【大阪】藤原鎌足の墓説さらに強まる 阿武山古墳に最高級の冠帽

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1 ◆CHURa/Os2M @ちゅら猫ρ ★
★藤原鎌足の墓説さらに強まる 阿武山古墳に最高級の冠帽
2013年12月14日06時33分

大阪府高槻、茨木両市の阿武山(あぶやま)古墳(国史跡)で戦前に発見された棺(ひつぎ)に副葬
されていた冠帽が、当時最高級の技法とされた綴(つづ)れ織りで金糸を織り込んだ可能性が高い
ことがわかった。被葬者として大化改新で活躍した藤原氏の祖、藤原鎌足(ふじわらのかまたり、
614〜669)が有力視されてきたが、それをさらに補強する発見だ。

古い織物に詳しい関西学院大の河上繁樹教授(日本染織史)が、男性の遺体の入った棺が発見された
1934年当時の写真やX線写真を分析。金糸の端がいずれも急角度に折れ曲がり、何度も往復して
いることから、綴れ織りで金糸を織り込んだ冠帽と判断した。河上教授は「中国で『織成(しょくせい)』
と呼ばれ、正倉院に伝わる奈良時代の織物にも類例がある技法では」という。

「日本書紀」によると、大化改新のきっかけとなったクーデター「乙巳(いっし)の変」(645年)の
立役者の鎌足は、死の直前に盟友の天智天皇から最上の冠位「大織冠(たいしょくかん)」と大臣の位を
贈られた。河上教授は、阿武山古墳の冠帽がこの大織冠の可能性が高いと結論づけた。

http://www.asahi.com/articles/OSK201312120174.html
写真・図版高槻市立今城塚古代歴史館が復元した阿武山古墳の冠帽。金糸による刺繍で再現されている=同館提供
http://www.asahicom.jp/articles/images/AS20131214000670_comm.jpg
2名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:18:53.14 ID:901fZ0c+0
そもそもなんで名前ちゃんと書いてないの?
手抜き工事?
3名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:19:59.59 ID:v2BzC5b+O
あぶさん?
4名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:20:49.32 ID:5NNMpK+aO
(-_-;)y-~
ダージリンちゃんの知覧茶で一服
5:2013/12/14(土) 15:20:59.47 ID:JUT27VYi0
思ったり思わなかったりー。
6名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:21:29.77 ID:RiYnq/9G0
日本史の中ではニワカ的存在 トンキンがコメント↓
7名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:25:58.20 ID:t0UE27RX0
朝日新聞の特殊部隊がサンゴの落書き、赤報隊に続いて作成したんじゃないか。
8名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:27:14.36 ID:WnMyZgg1O
いっぽう韓国では、自国で発見された前方後円墳をブルドーザーで「整形」した。
9名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:30:21.79 ID:BtmM94DU0
<* `Д´>< 鎌足の正体は百済王豊璋ニダ
10名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:30:32.76 ID:7wUcposV0
七人の侍の人か
11名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:31:33.41 ID:DCEH45Ge0
破れ奉行の新兵衛
12名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:33:10.18 ID:UNTnlqgr0
鎌足って全国の藤原さん佐藤さん加藤さん斎藤さん近藤さん内藤さんetcの先祖なん?
13名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:33:45.27 ID:bqfUGehs0
あぶさん禁止
14名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:34:04.37 ID:qOX55/wa0
でも京の都からそれすぎてない?
嵯峨野とか大山崎らへんならわかるけど
15名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:34:45.45 ID:nzUVNQZq0
>>12
藤原さんはどうかな
16ありのままに@札幌太陽太陰暦から ◆enmbELmfiKnw :2013/12/14(土) 15:35:35.84 ID:/1IEbPYxO
大喰漢
17名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:37:42.28 ID:1prGJ98w0
うちの始祖なうえに近所とはw

>>14
時代が全然違うだろ・・・
平安京は大和でも新参の京だぞ
難波飛鳥が朝廷の中枢だった時代
18名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:38:26.89 ID:kIMhQVRE0
なんかトラブってなかったっけこの古墳
19名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:38:30.47 ID:9zIcbYHsi
ふじわらのかたまり
20名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:39:06.03 ID:gwsQRKzM0
セリフ忘れると適当に口だけ動かしてた人か
21名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:39:08.55 ID:nUV56MXU0
>>12
藤原不比等が鎌足の子ではないという説もある
22名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:41:02.02 ID:mzyP0dyGI
>>14
乙巳の変後、変飛鳥から遷都して難波宮(大坂)の時代なんだけど・・・
23名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:41:49.13 ID:8COIx16f0
ここで藤原紀香が登場。
24名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:41:57.97 ID:ohhlZjZr0
なんで都からも自分の土地からも遠く離れたとこに墓作るの?
25名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:42:28.24 ID:bqfUGehs0
藤原は中国人
支那にこき使われた下僕
26名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:42:43.23 ID:tQMmjMOT0
>>24
家康「・・・」
27名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:45:03.17 ID:AbFqM24r0
現物はどこに行ったんだ
28名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:45:47.27 ID:jpxtVPb90
町興しの為の風説である可能性が98%くらいだろうな。
29名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:45:59.20 ID:+SXMr5CwP
>>1
600年頃にはもうこんなものを作れる技術があったんだな
30名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:46:03.57 ID:qOX55/wa0
>>17
あそう、でもなあ僻地だったとおもうんだけどw
31名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:48:32.96 ID:yFEIsuPm0
温度板
32名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:51:09.10 ID:qOX55/wa0
そういえば東大阪から石切にかけても小さな古墳がたくさんあったらしいね。
宅地造成で潰したらしいけどw
古墳時代のメインは大阪だったのかもw
33名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:51:11.35 ID:/Bi43fVg0
>>24

当時の都は、大阪な。

この人と中大兄皇子(後の天智天皇)が行なった「大化の改新」で、都が大和から大阪(難波宮)へ移るんだよ。
34名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:53:00.96 ID:qMqB2u260
西暦500年くらいから継体天皇って人が応神天皇の5世の孫だっていう理由で皇位継承建を主張した
その人は20年くらいかけて大和入りして、正式な天皇に
なぜか墓は高槻ににある(今城塚古墳、宮内庁指定の継体天皇陵は時期が合わないとされている)
藤原鎌足の墓ってそこから歩いても2時間くらい
なんか関係あると思う
35名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:53:37.74 ID:mzyP0dyGI
>>30
枚方だけど樟葉宮って知ってる?
36名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:54:17.64 ID:d0pmjwk40
>>30
太田茶臼山古墳は茨木だろ 本物の三島藍野陵だと思われてる今城塚でも高槻だ
37名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:54:43.19 ID:1prGJ98w0
>>30
少しは歴史を調べろよ
今の北摂三島付近は鎌足の領地
あと当時僻地とは山城のほうで
北摂から大阪平野は茨田堤に代表されるように朝廷の活動の中心地
38名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:57:08.72 ID:XVomFYnD0
藤原の不比等っていう可能性は?
39名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 15:58:26.86 ID:qOX55/wa0
>>35
しらん
>>36
茨木でもはずれやん。
>>37
へえへえへえ。
40名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:04:06.55 ID:gn+krZSF0
冠帽が中臣鎌足にしか授けられていないのならね
1つしかないそんなご大層なものなら
普通は藤原家の家宝になるんじゃね(´・ω・`)
41名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:04:32.11 ID:/Bi43fVg0
>>38
ほとんどない。

大織冠を天皇から貰ったのは、藤原家でも鎌足だけ。
42王 猛烈:2013/12/14(土) 16:06:33.36 ID:IF6Wu94P0
>>39
なんにせよ、古墳は生活地の近所を避けて造営する。
43名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:07:58.33 ID:1prGJ98w0
>>40
貰ってすぐ亡くなったみたいだからな
浄土の考えのある時代だから餞別としたのかもな
44名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:08:06.27 ID:/Bi43fVg0
>>40

家宝だけど、被ることができたのは、鎌足だけ。
他の奴が間違って被ったら、反逆と取られる。
(天皇の意志に背く。謀反があると見られる)
45名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:09:08.05 ID:mzyP0dyGI
>>40
そこで藤原不比等天皇ご落胤説ですよ
46名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:10:14.65 ID:AbFqM24r0
藤原のママカリ
47名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:11:36.74 ID:gn+krZSF0
この墓はたぶん徐善光の墓(´・ω・`)
48名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:16:06.87 ID:Jrkjgj68P
不治摩羅のマタカリ
49名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:16:21.33 ID:tQ4mdkd20
いい役者さんだよねえ えらい人だったのか
50名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:17:51.33 ID:PGD3AKUY0
5世紀までのことの発見はないのかよ
51名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:30:16.72 ID:OmtWrorV0
× 大食漢

○ 大織冠
52名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:30:26.72 ID:KVuyCQJo0
鎌足魅惑のマーメイド
53名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:31:21.72 ID:MoBhEE6P0
三条家、近衛家、鷹司家など子孫は現在も健在
54名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:46:53.44 ID:t93uZMWRO
私は藤原鎌足だゾ!
55名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 16:56:15.19 ID:/D8qn+dx0
>>14
三島(高槻)は鎌足の領地だし、山陽道が奈良から高槻通って西国に向かってるから地理的に近い
晩年は高槻らへんで過ごしてるしな
56名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:03:07.58 ID:GuxmjgWl0
談山神社の近くに埋まってるものだとばかり
57名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:13:19.99 ID:tAF5oHBh0
皇室だっけ?
58名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:15:40.85 ID:+SXMr5CwP
一応皇室じゃないんじゃね
59名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:20:13.10 ID:GuxmjgWl0
天皇を傀儡にした貴族ですよ
60名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:27:45.91 ID:J/TnD63s0
おいおい
当時の偉い人の墓が出てきたらなんで
藤原鎌足になるんだよ?
61名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:32:23.66 ID:tAF5oHBh0
北摂が藤原氏の領地だったんかな
えらい辺鄙な場所のような気がするが
62名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:35:25.87 ID:J/TnD63s0
どうも卑弥呼の墓と同じく、立派な墓=当時の偉い人の墓という安直さを感じさせるな
63名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:39:35.74 ID:MpQYctyU0
>>33
> 当時の都は、大阪な。

つうても、今の大阪はその頃ほとんど海だけどな。
64名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:41:05.18 ID:/Bi43fVg0
>>60

1、このあたりに埋葬したという記録が残っている。
2、見つかった服飾品から、天皇クラスの人物。
2、発掘当時、骨が残っていて、それを撮ったレントゲン写真がある。
鎌足は落馬したあと、しばらくして死亡したと文献に。レントゲンで骨折のあとが見つかり、これが致命傷となったことが。
3、当時、鎌足ぐらいしか貰っていない官位を表す帽子が、棺から。
65名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:47:00.07 ID:SZ4uIXXx0
>>25
嘘乙。
中臣氏はもともと神職も担うほどの日本人。
中臣というのは中国の、という意味ではなく
人と天の間(中)をとりもつ、という意味であって
中国からきた臣下という意味ではゼーンゼンない。

あーやだやだ。
66名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:49:33.33 ID:J/TnD63s0
>>64
> 1、このあたりに埋葬したという記録が残っている。

その記録とは?

> 2、見つかった服飾品から、天皇クラスの人物。

じゃあむしろ鎌足ではないじゃん。鎌足は天皇なの?

