【社会】奈良の弥生時代遺跡から九州の土器…近畿で初
★奈良の弥生時代遺跡から九州の土器…近畿で初
奈良県田原本町の弥生時代を代表する大規模環濠(かんごう)集落・唐古(からこ)・鍵遺跡で
1988年に出土した遺物から、北部九州で作られたとみられる弥生時代中期中頃(約2200年前)の
土器片1点を確認したと町教委が15日、発表した。
弥生時代の九州の土器が見つかるのは近畿の遺跡で初めて。
当時、すでに広域的な交流があったことを示す成果としている。
土器片は縦5・3センチ、横13センチ、厚さ0・6〜0・8センチ。88年の発掘調査で、
堀を集落の周囲に巡らせた環濠部分から出土。今春始めた整理作業で見つかった。
16日から12月23日まで田原本町の唐古・鍵考古学ミュージアム(電話番号省略)で展示される。
(2013年11月15日18時36分 読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/national/culture/news/20131115-OYT1T00975.htm
太古の日本は、九州と近畿は近かったという事が証明されたな。
で、邪馬台国は九州と畿内と何対何でどっちが有力なんだよ
どーでもええわ
考古学とかもうお腹いっぱい
発掘するんなら自費でやってね
made in 北九州と書かれていたのか?
虚偽表示ではないか?
きちんと調査しろよ
6 :
名無しさん@13周年:2013/11/15(金) 23:46:40.63 ID:zL5rcujF0
最新の研究では邪馬台国は四国にあった説が有力。
7 :
名無しさん@13周年:2013/11/15(金) 23:48:24.14 ID:y82AHHXlO
倭王おおおおん!
\(^O^)/
神の手が
交流っていうかぶんどり品のひとつでは
九州にできたものが近畿に移っただけ
11 :
名無しさん@13周年:2013/11/15(金) 23:56:54.98 ID:lSuJeT2g0
>>10 台風や地震、津波、噴火(富士山や桜島など)を考えると
普通に安全なところに移動しただけだと思う。やっぱ古代の人は賢い。
12 :
名無しさん@13周年:2013/11/15(金) 23:58:55.47 ID:Or9FRD/m0
1988年に発掘されながら何故今まで誰も分からなかったのか
ドキッ
15 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 00:03:20.92 ID:AezvdDoSO
引っ越しでの道具入れ。
16 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 00:04:08.58 ID:wgGFOMnb0
>>13 大きいものになると影響はすごいんだよ。まさか大陸へ
渡るわけにもいかんし。
17 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 00:06:50.38 ID:wgzA0Myx0
九州から奈良に貢物をしたと理解するのが最も自然。
>>3 なんの根拠もないが
防衛の意味合いから考えると
東日本あたりまでアイヌ人が居たから
わざわざアイヌ人寄りの奈良に国を作るよりは
本拠地は九州にあった方が安全だと思う
当時は朝鮮や中国の方が先進国だったから
言葉が通じそうにない全くの異文化のアイヌ民族よりは
大陸よりの方がなにかと都合がいいように思える
19 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 00:14:54.76 ID:QIAHXtphO
(-_-;)y-~
倭王貧(ワープ)である俺は、毎朝毎朝子ねこにゃーさんたちの、トイレ掃除、うんこを発掘している。
結構、たいへん。
ゴットハンドの可能性はないだろうな
北部九州で作られたとみられる弥生時代中期中頃(約2200年前)の> 土器片とわかるのか?
22 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 00:57:24.62 ID:hAC8fU8d0
卑弥呼の墓といわれる箸墓の少し西に、この唐子鍵があって
ここには楼閣がある
九州から奈良盆地に逃げてきて、対九州勢力の警備のために
邪馬台国の西に楼閣を作ったんだろう
縄文時代にすでに日本中に交易ネットワークがあったんだろ
24 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 01:00:05.84 ID:fxvOruKa0
九州との交流以前に、縄文時代は海外との交流もあっただろ
この記事書いた記者はアホなの?
中国の文物が半島経由で九州に来て、瀬戸内海経由で近畿に運ばれたんだろう
船着き場の大阪辺りの商人が用心棒を集めて王権に発展する
いわゆる豪族だ
この豪族が潰し合い、残ったのが天皇家だ
西日本一帯に広まってた勢力があったんだけど中国地方から新勢力が出張ってきたので
九州、中国、四国、近畿、と分断してばらばらに発展した
そのうち九州の勢力が西日本を再統一して軍事大国になって朝鮮半島に侵攻
>>3 九州の証拠だな。
画期的な発見かもしれん。
大和朝廷東遷説がっ
31 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 06:46:38.01 ID:ArmFj1jd0
32 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 06:48:57.38 ID:9Sp2lxbY0
当時の交通事情を考えれば
邪馬台国九州説が説得力を持つ
今回の発見はその傍証だな
もういいから宇佐神宮の社殿のところを平成改修とかなんとか
言って掘れよ。
まだ九州説唱えてる奴いるんだな
ネットだと顔見えないからな
35 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 07:29:28.15 ID:2FGSs0DW0
当時の地理を考えれば奈良などという田舎の沼地に文明が栄えるわけがないだろw
いつまともな水耕が出来るようになったかも知らねえくせに
古地名もない、鉄器もない、豪華な弥生古墳もない、勾玉生産地でもない、倭鏡の鋳型も
弥生では出てない、そもそも三種の神器すら出ない、隋書倭国伝では阿蘇山で終わってるw
すなわち
>>34は馬鹿
食品だけじゃなく土器まで偽装なのか?
