【中国】隋王朝の皇帝、煬帝と妃の墓と確認…江蘇省揚州市
★隋王朝の皇帝、煬帝と妃の墓と確認
中国考古学会は16日、江蘇省揚州市で会見し、同市でことし3月に見つかった2つの古い墓が
約1400年前の隋王朝の皇帝、煬帝と妃の墓であることが確認されたと発表した。
「重大な考古学上の成果」としている。中国の通信社、中国新聞社が伝えた。
2つのれんが製の墓は不動産開発の工事中に発見。1つは長さ約25メートルで墓誌のほかに
玉器、銅器などの副葬品が100点余りと、50歳前後とみられる男性の歯などが出土した。
墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴などから煬帝の墓と認定したという。
別の墓は長さ約13メートルで、副葬品は200点余り。56歳ごろとみられる女性の人骨があり、
煬帝の妃の墓と推定された。この墓でも、ほかではみられない精巧な工芸品などが見つかったという。
煬帝は、聖徳太子が送った「日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す」などとした国書が
無礼だとして激怒したと伝えられる。(共同)
http://hochi.yomiuri.co.jp/topics/news/20131116-OHT1T00157.htm
2 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 21:34:17.35 ID:KaU+jQJI0
失点早いよ 糞内田
隋とかすぐなくなるし遣隋使が無かったら歴史の授業で扱われないレベル
ホントか?わざわざ墓を作るような死に方したとは思えないけど
塩が弱点
始皇帝の墓の内部早く見せろよ
7 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 21:39:24.26 ID:GAwiTkvH0
ガソリンまいて焼くアル!
隋書には一応埋葬の記録はあるはず
当時は現場の官僚が国書を勝手に書き直すというのは頻繁に行われており
聖徳太子が送った国書は
「東の天皇、書を西の皇帝にいたす」と書き直されていた
煬帝は対等外交だったのを怒ったのであって表現を怒ったわけではない
>>9 うそつけ
表記が天子だったから怒ったんだろ
DNA調べれば実は満州人だったという噂が本当かどうかわかるんじゃね
>>10 隋書には「東の天皇〜」という国書をもってきたと書いてある
ちなみに中国で天皇は天の皇帝=北極星を差す
煬帝って改葬されたっけ?腹心だった宇文兄弟に暗殺された後、そこいらの
木片で作った間に合わせの棺で葬られたってのは読んだけど。
まぁ煬帝と唐の高祖はいとこ同士で、直接手を下したわけでもないから
副葬品とか付けてまともに改葬した可能性はあるか。
今更掘り出して何のようだい
16 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 21:54:43.25 ID:sR5KoYIS0
へー
今隋書煬帝紀を確認したら、「大唐江南を平らぐるの後、雷トウに改葬す。」とあるな。
煬帝の墓が見つかったようだい(´・ω・`)
今の中国人と人種的に同じなのか?
異民族だったりして。
なんでこの人だけよう「だい」って読むんだろ?
>>3 南北統一と科挙の開始がでかいんで世界史では無視できない
22 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:16:12.02 ID:ybrsbql00
シナ人じゃないんだよなたしか
あれだな 日没する処の天子の墓だな
24 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:18:27.53 ID:2RaCUm480
>>19 隋の一家は北魏の軍人貴族出身だから元は鮮卑の可能性大
25 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:19:21.60 ID:1W1eqfBg0
隋も唐も初代皇帝は北方遊牧民
26 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:22:23.38 ID:2RaCUm480
>>25 それは言い過ぎで
五胡十六国時代に華北に侵入した異民族の子孫。
北魏の軍人貴族だったからかなり混血してるけどな。
これだけ騎馬民族が東アジアで活発に活動してたんだからその一派が九州にも来てただろうし
西日本の統一と朝鮮半島への侵攻にも関わってたんじゃないのかね
28 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:24:03.31 ID:jlQxoOHk0
ともあれ「支那人」である。
29 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:24:42.30 ID:b6VKsCMS0
なんで「ようだい」と読むんだろ
>>20 あまりにも酷い皇帝だったから
豪州をオーストコリアって言うようなもん
>>12 その国書は日出づる処の天子云々の国書の、
次の遣使の時のでしょうが。
もう純粋な鮮卑族の国が滅んで数百年後の話だから、
混血が進んで民族的な特徴はなくなってたんじゃないかなぁ。
33 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:27:17.97 ID:tFV7S3yi0
朝鮮と違って中国の歴史は評価できる
ただし中共王朝は評価に値しないクズ国
煬帝の男系子孫は突厥に逃れた一人を除いて全滅してるな。
唐に擁立された孫の恭帝も禅譲劇が終わったら用済みとばかり
たった15歳で「崩」。宮崎市定は「唐に殺さる」と明記してる。
悲惨も悲惨。
>>1 >56歳ごろとみられる女性の人骨があり、
最近の考古学の分析はここまで分かるのかすげーな
36 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:29:13.12 ID:My3KqlIk0
広義のシナ人な。
漢族じゃねえわ。
>>1 すげえ適当な認定だなおい>墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴
贅沢な副葬品埋めるほど平和な最後じゃなかったはずだが
どこの歴史も捏造ばかりでクズだね(^O^)/
40 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:31:21.33 ID:2RaCUm480
>>32 妻の権力がデカいという遊牧的な側面が隋にはあったよ
てか煬帝の父親文帝は皇后にビビりまくり・・・
愛人殺すし。
気の強い奥さんの実家の権勢が強かったりするといろいろと大変だな
光明皇后みたいに
>>34 つか、前の王朝の子孫が生き永らえたのは宋朝だけじゃなかったっけ。
確かモンゴルに滅ぼされるまで貴族として優遇されてたはず。
あと、明朝の最後の皇帝の娘が清朝に保護されたけど、尼になったんで
子孫は絶えたんだっけ。
>>32 孝文帝の南遷から百年くらいしかたっていないし、李氏や楊氏はその後も北の端で同境遇の連中と暮らしてたんだから、
ちゃきちゃきの鮮卑っこだと思うぞ。
>>38 上のレスにもあるけど、唐王朝が改葬している。
一応煬帝の孫から禅譲を受けたのが唐の正統性の根拠の一つだから。
だったらその孫を殺さずに子々孫々まで
唐王朝の賓客として優遇してやれよと思うが。
白楽天の詩には隋王朝の末裔という人が儀式に参加する様子を描いてるけど
たぶん楊氏の傍系も傍系の末裔だろうな。
45 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:37:04.60 ID:OUuUmYXA0
>>34 「禅譲」で後腐れなく進んだと言われているのが、後周の柴宗訓と北宋の趙匡胤だけだったねえ。
46 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:37:08.58 ID:zT8RBd5b0
>>30 へー、そういうことだったんだ。ありがと。
48 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:39:19.35 ID:My3KqlIk0
炒飯のとこ?
>>41 おっと、徳仁皇太子殿下の悪口はそこまでだ
>>44 唐の威厳のためにも必要だったのか。直系が生き残っていると担ぎ出されても困るしな
>>45 趙匡胤はシナの歴史のなかでは相当な変人(信念を持った善人だけど)だろうな
52 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:44:03.88 ID:+tPQ9JU/0
存在消された皇帝だからこそ墓が残ったんだろうな
ツタンカーメンみたいに
詳しい人が多そうなんで聞いてみるが
五胡は言語や習俗とか民族のアイデンティティをどのぐらいの時期まで維持してたの?