> レントゲンで骨折のあとが見つかり

その骨折が落馬だとどうして言い切れるの?
同時期の偉い人で骨折した人は他にいないの?

> 3、当時、鎌足ぐらいしか貰っていない官位を表す帽子が、棺から。

だからって鎌足がずっと持ってたとどうして言えるの?
棺に一緒に入れたとか記録があるのかね?
67名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:50:10.16 ID:/Bi43fVg0
>>63
うん。
実際、中心部は海だった。

その海だった真ん中に、現在は上町台地と呼ばれている陸地が、半島のように突き出ていた。
そこに、都が置かれた。
そして、当時、海で無かった大阪の陸地部分に、こういう古墳が作られる。
現在の堺、羽曳野、藤井寺、柏原、寝屋川、枚方、茨城、高槻といったところに。
68名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:51:58.57 ID:yfQzb88K0
黒沢映画でよく見る人だろ
69名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:53:29.48 ID:J/TnD63s0
よくよく記事を読み直すと立派な帽子が出てきたというだけのことらしい

>>64の言う
> 鎌足ぐらいしか貰っていない官位を表す帽子
とはなんのことだ?

> 立役者の鎌足は、死の直前に盟友の天智天皇

天皇と鎌足は「盟友」だったのか…
主従の関係だと思っていたよ
70名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 17:55:49.41 ID:GuxmjgWl0
>>69
一説によると、天皇が奥さんを貸してあげたほど仲良し。
71名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:02:45.87 ID:c0pJe0NN0
レントゲン写真って、飛鳥時代にレントゲンがあったのかよ。おパーツか?(´・ω・`)
72名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:06:26.96 ID:E7Huf20J0
昔心霊スポットとか言われてたな
73名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:10:24.64 ID:/Bi43fVg0
>>66

日本書紀をはじめとする多数の文献に、鎌足は出てくる。
生涯も、比較的詳しく書かれている人物。

落馬後、しばらくして亡くなったことも。

墓から豪華な服飾品がでたから天皇クラスか、それに準ずる位の人物。
鎌足は、天皇から最高位の冠位「大織冠」を貰っている。
(天皇の次にえらい)

文献に書かれた状況から、死亡原因は、落馬によるものと考えられる。
つまり、死亡するほどの大きな事故だった。
年代、年齢、骨折の箇所から、該当する人物が今のところ、ほかにいない。

大織冠は、一番上の官位で、これよりえらいのは天皇ぐらいしかいない。
その帽子を、他の人物は被ることができない。
例え、息子であっても。
もし、鎌足が亡くなったあと、息子が所有して被ると「謀反」とされる。
(勝手に身分詐称したことになる)
(天皇は、その官位を、鎌足本人にしか与えられていないから)
74名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:13:42.03 ID:RfLL92W9O
>>68
WWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWWW
75名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:17:12.26 ID:zgn/hqPu0
http://a1.att.hudong.com/11/76/19300001319745131690762718905.jpg
帽子 天皇より高さあるのかぶったり
家の中でかぶればつっかかるだろう
官位自体あとの制度で
中臣鎌足は忠臣のかたまりのだじゃれでつくった架空の人物
ですた
76名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:21:03.05 ID:pZ6mfzibO
藤原は、確か中国系で 古代朝鮮半島の戦いで、敵前逃亡こいた卑怯者系とかゆう新設が出てたよね
77名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:22:25.87 ID:6+7y38kTO
コーヒーも鎌足
78名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:29:08.50 ID:/Bi43fVg0
>>69

大織冠という帽子。
>>1に再現した画像がある。

「主従」かつ「盟友」だったというのが正しい。

「親友」だけど、同時に「ライバル」だというのと同じか。
(少し違うか…)
79名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:31:09.25 ID:zgn/hqPu0
蘇我家滅ぼした事になったので
変えなければならなかった
藤原京の創設した九州王家の系統だとつじつま合うね
80名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:33:26.55 ID:/sW2uWIPO
昔、同級生が授業中に藤原のかたまりと読んでて吹いた
81名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:35:57.98 ID:zgn/hqPu0
鎌足は家臣団の象徴
藤原家系が官位独占したのの象徴
82名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:38:48.68 ID:2RAVO9T50
人の名前の付け方ってどういうふうに変化していったのか興味ある
これよりもっと遡ると凄いじゃん
83藤原定価800円(+税):2013/12/14(土) 18:46:26.41 ID:iw11Sj1M0
>>80

【ふじわらのかたまり】

藤原鎌足 藤原武智麻呂  藤原清河 藤原百川 藤原浜成 
藤原不比等 藤原麻呂 藤原田麻呂  藤原蔵下麻呂  藤原内麻呂 
藤原意美麻呂 藤原仲麻呂 藤原豊成  藤原永手  藤原仲成 
藤原房前 藤原広嗣  藤原良継  藤原真楯 藤原真夏
藤原宇合 藤原種継  藤原継縄  藤原魚名 藤原冬嗣
藤原葛野麻呂 藤原道長 藤原為隆  藤原成親 藤原良門
藤原時平   藤原頼通 藤原俊憲  藤原保則 藤原忠平
藤原良房  藤原縄主  藤原利仁  藤原吉野  藤原道兼 
藤原基経  藤原佐世  藤原敏行  藤原師尹 藤原道隆 
藤原兼家 藤原園人  藤原長良 藤原山蔭 藤原道綱 
藤原資仲  藤原実頼  藤原兼通  藤原伊周  藤原義懐 
藤原資房  藤原頼忠  藤原公季  藤原伊房 藤原教通 
藤原佐理  藤原緒嗣  藤原公任  藤原伊尹 藤原能信
藤原隆家  藤原明衡  藤原実方  藤原行成 藤原忠文 
藤原師輔  藤原兼輔  藤原実資 藤原元命  藤原伊通 
藤原宗忠  藤原師実  藤原顕季  藤原邦綱  藤原基房 
藤原師光  藤原師通  藤原顕輔  藤原定家  藤原光親 
藤原登任 藤原基俊  藤原経清  藤原実房  藤原家隆 (従二位) 
藤原清輔  藤原朝隆   藤原清衡  藤原隆信  藤原俊成 
藤原良経  藤原通憲(信西)  藤原忠通  藤原秀康  藤原忠実 
藤原為房  藤原教長  藤原宗円  藤原済時  藤原頼経(九条) 
藤原経宗  藤原秀郷  藤原通俊  藤原頼嗣(九条)  藤原喜明
84名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:47:10.39 ID:0Eu0nPvQP
鎌足の息子が不比等だっけ?
85名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:47:55.06 ID:yoUYvFLa0
あんまり真面目に発掘するとハングル文字の遺物が出てきてネトウヨが涙目になるからやめてあげて(´・ω・`)
86名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:48:40.00 ID:x+hfPfcw0
>>77
陽水さんw
87名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 18:59:50.75 ID:I+4Z+8n/0
高槻に40年以上住んでるけど初めて知ったw
88名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:00:34.33 ID:UNTnlqgr0
>>85
ハングルが何世紀にできたか知ってるか?低能過ぎる
89名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:02:48.78 ID:hoRLtZ050
>>83
最後にシレッと藤原善明を入れるなwwww
90名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:07:28.59 ID:pqHPXJsZ0
出演作で一番有名なのは天上の虹かねえ…?
91名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:08:50.53 ID:SZ4uIXXx0
>>79
中臣家はもともと九州と茨城の2つに分かれてるんよ、古代から。
それ知らずに茨城の系統を九州の方とつなげるのはありえない考え方。
所領という意味では、鎌子以後に九州に荘園を多くもつことになるけど、
それは二毛作の身入りの多い土地のひとつとしてであって(全国各地に持つ)
別に王家だのゆかりだのは関係ない。
92藤原定価800円(+税):2013/12/14(土) 19:10:01.95 ID:4FK3P2KS0
>>90
『セーラー服と機関銃』にも出てた。
93名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:11:07.43 ID:FAqySPCW0
ほな、さっそく遺伝子検査でハプロタイプを確定してもらわないと
94名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:11:47.30 ID:GwyGtLtd0
蘇我むしころす
95名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:11:53.19 ID:9OphdtAQ0
>>83
まさに受験生泣かせだな
96名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:12:51.90 ID:nFNJzIx60
>>15
藤原は本姓だから、名字として藤原を名乗ってる人は胡散臭い。

>>82
蝦夷とか入鹿とか馬子とか、朝廷にとっての悪者だから
後から名前を書き換えられた可能性が高い。
それゆえに蘇我氏に関する記録は残されていないだろ。
97名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:13:04.09 ID:4FK3P2KS0
>>95
これにさらに「藤原道綱母」とか女性も多数出てくるわけで・・・。
98名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:14:06.37 ID:IiTgOeI80
> 大織冠
オイオイ、マジならスゲー発見じゃねえか。
99名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:14:08.87 ID:GouQWDEd0
>>83
藤原組長はテストに出るのか・・・
100名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:14:31.29 ID:VtEq+c7x0
骨が残ってるならDNA鑑定すれば?
こないだ英国王の骨が子孫のDNAと一致していて確認されたじゃん。
101名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:16:14.91 ID:KSymUJZMO
定期的にサザエさんに出てくる人か
102名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:18:30.07 ID:VRx/eqmp0
>>96
蝦夷も入鹿も馬子もありふれた名前なのにお前は何をいってるんだ
103名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:18:39.00 ID:nFNJzIx60
>>1
画像見たらイメージしてた大織冠と違うw
なんかダイソーとかしまむらに売ってそうなデザインだな
104名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:21:42.33 ID:BAhGh9mK0
天智天皇の墓は天武天皇の墓の真北にある
105名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:21:44.28 ID:jWIQvZwIO
ふじわらのかたまり

と書き込もうと思って来たが、すでにあった
無念ナリ
106名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:21:46.58 ID:NqjyPF4Y0
>>100
リチャード3世だよね
あれはすごい
よく発見したなと
107名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:21:55.92 ID:ZvEZ1Rmw0
>>1
破れ奉行に出てた人?
108ココ電球 _/ o-ν ◆w48Rf4Prjghg :2013/12/14(土) 19:23:29.69 ID:yWHT27aq0
金糸だけで藤原某断定とは

関西の考古学ってもうめちゃくちゃ
我田引水 曲学阿世
109名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:28:40.24 ID:z9Z+wka70
うちの近所の藤原さんは庄屋だな
オイラのとこは氏神一族
110名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:29:33.13 ID:bUBcNZWs0
出来が立派だから歴史的有名人のモノの可能性高くなるっておかしくね?
111名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:31:07.52 ID:NTrtub780
ありのまま言っとけ。
説なんぞどうでもいい。
112名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:31:29.43 ID:c5LwNkpA0
>>73
中臣鎌足が「大織冠」の位を与えられたのは、病床に伏せていた死の直前。
「藤原姓」と共に与えられた、名誉職のような物。
中臣鎌足が天智天皇に次ぐNo.2だったのは間違いないが、「大織冠」の位を以てホルホルするのは筋違い。

なお、中臣鎌足が大織冠の位を賜る遙か以前に、当時の最高位の官位である「織冠(大織とも小織とも記述無し)」の位を賜った人物が一人だけいる。
それは人質として来日し祖国滅亡後はそのまま日本に亡命していた百済最後の王子「余豊璋」。
つまり余豊璋は中臣鎌足が死の直前に大織の位を授かるまで百済人でありながら天皇に次ぐNo.2だったという事です。

