【社会】古墳〜平安時代、関東文化の中心は群馬だった…周知イベント開催[11/23]
1 :
キャプテンシステムρφ ★ :
2013/11/23(土) 22:24:35.35 ID:???0 古墳時代から平安時代にかけて関東地方で栄えた文化の中心地が群馬県内にあったことを周知するイベント「古代東国文化サミット」が
24日、大室公園(前橋市西大室町)で開かれる。
イベントには古代劇の上演もあり、出演する市立大室小の児童24人は練習に励んでいる。
サミットは、県と県教委などが主催し、昨年初めて開いた。
今年は「ググっとぐんま観光キャンペーン」と合わせて行われ、グルメや県産品の販売に40団体が参加する。
児童が出演する古代劇は、古事記を基にした「ぐんまの物語―東国の絹風―」。
敵国に攻められた上毛野国の長が幼い我が子を遣いに出し、
崇神天皇に援軍を求める内容で、児童らは10月から土日や平日夜に集まり、練習を重ねてきた。
遣いに出される子役の6年生三浦正恵さん(12)は、
「殺されるかもしれない立場の恐怖が出るよう気をつけている。群馬の昔のことが伝わるよう演じたい」と語った。
脚本を手掛けた前橋市の劇団「ザ・マルク・シアター」を主宰する生方保光さん(53)は
「古墳がある環境で生活している子たちに、芝居を通して東国文化のすごさを実感してもらいたい」と話す。
上演は午前11時10分から「おまつり広場」で。
http://www.yomiuri.co.jp/kyoiku/news/20131122-OYT8T00392.htm
2 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:24:58.23 ID:8kVBls570
グンマー
埼玉北部だろ
4 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:25:51.59 ID:3uTjVmR50
群馬以外は海だったからな
5 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:25:54.48 ID:73hUKvv4O
そして文明水準は今も同じ…
6 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:26:10.40 ID:yOUgfme/0
全ての文化は朝鮮半島から
秩父と思うけどな。また鹿島神社あたりも。
8 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:26:36.55 ID:tmQvTpni0
9 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:26:43.57 ID:UP2+fHHbi BE:1086533344-PLT(40000)
なんだ、グンマースレか
馬がいた地域かもしれない
11 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:26:59.70 ID:+MrU+L890
関東とか未開の地 1000年前の人が現代に来たら驚くだろうな 下衆の地、東方の国で都が栄えているなんて そう考えると、鎌倉あたりからこの国はおかしくなったよね
いや、埼玉北部が中心地だって、歴史の授業で習ったぞ 群馬どうしたw
13 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/11/23(土) 22:27:34.26 ID:PddLxKma0
そして東海地方の中心は東三河だった。
どうしよう グンマーがチョンみたいな主張を始めた…
16 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:27:45.74 ID:N+GNc1bG0
奈良ニダ!
つまりプロジェクトD
18 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:30:13.76 ID:FyqJzYcSO
事実なら支持する
19 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:31:27.76 ID:VXfOAOri0
>>13 いや、一宮市だよ?熱田より歴史が有るし東三河は昔から田舎だよ
群馬くん、鰯食い過ぎ 船頭気分か
21 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:32:07.53 ID:I2uZuh0li
群馬て馬つれてきた朝鮮族の街でしょ
22 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:32:52.37 ID:cpYJskFz0
またグンマーか
そりゃ関東平野なんて湿地帯だったからなぁ。 親王任国が上野・上総・常陸だったんだから、 京と結ばれる東山道が通っている上野が栄えていても不思議はないな。
25 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:34:59.58 ID:Q517glYv0
群馬が起源ニダ
>古墳時代から平安時代にかけ そうなの? 当時の海岸線が埼玉あたりなら納得だけどさ。
27 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:35:50.98 ID:rxOqed0i0
下の毛の国(栃木)が何というやら
28 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:35:54.04 ID:s3tbklG10
海岸線が群馬近くだったんだっけ?
★朝鮮人みたいなこと言うなよ 恥ずかしい
30 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:36:26.40 ID:Qyr31x4R0
栄えたとか中心とか言われても当時の関東そのものがなあ。。
グンマーの半島化・・・・ 古墳や遺跡の発見は西日本が圧倒的に多いのだが・・・
32 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:37:15.40 ID:Okuer4ix0
某国で小型ではあるが日本と同じタイプの古墳が出土しました 某国民はやっぱり日本の文化はウリたちが伝えてあげたとホルホルしました しかし、その古墳が日本のものより新しい年代に作られたことが判ると その古墳は壊され、古墳は出土しなかったことになりました
海沿いから文明が開けていく印象だけど 奈良も京都も内陸だもんな、ありえるわ
34 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:39:37.41 ID:XxeLZh3R0
>>26 それに近い
東京湾のほかに香取海(今の霞ヶ浦)という内海があり、さらに利根川は今と比べ物にならないほどの巨大な河川だった
宇都宮は鬼怒川使って水運で移動できたし、前橋も利根川水運で自由に移動できた
古墳時代の中心地は群馬〜埼玉北部と茨城の石岡〜千葉の台地部
関東産の布(特に麻布)は大和朝廷にとっては重要な交易品だった
いまだに布に関する地名があちこちに残っている
群馬は古代韓国語のグ・ンマー(何もない土地)が起源であることが明らかである。 直ちに大韓国へ群馬を返還すべき。
36 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:40:00.05 ID:AgdxF2aa0
埼玉県行田市に、一時世界遺産登録を望む声が出たほどの巨大古墳群があり、文字の残された刀剣が複数発見されたが、そこが『毛』の国だったのでは?
ぐんまスレを一日に何スレ立てるんだよwww
まあ1000年もの昔だと、関東なんてロクに人が住んでいない地域。 それに異議を差し挟む気はサラサラないよ。
いや、埼玉だろ 古墳とかたくさんあるし
テスト
>>1 足利学校が日本最古の大学なんだっけな。
でも、前橋からは離れてね?
43 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:42:29.29 ID:WDC8kXyl0
羊太夫って関係ある?
関東の遺跡と言うと埼玉の吉見百穴くらいしか思い浮かばないなあ。 その頃グンマーはタヌキと猪しかいなかったと思うw
45 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:42:56.43 ID:JNgC/43k0
グンマー王国vsトチギスタンのサッカー国際Aマッチが見たい。 Home & Awayで。
46 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:43:03.28 ID:XxeLZh3R0
>>33 古墳時代の海岸線はもっと内陸部まで入っている
河内平野なんて湖だったし、奈良盆地も中央部は湿地帯が残っていた
淀川の北岸は中国系渡来人が移住していた地域
まあ、今の利根川や鬼怒川や荒川の下流域が多島海のようになっていて、 相模から安房へ船で行くのが国司の通路だったと聞くから、あのあたりで分断されていたんでしょう。
>>古墳時代から平安時代 範囲が広すぎる。海水面の低下に伴って村が移動したというだけじゃないの?
49 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:43:34.61 ID:CJDbum2P0
古墳時代のよろい着装人骨の出土で湧いてるのはわかるが 文化の中心地とかそういうのはやめとけって...
50 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:43:52.22 ID:53tM3/Yh0
北関東が北限で、それ以外にはアイヌがいたんだもんな
51 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:43:59.33 ID:leK44+Cb0
昔は紀ノ国や丹(に)ノ国とか毛ノ国とか 1文字系が多かったんかな
当時東京なんて人が住んでたのかね
韓国人うぜーよ、と思ったらグンマーか
>>32 平山郁夫が日本と同じだって太鼓判押したのにな
映像も破棄されちゃったのかな
>>44 遺跡は時代による
縄文時代は暖かかったので西日本はジャングルみたいで人間が住むには適さず、
むしろ関東東北のほうが移籍は大きくて大規模
紀元前後は北九州が隆盛
古墳時代になって奈良盆地を中心とした畿内が覇権を取った
>>52 荒地と湿地帯で海を渡った上総と安房のほうが近い国とされてたぐらいの辺境
57 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:48:14.57 ID:XxeLZh3R0
>>49 少なくとも豊城入彦命(垂仁天皇の異母兄)の子孫である毛野君は群馬を本拠地にして栄えていたのは事実
日本国内で「君」号を使えたのは上毛野と筑紫の2地域のみ
日本武尊と所縁がある房総・茨城一帯も繁栄していたけど
群馬の方が若干上(古墳の規模・数から)
伊勢物語の時代は下層民は竪穴式住居だったんですけどね
59 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:48:34.09 ID:bu7E64uZ0
お毛々の国のお話ですか
遮光器土偶の発掘から 群馬は異星人の基地 だったという。
61 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:49:45.43 ID:aElaTlxn0
埼玉の北部とか群馬とか、今の境界線で区切ったって意味ねぇだろ アホか
なんだかんだ、群馬県がグンマーとして認知されてきて嬉しいなぁw
いやいやwwww茨城だからwwww すべては茨城wwwwww
64 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:50:47.22 ID:JNgC/43k0
>>51 「美しい字面の二文字で書こうね令」が出たので2文字になった。
やはりグンマーw 京都土人臭がするぜw
鬼怒(きぬ)川=毛野(けの)川というぐらいに すでに4、5世紀ごろにはその名で呼ばれていた
群馬はあまり認知度無いだけで結構古墳多いぞ
68 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:51:43.64 ID:XxeLZh3R0
>>61 利根川流域と言った方が妥当かもな
まあ、群馬と埼玉北部だが
69 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:51:47.65 ID:HhNFGfKz0
はいはい、良かったね しかし、妄想に逃げ込むとか朝鮮人みたいだな
>>49 平安時代上期までは京と東北を結ぶ東山道がメインルートだったんだよ。
その頃は山梨や静岡を通過して関東へ入る街道は無かった。
つまり、東山道が長野から関東地方へ入ってくる入り口の群馬県〜栃木県に文化の中心があったのは当然。
南関東は未開or開拓中ともいえる状態だったんだからね。
じゃあ、なんで衰退したん?
群馬や埼玉あたりに有力な豪族がいて、 それらを中央集権が監視するために 下野(栃木)に国分寺を置いたんだが。
グンマー大王が統治してたからな
74 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:54:13.49 ID:mYFFepHE0
え? 明日に前橋市内の大室公園でこんな壮大なイベントをやるのか? 群馬の前橋市が古代における関東地方の盟主だったとはな。 これは明日はこの公園周辺は大混雑は必至だな
75 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:54:33.02 ID:Pya1jhtzO
とっととトッツィギーに攻めこめよ
>>55 大森貝塚とか登呂遺跡とかかな?
古墳とかなら畿内とか出雲近辺が多いと思ったけど違うの?
77 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:54:49.93 ID:8vggM9TP0
まるで、群馬県が関東地方にあるみたいじゃないか
>>68 利根川は江戸時代になるまで東京湾に注ぎ込んでたんだよなw
だから今以上に東京湾岸は氾濫と沼地の宝庫で
とても住めたもんじゃなかった
関東で栄えたのはまず古代の埼玉群馬、
歴史時代に入ると秩父地域だもんな
79 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:55:58.30 ID:CJDbum2P0
>>50 古墳時代はまだ続縄文、擦文時代だよ、アイヌ文化は平安後期ごろから
80 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:56:01.76 ID:86yPpqQ90
東京は群馬領土。
>>71 山梨〜相模を通る新街道ができたらそっちへメインルートが移行した。
鎌倉時代に入ってからは東海道がメインルートになった。
周知するイベントw
83 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:56:35.66 ID:XxeLZh3R0
>>71 西日本がそれ以上に発展したからなあ
遣隋使・遣唐使以降はやっぱ西日本に重心移っちゃうよね
無法地帯になって武士団がそのうち発展することになるけど
現東京付近は利根川と荒川水系、多摩川水系の河口域で、 氾濫して河川域がコロコロと変わってばかりいた湿地帯 人が定住するには向かないところだった
自然環境が古墳時代の状態に戻るんだったら海岸線がもっと高くなって海沿いの土地は全部水没して海沿いに不動産持ってる奴は涙目になる つー訳で地球環境が改善した事を考えると東京湾よりも群馬とか埼玉北部に首都を移した方が良い
86 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:57:29.42 ID:5wPaBFC+0
>>1 つまり古墳時代からグンマー
今もグンマーで、まったく進化してないってことだろw
87 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:58:02.24 ID:i0wO/nq10
>>67 明治政府の唱えた歴史観を覆す危険性もあるから腫れ物扱いなんだよ
新しい発見なんて、絶対にあってはならない
88 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:58:08.98 ID:kDR9uJZN0
栃木の立場は年々低下してるなw
89 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:58:12.87 ID:u07g+ym+O
群馬の靴音はきこえないなw
>>78 家康の頃はまだ広大な湿地帯だったんだっけ。
武蔵野台地の端の方は、結構古くから人間の痕跡があるけどね。
92 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:58:59.06 ID:XxeLZh3R0
>>85 温暖化で海面上昇したら利根川流域とか印旛沼周辺は間違いなく沈むな
関東で「新田」て地名のところはマジで危険だと思う
画像に期待してきたのに(´・ω・`)
94 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:59:03.91 ID:xRxtP83K0
まあ、関東が開拓されたのは徳川家康が入ってからだからなあ。。 それまでは一面の湿地帯だったけど、干拓すれば肥沃な水田地帯に変わるから、 僻地に追いやったつもりの豊臣秀吉からすれば痛い誤算だったね。
95 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:59:04.83 ID:8sWElY5M0
>>70 そら平安期は富士山の噴火活動が活発だったからな
関東平野部から今の東海道沿いは危険地帯という認識
96 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:59:08.90 ID:mYFFepHE0
たしか大室公園って大きな古墳が近くにあったよな。 赤城山の眺めも良いし。 群馬も昔は大都会だったわけかw
97 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 22:59:48.38 ID:jXjhW1HE0
奈良時代以降は武蔵国府のあった府中の方が栄えていたと思う。
98 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:00:29.82 ID:KEwybnYH0
伝説のグンマー文明か
99 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:00:30.71 ID:u07g+ym+O
100 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:00:57.82 ID:ly972cFZI
羞恥イベントが有ると聞いてすっ飛んで来ましたあぁ!
群馬に下戸が多いことと関係あるの?
遣いに出される子役の6年生三浦正恵さん(12)は、 「殺されるかもしれない立場の恐怖が出るよう気をつけている。群馬の昔のことが伝わるよう演じたい」と語った。 子役そんな役作り頑張らなくてえーからw
103 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:03:15.83 ID:CaqdKTgFI
群馬のどこかに宇宙の穴があるっぽい
狛江市とか高麗郡は高句麗の残党を住まわせた名残なんだっけ 日本は昔から太っ腹やでw
105 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:03:26.59 ID:rLPXppLJ0
群馬の正確な位置を周知する方が先ちゃうかな 群馬とその横の県との位置関係がよく分からん(名前忘れたけど四角い県)
106 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:03:30.51 ID:mYFFepHE0
よし。 俺は明日は仕事休みだからこのイベントが行われる公園に 行ってくるわ。 子供たちの演劇もあるらしいから それも見てくるぞ。
107 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:03:30.50 ID:u07g+ym+O
>>96 もしかしたら、その古墳完成の式典いったかもw
お前らの知識には脱帽どぇす
韓国みたいw
周知したから何か変わるんか?
ワカタケル大王の鉄剣が出てきたのもあの辺だよな。埼玉県内だけど。
113 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:04:52.81 ID:xRxtP83K0
>>104 当時は未開の地だから、今の感覚で言えば、シベリア送りに近いぞ?
群馬。昔は人も馬も少なかった。そういう認識でよろしいかな。
115 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:05:59.10 ID:JNgC/43k0
116 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:06:02.23 ID:WPmdazIU0
フランスと軍事同盟を結んだりして怖いわ 飛ばしすぎだろ
117 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:06:11.89 ID:jXjhW1HE0
118 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:06:12.89 ID:9dMex07g0
群馬って熊しかいないイメージでした。
群馬県のHP
http://www.pref.gunma.jp/07/b2100259.html 古代ぐんまの姿
5世紀から8世紀ごろの群馬では、主に朝鮮半島からの渡来人が伝えた新しい技術により、最先端の
文化が栄えていました。
古墳時代には、かんがい技術や金属製の道具などが発達したため、水田の大規模開発が可能になりました。
馬の飼育や織物の生産などが行われていたことも分かっています。
また奈良時代にかけては、多胡碑などの石碑が建てられました。
120 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:06:45.07 ID:nSdLytET0
>群馬に下戸が多いことと関係あるの? そういうもんなの?
ふっ……群馬ごときが…… (栃木県民:男)
埼玉あたりじゃなかったっけ
123 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:07:41.93 ID:nAepA2XhO
チョンみたいな群馬
124 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:07:42.41 ID:FCruO8e60
弥生人が徴用されたとかバカqあwせdrftgyふ
室町時代の中国地方の中心は山口だった!
確かにそうだけど当時の関東に文化はないだろ(´・ω・`)
127 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:09:36.22 ID:mYFFepHE0
>>119 なんだと? 3世紀〜5世紀ごろは
朝鮮半島が最先端の先進技術を誇っていたというのか。
>>119 稲作は朝鮮半島からというすでに否定されきった仮説が
まだまだ残ってて、フットワークののろい大きな歴史博物館とかは未だに
朝鮮マンセーで占められてるんだよな
愕然とすることがしばしばある
関東平野を 馬が群れを成して 失踪するイメージ
130 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:10:39.86 ID:ZzWGjP/y0
正しい歴史認識が欠けているようだな。 弥生時代に稲作が可能な平野部は弥生人に埋め尽くされ、 その後、古墳時代以降に百済、新羅の滅亡での流民が住み着ける先住民がいない場所は、 当時の農耕技術では稲作が不可能なフェーン現象が起こりやすい群馬(赤城颪)や兵庫(六甲颪)であった。 いわゆる半島のDNAが濃い地域=フェーン現象により稲が育たない地域 他には、トウホグの太平洋側(ヤマセ)など。
>敵国に攻められた上毛野国の長が幼い我が子を遣いに出し、 >崇神天皇に援軍を求める内容 古事記に沿った創作劇だとしても、崇神朝じゃ古すぎる。 崇神天皇の皇子が初めて東国に派遣されてるんだから、 せめて景行〜仁徳朝の設定にしないと辻褄が合わない。
関東最古の神社は埼玉の鷲宮神社なんだよなあ、これが 伊勢神宮の倍ぐらい古い
>>47 和歌山県から海で行くルートのほうが通常だったらしいよ
どうせ水運を利用するならこの方が効率的。
ちなみに千葉県の銚子あたりの人の先祖は和歌山の人が多いよ
武蔵国の国府は今の府中市
まあ名前そのまま
23区なんて海の底か沼の底
地盤とかが確実なのはそんなところ
>>120 大和系は酒に弱い
韓国の前方後円墳はどうなったんかなあ
え、じゃあ栃木って群馬にボロ負けじゃね?
>>95 碓氷(東山道)か箱根(東海道)か、という選択は、
「浅間山にgkbr」か「富士山にgkbr」かという、絶望的な二択の世界になる。
古代においては、どちらもガチの活火山で、どっちも恐ろしいほど危険。
でも、陸路で関東平野に西から入るルートは、主だったところではこの2つだけ。
(甲州街道ルートはマイナー)
西から文明がやってきた弥生以降の古代において、関東地方が僻地だった、最大の理由はこれ。
そもそも、文明度以前に、アクセスそれ自体が大変なことだった。
いっそのこと、船で北陸沿いを北上して、東北にアクセスするほうが簡単だった。
>>130 フェーン現象と六甲颪の区別もつかない朝鮮人は帰ってもらえますかw
過去の栄光を誇るしかない哀れなグンマー、関西人、そして朝鮮人www
>>127 三国志では辺境扱いの公孫氏が朝鮮半島征服するから、まあ邦乱立の日本よりは進んでるんじゃね
141 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:15:16.26 ID:oLmmdcR20
戦国時代までは群馬が関東の中心、前橋じゃよ。戦国時代は厩橋かな? 小田原や鎌倉っもあったから中心が2箇所あったとも言える 中仙道が前橋で東海道が小田原や鎌倉
142 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:15:32.82 ID:XxeLZh3R0
>>131 いや、記紀どおりだとこの後に豊城入彦命が関東平定にやってくるから物語的には間違っていない
(入彦命の派遣は崇神天皇のところに記載されているから)
宇都宮の二荒山神社参拝してみて思ったけど、畿内に帰れなかったぽいんだよな
ある意味かわいそう
143 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:16:22.59 ID:cgcLfSTi0
今日のトンキン嫉妬スレはここか
http://chimei-allguide.com/10/000.html 群馬県の由来
古くは「くるま」と呼ばれており、「くるま」が転じて「ぐんま」となった。
「くるま」の名は、朝鮮からの渡来人が多く住んでいたため「呉人(くれびと)の住む土地」
から「くるま」になったとする説、古代の豪族「車持君(くるまもちのきみ)」が住んで
いたとする説、川が曲流することを表す地名「くるま」からといった説がある
145 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:16:52.89 ID:2Eq5JZaN0
中山道が通ってるから、大昔に栄えた名残りは江戸時代も残ってたみたいだな
146 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:17:11.30 ID:wMdtwHas0
朝鮮半島は中国文化の”通り道”。 朝鮮半島は、当時優れた中国文化を享受していただけの一ヶ所に過ぎない。 日本は先進的な中国文化を欲していた。 だから朝鮮半島を”通過点”として利用しただけだ。
147 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:18:31.28 ID:3s3QAJG40
関東は洪水ばかりで 江戸に入るまでは人が住める土地ではなかったからな。
148 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:18:33.81 ID:mYFFepHE0
なるほどな。この時代のままだったら 今の日本の首都は群馬県前橋市だったわけか。 群馬県民涙目w
グンマーは古墳のメッカだし
大量の巨大古墳とか関東では東山道の起点だったね 今は未開の地だけど(´・ω・`)
群馬ね。馬がいたのか? とてもウソっぽい。
152 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:22:39.08 ID:ZzWGjP/y0
>>138 おやおや、つい最近の品種改良によって稲作が可能になった空っ風が吹く地域の半島DNAの方ですか?w
153 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:23:51.10 ID:D88LL/OL0
どうりでトンキンが田舎臭いわけだ
>>101 そなの?
でもグンマーは中曽根を排出してるしなぁ
すぐ下の埼玉の深谷だか本庄は滋賀県の県知事♀を排出してるしな
奈良時代の海岸線は風土記に記述してある通りなら 今と変わらないらしいが 古墳時代に栄えていたなら納得
勉強でなく辺境の地グンマー
158 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:26:11.89 ID:ovcwwiqb0
その頃関東はただの田舎だったんだから中心もクソもなかろう?
847: 11/23(土)22:51 ID:RVeoDkZf0(10) AAS ★★★在日韓国人は、土地泥 棒★★★ ---イ・プンジョ(女性 87 歳)の証言---〈終戦直後の川崎で〉 川崎の駅のキング通りは終戦 直後は、みんな焼け野原で店 は一軒しかなかった。 土地は誰のものでもなくて、 みんな勝手に自分の土地にし た。 うち(私)は韓国に帰るつも りだったから、そういうこと はしなかった。 向こう(朝鮮)のみんなが日 本に帰ってきたから、自分た ちも帰るのをやめた 。 今ある川崎駅近くの店は、一 軒残っていた呉服屋以外、 みんな戦後勝手に振り分けた 土地の所有者(朝鮮人)が 代々継いできた店だ。 補足:戦争で所有者の無く なった土地は、日本国家に帰 属します。
群馬から出土している埴輪は状態が良好だからなあ 当時はかなり多く製作されていたんだろうねえ
161 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:32:22.85 ID:VeVrZkfIi
>>68 キートンもドナウ川とか遠い所じゃ無くて利根川の利根川文明発掘すれば良かったのに。
162 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:32:29.23 ID:oLmmdcR20
>>152 歴史認識なんて朝鮮ワード使ってデマ長文とかほんと恥ずかしいからやめなよ
古代グンマー帝国が発見されたのかw
165 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:33:16.59 ID:OF4LgDMQ0
谷の音読みはヤでなくコク ヤもタニも訓読み ヤは関東でタニは関西 関東以北の地名で谷をタニと読む地名はほとんどが関西由来 つまり地名が定着する頃にはまだ明白な言語体系の違いがあったってこと
166 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:33:33.30 ID:XR37I7vO0
江戸時代より前の利根川の下流は住むの怖いだろうな。
167 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:33:58.97 ID:PevWS2aq0
>>1 崇神天皇の4道将軍はかっこいいけど、群馬人ではない
168 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:34:07.45 ID:w0uAbHfO0
土蜘蛛とかの話?
群馬の山はほとんどピラミッドで出来ている
170 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:36:16.21 ID:x70QfsrW0
We Are the ジャアアアアアアアアアアップwwwww We Are the 中世wwwww
敵国ってどこのことなの 栃木?
172 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:36:34.34 ID:B3dRJmI3O
敵はエミシか
これはおそらく正しいな 頼朝の鎌倉から敗戦まで正直影が薄かったが 戦後は明らかに存在感を増した 最も高度な権力闘争が繰り広げられる国政の世界で、隣接するどの県よりも、というよりも全国で最も多く戦後の総理大臣を輩出しているのは伊達じゃない
昔は山側の方が栄えてたんだろ? 秩父とか群馬とか 弥生系が山の中で生きていけたとは思えない
群馬とか長野とか遺跡史跡だらけだもんな
177 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:38:22.11 ID:utf2lBA40
本当かねえ 古墳なんてそこら中にあるし 関東最古の神社は埼玉の鷲宮神社だし 関東の古い寺は東京や千葉にあるし 群馬が中心だって根拠はあるのか?
