【社会】卑弥呼の祭祀用建物跡?奈良・纒向遺跡で柱穴100個超出土★5

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1春デブリφ ★
★卑弥呼の祭祀用建物跡?奈良・纒向遺跡で柱穴100個超出土

 邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した時期にあたる3世紀前半の小型建物の柱穴が
100個以上見つかり、市教委が1日、発表した。約60平方メートルの狭いエリアに
集中し、小型建物を建てたり壊したりした跡とみられる。遺跡の中心部で柱穴が
集中して確認されたのは初めてで、専門家は「年に数回、卑弥呼が特別に
執り行った祭祀(さいし)用の建物跡ではないか」とみている。

 市教委は過去の調査を踏まえ、遺跡の中心部は、卑弥呼の宮殿とも指摘
される3世紀前半の大型建物を含む4棟の建物が東西に並んでいたと推定。
今回、昭和53年に柱穴の一部が確認されていた最も西側の建物の推定地を
調査し、この建物に関連する柱穴は確認されなかったが、周辺で直径10〜
60センチの柱穴を100個以上確認した。
 市教委によると、建物群の入り口にあたるとみられ、「特別な空間」として
利用された可能性が高いという。古代祭祀に詳しい辰巳和弘・元同志社大教授
(古代学)は「卑弥呼が年に数回、食物の収穫を感謝する祭祀のたびに建てられ、
祭祀後に取り壊された複数の小型建物の痕跡ではないか」と推測している。

 一方、今回の調査では、4世紀中頃に整備された豪族居館の周濠(しゅうごう)跡の
一部も確認された。過去の調査を踏まえ、周濠の規模は東西約65メートル、南北
約54メートル、幅は最大5・8メートル、深さ最大60センチ以上と判明した。
 市教委は「3世紀の宮殿エリアを囲むような周濠で、この周辺のエリアが、世紀を
またいで政治や祭祀の神聖な土地として利用されていたのではないか」とみている。

 現地説明会は3日午前10時から。JR桜井線巻向駅の西方徒歩約5分。

http://sankei.jp.msn.com/life/news/130202/art13020213480002-n1.htm
http://sankei.jp.msn.com/images/news/130202/art13020213480002-p1.jpg

※前スレ(★1:2/02(土) 16:07:36)
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1359990598/
2名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 01:54:36.59 ID:2oS9MLqc0
ヒミコミコミコ
ヒミコミコ
3名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 01:54:41.23 ID:iyfKbRy40
なんやて!!!
4名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 01:54:43.10 ID:DxIt1wplT
2
5名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 01:54:50.29 ID:j2lEthk20
卑弥呼は九州に居たのはガチ
6 ◆UMAAgzjryk :2013/02/06(水) 01:54:53.57 ID:vJqWgrJD0
なんか最近ずっと新聞で纒向の特集してたから
なんぞ?って思ってた
7名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 01:55:08.40 ID:c+4aX+Jr0
>>1
>現地説明会は3日午前10時から。JR桜井線巻向駅の西方徒歩約5分。

なんか急に宅地くさくなる一文だなw
8名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 01:56:12.29 ID:5HHtxBF/0
邪馬台国は九州だから
9名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 01:57:07.19 ID:NQn0Tq0o0
>>5
卑弥呼町興し青年部の者だろうが諦めろ 九州には無い。
10名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 01:57:28.95 ID:4LKRZp1O0
なんでも卑弥呼のせいかよ・・・
そんなん朝鮮人と同じ発想じゃねーか
11名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:05:56.66 ID:R0zd5oad0
2世紀:倭国大乱、出雲の国譲り→3世紀、卑弥呼を共立して奈良に邪馬台国(吉野ヶ里の勢力が畿内へ移動)→
4世紀、日向にいた天皇家が瀬戸内海を通って大阪の和泉へ進出→奈良の邪馬台国を攻略し、邪馬台国の神である
卑弥呼(アマテラス)を伊勢へ移す。
北九州の宇佐周辺に拠点を持っていた秦氏が大阪の河内へ移住。古事記でいうニギハヤヒとして
天皇家と同盟し、奈良の邪馬台国を乗っ取る。ニギハヤヒは後に物部氏として勢力を拡大。

物部氏の祖先、ニギハヤヒが降臨したとされる大阪交野市にある磐船神社
http://b-spot.seesaa.net/article/109675827.html

高天原と呼ぶにふさわしい風景
http://pds.exblog.jp/pds/1/200908/02/95/e0187395_21301935.jpg
http://jc4.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_a99/jc4/P9270033.JPG?c=a2325

ナガスネヒコ=邪馬台国

河内湖が葦原 葦原中国
http://inoues.net/kawtiko.jpg
12名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:12:37.42 ID:afVV5X3Ri
邪馬台国はもともと王制だったと言う
この王制が天皇家だったのではないかな?
巫女みたいな役割は太古からあってそれこそ治める人々に精神的に重要な役割だったのだろう
国が騒乱になり一時的に卑弥呼や巫女を女王にし立てた
が、騒乱も治まり、日本の歴史史自体からは正式では無いとし
天皇家の権威の為に完全消去されたと、仮想してみる
13名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:18:01.92 ID:HBvgtDoO0
『隋書』倭国伝では
三国魏の時代(220年 - 265年)は、通訳を伴って中国と通じた倭国は三十余国あって、皆が王を自称した
とある

それ以前の話として、後漢の
光武帝の時(25−57年)、遣使が入朝し、大夫を自称した。
安帝の時(106−125年)、また遣使が朝貢、これを倭奴国という。
とあり、

後漢書倭伝にも、
建武中元2年(57年)、倭奴国の使者が、貢ぎ物を奉げて光武帝のもとに挨拶にきた。
使者は大夫と自称した。倭奴国は倭国の一番南の地である。
光武帝は倭奴国王に印章と下げひもを賜った。
安帝の永初元年(107年)、倭国王の帥升は奴隷160人を献上して、皇帝の謁見を願ってきた。
とある

このとき、建武中元2年(57年)に、光武帝が賜った印章は、
福岡県福岡市東区に所属する博多湾の北部の島、志賀島で発見されている
つまり、後漢の時代、倭国で唯一、通訳を伴って中国と通じた国は、九州にあった国だったわけだ
14名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:18:20.88 ID:+TfcoiMu0
ダメだ、卑弥呼と聞くと
卑弥呼に扮した中村獅童の動画を思い出してしまう
15名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:19:14.07 ID:HBvgtDoO0
しかし、それが、『隋書』倭国伝によれば
三国魏の時代(220年 - 265年)になると、通訳を伴って中国と通じた倭国は三十余国に増え
皆がそれぞれ王を自称した

三国魏の時代は220年 - 265年だから、その間わずか45年
つまり、たった45年間の間に、邪馬台国の他に30ヶ国以上の倭の国が、入れ替わり立ち替わり魏の皇帝に使いを送り、
皆が「自分が倭国の王様だ」と言っていたわけだ

で、邪馬台国は、「自分が倭国の王様だ」と言っていた以上、他の29ヶ国あまりの国は、
邪馬台国の支配下の国から「自分が倭国の王様だ」と言うために、魏に向かって船を出すことは出来ない

当然、邪馬台国の支配下の国以外から、魏志倭人伝に記載された国以外を経由して、魏に到達していた
と言うことになる

魏に到達していた30の国の中の、一つの国が邪馬台国で、卑弥呼は配下に対馬国から奴国まで二十国弱の倭の国を従えていた
ということは当然、残りの29ヶ国あまりの、通訳を伴って中国と通じた他の倭の国も、何カ国もの倭の国を従えていた

つまり、当時の日本には少なくとも、30の、通訳を伴って中国と通じることができる都市連合国家と、それぞれの港
が存在したんだ
16名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:28:28.42 ID:HBvgtDoO0
で、当時の日本には少なくとも、30の、通訳を伴って中国と通じることができる都市連合国家と、それぞれの港
が存在した・・・ならば