ちなみに記紀では余豊璋の記述が途切れると中臣鎌足が現れ中臣鎌足の記述が途切れると余豊璋が現れるなど互いに相補う関係にあり、「中臣鎌足=余豊璋」とする説も一部で唱えられている。
もし中臣鎌足と余豊璋が同一人物だとすると、日本書紀に記載されている「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」(韓人(からひと)、鞍作(入鹿)を殺しつ)という古人大兄皇子の謎の言の意味や、
中大兄皇子(後の天智天皇)による異常なまでの百済への肩入れ(百済滅亡後に行われた軍事介入「白村江の戦い」など)の理由がスンナリ説明出来る。
113名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:35:05.00 ID:BAhGh9mK0
余豊璋が天武天皇という説もあるね
114名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:42:54.52 ID:EawJ4pv80
>>61
古墳時代までは河内湾及び河内湖だった大阪平野は飛鳥時代も大部分が湿地帯で、昔から陸地だった
北摂はあの辺りの中心地のひとつだよ。
一説として魏志倭人伝にある「華奴蘇奴国」は花園(ふぁのその→はなぞの)ではないかというのがある。
115名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:44:27.35 ID:4FK3P2KS0
>>114
古代ラグビーか!
116名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:44:42.58 ID:GouQWDEd0
北摂って辺鄙か?
117名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:45:12.70 ID:EawJ4pv80
>>113
そんなのは小林惠子とそのシンパしか言っとらん。

>>115
鎌足「蹴鞠やで」
118名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:46:02.08 ID:LQeACySv0
鹿島から来た神祗伯の一族だぞ鎌足はw
1000年以上前からある神社の祭式みりゃわかるけど思い切り日本語でびっくりするだろ。
仏教は渡来した宗教だからお経も何言ってるかわからんけどw
119名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:46:50.86 ID:eESXr7p00
藤原の塊
120名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:50:54.16 ID:RKlIHLid0
121名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:51:57.63 ID:EawJ4pv80
>>112
>「韓人殺鞍作臣 吾心痛矣」

そりゃ暗殺が三韓の儀(朝鮮半島諸国の使節による朝貢の挨拶の儀礼)の最中の出来事だったからだろ。
それで古人大兄皇子が勘違いしたのではというのが通説だし。
122名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:52:14.64 ID:3LZ1g9yJ0
>>112

藤原といえば、天皇家そのものじゃないか。
最近の有名子孫では、元総理の細川だよな。

チョン優秀すぎ
123名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:52:22.70 ID:L+v5UPTI0
>>120
江戸の大奥とか比較しないとな。江戸時代なら江戸の方が遥かに豪華で、京都の貴族は貧乏
124名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:54:13.99 ID:c5LwNkpA0
>>118
その割には、鎌足の子孫には神職が見当たらないよね。
中臣氏は一族こぞって仏教伝来に反対していたのに鎌足は仏教を推奨し長男を出家させているし、本当に鎌足が中臣氏なら色々と変です。
で、鎌足以降の藤原氏のやって来た事と言えばとても同じ日本人とは思えない薄汚い権謀術数ばかり。
ま、そういう事です。
125名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:54:38.05 ID:4FK3P2KS0
>>122
近衛家ですね。
126名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:54:57.77 ID:/Bi43fVg0
>>112

ホルホルなどしていないと思うぞ。
古墳が誰のものかの、決め手のひとつになっただけ。

百済の王子に、与えているのも事実。
だから、鎌足と王子は別人。
(同じ官位を2度与えないから)

百済は当時、日本の領土のようなものだったから(現在でいう併合。植民地とは違う)、王子をそれだけ高く評価していた。
20世紀に入って、日本が朝鮮国を併合したときも、朝鮮王を弟のように扱い、朝鮮王として残した。
(植民地ではなく、併合だったから)
127名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:56:56.73 ID:yFEIsuPm0
関裕二の本なんかを真に受けちゃってるひとがいるんだな
128名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:57:25.77 ID:nFNJzIx60
>>118
>鹿島から来た神祗伯の一族だぞ鎌足はw
中央の鹿島担当って形で、鹿島社に強い影響力を持っていたから
後付で鹿島は藤原の氏神に認定されたんじゃ?鹿島出身とかじゃないだろう。
129名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:57:35.11 ID:c5LwNkpA0
>>121
それは藤原氏が編纂した日本書紀に書かれている謎の注釈だけど、
古人大兄皇子は乙巳の変の現場を目撃しているのだから「勘違い」などするはずありません。
130名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 19:58:10.67 ID:Q795T9Tb0
中臣氏の九州と茨城の所領の話だけど
別にそこまで変な話ではないと思うんだよな

縄文時代から日本の沿岸部の海運はそれなりに発展していたんだから
造船技術の発達した古墳時代に飛び地とかあっても全然普通でしょ
古代人は全然移動しなかったと考える方が異常
131名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:00:03.75 ID:c5LwNkpA0
>>126
>百済の王子に、与えているのも事実。
>だから、鎌足と王子は別人。
>(同じ官位を2度与えないから)

豊璋が小織で鎌足が大織なら、同じ官位じゃ御座いませんよ。

>>127
既定観念に凝り固まった思い込み論は結構ですから、史料を基にした具体的な反論をどうぞ。
132名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:00:21.43 ID:LQeACySv0
桓武天皇の母親が百済が滅亡して亡命帰化して10代目だったけど帰化系ってことで
差別されてたぐらいだからなw
半島出身者が権力を掌握できる余地はどこにもないよw
133名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:01:21.10 ID:yFEIsuPm0
>>131
図星だったかw
134名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:02:11.14 ID:0Eu0nPvQP
高野新笠が差別されてたなら、天皇の側室にはなれんだろ
135名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:03:36.39 ID:c5LwNkpA0
>>132
神功皇后は新羅王子の末裔ですけど?
蘇我氏は渡来系って説もありますよね。
秦氏は重職について色々活躍してますよ。
136"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆P2h1qdq9WM :2013/12/14(土) 20:06:05.02 ID:ZU0NVhY50
半島の南側が日本の勢力下にあった時代があったのなら問題は無い。
137名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:06:06.91 ID:6MNVm8Bo0
これが当時の最高峰の帽子なのか…
138名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:09:43.95 ID:EyWr635r0
スーパーインポーズで顔作ればいっぱつだろ
あと土葬だから土ごとCTとれば内臓も写る
139名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:10:33.95 ID:vZd3vT450
いい役者だったねい
140名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:10:51.35 ID:Of3tUYZv0
くだらないな
141名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:12:01.91 ID:y+/w3PIU0
不比等落胤説の検証は出来るんかね?
142名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:14:24.49 ID:vDwRujMQ0
  (~)
 γ´⌒`ヽ
  {i:i:i:i:i:i:i:i:}   この冠帽
 ( ´・ω・)  みかどからいただいたんだ。
  (:::::::::::::)
   し─J
143名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:15:04.42 ID:pqHPXJsZ0
>>121
もしもクーデタがうまくいかなかったら、案外この「三韓人」が犯人としてしてたあげられる予定だったんじゃないかなって思う。
うまくいったから葛城皇子の功績になったんだろうけど…てのはどうかなw
144名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:16:51.46 ID:/Bi43fVg0
>>131

自分で書いた文を読めよ。
「この位は、最後に与える名誉職のような物」
と自分で書いているだろう。

そのとおり、織冠は最後に与える位なんだよ。
百済の王子に与えたのは、百済の王子が祖国に帰るとき。
最後の別れに与えた位な。
(その後、日本に来たという文献は無い)
145名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:17:44.26 ID:p4/GG/X20
阿曽山大噴火に見えてしまうんだけど
146名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:18:11.93 ID:LbATP8SU0
いまは藤原っておしえるのか
子供のころならったのは中臣鎌足だったな
147名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:19:05.94 ID:ZI8TTaJc0
>>2
盗掘対策や敵対勢力による神格化の阻止とか色々
148名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:20:48.32 ID:zgn/hqPu0
までも戦前で不敬罪あるころで
国威発揚に利用したインチキ発見の可能性の方が高いとは
石棺が上にカワラひいてあったなんて
レントゲンで骨折あるのがわかるほどに残ってる方が
不思議でないの
149名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:23:42.02 ID:1prGJ98w0
歴史を知らない関東人のためのわかりやすい地図
http://sakuwa.com/DSCN74891.jpg
湾岸から河内湖と淀川を中心に生活圏として都を置きその周辺に古墳を築いた
150名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:23:59.09 ID:OUrldWVGi
戦前に発掘されて現物はないの?
151名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:25:46.59 ID:4FK3P2KS0
>>149
これだと河内湖がわかりにくくない?

京都の南にあるのは「巨椋池」でしょう?
152名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:26:22.36 ID:/pokMwwE0
鎌足と不比等は同一人物という説もあるな
153名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:27:05.79 ID:HpPGOGesP
塚原台ハイツのすぐ裏側にあったんだよね・・・。懐かしい。

いまは信じられないけど、その頃は石棺がむき出しになってて、手で触れたんだよ。子供があけたりしたかもしれない。
154名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:28:19.25 ID:1Z1IzlK50
今も日本は藤原氏牛耳られてる。
155名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:28:20.27 ID:Q795T9Tb0
物部も中臣もなぜか祭祀系から軍事や政治にかかわる勢力に転身したのは謎

あと、関東勢力が朝廷に恭順し続けたのも結構謎
独立する気さえあればいくらでも独立できたろうに
将門を過ぎて頼朝になるまで実現しなかったんだから
156名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:28:21.96 ID:c5LwNkpA0
>>144
>自分で書いた文を読めよ。
>「この位は、最後に与える名誉職のような物」
>と自分で書いているだろう。

「死の直前に名誉職のような形で与えられた」という意味で書いたんだけどね。
織冠が実権のない名誉職であるというソースは有るの?
157名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:30:32.85 ID:UwxVV6zP0
誰々が(朝鮮系の)誰々というのはひところはやったデンパ説。
多少著名な専門の研究家が論証ぬきで、妄説を唱えると、
それから無数のデンパ説が派生する。
今どき、くだらない、が百済無い、と思ってるような無知か、
また在日くらいしか信じていない。

中臣の本拠は、河内。
茨城にあるのは物部宗家が滅亡した後、ほぼ簒奪に近い形で領地にしたもの。
鹿嶋神社のフツヌシの神は、もともとは物部氏の神。
158名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:31:43.55 ID:Q795T9Tb0
>>149
大和川水系も忘れないであげて
159名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:32:25.47 ID:h83L4V6h0
中臣塊
160名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:33:28.16 ID:Lfhj2ITJ0
>>149
しょうがないね。
日本とはもともと西日本のことだからね。
161名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:34:10.09 ID:1prGJ98w0
>>151
具体的に名称を書いてないだけだし
いくらなんでも現代との地形の対比ぐらいはわかるでしょ
そこまでわからないというのはさすがにフォロー無理だわw