他の県にも普通に古墳あるけどね そこら辺はいいのかな・・・(´・ω・`)
179 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:40:29.26 ID:qeQjg1VM0
今すぐ群馬県を北東京都に改名して首都移転しよう 現在の東京都は南東京都にして北東京都の衛星都市として頑張ってもらおう
>>128 そう思いたいんだよね…
うん気持ちはわかるよ
183 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:42:28.74 ID:XxeLZh3R0
>>177 鷲宮は社伝しか根拠ないじゃん
関東最古は鹿島、香取でしょ、神宮の名は伊達ではない
>>177 無いよw ただ開けてて水源も多く米は相当取れたのは間違いない。
だから源氏平氏ががこぞって開墾に来て開いていった。
185 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:43:11.86 ID:i0wO/nq10
火山に向かって倒れた兵士のミイラとか見つかってたな
187 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:45:15.29 ID:dGDTETNIO
188 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:46:26.04 ID:fSYB8PLT0
鶴舞う形の群馬ちゃん
>>182 グンマ、栃木には間違いないけどね
上毛野氏・下毛野氏がいるから(´・ω・`)
190 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:46:59.01 ID:w3behXQl0
>>146 >朝鮮半島は中国文化の”通り道”。
それは間違い。
当時、倭国から随へ行くのに、もっとも適した方法は、船を使って
朝鮮半島の西岸を経由して北へ、北から西へ更に南へ。つまり黄海の沿岸をを一周する船路だったと思われ。
安全性を考えると、こののコースがもっとも合理的だ。
ところが白村江の戦いに倭国が敗れたことから朝鮮半島経由ができなくなり、
仕方なく、遣唐使の頃には黄海を横断する航路が採用されたわけだ。
朝鮮半島を経由して日本に文化が伝えられた、なんて嘘八百。
文化は倭国が直接唐へ学びに行ったんだよ。
191 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:48:07.80 ID:ZzWGjP/y0
確かに群馬や青森、兵庫は高句麗系を証明するがごとく腕毛やすね毛、毛深いのが多いな。
古墳の数だけなら千葉なんかいっぱいじゃん 出土品の埴輪とかで見るとグンマーのほうが豪勢だったけど 灌漑が難しかった古代においては、たくさんの支流が利根川に流れ込む山地と平野の間にある群馬が発達するのはおかしなことじゃない 利根川下流域は湿地帯だし
>関東の中心はどこだったの 馬がクソ群れていた群馬だろ
埼玉の北部なんて 昔は地震で砂水が吹いたくらいだからな 関東平野なんて水原ばっかりだったはず 50年くらい前の住宅が建つ前なんて 沼とか湿地とかがあちこちにあったわけで あんま住み心地のいいところじゃなかったはず
195 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:50:33.49 ID:XxeLZh3R0
>>178 中央(大和朝廷)に匹敵する規模の大型前方後円墳を多数造成できた地域は少ない
前長150m以上の前方後円墳が複数ある県は、岡山と群馬と京都ぐらい
小さいのだったら千葉辺りにいっぱいあるけど
196 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:51:08.18 ID:SR0r8SSZ0
毛深いのって縄文人じゃないの 関東や東北の方って弥生人に征服された関西エリアの縄文人が逃げてきたところなんじゃないの
寒すぎて無理じゃねって思うんだが?
198 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:53:04.52 ID:FfyVPiqc0
別にグンマーで良いだろ 関東なんか歴史あって無いようなもんやねんから
199 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:53:52.55 ID:SR0r8SSZ0
結局文化文明は全部朝鮮半島から渡来してきた弥生人が作り上げたわけでしょ それで制圧された縄文人は九州南端や関東東北に逃れた それで明治になって縄文人が逆転して江戸を制圧して縄文人の国を再興したわけでしょ
200 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:54:19.42 ID:h7WIfeBsO
縄文海進以降に海岸線があった地域は集落の集積は大きいね。 今の平野部よりも少し丘になってる地域に古い町や神社がいっぱいあるのは、 面白いくらい日本中どこも同じ。 今の平野部は人が住めない湿地帯か海だったのだから。
201 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:54:38.89 ID:i0wO/nq10
>>193 秦だって馬飼いの地方部族から成り上がったんだから馬鹿にすべきじゃないw
馬を家畜化するってのは当時の先端産業だったんだよ
>>155 今の群馬も含め、関東一円から東北にかけてまで名馬の産地だよね。
それこそが東国武士の強さの源だし。
>>198 縄文人の俺から見たら、おまいら関西人の方が歴史が浅いんだ
さっさと半島帰れよ
この土地は、「本当の日本人のための土地」
おまえら土人は失せろよ
そもそも古代に関東という概念があったのか
206 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:58:04.24 ID:m1fM1WC30
>>19 三河一宮、つまり豊川市が中心地という訳か。
207 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:59:00.17 ID:XxeLZh3R0
>>205 少なくとも平野部という認識はなかったと思うわ
東京湾と香取海を抱えた水運・海運交易圏
208 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:59:00.46 ID:qvMRuilf0
上方からみれば、目くそと鼻くその議論にみえるとおもいます・・
209 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:59:19.44 ID:cAM2BDfs0
御大師様! 仏敵
>>42 が綜芸種智院、種智院大学、
ならびに真言宗に対し宣戦布告を致しました。
>足利学校が日本最古の大学
210 :
名無しさん@13周年 :2013/11/23(土) 23:59:38.88 ID:VDjaH1LS0
>>201 Civilizationやってると、そのあたりを実感できるよね。
整備された軍用道路網と馬の組合せで、軍の機動力が格段に向上する。
212 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:00:09.16 ID:AfhwiSfzO
>>205 「古代」の概念に拠る。
日本史学界でもガチで割れるネタ。
いやいや! 日本の中心は、青森だー! 日ノ本中央って、石があるだー!
またまたご冗談を のヌコまだ?
215 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:01:12.39 ID:q7S5aSQ/0
>>196 見分け方を知らないんだ?
縄文系は丸顔で毛深い
高句麗系は面長で毛深いんだよ
>>208 何が「上方」だよハゲw
奈良時代以降、関が原より東は「関東」
藤原氏も関東出身だし、頼朝も関東出身だし、信長も関東出身
関東出身の秀吉に町を造って貰ったくせに、何言ってんだw
関西はほんと馬鹿だな
217 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:03:25.72 ID:oosq/B+a0
>>203 たしかに、日本に初めに来た縄文人が住んでいたのは関東以北。
西日本はほとんど無人だった。(深刻なドングリ不足)
空地の西日本に渡来人が来て稲作しまくり&増えまくり。
天皇は縄文人なのか大陸から来た渡来人なのか。
どっちなんだろう。
218 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:03:38.57 ID:Ix7TvK6T0
>結局文化文明は全部朝鮮半島から渡来してきた弥生人が作り上げたわけでしょ 遣唐使や日本と中国の間でどれだけの文明文化が入ってきたと思ってるんだよ もう朝鮮半島はいらない
219 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:03:44.33 ID:FgMssfV60
グンマーって言われてもアフリカしか思い出せない。 人類の起源だったっけ。
220 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:03:59.43 ID:SrU6d2Rv0
ただ、「東京」が、関東ではもっとも歴史のない都市のひとつであることは間違いがない
221 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:04:25.93 ID:JNgC/43k0
>>216 頼朝、名古屋やん。
ぎりぎり関東やな。
222 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:04:53.60 ID:xNQlKfov0
カントン文化とかトンキン文化とか
223 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:04:54.26 ID:7KLxAR8y0
その頃の関東は海岸線はずっと内陸側で大湿地帯が広がってて人なんか住めなかったんだっけ
>>217 天皇は渡来系だろうな
卑弥呼=アマテラスらしいし
>>224 頼朝が関西に住んだことなんてないよハゲ
227 :
ココ電球 _/ o-ν ◆tIS/.aX84. :2013/11/24(日) 00:06:28.72 ID:rZdx5jTA0
おまいらなんで骨髄反射で批判してるの?
北から来たのか、南から来たのか、中央あたりから来たのか。 それはともかく、平気に日本語をしゃべる。 どうしてなんだろう。
229 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:09:01.46 ID:SrU6d2Rv0
日本の文明化はヨドガワ流域でおこってるよ 関東に人がすむようになったのは上方よりずっと後のこと。たぶん寒いせいな気がする
江戸時代初期までは「くだらない物」だったんだぜ。
231 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:09:58.39 ID:AfhwiSfzO
>>217 今の感覚で稲作に向いているは東日本だけれど、稲は本来熱帯植物だったから西日本で生産するのが向いていたのかも。
稲の品種改良が大和朝廷の王権拡大に関係があるかもしれないね。
232 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:10:08.30 ID:vCFJHpn6i
>>201 馬あんなに飼ってた割に去勢の習慣伝わって無いって何なんだろうねアレは
>>229 >関東に人がすむようになったのは上方よりずっと後のこと。
馬鹿じゃねえの?w
おまえみたいな渡来人が来る前から、関東だけでなく、日本全国に人は住んでました
さっさと大陸に帰れよ低脳
>>205 古代は東国で一括り
現在の関八州という自覚が出たのは平安末期
武士の台頭で板東武者がどうとかあたりじゃない?
235 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:11:02.52 ID:covsM1R+0
グンマーの時代きたか
236 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:12:06.20 ID:q7S5aSQ/0
実際に”北風が強いところは商人が育つ” ”○○県民(兵庫、群馬、佐賀、山梨等)が通った後は草一本残らない” といいますよねえ? 半島DNAが成せる業ですわな。
237 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:12:19.57 ID:v7CqBXp80
>>97 府中=都会のど真ん中って名前だもんな
>>190 朝鮮半島ルートを通れたら、鑑真が
あれだけ苦労はしなかっただろうしな
238 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:13:20.02 ID:tWqW6hOK0
古墳時代のままグンマー
239 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:13:34.92 ID:AfhwiSfzO
>>232 江上・佐原論争ですね。
日本の馬事文化の由来はホントに不思議。
去勢の習慣が日本列島で消滅した可能性もあると思う。
毛野国はかなり初期の段階から大和朝廷に対し服従してるけどなんでだ? 東国では一番大きい土着勢力だったはずなのに
241 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:14:39.28 ID:v7CqBXp80
グンマーなんでいいんじゃないwww
243 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:14:46.99 ID:ZL8h97Ar0
>>232 草が嫌というほど生えるからだよ、
夏場の気温見りゃ判るだろ
244 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:15:23.04 ID:cGcU5/U00
グンマーは野生の地
>>240 服従ではなく同盟みたいな感じだったんじゃね(´・ω・`)
>>210 そこの鉄道、関東のJRや私鉄のセコハンが走ってるんだぜw
248 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:17:02.81 ID:XW0yEonL0
>>190 朝鮮半島は「通り道ですらない」と?
いやいや一応仏教や焼き物、暦の算出法なんかは朝鮮半島”経由”で
来ているでしょうに。
全て半島じゃ根付かなかった「中国の文化」だけど。
249 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:17:16.35 ID:sDo34vhwO
>>241 割礼とか宦官は乾燥した国柄でなきゃ無理。
しのぶ毛の国二子塚もあったなぁ(笑)懐かしいのぅ@グンマー
251 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:17:24.83 ID:SrU6d2Rv0
うーん、日本は馬は重要じゃなかったから 基本的には牛で、農耕も移動も牛だよ。牛車。馬がどうのってのはずいぶん後世になってから 関東に由来するものはほとんど新しいよ
252 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:17:32.22 ID:y0065SHx0
>>240 皇族が下向してきてそのトップに就いたから
253 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:17:34.14 ID:1BOR3qph0
ちゃんみおしか思い出せない
254 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:17:54.78 ID:ZIlpBuyv0
埼玉古墳群のこと? 因みに当時は埼玉にも海があったんだぜw
>>251 で?
関西に由来するものは?
朝鮮ですね、わかります
>>200 集落といえば、関東平野というのは、「巨大な集住を拒否する」伝統があるんだよね。
これは縄文遺跡から、今の関東地方まで一貫する傾向。
東京は、超巨大都市のようで、よくみると、都市として一つにまとまっていない。
実は、無数の駅前ごとに、利便性確保と集住拒否の狭間で、
可能な限り、お隣さんと距離をとって、バラバラに薄く広く住んでる「散住地帯」だったりする。
これは、群馬にいくと更に顕著になる。モータリゼーションがアシストして、
ついに、ありとあらゆる都市が、何もかもバラバラになってしまい、
駅前には誰も寄り付かなくなった。群馬人にとっては、「まとまって隣り合って住むこと」自体が矛盾。
古代朝鮮と今の朝鮮は別物です
259 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:21:50.08 ID:SrU6d2Rv0
それが朝鮮脳なんだよ 現実の歴史を認めず、じぶんの願望だけで「関東のほうが古いニダ」とかトンキナル・ファンタジーを連呼する 日本とは大阪だよ。日本のすべての歴史はヨドガワとオオサカから それが現実の歴史。それを認めることができないなら、きみは、きみがバカにしてる韓国人とまったくおなじですよ 東京は、名古屋人の徳川家康がつくった新造都市だよ。まったく歴史がないね
260 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:22:07.99 ID:ZIlpBuyv0
古代朝鮮人はどこに消えたんだ?
261 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:22:18.79 ID:wi/8WhAF0
>>1 群馬つーか、埼玉北部〜群馬南部付近で、埼玉県行田市の埼玉古墳群(さきたまこふんぐん)が中心。
当時は、荒川沿いに、大宮〜上尾〜熊谷付近まで海だった。
263 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:23:41.07 ID:pzGCvC700
<丶`∀´>「群馬の起源は韓国ニダ」
多胡碑に記される羊さまは朝鮮人
トンキンや大阪民国なんかよりもグンマーについて話そうよ!
266 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:25:09.33 ID:oosq/B+a0
>>257 面白いな。
関東平野の北の方の生まれなんだけど、生理的に密集して住むのがダメ。
今は港町に住んでいるんだけど、家が密集しすぎてつらい。
北海道なのに。
>>252 そういえば、上野国も親王任国で「介」が最高位なんだっけか。
>>240 >毛野国はかなり初期の段階から大和朝廷に対し服従してるけどなんでだ?
いや、大和朝廷に抵抗していた時期の記録がないだけでしょw
だって、日本最古の文章が8世紀の古事記ですよ?
どんだけ土人なんだと・・・
群馬で発見された軍人の鎧と、埼玉の稲荷鉄剣
ここに共通点があったらおもしろいけどね・・・
群馬と栃木は自治区
270 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:27:52.45 ID:8zyf6g380
群馬県で作成した旧石器時代の石器が全国から出土されているんだよ
271 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:28:41.49 ID:pzGCvC700
>>216 こういうのがいるから関東がバカにされて困る
272 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:28:58.98 ID:gDbnO5Da0
まぁ,平安中期の10世紀には浅間山や富士山をはじめ関東周辺の火山が軒並み噴火をし,超巨大地震が連続的に起こって関東の経済はズタズタになった。 もしも,そういった天変地異がなければ,関東はもっと早くから政治の中心が移ってきていただろうし,その前に,朝廷が東北どころか北海道まで遠征できていただろうな。
273 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:29:12.89 ID:ZIlpBuyv0
でも文字も無しに体制を維持できる方が逆に凄くね?
>>260 日本に渡来した。朝鮮半島からは消えた。古墳だけが残ったが、今の新朝鮮人どもが壊して埋めた。
275 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:31:11.23 ID:q7S5aSQ/0
新羅滅亡の折、大和朝廷を頼って流れてきた新羅人王族?たちは、 当時の東国(現在の静岡や長野)よりさらに東ならば住むことが許された。 当時、霞ヶ関より先は蝦夷地。 少数の日本人(古代朝鮮語でウェノム)の奴隷を大和朝廷から譲渡され、なんとか霞ヶ関を越え、 残り少ない食料を危惧し口減らしの為に霞ヶ関を少し越えた場所でウェノムを開放した。 その地こそ現在のウェノム(台東区上野)らしい。 その後、新羅人だけで荒川や利根川を越え、秩父、群馬に住み着いたんだってさ。
>>275 霞ヶ関って・・・
馬鹿は黙ってろよ、恥ずかしい
>>268 それだったら朝廷の東征記になんかありそうなもんだけど特にないしなー
ちょっと待った。 群馬って関東なの?
>>268 中央に強大な豪族連合体が成立しちゃったら、辺境で独立勢力張って磨り潰されるリスクを負うよりも、
体制内にそれなりの地位を確保しつつ取り込まれちゃう方がお得なんじゃないかな?
280 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:36:28.06 ID:ugH23UEl0
トンキンの先祖は穢土に放逐された朝鮮人犯罪者な
281 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:37:25.53 ID:9IjEeqQ60
>>278 山梨が仲間になりたそうにこちらを見ている!
古代、グンマーから武蔵の国府があった府中まで一直線に巨大な道が引かれた なんて信じられるか?
283 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:40:13.04 ID:ZL8h97Ar0
今と昔の朝鮮人は民族が違う上に縄文系が混じったので 全く別物になった 遺伝子的に明確に別
当時の関東に文化などあったのか
286 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:43:41.44 ID:q7S5aSQ/0
>>276 霞ヶ関って当時の国境に布設された対蝦夷用の関(砦)なんだよな。
現在の埼玉県川越市にもその砦の名残で霞ヶ関って地名残ってる。
知らなかったの?
埼玉はどうなの?
だったらなんで平安時代から進歩してないんだよ
289 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:44:52.52 ID:yMOcQhjji
290 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:46:06.80 ID:6xIkgrpt0
群馬は上杉と武田が奪いあった土地 関東は北条が整備しまくったけど全部家康の手柄 こんなイメージしかない
291 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:46:12.84 ID:ZIlpBuyv0
古代の砦とか胸が熱くなるな 生で見てみたいわー
292 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:46:14.26 ID:lD9VDAHgO
グンマー、それは夢。 グンマー、それは始まり。 アトランティスが実在したように、 グンマーもその叡智を振り撒いた。 帰ろう、我らが母なる大地、グンマーへ。
293 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:47:07.70 ID:q7S5aSQ/0
ゆえに霞ヶ関より北の奴は、蝦夷と新羅、高句麗の混血だから毛深い。 兵庫は百済系ゆえ毛深い。
294 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:47:23.63 ID:6akOxRp50
295 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:49:15.63 ID:KNJpGdoP0
>>1 >崇神天皇に援軍を求める内容で、児童らは10月から土日や平日夜に集まり、練習を重ねてきた。
頑張ってるな
見てみたい
296 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 00:50:38.53 ID:+MPYLeTG0
> 群馬以外は海だったからな > 古墳時代から平安時代にかけて これは広すぎだよ 「縄文海侵」とかの時代は関東の海は大宮辺りまで それより南の江戸とかはほとんどが海 千葉県も海で一部が島だったんだぜw
毛野(けぬ)の国が二つに分けられて上野国(現・群馬県)と下野国(現・栃木県)に。 吉備の国が備前、備中、備後、越の国が越前、越中、越後に分割されたように。
>>266 北海道は、でっかいどーほっかいどーと言いながら、
全般的に日本海側文化の影響が強いので、意外に、チマチマとまとまって住むからね。
日本海側は、かなり北上しても、まとまって住む文化の地域が多い。
雪深い地方では、助け合わないと生死に関わるからなw
ちなみに、グンマーは、それ以外の文化は、ものすごく西日本的なところだよ。
方言は何故か名古屋弁みたいだし、人種的には長野と連続していて、薄い顔ばっかり。
同じ北関東でも、茨城は文化も非西日本的だし、顔立ちもやたら濃くて縄文っぽいから、差が際立つ。
>>279 >中央に強大な豪族連合体が成立しちゃったら
ま、単純に征服されたんでしょうw
関東に、やたらに「ヤマトタケル伝説」が多いのもその理由
「四道将軍」は事実と思われ
ただ、神社オタクから言わせると、また別の難題が出てくる
日本の神社の「主祭神」の分布を調べると、
関東ではスサノオやオオクニヌシを主祭神にしている神社が多いことに気づく古い神社ほどね
つまり出雲系だ
逆に、東北に行くほどアマテラス系の神が祀られていることが多いことに気づく
本来なら、これは神社庁が答えを出すべきなんだが
あえて俺が答るとすると、おっと誰か来た
群馬は剣豪の地ってイメージしか無いな〜
302 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:04:04.30 ID:6akOxRp50
303 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:05:24.35 ID:q7S5aSQ/0
やたらと神社作って、田畑を寄進したことにして一宮だの二宮、三宮、神戸とか神田って地名にして 大和朝廷への納税を回避したのは、半島系渡来人の財テクだったんだよな。
304 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:05:50.39 ID:OuXAP31k0
グンマーは未だに古墳時代の生活をしいるからな
305 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:05:50.65 ID:qr2ALdy/0
当たり前の顔のようにして、お金をせびり取る地主が弥生人系だったら、 縄文人顔の俺としては何とも言えない気持ちになる。
>>1 なのに石器時代に戻ってしまったのは大和朝廷による
文化の徹底的な破壊があったせいと思われる。
そう、朝鮮半島と同じことが関東でも起きていたのだ!
>>299 今の尾張・三河あたりから、東海道または東山道沿いに、東海東山関東を経て、東北南部は仙台くらいまで、
素盞鳴尊を祀る、同じような雰囲気の神社を氏神多数派とするエリアが、ずっと数百km続くよね。
神社ヲタなら、直感でわかると思うんだけど、
この「東海関東の出雲系」は、山陰の「本物の出雲」とは、かなり雰囲気が違う。
本物の出雲系は、山陰から北陸へと、日本海沿岸沿いに北上していく。
俺の直感を更に踏み込んで言うと、「東国の出雲系」の原点は、今の神社でいうと、
真清田神社(尾張一宮)、熱田神宮、または三河一宮(砥鹿神社)あたりのどこかに思える。
特に前二者は、公式の祭神は出雲系ではないが、雰囲気は天孫ではなく出雲に思えてならない。
社伝では三輪大社だというが、三輪大社にいます神々はもっと複雑な構成だと思う。
308 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:09:16.36 ID:tH6OVHsi0
日本の中心地は群馬でいいだろ 東京とかもう見飽きて新鮮味がない 群馬に首都の地位を譲りなさい
309 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:10:01.59 ID:q7S5aSQ/0
私腹を肥やしたのは半島系地主の多い前述の神戸、神田、一宮などのやつら。
関東の起源はグンマー
311 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:10:22.95 ID:OwEf+TEK0
群馬は国定忠治とか木枯しモン次郎とかのヤクザもんのイメージ
群馬の最盛期wそれから一度も再興してないw
>>11 それがおかしいと思うなら、アメリカが発展してるなんてあり得ないほどおかしい事なんだね。
ただの荒野だったのにね。
新時代の中心になるのは、それまでに未開の地だった場所が多いと思うがな。
314 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:15:06.39 ID:UtmJNmBN0
関東地方で栄えた文化の中心地??? なんか根拠でもあるんかいな
日本の都道府県の中で未開のグンマーが経済力20位くらいだっけ? 群馬以下の県はやばすぎだろ
考えようによっては古墳時代で終わった場所 それがグンマー(´・ω・`)
317 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:18:23.85 ID:q7S5aSQ/0
群馬はブラジル人を工場で働かせて搾取してるからな。 富士重工やらがその代表格。
318 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:19:47.91 ID:0jBmrFv50
>>313 そうだな。
ただし歴史が浅い地域ほど歴史を強調したがるね。コンプレックスが強いから。
アメリカに新古典様式の建物があれほどあるのもそうだ。
東京がやたらと江戸時代を強調したがるのと似てる。
319 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:21:34.64 ID:chE19+Xu0
>>191 体毛が薄いのはお前の御先祖の半島の血なんだがw
320 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:21:41.14 ID:8WKbYLNc0
奈良時代に役人が調べに来たら 天皇の子孫と思われる豪族がいっぱいいて吃驚したらしいな おそらく6世紀かそれ以前から朝廷の派遣した貴族とかか たくさん土着してしまったらしい 要するにこの記事は誇張でもなく多分本当に近い
群馬は総理大臣4人も出してるんだぞ、埼玉なんて未だにゼロじゃないか
322 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:21:58.76 ID:q7S5aSQ/0
北海道や青森でさえ紀元前の水田跡が見つかってるのに群馬にはなぜ見つからないんだろうね? 水田の上に古墳作っちゃったか?
