【鹿児島】「西郷さんが最期に立てこもった洞窟が印象に残りました」…西郷隆盛ゆかりの史跡巡る、鹿児島で「西郷どんの遠行」
2 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:07:39.70 ID:h2HNrGf+0
泣かすのかお前3年生を!
パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!パンッ!
浜松日体高のキチガイ傷害狂師が2get
3 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:08:08.94 ID:4M6PVMzt0
西郷隆盛って親父の名前だろ
隆永も本当の名前かどうか不明なんだよな
西郷南洲で固定しちゃえばいいのに
4 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:08:32.27 ID:H/72033x0
何故上野に明治政府が西郷像を立てた
5 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:09:07.97 ID:k9F3B3eQ0
首なし死体は影武者だろ。本物の西郷はフィリピンに逃亡したらしい。
西郷さんは靖国神社にはいません
西ク隆盛とか坂本龍馬はお札にならないの?
西郷隆盛って死体出てきてなかったんじゃないっけ。
9 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:15:57.55 ID:O2fjJkkT0
西郷どんの援交
西郷ドンは象皮症でチンコの玉がスイカ大のサイズがあった。
自害して首は埋められたので見つからなかったが、
首無し遺体のチンコの玉で本人確認した。
綺麗事だけでなく、こういう豆も教えて欲しいもんじゃ。
11 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:20:24.18 ID:ITyWk3oO0
>>7 特に西郷なんて政府にたてついたテロリストだぞ。
そんなキチガイ札キャラなんてならなくてよし。
12 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:23:10.16 ID:j3dNBNdhO
(-_-;)y-~
明日が城山の日か。
13 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:23:13.39 ID:4M6PVMzt0
>>7 坂本龍馬は司馬遼太郎作品とかが過剰に英雄化しちゃっただけで
実際は単なる商人でたまたま遊びに来ていたところで薩長同盟の裏書を頼まれたに過ぎない
それ以外は特に何もしていないからな
14 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:26:34.05 ID:k9F3B3eQ0
>>7 西郷が札になったことはないが、西郷は西郷札を発行しまくってインフレが起きた。
西南戦争後にそれを回収するために金融引き締めやってデフレに。
西郷札は明治政府があらかた回収したので、残ってるものはすごいプレミアムがついてる。
西郷どんの淫行
16 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:30:38.28 ID:SU9d6BwZ0
おいが皆、抱いていく
17 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:31:50.49 ID:rPdR4XggO
>>7 坂本は、10万円札にしようって動きが高知かどっかであったよ
ただの戦争馬鹿だろ
鹿児島で西郷隆盛を悪く言うのは今でもタブーである
って、マジなのか?
20 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:37:41.83 ID:zCr/wo+OO
映画ラストサムライはつまらなかった
21 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:42:36.09 ID:QjIDD3M+0
サイゴーのサイゴいうわけだな。
22 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:43:29.20 ID:zCr/wo+OO
「敬天愛人」
23 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:47:56.18 ID:W8VXwSDR0
セゴドンは、まっこと男んなかの男ばい
明治維新って西南戦争で一区切りってことなのかな
25 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:50:34.13 ID:7xG8Lh+B0
ニュースまで大河の番宣に使うなよ
26 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 16:53:53.17 ID:3micJRNi0
オレは西郷隆盛は好きだし尊敬もしているが、唯一、最後に鹿児島に戻ったのは
未練がましくて嫌いだな。
やはり熊本で敗れた直後に潔く自決すべきだった。
27 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 17:03:07.87 ID:x0jkE9S+0
大久保の方が好きだな
28 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 17:08:56.85 ID:d6j9J3kxO
我が胸の燃ゆる想いに 比ぶれば 煙りは薄し 桜島山
29 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 17:11:40.92 ID:awy0RbeO0
上野の西郷さんと奈良の大仏さまが喧嘩をしたら西郷さんが負けた。
大仏「ぶつぞう」
西郷「どうぞう」
坂本竜馬が西郷隆盛の奥さんに使い古しのフンドシくれって言ったのは、西郷のデカいキャン玉にあやかろうとしたのかな?
もうここらでよか
西郷って英雄視されてるけど、割と悪人と思うが。
幕末に「御用盗」なるテロ組織に乱暴狼藉させたり、
薩摩藩に搾取されてた奄美の人を見下し、明治以降も搾取する考えも持ってた。
35 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 17:22:43.08 ID:o9JS/Rrr0
まあ長州藩もテロしまくり藩だったし、
当時はテロも英雄行動だったのかもな。
安重根が韓国で英雄視も当然か。
37 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 17:26:32.35 ID:DWXSULow0
英雄のイメージがRPG(ゲームや創作物)基準になったからなぁ
だから「薩摩の連中はこんなことしたんだぞ!」って所謂
暗部を提示されても「で?」って感じなんよ わかりもはんか?
見た感じ結構狭いんだよなぁ、ここ
俺にとって西郷は、
企業の経理部に突然現れ、会計ソフトを経理部トップにオヌヌメし、社員万雷の拍手を浴びている、そんなイメージ
(九州でしかやってないかもなー)
オーケン
42 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 17:47:36.60 ID:vm098lls0
言うてん言うてん聞きれがござらんと、薩摩男は相手が違げもんど!!
《 西郷隆盛 その人となり 》
明治10年9月24日、7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く自決した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、命乞いしてたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が命乞い、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍の山県有朋に助命を断られ、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという情けなさでした。
732 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[] 投稿日:2013/06/22(土) 11:52:25.76 ID:K/cqP/Hd0 [2/5]
《 西郷隆盛は桐野利秋に射殺されていた 》
西南の役の最後の日、西郷は足を撃たれたあと自決したことになっているが、
その西郷の足を撃ったのは実は桐野利秋だったらしい
西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、投降派の将兵を連れ山を降りようとした
しかし玉砕派の桐野がこれを発見、激怒して後ろから銃で処刑したというのが真相
目撃者の証言もある
鹿児島県人は西郷を祭り上げるためならどんな捏造をも厭わないが、
西郷に不都合な記録、証言はすべて黙殺だ
ネットが普及する前はそれでも通用してたんだから、歴史とか史観というものは本当にいい加減なものだな
西郷さんは島津幕府になると勘違いしてた島津久光以下を封じ込めるために、加えて君主への義理を果たすために、あえて死んだ
明治政府の最大の障害である不平士族たちを、わが身を菰巻きの菰みたいにしていっぱいくっつけて焼かれたんだよ
46 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 17:59:08.01 ID:KN9Sedfd0
写真の無い西郷と言われるが、ぐぐると〜脇に大久保
桂.中岡.伊藤.勝.大隈・岩倉卿・・・・・・の一枚が出現ドッキリ⇒本物でしょうか?
>>46 おそらく卿の言っている写真はにせもんだな
せごどーんせごどーん
>>44 >ネットが普及する前はそれでも通用してたんだから、歴史とか史観というものは本当にいい加減なものだな
むしろネットによって、いいかげんな匿名情報が伝播していくこともあるんだよ
ガッコでネット教育うけてないのかな?
50 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:14:59.00 ID:awy0RbeO0
一掛け二掛け三掛けて〜♪
四掛けて五掛けて橋を掛け
橋の欄干に腰を掛け
遥か向こうを眺めれば
十七八の姉さんが
片手に花持ち、線香持ち
姉さん姉さんどこ行くの
私は九州鹿児島へ
西郷隆盛娘です
明治十年三月に
切腹なされた父上の
お墓参りに参ります
お墓の前で手を合わせ
南無阿弥陀仏と目に涙
もしも私が男なら
士官学校卒業して
イギリス言葉を習わせて
梅に鶯ホオホケキョ
ホオホオホケキョと鳴いたなら
これでいっかん終わりです〜♪
>>44 ネットで…って、それ本にもなっている俗説じゃんw
んじゃ、俺もネットで上杉謙信が女だったことと、
源義経がジンギスカンになったのを知ったよw
52 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:23:02.93 ID:r6ppYGyE0
>>50 必殺仕事人のオリジナルかと思ってたわ
賢くなった
53 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:23:34.17 ID:NCaQoWem0
犯人は長州の山縣
54 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:28:41.28 ID:swiAgNnf0
南州翁はともかくとして、
政治家や経済人で座右の銘に敬天愛人とか言っちゃう輩は信用できない。
京セラの稲盛とかKDDIの稲盛とかJALの稲盛とか。
上野の仏像見た嫁の一言
「これ誰〜?」
>>34 俺もそう思う。
まぁ、英雄視されすぎての反動もあって実態はよくわからんが…。
57 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:33:23.23 ID:ejPUm/LK0
当時の西郷は性病で睾丸が人の頭より大きく膨れ上がり、
満足に歩く事もできなかった。
西郷がどういう死に方をしたかは謎だけど、
肥大した睾丸が目印になって遺体を確認できた。
58 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:33:48.01 ID:Y8Jp1/mv0
勘違いしてる観光客も多いけど
城山の西郷洞窟と、自刃した場所は別な
自刃場所(西郷終焉の地)も
城山から近いから是非行ってみて碑が建ってる
■ 西郷隆盛 伝説一覧
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 → 断られる
伝説 : 「晋ドン、もうここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山から逃亡 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 西郷南洲翁遺訓 西郷の教え41条
史実 : 東北庄内人による創作
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの月給が現在価値で2千万円 年俸2億4千万円
豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹(食用か?)
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い漁った
伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
史実 : 勝海舟の創作
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
外人のパークスに脅され断念
伝説 : 敬天愛人思想で道義を貫きとおした巨星
史実 : 浪士を雇い、江戸で放火、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発
伝説 : 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
史実 : 勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
伝説 : 大久保利通の西郷暗殺指令
史実 : 政府の密偵を凄惨な拷問にかけ自白強要させており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の現地妻を捨て、
旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 鹿児島の民百姓にも慕われた西郷どん
史実 : 西郷さんが死んだ日、百姓たちは木の上から見物、
全滅後西郷軍団の身ぐるみを剥ぎ、売る
>>59 だから隼人ならその史実が全部本当だとして「で?」なんよ
大和の連中がどう思うかは知らんけど
62 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:39:13.73 ID:+1TbyNTL0
63 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:46:55.40 ID:ejPUm/LK0
西郷の人生
・月照とのホモ心中に失敗し自暴自棄になる
・孝明天皇を毒殺
・幼帝を握って幕府に戦争を仕掛ける
・江戸にテロ集団を放ち大規模な放火・殺人を行う
・鳥羽伏見開戦 西郷は負けると予想し
幼帝とともに広島に逃げる準備をしてた
・明治政府成立 攘夷馬鹿の西郷はお荷物扱い
・不平士族に担がれ武装蜂起
・朝敵として討伐される
64 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:47:03.74 ID:9wlI7Lni0
明治新政府に頼まれて
クーデター起こしそうなの潰す手伝い
したらしい
明治政府の汚いの隠すために西郷を英雄扱いにした
>>59 明治初期に既に豚の霜降り肉が開発されていたとはな…
薩摩どんだけ先進地なんだよ…
66 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:48:35.82 ID:uwTddsou0
67 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:50:21.72 ID:A24PMj26O
せごどんの実態ってどうだったろうな。
抜刀隊であるじゃん。
『敵の大将たる者は古今無双の英雄で』
鹿児島県警じゃ演奏しないらしいな。
68 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:50:34.60 ID:q6+AwM40i
西郷どんは睾丸がソフトボールくらいは有ったので、
首が無くてもすぐに身元が割れた
69 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:51:44.95 ID:+1TbyNTL0
あと薩摩では明治期どんだけその風習残ってたかしらんが
犬(特に赤犬は美味しい言われてた)は食べる文化はあったよ
それについて言われても「で?」としか思わん
基本的に「実は○○だった」と暗部提示されても 暗部とも思わんし
そんなもんだろうくらいか感想は まあ西郷どんが実は女の子だった!
とかならびっくりだけど
71 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:52:11.59 ID:bvXb6J1c0
薩摩鹿児島は日本の中の2重のグノーシス秘密結社国だ
日本だけじゃないんだけど、値域の方言には暗号や記号のために故意に替えてあるところがらう
英語なんか1000年前の古英語とは全く違うだろ?
あれはテンプル騎士団が壊滅した時にイギリスにのがれたユダヤ人テンプル騎士団が
故意に英語の単語を暗号にしていったんだよ
鹿児島から日本を役人天国に復活させます
応援よろしく
74 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:54:19.39 ID:DaxOmAnAO
昨日は寝過ごしたぁぁぁの佐川官兵衛が戦死してたな
(´・ω・`)
西郷のネガキャンとかどんだけ暇やねん
>>67 抜刀隊の歌詞の何が凄いって、敵の大将をも英雄とか誉めたたえてるとこだよな
あれ聴くと気が引き締まるわ
78 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:55:55.86 ID:bvXb6J1c0
>伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
それは明治維新前の貧しかった時代のことでしょう
暗号を書いたつもりだろうが、明治維新前に下級武士だった西郷家が貧しかったのは事実だよ
79 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:57:46.53 ID:dBAjCTEN0
西郷さんの最後
80 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 18:59:33.19 ID:5pf2GPSY0
ゆかりの地のなかに
一条ゆかりゆかりの地ってのは無いのかね
敵も味方も諸共に 刃のもとに死すべきに
82 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:00:02.17 ID:bmETfLkj0
あの城山の洞窟は何度も見たが、無駄に怖いな。
夜中はあの一帯全部が無気味だ。
83 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:00:25.58 ID:bvXb6J1c0
ちなみに辛亥革命の時に西郷隆盛に比定されてるの湖南省の黄興な
84 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:02:06.16 ID:uwTddsou0
>>67 >鹿児島県警じゃ演奏しないらしいな。
抜刀隊の創案は川路利良だから鹿児島の人には複雑な気持ちなんじゃないの
85 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:02:29.43 ID:a5Jzp8zo0
>>62 そうなんだよな
酷いって言われてるけど
この慕われ人じゃなければ廃藩置県は出来なかっただろう
現に岩倉、大久保は自分たちだけでは出来ないから、
鹿児島から西郷呼び寄せてる
86 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:02:33.73 ID:R/n1rgns0
この悲劇は全部長州のせい
会津も長州のせい、新撰組も長州のせい
八甲田も2百3高地も長州のせい、原爆も、GHQも憲法も
今のワープアも長州のせい
87 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:06:55.50 ID:0wQgAbaL0
篤姫と小松帯刀が切り開いた素地を、ささっと泳いで漁夫の利とかあるんだろうな。
未だに人相が不明なのは、明治維新時にかなり大物だった証ではある。
暗殺とかの危惧よりも、西南戦争終了時に西郷の写真や自画像をすべて
廃棄して焼却したほうが自然だな。
とんでもないカリスマだったのは事実。
坂本龍馬がとんでもなく尾ひれ羽ひれが付いてるけど、一歩間違うと
とんでもない売国奴だった可能性も高い。
89 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:10:54.39 ID:v0hbinJ6O
維新このかた廃れたる
日本刀の今更に
また世に出ずる身の誉れ
敵も味方も諸共に
刃の下に死すべきに
あ〜さいごーのでかキャン玉つんつんしてみたいお
91 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:14:59.87 ID:7B2QOU000
西郷って、有名になる前に
男と心中みたいなのやってなかったか?
なんつーか、アッーーーな訳?
西郷は、和洋折衷ではなく日本の伝統文化を完全否定して破壊し尽くした上での完全西洋化を目論んだ人
93 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:20:07.27 ID:9wlI7Lni0
白人相手のオカマなら操り人形だった謎が
解けた
94 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:21:27.78 ID:T/iMq9rhi
>>91 月照が斬首されるのがしのびなかったんでそ
95 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:27:46.73 ID:awy0RbeO0
元会津藩家老の西郷頼母は、薩摩の西郷とは九州菊池氏を
祖とする同族で幕末から深い親交があった。
このことや徳川と距離をおくような献策もあって藩主容保
の不興をかい家老職をとかれ、会津攻城戦の前には名誉
を傷つけられ追放的な扱いを受け命まで狙われる。
容保は系譜的には藩祖保科正之の流れの頼母を敬遠していたのかもしれない。
明治になってからも2人の関係はギクシャクとしていたようだ。
西南戦争の折にも隆盛との交友から謀反に謀議したと疑われる。
武術の弟子の武田惣角は西郷軍に参加しようとしたが果たせなかった。
惣角は頼母の養子でありながら講道館四天王の1人になっていた
西郷四郎を頼母から伝授された体術で苦もなく負かす。
四郎はその後講道館から離れる。
>>87 >写真や自画像
鹿児島人は基本自閉症気味なのでそういうのが嫌い。
それと肖像画や銅像って弟だかを参考にしたんだっけ?
身内をモデルにしたんだからやっぱりそれなりに似ていると思うよ。
嫁さんが銅像を見て「こんな人じゃなかった。」といったのが混乱の鯨飲だと思うけど
アレ多分、風貌がどうのこうので無く、いい年した大人が浴衣一枚に犬を連れた
見ようによっては知障に見えるいでたちだったんでびっくりしたんじゃあないかな?
いかつい顔でそういう印象はつかなかったんでそのまま黙ってうやむやにしたんだろうと思う。
まあ、西郷隆盛が評価されて上野に銅像まであるのは、
何と言っても勝海舟との会談で、江戸を火の海に戦場
にしなかったところにあるな。
そのために戦に来ていた士族が納得できず、戊辰戦争
に発展してしまった。
西南の役も同じ。脱藩してまで改革に参加できなかった
士族の不満をすべて抱えて西郷は死んだ。
全ての責任と、因縁にけりはつけないとね
長州が天下とって西郷が生き残れるワケはない
それだけの話(´・ω・`)
99 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 19:59:41.04 ID:yNIitXPa0
>>97 >勝海舟との会談で、江戸を火の海に戦場
>にしなかったところにあるな。
それはほら吹き勝が流したデマだって。
>>60が書いてるのが史実。
薩長による江戸攻撃を聞いた英国公使パークスが、
激怒して乗り込んできて西郷を叱り飛ばしたらしい。
薩摩はイギリスの傀儡のような身分だったから、
パークスの命令には逆らえなかった。
100 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:02:48.44 ID:awy0RbeO0
鹿児島を進発した西郷軍一万余、陸路大阪あたりに着いた頃には
数万に膨れ上がり、政府は大久保・川路を罷免して西郷を中心にした
士族救済政策を受け入れるなんておもってたんだろな。
それが熊本城なんかでモタモタ、みんな桐野の威勢のいい講談戦法に
引き摺られて無駄死にの山。
秀吉も天下統一後は別人のように退化したが、西郷も薩摩に帰郷後は
まったく精彩がなくなったな。
102 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:18:28.88 ID:Hn7kyHG60
大熊なんて、早稲田つくって、ギョーカイに主筆とかボンボン送り込んでるから
その基地が維持見た門下生どもがマスコミ使って礼賛してるだけじゃ、ねえか。
Ωの尊士とその信者かよ。
福澤は、最初、マスコミ押さえ損ねてたから
三田の拝金宗なんていわれてたけどな。
103 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:21:55.68 ID:5jadCZd00
おいが皆、抱いて逝く...