ちなみに河内湖は葦原が広がってて今も淀川にその生き残りと思われる葦が生息してる
葦原の中つ国とは河内湖周辺ではないかという説もある
八十島祭がここで行われていたことも考えると可能性は高い
162名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:34:31.18 ID:HOr4RjZB0
>>14
大化の改新時は難波京が首都な
163名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:37:27.65 ID:4FK3P2KS0
>>161
海岸線が今とだいぶ違うのと大和川の流れが異なるのはわかるが、
肝心の「河内湖」の範囲がわかりにくい地図だと思う。
164名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:39:02.14 ID:UwxVV6zP0
余豊璋は白江村の日本の敗北の後、
唐の捕虜となって唐に連れ去られた。
その後のことは不明。
165名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:40:45.89 ID:Q795T9Tb0
>>157
石上氏健在だった時期にそこまで派手な簒奪はできたのかなあ

石上麻呂なんて大宰府での職務や半島政策にも関わる大物
藤原氏が頭ごなしに捏造できるほど容易い相手とは思えん
166名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:41:38.97 ID:/Bi43fVg0
>>156

事実、与えられたときは、死の直前か、最後の別れのとき。
それを知って上で書くなよ。

それこそ、知っているくせに。
167名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:41:57.46 ID:oDTgP4sn0
八木荘司の大和シリーズ読んでる途中だから面白そう。爆撃聖徳太子もいいけど
ただあの時代は迂闊に倭国が朝鮮三国に手を出すより、隋・唐に管理させた方がよいと
倭国の国力を上げる方に舵取りしてたんだなーと個人的に思う
168名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:42:09.78 ID:1WZB/Xw70
>>155
日本は葦原だらけで平野持ちで米策管理できる集団じゃなきゃ統一が無理だったとか
関東といっても僻地以前に対抗できる力がない
信長が貨幣経済の力、この時代は食糧生産経済の力だとか、一説だけどね
169名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:42:12.69 ID:1prGJ98w0
>>163
さすがに詳細な地形予想図は別で見てもらうしかないわw
古墳群もセットで載ってるマシなのがこれぐらいしかみつからんw
170名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:44:52.90 ID:jZ6ixqPQ0
大和が唐・新羅に負けて、京都が占領され、いきなり漢字が使われ始めたり、

すべてが唐の律令制度その責任者が藤原鎌足だろ?
171名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:46:17.96 ID:c5LwNkpA0
>>166
状況証拠だけで、正式な史料は皆無なのですね。
やれやれ。
172名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:46:19.41 ID:9Bio8Uxe0
その時、藤原のかたまりは

by かつお
173名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:46:21.00 ID:pYEUz/q10
こいつらが徒党を組んで蘇我氏を滅ぼさなければ
白村江で負けるなんてことはなかったんだよ
174名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:46:41.09 ID:UwxVV6zP0
鎌足の直系の子孫は不比等のみ。
(兄定恵は僧になって、帰国後すぐに亡くなった)
不比等は不比等直系が(藤原四兄弟)藤原姓を名乗り、
それ以外(のかつての中臣一族)はすべて中臣姓に戻させた。
藤原一族は政治を司り、中臣一族は神事を司り、
不比等によって二元体勢が確立した。
175名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:47:21.42 ID:8pQ/0FVB0
うちは直系じゃないけど、さかのぼると藤原鎌足の子孫なんだよなあ
176名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:48:26.99 ID:1prGJ98w0
現代も雅楽で宮内庁が調達先にしてるな

鵜殿のヨシ原:「新名神」で消滅も 見直し署名提出へ
http://mainichi.jp/select/news/20131116k0000e040258000c.html
177名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:50:02.60 ID:HpPGOGesP
蘇我馬子には恐ろしいイメージがある。そのイメージをつくったのは秘密シリーズだ
178名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:51:03.40 ID:Q795T9Tb0
>>173
半島政策自体行き詰っていたから、結果論でどうこう言うのは無益だと思う

旧任那を掠め取った新羅は許せない!という感情があったにせよ
唐に対する防波堤として利用すべきだったとは確かに思うし、事実紆余曲折の末に天武はそうした
今の竹島問題に近い部分はあるんじゃね?
問題は今の半島の連中がどうしようもないくらい現実が見えていないことだが
179名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:51:32.69 ID:d0pmjwk40
>>163
河内湖は紀元前後は広大な湖だったけど
大阪や京都に都を造るために山林を切り倒しまくって裸になった土壌がものすごい勢いで流出したので
あっと言う間に埋まっちゃったからなw
難波宮を使わなくなったのも港としての用を成さなくなったからという説もあるし
100年単位くらいでの変遷で見ていかないと分かりにくい地勢の場所だな
180名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:52:00.58 ID:aYehcpbj0
>>146
同意。
181名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:53:48.85 ID:zgn/hqPu0
馬やどのみやが聖徳太子で
馬子は太子の息子
入鹿は太子で
蘇我入鹿は
そんなの居るか
これが歴史の真実
182名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:54:42.00 ID:UwxVV6zP0
>>165
石上麻呂の時よりもっと前、
蘇我、物部戦争の後くらい。
それに、石上麻呂は壬申の乱に最後まで大友皇子に付き従った忠臣で、
(それゆえその忠義を愛でられたゆえに罪を許された)
天武朝での実質な力はさほどなかったし、
すでにその頃は一族の物部氏は没落していた。
だから物部から石上と名を変えている。
麻呂の出世はあくまで個人的なもの。
183名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 20:59:26.46 ID:1prGJ98w0
>>179
座礁事故起こしたことがあるらしいから土砂の堆積だろうね
以後は内港都市の水運用として渡辺津になって新興都市の堺が外港都市になる
184名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:01:24.06 ID:/Bi43fVg0
>>171

では、どうして最初に書いたんだよ。
お宅が書いた話だぜ。

最初に書いた話と、あとで書いた話が矛盾しているぜ。
185名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:02:17.37 ID:4FK3P2KS0
>>184
そういう風に喧嘩っぽくやるならよそでやってほしい。

見苦しい。
186名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:05:41.60 ID:Nk42M3Hc0
サッカーの試合で皇子に近づいた。
187名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:05:59.74 ID:Qk5Y3IiU0
日本書紀や古事記の中臣鎌足がヒーローのように書かれてるのは
息子の藤原不比等が日本書紀をまとめた人物だからだよな

んで、今有力となってるのは蘇我氏は九州の倭国に属しながらも大和に
勢力を持ってた大王でその蘇我王朝をクーデターで乗っ取ったのが臣下だった
天智天皇(中大兄皇子)で日本書紀はそれを隠す為に九州の倭国の歴史を
あたかも自分たちの先祖のようにくっつけて書かれたものなんだってな

蘇我氏が悪者にされ聖徳太子なる人物の功績にすりかえられた
倭国も唐と新羅との戦いで大敗して国力を失い大和王朝の勢力に滅ぼされ
歴史上抹殺された 日本書紀や古事記は9割捏造

九州にあったとされる倭国は邪馬台国そのもので飛鳥時代まで存続していた
卑弥呼が謎になったのも日本書紀や古事記で存在そのものを消された為
188名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:09:39.15 ID:UwxVV6zP0
古代において大きく内陸に入り込んでいた河内湾は、
淀川及びそれと合流していた大和川の堆積物によって埋められていき、
潟湖となって河内湖になり、やがて淡水化した。
洪水起こると氾濫を繰り返した。
仁徳天皇の時代に堀江(運河)を作る大工事が行われた。
それによって、河内湖の水を大阪湾に流し、
物量のための水運も盛んにし、
さらに潅漑用水としても利用できるようにした。
伝仁徳陵は世界最大面積の陵墓。
大工事を敢行するくらいの権力は持っていた。
189名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:09:59.20 ID:SV9rm/1W0
>>12
そうだよ。
日本人の男の1/6は藤原鎌足の子孫で、さらに1/6は天智天皇と同じ系統のY染色体だから。
日本人の1/3がこの二人となんらかの血のつながりがあることになる。
190名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:10:04.34 ID:EyWr635r0
191名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:10:30.50 ID:d0pmjwk40
>>187
ごめん、その有力な説とは誰が提唱してどの学会または歴史学者グループが支持してるのか教えてくれる?
192名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:11:14.29 ID:HOr4RjZB0
邪馬台国九州説なんかもはや誰にも支持されてないんだろ?
バカな九州人が喚いてるだけ
193名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:13:05.51 ID:a8tko3X1O
鎌足は日本に住んでた百済の王だろ

日本は現在もコイツに乗っ取られてんだよ

ネトウヨ出番だぞ!
194名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:13:42.48 ID:qzH2qFUq0
藤原のかたまり
195名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:14:27.18 ID:DNsQgYEnO
トヨ系がワで、オロチ系がヤマトだったんだろう

どちらかが兄格と弟格

そこに「中大兄皇子」が現れるんですな
これ単純に兄弟で真ん中の皇子となります
兄と弟の間ってことだな
196名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:14:42.77 ID:VJD+1z+T0
>>193
貧乏ケータイ君のつまらない煽りはいいから
197名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:15:38.82 ID:UwxVV6zP0
妄想のかたまりが朝鮮人(在日含む)といわゆるブサヨ。
198名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:16:48.84 ID:Qk5Y3IiU0
またクーデターで大和王朝を乗っ取った天智天皇だが関東に勢力を持つ
勢力の大王で大和王朝の臣下になっていた後の天武天皇に自分の死後
息子を自決させられ王朝を乗っ取られる(壬申の乱)

弟と言われているが天智の娘を4人も妃にしていることからそれも日本書紀
の捏造で(日本書紀は天武天皇の時代から書き始められた)
天智の弟ということで正統性を捏造
199名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:17:22.91 ID:kCztXKnsO
釜足は名優だった
200名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:18:08.71 ID:zPcNVVwo0
>>35
日本史二大うんこ漏らした事件の舞台か
201名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:19:23.76 ID:rT0UP4Pn0
補強材料が出て学術的にほぼ確実になったのか、しかしその裾野に
カルト宗教の施設があるのは大問題だなこうなってくると
202名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:19:27.66 ID:wyLKI7NR0
>>27
埋め戻した
203名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:21:29.81 ID:EawJ4pv80
>>124
不比等の時に政治は藤原不比等直系、神官はそれ以外の藤原傍流が中臣に戻って分担することになった。
204名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:21:39.87 ID:Qk5Y3IiU0
ちなみに
飛鳥時代前までの歴史をまとめた書物は蘇我家が管理していたが
クーデターで屋敷が焼かれ全部消失したとされている

つまり蘇我氏=大和王朝の大王だった証
205名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:22:42.73 ID:+xjm4Pzh0
確か盗掘もされずほぼ手付かずの状態で発見された古墳か
男性のミイラがそのまま出てきたとかいう
206名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:23:20.13 ID:DNsQgYEnO
王位格を疑似兄弟格にするのは結構な昔からあります
今もヤクザな世界ではどちら様とどちら様の親分は四分六の兄弟分とか五分五分とか

とにかく中大兄皇子は、ずっと中大兄皇子としか呼ばれない
本名の葛城皇子とか、紹介文の一回きり
ひたすら次男坊皇子次男坊皇子としか呼ばれないんですよ
207名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:23:24.94 ID:9VMaSXfP0
時代劇専門チャンネルの「破れ奉行」で最近見たぞ。
息子が惨殺されて、お遍路に行った。
208名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:25:04.68 ID:wyLKI7NR0
>>69
以前から言われてた根拠は玉枕が出土したこと。これは被葬者がかなり高位でないと副葬されないとのこと。
http://e-asia.board.coocan.jp/bbs/images/user/146_0_t.jpg
209名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:25:35.86 ID:+SXMr5CwP
>>157
違う
鹿島神宮はタケミカヅチ神(蘇我氏)
香取神宮がフツヌシ神(物部氏)

