡主席は予定にない行動に出た。
出迎えた松下正治氏(当時名誉会長)に歩み寄ると「中国の発展に尽くしていだたき、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べたのだ。

第2代社長の正治氏は幸之助氏とともにケ小平氏を出迎えた1人。胡氏の振る舞いは「井戸を掘った人を忘れない中国」の姿を、あらためて関係者に印象づけた。
457名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 11:05:25.97 ID:QueVRuh00
昭和軍部の情報と兵站の軽視というか無視ぶりは、
これからの日本人が忘れてはいけないことの一つだよ。
458名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 11:11:48.49 ID:1oWxwqIAi
>>457
瀬島龍三など大本営の参謀はコミンテルンと連携し敗戦革命のために間違った戦争指導していた可能性すらある。

コミンテルンは、コミュニストに積極的に軍に入るように進めていた。敗戦に導き、革命武力を得るためだ。

大本営には正しい戦果の報告が上がっていたが瀬島が握り潰していた。そして、楽観的作戦で敗北を重ねた。

この辺りは堀栄三大本営参謀の回想録 『大本営参謀の情報戦記』 に詳しい。

また、瀬島は敗戦直前に満州に軍使として渡り、ソ連と交渉。帰還できたがあえてせず、シベリアで赤化した日本のトップとなるべく訓練を受けたとされる。

また、シベリア抑留も日本の関東軍参謀がソ連軍と交渉し、賠償のかわりに日本兵を労働力として提供するという密約を交わしていたという説もある。

しかし、実際は賠償の代わりで無く、思想訓練して革命軍として使うつもりだったろう。
実際、抑留者は日本帰国時は「天皇島に上陸し、革命軍として戦う」とインターナショナルを歌いながら上陸した。

戦後、瀬島は伊藤忠でトップになったが、東芝のココム違反事件で、ソ連に工作機械を輸出する指示を出したのは瀬島とされている。

日本にとって第二次世界大戦はコミンテルンによって仕組まれ敗戦したのだ。
459名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 11:12:05.08 ID:uXNK+1z30
廃原発で安倍に牙を剥く小泉と細川との接近が取りざたされてますが
この二人の関係式っての何か意味あるんですかね?細川の怪しげな背景
説明して頂いていますが此処に来ての小泉の登場が面白いですね。何と
なく反安倍の旗掲げてるとこが興味あります。誰か解説して?
460名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 11:14:37.63 ID:1oWxwqIAi
>>459
その通りだ。
元朝日新聞記者で元首相の細川護熙がマスコミを使って小泉支援で出てきた。これは要注意だ。

細川が現在の日本の政治の混迷の源泉だ。民主党の議員は細川新党ブームの時、国会議員になった者が多い。
日本の今日に至る衰退、解体はこの時に始まったと言っていい。

細川は、公爵近衛文麿の孫で元朝日新聞の記者。
日本には華族出身のコミュニストで売国奴が結構いる。

朝日新聞の尾崎秀美に操られて太平洋戦争を招いた近衛文麿。
大学時代にわざわざ東大から京大に移り、マルクス経済学の河上肇に学んだ。
フランス留学中もコミュニストと交流。

細川の父親も侯爵の家に生まれ、コミュニストの巣で企画院事件があった企画院顧問。近衛文麿の側近だった。

また、近衛文麿のブレーンになった公爵西園寺家の嫡男の西園寺公一は、ゾルゲ事件で尾崎秀美らと同様に逮捕。他の共犯者は死刑だったが、公爵家を廃嫡で済んだ。戦後、中国に移住し大臣級の扱い。

日本解体を狙う売国勢力に華族は神輿として担がれやすいのだ。
細川には注意しろ。
461名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 11:19:17.69 ID:1oWxwqIAi
>>459
小泉の狙いは、自民の分裂と反原発での反原発の偽装保守の第二民主党の結党以外ない。

自民党が一強で、野党は維新がアホなせいでバラバラ。今、野党に手を突っ込む必要はない。

観測気球をあげたが世論がついて来ないので「新党の意図ない」に1日開けて後追いでマスコミを使って修正している。

だが、真の狙いは反原発の偽装保守新党だ。細川、小泉親子と小沢と細野、細野に隠れて前原、みんなの江田、見捨てられた橋下も金魚のフンの様に協調しつつある。

「反原発」のワンイシューで自民も割り第二民主党を作ろうとする動きだ。野合でしかない。

日本解体が目標の親中、左翼、民主残党の受け皿作りだ。
本当は彼らは郵政民営化と同じでテーマは、「壊す手間と摩擦はある反面、壊すと既存の日本のシステム全体に影響が大きく、利益が少ない」と自民党が反対するだろう既存の巨大システム破壊ならなんでもいいのだ。

