【文化】 “豊臣秀次切腹に新説” 秀吉は命じず、身の潔白訴え自ら切腹か…国学院大准教授が「太閤記」に疑義
豊臣秀吉は実子の秀頼が生まれると、甥(おい)の関白秀次が邪魔になって切腹させた−。
こんな通説に国学院大の矢部健太郎准教授(日本近世史)が疑義を呈し、「秀吉は秀次を高野山へ
追放しただけだったが、意図に反し秀次が自ら腹を切った」とする新説を打ち出した。秀次の死を
めぐっては、その背景を明確に記した史料が同時代になく、研究者も興味深い説だと評価している。(渡部裕明)
秀吉の姉の子である秀次は天正19(1591)年、実子のいない秀吉の養子となり、関白を引き継いだ。
しかし秀頼誕生から2年足らずの文禄4(1595)年7月に失脚。高野山へ追放され、同月15日、
金剛峯寺の前身である青巌寺で切腹した。
切腹に至る詳しい事情を物語る同時代の史料はないが、儒学者、小瀬甫庵(おぜほあん)が
江戸時代初期に記した太閤記は「切腹命令」という文書を掲載。文書には石田三成ら五奉行が署名し、7月13日の日付がある。
矢部准教授はこの日付について、「京都から高野山までは約130キロの距離がある。登り坂も厳しく、
歩いて3日はかかる。13日に書かれた命令書を持って高野山まで多くの兵を連れて赴き、
15日に切腹させるのは難しい」と疑念を示す。
そこでさまざまな史料にあたり、秀吉が同月12日に高野山の僧、木食応其(もくじきおうご)へあてた
書状に着目。そこには「秀次が高野山に住むにあたっては見張り番を付け、料理人や世話係などを
用意してほしい」と記されていた。「数日後には切腹させる人に、料理人が必要だろうか。秀吉は
秀次を長期間、高野山に住まわせようと考えていたと思う」
また、秀次切腹の情報を最初に朝廷へ伝えた「御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)」
文禄4年7月16日条には、「関白殿 昨十五日の四つ時に御腹切らせられ候よし申す 無実ゆえかくのこと
候のよし申すなり」とある。矢部准教授はこの「切らせられ」という記述は、秀吉が「切らせた」のではなく、
敬語の「お切りになった」と読むべきだ、と指摘。秀次は高野山での幽閉に耐えられず、身の潔白を
証明するために自らの決断で切腹したとみている。(続きはソースで)
産経新聞
http://sankei.jp.msn.com/west/west_life/news/131117/wlf13111720580036-n1.htm
2 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:03:21.87 ID:26bAS7280
マ
ジ ハ ,,ハ
デ (;゚◇゚)z
!?
3 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:04:02.72 ID:03/RwEAM0
太閤記はうそばっかりやで、ほんま
ι(´Д`υ)
5 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:08:28.17 ID:LNpTDvbb0
じゃあ子供の処刑も作り話か?
6 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:11:56.93 ID:tZml+ou+O
京都三条の瑞泉寺は異様な空気です。
7 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:13:51.32 ID:k0T/Zx6MO
真田父子も高野山送りで難儀したらしい
つまり、高野山送りは日本版シベリア送り
歴史をコリエイト
じゃあ幽霊となって現代の弁護士と協力して潔白をはらすためのドタバタ劇の物語ができるな。
10 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:15:34.53 ID:12pZctZp0
切腹の命令は、光成が偽造したんじゃないの
秀吉には失意で切腹したと言えば良いし
11 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:18:07.57 ID:XzfgFYhu0
こんなのが学者か?
畜生塚の惨事がなければ、再考の余地もあるが。
「いい加減にしろ、給料泥棒」といいたい
秀吉は秀次の取り巻きを連座で殺しまくっている以上
自害だろうが処刑だろうが秀吉は遅かれ早かれ秀次に死ぬ事を要求してたと思うが
こんなのがあるから日本の物語ってまるっきり信憑性が無いんだよな
信じ切っている奴はコリアンと同じ
14 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:25:51.56 ID:iJwS6cZS0
>儒学者、小瀬甫庵(おぜほあん)が
>江戸時代初期に記した太閤記は「切腹命令」という文書を掲載。文書には石田三成ら五奉行が署名し、7月13日の日付がある。
そうするとこれがフィクションだったわけか
ということはプリンセストヨトミも・・・・
すると、最上の姫さんとかは抗議の自決につきあわされてってこと?
武家って大変だな
17 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:30:28.50 ID:ONyRVg7GO
>1を見ると、切腹処分は確定でいつ切るかは自分で決めろ。身内の情けでその間の待遇は考慮するって感じか、身の潔白の証明というより幽閉中に自分のした罪に苛まれて精神的に追い詰められて自殺だと感じたが
この学者さんは秀次の名誉回復が大前提で推論してるように思える
18 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:35:12.98 ID:Kih37gdfO
いや、秀次の家族や跡取りとか女子供まで処刑してるんだけど。
潔白を晴らす為の切腹でも、秀吉は許さなかったと言いたいのか?
19 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:36:54.23 ID:hA/43PUtO
こいつ資料見てんのか?
連座させてんのに
20 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:38:02.15 ID:Q9ncB0Db0
まあ、秀吉ほどのクズは日本史上にいないなw
いや、裕仁がいるかw
犠牲になった駒姫ちゃんはどうなるんだよ
ふざけんな
歴史の捏造をしまくってきた日本だからな
新しい証拠が出て変わっても驚かない
23 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:42:42.28 ID:iSNC5JIA0
天下人の跡取りだったのに、寺に追放されちゃったんだから
その時点で、切腹しろと言ってるのと同じやん
秀頼って本当に秀吉の子供なん?
26 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:45:28.32 ID:OWBehLpg0
数日後には切腹させる人
今でも死刑囚の極刑前には特別食が出されたり
するみたいだが・・・
数百年後には身の潔白訴えたと言い出す人も出て来るのだろうか
27 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:46:11.72 ID:PEazM2db0
最上の姫さんとかは?
28 :
消費税増税反対:2013/11/18(月) 04:50:45.89 ID:xxOblteJO
秀次の妻妾、子供も殺されているんだが。
身の潔白を証明しようと切腹したら、一族皆殺しになるか?
ななめ読みした感じだと
切腹を命じられることを予見してフライングしたんだろ
30 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:57:17.39 ID:Smrek5aD0
どこの馬の骨とも分からん男が
成功者の叔父のコネで関白になった挙句に
名家出身の側室を何人も囲う始末
そりゃ消されるだろ
31 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 04:58:09.27 ID:2n4pBj4U0
だれだよ
同じ跡継ぎ殺しでも秀吉と家康で随分評価違うよな
秀吉は畜生塚とかの物語で残虐のイメージを作られ
家康は信長からの命令で泣く泣く我が子を斬ったという物語が作られる
徳川史観って恐いわ〜
>>30 秀次は諸大名に多額の貸付してたから、恨みを買ってたのは事実だな
利子さえ払えなくなった毛利輝元が秀吉に泣きついた事実もあるし
34 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:04:43.80 ID:jXo0A7440
諸説出るから歴史は面白い
秀頼は淀と三成の子供なのにな
江戸文化至上主義の童門冬二が,BS-TBSの番組で秀次を
高評価してたのが意外だったわ
>>28 >秀次が腹を切った青巌寺は、
>秀吉が生母の菩提(ぼだい)寺として寄進した寺院だった。
>秀吉には神聖な場所を汚されたという思いがぬぐえず、
>秀次の切腹後、その妻子を苛烈に処刑したことも、
>この怒りに基づくものだと理解できるという。
だってさ。
>>33 大和大納言秀長も金貸しやって、高利を取ったとか
39 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:12:58.19 ID:2BmaJvi90
秀次だけじゃなくて
連座で死んでるんだけどね
その辺どうなんだろう
40 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:15:33.15 ID:2BmaJvi90
41 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:16:07.76 ID:jjTujhAO0
高野山の金剛峯寺に秀次切腹の間があったよ
手を合わせた
42 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:17:44.82 ID:Kij2BMjFO
弟は優秀なのにこいつはクズ
そもそも、茶々にしか子供が作れなかった秀吉は種なし。
秀頼は秀次との不義密通の子供だったりしてww
44 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:22:47.00 ID:N7AKMHTc0
親族の少ない秀吉にとって、秀次は必要だからな。
秀頼も2歳で先は分からないし。
でも、秀次の一族まで全員だしな。
分からん。
また都合の悪い歴史をなかった事にして都合のいい歴史を捏造か
46 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:23:40.45 ID:oaFx74R6i
・竹中半兵衛、秀長の誰かが生きていれば
・秀頼に劉禅くらいの戦力(孔明、関羽張飛Jr、姜維、王平有り)
・ねねに息子がいれば
・加藤清正、浅野幸長が1615年まで生きていれば
・秀頼に劉禅くらいの謝罪力があれば
どうなってたのかね?
詳しい人、予想して。
>>20 すぐに反日在チョンとわかるレスだな
南トンスルランドに帰れ!
48 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:24:56.65 ID:rSfk1pfAO
>>6 俺はいつもあそこに吸い寄せられるように入ってしまう。
実は家康も影武者と入れ替わったらしいな
秀次は家康と通じてたんじゃね?
家康への牽制に秀次を高野山に入れてたけど、家康が証拠隠滅で服部半蔵に命じて秀次を自害に見せかけて暗殺した。
それを秀吉は家康と秀次は通じていた証と見て連座で処刑とか。
亀田はいつ腹切るの?
52 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:28:04.31 ID:dhXWXmq00
53 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:29:35.69 ID:4eHmr3Yc0
まぁ「太閤記」は、ファンタジーだよな?
抗議の切腹
他にもたくさんあるんだろうな?
切腹が抗議になるというバックグラウンドがないと意味無いじゃん。
>>登り坂も厳しく、歩いて3日はかかる。
馬だろ。JK
>>37 秀次自身の婆ちゃんじゃん。
秀次が死んだ後に、妻妾子女を皆殺しにしてる時点で正気じゃないだろ
当時の秀吉が合理的な判断をすると仮定する方がおかしいと思うが。
最初は高野山で生活させる気だったとしても、朝令暮改でやっぱり殺せって言っただけかもしれんし。
高野山に秀次を取り逃がすなという先触れの早馬走ったら二日で行けね?
それを知った秀次は不名誉な処刑より自刃を選んだ。
それを知った秀吉は激昂して連座で処刑。
料理人とかって、秀吉って気分屋で朝令暮改当たり前だったから気が変わってとか良くある話。
57 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:35:40.47 ID:FCzDcbKI0
俺も朝令暮改する。
秀次は秀吉恨んでいても不思議じゃないよな。
あっちゃこっちゃに人質に出された挙句に呼び戻されて仕事押し付けられ……
59 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:52:39.70 ID:QsfRKHPO0
まぁ徳川期に作られた話はなんにしても怪しい
信長に命じられて家康の嫡男が殺されたってのもどうだか怪しいもんだ
61 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:57:35.25 ID:VqCoIqJk0
勝手に切腹したから
秀吉激怒で女子供虐殺したってことか
62 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 05:59:06.53 ID:YyVwkiRe0
秀頼はアカの他人の淀とどこぞの間男の子供なわけで
豊臣家とは一切無関係の血筋なので
秀次の家系を継承者にすべきだったね。
セックスモンキーだったのに子供できないんだから生理学的に種なしだろ秀吉は。
豊臣家が滅んだのは自業自得だな。
織田信長は謀反を一切想定しなかったアホで自業自得。
最精鋭の親衛隊1000人で本能寺を警備させときゃ逃げられただろうにw
信長はガキが多かったのは利点だったがなー。明智光秀さえいなければw
秀吉は種なしを自覚して秀次系統を優先しとけばよかった。
あと朝鮮なんかに手を出したのがマヌケ。
「種有りの秀次家系を温存+朝鮮出兵しないで金貯めて西国大名に恩を売る+家康をぶっ殺す」
で豊臣家は盤石だったw
家康は凡ミスを拾った凡将なだけ。京都大阪無視して江戸に行ったのはポイントが高すぎたな。
>歩いて3日はかかる
麓まで馬に乗ってったんちゃうん?
64 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:01:18.74 ID:YyVwkiRe0
秀吉って何でこんなにアホなのか分からん。
途中まではポイント高かったのにねー。
淀ってクソ女のせいだな。女のことを悪くいうのは脚色なのが多いが
淀はゴミだった。
信長暗殺の黒幕説はどうなの
横山秀吉ですらハッタリで俺が黒幕だし言ってるけど
66 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:03:55.50 ID:ve59aBXUO
秀吉を悪人かのように捏造して誇張して描いてるのは関東メディアだけ
あと
>敬語の「お切りになった」と読むべきだ
そう読むことと、秀吉が切腹を命じたことは矛盾しないのだが。
69 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:09:24.42 ID:VqCoIqJk0
秀吉の後半はアホで淀はマザコン母のゴミ
これは証明された歴史的事実じゃん
70 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:19:44.49 ID:MxJh07/q0
許さずに追放してる時点でな・・・
じゃあ連座になった女子供はなんなの
>>62 隆慶一郎さんだったかな?
作品内で『秀吉の朝鮮出兵は
日本がある程度平和になって
領土や恩賞、人事に、不満があり鬱憤たまった大名達を
体よく追い払う&
とりあえず夢を見させてあげる&
万一征服できたら御の字
位の意図があってやらせた説』
を述べてたのは。
当時はヨーロッパ勢が植民地拡大に勤しんでた時期だし
秀吉一人を馬鹿と見るのは早計では?
秀頼は実子じゃなくね?は自分も思うw
73 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:22:45.29 ID:/zOF9dUD0
今の歴史は豊臣滅亡後に徳川が作った歴史だから、
色々と怪しい面があるのは仕方ない
歴史は勝者によって書き換えられる
日本だって戦争に負けたから、世界の歴史では南京で3000万虐殺した侵略者になってるし
>>71 >>1の説では秀次が秀吉の母の菩提寺で切腹したから、
神聖な場を汚された怒りから秀次一族の処刑を命じたって説明になってる。
個人的にはかなり無理あると思うけど。
75 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:25:22.75 ID:VqCoIqJk0
そら主君の意思に反して勝手に切腹したら
反乱と同じ意味だろう
76 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:27:33.30 ID:chTbNpAk0
>>1 じゃあ何で三条河原でさらし首にされたんだよ・・・・・
家臣も何百人も殺されてるのは、実は殉死なの?
77 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:29:57.91 ID:VqCoIqJk0
三条河原で殉死する馬鹿がどこにいる
78 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:34:15.61 ID:VqCoIqJk0
>>72 俺たちアジア最強だから明も余裕で支配できると
思ってたんでしょうね当時は
79 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:35:42.14 ID:ErwQMVKT0
准教授さん、トヨタのCMにも物申してくれませんかね?
あれ菜々子は誰の設定なわけ?
秀吉は病気になったら、淀がしろから追い出して正妻の寧のとこに
帰ったはずなのに、寧は渡辺えりがやっちゃってるし、誰なわけ?
史実を無視して韓国電通お得意のねつ造史実ごり押しですか?
最近ヤクザ出版社が婚外子マンセーに乗じて淀は秀吉の正妻だったとか
いうトンデモ歴史文庫とか出してるんで。
80 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:35:49.94 ID:g+rCR6m70
秀次だけでなく妻、子、かなりの人数が処刑されたというから、
切腹では矛盾するかと
>>72 朝鮮出兵で意欲的だったのは一部の大名だけで(せいぜい加藤清正ぐらい)、大部分の大名は迷惑してたけどな。
秀吉の構想自体、植民地の取得じゃなくて、朝鮮はただの通り道で、唐・天竺まで攻め上るっていうものだし、明らかに秀吉の誇大妄想でしょ。
早馬というのがあって130キロメートルあっても、3日もかからないだろ・・・
83 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:38:49.85 ID:VqCoIqJk0
秀吉を激怒させる何かはあったんだろうね
利休みたいに知りすぎた者は即抹殺
85 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:43:25.25 ID:J7xtfSa6O
うーむ。面白い。
料理人のくだりが説得力あるな。
山田風太郎の『妖説太閤記』の圧巻は、秀次切腹の場面
秀次事件は豊臣家にとって大きかったなあ
あれで、数少ない豊臣譜代系家臣の多くが連座して死んじゃうし、
秀次派だった大名のほぼ全てが、これをきっかけに徳川に靡いちゃうしで。
88 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:47:16.50 ID:VqCoIqJk0
信長でも身内にここまで残虐じゃなかっただろ
89 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:49:58.86 ID:J7xtfSa6O
>>18 潔白とやらを証明するために、皆が自らすすんで追い腹を切ったのかも知れんな。
ま、為政者にとって、それはそれで危険ではあるがw
90 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:51:56.45 ID:ns2G4hR00
歴史ってみんな嘘なのな
91 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:53:14.31 ID:3FRl/dcm0
何人目の矢野健太郎だwww
92 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:54:34.89 ID:VqCoIqJk0
93 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:54:40.61 ID:bb324DXsO
96 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:56:45.52 ID:VqCoIqJk0
本能寺の変に次ぐ日本史最大の謎
97 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:56:58.06 ID:JkjBPBZu0
いい加減な説がまた増えたな。
子タネなし秀吉は、秀頼誕生に欣喜雀躍した。
実は実子ではなかったが、騙された。
98 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:57:32.64 ID:J7xtfSa6O
秀吉のの命令で嫁さんを家康に差し出したんだっけ?違ったらおせえて
101 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:58:36.76 ID:xwB4bq6d0
秀吉は北条さえも処刑せずに助けたしな
3傑の中で一番優しいでしょ
102 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 06:58:58.56 ID:VqCoIqJk0
>>95 悔しかったら
秀吉の後半を善人に描いてみろ
山岡荘八みたいに
103 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:01:44.40 ID:ivmWYRsi0
秀吉って温和なんだよな。
信長秀吉家康の中で、
一番下半身が弱い男なのに、
一番スケベジジイ扱いなんだよなw
104 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:02:29.46 ID:8e6nEOWk0
北条氏政は切腹じゃなかったっけ
秀次の死に関しては、何も太閤が残忍だったってだけではなく
彼自身の素行にも問題があったと言われている。
秀頼が誕生して、廃嫡が確実になると、彼は自暴自棄になって
秀吉を激怒させるようなことを繰り返したそうだからな
冷静に自分の立場を考えて、秀頼が成長するまでは太閤の座を勤めればよかったのだ
しかし彼の妻や子供たちまで殺したのは、幾ら何でもやりすぎた。
太閤だった秀頼の妻たちとなれば、それぞれ名家の娘たちだから
殺害したことで、多くの大名家の憎悪を買ったりもしたしね
広義の強制性が認められるんだから
秀吉の罪は免れない
107 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:06:28.87 ID:VqCoIqJk0
これだけの人間が死んでるということは
秀次が本気で謀反考えてたって説もありだよな
>>97 秀頼が実子ではないとの説は、当時から確かに存在していたが
しかし淀君がそのような不義密通を働く事を、果たして秀吉や正妻だったねねが認めただろうか?
秀吉は、秀次惨殺でも見られるように、太閤の地位についてから
自分の地位を揺るがす者には容赦はしなかったからな。
もし淀の裏切りが真実なら、秀吉は激怒しただろう
まあ、一説には、豊臣の家が残ればよいと、深くは追求しなかったとの説もあるけどね。
何れにしても、歴史学上、秀頼が実子ではないとは何の根拠もないことだ。
109 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:07:18.42 ID:xwB4bq6d0
氏直は助けて北条氏は存続して今も北条氏は続いてるよ
普通ならすべて処刑するところ
110 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:07:59.05 ID:wvuVXs7aO
なんの潔白を訴えたか知らんけど
普通に有り得ないな
行動に理がなさすぎるだろ
これは珍説
111 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:08:05.86 ID:J7xtfSa6O
>>102 んなもん、家康を悪の権現に描けば事足りる。
たいして難しい仕事とは思えんが。
112 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:09:23.97 ID:aELNWZCr0
まあどう考えても
秀次は邪魔でしょ
生きてたら家康に担がれて
江戸幕府の開祖が秀次だった可能性が高いわ
113 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:09:26.38 ID:Lno/EfIp0
山本も早よう
>>62 家康のすごいところって、当時の状況を俯瞰的に把握できる400年後の人間から
みて凡庸に映る判断を、400年前の人間がリアルタイムで行ってることだと思うの。
115 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:10:45.55 ID:xwB4bq6d0
秀吉じゃなきゃ天下統一は無理だったでしょ
わざわざ水攻めするくらい殺すの嫌いだし日本は優しい統治者じゃないとみんなが納得しない
116 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:10:54.52 ID:GVPwU67SO
朝鮮出兵の時には肥前名護屋から大坂城までは僅か6日で飛脚が情報伝達出来る
駅伝方式の飛脚が配備されてたのに、山道とはいえ33里の道のりなら3日ある
ならお釣がくるんじゃねぇか?
てか現代人と戦国時代の人の体力の差を考えてモノを言え!
117 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:11:40.66 ID:egBIep2eO
どっちにせよ邪魔になったから陥れたことには変わりないじゃないか
豊臣政権の未来が決まったという事件でもあり
もっと大きく扱われても良い出来事だ
>>1 >「京都から高野山までは約130キロの距離がある。登り坂も厳しく、
>歩いて3日はかかる。13日に書かれた命令書を持って高野山まで多くの兵を連れて赴き、
>15日に切腹させるのは難しい」と疑念を示す。
戦国時代の武士を舐めるなよw
中国大返しを知らのかよ この学者先生よwww
120 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:13:53.93 ID:VqCoIqJk0
>>115 信長の死後
抜け目なくチャンス拾っただけだろ
121 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:14:31.04 ID:JkjBPBZu0
>>108 今となっては証明はできないが、実子でないのは確実だよ。タネなしなんだから、秀吉は。
淀君は不実なんか平気だっただろうな、だって秀吉が喜ぶんだから。うまく騙した。
歴史の闇は深い。
秀吉はクズ民族共の村の朝鮮を一度は征服しかけたから
日本屈指の偉人だけど、しかし絶滅させなかったのと
明の妨害により日本の領土化できなかったから
そういう意味ではダメ人物だわな
>>119 百三十キロの距離を三日は、確かに物々しい行列が進むのは難しいが
早馬なら充分に到達できる距離だ。
当時はすでに馬を乗り継いだり、狼煙を上げたりして速やかに情報を伝達することは行われていたのだからな
124 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:18:38.91 ID:ivmWYRsi0
>>81 それは後世の見方に過ぎない。
朝鮮出兵は、なついていない大名の力を削ぐ目的があった可能性がある。
西国の大名の多くが出兵を命じられたのは、南蛮貿易が絡み、
イギリス、ポルトガルなどのキリスト教の影響と関係がある。
明の征服というより、キリスト教国を警戒した行動と無関係ではない。
秀吉はそんなにアホではない。日本を中世から脱出させたのは間違いなく秀吉。
125 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:19:12.22 ID:VqCoIqJk0
登り坂込みで130キロだからな
>>121 いや、秀吉は種無しではないよ
彼には秀頼以前に二人の子供が生まれている
一人は死産で、もう一人は女児で早くになくなっているがな
ただ、太閤になったとき、秀吉は当時としては高齢であり
しかも五十人から側室がいながら、淀だけ子供を生む
一人なら、まあそういうこともあるだろうかで済ませられるが
淀だけ二人となれば幾ら何でも不自然だとは私も思うがね
127 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:20:07.44 ID:xwB4bq6d0
秀吉の構想って信長並に壮大だけどね
明征伐は南蛮が腐敗化して弱った明のっとりをたくらんでいずれ日本も攻撃されるの恐れて自ら明崩壊させて新しい中国政権作るのにやったんだよ
128 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:20:58.19 ID:Pk5et1VSO
切腹になると一族処刑との整合性がとれないじゃん
絶世の美少女駒姫はなぜ死ななきゃならんかったという話になる
>>79 CMに時代考証なんぞ求めて、どうすんの?
大河ドラマを見て「史実と違う」とNHKにクレーム入れる、どこぞかのじいさんじゃあるまいし。
130 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:21:19.25 ID:l2UZiABI0
大阪城も唐入りも信長がやろうとしてたことを、秀吉は受け継いだだけにすぎない
って聞いたけど。
131 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:22:23.04 ID:VqCoIqJk0
明に大名置いて石高制で支配しようとしてたんだろ
ただのアホじゃん
それよりなんで秀次の側室とか女中とか
関係ない奴まで殺しちゃったのか
133 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:23:43.65 ID:Lno/EfIp0
朝鮮出兵じゃなく明出征だろ。
イエズス会文書に南からスペイン、北から秀吉で攻めるとキッチリ書かれている。
オランダ独立戦争の激化でスペインの出征が頓挫しただけだ。
>>124 朝鮮出兵で一番に負担をこうむったのは秀吉だよ
それが自分の子飼いの大名の力を削ぐ目的で出兵とは幾ら何でもありえない
まだ、徳川家康や伊達正宗のように、豊臣への服従が遅れて警戒している大名なら理解できるが
伊達はわすれたが、徳川は結局、出兵しなかったのだしな
秀吉の目的は、あくまで戦国終結による兵士の失業問題への対策と
明の征服だったと考えた方がよい
あれ、でもこれ連座してかなりの数が切腹させられてなかったか?