両神宮、両神は同レベルなのに鹿島神宮の方が重要視されてるのはそのせい
210名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:27:30.39 ID:zgn/hqPu0
虫も食わず腐敗もしないで残った
国宝級の帽子ニダか
211名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:28:05.63 ID:EawJ4pv80
>>129
最初に切りかかったのが中大兄で後は鎌足の部下で鎌足自身は弓を持って潜んでいた身なのに
鎌足だけが「韓人」と言われ「鞍作臣を殺した」となるのはどうしてか?
212名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:29:39.68 ID:vJwf22500
>>210
お前のじゃないw 見んな!w
213名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:30:30.05 ID:Qk5Y3IiU0
蘇我氏がそもそも仏教推進派だったりとか朝鮮系の一族だったとか
これは蘇我氏を悪者にするための捏造

法隆寺は蘇我氏の祟りを恐れた天皇家と藤原家が建立した寺
214名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:31:39.22 ID:rurmJaMx0
>>187
おいおい、聖徳太子は蘇我氏系だろ
あと、9割捏造ってのはメチャクチャだな、各地の伝承を繋ぎ合わせたものかもしれんが
文字の無かった時代までは語部が唄にして伝えたもので意味も既に当時から不明カ所だらけだよ
ちゃんと別説等も併記してあるし、各地の風土記も作らせてるだろ
215名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:32:42.89 ID:UwxVV6zP0
>>209
そうだった。
うっかりしていた。
鹿嶋も香取も前身は物部氏の神(武神)。
あそこから辺りの領域は物部氏の領域。
もののふ、というように物部の神は武と呪力の神。

島神宮はタケミカヅチ神(蘇我氏)のもととなる、
何かの論拠はあるのかな?
反論してどうこういうつもりではなくて、
ただ単純に知りたいから。
216名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:33:33.04 ID:DNsQgYEnO
天智と天武が本当の兄弟なのかは大昔から疑われてはいる
単純に年齢が合わない言われてるわけだが
格としての兄弟「分」なんだろ
217名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:35:27.56 ID:Qk5Y3IiU0
>>214
その聖徳太子なる人間の功績とされているものは蘇我馬子の功績
モデルとなった人物はいたそうだが摂政だとか政治に絡んだ形跡は
無いそうだ当時の階級考えてもな
218名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:36:52.74 ID:4FK3P2KS0
真田信之と真田信繁がどちらが年上なのか、というのも謎だという説がある。
織田信長の三男とか。

「兄弟」なのか実はそうでないのかとか歴史には謎がよくあるけれど、実際には
真相は闇の中。
219名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:37:22.34 ID:zrE77Y7l0
>>2
高槻市が大金かけて(しかもかなり怪しい経理処理もして)整備した
今城塚古墳公園の土手は、整備後1年位で地すべり起こしてるwww

古墳自体は土手よりずっと高いし、築造から千年以上たってるというのに、
主要部分はほとんど残ってるといのに、、、
現代の土木技術って大したことないんだな
220名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:38:14.44 ID:Qk5Y3IiU0
日本書紀というのはいかに天智、天武、中臣(藤原)が偉大かを
誇張しただけの書物
なので9割は捏造か引用と言われている
221名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:40:05.22 ID:EawJ4pv80
ID:c5LwNkpA0に似た臭いの奴がこのスレ↓にいたな。

【国際】「日本は武士の時代へ戻る」「秘密保護法案は軍国主義の再来」ドイツ紙が批判[12/13]
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1386942735/l50

ID:/rnxWysa0
http://hissi.org/read.php/newsplus/20131213/L3JueFd5c2Ew.html
ID:lU/Xh7xR0
http://hissi.org/read.php/newsplus/20131214/bFUvWGg3eFIw.html
222名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:40:24.74 ID:Qk5Y3IiU0
>>218
天智天皇の娘を4人も妃にしていることからも
天智と天武は兄弟ではないだろうな

天武は有力な豪族でそこに娘を嫁がせることで従わせていた
223名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:41:30.04 ID:UwxVV6zP0
記紀を読んだ者ならわかることだけど、
誰々の誕生日はいつなんてほとんど書かれていない。
むしろ、死の年の方が書かれている。
そこから逆算して推定するのがほとんどだし、
多くはその記録もない。
年齢から考えて云々というのは論拠に乏しい。
224名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:42:22.39 ID:4FK3P2KS0
>>222
もっと時代は遡るけれど、謎だらけの継体天皇とかも非常に気になります。

天武・天智「兄弟」の実のところとかも。
225名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:43:05.99 ID:LQIyYZgN0
645年の覚え方って昔はムシコロスって覚えたのだが、
最近はどうやら違うらしいな。
226名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:44:42.23 ID:EawJ4pv80
>>220
>なので9割は捏造か引用と言われている [誰が?]
227名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:46:20.67 ID:338BiLwK0
>>225
虫五匹だろ。jk
228名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:46:39.91 ID:rurmJaMx0
>>217
一説に過ぎんことに枝葉を付けて真実のように思い込むのは愚かだな
聖徳太子が蘇我氏であったことは確かなことだろ、なぜ蘇我氏にしたのか矛盾がある
実在したことは君も認めてる所だろ
蘇我氏と中臣氏の争いをよりドラマチックに演出する作家のストーリーに振り回され過ぎだよ
229名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:46:54.94 ID:EawJ4pv80
>>224
>天武・天智「兄弟」の実のところとかも。

これは各史書の編纂時の干支の混乱というのが通説だよ。
230名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:48:24.58 ID:Qk5Y3IiU0
>>224
結局飛鳥時代以降実権を握った天皇家と藤原家の時代が続いた為に
その時代に書かれた日本書紀や古事記が正史とされその後誰もそれを
改編せずに信じられてたきたが、地方に伝わる伝承や遺跡から矛盾点ばかりで
また中国に残されている文献と一致しない事ばかり

その結果日本書紀や古事記は天武や藤原家が自分達を正統化する為だけに
書かれたフィクションだと結論付けられている
だからこそそういった謎の天皇などつじつまの合わないのが出てくる
231名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:49:40.82 ID:EawJ4pv80
>>230
>書かれたフィクションだと結論付けられている[誰によって?]
232"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆P2h1qdq9WM :2013/12/14(土) 21:52:43.48 ID:ZU0NVhY50
何故か断定調で物言うのナ。
233旅人:2013/12/14(土) 21:55:22.63 ID:62aC4pe8P
日本史最大のミステリーってなに?
234名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:56:15.26 ID:rurmJaMx0
>>230
>結論付けられている
君の頭の中だけだろ、君の新説はどこまで続くんだい
235名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:56:53.59 ID:pil5Y52h0
ゴットハンド氏はどこいったの?
236名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:57:19.68 ID:BaUa7fLqO
生ゴミの塊
237名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 21:57:49.60 ID:338BiLwK0
>>230
中国に信用できる文献なんかないじゃないか!
旧唐書は記述が混乱してるし、
新唐書が信用に足るものとも思えないし。
238名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:00:23.73 ID:aVKA83wG0
よく盗掘されないで残ってたな
239名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:01:07.69 ID:1WZB/Xw70
>>230
フィクッションというより
中国と史記を意識し日本書紀が書かれた説に半ば同意
大化の改新は鴻門の会を参考に書かれたとか
似たようなことあったんだろうが、、そっちのほうが面白いし
240名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:03:45.57 ID:+SXMr5CwP
>>215
偉そうに書いといてなんだが、蘇我氏じゃなくて中臣(藤原)氏だったわw
「大鏡」で鎌足は常陸国出身と書かれてて、藤原氏の祭神の春日大社でもタケミカヅチ神が奉られてる
241名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:04:36.96 ID:Wk6Bid4B0
成り上がりも1000年続けば名門よ
242名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:05:39.17 ID:l+UE4nAtO
こ れ は w
自称どっかの末裔の
大女優でもある
藤原紀香さんの出番だな
243名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:06:24.77 ID:HpPGOGesP
>>238
徒歩5分のところに住んでたけど、大規模な発掘作業が行われる前は白い石棺が剥きだしのまま置いてあった。

周囲を安っぽいビニールテープで囲んでたけど、手を伸ばせば触れるところにあった。

でも近所に住む人たちは「あそこは貴人の墓だから触ったら祟りがある」といっていて、誰もそこを荒らしたりしなかった。

関西にはそういう伝承がある場所が山のようにある。そういうところを調べていくと面白いかもね。
244名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:06:58.83 ID:zShhl9PY0
>>230
国外文献と国内文献が完全に一致する必要なんてないし、
一致することの方が多いけど?
245名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:08:31.19 ID:nHNrkOpiO
記紀を鵜呑みにするのも、全否定するのも、両方間違いだがな

ワカタケル大王=倭王・武あたりは
複数の出典による整合性や発掘品の証拠もあるが、
大王の生没年や在位年代とかは完全にデタラメで話にならんし
246名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:13:07.11 ID:zgn/hqPu0
白村江の戦いが663年なの記したのは唐で
日本には残せなかったのはポイントか
九州倭国消滅と遷都が唐の軍隊持った傀儡政権
で傀儡蘇我を滅ぼしたのが大化の改新
247名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:18:58.23 ID:DWnXUgaj0
>>219
その時代の最高レベルの職人と
技術が進んだとはいえDQNの集団が作ったものでは
出来上がりに差があっても不思議はない
248名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:20:17.18 ID:4FK3P2KS0
>>233
某埋蔵金
249名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:20:47.08 ID:zShhl9PY0
>>245
没年は概ね正しいし、間違いを出鱈目と断言するのは為にする議論だ
250名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:22:10.03 ID:Q795T9Tb0
>>245
と言うよりも、天武も含めて生没年怪しすぎる天皇が多すぎなんだよ

記紀は基本的に年代の改竄やっているから、生没年・在位年数が合う天皇の方が少ない
継体以降でさえ、かなり齟齬があるし

朝貢やってたのは黒歴史、辛うじて皇后さまが天皇不在の時やってました(神功皇后)とか
露骨すぎるだろ、日本紀
251名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:23:22.39 ID:mzyP0dyGI
>>233
今日は討ち入りの日なので
松の廊下事件

でも、このスレの雰囲気だと欠史八代あたりかな?
252名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:24:29.08 ID:PN1V3r5dO
蘇我氏中心の歴史書って再現できないかなあ?
日本の歴史学って、何だかんだで皇国史観から抜け出せないよね。

長い日本の歴史上、堂々と臣下が王殺しをやったのは蘇我馬子だけで、
そこで混乱が起きるでもなく、普通に蘇我氏が実権を握り、
更に、天皇にしかできない儀式を執り行ったり、
天皇にしか使われない名称を使ったりしている。

これだけ証拠が揃っていて、どうして「クーデターで王権が蘇我氏に移った」
という定説にならないのか不思議でしょうがない。
253名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:28:06.15 ID:nFNJzIx60
>>249
日本って没年はきちんと記録するけど生年は扱い軽かったってね
254名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:28:50.22 ID:Q795T9Tb0
欠史八代とは言うものの、成務天皇や安康天皇、雄略崩御〜継体即位までの
影の薄い天皇たちと比べて、そこまで「非実在説」唱えられるほどのものなのか?とは思う