あれ、江田船山古墳て日本史の教科書に出てきたよ。
>>35 俺もそう思う
奈良に都市が出来たのは
九州を拠点として中国地方へと徐々に人が移動して街が出来て
近畿地方にたどり着いた感じだから
かなり後なんじゃないかと思う
九州中国地方をスルーして
いきなり近畿地方に都市を形成とか
日本全土を把握した地理的な視点がないと無理だろ
>>1 唐古鍵遺跡から九州の土器が出土したという事は、神武天皇の東征伝説を裏付けている。
つまり武力に従って文化も奈良盆地に入ったという事だよ。
古事記は絵空事では無かった、事実を基にした伝承という事がはっきりしたな、
京大、阪大の「ヤマタイ国近畿説学派」の諸君。
40 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 11:04:43.38 ID:yVDIk/gs0
>>38 奈良で止まった理由は?
奈良が適地とは思えないけど
41 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 11:08:27.03 ID:oikciDCu0
日本全土の都市形成
jomon-net.xsrv.jp/
縄文都市「三内丸山遺跡」
www13.big.or.jp/~sparrow/SEG-contribution-k3.html
縄文都市「八ヶ岳山麓遺跡」
42 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 11:17:00.08 ID:nDf9zWf/0
>>35 奈良盆地は日本で一番災害が少ない地域だよw
それが答えだ。
この災害多発列島日本で弥生時代に文明が栄える条件は何だと思う?
安定して定住できる場所だ。
九州は豊かな土地だと思うが災害が多すぎる。
この現代でさえ台風被害だ水害だ山崩れだって大騒ぎなんだよ。
弥生時代を想像してみろ。
それにな、土器のような「うつわ」は何に使うものだ?
何かをそこに入れるモノだよな。
ということは、そこに入っていたモノは、九州から大和に土器と共に移動したって事なんだよ。
そう「貢物」だw
よって、結論は邪馬台国=大和。
43 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 11:27:00.79 ID:4qNjgr5SI
>>42 貢物入れて運んだんなら一つしか見つからないのはおかしくね?
貢物なら定期的に運ぶとおもうし
奈良辺りに大型の古墳文化圏を形成したのは渡来系の一派だと思うんだ
邪馬台国とか関係ないような
ある意味中央から遠い所をえらんで
そこで文化が習熟しちゃった的な
44 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 11:44:14.21 ID:nDf9zWf/0
みんな弥生時代を過小評価しすぎ。
想像以上に移動手段が発達してたんだよ。
だから、九州という小さな地域だけの支配圏なんてありえない。
伊達に魏から金印もらってねえよw
>>44 まあ、縄文時代に太平洋渡って外国行ってたかもとか言われてるからな
46 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 14:44:24.29 ID:MFRYYFRFi
文化の交流があったのと
移動範囲を支配してるのとは別だろ
熊襲が大和に貢物してたって事だな
よくわからない部分が多すぎな上に
ゴッドハンドが捏造して
しかも子供みたいな捏造だったから
なんなのこの人達
科学的データとか関係なく信用取引で成り立ってるの?ってなって
あれ以来、下火のままだよな
49 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 16:27:54.08 ID:c+TuMvFP0
古代日本の流れ
1.紀元以前 :中国大陸→朝鮮半島→北九州(小国群立)
2.一〜二世紀:北九州→瀬戸内海沿岸(吉備)及び日本海沿岸(出雲)
『倭国大乱』
3.三世紀半ば:吉備+出雲+東海勢力の結集(纏向遺跡)、北九州は?
今回発見の九州の土器はここら辺りか?
4.四世紀 :北九州衰退→南九州(日向・生目遺跡)、近畿にヤマト王権
『謎の四世紀』
以上
考古学の連中って頭悪いのばかり
51 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 16:32:23.15 ID:noucjQGa0
もうこれで畿内と決まった
後は耄碌した一部の素人が九州と言ってるだけで
52 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 16:36:25.03 ID:LN3V7Dir0
そもそも邪馬台国って本当に存在したのか?
