【歴史】新選組・芹沢鴨暗殺に新説…芹沢の無断行動が会津藩の怒りを買った?
酒乱で乱暴者だったことを理由に暗殺されたとの説が有力な新選組の初代局長芹沢鴨が、殺される直前、
攘夷派だった有栖川宮家に奉公を申し出ていたことが、宮内庁が所蔵する「有栖川宮家日記」の記載で
16日までに分かった。
記載を確認した幕末維新期の人物史研究家、あさくらゆうさん(44)は暗殺の背景について
「無断の申し出が、新選組を管理していた会津藩の怒りを買ったためではないか」と分析している。
日記などによると、幕末の文久3(1863)年9月13日、芹沢は浪士15人を率いて事前連絡なしに
有栖川宮家を訪れ、有栖川宮熾仁親王に仕えたいと申し出た。
ソース:
http://www.47news.jp/CN/201309/CN2013091601001753.html
2 :
ネトウヨさん:2013/09/16(月) 17:20:56.22 ID:SWGronVWP
安倍に反対する朝鮮人の仕業だろ
勝手に脱退するやつは死罪だっけ?
八重の仕事だな
タイムマシン開発できれば調査できるよ
>酒乱で乱暴者だったことを理由に暗殺されたとの説が有力
そうだっけ?
8 :
!ninja:2013/09/16(月) 17:23:53.74 ID:jwee861U0
.
出て行く事をきっかけに、酒の席でのウップンをみんなで晴らしたんだろうなぁ。
9 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:24:34.41 ID:oiCD3AlNO
酔っていたとはいえあの芹沢鴨を殺せる人材が会津に居たのかね
儒教の国だから?
ああ、佐藤浩市かあ
ネギを背負ってたからじゃなかったのか・・・
13 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:27:20.60 ID:dk3blJ/c0
どうせ、好き勝手にしてたから土方や近藤の逆鱗に触れたんだろ(´・_・`)
近藤に暗殺を会津が命じた説はどこかで読んだことある。
15 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:27:54.59 ID:2c/pWISz0
>>3 鴨が肉にされた時は、
まだ局中法度はできてなかったはず。
16 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:28:25.39 ID:4A/r2Io1O
教訓:遠足や修学旅行などの団体行動ではバスガイドさんや先生の指示をを守りましょう
守り過ぎても津波にのまれたりするからな。
難しいところだ。
17 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:28:52.17 ID:wPltytEO0
てことは何?
会津が命じて仲間(新選組)にやらしたっていいたいのけ?
18 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:29:25.92 ID:27oP6tbz0
当時はこんなかっこわるい名前が普通だったの?いくらなんでもカモって・・
そうかもな。
殺される直前って手下どもも殺されちゃった後でしょ
そりゃあ他家に使えたくもなるだろうw
21 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:30:26.61 ID:HZVp8TUp0
鴨ちゃんそんなことしないもん
ぷんぷん
22 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:31:24.12 ID:A7V9wt0Q0
ウメ子
23 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:31:30.30 ID:pSetHSvei
朝鮮人は目に余る行為で日本人様から怒りを買ってますけど
>>17 て言うかむしろそっちが定説じゃないのか?なぜ会津が近藤達に暗殺の許可もしくは命令を出したのかがはっきりとは判ってないだけで
25 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:31:50.64 ID:LyDeSrTv0
それ以前に
会津藩は新選組を
コントロールできていたんですか?
26 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:32:22.74 ID:HVqo1k5r0
局中法度の士道に背くマジに反して新見智光が切腹したんじゃなかったっけ
27 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:36:24.80 ID:yFdHxvkf0
>>18 一応言っとくが芹沢鴨って本名じゃないからなw
28 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:37:40.15 ID:jj53Qkhq0
いや、原因はセクハラと息子の窃盗
29 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:37:47.53 ID:wPltytEO0
まぁ、芹沢一派は色々と周りに迷惑かけていたようだからねぇ?
会津としても黙って見過ごすわけにはいかなかったんだろけど、
それ以上に近藤達も腹に据えかねてはいたんだろうな?
容保が命令下したってより、近藤側が片づけるからその旨宜しく!
的な感じだったんちゃうのかねぇ?
まぁ、確たる証拠もないから後の世の人間は想像するしかない
わけだけど、新選組ってなんか好きやわ。
>>7 鴻池だったかに「カネを貸せ」って押しかけて、大砲ぶっ放したりしてなかったかな
あと、なんかのきっかけで関取を斬り殺したりしてたはず
32 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:40:08.28 ID:2c/pWISz0
>>24 今回新発見があったのは
鴨が会津藩の不興買った理由について、ってことだよね。
大酒飲んで暴れたり、強引な資金調達したり、というエピソードも
もしかすると後付だったりして・・・
33 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:43:02.64 ID:H+lwWsJt0
司馬先生の小説では、局中法度に背いて新見錦が切腹したことになってる。
>>26 燃えよ剣では、土方が詰め腹を切らせる場面があったような気がする
35 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:45:24.45 ID:Fwyl/m0j0
鴨は一応士族だからな
多摩の百姓侍にとっては煙たいだろうさ
>>9 囲ってしまえばなんて事は無いんじゃないの?
37 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:47:39.92 ID:9k0teYnb0
鴨っていい話何もないよね
会津藩の怒りを買ったのは芹沢鴨かも
39 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:48:14.78 ID:pfUfujc40
新撰組はまだまだ謎が多いな
十何年前に出てきた永倉新八の『浪士文久報国記事』みたいなのがまた出てこないかなあ
あの本が世に出て来た時は興奮した
40 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:49:24.08 ID:hD+APeoE0
戊辰戦争のとき山口県人と熊本県人が福島県の会津でやったこと・・・・強姦・民間人虐殺・盗っ人・ひえもんとり(会津人を殺して肝臓を生で食う食人行為)
戊辰戦争
薩長は”分捕り”と名付けて、農工商を問わず民間人の財産を全て奪い、民間人の妻と娘を拉致して強姦した・・。
百姓上がりで民度が低かった薩長の藩兵たちは会津若松城下で民間人女性を強姦し虐殺した。
薩長軍(新政府軍)は会津戦争の戦死者を「賊徒」として埋葬を許さず、
このために長期間に渡って放置された死体は風雨に晒され、
鳥獣に食い散らかされる悲惨な状況だったと言われている。
見かねた近所の村長が戦死者を埋葬したため、薩長軍に村長職を解かれた
事もあった(飯盛山に彼を顕彰する碑が立てられている)。
実際には疫病の要因になるという理由からようやく死体の処理が許されたのであった。
又、薩摩・長州の藩兵による会津若松城下での略奪・強姦・虐殺も激しく
(特に、長州藩士は気性が荒いことで、当時から有名であった)、
会津藩兵の死体から性器を切り取って口に含ませて放置したり、
薩摩藩兵が「ヒエモントリ」と呼ばれる食人行為を行ったという記録まである。
その野蛮さは、薩長の友軍である土佐藩兵や従軍僧侶が、
日記に批判的に書き記す程であった。
家財の分捕りは公然と行われ、
「薩州分捕り」「長州分捕り」と記して各藩競争で行われ、立て札が堂々と立てられた。
愛宕町の呉服店森田七郎右衛門の土蔵は、薩摩藩と肥前藩とで分捕り争いとなり、
不利になった薩摩の兵が土蔵に焼玉を投げつけて破壊するーという醜い騒ぎもあった。
41 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:49:58.26 ID:vgot1QcT0
新撰組が嫌いなのは、後ろ盾(トラの衣)が無かったら存在できなかった事。
42 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:50:01.78 ID:crCX/BaC0
さらにドン!
教授に全部!
43 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:51:12.23 ID:7JeB97y90
犯人は沖田
>>41 薩長は錦の御旗がなければ只の反乱軍だしねw
俺よ〜アイズなんだよ、だからおめえもアイズになっちまったよう
新撰組は白河八郎といい、こういう山師みたいな人が多いな
新撰組ちょっとキチガイすぎんよ
49 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:57:21.26 ID:eUqDDt5L0
>>41 後ろ盾もなにも、新選組は今でいうと特殊武装警察隊のような公務員ですよ。
当初は幕府の臨時雇い、すぐに会津藩の嘱託(地方公務員)になって、後には幕臣(国家公務員)。
50 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 17:58:04.12 ID:t30pyKVLO
単なる派閥争いだろ。
>>3 局中法度は近藤が局長になってから侍にコンプレックス持ってた近藤が厳しく定めたがその近藤は隊の金で芸者だか女郎だかを見受けしてやりたい放題
>>49 京都の住民から嫌われまくった横暴公務員だけどね
52 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:01:30.26 ID:ReSCMe260
これはありえるだろうな芹沢は水戸出身だし
ただ当時の状況から考えて会津が指示を出したとはあまり思えないが
53 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:02:41.02 ID:DCG7pl+9O
当時は京都じゃ鼻つまみの厄介者
今の京都じゃ立派な観光資源
ある意味で凄いな
あれは誰だ?芹沢かも?
かもねかもねそ〜か〜もね
イヤになっちゃうかもね
56 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:04:24.18 ID:to8c7q3x0
全部長州の責任なんだよ
会津の怒りを買ったと言っても、その理由が長州への怒りと憎しみ
高杉と吉田は会津では、今でもタブー、テロ、カルト組織が明治政府
明治を受けつぐ自民も会津の敵、安倍も会津では幕府の敵
不思議の国の有栖川宮家日記
先日茨城新聞で報道された記事ですな。なんか引っかかりますね。
会津中将は帥宮別勅使随行の勅命を九月一日に受け、四日に辞退の申請書を出してる訳でしょう。
ようやく受理されたのは八日です。携帯もネットもない時代ですし、末端組織まではこの連絡が言っていなかった可能性があり、これを機会に壬生浪士が有栖川宮にお目通り願うのは奇異な事ではないです。
芹沢らが有栖川宮の元を訪れるのは独断行動とは言いかねると思われるのですが。
根拠の記事が翻刻されている「熾仁親王行実」を見ても「御警衛」を申し出ているだけで、奉公させてくれとまで言っているようには読めない。
59 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:09:16.22 ID:AfINT9fx0
>>40 バカ丸出し。
肥前は現在の佐賀県、長崎県で、熊本県は「肥後」だ。
薩長土肥の「肥」は、「肥前」。
罰として、切腹は免じるが、
手首と頸動脈を自分で切断な。
60 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:09:37.60 ID:t30pyKVLO
>>56 盛岡藩出身の原敬も、長州軍閥の総帥の山縣有朋のことを
「足軽」呼ばわりしていたもんな
62 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:11:43.69 ID:WiJHBjEyO
新撰組って 人気あんのか?
63 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:13:40.52 ID:PN5xbAIAO
八木さんちの火鉢を斬った人か
芹沢の水戸藩は尊王攘夷派が多かったんだろうから
まあそういうこともありそうだけどな。
65 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:16:02.77 ID:t30pyKVLO
>>62 かつては朝敵。鞍馬天狗でも敵役。
いつの頃からか人気でた。
なぜこの時期に?
