【社会】容疑者確保の1分後、飼い犬死ぬ 山口の放火殺人★4

このエントリーをはてなブックマークに追加
224名無しさん@13周年
■ シルバーハウスHOMI
あまりマスコミは報じていないが、一時期カツヲはシルバーハウスHOMIという施設を経営していた。
写真手前の建物がそれである。
http://livedoor.blogimg.jp/osmay/imgs/d/2/d2b2ab2c.jpg

これはおそらく老人の憩いの場のような施設だろう。
マスコミはこの建物の中を覗き見てスリッパやカウンターを発見し、カツヲは村人との交流を求めていた、という
方向で報じることが多い。もちろんそれは事実だろうが、しかしあの建物は自宅ではなくシルバーハウスHOMI
であるから、多くの人を接待する設備が整っていて当たり前なのである。
なにも住民を自宅へ招こうとしていたわけではない。

しかしこの施設の開業もまた地域の顰蹙を買ったことが予想される。
まずシルバーハウスHOMIは第2郷橋整備、県道9号徳山徳地線改良工事の際に拡張された道に面して建っている。
この建物の建つ土地は拡張される前はやや奥まった土地であったが、道路拡張後に二方が道に面した角地になった。
シルバーハウス開業と整備事業が容易に結びつけられる立地条件はもちろん、もし開業資金に一連の事業の
土地買収で得た資金が使われていると住民が思えば、あぶく銭をつかんだ上にそれを元手に村人相手に
カネ儲けかと白い目で見られただろうことは想像に難くない。

また、仮に無料で開放された施設だったとしても山里の年寄り向けの施設とも思えない。
地域の年よりが気兼ねなく集まることができる場所なら、公民館があり杣の郷交流館があり寺もある。
あえてカツヲの作った施設を頭を下げて使わせてもらう理由はどこにもない。
そして地域有力者から見れば、自分の跡目を襲う目的で地域住民の歓心を買う宣撫工作に見えたかもしれない。
一言で言うと目立ちすぎ、出しゃばりだと思われたのだ。

あるいは自分の老親が友人と過ごせる場所を用意しただけなのかもしれないが、カツヲの行動が村人たちから
好意的に受け止められる可能性は皆無であった。
225名無しさん@13周年:2013/08/01(木) 05:31:34.21 ID:9sa2Rruy0
■ カツヲと村の対立の基礎となる事情の推測
カツヲの地所は県道9号徳山徳地線と県道41号下松鹿野線の交点にある。カツヲが一帯の土地を買ったあと、
県道9号の改良工事のため、カツヲの地所周辺の土地が買収されたと思われる。このため平成7年の土地図面と
現在の地図とが一致しないのである。道路拡張のため9号と41号の交点付近の土地が消えている。
その結果、今から10年前にはシルバーハウスHOMIの建つカツヲの土地は角地へと変貌した。

シルバーハウスHOMI(2004年版ゼンリン電子地図)
http://up3.viploader.net/news/src/vlnews071267.gif

この時の買収にはカツヲの土地の一部も含まれていた可能性が高い。
そして、この改良工事は郷の中心線を移動させる内容であった可能性がある。

県道9号線改良工事の痕跡(2004年版ゼンリン電子地図)
http://up3.viploader.net/news/src/vlnews071268.gif

元は寺、公民館、交流館石村や河村の家の前を通るグレーの線が本道であったものが、緑色の新道ができた
ことで郷の本道が切り替わっているのである。つまりカツヲの家は今や郷の中心、目抜き通りに立地することになった。

さらに注目すべき事実がある。
鹿野地区地域審議会は「県道下松鹿野線道路拡幅改良/金峰郷から旧徳山市との境まで」の工事を
求めている。これに対して周南市道路課は「新市建設計画に盛り込まれているL=350m区間について、
他の箇所との優先順位を考慮しながら進めていく」としている。
http://www.city.shunan.lg.jp/data/open/cnt/3/4654/1/H20shinchokuhoukoku.pdf

県道下松鹿野線というのは、カツヲの家の前を通る県道41号線のことだ。
しかも「金峰郷から旧徳山市との境まで」、まさにカツヲの家の前から旧徳山市(現周南市)までの区間の
改良工事の計画なのである。