323 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:22:42.20 ID:ZL8h97Ar0
>>316 古墳が水がめの形をしているのと同じだがな。
324 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:23:22.63 ID:aNnxTKBG0
>>299 東北の祭神は、朝廷征服後のものなんだろ
325 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:23:49.48 ID:apJ80nU/0
古墳時代までさかのぼれば東京、大阪、名古屋など今の大都市はまだ海の中だったからなあ 船も交通手段としてあったけど、要害の山地の方が需要が高かった
327 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:25:34.84 ID:/q2g7oEJ0
>>307 三輪明神って謎だよね
本殿を持たず、すべての神々のいわば通過点なんでしょ
伊勢神宮も同じように三輪を出て、あちこち遠征を繰り返して今の場所に落ちついた
なんて愛知県一宮市今伊勢町に住んでいたことのある俺が言ってみる
上野、常陸、上総は親王任国で皇族が国守の東国支配の要の大国扱い
>>318 東京都は関東で一番遺跡が多い都県てすよ。
弥生時代も文京区の弥生町から命名されている。
330 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:27:38.40 ID:llkAEtioO
関東がマシと呼べるようになってきたのって平安の下総からだろw
331 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:29:14.66 ID:lvOO3byzO
群馬〜は山ばっか。
332 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:31:24.89 ID:syOfn58s0
>>325 大阪府堺市に最大規模の百舌鳥古墳群があるわけだが・・・
海岸線がもっと手前だったという意味では確かにそうだが
333 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:31:27.76 ID:8WKbYLNc0
古墳時代だと名古屋より向こうは命懸けの遠征で 一度行くとそう簡単に帰って来れないから 高位の貴族が派遣されたまま豪族になったんだね だから血筋のいい豪族がいっぱいるわけだ
334 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:32:14.79 ID:0jBmrFv50
>>330 ってか弥生古墳時代とか古い時代の方が畿内と関東(だけじゃなくてその他の地域も)の文明差はそれほど開いてたわけではないみたいだぞ。
その後どんどん差が開いて、平安中期〜院政期にかけて畿内文化水準は他地域をはるかに圧倒するようになって数百年は進んでたみたい。
鎌倉幕府が開かれてもその差が縮まった形跡はない。
>>318 江戸、東京と合わせて300年以上栄えた都市にコンプレックスなどない。
十分長い間トップで栄え続けているんだからな。
336 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:32:33.56 ID:UtmJNmBN0
日本最古の鎧を来た武者が発見された「金井東裏遺跡」で調べたら、 火山灰に埋まった亡骸だった すごいとは思うけど 古墳の数や出土品からして埼玉の方が上だと思うけどなあ
337 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:33:25.46 ID:apJ80nU/0
>>332 上町台地だけが岬のように突き出てて東側もずっと湾になってたとか聞いた
古墳のある所は十分当時の中心地だったんだろうけど
338 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:33:34.95 ID:seiXYRr/0
メソポタミアからしたら京都も関東もド田舎
339 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:33:49.58 ID:L8aptW5t0
古墳〜平安時代って言えば軍魔団が群馬県で幅を利かせていた時代か
340 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:36:04.18 ID:NSUCjgHG0
341 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:36:24.44 ID:MKdtI0Aq0
未開の地のグンマーから関東は発展したらしい
342 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:37:28.03 ID:RdChS8fe0
グンマーに逆らえば不思議な力で死ぬことになる
>>334 文化水準もそうだし、人口もそうなんだよなあ。鎌倉幕府は転換点でも何でもない。
弥生以降、近畿への集中傾向はずっと続いていて、そのピークが、安土桃山時代の、豊臣秀吉が死去した頃。
この頃、全人口の約3割が現在の近畿地方に在住していて、
かつ人口の20%弱が畿内に、約10%が京・伏見・大坂・堺・奈良・兵庫のいずれかの都市住民だった。
この状況は、現在の首都圏一極集中と、大変によく似た割合を示していて、
現状程度の集中は、日本史は一度経験済みであることが分かる。
実は、徳川家康こそ、一極集中を打破する構想を練って、それを長期的に実行に移した
特異な政治家だったということになる。
家康は、幕府を置く都市として、「伏見案」「(秀頼を追い出して)大坂案」「江戸案」の三択で悩んでいた。
ここで江戸を採用したことが、大きく日本史を転換させる。
おまいらグンマーをバカにしてるけど アフリカの大半の国はグンマーほどのGDPは無いんだぞ
345 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:43:10.59 ID:AfB/d26lI
バクチクとボウイは誇っていいぞ ボウイは微妙だが
346 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:43:30.02 ID:HnaY2TS+0
グンマーはアフリカ希望の星
347 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:44:42.67 ID:Cj1NV3ki0
ぐんま、たま、こま、の、語尾のま、って魔物=爬虫類の事を指すらしい。 湿地帯だからサンショウウオとか一杯いたんだってさ。 群れを為す魔=群馬 多い魔=多摩 巨大な魔=高麗、巨摩 ちなみに、関東は関東ローム層やボク土に代表される火山性のアルミ土壌なので、 干拓しようが魚肥を播いてリンを補充しないと作物が育たない土地柄。
銅剣は利根川の埼玉側の古墳から出たけどな
349 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:45:28.97 ID:zJyLYsw90
>>334 鎌倉で政治と禅宗が融合し、のちの室町文化へとつながったし、
吉田兼好は京都からわざわざ本を読みに金沢文庫を訪れてる。
畿内しか文化がなかったなんて偏見だね。
歴史にお国自慢的な感情は入れるべきじゃないよ。
世界で3ヶ所しか無いハーゲンダッツの工場があるんだぞ!グンマーは
氷河期の終わりは野尻湖でマンモス取ってたんだろ?
大和朝廷以外にも王国はあっただろ 当然関東にもあったさ
>>343 16世紀の秀吉の時代ですら、日本の人口なんて1500万人ぐらい
東京ドーム300杯ぐらいだよ
億を超えたのは明治以降
江戸時代ですでに、江戸は「100万都市」になってたけどけどね
大阪なんて、同時期に30万人都市の田舎
354 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:49:05.15 ID:mFkUdKdF0
今の群馬はブラジル文化だろw ここ日本か?ってところがあるぞw
>>352 八王子の地名の由来がそうだって聞いた事有る。
大和朝廷に反抗する王と王子が居たらしい。
356 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:52:00.70 ID:2JX3gKD90
>>353 人口30万って当時の世界じゃ大都市だぞ。
357 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:52:37.20 ID:lvOO3byzO
358 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:53:27.96 ID:0jBmrFv50
>>353 人口が億を超えたのが明治だとか言ってる時点で何言っても無意味だろ。
>>358 おまえ、そうとうの馬鹿だな
なら、いつ「億」を超えたんだよ
360 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:55:18.43 ID:2JX3gKD90
>>355 八王子の地名の由来は、後北条家が築いた小田原城に次ぐ支城に八王子権現を祀って、城の名前を八王子城ってつけたからだよ。
361 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:59:28.76 ID:q7S5aSQ/0
>>355 その話って、日野自動車の日野家が、藤原氏の八番目の系列、って言い伝えの湾曲だって話だよな?
362 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 01:59:45.88 ID:ddgbYLWdO
>>353 前近代の時代は電車も車も無いから通勤圏が限られる=市域が徒歩通勤圏内以上に広がらないのと、排泄物の自然処理が追い付かないことから、都市の人口規模は今の1/10程度だったみたいだね
10万人(中世鎌倉とか堺とか江戸時代金沢とか)で今でいう100万都市、20万人以上に達するのは首都かそれに準ずる大都市だけで、50万人以上の人口を有するのは世界でも片手で数えられる
>>353 あくまで比率の問題だよ。
秀吉の頃、それだけ地方=七道各地方、要するに関西枢要部以外は、相対的に疲弊していた、ということ。
それでも、地方も含めてあれだけの絢爛豪華な文化を築けたわけで、
日本社会の人口資源配分は、「首都圏に3割」程度までは、経験則的に耐性があると理解して良い。
3割を越えると、前人未到の領域になる。
まあ、江戸に関しては、武士つまり「徒食する公務員」が50万人だからな。
経済都市としての実働は、残りの町人約50万ベースということになる。
寛文年間の京都の人口ピークが40万程度、元禄年間の大阪が同じく40万くらいだったはずで、
この2都市はほぼ全員町人階級だから、
都市の生産力という点では、江戸は、最盛期の京阪より一回り大きいくらいと理解すべきかも。
365 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:00:55.79 ID:fs1gtUbw0
>>299 、
>>307 比較的早い時期に体制に取り込まれることで独自性や勢力をある程度保てた地域が、
同じ国津神の出雲系の祭神に仮託しつつも彼等自身の氏神を祀ることが出来た一方、
より後の時代まで大和に服属しなかった地域が文化面まで征服され、中央の神を押し
付けられたって構図なんじゃなかろうか?
そういえば、諏訪って出雲と関係深いよなぁ。諏訪大社の御祭神は建御名方命だし。
366 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:02:07.36 ID:0jBmrFv50
こないだ埴輪の展示会があって、群馬とか茨城、千葉北部で結構埴輪がつくられていたって話だった 湖のほとりとか、海に近い北関東だね
日本文化の中心は淡路島だった! って、言うグライ正直どうでもいい(´・ω・`)
369 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:04:00.92 ID:X5ZZNaWh0
多胡羊太夫(たご ひつじだゆう)は、奈良時代天武天皇の時代(672年〜686年)に活躍したとされる 上野国(群馬県)の伝説上の人物(豪族)。伝承では多胡郡の郡司だったとされる。 多胡碑によれば、「和銅4年に近隣3郡から300戸を切り取り「羊」なる者に与え多胡郡とした」と 記載される「羊」なる者であるとされる。なお、多胡碑の原文は漢文であり「給羊」の句があることから 発想された。人名説以外に方角説時刻説などがあるが、現在学説では人名説が有力である。 名前については、多胡(藤原)羊太夫宗勝、小幡羊太夫とも表記されることがある。 『羊太夫伝説』では、武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市または本庄市)で和銅(ニギアカガネ)と呼ばれる 銅塊を発見し朝廷に献上した功績で、多胡郡の郡司とともに藤原氏の姓も下賜されたと伝承される。 この和銅発見により、年号が慶雲から和銅に改められたとされる(続日本紀卷四。ただし、実際の発見者と 羊太夫が同一であることは証明しきれない。) 上州小幡氏が多胡羊太夫の子孫と称する。現代でも群馬県高崎市及び安中市の多胡氏を羊太夫の流れを汲むとする説もある。 (群馬県安中市中野谷の羊神社由来)
370 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:04:31.61 ID:6akOxRp50
単純に高天原が長野あたりだと仮定すると不思議は無い。
>>365 神社は仏教に支配されて困窮したことから、自ら進んで神仏習合し、
朝廷推薦の人気祭神に鞍替えしていったという経緯もあるけどな。
そんな無理矢理日本の中心だったと言い張らんでもと思うがな 群馬なんて狩りが上手い奴が村の勇者なんだろ? それでいいじゃねえか
文化の中心なら遺跡も結構ありそうだが? 群馬の遺跡ってあまり聞かないなぁ
つくづく思うは風土記の散逸はもったいない話だな…
>>363 >地方も含めてあれだけの絢爛豪華な文化を築けたわけで
君のレスは好きだけど、本気で「絢爛豪華」と思っているのかい?
秀吉はウンコだよ
秀吉が文化を築いたって?笑わせんなってのw
しょせん信長の「金魚の糞」
利休を殺し、秀次事件で最上の駒姫を殺し、素人ゲーマーでも分かるような無謀な朝鮮出兵をしw
はっきり言ってこいつは馬鹿だよ
文化って、笑わせんなw
376 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:08:01.29 ID:8WKbYLNc0
>>371 というか神仏習合という新書の本によると
荘園経営上、仏教のほうが税制面で有利だったと言う事情もあるみたいだよ
377 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:08:15.22 ID:0jBmrFv50
>>375 おいおい明治の人口一億人はどうなったんだよ?
>>366 戦争やってたころ、今の日本という括りの中だと7000万人の人口だもんな。
>>368 日本は淡路島から始まったのは大昔から知られている事よ
>>365 完全に同意。多分そんな感じだと思う。
記紀公認の山陰の神様に仮託しながら、おそらく本来の部族の在地の氏神を祀ってる。
ただし、更にずっと遡ると、何らかの関係が生じるかもしれない。
俺の個人的な感覚だけど、諏訪大社下社の神様は、太平洋側から諏訪湖畔に入った気がするんだよね…
質的に、三河一宮砥鹿神社や、遠江一宮小国神社と雰囲気が極めて近い。
公式社伝は糸魚川からで、糸魚川にはまちおこしの銅像まであるけど、あっちじゃないと思うんだ。
台湾、朝鮮、千島、南樺太含めれば億だなw
>>379 さすがに恥ずかしいこと言うなよ
赤面しちゃうじゃないか
>>379 その馬鹿な朝鮮人に構わないほうがいい。
なぜなら、秀吉は当時の中国討伐に兵を出したのであって、朝鮮なんてアウトオブ眼中。
385 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:11:39.14 ID:syOfn58s0
>>373 朝廷の宮殿のあった所と、一地方の要所じゃ違って当たり前かと
あくまでもその界隈の要所だったって程度だよ。
387 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:12:49.21 ID:0jBmrFv50
>>379 お前、さらに墓穴掘ってどうすんの?
だったら普通は昭和中期以降とか戦後以降とかそういう表現を使うんだよ。
明治以降ってなら明治時代に一億超えたと解釈するのが社会通念上当たり前だよ。
日本の最大の罪、D:YoU4rkS40みたいな生物を1500万人から医療制度や学校、食料まで与えて3000万人まで増やしてしまったこと。 いまでは7000万人もいる、これは世界に謝らないといけない。
江戸の人口とか参勤交代の最大瞬間風速だろ 定住人口とは到底言えないぞ
390 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:14:59.21 ID:syOfn58s0
>>379 流石にそれは世間一般には
昭和以降、戦後、高度経済成長期のどれかで表現するべきだ
明治以降だからあってるなんてのは、ただの屁理屈。
391 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:17:02.24 ID:q7S5aSQ/0
「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」 この言い方だけで大和から見て、群馬長野が最果てであったことはうかがえるのだが?
>>390 屁理屈?
だったら具体的に、いつ、西暦の何年、何月、何日、何時に億を越えたのか答えろよハゲ
おまえが屁理屈だハゲ
393 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:17:47.17 ID:0hbjf7u00
秘境グンマーに探検に逝った友人が戻ってこないの
394 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:18:11.14 ID:5rwBhGbO0
土器といえば遮光器土偶 群馬じゃないので却下
395 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:19:03.60 ID:VnAedKbl0
埼玉北部から群馬南部ってのが妥当かな 古墳の数は群馬多いけどさ
>>391 どこにあったのかしらんが、中国の文献によると倭の五王っていうから、5つの国があったんだろう、規模はしらんよ。
あと中国がいう倭の範囲もしらん。
その一つがたとえグンマーでも別にどうでもいいや。
397 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:19:43.79 ID:ddgbYLWdO
古代出雲の文化が中部以東関東地方まで広がっていて、九州南部から来た天津神系に分断されたって説は色々と無理があるのは間違ない
398 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:19:49.67 ID:6akOxRp50
>>393 今頃原住民に柱にくくりつけられて、ドンドコドコドコ祭り状態だよ。
いや人住んでない住んでないいうけどな 思ってる以上に石器時代の人は移動し分布を広げていたからな
>>391 藤原(中臣)氏は関東出身
「軍人の神」は東にあり・・・
奈良の鹿も関東(鹿島神宮)出身だろw
天武天皇が勝ったのも「関東の武者」のおかげ
>>375 為政者の同時代的資質と、国民が創る文化の質は、必ずしも関連しない。
足利義政という、それはそれは興味深い例もあるじゃないかw
特に江戸時代に顕著だけど、仁政を敷く為政者の下では、
却って、おもしろい文化は、意外なほど出てこないことが多々ある。
江戸期の尾張藩だとか、それはそれは穏やかで搾取の少ない政治を行っていたが、
宗春時代の瞬間的狂乱以外、江戸期の名古屋は、文化的にも惰眠をむさぼる「大城下町」だった。
402 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:21:22.53 ID:bexBEuoO0
昔は、灌漑用水というものがなかったから、水田は山の斜面にしか 作れなかったんだよ。だから、関東平野には水田は無理。群馬にしか 水田は作れなかったのでは?
埼玉から群馬というか利根川とその支流域でそ ただし利根川下流てめーは駄目だ 湿地しかねー
404 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:22:15.17 ID:6akOxRp50
つか出雲自体大国主が開拓した土地じゃなかったっけ? そもそも出雲族はどっかから出雲に来たんでしょ。 出雲出身じゃないんじゃないか?
405 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:22:19.53 ID:0jBmrFv50
>>392 正確には1966年3月31日の法務省の調査でだ。
理解できたかい?明治以降くん?
お万、ご覧。あれが古墳だよ。 お万、古墳だよ。。
407 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:24:11.88 ID:2cV61ui/0
都内なんて海か湿地帯だったからなw
409 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:24:45.28 ID:VnAedKbl0
つボイノリオかよww
>>401 そんなことは良いから諏訪下社の神様って誰の事を言ってるのか教えてくれよ
煽りじゃなくて単純に聞きたいだけなんだけど
古くから人が住んでて人が増えた所(例外あり)は貝塚あるから 俺のところだと言いはる奴がいたら郷土資料で調べるといい。 誰かがいってたでしょ、兄貴!戦争は数だよ!ってな。 核ミサイルが出来るまで、まじでそんな感じで国と国で総力戦してたし、それが村と村であっても同じ。
>>396 倭の五王の定説は仁徳、反正、允恭、安康、雄略天皇。大和朝廷成立は確実と言われてる5世紀の話
別に五つ国があったわけじゃねーぞw
413 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:28:44.14 ID:3IU0mVjl0
414 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:30:20.05 ID:RfmOrsKm0
関東平野は平安時代は海や島だったって言われてもな 1500年ぽっちでそんな海岸線変わるかえ? ケタ一つ違うなら別だが・・
グンマーも起源説を主張するようになったか。海に面するまであと一歩やな…。
416 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:32:41.23 ID:ZL8h97Ar0
417 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:33:18.91 ID:Ns2Ul8uh0
>>414 関東平野と大阪平野は海と湿地帯で、
江戸は徳川が、大阪は豊臣が干拓してできた街だよ。
江戸城と大阪城のある場所が台地になってた。
関東の中心は鹿島神宮のあるとこと思うけどな グンマーは何を勘違いしてるんだ
>>410 記紀に則って言えば、建御名方神でいいと思う。上社の真の祭神?ミシャグジ神のことではない。
俺自身は、あんまりこだわらないけどね。参拝時に心の中で唱える場合は、
諏訪大社では「諏訪大神」、鹿島神宮では「鹿島大神」で、どこでもほぼ同じ。
そもそも、俺は何かオカルト能力があるわけでもないし、参拝時に言葉で呼びかけることは、あまり好きではない。
単に、ごく主観的に、雰囲気を感じ取っているだけなんだ。
あんまり真剣に議論を持ちかけられても、困ってしまうw
縄文文化の衰退がもうちょっと遅かったら、大和朝廷の遠征が思うようにいかなかったら、 文字文化が東国まで広がって、関東人のアイデンティティーが出来て、被征服されたとなって、 関東万歳
422 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:34:55.44 ID:ZL8h97Ar0
鹿島と鹿児島は何か関係ありますか?
423 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:35:07.16 ID:tYXaPzZz0
どうでもいいけど前橋はゴミです。 あそこら辺は火山灰だらけで噴火で何度か死に絶えた地域だったから あんまり参考にならん。
424 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:35:14.52 ID:hgdz3a35O
>>411 太平洋に面した茨城県には貝塚があるよ。
縄文時代の土器も結構出土しているし、古墳もある。
恐竜の骨が発見されたこともあった。
425 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:36:35.25 ID:3IU0mVjl0
>>418 つまり、中→韓→日のいつもの東アジアの文化の流れか
426 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:36:51.95 ID:0jBmrFv50
>>414 現在の東京の中心地辺りが海だったわけで。関東全体ではないよ。
現在の皇居の辺りまでは海水につかってたんだよ。
湿地帯だから開発が遅れてたんだ。
427 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:36:59.70 ID:q7S5aSQ/0
428 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:37:00.42 ID:ddgbYLWdO
429 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:37:05.62 ID:Ns2Ul8uh0
上野、下野、もともとは毛野。 毛人つまり縄文人がたくさん暮らしてた場所が 群馬、栃木のあたりだな。 大和の勢力がやってくるまで そのあたりが中心だったのはわかる。
>>414 安土桃山期の江戸は江戸城は海岸線だったし対岸は松戸−船橋で間は汽水域や沼地だったよ。
北部は越谷か春日部あたりまでかな
>>381 >俺の個人的な感覚だけど、諏訪大社下社の神様は、太平洋側から諏訪湖畔に入った気がするんだよね…
そうすると、出雲との日本海交易路とは別なルートで来ているってことになるのか。そういえば下社の主祭神である
八坂刀売神、建御名方命の妃ってことなっているけど、記紀には一切登場しない謎の女神様なんだよね。
一説には諏訪周辺の土着の神様って話もあるけど。
まぁ、諏訪大社も本当は出雲系の建御名方命ではなく、ミシャグチなる縄文以来の蛇神様を祀っていると
いわれているし...。神饌が鹿の頭だの白兎の串刺しだの、やたらワイルドなんだよなぁ。
>>397 関東で一番古い神社が鷲宮神社だね
ちなみにスサノオ系(出雲系)
関東で一番格式高いのが、埼玉の氷川神社
これもスサノオ系
どんだけ関東が出雲系(スサノオ系)か・・・
氷川神社は「四方拝」の一つである
どんだけ格式高いのかは、ググレカス
433 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:39:05.96 ID:ZL8h97Ar0
群馬は政治より浅間山の影響が強い地域だからな。
434 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:39:30.38 ID:8WKbYLNc0
>>429 というかよく解らないが相当早くから古墳が出来てくるから
むしろ朝廷が開いたか、または土着勢力と貴族が融合してしまったかで
結構朝廷にとっては遠隔だけど縁の深い地域なんよ
435 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:39:53.22 ID:/ycp93I80
古墳時代の関東ってまだ日本じゃないよね
436 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:40:16.87 ID:q7S5aSQ/0
氷川神社なんて確実に朝鮮系じゃんwww
437 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:40:22.52 ID:RfmOrsKm0
んじゃ、今の文明の力をもってすれば、徳川や秀吉よりもスゲーから 埋め立てで土地広げられるよな 東京湾なんか要らないだろ? 房総から伊豆まで埋めようぜ
格式がどうとかは大和朝廷基準でしょ 関東にも土着の祭祀があったはずなんだが、全然残ってないんや 文字があったらなぁ
>>421 その前にいたのは東夷だもんな。
どんどん建物作って植民しておいやって、最後には坂上田村麻呂とアテルイで戦った。
曲刀と縦弓と馬使ってたのはアテルイ側。
>>234 奈良時代には、坂東(箱根の坂より東=ざっくり南関東)、山東(碓氷の山より東=ざっくり北関東)
という表現はすでに見られる。
坂と山が、どう考えても峠越えの体感と逆なので、俺も最初は嘘だろ?と思ったが、これが正解らしい。
関八州という表現が本格的に用いられるのは、中世だろうね。
でも、その頃には、すでに関東平野は、渡良瀬川および古利根川のラインで、文化的に完全に東西二分されていた。
群馬は西側、栃木は東側になっていて、古代の毛野はすでに分断されている。
この文化的離隔は大きく、今でも方言がガラリと変わる。
442 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:43:17.32 ID:0jBmrFv50
京都>>>>>>>>>>>>>>奈良>>平泉>>大宰府>大寺社門前町>その他地方都市。 平安時代の都市序列は大体こんな感じ。 時代によって異なるが京都は世界的に見ても極めて大きい大都市だったらしいが2番手の奈良になるとガクッと落ちて人口5万〜8万ぐらいだったんじゃないか?
443 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:43:24.20 ID:8WKbYLNc0
坂上田村麻呂のとき蝦夷の最前線は福島中部あたりだから 既に関東は完全に朝廷の(というか朝廷から官位を貰った豪族の)支配地域で たしかに蝦夷文化の影響はあるとしても完全に倭人の地域と言ってよい
>>52 田園調布には、亀甲山古墳や宝莱山古墳などがあるんだぞ。
時期的には、吉見百穴よりも古い。
__/\ おらおら鶴舞う形の群馬県様がお通りだ!  ̄ ̄ ̄ ̄ _| `〜┐ 埼玉?群馬サファリパークの餌にするぞw _ノ ∫ 茨城?尾瀬で迷いなw  ̄ ̄ ̄ ̄ _,.〜’ / 栃木?ドイツ村に拉致るぞw ,「~ ノ 東京?焼き饅頭にするぞw ,/ ^ω^ ` ̄7 千葉?草津温泉に来いw ⊂二二二 / 神奈川?群馬の県鳥はキジだぜw ~`⌒^7 / 山梨?タッチのあだち充も群馬だぜw  ̄ ̄ ̄ ̄ 丿 \,__ _7 /`⌒ーへ_,._二⊃  ̄ ̄ ̄ ̄ \ _,.,ノ ) ノ,〜’ 群馬県様が関東制覇!楽勝!  ̄ ̄ ̄ ̄ レレ
>>420 と言うことは、神氏は金刺氏の傍流と言う古い認識を踏襲してる人なんですね。
それがわかればもう十分です。どもありがと。
でも、上社と下社はもともと別の神社だと言う事は・・・ご存じですよね?
>>431 八坂刀売神は本来、上社前宮に祭られていたんだよ。
下社は神氏で無く、武居氏が治めていた。もともと誰を祭っていたのかわからん。
>>431 後の神仏習合で混ざるからな。
>>432 筑波山神社とどっちが古い?
>>436 いつから朱塗りかしらないが朱塗りが元からなら神仏習合された後から編入組だな。
448 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:44:54.04 ID:VnAedKbl0
>>441 だから群馬は栃木茨城ほど訛ってないのか
>>443 >坂上田村麻呂
実は渡来人なんだけどね
ただ、この人、青森まで行ってるがな
青森の祭りなんて、この人が由来だし
「ねぶた」なんて、まさに、この人の祭りでしょ
450 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:46:48.74 ID:Ns2Ul8uh0
451 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:46:55.03 ID:q7S5aSQ/0
平安時代の信濃も流刑地だしなw 大和朝廷の親交があり文化度も高かった百済系は兵庫(一部は統一後に青森)、 新羅系は、比較的近いところで当時東国といわれていた静岡、 高句麗系が群馬埼玉以北ってのが常識だと思ってたわw
>>448 いまの標準語っていつ出来たか知らないとは言わせない。
いま、中国でも標準語と簡字体つくってる途中だな。
というか訛り度とかで判定したら京都の奴と大阪の奴が激怒すっぞ。
454 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:48:18.66 ID:O49zw5zl0
失われた文明グンマー
大和朝廷の改変が好き勝手にできたから単一民族日本ができあがったが結果オーライだなー 民族紛争とか1000年の火種になってまうし
456 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:49:53.18 ID:ddgbYLWdO
457 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:49:58.04 ID:I5A3X7WP0
古墳時代から文明が止まってるのがグンマ
宇佐から東征してきた神武天皇に鹿島のタケミカヅチがオオクニヌシに 国を譲るように仲介して今の皇室がある これ豆な
459 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:51:45.79 ID:hgdz3a35O
>>432 関東最古の神社は鹿島神宮だよ。皇紀元年(紀元前660年)創建。
ご祭神はタケミカヅチの神で天つ神系の最強の雷神様。
>>455 良くも悪くも日本人らしい解決、あいまい、混ぜる、間を取る。
やりはじめたらキリがない宗教戦争を全部の神様が尊い事にして集結、
あとからきた仏教まで取り込んで、仏様も偉いになった。
東夷もわざわざアテルイと副官が犠牲になることで、他の人はお咎め無し。
ゆるやかに大和朝廷に組み込まれていった。
461 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:52:58.39 ID:ddgbYLWdO
>>446 ああ、そのへんのリアルの後世氏族に関しては、俺は全く関心がないんだ。
特に下社関連は、全く本当にどうでもいい。そもそも、公称系譜自体を全く信じてない。
さすがに、上社の守矢氏だけは、若干気になるけど、まあどうでもいい。
俺は、神様と「自称対話」をしてるだけなんだよ。レスを読んでみれば、わかると思うけど。
諏訪大社で言えば、上社前宮の小川のほとりで、休日にのんびりたたずんでいるのが一番幸せだw
本宮は、何故か仏さんの香りが強くて、ちょっと感じが違う。これも俺の独自の感覚。他の人は知らんw
>>452 建御名方命が洩矢神ほか土着神を習合して、神氏と守矢氏共同で祭ったのが上社。
一方の武居氏の下社は朝廷から諏訪郡司金刺舎人が派遣された事から、朝廷系の神社だったと思われる。
以降、朝廷オフィシャルの支配者が下社金刺氏で、諏訪の実行支配者が神氏という二重構造が生まれ、
軋轢が続くわけで。その経緯から神氏は金刺氏の傍流という誤謬が定着した。
肝心の一般人の関心が比較的高い戦国時代はただの周辺勢力の草刈り場じゃねえか群馬 古墳とかそんな大昔に中心でもしょうがないんだYO
>>459 >関東最古の神社は鹿島神宮だよ。皇紀元年(紀元前660年)創建。
ふ〜ん・・・
今どき、そんなこと信じている馬鹿がいると思ってんのか?
