【社会】明治に人権尊重「五日市憲法」…皇后さま強く感銘
2 :
2get:2013/10/20(日) 08:53:26.26 ID:9s4QDr7Z0
2get
皇后さまは 1934年(昭和9年)10月20日 の生まれ
今の日本国憲法は日本の平和を
中国や韓国より乱されるから
早く明治憲法のように軍を持とう
5 :
名無しさん@13周年:2013/10/20(日) 09:03:20.06 ID:GafgPJmL0
9条をなくして、五日市憲法を導入しようよ。
6 :
名無しさん@13周年:2013/10/20(日) 09:06:06.73 ID:xPfqWeTW0
この当時の人権とは、ゴロつき共が糊口を凌ぐための道具ではないからな。
八紘一宇は戦勝連合国が消し去りたい真実
8 :
卍3286卍ss:2013/10/20(日) 09:13:21.95 ID:wjHiov/+0
イマの日本には 自由や基本的人権すら無い...
勝手に 政治家や役人に 國民を苦しめる法律を作り 押し付けられる。。
天皇陛下には 力がアルのかナイのか 知らんふり...ガッカリだ...
憲法を改正して正規軍を持てる、普通国家に戻さないとな。それまで戦後は終わらない。
10 :
名無しさん@13周年:2013/10/20(日) 09:23:49.71 ID:LSOn/tBkP
五日市といえば宮崎勤だっけ?
11 :
名無しさん@13周年:2013/10/20(日) 09:26:07.20 ID:OYvqNTFy0
皇后が憲法語るのは如何なものか
五日市憲法市民意識の萌芽は玉川上水羽村堰の川番人なのである
しかし現実には人権軽視な帝国憲法ができたじゃないか
そしてその憲法で恩恵を受けたのは天皇家だ
では現皇后さまは明治の天皇家は誤りだったということでいいの?
>>8 たしかに。日本人の人権蹂躙を天皇は放置しているな
まあ元々天皇は日本人の人権など尊重しない立場だったか…
14 :
名無しさん@13周年:2013/10/20(日) 09:48:55.86 ID:Htk9V7920
五日市拳法は最強!
ほなら明治憲法もってこようや
>政治犯の死刑禁止を規定
ふむふむ
18 :
名無しさん@13周年:2013/10/20(日) 10:25:48.55 ID:WTV18mGS0
与太郎皇太子をお育てになり放置あそばされるおバカ天皇皇后。親の顔が見たいとはよく言ったものよ。 www
19 :
卍3286卍ss:2013/10/20(日) 10:29:31.86 ID:wjHiov/+0
>>13 古来の 本当の天皇は違うはず 常に國民の為を願うのが天皇。。
イマの天皇陛下は 申し訳ないが ただのお飾り。。他国の操り人形...
>>13 国家元首ですら行動職業財産権すら持てないニッポン摩訶不思議デース
22 :
名無しさん@13周年:2013/10/20(日) 15:11:59.49 ID:JXokloQE0
なんかサヨクくさいなあ
皇后陛下がこれとは残念だ
>>22 両陛下は前からリベラルと言われるよ。
ただし、反日とか反皇室ではないけどね。
というか、近代皇室は明治からずっとリベラル。
別に独裁者でもなんでもなく、法律や会議に従うという精神だし、
ご自身は公人として大変に我慢を強いられながら、
子どもを自分で育てたい、というようなことで
人権を求めていた。
教育の機会についても、国民すべてにそれを与えるとともに、
公家や皇族の子も学校に通って教育を受け、
社会性を身につけるようになさった。
「家族」単位での生活も、今上の代でようやく適ったかたちだよ。
なお、雅子様は人権人権と言いながら
事実上の独裁政権をお望みなので、
皇后陛下もこういったことに関心をお持ちなのだろう。
25 :
名無しさん@13周年:2013/10/21(月) 08:33:15.20 ID:1Ozw8pwB0
あげ
27 :
名無しさん@13周年:2013/10/21(月) 21:55:37.90 ID:z0UxvouK0
ageてみる
結局採用されなかったんだから遺産でもなんでもないだろ、
伸びが悪いのう。
これ、取りようによっちゃ皇室による異例とも言える政治色を含んだ発言ですぜ。
明らかに憲法改正議論に触れた話だし。
>>22 お前日本人じゃないだろ
普通そんな感覚ないぞ
ネットを検索して五日市憲法の原文を見てみろよ。天皇の権限が強大だぞ。サヨ学者が一部分だけ引用して持ち上げているだけ。
世界でも珍しい文化遺産って、この人世界史を知らないのか
これより100年も前にフランス革命の人権宣言とかアメリカの憲法があるんだが
じつは両陛下の平成流への不満を決定的にしたのは、失声症事件の前年の、両陛下の
中国訪問だったといわれる。
問題になったのは中国での陛下の”お言葉”だった。
当初、用意されたお言葉の草案は昭和天皇訪米時のものを踏襲した
《永きにわたる歴史において不幸な時期がありました》というものだったが、
これに陛下の手が加わり、最終的に
《 わが国が中国国民に対し多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました 》 という
一歩踏み込んだ表現になったといわれる。
こうしたことから、本来は皇室崇拝の念が強いはずの右翼・保守勢力の一部に両陛下への
強い不満が鬱積していた。