>>99 あれ?薩摩がイギリスの傀儡だから、戊辰戦争させて武器をしこたま売ろうと企んだって言ってたヤツいたぞ?
なんで攻撃止めるんだ?
105 :
ネコちん♪ ◆RIaAan710E :2013/09/23(月) 20:27:34.22 ID:CLASP9Bj0
ネコ山ちん助 はりきっとるな
初代大日本帝国陸軍大将だったとは知らなかった。
108 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:33:23.60 ID:bfmUeZlyO
>>96 除幕式の時の奥さんの言葉も二通り伝えられていて「うちの人はこんなんじゃない」と「そっくりです」。
西郷が鹿児島に引っ込んでからは全国の肖像画を集めさせ棄てたとか。
銅像のデザインをしたキヨソネへの明治政府の指示がひどく曖昧だった(弟をモデルにしろ、似てようがいまいがかまわない、ととれるような)。
もう何がなんだか。
素晴らしい薩摩文化シリーズ まるでどこかの国w
【模倣と起源詐称】
ようするにパクリです。
パクッたものをさらに、自分たちが創り上げたかのように詐称します。
・琉球から唐芋をパクり、「さつまいも」として流布。
・琉球からチキアゲをパクリ、「さつまあげ」として流布。
・琉球から泡盛の製法をパクリ、「焼酎」として売る。
・琉球から豚をパクリ、「さつま黒豚」と命名。
・ヨーロッパのガラス製品をパクリ、「薩摩切子」として売る。
・朝鮮から陶工ごとパクリ、「薩摩焼」として売る。
・屋久島の屋久杉をパクリ、「薩摩杉」として売る。
・江戸の菓子職人が考案した「かるかん」を薩摩発祥と詐称。
・イギリスのボーイスカウトは、薩摩の郷中教育をモデルに作られたと詐称。
・醤油の英語名ソイソースは、薩摩弁の「そい(しょうゆ)」が起源と詐称。
・日本国旗「日の丸」は薩摩が発祥と詐称。
・日本国歌「君が代」は薩摩が起源と詐称。
>>99 あほか。薩摩はイギリスと戦争したのも
知らないのか。
薩摩人の気性を考えると、イギリスを
利用はしても傀儡には絶対にならないw
111 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:46:03.28 ID:bmETfLkj0
嘘と知ってることしか書いてねえな
112 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:48:19.39 ID:bfmUeZlyO
>>110 そのイギリスが「オマイらとの付き合い考え直すわ」って言ったからだろ?
付き合いがあるから利用もできる。
あと勝が「開城を認めないなら江戸の街を焼き払っちゃうもんねー♪」って匂わせたのもあるんじゃね?
悲劇の英雄なのは確かだよな
西郷と同時代を戦って生きた人達からの
西郷の評価は高いのに
自分が信じた維新の後輩たちに
国賊にされてしまったんだから(´・ω・`)
114 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:51:19.07 ID:iWDYekgy0
>>44 嘘ばっかコピペしてるな
近現代で暴れてる奴と同じかw
命乞いて・・・w 馬鹿丸出しだな
官軍からの降伏状に返答しなかっただけだろ
>>109 いちいちこまけーなおまい
饂飩にしろトーフにしろ中国伝来だけど和食になっとるやないか
鹿児島熊本で唐芋とよばれてんのをさつまいもと名付けたのは青木昆陽だっただろ
なんならさつまいも→肥後いもとよんでやってもいいんだが
116 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:56:12.43 ID:cG7nB15X0
117 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:57:14.65 ID:rX+is9mq0
>>112 なんで薩摩が英だけをあてにする必要あるんだw
米も露も外交したくてウズウズしてんのにw
119 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 20:58:50.42 ID:ejPUm/LK0
>>104 >なんで攻撃止めるんだ?
横浜の居留地が戦火に巻き込まれイギリス商人が困るから。
またそうなったら幕府側についてるフランスも中立を破り参戦する可能性がありヤバい。
>>110 薩英戦争の後の薩摩はイギリスの言いなりだよ。
120 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 21:00:21.39 ID:awy0RbeO0
大村益次郎は、明治初年にやがて九州から足利尊氏のような
謀反人が現れると後の西郷決起を見越し軍制改革を
急がせたのはさすが。
が、自らの暗殺を指令するのは西郷側近で民主党代表と同姓の
男だとは予見できなかった。
島津久光は薩摩が主力となって維新を実現したからに自分か息子の藩主が新政府で
将軍的な立場になる筈が、領地も家来も召し上げだもんな。
新政府要職に成り上がった西郷・大久保に騙されたと憎悪するのはある程度わかる。
腹の虫のおさまらぬまま政府の県令人事も租税も認めず薩摩独立国を続ける。
中央で西郷と大久保が仲間割れし西郷が下野・帰郷したからには大嫌いな西郷ではあるが
今度こそはと西郷に肩入れし軍費を全面的に提供する。
久光こそ謀反の首謀者で足利尊氏の筈なのに、戦後なんの処罰も受けず後には
皇室と縁戚さえ結ぶ。
1877年4月1日付『イラストレイテッド・ロンドン・ニューズ』は、西南の役をこう報じている。
「薩摩の人々は、1868年の革命以来、日本の甘やかされた子供であった。
しかし、彼らは明らかに日本の帝国内の薩摩帝国を保つことを望んでいるのだが、
それは許されざる事柄である。帝国政府はいま、彼らに対して大きな陸軍を
送り込みつつある。西郷将軍がこの反乱・西南戦争に何らかの形で加わっていることを
日本の公式文書は否定している。しかし、この文章が書かれている言葉遣いや
反乱が進行している地方に西郷将軍が下野している事実に照らして、こうした
否定をすること自体がどちらかと言うと、彼がこの反乱を促進しつつあるとの
報道を確認するのに役立つのだ」
と報じている。
金井圓編訳 〜THE Illustrated London News〜邦訳「描かれた幕末明治」 雄松堂書店
122 :
猫屋の生活が第一:2013/09/23(月) 21:02:12.02 ID:prEuqsXk0
西郷さんの銅像の御供が、日本猫でないのが大変残念でなりません。
>>119 戊辰はイギリスが薩摩を傀儡にして武器売って儲けようと仕掛けたんなら、事前に居留民を退避できるはずなんだが?
もうええかげんにせえ
イラヤマテヤマネコの方が日本古来の品種に近い
>>119 薩英戦争知ってるのか。
鹿児島市内がかなりの範囲焼かれたんだぞ。
恨んではいても傀儡になることは絶対に無い。
武器調達で利用はしていたと思うが、オランダ
ともつきあいあったし。
傀儡のソースがあるなら見せてくれ。
127 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 21:13:57.90 ID:ZrKefex7O
維新後期は佐賀モンやら高知モンが後から出張ってくるのが面白い。
128 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 21:20:57.79 ID:mi0BjS5mO
大山巌とホモだち
長州の成り上がりを信用するから(´・ω・`)
130 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 21:24:11.45 ID:ejPUm/LK0
>>126 >傀儡のソースがあるなら見せてくれ。
徳川幕府が守り通した樺太を、明治政府はロシアに譲り渡してるだろ。
ロシアに譲れと命じたのはイギリスのパークスだよ。
>>127 ( ^▽^)<クーデター起こして 御所を確保したまではいいが
西郷や大久保は藩に内緒の独断専行でコトを起こしたわけで
事態がどう転ぶか判らない
慶喜つうか幕府側のが 戦力も資金も政治力も圧倒的に上
各藩がどう動くかが鍵
岩倉のニセ錦旗が威力を発揮するw
>>127 土佐は最初からいるんだけどね
土佐勤皇党は初期にほぼ全員亡くなってるけど(´・ω・`)
>>119 もしかして幕末に議論ばっかしてたから薩長土肥に入れなかったあの藩の末裔のかたですかね?
>>130 日本古来の版図を割譲することはできない。(´・(ェ)・`)
>>132 ( ^▽^)<土佐の武市と 長州の久坂玄瑞が
朝廷動かして 幕府の将軍に攘夷の実行を約束させた
久坂玄瑞は坂本を脱藩させた
坂本は勝海舟を切りに行くが 逆に説得され
勝の弟子にw
水木しげるの短編で無名の研究家が死人を蘇らせる薬を発明して
西郷を復活させるという話があるが、
出て来た西郷は大飯食らいのただの馬鹿w
鹿児島の図書館なら閲覧禁止になるような描き方だった。
.
( ^▽^)<勝手に朝廷を動かした武市や久坂は 死んだ
同じく西郷や大久保も
一方朝廷の意志の元に行動した 慶喜や会津藩主は長生きw
139 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 21:56:12.72 ID:+/UieWRj0
>50
一掛け二掛け三掛けて〜♪
四掛けて殺して日が暮れて
橋の欄干腰を掛け
遥か向こうを眺めれば
この世はつら〜い事ばかり
四十五六のおっさんが
片手に花持ち、線香持ち
おっさん、おっさんどこ行くの
私は必殺仕事人
中村主税と申します
>>130 千島樺太交換条約のこと?
当時の状況からして千島列島全部もろといたほうがええのは自明の理だろ
薩摩は江戸時代から昆布だの帆立での北方の水産物を琉球を介して清国にうりさばいていたんで、千島の海洋資源が輸出品になることを知っていた
一方樺太は日露アイヌ混在の地だろ徳川は樺太に国境線を確定できなかった
よって樺太でのあやふやな日本の権益を放棄する代わりに千島列島全部もろといたほうがええわけや
パークスにアドバイスされんでもわかるわ
.
( ^▽^)<帝国陸海軍も
勝てば官軍、負ければ賊軍
歴史は強者が作る
そう考えると国賊なのに異様な扱いだな西郷ドンは
日本で熊本グライだろ西郷を嫌ってるのは(´・ω・`)
>>142 ( ^▽^)<明治天皇が 西郷大好きだったから
南洲と号したのは、やっぱ島流しになったのに因んでるのかえ。
>>136 意外とそうでもないかも
水木氏には西郷と一反木綿で鹿児島出身者同志の共演を描いてもらいたいもんや
146 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 22:24:12.61 ID:awy0RbeO0
西郷に一度あえばその魅力に引き込まれると同時代の人が書き残しているが、
これはその人間が未熟で気おくれしてという面もあるのでは…
前原一誠や江藤新平は役不足で失敗したが、大西郷なら必ず成功させると
全国の不平士族の期待を一身に集めていたとされる割には西南戦争で西郷軍に
参加した他府県の士族は思ったほど多くないね。
参加した熊本士族らも西郷に心酔したためというよりも、西郷を神輿にして
その後は自分たちの主義や思想で時代を動かそうとしただけだろ。
西郷と呼応して地方でも挙兵の動きあるとおもわれたが、西郷軍の初戦からの
苦戦ぶりとその後の敗退の詳細が新聞で速報されて西郷は孤立無援となった。
島津久光も西郷の不甲斐なさには舌打ちするおもいだったろ、すぐに資金援助は打ち切り
アリバイをつくり県令大山綱良に全責任をおわせた。
貴人 情けを知らず。
147 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 22:26:18.81 ID:Cj+JUAdl0
せめて見えない轍(わだち)を残されたのですね>西郷どん
148 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 22:30:13.87 ID:qwkrYjdC0
西郷さんの犬って雑種だと思ってた
>>146 孤立もなにも和田越以外は
西郷は戦ってさえいないけどね(´・ω・`)
ちゃうで ツンという薩摩犬 赤犬だから食用でもあったんだと思う
かなり無理して手に入れたはず お金と馬渡してやっと手に入れたんだっけかな
ハチ公ではないぞよ
151 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 22:34:00.21 ID:UeVLKK7y0
せごどん
152 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 22:37:56.62 ID:UZg/GRTji
>>143 "明治天皇 西郷 金玉"でぐぐったら、いろいろ微笑ましいエピソードが出てくるが、あれってホントなのかな?
ボキはホントであってほしいとおもうお
>>146 役不足なのに失敗とはこれいかにとはまあ野暮な突っ込みだけど
一応言っとくと隼人は人につくんだわ 魅力的な人 思想や行動力が
自分好みの人とかにね 未熟といわれるならそうかもしれんが正直
そういう「自分を持ってる人こそ大人で人につくとか未熟」って考えは
あんまりないのよ 大和はしらんが あと西郷さんについて戦うったって
それぞれのイエの事情があるからね ウチの先祖は「戦争の世の中じゃ
なか」とか言って逃げたんだよ西南の役から まあしょうがないんだけどさw
とはいえずっと言い訳が残ってるくらい西郷さんを裏切った負い目が
残ってるわけ 面白いんだわ
>>1 未だに鹿児島の西郷どんの銅像周辺は、とてもきれいにしてある。
もし変な悪戯をしたりしたら、たちまち自警団が現れて、私学校wに連行、
産まれた事を公開するような拷問を受けるんだろうなと、想像してしまったw
155 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 22:53:59.63 ID:GWhxTvTy0
>>150 食用じゃないぞバカ野郎
西郷どんはウサギ狩りが大好きで、征韓論に破れ鹿児島に引きこもっている時、そればかりやっていた。
ツンはそのときの狩猟犬だ。
西郷どんは犬が大好きで、うなぎの蒲焼を自分が食う前に餌に与えていたら、うなぎ屋のオヤジが「俺の蒲焼きは不味くて食えないのか、帰れ!」とブチ切れられたエピソード有り。
>>155 西郷さんが薩摩犬に対してどう思ってたかは知らんけど 薩摩犬は赤犬だし食用にも
されてたんじゃないの? ツンは狩猟用としてそうとう無理して手に入れたんだから
そりゃ食うとは考えづらいけど
>>8 ドリフターとして来るか廃棄物として来るか
ドリフとして来たら豊久にアゴで使われるだろうなw
>>150 赤犬だが、ツンは狩猟用の犬だよ。
西郷は狩猟が好きで、犬をいっぱい飼っていたんだが
全部狩猟の為の犬だよ。
私学校の生徒が暴発した時も、西郷は狩猟をしていた位。
上に食用のために犬をいっぱい飼っていたとか書いてる馬鹿がいるが、
ちょっと調べれば、西郷が狩猟好きなんて、目の前の箱で出てくるのに。
ついでに書いとくけど狩猟をやってる人が、狩猟用の犬を多く飼っているのは
普通の事。
時々、主人が死んじゃって、犬がい過ぎて保護団体が苦慮するとかいう
ニュースが流れたりもする。
狩猟のために一杯飼うのは自然だと思うけど 薩摩じゃ
犬を食べる文化があったし その辺がよくわからんのよね
まあ嫌悪感持つ人もいるようなので やめとくは 確かに
「食用にもしてたんじゃねーのかな」って個人的な思い込みだけだからねぇ
後書き方が悪かったけどツンが食用だとは考えてないよ基本 薩摩犬が
赤犬だし結構食用にされてたんじゃないかってこと んでいなくなった大きな要因
かと思ってるのよ
161 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:18:53.63 ID:ddmrIuzsO
隼人かしらんに西郷さんが隠居してた家があるね。
縁側に座って西郷さんと
同じ景色を眺めるのもいいかなあw
別に嫌悪感で言ってるんじゃないよ。鹿児島には確かに赤犬を食う文化があった訳だしね。
ただ、西郷さんは狩猟用に飼ってただけで、食うためじゃないよって言ってるだけで。
ついでにこれも書いておこう。
第二次世界大戦後、日本はとにかく食べるものがなかったので、
鹿児島以外の地域でも、犬は大事な食料源だった。
何故犬かというと、牛はとにかく草が必要なんで、これが無くなると
育たない訳だ。でも犬は肉食動物なんで、他の肉があれば(ねずみとかね)
育つ訳。
だから土地が痩せている地域では、飢饉になった時用に、
犬が育てられてたりする。
いざという時の食料源な訳だ。これは全世界的に言える事でもある。
鹿児島という地域もシラス台地で、土地が痩せている訳だ。
だから米が取れる地域も限られていたりして、だから他藩に隠れて豚を食っていた。
豚は雑食だからね。汚い話だが、人の糞も食うから鹿児島ではよく食べられてた訳だ。
それでもおっつかない場合に、犬を食うというシステムだった訳だよ。
>>162 犬食はよくわからんなぁ 犬食うのは当然だったって感じで伝わってるので
なんで西郷どんが食わないってなるのかが正直ピンとこないけど
詳しく調べると「食ってねーな確かに」ってなるのかもねぇ
わかったありがとう
164 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:29:10.22 ID:awy0RbeO0
鹿児島で生まれ育っただけで自分のことを薩摩隼人というもんなの?
海音寺潮五郎は西南戦争の結果、本当に男らしい薩摩人は少なくなり
以後は兵隊も鹿児島に代わって福岡の出身者が勇猛と言われだしたと書いてたな。
165 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:29:27.25 ID:5tbQpDMB0
西郷さんの最期
エピソード1《 まさかの命乞い 》
明治10年9月24日、鹿児島県城山。7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く切腹した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、助命嘆願してたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
西郷軍への従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が助命嘆願、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍に助命を断られ、山県有朋に、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという始末でした。
166 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:30:04.63 ID:E3uLsiOO0
翔ぶが如くまた大河でやって欲しいなぁ
鹿児島ってまだ100円札が流通してるんだっけ?
>>164 鹿児島というかオレのルーツは(宮崎の)都城 あのへんも薩摩だから
隼人は大和とちがって別の民族の意識が強い とにかく変わってる(エキセントリックな)人が
多い 今は茨城だからその違いがものすごくかんじることがある こんな感じ
まあ西南の役言い訳言って逃れた子孫でもあるから 確かにヘタレではあるな
1.おまんこ
2.まんじゅう
3.ぼちょ
3がメジャーな鹿児島県
170 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:35:25.40 ID:5tbQpDMB0
西郷さんの最期
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に処刑されていた 》
西南の役の最後の日、西郷は足を撃たれたあと自決したことになっていますが、
その西郷の足を撃ったのは、西郷の部下である桐野利秋であったという説をご存知ですか?