日本最古の文書が8世紀の古事記なのに?
馬鹿じゃねえの?
おまえの先祖が、どんだけ土人だったか反省しろよ
>>465 >日本最古の文書が8世紀の古事記
日本の学校にいけば恥書かなくて済んだのに。
467 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:57:07.61 ID:3IU0mVjl0
田村麻呂は渡来人だと思われる 要するに渡来人体渡来人だろ 中央に支配階級として残った渡来人と 僻地で土着化し、原住民を束ねた渡来人との勢力あらそい そうでなければ元々の縄文人だけではどうやっても渡来系の勢力と戦い続けられるわけがない
468 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:57:23.24 ID:ddgbYLWdO
>>465 年代は二倍歴とかもあるからそこまで古くないのかもしれないが
それがいつなのかはともかく、要点は神武即位の頃からあるってことだろう
>>461 そう
だが簡単に国譲った理由がいまいち分からない
神武天皇を熊野から道案内したとされるヤタガラスは誰なんだろうね?
470 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:58:58.09 ID:Ro7mM9zGi
>>199 このレス見て思ったんだけど、縄文人は豚食べて弥生人は牛食べるの?
あまり関係ない?
471 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 02:59:22.23 ID:dgUpdtzq0
霞ヶ浦が最近まで塩水だったそうだね。南関東じゃ稲作はできないだろうね。
472 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:00:08.42 ID:tirXELr/0
どうでもいいちゅうねん、そんなこと言ってたら 昔の人間の中心地はアフリカだったわけで… 文化の中心地が移り変わってくのはいい事だと思うわ 他の国旅しても、かつて首都だった街が現在の首都とは別に いくつかある国は楽しい、それぞれで比較出来るしね
473 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:00:42.48 ID:6akOxRp50
>>468 鷲宮は神代に創建だそうだ。
つまり神武以前。
>>468 「関東最古」は、鷲宮だよ、反論は認めない
鹿島神宮なんて、藤原(中臣氏)が神官だっただけ
それに対して文句言っただけだよ
反論あるならどうぞ
>>474 アニオタはよくそう言うが、らき☆すたのせいか?
>>463 ああ、そういうガチガチの社伝上の系譜論に、こだわりがおありなのね。
そんなら、俺と話はまるで通じないと思うよ。俺に聞くだけ無駄だろうw
そもそも、俺は「(名古屋の)熱田さんは出雲系じゃね?」みたいなことを、平然と思ってしまう人だから。
参拝時の、なんというか「心の肌触り」の話をしてるだけ。
歴史的に、そこそこ当たってるか、ただの妄想なのかも、正直分からない。
477 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:03:37.01 ID:ddgbYLWdO
478 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:03:37.08 ID:8WKbYLNc0
>>460 というか蝦夷が朝廷から官位を貰って朝廷側の豪族になったんだよ
だから田村麻呂と一緒に朝廷側で戦った蝦夷(もちろん官位あり)がたくさんいるでしょ
全面戦争に見えて実は蝦夷同士の戦いの側面もあったんだね
結局最後はぐだぐだになって次第に農耕生活も浸透してそのまま日本人になったんだよ
ちなみに蝦夷戦が終結後も東北では蝦夷同士の抗争が長くあったと最近は言われてるな
>>468 中国の文献を元にしたほうが楽でいいぞ。
日本は過小に書かれてるかもしれないが、別段、日本側の記録とずれてる所はないし。
>>469 潔かったんじゃね?あんな高さの建物を建てられたら技術力に驚くしかない。
で、単純にそこに住みたいとおもったと。
大和朝廷側も出雲においやった奴らを神として祭ったし、悪くない条件と待遇だったんだろう。
>>469 記紀によれば簡単には譲ってないようだが。
八重事代主命は天皇家に呪いを掛けてるし、建御名方命は徹底抗戦している。
そのためか敗戦後も成敗されることなく、むしろ信濃で大繁栄している。
>>476 下社の神様は日本海から〜って書いてたから、その辺の話を持っているのかと思って聞いただけなんだ。
すまんかった。となると日本海から、の根拠が謎だけどまあいいさ。
諏訪の史料は古いので室町頃にまとめられた物だから実状がかなり有耶無耶なので、
ちょっと期待しちゃったのさ。
481 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:06:02.09 ID:q7S5aSQ/0
常陸国(水戸らへん)を含む東日本が朝鮮系って証明するような書物や現在の大学教授格の渡来僧侶の中国由来説に対し、 激怒した水戸黄門が日本中を行脚して各藩から古い書物を没収しまくって燃やし、自分の都合良く「大日本史」を編纂したんだった。
毛野国の話か? 確かに吉備国や筑紫国に比べるといまいち名前は 知られていない感じはするなー
>>479 >潔かったんじゃね?あんな高さの建物を建てられたら技術力に驚くしかない。
出雲に追いやっても手厚く祀っているから良しとするが
その建物の名前を教えてくれないか?
もしかしたら自分が勘違いしているかもしれないので
484 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:09:16.89 ID:pFlGqD8F0
羊長者すげー。
485 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:09:24.73 ID:rw1K4OTL0
歴史がないからって歴史を捏造するのは朝鮮人と同レベルだなw
487 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:10:28.43 ID:6akOxRp50
>>483 ちなみに出雲の国譲りも神武以前の話しだぞ。
488 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:11:08.86 ID:q7S5aSQ/0
まあ、北九州で稲作が盛んだった3000年以上前、群馬ではドングリを拾って食ってたでOK?
489 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:11:59.69 ID:goNL93Zh0
現在も当時のままの姿を残しています
>>481 ナイスファンタジー。
1980年代の奴が書いた未来では車が空を飛んでるらしいが、現代人が考える水戸黄門は全国行脚して書類を燃やすのか。
そもそも全国行脚自体、おっと。
491 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:12:08.74 ID:xYEAlDrT0
>関東文化の中心は群馬だった
まあ人類の黎明期においては、その中心地はアフリカだったわけで
……などと、地元・群馬県民が自虐ネタをつぶやいてみたりする。
>>482 毛野国
あい。その通りです。
秋空の下に実った辺り一面の穀物が、風にたなびく風景を『毛』と称した。
そんな古代の風景をあてたのが、実り豊かな『毛の国』です。
492 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:13:31.53 ID:3IU0mVjl0
>>481 関東東北は元々の原住民は縄文人だけどな
それを束ねたのが土着化した渡来人
亜流だね
だから関西vs関東っていうのは渡来人vs渡来人なんだよな
だた関東の場合は縄文人の文化が割と根強いという背景がある
関西は完全に少数者でグループを作る文化だな
これは弥生人の特徴である稲作からきてるのだろう
縄文人はそういうグループ構成力がないから最終的には渡来人文化の中央に敗北したのだろう
伊豆半島じゃないのか
494 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:15:58.12 ID:8WKbYLNc0
>>492 というか関東の古墳の登場は相当早いので
むしろ朝廷が関東を早期から重点開拓した側面もかなりあると思うぞ
てか古墳時代には先進地域だった可能性すらあるんじゃね
495 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:16:20.47 ID:7a2l7oVP0
都民だが生まれて初めてそんなこと知ったぞ これは周知させるために日本史の教科書を改訂しなければ(真顔
>>209 綜芸種智院って、二十年で潰れてんじゃん。
しょぼすぎだろ。
足利学校は浮き沈みはあるものの千年続いたんだから、喧嘩にもならない。
二十年て、プププw
PL学園にも遠く及ばないじゃんかよ(劇藁w
498 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:22:20.28 ID:EUXz+xgxO
今は群馬が寂れている。
>>494 >
>>492 > というか関東の古墳の登場は相当早いので
> むしろ朝廷が関東を早期から重点開拓した側面もかなりあると思うぞ
> てか古墳時代には先進地域だった可能性すらあるんじゃね
先進はないだろうな、アテルイも三倍どころじゃない朝廷軍を地の理と簡単な鎧を貫通する弓で二回
朝廷軍が重装備してきたところを一回退けてるから、戦は強かったみたいだけど。
やっぱり定住して有り余る食料で人を増やせる事と、文字は大事だよ。
朝鮮半島が身をもって、食料すくなめと文字無しで10世紀まできたらどうなったか教えてくれてるじゃない。
一部の中国留学帰りのやつが両班と名乗って牛耳り、中国の属国となり、そいつらは庶民に文字を教えない。
庶民は文字すら掛けず、着物すら染めるのを禁じられ、文字が読めないんで技術も育たない。
500 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:23:31.27 ID:q7S5aSQ/0
>>490 黄門本人が全国行脚したわけじゃないが、権力者の黄門が人使って各藩の書物を物色して、
江戸のナントカ寺って寺に集められたのはホント。
その後、放火なのか失火なのかは不明だが、黄門の存命中に全焼。
名探偵じゃなくても何があったか、どんな作為があったかはわかるよね?
とりあえず、ググッテ〜イエカス
501 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:23:58.80 ID:VnAedKbl0
>>453 標準語どうこうじゃなくて、栃木茨城は独特なイントネーションだよねってだけだすまん。
個人的には茨城の方言が心地よいけど
>>500 はいはい、好きに話を作って遊べばいいよ。誰も相手にしないから。
なんか言われるとすぐ話を作り替えるのな。
503 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:26:03.51 ID:UtmJNmBN0
渡来した文化の影響力と人の影響力は分けて考えるべきだね 「KARAのポスターを部屋に貼っていたら韓国人」 というのはおかしい
>>491 これは真面目な話。
「木」と「毛」は同語源という話がありましてね。
これは真面目な話で、「木」の奈良時代発音は「クュィ」で、更に遡ると「コェ」になる(木陰、木立などに面影がある)
他方、「毛」は「コェィ」みたいな発音で、やや変則的だが「コェ」とつながる(ここは理論通りではない)
この「コェ」なんですが、とどのつまり、「にょきにょき生えてくるもの」という意味で、
日本語はここから、びっくりするほど沢山の単語を造語してしまう。
「かみのけ(頭からにょきにょき)」「ひげ(頬からにょきにょき)」「こけ(木からにょきにょき)」ww
関東の毛野に関しては、和歌山つまり「紀州」と関係すると主張する説もあるね。
>>504 不毛な土地で毛なんじゃね(´・ω・`)
506 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:29:20.36 ID:6akOxRp50
>>504 こけは「にょきにょき生えてくるものからにょきにょき生えてくるもの」かww
>>495 それになんら疑問を抱かないのは頭の悪い証拠
509 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:31:59.65 ID:8WKbYLNc0
>>499 ちょっと脇にそれるけど朝廷軍はむしろ柵(という兵農融合した地域)
を作るのが主目的であんまり戦闘態勢ではない
現地の戦闘ではむしろ朝廷側の蝦夷が活躍したんだよ
だからアテルイが強いのは同意だけど朝廷側の蝦夷もすごく強かった
アテルイが数度勝てたのはむしろ朝廷側が長期戦のつもりがなくて
柵さえ築いて一応の開墾体制ができればあとは官位のある蝦夷や現地役人にまかせて
帰ってしまうつもりだったためで、似たようなことは田村麻呂の後に遠征した
多数の貴族たち(藤原氏が多い)も似たようなものでちょっと戦ってはすぐ帰るを
長年繰り返したわけなんよ
510 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:32:17.61 ID:6akOxRp50
失われた都 グンマー ってこと????
>>509 朝廷が荘園作って兵おいて守ってたのを、攻められてどうのこうのっていってるけど、
移動してる間に良い場所を抑えられるのはやっぱトラブルの元だろうね。
ロマ人だって定住してなかったからあんなことに。
でもなんか、、アテルイ側が定住してた説もあるぜ、
船着場とか、貿易用加工品が出てきてるらしい。
おもな食料は鮭か?鮭でカロリー足りるのか?
>>275 もしかして、上野の語源を「ウェノム」だと思ってんの?
もともと「うえの」じゃないからね?
「こうづけの」=「かみつけの」=「上毛野」だからね?
515 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:37:04.93 ID:q7S5aSQ/0
古代朝鮮語では、”か木く毛こ”のカ行はすべて「鉄」を表すとかって誰か言ってたな。
>>512 むかしはよゐこのゐ
ワイウエオ行もすべて専門の発音あったってな。俺もよくわからんけど
時代と共に簡略化されてるのはまちがいないとおもふ。
古墳時代はまだ関西九州が中心でしょうに っていうか関東の文化が花開いたのは鎌倉と江戸時代以降だよ ってマジレスしたら負けなんだろうな、きっと
>>515 ID:q7S5aSQ/0さん、古代朝鮮語ってなんですか?
>>507 wwwwwww
>>512 万葉仮名に使われている漢字の発音を、大唐帝国の昔まで遡って推測する。
実は、当時の発音は「あいうえお」じゃなかったらしい(多数説)。
上代特殊仮名遣いというんだけどね。言語学板にスレッドがあったはず。
504が瞬時に赤くなるとは思わなかった。
今の2chは、出せる特殊文字が極端に少ないので、ここでの仮名文字は
かなりいい加減な表記になっていることをお詫びする。
520 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:41:27.71 ID:q7S5aSQ/0
>>502 ?
どこに話を作り替えたような文節があるんだ?
頭が悪いのかなあ?
>>514 ?
こうづ=かみつ=上毛
となってしまうんだが、頭大丈夫?
>>519 推測もかなりあるから、あんまり信用できないけどね。
ヤマタイがヤマトと同じとかいってるわけわかんない学者もいるし、でもそれが本当かもしれないしみたいな。
>>504 古事記にも根の国に下りたスサノオが体毛を植えて林としたと言う記述もあるしな
523 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:44:23.44 ID:q7S5aSQ/0
上毛=台東区上野 とは、捏造も甚だしいな。
>>520 上野は「うえの」と読み、それは「ウェノム」から来たって言いたいわけでしょ?
「上野」って字は「こうづけの」であってもともとは「うえの」って読まないっていう話ですが。
525 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:46:30.78 ID:FRo8/g9A0
526 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:48:33.24 ID:xYEAlDrT0
>>504 勉強になります。
>>505 いや、毛が無い地域が、不毛の地なわけで。
だから毛の国は、毛のある地でしょう。
>>521 あれをヤマタイと読んだのって本居宣長で
それ以前は割と普通にヤマトって読まれてたっていうし
>>524 日本一の兵
を今の日本人が正しく読めるわけないから、その怪しい人だけ責めても無駄。
俺もこうづけ、しもつけだと思うけど
>>519 なるほど
その正確性はどこまで担保されてるの?
呉音とか漢音とか漢字の音は様々だし、日本独特の音がないから便宜的にある語を使った可能性とかあるように思うが
そもそも、当時の漢字の音をどうやって判明できるのかもよく分からん
530 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:53:17.19 ID:q7S5aSQ/0
>>524 それは「上毛野」を「こうずけの」と読んでたって話でしょ?
現在の台東区上野の地名由来が「日本人(ウェノム)」の名残だとする説を否定する材料にさえならんのだが?
531 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:53:43.59 ID:HCW5fp4a0
埼玉にさきたま古墳っていう鉄剣も出た立派な古墳があります
>>530 まずアナタは古代朝鮮語wで
「日本人」を今の朝鮮語と同じく「ウェノム」と呼んでいるってとこから立証しないといけないけどねw
ごくろーさんですw
533 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:55:54.79 ID:9p0whoiDO
関東なんて近代になるまでただのど田舎じゃねーか
534 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:56:34.92 ID:q7S5aSQ/0
古墳から鉄が出たってことは、半島系渡来人の古墳の可能性が高いな。
535 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:57:13.19 ID:tYXaPzZz0
上毛野氏について調べたが いまいち分からん・・ 豊城入彦命=上毛野氏らしいが 500年くらいは元気だったが、750年くらいに衰退してどっかに行ったらしい。 たぶん豊城入彦命=上毛野氏は武士団か何かで 平和な時代になっちゃったので、商業に優れた氏族に取って代わられたのかと。 でもどっかにいるはず。
>>529 そんなことをいったら文字すらなかったあの国の人が発狂するぞ。
古代朝鮮語・・・。
※ハングル語は朝鮮四代目世宗大王が作り1446年に出来るも、日の目を見ず、両班は漢字を使用。
一説には阿比留文字がベースになったと言われているが、これは日本の起源主張みたいで見苦しいので忘れましょう。
おまけのたまたま似てる阿比留文字
http://www1.odn.ne.jp/~aaa23320/oisinbo/ahirumoji.JPG なので日本が朝鮮を併合した後、簡単に教える事ができたために強制的に復活させられ、
朝鮮人は無理やり教えこまれた。これが朝鮮人がいう日本語を強制された、である。
お前らの国の言葉じゃんww
537 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 03:59:49.53 ID:q7S5aSQ/0
>>532 口伝って正確さに欠けるけど、案外あってるものなんだわ。
未だに、千葉、埼玉以北にハングルっぽい地名が多いのを説明するにあたり、
一番自然な考え方なんだわ。
大和に併合された諏訪の残党が群馬あたりに勢力伸ばしてたって事か
日本の奈良時代以前の石碑は10基位あるんだが そのうち3基は群馬県高崎市の西部に固まってある 完存する最古の石碑はそのうちの一つ
>>535 岩手の胆沢・水沢あたりに、上毛野の一団が下ってきたって言う伝承があった記憶。
栗駒山を駒形山っつって、それを祀った駒形根神社っていうのがあるんだけど
これが群馬の赤城神社がどうたらこうたら。
赤城神社って、上毛野が信奉してた神社だよね。
>>529 中国には、各時代に作られた「発音辞書」があるんだよ。
これは、帝国宮廷の標準語を定める必要と、漢詩を詠む際に、正しく韻を踏む必要から生まれた。
ところが、中国人は「漢字しか知らない」ので、「漢字Aと漢字Bは発音が同じ」としか書いてない。
そこで、現代語、各地の方言、漢字の組み立てなどを参考に、古い音を理論的に再構築していく。
隋唐くらいまでなら、他の国の言語(日本語、朝鮮語、ベトナム語など)も、参考資料として使える。
唐時代の発音くらいまでは、学者の間で、大体コンセンサスが得られてる。
李白が、具体的にどんな発音で漢詩を詠んだか?ということは、ほぼ確実にわかる。
漢や秦になると、さすがに諸説入り乱れてよくわからない状況。
万葉仮名に関しては、隋唐までの漢字音でおよそ推測できるので、これでかなりのところまで分かる。
それでも、万葉仮名の、当時の具体的発音が一応体系的に説明されたのは、
ほんの30年くらい前の話だけどね。
(日本書紀の一部は中国人が書いてることも、同じ学者が同じような方法論で証明した。
中国人じゃないと決して書けない訛りがある。そんなことも分かったりする)
542 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:02:30.28 ID:tYXaPzZz0
当時は群馬まで海だったから 京都?から軍船で天皇の部隊が来たんだよ 尖閣諸島みたいなもんだな。そんで勝って天皇の領土が関東にできたと。 その後日本=天皇系の文化になったので、群馬は天皇の直轄地だったわけですね。
>>537 ハイハイw
だからその百済人が使っていたというのが古代の朝鮮語とやらで、
それがきっちり今のハングルの系譜に連なっているってとこからまずアナタは立証して下さいねw
途方もない作業ですね。
ごくろーさんです。
544 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:03:27.53 ID:MS7rLoxr0
歴史スレは必ず関西マンセーが湧くな
545 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:05:10.84 ID:tYXaPzZz0
>>540 赤城神社=上毛野氏だな。
当時の神社=天皇が支配してる領土だぞ
って意味合いがあるので、赤城神社が重要
546 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:05:20.12 ID:VnAedKbl0
>>543 あんまりイジメてやるなよ、かわいそうだろ
>>534 古代倭人は半島に進出して活動していたし、百済や新羅の建国や王位にも関わっていたと言われる。
当時は製鉄はもちろんその他の文明についても、中国からダイレクトに伝播していた半島と、
日本の有力勢力がなにも関係がなかったわけがない。半島に渡って力を付けた勢力が大国主命や
神武であってもなんら不思議では無い。
アメリカに渡って成功して日本に凱旋するようなもんだ。
548 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:05:23.02 ID:kD2lXpQ00
埼玉北部に支配されていただけなのに中心を名乗るとは・・・
549 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:06:27.86 ID:q7S5aSQ/0
>>536 ホントに頭大丈夫か?
古代の半島に言語さえなかったのなら、どうやって交易や任那の政治を行えたんだ?
551 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:09:11.58 ID:GoLuJdm30
軍魔
552 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:09:21.09 ID:tYXaPzZz0
上毛野氏の鑑定は 当時の「実在した」天皇で調べる必要がある。 だから初期の記録は疑わしい。 3世紀の古墳との関連性は分からん。 ヤマト政権がいつごろ群馬に来たのかが不明 5世紀(450〜550頃)? 安閑天皇の頃にははっきりと関東地方に倉庫?みたいなの作った記録があるので その1〜3代前に関東に遠征軍が来てるはず
4-5世紀頃 南武蔵(ケツ持ち毛野)と北武蔵(ケツ持ち大和)との間で戦が有ったとされている 勝ったのは大和が付いた北武蔵(埼玉北部) 群馬に初めて屯倉が置かれたのはその後間もなく
>任那の政治 いやそこ・・・www あと韓国人って昔は新羅の子孫とかいってたけど高句麗に鞍替えしたの? 高麗は鮮卑の国で、漢代の初め、匈奴の冒頓単于が、東胡を滅ぼした際、 その生き残りが烏丸山と鮮卑山に逃れ、それぞれが烏丸と鮮卑になった。 北朝鮮は堂々と高麗名乗ってるけどな。 お前らは中国人の子孫です。諦めてください。
>>544 そして全て渡来人の功績にしたがるのも多い謎w
古墳じだいじゃ稲荷山の刀剣ぐらいしか・・・ アレはダサい玉のゼニーフライか とにかく東国は未開の野蛮人っていうイメージ
>>541 なるほど、漢字を使う中国や隣国の現在の音をあつめて統計的にえいやって感じか
なんか綱渡りをしてるような気がしなくもないがw
558 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:15:46.75 ID:tYXaPzZz0
ヤマト王権が300年くらいの成立なので (神武天皇はシラネ) それからすぐには関東に来なかったはず、 400〜450くらいに軍隊が軍船で来て(群馬は海だったから海岸に来ただけ、大量の兵員輸送も簡単) それで土着の豪族と戦争して(はいどうぞ ってわけがない) そんで500〜くらいに墨俣城みたいな状態で防衛しつつ増強しつつ=どっちか分からん不安定地域 550〜600には平定したと見る。
京都の一部などでも漢字伝来以前の地名には漢字を当てずに カタカナ表記に戻す動きがあるね。 平安京以前に秦氏が治めていた伏見や宇治に多いけど。 伏見には稲荷信仰の総本山があるけど、稲荷信仰自体が土着のアミニズムを 秦氏が支持したものと言われており、 宇治や伏見稲荷大社周辺に残される奇妙な地名はアイヌ語では無いかとも言われている。
倭の五王の上表文 倭王武(雄略天皇)は、宋の昇明2(478年)年5月、宋の皇帝順帝に上表文を奉っている。 「封国は偏遠(へんえん)にして藩(はん)を外に作(な)す。昔から祖彌(そでい) 躬(みずか)ら甲冑を環(つらぬ)き、山川(さんせん)を跋渉(ばっしょう)し、 寧処(ねいしょ)に遑(いとま)あらず。 東は毛人を征すること、五十五国。西は衆夷を服すること六十六国。 渡りて海北を平らぐること、九十五国。 王道融泰(ゆうたい)にして、土を廓(ひら)き畿を遐(はるか)にす。 累葉朝宗(るいようちょうそう)して歳(としごと)に愆(あやま)らず。」 (『宋書』倭国伝) 倭王武は、祖先の功業の成果として、東国の毛人の国々のみならず、 対馬海峡を渡って南朝鮮の国々まで、大和朝廷の威力が行き渡っているかのように 誇らしげにうたいあげている。この第1段とも謂うべきところが特に有名である。 この上表文には、『春秋左氏伝』『毛詩』『荘子』『周礼』『尚書』等から 引かれているものが見受けられるという。 例えば、「躬ら甲冑を環き、山川を跋渉す」などは『春秋左氏伝』にも見られる字句である。 この上表文を書いた雄略朝官人の漢文の教養の深さが窺われる。 「倭の五王」のうちの倭王武は、雄略天皇に比定されている。 東には全身毛むくじゃらの奴らが住んでたのか
561 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:16:32.22 ID:8WKbYLNc0
>>552 というか現地の豪族がそのまま朝廷の官位を貰って
現地朝廷一体体制になったと考えるほうがしっくりくる
たしかに遠征軍を送るぐらいはできるがその後の支配は現地の豪族でなければ無理なので
結局のところ現地の有力豪族が支配してるのとなんら変わらない
しかも縁続きをしたほうが安心だから高位の貴族を派遣して豪族の家族と婚姻することになる
要するにこうした形で大和朝廷は緩やかな連合を組んでいったのであり
その特に顕著な地域が毛野だったのではないだろうか
>>556 俺もそんな印象。
ただNHKで放送やってたのを見てた時、
明治ぐらいに東北民がスキーで20kmぐらいの速度で滑りながら銃を発砲して
200mぐらい先の獲物を倒すような馬無し流鏑馬っぽいのやっててお茶ふいた。
マシンガンじゃなくて猟銃だし普通あたらんだろww
563 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:18:57.53 ID:tYXaPzZz0
雄略天皇は非常に重要 正直雄略天皇以外どうでもいいというかw 関東地方とか地方に実際に軍隊送って遠征したのは雄略天皇だから。 征夷大将軍だな。 上毛野氏が土着土豪か、雄略天皇関連かは調査が必要。 雄略天皇が連れてきた一派でしょ どっかの毛むくじゃらの土豪に支配させるわけがない。 ↑朝鮮人に尖閣諸島を防衛させるようなもの 天皇直轄の武士団だな。それがグンマーを450〜500くらいに征服したと。
>>553 でも、その後北武蔵も凋落して南武蔵に府中と国分寺がつくられるよね
んで大国魂神社が武蔵一宮を詐称する背景になる
>>556 あの時代に漢字で政治情勢を刻印してるんだから、紙に書かれた記録も本当はあったんだろうな
おそらく氷川の勢力が凋落した頃に大きな政変があって記録が埋もれたんだろう
大化の改新か?