現在の日本の政治の混迷の源泉は、新進党であり細川だ。
民主党の議員はこの新党ブームの時、国会議員になった者が多い。
第二次大戦での対米戦に導いたのは近衛だったが、細川は近衛の孫だ。日本人は貴種を信じる傾向がある。
また、小泉も現在の日本の惨状の戦犯だ。郵政民営化は無意味だった。何も景気とも成長とも関係なかった。今でいえば、都構想や道州制だ。
基本的には橋下が近衛の役で、日米離間し、中国と争って負ける敗戦革命が基本だったろう。
これが失敗し、利用済みの細川、小泉まで動員されたのだ。橋下のテレビ取材が一台になったことと小泉親子の露出激増。
この動きは、橋下切り捨て小泉親子推し開始を意味している。

この背景には中国共産党と、左翼から転向したアメリカの新自由主義者がいる。
462名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 11:27:12.77 ID:JIzoygv/O
天皇皇室財界は太平洋戦争で儲けた。連中はメイソン傀儡。
→田布施部落★
→天皇の金塊★
→天皇の陰謀★

→5連続地震
→カルト指定
→オウム事件整理
→123便墜落の真相
→マグナBSP
→創価警察

→産経統一教会
→読売CIA
→朝日新聞主筆CIA
→毎日創価新聞
→NHK共産党

→携帯電話移動履歴監視
→田布施部落
→集団ストーカー
→地震兵器
→日銀株主
→ケムトレイル

→不正選挙疑惑
→思考盗聴特許
→洗脳研究所
→帰化政治家
→秘密保全法
→アーロンルッソ
463名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 11:30:11.01 ID:1oWxwqIAi
現日本国憲法のドラフトの一つを作成した鈴木安蔵も朝日と同じバターンだ。戦前はアジア主義で戦争を、煽った。実はアカだった。
マルクス経済学者の河上肇の門下で近衛文麿と同門だ。
朝日新聞と同じく、アジア主義で対米戦争に誘導している。
敗戦革命を企図していたのは間違いない。

戦時中は「即ち日本が大東亜共栄圏建設の指導、中核国家たるべきことは、あらゆる点よりみて絶対的客観性を有している」(『政治文化の新理念』、1942年、利根書房)、「東亜共栄圏の確立、東洋永遠の平和の確保と云うも、
なお目的の究極を尽せるものとは云い難い。八紘一宇の大理想を以て皇道を全世界、全人類に宣布確立するにあると云わねばならないのである」(『日本政治の基準』、
1941年、東洋経済新報社出版部)という大東亜共栄圏のイデオローグであった。

で、それ以前は、
相馬中学、二高を経て、京都帝国大学哲学科に入学。文学部哲学科に入学したものの、
河上肇の影響を受け経済学部に転じる。1926年(大正15年)京都学連事件で検挙され、この事件が治安維持法違反第1号となり大学を自主退学、豊多摩刑務所に2年間服役した。
出獄後は吉野作造(明治文化研究会を結成し『明治文化全集』を編集)の影響を受け、マルクス主義の立場から大日本帝国憲法の制定史を研究、
1933年(昭和8年)、著書『憲法の歴史的研究』として刊行したが「唯物史観的」として発禁処分を受け学界からは完全にパージされてしまった。

鈴木以外の憲法研究会のメンバーはマスコミ関係ばかりだな。
こいつら赤でインテリで英語がてきたから、GHQで検閲官してた。

戦後の鈴木は、社会統計学者の高野岩三郎(元東大教授、後に初代NHK会長)らと「憲法研究会」を結成することになった。「憲法研究会」は、終戦直後の1945年10月末に高野が鈴木に提起し、同年11月5日、杉森孝次郎(元早大教授)、
森戸辰男(元東大助教授で後に片山・芦田内閣の文部大臣)、室伏高信(評論家・元朝日新聞記者)、岩淵辰雄(政治評論家・元読売新聞政治記者)ら
当時日本を代表する言論人が参加した、民間の憲法制定研究団体である。
464名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 13:17:24.55 ID:1oWxwqIAi
>>463
この高野岩三郎は逆賊だ。これが戦後最初のNHKの会長だ。天皇制をやめ、大統領制で共和国にしよとしていた。