136 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:25:24.04 ID:ivmWYRsi0
ある程度、統一を達成したら、不満分子の力を削ぐ必要がある。
秀吉は明討伐の大義を掲げて、不満分子を試した。
家康は参勤交代によって、諸大名の力を削いだ。
外に向かうか内に向かうの違いで、本質的に明征伐と参勤交代は同じ目的をもっている。
秀吉の妄想なんていう奴は、週刊誌のデマを信じてるのと変わらん。
137 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:25:45.46 ID:2ublwUaoO
大奥化した淀殿が他の女が妊娠しても色々な策謀で流させていたって説はどうなんだ?
138 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:25:57.49 ID:xwB4bq6d0
明の征服は考えてなかったんじゃないかな
第2次大戦前と一緒で弱体化した中国が白人に乗っ取られると次は日本だってことで介入したんだよ
>>85 当時においては格式にあわせて整えてやるなんてのは当然で最低の礼儀だし
むしろ 料理人などついてないほうが俺は消されると怪しまれおかしな行動とられかねん。
140 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:26:12.87 ID:VqCoIqJk0
家康は当時でも唐入りに否定的だったから
賢かったんだろうな
141 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:26:28.07 ID:MxJh07/q0
こんなこと言い出すなら秀吉は本能寺が起こることを知っていたとか
何でも妄想できそう
142 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:26:31.25 ID:u4xuQNkfO
秀吉は統治後の反乱を外に敵を作って攻め入ることで
抑止しようとした時点で天下人としての器が無い。
豊臣家の存続の為に国が疲弊し民が苦しみ、今の日本は無かっただろう。
日本が植民地にされず西洋と渡り合えるくらいの力を蓄えられたのは
徳川のおかげ。
143 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:27:29.38 ID:Lno/EfIp0
家康はオランダ派だった訳だから、
スペインに呼応して明に出征は反対だ。
秀頼だって実子じゃないんだろ?
145 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:28:24.08 ID:rclr6lxhO
切腹させるから最後に良い飯食わしたいやん
だから料理人寄越したんじゃないか?
死刑囚最後の日に飯とかいらなくねっていうのならまだしも
>>123 たしか使者は福島正則だったよな
剛の者だよなw
>>136 だからさ、その不満分子の大名って誰なの?
豊臣への服従が遅れた徳川や伊達のような有力大名が参加するならともかく
これらの大名は、結局、朝鮮の役には参加は拒否している
代わりに参加したのは、宇喜田にしても小西行長や加藤清正にしても
豊臣政権を支えた有力大名だ。
彼らの力を削いだら、それこそ本当の脅威である徳川が無傷な状態では
土台を揺るがすことになるのに、そんなことをするわけがない
149 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:31:12.95 ID:zFDkuZYG0
>>126 正確にいえばね。だがそのうち一人は不確実だ。
で、秀吉はほとんどタネなしだ。
ねねの子が生まれてないのが固い証拠だよ。
精子濃度が薄かったんだろうな。必死で働いていたばかりで。
晩年になって生まれた秀頼が実子ではない、という説は揺るがない。
>>128 東北大名を屁と思わない力が豊臣政権にあったてことだよなw
151 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:32:15.75 ID:xwB4bq6d0
秀吉ってもう家康に負けることわかってたんでしょ
それでも日本が繁栄すればいいと考えたんじゃね もっと強引に家康を殺すことも本来できたしな
152 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:32:32.68 ID:tmUYXU5V0
命令書も有るし結果、同じ事だろう 何が新しい発見なのか?
>>151 晩年の秀吉にそんな殊勝な心がけがあれば、外征なんてしないし、気がかりは秀頼のことだけですくれぐれも頼みますなんて遺言しないだろ。
>>134 伊達は出兵しているよ
政宗は母親に愚痴の手紙を送っているよ(自分を毒殺しようとした母親にさw)
155 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:35:28.72 ID:VqCoIqJk0
天下取った最強の家康だって
毛利島津上杉潰せないんだから
秀吉が家康なんて潰せるわけがない
>>132 >>1の続きに、秀吉の母の菩提寺で勝手に切腹したことにムカついたから
ではないか、とある。
157 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:38:09.73 ID:xwB4bq6d0
秀吉ってでも庶民出だから一番国家や庶民のこと考えて統治してただろ
そこまで私心のある男には見えないな 後世は悪く描きすぎてるよ
ここまで出世したのは世界史でもほとんどないし本物の魅力と知性のある男だったでしょ
158 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:38:54.14 ID:FUKwSgWZ0
どっちでもいいな・・・
159 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:39:08.41 ID:ivmWYRsi0
>>124 明征服で秀吉は損などしてはいない
だから言っているだろう。
秀吉は家康や伊達なんて恐れていない。
恐れているのはバテレンでありキリスト教国なんだよ。
キリスト教との関係は東国の大名にはないだろう。
子飼いは先導役を買ってでたのである。
秀吉の後半の行動は、キリスト教を考えないと理解できない。
平戸に友好と布教を名目に南蛮貿易を展開したイギリスは何をしたと思うか?
イギリスは日本列島の測量をとりはじめた。
秀吉が中止を伝えているのに、無視して地図の作成のために測量した。
地図作成の向うになにがあるか?
秀吉はそれがわかったので、キリスト教を認めることを一転して、
キリスト教を迫害しはじめた。イギリススペインとの通商を取りやめる方向に進んだ。
それから秀吉は明やルソンの目を向けるようになる。
秀吉こそ3傑の中で一番傑出してる。
160 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:39:44.23 ID:NxElKiUOO
中国の大返し。
161 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:40:08.64 ID:y8ofV88e0
太閤立志伝の新作はよ。
信長の野望イラネ
>>149 確かに充分に推測できる話であり
実際に当時から疑われていた
秀吉が小柄なのに対して、淀君の乳兄弟に秀頼と同じような
長身の体躯の武将が存在し、彼が本当の父親ではないか
何て説は、当時から言われていたそうだが
しかし歴史学はそういう推測だけでは成り立たないよ
根拠がなければね
ま、豊臣家の子孫が残っていれば、いまの時代はDNAから特定も出来るが
断絶して、生き残った娘も尼にされ、子供がいない以上
特定は不可能だがね
163 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:40:27.85 ID:2NmFmf+40
>>62 仕事できないクズに限って
歴史上の有名人にケチ付けて溜飲下げるんだよな
家康バカにする前にもっと自分のこと頑張れよ
ウチの会社のリストラ部屋のじいさん共も熱心に司馬遼太郎読んで家康や乃木バカにしてるぜw
>>157 庶民出なので
太閤検地で徹底的に収奪したんだよ。
隠し田の仕組みとか知っているからなw
165 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:42:48.39 ID:VqCoIqJk0
一介の下層民が天下人になることで無理がたたったんじゃないの
今の時代でもなかなかありえない話だからな
今で言えば、経済学や経営学に優れた人だったのは確かだな。
ただ、それが秀吉本人の知恵なのか、周囲の人間だったか。
秀吉ものは山田風太郎がいちばん面白い
168 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:45:21.55 ID:zFDkuZYG0
>>162 当時どうだったかはあまり関係ない。
より科学的にいったら、そうとしか解釈がつかない。
そういうことだ。確実な証拠がなくては信じない、というならどうぞ。それでもいい。
が、君のような姿勢では、深く探究するのは無理だ。
169 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:46:09.82 ID:lnhrPndf0
加藤廣の歴史小説「秀吉の枷」は面白かったな。
秀次は秀頼が秀吉の実子じゃない事を知ってしまったから消されたとか。
>>166 秀吉の出自を考えれば理解できるでしょうが
彼に充分な教養があったとは、決してありえない
経済や軍事に通じていたとは、とても思えない。
秀吉の優れたところは、それとは別のところでしょう。
人心掌握術など、長けていたのではないかと思うけどね
漢の劉邦とか、田中角栄とか
下層からのし上って頂点に立った人間は、みんな人心掌握には長けていたし
部下の功績は認めて重く用いる配慮があった
171 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:49:03.61 ID:ivmWYRsi0
秀吉は誰の子供なんて気にする男ではない。
自分の子供ではないことぐらい、老人になった秀吉はわかっていただろう。
秀頼誕生を養子感覚で喜んだのさ。
それぐらいの度量だったからこそ、平民の出なのに、周りから人材が集まってきたのさ。
日本を中世から脱出させ、日本を一つの中央集権国家にさせた秀吉が、
子供や私情で無謀な行動などしない。
172 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:49:51.19 ID:xwB4bq6d0
秀吉の最大の失敗は三成を早く登用しすぎたことだな
頭の悪い武将に平和時の治世の経済なんてあたまにないもんな
秀吉は時代を早く進めようとしすぎたな
>>168 >君のような姿勢では、深く探究するのは無理だ。
あのさ、科学ってのは、仮説を立ててそれを実証していく事から成り立っているのだよ
あなたの主張は、仮設の段階であり
実証ってのが致命的に欠けているではないのさ
確かに秀頼が実子ではないとは、可能性は高いとは思われているが
決定的な証拠はなにもなく、反証も幾らもあるから実証されたものではないのだよ
174 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:54:40.49 ID:zFDkuZYG0
>>173 勿論だ。
だから、言ってるだろ、君は間違ってるって。
だって、秀吉はねねとの間に妊娠したことすらなかったのに、晩年になってなぜ突如として生まれたの?
君の屁理屈はいいんだよ、説明してごらん。大馬鹿。
176 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:55:05.15 ID:ivmWYRsi0
なぜ、フロイスは秀吉はボロカスに書くのか?
秀吉はフロイスの所属している勢力の野望を見破ったから。
信長は騙されたから、褒められる。
>>172 いや、石田三成は優れた人物だったよ
ただ、官僚肌で実務能力に長けた人物だったから
現場で活躍してきた。戦場を駆け巡ってきた
たたき上げの武将たちとは、反りが合わなかっただけでね
関が原の戦いも布陣だけ見れば、西軍が優勢であり
そのまま戦っていれば間違いなく勝てていたと言われている。
ただ、さすが古だぬきの家康、西軍の切り崩し工作を見事成功させて
西軍を作戦通りには戦わせなかったこと。
実際に戦ったのは半分にも満たなかったそうだからな
179 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:56:36.82 ID:QsfRKHPO0
>>115 >わざわざ水攻めするくらい殺すの嫌いだし
味方には優しいがやられた方は地獄だぞw
殺すのが嫌いなのではなく、殺されるのが嫌い・・・まあ、誰だってそうだがw
水攻めの他、干殺しなど味方に損害出さずに勝利する方法を実践しただけ。
180 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:56:56.17 ID:roFxNBLc0
妻子の問題がスルーされてる辞典で信憑性ゼロだな
大名の子を大勢殺したから豊臣との縁切りが起きてしまって
相当の怨嗟が溜まった秀吉の人生最大の悪行
181 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:57:27.26 ID:xwB4bq6d0
秀吉はキリスト教に対しはるか先に先手を打ったからな
家康は素直にすべての敗れた武将のいいシステムを統合し秀吉の遺志もくんで幕府を開いた
実は二人は心の底では通じていたんだろ
182 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:57:32.33 ID:VqCoIqJk0
頭の悪い身内の武将によって
豊臣家は見事滅ぼされました
コイツらがいなけりゃ家康も天下取れなかった
183 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 07:59:16.18 ID:qXDsqTNi0
>>136 それはへんじゃないか
先陣に立ったのは加藤清正とか小西行長などの秀吉子飼いの大名
失敗で一番に疲弊したのも秀吉子飼いの大名
そして彼らの不満が石田光成に向かった
出兵の冒頭は半島をほぼ制圧し
秀吉子飼いの大名たち中心に占領地の経営をはじめており
彼らは大喜びだったのが手紙などで残っている
むしろ秀吉は自分の勢力を海外でのばそうとし
成功に自信満々で出兵し
子飼いの大名たちに新たな領地を与えるつもりだったのでは
外様の大名の出兵が後まわしにされていることからもそう思える
家康なんか参陣させられてないんだし
歴史ヲタって性格悪いな
>>121 秀吉が種なしだとしたら初代秀勝はなんなんだろう。
186 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:01:56.64 ID:QsfRKHPO0
>>182 側近次第では家が残ってただろうな。
公家として。
>>171 朝鮮出兵は無謀以外のなにものでもないだろ。
朝鮮だけならともかく、明を狙うなんて正気の沙汰じゃない。
188 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:02:47.58 ID:VqCoIqJk0
朝鮮の貧乏な土地もらってもしょうがないもんな
>>174 側室に一人子供が居たぞ。
長浜時代に。
190 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:03:21.29 ID:qXDsqTNi0
>>159 >平戸に友好と布教を名目に南蛮貿易を展開したイギリスは何をしたと思うか?
>イギリスは日本列島の測量をとりはじめた。
>秀吉が中止を伝えているのに、無視して地図の作成のために測量した。
どこのパラレルワールドに生きてる人?
日本史習わなかったの?
191 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:03:34.96 ID:lnhrPndf0
朝鮮征伐も参勤交代も単なるケインズ政策だったりして
192 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:04:00.34 ID:roFxNBLc0
知らんやつが多そうだが家康は関東の平定にめちゃくちゃ負担が大きかった
本田や大久保家の苦労を見るととても出兵どころじゃない
結城家くらいならいけただろうけど
誠三は何て言ってる?
伊達政宗もその母ちゃんも何で人気あるの?
195 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:04:44.67 ID:xwB4bq6d0
明の征伐は早めに明を崩壊させて強力な政権を中国に作らせるためだよ
秀吉はすでにアジアを守る戦いに移行してたすごい人物
196 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:04:48.65 ID:2ZX2ZXNN0
>>1 また歴史を捏造かジャップ。
歴史を直視しない国に未来はないぞ。
197 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:04:52.55 ID:/zOF9dUD0
農民出身でここまで成り上がった秀吉はずば抜けた先見性と洞察力があったのは間違いない
当時、弱小大名だった信長に目をつけたところといい
刀狩り、キリスト教追放は秀吉の英断だな
>>174 ん?秀吉は長浜時代に側室と子供をもうけてるじゃん。
正室おねが不妊だっただけじゃないの?
199 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:06:22.00 ID:qXDsqTNi0
>>192 つまり自分は海外に勢力を伸ばし
家康は関東において勢力を削ぐ
そういう腹積もりだったのだろう
結果としては裏目に出たが
センゴクの不自然な秀吉ageといい、藤原鎌足在日説といい、現在の情勢に振り回されすぎ
渤海国だって生き残りに必死で自分たちがアルかニダなんて考える暇ないだろ。
201 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:07:09.42 ID:roFxNBLc0
>>196 「史料」になるかどうかともかくそういう文書が出てきたのは事実なんだから
事実だけうけとめとけ
202 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:07:13.45 ID:PNaz0O200
この准教授は全然ダメだな
切腹は自分の考えでやったとしても
その後、川で子供や正室側室ぜんぶやっちゃって滅亡させてるやんけ
204 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:07:41.34 ID:3Q2wpdGC0
歴史は勝者が創る
そういうことでしょ
徳川信康の切腹だって信長のせいにされてるしね
205 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:08:22.97 ID:00qn5v010
はあ?
秀吉は秀次の首を撥ねて首実検してるわけだが、
無実の罪を訴えて自害した秀次にそんなことをするわけ?
しかもその首は、三条河原で晒されてるんだが?
秀次の重臣や一族もことごとく捕えられ打ち首獄門になってんだが、
これも秀次の無罪を晴らすため?w
一風変わった説を唱えると注目されて飯の種か
バカかよ
206 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:08:53.90 ID:xwB4bq6d0
秀吉ageなんて今の時代あるのか??
むしろ不必要に矮小な人間にされてるだろ
ただでさえ少ない一族を切腹に追い込むのはおかしいといえばおかしいしな(´・ω・`)
208 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:09:44.71 ID:lnhrPndf0
スペインの勢力が極東に来てたからな。
明への出兵はその対抗策でも有る。
ところが、スペインはその頃イギリスとの競争に負けて、
急激にプレゼンスを失う。
だから、対スペインという構図が見えにくいんだよなぁ。
210 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:10:58.73 ID:UdA4Rnru0
豊臣を滅亡させたのは寧々だろ
女の嫉妬が淀とその子に向かい
加藤や福島を家康陣に走らせて
淀殲滅の為の捨て駒に
>>194 政宗の母ちゃんは南奥州のアイドル的存在でしょ。
出羽最大の謀将である兄の最上義光より器量は上だったかもしれない。
伊達VS最上の大戦を両者の間に陣取って止めた激烈キャラだ。
政宗の人気は二世タレントみたいなもんかもしれんよ。
212 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:13:02.53 ID:MGBlM1d/0
>>1 確かに秀頼も生まれたばかりであの時代死ぬ確率も高かったのに、血縁親族である秀次に切腹させるとは思えない
跡継ぎのカードが他に無い
秀吉がそれを一番恐れていたはずだ
>>206 犬HKの大河ドラマなんて、ひどいもんだからな。
214 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:14:59.19 ID:ivmWYRsi0
>>183 疲弊というが、子飼いが疲弊した根拠なんてないし、
武闘派と石田の衝突は明征服とは関係がない。
西軍は疲弊した豊臣家臣が負けたのではなく、
たんに秀吉の後継者として秀頼の後見人として家康に求心力があったからだ。
家康が敵という構造は、歴史を知っている俺らが考えているだけであって、
家康はとても大切な重臣なんだよ。
明征伐は、初めて行われた国家事業であって、
この国家事業が刀狩と検地とともに国家として日本の近代の道を開いたことを忘れてはいけない。
秀吉はルソンに何度も手紙を送っている。
ルソンはスペインポルトガルに占領されていた。
秀吉は明だけでなくルソンも攻略目標にしていた可能性がある。
215 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:15:18.05 ID:C/2adx4f0
歴史はifや異聞録もひとつの面白さだから
目くじら立てて怒るなよw
216 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:15:28.79 ID:00qn5v010
別にさー、上杉謙信が女だったとか、義経がモンゴルに渡って〜とか、
忠勝は実はロボットだった〜とか、
異説珍説を元に想像の翼広げてフィクション作るのはいいけどさ、
その根拠にトンチや洒落、何の説得力もないんじゃ、つまんねーだろ
こういう面白味のない異説やifって唱えた人の逆張りによる売名しか動機が思いつかないんだが?
>>210 それは違う。
おねは、両軍激突を防ぐために心を砕いていたよ。
石田三成の息のかかった女性を身の回りに置いてもいたし。
加藤福島の暴走は計算外。
218 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:16:07.37 ID:xwB4bq6d0
ねねが結局日本の行く末を決めたんだろうな
家康のほうが将来の日本にふさわしいと選んだんだろ
ねねも秀吉と同じで嫉妬ではなく私心はなかったんじゃね
>>14 小瀬甫庵の太閤記が史料価値が低いのは結構有名
220 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:16:30.48 ID:zFDkuZYG0
直系長子と思われる子供が大事でね、その他は紛争の種になると考えていたんだよ、当時は。
221 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:16:36.61 ID:6ItQY34T0
殺生関白と呼ばれるほど狂ったのは、秀吉の側近が彼の英邁さを恐れて、妻が秀吉と不義に及んでいるように見せかけたためだよ
222 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:16:37.06 ID:VqCoIqJk0
皮肉なものよの
世が世なら尾張中村の農夫で終わってたからね
224 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:18:07.90 ID:MIBDgP2e0
駒姫かわいそう。
江戸時代の御用学者が書く軍記物なんて
とにかく「開祖家康マンセー!」ありきで
敵対者は貶め、それ以外は適当に書くものだから信用できないんだよな
226 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:19:41.30 ID:qXDsqTNi0
>>214 >西軍は疲弊した豊臣家臣が負けたのではなく、
関ヶ原の話しか?
俺はそんなこと言ってないぞ
227 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:19:42.37 ID:xwB4bq6d0
秀吉は家康をバックアップと考えてたんだろきっと
最大の敵はアジア侵略を狙う南蛮だしな
連座で大量の刑死者がでてるからなぁ
にわかには容れがたい話だわ
謀殺するなら表向きは辻褄合わせて取り繕うものだろうし
>>223 農夫と言っても小作人ではなく庄屋クラスを思い浮かべてね。
現代だって、田舎の洋品店が世界のユニクロになったりする訳で、
村の庄屋の息子が天下人というのもあながち奇跡ではない。
>歩いて3日はかかる
馬で行ったんだろ?
231 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:22:24.25 ID:Qguhh9WiI
大阪も色々大変だな
232 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:23:24.37 ID:HSE2eGw30
いいかげん、憶測で言った者勝ちから日本の学会は抜け出したほうがいいよ。
>数日後には切腹させる人に、料理人が必要だろうか。
切腹は名誉在る死、ご馳走しないでどうする?
武士は意地があり「られた」と受身の言葉を使わない伝統がある
鎌倉武士は矢で射られても「戦で相手の矢を肩と脚に当てた」と記した
>矢部准教授はこの「切らせられ」という記述は、秀吉が「切らせた」のではなく、
>敬語の「お切りになった」と読むべきだ、と指摘
秀吉の命で「お切りになった」で何ら文章として矛盾はないが?
コレは無い
234 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:24:18.84 ID:Ik+nhSQL0
235 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:25:10.02 ID:vvhm1dhS0
>>1の説を正しいとした場合、連座は秀吉は秀次を押し込めるだけの
つもりだったが、秀次が自刃してしまい秀次の一族から秀頼が復讐さ
れるのを恐れ先手を打ったという辺りか?
昔の文献とか、筆者によっていろんな思惑で書かれたりするから、それをそのまま鵜呑みにするのも問題あるよな
この世に真実を知る者は少ない 真実として伝わるものが真実と思われてしまうからだ
悪意ある言葉は真実を大きく捻じ曲げてしまう。
>>229 秀次の実父三好武蔵守吉房はそれこそ素性のわからん男で
三好も吉房も秀吉があまりにも忍びないということで付けてやった説がある
えっ、じゃあ腕白関白どうなるの
切腹前提で頑張る話なのに
239 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:31:42.85 ID:xwB4bq6d0
3傑は単純化されすぎてるよな
もっとそれぞれ深い人物だし
240 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:32:34.03 ID:00qn5v010
>>235 数十人が連座させられ死を賜ったり改易・流罪に処せされてるが、
これらの人々はただそのままの数字の数十人ではなく、
それぞれが有力大名の血縁者や関係者ばかりだから、背後に何倍もの実力者を持ってる
復讐を防ぐために一族関係者まで処刑ってのは、ちょっと考えられないかと
敵をわざわざネズミ算式に増やすようなもの
・京都から高野山までの距離を考えると13日命令は遅すぎる→絶対に無理な日付でもない
・料理人をつけたのはおかしい→死ぬ前くらいまともなものを食べさせてもおかしくない
・「切らせられ」の主語は秀次ではないか→秀吉の命令をうけて秀次が「お切りになった」とも言える
全然論証されてないじゃん
242 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:35:57.68 ID:4NGvdm2q0
信長キリシタン暗殺説に続いて・・・・・
>>229 その割にはあまり地縁が無い気がするんだが、秀吉の初期の部下ってどんな人間が居たっけ?
244 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:37:43.74 ID:mbH/Y0ftO
成り上がり者で、細川や今川みたいな歴史と伝統に基づいた身内ネットワークを持ってなかった豊臣的には秀次の粛清はデメリットの方が大きいよな。
始皇帝みたいに群県制と法治主義、完全なる能力主義に基づく官僚制や常備軍を敷いていたみたいな状態になってたならともかく。
身内の粛清ってのは外部をちゃんとお片付けしてからやるもんじゃね?
245 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:40:09.11 ID:r79JDXw30
>>1 京都から高野山を3日というのは十分可能。
中国大返しとか、とかく機動力には定評のある軍団。
また、最後の「切らせられ候」は秀次の行為に対する敬語として読むのは常識。
こんな薄弱な論拠で珍説を開陳するのが文系教授脳。
246 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:40:38.97 ID:vvhm1dhS0
>>240 結果としてその連座をやっているんだから、この場合は口実さえあればできたっ
て事でしょ。
247 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:40:54.71 ID:ixeL8YH4O
真の黒幕は家光だろ
秀次がいたら家光の将軍就任はなかった
甫庵太閤記は出版された当初から評判悪いんじゃなかったっけ
こういうの資料にしてもええの?