西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、洞窟を出て投降しようとした。
しかし玉砕派の桐野がこれを発見、激怒して後ろから銃撃したというのが真相のようなのです。
目撃者の証言もあります。
>>65がすべて。 霜降り肉が明治初期に存在wwwwwくそwwwww
>>165 自分は近代史板に常駐してるんだが、こいつは西郷のスレにはいつもいて
コピペしまくる奴だから無視するように。
助命嘆願の話も、そこでは論破されているんだが、こいつは関係なく
西郷関係のスレにはっつけて回ってる。
>>163 西郷さんも犬は食ったかもしれん。昔、貧しかった頃にね。
貧しすぎて離婚されている人だし。
ただ本人は豚の炒め物が大好きで、それを食べ過ぎて
太ったという話が有名なんで、犬を食ったという資料が残ってないんだよ。
それに狩猟やってる人なら判るんだろうけど、
自分の手足となって働いてくれる犬を食うのは忍びない、って意識が
働くだろうっつー推測があるってのはあるかな。
鹿児島という地域で犬が食われていたという事自体は
別に否定しとらんよ。
173 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:38:54.70 ID:5tbQpDMB0
西郷さんの最期
エピソード3≪創られた西郷自決 ≫
ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に”正座”し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、出典はご存知ですか?
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本。
編纂者と出版元は右翼団体。まるで見てきたように書いていますが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無し。
はっきり言って資料価値ゼロの与太本なんです。
だいたい極度の肥満なうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が”正座”できるわけがありません。
東大図書館に保存されている西郷遺体の検死報告書を見ても腹部に刀創はありませんでした。
切腹はしていないのです。
「右大腿より左骨部貫通銃創、頭(頸)体離断」
つまり太腿を銃で撃たれたあと、首を切断されたということです。
ここでしつこく鹿児島叩き、西郷叩きをしてるのって、朝鮮人だよね
175 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:42:14.20 ID:9u/E9Ta+I
>>170 銃殺したんならワザワザ首を切り落とす必要ないやろ
アホか
176 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:42:43.69 ID:5tbQpDMB0
西郷さんの最期
エピソード4≪目撃者≫
桐野による西郷銃撃を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。
城川の証言によると、西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に降伏するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものです(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があります。
ところが「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は城川なる人物の実在が証明されていないとし、
この説を奇説として退けた。
また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説はいったん否定されました。
蒸気船を借りるか奪うかして東京に上陸、皇居を占領して、
傀儡化した明治天皇から勅令を出させれば良かったんだよ。
>>172 イトコもステーキ好きだったしどんだけ肉肉しい肉が好きなんだよ
って感じだわなw まあ恰幅がいいほうが薩摩ではいいのだよ
ってこともあるんだろうけどね 大久保公が嫌われていたし嫌われている
のはガチ 親父も大久保だけは許せんらしい オレは大久保公は第一の偉人
だと思ってるけど 傑物だわ しかし西郷さんが挙兵したら西郷さんに
なぜかついていかないといけない気もするw まあヘタレた先祖の事考えると
次は裏切れないって感じかな
179 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:46:10.76 ID:5tbQpDMB0
西郷さんの最期
エピソード5≪わが眼で見た話し≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです。
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。
>>178 自分は先祖が父方も母方も西南戦争で死んでるわ。
だからといって、中央政府を恨むとか、そういう事は無いんだけども。
今年、東北応援のつもりで東北の色んなところを旅行で回ったんだが
会津が色んな意味で強烈で、それから幕末の事を勉強している。
西郷さんの事も、伝説に残る西郷ではなく、政治家、思想家としての
西郷ってのをちゃんと自分の中で定義したいと考えている。
別にヘタれて逃げてもいいんでないの?勝ち目無い戦から逃げるのは
賢いと思うよ?生きてなんぼだと思うわ。
西郷隆盛とか薩摩って嫌いだわ
ある時期日本に必要だったのかもだけど、それ以降はなんか迷惑な人達ってイメージ
182 :
名無しさん@13周年:2013/09/23(月) 23:55:47.37 ID:awy0RbeO0
>>168 自分が言いたかったのは、幕末の武士たちは対外的には
薩摩藩士とか島津修里太夫家来とか名乗るだけで、古代の隼人の
末裔とかいう意識はなく、薩摩隼人と自称するのは明治以降の
風潮ではとおもっただけのこと。
>>174 鹿児島関連のスレになると
なぜかいつも荒らしが沸く
会津か沖縄という説が有力
>>180 そうはいうけどやっぱり強烈だったんだわその話が残ってて
んでよほどの事だったんだろうとも思うんだけどね だから
裏切ったってのがずっとあるわけ 不思議な話だわ
>>182 どう認識してたかというと薩摩(隼人)じゃないかなやっぱり
感じとしては島津の殿様も外からやってきた人 んでトップにいるけど
立派じゃないと薩摩人は言うこと聞かないぞって感じ そういう風に
思えるけどね
186 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:00:52.40 ID:5tbQpDMB0
【西郷隆盛 Q&A】
Q : 西郷さんは庶民から神のように慕われていたんですよね?
A :
西郷が右翼団体により神格化されていったのは西南戦争で死んだ後のことで、
生前は薩摩士族だけの名士であり、世間一般の庶民はせいぜい陸軍大将として知るだけであった。
薩摩ですら百姓層は西郷を尊崇する気持ちなど無く、城山陥落の日も
吉野実方(桐野利秋の出身地)辺りの百姓たちは木の上から見物しており、
戦いが終わると、しかばねとなった薩摩将兵から身ぐるみを剥いだ。
それゆえ薩摩将兵の遺体はみな裸であったという。
>>183 俺は熊本だと思う
お国自慢板には他県人になりすます擬態グマが棲息している
188 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:04:56.13 ID:deSmaxIz0
【西郷隆盛 Q&A】
Q : 大河ドラマなどで描かれる西郷隆盛は虚像なの?
A :
大河で西郷が好意的に描かれている
(逆に言えばネガティブな史実や描写がごっそり抜けている)
のは右翼団体や鹿児島人やが抗議してくるからだそうです。
どんな大河でもNHKに抗議は来ますが、
西郷ネタ、薩摩ネタに対する右翼団体と鹿児島人の抗議が一番多いらしい。
史実と違う、という抗議ならよいのですが、
史実通り薩奸的な場面を入れると、「一方的で偏向的で悪意を感じる」という抗議が
執拗にくるらしいです。
反対に幕府方からの抗議はあまり無いらしい。
徳川子孫の方が「我らに後ろめたきことなど何も無し、抗議すること自体がナンセンス」
と語ったとか。
かの司馬遼太郎も抗議を憂慮して、
「跳ぶが如く」ではあえて筆を鈍らした、という話しを読んだことがあります。
「跳ぶが如く」の歯切れの悪い、奥歯にものがはさまったような書き方は
そんなところに理由があるのかもしれませんね。
西郷さんの名言と言えば、「児孫のために美田を買わず」。
つまり、土地で残しても地価は下がるばかりだから、
現金で残せ、と。
さすが西郷さん、将来、デフレに陥ることを見抜いていた。
すごい人だ。
190 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:05:44.39 ID:UfZtiDt40
そろそろ靖国に入れてやれよ
191 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:08:23.60 ID:TPTNrLZY0
薩摩は一番嫌い
>>187 鹿児島は敵を作りすぎなんだよw
宮崎も西南戦争で荒らされたり、鹿児島と合併されて宮崎の方が廃れたり、
分裂する時に勝手に県境を線引されて、宮崎の郷土史家は今でも激おこプンプン丸だよ
193 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:09:26.18 ID:deSmaxIz0
敬天愛人シリーズ
《 西郷隆盛の人となり 其の七 》
「子孫のために美田を買わず」で有名な西郷さん。
鹿児島武岡山麓に1100坪の大邸宅を買っていたことはすでに述べた。
それ以外にも東京日本橋の大名屋敷500坪。
一族の従道は東京目黒に14万坪。
従道とこれまた一族の大山巌が共同で栃木県に150万坪。
しめて西郷一族が買い漁った土地の広さなんと東京ドーム117個分。
しかもこれらは政府から格安で払い下げられていたそうです。
なんともうらやましい話しですね。
西郷さんは賊軍のトップとして死んだんだから、靖国に入れなくていいんだよ。
鹿児島では丁寧に祀られているし、それでいいと思う。
近代史板でも書いたんだけど、
一応靖国には西郷さんをはじめ、世界中で戦争で死んだ人を祀る社が
別に存在するんで、(昭和40年に靖国神社境内に建立された「鎮霊社」)
これで充分だと思う。
西郷っさんが生きてた頃て鹿児島は噴火してたので?
196 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:14:23.04 ID:deSmaxIz0
【西郷隆盛 Q&A】
Q:西郷さんは民百姓のために戦ったんでしょ?
A:
確かに西郷どんは薩摩や大日本帝国の将来のために
粉骨砕身した偶像であり鑑であるかもしれない。
しかしながら、実は西郷は単に薩摩や士族たちの
象徴であったにすぎないのではないのか。
それどころか、彼はだれよりも奄美と縁が深かったのに、
「敬天愛人」どころか義理も人情もなく奄美を
踏みにじった薩摩士族の大親分としか映ってこないのだ。
西郷はかつて大島・徳之島・沖永良部島に流されたが、
薩摩へあてた手紙では道之島の人々のことを
「毛唐人」「エビス共」「ハブ性の人」などと書き散らしている。
そして島妻アイカナとの間にもうけた菊次郎・菊子を
薩摩で教育する際、奄美出身者ということを他言するなと厳しく禁じた。
島に残された母アイカナは非業の死をとげる。
あとまあ 薩摩隼人は寡黙を好んでんで昔の細かいことはいいんだよとか
能書きたれてんじゃねーよってのが強いのか あんまりアナウンスがないのよね
オレがあーだこーだと書いてもあんまり批判も肯定もされない 茨城在住で
実際は話くらいしか聞いてないんだけどね 「歯を見せて笑うな」とか
「屁理屈を言うな」とかそういうのが残ってて面白いんだけど まあそう言う親父が
歯見せて笑ったり 寡黙を尊ぶはずなのにおしゃべりだったりとどないやねんなんだけど
本家筋はそれ守ってるのかオレのイトコだのはあんまりそういう昔どうだったか
薩摩の教育方針はどうだったかとか知らんみたいね そういう伝統があるのかもねぇ
198 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:17:31.20 ID:deSmaxIz0
敬天愛人シリーズ
《西郷隆盛の人となり 其の五》
西郷さんが財政家の井上馨を「三井の番頭さん」と罵倒したことは有名ですね。
では清貧の義人西郷さんはどんなお金の遣り繰りをしていたのでしょうか?
政府から西郷さんに支払われていた給金ですが、
月給千五百円、現在価値で2千万円。年俸2億4千万です。
政府と喧嘩して鹿児島に帰り実質無職になったあとも、どんな特権か知りませんが
給金はしっかり鹿児島に送られていたそうです。
199 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:20:49.80 ID:deSmaxIz0
200 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:24:05.17 ID:deSmaxIz0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷隆盛は大隈重信に「西郷くん」と呼ばれていた。
大隈は西郷より10歳年下である。
西郷丼のエンコ詰め?
それはともかく五月に城山洞窟も南洲神社も西郷丼の実家跡も行ったよ
202 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:27:00.45 ID:deSmaxIz0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷が鹿児島で外出する時は、「地上での土下座では恐れ多い」と百姓たちを道のわき溝の中に飛びこませ、
水から首だけ出して西郷一行を出迎えさせていました。
鹿児島は何食っても美味い。特に肉。
このニュースで
『ブレない西郷さんの思想を受け継ぎ』とかやってたけど
サイゴーどんって、
三回自殺トライしてんだよね…
なんだかねー…
206 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:30:07.48 ID:deSmaxIz0
<西郷どんのちょっといい話し>
西郷リスペクトを広言している政財界人
小沢一郎 (民主党 → 国民の生活が第一 → 日本未来の党 → 生活の党 →参院選当選ゼロ)
鳩山邦夫 (ルーピーの弟 パチンコチェーンストア協会政治分野アドバイザー)
渡辺美樹 (ワタミ社長 「365日24時間、死ぬまで働け」)
だから八重の桜で「西南戦争」がこの前の日曜に放送されてたのかな?
208 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:32:10.04 ID:Bccfsv92I
西郷軍と合流した他県の方々です↓
熊本隊(池辺吉十郎)・熊本隊一番小隊長(佐々友房) ─ 約1,500名
協同隊(平川惟一・宮崎八郎・崎村常雄)(隊員高田露・有馬源?・野満安親・野滿富記) ─ 約500名
滝口隊(中津大四郎) ─ 約200名
飫肥隊(伊東直記・川崎新五郎・小倉處平) ─ 約800名
佐土原隊(島津啓次郎・鮫島元) ─ 約400名
人吉隊(神瀬鹿三・黒田等久麿・村田量平) ─ 約150名
都城隊(龍岡資時・東胤正) ─ 約250名
報国隊(堀田政一) ─ 約120名
高鍋隊(石井習吉・坂田諸潔) ─ 約1,120名
中津隊(増田宋太郎) ─ 約150名
延岡隊(大島景保) ─ 約1,000名
209 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:33:17.07 ID:deSmaxIz0
<西郷どんのちょっといい話し>
西南戦争”熊本攻城戦”で苦戦していた西郷さんが戦局を分析した。
「敵の大将は土佐の谷干城だが、参謀の樺山資紀が薩摩出だから、城は容易に落ちないのだ」
「わしは官軍に負けたのではない、加藤清正公に負けたのだ」
・・・
数で圧倒していた西郷軍でしたが、3日間の激戦の末、一兵も城内に入ることができませんでした。
これにより「西郷軍弱し」の風評が全国の士族団に伝わり、西郷軍の孤立化はますます深まったといいます。
210 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:36:51.61 ID:deSmaxIz0
<西郷どんのちょっといい話し>
助命嘆願の前日、城山の洞窟で桐野利秋が「もはや再興の機を失った」と嘆き、
(玉砕するか降伏するかで)将校みな激しく議論した。
しかし西郷さんは席に肘でもたれたまま何も言わず、
突然大笑いしたかと思えば、うつろに天井を見上げていたそうです。
この時点で西郷さんは西郷さんでなくなっていたのかもしれませんね。
211 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:36:51.68 ID:Y9bQ258T0
西郷の子孫で名前も同じ西郷吉之助という法務大臣をやった人が
騙されて不渡り手形を乱発してしまい債権者が参議院議員会館まで
押しかけ罵倒されまくる。
負債額は10億近い、西郷元法相は親戚で秘書でもある男に解決を依頼する。
秘書が向かった先は一面識もない神戸の山口組三代目の自宅、田岡は快諾し
若頭の山健を呼び出し解決を命じた。
秘書は山健に付き添って全国の債権者宅を数日かけてを回った。
苦情を言うものは1人もいない、あっけないほど簡単に解決した。
西郷元法相と秘書はこの恩を8年後にかえす。
大阪拘置所で拘留中の山健の拘置執行停止を最高裁判事まで動かして
実現させる。
西郷家は義理がたい。
212 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:40:05.75 ID:deSmaxIz0
西郷軍は「勝ち戦」と称して、兵卒を募集する一方、田原坂戦以後、戦列を離脱した者の所在を調べていた。
飯野士族のうち西郷の決起に呼応したのは370名だったが、離脱者も少なくなく、離脱した者たちは身の危険を感じ、
山中の社などに隠れ、家族と密かに連絡を取りあっていた。
飯野の戸長松形祐高は離脱者の身を案じ、蔭で離脱者の相談に乗っていた。
松形戸長は学問のある公徳者で、政府組織の戸長だったため、西郷軍から狙われていた。
二月に西郷が決起したとき、松形戸長が決起に参加する麓の士族に、
「この出陣は陛下に銃口を向けることになるので、遠慮してもらいたい」と言ったのが、
敗走してきた西郷軍の幹部に伝わり、松形戸長は政府軍に味方しているとされ捕えられた。
↓つづく
213 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:40:57.11 ID:phgSYLJt0
宮崎滔天の兄だったかが西南戦争に行ってなかったっけ
中国同盟会は西郷隆盛西南戦争から宮崎滔天中国同盟会につながり黄興につながるんも
秘密結社なんだよね
214 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:41:37.49 ID:1pCd6OXs0
初代警視総監って西郷どんじゃなかった?今の警察庁の前身かな。
今も優秀な警察官が一堂に鹿児島に集められ研修とかするんじゃなかったかな。
215 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:43:10.99 ID:deSmaxIz0
8月29日の午後、松形戸長は吉松の川内川の河原に引き出され、18歳の少年兵に斬首された。
享年54だった。
西郷軍は松形戸長の遺体の横に札を立て、その下に竹のノコギリを置き、札に、
「この者は官に通じた敵である。ここを通る者は、このノコギリで一度づつ引いて通るべし。」と記していた。
ちなみに松形祐高戸長は、松形祐堯元宮崎県知事の曽祖父で、祐堯氏の自叙伝に処刑のことが詳しく記されている。
『真幸院の歴史探訪集』は、吉松の河原で西郷軍が松形戸長を処刑したときの、
西郷ら西郷軍幹部の様子を併記している。
西郷ら将校は、みな駕籠に乗り、華美な絹織物の桐野の服装が人目を引き、
従兵は二列縦隊で西郷に従い、全員が抜刀していた。
216 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 00:51:46.81 ID:1pCd6OXs0
坂本龍馬って昔の教科書にも全然出てなくて、司馬遼太郎の
小説が出てから、地元の高知に銅像が出来たの??
もしかして地元でそれなりに知らせれた存在だったのかな?
案外それっぽいよな。
竜馬が行くでメジャーになって、武田鉄矢の金八とかの流れかな。
ドラマで北野武が山内容堂の役で、案外適役だと学校で友達と話した。
>>197 考え事とかしない人が多いね
行動第一みたいな
島津義弘と斉彬の墓にも行ったよ
斉彬は奥さんと対で墓があった
久光の墓の方がでかかった
220 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 01:09:58.40 ID:uA6uOuan0
>>216 高知で一般的に著名になったのは明治中期に「汗血千里駒」って小説が出てから。
全国的に知られたのは日露戦争時に皇后の夢に出て云々が新聞に載ってから。
今の坂本龍馬のイメージを決定付けたのは司馬だろうね。
221 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 01:34:37.35 ID:deSmaxIz0
西郷さんの「人格者ごっこ」が、いかに空虚なものであったか物語る史実を紹介しよう。
西郷軍が敗走していく過程で負傷兵はどうなったのか気になりませんか?
