【歴史】南京大虐殺“決定的証拠写真” 全てがおそらく合成かヤラセ★2
何万も民間人を虐殺したというのであれば、いくらでも物的証拠が出てきて良いだろう。
しかし、支那側が出してきた証拠というものは、大量の矛盾に満ちた証言、改竄された写真であった。
我々は過去、多くの矛盾した証言や写真を左翼が出してきたという事実を再考しなければならない。
何故に、本物ではなく、捏造した代物を「証拠」として提示し続けてきたのか。
それは、事実がなく、本物の「証拠」がないからである。
証拠がないから捏造した。
南京戦に参加した数万の日本軍将兵も、取材にあたった約120人の新聞、雑誌社の特派員やカメラマン、
その他占領直後、南京に入城した西条八十、草野心平、大宅壮一、小林秀雄、野依秀一、
杉山平助、林芙美子、石川達三といった著名な詩人、評論家、作家だれ一人として見たこともなく、
噂すら聞いたこともない事件だ。
日本人だけではなく、国際都市南京は、占領後も残留民、第3国人が50名以上もおり、
揚子江には米英の艦隊がおり、ニューヨーク・タイムズ、シカゴ・トリビューンA・Pの特派員、
パラマウントのカメラマン等、外人記者が5名もいたのですが、誰も大虐殺など見ていない上、
南京大虐殺などというような記事は、どこにも流布されてはいない。
1938年1月末に、約一週間にわたり世界的なニュースになっていたのは、
日本の軍人がアメリカの外交官を平手打ちした事件である。
虐殺が行われていたとされる間、ラーベら外国人は頻繁に外出してるが、日本軍による不法殺人を見たことが一度もない。
ラーベは、1938年1月14日にドイツ大使館にあてた手紙に、被害者数千人と記しているが、
その二週間後イギリス大使館にあてた手紙には被害者数百人と記している。
ラーベたち安全区委員会が記録した日本軍の暴行の報告書には殺人事件「25件」、
被害者「49人」としか記されていない。
もう結論は出ている。