250 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:44:19.79 ID:vvhm1dhS0
>>243 母方や嫁方などの親戚のじゃなかった?
加藤清正とか。
251 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:45:37.38 ID:fhA9FYQbO
>>245 なんでそんなに急ぐ必要があるの
秀次の切腹は中国大返し並みに一大事だったの?
252 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:46:38.59 ID:vvhm1dhS0
>>243 羽柴四天王でぐぐれ
四人とも悲惨な最期をとげてる
254 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:49:11.57 ID:vvhm1dhS0
>>245 >こんな薄弱な論拠で珍説を開陳するのが文系教授脳。
わざわざこんな文章を付け加えるということは理系が偉いさんですか?
あなたの意見も根拠薄弱ですよ?w
>中国大返しとか、とかく機動力には定評のある軍団。
全ての移動を中国大返しと同じとする根拠は何?
256 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:50:35.80 ID:ivmWYRsi0
>>222 (イギリススペインポルトガル)日本列島を船から測量し始めた。
そのことを秀吉は中止、抗議の文章を何度も送ったが、
(イギリススペインポルトガル)の王はそれについての返事をよこさなかった。
俺はこの文献を見たとき、ひっくり返そうになった。
後年の秀吉は否定されているが、俺は秀吉の見方が変わった。
当時のスペインやポルトガルやイギリスは次々と植民地を獲得していた。
奴らの手法は最初はキリスト教の布教と友好という名目で侵略地の人々を油断させ、
時間がたつにつれ、侵略行動をおこし、最後は武力でねじ伏せるものだった。
秀吉が直面した事態は、日本が植民地される寸前だったのではないか?
秀吉は狂気の行動と明出兵は否定されているが、
防衛戦争だった可能性があるんだよ。
実際に、中国大陸はイギリスに征服されるわけだからね。
秀吉はかなり規模が大きい構想を練っていたと思うね。
そんな秀吉が、秀頼が誰の子とか、血族をくだらん私情で静粛なんてバカバカしい話しに思えてくるわけよ。
天草の乱も、このことと関係しており調べるとかなり面白いぞ。
学校の教科書の通説なんてデタラメ。
鎖国にいたった理由が見えてくる。
家康が平戸から長崎にしたのも、堺を潰したのも、秀吉の影響だろう。
忘れてはいけないのは秀吉も家康も、当初は信長のようにキリスト教の布教を許し、
南蛮貿易を歓迎していたということ。
>>245 大返しは怪しいけど、まあ珍説でもぶち上げて話題にでもならんとこういう業界って色々と厳しいんじゃない?
なんか文系の研究室って理系よりも派閥やら厳しそうだし、簡単に放逐されそうな印象があるww
>>248 史料的価値無いよ
>>250 親類はそりゃ居るだろうが、庄屋等の土地である程度権力があれば人手を集める時普通その土地の人間を用いないか?
秀吉の部下ってそういうの居たかな?と思ったんだ
神聖な場所を汚されたからって取り巻き含めて3千人も連座で処刑するか?
しかもか緒大名にまで責を負わせようとして反豊臣を量産してるし
>>250 蜂須賀小六
とか
それ以前の部下は秀吉の身分低いから、ろくな部下を貰ってないだろ。
弟ぐらいか。
>>253 神子田は兎も角、他のは地縁なのかもしれないね
>>251 今でいえば内閣官房長官が切腹するようなもんだよ。重大事ではないとでも?
たかが手紙のやりとりに命かけてた時代だぜ
262 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:54:39.00 ID:VqCoIqJk0
スターリン並みの内部粛清だよな
ちょっと普通じゃない事態が起きたのは確実だろう
そこが一番知りたいわけだが
日本人はヒデヨシ侵略の反省が足りない!
同じ日本人として恥ずかしい!!
>>251 深い理由がなくてもいい。
一刻も早く切腹じゃ!!
一言じゃん。口にだす方は簡単。その場ぬ雰囲気。
そうなると急いだのは部下。
265 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:56:31.91 ID:vvhm1dhS0
>>257 父の死後母親が再婚したが秀吉は家を出たという話もあるしどうだろうかね。
この説が事実の場合地縁を引き継げなかったかもしれない。
その新説にも裏づけないじゃん
>>265 確か説としてあるのは、父親の家系が近江出で尾張に流れて土地持ちになったんだっけ?
江戸時代
豊臣家は悪者、徳川家こそが正義!みんなも家康のように我慢強くなろう
明治〜戦前
徳川家は悪者、豊臣家は正しかった!みんなも秀吉のように努力して出世しよう
戦後〜近年
秀吉は多くの朝鮮人を殺した極悪人、徳川家はやはり正しかった
また徳川sage、豊臣age時代が来るのかな?
>>178 最初高野山だったけど信繁が奥さん連れてたから九度山に変更
じっさい、本当の日本の歴史って、ガサツだよな。
おだやかな縄文人の生活に朝鮮から弥生文化が入って、
飛鳥だの奈良だの残酷歴史が始まった。
>>270 ガサツじゃない歴史を持つ国を教えてくれww
272 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:03:13.19 ID:oZLULcxCO
淀君や治部からすれば太閣没後のライバルの利休や秀次を失脚させたいのは当然だ。やらなきゃやられちまうんだからな。家康や利家なんかもヤバかったんじゃなかろうか。
273 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:06:13.54 ID:lN0L9faQO
>>270 朝鮮からは文化は来てない。
日本の弥生文化は南方から来た。
274 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:06:29.09 ID:xwB4bq6d0
利休とかバテレンに通じてるんだろ
秀吉が殺したのはだいたいそういう関係じゃね 信長がやられたのはイエズス会だしな
要潤に見てきてもらったら
>>269 真田父子は、一旦は高野山蓮華定院に入っているね。
昔のことなんて分からないことだらけだよな
それで秀吉の指は6本だったのかよ
じゃあ最上の娘はなんで死んだんだよ
小出吉政(母親の妹の孫)
木下家定(正妻の兄弟)
三好吉房(姉の夫)
この辺が一門衆として初期からいたと思うが扱いが悪い。30万石なり与えとけばよかった。
280 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:09:15.64 ID:DMgwWQiN0
明智光秀は生きていた(天海僧正として徳川家康の側近に)
>>273 確かY染色体の調査で朝鮮の染色体はまさしく0%だったんだよな
全て東南アジアの染色体だったって話だったと思う
282 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:11:24.19 ID:Eyn+0n2xI
殺生関白
三条河原での処刑はどうなのか
妻子があの扱いで秀次は許されたのか
>>268 家康は他力本願と火事場泥棒で勢力拡大しただけの凡将
運がよかっただけ
秀次の子供まで殺しておいてそれはないだろ
>>283 死んでしまった後では、一族の中から恨みを抱く者が出てくると思ったのかもしれない。
幽閉したらいずれ切腹するだろうと踏んでいたんでしょ
真綿で絞めるように追い込んだと
どっちみち切腹させたことには変わらないと思う
289 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:15:49.04 ID:7oEgO8kbO
最上義光の娘が淀君らによって助命嘆願されて聞き届けられたが、ほんの少し
間に合わなかったんだな。
日本の歴史書ってあんまり無いんだよね
時系列と出来事をただただ綴るのではなく
物語チックになってるものが多すぎて
どれも信ぴょう性に疑問が出てしまうw
>>279 信長直伝の身内に依怙贔屓しないということだろ。
秀長はそれなりだしさ。
あんまり身内を贔屓するとほかの人がやる気をなくす
293 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:21:40.40 ID:HSE2eGw30
>>270 >>273 歴史で「弥生」自体がそもそも存在しない。
東大が田舎根性丸出しで「おらが町の名前を歴史書に」と思ったか
弥生町の名前をねじ込んだ。
だから「弥生」に科学的根拠は何一つない。
294 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:21:46.07 ID:ivmWYRsi0
俺は明出兵を愚かな行為と決めつけてる奴に言いたいね。
君らは秀吉がルソンを支配していたスペインポルトガルの総督に書面を送ったこと知ってるか。
秀吉ねえ、「俺は日本の王だ、日本を舐めたら、おまえら容赦しないぞ」
とうい文面を送ってるんだよ。
秀吉は家康とかではなく、もっと巨大な敵と戦おうとしていたんだよ。
中国大陸がキーポイントであることは(奴らはインドの次に中国を狙っていた)秀吉もわかっていた。
明出兵はそれでも愚かな行為というのか?
歴史は証明している、アジアで日本だけが植民地を逃れたことを。
その功績の始まりが秀吉である。
295 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:22:05.68 ID:1bmNKwxgO
>>224 駒ちゃんてお手付き前だったんだろ?
速攻で出家させて尼にしてれば助からなかったんかね。
美少女で16歳って勿体無さ過ぎるわ。しかも処女だぞ。
>>294 戦前は秀吉は人気だったらしい、
信長はあんまり人気がなかったらしい、
信長任期は戦後で、海外出兵しなかったから
扱いやすいということもあるらしい
>国学院大准教授
はい解散
そもそも石田三成が糸を引いてたとかの時点でかなりの眉唾物だろ
300 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:27:42.94 ID:9Mo2UorPO
ウンコ垂れ流しのヨイヨイ状態で死んだ秀吉よりは、どのみちマシな死に方
301 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:29:48.39 ID:hA/43PUtO
教授がこの発言とか首にしろよ
小牧長久手以降は関ヶ原が起こるまで人気無いよね
戦自体は豊臣の消化試合って感じだが政治的にはかなり面白いんだが
と、いうことで小早川秀秋を大河にしよう
303 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:30:40.07 ID:/zOF9dUD0
>>281 全て東南アジアの染色体ならなんでこんな一重瞼が日本に多いんだって話になるわな
304 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:32:41.38 ID:BcGEBXL+0
大河でも昔は緒形拳やら勝新とかだったのになぁ
近作になるほど小物感が酷い
305 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:33:18.04 ID:pQVbkfLA0
ねぇーよ
俺が見た大河では、陣内孝則だった。
独眼竜か
307 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:35:54.54 ID:QsfRKHPO0
>>290 駒姫って秀次と面識すらなかったんだよなあ・・
三成仕事速すぎ・・・
>>302 俺も本能寺以降は結構面白いと思う。政治的に。
>>304 香川秀吉を知らんのか?あの小物臭さは最高だったぞww
緒形拳や勝新、火野正平のも知ってるが、個人的には香川秀吉が最高だと思ってる
嫌な奴なんだこれがw
>>32 しかも信康のほうは基本武田晴信VS武田義信のような派閥争いの延長線上で
信長は「え…別に俺殺せなんて言ってないけど。つうかそんな身内の話俺に聞かせんなよマンドクセ」だったのになぜか
信長のせいにされててワロス。
>>308 その香川照之が小物臭いと書いたつもりなんだが
露骨に秀吉下げの意図を感じたな。あれは
>>310 そりゃ主人公が前利だから下げはあったろうが、秀吉って利家の娘を側室にしたり、結構嫌な奴だと思うぞw
312 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:40:46.37 ID:ivmWYRsi0
秀吉は誰からにも裏切られない律義の人だ。
非常に人望が厚い。
秀次をしょもない理由で静粛なんてありえないと思うね。
静粛すら俺は疑ってる。
家康のほうが後年はおかしい行動をとるんだよ。
313 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:41:33.33 ID:lnhrPndf0
高野山行った事あるけどそんなに不便じゃ無かったよ。
門前にはさびれた定食屋があって具は入ってないけどカレーも食えたし。
314 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:41:48.06 ID:qXDsqTNi0
>>291 そりゃあこんな小さいところで
ちまちました出来事ばかりで
世界史とくらべたら大してドラマチックな歴史もないからな
>>304 好きな役者だが秀吉が笹野高史はちょっとがっくりきたわ…タクシーの運転手orz
鳥居元忠役はあんなにしっくり来てたのに
316 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:42:46.40 ID:oLrTntOM0
この国学院大准教授は秀次の妻子皆殺しはどう説明するの?
>>316 それな
勝手に自害したらその必要はない
319 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:43:42.21 ID:QsfRKHPO0
>>312 おれも派手好きな秀吉は静粛と無縁だと思う。
秀次って、空海の直筆の書や正倉院の香木を権力に恃んで無理矢理貰ったり、最上の姫や公家の母娘を側室にしたり権力者ライフを堪能していた感じ。
秀次を生かしておくつもりだったのなら、秀次の死後にその妻子を皆殺しにしたのはなんでだよ。
秀次をなぶり殺しにするつもりだったのに、その機会を失ったので、腹いせにやったとでも言うのかね。
322 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:46:25.70 ID:4ba9g4Hh0
秀次はかなり優秀だったみたい
戦も秀長以上にうまかったみたいだし
それを恐れた三成や淀一派に殺された説が有力
秀次が自ら腹を切ったとするなら、
>一族・妻妾・息子・娘・家臣の多くが粛清され、
>秀次の首は秀吉によって京都の三条河原に曝された
Wikipedeaより。
首をさらすというのは反逆者の扱いだよ。
秀次が自ら切腹したなら一族や妻妾家臣まで処刑する必要はなかっただろ?
秀吉は秀次に連なる人間を根絶やしにしたのだよ。
矢部センセー、このあたり何と考えてるの??
秀頼の幼子が河原で処刑されたのとか
因果応報の典型だと思ったが
不昧因果の御車
切腹前だから料理人不要ってのが意味不明。
むしろ最後の晩餐に豪華な食事を用意させるのが普通じゃね。
光成が糸を引いていたとすると小早川秀秋の行動も説明がつくんじゃね?
328 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:50:55.75 ID:HSE2eGw30
>>303 蒙古ひだは世界中の人々で見られるし、目の気候への適用は素早いよ。
眼病で目見えなくなったら嫁さんもらうどころではないからね。
329 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:51:33.75 ID:oLrTntOM0
書面の日付なんかたいした理由にならんよ。
今の日本とは違って日付管理もいい加減だった時代。
書面日付で言うなら淀(茶々)は市が浅井に嫁ぐ前に生まれてた事になる。
そのために「淀は市と信長の近親相姦によって生まれた」なんて珍説も出てきた。
>御腹切らせられ候よし申す
うん、俺も切らせられはその前に御腹と記述されてる事からも
受身でなく、尊崇語だと思うんだけど
331 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:54:24.96 ID:oLrTntOM0
>>325 切腹前の貴人を丁重にもてなすのはごく自然な事だしな
332 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:54:56.53 ID:wL43H0Po0
結局、根拠は資料の字面からの解釈だけなの?
ちょっと弱いよな。
秀吉は秀次の一族を虐殺しているし。
333 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 09:56:51.11 ID:wvuVXs7aO
>>302 人気ないと言うより
朝鮮出兵を面白おかしく描けない事情から
もて甘してしまうのが実際のところ
>>327 > 秀次が腹を切った青巌寺は、秀吉が生母の菩提(ぼだい)寺として寄進した寺院だった。
> 秀吉には神聖な場所を汚されたという思いがぬぐえず、秀次の切腹後、その妻子を苛烈に
> 処刑したことも、この怒りに基づくものだと理解できるという。
自分の愛車を汚されたら、犯人を半殺しにするタイプか。現代でもいるよな。
>>285 それって交渉上手で機を見るに敏ってことじゃね
336 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:01:49.76 ID:aELNWZCr0
この当時と言うか戦国大名にとって
自分の子を殺すって非情とは真逆なんだよ
三国志の劉備も決死の突撃で我が子を助けた趙雲の前で
子供を地面に投げ捨てこんなガキの為に大切な武将を失うとこだったと泣いてみせた
親子の情にはしる様な利己的な為政者なんて
ロクな大名にはなれないんだよ
万民の為に生きて死ぬのが豪傑のサダメ
337 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:02:57.38 ID:O1niJy7H0
秀次は親子丼したり百姓を試し斬りしたりした極悪人
切腹は情け
本来なら打ち首
338 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:04:05.23 ID:kHc6xKvB0
人間勉強しすぎるとこうなっちゃうんだな
>>218 関ヶ原の影に寧々有り。
夫の天下取りを支えて来たそうこうの妻ねねにしたら、
誰の子か分からん(多分、大野治長か)秀頼に後を託す気にはなれなかったろうね。秀頼がよほど有能ならともかく。
340 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:05:07.94 ID:D29zi4tJ0
秀吉ほど極悪非道な人間もいないが信長や家康より人気があるんだよな
明治維新の時に徳川を貶めるためや富国強兵の象徴ってことで祭り上げられたんだろうが
恩ある信長の嫁さん殺したり息子殺したり好き放題やったのになぜかドラマだと全て好意的に描かれてる
341 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:05:26.36 ID:xwB4bq6d0
秀吉と角栄はまさにそっくりだよな
どっちも構想が壮大で最後は伴天連欧米に葬り去られた
342 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:06:01.23 ID:wvuVXs7aO
秀吉は我が子を思いやってた愛情あるお父さんみたいなのが
現代的価値観過ぎて泣ける
帝王学すら知らないゆとり学者が思い付きそうな珍説だわ
コレは家康の陰謀だろうな。
秀次は有能だったから、何れは小牧長久手の戦いの
借りを返されるのは間違いなかっただろう。
根拠が敬語か受け身かの違いの解釈だけじゃ薄すぎる。一族処刑の根拠も
こじつけ臭いし、決定的な証拠がないと新説を受け入れる人は少ない
だろうな。
いくら秀次といえども関白殿下だからな
当時の価値観からして切腹なんて考えられなかっただろうよ
荘八の家康でも秀吉が命じたことになってるが
三成が秀次の悪口を言い続けて秀次もすねてしまって秀吉が激怒したみたいになってるな
たぶんの信長の松平信康への切腹も勘違いだな
しかし腹を切るなら腹を切る原因がある
命令されたかどうかは関係ないんじゃね
切腹なんだから言い換えれば自殺に決まってるワケだし(´・ω・`)
348 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:08:01.09 ID:xwB4bq6d0
豊臣家が続いていればきっとバテレンからもっと早くにアジアを開放に動いただろ
まあもうすでに五大老からしてキリスト教に影響されてるやつもいるからねねは次善の策で家康禅譲に動いたんだろうが
根拠が日付だけじゃん
これだと他の処刑が説明できないし
日付けなんて、
事の起きる前に命令あったとしとかなきゃいけないだけで
前もって行動し、あとから日付いれといたで何の問題も無い
とても指示できる説じゃない
350 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:08:41.93 ID:HrGDCvZF0
家康が信康を幽閉しようとしたら自決したとか言ってるのと一緒だな
351 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:09:21.57 ID:aELNWZCr0
>>340 戦国大名なんてみんな人殺しだよ
ヒトラーと金正日とポルポト比べてる様なもので
そもそも演劇にする時点で
黒も白にされるのは当たり前
見る側は史実を知りたいのではなくて
そこから見える人間模様を面白おかしく楽しみたいだけなんだよ
ホントのことが知りたい人は大河ドラマなんか見ないで文献漁ってるだろ
説とか言うに値しない
バカボンの妄想?w
よくこの程度で発表したなw
通説と違うの言えば注目されるからという下衆な理由なんじゃねえの
>>230 当時は京・大坂間は淀川の船運を使うのがデフォじゃなかった?
乗り合い船でも5時間くらい。逆ルートはもっとかかるけど。
他の区間は馬使用、大坂から堺の区間は堺筋が既に整備されてたし、京都から高野山に3日で到達しても何の不思議も無いよねえ。
356 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:14:46.01 ID:D29zi4tJ0
>>351 そんなことはわかっているがドラマの中の人物像と実際の人物を同じだと思ってるバカが多いって話だ
>1の学者は頭に蛆でもわいてねーか?
そういう場合、一家全員斬首はしない。
切腹は、身の証をたてると同時に、家族の除名を求めるもの。
復讐をおそれたにせよ、秀吉の意思は常軌を逸してる。
最上だっけか、つい前日に輿入れしたばかりの愛娘を秀吉に殺されたのって。
これなんか、“自殺じゃないこと”の傍証だよ。
358 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:18:16.93 ID:bpHbjSeU0
権力闘争で負けたのが処断されるのは良くあったことだが
妻処刑はそうそうはないだろう(夫と自害はあるけど)
頼朝だって男系にはうるさかったが(これで源氏が壊滅)妻には優しかった
戦で負けても逃げてきた女は殺さなかった
>>336 甥でしょ
激おこプンプン丸状態の秀吉が出した命令書をノンビリちんたら歩いて届けたと考えるアフォ
360 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:21:00.11 ID:Ag3kvcE60
家族まで根絶やしにする必要がないでしょ。そこはどう説明
最上の駒姫とか斬首されてるだろーが!
無謀な朝鮮出兵とか、晩年の秀吉はウンコ
362 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:21:50.52 ID:0XieGoTRO
醍醐寺や本願寺にある史料をすべて確認するのに100年はかかるって言われてるし、この先結構歴史も変わって行くんだろうな
>>357 大河の伊達政宗でもやってたな。坂上香織だっけ。
それで関ヶ原の時は最上は東軍につくんだから、因果応報って奴だな。
>>159 まさにそれだな。
家康やその後の幕政で、鎖国した理由も延長線上にあるね。日本史の教えかたが植民地獲得の世界史とリンクさせてないから、単純なことなのに分からないままの奴を量産しているんだろう。日本は帝国主義に乗り出すのをやめる決断をしたわけだ。
>>340 征韓論があったから朝鮮討伐をした秀吉を利用しようって魂胆もあったのかもね
それもあって秀吉を正義とする為に秀吉の汚点が三成に押し付けられてるんじゃないかって個人的に思ってる
366 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:25:10.08 ID:wL43H0Po0
俺が秀次だったら、大人しく秀頼に豊臣家を譲って、
後は人生をやりたい放題に楽しんだのにな。
秀吉が死んだら、真っ先に家康について生き残りを図る。
367 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:25:41.47 ID:rRqvHmYO0
國學院大学文学部史学科卒業(1995.3)
國學院大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程前期修了(1997.3)
國學院大学大学院文学研究科日本史学専攻博士課程後期修了(2004.3)
あっ(察し)
368 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:26:01.86 ID:wesWwiUd0
その前にどっちでもいいだろ
>>358 戦国期は滅ぼした大名一族皆殺しがデフォになってるだろ?妻も磔じゃん。
情けかけて、遺児や一族が盛り返した歴史を学んでるからな。
370 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:30:00.37 ID:bpHbjSeU0
>>366 それを許さないのが権力者の疑心暗鬼だ
まして秀頼は小さかったからなおさらね
秀次が無能ならともかくそれなりに有能で人気があった
(切腹と処刑正当化するためいろいろ悪かったと史実を改ざんしただけで)
だから秀頼にとっては危険な存在
(秀頼が本当に秀吉の子かどうかは不明だけどね)
>>25 秀吉の子とすると妊娠期間の長さが通常とは違う。
秀吉が長期不在中に懐胎したとすると計算が合う。
寧々や他の側室は薄々感づいていたろうけれど、淀殿は旧主織田家の血筋だし秀吉も特別扱い、寵愛も深くてうっかり告発なんてしたら自分の身が危ない。
372 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:30:46.41 ID:nQpPlfdu0
高野山に行った使者は福島正則だ
堀尾忠晴と伏見で会って、呑み友達だった堀尾忠晴の家老が病気で大坂に残った
と聞いて、その日のうちに早馬で大坂まで駆けつけて酒盛したほどの人だ
>>1 多くの徒歩の供を連れてのんびり行くような人では無いだろ
前提が間違っている
373 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:31:18.42 ID:GgbjTKRpO
>>360 世継ぎに指名していたが、自分のガキが出来たんで邪魔になって追い詰めたんだよね。
親族って親子の情は深いけど、兄弟の情は薄いよ。
最上の娘なんか、側室になったばかりで斬首された。そこまでやったからには相当根深い出来事があったんだろうな。
仮に、切腹の命令書の日付に関する推測が当たっていたとしても、それは、切腹を命令したけど、
その命令が届く前に自主的に切腹したというだけでの話で、切腹を「命じず」ということにはならんよな。
「秀吉が命じず」という結論を引き出すのなら、その命令書自体が偽物であるということを証明しないと。
でも秀次の家族や家臣て悲惨な刑罰受けたんだよね
この話だと矛盾するだろ
376 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:33:31.40 ID:D29zi4tJ0
>>369 そんなのデフォになってねーよw
男児は殺されるのは書いてるとおり武家の歴史からだろうが
妻は旦那と一緒に自決するのはいるが磔になんぞならんわ
尼さんになったり、姫は政略結婚に使われたりだ
それよりスケートの織田 あれサルだな
>>46 半兵衛が生きていても豊臣家の命運はあまり変わらないだろうね。基本的に戦術家だし。
秀吉の死後、秀頼に忠義を尽くすかも微妙。黒田官兵衛みたいになるんじゃないかな?