瀬戸内海は古代の高速道路
54 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 16:37:34.62 ID:EOBP0wTc0
そもそも、邪馬台国自体の実在を疑う人はいないのかな?
今の所、物的証拠は何もないんでしょ?
魏志倭人伝って、そんなに信頼性の高い書物なのかね?
>>3 どう考えても九州。
京大あたりの変な権威主義の連中が無理矢理畿内を主張してるだけ。
大陸から武器等が流入してくる経緯や半島あたりまで支配してた経緯みても畿内だと無理。
畿内説だと相当強大な国家だったことになるが。
九州なら地理的にも無理なく説明できる。
57 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 16:43:30.57 ID:noucjQGa0
>>55 全然立証されてない資料だよ
一部妄信的な信者が居るけど
58 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 16:44:16.85 ID:7KOolAwu0
この手の奴ってゴッドハンドを思い出してしまうのだが大丈夫か?w
59 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 16:55:10.24 ID:mNSJoqg60
関東では、弥生時代の遺跡から文字が書かれた土器が出土しているし
この頃の日本にはあちこちに、たくさんの国があって
邪馬台国は、たまたま、中国の書物に名前が残ってただけなんだよ
邪馬台国が日本で一番大きな国だったワケじゃ無い
>>48 だよねw
あの事件を考えると、日本の考古学界って信用出来ない
61 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:04:28.77 ID:MFRYYFRFi
>>59 まさにそうだと思う
たまたま辿り着いた地方都市のひとつだよ
多少他より強かった程度でしょ
大体、弥生の最大集落でも数千人レベルじゃなかったか?
62 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:15:11.64 ID:mNSJoqg60
>>61 どうだろう
逆に、弱かったから中国の後ろ盾が欲しかった・・って線もあるよ
>>62 地理的にもはるか奈良の弱小国家に中国の後ろ盾も何もないし
畿内説自体は論理的にも無理。
ただの鏡(中国本土で発見なし魏志にそれらしき記述のみ)を根拠に主張するのは無理。
九州北部のそれなりの国家なら半島とのからみもあるし中国の権威は十分に意味がある。
64 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:23:57.49 ID:mNSJoqg60
たとえば、張政は、邪馬台国の女王卑弥呼が狗奴国の王・卑弥弓呼と争い、
戦争しているとの報を受け、倭国に派遣され
両者を諭して仲裁し、乱を治めたんだけど
邪馬台国が強かったら、わざわざ中国が出張って来ない
弱かったから負けそうになって中国に泣きついて、なんとか戦争を終結させた
65 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:29:14.42 ID:mNSJoqg60
結局、たくさんあった日本の国の中で、
中国にとって、一番扱いやすかったのが邪馬台国だったっつーだけで
別に、日本で一番力が強く、大きな国が、邪馬台国だったワケじゃ無いのよ
66 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:31:21.91 ID:mNSJoqg60
現代で言えば
中国が、沖縄に対して、あんたが日本の国王ね・・・って言った
ぐらいのもんじゃね????
なんだか胸がドキドキする!
黒曜石の産地と広がり具合の研究とかあるから
とくに難しい話ではない
何を土器に入れていたかは興味があるな
当時の近畿が九州圏内だったことが
確定したわけだな。
70 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:39:51.91 ID:M0zGqe740
奈良は掘りまくってるからな、その十分の一でも北九州掘ればいいのに
71 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:40:13.98 ID:mNSJoqg60
つまり
邪馬台国は、日本で一番力が強く、大きな国だったわけではなく
中国の後ろ盾がなかったら、
中国からアンタが国王だって言って貰わなきゃ
何でも中国に頼らなきゃ、
日本では国としてやっていけなかったような国
なのよ・・・
72 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:48:47.34 ID:ypAXKz5D0
佐賀王朝確定!
