【論説】 池田信夫「朝日新聞は国から利権を獲得するために自発的に言論統制してきた歴史がある」
131 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 09:36:44.45 ID:N24KiFhf0
ふむ・・・・なるほど興味深い記事だな。どうせならもう少し突っ込んで欲しいがな。
たまには池田信夫も記事かけるんだ。
132 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 09:38:08.23 ID:EuA5ZPr80
まあ、朝日に限らず、大手新聞社は皆似たようなものだ。
戦前戦中は大政翼賛一辺倒で、戦後一斉に手のひらを返す。
あれでマスコミ嫌いになった人はかなり多かったと思われる。
マスコミなんて、「自分たちに都合が悪い事」はまず書かない・報道しない。
発表せざるを得ないと判断した場合にのみ、発表する。
今の大多数の政治家と同じで、「保身」しか頭にないと思って間違いない。
これを頭に入れておかないと、マスコミから騙されることになる。
最近右も左も言いたい放題になってきたな>ノブオ
「スレッドのタイトルに池田信夫って入れろ」って毎回書いてたんだけど、最近は必ずタイトルに書いてあるんで、
俺の仕事がなくなった。
135 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 09:39:55.13 ID:jrMrBuc30
朝日新聞は戦後 あいつは軍の歌を歌ったとか軍の依頼で絵を書いたとか 人のことだけはケチつけて回ったな
これは事実だな
朝日と橋下のやりとりを見てるとよくわかる
ニュースウオッチ9の大越といったら異常なソフトバンクと韓国LINE推し。
韓国LINE 毎年日本の青少年 性被害者100人
特定秘密保護法は有田ヨシフ・スターリンにとっては治安立法になる。
JR総連カクマルとJR西労カクマルは 「サボタージュ」の事故テロを起こしても平然して生活
朝鮮デルヘルが5万人もいる 中国朝鮮族を含む
AKB48の商標登録代理人は 在日韓国人の金 展克 (朝鮮人 しばき隊)
加藤浩次とテリー伊藤って誰が見ても反社会的でしょう。
ニュースウオッチ9の大越といったら異常なソフトバンクと韓国LINE推し。
韓国LINE 毎年日本の青少年 性被害者100人
特定秘密保護法は有田ヨシフ・スターリンにとっては治安立法になる。
JR総連カクマルとJR西労カクマルは 「サボタージュ」の事故テロを起こしても平然して生活
朝鮮デルヘルが5万人もいる 中国朝鮮族を含む
AKB48の商標登録代理人は 在日韓国人の金 展克 (朝鮮人 しばき隊)
加藤浩次とテリー伊藤って誰が見ても反社会的でしょう。
139 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 13:51:58.93 ID:7SiE9Num0
垢日が既得権益なのは間違いないよね
なぜ破防法適用しないかなぁ
141 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 17:13:46.35 ID:lsTxwQBX0
「朝日は嫌いだから、朝日を叩いてる池田は好き」
「経済の時はアベノミクスを批判してるから池田嫌い」
というネトウヨのご都合主義にはホント呆れる
池田先生は、経済、原発、メディア論とあらゆる分野に置いて
常に事実と論理に基づいた正しい事を言っている
窪田:まさに官僚的ですね。ボクも以前は朝日新聞にいて、そのときにもらった資料や本
を探してみました。何か面白いことでも書いていないかな……と(笑)。
入社したときに『歴史の瞬間とジャーナリストたち 朝日新聞にみる20世紀』という非
売品の本をもらったので、読み返してみました。その本には、朝日新聞の記者が日本の近
代化にどれだけ役目を果たしたか、といった内容が書かれていました。
上杉:負の歴史ですね(笑)。
窪田:あらためて驚いたのは開いて1ページ目から、「日露開戦にいち早く布石」という見
出しで、当時の朝日新聞主筆・池辺三山が外務省の参事官から、元老と会って「対露強攻
策で問題解決を図るよう働きかけてほしい」と頼まれるくだりからはじまっていることで
す(笑)。
上杉:それって、ものすごくマズイじゃないですかっ!