秀長の調整能力があれば家康の行動を制限出来たかも知れないが、秀吉のカリスマ性で保ってた政権だから
遅かれ早かれ徳川に政権を持って行かれたんじゃないかな?
おねに息子(秀吉実子)がいれば話は別。豊臣家は明治維新まで続いたかも知れない。
尾張子飼いの大名が長生きしたとしても、すでに徳川の恩顧も受けてしまっているので豊臣家の戦力にはならないと思われ。
おねが家康側に着いてるしね。
謝罪力については淀殿がいる限り秀頼の意志は尊重されないだろうし、家康の基本方針は豊臣家の断絶だから難しいだろうね。
劉禅の場合は皇帝というより実質的には地方豪族だから、降伏するなら必ずしも滅ぼさなくていいし。
こういう歴史家はさ、秀吉を善人にさせる研究をしてるだけだわ
真田といい三成といい半官贔屓はとくだわな。
日本に長期安定を持たせてくれた小早川はずっーと悪役だぞ
敗者が国の安定に実力不足だから見放しただけなのにさ
この辺は関白解かれた時点で終ってるから事後の解釈はどうとでも取れる気もするが。
382 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:39:17.91 ID:bpHbjSeU0
>>369 そんなことはない
女が戦がらみで磔になるのは「人質」として約束が果たされない場合
相手が起こってやらかす明智光秀の母とかね
一族皆殺しの意図はない(そもそも妻は一族じゃないし)
小早川は豊臣を一大名として存続させつつ
徳川によって太平の世にすべきという考え
ねねも同じ考えだったと思う
大河ドラマ小早川秀秋やって欲しいな
385 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:45:32.43 ID:FTUqMGn60
>>322 三成は最後まで秀次を弁護してたらしいが
戦国時代後期からなら
切腹は名誉ある責任の取り方で
基本的に処刑は斬首
秀吉も高野山に追放を命じてる
隠居で許されるはずだったのが切腹してる
そう考えるとこの説はおかしくはない
しかし大和豊臣家は断絶だし
豊臣時代なら責任を取っての切腹で他は許されてたのが
切腹後に秀次事件まで起きてる
ここに矛盾がある罠(´・ω・`)
>>381 んだねえ。当時の史料が皆無だからなんとでも解釈できるわな。
このスレにもあふれてるけどwikiかじったようなにわか知識をもとに持論を展開するのはやめたほうがいいよな。
388 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:47:09.58 ID:nQpPlfdu0
>>380 豊臣秀次と小早川秀秋は最近見直されているだろ
石田三成が岐阜方面を放置して佐和山へ戻ったのは
小早川秀秋が彦根の高宮へ進軍してきたので佐和山城の
防御を固めるためだったとか、西軍が大垣を出て陣を
敷くさいに、毛利と連携出来る南宮山の麓でなかったのは
松尾山を小早川秀秋に占領されているので、
背後を攻められるから、とか。
「秀次悪逆塚」
結局これが答えだろ(´・ω・`)
>>325 料理人が手配されたら
あー、俺、もう切腹決定かあ。
って秀吉の意図を読んで早々に腹切っちゃうと思う。
キンゴーッ! キンゴーッ!
>>341 田中角榮は今太閤と呼ばれてたけど、人身掌握に長けてたことや成り上がり方も末路も、子供がアフォなところまで似てますね。
394 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:03:36.10 ID:+XsMsM8U0
自分で腹を切ったんなら
嫡男以外は許してやればいいのに
これはひどい歴史修正主義。日本は韓国に謝罪し賠償すべき。
>>312 若い頃から一緒に頑張った部下には冷たいよ
前野長康とか可哀想
小瀬太閤記は一次資料として引用するにはどうなのか
小牧長久手の戦い考えても
秀次は見直す必要はないただのうつけだ(´・ω・`)
斬首とするか切腹とするか、何れにせよ秀吉は一族殲滅しようとしてたんだけど、その沙汰を待たずに切腹しちゃったんじゃないかな?
どうせ殺されるなら罪人として斬首より名誉の切腹の方がいいもんね。
とりあえず駒姫ちゃんがかわいそう
【大阪の陣で秀頼が出陣していたら歴史は変わっていた!!】
っていう小説を読んだ
402 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:17:29.17 ID:nQpPlfdu0
>>396 木村重滋が石川五右衛門を雇って秀吉を暗殺しようとして、失敗したから
秀吉が激怒したという説もあるからな
それなら旧臣でも激しく憎む可能性はある
>>399 一応、秀次は縁側で碁を打っていて使者が庭先に現れてからすぐ
奥に入って切腹したとされている
>>401 事実変わってただろな
負けたり原因は総大将の毛利にあるからな
まぁ歴史にもしもはないけどね(´・ω・`)
歴史って創作ばっかりだからな。小学校の時は信じてたけど、実は史跡とか
古文書とか見つけた人が勝手に妄想語って否定する証拠が見つからなければ
そのまま事実扱いされてきたという真実を知った時はw
教科書に載ってた聖徳太子も西郷隆盛の顔も嘘だったしw
>>401 戦国物の仮想戦記は当たりを引いた事無いなあ
面白い作家さんとか居るかね?
上のほうもレスにもたくさんあるが、
「じゃぁ、連座して多くのものが罰せられたのは何故だ?」が反論の全てだな。
>>404 歴史は積み重ね、もしもが創作
時間が戻らない限り歴史に嘘はない(´・ω・`)
408 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:24:55.31 ID:ameeuCDn0
そのあとの妻子の処刑は誰がやったのさ
>>404 天皇って存在自体が捏造の産物だからな
明治で途絶えて長州藩士の血脈になってるわけだし
明治天皇の玄孫って最近話題だが所詮長州藩士の末裔え大したことはないんだよね
秀吉の晩年の劣化具合は相当やばいレベルだよな
>>89 最上の駒姫は輿入れ前で対面すらはたしてなかったと思うがw
いまの年齢で13くらいだろ?
凄いなw
413 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:32:26.45 ID:ct90m3EpO
>>401 関ヶ原に、だろ?
この説だと、秀次一族の大虐殺が説明できない。当てつけの切腹に秀吉が逆ギレってこと?
>>411 残されてる事実だけ見るとどうなんだろね(´・ω・`)
415 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:33:24.60 ID:MFNcAFt20
>>403 歴史は「もし」がないというけど、
むしろ歴史は「もし」の世界しかないと思うけどね。
本当の事実なんてわからないからね。
俺たちが事実と決めてるだけ。
たくさんのもしという選択肢の中から常識的に妥当だと思うのを選択してるにすぎない。
416 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:34:24.14 ID:C4Qkrr020
>>393 大河で角栄やるか?
合戦シーンが無いのが映像的に見応えしないけど
417 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:36:09.12 ID:Q6YxNnQf0
秀吉の晩年はただのクズだろ。
豊臣家を滅ぼしたのは秀吉自身の晩年のクズな行い
ちょうど時代劇専門チャンネルで独眼竜政宗見てたとこだ
陣内孝則が秀次やっていたが、アホの役が異様に似合っていた
>>398 16かそこらのガキの頃の失敗一つでうつけ呼ばわりはさすがに可哀想だろ、
>>309 まだ歴史的事実は確定してないだろ
信長が全く無関係で徳川の内紛だという確実な資料でもあるのか?
>>59 幽閉したのに、抗議の切腹とかしたから、ぶちきれたんじゃね
「阿部一族」の理屈ならありえんでもないけど
ただ江戸後期の武士道とリンクするもんかねとも
思えちゃうしよくわからんな
>>293 >「弥生」に科学的根拠は何一つない。
他の時代の科学的根拠ってどんなものなの?
たとえば縄文時代の科学的根拠ってどんなものなの?
>>415 それは歴史の記録を書き換えたり、物語をつけるからだろ
425 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:43:13.74 ID:Q6YxNnQf0
晩年n朝鮮出兵や秀次の処刑などの愚考を繰り返したのでしょうか
>>420 奥さんが今川義元の姪なんだっけ?
確かに信長に対して含むものありそうだ
そもそも三河って内紛ばかりしているしな
家康が晩年に岡崎じゃなくて駿府に住んだのも良い思いでが無いからじゃね?
427 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:44:27.75 ID:nQpPlfdu0
前野に関しては、もう一人の家老の田中吉政の密告があったとか
田中吉政がこの後、八幡山三万石に取り立てられるのはご褒美だろね
428 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:45:29.54 ID:4342H04F0
晩年の秀吉は朝鮮出兵や利休、秀次の処刑などの愚考を繰り返し
最期は憐れみ買ってまで息子始め自分の家の存続を訴える。
429 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:45:52.31 ID:xoI8jMxF0
歴史学者の必須条件
・「通説や証拠よりもまず,結論ありき!!」
まぁ面白いからいいんだけどね(´・ω・`)
430 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:47:44.63 ID:1RTk+89n0
徳川なんかが天下を取ったばかりによく分からねなw
431 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:49:24.64 ID:ap315eip0
千利休に自害を命じ
甥の秀次を側室や子供共々処刑
あげくには明国を侵略せんと朝鮮へと兵を侵攻
結局、豊臣家は秀頼の代にて徳川家康に滅ぼされる
432 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:49:29.17 ID:L4FJaBeS0
農民から関白に成り上がって、関白にしてくれた叔父さんに赤ちゃんが生まれ、座を下ろされた。
それから間もない。
これで命令もされないのに、一つの命を散らすように、切腹するような人間がどこにいる。
いくらでも叔父さんとの話し合いを考え、座は降りても、親戚一同、盛り上げていこうとか、模索するだろうに。
んな、簡単に死ぬなら、戦国の世を渡ってこれなかったよ。
>>429 そうしないと予算も名誉も手に入らないからね
建築家とはよく似てる
真面目な住みやすい家を建てる人より
奇抜な家を建てる人が受けるからね(´・ω・`)
434 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:51:22.06 ID:nQpPlfdu0
>>431 秀次が生きていたとしても、秀次派と秀頼派で内紛になったら
政権は持たないと思う
435 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:51:56.67 ID:uFleh/mui
実際のところ一族郎党皆殺しにするってどんな理由なんだろ
秀頼うまれたってもまだ2歳とかだろ?
ちゃんと育つかわからんのに
437 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:54:56.51 ID:nQpPlfdu0
>>433 従軍慰安婦問題とか
珍説を拾ってきてネタにして紙面を埋めよう、売り上げを伸ばそうとするからね
朝日新聞とか学研ムー(ムー別冊、歴史群像を含む)とか
438 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:55:00.07 ID:Q6YxNnQf0
同日高野山へ入り、それから1週間後の15日に秀次の許へ正則らが訪れ、
秀次に対し秀吉から切腹の命令が下ったことを伝えられ、
同日、秀次及び秀次の小姓らを含めた嫌疑をかけられた人々が切腹することになった。
秀次は雀部重政の介錯により切腹し、そして重政と東福寺の僧・玄隆西堂も切腹した
(仏教寺院内で五戒の一つである殺生を行うことは異例である)。
秀次及び同日切腹した関係者らの遺体は青巌寺に葬られ、秀次の首は三条河原へ送られた。
そして、8月2日(9月5日)には三条河原において、
秀次の家族及び女人らも処刑されることになり、
秀次の首が据えられた塚の前で、遺児(4男1女)及び側室・侍女ら併せて39名が処刑された。
約5時間かけて行われた秀次の家族らの処刑後、その遺体は一箇所に埋葬され、
その埋葬地には秀次の首を収めた石櫃が置かれた。
その後、秀次ら一族の埋葬地は慶長16年(1611年)、豪商の角倉了以によって再建されるまで、誰にも顧みられることなく放置されていた(畜生塚)。
なお、秀次に関連した大名は監禁させられ聚楽第も破却された。
439 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:55:00.23 ID:C4Qkrr020
秀次自身は中継ぎの覚悟が出来て家康等々の甘言に惑わされないで
秀頼を守り盛り立てるかもしれないけど
秀次の子、孫が不安要因だな
440 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:55:58.40 ID:YfBr+N79O
明智光秀が謀叛したとき豊臣秀吉は何キロを何日かけて移動したんだっけ
441 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:58:01.32 ID:Q6YxNnQf0
秀次事件の影響
どのような所業であれ、一度出家した者に切腹を要求する事自体当時としても考えられないことであった。
また武家とはいえ、天子の後見人として殿下と敬称される地位にあった関白が
失脚早々に切腹を申し付けられ梟首となったことも、公家社会に衝撃を与えた。
それに輪をかけて切腹を受け入れたにもかかわらず
首を晒し一族郎党を処刑するという、このような苛烈な仕置は、豊臣政権内外に大きな禍根を残した。
藤木久志は政権内部の対立が秀次事件を機として、さらに深化を遂げたと評している。
また、秀次事件に関係し秀吉の不興を買った大名は総じて関ヶ原の戦いで徳川方である東軍に属することになる。
笠谷和比古は、朝鮮出兵をめぐる吏僚派と武断派の対立などとともに、
秀次事件が豊臣家及び豊臣家臣団の亀裂を決定的にした豊臣政権の政治的矛盾のひとつであり、
関ヶ原の戦いの一因と指摘している。
秀次は秀吉晩年の豊臣家の中では唯一とも言ってもよい成人した親族であった。しかし、秀次とその子をほぼ殺し尽くしたことは、数少ない豊臣家の親族をさらに弱める結果となった。
442 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:58:17.17 ID:a8DkGqDd0
秀次はなまじ有能だったのが、己の不幸だったのかもしれんね。
>>441 Wikipediaコピペしてるだけやん
444 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:59:40.69 ID:/xKftqC60
今の価値観で考えても意味ないだろ
445 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:01:07.73 ID:MFNcAFt20
>>429 でも通説が間違っていたなんて結構あるんだけどね。
そもそも、そのときそのとき都合よく書き換えられるのが自然な行為なんだよ
客観的に本当のことを書きましょうっていう姿勢は、近代からだよ。
通説は多数決と一緒。
でも多数決が真実であるとは限らないわけでね。
悪く言われているけど、実際は違う面がある、もちろんその逆もあるって
いうのは歴史に限らず、人間活動全般にいえることでしょ。
>>312 ビミョウにツボにはまったw
これコピペか??
447 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:02:47.20 ID:jXwONxJMO
駒姫とか可哀想だったよね
駒姫ってひょっとしたら秀吉がレイプして殺したんかな。
そういうこと考えると興奮するよね
無茶言うなw あまりにも珍説すぎる
秀次縁者が駒姫を始め処刑された件はどう考えるんだよ
450 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:03:25.14 ID:C4Qkrr020
秀頼は秀吉の正当直系の継承者(真偽はともかく)だから
幼子で有っても威光も有るし各大名も従うだろうけど
甥っ子傍流の秀次では従う大名は少ないでしょ。
秀頼を排斥して秀次が立つって事は
秀次自身が一から天下統一を始める事な訳で
豊臣どころか日本中が戦国へ逆戻り。
あまりにリスキーだから秀次自身は秀頼を廃したりしないとは思う
451 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:03:37.39 ID:iO1UvxOo0
黒鉄ヒロシ より
能力が高く魅力的だった若い頃の秀吉と、晩年の彼を比べるとあまりにも違いがある。
司馬遼太郎は「軽度のパラノイア(偏執病)の症状が見られる」と指摘。
原因は“老い”だけなのだろうか?
雑兵から一緒に成り上がり、参謀として頼りにしていた弟・秀長が病死。
さらに、やっと授かった愛息・鶴松も病死。
この頃から秀吉は急におかしくなる。
千利休を死に追いやるが、その理由ははっきりとわかっていない。
しかも、彼の死後に「利休の茶を飲んだ」「利休の設計によって伏見城を建てる」などの不可思議な言葉を残している。
秀頼が生まれると「この度は淀殿だけの子供である」という奇妙な手紙を出す(自分の子ではないと言いたかった?)。
ところが一方で、大喜びして秀次を切腹に追い込む。
秀次には悪いイメージもあるが、温厚で知識人だったとの記録もある。
そんな彼に秀吉は訓戒状(「女遊びをするな、茶ばかりするな、狩りをするな」などが書かれていた)を出している。
しかし、これは実際に秀次が行った行動に対する戒めではなく、
ただの秀吉の「妄想」だったとは考えられないだろうか?
秀吉は自分の死後、秀頼の統治を磐石のものとするために、五大老に宣紙を何度も何度も書かせている。
これは秀頼への愛情によるものなのか?それとも単に書かせたことを忘れてしまったから?
秀吉は症状がまだらに出る認知症だったのではないか?
そうであれば、石田三成でも諫めることが出来ないはず。
最高権力者に意見できる者などいない。
>>434 秀長が生きていたら分裂しないでまとめてたかもなあ
木食上人が秀吉を恐れて、切腹命じてないのに腹切らせた。それを聞いた秀吉が、「上人は腹を切らせてしまったか(上人ならわしの意向を汲んでくれると思ったのに)」みたいなこと言ったんじゃなかったかな?
454 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:06:26.83 ID:nQpPlfdu0
>>448 15歳で上洛して処刑の時19歳という説もあったみたいだが
興味なかったので詳しい事は忘れた
455 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:07:48.32 ID:MFNcAFt20
>>448 秀吉は性には弱い。
早い時期からインポであって。
失禁とかもしてしまう。
秀吉は明るく温和な人柄で教養人なんだぞ。
乱暴なのは信長、陰湿なのは家康。
見たんか?
457 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:08:48.97 ID:ZegPCz6a0
秀次は殺生関白、女にだらしなく、無能と言われてるが当然後付
実はかなり優秀で中国・四国・九州の戦では数々の武功をかかげ
秀長の功績の影に必ず秀次の助言・進言があった。
人柄も温厚、領民に慕われ部下から信頼され、太閤検地や刀狩も
元々秀次が領内で行ってたことを三成あたりが真似をした。
秀次処分は、秀次が実権を握ると豊臣政権の磐石化を恐れた家康や
秀頼に跡目を継がせたい淀殿一派、元々下賎の出身の豊臣氏を疎ましく思ってた
公家衆の利害の一致により仕組まれた事件といえる
458 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:09:05.08 ID:FF+c3ESQ0
追放した時点で秀吉はダメだろ
秀次の家族は皆殺しだし、目立ちたいだけの新説はどうでもいいよ
確かに下層から身を起こしただけに、秀吉は優れた人物だったが
晩年の姿は、猜疑心が非常に強く感情的な一面を見せていた
猿太閤とか、そんないたずら書きを見つけると
犯人がわからなかったら、その土地の人間を皆殺しにしたとかな
漢の高祖・劉邦も、皇帝になってから、自分の臣下で有能なのを片っ端から殺している
その中には、兄弟同然に育った竹馬の友も含まれていた
劉邦と秀吉の共通点として、下層から身を起こしたってだけだが
要するに無教養であった彼らは、自分の無能な部分を良く知っていた
それだけに、そういうのを持っている連中は部下であっても、怖くて仕方がなかったのだな
それが虐殺に繋がった
460 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:11:25.25 ID:HyuLE51d0
三条河原で処刑された人達は何故処刑されてしまったの?
461 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:14:25.75 ID:nQpPlfdu0
>>457 武功はともかく、秀次が夜中に開いた茶会に千利休が訪れて
秀次の趣向に驚いたという逸話のとおりなら、相当優れた
文化人だったのは確か
っていうか、一族郎党関係者皆殺しにしといて、
秀次だけ生かしとくつもりだったって言うのは無理なんじゃないかな?
いかしておこうと思ったのなら、
その後関係者を連座処刑する必要ないじゃん。
>>460 秀吉晩年の狂気と呼ばれる所業だ
秀次の妻たちは、それぞれ有力な大名がついていただけに
彼を殺害したことは、後々まで禍根を残した
若い頃の秀吉であれば、その程度のことはわかったはずだ。
老いても権力の固執し、まともな判断能力を失っていたとしか思えない
464 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:15:19.89 ID:JKDm/Lwm0
>>403 毛利が総大将だったのは関ヶ原でしょ・・・
>>198 当時の織田は、尾張統一前とは言え弱小ではないだろ。
大滝秀治
秀次が自発的に腹切ったのなら秀吉は正室側室子供皆殺しにはせんだろよ
最上家は娘を殺された恨みから関ヶ原で東軍についた史実まで無視する珍説を載せる産経…
秀吉は武家の生まれではなかったが豪農の家というのもあるらしいな。
>>468 五代将軍綱吉の生母は商家の娘だったよ
この時代の武家は、公家ほど生家の身分にはこだわらなかった
ま、さすがに生母の身分があまり低いと体裁が悪いって時もあったそうだが
471 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:22:50.01 ID:BEkCMymC0
豊臣秀次と言えば八幡山城主
神社の前にある
たねやのバームクーヘン 食べたい
こんなどうでもいいこと調べて金もらえるなんて羨ましいな
若い頃に前田利家とは家族ぐるみの付き合いがあったから利家とほぼ同格の身分だったか
>>43 若い頃に別の妾に産ませたけど早逝した子がいるよ。
475 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:26:23.43 ID:nQpPlfdu0
>>468 父親が鉄砲傷が原因で死んだというのは疑問はある
鉄砲伝来は秀吉が産まれてから6年後
淀君がいなかったら大阪が日本の首都になっていたな。あぶねー
>>474 それも茶々の子じゃなかったっけ?
だから、二人目の秀頼には幼名で捨と名づけたんじゃ?
殺生関白云々は置いといても、蒲生家の相続の件で秀吉の意向に逆らったりしてたし
秀吉と秀次の意思疎通が、うまく行ってなかった事実。
秀頼との格付けをきちんとするために、一旦失脚させてから
秀頼が成人するまでの中継ぎとしての立場を明確にするとか
そんな腹づもりでいたら切腹しちゃったから
一族皆殺しは、秀次の切腹を自分への当てつけと思った秀吉の暴走って解釈もできるか。
479 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:30:06.10 ID:nQpPlfdu0
480 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:33:48.05 ID:aELNWZCr0
項羽と劉邦だってそうだよ
晩年は項羽の方が哀愁漂う人間らしさに溢れているのにたいして
人徳の人と言われた劉邦は猜疑心にかられ暴君と化したじゃない
成り上がりが権力を得た時に有りがちな顛末ではあるだろ
481 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:33:57.28 ID:f1FQitRE0
>>478 切腹は恭順だけでなく、抗議の意味もあるからな。
>>479 秀勝は養子だろ。
秀吉の血は引いてねぇ。
>>480 劉邦は粛正したけど粛正されなかった部下の働きぶりみるとそこまで間違ったやつ殺してないと思う
484 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:36:39.25 ID:nQpPlfdu0
>>482 養子複数に、最初の実子の名を付けた
それらも次々に亡くなった
>>480 項羽は傍若無人な性格だっただろ
木曽義仲に近い感じだわ
486 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:38:03.23 ID:whnXVc/O0
徳川が豊臣貶すために
宣伝しまくったんだろ
徳川はカス、チョンみたいだ
>>484 そんなこと聞いたの初めてなんだけど? ソースは?
秀吉の姉と三好の間に生まれた次男が秀勝だったはず。
489 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:42:26.62 ID:vvhm1dhS0
>>355 >他の区間は馬使用
兵で取り囲んだとのことだが、それ全部馬に乗ったのか?
ここのスレ面白えなあ
高野山ってなに?
492 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:43:05.73 ID:vHfWV5kc0
宅間守みたいなやつだな。
この時代にも切腹とかあるんだ。
496 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:47:22.64 ID:FTUqMGn60
497 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:48:00.36 ID:Y0rS1y610
山内一豊も実子は居なかったがおいが家を
継いでる。今も子孫が続いてる。そんな子孫に
とって一豊は先祖。
豊臣家の血としては秀次の弟の完子が子孫を皇室
や浅野家に残している。
498 :
497:2013/11/18(月) 12:51:05.93 ID:Y0rS1y610
だから皇室にとって秀吉は先祖の一人
たしか項羽は30歳くらいで死んだんだよな
三成悪人説はかなり弱くなったな
三成はあの時代最強の小物界の大物
503 :
497:2013/11/18(月) 12:56:29.07 ID:Y0rS1y610
秀次の弟の娘の完子な。
間違いすまそ
キリスト教だの持ち出したところで当時は
うっすらと国や民族の意識があるだけで、今の白人とか、国民や国家
みたいな意識はない。世界中がそう。
領主同士の戦いみたいなもんで一般人はどうでもいいこと多い。
島原の乱でも幕府の依頼でオランダが籠城する砲撃して切支丹潰すの手伝ったり、
日本人傭兵がイギリスに雇われてフランスと戦ったりとか。
半島も最初は日本軍を歓迎して民衆が食事出したり色々してたが
清正が無茶やってレジスタンスみたいになった。
505 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:57:17.62 ID:C4Qkrr020
豊臣党の山本一太かよ
本能寺を含めて、何で秀吉は寺町に集めたの?
