>>807 伊藤は保護国化論者だった。保護国化だろうが併合だろうが侵略に代わりは無い。
ちなみに伊藤はその後併合賛成に転じた。
■伊藤は韓国併合に賛成した。
------------------------------
『伊藤博文伝』によると、1909年4月10日、桂首相と小村外相が上京中の伊藤を訪れ、おそるおそる「韓国の現状に照らして将来を考量するに、韓国を併合するより外に他策がなかる事由を陳述」した。
すると「公は両相の説を聞くや、意外にもこれに異存なき旨を言明した」。そればかりか、桂、小村が提示した「併合の方針」についても、「その大綱を是認」した、という。
保護国論から併合論への改宗である。それから2週間後に東京上野の精養軒で開かれた、京城日報社主宰の韓国紳士日本観光団歓迎会での演説でも、
伊藤は「今やまさに協同的に進まんとする境遇となり、進んで一家たらんとせり」と併合を示唆し、聴衆をおどろかさせた。