あるいは中国に倣って、即位してないけどご先祖様だから諡号をおくりました、という可能性もある
神武は植民当初のピルグリム・ファーザーで象徴的人物だから、とりあえず初代天皇と言う
扱いにしました、って感じなのかもしれない、実効支配できていた領土的に考えて
255名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:32:02.58 ID:Ybu1YRtri
鳥取のど田舎にある、うちの婆ちゃん家にある家系図の起点が藤原鎌足だった…ちゃんと公民館で調べて作られたものらしいが。
256名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:35:46.09 ID:iFr40Jle0
ご先祖様の墓だ
俺と同じような子孫がどのくらいいるんだろうか?
257名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:36:03.04 ID:zShhl9PY0
>>254
欠史八代に事績が無いのは、神武帝と崇神帝に吸収されたからだって説が昔からある
そもそも四道将軍は孝霊帝の皇子から始まるわけだから、
四道将軍の派遣は孝霊朝から始まったと見るべき
258名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:37:58.01 ID:EawJ4pv80
>>245
>大王の生没年や在位年代とかは完全にデタラメ

という印象だと?
259名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:39:01.24 ID:iFr40Jle0
>>255
おっ親戚!親戚w
260名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:41:21.85 ID:Q795T9Tb0
>>252
石川系を除いてほぼ根絶やしにされたからなあ、蘇我氏

葛城氏→蘇我氏の系列で見ると、葛城庶流による政治的復権という見方もできなくはない
葛城氏も天皇に娘を嫁がせて権勢を欲しい侭にしていた一族だし、半島政策・渡来人との
交流に携わった部分も類似している

こういう権臣は、行くとこまでとことん行かないと滅亡させられるだけなんだよな
261名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:41:31.18 ID:PN1V3r5dO
>>254
欠史八代は影が「薄い」んじゃなくて「無い」。
事績が一つも記されていない。

おまけに、九代が初代と同じ「初めて国を統治した天皇」という称号を持ち、
九代=初代(初代の事績が本当は九代のもの)だとすると、
間の八代はモデルもおらず、全く影も形も無いという事になる。
262名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:42:11.39 ID:E7S34ndZ0
まあ、そんな高槻は真の継体天皇陵説が有力とはいえ
あまり声高に推せないのか継体天皇…陵から多数出土した埴輪推しです
はにたんなるゆるキャラを作って頑張ってるみたい
あとは高槻城主の高山右近かな
三好長慶ももっと推していいと思うんだけど城跡が山奥だし荒廃してるし

ベッドタウンで観光よりは都市整備、都市計画が市政の要なので
>>28ということはないですね
263名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:48:10.49 ID:PN1V3r5dO
おっと、>>261の九代は十代の間違いだったわ。
引き算もできなくなってしまった。
264名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:49:18.62 ID:6FXZk3MU0
阿武山古墳は、昭和9年に阿武山の中腹で発見された未盗掘の終末期古墳です。漆喰を塗り込めた石槨(せっかく)には、麻布を漆で固めた夾紵棺(きょうちょかん)が置かれ、棺内には熟年男性の遺骸と玉枕、金糸や絹織物が納められていました。
その後の調査・研究により、この古墳に葬られたのは「大化の改新」などで活躍した中臣(藤原)鎌足の可能性が高いことが明らかになってきました。
265名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 22:52:08.65 ID:Q795T9Tb0
>>261
綏靖天皇は事跡あるから
266名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:04:18.34 ID:bL/FaVDYP
大臣・蘇我氏の領地・大和から移ったと言うことかな。
中臣がうまいことやったなあ。
267名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:07:49.70 ID:SBLpyvCe0
>>129
勘違いもなにも、犯罪者は最初はチョンと連想するのはこの時代も現代もいっしょ。
268名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:13:16.44 ID:SmfBC/wB0
民国に日本の物が出土するのはおかしいと東京人が見たら潰して埋めるだろ
269名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:15:39.38 ID:zShhl9PY0
>>261
崇神天皇は九代じゃなくて十代な
しかも神武天皇は「始馭天下之天皇」、
崇神天皇は、「御?國天皇」で、全然違う
両者を同じだという奴は、バカか嘘つき
270名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:16:55.18 ID:SBLpyvCe0
藤氏家伝だと、墓は京都の山科になるのだが、なぜいきなりこうなるのかよくわからん。

この地区は、鏡山だとか、大塚だとか、山階寺(移築して興福寺)だとか、
またまた、大宅(たぶん公の語源)なんて地名まであるんだから、非常に濃い関係なのは明らか。

しかも、中臣遺跡からは旧石器時代のものまで出ている。
天智天皇は近江で亡くなり。鎌足は山科でなくなったのだろうから。
墓がなぜ高槻にできたのかの記録や明瞭な理由が欲しいところ。
271名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:17:08.84 ID:mzyP0dyG0
>>268
実際に埋めなおした
272名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:20:59.77 ID:aFTLls+T0
発掘時に副葬品のあまりの豪華さにびっくりし、皇族だったらまずいという事で
埋め戻して、再発掘まかりならんと決定した国(宮内庁)がいかんわ

再発掘して徹底的に調査すべき
273名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:22:22.69 ID:Q795T9Tb0
推古天皇って訳分かんないよな
適齢の皇位継承者(厩戸皇子)がいるにもかかわらず、何でずっと天皇位に就いていたんだろ?
厩戸皇子が摂政ということになっているけど、普通逆だよな(幼齢の皇子を叔母である推古が
摂政として補佐する)

蘇我簒奪説なんかよりもずっと謎
274名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:25:46.86 ID:zShhl9PY0
>>273
その方が何かと角が立たない
妥協の産物だよ
275名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:26:40.57 ID:zgn/hqPu0
http://www.tamanegiya.com/zainitinofuhousennkyo18.9..html
朝日新聞ソース
鎌足だと公式に認めると鎌足は韓国人の帽子かぶてた証拠になるのだろう
276名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:28:36.78 ID:aFTLls+T0
はにたんは、ゆるキャラGP大阪府2位の人気者だぞ
プロモビデオでは市長の浜田もギター演奏で参画w
最近は高槻駅のハートインでも携帯マスコットとか売っている
277名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:29:13.61 ID:Aqze9SoT0
藤原鎌足は在日朝鮮人
これ豆知識な
278名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:33:00.28 ID:fZMww6150
今城塚も本当はすごい古墳らしいと聞いたことがあるなあ
何がすごいのかは分からんが
279名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:38:10.75 ID:aFTLls+T0
>>278
全国で唯一、皇族の墓で徹底的な発掘調査を行えた
理由は隣の茨木の古墳を天皇陵指定し発掘禁止してしまったから
280名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:39:54.57 ID:Q795T9Tb0
>>274
つーか、改革はガンガン進めるは、朝鮮に弟派遣しようとするはで
結構積極的な政治家のイメージがある、厩戸皇子
本人は案外皇位を望んでいなかったかもしんないな(用明系は傍流っちゃ傍流だし)

天智天皇と似たタイプのような気もする
281名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:40:36.03 ID:mzyP0dyGI
>>278
継体天皇の陵墓の可能性が高いんだよね
でも、宮内庁の陵墓リストから漏れてる
陵墓が宮内庁によって発掘調査ができない以上
リストからもれてる今城塚古墳はすごく貴重
なお、宮内庁が指定する継体天皇は茶臼山古墳で
古墳の状態から継体天皇の時代が合わないらしい
282名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:42:24.74 ID:Q795T9Tb0
>>281
あいつらって本当にお役所仕事だよな
その癖して自分の職務に対するプロ意識は皆無
いつまで戦前の特権を引きずっているつもりだよ
283名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:43:55.37 ID:zgn/hqPu0
http://blog.goo.ne.jp/numabunken/e/14b49e5124e4425fd7c3316e3b6eae25
継体以降飛鳥までいた可能性は高いニダ
284名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:45:36.43 ID:1XXtt7CZ0
奈良に都あったんだろ当時、なんで大阪の茨木とか高槻とか離れたとこにわざわざ埋葬してんだよ
鎌足って隠居して晩年は高槻のヘンに住んでたとかなのか
285名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:47:57.15 ID:CvmxeSFf0
あたしに期待してるの?そうなのね?
286名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:52:39.56 ID:hZ+tGu4/0
実家が近所だけど、
ここも今城塚古墳も埴輪じゃなく
こういうことをもっとアピールすればいいのに。

歴史に詳しくない俺でも引き付けられる。
287名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:54:09.96 ID:mzyP0dyGI
>>284
大化の改新は飛鳥から大阪の難波宮に遷都して行われた
あと鎌足は大阪の三島(今の茨木市や高槻市あたり)の土地もらってる
文献ではこの辺に埋葬されたと残ってる
288名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:57:02.30 ID:1prGJ98w0
>>284
詳しくない人にありがちだけどさ
現代の県境で考えないほうがいいよ
少なくとも大阪奈良は
289名無しさん@13周年:2013/12/14(土) 23:58:01.44 ID:9bYLyOQS0
>>12
本家やそれに近い分家ではないのは確実。末端の分家の可能性はある。
ただし、藤原さんはこの藤原氏とは無関係。
290名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 00:00:34.19 ID:1XXtt7CZ0
>>287>>288

>>1みてすぐ思ったこと書いてしまったけど、スレ読んでいったらなんとなくわかりました
鎌足ってあの辺の領主で晩年は高槻らへんにいたんですね
291名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 00:16:42.27 ID:gshUHRMu0
>>230
日本書紀と古事記を同列の物と考えるってバカなの?
学校で暗記した以外の何の知見もないのに何偉そうなこと言ってんの?
292名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 00:32:16.10 ID:sNZ0va4L0
茨木出身だけど、小学校で校舎建て増ししたら遺跡が見つかって建築ストップ、高校でもまた遺跡見つかる。

