【東京】米国務長官らが献花へ=千鳥ヶ淵戦没者墓苑、外国高官で初

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210名無しさん@13周年
>>208
>国会図書館所収の「靖国神社問題資料集」
ググれば普通に出てくるよ?
その程度のスキルも無いのか?
まあアタマ良くなさそうだから同集から拾ってみようか。

昭和32年6月20日「将来靖国神社に合祀すべきか否かを決定すべき者」(【資料番号244】)の時点までは所謂「戦犯」について単に留保されているだけの扱いだったが、
同年6月24日「合祀基準に関する打合会(第6回)」【246】では援護局側と神社側で合祀する順序を考慮する必要性について協議している。
さらに翌33年9月12日「合祀に関する打合会(第7回)」【248】ともなると合祀する順序の具体的手順について協議もされ、(責任)役員会・総代会に諮問する旨神社側から申し出ている。
これは同年10月13日の責任役員会の記録が【251】として付されている。
後のいわゆる「A級」のみ留保決定がなされたのは昭和36年8月25日「昭和36年度における第4回合祀関係研究会記録」【277】が嚆矢だが、ここまで「順序」の文脈以外に由来する事実は一切見られない。
筑波宮司が何らかの意図を持って故意にいわゆる「A級戦犯」なる者を保留扱いしたとするなら、あくまで刑死ではない病死者の「順序・手続き」についての配慮であるとみると整合性がとれる。

また伊藤隆の研究では、時を同じくして「靖国神社法案」が持ち上がりこれに配慮したとみている。
いずれにしても「富田メモ」なるものには、それほどにきちんとした裏付けがあったわけではない。



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