新選組は会津藩お預かりではなく、容保お預かりの特殊な有志集団でしょう。
こういうデモンストレーション的な行動は以前も以後も何度も行っています。
実際芹沢暗殺後の十月十五日に、近藤勇は攘夷決行の建白を出しているのは有名で、
近藤とて市中警護だけを行う組織に不満を持っていたし、いざとなれば新選組を解散して江戸に戻ることも考えていました。
近藤=佐幕というのは結果論であって当時の時点ではどちらに転ぶか分からなかった。
芹沢鴨が葱を背負ってくる
71 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:19:19.29 ID:vhRaZp4U0
新選組も秘密結社です
芹沢鴨の居た水戸天狗党が攘夷ではなく、欧米のキリスト教や古代ローマギリシアエジプト神話の神々と
天狗を習合させていたら成功しただろうね
新撰組は会津中将からもらった名前だろ
実は八重さんが狙撃した
ま、どうこねくり回しても「明治維新」に関しては、
薩長土肥公家が勝って徳川松平東北新撰組が負けた事実は変わらんからな。
その後薩肥が自爆して、土は民権で自爆して、結局長州だけがほぼ無傷とか。
まその無傷な連中も原爆とソ連に蹂躙されるげとな。
76 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:26:34.80 ID:XZ0HEDMG0
クーデターだろうけど、案外近藤や土方主導で、別に会津藩とかの
後ろ盾はいなかったのでは。
捨て駒だからな所詮新撰組は。沖田総司も別に美男じゃなかたらしいじゃん。
あえていえば不細工ゲロゲロ。最後のところまめな。
77 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:28:05.42 ID:CC7Bqs5q0
新撰組の組員が今生きていたら何やってると思う?
多分在特会みたいなのを立ち上げていたと思うな。
偽有栖川宮ってどうなったの?
80 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:34:41.99 ID:PLcAt9wW0
81 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:36:56.19 ID:54fefDnF0
芹沢鴨なんか
国民はほとんどしらん
>>76 その可能性も否定できんな
会津藩預かりという立場と浪人集団という二つの立場
幕府や会津藩としては、捨て駒として利用できるってことなんだろうが、
新選組としても、幕府の権威を都合よく利用して、独自の活動ができるってことでもあるからな
そういえば昨日の八重にの桜に佐川と一緒に斉藤が出てたな
もう藤田五郎だっけ・
85 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:40:49.26 ID:ddVISLLE0
芹沢新見は伝えられるのと少し違うだろうな。
86 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:42:19.74 ID:XZ0HEDMG0
ここまで来るとあまり興味がない。
龍馬を暗殺したのは薩摩の大久保あたりのグループだろうし。
87 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:42:24.91 ID:CC7Bqs5q0
>>80 わざと言ったんだよ馬鹿。
新撰「組」なのに何で「隊士」なんだよってな。
本来なら新撰隊だろw
>>56 木戸とか山県っていうのならわかるけど
高杉が会津てタブーっておかしくね
あの会津の魂を勝手に一人でしょい込んでる星さんも
高杉の事は結構よく書いてる
直接会津と関係してないからだろうし
松陰も会津に直接かかわってない
今、舞台だった京都が仕打ちを受けてるお!
会津の怨念こえぇ、、、
90 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:51:55.26 ID:ddVISLLE0
>>2 商家を荒らすとか幕府側のイメージダウンを狙い社会に不安を醸す工作員で
会津藩への情報スパイってところだろうな。
94 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:58:09.71 ID:Bm9j1e7DO
>>58さん>>>越えられない壁>>>あさくらゆうさん
>>84 西南戦争にも参加したし、また出番があるでしょ。
俺の中では、やっぱり斎藤はオダギリジョーなので、違和感があるけどな。
96 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 18:59:58.88 ID:HVqo1k5r0
自宅警護組局長 新杜錦
97 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:02:32.63 ID:J1E8vXzp0
桶屋のつけがたまって殺されたのが真相
98 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:05:32.50 ID:udmKK//w0
芹沢は剣の腕も度胸も教養も議論も一流で報国の名士と知られていた存在、
ツテもない無学な田舎剣客の近藤・土方らでは浪士組集団は飢えて解散
するしかなかった、京都に残留し新撰組として誕生したのは芹沢の尽力による。
それまでに死地をくぐってきた芹沢は虚無感を豪酒でまぎらわしていたが、
その姿を冷ややかに見ていた下戸の近藤・土方は、流派同門で芹沢とも
親しい永倉を外した選り抜きの刺客メンバーを…
99 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:07:49.41 ID:SI0t5c+1O
ひーじいちゃんが守護職だったけど
新撰組のことは嫌ってたらしい
(じーちゃんが言ってたそう)
下っ端の妬みなのか、会津藩全体的な雰囲気なのかは不明
で、京都人って新撰組嫌い多い
100 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:11:01.63 ID:2c/pWISz0
>>99 どう考えても、ひーじいちゃんじゃないと思う。
近藤は途中天狗になった=天狗党=水戸=芹沢派 ともいわれてるよ
芹沢にもいいとこはあったんだよ
近藤派と仲が悪いばっかりでもなかった
絵がうまかったとか、子供に人気があったとか
しかし乱暴狼藉も酷かった
でも浪士組として京へ上がる上がる途中の中山道での宿場町に火をつけたとか
京都の大和屋に大砲撃ったとかは嘘
のちの脚色
その時代にそんなことはなかった
104 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:13:33.53 ID:fKdavku+0
置屋のつけってなんだよ。遊郭のつけだろバカ。置屋はとりっぱぐれないシステムになってんの
置屋にツケとかバカすぎ
容保様本人が新選組嫌ってたってのはねーわw
守護職=容保様が下っ端ってのもねーわw
>>98 芹沢がいなかったら近藤たちは京都で野垂れ死にだろうな。
今更帰るわけにもいかんだろうし。
107 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:17:22.00 ID:f9dZdUVG0
壬生労使組
新撰組って生存率1%だったらしいけどその1%の中に永倉と斎藤がしっかり入ってるのはさすがだと思った。
京都ショバ代
雪霜に 色よく花の魁(さきがけ)て 散りても後に 匂う梅が香
芹沢の歌
かっけー
まさに散りてもあとに匂うんすよ
111 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:21:39.68 ID:/9V5abYt0
チョメチョメ
112 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:25:08.56 ID:XiAO5lpE0
113 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:28:42.52 ID:2kWnZxHIO
>>103 本気にすんなよ
匿名なんだから何にでもなれるわな。
114 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:30:05.07 ID:wP0PJ/FW0
>>87 新撰隊ならなんで局長なんだよ。本来なら新撰局だろww
新撰組を評価するのってオカズにする腐女子ぐらいのもんなのか?
116 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:32:59.68 ID:ddVISLLE0
ただの芹沢派と試衛館派の派閥争いだろう。
この頃うちの先祖は島津藩で・・・ゲフンゲフン
119 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:43:57.33 ID:6WoftSSu0
抜けようとしてたってことか?
カモル・ダクスか…
ミミキンは新見錦。
写真だけ見ると、近藤さんの写真が芹沢鴨ぽく感じる。
結局、芹沢鴨は酒のせいで早死にしたんだよな
だから僕も酒はほとんど飲まない
123 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:53:28.71 ID:ktXIaQTL0
鴨ちゃんファイアー!
鴨ちゃんキャノン!
鴨ちゃんスモースレイヤー!
125 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:54:12.51 ID:pSq1Q4lH0
>>114 当時は制度的に呼び方が決まってないから適当なのよ。
126 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:54:38.00 ID:HcAgncpf0
>>1 こいつの剣の腕前はどれくらいだったんだ。
皆伝以上の奥義クラスという話もあるのに
あっさり、やられすぎだろ。
「芹沢鴨」の名前を見るたびに
なんか旨そうだなあと感じるのは俺だけか?
>>126 寝てるとこ襲われて腕もヘッタクレもないだろう
129 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:58:36.97 ID:AKYhBW+50
芹澤鴨はああみえてれっきとした桓武平氏の末裔なんだよね。
正式名は芹澤光幹。
この諱でわかる人ならすぐわかる。
130 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 19:59:16.84 ID:HlvJj8wYO
狭いわ寝てるわ酔ってるわやった後だわ
勝てるかいな
>>127 なんで鴨なんていう名前になったんだろうな。元服した後の名だよな?
近藤としては芹沢に劣等感があったんじゃないかな
なんせ侍ごっこの試衛館連中と違って本物の武士だからね
芹沢がいたんじゃ気持ちよく侍ごっこできないよ
まあ近藤勇のひがみ、劣等感でこいつ邪魔!とか思ってぬっ殺したんだろーな。
会津藩が出てくるまでもないとはおもう。
134 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:06:44.05 ID:5klroXxP0
>>129 「○幹」ってのは鹿島氏とか真壁氏とかと近い?
135 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:07:02.97 ID:HcAgncpf0
136 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:07:30.19 ID:vhRaZp4U0
「鴨」は昔も今もコードネーム
137 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:08:40.61 ID:JC+zDium0
葱沢鴨
139 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:09:07.43 ID:AKYhBW+50
今で言えば関東連合クラスの珍走を
政府が召し抱えて治安維持に当たらせてるようなものだよな。
色街での騒ぎも多かったそうだし、男色も・・。
141 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:12:57.06 ID:t11N/ugv0
このキチガイ身内殺人集団は日本の恥だわ
日野の田舎に引き篭もってりゃ良かったのに
142 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:13:00.57 ID:aJZLYkx00
暗殺した新撰組からは、
何人死刑になったの?
>>131 ある説では、まさしく志士たちの鴨になってやろうという気構えからからとある。
144 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:13:36.80 ID:udmKK//w0
禁門の変で出動した新撰組、会津藩の物頭は持ち場はここではないと新撰組
を槍で追い払おうとして小競り合い、双方が緊迫した中で芹沢が悠然と登場。
物頭の口上をせせら笑い、鼻先に突き立てられた槍の穂先を扇子で
チョンチョンと叩き、会津藩士たちがその豪胆さに唖然とする中を隊士たちを
引き連れ押し通ったという一幕。
フィクションかとおもったら会津藩士が記録に残してるんだね。
>>132 近藤は芹沢に憧れ+劣等感があっただろうし
芹沢は近藤に、過去の真面目で真っ直ぐ信念があった自分とか感じて劣等感があったろう
芹沢鴨ってのは鴨葱にかけて自分がつけた自信の裏返しの名前だろう
芹沢は強ぇぞー
>>15 芹沢存命中には局中法度はあった。
土方が強引に作り上げた。
芹沢の腹心だった新見錦が
「士道不覚悟」で強制的に切腹させられている。
元々芹沢が暗殺されたのって、大和屋に金を借りに行って
断られたから大砲をぶっ放して、それが会津藩に知れて、
近藤と土方が密命を受けて殺したって言うのが定説だった
んだが、違ったのかね?
147 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:19:04.65 ID:NNGSVfmAO
新撰組と坂本龍馬は過大評価されている
NHKのドラマは鴨が死んでから一気に学芸会になってしまってたな
新撰組、志士連中には名門道場にしろ、無名道場にしろ
多くの免許皆伝者いるが、芹沢鴨は大相撲番付でいえば、
どのあたりだろう。小結ぐらい?
150 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:20:15.30 ID:jlJ8I1n+O
芹沢は水戸藩士だから会津から見たら扱いにくいし天狗党とも関係があったかもしれんしな。切れる時に縁切りたかったろ。
>>146 違うよ
大砲は大和屋襲撃の時にはない
司馬?か、子母澤の、のちの脚色
法度も、土方が作ったって証言とかあったっけね?
大和屋に金借りには行ってたようだけど
>>147 ただのあんちゃん達の侍ごっこと、行政がメチャクチャになった隙に、大儲けしようとした商売人だもんな。
153 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:22:29.51 ID:txx+ep540
154 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:25:49.27 ID:ttHQ/Vyh0
>>26 新美はサリン製造のオウム科学技術省だよ
新見錦のことを言いたいんだろ?
