【慰安婦問題】 現代史家・秦郁彦氏 「日本を現在のような窮地に追い込んだ元凶の面々」

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1影のたけし軍団ρ ★
河野氏はやってもいない犯行をやりましたと自白する冤罪(えんざい)事件を演出したわけである。

だが、河野氏や宮沢喜一内閣が卑屈なまでの弱気に陥ったのには、それなりの要因もあった。傍証は少なくとも2つある。
1つは孔魯明駐日韓国大使が直前の7月14日の記者会見で、「元慰安婦の名誉回復のために、
強制連行だったと日本政府が認めることが第一条件」と牽制(けんせい)したことだろう。

もう1つは来日した当時の盧泰愚大統領が浅利慶太氏との対談で「(慰安婦問題は)実際は日本の言論機関の方が
この問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚(た)きつけ、国民を憤激させてしまいました」(『文芸春秋』93年3月号)と語った背景事情である。

特に後者は、寝た子を起こして大騒ぎに仕立てたのは、韓国側ではなく日本側だったと率直に指摘したもので、
当時の空気を知る日本の識者で「その通り」と賛同する人は少なくないだろう。

私が「ビッグバン」と呼ぶ92年1月の発端までさかのぼり、日本人が要所を狙って仕掛けた策動の例を挙げてみる。

92年1月11日付朝日新聞は1面トップで、吉見義明中央大学教授が慰安所に軍が関与していたことを示す旧軍資料を見つけたと報じる。
国会答弁で厚生省は関与していないので資料がないと答えたのを国が「偽証」したとこじつけ、他の大新聞も巻き込み、大騒動に発展させたのである。

翌日付朝日の社説は、挺身隊の名で強制連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた、
過ちを率直に償おうとの趣旨を主張、吉見教授は「謝罪と補償を」と呼びかけた。

5日後に訪韓した宮沢首相はデモ隊に囲まれ動転したのか、盧大統領に8回も謝罪を繰り返す。

91年12月、慰安婦第1号とされる金学順氏らを立てて、東京地裁に提訴した高木健一弁護士を筆頭に、
日本人弁護士グループは韓国、中国、フィリピン、インドネシアなどで慰安婦を捜し出し、次々に提訴させたが、すべて敗訴となった。
支援運動を盛り上げるのが目的なので、勝敗を気にする様子はない。
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20131023/dms1310231529013-n1.htm
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