改正憲法私案要綱

高野岩三郎

改正憲法私案要綱
根本原則

天皇制ニ代ヘテ大統領ヲ元首トスル共和制ノ採用
第一 主権及ビ元首

日本国ノ主権ハ日本国民ニ属スル

日本国ノ元首ハ国民ノ選挙スル大統領トス
大統領ノ任期ハ四年トシ再選ヲ妨ゲザルモ三選スルヲ得ズ

大統領ハ国ノ内外ニ対シ国民ヲ代表ス
立法権ハ議会ニ属ス

議会ノ召集開会及ビ閉会ハ議会ノ決議ニヨリ大統領之ニ当ル大統領ハ議会ヲ解散スルヲ得ズ

議会閉会中公益上緊急ノ必要アリト認ムルトキハ大統領ハ臨時議会ヲ召集ス
大統領ハ行政権ヲ執行シ国務大臣ヲ任免ス
条約ノ締結ハ議会ノ議決ヲ経テ大統領之ニ当ル
爵位勲章其他ノ栄典ハ一切廃止ス、其ノ効力ハ過去与へラレタルモノニ及ブ
465名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 15:28:57.59 ID:1oWxwqIAi
道州制を戦後、言い出したのは、松下幸之助。松下は中国に工場を作り技術を教え、天安門事件の時に操業を始めた売国奴。

道州制を推進しているのは、松下幸之助の作ったPHPの元会長で、みんなの党の最高顧問の江口。

因みに、松下政経塾は中国のスパイの拠点だった。

道州制は日本国解体を目指す中国の工作。

中国書記官スパイ?松下政経塾にも…政官に人脈
http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20120529-OYT1T00176.htm
 警視庁公安部が出頭要請した在日中国大使館の1書記官(45)は、中国を代表する情報機関である人民解放軍総参謀部の出身で、公安当局は着任当初からスパイとみて、動向を警戒していた。

 母国語のように日本語を操り、松下政経塾にも在籍していた“日本通”の書記官。人民解放軍所属という経歴を隠し、国内で独自の人脈を築いていた。

 警察当局によると、書記官は1989年6月に人民解放軍傘下の外国語学校を卒業後、軍総参謀部に所属。93年5月、福島県須賀川市の友好都市である中国・洛陽市の職員を名乗り、
「須賀川市日中友好協会」の国際交流員として来日した。約4年間、福島県内に滞在し、95年4月〜97年3月、福島大学大学院に通い、日中関係に関する論文を執筆していたという。

 いったん帰国し、総参謀部と関係が深いとされる中国の調査研究機関「中国社会科学院」で日本研究所副主任を務めた後、99年4月に再来日した。

 この時には、松下政経塾に海外インターンとして入塾。同期生には、後の民主党国会議員もおり、政界への接点を得た。関係者によると、
書記官は総参謀部との関係については明らかにせず、「中国社会科学院」で日本の研究をしていると説明。財界にも幅広い人脈を広げていったという。

(2012年5月29日07時45分 読売新聞
466名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 15:33:25.89 ID:1oWxwqIAi
中国と松下の関係は、まだ松下電器産業だった昭和53年にさかのぼる。当時、副首相だったケ小平氏が大阪府茨木市のテレビ工場を訪れた際、
出迎えた松下幸之助氏(当時相談役)に「中国の近代化を手伝ってくれませんか」と頼んだのが発端だ。

幸之助氏は「できる限りのお手伝いをします」と返し、翌54年には北京に駐在員事務所を開設。62年にはブラウン管製造の合弁会社を北京に設立し、
日本企業では戦後初めて中国に工場進出した。その後も次々と合弁会社の設立を進めた。

出会いから30年後の平成20年。来日した胡錦濤国家主席が大阪府門真市の松下の本社を訪れた。そのとき、胡主席は予定にない行動に出た。
出迎えた松下正治氏(当時名誉会長)に歩み寄ると「中国の発展に尽くしていだたき、ありがとうございます」と感謝の言葉を述べたのだ。

第2代社長の正治氏は幸之助氏とともにケ小平氏を出迎えた1人。胡氏の振る舞いは「井戸を掘った人を忘れない中国」の姿を、あらためて関係者に印象づけた。
467名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 19:24:44.39 ID:1oWxwqIAi
アメリカは戦後、共産主義への防波堤だった日本を壊したことがコミンテルンの罠で失敗だったことを悟る。
それで、日本を再軍備しアメリカ寄りの政治家を育成した。

1946年からの東欧におけるソ連の支配の確立、1948年から1949年にかけてはベルリン封鎖がおきる。

また1949年の中国大陸ではアメリカが支援していた国民党でなく、中国共産党が支配。

ローゼンバーグ事件に代表される共産主義者による深刻な諜報活動により、ソ連は1949年には原爆開発成功。

これらの事態で、チャイナハンズと呼ばれた中国通とされた外交官を始めアメリカ国内外で赤狩り(1948年〜)がはじまり、多くが免職や自殺。

結局、第二次世界大戦の勝者はソ連と中国だった。操られたアメリカは何も得なかった。

このことを理解したアメリカは日本の占領政策を日本弱体化から再軍備、経済強化の逆コースに乗せた。公職追放指定者の処分解除とその逆のレッドパージを実施(1950年)。