73 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:53:16.92 ID:D4sTbohV0
>>11 噴火ならむしろ阿蘇山だろ
ウィキによれば数万年前の噴火の火砕流は山口県まで達し
火山灰は朝鮮半島まで届いたそうだし
7世紀の中国の歴史書『隋書』にも「阿蘇山」の名が見え、
火を噴き上げる山として知られていたとの事だ
今の九州北部を形作ったのは阿蘇山
74 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:55:34.58 ID:SWwvAwXO0
当時の海岸線と河川が自然のまま蛇行していたことを考慮すると自然と大宰府付近
しかし筑後川の風土病(住血吸虫)あるからな
過去の遷都は衛生的な問題か木を刈り尽くしたかのどちらかだ
75 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 17:55:45.21 ID:VVMJBGPTO
ζ*'ヮ')ζ
水銀鉱脈を求めて中央構造線に沿って
阿蘇から大分さらに四国を通って
奈良にたどり着いて 落ち着いたんだよ
九州の土器って断定してるけど信じられん。
組成がまず間違いなく九州の土でないとできないものだと分かった、とか言うなら
分かるけど、たったの一かけらじゃ模様が偶然一致した土器を奈良で作っていた
可能性はないのかね。
78 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 18:15:38.04 ID:mNSJoqg60
>>77 当時の日本は、時間的には、クルマや飛行機新幹線がある現代とは雲泥の差だけど
地域間の行き来は、現代とたいして変わらないよ
別に、九州の土器が奈良で発見されても驚かない
関東で、文字が書かれた同時代の土器が出てるぐらいだもの
79 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 18:19:29.55 ID:mdnFtQFX0
>>40 海が無い、火山が無い
それまで九州にいた民族は海外とも交易があるような海洋民族で、何千年も火山や海と共生してきてたわけでね
九州は両子山、阿蘇、霧島、桜島、雲仙とかなりでかい火山がひしめいている
人間の文化・宗教が風土に影響されることは誰も異を唱えないと思うが
奈良を過ぎれば富士などの火山とまた会えるのになぜ奈良にとどまったのか?
その答えはひとつ
九州から出て畿内に落ち着いた人たちは、民族が違うんだよ
80 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 20:34:56.71 ID:LYROJh9e0
魏志倭人伝に沖縄 台湾フィリピンまでの記述あって
つうか青森三大丸山から能登までの海路もあったらしい
ので下らない発見か
>>55 邪馬台国が存在しないとすると、
邪馬台(中国人にはそう聞こえたんだろう)と名乗る国の使者と称する者が、
なぜか奴婢10人布2匹2丈の貢物を差し出し、
それを受けて、魏から倭に派遣された役人が適当な報告書をでっち上げた
何のために?ってなるわな
82 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 20:38:58.15 ID:2LWJL+kz0
邪馬台=ヤマトだろ。
83 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 20:43:33.34 ID:WJag7TaH0
>>3 九州で生まれて東征しながら各地の豪族を服属させていって大和でヤマト朝廷を打ち立てた
卑弥呼=神功皇后=天照大御神で応神天皇の母
84 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 20:44:38.85 ID:ObCTL15S0
>>45 南米に弥生人と似たDNAを持つ民族がいるんだよね
中継地点と思われるバヌアツからも土器が出ている
85 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 20:53:11.58 ID:9MPzHY030
天津神族は中国渡来の豪族。
86 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 21:26:13.90 ID:gjo4YdPe0
何年か前にどこかの神教授が自分で埋めて第一発見者で一躍有名になったキチガイ
手柄欲しさの教授の仕業?
天津飯乙
>>83 いや、その征服対象になったのが近畿にあった邪馬台国だろう
89 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 21:30:16.93 ID:qp7k2OBB0
>>49 1.紀元以前 :中国大陸→朝鮮半島→北九州(小国群立)
これは
1.紀元以前 :縄文文明→(中国大陸→北九州)小国群立
でいいでしょ。
邪馬台国は大阪城の地下
91 :
名無しさん@13周年:2013/11/16(土) 23:21:21.67 ID:nDf9zWf/0
>>83 この土器は東征よりずっと前のもの。
東征は、何らかの理由で九州に左遷された神武帝が九州で勢力を挽回し、畿内へ進出し返り咲いた話だよ。
元々大和出身だったのさ。
そうじゃなければ、熊野から迂回して味方を増やしながら進軍できるはずがない。
>弥生時代の九州の土器が見つかるのは近畿の遺跡で初めて。
>当時、すでに広域的な交流があったことを示す成果としている。
今までいろいろ掘って、これが初めてなんだろ?
こんなこと言えるのか?
九州説ってのは論理的に無理なんだよな
奈良盆地で裸で刺青して海に潜って貝をとるわけないだろ。
常識的に考えて・・・
>>91 大和人が大和の政権の悪政に苦しんでいたなら支持があっておかしくはないですが。
96 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 03:23:28.35 ID:bCgVQRok0
・名前が一致 (邪馬台=ヤマト=大和)
・そのすぐ後の歴史で奈良が朝廷の中心
吸収説はちょっと無理がある。
97 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 03:32:55.03 ID:aXvzWU0I0
既に九州説が正しいのは周知の通り。
「邪馬台国」→「邪魔台国」→「邪魔たい国」→じゃまたいくに
これは九州弁の「〜たい」ってい方言が入っている。
つまり、「邪魔たい国」というのは「国が邪魔である」の九州訛りなのである。
従って、邪馬台国は九州説が妥当だといえる。
ちなみに、近畿説が正しいとするならば、
「邪馬耶那国」(じゃまやなくに)となっている筈である。
>>94 なぜないと思うのかわからん
まさか南の島でもなけりゃ刺青しないとでも思ってるのか?