邪馬台国は当然、九州から奈良まで・・なんて、広大な地域を支配下に置いていたわけではなく

九州にあったなら、九州だけ
畿内にあったなら、畿内だけ

の、小さな地域だったっつーことになる

九州か、畿内、もしくは、全く別な地域に邪馬台国を中心とする都市連合があり、
そのほかの地域には、邪馬台国並、またはそれ以上の都市連合がいくつもあった
・・・っつーわけだ
17名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:35:04.67 ID:j2lEthk20
金印が全ての証拠であるからな
18名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:45:50.62 ID:a0BcJLjk0
>>16
俺も卑弥呼を古代日本の象徴として特別視していること自体が間違いなんだと見ている。

記紀に卑弥呼の存在が記載されていないことからも、
同時代の日本には女性祭司を君主に据える流行というか宗教が存在していたんじゃないかと想像している。

つまり、卑弥呼と神功皇后は全くの別人。
類似宗教の別宗派くらいの近縁性があった可能性は示唆するけど、
そこまで後世に語り継がれるほどの影響力をもった人物が当時の混沌とした日本に存在していたのか多いに疑問。

天照大神の性別が曖昧なのは、この日本の古代宗教に由来していると思う。
19名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:54:29.03 ID:0lheh9SD0
空白の4世紀日本はどんな国だったのか
20名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 02:59:07.61 ID:a0BcJLjk0
>>19
きっと恐ろしく長閑で平和だったのだと想像する。
人類史ってのは武勇伝や英雄譚、つまり「戦争」の記録だからな。

何も残ってないってことは気候も安定して「大した争い事が起こらなかった。」ということ。
21名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:01:44.97 ID:R0zd5oad0
>>18

アマテラスが卑弥呼。卑弥呼には子供がいない。つまり、天皇家は邪馬台国を乗っ取ったけど、
自らの正当性を示すために記紀で捏造して歴史を書き換えた。
22名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:03:17.37 ID:Tt6oQmmX0
>>19
人間が地震津波で以上に少なくなっていた
23名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:20:43.41 ID:V4jQ57RC0
空白の4世紀日本はどんな国だったのか
>>
君が代 をヘブライ語で解釈する。
www.youtube.com/watch?v=hMlZygKsCgQ
イスラエル国歌 日本語翻訳
www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=xSwopyigAvc&NR=1
24名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:25:41.94 ID:+LJmX91L0
>>20
空白の4世紀ってのは
あくまでも倭(日本)に関する記述が中国側に文献が残ってないってだけだからな。
中国自体も相当荒れてた

西晋から東晋・五胡十六国時代

だから文献が残ってないと言う可能性もかなりある

266年に倭の女王(臺與・壱与)が朝貢してきたって記述を最後に文献上の記述が消え
413年に倭王讃が朝貢してきた記述から復活する
以後
讃珍済興武が朝貢してきたという記述が出てくる

日本書紀・古事記を信じるなら
決して空白の4世紀ではないんだけどな。
25名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:29:49.01 ID:V4jQ57RC0
イスラエル国歌 の中のシオンとエルサレムの自由の国
を日本語にすると、祇園と平安京の自由の国 となる不思議
26名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:30:12.01 ID:qkSOrPBO0
まだやっとったのか。
今後はどの板のどのスレがふさわしいの?
27名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:34:10.11 ID:HGcojjc30
アマテラスは卑弥呼じゃないよ、
28名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:34:52.50 ID:B4JC7MCz0
>>12
我が国の皇族が支那に朝貢して倭王に封じられたりする訳がない
よって邪馬台国は九州の地方国家に過ぎず
卑弥呼は大和朝廷の名を騙る熊襲の女酋長である
29名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:37:23.46 ID:V4jQ57RC0
天狗とイスラエル
www.youtube.com/watch?feature=endscreen&v=crKpCZe3LQg&NR=1
Yamato The Drummers Of Japan in ISRAEL! THE NanpaGirls Review!
30名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:38:39.83 ID:a0BcJLjk0
>>24
大陸の争いが伝播して「書き残せないようなことが起こっていた」と考えるのが自然だということか。
31名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:45:13.36 ID:afVV5X3Ri
>>27
アマテラスが卑弥呼とは思わないけど、
こう言う巫女が神に近い存在だったってこの国の太古の宗教観は
暗示してると思う
32名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 03:53:16.68 ID:+LJmX91L0
>>30
ただ単に歴史書の空白期間って認識でいいかと
三国志は同時代の陳寿作で

次の歴史書(正史ではない)である
十六国春秋がほぼ散逸
だいたいこれのせい

次の主な歴史書である晋書・北宋書や梁書に倭の五王の記述がある

日本でいうと「天皇記」・「国記」がなくなって
色々わからんから残念
その程度のこと
33名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 04:17:23.64 ID:a0BcJLjk0
>>28
その結果がまさにトンデモ歴史書として悪名高い記紀の編纂と、
併せて行われた焚書政策だよね。
「大和朝廷は日本国を詐称した。」というのはよく言われる話。

>>32
それは単純化しすぎじゃないかな?
4世紀と言えば仁徳天皇の時代で記紀の記述からも何らかの体制崩壊が察せられるもの。
大和朝廷が詳しく書き残したくなかった時代であることには変わりない。

「十六国春秋」もおそらく秦氏、漢氏が来日時に所有していたものが日本に現存したはずだけど、
そこには当然、大和朝廷にとって都合の悪い記載がされていたので、
前述の藤原不比等による焚書によって破棄されたと考えるのが自然。
34名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 04:25:14.47 ID:L+WP0sdzO
古代は部族社会で通い婚か婿入り、
女性は自分が生まれた共同体で子供を産むから、
必然的に母系で祭祀も女性主体だったのが、

おそらく倭人の一部で嫁入りが始まって、
汎部族的な男系氏族による部族連合が形成されてきたんでしょ。

それに対して有力なアマテラスの部族も、
男系化して皇族が形成されたんじゃないの。

神無月には全国から神々が集まって、
宴会しながら縁結びの相談するし、
沖縄には今でも女性が祭祀をつかさどる文化が残ってる。

皇族から斎王が出てたのは古代の名残りだと思う。
35名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 04:26:03.42 ID:a0BcJLjk0
自分は日本人として記紀という書物の存在は明確に恥辱だと思っている。
到底、8世紀の作品とは思えない幼稚さで、朝鮮史のことを全く笑えない荒唐無稽な内容。

21世紀のうちに天皇家が継承不可能になることが確定しているけど、
ちゃんとした日本史研究が始まるのはそれ以降のことになるのだろうね。
36名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 04:37:21.52 ID:L+WP0sdzO
つまるところ、

天照大御神の命によって天孫降臨し、
神武東征して国譲りを確認したというのは、
皇族の男系始祖の起源神話であって、

神武東征を錯覚して、
西から勢力が拡大したのだろうと考えるのは、
錯覚ではないかと思う。

遠く九州の南端に天下り、
はるばる旅をして来た神聖なマレビトであった、
って言ってるだけだし。
37名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 04:48:37.96 ID:IgUQKca30
<丶`∀´>ウリらは性穴100個ほじるのが特技ニダ
38名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 05:29:31.13 ID:HBvgtDoO0
>>36
確か日本書紀では、イザナギがイザナミに逢いに黄泉の国に行って帰ってきた時に
黄泉の穢れを洗い流した際、左目を洗ったときにアマテラスが、右目からは月読命が、鼻からはスサノオが化生して
イザナギは天照大御神に高天原を、月読には夜を、スサノオには海を治めるように指示した。

んでもスサノオは、母ちゃんのイザナミに逢いたいと泣き続けたために、父ちゃんのイザナギから追っ払われて
コレ幸いと母ちゃんの所に行く途中に、姉ちゃんのアマテラスがいる高天原に立ち寄って
今度は高天原で調子に乗って暴れまくって、姉ちゃんのアマテラスから高天原を追っ払われて

出雲にたどり着いた時に、出雲の住民を苦しめていたヤマタノオロチをぶっ殺して、
出雲の豪族の娘の稲田姫を嫁にして新たな国造りを始め、稲田姫との間に須世理姫が産まれて

