【歴史】「官兵衛が合戦の前線にいたことが裏付けられた」…軍師・黒田官兵衛が賤ヶ岳の前線にいた。秀吉サインの指令書発見
家康は源氏の直系ではないので松平ではなく強引に徳川を名乗って征夷大将軍になった
徳川は新田の直系
562 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 01:54:52.33 ID:hgRUOSA00
>>561 新田氏は源氏だよ。それも河内源氏、足利と家格は変わらん
直系なら名門中の名門になってしまう
563 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 02:08:38.58 ID:t5mlb1pHO
>>561 自称直系で、ぶっちゃけ徳川も松平も、新田の直系どころか新田の係累かすら怪しいだろ
織田が桓武平氏、って並だ
564 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 02:24:37.23 ID:dDdfolCs0
秀吉が天下を取れたのもこの時代は7度主君を変えても実力が
あれば出世できた。
今の日本は・・
565 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 02:32:55.10 ID:iqBq5Rk/0
何か大河ドラマに決まると、それに関連したモノが発見される様な気がするんだが。
発見されてるけど話題にならないだけ
567 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 02:40:34.12 ID:cRIl8g0r0
568 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 02:41:38.86 ID:t5mlb1pHO
>>555 正直ホントーに認められてないなら叩き出されて新しい御輿担ぎ出してたと思うがな
>>564 当時は失敗すりゃ本当の首が飛ぶだろw
何甘えたこと言ってんだw
570 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 02:43:43.58 ID:74WZ5yf90
足が不自由なのによく行ったなあ
さいとう・たかをの描いた「戦国謀略図」の中で
黒田官兵衛が荒木村重に幽閉されている間に、実子を信長と秀吉に勇み足で殺害されて、解放後それを知った官兵衛が
二人に対して密かに滅亡に導くように画策するも、全て裏目に出て逆に秀吉の天下に貢献するというシナリオの漫画が面白かったぞ。
軍師っていうと政略、戦略レベルなイメージだ
参謀なら戦術レベル
内政、外交は前者、戦争をするのは後者、一般的にはどんなイメージなんだろう?
兵站や補給も国内で作るまでは戦略、輸送に入ったら戦術でいいのかな?
いかに戦地まで安全に届けるか、というのは戦略(ドクトリンの整備)だろ
配備されたものをどう使うかが戦術
>>565 大河が決まると、地元とかで史料調べが活発になって
新史料が発見されやすくなるんだって
575 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 03:38:25.68 ID:ePUmBiLt0
また96か
>>552 勝頼の時に武田家は最大版図を叩き出してるんだけどな。
勝頼体制が崩壊した最大の原因は、
信玄が先を見据えた後継準備をしなかった。
武田家家臣団は周辺豪族の寄せ集め集団で日和見だったこと。
最後まで従った家臣も、心情的に武田家ではなく信玄個人に仕えていた。
ようするに外にも内にも味方が居なかったんだろう。
言えるのは
この時代に内戦なんかに明け暮れずに
樺太、千島、台湾をしっかり占領しておくべきだった
朝鮮出兵の秀吉や鎖国の家康なんぞ、まさに愚の骨頂
バカな先祖たちを持つと本当に苦労する
一事は万事に通ずと言うがとにかく何でも出来る人
才だけなら戦国でも五本の指に入るのでは
秀吉って自分の部下を貶すの好きやな
あの直江兼続や小早川隆景を天下に政治ができる奴と評価してた逸話も
要約すれば「直江兼続はアホ、小早川隆景はチキン。どっちも天下取れんな。」だよな
>>555 島津久光の場合は、国許で生まれ育っているので藩士とは馴染みがある。
むしろ江戸で生ま育った斉彬よりも馴染み深いくらいだったろう。
一方、勝頼は躑躅ヶ崎では育っておらず、武田家の家臣団とは馴染みがない。
勝頼が武田の当主になれば、諏訪の家臣団側近として引き連れて躑躅ヶ崎に乗り込んでくる
ことになるから、武田の家臣団としては主君から遠ざけられる可能性があり、
心中穏やかではないだろうな。
一旦他家に出された人間が戻ってきて本家の当主になると常にこの問題が生しで、家中が混乱する原因になるな。
582 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 09:47:21.21 ID:NBy3yQ2uT
へー
583 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 10:46:32.87 ID:OfcAfXCAT
せやな
お、おう
585 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 11:26:24.94 ID:rRfFZ500T
へー
こうした歴史的に貴重な文献を個人が秘蔵しているのはいかがなものだろうか?
今の我々が存在するのは過去の積み重ねによるものであるのは間違いない
我々には知る権利がある!今なお秘蔵されているかもしれない歴史的価値があるものは
政府が直接介入し、回収して全人民の知りえるところとすべし!!
まずは天皇家からやっちまおう
姫路のステマか
>>80 感心した。普通に読んで違和感なかったから。
>531
肥後細川の興の字は、本家は名乗らずに分家に与えるタイプで通字とは微妙に違うという
幕末辺りでも家臣や徳川直臣の分家でも興●の名が散見されるから藩祖というものの当時の影響力を感じられる
人に媚びず富貴を望まず
俺の座右の銘にするわ
ところで軍師の話をすると太原雪斎はS級軍師だとか
戦国日本のビスマルクとか呼ぶ奴がいるが今川厨の戯れ言でいいの?
