【社会】奈良の弥生時代遺跡から九州の土器…近畿で初
>>111 横溝正史は九州北部&朝鮮南部(任那)説
文明 文化 産業 権力 全て
九州から発生し九州で育まれて
中央構造線に沿って鉱脈を辿って
東に東に進んで行ったことは歴然
123 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 16:06:35.98 ID:+aOdB2e/0
>>98 刺青の意味合いが違うんだよ
朝廷設立以後畿内では刺青は犯罪者の証拠で、これは大陸に特徴的な文化
海洋民族は全く別の意味合いだからな
124 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 16:30:18.23 ID:+aOdB2e/0
もうひとつ、九州と畿内で民族が違う物的証拠を挙げとくと
アセトアルデヒド分解能の遺伝子の存在な
畿内と大陸は少ないor無い
九州東北&環太平洋民族は多い
遺伝子上でも畿内と九州は民族が違うと証明されている
加えて上にも書いたが畿内と九州の自然環境の相違
そして邪馬台国の文化がどうだったか?
火の女神をシャーマンとして扱うのは環太平洋文化なのさ
フィリピンやパプアニューギニアにも火山信仰や力を得るためや個人識別の刺青文化が存在する
一方、太陽神は農耕民族系の大陸文化に多い
火山信仰や海洋民族が、火山から遠く離れた奈良の盆地に根付く根拠がない
あと、奈良が海だったというが、じゃあ大和朝廷はどこに本拠地を作ったのか?
海上都市か?
もし奈良が海で、交通の便を考えてその海沿いに都市を作ったというなら
利便性でいうともっと交通の便がいいところがいくらでもある
邪馬台国の文化があの土地で広がる要素がないってこった
何の根拠もないけど、邪馬台国は九州っぽい
126 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 16:38:28.78 ID:g5wPQdY70
同じ原典だけでも入れ墨だけじゃないのにな。
海の民の入れ墨はサメよけであって、瀬戸内海はともかく奈良盆地の湿地帯程度で
必要になるわけない。その他植生、風俗など記事内容は全て畿内を支持しない。
128 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 16:43:45.24 ID:CJXllFQJ0
>>124 ALDH2の型の出現頻度に少しの差異があるのはどうやら確かだが
民族が違うという根拠は何?まさか124に書いてあること?
全員同じなどどの民族でもありえませんが。
違う民族と証明されたことにしたいというあなたの願望などどうでもいいよ。
今は九州説なんてDQNの爺さんと韓国人しか唱えていない
ええ土ーーー!
卑弥呼の時代には既に畿内から九州にかけて勢力を拡大していた大和国が存在していた説。
もともと卑弥呼の邪馬台国を、後の大和政権を同一にしない考えというのは、
江戸時代の国学者が「日本が中国みたいな三流帝国に朝貢してたなんてありえなくね?」
という考えが元で邪馬台国を熊襲の国家にするために知恵を絞った結果の産物。
当事から畿内から広範囲な大国であったとみるのが正しい。
133 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 17:01:08.70 ID:+aOdB2e/0
>>127 ざっと書くとまるで一人の指導者のもと一気に畿内に進出したように見えるが
これらの民族移動は数百年単位で行われたと思われる
ひとつの証拠として、筑後、宮崎と畿内の地名相似が挙げられる
かなり広い範囲(今の数県にわたるレベル)で多数の地名と位置の相似が見られるんだが
これはかなり長い年月をかけないと、現代まで定着するもんじゃない
その過程では当然文化交流もあっただろうし
当時の九州の人口分布は筑後川周囲に集中しているので
九州にいるからといって稲作をしてないわけではないだろう
ただ、当時の主たる民族がどこ由来かということと、邪馬台国の文化を照らし合わせると
邪馬台国がどこに存在したかということが浮かびあがるということです
>>55 しかし魏の使者が倭国の権力者に面会したのは事実だろ
そのヒミコという人物が当時の倭国のナンバーワンの支配者だったのか
その権力者の都の所在地が九州なのか奈良なのか不明なだけで
それとも倭国からの貢物は実は朝鮮で買った物で
魏の使者は倭国へ行かずに適当な土地で遊び呆けていて
報告書も全て魏の使者による創作というのか
思った以上に早くから機内を中心に邪馬台国が主導権を握り
その支配地域は思ったよりも広範囲に及んでたと見るべきだろうな
>>124>>128 B型肝炎ウイルスのタイプで分けちゃうと、韓国と福岡がほぼ同一
南方系は沖縄・鹿児島と東北に分布が多いってのと同じ分析結果(半島系が後から侵食してきた)だね
聖書の出エジプトが、民族を保持する大義名分であったのと同じように
東征も実は攻められて逃げただけなのに、政権の神格性を保つために書いたのかもしれないな
九州の神社が物見櫓的な場所にあるのに対して、畿内のそれは武器庫だもん
137 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 18:00:49.36 ID:+aOdB2e/0