鴨は横綱でもいいと思うな
任期短かったかもしれないが
山岡鉄舟とか大横綱かな
>>150 天狗党と芹沢は深いよ
芹沢の縁故が武田耕雲斎だし、水戸藩家老で攘夷派のバイブルとも後に呼ばれた会沢正志斎にも学んでいたからな
158 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:30:05.52 ID:iVad909k0
159 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:31:10.00 ID:m9TUT/rx0
▽江戸後期〜幕末〜明治の最強剣客
平山子龍(東京都新宿区/講武実用流)
岡田十松(埼玉県久喜市/神道無念流)
岡田寄良(埼玉県幸手町/柳剛流)
寺田宗有(東京都文京区/天真一刀流)
↓
白井亨(東京都千代田区/天真白井流)
比留間与八(埼玉県日高市/甲源一刀流)
須田房之助(群馬県赤城村/法神流)
↓
高柳又四郎(東京都/戸田流)
男谷信友(東京都墨田区/直心影流)
大石進(福岡県大牟田市/大石神影流)
島田虎之助(大分県中津市/直心影流)
↓
千葉栄次郎(東京都中央区/北辰一刀流)
仏生寺弥助(富山県氷見市/神道無念流)
伊庭八郎(東京都台東区/心形刀流)
浅利義明(東京都千代田区/中西派一刀流)
↓
榊原鍵吉(東京都港区/直心影流)
山岡鉄舟(東京都墨田区/一刀正伝無刀流)
下江秀太郎(栃木県鹿沼市/北辰一刀流)
↓
門奈正(茨城県水戸市/北辰一刀流)
芹沢のイメージは手塚治虫の陽だまりの樹、土方は燃え剣、沖田今度はおーい竜馬、斎藤は悪即斬。
実際斎藤一ってどんな人物やったん?
俺も鴨は横綱だと思う
鴨の暗殺に関しては池田屋以上に緊張したらしく、
池田屋の緊張は全員捕縛したい新撰組が捕り逃す事に気を使っていたが、
鴨暗殺に関しては、返り討ちの危険を恐れていたと後に永倉翁が島田魁に話している
それを島田は覚え書きとして残していたのに10何年前に放火殺人があった時に書物の一部を燃やしてしまったんだよな
>>147 新撰組はアホの集まり。学がないから鉄砲玉で使いやすい
坂本龍馬は賢いが自分のことしか考えない守銭奴。詐欺師。
163 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:34:47.82 ID:1+bUNSQ90
「おい鴨、魚とってこいよ!」
絶対子供時代はこういう事言われてからかわれただろうな
>>160 永倉が生き残りなの栄光に思って 色々したに対して
かくしてた訳じゃないだろうけど、ひっそりと余生を送った感じ
>>163 鴨、本名ちゃうでw
>>160 漠然とした質問だなw
斎藤のフィクション教えれってこと?
166 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:38:12.95 ID:p4AKA9/F0
鴨の兄さんの子孫が病院やってる。
処方箋に「石田散薬」は書いてない・・・
足軽をバカにしてたってのは今でも残ってるよ
残ってるっていうかウチの先祖は吹けば飛ぶような
薩摩の木っ端武士だけど よく「そうはいうが
ウチは足軽(の末裔)じゃないから」 って言われてた
らしい親父が そんなんどうだっていいじゃねーかと
思うんだけどねw
斎藤と言えば、いつ死ぬか判らないからと毎日自分で褌洗濯してたってエピソードが印象的だったな
死体改められてもみっともなくないように
これはフィクションじゃなくて確か史実
169 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:42:05.95 ID:ddVISLLE0
これかなぁ
かつてはネギではなく
セリが「カモに合うもの」とされ
ていたため誹風柳多留において
「芹の上 鴨昼寝して うなされる」
と詠まれている。
生きて釈放され、ちょっと自虐な気分で付けたの鴨?
>>162 俺も伊東一派大好きの新撰組大嫌いなので言いたい事は分かるね
いくらあの徳川幕府衰退していた時期でも時流を見据えなさすぎる
当時の倒幕派は反体制の革命左翼だが、日本史に残っている中では今のところ最後の愛国左翼が勝った歴史だろうな
芹沢が読んだ句
雪霜に色よく花の魁けて散りても後に匂う梅の香
句のセンスありすぎだろ
新撰組が人気キャラになったのはかなり後になってからだからなあ
似たようなポジションの京都見廻組があまり人気ないのと対照的だけど
会津藩のエリート集団なのが雑草集団の新撰組に比べて物語性に乏しいのと
メンバーが「坂本龍馬暗殺」に関わってるのが痛いから仕方ないけど
173 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:46:28.42 ID:AKYhBW+50
>>160 プロ
生き残りの双璧と言える永倉が外連味があるのに対して斎藤一はそういうのが一切ないね。
でも、剣のプロとして生涯を全うしたようだ。
老年の斎藤一と思われる人物が、吊るした空き缶を竹刀で貫通させたという逸話が残ってる。
伊東派はねーわ
服部武雄しか愛せねーわ
175 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:46:42.19 ID:5mhjqYO0O
維新志士カッコイイ
どんな思想であれ、国を変えようとしていた姿がステキよ。
今の日本人は自己中なバカばっか
>>165 資料が少ないからってのもあるが、経歴からあまり人物が見えてこないんだよな。
個人的には寡黙で裏方やスパイに適した非常に合理的な人間なんじゃないかと思ってるんだが。
実際の剣の実力とか、信憑性の高いエピソードとかしりたいのぅ。多少フィクションでも魅力的なエピソードなら許すw
明治維新を革命と思ってるバカがいるw
生意気な鴨のごとき
この美久が愛刀葱で一刀両断
>>174 いやいやwお前それ二刀流好きなんだろ?w
伊東の実弟鈴木三樹三朗とか藤堂平助とか好人物多いぞ
ワシオもなwwww
180 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:50:22.63 ID:AKYhBW+50
>>176 警視庁で師範やってたから地味なエピソードなら結構残ってるよ。
剣に関するものばかりだけどね。
稽古しても誰も竹刀に触れることすら出来なかったらしい。
>>173 案外悪即斬の斎藤さんはイメージちかいのかもな。
ちゃっかり生き残ったりするあたり、機を見る才能もありそうだし、弱くちゃ生き残れないしな。
>>177 アホか、反国体、国家転覆した時点で革命
今のような売国左翼やバカ右翼の低レベルな革命ごっここそ偽物
明治維新は薩摩にしてみりゃ まず大和を抱き込んでコントロール
するという昔からやってみたかったことをする これと
関が原の復讐戦 これと 隼人は人につくから 魅力的な人間が
長州(と愉快な仲間藩)に多かったってところだな これだけ
こいだけでおいはうごきもす!!
>>160 後にアメリカに渡りミスター・スポックになったんだよ。
185 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:53:12.18 ID:JURZCEPl0
俺の斉藤一は今や浅田次郎の壬生義士伝と一刀斎夢禄で固まった
186 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:53:37.38 ID:sJr1IsCn0
187 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:54:05.84 ID:KoW3/pPd0
>>172 名前がかっこ悪いからの一択だろ
京都青龍隊とかだったらちがったかもよ?w
そういや、八重の桜で「別撰組」というのも出てたな。
かっこわるい。w
188 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:54:36.30 ID:ljFkCvm10
何にせよ新選組!は面白かった
今世紀最高の大河なのに異論ある奴はまずいない
>>176 斎藤の左利き説は、
大工がノミと金槌を片手ずつ持つだろ、で、ノミは左手で持つじゃないか
そこからきたシャレで、酒が強い飲み助=アイツはノミだから=アイツは左手だから=アイツは左利き
とまぁ捻ったというのを聞いて、なるほどと思った
剣豪が左利きって、まずありえないから
斎藤は会津大好きのイメージが強いんで
会津が新選組に送り込んだスパイ説ってのはなにかで否定されてたけど、フィクションならそんでもいいなって感じ
190 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:55:40.44 ID:HcAgncpf0
>>182 いや、ただの倒幕だろ。
その後の、国政における改革は
革命ともいえるが。
新撰組は、歴史にどれくらい影響を及ぼしたんだ?
もし新撰組がいなかったら、後の歴史は変化したのか?
まったく変化しない気がするが
現在、京都の土産物屋に行けば必ずと言って良いほど新撰組のグッズがある
当時は京の街を恐怖で染め上げた武力組織であるにも関わらずだ…
浅葱のダンダラ模様は畏怖と侮蔑の対象であったにもかかわらずだ…
この不思議な事象を見るにつけ俺は日本人とは武力と100%決別したわけではない
圧倒的な武力に対し憧れに似た物を持つ民族ではないかと思うのだ
戦後、父性や責任を捨てつつここまで来た日本
それでも失われないなにかが日本人の胸にあるのではないかと期待してしまうのである…
193 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:57:04.65 ID:RdAFl0LM0
佐藤浩市はよかった
西南の役には斎藤はじめ
10年たっても怨み続ける元隊士が抜刀隊として参加した
永倉翁は志願したが高齢で断られたwwwww
菜っ葉隊よりマシだと思ってたが、新撰組って名前がだざいな
その点、禁裏御陵衛士はかっこよすぎてクラクラする
>>191 池田屋事件がなければ明治維新はもう少し早くなってたとは言われてる
197 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:57:46.81 ID:NNGSVfmAO
>>191 池田屋事件がなければ維新後に活躍した人材がいたとか
新撰組とは、戦闘で殺害した人数より組織内で殺害した人数がはるかに多いDQN団。
199 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:58:33.31 ID:UtdJ2R3u0
ν速や+の歴史系スレでよく見る風景
面白い説や考察を紹介してる人に対し
小説や漫画の受け売り知識で「〜〜だろ」「〜〜じゃね?」だけ返す奴
>>180 竹刀に触れることがって、いくらなんでも盛りすぎだろうと言いたいが、いいなそういうエピソード!
突きが得意だからと脳内補完しておこう。
>>189 スパイ説いいよなぁwおれの斎藤像にしっくりくるから、個人的にはフィクションだとはおもってるが個人的史実認定してるわw
201 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:59:36.96 ID:JURZCEPl0
>>196 あれで禁門の変とか起きたりと長州が暴走するから、あれがなかったらもうちょい遅くなったんじゃないかな
新選組が人気出たのは、あのイケメン写真も貢献度高いよなー
イケメン土方、強面の近藤、美男子伝説の沖田
あれが
土方→江頭
近藤→出川哲郎
沖田→伝説のブ男
だったら、歴女も振り向いたかどうか・・・
203 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 20:59:39.83 ID:4G9RYTUj0
新撰組なんて理念も何もない単なる馬鹿の暗殺犯罪者集団
>>190 一連として考えてなんぼだと思うよ
当時の徳川幕府=政権主体=国家であった訳だから。
たまーに無知な人は「尊皇派は天皇崇拝なのだから右翼だろ」とおかしな事を言い出すのもいるけど
205 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:00:30.58 ID:HcAgncpf0
坂本龍馬は 政府紙幣発行案を唱えてた。
実際、金欠明治政府はこれで助かった。日本を救った一人
207 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:01:17.21 ID:8IpMesPU0
鴨とクレソンの鍋が食いたくなった。
>>199 多い多い
事件スレとかだとその手の流入でスレが潰れしまうのを何度も見てきた
209 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:01:51.66 ID:udmKK//w0
あの芹沢が手も足出なかった同流別門の仏性寺弥助。
芹沢からの新撰組へ幹部としての入隊要請を「俺のような読み書きもできない
風呂の釜焚きあがりを入れたんじゃあんたが恥をかくだけさ」と辞退。
同年代の千葉栄次郎や師匠筋の斉藤新太郎・歓之助兄弟も試合も稽古も
避けた化け物のような腕前ながら無学なため仕官もならず。
酒と女で身を持ち崩していたが芹沢に誘われ新撰組に参加するのを怖れた
斉藤兄弟や同門の長州人に泥酔しているところを謀殺、まるで芹沢。
>>179 二刀流も格好いいんだけど、油小路へ向かう時、服部だけが鎖帷子入りの羽織きていくぜ
他のヤツはそんなのいらない、格好悪いって拒否ったっていうのが、ばかだなって
藤堂やなんでも器用な毛内有之助ってのは気にはなるけどw
>>202 沖田だって言われてる写真見たことない?w
新撰組ってあんま良い話聞かないが何してたんだよこいつら
213 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:03:43.63 ID:KoW3/pPd0
>>195 菜っ葉隊あったなw
新撰組!見ていてあんな名前の隊が本当にあったのが笑えたわ。
>>189 左利きありえないってマジでそうなの?