その後は共産主義とアメリカが直接戦うことになり、朝鮮戦争(1950年6月〜)とベトナム戦争(1960年〜)をすることに。

イギリスやフランスは海外の植民地を失っただけだった。

日本とアメリカには戦う理由はなかった。コミンテルンと中国共産党に操られただけだった。

これが実態だ。間違いが有ったら指摘して欲しい。
468名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 19:26:21.80 ID:XqlSoDOJ0
近衛文麿や東条英機も日本の信用を落とし兵を無為に損耗させるためのスパイだったんだろ?
469名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 19:39:31.54 ID:1oWxwqIAi
>>468
近衛と大本営の一部が敗戦革命を狙ってたのは間違いないだろう。

無駄に、北方仕様の軍隊を南洋の島に分散してばら撒いた。

東条英機は、途中下車した近衛の線路に無理に乗せられた小役人。

だが、東条も朝日の策謀には気付いてはいただろう。

中野正剛の自殺は東条が朝日とゾルゲの策謀を話した結果だと考えないと自殺の理由がない。
470名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 19:46:45.93 ID:JIzoygv/O
笑止千万。太平洋戦争で、皇室、財界人は大儲けした。

薩長閥、田布施部落は歴史の最初からメイソンの手駒。

つまりは国家を超越して利用する存在。右翼左翼は目くらまし。田布施部落がどちらも輩出した。

→5連続地震
→天皇の金塊
→天皇の陰謀
→田布施部落

→カルト指定
→オウム事件整理
→123便墜落の真相
→マグナBSP
→創価警察

→携帯電話移動履歴監視
→集団ストーカー
→地震兵器
→日銀株主

→ケムトレイル
→不正選挙疑惑
→思考盗聴特許
→洗脳研究所
→帰化政治家
→秘密保全法
→アーロンルッソ
471名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 20:00:15.22 ID:1oWxwqIAi
>>470

笑えらるな。
皇族や華族で戦前より豊かな成った家があるか?

薩長閥は、皇道派や統制派に昭和に入っては取って代わられて大本営にも終戦時にはいない。誰がいたか?

革命を目指した連中は、華族や薩長閥を解体したかったんだよ。

北一輝なんかよめよ。その理想は今の日本に近い。

右も左も実は一体ということは認めるが、それだけだな。
472名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 20:15:10.64 ID:1oWxwqIAi
>>470
田布施についてもまともに調べたことあるのか?
山口と鹿児島には田布施があるが、どちらも現地の古文書では平安時代から出てくる地名だ。
そして、田布施は布施屋という救護所から来ているだけで特殊な地名ではない。

布施屋
■ 世界大百科事典 第2版の解説
奈良・平安時代,交通の要地,難所などに設けられた給食,宿泊の施設。行基(ぎようき)が畿内諸国の9ヵ所に設けたのが最初らしいが、
それらはいずれも平城京に入る交通の要地にあり,調・庸の運搬や都の造営のために地方から徴発されてきたあと,食物もなく苦しんでいる人民を見かねて、
その地の豪族からの援助を得て設けたものと解されている。

東大寺でも761年(天平宝字5)朱雀路の南端に近い大和国十市郡池上郷の寄進地に宿泊棟や倉庫を建て,果樹を植えて布施屋とした。
473名無しさん@13周年:2013/12/22(日) 20:44:50.15 ID:1oWxwqIAi
>>470
鹿児島出身のなりすましがいることは認める。

ルーズベルトの電報や日本の宣戦布告の伝達をワザと遅らせ開戦させた外務大臣の東郷 茂徳は朴という朝鮮人陶工の子孫。

東郷茂徳は豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に捕虜になり島津義弘の帰国に同行した朝鮮人陶工の子孫である。陶工達が集められた「苗代川」(現在の日置市東市来町美山)と呼ばれる地域では幕末まで朝鮮語が使われていたという。

薩摩藩は苗代川衆を保護、優遇し藩内の身分は士分とした。父・朴寿勝は優れた陶工で、横浜や神戸にも積極的に出かけ、外国人にも焼き物を売り込む実業家としての手腕にも長けていた。