窪田:元老の山縣有朋が日露交渉に賛成する姿勢をみせたので、開戦論者の外務官僚から
すればワラをもすがる思いで頼んだわけですよ。池辺主筆も期待に応え、「いまなさねば
ならぬのは、断じてこれを行うという決断です」と説得、山縣は頭を垂れて涙を流したと
書いてあります(笑)。
要するに、朝日新聞の役割というのは、取材よりも官僚の役にたって政治に働きかける
ことであるということです。なんせ……1ページ目から書いてあるくらいですから。
http://bizmakoto.jp/makoto/articles/1008/11/news010_2.html
眞悟の時事通信バックナンバー/コミンテルン(続1)
http://www.n-shingo.com/jijiback/496.html 検閲をしたのは、英語を自由に読み書きできる日本人五千百人である。もちろん、知識人、インテリである。
主に帝国大学が、彼ら検閲要員を提供したと思われる。
以下、「日本人が知ってはならない歴史(戦後篇)」(若狭和朋著)三十五ページより。
「彼らは日給で千円から千二百円の高給を手にした。二十五日勤務として日給千二百円は月給で三万円である。
これは当時の東條英機の資産(十五万円)が、彼らの月給の五ヶ月分に過ぎないという優遇ぶりだった。
検閲の責任者の一人が高野岩三郎(東京大学教授・戦後初代NHK会長)である。」
この検閲によって、日本はサダム・フセインと同じような悪い国とされ、憲法を書いたのはアメリカ人であるという事実
は封印され、日本人の言論の自由は奪われ、日本人の心は占領軍と共産主義者によりコントロールされて現在に至っている。
では、GHQから高給をもらって、密かにそして見事に検閲を成功させた五千百人のインテリ達は何処に行ったのか。
多くは、検閲官であったということはおくびにも出さずに大学に戻って、定年に達する昭和五十年代までは大学に
居ったであろう。そして、学生に政治経済、民主主義、人権また「検閲はこれをしてはならない」と規定した憲法を
教えていた。また、その他も、戦後GHQによって官界や経済界や教育界から追放された二十一万人の後釜の要職
に収まっていったのではないか。
何より、五千百名を率いる検閲のリーダーの一人だった高野岩三郎東京大学教授が、言論と報道の自由の中心
である戦後初代のNHK会長に就任する。これは象徴的である。この影響は、昨年のNHKの「ジャパン・デビュー」
と言う反日的な台湾の歴史を扱った捏造番組を生み出している。
このようにして、戦後は隠微に今まで続いてきた。
【裁判】 ”NHK、また日本を貶める?” 「日本が台湾に酷い仕打ち」偏向番組訴訟で、NHKが敗訴★2
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1385653002/
GHQ焚書図書開封4 「国体」論と現代 [単行本]
西尾 幹二 (著) 出版社: 徳間書店 (2010/7/27)
ttp://www.amazon.co.jp/dp/4198629862 西尾幹二のインターネット日録
ttp://nishiokanji.com/blog/2006/08/2_4.html <原爆被害写真>
検閲、言論統制が厳格に守られたのは広島・長崎の原子爆弾の被害写真でした。小学校時代5年生の時、
サンフランシスコ平和条約が発効した昭和27年ですが、我々は初めて、アサヒグラフで原子爆弾の凄惨な写真に戦慄したのです。
これは占領期間中は絶対に報道されませんでした。仮にポツダム宣言による報道、言論の自由が確保されていれば、戦後直ぐにこの写真は公表されていた筈です。その場合に果たして、聯合国が極東軍事裁判
が「平和に対する罪」「人道に対する罪」で日本の指導者だけを裁くことが出来たでしょうか。原爆被害写真が公表されるのは「閉ざされた言語空間」の中で日本人が、占領軍が与える材料と統制、管理の結果、
米国が望むような戦争観、米国観を日本人が抱くように出来上がってからのことなのです。つまり、原爆被害写真を見ても、日本人は、米国には無害化されていたのです。
【政治】石原都知事 「日本の平和とは、アメリカの愛人手当のようなものだ!」 「日本人が欲に飲み込まれたのはアメリカのせい!」
http://kamome.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1286845862/ ところが戦後、アメリカにこの国は骨抜きにされてしまった。アメリカは自由の国を標榜しているが、
その国が日本にしたことは、例えば、1万冊近い本を発禁処分にすることだった。
彼らは、自分たちの利益に適う国にするために、徹底的に抑圧し、
日本人の考え方そのもの、いわば「価値の基軸」を崩したのです。
戦争を煽った新聞社:半藤一利「昭和史」から
