【歴史】真田幸村の最期に新説、越前松平家の古文書で発見
1 :
そーきそばΦ ★:
1615年の大坂夏の陣で戦死した武将・真田幸村の最期を記した覚書が、
越前松平家に伝わる古文書集「松平文庫」(福井県立図書館保管)から見つかった。
同家の家臣と戦って討ち取られたと記されており、戦わずして首を差し出したとの定説を否定する新説だ。
幸村は、大坂夏の陣で徳川軍の本陣に迫って家康を窮地に追い込み、
「日本一の兵(つわもの)」と呼ばれた。
覚書は、徳川方で参戦した、のちの福井藩主・松平忠昌の戦功を記しており、
福井市立郷土歴史博物館が昨夏、文献調査で発見した。
幸村の最期は「もう戦う気はない。手柄にせよ」と、のちの福井藩士、
西尾仁左衛門に首を差し出したとする逸話が知られており、
徳川幕府の史料にも残る。
だが、覚書では、仁左衛門が、相手を幸村と知らないまま槍(やり)で戦い、討ち取ったと記述。
後に、家臣が陣中見舞いに来て、幸村の首とわかったとしている。
読売新聞 2月25日(月)8時52分配信
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130225-00000041-yom-soci
2 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:32:21.37 ID:LhFou7NaT
うそです
盗まれる前にきっちり国か県で保管しときー
4 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:33:15.62 ID:RYyFpXV9P
真田太平記よかったなあ
幸村じゃなくて本当は信繁なんだよ(キリッ ←馬鹿
手柄を大きく見せるためのウソ
と邪推してみる
7 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:34:35.42 ID:6b88bA8N0
真田幸村×
↓
真田信繁○
幸村と激闘の末討ち取ったと誇大報告して報告して家康の不興を買ったんだろ?
仁左衛門寄りの資料では仁左衛門の主張に近いというなら
史実どおりじゃん
9 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:35:50.95 ID:I+5OYGgd0
ああ毛利勝永の手柄を掠め取って英雄になってる人ですか
10 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:36:01.81 ID:sQTnYQRN0
どっちが本当?
11 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:36:34.62 ID:5WoPlYpD0
真田忍軍の真実を記した文書はまだか ?
12 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:37:19.12 ID:6b88bA8N0
>>8 んだね。
家康を追い詰めた男があっさり討ち取られたんじゃ幕府の沽券に関わるからな。
真相はそんなとこだろう。
13 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:38:30.44 ID:6b88bA8N0
>>10 >>8が言うように、これは今まで明らかになってきた事実をさらに裏づける史料。
14 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:39:26.69 ID:iTcVWlOQ0
誰だか解らなかったのに首だけ持って帰る物なの?
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>>5 古い手紙や日記には幸村って出てないのを知らないのか?
ゆとりって食料をウンコにする以外に能がないの?
17 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:40:27.05 ID:ocYBo2ma0
幸村は架空の人物
これが現代の定説
18 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:40:49.28 ID:6b88bA8N0
>>14 そらそうだよ。
激戦の最中に相手が誰だかわかる事の方が稀でしょ。
とりあえず討ち取った首は持ち帰るだろ。
酷い場合は非戦闘員の庶民の首持ち帰る奴だっていたんだからw
19 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:41:12.22 ID:LrCBLkv60
過大評価の極み。
本来なら歴史の表舞台に登場することすらおかしい
20 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:41:16.27 ID:8nGSAraL0
御館さまァァァァァァァアアアアア!!!!!
21 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:41:22.13 ID:I1BOFrYJ0
毛利勝永の方が凄いけどドラマにならないな
>>14 戦国時代は旦那が打ち取ってきた首をきれいに洗って見栄えを良くするのが
妻の務めだったそうな
真田太平記は猫田与助の最後が衝撃的だった
お江のライバル的存在だったのに
<丶`∀´>幸村を討ったのはウリニダ
25 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:42:45.59 ID:U2SmRd5z0
>>1 >後に、家臣が陣中見舞いに来て、幸村の首とわかったとしている
単純に、幸村の家臣に向けて、さすが「さあ、これが幸村様の首(シルシ)です!」って見せるワケにはいかんだろうw
トボけただけだよ。
26 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:42:50.01 ID:6b88bA8N0
>>21 真田太平記だと勝永が悪い事にされてるからなw
そこまでしなくてもw
草刈正雄のイメージ
28 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:43:02.14 ID:5f83OKYcP
そのうち大陸に渡ってジンギスカンになったとか言い出すぞ
29 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:43:06.21 ID:TMlRXFf80
>>16 いちいちケチつけるやつがバカってことだろ
30 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:44:32.18 ID:6b88bA8N0
>>22 合戦絵巻とかみると、さりげなく女性陣が持ち込まれた大量の首を洗って化粧してる絵が描かれてるよねw
誰だかわからなかったって…
真田幸村クラスでもたいしてオーラないのか
>>14 昔は写真がないから、有名な武将の顔なんかしらんのよ
33 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:45:24.58 ID:TMlRXFf80
>>16 その程度の知識をわざわざドヤ顔で語る低脳を馬鹿にしたのw
案の定お前みたいな馬鹿が量産されてるわw
35 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:46:37.52 ID:6b88bA8N0
>>32 だから大昔は一騎打ちの前に互いに名乗りあったからね。
戦国ではもはや名乗り合いなんてないから、激戦乱戦になったら誰だかわからんだろうよ。
同じ大阪夏の陣で行方不明になったままの服部半蔵正就も似たようなしょぼい死に方して雑兵と同じ扱いをされたままなんだろうな・・・
>後に、家臣が陣中見舞いに来て、幸村の首とわかったとしている。
武将なのに一目でわかるレベルの甲冑着てなかったの?
六連銭とか真っ赤なド派手なのとかで
37 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:47:38.83 ID:rrVhjcZWO
38 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:48:11.99 ID:oDWBAhdp0
日本三大過大評価
源義経
真田幸村
土方歳三
39 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:48:26.18 ID:6b88bA8N0
>>36 真田って赤備えにしてたんだろ。
大将の雑兵も同じ色だから余計わかりにくいw
一般人や大河見てた人は
>>1 歴女、腐女子にとってはイケメン武将
お前らにとっては
(^ν^)<幸村じゃねえよ信繁だよ、カス
と歴史の大先生を気取る為の存在
41 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:49:12.40 ID:/+P8H+qgO
42 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:49:23.35 ID:9Oon0Vb50
なるほど
大河ドラマのお江の時のゴキブリみたいな
死に方が批判されたけど
史実に近かったのか?
43 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:50:36.12 ID:p8aZdTEB0
>>1 仁左衛門の手柄ってとこは同じなんだな
あとは無抵抗だったか戦闘したかか
まl常識で考えて、戦闘はしただろうな、
疲れ果てててやられたとしか思えん
新テニプリってこの先どうなるんだろうな
最後まで剣を握って死んだって方がカッコイイよ
46 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:52:10.41 ID:48skWd4P0
子孫の家では、幕末にもペリーを討ち取ったと称する家臣を出したから、話を盛るのが伝統なんだろ。
47 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:54:09.16 ID:6b88bA8N0
>>46 武家は自己アピールが命だから話を盛るのが普通。
決して慎み深くはないw
48 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:54:11.35 ID:8qQBPNZY0
どうも毛利勝永、真田信幸、立花宗茂、保科正之などの
歴史上本当にすごい人はいわゆる面白味がなくて
ドラマにし辛いようだからな。
49 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:54:34.82 ID:/+P8H+qgO
別にmTnju9HM0のを反論したわけじゃないぞ
毎回、幸村って使うとドヤ顔で訂正するレスにうんざりだよねって事
友達が真田家の人だから教えておくわ。
今、その娘はフランスにいて、弟が第何代かの当主らしい。
ユキムラなどいない
52 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:55:07.62 ID:lVBskqm40
でもこれ、徳川方の資料でしょ?
宿敵の幸村を貶す偏向入ってんじゃないの
虚言伝聞が当たり前だろうからな。真実なんて誰もわからないだろう。
なら面白いほうがいいって感じか。
54 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:56:35.22 ID:MJeeK5as0
最後は小鷹の執事
55 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:56:35.52 ID:ocvsjBPN0
>>35 ヘトヘトになって神社の境内で休憩中に討ち取られたんだから激戦ではないだろ
56 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:56:52.58 ID:5/2QdN4bT
>>25 いや、なんで幸村の家臣が陣中見舞いに来るんだよw
越前松平の家臣でも、主だった敵将の顔ぐらい知ってる奴いてもおかしくない
真田・毛利・後藤・明石・長宗我部辺りは、当時でも名のある武将だし
57 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:57:09.39 ID:l3JxNbcNO
信繁はイケメンじゃないからな、
58 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:57:34.65 ID:6b88bA8N0
>>52 幕府の史料だと、討ち取ったと名乗り出た仁左衛門に対して家康がお前ごときに討ち取れるもんか。
首をもらったんだろ、と言われてそういうことになったと書かれてるはず。
今回出て来た史料は仁左衛門が普通に戦って討ち取ったって史料だから、符号するんだよね。
眞田とは別なの?
60 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:58:05.81 ID:NEVCRVaM0
真田幸村って、その後
真田幸町を経て現在の真田幸市
まめな
61 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 11:59:32.73 ID:NJ8XrCnK0
歴史なんか汚い大人の嘘だらけだろ
62 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:00:01.42 ID:JZB39Zn00
捏造ニダ<丶`∀´>
幸村討ち死にの地、安居神社にお参りしたことあるよ
でかい松の木?みたいなのがあって、疲れきってここに腰掛けてる時に
討たれたんだろな、みたいに妄想を逞しくしてた
天王寺に寄った時はぜひ来ておくれやす
やっぱジンギスカンになったのか
信繁だと武田信繁とまぎらわしいから幸村でいいよ
過大評価のチビの醜男の名前なんて別にちゃんと言わなくてもいいだろ
討ち取ったのは雲きり仁左衛門なの?
67 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:02:28.41 ID:uhsq8np80
>>50 その真田は養子縁組で血筋では松平定信の子孫になってると思う。
そのあとまた入れ替わった可能性もあるが。
68 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:02:35.25 ID:VQni6f01P
>>52 家臣や息子の秀忠含めて真田一族には散々な目に遭わされたから
むしろ誉めまくって
真田強すぎ→だから俺達が苦戦したのも仕方ないよね、な方向に持って行った
70 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:04:54.18 ID:9Oon0Vb50
真田幸村と言えば松方弘樹だなあ
西尾仁左衛門って、根は真面目で大人しい不器用な田舎侍らしいねw
この真実を徳川幕府に説明したが、不器用だから都合よく徳川方に
捏造されちゃったのが真相なんじゃ?w
徳川家の威信にも関わる問題になるし。
72 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:05:27.18 ID:VQni6f01P
>>67 幸村の子孫は伊達にいるよね。
その後血筋として続いたかどうかは知らんが。
73 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:05:49.91 ID:iYTuuZ8S0
過大評価の典型的存在
毎回親方にふっとばされる人か
75 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:06:11.87 ID:lXATFEPf0
>>1 死んでねーだろ、満州に渡って馬賊の頭目になり袁世凱と戦ってたぞ。
>>67 村正くれって言ったけど、そういった類のものは維持費が高くつく
らしく、ほとんど寄贈したらしい。
真田はやっぱ一族含めて名門だから大きく取り上げられるんだろうな
78 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:07:10.38 ID:TMlRXFf80
>>35 名乗りあって無い=不意打ちor既に死に掛けてたorもう死んでた=手柄にならない
忍城で姫様に弓射掛けられて 逃げ帰ったのはいい思ひ出
幸村とわからなかったと言うことは、鹿の角がついた兜を着けてなかったんだよね
目立つと狙われるから、地味な兜を着けてたんだろうな
FB経由でこの事を子孫の人に教えておいたw
83 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:10:05.15 ID:ceEVJ9cO0
真田って梅之助、梅雀親子を苦しめた悪い奴だよな
84 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:10:49.19 ID:o3EQXv8S0
448 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/12(月) 00:32:52 ID:o7kGTT1y
>>446 西尾って家康から
「信繁を討ち取ったときはどのような様子であったか?」
って聞かれて
「そりゃあもう激しく抵抗されましたが私はそれを払いのけ見事しとめて…」
家康「嘘をつけ!朝から戦っていた信繁に激しく抵抗するような体力が残っているわけがない!」
って怒られて、恩賞が与えられなかったって話じゃなかったっけ?
449 名前:人間七七四年[sage] 投稿日:2009/10/12(月) 00:36:51 ID:ICv/BvWU
>>448 「徳川実記」だと「はしゃいでるアレ」とか「ホラ吹き」で
「福井県史」「越前風土記」や「結城家文書」だと「商人上がりの武家への養子なんだけと
根は真面目でおとなしい奴」になっている。
評価は人の見方それぞれ。
>>72 片倉重長の後妻が信繁の娘、阿梅だね
ただ男子が生まれず養子に迎えた
86 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:11:16.29 ID:VQni6f01P
88 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:11:53.29 ID:Nnxy2ix+0
ねね、真田って宇宙戦艦ヤマトに出てた人?
89 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:12:12.19 ID:1SJHkIRO0
とりあえず信繁厨はウザいだけなので、スレに書き込まないようにな。
真田 左衛門佐 信繁
武田 Thank You 信繁
91 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:14:57.51 ID:1SJHkIRO0
家康に関する話は嘘八百だらけなので、どれも信用できん。
どうせこれも後書きの捏造やろ。
そうかそうか
93 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:15:20.30 ID:5/2QdN4bT
まぁ供回りとか居なかったん?という疑問もあるが
その辺も書いたりしてないのかな
詳しく書いてあるなら是非知りたい
94 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:17:26.97 ID:t6pP1ohuO
過大評価過大評価言ってる馬鹿がいるが、それを抜きにしても立派な将であろうに
信繁でも幸村でもいいけど、
信之をキチンと評価してくれるような世の中になって欲しい。
知ってた
銃でうたれて死にかけてた首を取っただけなんじゃないの?
話を盛るなら『幸村だと知っていた』、『激戦した』をアピール
しないと手柄に成らない。
根が真面目だから真実を報告しちゃって、徳川家の威信を
傷つける話をしてしまう。
それを避けたいので話が独り歩きするも不器用だから訂正する
事もない状況だっただけなんじゃ?
99 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:19:48.52 ID:Cfkbk7P6O
信幸お兄ちゃんの存在を忘れないでー
100 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:19:57.19 ID:KK1GkIdz0
仁義礼智忠信孝悌
昔、NHKの人形劇「里見八犬伝」を観て覚えた悌は自信が無かったので確認した。
有名武将を捕らえて斬首するのが楽しいよね。
毛利勝永スレになっていると思いきや
103 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:21:28.58 ID:lVBskqm40
>>87 前田慶次って言うと現代的で名前かっこいいけど、他の武将に合わせるなら前田利益だよね。ほんとは。
利家よりジジイ臭い
104 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:21:53.06 ID:uhsq8np80
>>72 ちょっと調べたら松代の真田家は明治維新の頃二つに分かれて、
本家が養子でとった伊達宗城の息子、分家が松平定信の子孫だった。
多分宇和島伊達の息子を当主にして維新政府の機嫌とったのだろうな。
>>85 その阿梅を頼って仕官した真田幸村の子孫がいたと思う。
片倉家に仕えたのか伊達に仕えたのか知らんが。
105 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:22:13.04 ID:sGhOAq3OO
107 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:24:43.27 ID:84Q+97PRO
真田広之なら知ってるぞ!