後に福島正則が広島でマネしたよ。
507 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:58:06.12 ID:Smrek5aD0
しかし幼児のうちに死んだ奴に
幼名とは別に元服した後に付けるはずの諱が用意されてる不思議
どういうカラクリなんだろう
しかも秀勝だと勝家からの偏諱か?
三成以外の豊臣子飼いがまるで馬鹿のような扱いが直ることはないのだろうか
509 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:01:09.67 ID:6kCB7WM1O
昔の人って現代人の20倍位足腰強かっただろうからあっちの方も滅茶苦茶強かったのかね?
510 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:01:18.92 ID:mFMOehpVO
>>501 頭が堅いだけで悪役じゃないぞ。終盤には数寄に目覚めてるし。
511 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:02:29.09 ID:Pn2tW6ib0
妻子殺しまくりがすごいよな
信長より魔王だろ
三成と淀が秀次を落とし入れようとあれこれ吹き込みまくる許し難いがまぁ身内からと高野山追放に留めておいたらテンパった秀次が切腹
ブチ切れた猿が女子供を皆殺しと
513 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:05:44.81 ID:bpHbjSeU0
>>511 叡山焼き打ちとかみたいに戦の流れで庶民壊滅させると言うならともかく
自分の甥の出自のよい妻達をその身内の命乞いにも頓着せず処刑というのは
愚かとしか言いようがない
>>500 そもそも「○○悪人説」なんてもの自体が歴史学には存在しない。
悪だの善だのは個人的な好みの問題であって、歴史学で個人的な
好き嫌いの定義などしない。
>>507 養子にもらった信長四男も秀勝
さすがに、信長の実子が勝家から偏諱を貰うとも思えないから
あやかったか何かじゃね?
>>514 割とされてるんじゃね?
出兵で無茶やって叱られて逆恨みして
三成襲撃してそのままなにもせずお家滅ぼした訳だし
518 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:11:02.91 ID:nQpPlfdu0
>>506 寺は区画が広く多勢の人が入れるし、構造が頑丈なので
城(聚楽第)の外郭の防壁に利用する(鴨川が外堀)
519 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:11:37.67 ID:vvhm1dhS0
>>506 寺院を城下町の一角に固めて配置すること?
当時の寺院は中世の名残で城みたいな構造だったんだよ。
だから城下町の四隅に主に配置して城の出城の役割をさせた。
520 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:14:47.28 ID:90EsIloq0
國學院雑誌ってグラビアあるのか?
どこで見つけたんだ?
521 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:19:13.36 ID:wmgAuQkj0
秀次と秀吉の弟で参謀役の秀長が長生きしてれば
徳川家康は天下取れなかったよ
522 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:19:13.47 ID:D29zi4tJ0
>>511 信長は残虐非道というイメージだけど実際は結構寛容な人物
秀吉のほうが晩年はえげつないことやってるからな
信長の息子2人を殺しておいて織田家から天下を盗み取ったから
家康が豊臣家を滅ぼしても大義名分がたつ
信長は宗教勢力を徹底的に叩いたから残虐扱いされてるけど、
あの時代の(別の意味では今もだけど)宗教勢力って大概アレだから、
ああでもしないとおとなしくならなかったってのはある
524 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:23:42.20 ID:nQpPlfdu0
>>506 広島なんて元々何も無いのだから、名所が出来て良かったじゃないか
>>511 信長が魔王って言われてるのは、既存宗教への弾圧が主な理由だろ。
戦う生臭坊主が対象だったとは言え、
一応、坊主に弓引く=神仏へ弓引くだから。
っていうか、当時の仏教業界がそういうことにした。
>>513 かつての漢武帝も天下取った後は反逆を恐れるようになり、オカルト狂いに。
呪いを妄信して挙句の果てに跡取り息子を死なせる結果になったというね。
秀次と話した事あるけどイイ奴だったよ^^
528 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:30:14.15 ID:vvhm1dhS0
>>523 >宗教勢力って大概アレだから
ちと乱暴な言い方だなw
信長の叡山焼き討ちやら一向宗との対立やらあったけどそれらは戦国大名
同士の争いみたいなもの。
寺社は荘園領主でもあったから権力や武力も保持していた。
これは欧州でも同様だな。
徳川幕府が寺社を寺社奉行の支配下に置いて統括して実質的に政教分離し
た。
529 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:30:18.68 ID:NBeG+oEh0
>>523 てか、比叡山焼き討ちに関しては、信長が焼き討ちする頃は建物なんて大層なものは残ってなかったからね。
比叡山はすでに細川氏によって徹底的に焼き討ちされてたからw
信長ばかりが強調されるけど、マジで比叡山を徹底破壊したのは細川政元だからね。
妻子が皆殺しだったのに
実の父母は生かしておいたのが謎
妻子殺した程度で騒いでいる奴は童貞
532 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:35:18.53 ID:qXDsqTNi0
>>525 信長自らが第六天魔王と称しているからな
>>526 >漢武帝
?
前漢の武帝なら天下取るも何も彼は5代目のボンボン
確かに跡取り息子を殺してるけど
オカルト狂いなら後漢の光武帝のことなんだろうな、多分
跡取り息子の部分が謎だけど
廃太子の東海王のことなら光武帝が死ぬまで生きてたはずだし
534 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:36:55.47 ID:KY3pdgzA0
sengokeをイチから生き抜いた人だし、ケーススタディもバッチシ。
誰が裏切るか、もし裏切った者がいたらどう対処するかも知っている。
伊達政宗の行列の評判からの傾奇者の一件もそうだし、
その後白装束で秀吉に対峙したのもドラマでよく演じられる話。
まぁ、こういうのはあってもおかしくない話かな。
でも、こういう話にも興味がある。以下に続く。
535 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:41:25.40 ID:ezgdhede0
536 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:41:46.00 ID:uGaNkgwq0
中山秀征がどうしたって?
537 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:42:11.42 ID:eyKZKWtsO
>>109 現在の大阪狭山市は北条氏が支配してたんだよね
一族郎党連座だなんて
キリシタンでもあったのかねぇ
秀吉とはいえやり過ぎだろ
秀吉は表の評だけでは分からんから
539 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:43:36.87 ID:KY3pdgzA0
慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)とは慶長18年(1613年)に仙台藩主伊達政宗が
フランシスコ会宣教師ルイス・ソテロを正使、支倉常長を副使として、エスパーニャ帝国(スペイン)の
国王フェリペ3世、およびバチカンのローマ教皇パウルス5世のもとに派遣した使節である。
使節団は、慶長18年9月15日(1613年10月28日)にサン・フアン・バウティスタ号で牡鹿半島の
月ノ浦(現在の宮城県石巻市)を出帆し、ヌエバ・エスパーニャ太平洋岸のアカプルコへ向かった。
7月23日、キューバのハバナに到着。8月7日、ハバナを出港した。
10月5日、エスパーニャ南部のサンルカール・デ・バラメダに到着。
セビリアの貴族であるソテロの本拠地、セビリアに入った
12月20日、使節団はエスパーニャの首都マドリードに入った。
1615年1月30日、常長ら使節はエスパーニャ国王フェリペ3世に謁見した。
10月25日、使節団がローマに到着。10月29日、使節団がローマで、栄誉あるローマ入市式を行った。
11月3日、常長、ソテロらが、ローマ教皇パウルス5世(火薬陰謀事件に遺憾の意を表している)に謁見。
11月20日、常長らにローマ市民権証書が授与される。 wikiより
>>535 自分の子供を他家の大名の跡取り押し付け巻くって幕府の財政悪化させた
のってその人だっけ?
>>540 そう
尾張徳川家もアホを押し付けられて家臣の内紛に発展してる
542 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:49:24.70 ID:KY3pdgzA0
1月16日付 よみうり寸評
英国の豪華客船タイタニック号が初の航海で氷山に衝突、沈没したのは1912年4月のことだった
◆あれから100年になる。13日夜、イタリア中部ジリオ島沖の地中海でイタリアの豪華客船コスタ・
コンコルディア号が座礁した。「タイタニック号の映画のようだった」と同船の乗客◆死者の数など事
故のスケールは比べものにならないのだが、乗っていた身とすれば同じく巨大な豪華船の事故でもあり、
救われるまでのパニック状態はタイタニック同然だったのだろう◆タイタニックが衝突したのは氷山だ
が、コスタ・コンコルディアは暗礁らしい。タイタニックより余程余裕があったはずだが、コンコルデ
ィアの対応はまずい◆乗客に事故の知らせもほとんどされず、避難誘導のアナウンスもなかったという。
船長が乗客より先に脱出した疑いもある。タイタニックで楽団が演奏を続けた感動的なシーンを思い浮
かべた◆プールや劇場など豪華な客船で地中海周遊は魅力だが、横倒しの惨状を見れば乗船に腰が引け
る。(2012年1月16日13時47分 読売新聞)
◯航路の寄港地サヴォーナ(Savona)は、クリストファー・コロンブスが生誕したという「コロンブスの家」が町の郊外にある
(ジェノヴァもしくはその近郊で生まれたという説もあり)。また、当地出身のレオン・パルカルド(Leon Pancaldo 1482-1540)は
マゼランの仲間でもあった。
◯事故直後の寄港地であるチヴィタヴェッキア(Civitavecchia「古代の街」の意)は、日本との関わりが深い街である。
また、ベツレヘムの姉妹都市でもある。
・1615年に慶長遣欧使節団を率いる支倉常長が日本人として初めてチヴィタヴェッキアに上陸した。武士姿の支倉の銅像が建立されている。
・支倉常長が出発した地である石巻市と姉妹都市である。
・海岸沿いに日本聖殉教者教会がある。同教会は第二次世界大戦で破壊されたが、1951年再建にあたり、内装を日本人宗教画家長谷川路可が担当し、
内陣5面の日本聖殉教者殉教場面とエピソードのフレスコ壁画、内陣天井画として和装の聖母子像と聖人像、
会堂両側の壁龕6面の聖画を6年がかりで独力で描き上げた。
>>522 信長が寛容だったのは、特に身内にたいしてと思うけどねー。
反面、やたらめったら苛烈になるのも身内に対してだったりするけど
FAで獲得してきた明智とかを必要以上に厚遇するわりに
役目が済んだらハイそれまでよ…とばかりに地縁のない地域に送り込んで
今までの所領は没収するから、領地は切り取り次第で頑張れよ…とか結構ひどす。
544 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:50:27.11 ID:nQpPlfdu0
信長も伊賀者だけは徹底的に殺戮したからね
甲賀者の比叡山の僧、杉谷善住坊に殺されかけたのが
トラウマにでもなったのだろう
545 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:53:43.29 ID:dKYi9Y9E0
田中吉政は黒な気がする。
若き日の平清盛は寺社勢力が強訴に来た時に神輿に矢を射たな。
547 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:57:14.81 ID:ZegPCz6a0
秀次の重臣の山内一豊は家康政権で土佐藩藩主
これだけで黒幕が誰かが分かる
まあ、秀吉は日本を侵略して植民地にしようとしてたバテレンを徹底的に
取り締まったことだけは評価できる。あれは大正解。
秀次勢力が秀吉暗殺を企み、それに一部の南蛮勢力や大名も連座してた
…ぐらいのことが露見したぐらいじゃないと
あれほどの殺戮はしないような気がするけど…既に秀吉はボケてたっぽいからなー。
日本の歴史上、独裁者と呼べるのはマッカーサーと秀吉ぐらいって説もあったりして?
まあ晩年の秀吉がただの耄碌ジジイだったのは秀吉好きでも認めざるを得ない事実だから
中世の寺社勢力は半端無かったからね。
553 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:04:53.51 ID:QGeIc+JZ0
>>510 へうげものでは最後に大逆転をやらかした
数寄が全然わかってない
そのわかってない堅物が懸命に繕ったものが最高に面白い
555 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:08:18.23 ID:NBeG+oEh0
>>552 織田信長が、生涯で3度だけ命をかけて寡兵で大軍に突っ込んだ事がある。
1度目は稲生の戦い(信長700対織田信行3000)
2度目は桶狭間の戦い(信長3000対今川義元45000)
そして3度目は本願寺との天王寺の戦い(信長3000対本願寺15000)
当時の寺社勢力は恐ろしい動員力だよね。
556 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:10:07.16 ID:N4wPXmEc0
漫画とアニメでどや顔で史学を語るν即民って
本当に朝鮮人に似てるよね、本当にレベル低いわ
側室になる予定だった娘まで処刑とか猿はどこまで狂ってるのか
>>556 レベルの高い史学とやらをレスして見せてくれよ
思いきり嗤ってやるからw
559 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:16:07.51 ID:NBeG+oEh0
>>557 石田三成がやったんだろ?
秀吉がいちいちそんな細かい事まで指示しないって。
560 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:16:32.57 ID:/zOF9dUD0
秀吉が生きてる間、誰も謀反を起こさなかった
実際の秀吉は人望があったんだろう
徳川が反乱起こしたのも、死んだ後
561 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:18:00.88 ID:D29zi4tJ0
>>525 よく間違われるけど信長は宗教弾圧などしていない
比叡山にしても別に僧侶が仏の道だけに没頭していれば何もしなかったよ
武装したり、治外法権で好き勝手やったり、政敵を匿ったり、政治に口出したりしたから焼き討ちしたのであって
仏教を禁止したりしていない
本願寺も一緒で別に信仰の禁止など一切してない
世界中で解決していない血みどろの宗教戦争がない日本は信長のおかげだと思う
562 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:19:42.49 ID:NBeG+oEh0
天王寺の戦いって信長が「オレが先陣切る」「は?」「は?じゃねーよ
おれが先頭で突っ込むつってんだばか」「いやいやいやw」「だから
いやいやいやじゃねーから じゃあ行ってくるわ 遅れんなよ役立たずども」
「お待ちください!」って言って突っ込んでいって足に銃撃くらったやつか
>>560 伊達政宗とか元農民の分際でと思ってたそうだし、心服してないんじゃないかな
徳川家康も織田家の一家臣に臣従する義理がどこに?と心の中で舌を出してたんじゃないか?
565 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:21:16.29 ID:/zOF9dUD0
秀吉は信長の皆殺し命令に背いて、影で脱出経路作って女子供を逃がしたり、
勝手に戦線離脱とかしてるけど、それでも信長から見逃されるほど有能だった男だよ
そもそも秀吉に実子って嘘でしょ
種無しだよね
567 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:22:00.81 ID:RFlJPVvO0
本来なら懲戒免職喰らってもおかしくないようなことやった
教員や公務員が温情で退職前提で停職喰らうのと同じことなんじゃねーの?
近頃は辞めないドあつかましい奴が多いけど
分かってるよね?自分の始末は自分でつけてね?ってことで
568 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:22:09.59 ID:/eaMvN0JO
こんなにも雪が降った峠を
これほど早く超えられるわけがない
書簡はにせものだ
570 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:23:52.37 ID:/zOF9dUD0
>>564 それでも表立っては逆らえず、白装束で土下座する政宗
結局、秀吉が生きてる間には勝てなかった小物
571 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:24:47.67 ID:WsR71I+l0
秀次ヌッコロしてなければ豊臣政権が260年は続いたのにね。歳取ってからの秀吉は耄碌しまくりんぐ
聚楽第ぶっ壊したのに死ななくてもいいんだよはあり得ないだろ
利休殺したり、国力度外視で中国に喧嘩売ったり、やっぱ天下人になって暴君となったのが晩年の秀吉なんだろ
573 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:26:03.96 ID:l3kNwGhO0
でも朝鮮には悪いことをしたよね
574 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:26:16.04 ID:NBeG+oEh0
>>563 想像したら結構笑えるよねw
急に動員かけたから、集合したのは柴田勝家や羽柴秀吉みたいな重臣クラスがほとんどw
下っ端が動員に追いつけなかったから重臣クラスが信長と共に最前線で本願寺一揆勢と白兵戦w
超ブラック企業だよなw
いや、下っ端社員にとっては役員クラスも最前線で働く素晴らしい企業かもしれないねw
駒姫の件がある限り秀吉がクソであることは動かない
>>570 島津義久も農民からここまで身を起こしたからには只者では無いと
降伏してるし、まぁ能力は当時誰も逆らえなかった程傑出してたんだろう
>>574 そうは言っても似たような事は武田信玄も上杉謙信もやってるんだよ。カリスマ的な経営者は
陣頭指揮を取って他の凡将とは違うってイメージを強くもたせないといけなかったんじゃないのかな。
秀次の首が入った石櫃って開けられたことあるの?
>>572 >国力度外視で中国に喧嘩売ったり、
ヌルハチがそれで成功してるから何とも言えんな
>>560 「人望」じゃないんじゃないかな。
刃向かったとしても「俺の器量では、とても太刀打ちできない」と
思わせる凄まじい才覚があったんじゃないかな。
581 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:37:59.88 ID:ct3XKdT10
ヌルハチの頃は明の末期だったからな。それでも後金と明では国力に差があったんだろうけど。
>>555 他はしらないけど、桶狭間はそんなに兵力差ない
織田の動員兵力5000。今川は2万5000だけど、領土内の押さえが必要だから
動かせたのは1万5000、本陣は5000くらいだったとか
次は武田義信について頼んます。
>>573 白丁どもは大歓迎で、税金踏み倒せると役所ぶっ壊して回ってるよ
その後、戦争継続には金かかると言われて手のひら返し
加藤マンセー!がいつの間にか鬼将軍野郎
ん?昭和の話か?
この手の戦国系スレがν速に立つと必ず現れコピペ連投で荒らしてた、あの基地外
今回は静かだなと巣の戦国板や歴ゲー板を覗いてみたら
…面白い事になってたんだな
>>583 いつも不思議なのが桶狭間の時の今川義元の領域って駿・遠と属国の三河で、
たしか家康の本能寺直後の領域も駿・遠・三の三国で70万石くらいだったはず
特に駿河の石高は大したことないし(17万石くらい?)
4万5000はもちろん2万5000だって動員出来たのかね?
寺に幽閉=毒殺、切腹コースなのは、鎌倉幕府以来の武家の行事みたいなものだろ
>>587 3000vs4万5000ほど離れてないよって、程度の意味にとらえてくれ
織田も終わり平定をほぼ終えてるから、5000じゃ少なすぎるか
590 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:53:28.94 ID:ezgdhede0
義龍側への警戒もあるから
信長側はそんなにだせんだろ
592 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:55:18.36 ID:vvhm1dhS0
>>544 伊賀は小領主の連合体で分散してゲリラ戦するから、頭潰せば終わりにならん
というのもあったんじゃ?
信雄が最初それで散々な目になっている。
593 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 15:00:05.09 ID:wYnxyeeW0
豊臣秀次は暗君説と名君説があるらしいね。
判官びいきもあるかもしれないが、
近江八幡では人気あるという話も聞いたことある。
594 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 15:03:16.88 ID:vvhm1dhS0
>>572 >国力度外視で中国に喧嘩売ったり
秀吉の唐入りの結果、明の財政はおもいっきり傾いて滅亡を加速させたけど?
信長や秀吉はやるだけやって恨み買って反逆を招くタイプ。
家康は普段は優しそうだが一度決めると徹底的に追い込むタイプ。
>>593 フナ侍と嘲け笑ったクズの殿様も地元では名士なんでしょ?
不思議なもんだね
597 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 15:07:31.28 ID:vvhm1dhS0
>>587 当時の駿府は地方に避難した貴族が集まってきたこともあるが東の京と言われた
程賑わい経済が良かった。
江戸期以降と違って駿甲相で分断されていたから陸海共に交通の要所になってい
た。
今は優れた人材がいないとかいうけど混乱した局面になると
強さを発揮する人間ってのがいて埋もれてるだけだと思う
そうであったとしても埋もれてるほうがいいのかもしれんが
豊臣は悪玉か、反徳川のネタだもんな。
太閤記が真実なんてあるわけないじゃん。
徳川幕府は家康のうんこ漏らしの話を良く残してたと思うよ。
他の国なら、初代が戦いで負けてうんこ漏らしなんて話残さないだろ…
日本史は割と屈辱的な話でも残す傾向にあるよね
>>600 権力者に金魚の糞みたいにくっ付いて、息子や妻殺して命脈保ったクズだもん
生きてる時からタイミングだけで天下人に収まっただけの凡将という目で町人からもバカにされてたんだろう
>>562 北条攻めで終わったって言われてるけど、九戸政実の乱が最後だよな。
5万だか6万の軍勢出して、
石田三成やら蒲生やら浅野長政っつーそうそうたるメンツそろえてしかも勝ちきれなかったとか。
過小評価されすぎだろと思う。
そういえば、秀次も参戦してたんだよな。
それで、伊達政宗と中尊寺で能見たりしてる。
>>594 大陸派兵がその後長期の安全保障につながったって説もあるな
中韓のそれまで倭猿と舐めぎみだった空気が「あいつらヤベー、ヘタに触んの止めよー」って空気作った
あんな大組織的な戦略行動見せられると、相手も腰引けるわな
新説出すのは勝手だけど他の事象との整合性とれんだろコレ
主君がうんこ漏らして、それを指摘できる家臣(俺だったらとても言えない)
主君が風にさらわれたティッシュを「もったいないもったいない」
と慌てて拾いに行くのを笑える家臣(俺なら見て見ぬフリをする)
神君イメージがあるだけに、家康と家臣のエピソードって結構驚くよな
>>606 自分を下げて偉大な先達を称える度量
失敗した事を踏み台にせよという教え
家康は立派な人だったんだな
というアピール
>>606 間違うな
ウンコじゃなくて味噌だろw
ところで家康公のしかみ像っていつ書かれたの?
あんなの北の将軍様でも書いていいんかね?
いや、あれは決して糞ではなく八丁味噌である(キリッ @徳川家康
切腹って名誉ある死だろ
でも家族殺されてるしどうもつじつま合わんな
611 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 15:46:37.80 ID:vvhm1dhS0
>>611 自分のみっともない姿を書かせて同じ過ちをしないよう教訓としたあたりは
さすが天下を取る人物だけのことはあるな。
徳川家康なんて秀吉より下層階級の出自不明の流れ者だろ
そりゃ家臣というかならず者仲間だからフランクなのは当たり前
井伊直正という家柄正しいやつを小姓にしてケツ掘ってコンプレックス解消してた小物中の小物
614 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 15:59:13.39 ID:yT4/s4Cd0
そんなことどっちでもええやん
実際に人が死んでるんやで!
死んだ人はもう帰ってこないんや!
三方原で歩兵のバイト?
いや
親の言うとうり農業真面目に頑張る
616 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:01:29.31 ID:vvhm1dhS0
ID変えまくってんだな。
619 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:09:28.85 ID:vsZBOBp50
実は秀吉なんかいなかった。
620 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:12:09.64 ID:GdGFOb1W0
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そもそも、実子の秀頼が生まれたのは秀吉が56歳の時。実子がどうかも怪しい。
最近は秀吉の晩年を悪くかたる説が目立つけどその「歴史」を作ったのが秀吉にかわって天下を受けついだ
徳川方ってことを考えたら、話半分くらいにきいといた方がいいだろうな。
>>613 家康影武者説を取ってるのか、それとも祖父あたりのことを言ってるのか知らないけど
今川家で人質やってる時に太原雪斎の教えを受けるなど将来を見込まれてたってことのが
その出自が怪しいとかより重要なことのような気がするなぁ。
将来の今川家のため、英才教育みたいなものでしょ。
625 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:27:26.14 ID:JKYkLeUR0
>>597 武田信玄の頃に駿河の金山枯渇したらしいし
極秘にされる金山だから正確な事は永遠にわからないだろうけど
>>622 父親が明確に認知しているのだから実子。
遺伝的に実子か否かなど当時としては確かめようもない事柄だから、
そんなことを言ってもまったく意味がない。
秀吉が実子であると認めたのだから実子。
627 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:31:21.68 ID:90EsIloq0
まあ、寝とるのは難しいだろうが、跡継ぎを得るための
側近の謀りごとでだったら・・・
628 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:31:37.60 ID:JKYkLeUR0
>>603 幕末の会津征伐も似たようなもので、辺境に中央が新政権に変わったのを
理解させるための大軍によるデモンストレーションみたいなものかもしれない
蓮如や毛利元就って何歳のときにガキこさえてたっけね
秀次の一族は粛清されて皆殺しにされてるから豊臣家の親族はほとんどいなくなったんだよね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E8%87%A3%E7%A7%80%E6%AC%A1 秀次及び同日切腹した関係者らの遺体は青巌寺に葬られ、秀次の首は三条河原へ送られた。
そして、8月2日(9月5日)には三条河原において、秀次の家族及び女人らも処刑されることになり、
秀次の首が据えられた塚の前で、遺児(4男1女)及び側室・侍女ら併せて39名が処刑された。
約5時間かけて行われた秀次の家族らの処刑後、その遺体は一箇所に埋葬され、その埋葬地には
秀次の首を収めた石櫃が置かれた。その後、秀次ら一族の埋葬地は慶長16年(1611年)、豪商の
角倉了以によって再建されるまで、誰にも顧みられることなく放置されていた(畜生塚)。なお、秀次に
関連した大名は監禁させられ聚楽第も破却された。
秀次事件の影響
どのような所業であれ、一度出家した者に切腹を要求する事自体当時としても考えられないことであった。
また武家とはいえ、天子の後見人として殿下と敬称される地位にあった関白が失脚早々に切腹を申し付け
られ梟首となったことも、公家社会に衝撃を与えた。それに輪をかけて切腹を受け入れたにもかかわらず首を
晒し一族郎党を処刑するという、このような苛烈な仕置は、豊臣政権内外に大きな禍根を残した。
秀次が生きてたら豊臣政権が続いたかどうか
結局家康にやられそうだが、子供の秀頼よりは簡単には行かなそうだな
632 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:40:28.36 ID:xm6MuaDN0
一族皆殺しなのにそれはねぇは。
駒姫の恨みは忘れんぞ。縁もゆかりもないが…
気狂い研究者が…
634 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:42:58.10 ID:xm6MuaDN0
駒姫、大人気だな。大河行けるで。
というか…秀吉の次は家康じゃなく、前田利家のが有力だったんだよね。
思ったよりも早死にしたせいで天下は回りものじゃなく
徳川家に転がり込むようなことになったけど。
秀次様に金借りてたヤツも多かったらしいな
細川の殿様だったけ?借りた金を家康公から貰って、急いで返したとか
637 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:47:32.03 ID:90EsIloq0
この矢部健太郎准教授って大学院終えて防衛大学校の専任講師になったんだね。
左巻きの早稲田や立命館からは採用されないんだろうなあ。
>>631 秀吉恩顧の大名が徳川に寝返ることはなかっただろうな。
色狂いの秀吉が、東国一の美少女・駒姫を処刑させるはずがない。
641 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:53:14.25 ID:JKYkLeUR0
>>639 東北一というのが事実かどうかも判らないし
畿内だと特に目立たない程度かもしれない
秀次だって、最上を味方につける政略の意味合いが強いだろうし
大河ドラマなみだよ 教授って誰でもなれるん?
