【埼玉】狭山事件50年、5月1日に集会と現地調査 部落開放同盟が主催

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93名無しさん@13周年
>>10
そもそも「狭山」という地名は狭山市にはなく、隣の入間市にある
市になる時に、当時、海外に輸出されてもいた「狭山茶」の知名度から
「狭山」をパクり、勝手に名乗り出した
パクられた側は対抗して狭山市の中心部「入間川」の地名をパクりかえし
「入間市」を名乗るようになった

この昔からの因縁がある為に、狭山市と入間市は常にいがみ合っている
平成の大合併の時にも入間市は狭山市を部落ネタで攻撃してる
「狭山市は今も同和教育やってるの?なんでやってるの?
まだ部落差別あるの?(・∀・)」ってね
(ちなみに入間市も被差別部落がかつて存在した)