ラストサムライの人だろ!
108 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:25:12.54 ID:cLDiK8x4O
大河ドラマ「徳川家康」の大坂夏の陣のシーンは凄まじかった。
逃げ遅れた庶民が狼藉武者に襲われるんだけど、
なんと、レイプされる女のオッパイが丸出し!
NHKは受信料欲しかったら…これ以上は言わなくても分かるな?
109 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:25:31.41 ID:uhsq8np80
>>93 まあ殆ど落武者に近い状態だったと思うがね。
家康本陣突撃で供回り討ち死にしてる筈だから。
110 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:26:24.98 ID:1SJHkIRO0
素人 前田慶次
プロ 前田慶次郎
変人 前田慶次郎利益
論外 その他の名前
111 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:26:36.26 ID:p8aZdTEB0
>>103 そのへんは一般に浸透しているのが通称、諱いろいろだから一概には言えない
片倉小十郎とか坂本龍馬は通称だしな
鉄砲で撃たれた説を何回か聞いたんだがどうなん?
影武者の方とか?
114 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:27:40.73 ID:ZYuxnC170
>>112 片倉小十郎は代々受け継がれてきた名前ですね
115 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:28:30.32 ID:pnha0plN0
>>46 >幕末にもペリーを討ち取ったと称する家臣を出したから
ワロス
幸村の本名は信繁と言って、幸村は死後に付けられた名前
子供は12人いて、次男は仙台藩にかくまわれて生き延び
現在、十三代目の子孫にあたる真田徹氏が存命中
これ豆知識な。
お察しの通り長男でございます
何かあまり評価されてないよね、幸村が人気者のだったからか。
118 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:29:39.20 ID:yu8HYW6EO
確か初陣は46歳だったよな
119 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:29:55.33 ID:1SJHkIRO0
>>113 家康は幸村に討ち取られた。
その後、家康の影武者が半年間勤めた。
120 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:30:45.02 ID:E4KwkmyF0
真田幸村の子孫は、大阪の空堀商店街でお好み焼き屋さんしたはる
>>114 初代の通称「小十郎」を以後受け継ぐようになったという話な
通常「片倉小十郎」と言えば初代のこと
司馬遼太郎の『城塞』を読んだ
俺が戦国BASARAで勉強した史実と違う・・・・・・・(´・ω・`)
125 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:33:01.08 ID:TRQlVWakO
>>103 「とします」って響きは格好いいと思うけどね〜。
ちなみに本名は滝川利益だよ。前田家に養子にきたから前田なだけで
越前松平家っていうけど、それを言うなら越前結城家だよな。
秀康は最終的には徳川からも豊臣からも追い出されて結城秀康になってるんだし。
>>106 いやこれはミヤモトマサシの諺の方だろ。
128 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:34:54.51 ID:KTcWb2uM0
また新しい糞ゲーネタが略
>>119 本物の家康は関が原で死んでるから影武者の影武者だ
130 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:36:16.99 ID:1SJHkIRO0
結城秀康は鬼武者になって豊臣家を退治したからな。
恩賞で一字もらうことがあった時代に本名がどうとか書く人は何なんだろうか
132 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:36:52.87 ID:TCXxclgwO
幸村は薩摩に逃げてつい最近まで霧島山中に潜伏してたやん
元家臣の子孫の呼び掛けに応じてやっと出てきた
133 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:36:56.52 ID:IMjZJDc0O
こっちの方がリアルだな
発見されなければ良い夢を見られていたのに
ほんとは女だったと言う衝撃事実
135 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:38:43.36 ID:Rn5dgPmSO
西尾仁左衛門、戦国無双ならびに戦国BASARA参戦決定だな
お兄ちゃんはいつ評価されるんだろうか…
139 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:40:35.09 ID:GIu7KQFJO
今後のゲームに西尾が幸村より高い戦闘力で登場だな。
幸村より下だとおかしくなる
名誉毀損として隠蔽します
141 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:41:18.09 ID:FQtbrM8oO
フセイン、ショーコーの往生際の悪さを見習うべきじゃないな
143 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:43:14.72 ID:VQni6f01P
>>141 日本には染物屋の甕に隠れてるとこを捕まった細川高國という、フセイン、ショーコーの先駆者がちゃんとおってな
144 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:44:04.11 ID:ibr7hnFV0
本当はタイムスリップした女子高生なんだけどな
そんなヘナちょこに家康追いつめられたのか
何が東照宮代権現だ。剥奪モノだな(笑)
146 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:44:25.13 ID:5svf0zU10
戦功のために戦って討ち取ったことにしたんじゃないの
148 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:44:59.31 ID:ZYuxnC170
戦国バサラの新シリーズネタできてよかったな
幸村の新たなライバル登場
>>116 黒田藩にも匿われてた。
名字を少し変えて。
150 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:45:27.30 ID:NIdxiuyKO
>>141 カダフィも隠れてるところ見つかってリンチで死んだな
ビンラディンみたいに撮影されることなく、銃撃されて死ぬ方がまだマシかも
153 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:47:02.73 ID:ZYuxnC170
>>137 殿といっしょ
読んでみよう
大活躍だ。
154 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:49:03.20 ID:yPsdnuM1O
人が見てなきゃなんとでも言える
人が見てても権力さえもってればなんとでも言える
それは今も昔も変わってない
従って、余計な推論を全て排除し、残った結果だけが真実である
幸村と言う名前も、後世の作り物だしな
155 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:49:07.98 ID:CXUBPBpU0
徳川幕府の記録が一番正確
156 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:49:15.81 ID:QcmB7xLL0
真田信幸といえば渡瀬恒彦
157 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:49:31.23 ID:86si+Acl0
>>129 影武者になると急にイケメンになる家康さんか…
158 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:50:01.91 ID:42Sq6xxg0
で、幸村は男なの? 女なの?
159 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:50:55.32 ID:s+lcyAkFO
>>153 真田一の豪の者なのに、いじりキャラにされてるからな。
まあ、稲姫とかが恐すぎだからな。
160 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:51:23.97 ID:RvQb1Y9X0
横山版 項羽と劉邦の項羽みたいな死に方だったんだろ。
あれは胴体しか残らなかったみたいだがw
161 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:54:29.29 ID:FwoNlpqu0
東映が撮影した貴重な記録映像では、
真田幸村が生き残って、徳川家康が討ち取られていた。おそらくこれが歴史的事…
武田信玄の弟の信繁(典厩)から名前もらってるんで、幸村じゃなくて信繁だよ。
163 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:56:02.68 ID:Mgk8rUFt0
>126
徳川家康の次男で結城家に婿に行った秀康は追い出された訳でない。
豊臣と徳川の間で政争にうまく使われた悲劇の武将だ。
本来ならば2代将軍になるはずが、母親が下女だったのでなれなかった。
秀忠より文武に優れていたと言われている。
164 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:56:22.07 ID:VQQ79AnK0
松代の真田家は幕府方から養子迎えて幕末には幕府の要職についてたが
官軍にはすぐに寝返って官軍方につき
長岡城明け渡しの受け取りに行ってる
さすが真田の生き残り戦術
ま、実権は武田信玄の家来だったころからの家老が握ってたらしい
馬鹿な会津藩とは大違い
165 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:57:47.17 ID:yu8HYW6EO
真田十勇士だか四天王だかみたいな奴らがいたよな?
あれも創作?
166 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 12:59:50.14 ID:4JR8+baEP
大阪の陣って全国の大名が集まってたらしいが、島津は何してたん?
あれ、幸村は死なずに秀頼と一緒に薩摩に逃れたのでは? 死んだのは影武者。
後、家康を大阪の陣で討ち取ったけどそっちも影武者が代わりに立てられたんだよね。
168 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:01:12.14 ID:E+TP8pQEO
幸村って髭生やしてる時は長渕みたいな腐った目をしてるけど
剃った途端、キリッとしたイケメンに変わるんだぞ。
マメな
169 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:01:22.94 ID:udlF1J32O BE:1298472544-2BP(22)
なにが凄いかって、こーゆー文献がちゃんと残ってるってことだよな
どこぞの斜め上の国とはえらい違いだ
功績の過大評価っていうか俳優の演技力と人気の話と似てる気が
173 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:04:35.57 ID:fXoC3WBb0
これは腐が発狂するパターンなの?ホルホルするパターンなの?
どうなんだ腐れ共
>>163 いや、顔が気に食わないから追い出したのだ
175 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:04:50.12 ID:4JR8+baEP
>>167 その説もあるね
天草四郎時貞=豊臣秀頼
島原の乱
・たかだか地方の乱ごときに徳川精鋭軍団が出陣してる
・しかも大苦戦
・乱を起こした側の武器や食料はどこから?
176 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:06:31.96 ID:1SJHkIRO0
177 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:08:42.73 ID:+mDv15T10
兄の信之と同年生まれだけど幸村の母は身分が低くて弟になっているという説があったね。
信長の子にもそんながあって本能寺の後、兄弟仲が悪いのを秀吉に利用され敵対させられ
1人は自決、残りも相続できず…
178 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:08:45.25 ID:YWQD7fSe0
でも幸村って死なずにそのあと大陸に渡ってジンギスカンになったんでしょ?
179 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:11:06.28 ID:xGa6DUnqO
>>1 大坂夏の陣か
戦国時代の掉尾を飾る虐殺じゃね。最後の大殺戮。殺しまくったらしいなあ
誰の首とか分からんよ。百姓の首跳ねて大将首だと申告するのが当たり前だった
180 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:14:10.59 ID:VQQ79AnK0
松代真田の家老家の末裔
1、医者やってる
2、国家公務員から富士急に天下って富士急ハイランドを作った
3、小学校の校長やってた
どれが何家とは言わんけど
馬鹿の家系はなかったみたいね
殿様よりしぶとい
182 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:14:41.66 ID:zY20bu6V0
仁左衛門 幸村
↓ ↓
モウタタカウ気ハ…
● ●
<|ヽ/ ノ
人 |\
て ウワァ! 死ねぇぇぇええ!!
●そ ヽ● ●
<|ヽ/ <━(━━━━V\━━━━
人 <\ <\ )) ))
↑
仁左衛門の影武者
真田信繁ってのは、武田信繁にあやかってつけた。
これは、歴ヲタは誰でも知ってて、豆でもなんでもないからな。
184 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:18:58.51 ID:u7WDqGS10
185 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:20:02.72 ID:lEJKjRgBO
もしその文書に「真田幸村」って書いてあったら偽書に違いないな(笑)
伊達があわよくば家康に死んでもらおうと思って一旦引いた説
前だけいじろうとします
188 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:24:12.85 ID:lwyct+hf0
幸村は韓国人だったらしいぞ。
浪人五人衆の中では
真田後藤より一番謎だらけの明石さんが気になります
190 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:24:20.81 ID:NMnubtJX0
そりゃ、そっちの方が見栄えが良いんだから、吹聴するのは当然じゃね?
>>129 せっかくネタに乗ったのにマジレスされるとちょっと寂しいよなw
>>185 いや大坂入城直後か、死ぬ寸前には幸村と改名したらしい
で、真田隊の生き残りが後世に幸村の活躍を伝えた
その始めが、『難波戦記』だ
193 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:28:45.04 ID:VQQ79AnK0
越前松平家のほうが会津松平家より格上じゃなかったのか?
>>104 仙台真田家ね
片倉姓を名乗って片倉に仕えてた
何代か後に真田を名乗るようになったよ
槍合わせしたって家康に言ったらめっちゃ怒られたんじゃなかったっけ
半日程度戦っただけで、諦めて首を差し出すのも不自然だしな。
多分30代以上の人は、蝦夷から海をわたってチンギスハーンになったって教わったろ?w
198 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:35:16.79 ID:yKXNk8BcO
三大過大評価
・真田幸村
・伊達政宗
・前田慶次
199 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:35:41.59 ID:9l2d91GT0
>>197 蝦夷とかいう魔境は時空が歪んでたりするんだな
200 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:36:19.83 ID:4JR8+baEP
>>192 違う。幸村って名前が出始めたのは江戸時代の数十年たってから。
この頃の江戸の街では浮世絵で戦国武将を書くことが流行り、徳川幕府はこれを禁止した。
なので名前を少し改変して描くことで世に広まった。
こうやって幸村が誕生した。
>>186 それはない
伊達は猛将・神保某を討ち取って徳川方に多大な貢献をしたくらいだからな
202 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:39:38.49 ID:+mDv15T10
家康は幸村の決死の突撃から辛くも逃れて、戦場から離れた庄屋の屋敷で休息する。
この庄屋の子孫が塩爺・塩川正十郎。
203 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:40:47.27 ID:fN2LHRME0
>>200 違う
真田幸村の書状について、ここで整理しておきたい。
・年次不詳9月20日 宛先不明 「真左衛門佐 信繁」
・年次不詳極月晦日 木村土佐守宛 「真左衛入 信繁」
・年次不詳9月15日 関口角左衛門宛 「信繁」
・年次不詳6月23日 河原左京宛 「真好白 信繁」
・年次不詳2月8日 小山田壱岐守宛 「真好白 信繁」
・年次不詳12月29日 池田長門守宛 「左衛門佐」
・慶長20年(1615)正月24日 村松殿宛 「さへもんのすけ」
・慶長20年(1615)2月10日 石合十蔵宛 「真左衛門佐」
・慶長20年(1615)3月19日 小山田壱岐守・主膳宛 「真左衛門佐 信繁」
・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
204 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:43:37.34 ID:SJM3f/YQ0
>>202 嘘付けwww
塩爺の豪邸は東大阪だw
ぜんぜん場所が違うわw
まあ、塩爺の邸宅は大豪邸だから一瞬信じそうになったわw
205 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:43:43.75 ID:VQQ79AnK0
上田市真田に武者、武捨とかいう苗字があるから
多分元ドイツ証券武者は潰された上田真田藩(昌幸・信繁)の関係者だろ
生き残ったのは沼田の分家から松代に入った信之の家来
そりゃ、戦闘直後は未だ敵なんだから。そんな悠長な逸話を採用することはできない。
後で、旧敵を美化することで勝者を更に強大に見せる動きが始まるんだよ。
確か2説あって、
・激闘して倒しました!って言って嘘付けと叱責された
・どのように倒したかを詳しく言わなかったため、退出後に家康「戦いはしなかったらしい」
(疲労しきったところを簡単に首を取った、と思われた)
208 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:48:16.49 ID:VQQ79AnK0
>>207 一騎打ちで勝てそうもない弱弱しい奴だったんだろうなwwww
209 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:51:30.70 ID:O12aF/Ty0
210 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:55:37.64 ID:+mDv15T10
>>204 塩爺本人が昔テレビで言ってたわ。
「まあそう言われてますわ。」てな感じで、聞かれたから答えただけで別に自慢そうでなくな。
長い軟禁生活中妻子抱えてひたすら金に困ってる手紙が残ってるようだし
表舞台に戻って気力充実したとしても失った体力は戻らんやろ
212 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 13:59:03.30 ID:eiicHvnBO
苦労せず信幸が90近くまで長生きしたのは納得いかん
213 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 14:01:12.43 ID:uhsq8np80
>>156 渡瀬の信幸は普段冷静沈着なのに、なんでもないことで突然ブチ切れてちょっと怖いっていうか。
当時の殿様ってのはそんな感じだったのかもしれん。
タイムマシンで過去にいったやつが 「真田幸村どこ?」
「は?」「だから真田十勇士の真田幸村だよ!」「??」
ってなって 名前だけが微妙に残ったのかもしれん
「惜しいかな後世、真田(信繁)を言いて毛利(勝永)を言わず」
217 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 14:15:33.09 ID:mZO5Pw0W0
幸村は友達が少ない
218 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 14:15:51.04 ID:DKfOOIFF0
お前ら見たことあるん?