>>563 無駄に遠征費を使うより、上納金払う約束させたやつに治めさせるほうが手っ取り早いよな。
まあ、船に大軍のっけて海を渡るわけじゃないから、まだ費用もリーズナブルだろうが。
566 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:22:13.17 ID:8WKbYLNc0
>>563 それは違うだろね
遠征する費用から言って完全制圧は不可能で
要するに朝廷とタッグを組んでくれる有力豪族がどうしても必要なのです
つまり現地の豪族に爵位を与え、更に貴族と婚姻して
朝廷の支配層になってもらうわけです。
567 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:23:16.01 ID:tYXaPzZz0
>>562 1人と1人じゃないから
いっぱいいるから、どれかに当たればいいから
当たらなければ2発でも20発でも200発でも射ればいいから、
そもそも、戦争は「弾幕」を作るもので
別に点数勝負のスポーツ競技じゃないし。昔から同じです。
フッ。 明治の一時期、 人口が一番多かったのは新潟だけどな!
569 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:23:50.59 ID:q7S5aSQ/0
おいおい、関西と西日本の区別さえつかん池沼ばっかりなのか。 熊や虎などの動物崇拝が多いのが東日本。 崇拝する動物が共通する地域、海越えてちょwうせん半島なんだよね。 西日本は、倭寇〜出島時代の影響で長崎などを中心に蛇や龍を崇拝。 東日本人が半島系由来って裏づけになるやもしれんデータだわ。
570 :
忍法帖【Lv=2,xxxP】(1+0:5) :2013/11/24(日) 04:24:18.34 ID:Eiwp4hq30
赤玉って何?
>>564 俺はその神社がどうなってたかしらんが
長野って空気扱いされてるけど、今もミネベアとか精密加工がそこら辺だったような気がするし、そんなこんなで
長野空襲ってのもあったみたいだし、それで燃えたという仮説を立ててみる。でも燃えてないなら、最初から無かったんだよ。
そんな大昔からあって、もし独自の文化圏だとするなら、そんなやすやすと漢字を取り入れたとも思えないし。
573 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:27:44.33 ID:tYXaPzZz0
>>566 時間かけて何とかした可能性もあります。
大陸と戦争するような戦闘集団だし
ヤマト王権は蝦夷とタッグ組んだっけ?
蝦夷は討伐しただけだろ
えみしを ひたりももなひと ひとはいへども たむかひもせず
(訳:えみしを、1人で100人に当たる強い兵だと、人はいうけれど、抵抗もせず負けてしまった)
ザコだった可能性がある。
もちろん土着の土豪は何かしら残っただろうが
直轄の武士がメインだったはず。
戦国時代に兵庫を征服したのは、兵庫の土着の武士団じゃなくて織田軍の直轄兵
土豪なんか単純に討伐される側だろ。
どっかの毛むくじゃらなんか討伐されて終わり。
>>572 自分は埋もれてるだけでまだどこかにあると思ってるw
古墳の中か神社の中
関東の歴史は、律令制と国府国分寺の建立で埋もれてしまったんだよ
575 :
忍法帖【Lv=2,xxxP】(1+0:5) :2013/11/24(日) 04:28:06.25 ID:83GcZn/K0
>>569 千葉氏は月崇拝だろ。
源頼朝も千葉神社で武運を開いたろ。
岡山の小島氏などは新羅国王子天日槍の子孫をかたり、
太陽崇拝だろう。
576 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:28:12.36 ID:zzdjtklY0
>>512 言語学の中に音韻学って音の変化を研究する学問がある。
アーリア語系だと記録にある民族集団の移動とかと現代の言語、各時代の
文書に見られる単語の変化などから推測、支那でも結構昔から漢字の音の
変化を調べていた。
日本語では戦国時代に宣教師が上方言葉中心の日本語辞書を作っていた
ので、そこからその時代の音がわかるのと、支那の音韻学を応用して万葉集
で使っている万葉仮名の音を呉音、漢音から復元したりとか。
あと方言から音がどのように訛るかも法則としてわかっているので、そういうの
を利用して復元する。
言語学と歴史学と民俗学が融合した学術体系だね。
>>569 >西日本は、倭寇〜出島時代の影響で長崎などを中心に蛇や龍を崇拝。
>東日本人が半島系由来って裏づけになるやもしれんデータだわ。
DNAの解析結果見てから言おうね(^^
>>535 >たぶん豊城入彦命=上毛野氏は武士団か何かで
たしかそうだよ。
騎馬軍団を擁して大和朝廷最大の軍事力を誇ったのが毛野氏。
大和朝廷発足時にも軍事力を背景にNo.3くらいの地位にあったはず。
これが現在の「群馬」の地名の由来になったのでは無かったかな。
>>540 南部馬だね。
日本史上で計画的に生産された唯一の軽馬品種だったはず。今風にいえばブランド馬。
日本も元寇のときに大陸の汗血馬(アラブ馬)に遭遇しているはずだけど、
騎乗したまま戦うことが多かったせいか蒙古馬と同様の小型品種が長年珍重された。
日本がアラブ馬の生産に力を入れるようになったのはアラブ馬が近代的軍備として不可欠になった明治以降。
>>569 >出島時代
wwww
>>574 なんらかの物理的災害等の要因でもない限り、誰かが持ってるかもしれないね。
基本的に物を捨てない文化だし。
580 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:31:10.61 ID:8WKbYLNc0
>>573 蝦夷の族長たちに多数の爵位を与えて、朝廷の人間になってもらってるよ
アテルイと闘ったのも実はこれら蝦夷爵(=朝廷側の族長)たちだよ
最近の蝦夷関係の本を読めばすぐわかります
要するに朝廷の遠征とは言っても実際は現地の豪族と仲良しして
豪族を官吏にするのが普通のやり方なわけ
それに納得しないむしろ少数派のケースがアテルイだったとも言える
581 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:31:46.26 ID:zzdjtklY0
>>504 「狗奴国」は魏代の音で「このこく」らしいね。
582 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:32:42.62 ID:tYXaPzZz0
>>580 上毛野氏はそんなのじゃ説明つかないです
「準皇族」扱いだし
群馬に八角形の倉庫があるんだが 八角形=天皇の象徴な。
どっかの蝦夷にそんなの任せるかよ。
583 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:35:09.97 ID:8WKbYLNc0
>>582 有力な豪族なら猶更朝廷側に入ってもらうのが普通ではないかな
おそらく貴族との婚姻で高位の貴族として迎え入れたのではないかな
そもそも朝廷に毛野を粉砕して完全制覇するほどのお金あったのかね?
>>569 京都に総本山がある稲荷信仰は思いっきり「キツネ」を信仰しているのだが・・・
まあ、キツネといってもゴンギツネのような可愛らしいものではなく、
尻尾が沢山生えた「化け狐」だが。
武蔵国造の乱
乱の経緯は、『日本書紀』安閑天皇元年(534年?)閏12月条に記載されている。
笠原直使主(かさはらのあたい おみ)と笠原直小杵(おき)は
武蔵国造の地位をめぐり争っていた。
安閑天皇元年、小杵は上毛野君小熊(かみつけののきみ おぐま)の力を借りて、
使主を殺害しようとした。
これに対して使主は大和朝廷に助けを求め、大和朝廷から武蔵国造であることの認知を受けて小杵を誅すに至った。
その後、使主は横渟・橘花・多氷・倉樔の4ヶ所を屯倉として朝廷に献上したという。
全長82メートル、直径66メートル、高さ11メートルの円墳に小さな前方部が付いた帆立貝式古墳(ほたてがいしきこふん)としては日本国内でも有数の規模を誇る。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/5/5d/KofunTumulus.JPG
大里京のはなしか? でも埼玉だな。
587 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:36:56.42 ID:zzdjtklY0
>>580 反乱を起こして多賀城を焼き討ちしたと記録にある此治(これはる)君も
多賀城に勤務する役人だったんだよね。
どうして焼き討ちしたかは不明。
この豪族の姓は今の栗原、東北の地震でよく被害が出ている所のもの。
遺物から見るにかなりの豪族だったらしい。
588 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:37:14.06 ID:3qQ421/I0
>>547 >中国からダイレクトに伝播していた半島
シナから半島にシルクロードのような道路の遺跡はあるか? 宿場町や駅舎はあったか?
半島に、当時の日本よりも文化的、先進的な遺跡があるか?
当時、あの辺りは荒野だぞ。
交通は海運により飛び石伝いで、日本から半島にもたらされた文化も数多い。
前方後円墳の関係だけでも、土木、測量、工具を作る冶金鍛治、数学ほか
まさか、朝鮮から文字や製鉄が来たとか、思ってないだろうな?
◎古代から、日本の方が半島よりもはるかに先進的、文化的な大国であった。
それは当時のシナの史書(隋書他)に記されている。
古代の日本が半島に権益を持ち、鉄鉱石を採掘して精錬し、延べ板にして日本へ運んでいたんだよ。
(魏書東夷伝他)宇佐八万、八幡信仰、住吉山神、みんな古代の鍛治&海人がルーツ
そろそろ、朝鮮偽史の洗脳からフリーになろうぜ。
589 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:39:03.22 ID:tYXaPzZz0
>>583 全部虐殺したわけじゃないしどっかにいるだろうね
でも上毛野氏は天皇系統だね。
天皇が1人でのこのこ関東に来るとでも?
皇族系統の武士団が最初に来たに決まってるだろ。
最後まで一番残ってるのがそれ系統です。
蝦夷はないねw
蝦夷=上毛野氏って無理ありすぎw
蝦夷征伐したのが上毛野氏で
大陸と関係があったのも上毛野氏
蝦夷? 無理ありすぎ関東にいた文字も読めない土豪がなんで大陸に行くんだか。
名も知れない雑兵としてならいたかもしれんが。
590 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:39:04.11 ID:q7S5aSQ/0
>基本的に物を捨てない文化だし。 確かにw 捨てる以前にハン島系の得意なつけ火の文化だよなw 水戸黄門も同様w明暦の大火w墓(古墳)荒らしw
591 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:41:57.26 ID:zzdjtklY0
>>589 一応新羅だったかな?蝦夷が直接半島に来た記録があったな。
蝦夷そのものでなくても地元の有力豪族と一緒になるなどはあったかもね。
592 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:42:35.05 ID:3qQ421/I0
>>569 >東日本人が半島系由来
簡単に決め付けるな
今、半島にいる朝鮮人は、あとから来たカスなので全く無関係だぞ
古代の半島にいた連中は滅びてしまい、どういう民族だかわからない。
神話も言語も習俗もわからない。
半島で初めて史書らしきチャチなもの「三国史記」ができたのは1145年。
古代半島は霧の彼方だ。
観光に力入れるとか群馬県民の俺から見ても無茶な話。 北部の温泉以外何も無いもの。 あと珍走団が多い。
『後漢書』辰韓伝[1]、『三国志』魏書辰韓伝[2]、『晋書』辰韓伝[3]によると、 秦の始皇帝の労役から逃亡してきた秦人がおり、馬韓はその東の地を割いて、 与え住まわせ辰韓人と名づけたという。 そのため、その地の言葉には秦語(陝西方言。長安に都があった頃の標準語で、 この亡民が秦代〜前漢代に渡来したことを物語る)が混じり、秦韓とも書いた。 秦人は王にはならず、王族は馬韓人であった。 上田篤は、「秦の始皇帝が天下を握った221年ごろには、 秦以外のすべての国々は消滅した。すると、大陸内には、 もはや亡命する国さえない。そこで、何万、何十万というかつての権力者とそれにつながる人たちの多くは、 海外、あるいは漢民族の支配圏以外の国々への亡命の道を選んだのではないか。 (中略)東アジアでも、『陳勝などの蜂起、天下の叛秦、燕・斉・趙の民が数万口で、朝鮮に逃避した。 (魏志東夷伝)』と記されている。陳勝の農民一揆は、紀元前209年のことである。さらに、『辰韓は馬韓の東において、その耆老の伝世では、 古くの亡人が秦を避ける時、馬韓がその東界の地を割いたと自言していた。(魏志東夷伝)』朝鮮では、 国を割いてまで秦の亡民の建国を許している」と記している[4]。
>>590 燃やさないよ、燃やす必要ないもの。
上か下かでしか見れないんなら神仏習合とかしないから。
596 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:44:32.09 ID:/OyPALcgO
片割れの下野「栃木軍」が戦闘体勢に入りました。 ムザから坂東太郎を遡上する大回りを敢行する模様
597 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:44:38.59 ID:YhXSY+7m0
まあ内陸で津波の心配も無いもんな
598 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:45:41.00 ID:3qQ421/I0
>>592 のつけたしだが、フヨとかワイ人とか言われているが、でもわからないの。
古代半島人がどういう言葉を使い、どんな歌をうたい、何を信心していたかとか、
何もわからない。
599 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:45:50.98 ID:zzdjtklY0
>>589 それと、雄略天皇って言ってるのは崇神天皇の伯父が四道将軍のひとりとして
毛野国に派遣された話の事?
600 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:45:57.35 ID:q7S5aSQ/0
そういえば、上毛かるただっけ? カード(トランプ)をカルタとして国産化したのは、北九州なんだよなw サムソン、LGと同じく、グンマーの朴(パク)りのDNAは今も昔も変わりませんなw
601 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:46:53.96 ID:8WKbYLNc0
>>589 まず毛野氏が蝦夷だとは一言も言ってないのでレスの後半はそもそも筋違いだね
前半のほうだけど、皇族系統の武士団って例えば田村麻呂みたいなのの古い形態を言ってると思うが
平安時代ですら多額の費用がかかって大騒ぎになってます
それでも桓武天皇がこだわったからしょうがなく何度も遠征したのが実情
しかも非常に弱い武士団で、現地蝦夷(朝廷側の)に警護されてる有様でした
さらにアテルイを討伐したものの現地支配にはほど遠くその後100年ほど
多数の貴族が遠征しても大して成果なく結局東北の大半は放置したままとなってる。
という事例から考えると、
田村麻呂よりかなり昔に遠く離れた毛野を制圧するほどの財力と武力があったとはちょっと思えないね
それよりも天皇と縁続きになってもらったほうが遥かに助かるね
>>588 当時、あの辺りは荒野だぞ。日本の方が半島よりもはるかに先進的、文化的な大国であった。
>>592 古代半島は霧の彼方だ。
場当たり的な矛盾だねえ
603 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:48:31.17 ID:3qQ421/I0
>>600 少しはレスを読め
今、半島にいる朝鮮人と、古代半島人は赤の他人、全くの異民族、別人だ。
古代からいた連中もけっこうカスだったが、今の朝鮮人ほど無能で卑劣ではなかった。
>>583 俺の想像ではいわゆる「国譲り」に携わったのでは無いかと。
よく言われる、毛野氏=蝦夷説もおそらく正しい。
日本史最大の謎としていつ倭国(大和)が日本に摩り替ったのかという話があって、
倭国はご存知の通り、中国から金印を授かる属国だったわけだけど、
それが日本に摩り替ることでその支配関係から解き放たれた。
その手引きをしたのが毛野氏というアイヌの一部族であったとすると全て辻褄が合う。
彼らが血縁関係も無いのに皇族と同等に扱われている理由もそういう話じゃないかな。
対外的(中国に対して)にそうしておく必要があった。
大和が中華属国倭ではなく土着国家・日本の継承国家である体であることを説明するためにね。
605 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:50:03.39 ID:tYXaPzZz0
>かなり昔に遠く離れた毛野を制圧するほどの財力と武力があったとはちょっと思えないね は?朝鮮半島に戦争に行くより近いですけど何か? 陸伝いだし兵の損耗もない。中継基地=植民地だから自給自足。 天皇の関東征伐全否定ですかw ヤマト王権は蝦夷が作ったのかw ワロスw
後醍醐天皇奪還 児島高徳ただ一人が天皇の奪還を諦めず、夜になって院庄の天皇行在所・美作守護館の厳重な警備を潜り侵入する。 やがて天皇宿舎付近へ迫るも、それまでの警備とは段違いな警護の前に天皇の奪還を断念、 傍にあった桜の木へ「天莫空勾践 時非無范蠡」(天は春秋時代の越王・勾践に対するように、 決して帝をお見捨てにはなりません。きっと范蠡の如き忠臣が現れ、 必ずや帝をお助けする事でしょう)という漢詩を彫り書き入れ、その意志と共に天皇を勇気付けたという。 因みに、朝になってこの桜の木に彫られた漢詩を発見した兵士は何と書いてあるのか解せず、 外が騒々しい為に何事か仔細を聞いた後醍醐天皇のみこの漢詩の意味が理解できたという。 天之日矛後裔説[編集] 日本神話(『日本書紀』・『古事記』)に登場する新羅王の子・天之日矛の後裔という説。 天之日矛は日本へ渡来し、但馬国へ土着し垂仁天皇の治世において帰化したと言われており、 その途上において子孫を残したのではないかと思われる。 又、児島郡三郷の今木・和田・児島はかつて朝廷直轄領である児島屯倉と呼称したという資料のあることから、 天之日矛の後裔が三宅を本姓としたという。[要出典]しかし、 児島郡に今木や和田といった郷名は存在せず信憑性に欠けると言える。 『西源院本太平記』では、この天之日矛の後裔・今木三郎備後守範長の実子が高徳であるとしている。この説の流れを汲んだ系図には、範長の祖父・重範は源頼朝に従い、功があって備前国児島の地頭職に就いたと記述されたものもある。
607 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:51:51.35 ID:mOOF561+0
公共事業で古墳を作ったとはとても思えないので 当時の庶民からは忌み嫌われていたと思うんだ まったくリアリズムからはかけ離れている
>>584 そういえば、玉藻前の殺生石で有名なのって栃木の那須だったね
あれも全国あちこちあるけれども
つか東西がどうこうじゃなく、単純に歴史的事象を検証すれば興味深い話が眠ってそうなのに
>>569 みたいな地域エゴって冒涜だよね
609 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:52:38.71 ID:3qQ421/I0
>>602 それを矛盾と感じるのは、おまえに教養がなくて、レスの内容が理解できていないから。
古代のことは遺跡と遺物の検証、和漢の史料の研究で理解できる。
しかし、古代半島民族の言語、風俗、習慣などは記録がないので霧の彼方。
>>589 上毛野稚子=征新羅将軍 生死不明
上毛野形名=征夷将軍 戦死
なんか危険な仕事というか絶望的な作戦が多い
何とかして上毛野の力を抑えようという、大和側の意図が透けてる
611 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:53:05.63 ID:zzdjtklY0
>>604 >大和が中華属国倭ではなく土着国家・日本の継承国家である体であることを説明するためにね。
それは神武天皇の伝承で説明済みでしょ。
毛野氏に求めるのなら日向国じゃなく東から来ればいい。
太陽が昇る日高見の日の御子としてね。
生まれ育ったところが総社古墳群の地域で、よく古墳で遊んでた。 県外の人にそれ言うと「え?古墳て立ち入り禁止じゃねーの?」と言われる。 他の県てそーなの?
613 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:55:02.61 ID:tYXaPzZz0
>毛野氏というアイヌの一部族であったとすると全て辻褄が合う。 おまえの祖先がアイヌだからって それはねーなw >彼らが血縁関係も無いのに皇族と同等に扱われている理由もそういう話じゃないかな。 ありえなすw 昔の血縁は重いんだが。 とくに命をあずかる遠征とか血縁かそうじゃないかは全然違うわ。 役職を与えるのは血縁ないとほとんどない。 ザコ役職ならあるけどなー 皇族なんかいっぱいいるわけで、そいつらの中で戦争好きなやつがいるのが普通だろ。 「蝦夷はザコだった」とすればすべて説明がつく。 軍事技術ってのは格差があればそれだけで勝敗がつきます。
614 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:55:13.53 ID:8WKbYLNc0
>>605 まず毛野氏が蝦夷だとは一言も言ってないので「ヤマト王権は蝦夷が作ったのかw」は筋違い
朝鮮遠征は国対国の大戦争で、総力上げて臨んだわけだけど
関東の辺境にそこまで力を注ぐ理由も無い
ちなみに朝鮮遠征では多数の朝廷豪族がぼろぼろになって
その後朝廷のパワーバランスが激変してるわけで、
いかに朝廷が消耗したか解ろうもんですね
>>601 田村麻呂はヤマトノアヤシ。在日中国人。
先祖は天皇を殺した東漢駒。(ヤマトノアヤノコマ)
崇峻天皇暗殺事件で崇峻天皇の子蜂子皇子は山形県の出羽三山まで逃げた。
蜂子皇子はその後羽黒山修験道の開祖になった。
617 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:56:24.96 ID:q7S5aSQ/0
上毛かるたはウリが発明したオリジナルカードゲームニダー、ってかw
618 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:56:29.39 ID:zzdjtklY0
>>605 武力が実際どうだったかはとかはともかく、今の新潟県辺りは湿地、沼地、干潟が
多く徒歩移動は困難で奈良時代でも海が主流。
山は山賊家業の蝦夷がいて被害が出ていた。
秋田城はそれで孤立した形になっていた。
陸伝いは楽じゃないよ。
>>600 今の朝鮮人はエベンキ族
古代朝鮮人とはDNAが違う
>HLA遺伝子による調査で朝鮮民族は満州族や中国東北部の漢民族と近い
620 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:57:12.44 ID:tYXaPzZz0
>毛野氏というアイヌの一部族であったとすると全て辻褄が合う。 おまえの祖先がアイヌだからって それはねーなw >彼らが血縁関係も無いのに皇族と同等に扱われている理由もそういう話じゃないかな。 ありえなすw 昔の血縁は重いんだが。 とくに命をあずかる遠征とか血縁かそうじゃないかは全然違うわ。 役職を与えるのは血縁ないとほとんどない。 ザコ役職ならあるけどなー 皇族なんかいっぱいいるわけで、そいつらの中で戦争好きなやつがいるのが普通だろ。 「蝦夷はザコだった」とすればすべて説明がつく。 軍事技術ってのは格差があればそれだけで勝敗がつきます。 田村麻呂の時代も、降伏した蝦夷を処刑してんじゃんw 中央にとって辺境の豪族なんてその程度の価値。 そんなチンパンジーみたいなのが中央で高位の官職取った? アホかと
>>609 もし、本当に合ったとしたら可哀想だな、文字がなかったというだけでこの仕打ち。
アテルイの話も、朝廷側の資料しか残ってない。
まあ、記録好きの中国人がなんか書いてるはずなのになんにもないから無いんだろ。日本の事はそれなりに書いてるのに。
>>619 朝鮮人がエベンキ族であると主張してるのは朝鮮人だけなんだけど
623 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 04:59:30.20 ID:tYXaPzZz0
上毛野氏=蝦夷説はばかばかしいの一言。 じゃあ関東に遠征に来た天皇系の武士団はどこに行ったんだ? 関東で偉大で立派な蝦夷の家来にでもなったか? 逆だろどう見てもw
>>605 いや、違うよ。
順序立てて話すと大和朝廷は本来渡来系・属国系なのよ。
それが中国の後ろ盾で東征して行く間にその主従関係が疎ましくなった。
それが大和が日本(アイヌ)を駆逐しつつ日本列島の半分ほどを制圧した関東辺り。
日本側(アイヌ側)最大の軍事力を誇る毛野氏との抗争が降着したであろうことも想像に容易い。
そこで大和が中国支配から手を切り、毛野氏も身分安泰できる結論が見出された。
それが最大の国譲り劇となった大和が日本を継承するという体裁。
邪馬台(やまと)が大和(やまと)の改称したのもそれが切っ掛けでは無いかと想像するな。
>>622 韓国人のY-DNAハプロタイプのうち13%が北方系のC3。
日本でも福岡人のY-DNAハプロタイプ10%が同じC3。
石舞台古墳も、入場料を稼ぐために周囲に柵を作ったのは近年になってからで、 それまでは近所の子供達の遊び場だったと思う
627 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:01:59.48 ID:8WKbYLNc0
>>620 >中央にとって辺境の豪族なんてその程度の価値
いやーむしろ蝦夷族長の多くが朝廷と仲良しなのに
一部歯向かったから「反乱」扱いなんだよ
それから毛野への関東遠征自体を否定してるわけではない
ただし遠征する以上は現地に朝廷側の強い豪族がいなければそもそも
金がかかり過ぎて無理なわけよ
朝鮮遠征でも現地に倭人側の勢力があったから決断できたんでしょ
つまり毛野にも遠征に協力した現地勢力がいたのは間違いなかろうね
>>623 結婚して血縁関係に、そして諏訪神社の上下の話になったら面白いが、
そんなにスレに都合がいい話が歴史であるわけがないだろう。
629 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:04:37.88 ID:tYXaPzZz0
>>627 >ただし遠征する以上は現地に朝廷側の強い豪族がいなければそもそも
>金がかかり過ぎて無理なわけよ
「朝鮮に工場をつくった本田氏は朝鮮に援助を頼んだので本田氏は朝鮮人だ」
みたいな論理だね。
多少の援助を頼んだからって、別に上毛野氏が関東の土豪ってわけじゃないね。
それを混同するって変だね。
あと
「関東に遠征に来た天皇系の武士団はどこに行ったんだ? 」
これに答えてないね。この答え=上毛野氏ですが
>>622 認めているのなら自分たちに関係のない観世音菩薩坐像を返せとは言わないよね
631 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:06:05.24 ID:ZOS4JqJjO
さきたま古墳群のあたりかと思ってた
632 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:06:59.11 ID:zzdjtklY0
>>624 >邪馬台(やまと)が大和(やまと)の改称したのもそれが切っ掛けでは無いかと想像するな。
邪馬台は魏の方で音を写したものでしかないから。
隋書じゃ違う漢字が当てられているし。
国内で確認できるのは奈良時代から平安時代にかけて「やまと」には
「倭」→「大倭」→「大養徳」→「大倭」→「大和」
と変遷があった事と、天皇が治める天下国家の名前として「倭」と「日本」が当てられたという
事だけだね。
>>624 アイヌは先住民じゃないからね。
確認できるのは、13世紀初めのかなり後発の民族。
先祖は縄文、琉球と同じだっらしいが。
634 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:08:22.81 ID:8WKbYLNc0
>>629 援助を頼めば当然その後の支配の代理人になるわけでしょ
なぜなら朝廷軍は現地に残るわけじゃーないからね
支配体制さえ確立すればあとは現地豪族に任せるのが徴税面でも好都合だね
以上から武士団というのもすぐに関西に帰ったんでしょね
一部はそのまま入植したかもしれんけどね
636 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:09:34.61 ID:tYXaPzZz0
>>627 織田信長の支配領域拡大も知らんのかな。
北陸に遠征した柴田勝家は先祖伝来の生粋の北陸人で
甲斐の武田征伐した滝川一益は先祖以来の甲斐人なのかなw
あほらしい限り。
途中のちいさい攻略はしたでしょ。皆殺しってわけじゃないから
だからって柴田勝家は北陸人だ!とか 滝川は信州人だ!ってのはワケ分からん論理です。
>>624 あと、大和朝廷が渡来系ってのも全く根拠がない。
というより土着系としか言いようが無いんだが。
せいぜい九州からの征服王朝ってぐらいだ。
638 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:11:20.24 ID:zzdjtklY0
639 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:11:51.07 ID:tYXaPzZz0
>>634 朝廷の軍団が現地の群馬に残って、それが上毛野氏で
朝廷以来の氏族だから中央と関係が深かったんだよ
>以上から武士団というのもすぐに関西に帰ったんでしょね
帰るわけねーだろ。植民地経営するなら武士団としてにらみきかせつつ
そのまま居座るだろ。
それが上毛野氏
蝦夷なんてこの考えだと用無しだね
そんでこれが一番自然です。
どっかの馬の骨をヤマト王権にするわけがない。
バカじゃねーの。
640 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:12:41.55 ID:q7S5aSQ/0
>>635 なるほど。
東日本人に共通する思考回路だなw
641 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:14:25.57 ID:tYXaPzZz0
>>638 斯波氏は別に北陸の氏族じゃないですけど。
源氏だし
>>以上から武士団というのもすぐに関西に帰ったんでしょね
在日米軍がすぐに帰ったのですかー?