http://japanese.hix05.com/History/showa/showa020.papers.html 昭和初期の新聞社が軍部と結託して戦争を煽ったことについては、
先稿「熱狂はこうして作られた:メディアの戦争責任」の中でも触れたところだ。
その中で、最も戦争礼賛に熱心だったのは東京日日新聞(今の毎日新聞)で、
朝日新聞などは批判的なところもあったと書いたが、それは事実ではなかったようだ。
半藤一利さんの「昭和史」を読むと、大新聞は一貫して戦争を煽り立てていたということになる。
新聞が戦争報道に熱心だったのは、戦争の記事が良く売れるからだ。
戦争のことを書き、勝った勝ったと叫びたてればたてる程新聞は良く売れるのだ。
だから新聞各社は、軍部と結託して戦争熱を煽り、読者の熱狂を新聞の売り上げに
結びつけようとした。軍部もそれをよく理解していて、戦争遂行に最大限新聞を利用した。
そして、メディアは日本を戦争に導いた [単行本]
半藤 一利 (著), 保阪 正康 (著)
出版社: 東洋経済新報社 (2013/10/11)
http://www.amazon.co.jp/dp/4492061916 内容(「BOOK」データベースより)
軍部の圧力に屈したのではなく、部数拡大のため自ら戦争を煽った新聞。ひとりよがりな正義にとりつかれ、
なだれをうって破局へ突き進んだ国民…。昭和の大転換期の真相を明らかにし、時代状況が驚くほど似てきた
“現在”に警鐘を鳴らす。
特集
日本の戦争責任を追及する「朝日新聞」の戦争責任
──まず自分のアタマの上のハエをどうにかしろ
http://www.geocities.jp/pekin_chan/page034.html 戦後の朝日新聞の歴史は、偽善と自己弁護の歴史だったといっていい。「屠り去れこの米
鬼」「朝鮮、徴兵制に感激の波高し」「洋々たり我が資源作戦」と、戦争をひたすら礼賛し、国
民を逃げ場のない洗脳状態に放り込む先頭に立ったのが、朝日である。が、同紙は戦後、日
本の戦争責任を中国・韓国の意に沿って追及する側に見事に転じる。では、自らの戦争責任
について、朝日はどう総括したのか。
凄まじい戦争礼賛記事
朝日新聞が軍部礼賛の記事を掲載し始めるのは、満州事変以後のことである。
「満州事変以前の日本というのは、ちょうど現在の日本のような長期的不況に陥っていました」
と、前出の稲垣氏がいう。
「当時は、日本人全体に軍部に対する反感があり、軍人が軍服のまま電車に乗るとうしろ指をさされるような雰囲気
がありました。しかし、満州事変勃発以後、国民感情は転換する。満州国建国によって国内の閉塞感が一気に突き破
られる感じを受けたからなんですが、朝日はそれでもなかなか軍部を持ち上げるような記事は書かなかった。しかし、
そうした朝日の報道に九州の在郷軍人会が不買運動を始め、ライバルだった毎日新聞が、朝日は売国的だ、という内
容のビラを撒くようになる。そこで朝日は役員会を開き、方針転換をはかるのです。朝日は以降、堰を切ったように戦
争を肯定し、推進する論陣を張るようになりました。」
その変わり身の早さは、戦後遺憾なく発揮されるが、とにかく実際に当時の新聞を見てみるとそれは凄まじいの一語
に尽きる。
149 :
148:2013/12/16(月) 19:43:06.76 ID:+DcPAg+n0
いまだ戦争責任を取らず
その徹底した紙面は見事というほかないが、朝日と覇を争って軍国報道に血道を上げた毎日新聞が、終戦直後に
社長以下、有力幹部が責任をとって続々辞任したのに比べ、朝日は、社主の村山派と反村山派の権力抗争が
繰り広げられ、実に3カ月を経た11月に両派が退陣するまで、すべてが曖昧にされるのである。
稲垣氏(前出)がいう。
「前述したように、その末に出された『国民と共に立たん』という宣言さえ、軍部に責任を転嫁したものに過ぎません
でした。そればかりか朝日は戦後今度はGHQに擦り寄り、持ち上げ記事を掲載するようになり、事前に是非読んで
くれと、GHQに掲載前に記事を持っていくことまでしていたことが、米の公文書に記されています。要するに朝日は、
戦時中は軍部に擦り寄り、戦後はGHQ、そしてやがては中国やソ連という共産勢力に擦り寄って、時代時代に
現われる強い相手を礼賛する報道を続けるのです。変わり身の早さと、強い者にはとことん擦り寄るその姿勢は
戦前から一切変わっていませんね」
廬溝橋・謀略の銃弾
ttp://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-44-2.html ゾルゲ事件
ttp://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-44-3.html (a)ゾルゲとの出会い
尾崎秀實は朝日新聞社の特派員として上海に駐在中に多くの左翼人士と交わり、マルクス主義の信奉者になった。
尾崎はアメリカ人左翼ジャーナリスト、アグネス・スメドレーを通じて、ゾルゲと知り合った。