見たことあるように語ってるけど
みたこあるん?
真田幸村の不相応な持ち上げられっぷりは異常
220 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 14:20:01.08 ID:uhsq8np80
>>218 若い頃は越前松平家に仕えていたからな。
主君の暴虐に耐えかねて浪人て今日に至るが。。
221 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 14:22:27.61 ID:f59/Su020
信長の野望つくってる奴は、絶対「真田太平記」が大好きな奴だと断言する!
俺も大好きだww
・真田幸村 (統率)98 (武勇)108 (知略)89 (政治)36 (戦法)影突
・本多忠勝 (統率)91 (武勇)98 (知略)71 (政治)60 (戦法)神槍
・おやじ (統率)97 (武勇)76 (知略)98 (政治)91 (戦法)火牛
・あにき (統率)80 (武勇)62 (知略)75 (政治)88 (戦法)鼓舞
あにきの知略をもうちょい上げてやれよ可哀想だろ…
真田雪村いずみたく八郎が222ゲェェェット!
223 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 14:28:15.35 ID:SDxYVGiUO
>>212 後世の尻拭いやらなにやらで色々と苦労してたはずだが
224 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 14:30:55.91 ID:yvy9Te4P0
>>175 へー、その説は始めて聞いたけど想像するだけでも面白いな
幸村は別に強くなかったって話だろ?
大体、団体率いての合戦で個人レベルでの強い弱いを語るのは無意味だわ
>>205 それは我が家のご先祖様かも、詳しく知らないが上田の真田と縁があって家紋が六文銭だ
信州諏訪大社の宮司とも関係してるらしいけど、何故家紋が六文銭なのかよく分からない
ちなみに武者、武捨という苗字ではなく、本家筋の姓は海野だそうだ(我が家は海野ではない)
>>218 幸村「もう戦う気はない。手柄にせよ」
仁左衛門「誰こいつ。まあいいか悪く思うなよ。えい」
家臣が陣中見舞いにきて判明
えらい人「先の戦功大儀であった。事の一部始終を申し伝えるように」
仁左衛門「なんか知らんけど立身チャンスキター(゚∀゚)ー!!」
仁左衛門「あいつはなかなか手強かったぜ。何とか戦って討ち取ったが、その時に負った傷がこれなんだぜ(キリッ」
戦功書「幸村は戦って討ち取られた」 ←今ココ new!
>>187 前だけ いじろう と します
俺は評価する
231 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:14:19.05 ID:NIdxiuyKO
232 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:17:00.14 ID:a1x7rPU7O
あずみに討たれただろ 何言ってんだ
233 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:19:05.27 ID:s+lcyAkFO
>>212 信幸は、苦労人だろ
親父、弟は、関ヶ原の第二次上田合戦で徳川信忠に恥かかせてるし、助命嘆願した弟は大阪で活躍するし
妻は、その将軍の献上品を奪うわで苦労が絶えないし、真田からしたら裏切りものよばわりだからな。
何もなければ100才生きてたかも。
234 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:19:31.76 ID:gVWEaKws0
昔、喧嘩してたことあるけど
三分喧嘩するだけでヘトヘトになるよ。
予備と交代しながら戦うならまだしも
鍛えてる人種とはいえ数時間戦えば、消耗度合いは半端ないだろう。
徳川方の記録にも、真田の三度の突撃に家康を守る本陣が総崩れ(大久保忠教)
になるなどの活躍をしたわけだし、戦う体力、気力も残ってないと思われる。
旗本(旗奉行)も一時家康を見失い、藤堂家の記録にも一時家康が所在不明だったとあるので
替え玉説も出てくるw
236 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:20:09.38 ID:f59/Su020
>>229 前田刑事も
上杉と徳川が、もしあの時、戦ってれば
戦場でちんでたら
滅茶苦茶ヒーローになってたはず
前だけいじろうとします。とか言われてねーのに
実におすぃー
237 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:26:47.39 ID:VQni6f01P
>>204 夏の陣の幕府軍は奈良から東大阪のあたりを通って今の天王寺あたりに集結してそこから攻めあがってんだけどね。
そして本陣を攻められた家康は布施のあたりまで逃げたって言われてんだけど。
布施って東大阪な。
238 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:27:47.77 ID:OJeU8N7HO
>>221 実際アニキは無敵無敗の常勝だった訳で
その数値じゃ低い
「天下の御飾り」と言われたアニキは
晩年は森繁久彌のように武家の顔役として活躍
平和時に生まれたボンボン達に戦の何たるかを伝えた功績がある
討ち取ったことにしろと真田殿に言われたので
友人への手紙で酒の無心しまくってたり
隠居暮らしで収入無くて嫁さんが紐売って稼いでたり
死んだあとは味方に毛をむしられたり
実際ちょっと図太くて間抜けな印象なんだよな
241 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:35:43.32 ID:x86wbIzS0
マジデ幸村って表示やめろよ。信繁だから
>>225 秀忠に大恥かかせた上田城の攻防や、冬の陣での大坂城の防衛線の真田丸発案は
全て親父の真田 昌幸の考えが基となっているからな
指揮を執ったのは基本的に幸村って事にはなっているが
幸村の武勇は家康の旗印を直接踏み倒した話が基だろうな。まあ、あれは薩人マシーンの次の次ぐらいでは凄い話
一応噂程度では、幸村が突撃に先んじて伝令っぽいのに化けた連中潜り込ませて
徳川の各武将のうちだれかが寝返ったとか吹聴して回って各部隊の連携をズタズタにしていた為ってのがあるらしいが
九度山真田庵行ったけど、妙に俗っぽくて笑った(´・ω・`)
関係者がガーデニング趣味あるのかな?
たくさんのコンテナに花が植えてあったんだが、行政のお座なり感じゃなくて
「花が好きです」ってオーラがあって不自然だったw
244 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:42:07.78 ID:OJeU8N7HO
松代の真田資料館にある、真田家の家系図を見ても
途中から信繁→幸村表記になってるからね
江戸時代に幸村の方が通り名として世間一般に浸透しちゃったんで
真田本家でも堂々と改名しちゃってる次第
江戸初期には徳川幕府に遠慮してた真田家も
年代が下がると幸とか当主に付けるようになって
段々ミーハーになってゆくのが分かる
ゲームじゃイケメンだけど歯がボロボロで乞食みたいなひどい容姿だったらしいよな。
>>245 体がボロボロだとかというのは、どうせ手紙を検閲しているであろう
浅野家や将軍家に対するカムフラージュだったんじゃないかと言われているよね。
そもそも幸村なんて、一回の浪人にすぎんだろ
江戸自体の講談の人気ネタになったもんだから英雄に祭り上げられただけの話
三國志の英雄たちとそう変わらん漢字だわな
沼田と上田って、直線距離で70キロくらい離れてるんだよな
大国に囲まれた中で、両方死守したのがすごい
249 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:51:08.19 ID:x86wbIzS0
「命を惜しむな、名をこそ惜しめ」
「人の真価はいかに生きるかであると同時に、いかに死するかによっても決するもの、例え五体を微塵に砕かれようと決して臆するな。名こそ惜しめ」
真田信繁と共に高橋紹運は武士の鑑中の鑑である。
後世にこのように名が残っている。
250 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:51:15.05 ID:LQWbhDm/0
意味分からん
史実通りじゃん
251 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:52:36.61 ID:OJeU8N7HO
アニキの松代藩出身の佐久間象山が明治維新の立役者なんだから
結局のところ、真田家を残しといたのが徳川幕府の運命を変えたと言える
古よりの物語にもこれなき由
>>203 サラッと書かれてるけど、「幸村」の書状は存在してないだろ
254 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:57:01.66 ID:V8xwCPsqO
255 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:58:53.62 ID:gVWEaKws0
>>247 家康の本陣が崩れ、家康が逃げたのが
三方原と大坂の陣の真田くらいなので、人気者にもなるだろう。
256 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 15:59:55.66 ID:I+5OYGgd0
>>254 歴史小説読んでるだけのアホにはそう思えるんだろうな
ふむ。
フツ〜に勝負して負けちゃッた(テヘ、よりゃ自ら首の方がかっこエ〜罠あ〜。
21世紀の現代、未だ幸村ネガキャンに努める闇の粘着勢力。
こッちゃの方が、話としてはオモロいがの〜^^
信繁と同じことやりかたった奴は、現代の日本中で何人くらいいるんだろう?
>>189 その昔、前田慶次たちと一緒に上杉家で麻雀打ってたらしい。
260 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:05:49.57 ID:OJeU8N7HO
ちなみに、武田・上杉両雄の決戦場として名高い川中島は松代の隣町
高速インターを降りて右に橋を渡ると川中島の古戦場
左に曲がると松代の城下町
真っ直ぐ進むと(松代城)海津城が有り
半径五キロ以内である
261 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:09:27.44 ID:4JR8+baEP
>>224 結構有名だよ
真田幸村、豊臣秀頼は影武者を置いていたいたために大阪城から脱出できた。
その後に薩摩へ、薩摩から島原へと逃亡を繰り返す。
島原の乱の謎
天草四郎時貞=豊臣秀頼
・国内最大の農民、キリシタンの一揆である。
・12万人の徳川幕府軍が直々に征伐に向かうが、戦闘かえしから鎮圧まで3ヶ月も掛かった。
・一揆軍の籠城戦があまりにも手慣れていた「真田幸村が生きていたらおかしくない」
・一揆軍4万人にも膨れ上がり、鉄砲も食料も沢山確保していた。
このように最早、ただの農民の一揆ってレベルじゃない。明らかにバックにスポンサーがいないとおかしいのである。
豊臣家の財宝は見つかっておらず、もしかしたら豊臣秀頼が生きていたのでは?っと言われてる。
>>260 海津城そのものが川中島合戦の現場と言っても過言じゃない。
263 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:12:59.77 ID:1SJHkIRO0
幸村については長野県の上田城よりも
大阪の真田山界隈の方が有名なくらいだからな。
地名になっていまだに残っているくらいだしな。
戦国板にいると、何を今更ってところだ。
265 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:14:14.46 ID:GKInAks0O
>>254 関ヶ原の遅刻は他の場所で死闘をしてて、相手をボコボコにしたけどまだやれる
ってんで関ヶ原に向かっただけ
って解説をしてるバラエティーがあったな
有名人の子孫を紹介するやつ
去年の話だもんな、これ
>>66 俺とお前くらいだろ
その名前を知っているのは
268 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:15:41.98 ID:4JR8+baEP
>>261 この説の捕捉
たかだか農民どもの一揆くらい、九州の大名に鎮圧を命じればよい話。
なのに徳川幕府軍が一揆の鎮圧に早々と出陣しているところを見ると....
「幕府は隠したいことがあった」と見るべきかと。
天草四郎時貞=豊臣秀頼が健在と全国に知られると敗軍の将が再び決起し、徳川幕府としては緊急事態だからである。
269 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:17:24.44 ID:vwiVtsWh0
仙台真田家。
幸村の二男である守信の系。
270 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:22:14.74 ID:yvy9Te4P0
>>261 豊臣家がバテレン追放令出したのに秀頼がまさか、とか思ったけど
バテレン追放令ってそんなに言うほど厳しいモンでもなかったみたいね
詳しい説明サンクス
271 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:22:58.37 ID:OJeU8N7HO
>>262 でも海津城の所在地は松代に入るからね
高坂弾正の城であり千曲川を挟んで上杉と睨みあった
武田が陣取った妻女山には今も小さな社が有るが
後は物見が有るだけで、他に何にもない
山梨県民がっかりのスポットである
272 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:24:12.20 ID:LDSPoj4Y0
273 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:29:40.14 ID:KwgJg8z80
大坂の陣で一番活躍したのが毛利勝永で次が長宗我部盛親
真田は三番手くらい
>>273 親兄弟が優秀で有名だからな。木村の次で四番手くらいだろう
有名になりすぎると今度は過大評価だと叩かれる法則・・・
冬の陣の城南の戦いで幕府側を叩けたのは、真田が上手く前田勢を釣ったから。
夏の陣でも、真田が相手をしたのは、兵力・士気からいって(将軍家を除いて)最強軍団。
276 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:35:40.68 ID:B30UMBKt0
朝鮮人が盗みに来るぞ
お前らよく年収3000万とか言ってるじゃん
それと同じだろ
278 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:40:08.65 ID:GiW7sHDVO
天草四郎が秀頼だなんて珍説もいいとこだろ
秀頼天草島原一揆で何歳だよ
>>201 誰かわかりやすくツッコめよ
神保さん可哀想だろ
280 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:41:38.66 ID:OJeU8N7HO
>>274 剛力はオスカーだからゴリ押しされてると言うようなもん
戦国のジャニーズと言った方が適当か
ともかく華の有る一族である
>>273 長宗我部とか兵力ほぼ同数で壊滅させられてんじゃねえか
おかげで本番に出兵できないし
>>271 第四次川中島合戦で、妻女山頂に陣取った謙信が海津城の飯炊きの煙がいつもより
多く立ち上っているを見て武田軍の動きを察知して、キツツキにつつかれる前に
妻女山を下ったという有名な話もあるわけで、海津城は川中島合戦の重要な現場のひとつだよ。
>>278 生きてるのが奇跡てほどの年にはなってないだろ。壮年ってとこか?
立花宗茂なんかも参陣してるし。
285 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:47:34.25 ID:LE5bDoju0
>>273 あとついでに片倉さんとこの息子さん見初めてて、
うちの娘嫁にもらってとお願い。(敵方)
286 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:47:54.39 ID:orSUQAf1O
>>274 今でいう映像資料の大阪夏の陣図屏風も右に家康、真ん中に真田、左は逃げ惑う民衆と追い剥ぎする徳川勢で
木村も後藤も毛利も長曽我部も旗印しか描かれてないからな
287 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:50:38.92 ID:4JR8+baEP
>>278 では天草四郎時貞の起こした一揆である島原の乱。
徳川軍12万人を相手に3ヶ月も戦えた一揆軍の資金源はどこから出たんだろ?
これはいまだに謎。
豊臣秀頼であったとしても全然おかしくない。
>>263 さすがにそれはない。
大阪の真田山が真田幸村に由来することを知らない大阪人はたくさんいるが、
上田城の旧主が真田昌幸で幸村も暮らしていたことを知らない上田市民はほとんどいない。
街中に六連銭があふれている。
「真田町」という地名もあるし。
>>287 松平伊豆が長期戦を想定して、
2か月ほど攻撃を控えたからじゃないの?
290 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:57:14.75 ID:4JR8+baEP
皆も島原の乱を勉強してみると良いよ
真田や豊臣に行き着くかもしれない
それくらい戦国最大の謎
291 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 16:57:49.62 ID:orSUQAf1O
>>283は義経ジンギス・カン説をムキになって主張しているレベル
島原一揆の中核に明石カモンの元家来がいた事を現代作家が膨らませたフィクションだろう
薩摩落ち人説は江戸時代からあるけど伝説
話を膨らませたのが南九州で大阪陣後に豊臣某という怪力の大男が村の作物盗んでトラブル起こした程度の話は郷土史伝承レベルで残ってる程度
293 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:01:15.96 ID:f59/Su020
>>287 世界史忘れたけどw
あの当時って
ヨーロッパの連中が、宣教師派遣して、キリスト教布教の名のもと
現地民殺しまくって
その地域を植民地支配していった時期じゃなかたっけ?