100 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 08:19:21.56 ID:CJXllFQJ0
始度一海千餘里 至對海國 (有千餘戸)
又南渡一海千餘里 名曰瀚海 至一大國 (有三千許家)
又渡一海千餘里 至末盧國 (有四千餘戸)
東南陸行五百里 到伊都國 (有千餘戸)
東南至奴國百里 (有二萬餘戸)
東行至不彌國百里 (有千餘家)
南至投馬國水行二十日 (可五萬餘戸)
南至邪馬壹國 水行十日陸行一月 (可七萬餘戸)
女王國東渡海千餘里 復有國皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國黒齒國 復在其東南船行一年可至
101 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 08:35:02.73 ID:9kxi1XlR0
>>97 九州にとって邪魔な国=大和だというとになるな。
その説は近畿説の後押しにしかならないな。
102 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 08:46:55.42 ID:bIz3fQ2s0
103 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 08:49:19.68 ID:c5EPgj7S0
何で出雲説は出ないんだろうか
105 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 08:54:39.98 ID:+zB4rMSEO
考古学界はゴッドハンドの例があるのに、素直に喜ぶんだな。
>>60 >日本の考古学界って信用出来ない
ゴッドハンドの所行について、みんな知ってたらしいからな。
本当に悪い奴は表に出て来ない。
107 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 09:12:22.06 ID:qAcpYxQDO
江戸時代に大名が陶器を幕府に献上したみたいに古墳時代も各地の豪族が朝廷に献上したんじゃなかろうか。それか各地に赴任した官吏が記念に土器を都に持ち帰ったのかも。
>>101 それはそうなんじゃね?ただし、ほんとに邪魔になるのはせいぜい現王朝の直系
の始祖=継体天皇の時代。名前からして体=国体を継ぐっていう酷い扱いw
各地に「天皇家の後継ぎはいらんかね?」ってセールスしまくって各地の名家に
断られまくった最後に血縁も由緒も糞もないが武力が強大な新興豪族が手を上げ
てくれたのがヲホドのオオキミ。
その優勢な軍事力で奈良盆地は制圧したが、本人が死ぬまで奈良に定住しなか
った程の「他人」なんだわ。入れてくれなかったのか、中がぐちゃぐちゃだったから
危険だったのかは不明だが。その強豪が筑紫の君イワイを倒したが、それでよう
やく山口までと「糟屋の屯倉」のみ手に入ったという、それが実に528年。
畿内説の狂人どもが偽書扱いする魏志倭人伝どころかこれは天下の公式記録・
日本書紀だからね。
その後畿内という巨大なヒンターラントを有し東海へも広がった畿内勢力が、半島
利権にコミットし続けて消耗疲弊した九州勢力を倒すにいたったのが7、8世紀。
唐書倭国伝の記録では、一回目の日本国(ヤマト)の遣唐使は倭国の代表と争い
太宗李世民の言葉を持ち帰れなかったとある。それまで日本は柵封関係になかった。
それほど半島との関係、中国からの国家認証という金看板が大きかったと言う事
だ。魏の曹操が出した薄葬令が周辺諸国に行きわたって数世紀たっても無意味な
巨大古墳を作り続けた田舎者の国が頂点に立ったわけだなw
109 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 11:03:13.96 ID:zT9UZ29D0
>>100 朝鮮半島の記述から、距離10倍で報告してるのばれてんだろw 多分褒美を上増しでもらおうとゲタ履かせてる
町の規模も一ケタ少なく見積もればいい
よって九州のどこかで問題ない
>>103 残念ながら船でさかのぼったところの荷物積みおろし場所が特定されてる
しかし当時の奈良の稲作地が標高30m程度の場所だったというのは興味深いね
他の地域だったらテーマパークみたいに整備されるのに
奈良だと空き地のような公園のまま放置プレイされる
邪馬台国の起源はウリナラニダ
当時の奈良盆地は海だからな
つうかそれ以外にも大和の支配地域に海がないと考える頭がわからん、日本自体島国だってのに
そうじゃなくったって九州が出てくる理由には全くならん
そもそも九州なんて場所も定まってないのに
113 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 11:14:07.22 ID:zT9UZ29D0
>>104 今の但馬や出雲は移転させられた後の場所
元の場所は記録に残ってない
【レス抽出】
対象スレ:【社会】奈良の弥生時代遺跡から九州の土器…近畿で初
キーワード:ドキッ
検索方法:マルチワード(OR)
抽出レス数:1
どうやって九州で作ったものって判定してるの?