(c)尾崎らによる国家中枢世論の誘導
1937年(昭和12年)の4月ごろから尾崎は「昭和研究会」に入り、「支那問題研究部会」の中心メンバーとして活躍
していた。この「昭和研究会」は軍部とも密接な関係を持って、近衛新体制生みの親となり、大政翼賛会創設を
推進して、一国一党の軍部官僚独裁体制をつくり上げた中心機関である。
昭和13年4月、尾崎は朝日新聞社を退社、近衛内閣の嘱託となる。首相官邸の地階の一室にデスクを構え、
秘書官室や書記官室に自由に出入りできるようになった。
尾崎は、中国に親日政権を作り、それをくさびとして、あくまで日本と蒋介石を戦わせようとしたのである。
中国共産党は蒋介石を抱き込み、尾崎グループは親日政権を作らせて、日本と国民党政権をあくまで戦わせ、
共倒れにさせて、日中両国で共産革命を実現しようという計画であった。
(d)尾崎らによる日中和平妨害工作
尾崎は国内世論を誘導するだけでなく、和平の動きそのものも妨害した。
国民党副総裁であった汪兆銘は、蒋介石にコミンテルンの謀略に乗った抗日戦争を止めさせるよう願っていた。
尾崎らは、その汪兆銘を担ぎ出して親日政権を作らせ、それを以て日本と国民政府の戦いを続けさせようという
たくみな謀略をしくんだのである。
陰謀の海・真珠湾
ttp://www63.tok2.com/home2/ahonokouji/sub1-44-5.html
151 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 20:05:56.50 ID:GrpT3y5ti
戦後の朝日の工作の大成功事例は細川連立政権だ。
細川護熙は、朝日新聞記者の記者だった。
細川が現在の日本の政治の混迷の源泉だ。民主党の議員は細川新党ブームで政権奪取したこの時、国会議員になった者が多い。
日本の今日に至る衰退、解体はこの時に始まったと言っていい。
細川は、公爵近衛文麿の孫で元朝日新聞の記者。
日本には華族出身のコミュニストで売国奴が結構いる。
コミンテルンのスパイだったゾルゲの共犯で死刑になった朝日新聞の尾崎秀美に操られて太平洋戦争を招いた近衛文麿。
大学時代にわざわざ東大から京大に移り、マルクス経済学の河上肇に学んだ。
フランス留学中もコミュニストと交流。
近衛内閣のブレーンはコミュニストばかりだった。ある意味、日本は赤化して資本主義の総本山のアメリカに戦争を挑んだ。これが事実だ。
細川の父親も侯爵の家に生まれ、コミュニストの巣で「官庁人民戦線」で知られる企画院事件があった企画院顧問。近衛文麿の側近だった。
また、近衛文麿のブレーンになった公爵西園寺家の嫡男の西園寺公一は、ゾルゲ事件で尾崎秀美らと同様に逮捕。他の共犯者は死刑だったが、公爵家を廃嫡で済んだ。戦後、中国に移住し大臣級の扱い。
日本解体を狙う売国勢力に華族は神輿として担がれやすいのだ。
細川が出てくる運動は日本解体工作だ。
152 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 20:09:38.70 ID:GrpT3y5ti
>>149 初期のGHQはニューディーラーの赤ばかりだった。
日本降伏後の1945年9月、東京に赴いてカナダの外交官のノーマンはいち早く、マルクス主義憲法学者の鈴木安蔵と接触し、「憲法研究会」
と称する左翼グループを作らせ、GHQ草案に近似した憲法草案を公表させる工作に従事したのであった(原秀成「日本国憲法制定の系譜・V」2006年)。
この意味で「日本国憲法」は、単に占領軍将校が、一週間で作った「GHQ憲法」というだけでなく、もっとディープな「影の工作」をそもそもの基礎として生まれたという点で、
「ノーマン憲法」さらには、「コミンテルン憲法」という方が、より本質に近い呼び名であると思われる。
ノーマンはまた、戦犯指定を差配し、近衛文麿を戦犯指名するようGHQを動かした影の工作者でもあった。
近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如「戦犯」として逮捕命令が出され、出頭期日の12月16日に自殺することになる。
そして、朝日新聞は何の処分もなかった。それはコミンテルンの仲間だったからだ。
ノーマンはその後、第二次世界大戦後の冷戦下のアメリカで起きた赤狩り旋風の中で共産主義者の疑いをかけられ、
アメリカの圧力を受けたカナダ政府による審問を数回に渡って受ける。
そのようなアメリカからの圧力から逃れさせるべく、1953年には駐ニュージーランド高等弁務官に任命され、その後1956年には駐エジプト大使兼レバノン公使に栄転する。
しかし、都留重人を取り調べたFBI調査官によるアメリカ上院における証言によって「共産主義者」との疑いを再度かけられ、1957年4月4日に赴任先のカイロで飛び降り自殺を遂げた。
日本とアメリカは、第二次世界大戦にコミンテルンの誘導で突入した。双方とも得る物は無かった。
