★今東光の女人入門(7)“エロ坊主”の真意 ヌード嬢に上演を許可「春泥こそ河内の美田」
2013.11.30 18:00
大胆に尼僧を描いた「春泥尼抄」は物議を醸した。僧侶でもある今東光(こん・とうこう)の
作家人生の分岐点になったかもしれない。
せっかく歴史の香り高い「お吟さま」で直木賞を受賞し、「闘鶏」で高い文学的評価を受けたのに、
いち早く映画化された作品はエロティックな色彩が強く、またヌードショーにもなった。
今東光にはエロ坊主のイメージがべったり貼り付く。
しかし、今東光は全然ひるまなかった。作品のあとがきに書いている。
「春泥は尼僧に対する理解と同情から発足した。週刊誌に連載されたために、断片的にお読みになった
御方はあるいは尼僧としてあるまじい性的描写に眉をしかめ、あるいは仏法から逸脱したかの印象を
受けられたかもしれないが、通読して下さるならば作者が不真面目な動機で執筆したり、淫らな構想を
恣にしたのではないことをみていただけるのではないか」
◆檀家の総代に妊娠させられた尼僧
連載中からモデルはだれかと騒がれた。その回答は「東光おんな談義」(昭和35(1960)年)にある、
と「今東光を語る会」代表の伊東健さんが教えてくれた。
中の「尼つれづれ」の項で今東光はひとつの青春時代の思い出をつづっている。
10代後半のことだ。母親のお供をして東京・新宿にある庵寺に老師の話を聞きに通う日々があった。
兵庫・豊岡の高校を放校された後のことで、息子の心をしずめたいとの母親の思いもあっただろうか。
そんな母心を知ってか知らずか東光少年は庵寺にいた妙齢の尼僧に会うことだけが楽しみだった。
そり立ての青い地肌の頭、白くきめこまかい皮膚。
「白衣のふっくらと膨らんだ胸には何ごとを秘めているのか知らないが、彼女の物静かなうちに情熱を
湛えた瞳は僕の魂をとらえて離さなかった。(略)僕が春泥尼という架空の尼僧を設定したときに、
その風貌はありし日の彼女だったのである」(以下略)
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131130/wlf13113018010037-n1.htm