>>40のレス見ると要素としては保持してた部分もあるようだけど
54 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:45:57.51 ID:2RaCUm480
>>43 武川鎮は武勇にすぎれた漢人貴族も配属されたから混血はしてる。
北魏の首都を南に移した後流刑地になったから謀反した。
天皇 地皇 人皇
高句麗にこてんぱんにやられた煬帝哀れwwwwwwww
57 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:47:19.68 ID:WKS/vwei0
確か帝をダイと読む唯一の例なんだっけ
58 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 22:48:23.70 ID:2RaCUm480
>>53 鮮卑語は廃れてたと思うよ?
その後に侵入した清の皇帝は女真語すぐ話せなくなってる。
>>43 全体的にはどうか分からんけど、楊氏にしても李氏にしても
もう何代も大臣を輩出してた家系だから、随分垢抜けてたとは思うが。
隋だけに。
言語はあらかた廃れていたんだろうが、宇文泰や独孤信の字を見るに、
多少は残っていたのかなと思ったり。
合葬されていたのは蕭皇后ではないだろうなと思ったけれども、
推定没年齢が56歳の女性なら確実に別人なんだろうね。
戻れる祖国無く、嫁いだ国も滅び、それでも孫と共に庇護されて
亡くなったならば、煬帝よりは幸せな人生だったのかしらと思ってみたり。
趙匡胤も痛し痒しの人物だよなあ
クーデター防止の文民統制の徹底が後々に響く文官偏重武官蔑視の宿痾を招いた一方で
それによる政治的な安定も後の王朝に寄与したんだろうし
>>58 レストン
華北進出の後は生まれた子供は漢族の宦官と女官に囲まれて育つんだもんな無理も無い
>>40 唐が武則天にのっとられたのもそういう側面があったからって、どっかで読んだ
64 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 23:00:31.71 ID:rTf99loX0
春秋戦国時代の本ばっかり読んでたら
隋、唐が現代に感じられて困る…。
>>59 まあでも、北周自体があんま垢抜けてないイメージがあるんだよなあ。
北の辺境でブイブイ言わせてた奴らが叛乱に参加したりしているうちにいつの間にか
仲間内で国作っちゃいました、みたいなw
最近中国史上の超有名人の墓がバンバン見つかるけど
本物なの?
>>20 煬帝はまともな人間扱いされない皇帝だから。
隋はその後の唐の社会制度を整備した大元といえる文明度でありながら、
大運河の建設と高句麗への遠征の失敗であっという間に滅んでしまった。
そのため皇帝も、普通の呼ばれ方をしない。
>>51 まぁだからこそ超っ早の近世へ移行できたのかもな
69 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 23:07:50.64 ID:aKlhQ9Tb0
日本人て今の中国人というか今の中国は大嫌いだけど
中国の文化や歴史は大好きだよねw
中国人も日本の家電やらアニメやら、一部は日本史も好きだったりするしw
現代中国史だって好きだぜ?
ただ隣にあったら迷惑だなあ、というだけで。
皇族だけでなく、前近代史をつうじて中華の官僚も富商も世界レベルの資産家だったわけで
古都周辺を深く掘ってたら立派な遺跡がボコボコ姿を見せても不思議じゃない気はする。
72 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 23:16:30.87 ID:OUuUmYXA0
>>51 >趙匡胤はシナの歴史のなかでは相当な変人
ええ、この人、本当に変人も変人。
でも、南宋滅亡時の柴氏のエピソードも含めて、何だか小気味いいんですよ。
73 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 23:19:25.03 ID:rLfhyJBS0
>墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴などから煬帝の墓と認定したという
歴史学者は、こんなんで認定すんのかよw
74 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 23:20:48.95 ID:QysN+S/G0
嘘くせー、この間は曹操の墓が見つかったとか言ってなかったか
>>65 どの時代でもそうだけど、北方系は戦争には強いけど文化的には南方に
及ばないからねー。どうしても田舎者ってイメージが付いて回るのも分かる。
煬帝なんかそのコンプレックス全開のいい見本だし。
と、「煬」って謚号は女にうつつを抜かして国を損なったって意味もあって、
隋が最後に滅ぼした陳の皇帝の没後、「煬公」って謚号を贈っていたという
皮肉。
76 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 23:28:07.34 ID:KVg7Q65t0
>>46 それで、
>墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴などから煬帝の墓と認定したという。
なのか
77 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 23:30:03.20 ID:XDSYhEX10
漢民族なんてほとんど北方の民族の子孫だろ
煬帝は自殺じゃなかったか?追い詰められてさ
墓あんのか?
>>78 憧れの地揚州に引きこもっちゃったんで、一時避難のつもりだった北方
出身の腹心達に愛想付かされて絞め殺されちゃった。
隋の皇帝と唐の皇帝は親戚。どちらも鮮卑系
中国は”晋”以降は”明”以外は北方異民族の王朝
>>37 >すげえ適当な認定だなおい>墓の形、当時の最高級品を含む副葬品の特徴
発掘で墓誌が出てきている。これで確定。
84 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 03:33:45.29 ID:bCnh0s2+0
>>71 いくらでもでる
奈良を掘ったらそこに何かある以上のレベル
85 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 03:39:34.95 ID:bCnh0s2+0
>>83 学問って言うのは厳格でそれまでの知識と研究に比定して、
それよりはるかに素晴らしい装飾品であったり、墳墓の
大きさ形状がどうであったり、文献資料から推測される
諸事情と矛盾しなかったりと、そういうバックグラウンドが
ものすごいある。
記事の数行の「立派な墓が見つかったので煬帝のものだった
としました」だけですべてを知ったと思うな。
ちゃんと煬帝の墓の気がすると確認したと書けよ
>>1 隋王朝って、韓民族王朝の高句麗を侵略しようとして逆に大敗して滅亡したんだよな
日本も独島を侵略したら隋と同じ運命だ
88 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 03:46:15.03 ID:DyKSON820
曹操の子孫とのDNA照合に続いて色々歴史的な話が出てくるね
漢民族は弱いので、しょちゅう国を乗っ取られている。
だが、武では弱いが文では強く、乗っ取られたことは無い。
>>85 >記事の数行の「立派な墓が見つかったので煬帝のものだった
>としました」だけですべてを知ったと思うな。
あのさぁ、「墓誌」が埋まっていたんだぞ。よく考えろ。
まぁ、おかしな奴が「俺の墓に煬帝の墓誌っぽいのを埋めろ・・」と
強烈な遊びをやったの・・かもしれない。そこは要チェックだな。
91 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 04:03:22.68 ID:6ougIkSr0
京杭大運河って今もあるんだな
ちゃんと使ってるならコイツも多少は価値があるな
ギャグマンガ日和
高句麗に何度も攻め入って騙されて負けての繰り返し。
半島を放置すれば長生き出来ただろう。
てか、李世民に半島を責めさせたら勝ったかもな。
>>65 春秋時代にも隋って無かったっけ?