夫人はユダヤ系ドイツ人のエディ・ド・ラロンド(婚約後に「東郷エヂ」と改名)。

外務省事務次官を務めた東郷文彦は女婿。

元ワシントンポスト記者の東郷茂彦、元オランダ大使・外務省欧亜局長(現:京都産業大学教授)の東郷和彦は双子の孫。
474名無しさん@13周年:2013/12/23(月) 04:05:08.60 ID:Zeg8tNMI0
歴史認識問題の「火元」は『朝日』
http://livedoor.blogimg.jp/hoshusokho/imgs/b/b/bb3bf12d.jpg

とあるシンクタンクの試算によると、朝日の捏造のせいで日本が失った国益は、金額にして数百兆円
朝日が犯した罪は果てしなく重い
475名無しさん@13周年:2013/12/23(月) 04:12:57.49 ID:F2o6lxTp0
>>200-204
2013/9/16
台湾TSMC1兆円投資 半導体受託生産、大連合で首位固め
http://www.nikkei.com/article/DGXNZO59631090S3A910C1X11000/
http://www.nikkei.com/content/pic/20130916/96958A9C889DE7EBE4E1E3E2EBE2E3E0E2EBE0E2E3E18AE3E3E2E2E2-DSXBZO5966890013092013000001-PB1-24.jpg
http://www.nikkei.com/content/pic/20130916/96958A9C889DE7EBE4E1E3E2EBE2E3E0E2EBE0E2E3E18AE3E3E2E2E2-DSXBZO5966885013092013000001-PB1-23.jpg
 TSMCは台湾当局の主導で1987年に誕生。いまなお経営の第一線に立つのが「台湾半導体産業の
ゴッドファーザー」と呼ばれる張忠謀(モリス・チャン)董事長兼最高経営責任者(CEO、82)。
張董事長の功績は顧客の生産や設備投資を肩代わりするファウンドリー(半導体受託生産)専業の
ビジネスモデルを考案したことだ。
 この結果、半導体の開発・設計に特化する米クアルコムや米エヌビディアなど「ファブレス(工場無し)」メーカー
が急速に台頭。ファブレスとファウンドリーの水平分業で生み出された低コストの半導体は2000年代以降、
市場を席巻し高コストの日本メーカーをけ散らした。
■情報統制、厳戒モード
 台湾積体電路製造(TSMC)は世界600社超の顧客から製品情報を預かり、半導体を受託生産している。
今後は米アップルが20日に発売するスマートフォン(スマホ)「iPhone(アイフォーン)5s」の心臓部となる
製品も生産するとの観測もある。機密流出は信用にかかわるため、TSMCのオフィスや工場の情報管理は
常に厳戒態勢。ピリピリムードさえ漂う現場を取材した。
 「すみません。ここで立ち止まらないでください」。台南市の南部サイエンスパークで来年2月に量産に入る
新工場「P5」。向かい側の道路から眺めていると、警備員とおぼしき男性が声を掛けてきた。外観をもとに
内部の構造などをイメージされたくない――。そんな雰囲気だ。
476475:2013/12/23(月) 04:15:07.69 ID:F2o6lxTp0
 最先端工場に出入りする業者の扱いはもっと厳しい。スマホやUSBメモリーをうっかりロビーに持ち込んだ
だけでも、一定期間の出入り禁止になる。「TSMC側の担当者や上司まで罰を受け、ボーナス査定にも響く」
(取引業者)というから驚きだ。
 「どうしても電話が必要な場合、これを買わされるんです」。ある台湾人業者が見せたのはカメラ機能がない
中国の華為技術(ファーウェイ)製の専用携帯電話。3000台湾ドル(約9900円)を支払ったという。
 TSMCでは2001年に女性マネジャーが機密情報を持ち出し、中国の同業大手、中芯国際集成電路製造
(SMIC)に転職する事件が発生。TSMCは提訴して勝利したが情報管理に神経をとがらすようになった。
■アップルと関係強化狙う
 新竹サイエンスパーク(新竹市)にある本社でも、ロビーに一歩入ったとたんにスマホの電波が途切れる。
トイレには機密保持を呼びかけるプレートがずらりと並ぶ。受託生産需要が拡大し、顧客が増え続けている
のが理由だが「アップルとの関係強化の影響」とうわさする関係者も多い。

 アップルのAシリーズは生産開始の1年半前までに発注契約が結ばれるとされる。TSMCは次世代の「A8」
については独占受注したが、次々世代の「A9」はサムスンが奪い返すとの見方もある。TSMCはアップル
との関係強化に動いており、情報管理も厳しさを増すのは確実。「いまでさえ空港検査より厳しいのに」
という出入り業者のため息が聞こえてきそうだ。
477名無しさん@13周年
知ってた