ソース(ダイヤモンド・オンライン、「田中秀征 政権ウォッチ」)
http://diamond.jp/articles/-/44070 小泉純一郎元首相の脱原発発言が止まらない。それどころか、ますます演説のトーンが高まっている感じだ。独りになっても
郵政民営化を諦めなかった人、時が経てば声が小さくなるとは考えにくい。それに批判や反論があるほど元気になるという稀有な
性格だ。政治家として“借り”を最小にしてフリーハンドを維持してきた人だから誰の手にも負えないのである。
今のところ彼の“倍返し”を恐れてか、正面から立ちはだかる人も組織もないが、それでも放置できなくて、このところ散発的に
異論反論も出てきている。
彼に対する批判・反論は、“主張内容”と“主張資格”の2つの方向から浴びせられている。
■小泉元首相が主張する「最終処分場なき原発依存の無責任さ」
まず主張内容については、原発ゼロは「楽観的で無責任」、「代替案を示せ」、そして「現在の経済や生活をどうする」という周知の
もの。目新しいものや説得力のあるものは聞かれない。
これらの反論は小泉氏の「最終処分場もないのに原発に依存するほうがよほど無責任」の一声で一蹴されてしまう。
ところで先般引用した(第204回参照)湯川秀樹博士は、昭和29年に次のように警告している。
「原子力の脅威から人類が自己を守るという目的は、他のどの目的よりも上位におかれるべきではなかろうか」(『現代人の知恵』
湯川秀樹自選集3)
この年は、第五福竜丸がビキニ環礁で米国の水爆実験で被災した年だから、博士の警告には当然原子力の軍事利用も含まれて
いるだろう。
だが、前年暮れにアイゼンハワー米大統領が国連演説で「原子力の平和利用の促進」を呼びかけ、日本でも第五福竜丸事件と
ほぼ同時に初めて原子力開発予算が計上された29年度予算が成立した。だから私は、湯川警告はむしろ日本の平和利用に重きを
置いた警告と理解している。
(
>>2以降に続く)