型崩せそうで有利っぽいんだが。
まあ、超保守的な江戸時代だから、左利きなんて邪剣はウンコソードさんとこの逸刀流くらいしかゆるしてくれなかったのかもな。
>>196 池田屋はカスしかいないだろ。奴らが暴走して天皇誘拐したらさらにややこしくなって逆に大政奉還遅れたと思うぜ
とりあえず、お前らに聞きたいんだが…
剣の技として「牙突」強いのか!!?
顔で言うと幕末の写真は、中岡慎太郎の笑顔写真が最高だと思う
知らない人はぜひ中岡慎太郎でググってくれ
>>211 おたふくみたいな画ならあるよ
だけど新選組系のスレでは
あれは必死に否定されてしまう
219 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:05:56.78 ID:wReVxMPp0
もし芹沢を生かしておいたら、新撰組も歴史に残らなかっただろうね
新撰組が殺らなかったとしても、見廻組か会津が直接殺ってたね
死ぬべくして死んだ感じ
221 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:07:14.09 ID:HcAgncpf0
222 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:07:27.65 ID:NNGSVfmAO
立場は違えど尊皇は言うまでもない大前提
農民の侍ごっこの果てが身内同士の殺し合いだろ
224 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:08:03.05 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
文久年間に、深草の仁明天皇陵修築(実体は移設新築)してるよね。
続日本後紀は仁明天皇一代紀となっているが、その続後紀承和十五年に六世田上王なる謎めいた記載がある。
また、文徳天皇実録仁寿三年にも謎めいた六世田上王との記載がある。
そして、続後紀の記載六世田上王については、新撰姓氏録にも引用されている。
仁明天皇陵修築前の実地調査をして、朝廷に修築を訴えたのは水戸藩であるが、金を出して修築したのは薩摩藩であったと思う。
以上、俺が作ったSファイルに収録済。
225 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:08:24.09 ID:tp7AM/4C0
坂本龍馬 - Wikipedia より
坂本龍馬は維新後しばらくは注目されることのなかった存在だったが、
明治16年(1883年)に高知の『土陽新聞』に坂崎紫瀾が書いた『汗血千里の駒』が掲載され、
大評判となった事により一躍その名が知られるようになった。
明治24年(1891年)には正四位が追贈された。
次に龍馬ブームが起きるのは日露戦争時である。開戦直前の明治37年(1901年)2月6日、
皇后・美子の夢枕に龍馬が立ち、「私が海軍軍人を守護いたします」と語り、
皇后はこの人物を知らなかったが、宮内大臣田中光顕(土佐勤王党出身で陸援隊幹部だった)が、
龍馬の写真を見せたところ、皇后は間違いなくこの人物だと語った。
事の真偽のほどは定かではないが、この話が全国紙に掲載されたため、
坂本龍馬の評判が全国に広まる事となった。 日本海海戦で大勝したことで、
皇后の御意思により京都霊山護国神社に『贈正四位坂本龍馬君忠魂碑』が建立された。
新聞のスクープ?で(後の)靖国神社に合祀された幕末の偉人とか、話半分に聞かなきゃダメだろ?
ましてや身元も怪しい新撰組なんざ、芝居のネタで尾ひれがつきまくってんじゃねえか?
某国営放送が好んで扱うキャラでもある訳だし
>>221 超高速一本突きだろ?
除けられたら終わりじゃね?
>>215 松陰門下の四天王、吉田稔麿が死んだのはもったいなかった
高杉曰く、人を引き込むような眼力があり
かなりの美青年だったとか
足軽同然の身分から這い上がり
徳川家とのパイプ作りをしていた途中で死んだ
池田屋事件では長州藩と徳川家とのパイプが切れたのも痛かった
あらゆる可能性を消して
討幕という選択肢だけを残したのが池田屋だったと思う
でも、それも歴史の必然かもしれないけどね
228 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:09:46.57 ID:ngsKAq3M0
一、家族道に背くまじき事
一、家族を脱するを許さず
一、勝手に金策致すことを許さず
一、勝手に訴訟を取り扱うことを許さず
一、私闘はおもしろいのでどんどんやれ
右の条文に背く者には切腹を申し付ける
229 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:10:06.42 ID:HcAgncpf0
>>226 それが、なかなかよけられないんだ。
喉にやられたとき
まじで、のけぞった。
なんか格好いいな まあ格好いいというか実際は血なまぐさいんだが
歴史の流れを感じる
232 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:10:42.68 ID:AKYhBW+50
>>226 突きは連続技だぞ。
突きの名手の斎藤一によると、一突きで成功することは滅多になかったそうで。
だいたい三突き目で成功したらしい。
>>160 八重の桜に、昨日斉藤一が出ていたので、Wikiで調べたら、結構長生きしている。西南の役で政府側から出兵して、勲章も貰っている。
234 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:11:00.44 ID:H8grmXsLI
>>214 マナーとして、室内では刀は腰から外し、右手で鞘を持つ
右手に刀があると、一度左に持ち替えないと右手で刀が抜けない=敵意がないとのアピールになる
よって、絶対のマナー
左利きは腰に逆に刀をつけるかっていうとそんなのは聞いたことないなあ
多分幼少期にしつけられると思う
犯人はあいづだ、まづがいねぇ
237 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:11:39.07 ID:2c/pWISz0
>>223 本職の侍が単なる官僚になっちゃったんだからしょうがない。
238 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:12:01.29 ID:am1uL/gY0
幕末に日本を案じて死んでいった志士達は今の日本見て何て言うんだろうな
豊かになった身分がなくなったと喜ぶのかね?
>>229 二重の極みは本当に石を粉砕出来るなら牙凸を粉砕出来るんじゃね?
セリカモ・ザワ
新撰組も坂本龍馬も司馬が作った創作ヒーローだと気がつけ
現実は、仮面ライダーでも逮捕される犯罪者なんだよ。。
まあ出自も思想も様々な集団が剣の力1つで成り上がり
内に外に暴力闘争を繰り広げつつ
最後は病死するもの、戦死するもの、処刑されるもの、ちゃっかり転職に成功するもの
静かな晩年を迎えたという部分が
想像力をいろんな意味で掻き立てやすい・・のが人気の秘密なんだろな>新撰組
漫画だと、よく会津藩が殺すように「暗に」命令し、
それに近藤たちが政治の恐ろしさに恐怖してるよな
キチンと尊王攘夷しようとしてた証拠だな
後に粛清された伊東一派と流れ的に同じだな
>>235 なるほど日本らしいシキタリだな。ありがとう。
>>210 なるほどな、そういう見方もあるもんな
鎖帷子についても、
@どうせ死ぬときゃ死ぬしいらねタイプ
A命あってのものだ、死んだら終わりタイプ
と大雑把に分けても俺も後者に考え方は近いかな
@の場合、致命的になる分背水の陣みたいな気概は持てるかもね
毛内はすごかったらしいね
油小路の後に山崎蒸が御陵衛士の人物改め書きなるものを会津藩に送ってるんだが、
そこで毛内と藤堂だけはやけに面白い記述だった記憶があるw
毛内に関して、算術やらしてもそつなくこなすし、剣をとってもそこそこやるしで、ある時新撰組屯所の飯炊きをしていた中に入って飯まで炊いたところ、水加減からなにまで達者で女中も閉口したらしい
「毛内はんにはかないませんえ…あの御方に飯炊きされるとウチらの仕事がなくなりおすわ…」とでも愚痴ったのかなと想像すると笑える
シナチョンは 薩長にまかせた ガンバレ 官軍様
248 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:18:49.66 ID:oq0JRkhF0
芹沢いいやつだったよ。
食後にはよくガムくれたし。
249 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:18:50.00 ID:HcAgncpf0
>>239 掌底みたいなものだろ。
無理だと思う。
ところで、会津藩は佐幕だけど尊王で融和派だから
芹沢暗殺頃はこんな理由じゃ殺さないんじゃないか?
>>1 この研究者さんの精力的活動には敬意を払うが、そのホームページはきめぇw
>>248 芹沢さんは茨城も天狗党だから それはガムじゃなくて
吉原殿中やぞ
墓所には当時の芹沢を知っておるところの婆がおりまして、私が墓に参りましたのを大変に喜びまして、
まことに芹沢さんという人は良い人であったが、とんだ目におあいなすった。
あなたがお墓参りをしてさぞ本人も地下で喜ぶことであろうというようなことで、
その老婆が涙を流しました。(田尻佐(たじり・すけ)、大正11年5月
255 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:22:03.14 ID:yFdHxvkf0
>>238 政治家の志の無さとか腐敗ぶりとかは間違いなく嘆くだろ
切り捨てられても文句は言えない議員ばっか
>>213 そうそうw
俺も新撰組!で初めて知った口で、即刻調べてみれば実在していて笑ったよ
確か元をただせば長州もんも菜っ葉隊にいたらしいよ
あと余談だけど新撰組には示現流の使い手が三人ほどいて、内二人は案の定間者だった。
しかし一人は真の志で入隊した者。この人は水戸辺りの人で、調べてみると水戸には薩摩示現流の分派があったのが一因してた。
なので入隊時に永倉らから怪しまれてたんだが芹沢が同郷という事もあって土方や近藤にかけあったらしい。その後、伊東に近づいて御陵衛士に入ろうとしていたんだが、示現流の腕を恐れた新撰組側が金策かなにか理由づけして切腹させてしまった
新撰組のアンチてやはり山口あたりの人なのかな新撰組が京都に来る以前の長州の意を汲んだ不貞浪士共の乱暴狼藉ぶりは目に余るものがあるぞ
新撰組が今人気があるのはそういう不貞浪士共を命を張って取り締まって京の治安を回復させたことが評価されてるんだろ
>>242 滅びの美学が日本人の感覚に合ってるんだろうな。
義経しかり特攻隊しかり。
男には負けるとわかっていてもうんたらかんたらな名言が人気なのもよくわかる。
>>254 土方も五稜郭で「ここで降伏したら地下の近藤に合わせる顔がない」って言ってたし
天国(キリスト教)はもちろんだけど、極楽で、とかあの世でってイメージではなく、
当時は死者は地下で眠っていたんだなあって感じが面白いね
260 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:24:27.83 ID:udmKK//w0
明治の史談会で新撰組の伊東一派の生き残りが近藤・土方の固陋頑迷さをそしる
一方で幹部クラスの剣の腕前を比較していたのを覚えてる。
たしか永倉、沖田、斉藤の順じゃなかったかな。
近藤らと反目して連中だけに信用してもいいんじゃないかい。
伊東らは芹沢の死後の入隊だから芹沢の名前は出てなかった。
永倉も自分との比較はしていないが沖田の腕をほめていた筈。
永倉は近藤が家柄がいいだけで撃剣はからっきしの谷周平を養子にしたのも憤ってたね。
天然理心流を継がせるなら沖田だろと。
261 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:24:43.58 ID:wPltytEO0
自分は維新の志士より、汚れ役に徹してた新選組の方が
人として潔いと思うけどな。
自分達の目的達成のためなら、京都に火を放って一般人
巻き込むのも厭わない、それをいけない事とも思わない、
なんだかんだで美化してしまうとこが嫌やわ。
負けがわかってても、最後まで幕府側で戦った土方歳三
とか、一本筋通ってるとこがかっこいいと思うわ。
262 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:27:03.71 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
壬生寺近くの土産物屋のBBAが、俺を観光客と勘違いして、
「いらっしゃいませー!」
と声を掛けて来たから、「どっか、灰皿ないかいな?」と大阪弁で尋ねたら、
予想通りBBAの態度が豹変して「灰皿なんか無いわ!」、ぷいっと店に引っ込む京都人態度。
これで、ますます京都が嫌いになった。
263 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:27:41.37 ID:ExpIRTJWO
芹沢が組中で浮いてて出て行ってくれるんなら、
逆にラッキーだと思うんだが
もう一つひねって考えた場合あんな奴を公家の警備に送ったら
会津の恥だみたいな気持ちも分かるかも
それが会津の意志か近藤達の判断かは分からんが
>>260 原田っていただろ?槍の…
槍って剣が間合いに入れないのが強みだろ…
その史談会では原田の名前は上がらなかったのかね?