唐は晋の古い名前だよね
煬帝の墓ね〜
盗掘もされずに無事に残ってるとは思えんが
>69
つい最近まで、中国は共産党がダメで中国人自身にはそんなに悪感情なかったよな
経済的には発展途上ではあるが残留孤児をちゃんと育てたりしてくれて人間味あるまともな人間だと思われてたよ
国民と政治は別なんだと日本人は思ってた
あの反日暴動で完全に空気変わったな
97 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 04:47:38.55 ID:LA1xCnqo0
高句麗は、中国の地方王朝ですよ。w
>>96 NHKのシルクロードとか
マルコ・ポーロの冒険とか
堺正章の西遊記とか。
国交を始めた頃は中国題材にした番組とか多くて親近感有ったしね。
天安門から暗転したわ。
99 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 06:45:28.29 ID:cQGmi0rG0
>>98 天安門がなかったら、今みたいになってたかなあと思う時はある。
次の流れが変わるのは江沢民が死んだ時じゃないかな。
>>100 愛国教育が行き過ぎてる。
なんかGHQに指導された教師たちによって生まれた団塊状態。
完全にハマって正常な判断できなくなってる。
>>98 俺の場合は藤子不二雄が描いた中国旅行記で。
泥棒が居ないからホテルの部屋に鍵がないってのを
まともに信じちゃったっけ。
掲載誌がコロコロコミックだった点でお察しを。
104 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 10:11:45.79 ID:qKIh5O9D0
后ではなく妃の墓なの?
名は何というのぢゃ?
>>103 >反論なのか??
墓誌が出てきたので決定かな? と83に書いたら。
墓誌など何の考古学的証拠にならない、墓のサイズ・副葬品などで
考古学的に検証するのが科学だ、と書き込まれたので
90を書いたよ。
念には念のため「墓誌(ぼし)とは?」
http://www.misatosekizai.co.jp/word_grave/ha/bosi.shtml もちろん偽の墓誌を造り、そこに煬帝として埋葬されることに喜びを
感じるという悪ふざけであり、偽の墓かもしれない。そこの検証だね。
偽の墓としても、そこに地域社会的に「ここに煬帝の墓がなければいけない」
という強い了解があって、移葬されたのだろう。
聖徳太子がいなければ日本では歴史の教科書に乗らなかったかもしれない
煬帝が生きている内に「煬帝様」なんて呼んだら、速攻首チョンパ
108 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 12:03:00.13 ID:omY8mPXV0
>>106 最近の日本の歴史教科書では、聖徳太子は実在しなかったと教えられてます
教科書だけでなく、テレビてやってる歴史ものの番組でも、聖徳太子は実在しなかった説をかなり推してるし。
109 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 12:05:46.95 ID:DmnDx4ey0
>>108 隋書に出て来る倭王アメタラシヒコが聖徳太子じゃないのか?
>>87 >日本も独島を侵略したら隋と同じ運命だ
えっ?w
ギャグで言ってるのか?それとも釣りか?w
その前に、破綻寸前の自国の状況見てからモノ言えよwww
このままだと北の三代目にお願いして、統治してもらわないとならない状況じゃねのか?www
今の中国人や中国華僑って
華夏族の子孫というより、乗っ取った蛮族をまたのっとった蛮族を
さらにのっとった蛮族の混血子孫って感じなんだよね・・・
なんだかよくわからんなぁ。
113 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 12:14:20.22 ID:KekRZX2Zi
>>9 >>10 違う。煬帝が怒ったのは「書を致す」の箇所。天皇や天子では皇帝は怒らない。
書を致すという言い方は単に書を渡す、やるという言い方で全く修辞を欠いた
異様な言葉。国書としてあり得ない。
後漢の光武帝こそ神
115 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 17:31:35.20 ID:PVFv0jRJ0
117 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 18:13:47.95 ID:qKIh5O9D0
妃の名は何というのぢゃ?
118 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 18:19:35.81 ID:qrymN42C0
119 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 18:26:56.31 ID:qrymN42C0
121 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 18:42:13.04 ID:pBPLq+2p0
中国の歴史は政治
学問じゃない
122 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 18:42:35.55 ID:oxgb9waTO
むしろ与し易い皇帝だったよな
逆にこの成功体験が後の天智が唐を甘く見て失敗したように見受ける
まぁでも歴史は大切にした方が良い
じゃないと韓国みたいになる
124 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 18:57:56.93 ID:U4uuFpRJ0
>>118 歴史とファンタジーの区別が付かないジャップは捏造癖があるからな
125 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 19:07:20.67 ID:RtxsV7uZ0
>泥棒が居ないからホテルの部屋に鍵がないってのを
中国には60年以上前から泥棒=犯罪者=罪人=原罪を持つキリスト教徒も
ホテル=ユダヤ系秘密結社(キリスト教系)も
「鍵}=天国の門を開ける鍵(ペテロローマ教皇が持つ=バチカン)もたくさんいるよ
風よ、万里を翔けよ
127 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 19:28:08.76 ID:D3myl7uz0
128 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 19:35:45.34 ID:bCnh0s2+0
>>118 藤村たちの捏造発掘は日本でそれまでまったく未知、いや
そんなことあるはずがないという年代のものを掘り出したんだ。
研究の積み重ねもバックグラウンドも当然無い分野だった。
というか、ホモ・サピエンスの発生過程自体を、地球規模で
書き換えなければならない「発見」だった。
日本の古人類学だったかの権威が、それを後押ししちゃったんで
学会で異論を挟めなくなった。
そういう極論ではなく例えば日本での古墳時代の墳墓研究がどうなってるか、
なんとなく想像は付くだろ。円墳や方墳の発生から前方後円墳の登場、伝播、
そしてその衰退。ものすごく細かく調べられてる。
もちろん装飾品やら埋葬の仕方、祭祀の様子、土器埴輪なども含めてだ。
こういう緻密な研究分野でいきなり名古屋で発見された墓は、欽明天皇の
ものですなんていうことはできない。そういうことだ。
129 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 19:43:01.98 ID:XjGVj+Dc0
ずいずいずっころばしごまみそずいってこれでしょ
131 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 19:57:48.43 ID:h1be0qBE0
>>128 日本もいいかげんだよ
たとえばビルトタウン人ならぬヤヨイタウン人
東京大学が大学敷地内で発掘した土器を「弥生土器」と発表したはよいが
古墳時代の土器じゃないか?との疑問の声が出た途端に
発掘現場が行方不明になった。
ああ、玄宗とキャラがかぶっちゃってる人ね
133 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:03:45.79 ID:LA1xCnqo0
教科書に載ってた三ヶ日原人は、最近調べてみたら、縄文時代の人骨だった
そうだよ。w
134 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:10:43.07 ID:bCnh0s2+0
>>131 だからそういう過程が「積み重ね」だと思うよ。
今回の中国の発見も、のちに実は煬帝のものじゃなかった
と分かったら、それが次の研究の積み重ねになる。
そしてその後の研究にまた生かされる。
そもそも異論や反論が出るってことは、その異論反論を
形成できる学問が出来ているからこそだしね。
135 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:16:50.33 ID:7TZl6K440
煬帝って暗殺されたんだろ。誰がそのあとそんな丁寧に葬ったんだ?
怪しすぎるだろ。地方の有力者だよ。
136 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:21:51.17 ID:NnefGexT0
日本側は返書を貰って帰る途中にその書をなくしましたということになって
いるが、おそらく罵倒的な内容がかかれていたので伏せたんだな。
137 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:22:55.23 ID:sMGO/Uzyi
隋唐演技に出てくるやつだな。
煬帝は確か異民族なんだっけ。
煬帝の時代ぐらいに官僚制度や科挙につながる制度ができたんだったか。
兵部とか、六部とかも設置してさ。
短命政権だったけど、結構大きな影響を後世に残してるんだよな。
朝鮮半島ではこういうニュースは聞かないなw
139 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:24:14.70 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
バレーボール、ブラジルにスト負けしちゃった…
で、この墓、ほんまもんなんか?