294 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:01:42.03 ID:4JR8+baEP
>>289 兵糧攻めに切り替えたんだよね
・戦闘開始から一揆軍が籠城し幕府軍が攻めいるが鉄砲も多量に保持していた為に幕府軍側が4千人も死亡
・それなら兵糧攻めにしようと包囲したが3ヶ月もかかった
一揆軍は4万人。鉄砲と食料はどっから持ってきたんだよwwwって謎。
>>31 真田とか爺さんでもない限り、顔は知られてないや
296 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:04:11.70 ID:OJeU8N7HO
>>288 上田城の有った所に、進学校の上田高校が有るし
真田幸村を大河にって上田商工会が煽ってるし
まず、上田駅に着いて最初に目にするのは真田の昇り旗と十勇士の名前
一番力入れてるのは上田
松代は、道を歩けば真田に当たる
勝手に観光客くるけど、あんまり泊まる所もなく
結局善光寺の方に行ってしまう
297 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:04:39.79 ID:orSUQAf1O
>>288 単に大阪に比べて上田は観光資源と郷土文化が貧弱なだけじゃん
>>261 元からあの地域は鉄砲たくさん残ってて上手な連中もたくさんいた。
改易になって帰農していた元小西の家臣とかあの辺の合戦の経験のある浪人たちが
わらわら参加してて足軽奉行みたいなのも作って軍隊のように組織化されていた。
要するにただの農民一揆じゃなくて、戦国の合戦状態で一向宗並みの精神力も。
キリスト教が原因というよりは、領主が石高を実際の二倍に報告して元から年貢の設定に無茶があった、
居城作りやフィリピン侵攻を企ててさらに税金取ろうとして
農民はもうどうしようもならないとこまで追い込まれててブチ切れたのが本当。
>>297 大阪は古都資源の活用が下手すぎるとも思う
日常的にありすぎてるのが原因だとは思うが
300 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:08:49.22 ID:4JR8+baEP
>>293 オランダ、ポルトガル辺りが島原の
バックアップしてた説。
それもあり得るんだが、一揆を起こしてるのは農民だぜ?
戦い慣れてるのにも程がある。
豊臣軍の生き残りも大量にいたんじゃないかと。
ゆきむらなら俺の横で寝てるが?
>>294 どっかの大名家から奪ったんじゃね?
さすがに物資を調達してから反乱起こすよね
>>294 一揆勢の大半は地元の百姓なんだから、食料の蓄えはあるだろ。
一揆が勃発したのは10月なんだから、まさに収穫直後。
百姓の蔵には1年分の食料が蓄えられている。
武器は闇で往来していた宣教師が調達してくれただろうし、
江戸時代初期なら武器なんて百姓でも持っている。
304 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:11:29.39 ID:sjxM89Ut0
>>14 無名でも正規兵を討ち取れば武勲。
装備からみて明らかに上級武将の死体があったら、殺してでも奪い取る状態。
>>299 大阪の四天王寺の近くに幸村最後の地ってところが路地に入ったところにあったわ
周りの寺がでかすぎてほんとにひっそりって感じ
大阪は焼け野原になって残ってないってところもあるだろうけど
>>36 勝った方の戦死者の首は行方知らずになるもんよ。
討ち取った功績もそれを手柄と認める側も消えるから。
>>300 オランダは幕府に協力して農民の立てこもる城に400発以上
砲撃をかました側。
確かに「南蛮から援軍がやってくる」みたいな士気を高める噂はあったらしいから、
幕府側がそれを潰すためにあえてオランダにやらせた。
308 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:13:50.12 ID:4JR8+baEP
>>298 でもさ
そんな島原の乱ごとこ、九州には化け物じみた猛者の大名がいるんだから幕府軍が戦う必要ないんじゃないかと。
何でワザワザ徳川軍が動いてるんだよと。初動から動いてるからね。
309 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:15:00.05 ID:orSUQAf1O
>>299 大阪は秀吉前から観光資源は地方レベルにはある上に近代の経済文化の貢献と影響は東京の費じゃないからね。
しかし江戸時代は東京のように江戸文化を全面に押せるほどでもない
>>297 ん?
貧弱だからなに?
貧弱だからこそ、上田市は一本槍で真田押しをしている。
だから、大阪の真田山の方が有名なんてことはない。
311 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:16:19.67 ID:OJeU8N7HO
ところで、天草四郎は本当にバテレン服着て戦ったんだろうか?
その辺疎いんだが…
>>308 島津は徳川の言うこと聞きそうにないし、細川も入れ替わったばかりじゃね?
>>308 大阪夏の陣からでも約20年
平和ボケしだしてくるんじゃね?
314 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:20:33.79 ID:4JR8+baEP
>>313 島津がいるし平和ボケはないかと
琉球王国をあっさりやり遂げるチートだし....
島原の乱の軍事指導者には、
小西、有馬の家臣だった浪人だけじゃなく、
弾圧側だった、松倉家臣もけっこう居たことが判ってる。
従って、軍備や用兵がなかなかな内容であったのは当然で、
伊豆が兵糧攻め&組織崩壊に切り替えた結果、数ヶ月に及んだとて
別段不思議ではない。
一義的に、松倉の失政が招いた事態。
>>294 九州には謎の闇組織がいたんだよきっと
黒田の爺さんも息子が兵連れて関ヶ原行ってる間にどっからか調達した兵率いて
暴れてたし
317 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 17:22:57.38 ID:zatG7Lal0
武将の武勇伝とかは謎があった方が良いな
こうして様々な説を語りあう事で思い馳せる事できるし
>>56 まあそれ以前に結城秀康が勇士と聞くと雇用しまくったので、当時の越前松平には真田の元家臣が多くいた。
開戦直前には
真田信繁「最期に挨拶したいんで原(真田旧臣)に会わせて」
松平忠直「おk」
なんてやりとりもあった。
319 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2013/02/25(月) 17:51:11.69 ID:s492f3fvO
関ヶ原で秀忠が遅参したから徳川領を西日本に
置けずに、維新に繋がったとかっていう若干
強引な解釈を評論家が言ってた。
天領は日本各地にあるぞ。たとえば、九州だと長崎が有名だし、島原の乱の後には
天草は天領になったし。
きっと天領を知らないんだろうな
322 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:17:27.50 ID:h5uICHWfO
真田幸村って大星由良之助みたいなものだろうが
徳川と戦った人間が活躍した話を堂々と語るのは御政道批判に繋がると取られる
323 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:19:25.91 ID:b8G9BDya0
>>308 難癖つけて化け物じみた猛者の大名の領地減らせるじゃないか
武田家みたいなもんじゃね?
それに付随して上杉謙信とか
325 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:20:25.04 ID:NIdxiuyKO
天草四郎は柳生十兵衛に首はね飛ばされても笑ってたからな……
天草の乱で徳川軍がそれほど動いていたかな?
鍋島、細川が主力だったような。
猿飛佐助は実在した
328 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:26:53.86 ID:X9oF1O27P
あんな長渕みたいな顔してたら
誰でも気がつくだろ
329 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:27:36.26 ID:qyi0YOOG0
結城秀康ことギギ〜越前松平家・越前藩の祖
家康が側女にお手つき、つまり浮気したことによって秀康は生まれた。
秀康は相当な醜男で、生まれたばかりの赤ん坊の顔を直視したが
家康を嘔吐せしめた程である。魚の「ギギ」に似ていることから、
於義丸または義伊松と名付けられた。
一説によると母親が於義丸を身ごもった前後、母の付き合ってた男が
屋敷に出入りしていたが、その男は半漁人のような面構えで
あったという伝承もある。こうした母親のヤリマン疑惑で
家康の実の子か疑いを持たれた上、さらに当時忌諱されていた双子だった
(もう1人の双子は死産)ため父、家康は於義丸を敬遠した。
異母兄の徳川信康が切腹され、ようやく家督相続が回ってくるかと思えば、
今度は羽柴秀吉に養子として、幼なじみの本多仙千代(後の飛騨守成重)を
同伴させ送られ秀吉に実子鶴松が誕生すると結城晴朝の下へと盥回しにされた。
要は徳川家康は都合の悪い松平秀康は幼少の頃から他家に養子に出しまくり
蔑ろにたらい回しにしたあげく関ヶ原の戦い後には北陸越前の地に封じ込め
徳川家康実子の中でも末代における「徳川」姓を名乗ることを固く禁じられた。
軽症のキモヲタ「信繁(キリッ」
重症のキモヲタ「勝永ガー」
関東方に付いた兄信之に配慮して、六文銭の旗印を使わなかったということだから、
誰か解らないこともあるわな。
それに、家康本陣にたどり着く間に、囮の幸村が出現して相手を混乱させてたなんて
逸話もあって、見た目でわからないようにしてた可能性もある。
332 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:34:33.71 ID:buO6VBr+0
>248
真田昌幸の家臣にいた矢沢頼綱(真田幸隆の弟)が沼田城代やってたけど、
これもチート級能力の武将で、局地戦防御戦にめっぽう強かった。
容姿として伝わるのは「風采の上がらない小男」だったか。
配流先からの兄宛の手紙読むとやる男のイメージにしかならないので困る。
>>334 別に字は下手じゃないだろ。
自筆の書状はたくさん残っているから、何通か見たことがあるが、普通。
337 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:44:09.99 ID:b8G9BDya0
つかあの時代の字のうまい下手なんておれは見てわからんよw
>283
島原の乱の当時に秀頼が生きていたら40歳
339 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:47:01.30 ID:GiW7sHDVO
>>283 亀だが、もし生きていれば壮年のオッサンだった秀頼が祭り上げられたのに
なんで天草四郎が若者だと現代に伝わるんだ
>296
信繁(幸村)を大河にするにしても、華々しい舞台は最後だけで、
それまではずっと他家の人質だった時期や浪人して逼塞してた話だからなww
1年を持たせるだけのストーリーは作れないだろ。
それならまだ兄貴か親父を、もしくは親子3人をネタにして大河にするほうがいい。
>>339 佐々木小次郎もジジィとか若侍とか色々じゃね?
天草四郎がどうかは知らんけど
>300
関が原で改易された家の旧臣とか、朝鮮出兵に参加した連中とか、
戦闘経験のあるようなのは結構生き残ってたんじゃね?
島原の乱での活躍といえば武蔵だろ
武蔵よじ登ろうとして石ぶっつけられて落ちて大怪我したけど
もしよじ登ってたら五万人ぶっ倒してた つくづく惜しい
344 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:55:03.77 ID:gVWEaKws0
別に草刈正雄が幸村(信繁)役でもいいやん
345 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 18:56:58.43 ID:xwnK6f/JO
>>340 そこであの火坂センセーの「真田三代」ですよ(笑)
346 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:00:03.08 ID:gMEK64Id0
島原の乱の動員数見ると鍋島細川黒田で半分以上の兵数だな
幕府は指揮官と数千の兵しか派遣してない
>>342 秀吉に所領奪われた肥後の国人やら有馬の転封に付いていかなかった旧臣とかいろいろ。
真田の旧臣が参加したという噂が出て、仙台真田へ幕府から詮議があった。
伊達家は旗本真田(信繁の叔父の家系)と示しあわせて回避した。
348 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:05:07.83 ID:nBHJsOUA0
ここで信繁の名前に執着してるアホってつくづく惨めだね
今やもう圧倒的に幸村で有名になって
銅像も全部幸村になっていて
当の真田家も幸村で構わないと是認し、幸村で記録されているというのに
げんじろう あにいい
>>340 そもそも真田太平記は大河でとっくにやってるしな
次の信長の野望シリーズは西尾仁左衛門が幸村以上の戦闘力で登場か・・・
>>348 「俺は知ってるんだぜ!」って言いたいんだよ。
温かく見守ってやれよ。
項羽の最後も幸村みたいな話みたく最後は呂馬童に自ら首を差し出したみたいな話見たけど
定説はどうなってるん?
>>308 >化け物じみた猛者の大名
そういう連中に活躍されると徳川幕府としてはこまるんじゃね?
参勤交代も大名に金をつかわせるのが目的で、それによって民の年貢にシワ寄せがくる
民衆にとっては年貢ばかり取るくせになにもやらない連中(武士)という対立構図が、乱鎮圧で支持を受ける事になる
そうなると地方軍閥に余計な力を持たせる事になる
逆に幕府が動けば「今でも幕府はこれだけの軍を動かせる」という示威行動ができるわけだ
>>354 そのまんまか
なんかあの辺の話も胡散臭いよなぁ
台詞とか残騎数まできっちり書かれてるのが余計に
>>348 出来上がったものに乗っかってドヤ顔で勝利宣言してる
にわかのいい例
>>340 一世紀近く生きた兄目線で父弟の話挟みながらならいけるかも
っても弟が目立たないとファンがうるさいかもだけど
結婚後は手紙や幕府の使者が来る度にorzなって嫁に励まされる展開ばっか想像して笑ってもうたw
新説っていうならオレは個人的に孫ピンは裏切られたわけじゃないと思う
むしろ友人に「裏切ろうぜw」つったらチクられて(その意味じゃ裏切りだが)
でとっつかまって便所に足ぶったぎられて捨てられちゃったんだと思う
だってそんな簡単にそこまでされるかなブラフ(友人のうそ話)で 裏切るって証拠が
あるからやられちゃったんだとまあ勝手に思ってるんだけどね
360 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:20:55.76 ID:U03BAQ160
幸村なんて呼ばれ方、当の本人も望んでないだろ
生前、そんな呼ばれ方は一度もされてないんだから
幸村って呼び方は江戸後期の某・作家が使い始めたフィクション用語なんだぜ?
>>356 まあ正確には自分の剣で頸動脈切って死んだみたいな感じ
362 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:25:14.56 ID:NWtdi+TN0
幸村が伝説化したのは、戦国最後の戦いだったこともあるんだろうなぁ。
大坂の陣。
もっと凄い戦いは戦国時代に腐るほど有るもんな。
>>358 石田三成の「ぶっちゃけ城勤め飽きた」とか愉快な手紙のネタもあるしな。
364 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:27:39.13 ID:xwnK6f/JO
井沢元彦なんか、もう幸村でいいじゃんみたいなこと言ってたな
365 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:30:17.89 ID:qM1IXZqE0
俺の永遠のアイドル
YUKIMURAを
貶めるなよ
>>362 一番大きいのは徳川家を追い詰めたヒーローってことだろうな
反体制の英雄を庶民が好むのはいつの時代も同じ
>>357 通称や愛称を否定してもしょうがないと思うぞ。
だいたい信繁とだけ書かれたら信玄の弟を浮かべる人だらけではないのか?
講談が駄目なら真田幸村だけじゃなく大久保彦左衛門も大久保忠教だ!と言わなきゃいけないけど数多くいる大久保の内の誰かなんてみんな分からない。
368 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:33:55.02 ID:lMNGLB4x0
369 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:34:11.18 ID:IJuSbpg+O
自死以外で誇り高い最後なんかないだろ
だいたい槍で串刺しにされて死亡
370 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:35:20.46 ID:bIg0rkwvO
家康から一国をやるって条件を無視したのは前田慶次の百万石の酒を真似をしたんだろうな。
371 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:37:42.06 ID:+efiTtvS0
真田、幸村、どっちが苗字だよ
名前は一番知られてるのでいいんじゃね?