643 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:55:03.10 ID:xm6MuaDN0
645 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:58:59.80 ID:iO1UvxOo0
駒姫
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A7%92%E5%A7%AB 彼女らの遺体は遺族が引き渡しを願ったが許されず、
その場で掘られた穴に投げ込まれ、
さらにその上に「畜生塚」と刻まれた碑が置かれた。
そのむごたらしさに都人は浅ましいとも何とも言いようがない思いを感じたと伝わる。
娘の死を聞いた母の大崎夫人も、悲しみのあまり処刑の14日後に亡くなった。自殺と推察されている。
義光の憤激と悲嘆も激しく、この悲劇がのちに彼が関ヶ原の戦いで東軍に属すきっかけになったという説もある。
駒姫の悲劇性とその後への影響
当時の武家社会でも男子はともかく女性は助けられるのが慣例であり、
秀吉が秀次の妻妾子女ほぼ全員を処刑したのはそれを無視したものであった。
駒姫の死や、遺骸の処理は当時の社会通念からしても明らかに不当かつ残忍極まりないもので、
最上家はもちろん諸大名、世間一般にもショッキングなものと受け取られたことは想像に難くない。
ちなみにごく一部ではあるが、秀次の妻子でも助命されたものもいる。
駒姫がまだ実質的な側室ではなかったにも関わらず、助命嘆願を無視して処刑されたことを考えると、
当時義光が秀吉から冷遇されていたことがわかる。
この事件以降、義光は反豊臣急先鋒となり、慶長出羽合戦では奥羽における東軍の要として活躍した。
この惨劇は豊臣政権の寿命を縮める一要因ともなったわけである。
646 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 16:59:06.17 ID:ZegPCz6a0
秀次は自分が切腹したら妻子は助かるかもって思って自ら切腹したのかも
でも秀吉はそんな甘い奴ではなかったと・・・カワイソス
648 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 17:03:58.14 ID:JKYkLeUR0
>>647 利休も切腹した後、一条戻り橋に晒し首
昔は生存説がでて世の中混乱しないように
影響が大きそうな人は晒し首にされる
>>645 正室は助けたんだっけか?
故に余計反豊臣に回るだろうな
オレの政治力が無いばかりに娘を死なせてしまったとなって
大河の伊達正宗では最上と遺恨のある正宗も助命嘆願してたな。叔母だしね。
>>602 タイミングだけで天下とったのは秀吉な。家康じゃないだろ。
駒姫なんてヤりまくってアヘ顔ダブルピース状態にしてから斬首したんじゃねえの?
まあ、女の扱いでも実は家康以下だったんだな。秀吉は。
家康は何気に女に頭上がらんかったから。
築山はヤバすぎて処断したけど
>>653 そうだった。伊達政宗の母親は妹だったな。
655 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 17:22:40.45 ID:qXDsqTNi0
最上義光は最上家が伊達家に従属的な立場だったのを脱し
関ヶ原のときは上杉の猛攻と単独で闘い自領を守りきり(救援を要請された伊達政宗は上杉の強兵を恐れ兵の動員だけして救援に動かず)
伊達政宗とほぼ同じくらいの石高の大名にまでになった
陰険で狡猾と不信がられたな政宗に対して明るく誠実な人柄で誰からも好かれたという
最上義光と駒姫で大河やってもいいな
最上義光?
原田芳雄のイメージしか無い
658 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 17:29:54.01 ID:ZegPCz6a0
最上家ってついてないイメージだな
徳川政権で結局改易されたし
659 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 17:30:37.96 ID:Zb9J/EjB0
まあ、腹切るときゃ自ら切るのが日本人の精神性だからな
外国人には分らんだろ
>>657 家康に嵌められたんだろ?
たしか松本清張の武将不信でそんなことが書いてあったような気が
661 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 17:32:43.82 ID:KT5YenUGO
> 矢部准教授はこの日付について、「京都から高野山までは約130キロの距離がある。登り坂も厳しく、
>歩いて3日はかかる。13日に書かれた命令書を持って高野山まで多くの兵を連れて赴き、
>15日に切腹させるのは難しい」と疑念を示す。
つ馬
秀次事件で一番得したのは家康だもんな
664 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 17:37:33.75 ID:yhHhGaJB0
豊臣秀吉って凄いよな朝鮮出兵で朝鮮を戦後400年も立ち直れないほど朝鮮半島を焼野原にしたんだろw
凄すぎるよなww
665 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 17:38:14.10 ID:nQpPlfdu0
>>663 真っ先に突っ込んで、鉄砲玉をまともに受けるタイプ
666 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 17:42:10.62 ID:QsfRKHPO0
>>630 秀次だけじゃなく大和豊臣家も秀次事件の前に潰されてるんだぜ。
>>632 ちなみに駒姫は三条河原の晒し首で秀次と初対面・・・
秀吉が好きな人は方向を間違ってるよな
秀吉が嫌いな人は中国大返し以降の行動が嫌いなんだから
もっと、大帰し以前のネタで好きになってもらう努力せんと
多分、大返し以前の秀吉の行動が嫌いだから嫌って人はあまりいまい
>622
大名連中はその年代で子供作ったのが何人もいる
高齢の子作りは若い女を侍らせられるかどうかも大事なんだよ
とはいえ秀吉の実子かどうか疑わしいのは否定できない
晩年の秀吉は狂ってたのかもね。利休を切腹させたり、朝鮮出兵したり。
石原都知事も晩年狂ってきたし。
>>497 大名家の血筋も娘婿が後をついで、その大名の血を引いていない
側室が跡目を継いだって話もあれば
さらに将軍家などから養子を押し付けられて跡目を継いだ
何て事もある
当時はすでに血筋よりも家を残す事の方が重要だったのだろう
>>543 柴田も秀吉も地縁のない土地に転封させられてるが?柴田は越前、秀吉は近江や播磨に地縁なんてあったの?
あと、本能寺の時点で丹波、近江坂本召し上げの上、石見出雲への転封、
という話は信憑性が薄いが、何か新しい史料が発見されたのか?
>>669 それについては有力な学説があってね
秀吉はどうも、梅毒だったらしい
当時、戦国期にポルトガルの船員が日本に梅毒を持ち込み
かなり広まっていたからな
梅毒は、当然だが、当時は不治の病でね
高齢になり脳も梅毒によってやられていた可能性が高い
つまり秀吉は高齢になって正常な判断力を失っていたのではないかとも言われている
674 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 18:02:11.60 ID:h+tGuSTa0
織田家は、天下取り目前にまでなった戦国武将の末裔としては少々、情けないが
一応、数万石程度の外様の小大名として命脈は守っていたな
675 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 18:08:43.55 ID:ZegPCz6a0
友達に木下家定の末裔がいたな
太閤記に対抗記
なんつってw
俺も一応は毛利輝元の末裔だよ
まあ、傍流も良いところだがね
戦国武将の末裔ってのは、けっこうなか数がいるでしょう
>658
徳川政権は出羽最上家を残す気だったけど仲裁拒否ったから改易せざるをえなくなった
>>674 >天下取り目前にまでなった戦国武将の末裔としては少々、情けないが
天下を競った失敗した戦国武将をしては、よく永らえている方じゃないのか?
今川家も一時は天下に王手をかけるところまで駒を進めたが、末裔は織田家ほどにも
残っていないし、明智光秀の一族も、豊臣家も、石田三成の一族も、
大内家も、松永弾正の一族も、三好家も、一度は天下に近づいた戦国武将であるが、
その末裔は見る影もない。
秀吉は高野山に追放するだけで済ますつもりだったが
処遇に納得出来ない家臣が本当に謀反を画策してしまったため
秀吉の逆鱗に触れてしまって連座させられたんだろ
681 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 18:23:36.00 ID:3YBULpBM0
三成の謀略だな!
淀君が秀次が生きていれば後顧の憂いだと
死を望んだかも知れないね。
淀君はお姫様育ちの女性らしく、とかく感情的になるところがあったらしいので
後先考えずに、そういう行動に出て、秀吉をそそのかしても不思議はない
>>672 鶴松の死を境に狂った気がするけどな
それまでは嫌いな部分はあるにせよ、正しい一石も打ってる感じだし
キリシタン追放とか小田原征伐とか
>>674 関ヶ原の戦いで信長の孫の三法師は西軍について戦死した。関ヶ原と大阪の役という大戦争を
くぐりぬけて、江戸時代の改易の嵐もくぐりぬけたならこれは立派なものだと思うよ。
むしろ大大名の血筋の方が潰される可能性が高かったんだから。
秀吉は、信長の命令とは言え
わずか十歳だった浅井長政の嫡男を貼り付けにしている
戦国武将だからと言っても、かなり残虐な気性を見せているがな
最初の朝倉攻めに失敗したときの殿が秀吉だったな
殿つとめあげられるやつは大物
殿じゃなくて殿だよ
日本人の天下人で
ここまで一族を静粛にしたのは
源頼朝くらい?
>>685 三法師(織田秀信)は関ヶ原で戦死はしていないだろ?
西軍に加勢して岐阜城に篭城して東軍と戦ったがあえなく落城。
戦後は福島正則らの取り成しもあって高野山送りになったはず。
ただし、高野山配流になった後からも、地元娘との間に何人かの
男児を設けている。
692 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 18:51:57.95 ID:OxpPFbex0
おまえらなんで秀ちゃんのことそんな詳しいの?
どの秀ちゃんだよw
>686
裏切り者の長男を磔にするのは当時としては当然だし、
仮にその行為を批難するにしても対象は秀吉ではなく信長だろ
>>691 三法師様は祖父の偉功ふたたびと突然色気だしたんだよな
家来は東軍派だったのに
それも虚しく福島正則のキチガイ攻撃にボコボコ
先祖が偉すぎのもキツいわ
696 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:12:24.29 ID:ianZCKDe0
最近秀次再評価が多いんだよな
転化人秀吉が稀代の英雄だったのは当然として、
その弟秀長もテクノクラートとしてすさまじい能力を発揮してる
これらは母親だけ血がつながってるとか、姉の子供とか、
直系でない親族だったけど、肝心の秀吉の父もよくわからない
仮に信長から家康までの統一政権成立の間に、何か秘めたる歴史の本流があって、
そこに実在したモデルはいるにせよ、豊臣という源平藤橘につながらない
架空の貴族名族の偶像を作って寓意としてお話を創作していたとしても、少しも驚かない
697 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:16:25.44 ID:wXsDciPP0
後発の歴史学者が売名のためのトンデモ珍説売り込み
慰安婦もこの手の売名学者が利用された
698 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:18:12.08 ID:WnIQ2OwE0
当時、秀吉の血縁者のなかで、最後の成人男子だったからな
秀吉死後に生きてたら歴史も変わっただろうね
秀次なら豊臣家を動かせたわけだし
699 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:18:13.64 ID:ink3szx40
みのの息子じゃないけど
コネで出世すると思いがけない不幸があっても誰も助けてくれないのがわかるわ。
とりあえず歴史語る前に日本語使えるようになれよ
701 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:20:32.41 ID:rjw5rqhti
その後近親者39人処刑したんだから今更切腹させる気はなかったは無いだろ。
>>530 老い先短いし、現実には愚鈍で相手にする価値もなかったのだろw
池田恒興とか森長可とかこのバカの為に討ち死にだっけ。
多くの犠牲者出してるんだから天誅だろうな。
成り上がってきたから、下の奴をあんまり信用できなかったのかもな。
家康だけか、信用できたのは。ま、日本は家康に任せて、中国を秀吉は
支配したかったのかもなw
705 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:32:08.64 ID:wYnxyeeW0
>>675 北政所のお兄さんのとこだな。
江戸時代は豊臣姓木下氏のままで大名できたようだね。
旭日旗みたいな家紋といい、なんかかっこいいな。
706 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:39:27.29 ID:DCle7QvV0
>>703 その連中も生かしておいたら犠牲者が増えるから、
早い目に消しておくのが吉だな
徳川時代になれば豊臣はさっさと恭順するのが是だっただろう
秀忠の妻は淀君の妹だし
上手くすれば豊臣が生き残る可能性があったかも知れない
関が原の戦いの後に、家康は豊臣を滅ぼさなかったのだしな
十万石程度の大名として命脈を残してもらう方法もあったでしょうけどね
それが出来なかったのは、やはりお姫様育ちの淀君が采配を振るったからだな
708 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:41:59.21 ID:3JWUSJ+XO
横山の漫画では
家族や女中までが処刑されて
全て石田三成のせいになってるよね(´・ω・`)
石田三成は小物界の大物だからそれはしょうがない
ちなみに大物界の小物は伊達公
三成は関ヶ原の因縁付けで色々背負わせすぎw
711 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:49:38.11 ID:rclr6lxhO
数日後に切腹させるから 料理人送ったんだろ
最後くらい美味いモン食わしたいやろ
この学者本当に日本人か?
>>707 家康は吾妻鏡もよく読んでたらしいし、平清盛の頼朝を生かしておいた失敗の前例もあるから
家康は秀頼を絶対殺してたと思う。
714 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 19:55:13.07 ID:ks9eKK430
>>703 いや、そいつらは自業自得だろ
秀次が援軍に来て、最初に徳川に蹴散らされただけ
背景を描かずに見たままを描けば、強要された結果の切腹でも同じ表現になるだろ
矢部ってひとはちょっとアホすぎる
>>704 まぁ自分が通った道だからな。
さすがに信長や秀吉の末路を見た家康は幕府の要職を身内で固めたけど。
>>703 それはそいつらの怠惰だと思うぞ。
初陣の若造が「のんびり行こうぜ」ッて命令ださんやろ。
718 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:01:59.76 ID:h1O+PNGl0
切腹命令がないのに、なんで秀頼の子女を虐殺したんだか、訳ワカラメ。
悪逆塚って、嘘だったのですか?
719 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:02:39.72 ID:AsJjkJ+lO
でもまあ、
もし、秀次が勝手に腹を切ったとしても、
その後、秀次の妻子ら数十人を惨殺するよう命じたのは秀吉だからなあ
一の台はともかく、
最上の姫なんか、
秀次から側室になれ、と無理を言われ、
上京してきたところを捕縛され、斬首、だもんな。
ま、この姫は、父親の義光や家康が必死に助命嘆願し、
秀吉も聞き入れて処刑中止の使者を送ったんだが、
間に合わなかったんだよな
確か福島正則が自分の部下に「腹詰めろw」「は?」「切腹だよw」
って無意味に酔って命令して んで腹つめさせて次の日大いに反省した
とかあった気がするけど やはり正則最低だなw
この豊臣家のゴタゴタが無ければ、今頃トンキンじゃなくて大阪が首都になっていたのに
>>719 あれで義光は完全に徳川方についたみたいね。
その後起こった大地震でも義光は真っ先に徳川屋敷へ警護を向かわせたとか。
723 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:08:28.58 ID:ks9eKK430
>>721 大阪人に「信長が勝ってなかったら今でも本願寺の宗教都市だよなw」って言ったら
不快な顔されたw
724 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:17:27.11 ID:D29zi4tJ0
>>721 家康に江戸を薦めたのは秀吉だからな
皮肉なものだw
秀吉が小田原征伐の恩賞として家康に関東へ移したのは項羽が劉邦を漢に封じたのと同じだな。
一番のライバルは手の届くところへ置いてしっかり監視しなければならない。
726 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:32:12.53 ID:4+4mtWRl0
江戸時代でも経済の中心は大阪だって話だからなー。
728 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:35:09.89 ID:WnIQ2OwE0
堂島の米取引所はアメリカのシカゴで先物取引きが始まる100年も前から存在してたからな。
そのシステムは現在と比較しても遜色のないものだったとか。
>>721 秀吉存命中も、大阪城が政治の中心だったことはほとんどない。
政治が執り行われたのは、聚楽第か伏見城だよ。
731 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:38:22.39 ID:4+4mtWRl0
>>728 秀吉との血縁ではないけどねねの兄の子だしね
縁者と言えば縁者
732 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:40:26.67 ID:67aMEXgW0
>>723 本願寺って京都にあるんじゃないのか?大阪は商人の都市だろ。
>>727>>729 大阪の商業が江戸時代も発展してたのは地理的条件もあるが、
大阪が天領であり続けたからだよ
どこかの大名領になってたら発達は止まってたはず。
735 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:43:05.93 ID:QsfRKHPO0
>>712 『家康と秀頼』の関係は『清盛と頼朝』じゃなくて『頼朝と義経』のほうが近くね?
大坂城を出て恭順する道を秀頼側が拒んだ=義経が命令無視で官位を貰ったともとれる。
関係悪化→挙兵ってところも一緒。
展開次第では生かされてたと思う。
義経も京で挙兵してなければどうなってたか分からん。
大阪の陣後の『家康と国松』なら『清盛と頼朝』の関係だから清盛のような愚は冒さずって考えになると思うが。
736 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:44:36.49 ID:D29zi4tJ0
>>732 石山本願寺と言って大坂(大阪)にあった
京都にもあるし各地にあった
737 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:44:47.23 ID:4+4mtWRl0
>>732 えっと・・・小学生かな?
大坂城が石山本願寺跡に作られたってまだ習ってないのかな?
5年生からの歴史の教科書に多分出てくると思うからがんばって覚えてね
小学生じゃないのならこのスレはキミには合わないよ
そっとじでいいと思う
でも山科本願寺のことを言ってるのであれば、ごめん、おまいさんの言う通りだわ
存分に語ってくれ
小早川秀秋のことも少しは思い出してあげて下さい
たしか石山本願寺の跡に大阪城を建てたんだよな
740 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:49:18.91 ID:jSdI9eYJO
>>735 大人しく大阪出ても秀頼に江戸初期の外様潰しを回避できるとは思えないな
741 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:50:34.96 ID:4+4mtWRl0
>>739 室町時代、一向宗の本拠地は京都山科本願寺
そして蓮如の隠居先として作られたのが石山本願寺
一向宗の勢力が増すことを恐れた細川晴元が山科本願寺を焼き討ちしたから
石山本願寺が一向宗の本拠地となった
>>1 でもそうなると
女房子供を撫で切りにしたのは変じゃない?
743 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:51:39.64 ID:46RO9iIm0
三成は信長秀吉と続いてきた近世中央集権国家目指してたので
近現代のリーマンや公務員のように一代限りの能力採用を是としたから中世封建社会の世襲で無能が跡を継ぐのを許せなかった(信長は佐久間や林などの譜代の宿老でもジュニアが無能だと放逐している)
賤ヶ岳七本槍と三成が仲が悪かったのも
一国一城の主になりたがってた脳筋たちとは根本的に相容れなかったのが原因
一国一城の主というのは国内に治軍事含めた外法権の小王国築くってことだからな
中世封建社会のまんまで中央に何かあれば反乱祭りになるだけなので
徳川家康は戦略眼が無いので安易に幕藩体制という封建社会に逆戻りさせてヒキコモリ国家にした(光栄ゲーで家康の政治と暴力低いのは至極妥当)
男の子を殺すのはしょうがないが、妻妾と女子は助命されるもが普通なのに殺したんだもんな。
746 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:54:32.35 ID:D29zi4tJ0
>>743 お前がコーエーのゲームやってないことだけは理解したw
747 :
732:2013/11/18(月) 20:54:56.90 ID:67aMEXgW0
勉強になったわ
秀長さんが長生きしてりゃ豊臣家も安泰だったんじゃないか?
東軍に付いた大名にも顔が利いたハズだし
俺的には暗殺されたんじゃないかと思ってるくらい。
>>37 無理矢理過ぎるなー
なんとか新説捻り出そうとしてる感じ
秀長は秀吉の異父弟かな
まだ東照大権現様が鎖国目指していたとかいう物知らずがいるのか。秀吉より開明的だからこそ、外国に付け入る隙を与えなかったというのに。
秀次様に小早川秀秋様
殺生関白に世紀の裏切り者
こんな感じで習ったけど、今の評価は変わりすぎだわ
秀次様なんか優しくて面倒見の良い好人物だったらしいぞ
「おまい今日から関白な」
「俺は九州で朝鮮遊びしてくる」
秀次「・・・・・」
だろ
留守番で朝廷工作やら、回りの人事に相談やら九州への送金やら大変だったと思うよ
「秀吉様に意見具申出来るのはあなたしかいない」なんて回りからせっつかれたら、俺なら酒飲んで寝たふりするわ
小早川様なんて関白候補No.2で幼いころから遊び控えて英才教育づけ
挙げ句にいらんと養子にだされる
まあ、頑張って朝鮮では加藤清正助ける活躍したのに、越権行為とぼけカス
秀次事件では、親友みたいな家来の不波万作まで死刑にされとる
歴史には学校で習わん悲しいとこがあるわ
小早川秀秋が裏切った理由が正に、この事件なんだけどな。どの道、悲惨な末路だったな。
754 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:07:39.34 ID:4SmKg+vD0
>>746 高いのは最近の奴だけだろ
昔のは例外的に高いのもあるがおおむね三英尻のなかじゃ一段見劣りする
小早川秀秋の肖像画ってショボーン顔だな・・・・
>>684 秀吉の梅毒説はそれなりの根拠はある。
彼の体に梅毒特有の症状が出ていたとの記録があるそうだ
梅毒は十年以上も症状が続くと、脳まで冒されてしまうから
長期の梅毒で正常な判断がつかなくなっても不思議はない
>>755 うん
あのおとなしい顔で「清正様、かんばれー!」って
明朝鮮連合軍に突撃したって信じられんわ
大河ドラマのように小早川秀秋公がなじられることはなかったと思うよ。北政所の意向が強かった訳だし。取り潰しにあったのは、やはり本人のせいかな。
760 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:16:43.74 ID:NBeG+oEh0
>>748 三成に暗殺されたんだろ。
だから藤堂高虎は三成を憎みまくってたんだよ。
北政所じゃなくて高台院か。失礼。
>740
江戸初期に外様潰しなんてしてないよ
実際には外様や譜代の自爆だったり、嫡子無しの断絶だったり、徳川内の勢力争いに巻き込まれたり色々ある
>761
御家断絶で史料がなくて家紋かは不明
秀秋の所に限らず、断絶した家は史料がまともに残ってないから困る
766 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:23:55.02 ID:4+4mtWRl0
>>752 秀頼誕生で何やっても難癖付けられてたからね
小牧長久手で失態演じたと言えど、初陣で相手が家康とか無理ゲーだろ
レベル1でのアリアハンでバラモス出てきたみたいなもんだわ
金吾は関ヶ原で元々家康に付こうと思って伏見城入ろうと思ったら、
なぜか鳥居元忠に拒否られて、どうしようと迷ってる内に泳いで参ったに拉致られて、
無理やり西軍に入れられて、それでもまだ東軍に未練タラタラで家康に手紙出したけど、
家康も疑心暗鬼中でスルーされて、まだまだ東軍に入ろうと松尾山に陣取ったら、
なぜか石田三成が松尾山を包囲する格好で布陣され、身動き取れないところに、
関ヶ原の合戦開始。
運悪すぎワロタ
767 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:26:24.69 ID:AygzUD0x0
秀次事件での伊達政宗の逆切れとしか言いようのない弁明が好き
>>729 タイムスクープハンターでちらっと出てきたな。
769 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:28:38.70 ID:D29zi4tJ0
>>754 統率とか戦闘とか采配ってならわかるんだが「暴力」とか書いてるあたりがもうバレバレなんだよw
そんなパラ聞いたことないわ
770 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:28:51.97 ID:dKYi9Y9E0
>>766 小牧長久手は、秀吉が心配しすぎてアホみたいに兵をつけて奇襲がばれたって説もあるな
>>764 そこまでは憶えていないが
梅毒ですからね
多分、バラ疹があったような記述でもあったのでしょう
772 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:29:40.53 ID:0Wtptmw80
運悪過ぎじゃなくて家康にしっかりと忠誠を示さなかったからでしょ
773 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:31:37.62 ID:4SmKg+vD0
>>771 血判状の遺伝子解析したら梅毒菌が出てきたんだっけか?