>>137 まあ煬帝というか親父さんだけどね。
さらに言えば前代の北周からの流れでもある。
142 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:30:08.35 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
隋の元号に仁寿ってのがあって、
日本の文徳天皇の平安時代にも、仁寿って元号があったんだで。
その文徳天皇の本当の墓は、どこかわからん。
143 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:32:22.25 ID:RtxsV7uZ0
>煬帝の男系子孫は突厥に逃れた一人を除いて全滅してるな。
>唐に擁立された孫の恭帝も禅譲劇が終わったら用済みとばかり
>たった15歳で「崩」。宮崎市定は「唐に殺さる」と明記してる。
一般日本人のために翻訳しようと思ったが
「突厥」=トルコ民族(東西突厥に分かれたからフリーメーソン東西軸
「唐」=李氏=ソロモン神殿系悪魔の13家族のフリーメーソン李氏(中国)(糖甘い)
習近平って2代目だから隋の2代目皇帝に化けてたのかね?
まあ煬帝が日本の聖徳太子と文通した人なのはわかるw
ちなみに日本の国会議事堂には法隆寺の五重の塔が入ってるらしい
144 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:35:32.88 ID:RtxsV7uZ0
書=本=BOOK=人類の文明の暗合というか隠喩というか言い換えな
図書館というのは書=本を集めた場所だから「人類の文明」=人類の叡智
古代ギリシアローマ神話やメソポタミアインダスマヤインカ中華日本文明の
古代の知識や学問などの隠喩なのかもね
145 :
"(,, ゚×゚)"剃毛侍 ◆P2h1qdq9WM :2013/11/17(日) 20:36:32.82 ID:Zoxl4hOi0
残ってるもんだな。
地べたに物置いたら速攻で盗まれる国なのに。
146 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:37:01.44 ID:h1be0qBE0
>>134 シナでは反論なんかでることはない。
「断乳政策」を行うと公言している
これは政府の意向にそわない研究発表する大学には「乳」つまり補助金を
断つと言う政策。
逆に言えば捏造でも何でもいいから意向に沿う発表すれば補助金もらえる。
王朝末代の皇帝なんざ、次代王朝が自分の正当性を高めるため
めちゃくちゃ書かれるのが普通だからなぁ
斜陽の王朝に居たというだけで、実情は普通の皇帝だったりするかも
紂王とか、幽王とか、煬帝とか、末代の「暗君」は割り引いて読まないと
えっと、煬帝の墓が存在した事の方が驚いたが
だってさ、煬帝と言えば、隋王朝の後主であり
隋王朝を滅亡に追いやり、最後は家臣の裏切りで殺された人物だからな
三度に渡る高句麗遠征や大運河・長城の建設などでも知られる人物だけに
その亡骸は、墓に入れられるようなことは、
特に副葬品などを納められるような事はないと思ったがね
でも隋は全然斜陽じゃない上、有能で吝嗇な親父がたっぷり有形無形の遺産残してくれましたし。
>>147 煬帝については、その悪政は全て事実とは思わないよ
例えば、父帝を殺したとされるが
これは民間の史書に書かれているだけで、隋書には書かれていない。
隋書は唐代に編纂されたものだから、煬帝の悪政をことさら書いているが
それでも父帝を殺したとは書かれていないのだから、実際に殺害の根拠は何もなかったのだろうし
すでに先帝の病は重かったっていうから、殺すまでもなかったのでしょうな
ただ、三度に渡る高句麗遠征や大運河や長城の建設など
かなり無理のある政策や土木事業を繰り返して、国を疲弊させたのは間違いない
暴虐な君主ではなかったかも知れないが、失政を重ねた人物だったのは事実だ
そうでなければ、隋帝国が滅亡するわけがないでしょうが
151 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 20:48:08.03 ID:LA1xCnqo0
>>136 罵倒的な内用なわけがない。隋は仏教(寺院)による宗教統治国家で
坊さんに成るのは、元締めにお金を納めて試験を受けなくてはならなかった。
信者に成って功徳を貰うにも、金を収めねばならなかった。この制度を日本は
そっくり導入した。遣隋使や遣唐使は日本の官僚が、中国で勉強して坊さんに
成るためだった。なぜなら坊さんになる試験は中国でしかやっていなかったからだ。
日本には奈良の東大寺を始め、国毎に国分寺や国分尼時など大寺院が造られた。
仏教僧は実務者でもあったから、薬や新種の栽培作物の指導もしたんだろう。そ
してそれに日本人は金を払った。唐が大国になっていくと、仏教の影響力も次第
に衰えた。日本は、坊さんの任命を自前でするようになり、大勢の留学生を派遣
する必用も無くなった。
>>149 隋の文帝は、確かに有能な人物として知られる名君だけど
恐妻家でも知られた人物だったがな
魏晋南北朝時代の長い混乱期を経ての統一王朝の樹立だけに
国内に多くの問題を抱えていたのは事実でしょうが
それをちゃんと治めたのだしな
いくら世民さんが曲筆家でも、周文帝、周武帝、隋文帝がこつこつ作ってきた国を
一夜でぶち壊してくれたという事実までは捏造出来んわけですな。
154 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 21:10:02.17 ID:wm9queoB0
>>12 東の天皇、西の皇帝には日本書紀。
隋書は日出処の天子、日没処の天子に。
155 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 21:13:11.83 ID:wm9queoB0
>>148 後継者が自分の正統性の為に墓を作る場合もあろう。
156 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 21:18:13.53 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
怪しい墓やな…
曹操の墓も怪しい…
そのうち、チンギスハーンの墓も見つかるんやろな
これは研究費を国に出させるための飛ばしだろ
もう社会全体が拝金主義に犯されてなんでもあり
金になると思ったら、嘘でもなんでもいい
というか、とにかく破綻が近いというか、
もう金回りが悪くなって、
生活が維持できないから、なんでも嘘ついて、
親方共産党から金を出させるしかないと思っていて、
それこそ共産党議員自体が金回りが悪くなったんで
国家的な発掘だと騒いだら金が降ってくるだろうくらいの
勢いで、それは日本にも飛び火して、
結局、
その嘘に騙されて、日本は金を出すことになるのだが、
中国共産党の懐に金は入るだけなのさ
158 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 21:20:13.54 ID:SQjcTre4O
なんか 青い眼 の皇帝が居たとかなんとか……
あっ 誰か来た
ガチャッ ウッ・ ドスッ……
安能務の「隋唐演義」思い出した
脇役だけど李密が好きだったわ
160 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 21:29:43.91 ID:ZP3/ODH70
資治通鑑の武徳元年八月に「隋江都太守陳稜求得煬帝之柩,取宇文化及所留輦輅
鼓吹,粗備天子儀衛,改葬于江都宮西呉公台下,其王公以下,皆列瘞于帝塋之
側」と記載してある。江都宮西呉公台下が発掘された位置なら煬帝の墓である。
日中翻訳掲示板で「私が子供のころに想像した中国人の姿」というスレッドでラーメンマンの画像出して
中国人が「日本人の捏造はおそろしい!」と激怒してたなw
162 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 21:35:13.24 ID:ZP3/ODH70
↑は違った。移葬されていた。
資治通鑑の武徳五年八月「改葬隋煬帝于揚州雷塘」
163 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 21:38:19.46 ID:PVFv0jRJ0
日本の天皇にも妊婦の腹を裂いた、て記されてる暴君が居たよね
武田信玄が追放した親父も妊婦の腹を裂いたと言われてるし、中国の暴君を
そのまま引用してるんですよね?
定型文みたいなもんさね。
165 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 21:42:46.16 ID:TKMYOQFIO
>>156 て、気になったんでググレカスしてみたら、曹操の墓はほんまもんに思えてきた。
(-_-;)y-~
>>1 書を日没する処の天子に致す の「日没する」ってとこに怒ったの?