あの時代は出世魚みたいに名前変わる人いたし
上杉謙信なんて景虎→政虎→輝虎→謙信だぜw
自分はBASARAのせいで、とにかく赤くて喧しいというイメージが…。
374 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:41:18.15 ID:aXWyEB2FO
>>277 「3000万」とは言ったけど、単位が円とは言ってないからな
実際は、3000万ウォンとか3000万ルピーだろうよ
弘法大師も伝教大師も死後に付けられた名前だから、本人はそんな名前で呼ばれてるなんて知らないんだぜ。
生前にルーピーと贈り名された総理大臣がいるけどな・・・
377 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 19:50:14.47 ID:xwnK6f/JO
西郷どんなんか、名前間違えられたけど本人が「いいよそれで」で隆盛になっちゃったからな
>>370 秀吉からじゃなかったか?
そりゃ作中若く描かれてるけど現実は50過ぎのオッサンで妻子捨てて蒸発したから係累いないし。
本人が改名の事知ったとして、幸村って言われても、むしろ知名度で喜ぶかもな
改名にあんまりこだわらない時代だし
幸村にせよ信繁せよ、そもそも諱で呼ぶなんて失礼なこと。
諱で呼ぶくらいなら間違った名前の方がまし。
381 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 20:07:11.19 ID:xwnK6f/JO
さらに重症のキモヲタ「好白(キリッ」
382 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 20:22:15.51 ID:fBRtwr49O
薩摩まで逃げ延びたって説もありませんでしたか?
383 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 20:31:33.86 ID:lEJKjRgBO
>>377 西郷従道も本当は「隆興」なんだよな。兄弟しておおらかというか適当というか(笑)
384 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 20:31:59.82 ID:LnHmYpfoO
こんな経緯なんて大したことじゃない。
武士として名を残したことが何よりの栄誉だ。
385 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 20:40:09.38 ID:Q+ohRup40
>>382 武蔵野美術大の教授だった抽象画家の山口長男が幸村の子孫を自称しておった
という話を彼の学生だった叔父から聞いたなぁ。
さて、名前の件だが、誰を指しているのが明白なのだから、幸村というほうが普通だろう。
信繁じゃ、前に大勢が言っているように信玄の弟と勘違いする。
ここは、大学のゼミじゃないからな。
ちなみに天皇なんか、みんな幸村のように贈り名だが、生存中に呼ばれていた名
で呼ぶことはまずないだろう。
【可愛いそうな戦死っぷりの有名武将】
物部守屋→→矢で死亡
平将門→→流れ矢で死亡
新田義貞→→流れ矢で死亡
388 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 20:43:00.67 ID:6kb7VIdi0
吉田山田みたいな名前はなしだと思うんだ。
有望な新説だと思う
>だが、覚書では、仁左衛門が、相手を幸村と知らないまま槍(やり)で戦い、討ち取ったと記述。
>後に、家臣が陣中見舞いに来て、幸村の首とわかったとしている。
幸村「われこそは真田信繁! 討ち取って手柄にせよw」
仁左衛門「(また偽者か・・・)はいはい。しかしもう降れ。勝負は決した。無益な殺し合い・・・」
幸村「まいる!」
仁左衛門「えっ・・・(とんでもないキチガイだわこいつ)」
→疲労度の差で仁左衛門の楽勝。首級の数に加えるも実質雑魚扱いで脇に転がしておいた。
391 :
長州長男:2013/02/25(月) 20:46:38.59 ID:FQtbrM8oO
>>385 カンバスに茶と黒の絵の具しかありませんでした
392 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 20:48:01.20 ID:ZDDx9Pu7O
やはり天海は光秀だったか
幸村が女の子のアニメは名作
394 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 20:52:10.53 ID:vEuiFqLo0
>>390 個人的には、太閤立志伝1の戦闘システムが好きだったけどなー
陣形維持するのがムズすぎていつも乱戦にw
395 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 20:53:20.74 ID:JATGqNO/O
>>385 バカ発見。真田信繁を武田信繁と間違う奴はいない。なぜなら日本人は姓名で個人を区別するからだ。
それが出来ないなら、お前は日本人じゃない。
>>386 肥前の熊さんみたいに部下に輿を放り出されて逃げられ、あわてて自分も逃げようとしたところを
寄ってたかって殺されるよりよっぽどいい死に方じゃないか
>>261 あの当時農村が武器を隠し持ってたのは当たり前なんじゃない?戦
>>308 一揆と手を組んで謀反でもされるのを警戒したんでしょ>幕府
あの辺は戦国時代の生き残り武将が高齢とはいえまだ結構残ってたしな。
幕府のほうで残ってたのが水野なんとかという家康時代の古参(当時雑魚級)くらいで
そいつを事実上の大将にしないといけなかったんだ
>>48 立花宗茂だけは違うだろ。実父の最後とかドラマ満載。
戦績、考え方まで何故ドラマになってないのかがさっぱり意味解らん。
>>362 家康の馬印を倒したからねぇ>幸村
武将で馬印を倒されるのは大恥の時代。
しかも信玄と幸村という武田系の連中に
やられてるんだから。。。。
1回目は糞漏らし、2回目は切腹するのを這う這うの体で逃げ出す
んだから>家康
400 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:02:01.13 ID:9lwJ92HT0
徳川の権威を上げるための創作てのもあるよな
苦戦してる戦いで敵の名将があっさり死んではカッコ付かないし。
401 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:03:08.13 ID:BKf4iBtNO
真田幸村が過大評価ってどういう事だ!?
>>394 wikiで見たが、楽しそうだなそのゲーム。
>>378 一応あれでも当時は有名な文化人だったんです。
茶人や公家と付き合って歌会や茶会なんてしてる。
一説には前田家のスパイをしてたという話も
>>396 恩のある蒲池家皆殺しや幼い兄妹を惨殺された赤星家の祟りだなw
赤星は参戦した。
>>385 信玄の弟のほうは典厩殿とちゃんと区別されてる。
だいたい武田関係の書籍だとそういう呼び名でされてるし、
この呼称は有名
>>404 鎮並は鎮並で島津に通じようとしていた節があるし
赤星も赤星で人質取られてるのに隈部との確執から動かないとか、身の処し方がお粗末だったと思う
>>405 あの当時幕府側で残ってた唯一?戦国武将といっていい存在だった。
実際に高齢なのにわざわざ島原まで担ぎ出されてる。幕府側の大将が
板倉や松平伊豆といった実戦経験が無い官僚連中なんだから頼るしかあるまい
409 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:10:31.86 ID:ii4dNKP70
毛利勝永が空気なのは、毛利家が豊臣方だったと誤解されないようにするためなんだろな
>>396 島津家は戦のあと熊のクビを丁重に返してるぞ。
もっとも竜造寺側が受け取り拒否したので困ったらしいが
あと長宗我部の倅の場合も、島津方を感嘆させる働きぶりに
戦のあと親父に丁寧にクビを返してる
411 :
249:2013/02/25(月) 21:13:05.92 ID:4sE+PmLjP
>>398 宗茂の人格・武才は、養父道雪と紹運の薫陶のお蔭である。
412 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:13:41.21 ID:k7dZCE4A0
>>44 強すぎて手塚のようにリストラされるって予測されてたよね、幸村
414 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:14:41.32 ID:ggEmpLVD0
新説とは親切だな
415 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:15:22.17 ID:ZA1CGyAN0
>>386 名のある武将が流れ矢で、
ってやりきれない哀しさを感じる俺。
当時の周りの者はさぞ無念だったろう。
流れ矢、ありだろうw
>>398 九州四国の戦国大名って、実はあんまりたいした
実績ないからだよ。
大友家が九州統一して毛利を滅ぼし京都に迫ってたら
ドラマになってる。
九州という域内で見ると凄いかもしれないけど、九州一の勢力だった
島津すら、豊臣軍に電撃されて弱過ぎだと笑われた現実。
>>411 養父のスパルタ教育、鬼嫁の仕打ちの賜物だな>宗茂
>>398 西軍方で唯一復帰できた大名だな
418 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:16:57.75 ID:+mDv15T10
豊臣家を滅ぼしてもその領地はざっと60万石、関ヶ原の時のようには分配できない。
従軍した諸大名もそれはわかっている、侍大将クラスが城持ちになれるわけもない。
大きな手柄より持ち場を守れが共通認識。
戦況が決まった後、落ち武者状態の幸村の首をとっても家康がたいした褒美はやらんだろ。
光秀の首をとった土豪より名前が残っただけましじゃないか。
419 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:18:38.57 ID:GPBvjtCP0
武将に詳しくないので、殿といっしょはかなり勉強になった。
その代わり、各武将の顔は殿といっしょの絵で再現される。
あと聖徳太子と小野妹子、松尾芭蕉と曽良はギャグ漫画日和の顔で浮かぶ。
>>386 木曽義仲を追加
>>415 やはり木曽義仲だな。
平家物語で義仲に対する尊敬語が使われてる箇所は唯一
この最後を描いたところのみといっていい。
421 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:19:07.43 ID:FQtbrM8oO
>>416 島津の場合は物量作戦に抗しきれなかったからじゃないの?
個々の戦では関ヶ原や朝鮮での活躍は殺人マシーンならぬ薩人マシーン。
423 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:21:59.63 ID:px+dFo+6O
武田信玄の首を取った垂之助の手柄ももみ消されたね。
>>415 流れ矢でない分、平将門は良いか。武将というのとも違うけど。
名高き俵藤太に射掛けられたのが元で落命したわけだし。
筑波大学の学生寮の辺りがその射掛けられた地として、
「一の矢」という学生寮の名で残ってる。
因みに、射掛けられた部位の名もここから来ていて、
「俵」の名から、こめかみ、と名付けられたという説もある(やや強引)。
>>418 木村重成を討ち取った井伊家の家臣のほうは重臣にその後なったみたい。
その家臣が大坂の陣あとたいした加増が無いので親戚に泣きついたら
「拾いクビ同然のもので手柄を騒いでどうするんだ!」と一喝されてシュンと
なった話があったな
我に七難八苦を与えたまえ
真田幸村が持ち上げられるのは信濃国の武士の反感を買わないようにする為もあったと思う
西国より江戸からよっぽど近いし
429 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:28:20.62 ID:Yoqkofue0
うちの母親、旧 真田村の出身。近所に真田家の菩提寺がある
430 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:30:26.09 ID:fBRtwr49O
「関東勢百万と候え、男はひとりもなく候」
なんとも言えぬ、決め台詞でござ候。
>>422 いいや、足軽の軍装も武器の質も比較にならなかった。
GPS持って暗視ゴーグルと防弾装備が標準のアメリカ兵とタリバンくらいの差。
島津の捕虜達は、彼我の軍装のあまりの違いに恥ずかしがってうつむいている有様。
我が軍の兵は、それを見て笑っております。
ともかく、進撃が速過ぎて疲れました。
少し休みが欲しいですな(笑)
堀秀政が秀吉に宛てた書状の意訳。
432 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:32:14.59 ID:hgGzzcxS0
_..-‐'''" ̄^゙^'ー-,,
/ \
/ ヽ
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/ / .`-、 ._, │
|,,, ′ `''-.... -ー'''"゛ `', ,!
l゙.、l│'〔゙`cー-、_ ! ./
l .{|.l゙ ``'''''゛、 `トーc-_, /.,/
ヽ.リ l  ̄´ ,l,i,゙i }
`l _/ l`∨
', ゛ ` /ー ゛
,'、 `──-' / こんなこともあろうかと影武者を用意しておいた
l .ヽ /l゙
/ `'-、,ゝ ..,,_,,,..‐゛ .!
___,,.... -ー'''゙.l:::::::::::::`゙'―─-─-"l
,―- 、''''''゙゙゙´_,,.. ―ー'''''^゙ゝ ,,,,_::::::::::::::::::::::::::::::l゙_、
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/ ::`'' ,、 .l `l¬一:', ``==r‐、
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./ ::`''-、 \ ::::ゝ ', ゙l::::::::::.l ', !
./ ,,_:::::::::::`' ,`'′ l. ゙゙`-''― ..,,_ .',::::::::::.! ._,,..=@ ! .|
>>427 なんせ信濃ってはやっかいだな
・武田信玄は生涯の大部分をここで費やしてしまい、京に上れず
・上杉謙信はここで余計な手間がかかり関東を掌握できず
・武田勝頼が滅亡したのは信濃の豪族の謀反が発端
・家康親子はここで酷い目に遭う
・小笠原家の当主は大坂の役で戦死
・絵島が追放されたところ
・吉良家の当主が幽閉されたとこ
・赤報隊は偽官軍にされてしまう
と
434 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:36:07.57 ID:/4c+36ytO
>>416 正確には島津軍精鋭3万5千に
豊臣軍は23万もの兵を動員してるよ
最初は島津軍の戦術で勝ってたけど
後から到着した義弟の豊臣秀長軍の
数を言わせた波状援軍にやられただけらしい
>423
俺が見た映画では伊庭良明って自衛官が討ち取ってたわ。
息子の方も見事にしとめてたわ。
>>431 ということは薩摩のその後の活躍は最新鋭の装備を
した上でやれたことなのか?実際のとこ薩摩は情報不足の上(一大決戦という
のが伝わらず)財政難で関ヶ原では大軍送るカネがないので
ボランティアで参戦した千人程度だったというが
437 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:39:17.15 ID:smVFJ1bs0
>>83 ぐぬぬ・・
おのれぇぇ、真田め、ただでは置かぬ、ただでは置かぬぞぉ
438 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:39:32.52 ID:g+IG2ca90
>>431 俺にわかなんで見当違いのこと言ってるかもしれないけど
なら戸次川の敗戦はなぜなの?
正直、真田は親父のが凄い。
>>434 やはり経済力の差か。
石田三成が島津家に簿記を教えてやったというけど
経済の面では相当遅れてたんでないか?
441 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:41:26.48 ID:smVFJ1bs0
>>436 1000人程度でも大暴れするのがスーパー薩摩人のヤバイところ。
こうやってだまって仕事をするのが民主党。
7月の参院選も民主に入れるわ。
444 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:43:48.79 ID:87Kr/n510
オイラはMUSASHI GUN道の真田幸村しか知らない。
445 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 21:44:35.64 ID:zOEhDrzH0
本陣に迫るだけだから武力97なんだよ。
武力100になりたいなら、謙信みたいに武田本陣まで先頭駆けで切り込んで信玄に太刀を浴びせるくらいしないとな。
>>438 ありゃ島津VS長宗我部という田舎の最強者同士の戦いでなかった?