西郷の長男菊次郎も足を負傷し、俵野の病院で臥せていて連れていくことができない。
西郷は、病院を管理させていた中山盛高に
「万国公法というものがある。この公法に従って、政府軍が負傷者に残酷な扱いをせぬよう」監視を
要請し、桐野の提案で家々の軒に「病院」と書いた白旗を立てさせたうえで、その地を離れた。
このエピソードは西郷がいかに人格者か、万国公法にも精通するいかに有能な指揮官かを物語る美談として、
よく紹介されています。
しかし、この半年間の西郷軍の行状(万国公法を無視した処刑、放火、掠奪などなど)を鑑みると、
自分が困ったときのみ万国公法を持ちだす身勝手さには空ぞらしさしか覚えません。
222 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 01:38:01.33 ID:deSmaxIz0
とはいえ長男菊次郎やこの時の負傷兵は西郷さんの「人格者ごっこ」の
おかげで命を救われた人も多かったことでしょう。
長男菊次郎などは父西郷の特別なはからいで従僕を付けてもらい、
その従僕が菊次郎を背負い脱出、政府軍の西郷従道のところに行き保護してもらえました。
悲惨なのは誰からも放置された負傷兵や別働隊の将兵たちです。
西郷が駕籠に乗って可愛岳突破を決めたとき、付いて来れない負傷兵や遅れた別働隊の中から多くの自決者が出ています。
政府軍が書いた「西南戦記」はこの時の惨状をこう記録している。
「19日明け方、斥候を出して西郷軍の様子を探らせたところ、可愛岳および八水山のいたるとこで
屍体が散乱し、服装が綺麗な者(将校か?)は首が無かった。
あるいは薪を積んで屍体が燃やされていたり、あるいは土中に埋まっていたり、
あるいは刃を口に飲み込んで死んでいたり、あるいは馬の屍体を枕に死んでいたり、
あるいは谷に身を投げて死んでいたり、その数はおよそ250・・・」
223 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 01:43:21.48 ID:DE08qfrTI
警察のことは京橋の警察博物館に行くといいよ。
官軍由来の今の警察についてよく分かる
224 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 01:43:36.23 ID:deSmaxIz0
西郷隆盛が近代化を推し進めたとか、西南戦争は武士階層を日本から消滅させるための
最初から負けるための戦だったとか、なぜこのような幻想が広く語られるのか?
まあ、それで得する集団や精神の均衡を保てる人間がいるからなのだろう。
西南では前途有為の人材を多数戦死させ、九州中で町を焼き払い、財産を奪い、
西郷札とかいうニセ札で九州経済を滅茶苦茶にしたあげく、
西郷などは歩きもせず駕籠に乗って鹿児島に帰り助命嘆願とは「敬天愛人」が聞いてあきれる。
殿様でもなんでもないはずの西郷を鹿児島に返すためにどれだけの兵士・民間人が犠牲になったか。
西郷がほんとうに徳のある高潔な人なら、田原坂で敗れたとき熊本城の前で自刃し、この戦いを終わらすべきだった。
225 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 01:48:16.61 ID:deSmaxIz0
【西郷隆盛 Q&A】
Q : 西郷さんは鐘のように大きな人格だと聞きましたが。
A :
西郷のことをよく知る人で、重野安繹(しげの・やすつぐ 後に東大教授)がいます。
彼は西郷と同じ時期に奄美に遠島になっていた人です。
『重野博士史学論集』下巻(薩藩史研究会編、雄山閣、1939年)のなかに、
「西郷南洲逸話」というのがあります。
彼から見た是々非々の立場からの西郷評論ですね。
「西郷はとかく敵をつくる性質で、そしてその相手をひどく憎む風がある。
大度量のある人物ではなかった。いわば偏狭である。
それで西南の役などが起こるのである。世間の人は大変度量広い人であったように思っているが、
それは浅はかな見方で、本当の西郷は敵を持つ性質で、とうとうこれが為に自分も倒れるに至った。」
重野も奄美で現地妻を娶り、二人の子供がいた。
放免になって鹿児島にもどった後、
当時の金で250円という大金をもって奄美に迎えにいった。
当時、「必ず迎えに来る」といった薩摩藩士で
迎えに来たためしはなかったので、
その女は、島の若者と再婚して妊娠中だった。
重野はしかたなく、持ってきた金を
全額、女に与えて帰っていったという。
この重野の誠実さに比べると
西郷の『敬天愛人』は、かなりいいかげんと見ていいだろう。
(西郷は、現地妻を捨てましたからね。)
226 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 01:50:38.28 ID:deSmaxIz0
もう一人、西郷をよく知る人物の西郷評を紹介します。
市来四郎。西郷とともに島津斉彬の片腕として働き、集成館事業を遂行した人です。
「 西郷は掛け軸などの書をよく描くだけで、学識は無く、文章をつくる能力も無かった。
性質は粗暴で理財にうとく、実務も執れなかった。
いつも少年とばかり付き合い、同年代の人との付き合いは二、三人しかいなかった。
西郷に異論を言う者とは付き合わず、可愛がっていた少年でも、
ひとたび西郷に敵視されると、憎悪を剥き出しに悪口を言われ、捨てられる者も多かった。
器量の大きい人とは言えず、相手が他県人か同県人かで、態度や言動が変わった。
議論をすることはなく、物事を進めるに腕力に頼る癖があり、
そういう意味で豪傑と言えなくもないが、君主の風采はまるで無かった。」
227 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 01:51:19.35 ID:ggLjSAuNP
小松帯刀が生きてればな
西郷と大久保が喧嘩別れすることもなかったんじゃないかな
228 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 01:53:39.20 ID:deSmaxIz0
【西郷どんの人望好き、西郷どんの人望買い】
いとこの大山巌が西郷さんを評して言った言葉。
西郷さんは人の好意や信望を集めることに異常に執着し、
しばしば金銭をばら撒く、相手を先生などと呼び持ち上げる、出世の後押しをする、
などの必死な姿が目撃されている。
しかし、ここまで粘着した西郷隆盛叩きは初めて見たw
普通の人は2−3レスすれば満足するものだが
ここまで長文をそれをスレッドを埋め尽くすくらいまで書き込むとは
何か妄執というか異常なものを感じてしまう
>>228 これってただの良い人じゃね?www
下心見え見えでも、困った時に自分を応援してくれるなら
その分お返ししなきゃと思うのは普通だろ
231 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 02:00:59.21 ID:5brHXdoZ0
欧米列強に飲み込まれぬよう富国強兵、近代化を進めていた当時の日本には
頭のネジがぶっ飛んだ薩摩人の力が必要だったんだろうね。
琉球を植民支配したり、年長者に絶対服従くらいまでは理解できるが
英国に喧嘩を売るとか、稚児との男色奨励とか、まともな連中じゃないから
薩人マシーンwwww
233 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 02:04:11.93 ID:deSmaxIz0
月照との件などは、通説としてはお互いに前途を悲観しての合意の心中とされているが、
実際は、心神喪失状態に陥った西郷が独断で無理矢理月照を巻き込み入水していた可能性が高いのだ。
これは昭和12年鹿児島県教育会発行の「南洲翁逸話」の冒頭に、
伊集院の郷士本田元右衛門と西郷の対話として、
「自分が最も遺憾に思うのは、僧月照の身の上だ。
月照が船のトモに出て小便をしている所を後ろから抱きこんで飛び込んだら、
月照のみは死し、自分が生き残ったのは至極遺憾なわけである」との記述がある。
戦前の日置郡伊集院小学校の調査報告による、とあるから信頼性は高い。
ようするにぜんぜん死ぬ気の無い月照が小便しているところを
心神喪失状態の西郷が後ろからタックルして海に突き落としたというわけだw
234 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 02:09:36.97 ID:deSmaxIz0
西郷隆盛とは何だったのか。
愛国者と言われているこの人物が靖国に祀られておらず、
その靖国には大村益次郎(一般に愛国者のイメージは無い)の銅像が鎮座し、上野の西郷像の方角を睨み据えている。
これはただの偶然や運命のなせるわざではなく、
この対峙こそが”維新”なのであり、
この対峙は現代にいたるまでずっと続いているのだよ。
235 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 02:10:09.47 ID:jK1x3JCq0
西郷さんは朝敵になったけど薩摩閥には絶大な人気だったからな。
逆に大久保は嫌われ者。
鹿児島で静かに余生を過ごしてたらいろいろ歴史は変わってかもしれんな。
>>234 おまえ、もう本書いて出版しろよw
それか自分のサイト作ってそこで自分の考えを書いてろ
どう考えても2ch向きじゃない
239 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 02:25:34.96 ID:Ekd3UeUU0
>>19 表立って人の悪口をいうのは誰のことであろうとタブー
陰口ならお好きなだけどうぞ
もうここらで余暇
242 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 02:46:16.00 ID:cNtxYkd00
なんだ
西郷の悪口を書いてるのは南トンスル人か
>>1 前日22日は八重の桜で西南戦争の回だったもんね>NHK
244 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 03:02:27.51 ID:Y9bQ258T0
>>226 市来はたしかに斉彬の側近だが、斉彬の死は久光派による毒殺と当時から云われていた筈なのに
その後は久光に取り入っている。
斉彬を主君というより神のように畏敬していた西郷は大久保と違い終生久光と距離をとった。
久光と西郷の冷え切った関係はいろいろなエピソードで証明されている。
新政府に登用されることなく久光の側近に終わった市来の西郷批判をそのまま鵜呑みにはできない。
ただ市来のいった西郷の人となりを否定するつもりもない。
こういう説がある、こういうことを言ってる学者もいるぐらいにとどめときゃいいのにな
少数説が実は真実だったってことはそりゃあるだろうが
246 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 06:30:58.87 ID:B60QStZl0
昔はネットがなくて巷間に流布する歴史上の人物のキャラクターは少数の史学者たちが形作ってきた偶像イメージがほぼ全てだったんだよな。
そしてその史学者のほとんどは当否を判断する史上の人物の縁者だった。
一連の西郷さんのレス見てると歴史上の出来事と偶像の西郷さんとの埋め難い懸隔がスっと縮まる。
この全てが事実だとしたらちょっと精神的な疾患か発達障害でも患っていたんじゃね?とすら思えるな。
島流しや幕末の極度の緊張状態で精神に変調をきたしていても不思議ではないし。
247 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 06:35:16.12 ID:Xi7hLcjdO
なむ
(-人-)
せごどんはやっせんぼっじゃなかどっ
>>239 えー司馬遼太郎は乃木大将の悪口どころか「愚将」の烙印を焼き付けてただろ。
>>246 大半が民明書房のノリで派生したネタだからw
史実もあるけどね
250 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 07:32:12.33 ID:Xi7hLcjdO
工作員ホイホイ
>>248 おまえ読んだことないだろw
なんでもそうやって2chで仕入れた情報だけで語っていると
いつか大恥をかくぞ?
252 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 07:41:12.98 ID:deSmaxIz0
西郷の性分として、極度のストレスがかかると物事を投げちゃう癖があったらしいから。
例えば、京都で斉彬の訃報を聞き殉死しようとしたり、
月照との入水、明治6年の政変での下野などなど
城山で進退極まり発作的に投降しようとしたことも十分考えられる。
253 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 07:41:27.50 ID:HP0dP4n90
西郷って明治政府成立前と成立後で全然違うよなあ
前だと知略:85・政治:97・統率:95ぐらいありそうだけど、
後だと知略:44・政治:53・統率:66ぐらいまで急降下
254 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 07:44:46.24 ID:deSmaxIz0
たまには西郷信者さん寄りの情報も提供しよう。
西南戦争のおり、宮崎では西郷と西郷軍に期待する人たちも少なからずいた。
現に宮崎ではこんな歌が作られ流行った。
「可愛いい西郷さんにあげたいものは、金のなる木と玉ぐすり」
「薩摩西郷さんは仏か神か、姿見せずに戦する」
嫌味なのではないかという説もあるが、そんなことはないと思う。
しかし、西郷軍が「西郷札」を宮崎の人たちにつかませるだけつかませて逃走すると、
宮崎地方の人々は、一変して、
「肥後狸、薩摩狐に騙されて、西郷屁(最後ッペ)かいた、面のにくさよ」
と西郷と西郷軍を憎むようになったそうだ。
>>252逆
例えば、京都で斉彬の訃報を聞き殉死しようとしたり、 月照との入水などの行動パターンから鑑みるに、
城山で進退極まり発作的に自害した(別府に介錯させた)ことも十分考えられる。
>>253 官軍に負けた賊軍であり、明治政府が徹底的に悪い印象を与えようとしたことは考慮しないとな。
あと西郷はそもそも軍人というよりは政治家だったんじゃないだろうか。
もちろん維新前も、能力はそんなに高くなかったが時流と勢いで天下を取ってしまったという側面もあると思う。
何事もそうだが、いろんな評価ができるわけで
アンチも信者も基本的には頭がおかしい。
257 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 07:48:36.03 ID:deSmaxIz0
故鹿大名誉教授原口虎雄氏は西南戦争での西郷軍を評し、
「独善的傲慢さにはあきれて物が言えない。
これは『西郷一個人の価値が日本国家より重い』という価値観である」と厳しい。
熊本城下の七割を戦災で焼いた。さらに人吉では、哀れ700年来の古都全部を焼亡した。
また都城近くの飯野などの戦災もひどかった。
九州焦土戦の無残さには、西郷美談の「江戸無血開城」なんぞは小学生でも疑問を持つであろう。
熊本の田原坂で勝敗は決したのに、その後長い無益な流血の抵抗をした。
その間西郷は陣中で愛犬と遊猟に興じ、「三月ごろには大阪に達しているでしょう」などとノンキな手紙を出している。
病気で金玉がでかい人だっけ?
俺の金玉を見てくれ
コイツをどう思う?
>>257 街に火を放ったのは官軍
地元不平士族のアドバイスをうけ街を水浸しにしたのは薩軍
>>258 すごく・・・小さいです・・・
まぁマジメな話、
ID:deSmaxIz0 が盛んに上で叩いてるカゴに乗って移動、というのは
そのために馬に乗れなかった、というのが本当の所
261 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 07:54:31.79 ID:deSmaxIz0
城山の洞くつで、ある日西郷は「開戦以来何人が死んだのか」と独り言のように云い、
もうよい、と云うように首を振ったという。
西郷の「もうよい」という一言が、熊本や人吉あるいは宮崎で出されていたらどうであったろうか。
おそらく西南戦争は、もっと違った展開をみていたであろう。
西郷が最前線に出て行って戦場を自分で見たらどうであっただろうか。
累々たる死体、骨がくだけ肉が飛び散った死体の山。西郷が一度として見たことのない、近代
戦争の惨劇がそこにあったはずである。「もうよい」という西郷の声が聞えて来そうである。
過剰な護衛に守られ、もっぱら後方の寺院に潜在していただけの元”陸軍大将”西郷隆盛は死の間際何を思ったか・・
倒幕の中核の長州、薩摩は関が原の合戦で敗れた西軍だな。毛利と島津。
戊辰戦争が倒幕戦で、西南戦争が新政府の権力争い。
263 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 07:58:48.16 ID:HIa5q/k/O
ゆるたっしゃもんせ
264 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 07:59:13.59 ID:UAwggoUmO
西郷はナポレオンではなく
ジョージ・ワシントン、クロムウェルである
西郷「チョコ最中 ジャーンボ!」
西郷隆盛って戦争して負けて死んだのか…
267 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:02:37.65 ID:2qSo8sz30
>>109 かるかんはマースってとこがパクって商品化して売ってんだろ
でたらめばっかり書くんじゃねえ!
268 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:04:35.30 ID:1xOt0hiv0
なんか朝鮮人がウジャウジャ湧いて、西郷さんの悪口を書き込んでるなww
ロベスピエールかな
>>268 西郷隆盛は称えられる人間であると同時に
批判されるべき人間でもある。
というか、人間は皆そういうもんだろw
そういうことも理解せずに、IDも理解できずにそういうことを言っちゃうのはチョン並と言わざるを得んなw
271 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:09:33.93 ID:i5/XwFxw0
西郷は天皇陛下様に逆らった国賊!
西郷は天皇陛下様に逆らった国賊!
西郷は天皇陛下様に逆らった国賊!
西郷は天皇陛下様に逆らった国賊!
西郷は天皇陛下様に逆らった国賊!
肩パット西郷
273 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:14:33.06 ID:deSmaxIz0
西南の役では、解任された陸軍大将の軍服を未練がましく持っていて、
ときどき着てたらしいじゃないか
>>59 ああ、豚肉の食べすぎで太ったのか
肉の脂は体に貯まるからな 謎が解けたわ
>>268 西郷の征韓論のせいか。朝鮮を独立させて中国の影響を排除するのが狙いだな。
西郷は日韓併合までは考えていないでしょ。併合は日露戦争後。西郷は日露戦争どころか、
日清戦争前に亡くなっている。
276 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:23:25.83 ID:1xOt0hiv0
西郷を憎んでいた人間も確かにいたことは認めるが、しかし、西郷にもしホントに
人間的魅力がなかったら鹿児島の士族があれだけ多勢西郷の回りに集まらないよ。
しかも村田新八などは欧米視察団のいっこうにも加わっていて新政府に残れば間違いなく
新政府の中心になれる人間だったにもかかわらず、すべての名誉と将来を捨ててまで
幼いころから人柄にほれ込んでいた西郷の軍に加わっている。
西郷隆盛という人間の人柄が良く分かる。
277 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:24:46.29 ID:Xtn1jTMZP
278 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:24:47.59 ID:deSmaxIz0
【西郷どんの人望好き、西郷どんの人望買い】
いとこの大山巌が西郷さんを評して言った言葉。
西郷さんは人の好意や信望を集めることに異常に執着し、
しばしば金銭をばら撒く、相手を先生などと呼び持ち上げる、出世の後押しをする、
などの必死な姿が目撃されている。
279 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:27:30.55 ID:oAu/m7X6O
鹿児島では西郷は若者を死なせたと批判されてて、西郷の話題自体タブーに近いとか
あと何故か示現流もタブーらしい
280 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:30:46.91 ID:+s4SbNGB0
281 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:33:44.97 ID:1xOt0hiv0
>>278 >しばしば金銭をばら撒く、相手を先生などと呼び持ち上げる、出世の後押しをする、
西郷はそもそもカネに執着しないのでばら撒くほどのカネなど持っていなかった。
西郷が相手を「先生」と呼んだのは勝海舟との会談のときくらいのもの。むしろ
西郷は相手の力量を見定めるために、わざと失礼な態度を取ったことも多かった。
カネにも自分の出世にも無頓着な西郷さんが、他人の出世の世話をした話など一度も
聞いた事が無いwwwwwwwwwwww
282 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 08:44:35.81 ID:Xtn1jTMZP
>>24 まあな
西南戦争以降の反政府運動が武力を伴わなくなり
自由民権運動となる
明治維新の新政府側の主張は日本を近代化して国を守るだったのに対して、
西南戦争の時の西郷側の主張は「士族の不満」だからな・・・
山科けいすけのサカモトって面白い? 一般書店じゃ、まず見つからないので
密林で注文しようか悩んでるんだか。
もう、ここらでよか
>>281 東郷が英国留学できるよう西郷が動いたって話を東郷自身がしとるやろが
てか俺始業9:00なんだけど
もうつきあいきれんわ
286 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 09:01:34.85 ID:FHuPX4zT0
西郷は靖国にも祀られてはいない賊軍
大久保がいなければ日本は富国強兵も行えず、清かロシアの属国になっていただろうな
賊軍の将を慕う鹿児島県民は反日。反日教育を行うな
287 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 09:05:26.06 ID:1xOt0hiv0
>>285 才能のある人間を育てようとするのは、人気取りとはまったく違う。
長州の山県有朋が汚職事件で失脚しそうになったときに、「この男は日本の
陸軍をつくるために必要な男だ」と言って庇った。後に山県は西南戦争で
西郷軍を全滅させる陣頭指揮を取った。
西郷は自分のためでなく、日本のために才能のある人間を引き立てたんだよ。
西郷や会津は陛下に背いた賊軍、つまり悪者だぞ。
西郷の銅像や会津の白虎隊の石碑は、壊して公衆便所の材料にすべき。
あと東北の放射能汚染と震災被害も、ある意味当然。
昔の東北は、陛下に従わなかった大罪で、征夷大将軍に征伐された地だった。
西郷についての一連の書き込みは、面白おかしく誇張されているものの、概ね事実だよ
事実なんだが、それを本やテレビ番組にすると著者や出版社、テレビ局に右翼が嫌がらせしてくるのも本当
だからおかしな美談だけが世に広まり、それが西郷隆盛の実像であるかのように信じられるようになった
290 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 09:51:22.50 ID:Rs59t6AX0
>>288 昔の関西に「陛下」なんて呼ばれる人はいなかったがな
291 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 09:53:09.82 ID:Y9bQ258T0
西郷と接触し対立しその迫力に気圧されることもなく
淡々と自分のペースで仕事をやっていった大村益次郎。
大村を見い出し軍略家の才能を引き出した木戸でさえ
西郷に対する大村の対応は多少の危なかしさは感じながらも
期待以上のものだった筈。
木戸は剣術使いとして幕末からの危機を避ける能力はあったが
大村にはそれがなかったようだ。
西郷は大村に対して感情の動きを見せなかったようだが本心
は面白くなかった筈だ。
大村暗殺の指示は西郷側近の海江田にしても西郷にまったく
関わりはなかったのか。
龍馬暗殺時と同種の疑問がかすかに残る。
292 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 09:59:43.41 ID:3Ne9JYvi0
鹿児島って子供でも「○○でごわす」って話すんでしょ?