もしもこれが実行された場合、カツヲは再び土地買収に伴って利益を得る可能性が高い。
15歳で村を出た男がふらりと戻って古くからの地主から土地を買い取ったと思ったら、棚からぼたもちのように利益を得る。
彼は土地取引に関しては確かに幸運の持ち主であった。
しかしそのことが逆に村人の嫉妬を呼び、不当な扱いを生んだのではなかったか。
226名無しさん@13周年:2013/08/01(木) 05:31:55.28 ID:9sa2Rruy0
■ 確執の発展
村人がカツヲに退職金を要求したり集落の草刈りを求めたりタダ働きを強要したのは他でもない。
カツヲがカネを持っていたからであると考えた方が納得がゆく。
その中には川崎で貯めたカネもあろう。1994年、バブル崩壊の直後に帰郷したのは、彼が高度成長期から
バブルにかけての暮らしの中で引退できるだけの資産を得たからではないだろうか。
引退して老親の面倒を見る決心をするだけの資産があったのは間違いない。

彼が94年10月に石村文人から買い取った土地は事前の6月には分筆整理されていた。
このことはかなり前から石村との間で買い取り交渉を進めていたことを示唆している。
その交渉の中でカツヲは懐具合や帰郷後の計画を色々と石村に話したろうことは予想できる。
だから石村はカツヲの財政状況をある程度正確に知ることができる立場にあったろうし、それを村人へ漏らさず
にいたとは思われない。田舎の噂は一瀉千里である。

そのうえ公共工事によって運良く地所の買収を受けるなどすれば、カツヲの噂にはますます尾ひれがついてあたかも
不正蓄財でもしているかのように白眼視されたということもありうる。
妬みは常に道義道徳問題にすり替えられるものだ。

トラブルの多くは、10年前を境にしていることに注意を払うべきである。
一説には親が亡くなったあと奇行がはじまったと言われている。2002年末に母親が死亡、2006年に父親が死亡、
なるほど時期的には一致する。しかし奇妙なことがある。貞森が退職金を渡せと持ちかけて刃傷沙汰になったのは
10年ほど前だという。カツヲが帰郷して9年も経ってからなぜそんな話を持ち出したのか。

村の草刈りをカツヲに強要したりカツヲの草刈り機を燃やした事件も10年ほど前だという。
やはり帰郷後9年経ってから起きている。
よく見ると親の死後にカツヲの行動がおかしくなったのではない。当時母親は死去した直後だったが父親はまだ
健在であったし、むしろ親の死をきっかけのようにして一部の村人が嫌がらせをはじめたというべきなのである。
その一部の村人が今回殺された被害者たちであった。

語られているカツヲの異常に見える言動はそうした嫌がらせに対する反応であって、嫌がらせをされることになった
原因ではない。そこを区別して見る必要がある。
227名無しさん@13周年:2013/08/01(木) 05:32:17.19 ID:9sa2Rruy0
■ 家族葬がもたらした村八分
ミヤネ屋によるとカツヲは父親の葬儀を家族葬でとりおこなったという。
一方、父親ではなく母親の葬儀が家族葬だったという説もある。
どちらが正しいのかわからないが、この事によりカツヲと集落との間に大きな亀裂が入ったというのだ。

もし2002年12月に亡くなった母親の葬儀が家族葬であったという証言が正しいのであれば、村人がカツヲに
嫌がらせをはじめたきっかけはこの家族葬にあったと考えて間違いない。

田舎の葬式というのは総じて金がかかる。タダのように見えてタダではないのである。連日に及ぶ飲み食いの
コストはもちろんのこと金持ちや有力者であればあるほど土産だ香典返しだで大盤振る舞いを期待される
という話を聞く。
してみれば、村人にしてみれば葬式はカツヲにタカる絶好のチャンスなのであり、家族葬にするということは
村人から見るとカツヲはその程度のふるまいも拒否する吝嗇なよそ者に見える。

また、もし母親の葬儀は集落に頼み、父親の葬儀が家族葬であったとすると、これは母親の葬儀で懲りた
ため父親の時は家族葬を選んだと考えてよいだろう。
そして母親の葬儀の際にカツヲは村人が期待するだけの接待も礼もせず、村人の失望をかったのではないか。
加えて父親の葬儀を家族葬にすることで亀裂は決定的なものとなった。
しかしそもそも既に集落と衝突していたカツヲに、父親の葬儀を集落の手に委ねる選択肢があったのだろうか。
田舎の風習に通じているはずのカツヲの姉3人も家族葬に同意したと思われるのは、カツヲの置かれた状況を
理解していたからではなかろうか。

いずれにしても親の死をきっかけにカツヲが変わったのではない。
葬式を機会に村人が変わったのである。
こうしてカツヲに過剰な労働奉仕やカネの要求までする村人が現れるようになったのだとすると、なぜ
帰郷した最初の9年間は何事もなく、10年前から急にトラブルが増えるのかという謎の答えが見いだせる
のではないだろうか。

そしてそのトラブルの相手は4世帯の7人にほぼ限られていた。
山本ミヤ子、貞森誠、貞森喜代子、河村二次男、河村聡子、石村文人、石村の妻である。