日本だとそのまま70年いますけど。
不安定地域+利益地域をほっといて武士団が中央に帰るわけがない。
642 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:15:02.71 ID:PW2ysGb+0
ここまで グンマー 抽出52回
643 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:15:04.31 ID:8WKbYLNc0
>>636 信長の北陸支配で言えばその後結局地元勢力の抵抗が激しくて
支配確立にその後相当かかってるよ
たしかその責任で首になった武将も居たような気がするが。
生産力の高い戦国末期でしかも岐阜と富山ぐらいでこの有様だから
古墳時代に関西から関東の辺境の支配を確立するのは大変なことでしょう
もちろん関東を討伐したのは史実として認めたうえで言ってるので
別にそこを否定してるわけではないが
結局のところ討伐後には支配の実質は現地豪族と朝廷の一体体制と見るのが
合理的ではないかな
644 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:15:40.26 ID:zzdjtklY0
>>640 >少数の日本人(古代朝鮮語でウェノム)
お前はその東日本人とやらかw
おまいらの先祖なんてペーペーの百姓なのになに地域代表みたいになじりあってんだよ
>>639 お前、片田舎に左遷気味に移動させられて、帰る隙があっても戻らないの?
俺ならすたこらさっさだわ。
西よりそこが都会だったか、もしくは大した数いなかったか、派兵自体なかったか。でいいの?
そこにとどまっていろっていう命令がある、つまりそれだけの価値しかない人物だったとしたら
組まないと、どうにもならなかったって仮説もあるんじゃないのー?
647 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:19:44.98 ID:zzdjtklY0
>>641 神官やっていた以前は確証あるのかな?
>>646 遠征先の豪族の娘との間に子を作ってその子が残れば自分が帰っても問題ない。
関東武士団の大半は平安時代に臣籍降下した元皇族が荘園管理人や郡司などとして 関東に赴任して、そのまま土着武装化した人たちでしょ。
群馬っていまだに通信手段が矢文だってね
650 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:23:11.38 ID:zzdjtklY0
>>648 郡司は元国造が多いから通常は国司とかその次官とかだね。
郡司クラスの娘と子を作ったりとかはあるだろう。
>>639 だから、日本からの国譲りを成立させて中国にそれを説明するにはどうしたって蝦夷の力(血族)が必要。
毛野さんはその名のとおり彫が深く毛深かったと想像されるからね。
我々は日本の継承国家だから貴方方と主従関係はありませんよ?
と説明するために蝦夷の血族を支配階級として取り込む必要があった。
そのくらいやらないと中国人は納得しないだろうし。
また、大和側には存在しない騎馬部隊を擁する毛野氏の強大な軍事力も、
彼らが当初は日本側(蝦夷側)であり、対大和の最前線を任されていたからと想像すれば辻褄が合う。
後年発見された日本中央の碑や、東北を指して日本と呼んだことも、
群馬辺りで歴史的な取引が成立したからだと考えれば納得が行く。
この地で「対内的には引き続き大和を、対外的には日本を称する!」というその後の国家の方向性が確立された。
652 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:23:39.70 ID:q7S5aSQ/0
>>646 帰ろうと思えば帰れる、ってのは左遷って言わねーよw普通の日本人ならw
まあ、はっきりしてる事はだ 今の西日本人は東北から連れ去られた奴隷の子孫て事だけだな 家系図のない西日本人は皆これな
654 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:25:39.32 ID:tYXaPzZz0
>>651 蝦夷なんてどうでもいいチンパンジーの記録は
中央は載せません。
チンパンジーが中央で地位を得るわけないだろ。
>大和側には存在しない騎馬部隊を擁する毛野氏の強大な軍事力も
大陸系だったんだね。
ますます群馬の土豪じゃないなw
>>652 皇族に左遷とは無礼なっていわないんだな。
討伐っていうお仕事終わったじゃん。明征伐も命令だしてる秀吉が死んだから帰ったじゃん。
656 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:26:32.49 ID:8WKbYLNc0
>>652 当時は帰路もとんでもない費用かかるから
帰るときに帰らないと一生帰れなくなるからね
さっさと帰らないとそのまま辺境に骨をうずめる羽目になる
いくら軍人とは言えそんなの喜ぶ奴はまずいない
657 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:27:19.35 ID:q7S5aSQ/0
毛深いのが半島系って認めないのって、半島気質なんだろうね。
658 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:28:51.15 ID:tYXaPzZz0
>>655 皇族にも次男と長男がいるわけで
遠征軍は次男な。
天皇の次男は奈良に遊んでるより関東遠征する方を選んだんだろ。
そこはちゃんと記録に載ってるから。
蝦夷じゃないから天皇の次男だから。
「豊城入彦命が蝦夷のチンパンジー」だったってなにそれ?
659 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:29:26.83 ID:7hsnS1nd0
眉毛が薄いと陰毛も薄いらしい。
>>656 そういや京都で室町幕府管領家の細川勝元と山名持豊が争ってた時、
勝負ついて、負けた側についてたパトロンも逃げて、金がつきて兵を引けず
相手方が金の一部を工面してお帰り願ったよな。
まじうけるwwwでも日本らしいwww
応仁の乱だったか?
661 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:30:43.65 ID:zzdjtklY0
>>651 俺は最近は国譲りや天孫降臨は大地震後の津波被害から逃れ高地性集落で
暮らした集団が低地に帰った時の事が反映されたんだろうかなと想像している。
それに崇神天皇あたりであったと思われる祭神の交代なりとかも合わさったか
なあと。
663 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:32:26.80 ID:tYXaPzZz0
次男だから帰らなくていいよ 地元は長男がいるわけで 天皇だろうが何だろうが次男はそういう存在。 とくにでかい領地を持ったならとくに帰る必要はない。 そこで文化を作る方が自然。 とくに流されたわけでもなく、自分で好きこのんで遠征に行ったわけで。 豊臣秀吉だって成功してたら中国に住んでただろ。
664 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:32:35.94 ID:q7S5aSQ/0
>>655 菅原道真は左遷されてから一度も帰京しなかったぞw
そこが東日本土人と違う大和民族気質なんだろうな。
朝鮮に攻めてそのまま朝鮮に残った武士もいたのもこれまた事実 飛騨の大工職人だろうがなんだろうが関東の仕事場近辺に骨埋めた記録なんていくらでもあるな
667 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:34:10.94 ID:zzdjtklY0
>>654 お前のIDを追ってみたけど本当に古代史の知識がないのな。
稲荷山古墳って知ってる?
668 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:35:13.82 ID:8WKbYLNc0
>>666 飛騨の大工職人は宮大工で、当然工事に5年10年軽くかかる大工事を
やってたわけだからある意味当然なんじゃね
>>664 あれはお仕事がないの、終わらないから帰れないの。
九州という未開の最前線に島流しみたいな感じで流されたの。
670 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:35:34.39 ID:7hsnS1nd0
>>662 自分で自分の証しをしている時点でアウト
671 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:36:06.67 ID:3qQ421/I0
>>657 ID:q7S5aSQ/0
おまえは、生粋の鮮人だ
カスのチョンだ
おまえのレスには、嘘つきで、自らを貶める朝鮮人の特徴がはっきり現れている。
じっさいの朝鮮人は体毛がほとんどないぞ。
韓国の銭湯にいったら、俺の胸毛が衆目を集めた。嫉妬された。
今の朝鮮人とは無関係な、古代半島人のことは知らんがな
とにかく朝鮮人は毛がない。女はパイパンが多い。
男はペニスが小さい。
それは氷河期に極寒の場所にいた民族だから。
672 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:36:25.79 ID:zzdjtklY0
>>655 ID:tYXaPzZz0は
>>641 で源氏だと言っているよw
越前で神官やっていた以前は確証がないんだよね。
>>670 むしろ潔くてカッコイイと思わないのかね?
男性ホルモンが強いとハゲやすいらしいが、眉毛との因果関係はまだ立証されていないらしい。
と書くと科学っぽいが、わかってないから正直いらない文言。
群馬って何処にあるのかイマイチ分からんよね
675 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:38:51.30 ID:zzdjtklY0
676 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:39:21.85 ID:w+45MYLr0
そこまでさかのぼらないと何もないのか・・・群馬キッツいな・・・
677 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:39:36.18 ID:OMZc68pi0
>>668 そういう意味ともまた違って気まぐれに住んだということさ、帰るの面倒だったり
使ってる側からすれば飛騨の職人なんて年貢に値する貴重な財産だからな、本来勝手は許されないんだよ
679 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:40:48.94 ID:tYXaPzZz0
>>672 名門の斯波氏は源氏だろ。
神官以前とかは関係ないね。
織田の嫡流が室町幕府から守護大名に認められたのは事実。
「途中で斯波氏と血が混ざった」と考えればいいだけです。
そもそも武士の姓ってそういうもんだし。
過去の真偽はともかく すくなくとも現代は文化の中心どころか辺境の更に先だからね
683 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:42:24.00 ID:dmzaagDLO
大魔人のイメージって群馬からの防人のイメージあるよな
>>679 とりあえず織田は平氏になってる。理由はしらん。
ぶっちゃけ、織田は織田だから元がどっちとかどうでもいいしね。
685 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:43:48.01 ID:7hsnS1nd0
>>673 それを社会では「偽証」というのだよ。証人がいないと説得力ナシですわ。
686 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:44:25.58 ID:zzdjtklY0
>>679 >「途中で斯波氏と血が混ざった」と考えればいいだけです。
毛野氏も途中で皇室の血が混じったと見てもいいかもねw
>>685 偽証ではないよ、本人みてないからわからない、シュレディンガーの猫
でも、証拠能力無しに完全同意。
てかなんでいきなりそういう裁判系の話に?
仮説なんだから、立証されるまで決まらない歴史系の話だったはずなのにw
歴史の話なら、決定打無しなんで両方仮説。
688 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:47:40.71 ID:VMfqWxM20
東日本最大級の古墳が有るのは群馬だし並の古墳なら今でもチョットした広さの田んぼの真中に2つ3つ残っていたりする とにかく古墳の数はやたらと多い大魔神埴輪や多胡碑に代表される上毛三碑などの一次資料も残っている以上も事を考えて 群馬に当時の独立国があった或いは東日本の文化の中心地なのは間違いない古墳時代の海岸線も相当内陸部に入り組んでいたようだし
>>677 アイヌのYDNAハプロタイプのうち10%は北方系のC3。
アイヌの血液型で一番多いのはB型。
690 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:48:12.02 ID:hKDBhcYA0
確かにあの頃の群馬は凄かったけど翌年には栃木には電気が通ったし
691 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:48:55.50 ID:tYXaPzZz0
>>686 おまえが蝦夷のチンパンジーだと分かったな。
尖閣諸島の防衛部隊が中国人説ワロスw
グンマーや埼玉て関東でも被差別部落が多かった土地だから、早くから何かしらの有力者いた事は想像できるよな そういう意味では西日本と同レベルじゃん
694 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:50:17.37 ID:7hsnS1nd0
>>687 空気を読みなさいよ。ここでの関心は「毛」け!です。
薄い方が偉くて濃い方が劣っているという論の展開がありうるのですよ。
695 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:50:59.30 ID:zzdjtklY0
>>691 稲荷山古墳は知っているのか?
それを知らないのは日本の義務教育や高校の教育をまともに受けたことがないって
証拠だぞw
昔は東京の辺りは海だからな。 江戸時代には浅草で海苔が採れたり、目黒でサンマが獲れたりしたわけで。
数十年前くらいだと田舎に電気引いて住民から工事の人が感謝されるみたいな話もあったネ 今の光ファイバーくらいの感覚なんかね
>>696 古墳から平安くらいなら海岸線もかなり埼玉、グンマーに近かったろうな
埼玉グンマー共和国には貝塚はないのかね
埼玉という地名は行田市あたりが由来なんだからさいたま市は謝罪して改名すべき
700 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:56:42.68 ID:ddgbYLWdO
毛人というのは毛深いのではなくて、髭を剃る風習がなかったからじゃないの?
701 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:56:56.10 ID:zzdjtklY0
>>698 埼玉県には東南部あったりにあったような?
702 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:57:34.68 ID:4uYhqdor0
このスレで朝鮮半島から文化が伝わったのを全否定したがる人がいるが、 当時の朝鮮半島の住民は、今の朝鮮民族じゃ無いでしょうに。 そこまで頑なに否定しなくても。
703 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:57:41.20 ID:dmzaagDLO
玉を冠してる県名は埼玉だけだな 何かあるよな
704 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:57:58.11 ID:tYXaPzZz0
>>695 「雄略天皇は蝦夷だった!」T
とか言ってるんだろ
「蝦夷ガー」うざす
>>679 武士云々というより、日本は「家系文化」の国だからね。
血族はそれほど重要では無いのよ。
家系・家柄に職業や地位が付帯していたから、
血族に関係なく実力者が家系を継ぐということが一般的だった。
上杉謙信もそうだし、商人の番頭文化もそうだし。
徳川氏なんてそもそも武家ですらない坊主だし。
今日の天皇家の血族文化も西洋文化に対応するためだけの話じゃないか?
外国では血族が滅びると体制自体が滅びて来たけど、
日本はそうじゃなかったし、そのギャップを埋めるために天皇を担ぎ出して
「日本も血族文化です。」と言いたかっただけでは無いかと。
まあ、天皇家も仁徳天皇とか、どう考えても血族文化では無いのだけどもw
>>701 そうなんだ
少なくとも今の地図での東京はなかったことにして考えないと想像しずらいよね
江戸なんてほとんど埋立地だもんな
707 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 05:59:30.41 ID:bAef9VafO
グンマーの最盛期は平安時代で、今では原野で狩猟生活をしているってこと?
>>684 源家平家藤原家から直接枝分かれした氏族以外にとって本姓は所属を表す看板みたいなもの。
また源平より古い氏族は独自の地方姓を持っている。しかし地方姓は朝廷には認められないので、
その時の都合で源平藤の本姓を名乗る。
709 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:01:57.13 ID:tYXaPzZz0
3〜7世紀に埼玉・群馬が異常に発展してたわけで、
海岸線は当時かなり後退してたのでは?
少なくとも田んぼ作れたのはあの辺りで、
東京は当時塩田状態だったんだろ。
>>705 血族に関係ないってことはないから
養子取るにしろ遠戚がほとんどだし、
その場合も男がいれば本来いらないもの=「血族の女」を上手に使うだけです。
近畿に縄文人が居なかったとか馬鹿かコイツら。 最近滋賀でも出て来たろ。ニュースにはならんのか? 大阪もデカイ集落みな縄文だし、骨で分かってるわ。 こういったデータは今後も変わるはず。 スサノオ神社が日本一多いのは大阪。 大阪は出雲の地名もあるし、物部氏の本拠地よ。 最後の最後まで勾玉作ってたんですよ。 京都市は平安時代へ行く前は渡来人豪族ばっかりが開拓してた。 そこへ都を遷すとはどういう意味か、分からんか? 西対東じゃないんですよ。 他所の人が付けたんじゃない、元々の地名が残ってるのは大阪だけ。
711 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:03:31.24 ID:JqvR4zxU0
仙台、福島、関東全部、長野、山梨は群馬のテリトリー。 かつて群馬は東日本の太陽だった。
712 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:04:37.76 ID:zzdjtklY0
>>704 お前へのレスのひとつに崇神天皇の伯父が四道将軍の一人として派遣された
というのがあっただろ。派遣先は毛野国。
その伯父を大彦命と言い、稲荷山古墳から出土した鉄剣に刻まれた系図にあ
る初代と推定されている。
大彦命は大和に帰還している。
おそらく現地でもうけた子の子孫だろう。
そして、史書にある毛野氏の祖がその大彦命だ。
稲荷山古墳の主は鉄剣の銘から雄略天皇と同時代と見られる。
713 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:05:06.51 ID:sA9Ej2Wk0
室町時代も関東管領がいたし、昔は関東の中心だった群馬
714 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:05:11.20 ID:WcZ+12Qp0
群馬が中心ってのは無理があんじゃねかな? 行田の古墳群からちょいと北に行けば群馬ではあるがw
715 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:05:47.85 ID:tYXaPzZz0
>>708 「藤原家」って2系統あるからな
ガチ武家系統の藤原家もあるぞ。
というか、大阪はなかったのでは?
田園地帯が重要で、それが関東の群馬・埼玉にあったので
そこをぶんどったと。
食い物と人間があるので、文化も発展と。
グンマーは準皇族の上毛野氏が支配するメトロポリスだったわけだな。
古墳の出土が日本で二番目に多いんだっけ? 水源豊かだし別に変な話じゃないと思うけどな
>>705 徳川は家系的にかなり怪しいよなw
まああの辺の土地は群雄割拠、下克上が当たり前の土地だったしな
岐阜のマムシとかもw
718 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:07:01.66 ID:w7CNEPY4O
中部以西で朝鮮式古墳が多いのは新潟〜群馬〜埼玉〜東京〜神奈川 武蔵国最初の郡は高麗人を集めて作られた「高麗郡」で 神奈川の湘南地域は高麗人エリア 江戸時代以前の関東人のステレオタイプ・イメージはデカ顔だんご鼻
719 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:07:21.22 ID:dmzaagDLO
まだまだ謎があるよな クレシンで有名な春日部も古墳と貝塚が近距離にあんだよな 何か不思議
720 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:07:38.68 ID:zzdjtklY0
>>714 群馬の方は火山の噴火で大被害にあい埼玉県の方に中心が移ったんだよ。
古代の利根川は江戸湾に流れてたのか おもすれ
>>714 当時は国境なかったしな
今でいう埼玉グンマー共和国辺りの事だろね
723 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:10:16.70 ID:tYXaPzZz0
>>712 崇神天皇なんていたか知らん。
雄略天皇とその親はいたはず。
雄略天皇が上毛野氏系統ってこともある
(雄略天皇が関東で死亡説)
皇統ってのが初期はあいまいだったかと=天皇家の含む範囲は広かった。
現代でも兄貴と弟の区別はあいまいだが。残った方が家を継ぐだけ。
724 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:10:28.78 ID:dmzaagDLO
朝鮮式古墳って何?
725 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:11:21.81 ID:zzdjtklY0
>>719 縄文時代はその辺りまで入り江があった。
入り江のそばの高台に人が集まっていて、そのまま古墳時代まで続いたということ。
>>32 古代遺跡(古墳)が発見されたやで(ええーイルボンの古墳形式やったは)
みなかったことにされ、つぶされたとか
727 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:13:29.15 ID:dmzaagDLO
>>725 つまりさ、縄文とか弥生とかの区分がおかしいって話だよな
>>715 自分に言ってるの?
ありますよ。西日本最大の貝塚は大阪です。
縄文人の墓も西日本最大やったと思う。
石器時代から縄文早期、その後も続いてる集落もある。
あと出雲て名称は古代からの名ではなく、河内らと同じ時期でしょうね。
下手すりゃ和泉位(河内より後)の時期かも。
729 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:15:36.30 ID:zzdjtklY0
>>723 お前めちゃくちゃw
倭王武の上表文に東西南北を征したとあるからそんな事言っているのかもしれんが、
あれは武の父祖の時代の話も入っているぞw
>雄略天皇が上毛野氏系統ってこともある
お前はID:SGOgI7zV0の上毛野氏蝦夷説に近づいたぞw
>>724 石積みとかが割と特徴としてあげられるんじゃね、けっこう全国いろいろあるはず
渡来人が作った古墳
埼玉なら高麗て町とか渡来人の町あるじゃん
>>63 防人送ってたんだよね (´・ω・`) 当時から
さっき、グンマーに行ってきたけど質問在る?
>>721 伊達政宗が攻めてこないように流れを変えた
グンマー出身の宇宙飛行士がいるぜ! あと、ちびまるこちゃんの中の人もな。 まる子は「次郎長が〜」言ってるけど 国定忠治の縄張り
733 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:19:12.52 ID:zzdjtklY0
>>727 最近は連続したものと見ているよ。
ただ、地域特性とか気候変動とか交易関係とかでの変化とかでグラデーションな
区分になってきている。
>>730 色々というほどには分布はしていない。
主な所は長野県と愛媛県?だったかな。
長野県のは捕虜を隔離して住まわせたという説もあったか。
関東の古墳時代は地の人の物じゃない。 統治した人達の墓だと思う。 渡来人も開拓に関わってるから、渡来人の骨が埋葬されてても驚きませんよ。
>>717 日本の内乱って公家vs武家で語られることが多いけど、
実は宗教戦争の側面が強いのよ。
例えば、織田信長やその配下秀吉は所詮足利幕府の配下だから臨済宗で
天台宗の比叡山を責めたり、真宗の本願寺と対立した。
そういう抗争の中で元々浄土宗の坊主出身の家康が中立的な立場で立ち回って、
徳川幕府成立以降は浄土宗を布教しまくって武家=浄土宗という図式を確立した。
まあ、我関せずの浄土宗の立場を利用して天台の天海や臨済の崇伝を取り込んじゃってるのが家康の本性だよ。
コーヒーにミルクを垂らして混ざっていくように 縄文人の土地に渡来系弥生人の部族が混ざってモザイク化、混血融合していったのだろ
737 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:21:40.25 ID:zzdjtklY0
>>734 古代半島人が関東に入植させられたのは飛鳥時代以降で古墳時代とはいえない
しなあ。
738 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:22:47.94 ID:dmzaagDLO
>>730 白村江の戦い以降なら古墳時代とか終わってねえか?
>>733 長野も渡来系の古墳あるね
いろいろて表現難しいけど、安曇族とか考えたら琵琶湖とか含め割といろんなとこにあるよね
740 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:24:31.45 ID:zzdjtklY0
>>735 当時の寺社は宗教という以上に武装した荘園領主だった。
叡山も本願寺もね。
信長は従属した寺は宗派を問わず扱って宗派同士の裁定も行っていたそうな 要するに服従するか反抗するかによって扱いを変えていたわけで、別に宗教上の理由でやってたわけではない
今に至るまで古墳時代。どうしてこうなった。
日本三戒壇は奈良、太宰、上野介だからな。 やっぱ2チャネラーは近代史ばかりか古代史もしらねーんだな。
744 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:27:19.73 ID:zzdjtklY0
>>739 安曇は元は宗像の海人族だから日本列島では土着氏族だよ。
琵琶湖周辺は白村の江の戦いの後の亡命集団の方がそれ以前の帰化人より
多いんじゃないかなあ。
多いから関東に分けているし。
>>734 稲荷山古墳の獲加多支鹵大王が何者かもわからんのに?
>>738 いや、半島から日本に移った人たちもたくさんいたて話しをしたまでだよ
747 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:28:16.04 ID:dmzaagDLO
確かに信長は変わってるよなぁ 世界広しと言えど、あれほど宗論を好んでやらせる権力者もそうはいない
飛鳥以降なの? 王仁さん一行は東に行ってるぞ。 渡来人は飛鳥以前も沢山来てるし、仁徳さんにも仕えにわざわざ来てる。 結構古いんだよ。
749 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:31:27.38 ID:7hsnS1nd0
渡来人にコンプレックス持ちながら、価値観をずらしてチョンに仕立てあげ 叩く2ちゃんねらーがいる。だからいつまでも警戒する。いつまでも。緩めないぞ。覚悟しとけ。
>>1 どうでも良いけど、群馬ナンバーの車、ウィンカー出して車線変更してね
それと蛇行運転やめてね
751 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:33:04.33 ID:zzdjtklY0
>>748 任那の扱いが微妙なんだよね。
あそこら辺の倭人も「からびと」だしねえ。その扱いがね。
全てが漢人や百済人とかの倭人以外ではないんだよね。
>>737 >>748 >>745 稲荷山て何でそんな名前付いてんの?