草の根のアメリカ保守は孤立主義なのだ。アメリカには資源も土地もあるのだから。
第二次世界大戦の勝者は、東ヨーロッパを手に入れたソ連と中国大陸を手に入れた中国共産党だったのだ。
153 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 20:12:35.92 ID:fXJpBQdC0
そりゃあらゆる法規制は自主規制だろw
こいつバカすぎる
こんなソースでスレ立てするやつもバカw
154 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 20:13:37.61 ID:GrpT3y5ti
当時、アメリカにはコミンテルンのスパイがたくさんいた。ルーズベルトの側近にもいた。ハルノートをドラフトしたハリー・ホワイトは、原案にあった日本が手をひく対象を「満州を除く中国」から「中国」に変えて日本を戦争に追い込んだ。
結局、アメリカは戦後、共産主義への防波堤だった日本を壊したことが失敗だったことを悟る。
アメリカ国内外で赤狩りがはじまり、ハリー・ホワイトは自殺。
なんと言っても「日本の敵」の真打は、ハーバード・ノーマンだ。
カナダ外交官で、戦前から終戦後にかけて「知日派学者」として名を馳せたノーマンは、マルクス主義者であり、コミンテルン工作員であった。
彼はケンブリッジ大学留学時にイギリス共産党に入党し、インド独立運動に関わった。
ちなみにゾルゲや朝日の尾崎秀美の一味のアグネス・スメドレーもベルリンでインド独立運動に携わり、その後上海に入っている。
ノーマンは、昭和12年に支那事変が始まると、スメドレーの親友で戦後「女性開放」運動に影響を与えたアメリカ共産党員の石垣綾子やキョ朝鼎、
また都留らとともに、アメリカ国内で反日、反戦活動を繰り広げた。
日本に石油を売ってはならない、中国を侵略している日本を孤立させていこう、と呼びかける反日集会を二ユーヨーク・ボストン・フィラデルフィアなど東部の主要都市で開催し、
昭和14年のアメリカによる日米通商航海条約破棄を大きく後押ししたのだ。
155 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 20:16:11.74 ID:GrpT3y5ti
中国共産党とコミンテルンが操ったのは朝日新聞と日本だけではない。
大戦前、モンロー主義で国外問題不干渉で反戦だった米の国内世論を南京大虐殺で反日に誘導し参戦に誘導したのはコミンテルンと中国共産党。
アメリカ国内で、反日運動を行ったのはコミンテルンの活動家で南京大虐殺について描いた「アジアの戦争」の著者エドガー・スノーらだった。
これが、南京大虐殺の最初の記述だ。また、東京裁判史観のベースになった。
また、同様にジャーナリストとして日本批判記事をアメリカの新聞に送っていたスメドレーはゾルゲ諜報団のメンバー。赤狩りで国外脱出後、急死。
さらに「大虐殺」の証拠の一つとされた『ラーベ日記』筆者、ジョン・ラーベは、ゾルゲの活動を上海で支援していた赤軍諜報部員の友人だった。
当時、アメリカにはコミンテルンのスパイがたくさんいた。ルーズベルトの側近にもいた。ハルノートをドラフトしたハリー・ホワイトは、原案にあった日本が手をひく対象を「満州を除く中国」から「中国」に変えて日本を戦争に追い込んだ。
結局、アメリカは戦後、共産主義への防波堤だった日本を壊したことが失敗だったことを悟る。
アメリカ国内外で赤狩りがはじまり、ハリー・ホワイトは自殺。
156 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 20:19:25.78 ID:O0EqcwGa0
戦前は戦争を煽り、
戦後は珊瑚にKY彫って、日本を叩く。
昔から捏造と歪曲しか出来ない押し紙。
朝日新聞の記事は他新聞と比べて一番まともではないだろうか?
日本が右傾化しないように社説で繰り返し述べている。
はき違えた愛国心を煽るようなマスコミを信じてはいけない。
売れさえすればいいという軽薄な商魂の論説ばかりが、
国を危うくするのは太平洋戦争で懲りたであろう。
機会ある毎に日本の過去の過ちに対する反省を促し、
関係諸国との友好を深めようとしているのが朝日新聞である。
なまじ知った歴史の一部で全てがわかった顔をすると恥をかくだけだ。
のうのうと生きていられるのは平和憲法のおかげであることは間違いない。
できもしない自主防衛を唱えていては過去の過ちを繰り返すだけである。
不利なことがわかっていながら、国民を煽って戦争に突入し、
買い物も切符が無ければ買えもしないような生活をさせながら、
運用される資金はすべて軍事行動向け。
動力になるべき燃料もなく、資源も無い日本が何の大義もない戦争を
推し進めるのは狂気の沙汰としか言い様が無い。
進軍ラッパをもう一度聞きたいのか?