大都会の基礎を築いた宇喜多の名前がまだ出てないとは。
徒手空拳に近い状態で出発して、備前1国をほぼ手中にした直家も何気に凄いはずなんだが。
官兵衛と敵としても味方としても戦ってるし、大河に出して欲しいなあ。
あと上で経済の話が出てたけど、直家の親父が備前の豪商の娘を嫁にもらってんだよな。
勢力伸ばすにはやっぱり経済感覚って大事なんだわな。
標準語をシャベル官兵衛かぁ。
大河で土佐と薩摩だけ方言で他は標準語という
のはいい加減やめろよ。。。
葵徳川なんかは皆狂言の言い回しや武家言葉を使って当時の
状況に比較的近かったのに
>>593 経済感覚のある武将は
・海沿い
・経済がコメ主体でない地域
に集中する傾向がある。
596 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 18:43:50.33 ID:4CmQATE80
墨俣一夜城は日数の問題どころか歴史的事実として築城自体が完全否定され、高松城水攻めの3km以上の大堤防も今では300〜400mで陣地に偽装して作ったことになってるけど、
墨俣一夜城を信じて、こうすれば築城できたとかあれこれ研究してた人とか可哀想だな。
>>597 そうだな。
鉱物を売る先を考えないといけないからな
>>595 織田信長・・・安土
豊臣秀吉・・・大阪
徳川家康・・・江戸、駿府
伊達政宗・・・仙台、塩竈
上杉謙信・・・高田、直江津
前田利家・・・金沢
井伊直政・・・彦根
今川家・・・・・駿府
後北条家・・・小田原
佐竹氏・・・・・水戸
九鬼氏・・・・・鳥羽
長宗我部・・・高知
宇喜多氏・・・岡山
毛利輝元・・・広島
蜂須賀氏・・・徳島
村上水軍・・・今治
黒田長政・・・福岡、博多
大友宗麟・・・大分(府内)
島津義弘・・・加治木
島津家久・・・鹿児島
井伊氏がより内陸の佐波山から琵琶湖畔の彦根に移ったのもその一環かな。
豊臣秀吉も浅井氏滅亡の後に小谷城を拝領したものの、琵琶湖畔の長浜に移った。
>>599 石田三成は葦に税金かけて大軍持ってたからな
琵琶湖は儲かるみたいで
>>577 武田が最後に組織だった抵抗が出来なかったのは信忠が父親も敵も予想出来なかったような大暴走したからなわけだし、
変な言い方だが信忠がもう少しリスクの事を考えられる武将なら、
後世に「武田勝頼軍団は烏合の衆だった」なんて言われずに組織を上げて防衛してたと思うがな
長篠の勝頼も本能寺の信忠も、勝てるはずがないのにバカ正直に戦った事が逆にダメな結果になるって、
勇敢で潔い武士が必ずしも良い大名ではないって事なんだろうな
602 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 20:59:25.86 ID:4CmQATE80
603 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 21:10:03.34 ID:wHslCOtv0
豊臣秀吉は韓国人なんだよな
歴史通なら常識だと思うが。
豊臣秀吉の最初の名前は「木下」つまり・・「朴」になる。
また、秀吉のブレーンでもあり茶礼の先駆者であった、千利休も
韓国人だったわけですし、秀吉がなぜ韓半島へ出兵したか?というと
故郷に錦を飾りたかったわけですわなw
>>54 一応黒田家は近江佐々木源氏の分かれということになってるからね
そこから備前福岡に流れた後に播磨で小寺家に仕えた
ただ播磨黒田庄出身の豪族という異説もある
606 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 23:09:14.67 ID:t5mlb1pHO
>>601 長篠で家中で力を持った重臣が倒れたのを好機に、豪族連合体からの脱却を図ろうとしたけど、性急すぎて反発を招いたからな
組織再編で若手を使い出したが(と言っても言われる長坂跡部の跡部なんか、もともと甲斐で力持ってた跡部氏の出だけど)
その他の連中の反発を上手いこと受け流せる調整役がいなかったのが致命的だったな
>>112 実績で言えば官兵衛の圧勝
半兵衛は伝説的軍師とされるけど史料に残る実績はほとんどない
講談の世界では半兵衛のが少し上なイメージ
薄命ボーナスかな
608 :
名無しさん@13周年:2013/05/13(月) 23:28:56.95 ID:YWqXx6Hk0
紙に書いた昔のものは何がしか残ってるけど、今のような電子媒体は2,3世紀もすればほとんど失われてそうで怖いなぁ
一世紀でも怪しいかも知れんなぁ。。。
おまえらこの手の話すきだねぇ
>>608 一応、今も内閣が陛下に奏上申し上げ、玉璽や国璽が押される書類は全て毛筆の縦書きで各大臣の花押が記されているよ
だから内閣に入る際には花押を決めとかなきゃならない