>>720 福島正則って、へうげものの「ちょっちゅねー」か。
>>628 デモンストレーションで勝てなかった(戦では勝てず、結果的に終戦調停だから)って言うので、
余計「なかったこと」にしたいのかもね。
あと、あの派兵は伊達政宗に釘を刺す意味もあったと思われ。
秀次後継で後見に秀長つけてれば家康たん悔しくて枕濡らしてた
高野山へ追放されたらもう切腹って悟るだろw
778 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:33:03.66 ID:4+4mtWRl0
>>769 武力と間違えたんじゃないかね?
>>770 3万も動かせばそりゃバレるよな
でも秀次は東北仕置きのときはしっかりと采配して勝ち戦に導いたし無能ではないよね
おっと、大軍で押しつぶしただけとか言うなよ
大軍だったけどセンゴクのせいで長男失った長宗我部さんキレっぞ
だが痛切には疑問が残る
780 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:34:21.89 ID:38MqoDeSO
京都から高野山へは近鉄京都線、橿原線、JR和歌山線、南海高野線だろ普通
>>776 淀殿の不倫の子っていう話もあってだな。
大昔、石田三成が父親だっていう話読んだことあるなー。
あそこまで大阪のために尽力するのは、秀吉への恩もさることながら、
秀頼が自分の子だからとか何とか。
なんの話だったっけ。
春日局の元旦那の稲葉正成は小早川秀秋の家臣だったりする訳で。歴史は面白いね
783 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:36:37.25 ID:D29zi4tJ0
>>778 コーエーの信長ゲーで「武力」なんてパラは一度もないのよw
武勇はあるけどね
暴力なんて言葉のチョイスがバカまる出しだと思うw
784 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:37:17.07 ID:4SmKg+vD0
>>781 子供が出来なくても、まず最初に淀殿に感染するんじゃないか?
>>774 へうげものはあんまりしらんがおそらくそれは加藤清正
福島正則の最低ぶりはすばらしい 正則理不尽にキレて
部下おっかけまわしたあげくその部下の嫁に逆にキレら
れたらスゴスゴ帰ったというそういう男
787 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:39:16.55 ID:4+4mtWRl0
>>783 知ってるよ、戦闘とかそういうパラだよね
三国志は武力はあったかな
何が言いたいかって言うとタイピングミスじゃない?ってこと
BURYOKUと打とうとしてBOURYOKUになったんじゃね?ってね
まあどうでもいい話だからどうでもいいけどさ
788 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:39:40.80 ID:4SmKg+vD0
>>783 謀略のタイプミスだじぇ
知謀だったか?
まあいい
いちいちタイプミス反応するなら2chやめたほうがいいぞw
知恵遅れと分かるので
789 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:39:47.66 ID:wYnxyeeW0
唐入りが成功して寧波を本拠に大陸の覇者として
大ハーン・ヒデヨシが誕生した場合、
唐の関白が豊臣秀次
日本の関白に宇喜多秀家
朝鮮探題が小早川秀秋
九州探題が織田秀信
みたいなプランがあったらしい。
スケールはでかいが、
全盛期のボケる前の秀吉の知略なら可能だったのだろうか。
790 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:42:00.53 ID:o7A134hm0
>「切らせられ」という記述は、秀吉が「切らせた」のではなく、敬語の「お切りになった」と読むべき
これ、古文の解釈としてあり得るの?
殿下御子息ご誕生おめでとうございます
さて殿下
つきましては関白を辞し再び伯父上とよびとうございます
とかそういうのを早めに言うべきだった
邪魔に決まってるやん息子が出来たら
792 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:42:39.57 ID:4+4mtWRl0
>>789 うん、間違いなく金吾が切れる
金吾「おまwwwww俺wwwwwwチョンwwwwwwwwwうぇwwwwww」
間違いなく裏切りフラグ
あれ?今語られてる史実と同じじゃね?
豊臣秀次切腹は秀吉の命令じゃない?
子供や奥さんまで皆殺しにした挙句に
側室に輿入れしにきたばかりで閨も共にしていない
最上家の駒姫まで殺しておいて
ふざけた事を言っていうなよ!
>>37 歴史小説ならこれでもいいけどね。学説ではダメ。
妻妾や子供、さらには家臣も処刑された理由にはならないだろ。
農家出身の関白が血縁しか頼れなくて、しかも最後は実の子にしがみついたというのはかなし事実ではある
796 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:46:03.60 ID:11lF9iAD0
昔の話蒸し返すなよ
こんなん秀次の遺書でも出てこない限り確定できんじゃんね
でも面白いから誰かこの学説をベースに小説書いて
798 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:48:39.56 ID:4SmKg+vD0
799 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:48:53.95 ID:4+4mtWRl0
>.>797
しもだかげきなら書けるんじゃね?
普通の物書きなら放り投げるレベル
>>793 どっかの阿呆が空気も読まずに先走ったという可能性もあるんだぜ。
本能寺の変も光秀本人は乗り気じゃなく斉藤利三あたりが頑張った…みたいな俗説もあったりとか。
秀頼がいなけりゃ豊臣ももうちょい天下に君臨したかもな
本能寺以降、毛利にしがみついて離れない秀吉も問題だな。安国寺あたりが入れ知恵して、秀次殺した気もしないではない、ら
803 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:51:15.18 ID:/l6d/8CrO
させられたまう、は古文では普通に敬語の表現。
ただ、それと切腹が秀吉の命令で有るか無いかは全く別の話。
そもそも従来の研究者だって、そんなことを論拠にはしとらんだろ。
804 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:52:03.33 ID:4+4mtWRl0
>>801 五大老制度が崩壊してる時点で誰がなっても詰み
最後まで五大老の責務をこなしていたのが家康って時点でもうね・・・
805 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:53:04.62 ID:3okYF1W60
またトンでも新歴史か。
聖徳大使もいなかった。
切腹も命じてなかった。
売春婦じゃなくて慰安婦だった。
もうなんでもありだな。歴史屋は。
806 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:55:08.96 ID:nQpPlfdu0
>>739 そして石山本願寺は生国魂神社の敷地内の土地を借りていたので
大坂城が建てられたのは、正式には生国魂神社の跡地
807 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:55:25.95 ID:4SmKg+vD0
>>805 歴史屋って前の世代の人間が既に結果残してて新人が手柄のこせないから珍説の創作に走るんだよ
808 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:55:47.19 ID:D29zi4tJ0
>>787 元々タイプミスどうこのはなしじゃなくて
家康のパラが一段下とか間違ってること書いてる点だよw
知略でも智謀でもなんでも良いが家康が三英傑の中で劣っていたってのが間違い
作品によって家康が信長秀吉より高いのもあるし捏造してるから指摘しただけ
>>788 ID変えて気持悪いなw
三英傑の中で家康だけ劣ってるソース出して見ろよ
809 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:56:11.46 ID:Pk5et1VSO
駒姫様のイメージは桜庭ななみ
秀次の追い腹的なものでお供を願ったなら最上が家康に付く事は無かった
いや、愛娘萌えだから家康派だな
吉川も小早川も毛利宗家を裏切ったあたりか、三本の矢が折れたというね、あまり注目されない悲しい事実
811 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:57:07.04 ID:bDhiPrB90
淀も身籠っても降ろせばよかったのに。
そうすれば秀次路線で豊臣は安泰だっただろうに・・
織田を裏切り、浅井、柴田の二人の父を殺した秀吉への復讐みたいな面も有ったのかな?
812 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:57:59.68 ID:4SmKg+vD0
>>808 IDの文句は2ch運営にいってくれ
ここの手抜きVPN対策でタイムアウトになって書き込めなくなる
ルーター設定してもパイダの仕様で回避できん
813 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:58:16.37 ID:nQpPlfdu0
814 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:58:18.38 ID:/l6d/8CrO
家康とは何だバカもん!
失礼な!
御神君様と言え!
815 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:00:14.45 ID:bb324DXsO
秀次なんかを警戒してみすみす家康に天下を取られてしまったな
816 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:00:41.96 ID:3okYF1W60
>>807 そういえば日本の歴史をどんどんつくるゴッドハンドもいたね。
粂宏も大絶賛だった。
結局すべてねつ造と分かりいまどうしてるんだろう。
確か教科書も書き直すはめになったんだよな。あれ。
ほんと歴史屋って糞だな。
この教授とやらが糞ないことを祈るのみ。
神君家康公でもいいが、東照大権現様な。まぁ、東照大権現様曰く、結局は女の戦いであった。女は怖いな
秀吉に息子が五人いてしかも全員めちゃくちゃ優秀で健康で武勇にすぐれ
魅力的で長寿で兄弟仲が気持ち悪いほどよかったら滅びてなかったろうね
つくづく惜しいね
大阪城のあたりは、石山本願寺がありその前には難波の宮があったり、セイクリッドゾーンなんだよね。
秀吉の朝鮮出兵の大義名分はなんだったの?
浪人の国外追放
司馬遼太郎みたいなのが、もっともらしい事を書いて史実をねじ曲げるようなものづて事?
明を倒すから、ちょっとそこ通らせろや…じゃなかったっけ?
824 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:15:55.87 ID:D29zi4tJ0
>>812 古い作品調べたが家康が一段見劣るってどの作品だ?w
戦国群雄伝 政治 信長100 秀吉095 家康096
覇王伝 智謀 信長084 秀吉096 家康085
将星録 政治 信長098 秀吉100 家康099
825 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:18:11.51 ID:4+4mtWRl0
826 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:19:36.13 ID:D29zi4tJ0
827 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:21:25.70 ID:4+4mtWRl0
>>826 スレ違いは荒らしと同じ
絡んだ俺がバカだった、好きにしろよ
はいNGっと
>>35 >秀頼は淀と三成の子供なのにな
三成じゃないらしいよ
仮に明を倒して一時的に支那を支配できても、北から来る騎馬民族に日本の武士団がかなうとは思えない。
830 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:25:07.25 ID:eTYnSI9x0
国学院生え抜きの国学院准教授が国学院内部の学術紙に出した論文なんか誰も気にしないよ
朝鮮がらみで秀吉を再評価したい産経くらいか
>>820 戦国バブル
秀吉様に跡継ぎいても、イケイケドンドンじゃいつかは詰まったかもしんないね
832 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:27:22.58 ID:r4+0jW1I0
ていうか
秀吉も昭和天皇も
殺人者だよな
かなり殺してるよな
833 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:28:22.10 ID:yNv2hbmz0
死にたくない
834 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:30:30.14 ID:4+4mtWRl0
結局おぼこガールばかりに夢中になってた秀吉よりも
「そういうんじゃないよ!子供生んだ実績あるおなごがいいんだよ」
と子孫繁栄にこだわったタヌキボーイ家康のほうがその点は
賢かったんだろうね いやじっくり側室の傾向を精査はしてないけど
>>1だと
妻子や秀次付きの家老の連座はともかく
小早川秀秋が連座で丹波召し上げられたのが説明できない
やっぱり秀頼可愛さなんじゃね?
>>829 加藤清正、朝鮮飛び越して暴れまくっとるやん
そんでも補給続かず速効で撤退
現地人、ぽか〜ん「あいつら何だったんだよ?」
838 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:33:04.78 ID:Pk5et1VSO
秀頼は淀と大野の子どもといヒャッハー!
フランキー砲で吹っ飛ぶ秀吉
840 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 22:39:05.81 ID:oZ+xvgCl0
>>831 文明の進化フェーズとしては理由はどうあれ隣国への出兵は正しい選択なので
小領主が割拠してる中世から統一国家になった近世は中央集権化による選択と集中で余裕の出来た余剰国力を海外に向けるのは当然の帰結
江戸時代に幕藩体制にして封建社会に逆戻りさせてヒキコモリにならなきゃ日本はもっとマシになってたよ
ロシアが千島占領するのは1711年
松平信綱公の鎖国政策まで、sage入れないで欲しい。あれは外国よりも外様が信用出来ない故だから。
>>840 幕藩体制にしろ石高制にしろ逆戻りどころかむしろ引き継いだ発展形だよ。
その段階を経て国家の中央集権の道筋がついたんだから。
843 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:02:25.32 ID:vvhm1dhS0
>>730 大坂城は国内外に対して誇示する象徴みたいな感じだしな。
844 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:05:31.01 ID:51KKPM+80
田舎の分校でチャンチャ気取ってたが都会の中学に出たらそこではチャ髪のDQNが釘バットでクロンボぼこぼこにしてたのでビビって田舎の実家に引きこもったわけですね
当時は相手することから逃げてたがツケは大人になってから(近現代に)払わされたと
感覚が違うからな。当時の人間としては。
身嗜みだった衆道には手を出さないし。
カルトなキリシタンも切るし。
殺す気で大事にしてた母の寺に送らんよ。
下衆で悪意の塊な評価は一考の余地ある。
846 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:11:00.88 ID:vvhm1dhS0
>>769 隣国人が翻訳ミスしたかと思ってエキサイト先生で「武勇」を翻訳→再翻訳したら
武勇→無用(舞踏)
になったでござる。
847 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:13:09.61 ID:vvhm1dhS0
>>778 隣国人が(ry
武力→武力(無力)
になったでござる。
そんな大事な場所だとわかってて、
復讐のために腹を切る。
身内がどうなるか、考えないのか、及びも付かないのか。
その程度だから外された。
秀吉は人を見る目あるしね。発掘した武将は文武問わず、家柄もさまざま。
明智の策略を見抜き、柴田を倒したんだぜ。
褒め過ぎか。
849 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:17:30.35 ID:vvhm1dhS0
>>807 どの学問でも先人の結果が絶対であり続けたことがあったか?
様々な論文が検討され淘汰される過程で先人が出した結果も否定されたりもするだろ。
>>818 それでも家康の天下だっただろな
家康にあって秀吉になかったのは父祖の代から地縁・血縁に縛られながら命を削って仕えた家臣
851 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:19:14.09 ID:ks9eKK430
>>835 家康は若い頃は子供欲しさに熟女とやるんだけど、関ヶ原で天下取ってからはロリ志向
852 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:20:01.16 ID:nQpPlfdu0
しかし蒔田淡路守は、師匠の千利休を介錯して主君の豊臣秀次を介錯して殉死なんて悲運過ぎるな
853 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:32:28.00 ID:YYpIpuFC0
>>849 歴史は特殊で
有望かつ整合性の取れる大量の史料で99%定説で間違いはないでしょうというのがある
先駆者はそれを徹底的に調べてて後発が入り込む余地が無い
ごく例外のへんてこな史料もちだしてこれが正解だったんだ
定説は全て間違いなんだと言いふらしても分かるので・・・
1000年後に東京スポーツを古文書として持ち出して
この時代の日本人は全員宇宙人が擬態したものだったんだ
間違いない、これが正しい歴史だ
と広めるようなことなので
>>853 でも、新史料の発見で定説が変わることもよくあるでしょ
昭和天皇の「富田メモ」とか
分野によってはろくに史料のない時代も多いし
駒姫の辞世の句を読んだら涙が止まらなくなった
856 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:41:28.73 ID:vvhm1dhS0
>>853 そういう事を言うのなら学術的に定説ではなく「通説」を使ってくれないか?w
素人丸出しだよ。
857 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:44:16.65 ID:qXDsqTNi0
>>820 戦国は戦争会社と戦争会社の争いで
戦国を制したのは最も洗練された戦争会社
戦争会社は戦争が商売で社員の報酬は領地
しかし天下を統一したら戦争を止めることになる
すると戦争会社は成り立たない
そこで秀吉は海外出兵で戦国時代を海外に輸出して
戦争会社を続けようとした
家康は戦争会社を小さくしたり解散させたりして
戦争会社を終わらせることに成功した
858 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:44:53.09 ID:R40c7oZWO
(-_-;)y-~
切腹命令文書が何なんかやな。なんなんやろな。
859 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:45:02.75 ID:w6BnhavHO
駒姫は可哀想
官軍が残した資料だから再考の余地があるんでは。
慰安婦像でやろうとしてる奴らのように。
861 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:49:13.97 ID:CJXsedR90
>>854 で、その富田メモは天皇の発言じゃ無かったことが既に分かってますが?
>>857 国内の事情は分かるけど、何らかの大義名分がないと
他国に攻め込めないと思うんだけど
864 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 23:54:39.70 ID:vvhm1dhS0
>>863 少なくともメモの該当部分は手帳の中で異質であることは指摘されているかな。
865 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 00:00:59.11 ID:Gh2xYTuD0
>>863 問題の部分は確定
そのページだけ差し替えられて貼り付けられてて
親王をご薨去と発言したり(身分が下の人が使う言葉)靖国の宮司を松平の子と表現したり書かれている内容が徳川元侍従長の発言内容と完全に一致してる
いやあかんで、
こんあの史実になってしまったら、
小次郎と駒姫だっけ無駄死にやんけ。
義光かーちゃん怒り狂うで。
てかグーグルIMEだと、
もがみよしあきだと一発で出てくるけど、
よしあき変換だといつまでたっても出てこねえな義光
867 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 00:05:58.78 ID:PxGWMfYo0
秀次めは生かしておいてやろうと思っていたのに勝手に自害なぞしおって許せん
あれほど可愛がって関白にまでしてやった儂の気持ちも知らずあのうつけがっ
一族郎党みな殺してしまえ!
ってことかも知れない
それか、自分が腹を切れば家族にまで累が及ぶことはまさかなかろうと考えたとか
868 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 00:08:17.06 ID:dvFo8IsB0
じゃあ秀次の一族を処刑したのは何故なんだい
正直、そこまで追い込んでたら、
切腹させようが、自ら切腹しようが、あんまり違いなくね?
野球のハンカチ王子が、
会社に戦力外通告されるか、自ら引退するか程度の違いじゃん。
秘密裏に進めていた秀吉暗殺計画が露見しそうになったから自殺したけど
そのせいで背後関係が判らず、疑心暗鬼になった秀吉が
猜疑心に駆られ、見せしめの意味も含めてあんな所業になった…とかかなぁ。
ぶっちゃけ耄碌爺の妄想ですたでもあり得そうなのが怖い。
秀頼の娘の天秀尼は、尼さんになったとは言っても助命されているが
息子の国松の方は八歳で切られている
確かに当時の武家は、男児は子供であっても切られるが
婦女子は助命される事もあるな
>>868 秀吉晩年の狂気と言われる事件だ。
本当の理由はいまだにはっきりしていない
ただ、当時の秀吉は若い頃とは違い
かなり短気で残虐な一面を見せる事がままあった
猿太閤と書かれた落書きを発見されると、犯人がわからなければ
その近辺の人間を皆殺しにしたとも伝えられるからな
こうした秀吉の変化とは無縁ではないだろう
>>862 戦争に大義名分も無いでしょ
「秀吉様に挨拶こいや!」で数万で迎えに行っただけやん
なんでそんなデカい気になれたかと言うと、
対馬の宗なんたらも「中も韓もあいつらヘタレだから楽勝っすよ!」って殿下に吹き込んだ
それと当時、フィリピンはスペインの統治下だったけど、総監が治安維持に戦争慣れした日本人を雇ってみたら、中国系の反乱を軽く鎮圧してみせたりした
そんなんで、ますます楽勝気分
874 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 00:38:30.35 ID:LberAsJ80
>>861 そのうちNHKの大河ドラマが史実として映像とともに語り継がれる。
いつビデオが発明されたかなんてそのうちうやむやになるから。
>869
名誉ある死である切腹ではなくて罪人の刑罰である斬首にする予定だったっていうなら意味がある
>>861 えっと、何時、断定されたの?
確かに最初からアレは胡散臭い話だったが
メディアは徹底的に真贋判定は避けたから
結論は出なかったと思ったが
877 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 01:26:12.71 ID:WxPTi4j30
>>870 秀次の部下の中には処刑どころか加増されてるやつがいるんだぜ?
田中吉政(筆頭家老)、山内一豊、中村一氏など秀吉が派遣した家老たち。
ついでに三成が近江佐和山19万4千石の城主になったのも事件後。
878 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 01:28:13.39 ID:j1kQNSKF0
秀次の一族郎党皆殺しなのはどう説明するんだ
879 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 01:44:01.53 ID:S4N/7a1L0
130kmゆうても1/3は川船でいけるだろう
馬も使って少人数なら1日の距離だが
880 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 01:44:14.79 ID:mHdlJ3bO0
自殺強要です
881 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 01:50:41.58 ID:oC2i5aMX0
生き残った豊臣秀次の娘と真田幸村の間にできた末裔は江戸時代も生き延びたはず。秀次の旧姓の三好氏を名乗ったらしい。
豊臣本家に近い血縁者は秀次の系統と秀勝の系統は一応は江戸時代も子孫が残ったみたい。
北政所のほうは木下氏や杉原氏や浅野氏が大名として残った。
882 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 01:54:16.57 ID:dDIUyl4B0
>>877 ついでに福島正則も伊予湯築11万石から、秀次の旧領尾張清須24万石に栄転
883 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 01:54:47.51 ID:SOcm6Cd/0
>>877 >秀吉が派遣した家老たち。
それは、秀次の部下というより、秀吉の部下だったからでは?
884 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 01:57:37.01 ID:Uon6zt5R0
>>儒学者、小瀬甫庵が 江戸時代初期に記した太閤記
甫庵太閤記が信用ならないのは同意だが、この説は無理がある。
885 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 01:57:54.67 ID:J5HyEEDu0
>>725 それは勘違い。
東日本の要として江戸に着目したのは秀吉なんだが。
そして東日本を管轄する役割を、
一番信用し、その力量を備えた重臣、徳川家康に任せたんだけどね。
信長が武田の抑えとして家康を頼ったのと同じ構造なんだよ。
秀吉は小田原攻めで、小田原の地理的に不備を感じたのかもしれない。
それまで東日本で一番栄えていたのは小田原だったから、
江戸に家康を配備させた秀吉こそ、東京の創始者だと思うけどね。
>>881 残ったどころの話じゃない
秀勝とお江の女子が公家に嫁いだ結果、
今上天皇陛下も秀勝の子孫にあたる。
887 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:02:55.09 ID:S4N/7a1L0
畿内から高野山にいくときの高野街道の要衝烏帽子型城は中村一氏の支城
歩きでも半日で九度山まで行ける
京都からなら奈良盆地は川や山がいくつも横たわってるので
木津川わたって若草山超えて大和川の支流いくつも渡ってさらに竜門山地あって吉野川=紀ノ川と天険だらけ
大阪平野出た方が速い
888 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2013/11/19(火) 02:03:54.88 ID:2NfdLgmb0
秀吉は元々コンプレックスの塊で、相当あくどい性格だったらしいぞ
晩年が酷かったのは、人格者の弟・秀長が病没してからだしな
889 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:04:33.67 ID:J5HyEEDu0
ここでは家康を敵として扱ってるけど、
家康は秀吉が死ぬまで。
信長にしても秀吉にしても忠実な下僕なんだよ。
秀吉が死んでから、野心剥き出しになったのであり、
それまでの家康は実直で裏切らない少数精鋭の田舎大名であり。
味方につければ、最高のパートナーなんだよ。
それを忘れてはいけないよ。
秀頼が生まれていなければ、秀次で豊臣は盤石だったはず
年取ると判断力鈍るから淀君にうまく操られてしまったんだね
>>885 まぁ、何といっても荒れ果ててたとはいえw、関東平野は日本で一番でかい
平野だからな。その発展性があった。太閤検地で把握したわけでもないだろうけど、
秀吉が江戸に本拠地を置くようにしたのはなかなかだったかもな。
892 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2013/11/19(火) 02:21:55.28 ID:2NfdLgmb0
あと秀吉は間違いなく種なし
淀の生んだ秀頼は秀吉の子じゃない私生児
秀吉の老いらくの恋を利用され、淀にまんまと乗っ取られた豊臣家
893 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:22:10.41 ID:J5HyEEDu0
ここで、秀吉は若い頃は良かったけど、年取っておかしくなった。
というのが通説だけど、秀吉はそんなに変わってなどいない。
それは徳川家康だから。
家康は後年、宗教が絡みだしてからおかしくなっていくんだよ。
それまでの重臣や功労者を左遷させたり、静粛させたりするんだけど、
その理由は研究者でもわからない状態なんだよ。
ただ確かに言えることは、家康のブレーンが宗教関係に染まったことなんだよ。
日光東照宮でも宗教がらみの逸話を聞くでしょ。
実は晩年の家康の行動は謎だらけなんだよ。
894 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:29:40.33 ID:S4N/7a1L0
本能寺の時に死んでてイエズス会の傀儡と入れ替わってるんだよ
895 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:31:54.66 ID:tH2gN82A0
このままじゃ実戦経験豊富な兵と鉄砲火力を背景に日本が海外雄飛して植民地争奪戦争になって欧州が負けるから引き籠もらせるために
896 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:32:57.19 ID:H5mdAB8N0
で
>>848 秀次にとっても婆ちゃんだぜ。
婆ちゃんのところへ行くんだ。
秀吉と加藤茶が被る
899 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:35:23.68 ID:rc/rschW0
茶なので茶々が間男を引き込んでるところ辺りか?w
900 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:35:38.91 ID:J5HyEEDu0
家康が急変したのは、
家康が健康のために、薬好きだったのと関係してるかもしれない。
家康は水銀を摂取して、家臣に咎められているんだよね。
俺は薬物に詳しくないんだけど、例えば水銀が脳に与える影響や人格に与える影響はあるのでないだろうか?