近畿でライセンス生産みたいに模造品作ってるって事はないのか
116 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 11:20:05.26 ID:ejHgB55O0
邪馬台国はヤマト王権は同じ政府。
日本は小さい国だった…という戦後サヨク史観が、また1つ崩されましたw
>>18 防衛なら国境近くに首都を置く
北京の直ぐ北に長城あるように
118 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 11:23:58.19 ID:zT9UZ29D0
>>112 奈良に貝塚ないし
おとなりの貝塚市でもいまだに貝塚遺跡が発見されていない(語源が海塚だからねw)
119 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 11:31:20.36 ID:9kxi1XlR0
>>118 既に貝殻を再利用する技術をもっていたということだね。
>>111 横溝正史は九州北部&朝鮮南部(任那)説
文明 文化 産業 権力 全て
九州から発生し九州で育まれて
中央構造線に沿って鉱脈を辿って
東に東に進んで行ったことは歴然
123 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 16:06:35.98 ID:+aOdB2e/0
>>98 刺青の意味合いが違うんだよ
朝廷設立以後畿内では刺青は犯罪者の証拠で、これは大陸に特徴的な文化
海洋民族は全く別の意味合いだからな
124 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 16:30:18.23 ID:+aOdB2e/0
もうひとつ、九州と畿内で民族が違う物的証拠を挙げとくと
アセトアルデヒド分解能の遺伝子の存在な
畿内と大陸は少ないor無い
九州東北&環太平洋民族は多い
遺伝子上でも畿内と九州は民族が違うと証明されている
加えて上にも書いたが畿内と九州の自然環境の相違
そして邪馬台国の文化がどうだったか?
火の女神をシャーマンとして扱うのは環太平洋文化なのさ
フィリピンやパプアニューギニアにも火山信仰や力を得るためや個人識別の刺青文化が存在する
一方、太陽神は農耕民族系の大陸文化に多い
火山信仰や海洋民族が、火山から遠く離れた奈良の盆地に根付く根拠がない
あと、奈良が海だったというが、じゃあ大和朝廷はどこに本拠地を作ったのか?
海上都市か?
もし奈良が海で、交通の便を考えてその海沿いに都市を作ったというなら
利便性でいうともっと交通の便がいいところがいくらでもある
邪馬台国の文化があの土地で広がる要素がないってこった
何の根拠もないけど、邪馬台国は九州っぽい
126 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 16:38:28.78 ID:g5wPQdY70
同じ原典だけでも入れ墨だけじゃないのにな。
海の民の入れ墨はサメよけであって、瀬戸内海はともかく奈良盆地の湿地帯程度で
必要になるわけない。その他植生、風俗など記事内容は全て畿内を支持しない。
128 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 16:43:45.24 ID:CJXllFQJ0
>>124 ALDH2の型の出現頻度に少しの差異があるのはどうやら確かだが
民族が違うという根拠は何?まさか124に書いてあること?
全員同じなどどの民族でもありえませんが。
違う民族と証明されたことにしたいというあなたの願望などどうでもいいよ。
今は九州説なんてDQNの爺さんと韓国人しか唱えていない
ええ土ーーー!
卑弥呼の時代には既に畿内から九州にかけて勢力を拡大していた大和国が存在していた説。
もともと卑弥呼の邪馬台国を、後の大和政権を同一にしない考えというのは、
江戸時代の国学者が「日本が中国みたいな三流帝国に朝貢してたなんてありえなくね?」
という考えが元で邪馬台国を熊襲の国家にするために知恵を絞った結果の産物。
当事から畿内から広範囲な大国であったとみるのが正しい。
133 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 17:01:08.70 ID:+aOdB2e/0
>>127 ざっと書くとまるで一人の指導者のもと一気に畿内に進出したように見えるが
これらの民族移動は数百年単位で行われたと思われる
ひとつの証拠として、筑後、宮崎と畿内の地名相似が挙げられる
かなり広い範囲(今の数県にわたるレベル)で多数の地名と位置の相似が見られるんだが
これはかなり長い年月をかけないと、現代まで定着するもんじゃない
その過程では当然文化交流もあっただろうし
当時の九州の人口分布は筑後川周囲に集中しているので
九州にいるからといって稲作をしてないわけではないだろう
ただ、当時の主たる民族がどこ由来かということと、邪馬台国の文化を照らし合わせると
邪馬台国がどこに存在したかということが浮かびあがるということです
>>55 しかし魏の使者が倭国の権力者に面会したのは事実だろ
そのヒミコという人物が当時の倭国のナンバーワンの支配者だったのか
その権力者の都の所在地が九州なのか奈良なのか不明なだけで
それとも倭国からの貢物は実は朝鮮で買った物で
魏の使者は倭国へ行かずに適当な土地で遊び呆けていて
報告書も全て魏の使者による創作というのか
思った以上に早くから機内を中心に邪馬台国が主導権を握り
その支配地域は思ったよりも広範囲に及んでたと見るべきだろうな
>>124>>128 B型肝炎ウイルスのタイプで分けちゃうと、韓国と福岡がほぼ同一