それに仙石が勝手に暴走したのもあって
長宗我部の連中も降伏して秀吉に挨拶にいったときに風呂の習慣や衣装の
桁違いの差にビックリしたんだと
>>436 補足でなんでそうなったかと言うと、島津側は基本的に自前で武装は揃えてた
そのために壊れて直せなかったらそのままだし、汚れてもそのままだったりする
一方の豊臣側は、一部の裕福な兵士が好き勝手する以外は、基本的に支給品がもらえてた
戦の度に、新品同様に磨き上げられた防具と研がれた武器が渡される
そうやって「産業化された」軍隊が豊臣軍なわけ
>>438 豊臣側にとっては、新任が率いる地方軍に任せられる程度の戦
島津側にとっては、主君の弟が出ないといけないほど必死な戦
その意気込みと準備の違い
小生は楠幸村派qqqqq
>>442 薩摩には大勝首を2〜3は取ってるのにそれでも一生足軽止まりなんていう
猛者がたくさんいたらしい。関ヶ原で活躍した中馬さんなんてその典型。
>436
幕末に最新鋭の武器を手にして活躍するしね。
大東亜戦争でも九州の兵隊さんは大活躍したし。
中国軍は弱い癖に、どこの地域の部隊が強いか弱いかを調べていて、九州や東北、北海道の部隊が出てくると極力戦いを避けたそうだし。
経歴からして名前は知られてても顔を知ってる人は少なかっただろうな
薩摩の血ってのはそりゃキ○ガイじみてる人を生むと思う
一定の割合で オレも血が沸くことあるから とにかくおかしいいろいろ
先祖の頭おかしい逸話も結構あるよ
>>447 なるほどな。要はそれだけの武器を買える
資金力=経済力があったんだな。あと薩摩と違い集権体制
ができていたのも差が出たんだろ。戦後に薩摩が内乱になるの
を見てると
>>261 長州征伐なんかも徳川の精鋭を含む10数万が出陣して失敗しているね。
この時はイギリスのジャーディン・マセソンが背後にいたし、費用は長州が江戸時代を通して貯めこんだ撫育金の存在が指摘されている。
この討伐の失敗で幕府は大政奉還をせざるを得ない状況に陥った。
島原の乱も失敗していたら幕府が崩壊していたかもしれない。
正直、捨てがまりなんて戦術は特攻なみの狂気の沙汰だろ。
装備はどうか知らんが島津は果敢な精鋭揃いだったとは思うが。
同じ数なら人材豊富な豊臣軍でも危ういと思うな。
ほんと仙石秀久は屑だもんなww
>>445 実際は本陣に迫れてないぞ>上杉
信玄の近くまで上杉軍が肉薄したのは確かだけど、
・典厩の命引換の必死の防戦
・信玄の旗本(精鋭)が槍衾を作り必死に防戦
・その最中に信玄が本陣を前進させるなどして士気を鼓舞
したので
肝吸いみたいなとても同じ人間と思えないことをしてればそら避けたくもなるわ
>>454 結局は経済力の差だな維新も
西日本の大名は
・大坂の影響受けて貨幣経済に慣れてた
・密貿易し放題
・儲けた金で教育や軍備拡充を実施
をやったのに東日本のほうは最後まで旧態依然
だった。
>>455 同じ数ならって、まず相手より優勢な数や装備を揃えるのが基本だろうに
喧嘩のタイマンの話じゃないんだから
逸話でもないが今回の地震における薩摩をルーツに持つ親戚の話
その親戚福島で新聞屋をやってて で地震でここ茨城まで逃げてきた そして
東京にいるその親戚の子供の家にでも次に行くかと思いきや(最初そういう話だった)
すくっと立ち上がり反転「新聞を届けなければならない!」と言い出して
全員がw止めるのも聞かず福島へと帰って行ったわw なんにしろ悩まないんだよ
「そうしなけれならないのでそうするのだ 子供の願いだろうが関係ない!」となる
これが薩摩の血か… ちなみに乗用車流されてたけれど笑ってたw
462 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 22:05:48.27 ID:xwnK6f/JO
ひえもんとりスレと聞いて
>>457 ゲームの数値は講談なんかを加味した数値だからしょうがないよw
三国志だって孔明は小説と実像で違うしさ
464 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 22:06:29.62 ID:/4c+36ytO
>>440 ってか中央権力手に入れたんだから
様々な能力を持った人々がそら集まるし
広範囲の実務機能は必然的に発達しただけじゃね
>>461 「市ね」と言われれば本当に死ぬような連中だもんもともと薩摩人って。
自分以外に対して恥をかくくらいなら死んだほうがマシみたいな。こういうのが明治維新まで
いたし、日本人も本来はそういう気質だったんだよ。
なんせ「臆病」と言われたら相手を殺すなりしてそうでないのを示さないと
仕官先はクビになるし、生涯言われるような環境だったらしい>昔の日本
466 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 22:08:29.39 ID:gByKGN9Q0
久しぶりに真田太平記と風神の門が見たくなった
どっかの村の物語かと思った
468 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 22:13:43.47 ID:+mDv15T10
海音寺潮五郎は九州最強というか日本最強の薩摩隼人は西南の役でいなくなり、
それ以降は福岡や東北の兵隊が軍隊で強いとされた書いてたな。
また海音寺は池波正太郎を評価せず、直木賞の審査員として池波の受賞を何回も
妨害した。
当然ながら池波も名前は挙げてないが海音寺を恨みがましく書いてた。
海音寺の批判は池波の学歴のなさからくる歴史資料の解釈が原因では自分はおもっている。
池波も資料の解釈は学者や先輩作家と自分は違うと書いてた。
2人に近い司馬は困ってたとか…
池波の真田太平記は面白すぎて講談ぽいな。
えっ!?何で幸村の評価下がってるん??
ギリギリまで戦って死ぬほうがかっこいいだろ?それまで何人倒したと思ってるの?
まあ、武将の最後はこんなもんじゃないかなとは思うな。
彼らは多かれ少なかれ、死んだあとの評判を気にするきらいがあるし、
こういう改ざんはもしかしたら結構あるのかも。
あくまで前者が違うならばって話だけどさ。
今川義元は相当がんばって戦って抵抗したんだっけ?
「マロはしにとうない たすけてたもれ アレー」な
イメージだけど なんかかわいそうだな
>>471 逃げまくって最後は桶狭間という狭間で戦死したんだと。
最初は見通しの利く山に本陣を敷いてて信長が入り込める隙はなかった
>>471 信長飛躍の踏み台役にされるからしょうがないんじゃね
息子は親分の才無かったみたいだけど血筋と社交性で戦国時代乗り切ってるし
逸話は残ってるけどその後は行方不明や結局負けましたよりは良かったんでねぇの
474 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 22:54:50.79 ID:xwnK6f/JO
幕府が武田age真田ageを黙認したのは、権現様の糞漏らしという黒歴史をフォローしようという意図もあったのかねえ
475 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 22:57:18.33 ID:smU78/fX0
なんか名前でとくしてるね
すごい、イケメンのイメージ
草刈って今もカツラなの?
「武田SUGEEE!真田SUGEEEEE!、そいつらを倒して
天下取った大御所様もっとSUGEEEEE!!!」みたいに持って行きたかった
んでしょうかね。松代の真田家は胃が痛い思いしてそうだけどw
478 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:01:03.58 ID:bIg0rkwvO
スレタイとはかけ離れた薩摩の猛将列伝になっているな。
479 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:04:11.95 ID:jk2KY3k30
塙団右衛門の最後が泣ける
アホすぎて
480 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:05:06.57 ID:g+IG2ca90
英雄としては信長も秀吉も幸村もすごいんだろうが
統治者としては家康を超えるものは居ないイメージ
たしかに結局負けた日本チャンピオン候補の一人だな真田幸村
世界チャンピオンはハンニバル将軍だと思ってるけど
行方不明になっておしまいな人で日本だと一番有名なのは誰だろう?
483 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:08:11.29 ID:jk2KY3k30
>>482 秀頼かね・・・ちゃんと育ってれば、織田と浅井の血が濃く出てたっぽいし
恩賞をもらう側とすれば、降伏者の首をとるより、戦って勝ったほうが名誉だからな、
それくらいの捏造はするだろ
ああ秀頼はっきりしてないのかやっぱり ちょっと頭に浮かんだけど
最期しらんからなぁ… ぶっちゃた話大坂の陣でおかくれしてて
「いたことにしてる」んじゃねーかとも思ったりなんかして
486 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:13:21.64 ID:GIwpUSzL0
前にTVの歴史バラエティ番組でやってたけど、幸村の子供達を片倉が仙台に連れて帰って匿ってたら
徳川がかぎつけて男子は殺害しようと画策→政宗がそれを阻止すべく偽情報を流す!「大八(幸村の息子)は石に当たって死んじゃったよ」
実況見てたら「もっとマシな言い訳はなかったのか!」の嵐だった
なんか長州叩きのステマになってるな
捨て身の真田幸村が評価されて、乃木の203高地攻撃は愚策なんだ
488 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:16:42.33 ID:jk2KY3k30
>>485 薩摩に落ちたとか琉球に逃れたとか
一応かあちゃんと一緒に爆死とか焼死とか自害とかってことらしいが
誰かの手にかかったわけでも無いっぽいし、誰も確認できてないっぽい
489 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:18:53.93 ID:g+IG2ca90
幸村は所詮自分の首やら家やらがかかってるだけべつに戦死してもそれだけの影響だからじゃねーか
>>486 武田との戦いの火蓋って徳川方がよしゃいいのに石ぶつけて
切って落とされたんじゃなかったっけ?でボロまけウンチまみれ…
つまりなんだほれアレだわ 伊達公イヤなやつだから…
491 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:22:44.26 ID:jk2KY3k30
攻城側なら石に当たって死ぬことも多々あろうが・・・
>>471 実際に首をとろうとして戦った奴が指を二、三本噛みちぎられたんだよな
数人係の壮絶な泥仕合だったらしいな
>>479 性格に難がありすぎるだろ
493 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:26:11.65 ID:98b2p6L80
>>492 時代が全然違うけどプライベート・ライアンのシーンを思い出した、、、
>>488 なるほど 説がいろいろあってかつよくわからんわけだな
いまんところはっきりしないチャンピオンが秀頼だ
>>492 そうそう 負けたことより義元がしょっぱい感じで
アレー オヨヨー タスケテタモー って感じに思われるのが
かわいそうっておもったわけ なんつーか吉良公的というか…
吉良公もよく知らんけど最期w
495 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:33:47.86 ID:yXJPJQ1Y0
496 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:37:10.01 ID:iaBwsXYg0
真田信繁は過大評価されすぎだよな
後藤基次との連携できず後藤を死なせたしな
っていうか真田信繁が家康本陣に肉迫できたのは毛利勝永隊が真田隊より奮戦して勝永隊に敵を集中させたからだしな
勝永は最後まで戦線を維持し負けが決定しても悠々と大坂城に帰って秀頼介錯したんだからなぁ
498 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:39:36.17 ID:SgaUwstu0
真田姓はありそうにも思えるのだが、かなり少ないそうで。
真田を現在名乗る人は大概その子孫だというのは本当?
>>490 逆じゃね?
武田方の小山田隊が石投げて挑発→徳川方が頭にきて攻撃
ボロ負けウンチまみれはその通りだが
500 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:44:49.08 ID:vwFhbgi20
真田?
こんなこともあろうかと実は幼少時に月面遊園地のジェットコースター事故に巻き込まれて両手足を失い義手義足になっていて高性能爆薬を仕込んでいたんだ
の人か
501 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:46:05.39 ID:IzHm7tLr0
真田太平記って打ち切りみたいな終わりかただよなw
502 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:47:41.10 ID:iaBwsXYg0
ちなみに家康本陣に突入したの信繁だけじゃないからな
勝永も突入してるんだからな
で、信繁隊壊滅した後大坂城に退却したんだからな
503 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:48:09.52 ID:/yBi0l9V0
こんなこともあろうかと
花のようなる秀頼様を鬼のようなる幸村様が
505 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:51:24.89 ID:1SJHkIRO0
>>496 幸村特攻は作戦やろ。
ショットガン・フォーメーション。
>>499 そうだっけ? あれ? 石ぶっつけたのどっちだろう?
記憶違いか勘違いかもしれんな オレがおそらく間違ってると思う
へえ
真相は当人に聞くしかない
509 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:53:47.03 ID:1SJHkIRO0
幸村は普段は物静かでおっとりした印象なのに、
槍を握ると人格が一変する二重人格だったと言われているからな。
戦国ランスの人か
511 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:57:31.30 ID:bHqjYH1MO
>501
覚えてないが、原作最終章をドラマ化しても一般に受けないだろうな〜
大阪の百姓の上田訪問
秀忠一派の取り潰し暗躍と逆転劇
角兵衛の無意味な人生
松代移封
512 :
名無しさん@13周年:2013/02/25(月) 23:58:39.65 ID:vwFhbgi20
信州の更科 江戸の藪より早い大阪の砂場そばは真田家の雑兵が建設現場の資材置き場で故郷のそばの屋台を出したのが起源
そば粉が足りないので更科粉じゃ精米時に捨てる部分まで使いさらに小麦粉で水増し(つなぎに)したから砂場そば特有の灰色になった
真田十勇士ってほんとにいたの?
514 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:03:42.14 ID:3ro/+YlmO
>>5 否定しても
幸村×
のぶしげだから
武田信玄の弟ですから
515 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:04:51.14 ID:9gNQvmmY0
516 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:09:01.96 ID:hJ6hQgccO
夜の槍も相当な使い手だと言う
517 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:09:30.67 ID:1rsJ0TQR0
伊達正宗はただのキチガイ
同盟してる親戚全部に襲いかかった通り魔
518 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:12:03.98 ID:9dTbhR4l0
幸村じゃなくて本当は信繁なんだよ(キリッ
519 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:15:17.24 ID:jdwwXimG0
政宗はDQN四天王の方だからなぁ
北の伊達政宗
南の島津忠恒
東の森長可
西の細川忠興
上田市民に言わせると
次男より長男と昌幸の方が偉大
521 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:18:08.42 ID:3Zfdf9UT0
>>517 政宗はDQNだけどキチガイではないだろ
大体東北をややっこしくしたのは植宗や
東北が問題を孕みながらも収めることが出来たのは伊達という家名の力が大きかったとは思うけど
522 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:21:27.46 ID:gcUFaCAj0
俺は兄貴のほうが好きだな
>>313 最後には、ロクデナシ爺さんまで引っ張り出してきているからなw
水野勝成で大河ドラマやらねぇかな?濡れ場シーンありでw
524 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:29:08.01 ID:jdwwXimG0
兄貴の信之はすごいよな
93まで生きてすごい(笑)
子供より長生き(笑)
お家騒動起こるが幕府が穏便に住ませたのは信之がいたからだろうなぁ
家綱の時代まで生きていたんだからなぁ
>>518 だから死ぬ直前に名前を変えたと何度言わせたら
・年次不詳9月20日 宛先不明 「真左衛門佐 信繁」
・年次不詳極月晦日 木村土佐守宛 「真左衛入 信繁」
・年次不詳9月15日 関口角左衛門宛 「信繁」
・年次不詳6月23日 河原左京宛 「真好白 信繁」
・年次不詳2月8日 小山田壱岐守宛 「真好白 信繁」
・年次不詳12月29日 池田長門守宛 「左衛門佐」
・慶長20年(1615)正月24日 村松殿宛 「さへもんのすけ」
・慶長20年(1615)2月10日 石合十蔵宛 「真左衛門佐」
・慶長20年(1615)3月19日 小山田壱岐守・主膳宛 「真左衛門佐 信繁」
・慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛 「左衛門佐 幸村」
527 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:33:36.26 ID:3Zfdf9UT0
ネームバリューこそ弱いが
信之こそ大河向きな気はする
自領付近の引きこもり戦法とはいえ戦で十分な実績もあるし
忠勝の娘を嫁にしたりとエピソードも豊富
528 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:34:06.43 ID:mfxH5WuE0
>>526 だから一番最後の慶長20年(1615)5月2日 蓮花定院宛は
「左衛門佐 幸村」となってるんだよボケ!!!!