158 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 20:56:27.20 ID:GrpT3y5ti
盧溝橋事件当時の『朝日新聞』を見ると、政府に先がけて「暴支膺懲」を掲げ、数発の銃声を本格的な戦争に拡大しようと意図的な世論誘導をおこなっていたことがわかる。
1937年7月9日付『東京朝日新聞』夕刊は1面トップで「北平郊外で日支両軍衝突」「不法射撃に我軍反撃」の見出しを掲げ、同社の現地特派員報告「硝煙の戦線を行く」では
「今回の事件は支那側の挑戦的不法射撃によって発生せるものなること1点の疑ひもなく、戦友中に死傷者さへ出した。我が将兵一同の痛憤もさこそと思はれる」と報道。
同時に、日本の現地駐在武官の「日本軍の攻撃はやむをえぬ自衛行動であった」との談話を掲載している。
7月13日付『東京朝日』は、「北平の邦人遂に引揚ぐ」という見出しで、「信義を無視する支那軍は幾度か約束を破って我が方に挑戦してくる。
しかもその兵力は刻々増大して何時いかなる重大事が勃発するかも知れぬ情勢にあるのだ。
この不安な北平の刻々迫りつつある不気味な空気を前に在留邦人は12日以来続々引揚げを開始した。北平発津浦線は夜の厳戒に先立って北平を脱出しようとする婦人子どもを中心とした邦人の群で満載だ」と不安を煽っている。
同じ紙面で日本軍の支那駐屯司令官にインタビュー、「帝国の望むところは常に和平解決であったが、最早支那側の不信極まる態度、その暴虐は黙して居られなくなった。
ここにおいて正義の軍を進めて支那の暴戻を断固膺懲すると共に北支の権益と在留同胞保護のため中外に声明を発して最後の態度に出ることに決した」との談話を引き出している。
7月21日付『東京朝日』の社説「支那の挑戦的回答」は、中国側が「日本に対する最小限度の要求」として「主権を侵す解決策は絶対に拒否す」などの独立国として当然の要求をのべたことに対して、
それを「あたかも宣戦布告」だとみなし、「その調子のあまりに挑戦的であって、必要以上に興奮状態に陥っているといはねばならぬ。
かくては平和破壊の責任は当然支那が負うべきであらう」「救うべからざる最後通牒に向かって自らを追い込むことになるであろう」と、逆に宣戦布告的な主張をおこなっている。
159 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 20:58:37.28 ID:GrpT3y5ti
朝日は戦前から捏造が得意だった。
盧溝橋事件から数日して『東京朝日』は、「拉致の宮崎水兵」という上海からの特派員電で「陸戦隊宮崎一等水兵は規定の門限たる7月25日午前6時15分までには遂に姿を見せず、
いよいよ支那人に拉致されたこと確実と見られるに至った」という記事を載せたり、
また「邦人大量虐殺の陰謀」という記事では「3千人の支那兵が、天津租界内の邦人1万5000人を虐殺し略奪をほしいままにしたうえ、
日本租界を占拠しここに青天白日旗を翻して天津から邦人を一掃する意図を有していた」などという「恐るべき計画」について、扇動している。
戦後、これらはデッチあげであることが明らかになっている。
上海で行方不明になった日本水兵というのは、売春宿に入りこもって、それを日本軍憲兵に摘発され、恥ずかしさのあまり逃亡していたのだ。
天津租界での虐殺も無かった。
>>158 日中戦争は中国側が仕掛けた戦争だからそのあたりの朝日の記事は大筋で間違ってないよ
天津も中国側が攻撃する計画があったことは事実
当時の中国は日本の侵略を打倒するために国民が一丸となっていた
たかがマスコミ一社で言論統制なんか出来るかよ。アホかこいつ。
アカヒは戦後から今までずっと、
反日であれば捏造もヨシという自発的言論統制掛かってるね確かに
163 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 21:38:44.12 ID:GrpT3y5ti
>>161 朝日新聞と近衛文麿が日本を北朝鮮型の情報統制の国家社会主義国家に変質させ敗戦に導いた。
近衛の側近は、朝日新聞の尾崎秀美ほかの偽装右翼のコミュニストばかりだった。
史実を追えば、近衛は日本を国家社会主義国家にするためのきっかけとして盧溝橋事件を率先して拡大した。
1940年に近衛内閣で大政翼賛会が出来、日本は単一政党しかなくなった。これが政治的には国家社会主義体制の開始だろう。
経済的には、1940年12月7日に「経済新体制確立要綱」が作られる。これにより統制経済が始まる。
1942年5月26日には傘下組織である日本文学報国会が結成。
1942年6月23日には大日本産業報国会・農業報国連盟・商業報国会・日本海運報国団・大日本婦人会・大日本青少年団の6団体を傘下に統合した。
1942年12月23日には大日本言論報国会が結成された。