そのスサノオの娘の須世理姫が、今度は、地元の豪族の大国主命と結婚して
スサノオが興した出雲を、スサノオの娘婿の大国主命が豊かな大国にまで造り上げた

したらば今度は、アマテラスが、弟のスサノオが造った国なんだから、私のモノよね・・って
アマテラスの息子であるアメノホヒを出雲に派遣して、出雲を譲ることを大国主に迫り、
大国主がコトシロヌシとタケミナカタに、どうする???って相談したら
長男のコトシロヌシは「別にいいんじゃね?戦争キライだし・・」だったけど
次男のタケミナカタは「ふざけんじゃねぇ」で、アマテラスと闘って負けて

父ちゃんの大国主命は、戦いに敗れた次男のタケミナカタの延命と出雲大社の建設を条件に、
出雲をアマテラスに委譲することを認め、アマテラスは孫のニニギを出雲に派遣して、
出雲大社を建てて、次男のタケミナカタは、出雲から諏訪に追っ払われた

・・っつーストーリーだったような・・
39名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 05:37:12.87 ID:6gitDSvH0
>>35
あれは三国志演義だと思って読まないと駄目w
史書として扱うからおかしくなる。
40名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 05:39:22.77 ID:a0BcJLjk0
>>36>>38
その下りもおかしいね。
イザナギ、イザナミの家系ばかりが語られているがタカミムスビはどうなる?

まるで存在感が薄いのに皇祖神として列せられている上に、
極稀な登場機会ではアマテラスより上位の神であるかのように振る舞っている。

ようするに物語の完成度自体が低いんだよ。
エヴァンゲリオンの方がまだマシだと思えるくらいに。

編集し切れていないことが明らか。
41名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 05:50:22.16 ID:HBvgtDoO0
んで、スサノオの娘婿の大国主命が、出雲を豊かな大国に造り上げる過程で
スクナビコナっちゅう、波の彼方より天乃羅摩船(アメノカガミノフネ)に乗って来訪した神様が出てくるんだけど

つまりは出雲は、どこかの国の支援を受けて、豊かな国に成長して、
豊かな国になったらアマテラスの国からウチの国になれと圧力を受けて
出雲を支援していたどこかの国は、次男のタケミナカタとともにアマテラス軍と闘ったけど負けちゃって
出雲はアマテラスの国にとられちゃった

っちゅう話で、アマテラスが卑弥呼と、出雲を支援して豊かな国にしたのが敵対する狗奴国と
どうも被るんだよね、イメージが・・・・
42名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 05:59:50.79 ID:HBvgtDoO0
>>40
そりゃタカミムスビは別天津神で、最初の5柱で
その次に神世七代でイザナギ・イザナミなど7柱が産まれて
その次にイザナギからアマテラス・月読・スサノオが産まれたんだから

アマテラスより上位の神で当たり前なんじゃねーの
アマテラスの爺ちゃん(婆ちゃん?)だもの(^_^;
43名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:06:33.83 ID:a0BcJLjk0
>>42
タカムスビはニニギの母系祖先であって、イザナギ・イザナミとは別の一族だよ。
当然、アマテラスとの血縁関係もない。

なにか高位に列せられながら異民族のような扱われ方をしている。
44名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:07:21.77 ID:9SZTpRjA0
九州説は根拠薄弱な「村おこし」説
偽文書までは言わないが、「魏史倭人伝」みたいな誰が記述したかも不明な文書だけに依拠し、
埋蔵品を無視する態度でいいのか
45名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:13:05.30 ID:HBvgtDoO0
結局さ、出雲の話って

邪馬台国の卑弥呼の弟が、邪馬台国を追放されて、
邪馬台国と敵対する狗奴国との国境の辺境の地である出雲まで逃れてきて出雲に国を造っちゃって、

そんで出来ちゃった卑弥呼の弟の娘が、狗奴国と繋がりがある男と結婚して、狗奴国の協力を得て、
邪馬台国・狗奴国に匹敵するぐらい豊かにしちゃって

豊かになった出雲と狗奴国の連合を脅威に感じた邪馬台国が、
「もともとは卑弥呼の弟が興した国だろ、場所的にも邪馬台国の中だし」
って、卑弥呼の弟の娘の婿さんに、

狗奴国とは手を切って、邪馬台国と手を結べと迫った

っちゅう話しなんじゃないだろうか・・・
46名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:14:24.71 ID:i2ljZq150
邪馬台国九州説なんて唱えてるのは日本は畿内の天皇が早期に統一した
国家じゃないと言いたいバカサヨク学者だけ
47名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:21:16.16 ID:a0BcJLjk0
やはり、タカミムスビの存在が鍵じゃないか?
天皇家はタカミムスビの男系子孫という言い方もできるのに、
なぜかそちらの家系は完全無視。

ならば系図から消せば良いのに、系図だけは残してある。
物語として盛り込み切れなかったものの、
系統上子孫ということにしなければならなかった大人の事情が垣間見える。
あるいは後から強引に付け足したか。

>>46
7〜8世紀ですら統一なんてしてないだろ。
今の群馬県あたりまでだよ。当初の大和朝廷は。
48名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:21:54.34 ID:HBvgtDoO0
>>43
そりゃ、
タカムスビはニニギの母系祖先であって、イザナギ・イザナミとは別の一族
だけど、アマテラスの父ちゃん・母ちゃんより前にいた神様だろ?

ちなみにニニギは、アマテラスの子とタカムスビの娘との間に産まれた子で
アマテラスから葦原中国・・つまり出雲を治めろと命じられた子
49名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:26:31.35 ID:TalYBufIO
単に奈良に決めてしまうには面白くないからってんで、一部の学者に「お前九州説な」と役割を担わせた教授がいたんじゃ。
50名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:27:20.09 ID:LOOabXD10
卑弥呼はバカ中国のバカ文献にだけ存在するインチキ。歴史学者は極度の中国バカ揃い。それだけの話
51名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:29:59.41 ID:LOOabXD10
反日マスゴミは天皇以外の権力の存在を捏造したい。それだけの話
52名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:38:50.65 ID:HBvgtDoO0
>>46
まぁ、当時の日本には、どっちが邪馬台国だったのかはわからないけど
九州と畿内の2大勢力があって、均衡していた・・ところに
その中間地点である出雲に、九州と畿内の2大勢力に匹敵するぐらいの豊かな勢力が、
邪馬台国の血筋のくせに、邪馬台国じゃない方の協力で出来ちゃって

その豊かな出雲という新興国を巡って、九州と畿内の一気に均衡が破れて

それに加えて、九州・畿内の勢力も、主流派と非主流派に別れて
それぞれが、畿内勢力のくせに、畿内で主流派となるために九州と結んだり、
九州勢力のくせに、九州で主流派になるために畿内と結んだりして

いろいろグチャグチャだったんじゃなかろうか・・・

例えば、邪馬台国が九州にあり、畿内にそれと対抗する一大勢力があって
神武が東征して畿内で天皇を名乗った・・としても、神武が邪馬台国の人間だったとは限らない

神武はあくまでも畿内勢力の人間で、主流派争いに負けて西の邪馬台国まで下り
邪馬台国の協力を受けて、東征して、畿内の主流派を打ち負かして、新たな畿内の主流派になった

なーーんてストーリーも、もしも、

邪馬台国の卑弥呼の弟が、邪馬台国を追放されて、
邪馬台国と敵対する狗奴国との国境の辺境の地である出雲まで逃れてきて出雲に国を造っちゃって、

そんで出来ちゃった卑弥呼の弟の娘が、狗奴国と繋がりがある男と結婚して、狗奴国の協力を得て、
邪馬台国・狗奴国に匹敵するぐらい豊かにした

なんて話だったら、十分考えられるし・・
53名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:43:40.01 ID:M2Ifu+gJ0
5スレって、九州説苛めるなよ
団塊サヨクの最後の希望なんだから
それでなくても、民主党も小沢党も惨敗したし
なのに、株価は鰻登り、もういたたまれないんだよ