池波御大の真田太平記より
信之主人公の小説読んだ方が真田が
分かりやすい
531 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:35:53.01 ID:/UzteuYb0
大河にするなら井伊直虎だろう
最近のクソフェミウリナラファンタジー路線なら
幸村じゃ無い信繁が正しい
真田信繁
>>525 最後のは2次資料です。「・・・と書かれていた」という伝聞資料ですね
現物(1次資料)がないので、歴史研究家の間では創作扱いです。
ちなみに真田宗家の系譜は
幸綱 - 信綱 - 昌幸 - 信幸(信之) です。
534 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:36:59.71 ID:jdwwXimG0
真田信繁→史実に近い信繁
真田幸村→腐女子や厨二病が好きな誇張された信繁
こんなイメージ
武田信繁は聡明な人物だったらしいから
彼をあやかって貰った名前だね
>>468 薩摩隼人が最強ってw
何年も相良相手に負けまくったのにw
>>529 実物どこにあるのか言ってみろ
どうせ何かええ加減なサイトからのコピペだろうが
ちょっとまて 薩摩隼人は別段自分らを最強とは思ってないぞ
思ってないのに笑われるのは腑に落ちん
最狂かもしれんとはちょっと思う ほかが持ち上げすぎだと思う
539 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 00:43:28.16 ID:JFk3HtVwO
まだ日付変わったばかりだが、Iey1+GYzPが今日のバカ王だと断言するw
ぶっちゃけた話、安土桃山時代で最強は「織田軍」だろ?
農民武士とか半農に近かった連中を軍隊として組織して、
物量で押し切る考え方は当時としても異質すぎる。
正確に言うと、信長の親父が貨幣経済を整えて、信長が経済力を背景に軍事を組織化し、
その軍事思想をさらに先鋭化して全国規模で整えると秀吉になる。
現代から見ても信長は異質だけど、当時からすると奇人変人にしか見えないだろうな。
生まれる時代を間違えた人だ。
戦のネックは足軽が農民だったことだね
戦を続けると国が弱まるけど
信長の専門の兵士を作ったことは斬新だった
でも傭兵な分、裏切りも多かったと何かで読んだことがある
西軍に組した身内を持ちながら
一代で松代藩を作って蓄財を残し
徳川家とも絶妙に付合って、結局江戸時代が終わるまで
真田家残した人物だからな信之は
でも巷談なんかの『真田幸村』というのは
日本人好みの判官びいきなストーリーだから愛されたんだろうね
>>126 時期はハッキリしないけど越前入府前後に松平姓復帰を許された
という資料がある
547 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 01:06:42.97 ID:jdwwXimG0
織田軍は兵士が弱いといわれていたわな
経済力で常備軍つくり物量で押し切ってきた感じだよな
だから信長の戦はあまりロマンがないのが多いわな
そうそう
土壇場で逃げちゃうんだってね
その点、徳川だと臣下が土着の三河武士だから
夏目のような忠義の士のようなエピソードあるんだよなあ
夏目漱石の祖先で、現在の夏目房之介の祖先でもある
549 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 01:09:30.38 ID:2ER5qiv/0
強かったのは尾張兵じゃなくて美濃兵
というか尾張の人間は戦に出ない
首を切り取るなんて野蛮よね
551 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 01:12:14.86 ID:jdwwXimG0
しかし大坂の陣で牢人集団を組織してあそこまで戦えた毛利真田はじめ大坂陣営すごいよなぁ
>>547 最新兵器でガチガチに固めた今のアメリカ軍みたいなもんだからな
人が死ぬだけで色々問題が起きるから、用兵に難儀したらしい
時代背景もあるだろうなあ
戦知らない世代が大半だったらしいから
西軍は戦場を死に場所にと思う輩が多かっただろうしな
>>550 切り取った生首を蹴っていたのが今、
世界でもっとも普及し人気のあるスポーツになったという説も。
オレは信長の戦い方が好きだな たまに無茶やって足にバキューンされたりするし
556 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 01:29:32.37 ID:jdwwXimG0
信長の戦は詰め将棋みたいな感じだからな
信長は経済面からみるとすごいおもしろいんだよな
ナウい一部で人気な茶道を自らPRし権威付けし茶道に興味ない部下に対しても報償に茶器をやったりとかな
>>245 「歯が抜けて髪も白髪になりました」って手紙は徳川側を油断
させるカモフラ説だって話があるよ
信幸の嫁経由で本多家に伝わるのまで計算済み
冗談じゃねぇぞ、この野郎!
の幸村さんですか?
560 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 01:36:38.28 ID:oaaDcfeAO
真田幸村って昔は信長の野望なんかで強いイメージがあったのに、パチンコ花の慶次でゴミ認定するようになったわ。こいつはクズだ。キセルの後に出てきたら絶望レベル。
この間島根の松江城に行ってきたんだが
藩祖の松平直政(当時14歳)が初陣の大阪の陣で真田丸に迫り
幸村がそれを称賛して投げ与えた扇子ってのが展示してあった
非常にウソ臭かった
>>329 しかし長男忠直こそ蟄居させられたが次男三男ともそれぞれ
大藩の大名となって幕末まで続いている
長い目で見ればそう悪くない
>>561 「真田幸村」ってサインしてありゃ流石に本物じゃね?
564 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 02:01:15.79 ID:WTeQZd4JO
>>560 l;;llllll||lll从从WWWl||ll,,ツ从ツツノlイノ'彡ヽ
イ从、从从从从从ll|| |リ从////ノノ彡;j
jl从从从从;;;;;;;;;;;;从;;;;;/;;;;;;;;;、、、;;-ー、イ彡:}
(ミミ;;ッ''"゙ ̄ '、::::゙`゙''ー、/"´::: :::: |;;;;;彡|
}ミミ;;;} ::: {:: ゙:::::、::: :::ィ ,,:::: };;;;イ;;l
jミミ;;;;} ::: ヽ::::ミヽ:: | ノ W:: |;;;;彡:|
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iミ゙;;;ノ:::::: \'、 }}: l||イ /,ィ;;、、-ーーヾ'ァ;;イ、
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l'、〈;', ::: :::::::t、,j iノ:::、::.. ..::::lー'/
,、,,,/| ヽヽ,,', ::.、 :::::(゙゙( ),、)、ヽ::. イ ::::l_ノ
)ヽ"´ ''''"レl_ヽ,,,', ヾ'ー、:::;r'"`' ゙'';;"" ゙l| ::j ::: |: l,,,,
゙''(,l ', l| リ {"ィr''''' ーー''ijツヽ l| :" l |',`ヽ,
き 利 (l :'、 `',. 'l| |;;゙゙゙゙"""´ー、;;| ノ: / /リヽ \
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な. た >; :::ヽ ::ヽミニニニ彡'" , ':::::// |
┃ ふ フヽ ::\ : ミー―― "ノ , ':::: //: |
┃ う }ヽヽ :::::\::( ̄ ̄ ̄ /:::://: |
┃ な }| ヽヽ :::::`'-、竺;;ニィ':::// | l
// 口 (: | ヽ ヽ :::: ::::::... ::// | |
) ・・. を ( | ヽ ヽ:: ::::::... // リ. |
つ、 r、{ | ヽ ヽ // / |
ヽ '´ | ヽ ヽ // / |
>>370 国持ち大名の話を断ったのは誰がやっても統治しきれないのをわかってたから。
567 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 02:48:54.02 ID:f+mflMet0
天地人 大河 では
千姫を 古井戸から 救い上げ 徳川に返した!!
とあるが?
568 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 02:56:45.06 ID:tWU2l8+w0
真田幸村と呂布どっちが強い?
真田太平記は、今読むとだるくてあんまり面白くないよな。
ついこの間読み終わったけど、長くて辛かった。
文庫だと12巻くらいだったけど、上下巻で十分だろ。
昔は他に娯楽がなかったから小説書くだけで儲かったんだろうな。
今だったら、上下巻合計5万部くらいしか出ないんじゃないのか?
571 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 03:34:43.31 ID:WTeQZd4JO
573 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 04:08:37.98 ID:zw5uk9JN0
>>536 相良の丸目蔵人は同門で天下の柳生より強いんだよなw
574 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 04:22:01.40 ID:83Jix2bt0
西尾宗次(生没年不詳)←とても悲哀を感じる(つд`)
>>576 >高野山蓮華定院と書いてあるじゃん。
書いてないw
579 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 08:30:12.41 ID:raqFJWuh0
580 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 08:37:21.99 ID:26M6f0XrO
やる夫が真田家に生まれたようです
西尾「幸村とか知らねぇし、俺戦って首とったし」
幸村の進言通り、秀頼の出馬があれば戦況は変わったかも知れない
>>583 当時どこ宛てに送られたものかと今どこに保管されてるかが同義なんですか?
>>584 蓮華定院には幸村からの文書が何通も保管されているから、
普通蓮華定院宛ての幸村文書と言ったら蓮華定院にある文書のことだろ?
>>585 ことだろ?とか言ってないで直接紹介されてる文献あるなら出してくれよ
信繁より幸村の方が有名になったのは講談の影響?
588 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 10:16:06.78 ID:sjcW1zo3O
滝沢馬琴とか、安藤広重とか、言い出したらキリがない
590 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 10:54:00.62 ID:xmVEntiL0
代々記が来てんのか
鬱陶しい
592 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 11:11:09.86 ID:BugsZ+Ax0
>>589 江戸時代に武者絵に規制がかかって、実在の戦国武将の名前が使えなくなったのと関係あるんだろうかね
なんとか本当の名前使いたいから、マイナーで一番障りの無さそうなの持ってきたとか
593 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 11:17:05.78 ID:p073FIzR0
九度山潜伏中にひそかに外出するときに、仏師「こうそん」を名乗ったのが由来じゃないの?
594 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 12:18:41.06 ID:q2qb6O9EO
>>582 どうだろう?
幸村自身「籠城とは、外部からの援軍有りきで考えるもの」
みたいな事を言ってたし
今さら徳川方からの寝返りなど期待できない、孤立無援の状態で
戦況をひっくり返す程のカリスマ性が秀頼に有ったとは思えないが…
仮に出てきたとしたら、思いっきり秀頼が標的になるので
出てきた反対方向から逃げれば助かった奴も居たかも知れん
また、集結して秀頼中心に陣建てし、徳川本陣と対峙
家康に向けて一転突破する手も有ったかも知れない
その方が効率が良いような気がする
島津のステガマリ戦法だけどね
本物の信繁はくたびれた年取ったおっさん
イケメンではない
596 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 12:27:17.93 ID:DQ9RUHA70
>>594 徳川側には豊臣恩顧の武士が大名から末端の兵士まで多数混じってたからね
そういう武士達がただでさえ引け目のある中で徳川側として戦ってるんだから秀頼と瓢箪、家紋、兜を戦場で見たらそりゃ萎えるよ
かっこよくないので却下
599 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 12:54:24.88 ID:q2qb6O9EO
>>596 豊臣方内部は末期で疑心暗鬼に陥っていたはずで
秀頼を出すなんて事は暴論だったんだろうと思うけど
結局保身に走って滅ぼされちゃったんだから
やっぱり、秀頼を出すしか無かったかも知れないね
秀頼が出れば味方も纏まって、大阪脱出できたかも
それでも大局は引っくり返らなかったとは思う
そもそも秀頼の受け入れ先が大名には無いし
匿ったとすれば徳川に潰される運命
秀頼出陣なら勝てたってのは関ヶ原の方でないかな
ありゃどっちが悪者かはっきりせず、大将の支持率勝負で家康が勝ってるし
大阪の陣の際にゃ浪人組が「無意味な籠城よりワンチャン期待で夜戦奇襲やろうぜ。」って
提案もあったそうだから、戦の心得がある人達はまともな戦ができる状態でないとわかって
たんしょ
当時の勢力地図でいうと、豊臣方の方が徳川よりもはるかに優勢なんだぜ?
大阪冬の陣で籠城我慢できていれば勝機はまだあったんじゃね
徳川側は得のみで集まっていただけだし、長期戦になれば瓦解してたわ
大阪城清掃活動してる甲冑隊は真田の赤備え
>>602 大坂方はそれこそ烏合の衆だし、長期戦はムリだろ
徳川は攻城用の大砲あったしな
>>604 大砲城の奥まで届かなくて、風に乗って一発たまたま天守閣にあたっただけじゃなかったっけ
家康それで堀埋めさせたんだろ?
>>605 本丸まで届く位置に大砲設置させない為に大坂方が弾薬消費しすぎた
だから大坂方は徳川方の和議を受け入れて堀が埋められた
大坂方も理由があったから和議を受け入れたことを理解する必要がある
大坂方の感じとしては
冬の陣→勝ちに行く
夏の陣→死にに行く
なんかの本で淀君と不倫してた大野治長が無能なくせに真田の邪魔をしたり
でしゃばって負けたみたいな事書いてあったけど
調べて見ると大野治長はボロクソに叩かれるような無能では内容に見えます。
真田人気のために貶められているだけのようにおもえますが実際どうなの?
詳しい人教えて。
609 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 16:48:27.36 ID:RMMdNHxh0
>>487 起死回生を狙った小部隊による敵本陣への捨て身の突撃と、
策を練らずに大部隊で漫然と捨て身の突撃を繰り返して悪戯に兵力を損耗させた戦いとでは、
評価が異なるのは当然でしょ。
610 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 16:51:36.98 ID:p073FIzR0
>>609 結果的には補給のめどがない相手を消耗戦に持ち込んだことによって要塞陥落につながったとの
見方もあるがどうなんだろう
大坂の陣 守るほうに秀吉がいたら勝ってたんじゃね?
612 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 17:04:01.75 ID:7eCPy/2k0
どこにも矛盾はないがなw 昔の武将首ってのは装束や兜で
判断するしか無かった。
討ち死に覚悟で出陣する時に、高い香を焚き染めたり良い服や
特徴のある兜をかぶったりした。
写真の無い時代で暗殺を恐れて影武者を作ったり、肖像画を
できるだけ避けるようにしてたから近親者や家来、過去に直接、
あったことのある人間じゃないと正確な判別など不可能だった。
身分のある、位の高い人物が抵抗を辞めて勇敢な敵将、雑兵に
「首をとって手柄にしろ」と言う事はあった。自分の首一つで
相手の一家が安泰とか、名前を残せる価値があると知ってたから。
討つ時は誰だか知らんわなw 手配写真や名札なんざない。
討って首実検に供する時、面識のある高位の侍に「これは幸村どの
ではないか?」って言われて始めて大手柄だったとわかることがある。
乱戦の時には珍しくもない話だよ。
だから首実検が大事だったの。首実検に供するまでは手柄に
ならない。首袋に入れて大切に保管して持ち帰ったら洗って供える。
それを上役が見分してやっと、お金や地位に代えられるんだから。
613 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 17:09:04.06 ID:DXY1RuFeO
ゆっきーってあんま戦場で戦いの経験がないけど持ち上げられるよな
司馬の軍師二人を読むとなんともいえない気分に。他に載ってる短編はなんかエッチなのも何とも言えない気分に
614 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 17:09:47.82 ID:JC8G8+Oo0
つか、薩摩に逃げたのではw
「秀頼と共に♪」
「ありうるわなあw」
大阪の陣の時の真田隊ってなぜ赤備にしたの?