>>136 俺もそう思っている
大陸系が九州に根付くことができずに
筑後平野→宮崎→畿内と民族移動したとね
大陸系の民族の移動だとすると奈良に落ち着くのも、環境的に非常にスムージー
遺伝子で地域によって民族が違うような差は、確認されていない。
邪馬台国とは、「都」であり、倭国もことではない。
魏志倭人伝が書く風俗は、都である邪馬台国だけの記事ではなく
倭人一般について書かれている。
海から離れたヤマトが邪馬台国に不適と主張するならば、九州の海から
離れた地域も不適となる。たとえば甘木から海までの距離は、ヤマト
から海までとそう違いはない。大阪平野は当時海だった。
気候は、九州北部と奈良、大阪は大した違いはない。九州北部も雪は降る。
奈良も雪は降るが積雪は殆ど無い。遠賀川の上流の飯塚の方が多い。
海人の伝統の素潜り漁は、伊勢で今も続いている。
景初の年号が記された鏡が前方後円墳他、近畿各地から出土している。
倭国が九州だけであり、邪馬台国が九州のどこかであるなら、これを
どう説明するのか。
>>138 海抜に対する認識は僕も一緒だよ 大阪城の記述から秀吉時代で今から+7mで完全に一致するし
でも九州も同じように海抜を上げてくと、現在の福岡市⇒鳥栖市がほぼ平坦地であることもわかる
つまり「南至投馬國水行」へのルートが見えてくる
この考察も、筑後川流域は大して広大ではなかったことになり、邪馬台国はそれほど強大な国じゃなかったということになる
(自然のままで都市開発の出来なかった古代人は、広くて荒れにくい川を探して移り住むしか手はないんだ)
そうは言っても鹿児島まで行くと「わいがおいをわいちゆーで、おいもわいをわいちゆーとよ」と、ワが相手側になっちまうんだw
おもしろいね
>>136 半島系ってのがおかしいだろ
揚子江下流域から来た人たちで、それが九州から半島へかけて分布しただけで、
半島からやってきたわけじゃないから、半島系じゃなくて大陸系と呼ぶべきだろう
ヒミコ様は 中山美穂や黒木瞳や菊川玲や風吹ジュン
みたいな 縄文顔だったのは 確定的事実
>>139 河内のおっさんも相手に対して
ワレ、なんぼのもんじゃい?
って言うんだが?
> 大陸系と呼ぶべき
大陸は文献そろってるからなぁ・・
>>142 自分のことを「ワ」って言うから倭国だろーがw
そして鹿児島は古くから隼人と言って、中央権力の言うこと聞かない部族だって意味で書いてるの
今時畿内説以外を支持してる奴は、学閥に縛られた馬鹿か
勉強した時期が古すぎて話しにならない爺さんくらいなもんだけどな。
朝鮮半島は有史以来日本に隷属してたような程度の存在で
バカチョンが期待するような中国文化を伝えたストローのような功績もまず存在しない。
群馬 東京 静岡 奈良 大阪 岡山 山口 福岡 宮崎 鹿児
A24B52DR15 9.09 9.15 7.84. 10.08 8.96 9.31 8.80 9.88 8.94 8.28
A33B44DR13 5.41 5.06 7.59 5.43 4.59 3.58 3.55 4.84 3.43 3.38○
A24B07DR01 3.70 3.69 3.13 3.88 3.75 4.96 5.13 4.14 3.87 2.69
A24B54DR04 2.28 2.67 2.55 2.77 2.83 2.95 3.03 3.06 3.68 3.18○
A02B46DR08 1.89 2.21 2.22 2.05 2.19 2.18 1.60 1.75 2.17 1.68○
A26B61DR09 1.64 1.66 1.52 1.11 1.70 2.11 2.05 1.83 2.26 1.47
A11B62DR04 1.69 1.63 1.67 1.19 1.36 1.04 1.38 1.38 1.04 0.97
A24B61DR09 1.62 1.61 1.57 1.72 1.53 1.57 1.73 1.40 1.67 1.76
A24B59DR04 1.32 0.88 0.82 0.97 1.09 1.32 1.02 1.05 1.16 1.68
>>144 おまえさんの方が根拠を示さず言いたいこと言ってるだけの存在
このスレに限定すればだが
>>143 だから相手をワれって呼ぶのは隼人ばかりじゃなく、河内のおっさんもそうだと言っておるw
大陸も揚子江流域が中原になるのは春秋時代も後期の頃、例の呉越あたりからだし、
そもそも日本が弥生文化のころ文字を持ってなかったことを考えれば、
その文献のない時代のころのことだろうよ
河内は反体制的
>>147 それは無いわ。考古学の成果で従来の学説はほとんど塗り換わってる。
吉野ヶ里が邪馬台国と言い張ってた連中は壊滅してるぞ。
中国の3世紀って言えばもう大宮殿やら万里の長城やら
土木技術がとんでもなかったよね・・・日本ってショボい (・ω・`)
>>149 河内と言えば物部の本拠地。
大和政権の中枢をしめる、中核部族なのですが・・・
水銀鉱山ないのに畿内は頑張るんだな
数の多さ(声のでかさ)は日本一だよw
155 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:52:24.87 ID:XPxdKIje0
>>151 まさか、今ある万里の長城や宮殿が3世紀に
出来たとは思ってないよね?