あと、九州説は比定地を決めてね
民主党同様に綱領すら決まりませんとかやってないで
ウチゲバしか能がないサヨクだから仕方ないのかもしれんが
54名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:43:47.62 ID:B4JC7MCz0
>>46
邪馬台国畿内説を支持してるのは
我が国の皇族が支那に朝貢して倭王に封じられたりとする
屈辱的な過去を捏造したいブサヨ学者だけ
55名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:44:54.59 ID:ASsB0dqv0
もう箸墓古墳が卑弥呼稜てことでよろしいか?
日本書記や天皇家との関係性の摺り合わせが終わったらまた教えてくれ
56名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:45:36.97 ID:pTnJNtDr0
で結局、なんで畿内説が有力になっているの?
57名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:51:53.79 ID:HBvgtDoO0
>>56
邪馬台国は、たまたま中国に朝献したから記述として残っているだけで
日本で一番大きな都市連合だったから記述として残っているわけでもなく
邪馬台国以外、当時の日本には、邪馬台国並の規模の都市連合はなかったわけでもない

・・・のに

一番大きな遺構が出てきたから邪馬台国は畿内だ

っつってるだけ・・・(^_^;
58名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 06:52:52.46 ID:RsRnEyKK0
テレビで外国の超能力者が邪馬台国は西日本全部って言ってたのはワロタ
59名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 07:13:20.98 ID:pTnJNtDr0
>>57
結局「根拠は纏向遺跡が大きい→大きい国が邪馬台国だ」程度なのか?
狗奴国の方が大きかった可能性もあろうに
60名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 07:15:18.67 ID:aPBjGdy/0
そもそもこれが出てきたら確定みたいなものがないだろ?
どんだけ調査研究したってここっぽいねという伝説のままだわ
61名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 07:24:30.53 ID:M2Ifu+gJ0
>>60
誰も確定したとは言ってないんだよ
今回の件も、卑弥呼が何かやったのかな?って言ってるだけで
でも、何故か九州説の人が突っかかってくる
62名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 07:57:51.21 ID:HBvgtDoO0
>>61
っつーか、、「纒向」は
垂仁天皇の「纒向珠城(たまき)宮」、景行天皇の「纒向日代(ひしろ)宮」
の遺構であるのに

卑弥呼・・とか言っちゃうから、畿内説は変態
63名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 07:59:51.82 ID:HBvgtDoO0
もしかして天皇の遺構だ・・なんつーと
宮内庁が出張ってきて、発掘出来無くなっちゃうから

卑弥呼なーーんて変態チックの話を出しているんかねぇ・・・
64名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:04:40.92 ID:jHEsRxQL0
そもそも邪馬台国の存在を規定するのは、支那の歴史書で、
後の歴史書に大和=邪馬台国だって書かれてる事をスルーする
意味がわからないw そもそも邪馬台国をヤマタイと読むから
話がややこしくなる。ヤマト国と言えば良いんだわw
65名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:05:18.06 ID:HBvgtDoO0
もっときちんと

天皇の宮としての考察をして欲しいモノだよ、纒向は・・・
66名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:09:30.13 ID:HBvgtDoO0
>>64
大和=邪馬台国だって書かれてる歴史書なんてあるか????
67名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:13:21.85 ID:leus/F9t0
歴史素人なので、倭国・邪馬台国・女王国の区別がいまいちわからないw
この場合の巻向は女王国って意味でいいのかな。
68名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:13:28.61 ID:o6mWVrRt0
ご都合神話や歴史書()に催眠かけられ
酔っ払いたい奴がくだまいてるのが+愚民らしい
69名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:13:33.81 ID:SnfkOWuI0
走れダダン
ダンダンダンダン
70名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:21:55.01 ID:6MBvvMMsi
畿内説を指示してるが、ここで卑弥呼って名が出てくるのは唐突な感じだね

親魏倭王の金印が出るまでは確定せんだろ
71名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:34:09.04 ID:XMl/qYWnT
魏志倭人伝によると邪馬台国には四つの官があったと記されている

伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳と(革に是)

伊支馬・・・・イコマ、生駒であり奈良盆地の地名で垂仁天皇の別名が伊支米(いくめ)

弥馬升・・・・ミマスと読めば、孝昭天皇の別名が御真津(みまつ)

弥馬獲支・・・・ミマキと読めば、崇神天皇の別名が御真木(みまき)

奴佳と(革に是)・・・・天皇名にはないが中処とよめば「中央」の意味になる


それぞれの天皇の御陵地を調べると中処を囲むように存在している
卑弥呼は中処にいたとすると、奈良県田原本町がその所在地になるが、市街地になってるため
発掘作業がおこなわれていない


村井康彦「出雲と大和」(岩波新書)
72名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:41:56.84 ID:4P1xD+4uP
>>70
金印が出てきたら邪馬台国の場所が確定できるのか?
73名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 08:46:05.31 ID:M2Ifu+gJ0
金印って言うけど、所詮印鑑だろ
それも小さな
中国の方も魏から晋に代わってるし、当時は価値も無くなってるだろ
潰して他の何かの装飾品にでも使ってんじゃね?
74名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 09:09:11.87 ID:4P1xD+4uP
>>73
魏は晋が国家を継承しているから、魏代の外交関係もそっくり晋が引き継いでいるんだよ。
中国は易姓の手続きやアルゴリズムがかなり確立されていて、前王朝の名前で出された外交文書などは、継承王朝でもそのまま有効とされていた。
前王朝と戦争して襲った継承王朝の場合は、前王朝に従って継承王朝に槍を向けた属国などは
外交関係を一新されるが、魏朝→晋朝は、穏当な禅譲継承の体裁をとっているので、
魏と邪馬台国の外交関係はそのまま引き継がれるし、親魏倭王印も有効ではある。
75名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 09:20:08.39 ID:M2Ifu+gJ0
>>74
夢見んな
仮に形式上、有効だよってなってても使う奴は居ない
新たに貰えば済む話だから。相手もそれを望む
故に魏からの金で出来た印鑑は役に立たない。装飾品用に再利用されるのが関の山
所詮印鑑だって理解出来てる?
76名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 09:35:25.28 ID:WO2xb+k90
そもそも伊都国糸島の比定が大間違い
初めの一歩を間違えば、いくら掘ってもでるわけない、でたぞーでたぞー、近畿の狼少年
77名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 09:48:38.75 ID:xDVRrC8TP
あんまり詳しくないんだが、邪馬台と大和王権ってつながってるの?
なんたら大乱で滅びたって話も聞いたような聞かないような
78名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 09:57:21.15 ID:WO2xb+k90
近畿に邪馬台国があったなんて、風説の流布
マキムク発、生贄を張り付けにした100本の祭祀柱穴は、野蛮国のあかし
79名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 10:06:25.59 ID:KHTxAKRz0
奈良の人はあれだから、畑から金印が出てもパクっちまうだろ。
80名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 10:33:40.29 ID:Pl+RJfLO0
遺跡から穴が出ただけで大騒ぎしてるけど、遺跡の写真見てみればどこの遺跡だって穴ポコだらけ。
たかが100個ばかりの穴から、どんだけ想像(ねつ造)してるんだか、天才(天災)だな近畿は。
81名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 10:35:12.29 ID:gVHlZqtV0
>>77
はっきり答えることは出来ないけど、
記紀(古事記と日本書紀)や隋書(中国の歴史書)などの記述によると、
邪馬台国と大和王権はつながってるという答えになると思う。