一つ 士道不覚悟、切腹よ
一つ 局を抜けたら切腹よ
一つ 無断の金策、切腹よ
一つ 訴訟を受けても切腹よ
一つ ケンカをしても切腹よ
>>15 逆に言えば、このことがあったから「局を脱するを許さず」が出来たと見ることも出来るのでは?
>>2 ウソつき安倍パチンコ下痢三自身、朝鮮統一教会の
反日糞チョンで日本人の敵じゃねーか!しね!
>>257 俺は新撰組アンチだが京都府九条の生まれですな
実家近所に東寺があり、壬生通りがあるよ
壬生通りの看板を見るたびに壬生浪ざまあと思ってしまう
269 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:29:49.36 ID:uVawmu2q0
>>257 というか新選組が一番嫌われたのは京都でだよ
京都民からのブーイングだった
意外にも禁門の変後でも京都では長州を支持する声が多く
「長州おはぎ」という毛利家の家紋をあしらったお菓子が大ヒットした
当時のポピュリズムをちゃんとドラマなり映画で表現する事がないから
この当時の歪な世論がよく伝わってない
大阪でも橋下が大人気だった頃あるけど
あれだって後からみたら歪なポピュリズムに見えるかもしれない
271 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:31:03.31 ID:TYB2dSns0
>>15 冬ならお前切腹もんだぜ
鴨肉くいたくなったじゃねぇか
河合耆三郎のエピソードが何か切なくていい
いいってゆうとアレだがw
局中法度もなー
四つだった、いや五つだった、とかはっきりしてないし
子母澤さんの創作説もあるしw
軍中法度てのが作られて、すぐに不評で隊士たちから却下されてるっぽいんだけどw
275 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:33:18.45 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
六世田上王を記載する、続日本後紀、文徳天皇実録、新撰姓氏録、いずれも京都人ども書いたんだよね。
その、京都人が新撰組なるものを抱えてしまったのは因果やなぁ。
277 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:35:10.77 ID:7TqtCzHd0
おもしろい
278 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:36:21.67 ID:MyXetod40
そういや新撰組のキッカケになった清河八郎も、
同じような理由で殺されたんだっけ?
このとき江戸に戻った連中はそのまま幕府傘下に
なったみたいだし、似たようなもんか
>>273 面白いよね
確かに、面白いって言うとアレだがwなんだけど
京都で新選組は人気なかった説も、長州寄りの人が言いだして無理に広めたてのもあるしな
長州はんも乱暴でしたえ
大石鍬次郎は駄目だけどw
考えてみれば薩摩以外はなんか悩んで歯を食いしばってあの時代を
生き抜いて駆け抜けてきた感じがするね 隼人はもっとこう暢気だけど
まあにっちもさっちもいかなくなったらしんじまえばいいかってのがあるからだろうけど
>人物史研究家、あさくらゆうさん(44)
うーん、ちょっと若いね、うん
>>218 まああれはどうみても平安朝風に古風に崩して書いたような絵だし。
確か姉が総司に似てるっていった親戚の子をモデルに想像で書かしたやつで本人じゃないし。
なんか前にテレビで沖田の顔を再現ってやってたけど、TOKIOの山口?みたいな
丸顔で愛嬌があって可愛い悪戯がきんちょ坊主?みたいな感じの顔だったよ。
>>279 長州おはぎに関しては面白い話があって
京都でこのお菓子が大ヒットしたのだが
長州おはぎを買う時の決まり文句があって
客「負けてくれ」
店主「(長州藩は)負けません」
っていうやり取りが行われて、その面白さからか
民衆の長州支持がさらに強まったらしい
そしてこの仕掛け自体を長州藩がやったのではないかって言ってる人もいる
もしそうならば電通も真っ青だおw
高々150年前のこともハッキリ分からないんだな
歴史ってのは中々難しいもんだね
京都生まれの新撰組アンチだが、身内や周りには新撰組アンチ少なかったけどな…
なぜか坂本龍馬が人気だったのと、長州会津双方に差もなく親しみ的だった
だがこれだけは言えるが、イイナオスケに対してはすっごく毛嫌いしてた
>>259 名前:名無しさん@13周年[sage] 投稿日:2013/09/16(月) 21:24:08.93 ID:5Bj2BehJ0 [14/16]
>土方も五稜郭で「ここで降伏したら地下の近藤に合わせる顔がない」って言ってたし
えっ?????
言ってた?
言ってた??
言ってたの??????
>天国(キリスト教)はもちろんだけど、極楽で、とかあの世でってイメージではなく、
>当時は死者は地下で眠っていたんだなあって感じが面白いね
えっ????????????
仏教・・・・・・あれ?
えっ???????????????
あれ?????????
>>270 >禁門の変後でも京都では長州を支持する声が多く
それは無い
京で長州が人気とか無いから
全て後付けの設定
288 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:43:45.66 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
薩摩義士なるものが、薩人や他の日本人にも知られるようになったのは、明治になってから。
対幕開戦寸前の藩内を抑えた平田靭負の功績や、異國で切腹して果てた藩士のことは、
薩摩藩ではトップシークレットで藩主周辺しか知り得ない、歴史の闇だった。
>>283 どこまでホントか判らんけど、高杉とかが考えてたら似合うな
さすがウマイってかんじで
金用意するのが得意な井上聞多あたりでも楽しいけどな
290 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:44:52.59 ID:l5MEJbEk0
内ゲバ鴨かも
291 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:46:14.99 ID:tp7AM/4C0
坂本龍馬忠魂碑
http://www.city.kyoto.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/hi144.html 明治37(1904)年2月の日露戦争開戦直前,
明治天皇皇后(のちの昭憲皇太后)の夢に坂本龍馬が現れ,
日本海軍の勝利は確実だと告げた。皇后はこの夢を坂本の忠魂のなせるものだと,
誉めたたえ,偶然に坂本の手紙を持って逓信大臣大浦兼武を訪れた寺田伊助
(寺田屋とせ養子)らに手元金を下賜した。
寺田伊助らはこの記念に霊山にある坂本龍馬の墓前に石碑を建立し,
坂本の忠義を顕彰した。それがこの忠魂碑である。
なお伏見区寺田屋の東隣に同時期に作られたと思われるこの碑の複製がある。
寺田屋とか、これ見りゃ解るだろうが?
292 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:47:08.62 ID:TYB2dSns0
>>285 天誅組の評価って、京都人の間ではどうだったん?
犬死?
先駆け?
293 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:47:25.51 ID:AKYhBW+50
>>284 現代の事だってわからない事多いんだから。
自分自身の事だってわかってるようでわからない。
自分の立場から見た自分の事はわかるが、他者から見た自分は絶対にわからないように出来てるからね。
歴史というのは事実の集積のようだけど、実際はほとんどが物語なんだよ。
それは真実でないと言っているわけじゃないんだけど、理系で言うところの真実とは違うんだね。
294 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:47:58.32 ID:uVawmu2q0
>>138 たかだか150年前のことなんだな。曾爺さんもありえるんじゃ?
>>171 句じゃなくて和歌
「岩下志麻の次男として生まれる」は「大河ドラマ最大の死亡フラグ」として局地(大河板・スカパー時専実況)的に有名だが、
「佐藤浩市が上洛する」もそれに匹敵する死亡フラグ。
>>293 面白いのは歴史はともかく士道(ってほど高級じゃないが)みたいなのが自分ち残ってて んで
そういうの聞いて歴史の物語でも資料をやさしく解説したものでも読んだり聞くとマジで
面白い なんでこんなトンチカンなことを当時の人がしたんだろとか予想できる 本当かどうかは
わかんないけどね
新撰組の主な戦歴
池田屋事件
禁門の変
ぜんざい屋事件
三条制札事件
油小路事件
天満屋事件
戊辰戦争
(鳥羽・伏見の戦い)
(甲州勝沼の戦い)
(宇都宮城の戦い)
(会津戦争)
(白河口の戦い)
(母成峠の戦い)
(宮古湾海戦)
(箱館戦争)
(二股口の戦い)
298 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:50:45.29 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
関ヶ原敗走以来、薩摩は常に対幕戦準備を強いられた。
そういった長い歴史の積み重ねのなかのひとつである宝暦治水工事。島津家の幕末史は、薩摩義士から始まっている。
とりあえず新選組ってなによ?て人は
黒鉄ヒロシの「新選組」読むといいよ
史実をもとにした検証・想像・短編で、漫画漫画してない絵で読みやすいし判りやすい
文庫であるから
300 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:54:08.20 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
東海道を下る佐藤浩市の、曽我どんの傘焼きはおもしろかったな。
302 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:55:24.80 ID:tp7AM/4C0
京都霊山護国神社
8月15日 みたま祭・英霊感謝祭並びに戦友物故者慰霊祭斎行
http://www.gokoku.or.jp/06/4101.html 昭和の大戦が終わり61年を迎える今夏8月15日、近年の傾向として、
夏が近づくにつれ靖国神社を取りまく種々の問題がマスコミで取沙汰されるなか、
午前7時、小泉総理大臣の靖国神社参拝の一報が流れるや、
当社にも開門と同時に多くの参拝者が訪れ、
その数は終戦60年を迎えた昨夏をも上回る人出で終日賑わいを見せた。
終戦記念日正午の戦没者追悼式典には、崇敬者はもとより、
一般参拝者も多数参列し、 玉音放送を拝殿にて一同拝受の後、
今日の平和の礎となられた在天の英霊をはじめ、
戦禍に斃れられた方々に黙祷を捧げ閉式となった。
…
この期間は、霊山墳墓も夏期夜間拝観が開催され、
清水の舞台よりも標高の高い坂本龍馬墓前展望台、
休憩所の各所から、洛中の夜景や大文字の送り火を楽しむことができます。
304 :
家政夫のブタ:2013/09/16(月) 21:59:01.82 ID:lhaZ3eU90
会津が新撰組をコントロールしていたのなら坂本竜馬を暗殺したのも会津だな。
竜馬好きだから、聴衆は会津藩を懲らしめてよし。俺が許す。w
305 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 21:59:26.80 ID:jlJ8I1n+O
なんちゅーか、幕末の佐幕派と尊皇派の対立って今の2chでの罵り合いと大差ない様な。相手を売国奴認定して叩き合い、やってる内にどんどん思想が過激な方向へ。
違うとこは幕末では本気で血を見る事態になる所か。
308 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:00:21.22 ID:NQ6GEd410
芹沢はともかく新見ってとばっちりじゃね?
