【国際】安重根の石碑設置工事、伊藤博文暗殺現場のハルビン駅で始まる 日本と中韓両国の外交的あつれき高まる恐れ

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289名無しさん@13周年
>>22>>155

■伊藤は韓国併合に賛成した。ネトウヨは漫画の読み過ぎか、漫画を読みすぎたネトウヨブログの読みすぎ
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○『伊藤博文伝』によると、1909年4月10日、桂首相と小村外相が上京中の伊藤を訪れ、おそるおそる「韓国の現状に照らして将来を考量するに、韓国を併合するより外に他策がなかる事由を陳述」した。
すると「公は両相の説を聞くや、意外にもこれに異存なき旨を言明した」。そればかりか、桂、小村が提示した「併合の方針」についても、「その大綱を是認」した、という。
保護国論から併合論への改宗である。それから2週間後に東京上野の精養軒で開かれた、京城日報社主宰の韓国紳士日本観光団歓迎会での演説でも、
伊藤は「今やまさに協同的に進まんとする境遇となり、進んで一家たらんとせり」と併合を示唆し、聴衆をおどろかさせた。

○春畝公追頌(しゅんぼこうついしょう)会編『伊藤博文伝』には、09年4月、併合に積極的な桂太郎首相と小村寿太郎外相が伊藤を訪れ併合への同意を求めると、彼らの予想に反して同意したという趣旨の記述がある。
http://www.asahi.com/culture/news_culture/TKY200803270152.html


■伊藤暗殺前に、日本政府は併合を閣議決定していた
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1909年 3月30日 「韓国併合ニ関スル件」が総理に提出
1909年 4月10日 桂首相、小村外相、伊藤韓国統監の会談。伊藤が韓国併合に賛成
1909年 7月 6日 「韓国併合ニ関スル件」を閣議決定
1909年10月26日 伊藤暗殺
1909年12月 4日 一進会が「合邦要求」声明書