だが、「実際は分からない」という答えが現実的だろう。
個人的な意見を言わせてもらえば、「つながっていない」と思う。
理由はいくつかあるが、長くなるので割愛。
82名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 10:46:07.99 ID:wHNeaTEk0
邪馬台国=大和国
元から邪馬台国なんて無いんだよw
83名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 10:52:55.97 ID:gVHlZqtV0
>>82
その心は?
84名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 10:56:14.64 ID:Vzm31lDD0
85名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:04:05.96 ID:Rj2yIAL70
>>73
レベルの低い国は「金」印は貰えない
朝鮮は「金」以下
86名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:05:30.81 ID:xDVRrC8TP
>>81
繋がっている体ではあるのね
ありがとう
87名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:07:35.99 ID:WO2xb+k90
>>84
大乱当時のムラのひとつだな、クニの都には程遠い
88名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:08:28.51 ID:M2Ifu+gJ0
>>85
もう、魏から晋に、国が替わってんだよ
そんなに重要なら、新しいの貰うし
たいしたもんじゃないないら、それこそ装飾品いきだろ
所詮印鑑なんだから
89名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:10:50.91 ID:+fEGYIYM0
>>77
どんなに王権が変わろうと、アマテラスを尊重する限り
皇威、王権は繋がってるのよ。
90名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:15:09.13 ID:o/Gj4r+z0
>>88
印鑑、結構重要ですよ

現天皇陛下が中国に行ったとき、中国が印鑑をよこしてきたそうです
臣下の印としてw
お返ししたそうですけど
91名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:22:04.15 ID:WO2xb+k90
>>77
血筋の継続と、権威の承継は別のこと
92名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:26:58.09 ID:WO2xb+k90
そもそも最初の一歩、伊都国糸島の比定が、大間違い

近畿説はしっかり掘り返せ、近畿じゅう掘り返せ
千年見当違いを掘っても出るわけないwww
93名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:27:31.41 ID:M2Ifu+gJ0
>>90
国が替わってるって、書いてるの読めないの?
94名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:28:53.53 ID:2pYo7CccP
>>80
近畿だろうが北部九州だろうが、地下に埋蔵された遺跡を発掘すると、
墓や溝以外はたいがい穴ぼこだらけですよ?
 ものを知らないで他人を馬鹿にするのは幼いからだとしても、自分
が無知であることを知らないと先には進めないよ。
95名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:30:03.33 ID:ZbUkD58g0
>>92
現実直視できずに発狂したか。
96名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:31:37.01 ID:WO2xb+k90
>>93
忠誠の証に、以前の主君からもらった印鑑を渡せ、と要求されたものらしい
そんなに甘くない、シャチハタじゃねえんだぞ、当時の印鑑は。
97名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:36:02.74 ID:Vzm31lDD0
>>87そのとおりムラの一つだ、この程度のものは筑後川沿いに何個もある
纒向遺跡のたかが100個で卑弥呼の宮殿とか云うから、比べ物にもならない
筑紫平野は奈良盆地の5倍、この全域が邪馬台国

女王國東渡海千餘里 復有國 皆倭種
又有侏儒國在其南 人長三四尺 去女王四千餘里
又有裸國 K齒國復在其東南 船行一年可至
參問倭地 絶在海中洲島之上 或絶或連 周旋可五千餘里
畿内説のひとこれを解説してくれ?
98名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:36:27.00 ID:Q2q15YTu0
そういやハンコって西洋には無いのかねえ。
99名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:37:44.96 ID:qgc2x1kYO
>>75
そもそも外交とは形式そのもの。
個人の友情のようなではなく、形式が整っているか否かがすべて。
継承王朝としても、周辺国との外交関係を全チャラにして、
また一から構築するなんてしたら、国力が弱まってしまうから、
わざわざ面倒な継承手続きをとっているんだよ。
むしろ、日本側が継承王朝との外交関係を嫌っていたとしても、
否応なく継続されてしまう。魏の朝貢国であった邪馬台国は、
邪馬台国の意向とは関係なく自動的に晋の朝貢国になってしまう。
100名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:38:44.38 ID:WO2xb+k90
>>95
魏志倭人伝という現実を直視すれば、
末蘆国の東南陸行五百里にあるという伊都国は佐賀平野にあった、記載のとおりだな〜〜〜。
101名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:48:13.76 ID:WO2xb+k90
>市教委は「3世紀の宮殿エリアを囲むような周濠で、この周辺のエリアが
>世紀をまたいで政治や祭祀の神聖な土地として利用されていたのではないか」とみている。

政治や祭祀の神聖な土地とは、おおかた奴婢の生贄でも捧げたんだろ
102名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:49:08.34 ID:yuF0USwD0
安易に卑弥呼だのなんだのと結びつけて論理もクソもない
こんなの学者のすることかよw
103名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:50:01.29 ID:irBST3kC0
>>102
考古学はそういうところだ
104名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:53:29.10 ID:f6j1F6SL0
もし親魏倭王印が存在するならどっかで見つからんもんかなあ。
105名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:53:49.54 ID:WO2xb+k90
>>103
考古学ムラはそういうところだ・・、だろ。 原子力ムラ並みな。
106名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:53:50.81 ID:M2Ifu+gJ0
>>99
百歩譲って認めたとしよう
だったら、晋は続いているから、卑弥呼の古墳に金印は入れないんじゃね?
また、隋、遅くとも唐は引き継いでいないから、金印は無効になんじゃね
そこから先は金印は、小さな金の固まりの価値しかなくなる
やっぱり潰して、装飾品いきじゃね?
107名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:54:45.40 ID:yx0BXjVv0
>>71
なんだよな。卑弥呼=モモス、男弟=吉備津彦とするならば
天皇家は、その政権を強奪したことになる。
108名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:54:59.61 ID:Rj2yIAL70
>>96
「三田渡りの盟約」

朝鮮は清国に対し、臣としての礼を尽くすこと。

朝鮮は明の元号を廃し、明との交易を禁じ、
明から送られた誥命と明から与えられた朝鮮王の印璽を清国へ引き渡すこと。
109名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:57:35.99 ID:WO2xb+k90
>>106
その通り、卑弥呼の古墳に親魏倭王の金印は埋納されてないと考えるのが正しい
装飾品になったかどうか不明。
もしかして、今の皇居にあるかもしれない。
110名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 11:58:29.88 ID:iyZXATnUO
Wikiによると金印は新王朝に返還するのが習わしで親魏印は返還されてるだろうと
111名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:17:17.84 ID:HBvgtDoO0
>>77
記紀(古事記と日本書紀)は、出雲は出てくるけど
邪馬台国や卑弥呼は全く出てこない

出てくるのは高天原とアマテラス

んで、ストーリー的には

世界の最初は高天原で、高天原から出雲に派遣されたイザナギとイザナミが
出雲で結婚して、アマテラスと月読とスサノオという3人の子を造り
そのウチのスサノオが、イザナギとイザナミが造った出雲を立派な国にした

んで、高天原のアマテラスが、その立派になった出雲を侵略して、自分の孫のニニギにあげて
ニニギから4代目のカムヤマトイワレヒコが、出雲から大和を侵略して、
大和の地で天皇と名乗った

っつーストーリー

高天原が邪馬台国で、アマテラスが卑弥呼だとすると、邪馬台国と大和王権は繋がっている
侵略者だけどね(^_^;
112名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:21:08.83 ID:HBvgtDoO0
っつーか、、「纒向」は
垂仁天皇の「纒向珠城(たまき)宮」、景行天皇の「纒向日代(ひしろ)宮」
の遺構であるのに

邪馬台国だ、卑弥呼だ・・とか言っちゃうから、畿内説は変態なんだよ

もっときちんと

天皇の宮としての考察をして欲しいモノだよ、纒向は・・・
113名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:21:17.14 ID:jsfNfaXg0
>>111
宮崎県「俺のことスルーすんな」
114名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:23:19.01 ID:ZbUkD58g0
>>100
幻覚も見えてきたのか困ったね
現実直視しているつもりだろうけど、それ幻覚だから幻覚直視
115名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:25:45.24 ID:C6GH3WEX0
近畿は九州から見て近いイキの意味ですか
倭国王の印貰ってからヒミコの時代で200年たってれば
瀬戸内近畿の豪族は姻戚関係だった
近畿と北九州は同系統で争うのも意味無かった
116名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:31:27.45 ID:iyZXATnUO
>>115
同族な気がするな
九州から畿内へ移りマキムクを作った
日本書紀も各地に気を使ってる感じ
117名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:32:38.56 ID:WO2xb+k90
>>114
自分に都合の悪いことは見えない、聞こえない、覚えられない・・、の典型的やまいに罹ってるな。
魏志倭人伝の文面通り、伊都国は佐賀平野だ。
というか、近畿方としてこのスレの引き立て役やってるんだろ、数日前からwww
118名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:32:42.47 ID:yx0BXjVv0
モモソ=卑弥呼、男弟=吉備津彦と仮定すると