>>304 龍馬暗殺は今では京都見回り組の仕業というのが有力じゃなかった?
>>292 俺の周りには犬死だったと同情論が多かった
そこそこの人数が集まったのだし、時期が成るまでどこかと合流すべきという論調かな
芹沢ってガンダムで例えるとギャンみたいな感じ。
312 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:02:40.11 ID:cIDcOp9eO
カモ先生?
>>304 赤報隊の仕業らしいね
つってもアカピーを脅したのとは別だがw
「歳ィ、どうするべえ?」
「近藤さん、斬る以外にないよ。これはあんたの新撰組だ」
「しかし、芹沢を無断で斬ればさすがに会津公が……」
「会津中将からは、すでに御内意を得ているよ」
「歳、おめえいつの間に……」
315 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:03:51.57 ID:6d1iv9AM0
>>257 京都の人って長らく新撰組嫌ってる人が多かったんじゃなかったっけ?
司馬遼太郎とかも京都だから新撰組についてあまり良い印象での作品はないよね。
竜馬暗殺は薩長の仕業説もあるからなああくまで武力討幕に反対だった竜馬が邪魔になったとか
>>1 スレタイ訂正願います
【歴史】新選組・芹沢鴨暗殺に新説…芹沢の無断行動が会津藩の怒りを買った!…かも?
319 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:05:43.58 ID:wP0PJ/FW0
龍馬暗殺は説も何も殺った見廻組隊士本人の自供があるのに何で謎にするんだと
320 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:06:12.45 ID:Wap9IS+KO
>>304 龍馬好きはこの浅はかさだからww
福山の真似でもしてオナニーしてろバカ
とりあえず新選組ってなによ?て人は
銀河烈風バクシンガーを観るといいよ
割と史実に忠実だからw
>>319 ワシが育てた
みたいに手柄自慢する奴はいつの時代でもいるから
一応疑ってかかってるのではないかと
323 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:08:33.39 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
薩摩が坂本竜馬を殺すメリットなんか無いよ。
ほんとうに殺す気があったなら、藩邸内で殺し埋めて、知らんて言うか、
薩摩國に向かう船内で殺して、大坂湾に棄てる。
>>319 しかも龍馬に斬り付けたのは桂早之助で小太刀も
霊山資料館にある。
今井信郎は中岡に反撃されて手傷を負っているしね。
まあ完璧謎なら 「龍馬と中岡がケンカしてああなった」説が
盛り上がってもよさそうだからな
新撰組最後の隊士は1938年まで生きていたからなあ〈池田七三郎)
どんな気持ちで満州事変とか2・26事件を見たんだろう
327 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:10:33.58 ID:JTiJC5WbP
や♪み♪に♪か〜くれて♪い♪き♪る♪俺たちゃ
329 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:13:42.39 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
桑名で、借金のかたに切腹した平田靭負の死体を伏見薩摩藩邸まで運んで、
藩邸内で病死しましたと幕府に届けて、明治維新まで隠し通す薩摩藩やで。
京都の町なかで、坂本竜馬を暗殺するわけがない。
>>175 いや、新撰組も志士もみんな自己中なんだが。
市井の人から見れば、ネトウヨとブサヨみたいなもんだわ。
龍馬を斬った今井って、のちに優遇されてたりするんだよね
>>326 刺身すっげ
332 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:17:34.48 ID:tp7AM/4C0
浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺
会津藩と黒谷と新選組
http://www.kurodani.jp/roots/ また、會津墓地西側の西雲院庫裡前には「侠客 會津小鉄」の墓がある。
會津小鉄は本名上阪(こうさか)仙吉といい、
會津藩松平容保が京都守護職在職中は表の家業は口入れ屋として、
裏は、新選組の密偵として大活躍をした。しかしながら、
會津藩が鳥羽伏見の戦いで賊軍の汚名を着せられ
戦死者の遺体が鳥羽伏見の路上に放置されていたのを子分二百余名を動員し、
迫害も恐れず収容し近くの寺で荼毘に付し回向供養したという。
「八重」には「會津小鉄」出てくんの?
薩摩(の一部)の武士道だけど 残ってる感じだと「見栄」これが強烈に大事
あと「恥を怖れる」この二つが武士道を構築してる マジで
人斬り抜刀斎 緋村剣心のモデルになった河上 彦斎(かわかみ げんさいもまた謎なんだよな…
佐久間象山を斬ったのは確実だが新撰組とやりあったなかは不明だし…
剣は我流で、片手抜刀の達人(片膝が地面に着くほど低い姿勢からの逆袈裟斬り)であったと伝えられている。
http://i.imgur.com/eqQXak6.jpg
335 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:21:01.94 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
夜な夜な堤防が壊されるから、薩人が二、三人で見回ると、
幕府の役人が人夫を使って堤防をぶっ壊してやがる。
幕府に刃向かうわけにもいかず、薩人はその場で、きゃあああああ!と切腹するんや。
そして、平田靭負は、藩と幕府に、なんの太郎兵衛、夜回り中に腰の物による怪我で死亡と書いて届け出る。
壮絶やろ、薩摩義士って。
>>322 そういう見方が多いよね、俺もそう感じてる
てか、見廻組の今井が死の直前に打ち明けたという昔の新聞を本で読んだ
この本のタイトル忘れてしまったが誰か見たことある人いる?
布団の上に今井が起き上がっていて、女中みたいな人が介護している写真だったが
ここでやまなみさんが倍返しだ
338 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:22:07.86 ID:TYB2dSns0
>>310 なるほど、ありがとう
天誅組は担いだ神輿が軽すぎたのかなと思うし時期も早過ぎたとも思う
150周年なのに目立たないとも感じる
戦前にいささか利用された感があるから戦後は意識的に敬遠されているのかも
339 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:22:48.13 ID:EIJv58pc0
芹沢鴨といえば、遠藤太津朗
>>326 昔買った新撰組の本に全隊士の名前が載った図がついてるんだが、結構いるんだよな
昭和も生きてた人がちらほらいてすごいなと思ったよ
341 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:25:11.37 ID:IFHKr1gi0
>>319 今井の供述と暗殺時の状況に食い違いがあって、谷干城が偽者認定したんじゃなかった?
>>335 それは隼人お得意の幕府に対するあてつけの腹詰めだな
しんじまうことで状況を打開しようとする薩人の得意技だ
ただし一回しか使えないのがたまに瑕だ
芹澤って名字かっこいいよな。
悪い奴居ないし。
344 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:27:32.04 ID:aJZLYkx00
芹沢九段というのも、晩年大暴れした。
345 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:27:45.54 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
薩摩義士って歌舞伎でやったら、凄く面白いと思う。
でも、まあ、歌舞伎は江戸もので、大樹様々やから無理やろな。
毎年梅雨にやる薩摩義士慰霊祭は、島津宗家が参加するビッグイベントやで。
>>341 その本にもそう書いてた。
今井が真犯人だと名乗り出たところを当時の憲兵みたいな奴が数名、病床に臥せる今井の枕元で必死に聞き取っていたらしい。
しかし、供述内容に辻褄があわないところが多く断定できないまま今井は亡くなったらしいね
347 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:30:08.27 ID:jlJ8I1n+O
>>334 てか、人斬りとあだ名された志士でその行状が割と明らかなのは岡田以蔵くらいじゃね?
田中新兵衞も河上彦斎も中村半次郎も実際の犯行は明らかでない。河上の象山斬殺くらいで。
暗殺者としたら取り調べでぺらぺらしゃべった以蔵の方が問題ありだろうけど。
>>144 文久3年9月16日になくなった芹沢鴨の幽霊が
元治元年7月19日に出てきた記録?
>>344 実力が有りながら、不遇だったのも似ているな。
350 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:32:08.25 ID:O1HOUGoEO
お願いだから新選組!再放送やって
351 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:33:28.45 ID:m5dRwUFwO
(-_-;)y-~
キチガイ沖田やってた人が、
普通人山南さんとか、おもしろかったな。
薩摩隼人のトンチンカンさを知るには 一番のおすすめは
川崎ムネノリだと思う すげぇ隼人っぽい行動が
歴史群像シリーズ31血誠 新撰組 峻烈壬生浪士の忠と斬 1165円
これおすすめするよ、小2の頃に御年玉はたいて壬生通りにある本屋で買ったんだが、今読んでも詳しい。
オクや古本屋で買うなら付録の全隊士一覧図がついてから確認すべし
四親王家
355 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:36:56.87 ID:aJZLYkx00
竜馬と新撰組って
接点あったの?
358 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:44:29.37 ID:m5dRwUFwO
水戸天狗党と諸生党
諸生党が敗走中立ち寄った家々(地主)を放火していった天狗党
これが事実なら芹沢の行動は個人の思想としては筋が通ってることになるか、
後の伊東派分裂の時と事情が一緒ってことにもなるし。
組織の論理としては別かもしれないけど。
諸生党と天狗党に家が関わっていない連中は単なる火付け強盗の天狗党を理想主義者のように妄想するんだな
362 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:52:55.05 ID:YYs75XdF0
実は宮家から鴨への依頼があったんだけど、宮家が会津を恐れていきなり鴨達が来たことにしたとか、いろいろ想像付くけど。
ちなみにこの本は初回生産版買おう
全隊士の生年月日、没年、逸話、現存している顔写真もしくは錦絵、墓地の場所が載ってる
こういう感じ↓
斎藤一諾斎(さいとう・いちだくさい)
生 文化10年(1813)月日不明
没 明治7年 (1874)12月18日
幕臣鈴木伴次郎重斯の次男。名は秀全。父伴次郎は西丸御徒士頭山佐門組の組頭で、文政6年4月22日(1823年6月1日)西丸で起こった殿中五人斬りの松平外記事件に遭遇。取扱いが行き届いていたとしてほめられる。
6歳で今戸潮江院の斎藤和尚の養子。
29歳で潮江院住職。今戸慶養寺から山梨強瀬村の全福寺を歴任。勝沼の戦いに協力。上野の彰義隊に参じた後、新撰組に加盟。野州から会津と転戦。仙台に残留した。
墓は八王子市堀之内曹洞宗保井寺。
八王子市大塚の御手観音と俗称される清境寺の境内な顕彰碑がある。
なんでチョイスが一諾斎なんだw
幕末好きだけど、一番好きなのは実は近藤勇だ
365 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 22:59:46.26 ID:1VC01VqA0
俺の祖先の親族は青松葉事件で問答無用で殺されたぜ。
容保の兄弟の慶勝、しかも親藩で佐幕派の御付を殺すとか。
それもこれも全部薩長のせいだな。
大体、独断で行動したのになんで「松平肥後守守護職会津中将御預リ壬生村寓居浪士」と宮が日記に書くんですか。
芹沢がそう名乗り、宮側もそう認定したから記されているのでしょう。
これは会津側に無断でもない、公式の行動だということです。非公式の独断行動なら、こうは記しませんよ。
大谷良介という隊士も面白い
生 天保7年(1836)月日不明
没 元治2年3月4日(1865年3月30日)
(略)
死因をはじめ大谷の実績は皆無に等しいものの、家族の者が呼び出され、壬生の屯所へ出掛けたところ、たった今、切腹したと云われた。
大谷の家と背中合わせのように天誅組・田中楠之助の家がある。竹馬の友が、新撰組と天誅組に奔った溝に、事件の影があったのではないかと当時囁かれていた。
368 :
名無しさん@13周年:2013/09/16(月) 23:02:09.16 ID:m5dRwUFwO
芹沢を暗殺して千両払われたという話もおかしい。
千両といえば当時相当な大金ですよ。常識で考えたらわかる話を、新選組を基準にして考えるから分からなくなるのです。
時期的に別勅使辞退の謝礼金と考えた方が妥当でしょう。
それに十六日暗殺説はまだ確定してませんよ。十八日説も依然として強いです。墓石にはそう刻まれているのですから。
坂本龍馬暗殺疑惑関連ではこんな隊士も
横倉甚五郎 (よこくら・じんごろう)
生 天保5年(1834)月日不明
没 明治3年8月15日(1870年9月10日)
武州八王子在堀之内の産。天然理心流近藤の門下で、新撰組加入は伊東甲子太郎らと一緒。
慶応3年の幕府召し抱えにも名を連ねる。伊東甲子太郎要撃の油小路の変では、大石鍬次郎とともに、刺客の一員といわれる。
甲州勝沼の敗退後、五兵衛新田の金子健十郎邸に屯集。
流山の後、各地に転戦して、函館では新撰組3分隊嚮導役。弁天台場で降伏後、東京辰ノ口兵部省糺問所に留置され、坂本龍馬殺害事件の取り調べを受ける最中、病を発して亡くなった。
一説に、油小路事件に関わったために処刑されたとも伝えられる。
この人自体は関わってないんだろうが、当時は片っ端から新撰組に属していた者に尋問していたんだろうな
薩摩説が真ならこれまた滑稽な白々しさを覚えるが
>>357 ホモじゃなか! しかしノーマルでもなかよ!