こうして日本は国家社会主義国家になったのだ。
>>160 上海で行方不明になった日本水兵というのは、売春宿に入りこもって、それを日本軍憲兵に摘発され、恥ずかしさのあまり逃亡していたのだ。
165 :
名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 21:49:53.94 ID:GrpT3y5ti
第二次世界大戦はコミンテルンと朝日新聞が操って起きた。
まず、昭和14年の日米修好通商条約破棄はコミンテルンのノーマンの南京大虐殺デマの世論誘導があったからこそ。ノーマンは赤狩りで自殺。
また、ハルノートをドラフトしたハリー・ホワイトは、原案にあった日本が手をひく対象を「満州を除く中国」から「中国」に変えて日本を戦争に追い込んだ。ホワイトは赤狩りで自殺。
資源確保のため北進か南進しかなくなった
日本を日ソ不可侵条約で北進の道をふさいだのは近衛と尾崎秀美。
近衛は自殺。尾崎秀美は、ゾルゲ事件でコミンテルンのスパイとして死刑。
南進をすすめた革新官僚の巣の企画院は、スパイの巣だっだ。
企画院事件が有名。
企画院事件
1941年企画院の調査官,職員17名が治安維持法違反容疑で検挙された事件。
1940年11月,
企画院はより強力な戦時統制経済の確立をめざして〈経済新体制確立要綱〉を発表したが,これは〈高度国防国家建設〉〈公益優先〉を大義名分として,
資本と経営の分離,利潤配当制限,統制団体役員の政府による任命制など私企業への官僚統制の強化を意図していた。
戦後には企画院の官僚だった和田博雄は、分裂後の左派社会党の大幹部に転身。
日米双方がコミンテルンに操られていた。
朝日は戦前・戦中は敗戦革命を狙っていた。敗戦革命とは自国を対外戦争を誘導し、敗戦させてそのドサクサに革命する手法だ。ロシアはそれでソ連になった。
166 :
名無しさん@13周年:2013/12/17(火) 00:58:29.70 ID:tLLZV7ww0
もう最近の朝日の反日売国偏向は利権とかっていうレベルじゃないわな、まさに「安倍潰し」の意図しか垣間見えない
167 :
名無しさん@13周年:2013/12/17(火) 08:10:35.95 ID:B+z+y2Y00
在日新聞社。
168 :
名無しさん@13周年:2013/12/17(火) 08:13:47.70 ID:Q3RV+fmb0
169 :
名無しさん@13周年:2013/12/17(火) 08:19:43.89 ID:CXLtafjS0
朝日新聞社はもはや間違いなくテロ集団である。
社員はもちろんの事、その家族にも近づいてはいけない。
公安にマークされてる人物も多くいる。
日本を消滅させる為には手段も選ばぬ北朝鮮顔負けの
恐ろしい集団である。
習近平 ウイグル自治区のモスクの破壊は辞めろ
温家宝の一族で2000億
ニュースウオッチ9の大越といったら異常なソフトバンクと韓国LINE推し。
韓国LINE 毎年日本の青少年 性被害者100人
特定秘密保護法は有田ヨシフ・スターリンにとっては治安立法になる。
JR総連カクマルとJR西労カクマルは 「サボタージュ」の事故テロを起こしても平然して生活
朝鮮デルヘルが5万人もいる 中国朝鮮族を含む
AKB48の商標登録代理人は 在日韓国人の金 展克 (朝鮮人 しばき隊)
加藤浩次とテリー伊藤って誰が見ても反社会的でしょう。
>>141 人物で絶対的な肯定や否定するのではなくて、各論で賛否を示すのは
正しいあり方だと思うが?
この人の言うことは全部賛成、なんていうのは独裁への道だろ
172 :
名無しさん@13周年:2013/12/17(火) 09:56:23.77 ID:lJG2flsBi
真の戦犯は朝日新聞だった。政府に迎合したのではない。軍部が独走したのではない。朝日が主体的に煽った。そして、今も日本解体工作をしている。
近衛文麿が危機を創出し、体制革新つまり社会主義化のため意図的に日中戦争を拡大した。
近衛の中国政策についてのブレーンになった朝日新聞記者の尾崎秀美は近衛を日中戦争拡大、対米戦に誘導してソ連を守り、敗戦革命で日本の赤化を図っていた。
尾崎は、コミンテルンのスパイ・ゾルゲ事件の共犯で死刑になった。同事件ではすp朝日新聞東京本社政治経済部長田中慎次郎、同部員磯野清も検挙されている。
史実を追えば、日中戦争の発端の盧溝橋事件では、現地では7月11日に第29軍の秦徳純副軍長との間で、盧溝橋事件現地協定という停戦協定を締結。
しかし、同じ7月11日、同日に近衛内閣は、華北の治安維持のため、派兵を声明し、各界に挙国一致の協力を要請。
また、昭和13(1938)年1月16日には参謀本部は講和を志向していたが、近衛が「帝国政府は爾後国民政府を相手にせず」と声明発表し断交。以後、交渉不能に。