箸墓古墳を作ったのは吉備津彦という事実。
崇神天皇が十代なのに最初の天皇と呼ばれたこと。天照を分祀し最終的に伊勢神宮を作ったこと。

なんとなくクーデターの匂いがするんだよね。
119名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:33:27.06 ID:HBvgtDoO0
>>111
んで、まだ続きがあって

高天原のアマテラスが出雲を侵略して孫にやり
その孫の4代目の子孫が出雲から大和を侵略して天皇を名乗った

つまり、最初の天皇っつーのは、高天原と出雲の直系で、
どっちかといえば、高天原と出雲の支配下にいるわけなんだけど

それから9代目の天皇のヤマトタケルは、九州と出雲を侵略し返して
逆に、九州と出雲を大和の支配下にしちゃうんだ
高天原が九州だとすると、いわば、
大和の天皇による、高天原と出雲に対する軍事クーデターだね

んで、高天原と出雲に対する軍事クーデターを成功させた後
今度は関東だと、関東に向けて進軍するんだけど
途中で天皇は死んじゃって、ハクチョウになって大和に戻り
弟が天皇の座を継ぐ・・っちゅう、ワーグナーのオペラも真っ青の展開になる
120名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:35:17.59 ID:yuF0USwD0
あくまで卑弥呼、邪馬台国に拘るのなら列島内から相当するような文字遺物が出てこない限り
特定するのはむりです。これが正しい理屈w
121名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:35:26.54 ID:WO2xb+k90
>>114
もしかして、あの記事書いたSNKの記者さん??
122名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:38:54.67 ID:WO2xb+k90
>>120
少なくとも、伊都国は佐賀平野に比定する、これが正しい理屈w
123名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:42:42.68 ID:iyZXATnUO
>>120
だな
つまり邪馬台国は永遠に確定できないだろうな
124名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:43:22.35 ID:V4In28P40
みんな落ち着け
この遺跡からはまだ卑弥呼にひの字もつながる確証は出ていない
125名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:48:58.00 ID:WO2xb+k90
>>120
>>123
特別別格の比定地が無いわけではない
しかしそこに上古からの由緒正しい神殿があり、周辺は広く神域として立ち入りできない
永遠に特定確定できない、はその通りと思う
その言葉を軽々しく口にするのはいかがなものか。
126名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:49:01.75 ID:HBvgtDoO0
>>124
そうなんだよね

この遺跡でわかっているのは、あくまでも
「纒向珠城(たまき)宮」「纒向日代(ひしろ)宮」という

【天皇の宮だった】

っつーことだけなんだ

なのに、邪馬台国だ、卑弥呼だ・・とか言っちゃうから、畿内説は変態なんだよ

もっときちんと、遺構の「天皇の宮としての考察」をして欲しいモノだよ、纒向は・・・
127名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 12:57:57.73 ID:yx0BXjVv0
まあ九州説はさすがに苦笑されるレベルになっちゃったけどな。
今なら畿内説が9割で吉備説が1割といったところだろ?
128名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:01:20.92 ID:+fEGYIYM0
>>127
さすがに吉備は無いだろう。
トウマは胴の間だからね w
129名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:02:13.13 ID:iyZXATnUO
>>125
まあ俺はニワカ者だけど、真意でしょ
考古学者も邪馬台国をそれほど重要視してないとも聞くし
まあ発掘調査の進展を願いますが
130名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:03:00.10 ID:yuF0USwD0
>>125
魏志に記されてる魏と朝貢関係を結んだクニが倭といわれる地域に一つあったことは事実だろう
しかしそれにしたって特定には朝貢関係を結んだ確証となるような鏡なり印なりの文字遺物が必要だ
倭人伝の具体的ではあるがなにぶん文学的()な風俗や状況の描写などだけを根拠に比定するとなると
これはもうファンタジーですね
131名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:03:46.31 ID:HBvgtDoO0
>>119 訂正

>>111
んで、まだ続きがあって

高天原のアマテラスが出雲を侵略して孫にやり
その孫の4代目の子孫が出雲から大和を侵略して天皇を名乗った

つまり、最初の天皇っつーのは、高天原と出雲の直系で、
どっちかといえば、高天原と出雲の支配下にいるわけなんだけど

それから【12代目の景行天皇の時】、
大和の天皇は、長男のヤマトタケルを使って、九州と出雲を侵略し返して
逆に、九州と出雲を大和の支配下にしちゃうんだ

高天原が九州だとすると、いわば、
大和の天皇による、高天原と出雲に対する軍事クーデターだね

んで、高天原と出雲に対する軍事クーデターを成功させた後
今度は関東だと、天皇は長男のヤマトタケルを関東に向けて進軍させるんだけど

途中で長男は死んじゃって、ハクチョウになって大和に戻り
弟が天皇の座を継ぐ・・っちゅう、ワーグナーのオペラも真っ青の展開になる


んで、この、九州と出雲=高天原と出雲・・に対する
軍事クーデターを起こした天皇と、その親である先代の天皇が造った宮が

「纒向珠城(たまき)宮」「纒向日代(ひしろ)宮」 で、すなわち纒向なんだよ
132名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:05:51.10 ID:jsfNfaXg0
>>130
文字資料はまず無理だろう
それこそさんざん言われてるけど金印が見つかるくらいじゃないと
まあ3世紀前半に奈良を中心とした政治権力ができてそれが大和朝廷に繋がっているというのは
もう間違いないからあと邪馬台国云々はファンが好き勝手いうしかないだろうね
133名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:09:58.45 ID:V4In28P40
石器時代の件もあるから日本の考古学時代は眉につばつけておいた方がいいです
十分な確証と検証を経て判断されても全然遅くはありません
134名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:10:07.83 ID:HBvgtDoO0
高天原から出雲、大和と侵略してきて、大和で天皇と名乗った一族が

その、祖の地である、高天原と出雲を侵略仕返して、

祖の地の呪縛から解き放たれた時に住んでいたのが、この纒向遺跡である

纒向珠城(たまき)宮・纒向日代(ひしろ)宮
135名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:12:48.45 ID:HBvgtDoO0
だから

どうしても、纒向遺跡を邪馬台国にしないと・・・・ムニャムニャムニャ
136名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:14:59.59 ID:irBST3kC0
>>133
そうなんだよね
このレベルで「九州説とか失笑ものwww」とか言えるかと
議論レベルに失笑だわ
137名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:17:04.30 ID:iyZXATnUO
邪馬台国に駐在していたという張政とやらが文字資料を卑弥呼の墓に埋納したとか…ないだろうか
138名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:19:40.28 ID:JBNEhV6/0
古事記では高天原と出雲間は4〜5日の距離とか書いてなかった?
139名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:20:16.33 ID:yx0BXjVv0
>>128
そうでもないんだ。巻向遺跡からは東日本からの土器の割合が圧倒的に高い。
その事から狗奴国→大和朝廷かも?
と考えている学者もいる。
となると邪馬台国→吉備、投馬国→出雲かも?
とか考えている人も中にはいる。
140名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:21:09.53 ID:HBvgtDoO0
九州の高天原から出雲、大和と侵略してきて、大和で天皇と名乗った一族が
その、祖の地である、高天原と出雲を侵略仕返して、

祖の地の呪縛を断ち切って、名実共に日本の実権を握った時に
一族が建設して住んでいたのが、

この纒向遺跡である、纒向珠城(たまき)宮・纒向日代(ひしろ)宮

だから

どうしても、纒向遺跡を邪馬台国にしないと・・・・ムニャムニャムニャ
141名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:21:37.52 ID:WO2xb+k90
ツタンカーメンの墓よろしく、張政は、手折った野菊の花束を添えたとか・・
142名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:22:49.03 ID:Zlout3C80
九州説はネトウヨ
143名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:24:27.89 ID:wr/xrP6BO
まだやってんのかw
畿内で決まりだろw
144名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:24:35.69 ID:iyZXATnUO
いや、張政でなくても魏の皇帝の印が入ったなんかでもいい
145名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:27:51.46 ID:WwoN/5fI0
大和国と邪馬台国が同一国家のことを言ってるような気がしてきたw
146名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:29:12.87 ID:M2Ifu+gJ0
何が出てこようと九州説の人はイチャモンつけると思うけど
147名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:32:34.20 ID:HBvgtDoO0
だから