ちぇすとー ちぇすとー
>>364 なんとなく目についたのがこの人だったw
数千人載ってるからこの本おすすめするよ、クオリティが高杉晋作
>>257 新撰組が人気あるのは負けた側だからでしょ
ハンセンびいきっちゅうやっちゃね
376 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 00:21:02.15 ID:pbHeRc9h0
新撰組とか、大河級バカが面白がって語ってりゃいいんだよ
実際、金王朝の伝説が国営放送で流されたのと大差無いのにw
新撰組とか百姓の侍ごっこだろ
378 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 00:38:45.03 ID:EAAnXSXLO
379 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 00:43:26.80 ID:62MO91kQ0
鴨が禰宜しょってやってきた
>>378 それをいうなら判官贔屓だと思われとマジレス
381 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 00:46:02.32 ID:f7s3uToU0
ハンセンじゃなくて、
アウスザッツと言いなさい
382 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 00:51:25.23 ID:6qNH06b50
漫画のアサギロっておもしろいよね
早く続きが読みたい
383 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 00:51:52.28 ID:P/VIq7GDO
こんなのより武田騎馬軍団がポニーみたいな馬に乗ってきて馬降りて戦ってたって聞いたのがショックだった
>>375 ハンセン病患者のように社会の偏見にさらされ迫害されている人に対する同情心のことか?
ハンセン病(藾病)をバカにしているやついないか
386 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 00:56:46.04 ID:icE4rbT30
>>56 安倍総理の遠祖は豪族の奥州安倍氏という説(平泉の奥州藤原氏は奥州安倍氏の末裔)があるのだが・・・・
もしも会津でそう思われているなら、長州に住んでいただけで長州扱いは酷いのでは?
鴨って相撲取りの件では一応お手柄じゃね?
あの事件のおかげで、相撲の興行という資金源ができたんだし。
小説や映画ドラマで、新撰組ほど、善悪両方で描かれる組織はないな。
ゴジラみたいなもんかw
>>387 今日のお前は輝いてるよ
大坂力士無差別殺人事件は芹沢容疑者のお手柄だと俺も思う
>>386 萩市が会津若松市に友好都市の提携を持ちかけて、
会津若松から、ふざくんな氏ね!!って言われたの知らない?
そんくらい恨み骨髄に達しているらしい。
新選組って歴史的に何か意味があったの?
>>386 東京生まれの東京育ちだけど、山口出身っていってるんだから、
自他ともに認める長州人じゃないのか?
それは別にしても、東北人的にはどうなのかな?
東日流外三郡誌の広告に利用されたようなものだからな
東北人はもちろん安倍ちゃん本人も思い出したくないんじゃないか?
>>390 だから、福島県民の皆さんは今度のオリンピック招致成功にも
あまり良い顔をしないのかねぇ?
394 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 03:10:39.97 ID:1ysxD5YH0
安倍氏は母親方だろうけど、戦前の外務大臣松岡とか井上馨だったように
思う。
>>390 やっぱりそういうのあるんだな
俺が聞いた話では会津若松の男が山口の女性を嫁に貰うと言ったところ、親や親戚までぶちきれて駆け落ちしたってのは有名だった。
話は変わるが「維新の嵐」という良作ゲームをする度に会津と桑名は徹底的に潰すよ
無血開城?No!Shut up stupid bastard! !
剣術道場で200まで高めて近藤、土方、沖田、永倉を血祭りがいつもの楽しみ。
396 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 03:29:46.93 ID:YSmMz1BCO
>>388 秩序の正義と描けば善
単なる幕府の秘密警察だと思えば、ルーマニアやイラクが抱えてたソレと同じ
結局はそれだけの話
貴族院の息子が
キチガイデイケアにおったでw
>>196 あれで倒幕側が動いたので、逆に明治維新が早まったという見方もある
まあ、あの時代は、色んな薬品がチャンポンされて
急激に未知の連鎖反応起こしてるみたいな状況なので
結局「○○事件が無ければ(orあれば)」を語ってみても
どういう結果になったかは分からんよ
>>1 >あさくらゆう
こいつ新しい資料で新説を唱えて名を残したいだけだろ。
>>319 明治になってからの自慢話みたいなもんだろ。
龍馬を斬れる程の人物は中村半次郎しかいなかったという説もある。
伊東先生万歳!
役職付けに困ったところ、No.3的位置づけとして参謀を持ってきたセンスはすごかった。
参謀って裏で操るイメージあるので、伊東先生にピッタリ。
斎藤一は頭悪すぎる
龍馬と新撰組は美化されすぎだな
好きだけども
>>391 溺れた犬を棒でたたく民族とは違う
道徳観である事を証明できるw
斬った志士より粛清した隊士の方が多い件について
>>399 そういう人ですから。前も谷右京が壬生浪士にいたという記事を公表して批判され、意地でもそういうことにしたいらしい。
他人を批判される事はご立派なようですが、実態はご自身の利害で歴史をねじ曲げることがお好きなようです。
あとこの報道は市の利害とも強く結びついてる感じでどうも怪しいですね。芹沢鴨という英雄がいたことにしたいらしい。
これがほんとに個人のためを思っての行為でしょうか。
よく考えると「鴨」ってすごい名前だねぇ
暗殺するくらいなら、権力闘争ではなく不祥事だろうな。
権力闘争で暗殺なんてしていたら、集団の結束を保てないじゃん。
>>1 近藤勇「そうそうアイツが悪いニダ!あっ!」
>>408 不祥事なら暗殺じゃなくてもいいんじゃね?公然と沙汰すればいい
それをやるような集団だったし、時代だったんだろう
411 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 19:57:07.99 ID:50r5OMVGO
よくわからん連中だわ
412 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 20:28:10.92 ID:pbHeRc9h0
413 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 20:35:00.60 ID:zkFP2cpj0
>>407 大河では 「またえらく風流なお名前どすなぁ・・・。」って言ってた様な・・・。
わたしは三男さんと沖田の最後のエピが好きですねぇ。あれは実話なのかな?
鴨は良い話一個も無いからどうでもいいやw
三男さんは、土方と反りが合わなかった説もあるけど、実は割と仲良かった説が主流なんだっけ。
415 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 21:26:38.76 ID:7F8rNt7/0
有栖川宮親子は単純に攘夷派【つまり尊皇攘夷運動を推進した長州藩シンパの宮家 】と決めつけるのは勇み足では?確かに有栖川宮は攘夷を訴えましたが、それは孝 明帝が攘夷だからです。
天皇の意思こそが重要なのです。有栖川宮は確かに長州藩 には近い人だったが、三条実美のように露骨に帝へ圧力を加えるような真似はしな かった。
これは京都政局の主導権を握り【孝明帝に自派の求める方向の勅命を出させた】長 州藩、三条実美とは立場が違う。【孝明帝が要求する道筋、即ち幕府に攘夷を実行 させる】ことが有栖川宮にとって重要な訳です。
ただ幕府は【孝明帝の信頼を繋ぎ とめるために、やる気はないが攘夷を将来的にやります】と約束している。ここが ポイントです。
単純に攘夷派、公武合体派でくくれない状況が文久三年8月18日の政変により起 きた訳です。
クーデタの筋書きを書いたのは薩摩藩でした。薩摩藩は公武合体派ですが【天皇の 勅命を幕府が奉じて、その体制内で諸藩が国政に関わる仕組み】を欲しました。当 然に薩摩藩の思惑に状況は従うはず、だった。
幕府は攘夷をする気がない。これは 薩摩にとって有効な武器になります。より攘夷を強く訴えれば天皇の権威の下に将 軍を閉じ込められるし諸藩も同意する、しかし実際には【薩摩藩が孝明帝に己が要 求する勅命を出させる】
つまり長州が薩摩 に変わったに過ぎない状況である。
実際には薩摩は孝明帝の発言をオウム返しするだけで、攘夷を訴える必要すらなか った。幕府は世論と孝明帝からの圧力により踊りまくるしかなかった。
勿論、我々 は一橋慶喜というtricksterが、このアングルをぶち壊した点は知っているが、薩摩 の筋書きはある時期まで完璧だった。
416 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 21:30:53.76 ID:7F8rNt7/0
こうした幕府と薩摩がテーブルの下で蹴り合う状況で有栖川宮が幕府に働きかけた らどうなるか。会津藩は薩摩藩のため にクーデタに参加したのではない。
【孝明 帝が幕府との公武一和を推進して国政を 幕府へ任せてもらう】ために動いた。こ こで【偏執的教条主義者、トロツキストの 有栖川宮がシャシャリでれば】朝廷内 部の長州シンパの公卿(大原重徳あたり)が薩 摩と組んでおかしな話になりかねない 。
要するに二条斉敬、中川宮以外は要らないというのが松平容保、一橋慶喜の結論。 僕たちのためにラジカルな運動は要らない。ある時期の長州力みたいなもんです。 毛穴から嫌らし い臭いが出てくる。
これに対して【本気で攘夷をやるべきだと】考えていた日本の国民【国民ですよ。 国体が毀損されて怒らない奴は国民じゃない。
運動は1864で衰退しますが依然と して攘夷熱は消えていません】は(容保、ショッパイぞ。慶喜、引 っ込め)となるの が自然なわけで、攘夷グルーピーの芹沢鴨くんもリングサイドから上ろうとして長 州に蹴 り倒された。
こんな風に見ています。つまり観客とレスラーは見ている方向が違うわけで、観客 はストーリー(攘夷)を求めてアジっているけど、レスラーは「これ終わったら金星 いくか?」「イイッスネ」なんて会話を交わしている。
前座レスラーの芹沢鴨くん はプロなのに観客のアジに乗せられてリングに上がろうとしたが顔じゃねえよ、と いなされた。それだけです。
417 :
名無しさん@13周年:2013/09/17(火) 22:10:29.45 ID:f7s3uToU0
暴力三男?
土方は役者のようなイケメンとか沖田は子供好きの好青年といった
貴重な証言を残した八木家の少年は鴨さんについては何も語ってないの?