南方系は沖縄・鹿児島と東北に分布が多いってのと同じ分析結果(半島系が後から侵食してきた)だね
聖書の出エジプトが、民族を保持する大義名分であったのと同じように
東征も実は攻められて逃げただけなのに、政権の神格性を保つために書いたのかもしれないな
九州の神社が物見櫓的な場所にあるのに対して、畿内のそれは武器庫だもん
137 :
名無しさん@13周年:2013/11/17(日) 18:00:49.36 ID:+aOdB2e/0
>>136 俺もそう思っている
大陸系が九州に根付くことができずに
筑後平野→宮崎→畿内と民族移動したとね
大陸系の民族の移動だとすると奈良に落ち着くのも、環境的に非常にスムージー
遺伝子で地域によって民族が違うような差は、確認されていない。
邪馬台国とは、「都」であり、倭国もことではない。
魏志倭人伝が書く風俗は、都である邪馬台国だけの記事ではなく
倭人一般について書かれている。
海から離れたヤマトが邪馬台国に不適と主張するならば、九州の海から
離れた地域も不適となる。たとえば甘木から海までの距離は、ヤマト
から海までとそう違いはない。大阪平野は当時海だった。
気候は、九州北部と奈良、大阪は大した違いはない。九州北部も雪は降る。
奈良も雪は降るが積雪は殆ど無い。遠賀川の上流の飯塚の方が多い。
海人の伝統の素潜り漁は、伊勢で今も続いている。
景初の年号が記された鏡が前方後円墳他、近畿各地から出土している。
倭国が九州だけであり、邪馬台国が九州のどこかであるなら、これを
どう説明するのか。
>>138 海抜に対する認識は僕も一緒だよ 大阪城の記述から秀吉時代で今から+7mで完全に一致するし
でも九州も同じように海抜を上げてくと、現在の福岡市⇒鳥栖市がほぼ平坦地であることもわかる
つまり「南至投馬國水行」へのルートが見えてくる
この考察も、筑後川流域は大して広大ではなかったことになり、邪馬台国はそれほど強大な国じゃなかったということになる
(自然のままで都市開発の出来なかった古代人は、広くて荒れにくい川を探して移り住むしか手はないんだ)
そうは言っても鹿児島まで行くと「わいがおいをわいちゆーで、おいもわいをわいちゆーとよ」と、ワが相手側になっちまうんだw
おもしろいね
>>136 半島系ってのがおかしいだろ
揚子江下流域から来た人たちで、それが九州から半島へかけて分布しただけで、
半島からやってきたわけじゃないから、半島系じゃなくて大陸系と呼ぶべきだろう
ヒミコ様は 中山美穂や黒木瞳や菊川玲や風吹ジュン
みたいな 縄文顔だったのは 確定的事実
>>139 河内のおっさんも相手に対して
ワレ、なんぼのもんじゃい?
って言うんだが?
> 大陸系と呼ぶべき
大陸は文献そろってるからなぁ・・
>>142 自分のことを「ワ」って言うから倭国だろーがw
そして鹿児島は古くから隼人と言って、中央権力の言うこと聞かない部族だって意味で書いてるの
今時畿内説以外を支持してる奴は、学閥に縛られた馬鹿か
勉強した時期が古すぎて話しにならない爺さんくらいなもんだけどな。
朝鮮半島は有史以来日本に隷属してたような程度の存在で
バカチョンが期待するような中国文化を伝えたストローのような功績もまず存在しない。
群馬 東京 静岡 奈良 大阪 岡山 山口 福岡 宮崎 鹿児
A24B52DR15 9.09 9.15 7.84. 10.08 8.96 9.31 8.80 9.88 8.94 8.28
A33B44DR13 5.41 5.06 7.59 5.43 4.59 3.58 3.55 4.84 3.43 3.38○
A24B07DR01 3.70 3.69 3.13 3.88 3.75 4.96 5.13 4.14 3.87 2.69
A24B54DR04 2.28 2.67 2.55 2.77 2.83 2.95 3.03 3.06 3.68 3.18○
A02B46DR08 1.89 2.21 2.22 2.05 2.19 2.18 1.60 1.75 2.17 1.68○
A26B61DR09 1.64 1.66 1.52 1.11 1.70 2.11 2.05 1.83 2.26 1.47
A11B62DR04 1.69 1.63 1.67 1.19 1.36 1.04 1.38 1.38 1.04 0.97
A24B61DR09 1.62 1.61 1.57 1.72 1.53 1.57 1.73 1.40 1.67 1.76
A24B59DR04 1.32 0.88 0.82 0.97 1.09 1.32 1.02 1.05 1.16 1.68
>>144 おまえさんの方が根拠を示さず言いたいこと言ってるだけの存在
このスレに限定すればだが
>>143 だから相手をワれって呼ぶのは隼人ばかりじゃなく、河内のおっさんもそうだと言っておるw
大陸も揚子江流域が中原になるのは春秋時代も後期の頃、例の呉越あたりからだし、
そもそも日本が弥生文化のころ文字を持ってなかったことを考えれば、
その文献のない時代のころのことだろうよ
河内は反体制的
>>147 それは無いわ。考古学の成果で従来の学説はほとんど塗り換わってる。
吉野ヶ里が邪馬台国と言い張ってた連中は壊滅してるぞ。
中国の3世紀って言えばもう大宮殿やら万里の長城やら
土木技術がとんでもなかったよね・・・日本ってショボい (・ω・`)
>>149 河内と言えば物部の本拠地。
大和政権の中枢をしめる、中核部族なのですが・・・
水銀鉱山ないのに畿内は頑張るんだな
数の多さ(声のでかさ)は日本一だよw
155 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 20:52:24.87 ID:XPxdKIje0
>>151 まさか、今ある万里の長城や宮殿が3世紀に
出来たとは思ってないよね?