どうしても、纒向遺跡を邪馬台国にしないと・・・・ムニャムニャムニャ

まかり間違って纒向遺跡から、朝鮮・中国文化の痕跡がザクザク出てきちゃったら

高天原という神の国は、朝鮮・中国だったーーーー

なーーーーんて、とんでもないことになっちまう・・・・・・・
148名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:43:41.31 ID:pjcmHkRT0
記紀では神武が日向から東征してきたことになってて、記紀で出てくる神話からも
天皇家始祖が九州南部出身っぽいのは分かるんだが。
初代神武とそれ以降の欠史八代の実在性が怪しくて、実在性がそれなりにある崇神は
畿内に本拠をおいてて、そこから四道将軍送って西日本や東海・北陸を平定してるんだよね。
ちなみに、崇神が時期的には邪馬台国と重なる。

崇神以降は、ちょっと実在性が怪しい11代垂仁があり、その後架空説が強い12代景行から
14代仲哀があり、15代応神で実在性が有力になってくる。
そこからは、21代雄略のあたりまでは実在性が強いが、23代顕宗や24代仁賢の実在性が
怪しくなり、25代武烈はまず間違いなく架空。そして26代継体の登場となる。
149名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:46:50.80 ID:WO2xb+k90
>>146
処刑柱や台所ゴミがそんなにだいじか、近畿は。
お笑い草でイチャモンつける気にもなれぬわwwww
150名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:48:25.22 ID:0uJLdwerO
高天原は、韓国・済州島。
そして邪馬台国は出雲。壱岐・対馬・南朝鮮と北九州・出雲の連合政権でしょう。

ありのままに@札幌より
151名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:51:11.41 ID:HBvgtDoO0
高天原から出雲、大和と侵略してきて、大和で天皇と名乗った一族が
その、祖の地である、高天原と出雲を侵略仕返して、

軍事クーデター起こして祖の地の呪縛を断ち切って、名実共に日本の実権を握った時に
一族が建設して住んでいたのが、

この纒向遺跡である、纒向珠城(たまき)宮・纒向日代(ひしろ)宮

だから

どうしても、纒向遺跡を邪馬台国にしないと・・・・ムニャムニャムニャ

まかり間違って纒向遺跡から、朝鮮・中国文化の痕跡がザクザク出てきちゃったら

高天原という神の国は、朝鮮・中国だったーーーー

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」の遣隋使なんて、
ただの出身国への凱旋で、
聖徳太子は天皇にとって、ヤマトタケルと同じ役割だったんやーー

なーーーーんて、とんでもないことになっちまう・・・・・・・
152名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:51:31.98 ID:WO2xb+k90
>>150
記紀に札幌は登場してこないからさみしいのう。ま、我が町も登場せんけどな。
153名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:52:11.06 ID:0uJLdwerO
今まで、邪馬台国出雲説は誰も注目しなかった。
倭人伝には、倭とは出雲と朝鮮半島南部の連合国だと書いてあるのに…
その女性の巫女(王ではない)が卑弥呼、彼女は出雲にいた。

ありのままに@札幌より
154名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:55:19.62 ID:HBvgtDoO0
なーーーんて冗談はさておいて

九州の高天原から出雲、大和と侵略してきて、大和で天皇と名乗った一族が
その、祖の地である、高天原と出雲を侵略仕返して、

軍事クーデター起こして祖の地の呪縛を断ち切って、名実共に日本の実権を握った時に
一族が建設して住んでいたのが、

この纒向遺跡である、纒向珠城(たまき)宮・纒向日代(ひしろ)宮

っちゅうのは、記紀にも出てくる話で、

その、纒向珠城(たまき)宮・纒向日代(ひしろ)宮が見つかったんだから

ヘタに邪馬台国と結びつけずに、じっくり調査・考察して欲しいよねぇ・・・
155名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:56:35.12 ID:M0RWk97s0
高天原を地名と考える時点で間違い
当時の漢字文化、中国では天は神の住まう空間であって、地上にはない
日本はそれと同格の高天原を作ることで、中国の神と区別しながら同格であると主張した

高天原と八百万の神々とは名義的なものであって実在はせず、
古事記日本書紀を編纂する際に矛盾を解決するご都合主義として利用されたものでしかない
どこでもドアがあったからやれました、みたいなもの
156名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:58:37.99 ID:0uJLdwerO
>>152
ちょっと、30世紀のタイムマシーンを借りてきます。(笑)


ありのままに@札幌より
157名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 13:58:41.88 ID:HBvgtDoO0
おそらくは

長らく九州・出雲が握っていた日本の実権が

大和の軍事クーデターによって、大和の天皇に名実ともに移った

とーーーっても重要な時期の、まさにその時の大和の宮なんだから・・・
158名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:00:26.54 ID:MFGej7U80
狗奴国跡から親呉倭王印とか出てきたら面白いんだが
159名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:01:39.84 ID:irBST3kC0
>>155
大昔からある議論だな
高天原実在‐非実在論争
確定できないのは辛いね
160名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:02:52.79 ID:HBvgtDoO0
>>155
そりゃあ、九州から出雲、大和と侵略してきて、大和で天皇を名乗った一族が

バカ正直に

九州から出雲、大和と侵略してきて、大和で天皇を名乗ったんだよーーーーん

なーーーーんて言うわけがない罠w
161名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:03:25.42 ID:KRevmKkp0
まだやってるのか
邪馬台国が近畿だろうが九州だろうが
もはや今となっては重要じゃないんだよ

当時の日本のコアが近畿だったことは
考古学的に明らかなんだから

邪馬台国が近畿なら日本の中心国だった、
九州ならただの辺境国の一つだった、
という程度の話だよ
162名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:03:32.31 ID:lcyUn13f0
高天原はどこなのかねえ。
出雲にやってきて海(当然日本海)に剣をつきたてて国譲り迫ったなんてことを
考えると中国大陸・朝鮮半島方面からやってきたように見えるけど、
天孫族の拠地は日向で、神話や風俗見る限り東南アジアなどの南方の
つながりが深く見える。
163名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:07:26.97 ID:HBvgtDoO0
>>161
それには一部賛成だな

九州の高天原から出雲、大和と侵略してきて、大和で天皇と名乗った一族が
その、祖の地である、高天原と出雲を侵略仕返して、

軍事クーデター起こして祖の地の呪縛を断ち切って、名実共に日本の実権を握った時に
一族が建設して住んでいたのが、纒向珠城(たまき)宮・纒向日代(ひしろ)宮

っちゅうのは、記紀にも出てくる話で、

その、日本にとって大切な転換点の時に、その当事者が住んでいた、
纒向珠城(たまき)宮・纒向日代(ひしろ)宮が、
ドンピシャで、せっかく見つかったんだから

ヘタに邪馬台国と結びつけずに、もっとじっくり、調査・考察して欲しいよねぇ・・・
164名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:08:20.25 ID:R0zd5oad0
高天原は奈良盆地=邪馬台国

天皇家は九州から出て奈良の邪馬台国を乗っ取ったので、邪馬台国の話や卑弥呼はアマテラスとして
神話の話へ昇格させた。
165名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:10:11.07 ID:M0RWk97s0
>>159
古事記は当時の天皇家周囲の権力者の独占業務の正当化と箔付け
という視点も持てない人も多いから無理だね

>>160
神武天皇の東征を信じる場合、
生涯で宮崎県から福島県まで戦争して平定しまくった事になる
熊襲や隼人に蝦夷も出さず、大和出雲と朝鮮半島しか知らない人は東征説を信じてしまう
166名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:16:19.63 ID:HBvgtDoO0
>>165
神武東征は、九州から奈良まで来て、

