【政治】首相の硫黄島訪問で調整、遺骨収容加速の方針
2 :
名無しさん@13周年:2013/03/20(水) 20:17:11.12 ID:w6qO4NLH0
時代は裕木奈江
3 :
名無しさん@13周年:2013/03/20(水) 20:17:45.36 ID:/yjF15MyT
クズだな
チョン大脱糞
5 :
名無しさん@13周年:2013/03/20(水) 20:22:39.54 ID:/yjF15MyT
ふーん
アメ公も恐れおののいた日本兵
7 :
名無しさん@13周年:2013/03/20(水) 20:44:55.06 ID:HhDFj3gT0
尖閣と竹島の異国回収もしよう
8 :
名無しさん@13周年:2013/03/20(水) 20:48:41.85 ID:CzxsQ0wt0
大丈夫、栗林中将を前線に放逐した旧日本軍の「空気を読む」意思決定は、
いまも立派に日本企業に受け継がれてる。
ま、「スレの空気」を乱すと徹底的に叩かれる2ちゃんねるも同じだけど。
当然、新藤議員も随行するんだろうな。
10 :
名無しさん@13周年:2013/03/20(水) 21:21:46.91 ID:0XE+/7byQ
11 :
名無しさん@13周年:2013/03/20(水) 21:24:31.29 ID:kfF8Bxzy0
復興大臣の親戚だか爺さんだかも、米軍上陸直前の硫黄島に最後に飛んだ
一式陸攻の搭乗員だったんだよな。非常に硫黄島な内閣だ。
日本への本土爆撃をとめるために、死にに逝った将兵たち、、、
靖国にも参拝おながい 終戦記念日でなくてもいいから
14 :
家政夫のブタ:2013/03/20(水) 21:29:52.24 ID:hbKWdfPw0
<丶`∀´> ウリたちは日本軍から強制的に米軍に投降させられたニダ
捕虜収容所のごはんはうまかったニダ
トンネルの位置を教えた謝礼ニダ
15 :
名無しさん@13周年:2013/03/20(水) 21:34:58.22 ID:Yd1GTuZ5O
さわらずに慰霊の島でいい。
いまさらいろんな思惑持った人たちに荒らされたくない。
もちろん、真摯に対応しようと思っているのも分かるけど。
おう、やっとか。
東京の人柱になった人達だ。
手厚く葬って(ー人ー)南無・・・・
滑走路の下もやれ
19 :
名無しさん@13周年:2013/03/21(木) 00:05:27.56 ID:XEbK8sMO0
TPPで国売りする奴がどのツラ下げて・・・
麻生さんが滑走路掘り起こして収集する計画を菅が白紙にしたんだよ
しらじらしく硫黄島で手合わせてたけどさ
菅は一体何しに行ったの?
22 :
名無しさん@13周年:2013/03/21(木) 00:20:59.13 ID:ORFwK0cg0
アメリカ海兵隊兵士による蛮行 ルーズベルト大統領の息子で海兵隊大尉のジェームズ・ルーズベルトも
加わっていたカールソン襲撃隊は、戦死した日本兵の死体を切り刻み、男根と睾丸とを日本兵の口中に詰め込んだ。
太平洋戦争について熱心な研究者で著書もあり、またテレビの連続番組(戦線、Battle-Line)の
プロデューサーであるシャーマン・グリンバーグが、二十年後にカールソン隊員の一人にその時の模様を
(テレビで)詳細に語らせている。その隊員は戦友たちのやった蛮行を写真に撮っていた
23 :
名無しさん@13周年:2013/03/21(木) 00:23:23.90 ID:ORFwK0cg0
硫黄島の洞窟内から戦後米兵により持ち去られた日本兵の頭蓋骨は壱千個にもなる。
彼等はそれでロウソク立て、灰皿やペン皿を作ったといわれ、また硫黄島で戦死した
日本兵の頭蓋骨と称するものが、ロサンゼルスの骨董店で一個二十五ドルで売られていた。
(硫黄島いまだ玉砕せず)
(その四)、リンドバーグが見たもの 1927年(昭和二年)にチャールズ・リンドバーグは
ニューヨークからパリへ、史上初の大西洋横断、単独無着陸飛行に成功したが、
この偉業は後に「翼よあれが、パリの灯(ひ)だ」の題名で映画化された。
彼は1944年(昭和十九年)にニューギニアの米軍基地で陸軍将校として四ヶ月過ごしたが、
その体験を日記に記して後に「第二次大戦日記上巻、下巻」として出版した。
( この本は私が読んだ後に、どういう理由からか絶版になった )
それによると彼は戦場で見たものにショックをうけた。それは兵士が嬉々として敵を殺したからではなく、
米兵が日本兵に対して抱く露骨な人種蔑視の念と、それに基づく残虐行為を目のあたりにしての苦悩であった。
たとえ敵味方に別れて戦い軍服に違いがあるとしても、敵の人間としての勇気は勇気として、
兵士の使命は使命として認めなければならないにもかかわらず、太平洋地域の連合軍の中には、
そうした感情のカケラもないことを発見した。
24 :
名無しさん@13周年:2013/03/21(木) 00:27:53.66 ID:ORFwK0cg0
終戦直後(一九四六〜一九五一年)、ガリオア・エロ基金を通じて、
敗戦日本に対して食糧と医薬品、石油、工業原材料、機械などを提供して
くれました。一八億ドルの無償援助のはずが、一九四八年、突如、
アメリカは返済を要求します。もちろん、約束がちがうと反発しましたが、
アメリカは無視。日本政府もお人好しとしかいいようがありませんが、
返済額四億九〇〇〇万ドル、返済期間一五年、年利二・五パーセント
という条件で受け入れてしまうのです。さすがに怒りを込めて、一五年
待たずさっさと完済しました。
善意といいながら、アメリカが日本人をいかにバカにしていたかがわかります。
というのも、アメリカが送ってきた食糧の中身は家畜飼料用の脱脂粉乳と雑穀類だったのです。
戦後、増産を続けた結果、農産物が余るや、その廃棄先に日本を選んだのです。
敗戦で食料に飢えた日本国民はいいカモだったと思います。
いま年金世代の日本人はパンと脱脂粉乳という学校給食をありがたく食べていたはずです。
将来にわたって、この余剰農産物を売り込めるよう、一九五四年、アメリカは余剰農産物処理法
(農業貿易促進援助法)を成立ざせます。パンを食べて育った子どもは大人になっても洋食が
当たり前になるように戦前の食生活を一変ざせ、未来永劫、アメリカの農産物を輸入するようにし向けたのです。
おかげで、もともと完全食だった日本食が激減し、いまや、世界で名だたる生活習慣病国家に転落しています。
アメリカは目論見通り日本に医薬品を販売して大儲けしています。
アメリカはけっして善意の国ではありません。善意に見えれば見えるほど、
実は裏があるのです。
都合が悪くなったら条約でも契約でも約束でも平気で破る国です。
25 :
名無しさん@13周年:2013/03/21(木) 00:33:37.86 ID:2ADDDDeL0
硫黄島一度いってみたいな
あと南鳥島とか
まあまずは八丈や青ヶ島や小笠原にもいけてないが
硫黄島、ばあちゃんの弟さんが玉砕しているから、遺骨収集に行きたい