「柳田さん、ちょっと読みを聞いてもらえますか」「その言葉は言い換えた方がいいかもね」
リハーサル前のメーク室は慌ただしい。テレビ宮崎(UMK、宮崎市)の
アナウンサー柳田哲志さん(45)=同市神宮西=は後輩に短く助言し、出演者や機材の間を
スルスルと車いすを滑らせてカメラの前へ向かった。入社22年目のベテラン。
「障害者としては駆け出しの5歳ですけど」と、おどけては周囲を和ませる。
尻相撲大会の中継だった。2008年6月14日、宮崎県高千穂町。水田に浮かべた
発泡スチロールの土俵に「哲さん」が登場すると会場は大きく沸いた。「はっけよい、のこった!」。
尻と尻が勢いよくぶつかる。足を滑らせた次の瞬間、「ゴンッ」。鈍い衝撃が頭頂部に走った。
エックス線画像による診断は「頸椎(けいつい)骨折」。町内の病院からヘリコプターで
熊本市の病院へ。砕けた骨を取り除く手術器具は福岡から取り寄せるという。
「ふわっと魂が浮いているような感覚」だけ。意識はずっと鮮明で痛みもなかった。
妻と小学6年の長男と小学5年の長女が駆けつけた。医師に促され実感のないまま
“最期の言葉”を残した。「帰ってこんかったらお母さんをよろしくね」。手術室に入ったのは
夜11時。事故から9時間たっていた。
体中をチューブにつながれ、もうろうとしていたころ、涙声の呼び掛けを何度も聞いた。
清掃のおばちゃんだった。「絶対に負くるもんかって、頑張らないかんよ」。あったかい熊本弁は、
ずっと胸の底に響き続けた。
「一生ベッドの上なのか」。確かめたくて執刀医を呼んだ。「九十九パーセント寝たきりでしょう。
車いすに乗れるようになれば万々歳」。四肢麻痺(まひ)の宣告なのに、希望が一気に膨らんだ。
「一パーセントでも、可能性はあるんですね」
リハビリ当初は上半身を起こされると気を失った。神経を損傷し血圧調整が
できないのだ。わずかに動いた肩を鍛えて腕を引き上げる。胸までしか上がらなかった
指先が顎に触れるまで、「30センチ」に1年かかった。熊本市、福岡県飯塚市、
大分県別府市と病院や施設を移りながら「石の上にも、ならぬ訓練台の上にも3年10カ月」が過ぎた。
続きます
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