一応言っとくけど、渡来人が居てもおかしくないってだけで、
渡来人歓迎と言ってないから。
>>744 土着ていえばそうだけど、渡来系は確かだよね
琵琶湖の安曇て土地なんか渡来系古墳で有名じゃね、全国に安曇族の土地あったり
俺は専門家じゃないから何も深く断言しないが
754 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:35:45.66 ID:L7kL9O9V0
石などを祀る文化の縄文人 →古墳作る文化の民族が日本を侵略 →仏教使って民衆統治する民族が日本を侵略 ってことで、なぜあの時代に突然日本で古墳作り始めたのか? その民族が外から来たのなら、それは朝鮮半島経由か?それとも中国大陸から直接? 古墳文化と仏教文化はまったく違うので、異なる民族が日本にもたらした風習であることは明白だが・・・
755 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:35:51.29 ID:SJkyUjLCI
現在でも珍走が群雄割拠してるからな
>>752 >関東の古墳時代は地の人の物じゃない。
>統治した人達の墓だと思う
>>751 半島の事はあんま知らんけど、
百済滅亡後やったと思うけど、高句麗に韓人は奴隷として書かれてるんよ。
差別対象。
韓人は百済か、その小さい国々じゃないかと思う。
758 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:38:52.32 ID:dmzaagDLO
いや主客が転倒してるんだよ相変わらずさ 時系列がおかしいんだ 朝鮮にも古墳があったから日本の古墳は朝鮮の渡来人が作ったとかヘンだろ 必ず不可逆が狂う 日本の古墳が朝鮮に渡った その間を往来してる半島人も居た これが貝塚なら、そうは言わないし 実際、貝塚は半島にも縄文人が日本から渡って作られたらしいし これが逆転して日本の貝塚は朝鮮式とかトンチンカンにはならんよ
759 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:39:15.88 ID:L7kL9O9V0
そういえば、神武天皇の東征で、攻めあぐねて困った時は、 八咫烏使って何とか攻略してたりするが、、、、 この八咫烏とは何か? どうも、日本にいる先住民族の中で、神武らに味方した部族らしい 日本にあまたいた先住民族からすれば、裏切り者ともいえるが、 神武からすれば功労者 先住民からは疎まれて、結局裏の世界で日本を牛耳ることに
760 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:40:03.20 ID:zzdjtklY0
>>753 安曇氏は飛鳥時代から奈良時代にかけてだったかな?宗像を放棄して東に移住
したんだよ。
だから、全国の安曇系の地名は安曇氏が後から来て付いたものが多い。
海人族ってのは交易と海産物の民(つまりアマさんだ)で、一般的な渡来人のイメー
ジでは語れないよ。
神武東征の出発点は宮崎だし、最終的に攻め滅ぼした相手は神武の同族ですよ
763 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:43:33.80 ID:L7kL9O9V0
>>721 > 古代の利根川は江戸湾に流れてたのか
え?古代??
あれって古代どころか、工事は江戸時代じゃなかったっけ?
氾濫する暴れ川だった利根川を、大工事で江戸湾に流れ込まないようにして、
ようやく江戸の開拓が進んだんじゃなかった?
>>759 カラスに比喩されるくらいだから毛むくじゃらで黒かったのだと思うよ。
そもそも毛野氏って名前が軽く風貌を小馬鹿にしているし、
大和側に馬に乗る文化が無かったから源平合戦の頃まで
坂東武士は馬に跨る野蛮人と言われたり、坂東武者は騎乗技術を誇りにしたり。
世界中の全ての文明は群馬から生まれたんだよな。
766 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:46:51.38 ID:zzdjtklY0
>>759 熊野から道案内した八咫烏の別の姿は京都の鴨川の神様でもあるよ。
出雲系氏族ね。
大和の三和山のそばとかにいたのも出雲系氏族。
相撲の神様も出雲系氏族。
裏の世界とかおどろおどろしいものではないと思うよw
祭祀系とか多いけど。
>>761 古墳に埋葬されてる人物の話じゃないの?
769 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:47:57.79 ID:dmzaagDLO
騎馬系の血脈は北陸日本海側がルートではないかと そのルートの仲介者は物部と新羅ではないだろうか? 九州と東シナ海と太平洋側は中国や東南アジアの文化圏であって これが太平洋側の関東まで一度制覇したんじゃないかな
>>762 日本書紀は色々な国のエピソードもあるし、
その当時はもう古墳時代とは違う。
エセです。
>>760 安曇族がアマさん系なのは解る
あの文化は済州島辺りの起源なのかな
一般的な渡来人のイメージとは百済系の渡来人としては語れないという事か
その辺は難しいわ
>>766 その鴨氏、本家は大和であり、京都とは別系統だと言ってます。
大体その平安少し前まで、京都山城は重要地でも何でも無い。
グンマーはその時代から全く進歩してないんだな
774 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:54:33.59 ID:zzdjtklY0
>>769 騎馬系とかはともかくね、例えば奈良時代に樺太北海道経由で靺鞨人が出羽に
来て帰化したいと申し出てきたとかあってね、交易ルートが存在してたんだわ。
難破して船を失った渤海使節を送るのに同じルートを使っている。
物部とか新羅とか想定しなくても来るんだよ。
そもそもそれらは交易の民じゃないし。
誰もグンマーを語らなくなってるではないか
776 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:55:31.01 ID:L7kL9O9V0
>>766 八咫烏は、熊野で案内する前に、広島県の呉でも案内したと日本書紀だか古事記に書かれている。
八咫烏が案内したとされるのはこの2つの場所。呉の場合、苦戦したので、八咫烏を遣わして平定
した、となっていて、呉には八咫烏山(今は三津峰山となっている)に八咫烏神社もある。
京都の鴨川だけでは、広島の呉の八咫烏のほうは説明できないと思うんだよな
で、呉のほうは、名前が示すように、中国のほろんだ呉だか韓国(高句麗=こうくり=こくり=くくり=くれ)から
やって来たらしく、遣唐使船だかを最初に作ったんだっけ?そういう技術を持って日本にやって来た
とされる。後に、戦艦大和作った地でもあるけど。
で、ここから、広島の海の鳥居で有名な宮島は近いんだが、この宮島にも烏使った神事とか、
烏にまつわる言い伝えが残っている。まあ、神武が困った時に、泣きついた先なのだから、
神武が東征する前から、こちらの地に住んでいたってことなのだろうけど
777 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:56:41.85 ID:zzdjtklY0
>>771 特にどこがというのなら江南以南だよ。
しかもかなり古く縄文時代まで遡って東北地方と沖縄などとを結んでいた。
済州島は航路の途中。
>>31 関東の中心と言ってるだけで
日本の中心とは言ってない
西日本はそもそも関東じゃない
779 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:58:35.51 ID:OMZc68pi0
>>749 過剰反応
渡来人のとの字も言ってません
780 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 06:59:05.47 ID:zzdjtklY0
>>772 だからさ、二行目とか読んでよw
大和の話でしょ。
神様って言ったのは社伝にあるからだし、あそこに社を建てた時代がどうこうじゃないよw
群馬には津波こねーもんなー 遷都するべきだな
>>767 古墳時代はまだはっきり分かってないけど、時代は大体決まってる。
だから大和に関わる統治者の墓だろうと言ったまで。
それが渡来人だとしても、驚かんと。日本人でもね。
勿論現地人であれば、自分は嬉しいけどね。
自分の考えが変わってくるから。
783 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:03:08.90 ID:L7kL9O9V0
>>776 あ、そうか思い出したわ。
広島は、京都の賀茂神社の荘園だった地域が広くあって、
それで賀茂郡ってのもあった。市町村合併でなくなったけど。
広島の酒で、賀茂鶴ってのがあるけど、これもそれ。
784 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:05:03.36 ID:zzdjtklY0
>>776 呉は基本的に江南だよ。
応神天皇の時に百済に案内させて呉に使節を送っている。
これは南朝の記録と符号する。
一部で高句麗だとか言う人いるけど、無理矢理すぎる。
そもそも高麗(こま)と高句麗のことは呼んでいたのだし。
高麗は高句麗の正式名称で支那の王朝と日本の史書にもそれが正式として記載
されている。
785 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:05:14.87 ID:dmzaagDLO
>>774 物部の翡翠勾玉が日本製と確定してるから
それらが出土してるのは物部の交易ルートと考えていいわけだし
それと引き換えに鉄を手に入れたと考えると
鉄とともに人も入ったと考える
786 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:05:57.21 ID:I1YDuHLWO
やはり発掘は行政に限る!
さきたま古墳
788 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:09:15.52 ID:yCz390nuO
789 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:09:51.61 ID:I1YDuHLWO
民間は金儲け主義だから。ていうか民間が調査なんていうたら、殴られたりするわな。 調査やない。掘削や。
>>780 あなたは苗字だけで判断してるが、昔はエセも多い。
鴨氏じゃなくとも鴨氏を名乗ったり、
事実全然違う苗字では、関係無い人らが由緒のある苗字を名乗ってたりするんだよ。
その彼らも歴史は一応古くなるんだけど、血統は全く違うんだよ。
渡来系にそういうのが多い。自分が見てる限りは。
京都鴨氏については、本物大和鴨氏が違うと言ってるんだよ。
791 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:12:25.38 ID:zzdjtklY0
>>785 翡翠はもっと古いからねえ。
縄文時代まで遡るし。
792 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:15:58.13 ID:dmzaagDLO
三種神器とか言うけど 古さから言えば 勾玉>>鉄>>鏡 王権と王格の流れみたいのがあんだろうな 群馬と埼玉の古墳はこれがわかりやすい
793 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:16:43.79 ID:zzdjtklY0
>>788 志賀島だっけ?
宗像氏と混同したか。
>>790 苗字と言っちゃう人に言われたくないなあw
土師氏とか知ってる?
>>766 は出雲系氏族としか書いていないんだけど、それらは全て鴨なのかい?
自分の思い込みだけで人をなじるんじゃないよw
>>791 クニツカミ系統(出雲)のアイテムだよね
玉のことを古代語でカシ(コシ)といって、そこのお姫さま(ヌナカワヒメ)と結婚した
越(コシ)の国では硬玉(翡翠)が産出されたが
国譲りの際に、秘匿されたという…
795 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:19:10.42 ID:yCz390nuO
群馬県の名前の由来で検索すると 朝鮮人が多く住んでたかららしいね
798 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:21:14.79 ID:zzdjtklY0
799 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:22:12.97 ID:1MqW70r10
昔の関東は今の常磐線のラインが海で房総は島 中部や西日本との交易の入口は群馬だからね ちなみに日本で最も古い4つの石碑は 山之上碑・多胡碑・金井沢碑が群馬、那須国造碑が栃木
>>790 だから血統が違うならば、出雲系か分からんでしょ。
苗字は分かりやすく書いたんだよ。
あれ? グンマーって今でも縄文時代の生活してると聞いたが?
>>794 そのルートでか長野県には出雲系の影響濃いよなあ
諏訪大社とかもそうだっけ
803 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:27:58.41 ID:zzdjtklY0
>>800 土師氏の祖の野見宿禰を知らんのか?
相撲の神様の野見宿禰。
あと、古代スレで「苗字は分かりやすく書いたんだよ」はバカにされるだけ。
俺のレスを全部見た上でそう言ってるんだな?
>>796 俺の知ってる人で高麗って苗字がいるけど高麗人と朝鮮人は遺伝子レベルで別人種だよ
>>805 グンマーにもいるの?
埼玉の高麗神社の当主一族も高麗だよね
807 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:36:43.93 ID:bbpqotxU0
内陸のムー大陸ことグンマーさすがだな いつかはやってくれると思ってたわ
808 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:37:12.02 ID:dmzaagDLO
日本海ルートで物部さんがやって来てさ 天命とか天孫たれと勾玉を渡してさ王権を確立しながら国造りするって 黄金パターンみたいなのが 九州から近畿までにあるけど 関東の古墳からは、そのパターンじゃなくて いきなり太平洋から「鉄」で始まってる印象 まさに武力を意味するタケルからなんだ そこに物部さん系列の匂いがない
>>803 野見宿禰が何なん?
土師氏が何?
土師とつく地域は渡来人集団と聞いたけどね。
810 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:39:56.29 ID:+dchk4eNP
田胡の古碑で証明されてるからな
>>802 うんうん。
そこの範囲から出ないからおとなしくしてる (´・ω・`) ←タケミナカタ
このミナカタが、ムナカタ即ち宗像に関連があるとかないとか…
ってさっきウィキペディアで確認してたら載ってたww
関連がないような話をしていたら群馬に戻ってきた!不思議!
812 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:44:27.01 ID:+dchk4eNP
田胡じゃなくて多胡だった
>>811 戻ってきたなら仕方ない、そろそろ歴史深いグンマー県庁の写真を誰かが上げてくれるだろ
>>582 蝦夷だけでなく渡来人にすら上毛野賜姓があるんだが
815 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 07:49:37.51 ID:zzdjtklY0
>>809 誰から聞いたw
天穂日命の末裔として伝承されているぞw
姓氏録でも渡来系に分類されていないはずだが?
>>257 そう言えば高崎駅周辺のマンションに住んでるのほとんど県外出身者だよ。新幹線通勤が目的だけど
土師(はじ)の宮→わしの宮→鷲宮だから埼玉北部が中心だと思うが..
818 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:08:25.69 ID:R39Wvw5f0
青森も縄文時代は・・・
>>1 カンブリア紀は世界の中心が群馬だったと聞いたが
820 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:12:57.55 ID:27eYT6Ah0
群馬が文化の中心だったのは朝鮮人が多かったからとでも言いたいの?
そんな大昔までさかのぼらないと誇れる歴史がないのか・・・
>>815 いや、分かると思うが自分大阪だから。
堺に土師がある。
昔から言われて来た事、土地的にはそういう目だね。
土師氏自体はどうかは分からんけど、やっぱりこの方奉る神社は堺にあるね。
しかも日本最古の戎宮、えべっさん奉ってる。
大祓もあるし出雲系だね。
川がでかいから現在の都心方面は行き来しにくかったんだろうね
824 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:23:58.67 ID:eWRY/nAD0
関東に文化なんてありませんから ちょっと前まで猿しかいませんでしたしw 残念!
825 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:34:22.75 ID:eWRY/nAD0
まあ、半島や大陸か渡った人間が関東に大移動したという事実は 歴史書にのこってるから、猿以外にもいたかもしれないけどなww
826 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:35:23.97 ID:pm2W0u/V0
将門は岩井だろ 古河公方も茨城 茨城のが中心というイメージがある
>>369 人名ではなく族名だよ。渡来人系の
そんなことより、羊太夫の話を道徳の時間に聞いた時、羊太夫とお付きの家来の足早い奴(名前忘れた)はガチホモだと、クラス中で騒いだ懐かしい思い出
>>824 人間はいたのだから当然文化はあったはず
アイヌと同じく文字を持たなかったので大和朝廷に
統一される以前の事が全く分からない
829 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:39:33.90 ID:zzdjtklY0
>>822 土師氏を渡来系とか言っている人達の話見ると「思う」しかないんだよ。
その「思う」にも根拠がなく印象。
学部生の卒論にもならんレベル。
記録上は出雲の野見宿禰を垂仁天皇が出雲から相撲を取らせる為に呼び寄
せたとある。
相撲で当麻氏の人間を倒しているから、当麻氏の本拠の二上山周辺に代わり
に入った事が考えられ、そこを通る竹内街道の大阪側に土師氏の拠点がある
のは偶然ではなかろう。
東京都を造ったのは長州人なんだよな つい150年ほど前の話だ
831 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:44:08.36 ID:TSouxkSkO
将門公は石井! 岩井は後の当て字の地名だバカモノ! 岩はチョンの通名で昔は磐と石しか無かった!
832 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:44:57.18 ID:yCz390nuO
>>830 やばいな、権力を鷲掴みにした安倍が何をやりでかすやら
833 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:45:07.47 ID:etPmT9w90
どうしてトンキンは田舎者叩きするのだろうねw
大川隆法は、仏陀の生まれ変わりと知っていましたか 1、 今知った 2、 知っていた 3、 今知ったが、知りたくなかった 4、 今知ったが、面白いからみんなにも教えてあげたい
835 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 08:49:57.03 ID:fi93uhQW0
面白いスレができたと思ってチェックしておいたのを楽しみに開いたのだが +ってトンデモ論を本気にして何十レスと重ねる奴が多過ぎてスレを読むに値しないなw
>>615 葱と蒟蒻下ネタねーさん
と
余の尻洗う志麻姐さん
は、どちらがメジャーですか?
>>823 川や湖だけでなく、沼や湿地が多く、武蔵の低地や下総なんて人が住むには大変なとこだった。
本格的に埋め立てられて住みやすくなったのは江戸時代からだな。
>>369 >>827 残念ながら中世の神道集の時点で羊太夫というのは単に凄く足が早い人でしかない。
西上野の国人小幡氏が秀吉の小田原征伐で滅ぼされてから
小幡氏の祖として、小幡氏の滅亡に重ねる形で作られたのが羊太夫伝説。
古代史を反映したものではない。
>> 829 アホとちゃうの? 土師、いわゆる古墳系はかつて日本に無かった物で、 渡来と考えてもおかしくないだろう? 土師の地域は昔から言われてたのは事実なんだよ。 後この件については兎も角、あんた日本史好きの癖に日本書紀鵜呑みにしない方が良いよ。 自分らは歴史に触れ関わって来たから色々追求するけど、 偽造や嘘、ジャイアン思考で乗っ取りは一杯あるよ。あの時代は分からんか? 野見宿禰はえべっさん主神の神社に祀られてるから、出雲との関わりは間違いないだろう。 まぁえべっさんは本来大和の神とも言われてるみたいだけど。 で、この土師氏にやたら拘るが、何でなんよ?
841 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:11:35.32 ID:zzdjtklY0
>>839 >自分らは歴史に触れ関わって来たから色々追求するけど
誰だったかな。
江戸時代の研究者が奈良で地元の伝承を聞いたら記紀などに書かれている
のと変わらずがっかりしたという話があるw
>土師、いわゆる古墳系はかつて日本に無かった物で、
>渡来と考えてもおかしくないだろう?
そのまんまの意見を見たよw
中身ねえなあって思ったw
印象でしかないw
>日本史好きの癖に日本書紀鵜呑みにしない方が良いよ。
お前も古墳系がどうとか言っているのは記紀などに書かれている土師氏の伝承
を鵜呑みにしているからだろw
>で、この土師氏にやたら拘るが、何でなんよ?
出雲系氏族の話をしていただけだが?w
842 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:19:16.69 ID:DLEwKSxT0
日本有数の観光地、日光・軽井沢・苗場を持ち、古来は関東文化の中心地。 名物・焼きまんじゅうは日本国民すべての知るところ。 なんと誇らしい事か、我が群馬は!
スレタイとイベントの趣旨に間違いはないな 東毛地区だと盛り上がってるところは大抵古墳 高度成長期に宅地にするのにこっそり潰しまくった
>>841 お前なに感想書いてんの?
お前こそ中身無いやん。
しっかり何が言いたかったのか書けよ。
こっちに何度も『土師氏って知ってるか?』と言っといてw
古墳自体は日本の物だと思ってるよ。
土師職人については分からん。
馬とかも含めてまだまだ疑問もあるやん。
845 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:27:42.78 ID:zzdjtklY0
>>839 >あんた日本史好きの癖に日本書紀鵜呑みにしない方が良いよ
俺はね、大学のゼミで「書かれているものを鵜呑みにするな、1000年の間に
間違って伝承しているかもしれない」「東大の人間の仕事でも信用するな、見
落としがあるかもしれない」と徹底的に叩き込まれたんだよw
だから「学部生の卒論にもならんレベル」がわかるんだよw
846 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:29:55.47 ID:zzdjtklY0
>>844 初期の埴輪が吉備式なのは初歩の知識だな。
朝鮮半島の古墳は日本より年代が新しい物しか無いよ。
848 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:37:01.07 ID:ETw2/1rS0
北関東はブランド力がないから、どこも必死だな
849 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:37:05.33 ID:NBo5mJYL0
初期の埴輪が何を指すのか良く解らないけど、土偶は明らかに 南方系土着系の様式だね。
850 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:37:28.78 ID:zzdjtklY0
>>844 >こっちに何度も『土師氏って知ってるか?』と言っといてw
766 名前: 名無しさん@13周年 投稿日: 2013/11/24(日) 06:46:51.38 ID:zzdjtklY0
>>759 熊野から道案内した八咫烏の別の姿は京都の鴨川の神様でもあるよ。
出雲系氏族ね。
大和の三和山のそばとかにいたのも出雲系氏族。
相撲の神様も出雲系氏族。
裏の世界とかおどろおどろしいものではないと思うよw
祭祀系とか多いけど。
772 名前: 名無しさん@13周年 [sage] 投稿日: 2013/11/24(日) 06:52:51.96 ID:aaNOvYgH0
>>766 その鴨氏、本家は大和であり、京都とは別系統だと言ってます。
大体その平安少し前まで、京都山城は重要地でも何でも無い。
>しっかり何が言いたかったのか書けよ。
>>766 へのレスで
>>772 はないよwバカだよw
本家だ別系統だ関係ねえw
それと、本家なら対は分家だな。別系統だと意味が変わる。
弥生初期の古墳は、同時代の中国の古墳と構造が似ている。
渡来系の氏族が岡山で地元民に返り討ちに有った話は知ってる。 桃太郎の話。
853 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:41:36.27 ID:zzdjtklY0
>>849 箸墓古墳などの初期古墳で使われている埴輪の系統。
吉備の古墳の系統と同じ。
>土偶は明らかに南方系土着系の様式だね。
土偶などのように土や石を加工して祭祀に使うのは縄文時代からあるね。
古墳時代に急にあわられたわけではない。
>>845 それで?
それなら色々と面白い説書いて下さいよ。
>>846 吉備なの?
うーん、吉備はちょっとあやしいなぁ。
隣の兵庫で縄文人追われて殺されてるしね。
播磨か吉備かしらんけど。
855 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:43:48.41 ID:zzdjtklY0
>>851 考古学の分類上、弥生時代の墳墓は古墳とは言わない。
あんた本物?
千葉の馬来田国造と須恵国造 中心部はここ
>>850 分家じゃないよ。
お前は信者なのかよ。
おもっきり感情論やん。
またまたご冗談を
千葉は気候は穏やかだけども川や湖などの水源が少ないからどうかね?
860 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:49:16.80 ID:zzdjtklY0
>>854 面白い?
「史学には世間で言われるロマンなんてものはない。ただ地味で地道な作業があるだけだ」
「ロマンを求めているのなら今なら間に合うから科を変えなさい」
これも師匠の言葉だったな。
勘違いするなよ。
ひとつの論文を書くために数十の論文を書けるほどの考察をするんだよ。
>>852 それ百済説あるけど、新羅じゃないかと思う。
桃太郎は朝廷から派遣された。
吉備さんは新羅と一緒に謀反しようとしてたしね。
>>854 吉備は渡来系氏族を返り討ちにしてるんだって。
それが桃太郎の話。
動物を味方につけて返り討ち。
山の民の好きな思想ですな。
土偶も良く見ると神聖視していたフクロウをかたどってたりする。
863 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:52:07.75 ID:xAL61gD8O
住みやすいところではあったんだろうとは思う 関東平野の端で山もあり水は豊富でそこそこ温暖な気候 土地を造成すると土器のかけらがたんまり出てきたから住居はたくさんあったと思われる
864 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:53:15.72 ID:VlAx8C/e0
. ID:zzdjtklY0[46/46] すごいな、おまい 朝の4時半から延々とレス付けてさ レスの付け方からすると9時代に朝飯食ったようだねw .
865 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:53:35.94 ID:zzdjtklY0
>>857 言葉は正しくつかってね!て話だボケw
別系統ってのは本家とか関係ないわw
それに信者ってなんだよw
>いや、分かると思うが自分大阪だから。
知るかボケw
いわゆるアスペかw
鴨さんから聞いたとかの話だけで分かると本気で思ったんかいw
>>863 海の傍だから魚と貝が取れたのは間違いないね。
水は豊富とは思わないな〜。
群馬が当時そこそこ発展していたことは事実だが、関東文化の中心とは言い過ぎだろう?
>>859 この頃は黒潮に乗って船でやってきた
大和朝廷の影響が千葉の南部から広がっていく
このあと大和朝廷の軍がこの地域で編成される
補給物資はほぼこの地域から送られている
869 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:55:45.21 ID:zzdjtklY0
>>864 3人くらいおかしいの相手にしてたらそんなになったかw
群馬〜秩父〜多摩〜相模〜東京南部・神奈川と連なる勢力と 利根川を挟んで海側北側の勢力に分かれてたのは知ってる。
871 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:57:03.90 ID:SFuS3LbbO
このスレを「埼玉」で検索して安心した。 群馬どうした?チョン?
872 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:57:27.90 ID:VlAx8C/e0
>>869 ここ1時間くらいのレスが荒れてきてるから
少し餅ついた方が良いと思うよ (´・ω・`)
上毛野国から上野国に変わったのは 支配者が意図的に「毛」を抜いたのかな? 詳しい人おしえて
875 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:58:44.43 ID:DvUdOO6z0
>>859 千葉は海があるじゃん。だから縄文時代の遺跡たくさん。
あと、大きな川はないけど養老川レベルの川は結構あるから、古墳も多いよ。
876 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:59:05.11 ID:vDFlWfi3O
群馬は崇神天皇の子供が天下ってるからな 実際現地入りしたのはやしゃごらしいが つまり群馬(毛野)は天皇家の治める土地だったわけだ
877 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 09:59:40.56 ID:zzdjtklY0
>>872 すまない。
このスレはここで引っ込むよ。
みんな悪かった。
多分、後の北条氏とライバルの里見氏(千葉)に繋がっていくんだと思う。
879 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:04:39.85 ID:7BIvjY9J0
>>865 >本家だ別系統だ関係ねえw
これなんですか?
歴史好きがこんなんで良いんですか?