深く掘ったらなんか出てきて大変だわ。
293名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 00:32:26.36 ID:ZXYXcPYE0
>>108
脳内補正するのは勝手だがあくまで自分の頭の中だけにして欲しい
つか、そこまで性格歪むと日常生活に支障が出てないか?
294名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 00:59:42.65 ID:ZXYXcPYE0
>>62
なにをもって立派としているかは分からないが阿武山古墳はこのあたりだとありきたりな古墳の一つ
ただ他の古墳とは違い当時の役人レベルでは手に入らない出土品が出てきた為に急きょ注目を集める事となった
あと藤原鎌足説が出ているのは鎌足がこのあたりに埋葬されたとされていて近くに藤原鎌足の墓とされる古墳がある
しかしその古墳は鎌足の墓と言える決定打に欠けていた為に阿武山古墳こそが本当の鎌足の墓ではないかと言われるようになった
295名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:16:23.28 ID:yL9GEG57P
俺の祖先は中臣氏らしい(関東住み)
296名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:20:01.11 ID:yHiZ+f+EO
<丶`∀´> ウリナラのカマタリは韓国人ニダ
297名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:23:40.23 ID:u+kiLMQh0
>>277
え?ウチの家系はその子孫だと言われてんだよ。まぁ鎌足の子孫と伝えられる家系は全国に腐るほどあるらしいがな
298名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:30:14.98 ID:OV0+DkoP0
藤原の塊
299王 猛烈:2013/12/15(日) 01:33:48.37 ID:58LtHJd30
*茨木は茨城県ではありません。
300名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:40:01.49 ID:RF7KWYUs0
>>297
藤原氏は大繁殖したから食えない人間はどんどん地方に下野していった。
地方役人として全国に根付いたのが尾藤さんとか伊藤さんとか備藤さんとか色々。
田舎の土豪なんかがこれを婿や養子に迎えて、我が家系は藤原氏の系譜ナリと系図を書いた。
その下っ端家来も、主が藤原流だから我も藤原流と名乗ったり。
また明治になって農民なんかが名字を名乗るときに、せっかくだからと藤原を名乗ったり。
大阪には「藤原さん」がたくさん居るが、ほとんどがパチもの。そもそも本物の藤原氏は
藤原なんて名字を名乗らないからね。
301名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:42:18.80 ID:O5KkiQv50
>>280
そうだよ
だから大王は象徴の方が、太子にとっても蘇我氏にとっても都合がいい
302名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:42:27.90 ID:85xWKflZ0
wiki読んだら、これ埋め戻されてしまったんだね。
まあ、それでよかったかも知れないけど、
技術が上がって完全に保存されるようになったら、
もう一度調査して欲しい。
しかし、なんで天皇陛下の御陵とか、鎌足レベルの墳墓の位置がわからなくなるのかね。
記録に残しておくか、玄室に思いっきり名前を刻み込んでおけばよかったのに。
303名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:48:18.55 ID:yL9GEG57P
>>299
鎌足は常陸国(茨城県)出身で、中臣一族は鹿嶋神宮の祭祀者であったと言う話しがあるの
304名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:49:52.14 ID:MMtKjttv0
>>300
>藤原なんて名字を名乗らないからね

本家は中臣のままだし
藤原氏も近衛や鷹司や一条と名乗ったからね

>>296
関裕二読みすぎだw
305名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:51:01.86 ID:u+kiLMQh0
>>300
そういえばウチも藤原なんて名字ではないな。
ま、いずれにせよ俺の代で断絶しそうな勢いだが。
306名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 01:55:23.27 ID:YeJHlvhj0
>>302
いやあ、記憶は残らなくなるものだよ。
人の寿命は80年、後継者に伝える事ができる情報はその一部、
石に刻んでもそれが何の記録かを伝える必要があるし、戦争や開発で遺失することもある。
藤原鎌足っていう人がいたという記録があるだけでも上等。
人の記憶が全て記録できてインターネット上のような仮想媒体で記録できれば可能かもしれないけど。
307名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 02:02:22.23 ID:NWAeUqXZi
>>302
天皇なんて明治維新の時にむりやり担がれただけで敬意の対象じゃなかったからな
308名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 02:04:14.00 ID:MMtKjttv0
>>302
その役割が一緒に建立される神社であり
墓守の一族(陵戸)だったんだろうけど
1000年は長すきた
309名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 02:14:07.53 ID:yL9GEG57P
>>305
うちも藤原でも中臣でもないわ
310王 猛烈:2013/12/15(日) 02:29:01.63 ID:+1a88w0D0
>>303
その話はともかくとして、間違えている者も多いようだ。

大生部(壬生部)も駿河の部民だから、当時の地理感覚として常陸が極端に遠いかというと、
そこまででも、という感はある
311名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 02:33:23.19 ID:04fXcBaZO
>>269
日本語(読み)が同じなのに中国語(漢字)が違うから違うと言う奴は、
バカで嘘つきだと思うよ。
312名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 02:49:19.05 ID:N3MhynZh0
本姓藤原の何々
そして土地や職業官位などからの名字などの家名
うちは土地由来の本貫地がまだ残ってるな
幸い歴史記録も少し残ってる
藤原なんて名乗ってる奴は99%いないだろう
313名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 02:54:57.59 ID:ZmFX2N190
鹿島神宮で御来光見ようと思うんだけど
良いスポットとかある?
314名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 03:08:40.53 ID:RjAolicW0
本物の藤原の末裔の苗字は藤原じゃない
俺が知ってるので言うと藤田と松原は藤原の系譜
315名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 03:28:41.99 ID:04fXcBaZO
っつーか、「藤」がつく名字がだいたい藤原関係だろ?

加賀の「加藤」、伊勢の「伊藤」、近江の「近藤」、遠江の「遠藤」、
斎宮頭の「斎藤」、左衛門尉の「佐藤」、内舎人の「内藤」ってな感じで。
316名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 03:32:24.77 ID:mxB8sK7E0
>>12
現存の藤原氏子孫は冷泉家だけじゃなかったっけ?
317名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 04:30:49.43 ID:FuQ58sRY0
>>316
単純に計算しても、全国にうじゃうじゃいるって
皇孫がうじゃうじゃいるようにな
ただ、古い時代から家冒もあるし、
東北なんかで一村ほとんど佐藤とかいうのは地主が小作人に名乗らせたんだろうから、
藤原氏を称していても、実際にはそうじゃないってのもうじゃうじゃいるだろうな
318名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 04:47:05.78 ID:wdcHADUI0
>>291
古事記と日本書紀は編集方針が違うから全く同一では無いにしろ、
同時期に編纂された両者は歴史学界でも「記紀」と一括りにして呼ばれてます。
319名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 05:11:42.70 ID:fHFmZ2xQP
>>230
矛盾点ばかりは言い過ぎ
正当化するだけのフィクションと言うのも
中国文献はあくまで外国の伝聞記録だし
遺跡記録や古来からの地名など、一致点も多い
320名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 05:53:33.67 ID:wdcHADUI0
>>316
藤原氏の正統は摂家(近衛・鷹司・九条・一条・二条)。
冷泉家は傍流の傍流です。
321名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 05:55:06.22 ID:hEHRWzcW0
名前は聞いたことあるけれど何をしたのか知らんがな
322名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 05:58:52.31 ID:TxLGq8gkO
コーヒールンバで歌われてる人か
323名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 06:50:05.15 ID:IWdrRmmkO
なるほど「葛藤」だけは意味が違うってのが重要だな
324名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 06:54:45.35 ID:fHFmZ2xQP
沖縄行ったら○藤さんが全然いなかった
よく考えたら当たり前だが
325名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:11:59.23 ID:d63TeogV0
末裔なら正式な藤原四家の属がわかるはず
うちだと藤原北家近衛流の○○氏
326名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:12:09.96 ID:okw+cDdV0
>>311
古事記には神武の「始馭天下之天皇」の読みは存在してなかったと思うんだが
(だから正確な日本語の読みは不明)
同義であるが、字が違う天皇としては
継体・持統や雄略・武烈みたいなのがいる
同一人物と言うには若干苦しいと思うぞ、神武と崇神は

垂仁紀の崇神短命説が結構気になる
327名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:13:47.95 ID:E0yaCRVuO
藤原かたまり
328名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:22:35.19 ID:IWdrRmmkO
正直、藤原氏の子孫って嫌だなぁ

印象悪いんだよねぇ

藤原四兄弟も長屋王を殺してるし
329名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:27:37.73 ID:vwf4V9WwO
>>319
泣くなw
330名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:30:01.79 ID:okw+cDdV0
>>328
正直、天武王朝は根絶やしにされても文句言えないレベル(事実、血統は絶えた)
白鳳期は血なまぐさすぎる、どいつもこいつも狂ってるとしか思えん

平安期は何だかんだ言って政治闘争絡みで武力衝突はほとんどなかった
(薬子の乱と末期の保元・平治の乱くらい)
331名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:32:38.71 ID:gshUHRMu0
>>318
はぁ?
編集者が違うのに、何言ってんの?
対外向けに国書として意図して編纂されたものと、誰が書いたかも分からない書物の違いも理解出来ないアホですか?
332名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:38:21.12 ID:wdcHADUI0
>>331
古事記と日本書紀はあなたの言う通り同一でも同列でもないが、「全く別物」でもない。
両者共に当時伝えられていた史料を編纂した物であり、現在でも飛鳥朝以前の古代史を紐解く重要史料とされてます。
333名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:38:42.55 ID:DFMY3e1BO
>>328
そうか?個人的にはそんな悪いイメージないがなあ。

たしか系図辿ったら伊達政宗も藤原鎌足の子孫じゃなかった?
必然的に陸奥宗光(本名は伊達宗光)も藤原鎌足の子孫だし
サンドウィッチマンの伊達みきおも藤原鎌足の子孫だわなw
334名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:40:28.00 ID:Tq51Ws8E0
2013年に生きている日本人で藤原氏の血が一滴も入っていないのは珍しいと思うが。
335名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:44:41.63 ID:fHFmZ2xQP
>>330
この頃の天皇は本当に権力のある専制君主でしたからねー

平安になると「よきにはからえ」で臣任せになっていくが
336名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:45:01.88 ID:IWdrRmmkO
藤原そのものが血生臭いんだよなぁ
藤原仲麻呂とかもそうだし

何か日本人vs藤原氏って感じすらする

葛藤の意味深いわ
337名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:48:11.83 ID:DFMY3e1BO
>>334
明治維新の頃に政治家の一部が
「私たちは全員、直接天皇に仕える臣となったのだから、これからは天皇に賜った本姓を名乗るべき」
と言い出し、一時期みんな本姓を名乗ってたらしいが
武士の大半が源さんで、公家の大半が藤原さんで、あまりにもややこしいから
すぐ止めたとか聞いた事が有るw
338名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:49:59.52 ID:okw+cDdV0
>>335
嵯峨天皇くらいかな、最後の専制君主と言っていいのは
(それでも後継者問題は荒れに荒れた)

雄略、天武あたりの専制は際立つわ
339名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:55:51.66 ID:okw+cDdV0
天武王朝は天武・持統の直系子孫で藤原氏の血を引く皇子に皇位継承させるという
難易度の高い継承法を無理くり進めたからおかしいことになった
高市や大津と言った有能な皇族はいたんだから、無理に病弱な家系で継がせなくても良かったはず

持統が天智の血脈を何としても維持しようとした意思の表れだとは思う
そんだけ天武だけの血脈で皇位継承させていくことが恐ろしいことだったんだろうな
340名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 07:55:57.16 ID:uutK1P3OO
俺も藤原なんだけど戸籍上は藤の字の草冠の間が切れてる
++←こんな感じ
まがいもんかのう
341名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 08:02:59.18 ID:q0yNcakK0
>>340
w←これが草冠w
342名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 08:03:56.39 ID:4IFGTv0V0
天武と持統の直系子孫のうちは天皇はかなりの実権をもってた
親政にふさわしい人材に恵まれなかっただけで

鎌足の子孫の百川たちが神武系の血をまったく引かない(つまり今の皇室の先祖の)
天智系の光仁天皇を擁立に成功して藤原氏の勢力が強まることになった
343名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 08:06:06.83 ID:4IFGTv0V0
>>342
× 神武系 ○天武系