>>155 隋の煬帝とその家臣は、江都から故郷に戻る事を望む家臣に殺害されたのだし。
逃亡の旅の最中に命を落とした事になる。
それに隋の煬帝の妃は、煬帝亡き後、隋の混乱を避けて西域に逃れたはずだ
その後に帰国したといっても、そのような状況では遺体を管理する余裕はなかっただろう
っと思うのだが。
煬帝の亡骸のことは考えた事はなかったけど
その辺に埋められてお終いだったのではって思ったけどね
>>163 武烈天皇が暴君であり
妊婦の腹を割くなどの残虐行為が伝えられているが
武烈天皇の次の二十六代天皇は、継体天皇だからな
継体天皇は、それまでの王朝とは血縁関係がなく
また、非常に薄い天皇であり
それまでの王朝とは違う新王朝を建てた人物であることが、確実とされている人物だ
継体王朝を正当化するために、旧王朝最後の君主を、ことさら暴君としたのは
ありえないことではないな
169 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:10:37.69 ID:qKIh5O9D0
支那人の発見
170 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:11:02.99 ID:TKMYOQFIO
コーナンでタバコ吸う所に、ピンコロ石、切り出した石が置いてあるんだよね。
コーナントイレ爆発はワロタ。
(^ω^)y-~
>>168 武烈に子供が居なくて継体が平和的に継いだのなら別に武烈を悪く書く必要はない気がするな
継体の即位はやはり易姓革命だったんじゃないか
172 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:19:35.28 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
で、さぁ、古田武彦の話聞きに行ったとき、俺の腰掛けた席の後ろの奴が、足出してぷらぷらしよるわけ。
古田のおっさんは、緑色の服着てさぁ、俺の中村主水団扇見て、「わたしは、いつ、殺されてもいいー!」とか叫ぶし、最悪やった。
古田のおっさん、「続日本紀に詳しい」とか言ってたけど、全然知らんやん。俺の苗字、続日本紀にあるやろ。
ほいで、コーナンで、高卒団塊のバカ世代に腰蹴られて、110番して警察呼んだら、犯人捕まえた俺が暴行罪やで。まぁ、1発思いっきり、ケツを蹴ってやった。
173 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:23:31.08 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
俺の腰を蹴った奴の名前が井上。
続日本後紀に六世田上王なる記述があるが、その仁明天皇の墓ではないかと思われる丘には寺があって、そこの表札が井上。
俺の苗字は母方でね、父方、父の旧姓が田●なんだよね。
で、なんで、俺は、見知らぬ奴に腰を蹴られないかんのかと思う。
174 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:25:42.54 ID:LqAEkmDj0
支那人の言うことは全く信用してません。
>>166 怒ったのは確からしいんだが、何に対し怒ったのはハッキリしてない
よく聞く二大説が
・日本が日が昇る側、自分の所を日没側に例えられて切れた説
地理的にはそうなんだが、いい気分ではないわな
・「天子から天子へ」という一文に対し、俺とお前は対等じゃねぇ
俺は天子(皇帝)だが、お前は属国の王だろうが
と切れた説
176 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:27:18.00 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
京福電車内で、俺の足を蹴ったチンピラは、俺を腰抜け呼ばわりしやがった。
右京署はあのチンピラを捕まえるべきだったな。
翌日、右京署管内の会津小鉄組長が大阪府警に逮捕され、週末天皇が京都に来た。
差別はいかんよ、差別は。俺が暴行罪なら、俺に暴行した奴を全て暴行罪で裁いてくれ。差別はいかん。
177 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:29:17.45 ID:iolpBBZs0
178 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:30:00.86 ID:PVFv0jRJ0
>>168 あー、嫁さんだか母親だかに半島の血が流れてる人だっけ?
やたらこの板で揉め事になってるイメージがあるw>継体
俺の今住んでるところが、wikiによると継体の前に天皇にならないかと誘われて
トンズラした皇族が居たらしい所だわw
179 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:30:57.03 ID:ZP3/ODH70
隋と当時の日本は国力が違いすぎる(1000分の1以下)
アフリカのウガンダとアメリカが対等の国だというよりひどい
当時の日本は土人の酋長レベルと思われていたんだから
180 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:30:57.67 ID:RCMrOwar0
┌─┐
│先│
│祖│ ∫
│代│
│々│ . ノ △ヽ ウラメシヤ
│ば│ <丶`∀´> ニダ!
│か│ | J J
┌┴─┴┐∠__ノ
│| 三三 |│
 ̄.凸( ̄)凸 ̄
>>175 天子から天子がまずいのは
天子という言葉は唯一無二の存在だから
対等云々より存在しちゃいけないの
182 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:34:32.75 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
はあ…継体天皇って福井県の人やろ…
俺んちのマンションの隣が宮なんとかさんという婆さんで、福井県の人やった。死んだけど。
継体天皇ネタをあちこちに書き込んでるのは一匹だと思うけど
184 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:36:20.48 ID:Y4/mJj7D0
おまえら詳しいなw
185 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:37:00.44 ID:M+XRZisw0
>>181 天に二日無し
天空に極星は二つはいらぬ、だっけ?
へえ。こんなところに葬られたか。
てっきり不幸な死に方したかと思ってた。
南朝のとこじゃん。
煬帝はホントは名君だったんだろ
亡んだので悪く書かれてるだけで
188 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:38:33.65 ID:iolpBBZs0
>>162 元ソースには「扬州市西湖镇司徒村」ってあるよ
まあ大運河作ったのは後世に大きな恩恵だったよな
工事に駆り出された農民には恨まれただろうが
煬帝の公共事業は悪の代名詞扱いだっけか
黄河と長江つなぐ用水路とか
191 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:43:22.47 ID:oxgb9waTO
でもさ、継体の方が渤海ルートの騎馬民族の系譜だったりしてな
九州からのが稲作漁労民で
畿内のほうが馬から一度降りた騎馬系大陸部族の末裔だったりして
192 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:45:52.73 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
続日本後紀、文徳天皇実録に登場する、五世春常王、六世田上王、六世春世王について、
続日本後紀は天武天皇長皇子の末と書いている。
五世春常王、六世田上王、六世春世王について、朝日新聞社刊六国史文徳天皇実録で佐伯有義が欄外に、続日本後紀承和十五年に記載があるのに、
文徳天皇実録仁寿三年に書かれているのをいぶかしんでいる。
佐伯有義の朝日新聞社刊六国史は、某立●館大学衣笠、等持院墓地白骨街道横、修学館地下で読めるよ。
193 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:46:16.63 ID:iolpBBZs0
ウリが起源ニダ!
