>>1 それは違う。それらは社会的に構築された“創られた伝統”であってジェンダー・ポリティクスの
批判対象になるべきものだろ。簡単に言えば、消費行動と文化的アイデンティティがエポケー
された、「異化作用」の階層的な二項対立の形而上学こそがジェンダーベリフィケーションなのよ。
“サバルタンはかく語りき”とはこういう意味なの。
このあたりを数学的に言えば、位相線型空間内部の真性特異点が拡大の自己同型群の閉部分
群と等長変換されるわけだろ。つまりゲオルグ・カントールが予言してゲーデルの不完全性定理で
見事に証明されたってワケ。
あるいはル・クレジオ的な文学におけるクイア理論的なナラトロジーでもいいんだけどさ。
あなたのディスコース(言説)のトリヴィアルに神経症的な部分がエクリチュールの過程で無残にも
前景化されたわけで。そういったことが私のディコンストラクション(脱構築)の 射程に入るのよ。ポ
ストコロニアルな“政治”のレトリックだね。クィンティリアヌスくらい読めよ。