なんか強そう・・・。
坂の上の雲なんかにもさんざん出てくるが、旧薩摩藩士の会話はいいね、ほんなこて味がある。
大山巌、東郷平八郎、山本権兵衛・・偉大な軍人ばかりだ。
まあ名優が厳かにしゃべるから余計そう感じるかもしれんが。
>>276 村田が西郷軍に参加したことで大久保は「あの村田までもが」とショックを受けたらしいね
296 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 10:17:22.13 ID:b5zxefMm0
北と南でも、
箱館戦争の榎本武揚と
西南戦争の西郷隆盛は運命が対照的だな・・・・
事実上の箱館共和国総裁で朝敵 → 明治政府の逓信大臣
明治政府の陸軍大将 → 薩軍の総指揮官で朝敵
一歩間違うと朝敵になってしまう恐ろしい時代だ。
西南戦争で西郷が助命嘆願したという説は、榎本が反乱後に生き残った前例があったからなのだろうか。
>>251 全部じゃないけど読んだよ。
自分の気に入った人は祭り上げてるだろ。司馬を崇拝してるひとですか?
サイエンスの記事でも一文をさいて、司馬について全く異なると書いてたな。(人物じゃないけど)
おまえこそ司馬遼太郎の話をして大恥かくなよ。
>>291 江戸が大火に巻き込まれるかもしれない上野の彰義隊征討
後に大村自身、薄氷の上を歩くかのような戦いと評したこの戦いは
大村が作戦を考え、西郷がもっとも激戦が予想される黒門の指揮をとった
これは幕末におけるウルトラ理系とウルトラ体育会系の
奇跡のコラボレーションであり、水と油が交わった瞬間だった
俺はこの組み合わせがもっと見たかった
299 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 10:48:54.14 ID:Y9bQ258T0
福澤諭吉は『瘠我慢の説』で幕臣の勝や榎本を厳しく批判する一方で
『丁丑公論』で陸軍大将の官位を剥奪されるや西郷批判に転じた当時の新聞
に対抗して西郷擁護というより激賞に近い文章を書いている。
「脱亜論」で最近特に人気の高くなった福澤だがこの人の批評は果たして
公正無私なんだろうか。
福澤は宅地開発の事業に関わり、当時徳川家の財産管理人をしていた勝海舟
の住居を訪れ事業の成長性を論じ融資を申し込んだ。
勝は出版物でさんざん批判されたことを忘れたかのように「ところで 福澤先生は
ご自身の金はいくら出資されるのですか?」と問うた。
福澤は赤面して一言もなく退去した。
300 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 11:24:18.92 ID:nbTcR9Ro0
榎本武揚は初期の貴重な留学と外交経験者だったな
欧米の植民地圧力の中で、その経験と人脈を捨てるのはあまりにも惜しかった
実際、藩閥政府の中でもあれだけの閣僚任されるくらいだから頭切れる人だったんだろな
海軍中将やら外務大臣までされたんじゃなかったかな
301 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 11:28:43.43 ID:2qSo8sz30
>>299 天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず キリッ
でも
自分の娘は士族にしか嫁がせない
まぁ、こういう人 (´・ω・`)
小学校の教科書に西郷さんの写真が載ってたの覚えてる?
あれ本人じゃなくて、西郷のいとこのおじさんなんだってw
似てるからコレで問題ないと判断だそうな
別府晋介の刀見たことある
脇差だった
あれで首周り60センチの西郷の首を打ち落とすんだから大した腕だ
304 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:07:59.29 ID:Y9bQ258T0
座頭市の仕込み杖見たことある
細身だった
あれを力の入らない逆手でバッタバッタだから大した腕だ
305 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:10:17.19 ID:OmZy0Gt20
306 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:16:59.83 ID:N0Uxc8EQ0
>>297 >全部じゃないけど読んだよ
これがゆとりかw
>>304 俺もやられたことあるから不思議なんだがこういう書き込みって
「煽り」ってわけでもないんだよな?
でも煽ってる感じになるよな
308 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:22:55.30 ID:CPHw9lPU0
皮肉だろう
例えが違い過ぎてピンと来ないが
309 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:25:19.63 ID:r2KmNbrw0
というか、西郷が唱えたのは征韓論ではなかった、というのが定説なわけだが
教科書は修正されてるのかな?
310 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:26:07.51 ID:fX+mM2pvO
>>301 お前、学問のすすめ読んだことないだろ。
>>300 榎本武揚って17歳で昌平校を出てる化け物だろ
312 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:33:38.22 ID:2zVgSu040
学問のすすめは、非常におもしろいし
簡単だから読んでみた方がいい
ネトウヨと呼ばれる人なら憤死しそうな内容だがw
313 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:35:46.66 ID:MVVPH5AWO
ま、あれだ
今だとシリアの反政府軍みたいな話だろ
314 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:39:22.09 ID:ENZFqornO
西郷なら海音寺氏の著作がいいだろな
作者も鹿児島県人だけに
315 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:41:03.45 ID:Z3t8NLtu0
>>312 福沢諭吉は脱亜入欧を説いたのでネトウヨには受けがいいと聞いたが
316 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:41:23.74 ID:iv00xV+90
西郷は征韓論反対派
317 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:45:40.88 ID:a04SIFtG0
>>315 赤穂浪士の話は喜ぶだろうが
楠木正成批判は、乃木大将否定につながるからな
318 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:45:46.55 ID:MVVPH5AWO
煽ってる奴も、また誰かに煽られてると
319 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:46:05.17 ID:cu6yZF/r0
>>300 逓信大臣だろ
>>310 五稜郭の戦いのあと、本来なら斬首されるところを
その才能を惜しんで
黒田清隆が一年以上政府に命乞いしてやっと助命されたんだよな確か
>>276 「勇猛勢風力の輩」を調べてみると分かるが
鹿児島における「尊敬できる男」は、他の国と大分違う
321 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:48:49.50 ID:Z3t8NLtu0
>>319 黒田がスキンヘッドになって助命嘆願したんだよね
322 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:51:44.29 ID:ENZFqornO
維新の最大の英雄である三傑が明治十年ちょいでみんなこの世から退場しているのをみると
明治は適材適所と世代交代がスムーズに行ったのかな、なんて思える
大久保や木戸が生きてたら、議会制度になっても彼らの言葉こそが優先されただろうし。彼らの思惑とは関係なく
勝や榎本は幕臣だったのが響いたな
324 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 12:54:45.88 ID:cu6yZF/r0
>>290 天朝様、みかど(御門)、御所様、ごっさん だよな
やはり当の薩摩方(現在いるひとたち)もアナウンスがないから
「なんなんだよ南九州の連中は!わけわかんねーよ!」ってなってる
気もするわ 上に出てる西郷さん(南洲どん)の悪口?も
それが本当だとしてもぜんぜん悪口じゃねーんだよ… 「こまかい
こたぁいいんだヨ!」を地で行ってた感じ もちろん字面だけみると
よさそうだけど実際は冷酷無慈悲な面もある そういうもんなんだよ
ってオレがまあ「実際こういう印象もってるけど隼人に」ってレスしても
そうじゃないっていう薩摩の人らのレスポンスもあんまりないんだわな
んでね これが大事なんだけど それがなんていうかスピリットでもあり
変だろうけど誇りみたいなもんだわ 本音いうとだけどね
326 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 13:01:20.66 ID:ENZFqornO
西南戦争の折り、臼杵(大分の一地方)の士族で構成された部隊があった
西郷軍の敗色が濃厚になった時、臼杵の人たちはもういいだろ、帰ってこい、と郷土の連中に使いを出した
それで帰ることになったが、隊長だけはそれをこばんだ
隊長曰く、私は隊長という役柄上、何度も西郷に会っている。何度も会ううちに、この人と一緒にずっと居たい、と思えるようになってしまった。だから帰らない、と
その隊長は城山まで付き合ったらしい。おそらく戦死したんだろう
327 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 13:01:36.05 ID:Snh8UjD90
>>34 そりゃ支配者階級の人間なんだなら、
現代の人権平等の精神で見てもなあw
328 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 13:02:10.69 ID:Y9bQ258T0
福澤は勝と榎本を批判する「瘠我慢の説」の出版に先立ちゲラを2人に送りつけ
感想と返書を求めた、主張に自信があるというよりさらに突っ込んでさらし者に
してやるぞ感ぷんぷんだ。
榎本は「いろいろと意見交換もしたいけれど、今は多忙なのでいずれ暇をみて…。」と
文語体で軽く交わした返書。
勝は「行動はオレのものさ、批判は他人のもの、オれの知ったこっちゃねぇ。どうぞ
どなたにでも公示してもらって構わねぇよ。」と取り合わない。
お前ら口舌の輩にオレの責任や苦労が分かってたまるかと言わんばかり。
榎本と福澤の両者を知る洋学通は榎本の学殖はとても福澤の及ぶところでない
と論じている。
329 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 13:08:17.59 ID:MVVPH5AWO
煽り屋はだいたい外患なんだよ
急に維新煽り屋が出たのは
維新を橋下維新が本家ってことにしたい輩がいて
敵の敵の敵のみたいな関係性を日本内に沢山作って分断して
内実TPPによって日本を形骸化したいんだろ
>>326 城山まで来たなら南洲神社にお墓があるはずだよ
お墓参りに来てね
331 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 13:18:22.96 ID:C9dLGh0l0
長州が朝鮮に甘さを見せるからこんな事態になった。
西郷に任せてれば最短で世界征服までいけたのに。
332 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 13:18:37.43 ID:ENZFqornO
助命嘆願云々については西郷の預かり知らぬところであったんだろうさ。使者は(片割れが)生きていたし、事情も知ってるだろう。彼らがそう言ったという話は聞かない
後は人間のやることだ。間違いも多いだろうし、ひどいこともやってるだろな
政治能力では大久保に及ばず、政治思想では木戸に及ばず、軍事的才能では大村や山縣、板垣に及ばず
事務能力では榎本には及ばず、海外事情の精通度や知恵のだし具合では勝に及ばない
ただ、西郷は英雄だった。そこにいるだけで皆に安心を与え、この人の為なら、と思わせた英雄だったんだろうよ
333 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 13:50:30.86 ID:Y9bQ258T0
中央政府の通達を聞かず租税や人事を勝手に続ける鹿児島。
木戸からは何年も前から治外法権状態を解消しろとせっつかれるが、
剛毅果断の大久保も久光にだけには言いたいことが言えない。
大久保は鹿児島の情勢が緊迫してきた頃、西郷に暴発を止めるよう
勝海舟に交渉役にと頼みこんだ。
勝は全権を自分に与えるならやってみようと言ったところ大久保が
躊躇したのでこの話はそれまでとなった。
川路が帰郷目的として送り込んだ警察官は西郷暗殺の刺客という自白は
私学校生徒の拷問によるものか、川路の命令があったのかはよく分からない。
西郷の感化の薄い川路は大久保の番犬状態になっていたから飼い主の
苦境を見かねて独断で命令を出したとも考えられる。
西郷1人がいなくなれば後は何とでもなると…
せごどん
スレタイの「西郷さんが最後に・・・」ってのが中途半端すぎ
336 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 14:00:23.47 ID:al/McWmB0
西南戦争で死んだ連中が生きて大仕事していればと、思わんことはないが
他の道はなかったんだろうな。
337 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 14:01:27.06 ID:nqvpNPP20
西郷さんって
フィラリアで睾丸が肥大してたらしいね
鹿児島に旅行に行った時、鶴城の石垣の前を通ったんだけど蜂の巣のように穴が空いてた
あれだけ弾幕はられたら、武士でも無理だわ
西郷さんは薩摩の不平士族を一斉処分するという大仕事を最後にやってのけたんだよ自分の身を道連れにしてね
それが証拠に、西南戦争では西郷さんは何もやってない、ただの神輿に徹していた
幕末で権謀術数を駆使したのとは対象的だ
>>325 鹿児島には、漫画でちょっと有名になったけど
「義を言うな」という言葉があるからね。「 文句(屁理屈)を言うな 」 という意味で、まぁ、ごちゃごちゃ言う前に実行しろ
みたいな意味もあって、「泣こかい 飛ぼかい 泣こよか ひっ飛べ」あれこれ迷っている暇があったら、 さっさと実行しなさい
つー、司馬遼太郎も採用した言葉もあるように
こちゃこちゃ言う事は、男らしくないという風潮があるんだよ。だから誰かに中傷されたとしても
黙ってろみたいな風になっちゃうし、2ちゃんの日本史板、近代史板でも薩摩の中傷はものすごいんだが
(ついでに言っとくと、長州、会津の中傷も酷い)
それに文句を言う人はいない。
一つ間違えると酷い男尊女卑になる部分も、鹿児島にはあるんだけども
西郷さんはそういう事はなかったみたいだね。奥さんは優しい人だったと言っていた。
341 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 14:39:52.33 ID:OeLM/aE20
■ 西郷隆盛 伝説一覧
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 → 断られる
伝説 : 「晋ドン、もうここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山から逃亡 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 西郷南洲翁遺訓 西郷の教え41条
史実 : 東北庄内人による創作
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの月給が現在価値で2千万円 年俸2億4千万円
豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹(食用か?)
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い漁った
343 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 15:07:11.94 ID:EbL1unGo0
伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
史実 : 勝海舟の創作
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
外人のパークスに脅され断念
伝説 : 敬天愛人思想で道義を貫きとおした巨星
史実 : 浪士を雇い、江戸で放火、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発
伝説 : 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
史実 : 勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
伝説 : 大久保利通の西郷暗殺指令
史実 : 政府の密偵を凄惨な拷問にかけ自白強要させており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の現地妻を捨て、
旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 鹿児島の民百姓にも慕われた西郷どん
史実 : 西郷さんが死んだ日、百姓たちは木の上から見物、
全滅後西郷軍団の身ぐるみを剥ぎ、売る
344 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 15:20:59.25 ID:RSnTiOeP0
>>341 >>343 これホント???まったく真逆だな・・・
某政治家を彷彿とさせる話が多いね・・・。
もっと大久保も祀れよ
346 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 15:26:08.80 ID:jw76f4mT0
日本の軍人英雄・東郷平八郎も慕ってた人物だしな
347 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 15:27:01.72 ID:AaBuQdrg0
>>344 もう少し疑うことを覚えよう
嘘もあれば真実もある
>>344 このアンチは西郷関係スレにはいつも来てこういうのを貼っていくんだ。
中には近代史板で論破されているのもあるのに
変わらず貼り続けている。
犬の話も上で違うと訂正が入ってるのに、いまだに食料つってるし。
350 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 17:26:46.05 ID:uWnD8yPI0
長州の奴等は決断が遅い。
関が原で傍観して機を逸した毛利の子孫だけある。
安倍も消費税やら原発処理やらタラタラタラタラしやがって。
薩摩なら5秒で決断、10秒で実行だ。
351 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 17:48:15.37 ID:ILM3JFCK0
小学生なんかに見せても、西郷どんの凄さと幕末情勢は絶対分かんないけどなw
大人でも多いもんね。
>>345 大久保は鹿児島では嫌われ者で終わったからな
駅そばに大久保銅像ができたのもまだそう遠くない昔だし
>>288 大山巌と山川捨松
賊軍の親戚同志結婚できてよかったじゃん
>>186 実方はオレの義理の叔父貴の地元やないか
当時のことだワザワザ徒歩で出掛ける距離じゃないぞ
355 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 18:57:02.98 ID:8icTlGt00
>>225 西郷は鐘のように大きく叩けば大きく響きとかいってたのは坂本竜馬だったよな
ごめんオレ重野ナントカさんとかシラネんだわ
西郷の古フンドシを欲した漢坂本竜馬の言葉のほうがしっくりくるな
薩摩で尊敬を集める「勇猛勢風力の輩」
お前どこのヴァイキングだよってぐらい、野蛮人だぞ
>>357 どうしても批判?があさっての方向むいてるとしか思えないんだわな
もうちょっとなんかないのかね そんなんが事実だとしても
「で?」としか思えないんだよ 2ちゃんねるでも書けないような話も
結構あるけどねウチは まあ書けないんだから書かないけど
明治期の西南戦争以降新聞マスコミは概ね西郷に好意的な記事が多いんじゃないの?