説明も反論もせず、これでは話になりません。
881 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:07:39.93 ID:7BIvjY9J0
79 名無しのひみつ [] 2013/11/14(木) 13:36:01.86 ID:UpqxbQq/ Be:
>>78 武家政権の担い手(源氏を代表とする賜姓皇族)のY染色体のDNAは判明している
D2a1b
795 :名無しさん@お腹いっぱい。:2013/08/18(日) 19:42:47.73 ID:CRSQkF+2
Mizuno et al. 2008
16 Y chromosomal STR haplotypes in Japanese
サンプル総数1079
並び順:YHRD Standard
DYS19 DYS389I DYS389II DYS390 DYS391 DYS392 DYS393 DYS385 DYS438 DYS439 DYS437 DYS448 DYS456 DYS458 DYS635 YGATAH4
D2a1b
最頻値 17 14 31 25 10 11 13 13,17 10 12 14 19 15 15 21 11 個数27 推定150万人
1つ違いまで 個数75 推定417万人
2つ違いまで 個数131 推定728万人
3つ違いまで 個数161 推定895万人
O2b1
最頻値 15 14 30 22 10 13 13 10,20 13 12 14 18 15 17 20 12 個数9 推定50万人
1つ違いまで 個数46 推定256万人
2つ違いまで 個数102 推定567万人
3つ違いまで 個数168 推定934万人
1つ違い15世代500年見当。
中世以降D2a1bの特定家系が突出して増加している。
源氏を代表とする賜姓皇族しか候補はない。
O2b1は古代に増加したが、中世以降は分散傾向。
>>838 碑文の内容から、羊という豪族は実在したはず
小幡とは関係無いかもしれないけど
883 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:13:11.38 ID:7BIvjY9J0
群馬 人口200万 200×1/2×4/73 清和源氏の子孫5.5万人 兵庫 人口580万 580×1/2×3/74 清和源氏の子孫11.8万人 水野論文は有料だが、データはYHRDにアップされてるよ。 D2a1b modal: 4 of 73 Gunma 新田荘のあるとこ 3 of 97 Tokyo 3 of 95 Aomori 3 of 74 Hyogo 清和源氏の発祥地 2 of 78 Wakayama 2 of 37 Chiba 2 of 144 Shizuoka 1 of 148 Okinawa 1 of 50 Hokkaido 1 of 42 Yamanashi 1 of 103 Ehime 1 of 76 Okayama 1 of 60 Nagasaki 1 of 45 Mie 1 of 30 Nara O2b1 modal: 2 of 95 Aomori 1 of 144 Shizuoka 1 of 37 Chiba 1 of 53 Yamaguchi 1 of 42 Toyama 1 of 74 Hyogo 1 of 148 Okinawa 1 of 45 Mie
884 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:13:29.80 ID:7GiJXaso0
群馬ねえ 神社の酒折宮は山梨県にある 関東含んで中部地方の古代〜平安時代にかけての中心地域は もうちょい西よりだろう
>>873 徳川幕府から「全国的に二文字にしろ」というお達しがあった時、下毛野と区別するために「上」は外せないから「毛」と「野」でイメージの悪い方をスポイル
>>884 山と丘の民だよね、明らかに。
西日本の仏教信仰の強さとは、明らかに別物な
土着的な神を感じる所は正直有るんだよね。
白蛇、フクロウ、山岳信仰(山の横なのが誇らしいから横山、とか)
部落差別の無さ(狩猟で動物性たんぱく質を得るのが当たり前だから)。
887 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:33:05.23 ID:001zJUoY0
>>885 和銅6年(713年)の諸国郡郷名著好字令(好字二字令)じゃないの?
889 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:42:27.10 ID:NaAht/ghi
遅くても、下野薬師寺ができた奈良時代には中心とは言えなくなってたと思う。
890 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:43:41.01 ID:GnczpeDXO
>>881 これマジですか?本当に?
天皇て、いつの陛下?
源氏良かった。平氏は?
熊襲はCなのか。
>>886 大和は元々山信仰ですよ。
大物主は蛇神だと言われてますが、
いつ頃か、日本では蛇神のランクを最低にしたんですよ。
仏教が入っただけではなく、何かしらあったと思います。
>>373 古墳の数や石碑の古さは半端ない。
教科書に載るようなものは皆無。
>>891 西洋もドルイド文化の蛇信仰をメデューサとして懲罰したよね。
何が有ったんだろう、本当。
縄文時代の縄の文様は蛇を模ってるし、ゾロアスター教源流の
古代宗教は蛇を神と崇めているのに。
894 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:52:02.51 ID:7BIvjY9J0
895 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:56:13.01 ID:001zJUoY0
>>894 あー、俺の先祖も西の武家から江戸時代に関東入りして、300年の間に転勤少なくとも3回してるわ。
>>879 という事で日本では渡来系と言っても今の中韓人とは別なんだな
似たような系統は今はチベットやブータンあたりに残る
898 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:58:13.59 ID:7BIvjY9J0
>>891 中世以降の天皇も桓武平氏も清和源氏以外の源氏もD2a1b
中世以前の天皇もおそらくD2a1b
日本人男性 父系 Haplo 構成 推定
http://yayul.egloos.com/2925320 >下で私が作ったグラフのY-STRのデータの出所は、1)www。 yhrd.org上に収集された日本各地のY-STR資料2)Kim wook 2010
><High frequencies of Y-chromosome haplogroup O2b-SRY465 lineages in Korea>に出てきた日本人のY-STRのデータ、
>3)Mizuno 2008 <16 Y chromosomal STR haplotypes in Japanese> 4)Kumagai 2007 <Haplotype analysis of 17
>Y-STR loci in a Japanese population>で、総サンプル数は1,734個である。
>日本のD2シリーズの中ではD2a1b(JST0022457)が主流であり、後述するが、
>日本でD2a1bの拡大は、決して、旧石器時代や新石器時代の発生した事件ではなく、
>歴史時代以降、それも1000年以内に最近起こった社会的選択( Social selection)の結果でなければならならない。
>Shogun modalと命名したD2a1bに属するY-STRモーダルタイプは、おそらく私がここで初めて提供することではないかと思う。
>これは、その中に鎌倉幕府を開いた源氏や、室町幕府の足利家、江戸幕府のコ川家などがすべて、
>天皇家を源流とする源氏から由来すると主張したため、その実体について、しっかりと把握していなかったからだと思う。
>Shogun modalに属するY-STRハプロタイプは、1718個のサンプルのうち、日本全域に分布した32個のサンプルが17個Y-STR loci値が完全に一致して、
>残りの40個のサンプルも比較的変化利率が高いDYS439、 DYS456、DYS458、DYS389II、DYS385bなど1、-1程度の変化が発生しただけで
>基本的に同じモーダルタイプに属することは疑いの余地がない。
899 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 10:59:00.52 ID:JMU/DzB60
グンマーに超古代文明があったりしたら胸がときめかね?
同じグループはあとは台湾か。 昔は台湾だけでなく朝鮮半島にも居たけど日本に移動しちゃったんだよね。
日本人は昔から山の中に変な建物建てるの好きだからな。 竹田城とか。
古墳〜平安時代の文化の中心か その文化が今でもそのまま続いているんだよな群馬は すげーよ群馬!
あくまで関東の西の方でわってだけで、源も北条をバックに付けたは好いけど、 北条と北の栃木から東の足利が手を組んだら今度は足利の天下になったしな。
904 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 11:16:33.70 ID:ci9kB1+U0
群馬じゃそこそこの文明築いてる時、トンキンじゃウホウホ、ヤリ持って動物追いかけてたわけかw
埴輪作らされてただけだろwwwww
江戸時代になって治水されるまで 荒川と利根川が氾濫して 下流域は人の住めない沼地だったからな 秀吉が家康に国替えを命じてなければ 今でもそんな感じだろう
そうは言っても必須栄養素である動物性たんぱく質を取得しないと 人間は生きていけない筈なんだけどもね。 さも殺生を禁じて、動物性たんぱく質を取得してこなかった様な言い分は、科学的に 考えれば、嘘が有る。
908 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 11:26:55.01 ID:fi93uhQW0
>>908 魚でたんぱく質(必須アミノ酸)が取れるのは鯨、シャケやマグロなどの一部の魚に限られる。
シャケは北国の冷水域の魚、マグロは遠洋の回遊魚。
北国でなければ鯨取って取得するしかないし、クジラ漁がどれほどの物だったか…?
>>743 奈良の東大寺
筑紫大宰府の観世音寺
下野国の薬師寺
じゃあなかったかな
912 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 11:37:55.70 ID:ZChQ/AVV0
古墳〜平安の頃 関東に文化なんてものが無いだろ
羊は古代においてはかなり大きい勢力だろ 和同開珎とか、七輿山古墳近くの日野とか鉱山支配で中央にかなり顔が利いてた それで300戸も貰えてんだから 多胡碑無視はねーよな
914 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 11:39:00.68 ID:4r7ADlNhi
グンマーを日本の新首都にってことか
915 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 11:42:01.37 ID:9ks26F6yO
だからどうしろと
917 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 11:48:51.53 ID:ZChQ/AVV0
武蔵国造の乱で群馬を後盾にした埼玉は、朝廷を後盾にした田園調布に敗れた それ以来群馬は急速に衰えた
>>908 鎌倉幕府が仏教思想を先鋭化して殺生をしないように通達を出して事実上の狩りの禁止、
イコール肉食の禁止を進めたのが始め。しかし四つ足以外、鳥や兎なんかはしらばっくれてたし、
鹿などの食用にも抜け道が用意されていたのでわりと平気で食っていた。
動物を食べちゃ駄目ってガチッと禁止されたのは江戸時代の間だけ。
しかし抜け道は相変わらず維持されていてそれなりに食った。ただ狩りが少ないから値段が高くなるので、
滅多に食べられなくなって疎遠になって庶民は次第に四つ足食から遠ざかっていった。
鳥肉は遙か昔から食ってるし、日本で養豚が始まったのは大和朝廷の時代から。
肉牛の肥育が始まったのは安土桃山時代。これらは江戸時代の間もずっと続いていた。
920 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 11:56:10.61 ID:yCz390nuO
鹿島の神様を無視してる
「自分とこが中心であったことを周知する」って発想自体が妙にチョン臭いんだけど
>>916 貝や海藻を取るのは女の仕事だったらしい。
923 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 11:59:31.83 ID:ws/q6P/y0
その頃、栃木県
本当なのかどうなのか知らんが、こういうのを妙にがんばっちゃうところに たまらないくらいのド田舎臭さを感じてしまう
グンマーから貝塚が沢山見つかるとかスゲー話だな
926 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:02:58.82 ID:dmzaagDLO
まぁな、翡翠が日本と半島南部からよく発掘された だから半島南部も日本の勢力圏だった これが半島南部が日本を治めてた変換されるわけだから どうしてもこの思考パターンは拭えないんだよな
927 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:05:09.30 ID:+Var4Ir40
古墳の大きさとかみると5世紀くらいには毛野国マンセーで、 その後6世紀くらいには埼玉古墳群のほうが大きいの出てきてる 東山道から入った大和朝廷の前線が南下したからではないか
古墳時代は上野と下野分かれてないから群馬が中心はおかしいだろ
930 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:12:33.51 ID:fs1gtUbw0
>>912 数万年前から日本列島のほぼ全域に人間が住んでいたのだから、
日本のどこでもちゃんと文化はあるんだよ。
>>240 けどさ、なんでこんなに大和朝廷て無双だったのだろうな
武器の違いかいな。鉄器刀と青銅製刀の違いみたいに。
932 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:13:00.25 ID:YfMS5HEHO
まあ、毛の国だからな。 出雲や北陸、越の国を中心とした日本海流通文化圏の頃は、太平洋側より越の国に近い毛の国のが栄えていたんじゃないか?
933 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:14:02.12 ID:ZChQ/AVV0
>>929 上毛野は上野(群馬)、下毛野は下野(栃木)
>>931 戦いにおいては両方とも鉄器を使ってた事例がある。
しかし中央勢力は鍛鉄製で、地方勢力は鋳鉄製だった。
この差で勝敗が決している。
もちろん武器の強さだけでなく、人口や知識・生産力などの優劣といろいろ差があったろう。
「敵国」ってのは蝦夷だな。毛野は対蝦夷戦の前線基地だったからな。 東山道も蝦夷戦のために造られた
936 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:19:03.08 ID:xuxSySFtO
奈良時代、奈良と言う言葉自体が韓国語からきてると言う説がある
>>932 自分もそういうイメージだな。太平洋側の平野部の大部分は当時の土地改良技術では手に負えない
暴れ川の氾濫域や湿地帯で、条件の良い台地の端とかを中心に小規模な国が点在していたって感じか。
938 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:19:37.05 ID:dmzaagDLO
ヤマトタケルは東征と西征を両方やってるけど この二つは別人というか 別勢力だよな
939 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:23:08.94 ID:yYqbkkix0
>>932 オヅラ「そ、そんな国があったなんて!!」
940 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:24:39.67 ID:seSdZBtS0
群馬のチョン化
>>934 > しかし中央勢力は鍛鉄製で、地方勢力は鋳鉄製だった。
鋳鉄製では勝負にならないな。
俺はハンマーで鋳鉄の部品を叩いたら割れて目がテンになったからなw
>>887 あ、ゴメンそっちです
徳川は、〜州の方ですね
テレビ東京「新説日本ミステリー」では、古墳時代に大和朝廷に匹敵する「埼玉日本王国」 という国が存在したと言っていたが・・・
944 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:34:07.21 ID:6akOxRp50
945 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:35:03.16 ID:fi93uhQW0
>>919 そういう話じゃないだろ
殺生戒が厳密に守られてたか否かというのと
日本人が全員定期的に肉食して必須アミノ酸を充足させてたというのとは全く違う論点なんだがw
ちゃんと埼玉様の許可は得たんだろうな(恐喝)
947 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:36:31.47 ID:ZChQ/AVV0
>>931 仁徳天皇の時代に河内潟の干拓事業に成功して水田面積が増大したのも大きい
枚方から大阪市の旭区までの巨大堤防や現在の旧淀川なども作って
難波の岬を取り囲むように巨大な大阪平野が出来、
それまで吉備などの地方勢力と肩を並べる程度の勢力だったのが
圧倒的になった
>>943 ねーよ
埼玉の古墳は比較的新しいんだよ
>>934 、931
自分も、治水や農業土木技術の格差がそのまま土地の生産力の差になり、
動員兵力や装備、練度の差になっていたんだと思う。
単純に武器の質で競り勝ったというよりも、総合的な国力の差が使用する
武具の差に顕在化したという見方の方が実体に近いんだろうね。
950 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:41:43.35 ID:yCz390nuO
>>943 あったかも知れないね、でも大和朝廷に滅ぼされたのだろう… 東北のアテルイみたいに
>>949 >総合的な国力の差が使用する武具の差に顕在化した
その通りだと思うよ。アメリカVSアフガンみたいなもんだ。
真っ向勝負すれば瞬殺される。この技術力の差は端的に言えば、
大陸(半島)に基盤を持っていたかどうかの差だと思うけどね。
大阪市平野区 長原古墳群長原遺跡 鉄器工房(5世紀初頭)
953 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:51:51.19 ID:6akOxRp50
>>897 ??
D2は数万年レベルで日本にあるでしょ?
D2a1bはD2が変異したものでしょ。
D2a1bが増えたのがここ1000年ぐらいだからってD2a1bが渡来系とはならないでしょ。
954 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 12:52:19.66 ID:dmzaagDLO
実際、戦争したんかな? タケルって称号を貰っただけじゃないだろうか そもそもタケルて名前もクマソから頂いたものだしな 草薙剣も東征の途中で草刈りしたから 天叢雲剣から草薙剣にバージョンアップ これも借り物だ
>>932 古墳時代の初期に関東に進出したのはS字甕の文化を持つ太平洋側の伊勢湾沿岸の勢力。
陸路から上毛野、海路から房総、常陸に入った。
だから関東の巨大古墳は群馬、千葉、茨城の順に多い。
956 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:01:22.92 ID:F/zVtX6c0
>>950 毛の国を統率する王がいたらわからんけど
当時は少人数単位の豪族が散在してて
中央政府の大勢力がおしよせて、
地方の統治は任せるから大和朝廷の支配下になれって
いわれたら実害がないか少ないならそれにしたがって
大和の傘下にくだったんじゃないの?
957 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:03:38.69 ID:6akOxRp50
反乱したやつなんてたくさん居るのになんでアテルイだけ特別視するのか?
はい、栃木負けた
>>951 >大陸(半島)に基盤を持っていたかどうかの差だと思うけどね。
他の地方勢力が中央への帰順に際して神話を含めた独自文化をすっかり上書きされているのに対し、
出雲系が破格の扱いで体制内に迎え入れられたのも、そのあたりが大きいよね。無論、日本海沿いに
展開した侮りがたい一大勢力ではあったのだけど。
961 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:05:02.29 ID:k7/gzIaj0
常総内海age
>>952 >>918 は何?
長原遺跡は石器時代から続く縄文集落。
少なくとも弥生時代も縄文人。
ここは色々と国に関わってるんよね。
新しい仕事を始めたのか、乗っ取りか。
安倍総理は前九年の役で 朝廷と戦った安倍貞任の末裔って言ってるよな
なんか新発見が出てくれば面白いけどなー
965 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:12:37.69 ID:nMc7sc+c0
>>957 なまじ言葉が通じちゃったから
「名を名のれ!」
「阿弖流為だ!」
「名を名のれ!」
「◎>☆#♂!」
967 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:14:24.60 ID:q7S5aSQ/0
だから東日本全域が蝦夷、新羅、高句麗の混血だって教えてあげてるやん。 関西と青森が百済系。
968 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:17:30.39 ID:6akOxRp50
>>966 名前残ってるのなんてたくさんいるじゃん。
969 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:20:04.52 ID:0LkzWBi40
まぁ、そのころの日本は西日本のことですけどねwww
970 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:24:10.67 ID:CNLQHUYMO
>>967 そのような汚い血は全部埼玉県に集めてある。バカぬかすな。
結局、真偽がさだかでない者もいるけど 日本の現代の支配層には今も大和朝廷のDNAがあるんだな。 源氏とか藤原氏とかさw
972 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:27:57.87 ID:dmzaagDLO
アルコールの強い弱いでわかる 大して来てないよ連中はさ
グンマーもサイタマーも大差無いだろ
974 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:28:33.75 ID:XWU1N07KO
まあ、人類の祖先はアフリカ出身だから 群馬が発祥でもおかしくはないな
975 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:32:22.90 ID:DGm+2ydJ0
>>1 古代の関東地方は朝鮮人が移住政策で集中的に住んでいた地域
中でもグンマーは朝鮮人が特に多く移住させられた地域だからね
976 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:32:52.38 ID:EcqmeAGk0
弥生時代は、古墳時代の幕開けより、ちょっと時代が先のはずだが、東京の弥生町から出土した遺跡が名称の元になってる。 東京湾の沿岸だったわけだが、つまり、農耕の始まりは四大文明でも、海と皮に挟まれた肥沃な平野だよな。 そこで農耕と魚介類の最終生活してればいいのに、古墳時代になると、なんでわざわざ、群馬の山奥に引っ込まなきゃならんの。
977 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:34:06.40 ID:Ns2Ul8uh0
979 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:35:51.76 ID:CNLQHUYMO
移住? 密航亡命者が乞食として住み着いた。
980 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:36:16.94 ID:xrbAjpYi0
毛国か。剛毛の産地だったんだろうな。 剃毛マニアな俺は、整えてあげたい衝動に駆られるw
981 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:36:18.71 ID:7Qlko8aC0
◆◆ 在 日 特 権 ◆◆ ◆生活保護優遇(一世帯あたり年600万円が無償で支給。在日朝鮮人64万人中 46万人が無職。なお仕事を持っていても給付対象から外されることはない) ◆国民年金全額免除(掛け金無しで年金「受給」が可能) ◆保険診療内の医療費は全額タダ(通院費も全額支給) ◆都営交通無料乗車券給与。 ◆日本人名での口座可(脱税の温床) ◆上下水道基本料金免除。 ◆JRの定期券割引。 ◆NHK全額免除。 ◆特別永住資格(外国籍のまま子々孫々とも日本に永住できる) ◆公文書への通名使用可(在日隠蔽権獲得) ◆公務員就職の一般職制限撤廃。 ◆永住資格所有者の優先帰化。 ◆公営住宅への優先入居権。 ◆外国籍のまま公務員就職。 ◆犯罪防止指紋捺印廃止。 ◆朝鮮学校、韓国学校の保護者への年間数十万円の補助金援助(所得に関係なく全額補助) ◆民族学校卒業者の無審査公私高校受験資格付与。 ◆競争率の低い帰国子女枠で有利に進学可能。 ◆朝鮮大学校卒業者の司法試験1次試験免除。 ◆ 大学のセンター試験に韓国語の導入
982 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:36:41.13 ID:fs1gtUbw0
>>975 念のために言っておくけど、大和政権時代の朝鮮半島住民は現在のそれとは生物学的に
全くの別物だからね。
今の「朝鮮人」は、白頭山大噴火のどさくさで10世紀頃に満州から南下したエベンキ系の
狩猟民の末裔。
983 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:37:51.46 ID:MHjYzc2Z0
>>820 多胡郡=胡人が多い
甘楽郡=カラ郡
辛科神社=韓支那神社
984 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:38:12.40 ID:eHPkS+830
関東は色んな意味で出雲と同系だけど 出雲が関東に広まったというより 高句麗が出雲と関東に広まったというべき 出雲は古来朝鮮の飛び地
>>976 沿岸は農耕には適さないだろ。塩害とかさ。
それに洪水もある。
内陸のほうが安定度が高い。
986 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:40:44.37 ID:xrbAjpYi0
>>976 グンマーの方が土地が開けていたんじゃないのか?
武蔵野に代表されるように、深い森だったかな、当時の武蔵国は。
987 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:41:23.87 ID:fs1gtUbw0
>>984 >出雲は古来朝鮮の飛び地
自分はむしろ逆だと考えている。
朝鮮半島南部が出雲の飛び地というか、環日本海に広がった勢力圏の一つに過ぎないのだと。
988 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:41:52.54 ID:EcqmeAGk0
>>985 群馬と言ったら、かかあ殿下と空っ風と言って、寒風吹きすさぶ土地だよ。
わざわざ、関東平野を捨ててまで、人が移住する土地じゃない。
989 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:42:38.86 ID:eHPkS+830
蝦夷も高句麗系 騎馬を駆使し騎馬民族の典型的な武器である蕨手刀を使った
990 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:43:30.95 ID:EBRoMxbP0
韓国臭がするなぁ
992 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:44:05.97 ID:dmzaagDLO
だから半島フィードバック思考だろ? 翡翠でハッキリしたろ 日本から半島南部に勢力が延びたの
993 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:45:12.57 ID:CNLQHUYMO
>>976 寒冷化と、富士山の噴火によって南関東の縄文人はグンマーやトチギーに逃げて行ったんだよ。富士山の火山灰は北関東には届かなかったから。
北関東には縄文時代から大集落制があり、大集落の一員になったのだろう。
その後、古墳時代になると今度はグンマーの火山群が噴火、人々は南関東に帰って行って、昭和初期まであまり変わらない暮らしをし、現代に至る。
推古天皇9年(601年)、対馬に到った新羅の間諜迦摩多を捕えて貢上し、上野に流す。 天智天皇5年(666年)、百済人の男女2000人以上を東国に移住させる。癸亥年より3年間、官食を給賜する。 天武天皇13年(684年)、百済人の僧尼及び俗人の男女23人を武蔵国へ移す。 持統天皇元年(687年)、投化した高麗56人を、常陸国に居住させ、投化した新羅人14人を下野国に配する。 又、新羅の僧侶及び百姓の男女22人を武蔵国に移住させる。いずれも土地と食料を給付し、生活が出来るようにする。 持統天皇2年(688年)、百済の敬須徳那利を甲斐国に移す。 持統天皇3年(689年)、投化した新羅人を、下毛野に居住させる。 持統天皇4年(690年)、帰化した新羅の韓奈末許満等12人を武蔵国に居住させる。又、帰化した新羅人等を、下毛野国に居住させる。 霊亀2年(716年)、駿河・甲斐・相模・上総・下総・常陸・下野七カ国の高麗人1799人を武蔵國に移し、始めて高麗郡を立てる。 天平5年(733年)、武蔵国埼玉郡の新羅人徳師等の男女53人に請われ、金姓とする。 天平宝字2年(758年)、日本に帰化した新羅の僧32人、尼2人、男19人、女21人を武蔵国の閑地に移住させ、はじめて新羅郡を置く。 天平宝字4年(760年)、帰化した新羅人131人を武蔵国に置く。 天平宝字五年(761年)、新羅征討に備え、美濃・武蔵各国の少年20人ずつに、新羅語を習わせる。 天平神護2年(766年)、上野国の新羅人子午足ら193人が吉井連を賜姓される。 宝亀十一年(780年)、武蔵国新羅郡人の沙良・眞熊等2人が広岡造を賜姓される。 延暦8年(789年)、信濃国筑摩郡人の後部牛養が田河造を賜姓される。 延暦16年(797年)、信濃国人の前部綱麻呂が安坂姓を下賜される。 延暦18年(799年)、百済姓の甲斐国人190人、高麗姓の信濃国人12人等、朝廷に願い出て日本姓を下賜される。 弘仁11年(820年)、遠江国・駿河国に配された新羅人700人が反逆する。 天長元年(824年)、新羅人辛良金貴、賀良水白等54人を陸奥国に安置する。法により復を給し、乗田を口分田に充てる。 貞観12年(870年)、新羅人20人の内、清倍、鳥昌、南卷、安長、全連の5人を武蔵国に、 僧香嵩、沙弥傳僧、關解、元昌、卷才の5人を上総国に、潤清、果才、甘參、長焉、才長、眞平、長清、大存、倍陳、連哀の10人を陸奧国に配する。
995 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:45:42.20 ID:xrbAjpYi0
>>988 てか関東平野がまともに開発されたのは、家康が来てからじゃなかったか?
開墾するのに、ハンパネエ労力が必要だったんだろう。
痛い。 あの辺は何にもねーじゃん。壊しちまったのか? どこぞの民族みたいに。
魏志倭人伝に出てくる、邪馬台国と敵対していた狗奴国が毛野国のことかもしれない。
998 :
名無しさん@13周年 :2013/11/24(日) 13:47:11.86 ID:eHPkS+830
関東の豚肉好き これも高句麗からの伝統とみられる 高句麗には養豚、豚肉食の風習があった その他、稲作不可能な貧しい土地でも育つ蕎麦文化も高句麗系だろう 関東文化=高句麗文化
>>988 今はわw
古代は東北でも温暖地域だっただよ。
逆に西日本は今の東南アジアみたいな感じw
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