ソース(中日新聞・社説)
http://www.chunichi.co.jp/article/column/editorial/CK2013092202000096.html 自由の響きは何とも伸びやかです。憲法はいくつも自由と権利を保障しています。国家がそこに強引に入り込んでくると、社会は
窒息してしまいます。
<日本の下層階級は(中略)世界の何(いず)れの国のものよりも大きな個人的自由を享有している。そうして彼等(ら)の権利は
驚くばかり尊重せられていると思う>
<しかもその自由たるや、ヨーロッパの国々でも余りその比を見ないほどの自由である>
■江戸人は自由だった
この記述は現代の日本についてではありません。幕末の一八五七(安政四)年に来日した、オランダ軍人のカッテンディーケが
「長崎海軍伝習所の日々」(平凡社・東洋文庫)に書いた一文です。江戸幕府が設けた長崎海軍伝習所の教官で、勝海舟らに航海術
や測量術などを教えたことで有名です。
江戸時代の庶民が自由であって、権利が尊重されているという観察は、あまりに意外です。
五九(安政六)年に来日した、英国の初代駐日公使オールコックも次のように書いています。
<一般大衆のあいだには、われわれが想像する以上の真の自由があるのかも知れない。(中略)一般民衆の自由があって民主的な
制度をより多くもっている多くの国々以上に、日本の町や田舎の労働者は多くの自由をもち、個人的に不法な仕打ちをうけることがなく…>
(「大君の都」、岩波文庫)
江戸時代は封建社会で、身分制度に縛られた抑圧の時代ではなかったのでしょうか。閉塞(へいそく)的なイメージがあります。
なぜ江戸人が自由に見えたかはわかりません。
少なくとも、幕末の外国人記録は、われわれの固定観念に疑問の目を持たせてくれます。カッテンディーケもオールコックも、日本に
二、三年、滞在した知識人です。「自由」や「権利」という言葉を使った記録は侮れません。
(
>>2以降に続く)