西郷星が〜とかニコライと一緒に西郷が〜とか
死してなお西郷を待望する風潮が庶民にあったってことだろ
360 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 19:50:06.16 ID:WelBPHhL0
>>193 >敬天愛人シリーズ
>《 西郷隆盛の人となり 其の七 》
>
>「子孫のために美田を買わず」で有名な西郷さん。
>鹿児島武岡山麓に1100坪の大邸宅を買っていたことはすでに述べた。
>それ以外にも東京日本橋の大名屋敷500坪。
>一族の従道は東京目黒に14万坪。
>従道とこれまた一族の大山巌が共同で栃木県に150万坪。
>
>しめて西郷一族が買い漁った土地の広さなんと東京ドーム117個分。
>しかもこれらは政府から格安で払い下げられていたそうです。
>なんともうらやましい話しですね。
田んぼじゃダメ、商業地を買えって事か…間違いでは無いが…(;´Д`A
鹿児島出身なんだが大久保利通はまだしも
川路利良は鹿児島では本当に人気無い
正直、西郷さん盛り上げるために
他者を一切持ち上げないのはやりすぎだろうと感じるw
362 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 20:06:26.23 ID:WelBPHhL0
>>278 >【西郷どんの人望好き、西郷どんの人望買い】
>
>いとこの大山巌が西郷さんを評して言った言葉。
>
>西郷さんは人の好意や信望を集めることに異常に執着し、
>しばしば金銭をばら撒く、相手を先生などと呼び持ち上げる、出世の後押しをする、
>などの必死な姿が目撃されている。
就職を斡旋してもらおうと訪ねた男に西郷はその仕事の給料を聞いた、男が答えると西郷はその金額を男に渡した、男は自分の行いを恥じて自分の力で仕事を探すことにした
363 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 20:26:50.03 ID:4s6CJMimi
>>289 >事実なんだが、それを本やテレビ番組にすると著者や出版社、テレビ局に右翼が嫌がらせしてくるのも本当
西郷は賊軍なのになんで右翼が西郷擁護すんだよ
>>193 昔は大家族のうえに使用人の家族とかも住むからデカい屋敷が必要なんだよ
おかげで使用人家族は路頭に迷うことなく暮らすことができたわけだ
至極妥当なデカさ
ちなみに山縣有朋の椿山荘は東京文京区の一等地に2万坪
>>255 そうだな。過去の行動から見ると西郷は常に死に場を探していた。
それはこの時代の侍全てに通ずる。理想のために命を賭ける。
生き延びるために投降なんてあり得ない。
366 :
名無しさん@13周年:2013/09/24(火) 23:41:30.90 ID:deSmaxIz0
【西郷さんの死ぬ死ぬサギ 一覧】
1回目 斉彬が急死。自分も殉死すると騒ぎまくる
→いつのまにか無かったことに
2回目 僧月照を船から突き落とし、自分も飛び降りたらしい
→自分だけ助かる。というか死ぬ気があったか怪しい
3回目 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
→勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
4回目 「おいの体をあげもそ」「おいが皆、抱いてゆく・・」と西南戦争を決起
→玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 →断られる
5回目 城山で玉砕と決定「投降したい者は遠慮せずそうせい」
→土壇場でなんと自分が洞窟から逃走 桐野利秋に見つかり射殺
まあ、征韓論を唱えていたから朝鮮人には嫌われてるかもなw
西郷は、不平不満を持つ士族に最後の戦う場所を与えたかったんだろ。
島津の殿様の密偵になり、島流しになり、イギリスと戦おうと帰り、
長州と戦い、後に手を組み、江戸幕府と戦い遂に倒した。その後戊辰戦争
から、一度身を引くが、結局西南戦争へ。
もはや戦うことでしか、己の死に場所を見つけられない定めだと思った
んだろうな。
>>367 西郷が主張したのは征韓論ではなく遣韓論ですよ
彼は自分が全権大使になって朝鮮に行き、国交回復交渉をすることを提案しました
その際に軍の同行を拒否しています
>>368 それで自分が韓国で殺されれば、戦争になるだろ
と思ってたんだろ。やっぱり死に場所を求めていた
としか思えない。
>>253 西郷は明治政府樹立と戊辰戦争終結で自分の仕事は終わったと考えてたようです
だから維新後はそんなにバリバリ仕事しようとする気がない
んで、一度は鹿児島に隠居したのですが、名声とカリスマが仇となり中央に引っ張り出されたんです
>>369 死に場所を求めていたというのはそうでしょうね。尊敬してた斉彬公も死んでしまってるし、もう武士の世ではなかったですから。
私が反論したのは征韓論のところですよ。
西郷は初めから軍隊を派遣しようという考えはなかったのです。国内にはもっと強硬な考えもあったが、西郷はそれをむしろ抑えた。
372 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 00:52:12.06 ID:b/dpoHoy0
鹿児島人にとって、歴史とは「事実」ではなく「史観」なのです。
維新の主役としてのアイデンティティを確立するためには、
都合のいい「史観」に合わせて史実を改竄、否定することも厭わない。
そして、薩摩人がいかに優秀な人々だったかを訴える。
とくに鹿児島の学校教育ではウソを上塗りし、
理想に反した現実(奴隷制、犬食い、ホモ天国などなど)は消されて
無かったものにされる。
最近ではあまりにウソが多いので、地元校の入試問題に
郷土の歴史の問題が出題できなくなっているほどだといいます。
もはやどれが正しいのかわからないと。
>>372 お前鹿児島に恨みでもあるんか…?
デタラメばかり言いおって
374 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 01:01:08.32 ID:b/dpoHoy0
>>373 鹿児島県が発行している『鹿児島県史西南戦争』第三巻(一九八〇年)のなかに、
広瀬為興稿「明治十年西南ノ戦役土佐挙兵計画」という文書が載っている。
これは高知県出身で板垣退助に近かった林有造の主張を記録したものである。
参議の西郷隆盛、副島種臣、板垣退助に加えて、
左院副議長伊地知正治が謀議に参加した征韓計画の謀議が載っている。
西郷は「先ツ兵ヲ北韓ニ上陸セシメ、平壌ヨリ京城ヲ包撃スルノ謀」を主張し、副島は賛成した。
しかし板垣は「先ツ其君主ヲ檎(とりこ)ニスルヲ主眼トスル」点では賛成しながらも、
北方からの包囲は難事とし、三分の一の兵を釜山に上陸させて、朝鮮軍の迎撃を待ち、
残り三分の二の兵力をもって江華湾方面に送って「突如京城ニ肉薄」し、その間に
釜山の兵力も海路平壌に送って敵の退路を断つという戦略を主張した。
伊地知正治は少し大規模の兵力派遣を主張したという。
西郷は板垣、伊地知を信頼して謀議を行なったようである。
「其進軍ノ戦略ニ就テハ板垣伊地知ノ二氏ニ委スヘシトノ事ニ門下中ノ領袖ニ漏洩シアリト云フ」
と記されていることも興味深い。
また当時司法省出仕だった有馬純雄(藤太)の回想『維新史の片鱗』によると、
有馬は西郷から朝鮮占領後の民政官任命を内示され、
当該地域の地図を探したという挿話を述べている。
西郷が、武力による征韓を唱えた史実は、まったく揺るがないのである。
>>372 都合の悪い事実を矮小化し国家のアイデンティティ確立のため史観を創り上げる作業ってのはたいていの国がやってるでしょUSAとか支那(大陸のほうね)とか
他民族からの抑圧の歴史を殊更に強調して国家のアイデンティティを確固たるものにするってパターンもあるよな
>>374 後に朝鮮への出兵だの併合を画策した連中が、自説への支持を得んがため、西郷を墓穴から担ぎ出した説
378 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 18:02:49.24 ID:OZdi1BdOI
>>372の
"鹿児島""薩摩"を"日本"、
"維新"を"亜細亜"、
"奴隷制、犬食い、ホモ天国"を"強調連行、従軍慰安婦"
に置き換えてみよう
>>372ってあの国のメンタリティとそっくりだね
379 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 18:11:24.52 ID:2JDIxEwS0
>>372-373 犬はもともと食用だぞ。
奄美のヤンチュは典型的な債務奴隷だったけどな。
380 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 18:18:37.44 ID:4wANup8S0
遣韓論を唱える鹿児島人はあれにそっくりだ。
物証が出て、性奴隷なんかでは無かったって論破されてるのに
物証が捏造ニダ!とか言ってくる南トンスル人に。
381 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 18:33:20.99 ID:ZaHVdBzoi
>>380違うな
強制連行で従軍慰安婦にされた物証がないので、生き証人とやらの証言だけで強制連行を捏造してんのが朝鮮
日本政府は「物証がない、よって従軍慰安婦に強制連行はない」との立場
382 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 18:46:43.08 ID:xvVTbiF/0
日本政府の立場は一貫して「元慰安婦への賠償は日韓条約で解決済み」ですよ
鹿児島擁護のために、勝手に日本政府の立場を捏造するのはやめましょう
383 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 18:47:19.83 ID:pRodfPgb0
そのうち韓国人観光客がうんこをしに押し寄せるぞ
384 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 19:09:17.71 ID:ZaHVdBzoi
>>382 河野談話に関わった石原信雄官房副長官は「政府の調査では、政府や軍が直接女性たちを強制的に集めたと裏付ける直接的な証拠はなかった」と語ってる
これが河野談話をめぐる日本政府の見解
しかし韓国は河野談話を曲解して、日本政府は強制連行を認めたなどどぬかしている
385 :
ネコちん♪ ◆RIaAan710E :2013/09/25(水) 19:16:26.49 ID:mbZAKuYc0
>>363 ( ^▽^)<右翼の原点は 自由民権運動なんだよ
西郷と一緒に下野した 板垣退助が始めた
清の艦隊による 日本への威嚇などで
徐々に右翼活動に変質していく
386 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 19:20:07.62 ID:hpbRTk2si
>>385 徳富蘇峰の言説がジョジョに右傾化してくのもさもありなん、でつね
( ´D`)ノ<いや、単なる穴だから。
行くんだったらもうちょっといいとこ行けよ。
>>386 ( ^▽^)<八重ちゃんの学校で
学生運動始めて 辞めちゃったねw
で、西郷どんの本当の顔は?
.
( ^▽^)<熊本でバンドやってた
391 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 19:30:41.58 ID:2JDIxEwS0
>>377 西郷は出兵は主張したが併合は主張して無いぞ。
あくまでも朝鮮人の迷妄を打破する懲罰が目的だったんだから。
392 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 19:33:25.53 ID:hpbRTk2si
>>387 それはちゅるみゃるOBでしかわからない暗号かなんかでつか?
>>388 徳富蘇峰ってよく戦犯にならなかったよな
てっきり処刑されるとおもとったわ
>>391 ( ^▽^)<まあ 開国させるのが目的だから
ただ当時の朝鮮は中国の属国で
朝鮮と武力衝突になれば 中国ともそうなるし
列強もどう動くか判らない
非常にメンドーな事態に
394 :
392:2013/09/25(水) 19:36:19.00 ID:hpbRTk2si
ごみん
>>392の徳富蘇峰のくだりはこの前のせんそーの話ね
>>394 ( ^▽^)<戦犯容疑はかけられてたけど
あくまで言論人として戦争を煽ってだけで
直接やったわけじゃないからね・・・
396 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 19:42:51.16 ID:hpbRTk2si
>>393 ペリーは徳川に黒船見せつけて開国させた。
さいごーはペリーの手法を踏襲することを考えてただけのよな希ガス
>>396 ( ^▽^)<いや 当時朝鮮は フランス軍に勝ってる
フランスの宣教師とその信者数千人を
「奴隷に知恵をつけんじゃねー」って虐殺して
ブチ切れたフランスに攻撃されたが 撃退した
その時奪われたのが例の本
日本のはコピーだが フランスが持ってるのは原本
398 :
396:2013/09/25(水) 19:50:59.14 ID:hpbRTk2si
ペリーの手法(軍艦で軍事力チラ見せ)は当時の国際法ではマルだっだんでそ
だからさいごーが、俺にもできるんじゃね?とおもたのもそーぞーできる
399 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 19:55:06.10 ID:YQr2DkgzO
カタワのくそ左翼どん
.
( ^▽^)<日本もマダ当時 けっこう八重ちゃんの学校みたいのは
理解されず 危険で
徳富蘇峰とバンドやってた 横井時雄のオヤジも
キリスト教絡みで暗殺されてる
松平春嶽の政治顧問で 新政府でも参与
「横井が日本をキリスト教化しようとしている」という
でたらめな話で・・・
∧∧ よっこいしょうなん先生 龍馬伝で豆食ってたw
( =゚-゚)
.(∩∩)
401 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 19:57:57.87 ID:hpbRTk2si
>>397 すみませんその"例の本"てのが寡聞にしてわからないのですが
ぐぐってみますので、なんかヒントいただけますでしょうか?
>>401 ( ^▽^)<返せ 返せ煩いから ミンス政権の時返したヤツだよ
向こうの王族の葬式のやり方の本
.
( ^▽^)<八重ちゃんの学校は
西郷から 薩摩藩艇だった土地 もらった物
>>402 そんなことがあったんですね
ありがとございます
んじゃ逝ってくるね〜
405 :
ネコちん♪ ◆RIaAan710E :2013/09/25(水) 20:12:33.65 ID:mbZAKuYc0
406 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 20:18:31.19 ID:8RgPCgoD0
おいが皆、....
407 :
名無しさん@13周年:2013/09/25(水) 20:58:21.77 ID:b/wJzN/w0
西郷が皮肉なのは内面がどうしょもなく侍なくせに、率先して侍をなくす
世を作っちゃったことだなあ。矛盾してる。だから当然の帰結と言えなくもない。
>>407 本人が役者のような人でしたから。
他人に自らを大人物に見せたい、そのためなら命も賭ける人でした。
周囲は、それなら(らしい行動をとるならその時点では)大人物だろうとして付いていった。その内に美名の維持が人生となった。
討幕は何時意識したのやら。
薩摩による幕府引き摺り落とし策がいつの間にか全面戦争に至った。
単なる嫌がらせ目的だったと言われないように明治新政府を作った。
西郷さんのスレが立つと、西郷否定派がぞろぞろと沸いて来るなぁ。
誤解と曲解も混じってるから、読む人は注意してな。
>>407 侍の世の中だとこの先やっていけないと分かってたからだろ
そこは偉いと思うわ
新しい思潮が流入してくるにつれて侍は実は
農工商のオコボレで食べさせて貰っているだけの階層で
暴力を独占していただけということに気づいた先駆者だろうな。
大村益次郎の場合は暴力に全国民を参加させることで実体的平等を実現しようとした
(軍役と参政権は表裏一体)し、大久保は旧士族層に利権を配分して経済力をつけさせた上で
農工商のフィールドに参加させようとしたが
西郷はそれを嫌い時流を挙手傍観するだけで何も具体策を打ち出すことができなかった。
412 :
名無しさん@13周年:2013/09/26(木) 00:13:44.70 ID:sS5gqVs1i
西郷軍と合流した他県の方々です↓
熊本隊(池辺吉十郎)・熊本隊一番小隊長(佐々友房(後の済々黌創設者)) ─ 約1,500名
協同隊(平川惟一・宮崎八郎・崎村常雄)(隊員高田露・有馬源?・野満安親・野滿富記) ─ 約500名
滝口隊(中津大四郎) ─ 約200名
飫肥隊(伊東直記・川崎新五郎・小倉處平) ─ 約800名
佐土原隊(島津啓次郎・鮫島元) ─ 約400名
人吉隊(神瀬鹿三・黒田等久麿・村田量平) ─ 約150名
都城隊(龍岡資時・東胤正) ─ 約250名
報国隊(堀田政一) ─ 約120名
高鍋隊(石井習吉・坂田諸潔) ─ 約1,120名
中津隊(増田宋太郎) ─ 約150名
延岡隊(大島景保) ─ 約1,000名
>>408 それ、幻想もいいところだな。
西郷が自分を大人物に見せたい、というのは本当だろうが、
そんなの通用するのは薩摩士族と無能層だけで、
まともな人間にはまったく相手にされなかったか、
もしくは薩摩の軍事力を欲する人間に打算的に祭り上げられただけだ。
仕事面でも全面戦争の指揮を執ったのは大村益次郎だし、
新政府を作ったのは木戸孝允や大久保利通らで、西郷さんじゃない。
西郷さんの最大の功績は、彼らの邪魔をしなかったこと。
べつにバカにしているわけではなくて、これも大きな功績。
(後に邪魔するようになるが。)
能力的には、木戸、大村、大隈重信らにはまったく認めて貰えず、
薩摩人でも大久保はもちろん、一族の西郷従道や大山巌にも冷たい目で見られていたのが西郷さんの現実だよ。
打算的に祭り上げていたのが、山県有朋や江藤新平、勝海舟らでこの者たちも内心西郷さんをどう思っていたか・・
西郷さんが俺は大人物をうまく演じていると思っていたとしたら、とんだ裸の王様だな。
>>413 まあ、動乱期の英雄というものは、平和期には役に立たなかったりする。
狡兎死して走狗烹らるということわざもある。
西郷はそれを良く分かっていて、中央政界には残らず、薩摩へ引き上げたが
まわりがそれを放って置かなかった。晩年は単なるお人好しになってた感じ。
>>100 海路から、品川に行く作戦考えたらしいよ。
けど実行しなかった。
それが史家の最大の謎らしいよ。
本人が当時、日本でただ一人の
陸軍大将だから、陸路をとったという
説もある。
この戦は、西郷南洲はしたくなかった
みたいだね。 だから行くまえに
お前達(部下)が、連れ出すんだから
と行って、部下に着替えをやらしたらしい。
後、陸路を選んだ理由及び時期を
選んだ理由は、将来のロシアとの
戦いを想定した為、陸路及び冬を選んだらしいけど、定かではない。
>>415 西郷は西南戦争時はほとんど軍の運営や作戦に関与していない ただ大将として座っていただけ
軍艦を奪取して海路をとる策は西郷小兵衛が献策したが、桐野や篠原ら薩軍首脳に採用されなかった
桐野は陸路西上しつつ、地方の不満氏族を吸収していき勢力を拡大する考えだったようだが、熊本で敗れて目論見通りにいかなくなった
>>413 幕末期、巨大に見えた幕府に挑み、全面戦争まで持ち込んだ首魁は西郷だよ。
勝利の目算があったかは疑問だが、西郷無しに鳥羽伏見の戦いは起こらなかった。
419 :
名無しさん@13周年:2013/09/26(木) 14:54:25.59 ID:1rhLFMPK0
【西郷さんの死ぬ死ぬサギ 一覧】
1回目 斉彬が急死。自分も殉死すると騒ぎまくる
→いつのまにか無かったことに
2回目 僧月照を船から突き落とし、自分も飛び降りたらしい
→自分だけ助かる。というか死ぬ気があったか怪しい
3回目 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
→勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
4回目 「おいの体をあげもそ」「おいが皆、抱いてゆく・・」と西南戦争を決起
→玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 →断られる
5回目 城山で玉砕と決定「投降したい者は遠慮せずそうせい」
→土壇場でなんと自分が洞窟から逃走 桐野利秋に見つかり射殺
これは木戸孝允でなくとも「たいがいにせい」と言いたくなるなw
420 :
名無しさん@13周年:2013/09/26(木) 16:49:15.27 ID:TWkDo0QG0
>>419 鏡川伊一郎さんの月照暗殺説ちょっと信じてるわ
一緒に死んで自分だけ助かるって話として出来過ぎてる
>>421 ワザワザ月照だけ水死させなくても、月照は日向追放の名目で、国境付近で頃される予定だったんだが
西郷は福山湊の役人に月照を引き渡せば任務終了だった
西郷も共に入水したってことは共に死ぬ覚悟があったってことだろ
大久保って何でそんなに人気ないんだろう。
西郷と比較するつもりはないが維新の荒廃から明治の草創期に
あれほど実務をこなした人なのにねぇ。
>>423 鹿児島県人は基本、情に厚い人が好きなんで
あくまで国のために冷徹に徹した大久保は人気なかったんだと思うわ。
地元のために何かしてくれたって、訳でもないしね。(それがいいと言ってる訳ではない)
西郷さんは、鹿児島に帰ってきて、荒廃ぶりを見て
私費で私学校を作って若者の育成をしてた訳だから(まぁこの層が暴発して
西南戦争になる訳だがw)
地元に帰ってきて人材育成してる人と東京に行ってしまった人では
扱いが違うのは仕方なかろう。
425 :
名無しさん@13周年:2013/09/27(金) 00:13:13.22 ID:9tWQh9WJ0
日本人の感覚では大久保は、孤立を恐れず私心を捨て日本の
近代化に尽力した冷厳なマキャベリスト
しかし鹿児島の感覚では、皆に合わせず、郷土をないがしろにし、
四十すぎて西洋にかぶれた女の腐った奴
いや、そうじゃねえだろうと言う薩摩人は維新で東京などに移住してしまって、
鹿児島に残ったのは、議を言うなタイプの無能ばかり
だから鹿児島では、維新より後はまともな政治家や大物がまるで出ていません
長渕剛が今西郷と言われるほどの惨状です
西郷さんが最期に立てこもった洞窟が印象に残りました(小並感)
429 :
名無しさん@13周年:2013/09/27(金) 08:39:42.55 ID:vCNv6CpdO
>>413 こう言う嘘つきが現れるから良くない。
折角相手が「西郷は役者じみた、自分を大人物に見せたがる人物で、終いには自分の虚像にはまり込む人生となった」と書いているのに、
「違う、本当は大人物ではない」と相手を否定しながら同じことを話す。
否定したいあまりに論理がおかしい。
戊辰戦争や西南戦争で、新しい軍隊の前には武士道など無力と思い知らせたわけじゃん
それから数十年、技術も兵器も進歩したはずの太平洋戦争じゃ、なんで武士道万歳とかやってんの?
