>>719 ■白馬事件の資料は既に公開されている。
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1944年2月下旬、スマラン郊外の数カ所の民間人抑留所から女性が集められた。
その際、オランダ人女性には読めない日本語で書かれた同意書に署名させたり、「仕事の種類が記されていなかったことがわかった」
(公判での池田大佐の供述)。
計画の中心的役割を果たしたとみられた大久保大佐は、戦犯容疑者となったことを知り、故郷仙台で自殺している。遺書には「能崎に責任がある」とあり、これも裁判では証拠資料となった。
http://d.hatena.ne.jp/dj19/20120225/p1 捕虜収容所本部付大尉は閉鎖の経緯について、「東京から視察に来た大佐に対し、抑留中の夫人が慰安所に連行された娘の窮状を訴えたことで調査を始めた」と現場の違法行為を軍上層部の判断で中止させたとしている。
判で通訳を務めた元主計中尉は62年の聞き取り調査で「ロサンゼルスの海外放送で連合国側はやかましく本件を取り上げて日本側を非難した。海外放送の件を承知した軍司令部は慰安所の閉鎖を命じた」と話している。
そして、「こんな恥ずかしい事件はほかにはなかった。弁護人もさじを投げていた。人道上の罪を犯した事件といえば蘭裁判でこれくらいのものだろう」と厳しく批判する。
http://d.hatena.ne.jp/nyankosensee/20090912/1252851787 既にオランダ政府は1994年、資料調査に基づいて「日本占領下蘭領東インドにおけるオランダ人女性に関する強制売春に関するオランダ政府所蔵文書調査報告」を発表している。[12]
1992年、朝日新聞はオランダ国立公文書館より、白馬事件に関する判決文及び法廷尋問書を入手し一部を朝刊で公開した。
1993年、オランダにおいて内務官僚プールヘイストが裁判・証言資料を基にオランダ人女性に対する強制売春についての議会向け報告書を作成した。英語・日本語にも翻訳。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E9%A6%AC%E4%BA%8B%E4%BB%B6