東京裁判 裁いた者たちの悔恨
http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-252.html http://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/daitoasensoco/neozionismnotainithisenryakuco/gunzisaibanco/tokyosaibanco/hanketubunco.htm しかし日本を裁いた側の米英のマスコミや権威ある国際法学者や裁判官は、裁判の判決がおりた直後から、
ニュルンベルクと東京裁判に対する批判をおこなわれた。ニューヨークタイムズは東京裁判の直後、
この裁判を無効とし、全員無罪を判決したパール判事の少数意見を一面トップで大きく取り上げこれを評価した。
ロンドンタイムズは1952年6月から7月にかけて約1ヶ月間にわたって、この2つの裁判に対する論争を連載した。
イギリスの国際法の権威であるハンキー卿はその著『戦犯裁判の錯誤』(Politicstrials and errors)の中で、
「パール判事の所論は全く正しい」という立場に立って、パールの判決文を縦横に引用しながら戦後連合国が
行った戦犯裁判(軍事裁判)を徹底批判している。
米の連邦最高裁判所のW・O・ダグラス判事は「極東国際軍事裁判所は、国際法に基づいて審理できる自由
かつ独立の裁判所でなく、パール判事が述べたように、同裁判所は司法的な法廷ではなく、政治権力の道具に
すぎなかった」と述べた。
米の国際法学者マイニア教授は「東京裁判の判決は、国際法、法手続、史実のいずれから見ても誤りであった。
結局〈勝者の裁き〉にすぎない」として『勝者の裁き』という著書を世に問うた。同じくアメリカ最高裁の
フレッド・M・ヴィンソン判事は、パール判決を支持し、多数判決を糾弾した。ドイツの哲学者ヤスパースも
別の角度から、この2つの裁判を行った連合国の思い上がったごう慢な行為を痛烈に批判した。
何よりも刮目すべきことは、この裁判の総轄的主宰者であり、判検事の任免権をもち、自ら戦犯憲章(チャーター)
を起草した連合軍総司令官マッカーサー元帥が、1951年5月3日、米上院の軍事外交合同委員会の聴問会で
「日本が第二次世界大戦におもむいた目的は、そのほとんどが安全保障のためであった」と、東京裁判で裁いた
“日本の侵略”を全面的に否定し、日本が行った戦争は自衛のための戦争であったことを認めたのである。