当時のものは日干し煉瓦を積み重ねた程度のショボい
もんだよ。木造は日本の方が進んでただろな。
古代史は未だに学閥の老害がやりたい放題に幅を利かせてるからな。
文献史学を当てずっぽの妄想でこねくり回してた連中は、
考古学のこの20年の学術研究の成果を全く正視できずに逃げ回っている。
一定の世代から下は割と権威主義じゃないから自由にモノを言うけどな。
このスレも書いてる内容で大体世代が分かるwwwwwww
157 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:36:21.32 ID:kwiF0hyK0
age
上に阿らないと出世できない業界。
マスコミや考古学ファンは客観的であれと圧をかけていてほしい。
159 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 11:13:42.05 ID:d30Djzyj0
倭人ってのは、自称がワだからでしょ。
今でも日本人は自分たちの国をワが国って言うじゃん。
邪馬台国は単に、大和国でしょ。
卑弥呼は日の巫女なら、斎宮って考えるのが妥当じゃないの。
先代斎宮のあとを兄弟が継ぐというので、
男性が斎宮を務めるのは伝統にそむくとかで揉めて、
結局、斎宮は女性が務める、
でもマツリゴトの場から距離を置かせたんで、
最終的に伊勢に移転したんと違うか。
共同体の祭祀を女性が仕切るのは、
母系部族時代からの名残りでしょ。
嫁入りが行われるようになると男系氏族化するんで、
それがおそらく、出雲のほうで先に始まったんだわ。
その辺は妄想に過ぎんな
162 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 12:55:02.03 ID:d30Djzyj0
>>160 どちらかというと、卑弥呼は火の巫女だよ
太陽信仰か火山信仰かでぜんぜん違うぜ
火も日も、ヒだろうと俺は思うんだが。
その辺は妄想という名の一説に過ぎず、
今後も学術研究の蓄積が進んでも結論は出ないだろ。
天照大御神は太陽神だけど、
大地母神と類似の神様じゃないの。
古事記の場合、
世界と神々が生まれる過程が語られて、
次に大国主の駆け落ちが語られてから、
国譲りとなり、天孫降臨する。
天孫降臨は皇族の男系始祖の起源神話で、
その時にはもう、嫁入りに伴う男系氏族化が、
すっかり定着してるわけよ。
いまでも年に一回、日本中の神様が出雲に集まって、
なにをするかと言えば、宴会しながら縁結びの相談だし、
さかのぼってイザナギとイザナミは、
柱を廻りなおして、声をかける順番が入れ替わる。
>>163 ぜんぜん違うよ
いちいちもう書かないけど
日本神話における太陽と火の違い、フィリピンやポリネシアにおける火の女神の扱い
このあたりをよく読んでみると、日と火はむしろ逆のイメージを連想させるものですらある
いや邪馬台国は水田稲作文明の国だろ
確かに南洋文化の影響もあるだろうが、メインストリームがそれっていうわけじゃない
日本神話じゃ太陽神=日の神が主神であって、火の神じゃないことからも、
農耕を行っていた邪馬台国の神が火であるというのは無理筋
>>165 妄想知識は良いから。
大和言葉での”ひ”の意味について話してるので。
>>166 >>133にも書いたが数百年単位で民族の交流と移動が起こったと考えているので
その中で狩猟民族と農耕民族の交流も当然あり、特に筑後川周辺は一大農地だったのではと俺も思う
ただ、元々どの系の民族が主に九州に暮らしていて昔からの文化伝統を受け継いできたかというと、やはり海洋民族でしょう
その理由も
>>159を読んでもらえればわかると思う
というか俺は邪馬台国=九州の前提で話をしているから、もしかしたらあなたとは全く平行線かもしれないけどね