わはははは
344名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 08:10:43.24 ID:DFMY3e1BO
>>340
それは単なる旧字だ。
戦後に學校が学校になったのと同じ。
345名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 09:03:54.24 ID:/RxboN6p0
>>33
なくなったときには既に大津に遷都してただろ。
346名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 09:10:56.62 ID:/RxboN6p0
>>53
近衛家、鷹司家は既に不比等の子孫ではない、三条、九条は子孫だが。
347名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 09:18:36.32 ID:xkqIbs0L0
>>322
聞いてみましたが「・・モカマタリ(も鎌足)」の部分ですか?
348名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 10:45:37.20 ID:k0SZrpGc0
金糸を織り込んだ冠帽〜ってのは
俺が持ってる結構昔の本にも書いてあるぞ?
再確認みたいなもんなのかね
349名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 12:16:07.69 ID:fflF5nbY0
個人的には別にどうってことない出自の中臣氏が天智帝の右腕になった理由が謎
息子達も兄のほうは難波帝の落胤で確定
弟(不比等)は天智の落胤という噂があったらしいし
350名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 14:42:11.19 ID:51TGNMxq0
>>348
昔の資料を元に以前の結果は考えず現在の視点で再分析したら
やっぱりそうでしたという結果結論が出たということだな
ほぼ確定だろう
〆として発掘して現物を確認できたら言うこと無しな感じ
351名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 15:43:27.48 ID:4Jmm8ZK10
>>350
もう骨も繊維系の副葬品も溶けちゃってるんじゃないかな
発掘時点で残ってたのが奇跡なんだし
352名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 17:57:00.51 ID:uutK1P3OO
>>344
なるほどそういうことか
353名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 17:59:57.02 ID:qZg2P1Fc0
>>1
藤原氏って昭和の時代のは近衛文麿首相を出している
古代からの日本の支配者層なのに
自分の先祖の墓くらい先祖代々言い伝えられてないのかよ?w
354名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 21:06:23.84 ID:51TGNMxq0
>>353
近衛家は江戸時代に血統が断絶してる
養子を入れて家系はつないだ
他所の近衛流の家のほうが血縁だと正統な状態だからな
355名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 21:31:41.48 ID:NoQvnzQE0
第14代仲哀天皇陵墓と比定される前方後円墳に三好勢が臨時築城した岡ミサンザイ古墳城
世界遺産登録を目指す百舌鳥・古市古墳群に位置する古墳城
http://mirai660.net/castle/okamisanzaikofunjyoh_model.html
356名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 22:35:52.32 ID:04fXcBaZO
>>326
何を否定しているつもりなのかがよく分からない。

挙げられた天皇は共通の事績があるから同じ称号が付けられたわけで、
その論でも、神武と崇神の共通の事績が「初めて国を統治した」という事になる。

「天下」と「国」の違い(読み方や意味の違い)を言いたいのかもしれないが、
重要なのは「始」「肇」の方だ。
「肇」には「神の啓示を承けて建国する」という意味があり、
むしろ「始」よりも初代に相応しい称号と言える。

いずれにしろ、神武と崇神は二人合わせて「初代(建国までの道のり)」
と考えるべき(だから欠史八代はどこにも存在しない)という話であって、
同一人物という意味ではない。
神武は実在してないんだから当たり前だ。
357名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 22:47:47.15 ID:8gsLjIzP0
>1934年当時の写真やX線写真を分析

実物は??
358名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 22:48:14.08 ID:EkbgfNaA0
神武は存在してる。
359名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 22:52:58.89 ID:8gsLjIzP0
>>358
それは当たり前だ
現に現在の天皇家にそのY染色体が存在しているわけだからな
360名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 23:04:12.32 ID:5fJM/ZWr0
>>357
今は土の中
被葬者は皇族の可能性もあるということで内務省から圧力が掛かって埋め戻された
361名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 23:08:58.80 ID:UBZTyaSN0
>>25
支那人ならば支那人であることを誇示するわボケ
362名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 23:10:07.27 ID:FuQ58sRY0
>>358
後世になって、天皇の先祖を神武って呼んでるだけだからな
そりゃ実在はするだろうな
その神武ってのがいつの時代の人間で何をした人かが問題なわけで
記紀の記載通りの人間ではなかっただろうなってところだろ
363名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 23:11:55.98 ID:8gsLjIzP0
>>360
また掘り出せばええやん

>>362
> その神武ってのがいつの時代の人間で何をした人かが問題なわけで
> 記紀の記載通りの人間ではなかっただろうなってところだろ
それは別に問題ではない。どうだっていいこと。
実在したってことが大事。
364名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 23:13:37.57 ID:EkbgfNaA0
案外記載通りだよ。きっとね。
365名無しさん@13周年:2013/12/15(日) 23:14:45.78 ID:0k8DCNZB0
>>356

神武の実在を否定する明確な根拠はない。
むしろ考古学的にはいてもおかしくないと思う。
ただし、崇神天皇がその直系かどうかは疑問がある。
366"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆P2h1qdq9WM :2013/12/16(月) 01:24:43.37 ID:ooULtsSZ0
建国神話と学術的見解が一致しなくても良いんだよ。
キリスト教とか見てみろよ。
367名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 01:46:42.90 ID:4/g5iY+r0
>>365
>考古学的にはいてもおかしくないと思う。
歴史学的にはの間違いだろ。
考古学的になら、物証があることになるぞ。
368名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 02:29:18.11 ID:uEGFky5X0
>>351
金糸は大丈夫だろ。
369名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 09:36:11.69 ID:uZNqboHtP
皇族の墓もどんどん発掘して欲しい
あと男系遺伝子も調査して、現代の天皇はじめ源平藤橘の子孫の遺伝情報を調べて欲しい
タブーなぞいらん
370名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 09:53:05.41 ID:cEjQrFhD0
http://stat.ameba.jp/user_images/20090906/09/kan65/be/79/j/o0480032810247887942.jpg
別名 藤原 鶏太
 1940年、内務省通達により名前が藤原鎌足を冒涜しているとして藤原鶏太(ふじわら けいた)に改名。戦後元に戻す。
没年月日 1985年12月21日(満80歳没)
出生地 東京府東京市深川区(現:東京都江東区)
活動期間 1933年 - 1985年
女優の沢村貞子は元妻
371名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 09:59:31.46 ID:PlkUlABdP
>>369
日本人ではないなw

エジプトのピラミッドなどはがんがん発掘されたけど、
あそこはその王朝がとうに途絶えているからね。
でも、日本はずっと万世一系で続いているから、
その墓を暴くなんて、とんでもないことだよ。
372名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 10:01:54.05 ID:EMr2fqkMO
藤原鎌足は 朝鮮半島での戦の武将で、皆を統率してたんだけど 負けそうになって弱くて、逃げてきた負け犬だとゆう説の本を読んだことがあるよ
373名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 11:00:40.38 ID:8vZoNLZ30
中臣家は神官の家系だったのになぜ中華系や朝鮮系という話が出てくるのか
374名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 11:09:49.31 ID:aQAqJrCN0
持ち物にはちゃんと名前くらい書いとけよ
親の顔が見てーわ みけこ
375名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 11:32:19.71 ID:KYwnSqzW0
遺伝子工学がない昔ならともかく、
今なら、続々と発掘したところで、今のチョンと遺伝子が違うことは明らかなんだから、溶けてしまう前に発掘すべきだけどな、、、

天皇家や皇族がエラが張ってないのが何よりの証拠。

エベンギとあの頃の百済、新羅、高句麗とは何の関係もない。
奴らは仏教も知らないからな。
376名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 11:36:35.81 ID:r+TDFzHl0
>>339
天武と天智はかなりの確率で兄弟ではないな
天武は地方で大きな勢力を持つ大王であり天智に従う存在
だからこそ天智の娘を何人も妃にした
377名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 11:48:34.82 ID:r+TDFzHl0
中臣鎌足の息子が藤原不比等とされてるが
壬申の乱で天武が大友皇子を自決させて乗っ取った後は
中臣(藤原)家は失脚している

その10年以上後になぜか表舞台に息子と称した不比等が登場する

そこも日本書紀を加筆で大きく改編した不比等の自らの血統を正統化
する為の捏造だったりしてw だから親の墓を後世に伝えてない
藤原家がその後どれだけ権力を持つ時代が続いたって話でその中で
始祖の鎌足の墓が伝えられてないのはおかしい

壬申の乱で鎌足の一族は根絶やしか朝廷から去ったんじゃね?
378名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 11:54:08.49 ID:B8cLhyOh0
鎌足の息子の不比等の系統のみ「藤原」を名乗れた
不比等の兄や弟の系統はずっと「中臣」のまま
379名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 12:16:22.98 ID:Ob8Fqb9O0
藤原鎌足は「なまごみのかたまり」と覚えましょう。
380名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 12:35:45.64 ID:4WnSS2Sn0
>>375
まああの人たちは不比等が落胤でもない限りは天智天皇より鎌足の血の方が多く引いてそうだからな。
381名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 12:49:19.59 ID:h+vN4Ovp0
>>302
最近墓が発見されてDNA鑑定された中世のイングランド王にしても、埋葬の伝承はあったが
確定できるものじゃなかった。
諸事情による記録の喪失は結構あるもので、これは現代でも実は大差ない。
382名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 12:55:31.67 ID:h+vN4Ovp0
>>318
>その時代に書かれた日本書紀や古事記が正史とされ

古事記は正史ではないだろw

>>230だが、
>その時代に書かれた日本書紀や古事記が正史とされその後誰もそれを
>改編せずに信じられてたきたが、地方に伝わる伝承や遺跡から矛盾点ばかりで
>また中国に残されている文献と一致しない事ばかり

>その結果日本書紀や古事記は天武や藤原家が自分達を正統化する為だけに
>書かれたフィクションだと結論付けられている
>だからこそそういった謎の天皇などつじつまの合わないのが出てくる

ちょっとかじっただけで想像したという内容しかないレスだな。
小林惠子や関裕二辺りの本しか読んでいなさそうw
383名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 13:03:14.92 ID:h+vN4Ovp0
>>348
>1934年当時の写真やX線写真を分析。金糸の端がいずれも急角度に折れ曲がり、何度も往復して
>いることから、綴れ織りで金糸を織り込んだ冠帽と判断した。

今回は金糸の織り込み方が分かったという話だね。
高度な技法を用いているから高い身分の為の冠だろうと。
384名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 13:03:43.78 ID:4WnSS2Sn0
>>381
あれなんて大化の改新どころか応仁の乱のころの話だからね。

同じ時代のクロタール3世だって大聖堂に安置されてたにも関わらず分かったの最近なくらいだから
まあ世界的に見てこんなもんなんだろう。

日本の次に古い存続君主家のデンマークでもこの時代の君主は不明なくらいだし。
385名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 13:24:13.76 ID:123TSJha0
藤原鎌足は常陸国の鹿島神宮の神官の出で、
だっぺだっぺと訛りが酷かった聞いたが
386名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 15:54:42.71 ID:SJRU2c860
>>385
そりゃ、どっかのおっさんが、地方出身だってことを理由に自慢げに下品なたとえ話でもしたんでしょ
麻呂の時代だよ、一般庶民とは言葉遣いが違うでしょ、それに現代とはだいぶ言葉が違ったし
沖縄方言も、元は平安時代の本土の言葉から分岐した物で、一部は本土からは消えた言葉っだったりするし
387名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 16:48:59.07 ID:123TSJha0
石棺からはDNA鑑定出来るような痕跡はなかったのかな
388名無しさん@13周年:2013/12/16(月) 16:51:05.51 ID:RETbtTvl0
あ、あぶさん・・・
389名無しさん@13周年
「ふじわらのかまたり」ってちゃんと学年とクラスと名前を書いておけよ