ソースな。
確かに、現在の憲法において天皇は政治の意思決定に関与することはできない。だから、もし帝国
憲法において天皇が専制君主として自由に政治を決定する立場にあったという極端な仮説が正しいな
ら、「主権者から象徴に転落した」という表現は正しいだろう。
だが、果たして帝国憲法下において天皇は政治を決定する立場にあったのだろうか。否、近現代史
に詳しい人なら、そうでないことを知っている筈だ。帝国憲法下における確立された慣行によれば、
天皇は政府と統帥部が決定した国策について、これを覆す権能を持たなかった。
明治二十二年に帝国憲法が発布されてから現在までの我が国の憲政史上において、天皇が直接国策
の決定を下したのは、昭和二十年の終戦の御聖断のただ一回だけである(03)。それ以外の全ては、議
会や内閣など、該当する権限を持つ機関が決定したものが、天皇の公布・裁可・承認などによって効
力を発してきた(04)。
帝国憲法第一条は「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と記すが、これは天皇が自由に政治
を行うことを意味しない。第五十五条が、国務大臣が天皇を輔弼して政治責任を負うべきことと、法
律・勅令などは国務大臣の副署を必要とすること等を記す他、第五条は、天皇は帝国議会の協賛によ
り立法権を行使することを明記する。また軍令については統帥部の長が天皇を輔翼してその責任を負
う慣習が成立していた。このように、帝国憲法下においても現在と同様、天皇は国策の決定に関与す
る実質的な権能を持たなかった(05)。
http://www.apa.co.jp/book_report2/images/2009jyusyou_saiyuusyu.pdf