こういう説がこれまで表沙汰にならなかったのは、会津が新撰組に出した指図はすべて、会津藩役人による私的なこととされていたからだ。
プライベートアイズ。なんちゃって。
局長:近藤勇 最強とはあまり言われない。でも隊内では一番人気はあった(んだろう)。
副長:土方歳三 最強と言われることもある。(新撰組として)一番最後まで闘った。
一番隊隊長:沖田総司 もっぱら最強と言われる。一番モテた。(否定説も)
二番隊隊長:永倉新八 最強と言われないこともなくはない。一番キャラ立ちしてない。
三番隊隊長:斎藤一 最強と言われることも少なくない。一番長く生きた。
>>192 「血風、山口組○代目」とか「殺しの軍団」とかやくざ実録物は好きな人は好きだからな。
422 :
名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 04:40:51.62 ID:j/tBohwF0
ずっと後から入隊した無名の平隊士が、沖田などよりも弱いとは限らないよな。
むしろ強かったのかもしれない。
そんな隊士はどういった態度をとるかと言ったらだいたい想像がつくだろう。
オリジナルメンバーが舐められないためには厳しい法度で縛り付ける必要がある。
423 :
名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 04:52:16.88 ID:FoyDY4fgO
全ては坂本龍馬と同じ。フリーメーソンだったに過ぎない。薩長同盟がフリーメーソンの指示だったように
芹沢も一味だろう。幕末の有名な志士たち(坂本龍馬含む)が20人くらいグラバーと一緒に撮った写真がある
トーマスグラバーは言わずとしれた坂本龍馬が一番親しくしてた武器商人だが
グラバー邸こそフリーメーソンの日本支部だからな(笑)大政奉還もフリーメーソンの指示
幕末はフリーメーソンに動かされてただけ。それに気付いた愛国者が売国奴たちを葬ったのだろう。
まぁ今でもルーピーみたいな隠れフリーメーソンはたくさんいるんだがな。
424 :
名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 05:00:50.52 ID:Obe1/jiY0
芹沢鴨 本名はどんな名前だったんだろう
カモミール芹沢。
>>424 マジレスしていいなら鉄之助
ネタでいいなら中川宮朝彦親王
427 :
名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 09:22:25.62 ID:CMUeOHHs0
新説をひねくりだすには、発想の飛躍と冒険が必要なわけだけど
これはちょっとな
攘夷思想は日本の大主流で当の会津藩(京都所司代)自体も
攘夷派、鴨一派も強奪に近いやり方で軍資金をため込んでいた
であろうから、所司代としては「この者ども所司代とは無関係」
とか放逐してしまえばいいだけの話
もっともこの時代松平容保は京の募集浪士になど関心はないので
藩が関係せず、現地責任者と近藤の間に示唆があった上の
行動であった可能性は大きい
428 :
名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 09:27:56.45 ID:Vquhx7sR0
>>419 あさくらゆうのブログ
>ちなみに「何故、いままでの新選組研究家は…」みたいなことを問われますが、今回は有栖川宮家日記の公開が平成18年であり、
>それらを補強する点在する史料類も平成に多いことや、一番新しいもの(目録検索できるものという意味)今年の3月ですので、
>仕方ないことかと存じます。
429 :
名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 09:36:37.23 ID:R2P7I8fW0
元祖、伊東甲子太郎じゃんw 結局近藤一派とそれ以外の派閥はムリだったんだろうな。
沖田が肺結核ならほかの隊士に感染しないのか?マスクもせずしょっちゅう咳き込んで
血を吐きながら斬り合いしてたのに。
それとも顔全体覆うマスクをしてたから「美形」という伝説が生まれたのか(シャアみたいに)
431 :
名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 10:30:52.62 ID:Vquhx7sR0
鉄扇の人か
>>192 京都の893は新撰組生き残りと称してる
会津小鉄って聞いたことない?
>>395 容保公のご子息が山口の女と結婚しているのにな。
>>391 京都市街における大規模テロを未然に防いだ件は?
>>435 不逞浪士の京都大火計画は新撰組のでっち上げ説が有力。
438 :
名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 20:21:28.71 ID:NAYuwzws0
島田魁がどのくらいでかかったのか気になるw
神道無念流で永倉だけ生き残ったんだっけ(会津では別行動だったけど)
439 :
名無しさん@13周年:2013/09/18(水) 20:25:33.04 ID:HwKymQ190
>>11 あの大河は佐藤以外の周りが下手糞すぎて佐藤だけが浮いてたな。
新見錦役もよかったが。
あ、ていうかこれあれですね。「文久浪士報国記事」文久三年六月頃にの大原卿が東下するから横浜で云々とかいう。今原本がないので引用出来ませんが。
大原卿の東下は前年のことなのでおかしな話だなと思ってましたが、よく考えたら有栖川宮の副使は大原重徳でした。
永倉は九月と六月を間違えてしまったのでしょう。その件に関してはちゃんと永倉が記していて、新選組ファンにもよく知られている事実です。
特にそれで問題になった、芹沢暗殺に繋がったというような記述もないので、恐らく公的なものだったのでしょう。ということで、芹沢鴨の独断行動だという説は間違い、という事になりますね。
補則すると、大原は文久二年の六月に実際に東下していまして、中止とはなっていません。
有栖川宮の時も大原が副使になっていることから、永倉は一年勘違いして、文久三年九月なのを六月としてしまったんでしょうね。
恐らくは近藤勇も有栖川宮と共に東下する気は満々だったんですよ。
しかし、既に書かれていて、二十世紀の内に発表されていた事柄なのに、今から見つけ出して大はしゃぎするのもどうかという気がします。
その辺りをまともに検討した人もいなかったのは新選組研究の停滞を現していますが。
思想の不一致とか、会津中将の利害と芹沢暗殺は関係ないでしょう。十月十五日の建白を見たら分かる通り、近藤と芹沢は同腹です。
暗殺犯といわれる土方らと芹沢は初期の時点で不仲であり、その辺りが動機でしょう。
近藤が後ろで指示した、という決定的証拠もありませんしね。
攘夷というのは当時殆どの人がそう思っていて開国を唱えるのは人でなしというぐらい公然とした世論だったのは周知の通りです。
八月十八日を境に公武合体派が台頭して、攘夷の火が消えた等というのは幻想です。
勿論会津中将も攘夷派です。あくまで幕府を立てたいので、苦悩したのでしょう。
だから別勅使随行を辞退し、結果として壬生浪士の東下も幻に終わったというのが、この話の実態です。
あと文久三年と元治元年で政治情勢が大きく変わりますので、池田屋前後の有栖川宮と長州の流れからこの話を見るのも正しくないように思われます。
という事で、この件はトンデモで終了で。
>>427 >攘夷思想は日本の大主流で当の会津藩(京都所司代)自体も
会津は守護職では?
>>438 島田魁は180cm近くあったと何かの本で読んだ気がする
>>442 捕捉の捕捉で恐縮ですが、文久二年六月の下向時の勅書改竄の件で、大原は文久三年二月二十三日から文久三年八月二十九日まで落飾蟄居処分になっています。
つまり文久三年六月下向なんてそもそも出来ない話で、永倉の間違いはこれで定まったも同然でしょう。文久二年に永倉等は江戸にいました。
大原復帰後第一の仕事が有栖川宮の副使なのです。壬生浪士が公的な御警衛として下向する話になっていた可能性は更に高まりました。
ですが、会津中将などの周旋で幕府が横浜鎖港談判しますのでとうことになり、下向自体がない事になってしまったんですね。
もっとも長州間者と呼ばれた人々の殺害がこの大原と関わっている事を永倉が記しているのは気になりますが。
この件に関して内ゲバが起こったのかも知れませんね。「新選組顛末記」にもこの話は載っています。
それで芹沢が殺された可能性もありますが、史料が無く(長州間者も多く経歴が謎)あくまで仮説ですし、その場合も会津中将は関わり知らぬところでしょう。
兎に角これだけこの記事が広まってしまったという事は、新選組研究史上でも極めて稀な、一大椿事だと言えましょう。
これほど多くの人が信じ込まされてしまったのですからね。
これは推測の域を出ませんが会津公自身は勅使に随行出来ないので、守護職お預かりの壬生浪士を代わりに下向させると言う話にまでなっていたのかもしれません。
近藤勇の十月十五日の建白に以下のような一説があります。誰にでも知られている箇所です。
「既に去月(註九月)中関東におゐても鎖港之趣承知罷有候間左候得は漸々攘夷期限被仰出候其節蒙尊命当醜虜御馬前御奉公夫而已相待候」
だんだん攘夷期限も仰せ出されるので「尊命を蒙り醜虜に当たる」、則ちご命令を受け夷狄と戦う、とことんまで攘夷実行派ではないですか。
しかもそれが会津公の命令で、と言っている。そこまで話は進んでいたんです。
有栖川宮に会うというのが不逞だ、という意見も出るでしょうが、文久三年十月二十日のものだと推測されている近藤の佐藤彦五郎宛書簡には、
「会津公役所亦者御所町奉公等江日々御用ニ付罷出」とある。これを持っても比較的出入り自由であったと見るべきです。
しかも芹沢鴨暗殺後と思われますので、なお攘夷を唱えつつ、問題行動を起こした筈の(因子を消しても同種の団体と思われるのは日本の常です)団体が普通にしかも「御用」があって出入りできるのはおかしい。
つまり芹沢の件は問題にされていないと見た方がいいと思われます。同じ書簡の中で近藤は関東に帰ったらと仮定の話をしています。これはただ友に会いに行く訳ではなく、攘夷実行の暁には、という事でしょう。
http://www006.upp.so-net.ne.jp/tsuru-hp/bakumatsu/bakumatsu-sinnsengumi.htm
447 :
名無しさん@13周年:2013/09/19(木) 17:51:02.98 ID:EO1Z6lxM0
>>446 「御奉公夫而已相待居申」でした。訂正しておきます。
さて、「浪士文久報国記事」の該当の記述、以下に引用します。
文久三亥年六月頃の㕝
既ニ大原左衛門督殿、御勅使トシテ相州小田原迄御下向コレアリ、
当所江徳川家茂公呼出シ、皇命ヲ相背依テ将軍職召上ケ、此時大原公御警衛、新選組江被仰付、
新選組ノ存意ハ小田原迄御警衛イタシ、夫ヨリ欠抜ケ横浜鎖湊イタス。
夫ヨリ攘夷ノ魁トモ相成、就テハ徳川公ニヲイテモ朝敵ノ罪迯れヘクト存、
此事件ヲ聞キ、一ツ橋中納言殿驚キ速ニ上京、御所表ヲ取繕、
対ニ御勅使御差止メニ相成ル。
引用元の本では句読点がつけられているのが気になりますが、それは置いておいても、重要な記述です。
解説の菊池明氏も有栖川宮の御警衛として下向する話になっていたのでは、と推測されていますね。
勿論この本の記述を全て信用するのは危険です。芹沢鴨が「御所表より召捕可申様」会津藩公用方から言われたという記述は実証しようがないので、採用するのは厳禁でしょう。
会津側の記録にそのような記述は残っていません。
ですが新選組の下向がどうも命令あってのものだった、というぐらいは可能です。芹沢鴨等が有栖川宮の元を訪れるのは格別奇妙なことではありません。
新発見の史料を丹念に考察せず公表されるからこういうことになるのです。新史料ばかりを用いずに既出の史料と照らし合わせる作業がないと事実を糊塗してしまうことになります。
もっともこの人物は以前もこういうことを何度か行っているものと存じますが……。