継体天皇は越の豪族だろ。
朝鮮半島はその頃にはもう日本の影響下にあって、
王族が次々日本の豪族に質入れして服属して交易を求めていた。
越の豪族だった継体天皇の母方がそれだったに過ぎない。
基本的に朝鮮半島は、有史以来日本からみたら取るに足らない小国に過ぎないから
朝鮮人が妄想してるように、継体天皇は朝鮮の騎馬民族の後裔で
大和政権を東征して支配したなんて妄想はそもそも失笑するしかない。
196 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:52:23.32 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
以下俺が作ったSファイルスピンオフ。
現世うつしよ、常世とこよ。五世春常王六世田上王六世春世王。
承和十五年848年、仁寿三年年853年。
賽子サイコロなんだよね。
出目現世←→裏目常世
1と6、2と5、3と4、4と3、5と2、6と1
五世六世六世を裏目常世に置き換えると、
566→211
中国は古代歴史に関しては世界標準の常識でやってるんだよな
始皇帝の墓も最近発見で認定だし
司馬遷の史記のカキコが裏付けられたとか
数年置きにメジャー過ぎる皇帝の墓が特定されるから、怪しくて仕方ないんだが。
199 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:54:56.21 ID:oxgb9waTO
九州系が騎馬系は絶対ないわな
これが何かの拍子で歴史が反転してる
継体は東征ではなく西征だよな
>>199 北九州の豪族が瀬戸内の海路まで影響を持ってきたから
大和政権の豪族たちが内輪揉め止めて対抗するために
大伴一族が継体帝を担いだのはその通りだろうね。
201 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 22:59:06.44 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
俺が作ったSファイルスピンオフ続き。
賽子サイコロから得た211を、年数と読んで、承和十五年848年、仁寿三年年853年から引いてみる。
848−211=637
853−211=642
西暦637年、九州年号僧要三年、和天皇家舒明九年。
西暦642年、九州年号命長三年、和天皇家皇極元年(皇極でない可能性有)。
終わり。だから、どうしたとしか、俺にも言いようがない。
ややこしいことに、ひいおじいちゃんが長●●なんだよね。
八代か七代前が、勘九郎やし。
出土したのが歯だけなのは、遺骨が失われたのか、
あるいは、外地で死んだので、歯しか持ち帰れなかったのか
203 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:11:20.20 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
何世なになに王って書き方からして怪しい怪しいと思って、悩んで五年。
現世うつしよ、常世とこよ、どう考えても、異様な名前。春は張る、賽子サイコロ。
九世頃でも京都では、九州年号の存在は当たり前で、たくさん書物もあったんやないやろか。
悩んで悩んで、北野天満宮伴神社や御所宗像神社に毎年初詣でに行きつつたどり着いのが、賽子サイコロ。
で、九州年号に置き換えるのはいいとしても、その僧要三年、命長三年について記された書物がないから何もわからん。
九世頃の京都なら、それを調べられる書物があったのだろう。安倍晴明に訊ねてみたいものや。
204 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:15:13.98 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
六世孫は耳孫じそんと言う。
賽子サイコロで得た、九州年号が僧要三年と命長三年。
三三
俺はね、平安貴族の暇な学者をヘイトスピーチしたくなるんだよね。
>>202 おそらく酸性土壌なんだろう。だとすれば骨はのこらん。
比較的丈夫な歯が残るのみだ。
日本も酸性土壌なので旧石器時代の人骨はほとんどみつからんよね。
206 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:18:41.06 ID:TKMYOQFIO
仁寿三年年→仁寿三年
九世頃→九世紀頃
(-_-;)y-~
まあ、暇な人は、続日本後紀、文徳天皇実録、五世春常王六世田上王六世春世王の謎にチャレンジしてみてくれ。
隋の皇帝が怒ったといっても別に何をされたわけでも無いんだろ?
周囲のおつきが慌てたってだけで別に怒って無いんじゃね?
208 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:23:51.16 ID:TKMYOQFIO
むあははははは!晴明っ!
\(^o^)/
マイルチャンピオンシップ、ハズレた……orz
209 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:27:45.40 ID:+EVazYrD0
へぇ凄い!
てか民に嫌われた皇帝だったかもしれないけど
運河作ったり一応は後の世に貢献しているよな
皇帝だったんだから
王朝交代後、後の王朝の帝室は前王朝の墓ぐらいちゃんと造って守ってやれよ
って思う
しかも煬帝って唐の高祖の李淵とは従兄弟だろ
211 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:31:01.19 ID:DR1ozSam0
西方異民族支配の名残りが長安。
北方異民族支配の名残りが北京。
漢族支配の名残りが南京。
古代の中国には本当にロマンがあるなぁ…今の中国人と同じ民族とは思えない(;´ω`)
213 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:33:00.42 ID:VKFZlAvo0
何故かジャップは煬帝をキレつつも聖徳太子を認めた英邁な君主のように扱っているが
勿論その実態はDQNですなw クーデターで息子が殺される時に息子が言ったのが
「父上に弁解させてくれ」というのは有名。父の命令で殺されると思ったんだね。それくらい殺しまくってたDQN。
ま、以上は宮崎市定先生の『隋の煬帝』で読んだ話。普通に面白いのでネトウヨは読めwww
特に不見識な
>>209 お前は特に読め
214 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:35:31.37 ID:TKMYOQFIO
(-_-;)y-~
サイコロちゃんで合ってると思うけどな。
今年の初詣は北野天満宮伴神社に行った。
1月か2月か3月か4月か5月か忘れたけど、ああああ彬子あわわわわが北野天満宮に行ったニュースで驚いたよ。
なんなんやろな…皇族につきまとわれる?って。薩摩の百姓血統の体質なん?不思議不思議。
旧約聖書・マラキ書より
1:10あなたがたがわが祭壇の上にいたずらに、火をたくことのないように戸を閉じる者があなたがたのうちに、
ひとりあったらいいのだが。わたしはあなたがたを喜ばない、
またあなたがたの手からささげ物を受けないと、万軍の主は言われる。
1:11日の出る所から没する所まで、国々のうちにわが名はあがめられている。
また、どこでも香と清いささげ物が、わが名のためにささげられる。
これはわが名が国々のうちにあがめられているからであると、
万軍の主は言われる。
聖徳太子の国書
東の天皇,敬(つつ)しみて,
西の皇帝に白(もう)す
日出る処の天子,書を,日没する処の天子に致す。
恙なきや。
>>135 実際は暗殺なんだけど犯人は表向き皇帝が病死したことにして盛大に葬儀もして
傀儡を擁立しても怪しまれないようにしたかもしれない
217 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:40:46.78 ID:TKMYOQFIO
ルパン三世がコロッセオで、痴漢!て言われた場面なんか面白かったで。
おお、よく、コロッセオを選んだなーと思った。
(^ω^)y-~
この妃って蕭皇后?
彼女は暴君の妻にも関わらず悪妻呼ばわりされてない珍しい人だったな
219 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:49:06.60 ID:iolpBBZs0
>>213 >殺しまくってたDQN
高句麗征伐のこと、根にもってんの?w
220 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:54:29.34 ID:FjyfgV+y0
>>213 日本人で煬帝を英邁な君主だと思ってる奴は居ないだろw
こんなスレに来る奴なら尚更知っとるわw
チョンは歴史苦手だからそんな事も知らないのか?
221 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 23:54:52.98 ID:VKFZlAvo0
>>219 ウィキペディア開いてドヤ顔すんのやめてくんない? 恥ずかしいからw
ほんとなのか。
信用していいのかな?
>>213 煬帝に煬の字がある理由が分らない馬鹿って自慢かね?