>>615 赤備は武田以来の最強部隊の証だからだろ。
真田家はチート家系である事に異論はない。
>>615 目立ちたかったんだろ。死花咲かせるのが目的だし
>>616 さんきゅ。そういう由来があるんだ。
井伊も武田由来?
620 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 17:18:43.86 ID:p073FIzR0
旧武田赤備えを井伊家が抱え込んだのが井伊赤備え。
真田とは違って中身からして後継になりますね。
622 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 17:19:46.70 ID:DXY1RuFeO
ゆっきーの親父は一族の海野親子をだまくらかして謀殺したりとあんま好きじゃないな
しかし評価は高い。上田合戦は伊達じゃないか
一族で言えば一徳斎も評価が高い。ゆっきーも経験は少ないけどさすが血筋か。しかし兄貴の信之の評価は微妙という感じ。なんかカワイソス
はなのやうなるひでよりさまを、おにのやうなるさなだがつれて、のきものいたりかごしまへ
貴種流離譚は面白いけど、願望に過ぎないよね
624 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 17:21:16.53 ID:7eCPy/2k0
>>608 歴史ってのは基本的に「勝ったものが」都合良く書き換えるもんだ。
石田三成にしても大野治長にしても負けてしまえば良くは言われない。
太平洋戦争、第二次世界大戦後の日本の評価も、散々なものだろうに。
しかも、その「悪い評価を」もっとも信じこませられるのが、その
戦争に敗れた側、つまり「日本国民だったり」もするの。
負けた側が悪くなかった、ってことになったら、また反乱起こすだろw
それでは困る。戦争行為の大義名分が無くなるから。だから徹底して叩く。
官僚、官使、って言われる者は行政を司るものだよ。征服、つまり
大規模な戦闘が終われば勇猛な武将よりも、領地を納め、一揆を回避
して領民を治める執行官や行政官が必要になる。
石田三成や大野治長は官僚に近い。官僚ってのは調整役なので上役の
顔色を伺っておもねり、下からは税金を徴収する。そりゃ評判悪いわw
戦って手柄を得てきた側、命がけで槍働きで領地を得て来た側からみりゃ、
単なる卑怯者だよ。
実際には官僚、官使がいなきゃ、国は立ち行かなくなるんだけどねw
勇猛果敢な戦国武将だと反乱や謀反の可能性が残る。占領政策、支配が
終わったら「有能な武将」だからこそ、遠ざけられる。
秀吉が支配者として生きていればトラブルにはなってない。武闘派も
押さえられる。実力でそこに残ったから。必要だと思って雇っても、
その支配者が死んでしまえば、単なる邪魔者で無能扱い。
新しい支配者(徳川)が選んだ官僚、官使こそが、世を治め、前の官僚、
官使を悪く言うよ。そこに実際の能力などは関係がない。
本当に無能なら、官僚、官使にはなれないよw
官使って太政官の使者のことだよね
官吏の間違い?
真田太平記で具足師喜左右衛門に九度山の左衛門佐が赤備の甲冑を発注したと知った伊豆守が
厳しい表情をした演出があって、赤備にどういう意味があるのか前から気になってたんだ。
最初はてっきり父である安房守が赤備なのかと思ってたんだが、最近見た安房守の甲冑は
赤備じゃなかったので意味が分からなくなってた。
627 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 17:43:06.17 ID:7eCPy/2k0
伊達政宗がキチガイとかDQN、って言い張ってるのがいるが、それも
間違いだわなw ありゃ遅れてきた天才だろう。
残念ながら世に出るのが遅すぎた。出羽国、陸奥国ってのが京から遠い。
当時は血族や親族であるからこそ、権力闘争や跡目争いが起きた。
ご本人たちの意思よりも「誰かを担いで」自分が出世したいって欲が
ある連中が多い時代だったので、次々に反乱起こしたんだよ。
確かに生き残るため、身を守るために若いころはかなりの無茶を
やっている。ただし、家督を継ぎ、秀吉の寵愛を得てからはむしろ
慎重な言動に終始してて、それは徳川政権になってからも続く。
関白・豊臣秀次と懇意にしてたので、秀吉に断罪されて殺される
危険もあった。秀吉の死後は「秀吉の寵愛を受けていたからこそ」
徳川政権に処断される可能性が高かった。
戦国大名の尽くが、戦乱が収まったら処断されている。戦国大名で
秀吉の寵愛を受けながら、徳川の世、後年まで生き残って大大名
として家を保ったのは伊達政宗くらいのもんだ。
伊達政宗が単なるアホでキチガイなら、その後、長く生き残って
まして、徳川政権の相談役に居座れるわけがないw 晩年には治水、
農地改革を行なって生産高を飛躍的に伸ばしている。
TVゲームとか漫画だけ読んだら、伊達政宗はキチガイでDQNだよw
若いころ、しかも一部分しか描かれていないから。豊臣秀吉、後の
徳川政権から勝ち得た信頼、残った領地を見れば間違いのない
戦国武将であり、戦略家であり天才だ。
628 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 17:54:06.81 ID:9CUIuZTB0
ID:7eCPy/2k0の改行馬鹿こそがキチガイ
伊達巻
>>624 ありがとう。とても納得できた。
元々の職務上の不人気+負けたことで悪評が定着したんだなあ。
信之兄貴は苦労したんだろうなぁ、本多のゴリ嫁押し付けられるし。
真田は超強い事にしておかないと立場が無い秀忠
633 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 18:07:06.02 ID:p073FIzR0
>>631 NHKの「真田太平記」を見たら、別にかまわないと思った。むしろあの嫁なら大歓迎だ。
/ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
\∧_ヘ /われら 真田十 億6372万5481勇士、
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/三√ ´∀`) / \____________ ,,、,、,,,
/三/| ゚U゚|\ ,,、,、,,, ,,、,、,,,
,,、,、,,, U (:::::::::::) \3億5182万9762!/ \3億5182万9763!/ \3億5182万9764!/ ・・・・・
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>>633 役だと女優あてれるけどさ、当時は政略結婚が主流だったわけで
お家存続のため徳川に取り入るために家臣の娘を超絶ブスでも
蝶よ花よと持て囃し子作りせにゃならん。
今でこそゲームで美化されてるけど、武芸をたしなんだ姫なんざ
澤選手やアルソックマンみたいだったと思うけどね。
濃姫も道三似のブスで道三死後
信長が冷淡に扱ったので病死したいう説もあるぐらいだからな
嫡子信忠も妾から生まれてるし
大河ドラマもいい加減に濃姫に美人な女優にするのをやめて
森三中とかにすればもっと面白くなるのに
638 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 19:22:37.41 ID:vcwaGym3O
639 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 19:25:08.00 ID:q2qb6O9EO
>>637 昌幸オヤジなら、森三中を絶世の美女として扱った事だろう
デブ専だし豊満な肉体は、かなりの魅力
太ってる=胃丈夫で栄養が行き届いている=高貴な身分
>>627 流石にゲテモノ料理(子鼠の脳ミソ)にチャレンジして死にかけたり、職務中の老中に相撲挑んだりは弁護出来ん。
あと片倉重長の嫁へのセクハラとか。
でも伊達公の場合ってどっちかっつーと 葬式参列中に
「ここで大笑いしたらどうなるんだろう?」って思って
実際には普通の人はやらないけど それを実行しちゃう
タイプだと思うんだよね
そういう意味では親近感があると思う
…いや無いかやっぱし
歴史なんてどこまでが本当かあやしいもんだよ
大阪夏の陣なんてなかった可能性もあるんだし
643 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 19:43:34.02 ID:frkecAxTO
政宗は、邪魔だからという理由で味方の部隊を壊滅させたんだっけ?
>>643 実はどさくさにまぎれての政宗暗殺狙いを返り討ちという異説もあるそうな。
>>640 あれはワザと馬鹿なふりをして幕閣の警戒を解こうとしたんでなかった?>相撲
逆に政宗みたいな人物がそれをしないといけないくらいに江戸幕府の体制は盤石だった。
あと伊達家は代々連歌が必修科目みたいな家だったんで政宗も普通にスラスラできたんだそうで。
だから田舎武士なんで恥をかかせてやろうと秀吉が歌会に呼んで逆にへこまされたという話がある。
ちなみに秀吉も後年から始めたとはいえ歌の才は結構あった
647 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 20:41:23.11 ID:WRmZPVOr0
影武者徳川家康
関ヶ原で暗殺された!!
648 :
名無しさん@13周年:2013/02/26(火) 21:01:11.52 ID:frkecAxTO
焼酎恵んでくれと頼む無職のおっさん
真田紐を売ってほそぼそと暮らしています
たまに兄ちゃんが何か送ってくれます
>>644 その後の神保家に対する幕府の対応をみるかぎり
政宗「むしゃくしゃしてやった、特に反省はしていない」
が正解なんだろうなと思う
>>650 一気扇動(自分が鎮圧して手柄にする)がバレて秀吉や家康に怒られてる話が残ってるし
前線に混ざって手柄ほしかったんかね
爺さんなってからの温厚な言動に家臣が感嘆って話もあるくらい短気だったようだし
>>649 ぼそぼそ暮らしてるわりには子供作りすぎだ
653 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 01:00:36.17 ID:CSMRayhHO
(;ω;)焼酎くれお
(;ω;)漏れないように気を付けてくれお
(;ω;)頼むお
654 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 01:11:33.18 ID:DyksO6RS0
足軽のヤツが間違って上級武士の首なんか取ったら
持って帰るまで後ろからやられないかビクビクなんだろうな。
655 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 01:13:44.45 ID:CSMRayhHO
>>651 居眠りしてる隙に脇差しを確かめたら木刀だったなんて逸話を聞くと、やっぱり好々爺じゃなくて食えない爺さんだと思う
656 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 01:16:08.49 ID:g+tuspXx0
俺が戦国時代の武将なら織田→豊臣→徳川と強いとこばかりについて
江戸時代には100万石の大名になって見せたものを
657 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 01:17:34.72 ID:JvSqY2cK0
あれ?生き延びて九州あたりに行ったんじゃなかったのか
古典厩信繁はいいよね。
659 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 01:24:50.34 ID:r4RnlR/G0
確か仁左衛門だかなんだかが一騎打ちで討ち取ったと手柄話を自慢げに吹聴して、家康が
お前みたいな雑兵に幸村が討取れるわけはないと相手にしなかったという
話だったと思うが、どこが新説なんだ?従来の話どおりで仁左衛門は自分の主張を
藩内で吹聴していただけじゃないのか?
>>100 お恥ずかしい話、真田十勇士と南総里見八犬伝を微妙に混同してるわ。
>>657 ここらあたり読んでみるとおもしろいかも
真田手毬唄 (新潮文庫) 米村 圭伍 (著)
662 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 01:41:15.54 ID:tUdjtPgG0
>>648 文字にするとほんと糞だな。無職のおっさんにこんなこと手紙で頼まれたら笑うわ。
「焼酎を2壷送って欲しい。めいっぱい入れて途中でこぼれないようシッカリと2重に蓋をして欲しい」
663 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 01:45:42.72 ID:fi+B/ATa0
ヨボヨボのジジイを遊びで殺してみたら手柄だったって事か
664 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 01:58:13.06 ID:oqy4ShuK0
仁左衛門殿は鉄砲組頭と読んだことあるが?
徳川家の軍制では鉄砲隊は前衛を張るエリート。
数百石取りなんて中堅クラスだ。
下級武士とか雑兵とか・・・
当時から妬みやっかみがひどかったんだろうな。
666 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 02:08:33.72 ID:/mPEiogv0
>>129 生き残ったのはあおい輝彦だけなんだよね。
>>638 >>27 / ̄  ̄\
/ / ̄ \\
/ / ヽ)
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L/ ヽ ノ |
(6 ‥) )
/ ヽ 丿
/ /|\ <二>|
`/ / | ヽ_ _ノ
| / _ノ /
/ // | /| ̄ヽ
フ// ヽ_ノ |
669 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 09:27:14.31 ID:CvSsY4sN0
>>615 戦隊もののリーダーも、専用機に乗る仮面の男も、異能者もみんな赤だろ
670 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 09:28:19.53 ID:MQCXnhlt0
こいつが好き勝手やったせいで、兄ちゃん短命なんだよな
671 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 09:36:41.79 ID:XBjxMc4H0
672 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 09:37:14.01 ID:XEFijBiI0
弟と親父の助命嘆願に神経をすり減らした事も影響している
そのせいでたった92歳しか生きられなったしな
歴史の話をするなら幸村なんて名前を使うなよ。真田信繁だろ
>>673 それを真田家に言って来いよボケ!!!!
信繁キチガイはすっこんでろカス!!!!!
それにスレタイを読めんのかお前は?
>>662 それプラス「壺は2つ送ったけど出来ればもっと送ってほしい」
とか贅沢書いちゃってるからな、子作りと紐作りに夢中の無職のおっさん(罪人)が
武将「仁左衛門、励んでおるか? ほほう、首をたくさん取ったのう。」
仁左衛門「数だけはこれだけ取ったがのう。なんとか敵の大将首をと思って、
わしも奮ったが、相手はこの通り雑魚ばかりじゃ。」
武将「さて、上からじゃ。真田信繁は生け捕りにせよと。大御所様が対面したいと。」
仁左衛門「なにを今さら。敵の大将は今ごろ大坂城で腹を召されておろう。」
武将「いや。毛利勢だけは引いて城に戻ったが、
真田と明石は城に入っておらぬ・・・っておい、その首」
仁左衛門「これは真田の者だったが、信繁はこんなつまらぬ男では・・・え?」
武将「真田信繁は背丈が短く、少し太っておって・・・」
仁左衛門「なにその孫正義」
武将「とにかくまずい。大御所様になんと弁解すれば良いやら・・・」
大阪城になんでかシャケいっぱいあるから送るおヽ ( ^ω^) ノ
678 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 13:21:48.94 ID:ysPW1wXM0
>>671 真田幸村の謀略の松方幸村も中々さまになってたな
信繁厨はニワカ
>「日本一の兵(つわもの)」
日本一も(ひのもといち)って書けよ
真田虫
>>333 チートなのは知ってるけど、実際どう活躍したのか知らない
適当な小説とかないのかな
実質沼田10万石で北条の侵攻食い止めてたんだよね
683 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 14:42:48.90 ID:8c5z7gWY0
>>678 その後は若林豪がいかにも幸村といったイメージだったんだけどな
沼田は3万石
685 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 14:58:15.08 ID:WbLKX0E00
まぁ真田親子の上田合戦は素直に凄いからなぁ
>>682 「加沢平次左衛門覚書」かな
まあ子孫が色々水増しして残した家伝だな
矢沢頼綱の槍があれだし
>>686 ありがとうだけど、手に入っても読みこなせそうもない
家康は2回死んでるクズ
幸村が討ち取ったのは影武者1号
その後の2号は不要になり抹殺
とある古文書にも記録がある
学会からはトンデモとして黙殺されているが
犬と呼ばれようが、畜生と呼ばれようが勝たなきゃいけないのが武士。
ただそれだけの話さね。
朝倉宗滴乙
691 :
名無しさん@13周年:2013/02/27(水) 23:58:28.25 ID:h7b55Yq20
家康にとって東北の伊達政宗なんてどうでもいい存在
徳川家人団からさえも伊達の薄着と陰で小馬鹿にされてたレベル
692 :
名無しさん@13周年:
どうでもいいはず無いだろ
政宗自信はともかく伊達という名前がなければ東北が治まってないよ