当時のものは日干し煉瓦を積み重ねた程度のショボい
もんだよ。木造は日本の方が進んでただろな。
古代史は未だに学閥の老害がやりたい放題に幅を利かせてるからな。
文献史学を当てずっぽの妄想でこねくり回してた連中は、
考古学のこの20年の学術研究の成果を全く正視できずに逃げ回っている。
一定の世代から下は割と権威主義じゃないから自由にモノを言うけどな。
このスレも書いてる内容で大体世代が分かるwwwwwww
157 :
名無しさん@13周年:2013/11/18(月) 21:36:21.32 ID:kwiF0hyK0
age
上に阿らないと出世できない業界。
マスコミや考古学ファンは客観的であれと圧をかけていてほしい。
159 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 11:13:42.05 ID:d30Djzyj0
倭人ってのは、自称がワだからでしょ。
今でも日本人は自分たちの国をワが国って言うじゃん。
邪馬台国は単に、大和国でしょ。
卑弥呼は日の巫女なら、斎宮って考えるのが妥当じゃないの。
先代斎宮のあとを兄弟が継ぐというので、
男性が斎宮を務めるのは伝統にそむくとかで揉めて、
結局、斎宮は女性が務める、
でもマツリゴトの場から距離を置かせたんで、
最終的に伊勢に移転したんと違うか。
共同体の祭祀を女性が仕切るのは、
母系部族時代からの名残りでしょ。
嫁入りが行われるようになると男系氏族化するんで、
それがおそらく、出雲のほうで先に始まったんだわ。
その辺は妄想に過ぎんな
162 :
名無しさん@13周年:2013/11/19(火) 12:55:02.03 ID:d30Djzyj0
>>160 どちらかというと、卑弥呼は火の巫女だよ
太陽信仰か火山信仰かでぜんぜん違うぜ
火も日も、ヒだろうと俺は思うんだが。
その辺は妄想という名の一説に過ぎず、
今後も学術研究の蓄積が進んでも結論は出ないだろ。
天照大御神は太陽神だけど、
大地母神と類似の神様じゃないの。
古事記の場合、
世界と神々が生まれる過程が語られて、
次に大国主の駆け落ちが語られてから、
国譲りとなり、天孫降臨する。
天孫降臨は皇族の男系始祖の起源神話で、
その時にはもう、嫁入りに伴う男系氏族化が、
すっかり定着してるわけよ。
いまでも年に一回、日本中の神様が出雲に集まって、
なにをするかと言えば、宴会しながら縁結びの相談だし、
さかのぼってイザナギとイザナミは、
柱を廻りなおして、声をかける順番が入れ替わる。
>>163 ぜんぜん違うよ
いちいちもう書かないけど
日本神話における太陽と火の違い、フィリピンやポリネシアにおける火の女神の扱い
このあたりをよく読んでみると、日と火はむしろ逆のイメージを連想させるものですらある
いや邪馬台国は水田稲作文明の国だろ
確かに南洋文化の影響もあるだろうが、メインストリームがそれっていうわけじゃない
日本神話じゃ太陽神=日の神が主神であって、火の神じゃないことからも、
農耕を行っていた邪馬台国の神が火であるというのは無理筋
>>165 妄想知識は良いから。
大和言葉での”ひ”の意味について話してるので。
>>166 >>133にも書いたが数百年単位で民族の交流と移動が起こったと考えているので
その中で狩猟民族と農耕民族の交流も当然あり、特に筑後川周辺は一大農地だったのではと俺も思う
ただ、元々どの系の民族が主に九州に暮らしていて昔からの文化伝統を受け継いできたかというと、やはり海洋民族でしょう
その理由も
>>159を読んでもらえればわかると思う
というか俺は邪馬台国=九州の前提で話をしているから、もしかしたらあなたとは全く平行線かもしれないけどね