224 :
ありのままに@札幌太陽太陰暦から ◆5iS0qWYk6k0e :2013/11/17(日) 23:59:37.33 ID:5govjKypO
続き
旧約聖書の中国の未来像
>アモス書
4:11「わたしはあなたがたのうちの町を神がソドムとゴモラを滅ぼされた時のように滅ぼしたので、
あなたがたは炎の中から取り出された燃えさしのようであった。
それでも、あなたがたはわたしに帰らなかった」と主は言われる。
4:12「それゆえイスラエルよ、わたしはこのようにあなたに行う。
わたしはこれを行うゆえ、イスラエルよ、あなたの神に会う備えをせよ」。
4:13見よ、彼は山を造り、風を創造し、人にその思いのいかなるかを示し、また、あけぼのを変えて暗やみとなし、地の高い所を踏まれる者、その名を万軍の神、主と言う。
5:7あなたがた、公道をにがよもぎに変え、正義を地に投げ捨てる者よ。
5:8プレアデスおよびオリオンを造り、暗黒を朝に変じ、昼を暗くして夜となし、海の水を呼んで、地のおもてに注がれる者、その名は主という。
5:9主は滅びをたちまち強い者に臨ませられるので、滅びはついに城に臨む。
5:10彼らは門にいて戒める者を憎み、真実を語る者を忌みきらう。
5:11あなたがたは貧しい者を踏みつけ、彼から麦の贈り物をとるゆえ、
あなたがたは切り石の家を建てても、その中に住むことはできない。
美しいぶどう畑を作っても、その酒を飲むことはできない。
日本からの国書にぶちきれた皇帝だよね〜 それで有名。
226 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 00:02:09.74 ID:CfMl59Xt0
どうやら中国の沿岸部から核戦争が始まります。
やがて、内陸部の中国人は辺境の地に住みますがそれも安住の地にはなりません。
聖徳太子にタメ貼ってんじゃねーぞ!ってキレた人か。
聖徳太子の国書ってそれこそ山本太郎の手紙並みに無礼千万と叩かれただろうな
やっぱり日本と中朝との正しい関係というのは、日本が中朝をぶちきれさせるのが
正しい関係なのか。 それはどうも聖徳太子の時代から定められた宿命であるらしい。
煬帝は摂政に過ぎないのに推古天皇を差し置いて自分が天子だと名乗った聖徳太子は不忠の極みだと激怒したんだよな
聖徳太子より
煬帝の前にいた小野妹子の心情が察せられる・・・
殺される可能性もあったろうし
233 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 00:18:44.70 ID:5Kh/QFKPO
アマタリシヒコは聖徳太子なのか?
234 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 00:20:37.56 ID:woJh/RYo0
頼むから、貴重な遺跡を手荒に扱って壊したりしてくれるなよ
そのような相手をぶちきれさせるような険悪な関係が常態であればこそ
「和」が大事という話になるわけだね。
236 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 00:38:09.23 ID:R40c7oZWO
(-_-;)y-~
まぁ、無礼な国書だわな。阿毎多利思北孤の国書は。
237 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 00:39:19.84 ID:iGTPxjG80
箸を教えてくれたから感謝
煬帝の使者かどうかは疑問が多いがね
>>178 新笠は桓武な
>>168 いやいや何言ってんだよw
新王朝を建てたなんてどこの文献に載ってるんだよw
そういう憶測を述べた文献ならあるだろうがなw
普通に武烈の子孫が絶えて、遠い皇族を迎えたってだけだろう
その子孫が絶えたってことを当時の常識で合理的に説明するために、
行いが悪くて罰が当たった的に説明する必要があっただけだろうよ
漢人は奴隷、いつも支配者はモンゴル系なのが支那
240 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 00:51:35.25 ID:8OIbzxdC0
聖徳太子っていなかったんでしょ?
241 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 00:53:57.49 ID:rix7H4o7O
こういう歴史的事実があるからチャンコロは侮れん
つくづく文化大革命が愚かしいわ
242 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 00:56:00.03 ID:R40c7oZWO
(-_-;)y-~
俺は、万引きという言葉は使わんよ。泥棒と呼んでいる。
>>168 平将門と桓武天皇ぐらいの繋がりは有る。ハズ。ww
244 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 01:44:25.92 ID:vvhm1dhS0
>>213 一冊読んだだけで大いばりかw
しかも著名研究者の名前の威を借りてw
245 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 01:57:01.75 ID:vvhm1dhS0
>>168 実際にそのレベルなら、支那の暴君についてのテンプレを使うと同時に易姓革命
そのものを正当化してもよかろう。
ギャグマンガ日和のせいでタコみたいなのしかイメージできん
247 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 03:01:42.10 ID:ffbTqC/H0
>>150 それもどうかなと思うよ。
戦国の織豊政権を持って短命なのは、民衆をこらしめ
悪性の限りを尽くしたからで、っていうのはしっくり
こないでしょ。
もちろん信長は残虐非道な一面を盛っていたし、
秀吉は恩賞に行き詰まって朝鮮出兵という
愚行を冒した。
とはいえ、この二人が名君であったことは間違いないし、
短命で終わったが織豊政権は悪性故に当然徳川に取って
代わられるべき運命だったとは誰も言わないだろう。
隋も同じような性格だったんではないか?
混乱の世を一期にまとめ上げたが、煬帝父子のカリスマで
一気に社会を変革させて、しかし政治的評価ではない
要因で、李淵に易姓革命という流れが傾いてしまったと。
248 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 03:07:01.69 ID:mLQfCXr80
>>241 確かに侮れんというか、良く考えろというか。
こんなキンペーの権威づけの工作で、日本でもバカ一匹釣れる。
チャンコロ人はもっと釣れてるんだろうな。
249 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 03:10:13.47 ID:2BmaJvi90
部下に首くくられて死んだんだっけ
亡国の皇帝だけどちゃんと豪勢な墓を作ってたんだな
>>247 高句麗遠征失敗続きがデカイだろう。
奸計に引っ掛かったとかで殺されまくって、
遠征軍の兵士がごっそり帰ってこなかったんだから。
家族の怨嗟の声が響くよ。
秀吉軍はとりあえず大半帰って来てるし。
随のこの時代は滅亡までの道筋です。アマルナ革命での一神教を認めて混乱し、暗殺した先王が代理になったと。
つまり、エジプト史におけるアマルナ革命のトゥト・アンク・アメン(ツタンカーメン王)の役割をしていたわけか。
もしかしたら、この王が女性でも不思議はないね。
でも東洋史はあまり詳しくない。
なんのようだい?
>>247 でも隋は周が天下の四分の三纏めたのを宮廷劇で盗んだだけですし。
てか周の文武両帝や親父がこつこつ慎重念入りにレール敷いて、殆ど出来上がった国を貰ってのあれだぞ。
ただの舐めプだろ。衰勢に向かわせるくらいならいざ知らず、しっかり潰すとか寧ろ難しいわ。
超速統一者・改革者の秦始皇帝ですら自分の代では国潰せなかったのに。
唐で例えるなら高宗ポジションだろ?
高宗なんかちょっと女甘やかしただけでアホの子呼ばわりされんのによ。
>>114 激しく同意する。
>>115 ( ゚Д゚)ゴルァ
そんな超絶ヘッポコヘボゴルファーと超絶チート君主の光武帝を一緒にしてはいけないw
258 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 08:26:27.81 ID:Ur/CyvJa0
>>134 きみは学問に幻想を抱きすぎだよ
研究の蓄積が着実に反映されていくはずの自然科学の分野でさえ
再現性のない実験結果が成果として論文として報告されるような事例が後を絶たずに問題になってるだろう
某森口みたいな虚言症の詐欺師が東大の研究者として居座ってあまつさえ科学雑誌に捏造論文を掲載されていたりした
もしウソのiPS手術で世間の注目が集まらなかったら、いまも研究者として一線に居座って高額の報酬と研究費をせしめていたかもしれない
いまでも学内政治に明け暮れてセミリタイアしているようなその分野の権威の鶴の一声で、
前線で活躍している若手研究者が疑義を挟めないような状況はどこにでもある
曹操墓の認定だってそうだ。遺跡の詳細な調査には5年以上はかかるのにわずか1年も絶たないうちに中国の学会で偉いさんが
「これ曹操墓に間違いないから」でしゃんしゃんしゃんで決着がつけられてしまった。
なにが厳格だ、なにがバックグラウンドだ?笑わせるなよ。発見直後に煬帝の墓だと言い出して、異論噴出してるのにわずか半年で確定。
そんな拙速な研究()が厳格なものであるはずがないだろう。
259 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:48:25.72 ID:xm6MuaDN0
はて?