晩年の家康は猜疑心が強くなり、冷酷になっていく。
そして宗教の深みに嵌っていく。
家康は薬物中毒だったのではないだろうか?
それならば、晩年の家康の狂気じみた左遷や静粛も理解できる。
>>893 単にボケてたんじゃねーの?
現代より寿命も短い戦国武将達がボケなかったってのも不自然な話だし
秀吉もおかしいし謙信も晩年はおかしい
902 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:37:43.66 ID:rc/rschW0
その水銀の産地って高野山なのね
中央構造線沿いならどこでも出るらしいが紀ノ川沿いの山岳部が古来産地として有名
903 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:40:33.04 ID:nVM0JHWY0
昔読んだ現代のサラリーマンが豊臣秀次に生まれ変わって
秀吉の後を継いで関白になって天下を治めるっていう
WEB小説が面白かった
904 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:41:30.41 ID:rc/rschW0
905 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2013/11/19(火) 02:49:42.17 ID:2NfdLgmb0
>>901 権力者の晩年は大概おかしい←これは当たってる
ただ、秀吉は‘元々’性格が歪んでた人
若い頃は人たらしで魅力があったけど…ってのは間違い
低身長・ハゲ・出っ歯・非力・貧しい農民出身…こんだけコンプレックスがあったら仕方無いかもしれんが
906 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:51:56.10 ID:J5HyEEDu0
>>901 大久保長安の静粛知ってる?
大久保長安は無実の可能性が高い。
それなのに長安の一族は皆殺し。
長安も死んでいるにも関わらず、墓から掘り出されて、悲惨な仕打ちを受ける。
どうみてもサディストの側面を家康みせている。
老後になって性格が変わったなんてもんじゃない、
異常行動が目立つんだよ。
907 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:55:48.02 ID:J5HyEEDu0
>>905 そんなおかしい人物だったら、平民農民の分際で出世できないよ。
人望があったから、信長に信用され、周りにぞくぞくと優秀な人材が寄ってきたんだよ。
秀吉は誰からも裏切られていない。
明るく派手好きで温和で教養人。
その魅力で天下をとったんだよ。
>>893 死んでてガチで影武者の行動だったりして
909 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:58:06.83 ID:ABj8Ir5H0
太閤記自体がかなり怪しいシロモノだしな
910 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 03:01:22.57 ID:ZlZh3GL60
>>1 >京都から高野山までは約130キロの距離がある。登り坂も厳しく、
>歩いて3日はかかる。
歴史とかよく分からんけど、馬なら1日ありゃ十分なんじゃないの?
>矢部准教授はこの日付について、「京都から高野山までは約130キロの距離がある。登り坂も厳しく、
>歩いて3日はかかる。13日に書かれた命令書を持って高野山まで多くの兵を連れて赴き、
>15日に切腹させるのは難しい」と疑念を示す。
と京都→高野山の距離を問題にしつつ
>また、秀次切腹の情報を最初に朝廷へ伝えた「御湯殿上日記(おゆどののうえのにっき)」
>文禄4年7月16日条には、「関白殿 昨十五日の四つ時に御腹切らせられ候よし申す 無実ゆえかくのこと
>候のよし申すなり」とある。
と切腹を次の日には秀吉が朝廷に伝えてる矛盾はスルーしてるのはどういう事だw
御湯殿上日記の日付はあてにならないというスタンスなのか知らんが
どうも都合の良い部分だけ切り取った説やな
この頃の秀吉はかなり壊れてきてるから、秀次の身の回り世話するように言って
数日後には気が変わって殺すって朝令暮改はありえそうだし
切腹の前に供応や身なりを整えさせるってのは、当時の作法としてそこまで不自然ではないし
当時の人は健脚だから急げば現代人が思うより山道込みでもスイスイと行っちゃうんだよな
913 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 03:06:36.28 ID:zKEPLK/i0
淀川下って寝屋川入り八尾で大和川水系乗り換えて石川遡上し紀見峠近くまでいけるからすぐだよ
何千人もつれて合戦しに行軍するわけじゃないんだから
秀吉本人が行くならともかく使者なら数人からせいぜい数十人
秀吉自身は天下取る直前から完全におかしくなってるよ。
主家である織田家への仕打ちは当時としても酷い。
信孝殺すだけじゃなくてその母親まで磔とか常軌逸してるし。
南蛮がらみで明征服を正当化とか無理筋もいいとこ。
間違いなくボケてるか狂ってたとしかいいようがない行動。
基本切腹ってのは当人が死ぬことで周りを助けることを条件でやるものであって
この場合も秀次切腹した時点で追い腹切るやつ除けば助命が相当。
なのに連座で自分の下積み時代からの重臣たち含めて殺しまくったのは
どう見ても異常としかいいようがない行動。
915 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2013/11/19(火) 03:08:58.14 ID:2NfdLgmb0
>>907 信長は不確かな人望なんかでは人を選ばないぞ
仕事ができるか、できないか、が信長の基準
秀吉を裏切らなかったのは、単に金払いが凄まじく良かったからだって言われてる
秀吉の死後は、ガッツリ裏切られる事なるけど
916 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 03:09:48.02 ID:J5HyEEDu0
秀吉ほど誤解されている人はいない。
秀吉は約束をしっかり守る律義な人。
現代日本の人気物、織田信長なんてだまし討ちばっか。
信長が謀反によって命を落すのは必然だと思うよ。
第一、信長は身分にとらわれないと言われているけど、
農民平民で重用したのは秀吉だけ。
実は信長は身分にこだわっているが、秀吉に限って言えば、
信長も認める天才的能力と信頼される人柄だったから抜擢されたんだよ。
老年も家康が秀吉にひれ伏したのは、人柄と関係なくはないと思うよ。
>>907 平民農民ってどの程度をイメージして言ってるんだ?
>>906 長安以外大きな血の粛清してない点を俺はむしろ評価してるがね
信長秀吉なんて大小数えきれない程あるんだが?
あと異常行動や謎といった所で、それらが点じゃなく線にならんと説にすらならんしな
あの歳まで絶対権力者なら、そりゃおかしい指示や行動のいくつかはあって当然だろう
>>906 静粛ってなんだ?
廊下は静かにみたいなもんか?
始めてこの言葉を粛清の意味で使うアフォみたw
920 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 03:12:54.84 ID:zKEPLK/i0
森や平手は子も有能だったから重用したが
佐久間や林は譜代の家老なのに後継者がぱっとしないから追い出されてる
合理的な1代限りの能力主義雇用だが当時としちゃ社員の非正規化使い捨てのブラック大名だろう
>>905 まぁ、サルは主君がアレだったからな…
あんなのに長年仕えて狂うなってのが無理だろ。
>>906 それこそ認知症じゃないか。
ボケ老人は30分前に食った飯すら忘れ、食った事を伝えても「食ってない」と言う奴も珍しくない。
家康「大久保有罪、死刑な」
家臣「正直証拠が…」
家康「いや有罪だから」
家臣「…」
家康「大久保は殺した?」
家臣「はい」
家康「うそつけ、ちゃんと殺せ」
家臣「」
922 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2013/11/19(火) 03:21:35.08 ID:2NfdLgmb0
秀吉は利休まで殺してる
色んな陰謀説があるが、単に成金趣味の秀吉が利休のワビサビを嫌悪してたと見るのがいい
天下人になった自分に、貧しい農民時代をチラつかせるような利休の美意識は許せないわな
しかも利休はその美意識で人望を集めてるから余計に
取次ぎ連中は多かれ少なかれ私服を肥やしてたってのは山本博文「江戸城の宮廷政治」で語られてたし
長安もそっち側で精力的に動いてたんだろうな
>>921 大久保長安は病死だぞ。
長安事件は死後起きてる
大久保忠隣と大久保長安などの武闘派と本多正信・正純他の官僚派の権力闘争
925 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 03:33:31.83 ID:J5HyEEDu0
まあ、今の3傑評は、
秀吉の先駆的業績を信長の業績にさせて信長凄いということになり、
晩年の秀吉はそこまでひどくないのに、
狂った晩年になった家康を神君扱いして、秀吉は狡猾で悪い人だねって叩くんだよ。
秀吉までの日本は、朝鮮とは50歩100歩ぐらいの差で明にもまだ負けていた。
秀吉の国家事業のおかげで、日本が明や朝鮮の水準から頭一つ抜け出すようになった。
秀吉こそ、豪族連合体の倭大和から中央集権日本に変質させた最大の功労者なのに。
君らは、そんなに秀吉を汚して楽しいのか?
926 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2013/11/19(火) 03:34:33.90 ID:2NfdLgmb0
>>921 実はサルってのも、後に秀吉が上手く誤魔化して美化したんだと思うぞ
実際はハゲネズミ呼ばわりされてるわけだから…
927 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 03:37:25.37 ID:QxOHAHoEO
秀吉>信長>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>家康
928 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 03:40:59.21 ID:VDbkDJ9f0
>>925 秀吉を汚してるのはチョンと歴女(笑)とか言う輩でしょう
俺は三英傑では秀吉最強と思うよ
秀吉の業績とその結果得た権力は否定しないけど、秀次事件や唐入りの失敗も肯定できん
長安の蓄財は知行と役職による必要経費が分離してなかった当時の事情も考慮する必要があると思う
関東+αの膨大な奉行やインフラ整備なんて持ち出しも相当額だったろうし
まあ今より蓄財や賄賂に容易に染まりやすい環境だわな当時は
931 :
忍法帖【Lv=40,xxxPT】(1+0:5) :2013/11/19(火) 03:44:15.61 ID:2NfdLgmb0
>>925 種なし
低身長、ハゲ、出っ歯、貧しい農民出身
高貴な家柄の高身長美女が好み
成金趣味の派手好み
コンプレックスの塊ってのは事実だと思うんだが…
実際、秀吉はコンプレックスが原因で色々やらかしてるしさ
秀吉みたいに揉まれた訳でもなく
百姓が急に大名に仕立てられた奴でしょ?
命じられてやむなくってんならまだしも
てめえで腹きれるタマなのかね
>>925 そもそも 三英傑ってところをクローズアップしてる時点で…
なんか変なの湧いてるみたいなんで、魔除けのまじないをば
すがぬまはとっとと働けよ
秀吉の成金趣味の象徴として黄金の茶室がよく語られるけど、
再現された物を映像で見た限り単なる成金趣味とはいえない面白さがある
当時の蝋燭の光で見るあの茶室は面白いと思う
黄金の茶器を外に持ち出すと途端に趣味が悪くなるのはへうげもので語られてた通りだとも思いますけどもw
>>710 関ヶ原で西軍勝利しても毛利上杉が権力持つだけになりそうだしなあ
まあ唐入りの時に秀吉の渡海を皆全力で引き止めてるあたりが
もうこいつを行かせたら現場がヤバイ事になるって思われてたんだろ
信長も晩年は虫歯と高血圧でヤバかったって説もあるし、明智みたいなのが現れなかったのが不幸だったな
前田利家あたりが短刀一本で何とかしてくれれば秀次→秀頼と続いて首都大阪もありえたのに
938 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 05:54:28.45 ID:E7lt5EKJO
>>936 いや多分西軍勝っても関ヶ原だけでは終わらないと思う
徳川は秀忠含め本隊をかなりの部分温存したまま撤退できるだろうし
東軍は敗退しても西軍みたいに即崩壊はないと思う
理由は統制取れない西軍に迅速な追撃や掃討戦ができるか
三成の人望、信用のなさで戦勝を背景にした東軍諸将の武装解除ができるか、という点。特に後者は非常に難しい
家康ですら関ヶ原以降楽勝の作業ゲーって訳でもなく
大坂城開城から島津の処遇まで、実際はギリギリでやってたからね
俺は西軍勝利の場合、応仁の乱みたいな全国的な戦線拡大状態が数年続いたと思う
関ヶ原の戦いがもう少し長引いていれば黒田如水が天下を取ってたんじゃないか
信長も秀吉も後継者で失敗してる
家康だけが秀忠という天才を後継者に持つことができた
秀頼が秀吉の実子ではないとの説は、実のところ、当時から存在した
石田光成説もあるが、しかし秀頼は当時としてはかなり大柄な人物だったが
光成も秀吉も小柄な人物だったと伝えられている
光成に関しては、彼の鎧か何かが残されて、体格もそこから推測できたのではなかったかな?
そのため両方とも実父である可能性は低いとの事だ
それで最有力なのは、淀君の乳母の子供
淀君にとっては乳兄妹・幼馴染である武将だ
秀頼に負けない大柄な体格で、淀君と主従関係にあったと言っても親しい関係だからな
確かに可能性としては高い。
秀吉も豊臣の家名が残ればよいと、秀頼の実父についてはあまり深くは追求しなかったらしい
確かに秀頼が不義の子供って可能性はここで高くなるけど。
しかしね、秀吉の妻となれば、そうそう男が近づけるようなものではないだろ
それなのに不義の子供など出来るかね
過去には女性刑務所に収監された受刑者が、恩赦を願うために
恋人の精液をこっそり差し入れてもらって、妊娠した。何て話も海外にはあるし
そういうことも可能ではあるのだがな
男の子は母親の遺伝子に影響を受けやすい
淀の身長は170cm近くあったらしいから父親が小柄でも
大柄な子供が生まれてもおかしくないのではないか
943 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 07:53:34.42 ID:5BKV1MUL0
当時京・高野山間は八木経由の平坦な経路を
使ったんじゃないかな
上意伝達だから騎馬武者の体裁整えているはずと考えるのが普通
替え馬を連れていけば一日半で充分
>>941 淀は三成嫌いでむしろ家康大好きだったから三成はない。
関ヶ原の時も胡散臭い三成に加担したくなくて秀頼を矢面に立たせないようにしたし。
945 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 08:10:11.82 ID:M2iPy2+P0
>>916 秀吉は織田家に天下を返すと言いつつ三法師が元服しても居座ったよね
恩ある信長の息子2人や嫁さんを殺しておいてなにが約束を守るっていうんだ
信長の残虐性がクローズアップされがちだが一番酷いのは間違いなく秀吉
だから家康が豊臣家を滅ぼしても自業自得だと当時の人は思ったし大義名分がたった
>>926 ハゲネズミ一時流行っただけで、信長の手紙に書かれていた一文しか例がないけどな
しかもその手紙、秀吉の遊び癖を愚痴るおねに出したもの
秀吉くんは簒奪や信孝・信雄の事以外にも信長の娘(姪の茶々のことではない)を側室にしたりとやりたい放題ですわ
それで魅力がないとは思わんけど、タヌキとは違う律儀な秀吉くんみたいに変に美化されてると苦笑いする
真面目でまともな武士は高橋招運みたいに死にます
949 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 08:25:42.91 ID:M2iPy2+P0
敗戦の惨めな姿を教訓として残した家康
指が6本あったことを天下人になってから隠すようになり肖像画には手を小さく描かせ6本目の指は絶対書かせない秀吉
器の大きさがわかる逸話だ
950 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 08:34:37.53 ID:sDuVfDiC0
>>948 それは、君が秀吉の違う側面を知らないからだ。
技術者として、秀吉をみつめてごらん。
今川に反抗できず結婚させられ、調子に乗ったら武田に脱糞する程負けさらし、織田から妻子を守れず、
6本指の百姓出身者に勝てず、恩賞ばらまいてあいつならいつでも勝てるから天下人と認めてやっても
良いかなとあくまで傀儡という意味で将軍になった元康哀れw
952 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 08:40:32.14 ID:M2iPy2+P0
>>943 江戸時代の駅伝飛脚は東海道(江戸-京)を3日でつないだらしいから、
東海道の1/3の距離である京-高野山なら1日半あれば普通の人でもなんとか辿りつけるね。
954 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 08:47:04.02 ID:oC2i5aMX0
TPPで関税撤廃・治外法権認可になりそうな現代は幕末の再来。
徳川幕府(幕末除く)は当時の覇権国の西欧にも出島貿易の日本ルールを守らせた面では凄い。
ヨーロッパはオランダ、アジアは清朝に貿易相手を絞った。
外圧を回避するにはよい政策だったように思える。
もっとも、当時の日本側は銃撃戦の技術が進み陸戦では強国だったというのも有利に働いたのかもしれないが。
955 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 08:50:48.79 ID:Hf2VuifjI
>>926 「まつせとは べちにあらじ 木の下の さる関白を 見るにつけても」
という狂歌が残っているから、当時からサル呼ばわりされていたことは明白。
関ヶ原で1500の島津に中央突破された弱っちい徳川
将軍になってもガクブルが収まらず
遺体を薩摩に向けて寝かせるのがせめてもの抵抗だった小者中の小者
957 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:04:56.66 ID:dDIUyl4B0
>>926 名前に対する仇名の可能性はあるな
日吉丸→日吉大社の神獣の猿
958 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:10:57.73 ID:dDIUyl4B0
>>956 島津は旗を巻いて逃げていた筈だが
もう少しで逃げ切れるという時になって正体がバレて壊滅的打撃を受けた
959 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:11:10.28 ID:7hbpp4a70
三成「はいはい、俺のせい俺のせい」
960 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:17:00.59 ID:M2iPy2+P0
>>956 島津が本当に強かったら逃げずに家康のクビあげてるはずなんですけどねーw
島津は強いとか弱いんじゃなくてたち悪い
>>960 1500で本陣突破できたので、4000位連れていってたら家康の首挙げてたろうね
7000なら完全勝利で関白と征夷大将軍を兼任ですわwwww
963 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:25:48.25 ID:M2iPy2+P0
>>962 ID変えて自演するなキモチワルイ
島津が関白になれるわけねーだろwww
964 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:26:54.22 ID:dDIUyl4B0
>>962 本陣を突破していないだろ
その前に脇道へ逸れて行ったんだろ
そろそろ秀次の話題をw
>>945 秀吉にとっての信長との主従関係は、草履取りから重臣にしてもらった大恩人、家康と秀吉の関係は、武力で優勢な上に朝廷の権威を借りた秀吉に頭を下げただけ(豊臣政権での諸大名は親族と子飼以外は同じ。)。
秀吉の死後に豊臣家を滅ぼしたからといってとやかくいわてる筋合いじゃない。
967 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:34:54.29 ID:M2iPy2+P0
>>966 ???
966の内容の意味で書いたんだが?w
>>72 信長の遺志を後継者として継ぐのが当然だと思ったんだろうな。
正直、家康とかつまらんし、豊臣幕府みたかったわ
>>786 そのくせ家臣には相当好かれてたらしいから謎の人物だな>福島正則
戦国時代ってロシアって何してたんだ?
971 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:42:20.27 ID:dDIUyl4B0
>>786 家臣の嫁にキレられて逃げ帰る大名は珍しいぞ
ついでに嫁さんに薙刀を振り回されて逃げ惑う大名も珍しい
そうだよなあ、そうだと思ったんだ、退行様がそんな酷い事するわけないと思っただ
イヴァン4世 1530年8月25日-1584年3月18日
16世紀にイヴァン4世(雷帝)が近代化と皇帝集権化、シベリア進出などの領土拡大を進めた
974 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:45:32.38 ID:M2iPy2+P0
>>968 残念ながら豊臣家は幕府をひらけませんw
秀吉は幕府をひらこうと色々動いたが失敗して関白になるのを選んだ
ロマノフ朝の前の時代だな
976 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 09:50:01.52 ID:dDIUyl4B0
>>969 黒田節の逸話を聞いた水野勝成は福島正則の行為にとても感動したらしいから、
当時の人の価値基準では、良いのかもしれない
現代的価値観では判断出来ないな
石田光成と一文字変えるだけで、どこかのプロデューサーやサヨっぽくなるのは何故だろう
>>973 イワン雷帝もシベリアまでで、日本まで届かなかったのか
元寇みたいのが戦国時代に起これば面白い事になりそうなのに
979 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 10:02:39.34 ID:0xOgvGog0
980 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 10:02:42.84 ID:5VZrpwFdO
>>969 福島は仕事丸投げで部下任せで失敗は責めないからな
欠点は酔った時だけ
ほとんど酔ってるだけ
>>978 確かに。群雄割拠の頃に元寇みたいなのが起こったらどう動いたんだろな
>>974 秀吉は源氏じゃないのが明らかだからな。徳川だって相当怪しいけどな。
>>978 元寇の時は武士の戦いは個人戦だが、戦国は集団戦だし、鉄砲の数は
日本の方が遙かに上回る。その当時あったのかどうかは知らないけど
日本の騎馬武者とコサック兵の戦いなんかあったらおもしろかったかもな。
>>978 シベリア征服?
数千キロに1人町職員置いてくだけだろ
後、囚人w
985 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 10:13:11.84 ID:M2iPy2+P0
>>982 家康は藤原名乗ってたのに源氏の得川(徳川)名乗り出したからな、怪しいレベルじゃないw
足利義昭が秀吉の養子話を断ったのはプライドと意地だったんだろうなぁ
987 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 10:14:45.41 ID:0xOgvGog0
コサックダンスされてもなあ
988 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 10:14:46.16 ID:5BKV1MUL0
989 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 10:16:25.89 ID:dDIUyl4B0
>>985 源を名乗ったのは爺さんの清康だな
家康はなぜかとち狂って藤原を名乗ったあとでまた源に戻した
990 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 10:17:13.54 ID:oC2i5aMX0
ねねは豊臣恩顧や木下一門をうまく東西両軍に天秤かけた印象がある。
ねねの兄は准后になってるし、
生き残りの処世術が上手。
松平家も所詮三河の百姓武士の土豪
家康は系譜偽造して源氏姓になって征夷大将軍なったけど
将軍より関白のほうが位が高かったから秀吉的にはOKじゃない
家康が藤原を名乗ったのは三河守になるためじゃなかったか?
993 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 10:32:50.58 ID:dDIUyl4B0
>>992 逆だと思う
三河守になる時に、朝廷に源姓の徳川へ名字を変える許可を貰っている
ねね様には高蔵主って女性ながら有能な秘書がおったな
後に秀忠に栄転
>>993 その辺は諸説入り乱れてる感じ
俺はwikiの下記の部分で
>>992だと思ったけど、
>三河守を受領する前の家康の官位は蔵人佐という低いものであったが、
>三河統一を成し遂げ名実とともに三河の支配者となった時点で、
>三河守受領のために必要な位階を家康は持っていなかった。
>三河守受領の為の位階は従五位下に相当するが、当時の慣例では、
>従五位下の位階を与えられる姓の系統は限られており、
>当時藤氏長者であった近衛前久に掛け合い藤原姓を名乗った。その後源姓に復帰した。
同じwikiに三河守就任にあたって源氏を称したことも書いてある
998 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 10:51:50.44 ID:oC2i5aMX0
ねねは石田三成の娘を預かって世話して、大名の津軽家に嫁がせたりもしたようだから
(石田三成の次男の系統も弘前藩の家老になったらしい)
ねねと三成はそんなに仲は悪くなかったのではと思う。
999 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 11:24:05.43 ID:qOEG5jYO0
1000なら切腹
1000 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 11:27:14.65 ID:HNwdByhU0
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