431 :
名無しさん@13周年:2013/09/27(金) 10:27:56.69 ID:rf8LE9Tn0
432 :
名無しさん@13周年:2013/09/27(金) 10:44:42.03 ID:vCNv6CpdO
>>430 大正期の護憲三派(加藤高明・鳩山一郎)による「反明治藩閥主義・脱欧入亜論」ですよ。
「明治新政府は利権に溺れ、日本を欧州の手先にした。今こそ武士道に返り欧州を排除し亜細亜の盟主たれ。」とかいう思想です。
護憲三派はこの主張を繰り返し、明治新政府から政権を奪うことになります。
でも護憲三派は経済運営では無能で、日本国民は軍部にこの武士道立国日本の理想を受け継がせました。
結果は軍国主義でした。
433 :
名無しさん@13周年:2013/09/27(金) 11:07:04.67 ID:vCNv6CpdO
だから、明治新政府が排除したはずの悪い意味の精神論(物質は悪・商業は悪)的武士道が、
明治新政府が国際社会で飛躍した大正期に、主に野党側から復権してきたわけ。
これは昭和末期に「我々は物質的豊かさはもう要らない、武士道に返れ」と文藝春秋が清貧武士道を騙ったのと良く似ている。
大正期の場合は、
・脱欧入亜 欧米との敵対
・亜細亜の盟主 欧米植民地への侵攻
・亜細亜の教化 日本中心論の流布
と、世界各国を敵にする方向へ進んでいった。
戦時中、東條英機が白虎隊や新選組を手本にしたのは、鳩山一郎の煽動からきているのさ。
434 :
名無しさん@13周年:2013/09/27(金) 18:24:53.42 ID:/9tHIU2ai
>>199 これは愛加那の西郷への深い愛情を物語るエピソードだと思うがな
そっか
>>199は恋愛したことがないからわかんないんだねwww
435 :
名無しさん@13周年:2013/09/27(金) 20:16:21.15 ID:YqUQXPKcI
図書館寄って
>>233の南洲翁逸話っての読んだけどさ、西郷タックルの話のってたっけ?
あと樹上から戦闘見物の話ものってたけど
>>186とはかなり違う内容(場所とか)。
そもそも官軍兵士がゾロゾロと西郷の首を血眼になって探したり死体の身元確認などしてるのに、その手がかりである衣服を農民が身ぐるみ剥がせるわけがない。
まあ南洲翁逸話なる書物は複数でてるようなので、また探してみるけどさ。
>>430 日本の技術も兵器も進歩したが、アメリカはそれ以上に進歩していたし、
国力で圧倒的な差があった。
そのような相手に挑むには武士道を復活させて、兵に犠牲を強いることを正当化させる必要があったのだろう。
437 :
名無しさん@13周年:2013/09/27(金) 23:49:12.88 ID:X+Acj5sG0
http://www.page.sannet.ne.jp/ytsubu/syougai11.htm (征韓論の経緯)
いよいよ西郷隆盛最大の謎とされる征韓論のことを書く時がやってきました。
簡単に前述しましたが、西郷は「征韓論」などという乱暴なことを主張したことはただの一度もありません。
それでは、なぜ西郷が征韓論の巨魁と呼ばれることが歴史の通説となってしまったかを簡単に述べていきましょう。
まず、日本と朝鮮の関係がいつ頃からもつれてきた、つまり悪化してきたのかと言いますと、明治初年、新政府が朝鮮に対して国同士の交際(国交)を復活
させようとしたことに始まります。
元来、日本と朝鮮とは、江戸幕府の鎖国政策の時代から交際を続けていた間柄でした。
しかし、江戸幕府がアメリカやロシアといった欧米列強諸国の圧力に負け、通商条約を結んだことにより、朝鮮は日本との国交を断絶したのです。その頃の
朝鮮も、欧米列強を夷狄(いてき)と呼んで鎖国政策を取っており、外国と交際を始めた節操の無い日本とは交際出来ないという判断だったのでしょう。
このようにして、江戸幕府は朝鮮から国交を断絶されたのですが、当時の幕府はその朝鮮問題に熱心に関わっている時間がありませんでした。当時の幕府
としては、国内に問題が山積されていたので、それどころではなかったのです。
江戸幕府が倒れ、明治新政府が樹立されると、新政府は朝鮮との交際を復活させようとして、江戸時代を通じて朝鮮との仲介役を務めていた対馬の宗氏を
通じて、朝鮮に交際を求めました。
しかし、当時の朝鮮政府は、明治政府の国書の中に「皇上」や「奉勅」という言葉があるのを見つけ、明治政府から送られてきた国書の受け取りを拒否した
のです。朝鮮政府としては、先の「皇上」や「奉勅」といった言葉は、朝鮮の宗主国である清国の皇帝だけが使う言葉であると考えていたからです。
このように朝鮮政府は明治政府の国交復活を完全に拒否したのです。
西郷の最期は自刃っていうの?
部下に殺させたんじゃ?
439 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 01:14:17.35 ID:hDS+vP8P0
西郷さんの最期
エピソード1《 まさかの命乞い 》
明治10年9月24日、鹿児島県城山。7か月あまり続いた西南の役は幕を閉じました。
被弾した西郷が「晋どん、もうここらでよか」と別府晋介に首を刎ねさせたとされる日です。
一般には、西郷は潔く切腹した。薩摩士族を道連れに自らサムライの世に幕を引いた、
などと美談のごとく語られています。
しかしその数日前の西郷の行動についてはほとんど知られていません。
・・・・なんとこの人、助命嘆願してたんです。
政府軍側に使者を遣わし、西郷本人の助命嘆願をしている。
西郷軍への従軍をしぶる者をタタキ斬り、強制徴募や軍資金強奪を行ったあげく、
1万数千人にのぼる戦死者を出した総大将が助命嘆願、などというのは、
薩摩戦史上はもちろん日本戦史上も例を見ません。
しかも政府軍に助命を断られ、山県有朋に、武士であるなら潔く自決するよう諭されるという始末でした。
440 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 01:20:59.03 ID:hDS+vP8P0
西郷さんの最期
エピソード2《 西郷さんは桐野利秋に処刑されていた 》
西南の役の最後の日、西郷は足を撃たれたあと自決したことになっていますが、
その西郷の足を撃ったのは、西郷の部下である桐野利秋であったという説をご存知ですか?
西郷さん、玉砕することにどうにも納得いかなかったらしく、洞窟を出て投降しようとした。
しかし玉砕派の桐野がこれを発見、激怒して後ろから銃撃したというのが真相のようなのです。
目撃者の証言もあります。
こんな寄生虫デカ金玉を崇め奉ってる鹿児島人って…
442 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 01:42:43.82 ID:hDS+vP8P0
西郷さんの最期
エピソード3≪創られた西郷自決 ≫
ちなみに広く信じられている西郷の最期、「晋どん、もうここらでよか」と言って
地面に”正座”し、東の皇居の方角に深々と頭を下げて切腹、
別府晋介に介錯させたという話し、出典はご存知ですか?
西南の役から30年以上たってから出版された「西南記傳」という本。
編纂者と出版元は右翼団体。まるで見てきたように書いていますが、
西南の生き残りが書いたわけでもないし、誰それの証言であるなどのソースの提示は一切無し。
はっきり言って資料価値ゼロの与太本なんです。
だいたい極度の肥満なうえに、寄生虫で睾丸が人の頭ほどの大きさもあった西郷が”正座”できるわけがありません。
東大図書館に保存されている西郷遺体の検死報告書を見ても腹部に刀創はありませんでした。
切腹はしていないのです。
「右大腿より左骨部貫通銃創、頭(頸)体離断」
つまり太腿を銃で撃たれたあと、首を隠すため切断されたということです。
443 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 01:46:03.97 ID:hDS+vP8P0
西郷さんの最期
エピソード4≪目撃者≫
桐野による西郷銃撃を目撃したのは、別府晋介の従卒、城川市二。
城川の証言によると、西郷が洞窟を出て城山をくだってゆくために、
桐野は西郷が敵方に降伏するつもりかと思い、西郷を敵方に渡してなるものかと、
銃で撃った、というものです(出典「肚乃西郷」)
城川氏は鹿児島県人であり、反薩摩でも何でもなく、嘘をつく動機は皆無
前述の右翼団体の与太本よりよほど信憑性があります。
ところが「跳ぶが如く」の著者司馬遼太郎は城川なる人物の実在が証明されていないとし、
この説を奇説として退けた。
また昭和52年に南日本新聞で村野守治氏(西郷研究の第一人者)が、
「別府晋介の従者に城川なる人物は、自分の持っている資料には無いから実在しない、
だから実在しない人物の証言は成り立たない」という記事が載り、桐野銃撃説はいったん否定されました。
444 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 01:50:12.86 ID:hDS+vP8P0
西郷さんの最期
エピソード5≪わが眼で見た話し≫
ところが、その数日後に同じ南日本新聞で入江俊興氏が昭和十年発行の「葛城彦一伝」の中に
加治木編成の六番大隊編成表として別府晋介附従卒城川市二、との記述を示し、
あっさり実在の人物と証明されたのです。
さらに城川市二氏の孫嫁が健在で
「御祖父さんは83歳で亡くなった。口数の少ないきびしい人で、西南のことはほとんど話さなかったが、
昭和三、四年ごろ東大の先生が二、三度春になると訪ねてきて、襖を閉めきり朝から遅くまで
何事か話しをしていた。
城川の家は製造業で、職人たちが噂話などをはずませていると、御祖父さんが現れて、
”今ン話しはおはんナ自分で見た話しか、人から聞いた話しか”と詰問されて、
”わが眼で見た話しでなかのなら、ここでは語いやんナ” とピシャリといって引っ込んだ 」と述懐しています。
445 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 02:06:04.70 ID:kEW72nKA0
>>427 同僚で一番質の悪いのが鹿児島県人だな
なんか上にはヘコヘコ、下には尊大、仕事したがらないで文句ばかり言ってる
上司の言うことだけ聞いて部下からヨイショされてりゃそれでいいって感じで最悪
西南戦争の話なんか読むと、いかにもそんな感じの連中なんだよな
>>445 鹿児島県人以外は上司に厳しく部下に優しい?
447 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 03:01:44.21 ID:kEW72nKA0
>>446 品性が他県人と全く違う。
仕事中に普通に「死ねw」「殺すw」と会話で使うのは鹿児島出身者だけ。鹿児島県人以外はギョっとする。
プライベートではあるかもしれんが、会社でもそんなことを言う連中は他にいない。
448 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 07:36:14.03 ID:Dgap3z4GO
>>447 会津若松では、年中無休で殺すと叫んでいる集団がいます。地元のロータリークラブですけどね。
449 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 07:44:45.65 ID:Dgap3z4GO
>>447 まあ、あなたの出身地域程は下劣ではありません。
450 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 07:50:53.61 ID:nfrbnLD/i
福島には鹿児島県出身の政治家がいたような
参議院議員2期→衆議院議員2期
鹿児島への風当たりは意外と強くない
まぁ2ちゃんには福島県人を騙る某県人がいるからな
451 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 07:53:34.14 ID:Dgap3z4GO
私がこの世で一番下劣と思った言葉は、横浜での酒席で相手の漏らした、
「会津は正義だから、西日本から来た患者は殺す」でしょう。
真実は分からねど、少なくとも医師の風上にも置けない下郎でした。
453 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 08:05:15.45 ID:nfrbnLD/i
ちなみに鹿児島を騙るのも得意みたいです
>>452 俺は城川とかいう人について確認してみるよ
455 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 08:21:25.54 ID:36Obd+pE0
>>455 早い話、鹿児島もクズだが〜と言いたいわけね
やっぱ鹿児島でも会津でもないじゃん
そういえば薩摩出身大山巌と会津出身山川捨松の結婚にムカついたのか、小説「不如帰」を新聞に連載し捨松をディスったのは熊本人の徳富蘆花だったよな
458 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 09:01:40.23 ID:+GG44c/b0
杉本哲太の半次郎どんは精悍だったなあ。
いまでこそじぇじぇじぇの駅長さんみたいな丸い役が多くなったけど。
459 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 09:05:06.52 ID:oSKQFgf9O
維新の英雄は西郷と慶喜だけ
>>445 身近な例だけで全てをそうだと決めつける低脳具合と
そういう人物を雇った会社のアホ具合
同じくそういう会社にいるお前
461 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 09:09:00.07 ID:+GG44c/b0
>>44 そりゃ山県は武士じゃなくて帯刀すら許されない足軽のさらに下の中間だからな。
成り上がった百姓公爵としては、自分をいたぶった武士への復讐はさぞ快感だったことだろう。
462 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 09:09:12.66 ID:TqA+Rb/Y0
維新が地方出身者の小さいメンツで起こったテロ→クーデターってのを証明しちゃった西郷どん
463 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 09:09:30.66 ID:Dgap3z4GO
>>459 なわけがない。
だが鳥羽伏見の戦いの首謀者は西郷隆盛だ。
薩長土肥と幕府と列藩同盟は英雄揃いでしょ
465 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 09:22:58.16 ID:Dgap3z4GO
>>461 むしろ山縣有朋は、西郷隆盛へは持ち上げる言動が多い。
自身の山城屋汚職で、西郷から免罪処置を受けたこと、
高杉晋作からの苛め体験など、長州藩上級武士へは身分違いによる統制困難を感じていたこと、
武士への統御には、西郷隆盛の名声を利用するのが得策と考えていたこと、などが理由にある。
そのため山縣は、西郷を理想の武士として生涯持ち上げ続けた。
466 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 09:40:22.97 ID:su4TSXCa0
鹿児島県職員の内○巧さんは、「九州最強のヘンタイ盗撮魔」の異名を持つ伝説の男です。
実は鹿児島県庁には、変質者のグループがあるのですが、その実態は階段等でスカートの中を
盗撮するカスの集団です。
そんな中にあって内村さんは、マンション等の天井裏に侵入して盗撮カメラを仕掛けるという
高いスキルを持ち、しかも盗撮対象は老若男女を問わず、さらに女性と二人きりになると
すかさずレイプしようとするツワモノです。
他のミラーマンレベルの雑魚どもから、「首領様」として崇拝されるのも当然です。
鹿児島県庁が誇る変質者集団の「偉大な首領様」、内○巧さんは郷土の偉人といえます。
靖国は戊辰の新政府軍の兵士を祀るために作られた「私設」だが、
お前らが大好きな靖国に西郷は祀られていない。
最後の最後で新政府に楯突いたから。
ましてや戊辰の旧幕側なんて祀られるわけがなかった。
(旧幕側の戦死した兵の遺体が埋葬すら許されず野ざらしにされたことは有名)
靖国全否定するつもりはないが、歴史的に全日本人に支持されているわけではないことも
知識として知っておくたほうがいい。
468 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 10:01:49.57 ID:Dgap3z4GO
>>467 野晒し説は、
・桑名で新政府に降伏後脱獄
・会津で新政府軍死者と同一に生死判明まで移動禁止
等を「旧幕府側だけに苛烈な処分があった」と小説家などが虚偽説明をしているもので、
言い立てる人間の精神を疑う。
>>467 >お前らが大好きな靖国に西郷は祀られていない。
あえておまいにいっておく
「だが、それがいい」
西郷じゃなくても靖国に祀られてる薩摩兵はたーんといるしw
>>468 で、生死判明後会津兵だったら祀らなかった。
471 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 10:10:47.21 ID:Dgap3z4GO
>>470 野晒し説は、墓地も作らせなかった、という主張かと思いますが。
事実が貼られると話を縮小させるのが、卑怯者の特徴です。
西郷が靖国に祀られてないことは普通に知られてるやろ
祀られてなかったら何か問題あんの?
>>471 それをいうなら、俺の
>>467の要点である
「靖国は戦争被害者全員平等に祀っているわけではない」
というところを無視して、その単なる補足として書いた
「会津野ざらし」ばかりを取り上げて執拗についてくるお前の方だろ?
別に俺はいいよ?会津野ざらしが虚偽だってことでも。
補足が一つ消えただけで、
俺の上記の要点は何一つ揺るがないから。
それともなに?