煬帝の墓は長安宮の地下にあるはずだが。
260 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 10:52:13.70 ID:Rfu6ju+K0
皇帝の起源は韓国だからな
>>252 遠征に動員された人数は大抵誇張されているが、この高句麗遠征は本当に100万人以上動員されたというな。
>>261 朝鮮って強いんだか弱いんだか良く分からんな
万年属国ではあるものの、滅ぼされるには至らないという
中華が半島に一番勢力を伸ばしていたのは漢四群の頃か?
263 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 11:27:43.18 ID:Nyk+bAmP0
黄河と長江を運河でつなげる巨大土木事業をやり遂げた偉人でもあるんだよな
使役に駆り出された平民からは恨みを買っただろうが
彼らの子孫がどんだけ恩恵受けたか
煬帝って宇宙人なんだよね
それを聖徳太子と小野妹子が撃破して
>>263 全長2500kmオーバーを計8年で全通だからな
日本の本州の全長が1300kmだから、想像を絶する規模と工期の短さ
中華人民共和国も中国史の中では比較的短命で終わりそうだな。建国後100年は無理だろう。
もしそうなったら毛沢東は評価を上げるだろうな。
いくら後世人が恩恵を受けようが、んなもん作ろうとしたら現代でも刺されるわなw
268 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:16:32.96 ID:fIqfE7Ig0
269 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:19:43.21 ID:NILTmEeo0
蛮夷の書、無礼なりだっけ?
>>263 親の代ですでに長江と准河をつなげる工事を済ませたから
煬帝はそれを引き継いだだけだろう
高句麗遠征も親の事業を引き継いだだけなのに
なぜか親の評価が良くて煬帝が引き継いだこの二つの事業が
暴政の代名詞みたいにされてる
271 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:38:19.68 ID:pjOLW6RJ0
272 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:45:59.86 ID:EsFun2Fu0
>>271 天皇 BC660〜 って3世紀の卑弥呼より古いんか?
273 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:48:44.65 ID:tUpE0HLfO
大学のゼミと卒論が隋〜唐の関係だったなぁ
あれから10年…何の役にも立ってねぇし人との会話にも出たことない
マイナーなんだよね日本だと
274 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 12:49:59.02 ID:fIqfE7Ig0
>>270 そら実質簒奪なんだから、自分の権力の正当性を主張するために前政権をボロクソに貶めるのは常道だからね。
隋はそういう政治宣伝が強固に聞き過ぎた例だよ。
日本だって維新政府が徳川のイメージをあることないこと言って貶めてたろ。
それと同じ。
276 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:34:17.33 ID:fIqfE7Ig0
>>236 600年のアマタラシヒコと607年のそれとは別人と思われ。
600年のは九州王朝=倭国のアマタラシヒコ
607年のは九州王朝にないしょで、近畿ヤマト政権がタラシヒコを騙って
勝手に送ったもの。だから、国書の書き方がデタラメで「書を致す」なんてイタイことを
書いちゃったわけね。これが初体験だからね。
277 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:36:43.26 ID:tW1p761E0
ドラマで見た煬帝は悲惨な死に方してたが
墓はちゃんと作ってもらえたようだな
278 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:40:00.52 ID:FKhvpEoU0
朝鮮の大統領に、「日出づる処の総理から、日没する国への親書をと」
やったらどうなる?
279 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:43:32.41 ID:N8o2kyWM0
>不動産開発の工事中に発見。
専門の発掘調査で見つけたのならともかく、そんな奴らの発見で
よく遺品とか全部無事に出てきたもんだな。
あ!もうほとんど盗み尽くして残ってない状態にしたつもりでさえも
こんだけあったということか。
後代の王朝が自分たちの前の王朝の史を編纂するから
煬帝は唐が落としたよな
呼び方も酷いw
そうでないと簒奪した名目が立たないから仕方ないが
日本の場合は工事中に不発弾が見つかるケースが多いな
282 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 13:52:52.20 ID:mm+QKYexO
>>273中国で穴を掘って掘って掘りまくれって事じゃないかな
煬帝に関しては、高句麗遠征の途中で重臣の楊素の子である楊玄感が反旗を翻している事。
それと共に、山東などで農民反乱が、また各地で土豪の反乱も多発。
長安から南の江都に煬帝が逃げてしまい、それらの鎮圧に対してほぼスルーで国政無視だった事。
最終的に、隋が煬帝生存中に崩壊して、竇建徳、王世充、李密などをはじめとして王公を自称する勢力が乱立。
事実上の戦国時代に逆戻っているからな。
司馬徳戡や薛世良から国政放置すんなよって言われて、最終的に宇文化及に殺害されているわけで。
無能の謗りは妥当だろうよ。
やっぱ中国の歴史は深いな、日本のどこかで甲冑を付けた遺体が見つかった何てセコイ話題とはレベルが違う
始皇帝の万里の長城や煬帝の運河建設は民衆を強制動員して酷使したというのが定説みたいだけど
意外と実際は違ってたりしてな。エジプトのピラミッド建設と同じような感じだったとか。
中国に名前をもらった愚かな国
288 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 14:45:02.30 ID:8+R8dauN0
>>216 だから(自分が原因でだが・・・)世情が乱れ、飢え・略奪・反乱などが
蔓延って追い詰められたので、自分が好きな地へ「一時避難します」って
言って亡命したが、世情を収めて都に帰る気が無かったので、帰りたかった
武臣に殺される→その武臣に粗末なテキトーな棺に入れて、粗末なテキトーな
墓に葬られる→その武臣を倒した「唐王朝(後の)」にまともに改葬される。
ってコンボだと。
289 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:05:44.60 ID:fRTYNOKV0
煬帝なんてひどい名前を当てて暴君として宣伝したのは唐王朝だろ?
>>156 極めてチンギスハーンの墓地があると思しき地域を日本の調査隊
がほぼ特定したそうだが、チンギスハーンはモンゴルにおいて信仰に近い
存在で発掘調査を断念したそうな。
>>262 遠征ってたいへん。
補給不足とか病気とか。
292 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:45:39.72 ID:Njax2/y80
>>278 当時の日本と中国の立場と全然違うでしょ
>>283 戦争中期には、ドイツの敗北を悟りつつも何をするでもなくモルヒネで
現実逃避していたナチスドイツのゲーリングとダブって見える。
294 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 00:21:56.12 ID:j1kQNSKF0
数年後には煬帝の子孫が見つかるんですね。もうわかりました。
295 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 02:39:19.69 ID:HRLJ7GvQi
>>293 ゲーリングはただのパイロットだろ
ヒトラーの過剰評価が招いた失敗だ
>>20>>29>>57 1.昔から日本でも有名人だった
2.昔の日本では「帝」を「だい」と読んでいた
似たような例としては、鄭玄(てい げん)を昔は(じょう げん)と、漢音と呉音の違いで変わるなどなど・・・。
>>30と
>>67の回答は謚の「煬」についてだな
>>87 >韓民族王朝の高句麗
んなもん(ヾノ・∀・`)ナイナイ