しかし、近衛はゾルゲ事件後の昭和18年にはコミンテルンの影響を脱したらしい。それで、陰謀の中身を明かして終戦工作の近衛上奏文を書いた。
(以下抜粋)
抑々満洲事変、支那事変を起し、これを拡大して遂に大東亜戦争にまで導き来れるは、これら軍部内の意識的計画なりしこと、今や明瞭なりと存侯。
満洲事変当時、彼等が事変の目的は国内革新にありと公言せるは、有名なる事実に御座侯。
支那事変当時も、「事変永引くがよろしく、事変解決せば国内革新はできなくなる」と公言せしは、此の一味の中心的人物に御座侯。
これら軍部内一部の者の革新論の狙いは、必ずしも、共産革命に非ずとするも、
これを取巻く一部官僚及び民間有志(之を右翼というも可、左翼というも可なり、所謂右翼は国体の衣を着けたる共産主義者なり)は、
意識的に共産革命にまで引ずらんとする意図を包蔵しおり、無智単純なる軍人、これに躍らされたりと見て大過なしと存侯。
そして、近衛は昭和20年10月にマッカーサーから新憲法起草を指示されており、戦犯指名はされないはずであった。ところが12月に突如逮捕命令が出され自殺することになる。朝日は何の処分も無かった。
173 :
名無しさん@13周年:2013/12/17(火) 14:38:10.75 ID:2nRSxVAZ0
モンスター新聞が日本を滅ぼす (著)高山 正之
「地獄への道は朝日の善意で敷き詰められている」
【社会】「日本版CIA」が50年代に構想されていた…緒方竹虎が米側と接触
http://tsushima.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1248397415/ 1950年代、内閣官房長官などを務めた緒方竹虎氏が、米中央情報局(CIA)の
関係者と頻繁に接触していたことが、米国立公文書館で公開されたCIAの秘密文書で
明らかになった。
【CIA】緒方竹虎を通じ政治工作 50年代の米公文書分析
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/wildplus/1248550812/ 1955年の自民党結党にあたり、米国が保守合同を先導した緒方竹虎・自由党総裁を通じて
対日政治工作を行っていた実態が25日、CIA(米中央情報局)文書(緒方ファイル)から分かった。
CIAは緒方を「我々は彼を首相にすることができるかもしれない。
実現すれば、日本政府を米政府の利害に沿って動かせるようになろう」と最大級の評価で位置付け、
緒方と米要人の人脈作りや情報交換などを進めていた。
米国が占領終了後も日本を影響下に置こうとしたことを裏付ける戦後政治史の一級資料と言える。
当時、日本民主党の鳩山一郎首相は、ソ連との国交回復に意欲的だった。
ソ連が左右両派社会党の統一を後押ししていると見たCIAは、
保守勢力の統合を急務と考え、鳩山の後継候補に緒方を期待。
55年には「POCAPON(ポカポン)」の暗号名を付け緒方の地方遊説に
CIA工作員が同行するなど、政治工作を本格化させた。
同年10〜12月にはほぼ毎週接触する「オペレーション・ポカポン」(緒方作戦)を実行。
「反ソ・反鳩山」の旗頭として、首相の座に押し上げようとした。
緒方は情報源としても信頼され、提供された日本政府・政界の情報は、
アレン・ダレスCIA長官(当時)に直接報告された。緒方も55年2月の衆院選直前、
ダレスに選挙情勢について「心配しないでほしい」と伝えるよう要請。
翌日、CIA担当者に「総理大臣になったら、1年後に保守絶対多数の土台を作る。
必要なら選挙法改正も行う」と語っていた。
◇緒方竹虎
1888年山形市生まれ。1911年早稲田大学卒業後、朝日新聞社入社。政治部長、編集局長、主筆を経て副社長。
175 :
名無しさん@13周年:2013/12/17(火) 22:42:49.88 ID:RNVoglLW0
最近朝日の悪行が叩かれはじめてきたね
このおっさんおかしいわ
自分ほどの偉い人間はいないとでも言うように
人をバカにするわ、貶し連発、
おれ様は神様だーとでも思っているんだろな
哀れじゃ
178 :
名無しさん@13周年:2013/12/17(火) 23:57:55.76 ID:tLLZV7ww0
【朝日新聞】 「安倍首相のASEAN外交は中国に対抗するだけの狭量な利益外交…人権や民主主義の原則がおろそかになっていないか」★3
【マスコミ】 朝日新聞 スクープ扱いで 「インドネシア慰安婦」でっち上げ★2
チョウニチ新聞はシナ外交部の言いなりで売国記事を書いてひたすら安倍政権転覆を画策する言論テロメディア
179 :
名無しさん@13周年:2013/12/18(水) 00:42:57.68 ID:LPbDFWpIO
池田信夫先生流石や
マスコミ絡みの論評は本当に核心を突くなぁ
180 :
名無しさん@13周年:
シナ共産党諜報機関の下部組織なんだろ、朝日新聞築地支局は