このレスに対しても要点ずらしたって言ってくるの?
俺の要点は最初から変わらないところは
>>467を読めば明らかだぞ。
>>472 つまり靖国は、国や郷土に殉じたら英霊では無く、
天皇の側(皇軍)で死ねば英霊な神社。
「靖国は全国民が支持すべき」とは言えない状況に。
>>472 俺としては問題はないよ。
西郷スレだから、西郷に関することを書いただけで、
それで終わりでよかったのに、
なぜか俺のレスは問題ありと言ってくる奴がいるだけ。
>>469 とはいえ
一緒に戦った大村益次郎はあんなにデカイ銅像が立っているのにな。
遊就館に入ると、西郷軍を熊本で食い止めた谷干城ごとき高知の人間でさえ知らぬ小物が賞賛されており・・
正直、複雑な思いだ。
477 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 10:19:07.68 ID:Dgap3z4GO
>>473 あなたは、前の論の証拠として、虚偽だと物証が上がっているいわゆる「懲罰野晒し説」を出しました。
糾弾されて当然です。
御所に大砲打ち込んで靖国に祀られているわけわかめな例もあるしな
その時御所守ってた薩摩と会津の戦死者も祀られているけど
>>478 元々が単なる私設だからな。
しかも政治と密接な関係にありすぎる。
481 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 10:27:32.39 ID:Dgap3z4GO
>>475 発言で虚偽を重ねても、正当性は作れませんよ。
482 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 10:29:07.53 ID:ST812A1L0
何だよ西郷、小物じゃん。
投降降伏かよ。
西郷さんは靖国にまつられてはいない
上野公園の西郷さんの銅像の背後に彰義隊慰霊碑が立っている。
公園レイアウトもあるけど、本当は西郷さんは敵を睨みつけるために彰義隊の方角を向いて建てるのがセオリーと思う。
でも西郷さんは敵に背を向け、すなわち敵を赦している気がする。
銅像も陸軍大将としてのいかつい姿でなく鹿児島に下野して毎日ツンと一緒にウサギ狩りしている姿。
本当にいい銅像だ。
東郷や乃木は靖国に祀られてなくても英雄の誉れ超弩級だしな
わざわざ靖国に祀らんでも南洲神社、東郷神社、乃木神社があるからな
西郷自身が命乞いしたというのは俗説だろう。
西郷ほどの大物になれば本人の意思とは別に周囲の一部が助命に動くということはあり得る。
大久保の最期にしても泣きながらみっともなく逃げ回ったという俗説があるし、
維新の傑物とされるこの両人はそれだけ恨まれてもいたということだな
>>487 斬首されるためには力を抜いて、首を差し出さなければならない。
嫌がる人間に対してできることではなく桐野が殺したというのは信じがたいよね。
ていうか、村田新八や明治天皇など多くの人間に慕われ、多くの人間が命を預けた。
薩摩藩を憎んでいるはずの奄美大島に島流しされても、島民たちと仲良く付き合っている。
鹿児島維新館に行くと、西郷さんの妻の妹の肉声テープが聴けるが、西郷さんは奥さんが
作った料理を褒めまくり、奥さんが顔を赤らめるほどだったという。
古今東西、こんな人間は居ない。
ぐぐったら、児玉源太郎と大山巌にも自前の?神社があるね
この2人も靖国に祀られてないがド英雄だよね
南洲神社は宮崎や沖永良部や山形にもあるよ
栗林中将も投降しようとして部下に殺されたって話あったけど武人の最期を汚す奴ってなんなの?
492 :
名無しさん@13周年:2013/09/28(土) 12:26:31.32 ID:nfrbnLD/i
>>491 むしろそんなレスをして武人の最期を汚すおまいはなんなんだ
493 :
492:2013/09/28(土) 12:33:38.94 ID:cL//rWXQI
>>491 もしかしたらレスの解釈を間違えたかもしれん
もしそうならすまないことした申し訳ない
逝ってきます
>>491 それを言っていたのが堀江という参謀で、栗林中将をむしろ尊敬していた立場の人間。
しかし、結局、伝聞であり証言した本人が否定したから、これはタダの虚偽という結論になった。
西郷さんもだが、英雄伝説には妬みもあるのか「俺だけは真実を知っている」という詐話が絡みつく。
基本的知識に欠けてるやつがいるようだが、誰それが靖国に祀られてないないと
騒いでるやつがいるが、靖国は戦死した人間を祀るところだから。
戦死してない人間が祀られてないのは当たり前だろう。
ちなみに大東亜戦争の戦犯が祀られてるのは戦争により死んだと靖国が判断したから。
ここで西郷批判をする奴は日本人じゃ無い気がする。
なんか最近はネットで調べた知識が全て本当だと
思い込んでる奴が多すぎ。
実際にそんな変な人物なら、当時に多くの人に慕われ
死後も神社を建てて奉られるはずがない。
自分の頭で考えないから、情報に振り回される。
>>495 坂本龍馬・吉田松陰・高杉晋作・橋本左内は祀られているけど
戦死したの?
それとも戦死扱い?
戦死扱いなんて曖昧判断がある時点で、
>戦死してない人間が祀られてないのは当たり前だろう。
これ、何の意味もなくね?
>>496 おいおい、それ逆だろw
ネットで出てくる西郷情報なんて美談ばっかりだぞw
自分の頭で考えられる人間なら、神社があるから立派な人だなんて発想は絶対しないが
まあ、嘘を嘘と…という話は最近は2ちゃんだけ
じゃなくなってきてるからな。
マスコミも昔から嘘が多かった。
いろんな情報に踊らされないためには、感情的な
発言をする奴を信じないこと。冷静に情報を観察
チェックすることだな。
500 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 01:13:01.29 ID:7B/bCjhs0
通説では西郷さんを介錯したことで知られる別府晋介ですが、4月に八代で右足に銃創を負い、
9月24日の時点でも山駕籠に乗って移動するほどだったので、
体を支えられない状態で果たして介錯ができたのか?
そもそもそのような状態の者に介錯を頼むか?という疑問が従来から挙がっています。
501 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 01:15:23.57 ID:7B/bCjhs0
またこの通説の元になっている『薩南血涙史』では「弾が西郷の肩より股を貫く」となっていますが、
実際の西郷の死体は”右太腿より座骨部貫通銃創”であり、
この通説が創作、または粉飾されたものであることが分かります。
502 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 01:17:41.22 ID:7B/bCjhs0
代わって辺見十郎太説
(太股を撃たれて重傷を負った西郷さんを辺見さんが介錯したと、西郷さんの従者が告白した話として
熊本新聞が9月28日に報道)や
桐野利秋説
(新撰旅団の小隊長が記した『西南出張日記』に午前5時頃になって各隊が城山に攻め入り、
西郷さんや桐野さんらが穴から出て逃げようとしたが、「西郷だ」の声で
兵士達が一気に進みだしたのを見て桐野さんが西郷さんの首を落とした…というようなことが書かれています。
503 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 01:19:38.10 ID:3xN4jQ2t0
高杉晋作って生きてたら政府入りしたんだろうな。
今、高校の歴史教科書を見てるけど、人物や事件の羅列で何のこっちゃ
分からん。
それでも山川出版社なので、細かく学説みたいなのは出てるわ。
坂本龍馬の実態ってほんと意味不明。
504 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 01:24:20.02 ID:7B/bCjhs0
桐野さんによる銃殺説も、そのような結末に至った背景として、西郷さんが、
賊として死ぬことに強い不満を持っていたということがあります。
それは、この反乱を主導したあげく玉砕を主張する桐野さんを軍議から外したことからも窺えます。
西郷さんとしては投降して、裁判で正義は薩摩にあるのだと訴えたかったのかも知れません。
それぞれに筋の通るところはあるんですよね。
505 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 01:27:52.95 ID:EE6VxGlJ0
>>476 西郷は戊辰戦争を引き起こしたけれど
戊辰戦争を指導し勝利に導いたのは大村だからあたりまえでしょ
大村こそ惜しい人材だったな、暗殺されて
生きていれば山県なんてつまらん人物が日本を支配することもなかっただろう
506 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 01:41:43.45 ID:1GNVpvEJ0
靖国の大村像より、上野の西郷さんのほうが一般的には有名だからいいだろw
奥さんは愕然としたらしいけど。
>>504 貫通銃創は前から後ろに抜けている。桐野が西郷さんを撃ったとなると、前から撃ったことになる。
有り得んだろ。
投降して裁判で訴える?
佐賀の乱の江藤新平は捕まって「裁判」で処刑され晒し首にされた。
その事実は西郷さんも知っている。
仮にも元士族で明治政府の要職にいた人間が、泥棒と同じように処刑され侮辱されたんだ。
投降なんてするわけないだろ。
508 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 10:06:16.52 ID:7B/bCjhs0
>>507 それらは、西郷さんが投降するわけない、という予断にもとづいた推論ですよね。
薩軍の軍議ではふつうに投降や助命嘆願が議題になってますよ。
桐野さんがそのような意見を激しく退けるので、桐野さんは軍議から外されたそうです。
509 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 10:10:51.63 ID:PrG1j/Te0
厨二病をこじらせた人が散見できるスレだね。
自分も暑苦しい西郷とそのシンパより大久保の方が好きだが。
510 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 10:22:10.90 ID:PrG1j/Te0
ところで競馬好きの人に西郷がらみの話をひとつ。
西郷死後、西郷家は直系男子が貴族に列せられたが、
同じ薩摩の下級武士で函館発展に尽力した役人の
園田実徳は娘を西郷家の当主に嫁入りさせた。
園田は戊辰戦争に従軍し、その後川路の指示で薩摩へ
帰郷しスパイ活動をした後、函館の経営に乗り出した。
競馬のスター武豊の系図をたどれば、園田の名前が出てくる。
西郷家と武家は遠縁になるのである。
興味のある人はググれ。
>>508 城山で西郷軍使者と応接した中将川村純義が西郷自身の出頭を要求したのに対し
西郷自身はこれに応じなかった、これに関しては川村や使者の河野主一郎の証言もある。
投降問題がなぜ今さら議論の対象になるのかすら理解に苦しむくらいなのだが
512 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 12:00:29.05 ID:7B/bCjhs0
>>511 そのような史実や証言があることが、まさに薩軍内に投降問題が存在した証拠ですよね。
それを議論の対象としないほうが理解に苦しみますよ。
>>512 城山の段階ですら薩軍内には西郷助命計画があり、それが実行に移されたのも事実だ。
問題は西郷自身に生き長らえたいという意思があったか、なかったかだろ?
関係者の証言や状況証拠から西郷自身は死ぬ覚悟を決めていた可能性が極めて高く、
それは議論の対象にならないということ。
514 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 12:46:09.29 ID:7B/bCjhs0
>>513 そうだろうか?
西郷さんがはなから死ぬ気なら、投降や助命嘆願が軍議で話しあわれた時点で、
はっきり玉砕を表明し、助命嘆願などは絶対にするなと命じたはずでは?
西郷の発言が残っていない以上すべて予断ですが。
根拠のない虚言だった、ということで結論が出たのかな。
実際のところ、西郷隆盛旧跡参りよりは、
江戸時代の三社参りとか五社参りなどを復活したほうが良いのではないかと思う。
>>514 TVもラジオも無い時代に発言が残っていない云々も訳のわからん話だが・・
川村のアドバイスも山縣の降伏の勧めも西郷さんはすべて無視した。
それが答えだろう。
予断も糞もあるか。
517 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 20:59:14.71 ID:7B/bCjhs0
>>516 無視もなにも、薩軍のほうが助命嘆願を申し入れたんですよw
それを断られて、いやこっちが無視してやったんだ、というのは説得力が無いのでは?
村山さんの降伏勧告も西郷さん個人ではなく、薩軍全体の降伏が条件だったはず。
西郷さんが最初から一貫して死ぬ気だったなどというのは、予断以上の盲信でしょうね。
518 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 21:00:52.58 ID:7B/bCjhs0
村山さん → 川村さん
519 :
名無しさん@13周年:2013/09/29(日) 21:06:28.20 ID:5xm15tVh0
西郷が岩倉使節団に随行していたら世界観が変わっていたろうと思うと興味深い
大昔に「田原坂」って年末時代劇が放送されたんだが
最後の出撃字のいでたちが浴衣に犬を連れた例の姿でクソワロタ覚えがある
>>517 いつまでも絡みついてくるな、お前。
じゃ西郷は本当はヘタレで、最後の最後になって命乞いした情けないやつだ。
そう信じておけ。クソ野郎。
522 :
名無しさん@13周年:2013/09/30(月) 04:18:01.61 ID:t4o8rDzA0
歴史に関する事で熱く議論するのは
大変結構
存分にやりなさい
西郷大盛
昨日、ちょうど大村益次郎のこと、軽くさらってたところ。(wikiでw
薩摩と長州の恩讐?が明治以降も続いたことも理解が深まった。明治維新の濃ゆさが
現代まで続いてる因縁、大阪に砲兵工廠があった理由も分かった。
萩は会津と、今でもむりやり仲良くしてる感があるけど、鹿児島でも長州の話はタブー?
適塾やら東大やら、もしかしたら慶応あたりも(諭吉)、この話は関わるかも。長いから
秋の夜長にゆるゆるおさらいしてみると面白そう。いつの時代も、たまったエネルギーが
歴史をひっくり返す。あ、征韓論も、西郷どんは分かってたんかな。国内のガス抜きが
必要とか。アレ?最近のヘイトなんちゃらを連想
>>523補足。ヘイトなんちゃらとそれに応酬する若者たちがヒートアップしてる。
それを連想した。問題は、いま西郷さんがいないことかなあ。大村らも。薩長の子孫は・・・
525 :
名無しさん@13周年:2013/09/30(月) 07:52:08.80 ID:gc0QTJek0
NHKはよ解体しろ。
このひとの最後ってアホだったよね
今までの努力がパ〜〜〜
日本史上、最も過大評価されている人物。
なんとなくみんな知っていて、なんとなくみんな偉い人だと思っているが、
では何が偉いのかという話しになると誰もまともに説明できない。
これほどイメージと実態がかけ離れた人物も珍しい。
528 :
名無しさん@13周年:2013/09/30(月) 12:38:08.65 ID:u0+l4zoF0
いいからNHKを解体しようぜ!
529 :
名無しさん@13周年:2013/09/30(月) 20:37:19.03 ID:PHAdEis10
■ 西郷隆盛 伝説一覧
伝説 : 「おいの体をあげもそ」と西南戦争を決起
史実 : 玉砕の数日前に自分だけ政府軍に助命嘆願 → 断られる
伝説 : 「晋ドン、もうここらでよか」と潔く自決
史実 : 玉砕当日城山から逃亡 → 桐野利秋に見つかり射殺された
伝説 : 西郷南洲翁遺訓 西郷の教え41条
史実 : 東北庄内人による創作
伝説 : 清貧、高潔、質素な食事
史実 : 政府からの月給が現在価値で2千万円 年俸2億4千万円
豚の霜降り肉の食べ過ぎで超肥満に
伝説 : 自宅は雨漏りするボロ屋
史実 : 千百坪の超大豪邸に暮らす。使用人20人、飼い犬20匹(食用か?)
伝説 : 「子孫の為に美田を買わず」西郷家家訓
史実 : 西郷一族で東京ドーム117個分の土地を買い漁った
530 :
名無しさん@13周年:2013/09/30(月) 20:41:23.48 ID:PHAdEis10
伝説 : 「小さく叩けば小さく響き、大きく叩けば大きく響く」坂本龍馬による西郷評
史実 : 勝海舟の創作
伝説 : 江戸総攻撃を中止させ江戸百万人を救う
史実 : そもそも総攻撃を主張していたのが西郷本人だった
外人のパークスに中止するよう恫喝されて断念
伝説 : 敬天愛人思想で道義を貫きとおした巨星
史実 : 浪士を雇い、江戸で放火、強姦、卑劣の限りを尽くし幕府を挑発
伝説 : 征韓論「この西郷が一人朝鮮に渡り、殺されれば出兵の大義がたちもうそう」
史実 : 勝手に行けばいいのに、口だけで終わる
伝説 : 大久保利通の西郷暗殺指令
史実 : 政府の密偵を凄惨な拷問にかけ自白強要させており、信憑性無し
伝説 : 奄美人を大切にした西郷さん
史実 : 子供を二人産ませた奄美の妻を捨てる
旧知の奄美人たちを西南の役に強制従軍 → 死亡
伝説 : 鹿児島の民百姓に慕われた西郷どん
史実 : 西郷さんが死んだ日、百姓たちは木の上から見物、
全滅後西郷軍団の身ぐるみを剥ぎ、売る
531 :
名無しさん@13周年:2013/09/30(月) 20:51:36.26 ID:BBRyuXMd0
ν即+に4日ルールとか無くなったんだな。
532 :
名無しさん@13周年:2013/09/30(月) 20:52:45.10 ID:QxxmWTKs0
おいはしにもはん!死にとうないんじゃ!
とかいって、本当は晩節汚しまくったかも知れないぜ?
533 :
名無しさん@13周年:2013/09/30(月) 21:25:29.13 ID:RAD7j1ji0
534 :
名無しさん@13周年:2013/09/30(月) 21:29:11.65 ID:qybWLAEo0
なるほど
意味もなく荒れてる理由は征韓論でトンスルランド人が紛れ込んでるからか
535 :
名無しさん@13周年:2013/10/01(火) 01:12:29.72 ID:KU57B3jK0
「西郷さんは食べ物はどんなものがお好きだったでしょうか?」
「べつにこれという変わったことはありませんでしたが牛乳がお好きでした。
ともかく牛乳は大変お好きでした。
お食事は木の塗椀に三杯くらいです。
たいていは缶詰や鶏卵で、お魚は山川から取り寄せました。タコはお嫌いでした。
みかんが好物でいくらでもすぐに平らげて水は何時となくお飲みになりました。
お茶よりは水がお好きです。
それからまた煙草が大のお好きで鉄のナタマメ煙管で始終のんでおられました。」
「よく太った人らしいですね。どのくらいの目方があったのでしょうか。」
「二十九貫でした。恐ろしいほどよく肥っていられました。」
「そのくらい肥っていて毎日猟に出かけるのは、
我々から考えると億劫なように思われますけど、そんなことは無かったんでしょうか?」
「億劫どころか猟は何よりもお好きでしたし家の中ではあまり動きもなさらず、
ただじっと落ち着いていられましたが猟となると、まことに驚くほど敏捷になられました。」
昭和15年 鰻温泉女将(98) インタビュー
536 :
名無しさん@13周年:2013/10/01(火) 07:31:20.83 ID:YVGYJggN0
解体!解体!さっさと解体!!>>NHK
「まことに驚くほど敏捷になられました。」
病気で陰嚢の大きさがバスケットボール大だったと言われているが・・・