奈良で「オレ、明日から【天皇】だから」っつって終わりだよ

神武天皇とヤマトタケルをごっちゃにすんな
167名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:20:00.61 ID:M0RWk97s0
>>162
中国や半島側の歴史には和に侵攻した記録、それが成功した記録が無い

さらに国譲りを迫ったタケミカヅチは関東の神様
関東から出雲まで行くなら陸路より航路のが早いのと
国津系と天津系で分かる通り、神の差別化をしてたが、

近畿の権力者にとって、自分達の実力で無理だから
蝦夷と叩いてた関東に助けを求めるた、と書くのは恥ずかしいから
高天原から船で、と記載した可能性もある
隣国へ陸路で行った、では神秘性も薄れるからね
168名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:20:32.07 ID:ET9fmcElP
>>64
日本は倭の別種と明記されてるだろ。
明らかに複数の国の存在を示唆している。

そういう複数の国の存在をしつつ書いてあるのが。
「大和・日本とは、以前の邪馬台国のこと」だろ。

これは、日本から見た中国に置き換えれば、
「唐とは、以前でいえば魏王朝があった中国の国のこと」
という程度の意味に過ぎないだろ。
169名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:24:08.71 ID:HBvgtDoO0
>>167
別に、中国や半島で敗れた非主流派が、倭にやってきて・・・でもいいんじゃないの

んで、ずーーーーーーーーーーっと経ってから、聖徳太子が、どうだとばかりに

「日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。恙無しや、云々」なーーんて、

敗れて追われた中国や半島に凱旋した・・・みたいな(^_^;
170名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:27:56.95 ID:HBvgtDoO0
>>168
「大和・日本とは、以前の邪馬台国のこと」

って、どこに書かれてんの????
171名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:27:57.53 ID:HrFB1F1a0
関西人は九州人のパシリと言うことで
172名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:32:12.12 ID:M0RWk97s0
>>169
大陸で敗れた非主流派が流れ着いた地で起こした国が朝鮮半島の新羅
ってのは記録や物で分かるけど、和に流れ着いた記録はあるの?
173名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:34:17.52 ID:iyZXATnUO
>>170
随書のことじゃない?
ヤマト国、魏書に言う邪馬台国と記載
174名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:35:31.90 ID:M0RWk97s0
日本人の祖先は大陸から来た、と主張したい人は一部にいるけど
それは遺伝子調査でありえないと判明してるよね
日韓併合で一度は混ざった韓国でさえ、今でも遺伝子は中国人に近くて日本人とは違う
日本人の祖先が渡来系だとしても遺伝子で考えると東南アジア系で確定だよね
175名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:39:19.56 ID:R0zd5oad0
魏志倭人伝の倭国大乱や卑弥呼の話は記紀に神代の話として書かれている。
倭国大乱は天の岩戸伝説として。
176名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:42:18.26 ID:R0zd5oad0
>>174

万葉と渡来人の里・狛江郷を巡る道
http://homepage3.nifty.com/k_harada/komaego/komaego.htm

調布から狛江にかけては古くは狛江郷と呼ばれた。高麗(朝鮮半島)から先進文明を携えた渡来人が
多数住み着き、狛江と言う地名が生まれた。一方、特産物(調)として朝廷に献上した布地を調布と言ったことから
調布の名が生まれた。調布を作る技術は、これらの渡来人達が伝えたものと思われる。万葉の昔、狛江郷一帯は
麻の栽培がさかんで、麻から織られた麻布は白く柔らかくするために多摩川で晒された。万葉歌に詠われた様に、
高台から多摩川を見下ろせば、白い素足を覗かせた里の娘達が多摩川の流れで調布を晒らす光景が見られたことで
あろう。狛江郷における渡来人の足跡は、深大寺の創建にまつわるロマンスや狛江百塚等に見ることが出来る。
177名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 14:49:11.91 ID:NxCzrxQS0
>>64
支那語では台は「ト」とは読まないぞ「ダ」か「イ」としか読まないわ
ヤマドならまだ近いが・・・
178177:2013/02/06(水) 14:52:14.33 ID:NxCzrxQS0
ふと今気付いた邪馬台国って山田国って意味じゃ無いのか?
179名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:03:58.62 ID:Pl+RJfLO0
卑弥呼の鏡三角縁神獣鏡が大ウソだったことがばれてしまったから、今度は穴ポコですか。
近畿の懲りない面々もう消えたら?
180名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:04:13.11 ID:mKMGI7HpO
今に伝わらぬ亡失文献がまだ豊富に存在してた筈の記紀編纂時に
僅か百七十年前の継体崩御についてすら
「なんかよくわかんないから後世の人たのむわ」って丸投げしてるくらいなんだから
そこから更に三百年も昔の事なんて八世紀の段階で既に忘却の彼方の御伽噺だったんだよ

まして千数百年経た今現在
いくら地面掘り返そうが倭人伝にらめっこしようが
邪馬台国がどうしたなんぞわかってたまるかって話ですよほんと
181名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:13:31.49 ID:HBvgtDoO0
>>173
都は邪靡堆、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。

隋書のこれのこと?????

ぜんぜん

「大和・日本とは、以前の邪馬台国のこと」

なんて書かれていないじゃん
182名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:14:04.06 ID:Kxw6ZJvO0
攪乱されてなければ邪馬台国はどこかの地下に埋まってるよ。
開発で変なのが出てきたら教委への報告義務があるはず。
183名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:14:17.10 ID:irBST3kC0
>>179
鹿男あをによしとは一体なんだったのか
184名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:14:22.97 ID:ctWXYzAJ0
>>180
確かに。
逆に今から1000年後、地面を掘り起こして、現代のことがわかるのか?と。
まあ今は文字や画像があるが、卑弥呼の時代は文字さえなかったわけだし
185名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:18:00.89 ID:HBvgtDoO0
>>172
それが、古事記や日本書紀でもおかしくねーだろっつってんの

中国や半島で負けて追われてやってきた・・なーーんてバカ正直には言えないから

高天原っつー神様の国から来たんだよーーーーん・・ってな
186名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:23:07.37 ID:HBvgtDoO0
>>184
それさぁ、卑弥呼の国、邪馬台国には、確かに独自の文字はなかった・・・けど
邪馬台国が文字を使っていなかったのか・・っつーと、違うんだよね

伊都国では、邪馬台国が魏に使いを出す時や、魏から帰ってきた時に
持ち物と書面を照らし合わせて
言われたモノをちゃんと持っていくか、ちゃんと持って帰ってきたか、チェックしている

って書かれているモノ

独自の文字は持っていなかったけど、中国語は使っていたんだよ・・・
187名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:23:22.50 ID:iyZXATnUO
>>181
それ。
書いてあるとも解釈できれしい
原文
188名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:24:41.66 ID:2pYo7CccP
>>126
 君は知らないだろうけど、マスコミって邪馬台国って書くと読んでくれる(売れる)とわかってるから、
センセーショナルに書くし、大学教員にコメントを求める時もそのようにコメントしてくれる人間を選
ぶんだよ。単にマスコミがそう書いているだけであて、発掘者である教育委員会の正式コメントではな
いことに注意して欲しいね。将来出るであろう報告書には邪馬台国も卑弥呼の単語も書かれてないと思
うよ。
189名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:25:39.65 ID:HBvgtDoO0
>>187
原文見ても

都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也。



ぜんぜん

「大和・日本とは、以前の邪馬台国のこと」

なんて書かれていないじゃん
190名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:39:04.40 ID:mKMGI7HpO
>>184
三国鼎立内乱で国内疲弊しいっぱいいっぱいの折に
本来どーでもいいわざわざ辺境の東夷の蛮国の詳細までご丁寧に記録してくれた陳寿様にはそれだけで十分感謝の念を抱くべきを

やれ行程距離方角が正確じゃないとか読みが曖昧とか色々間違えてるとか
てめぇらのご先祖がろくすっぽ記録残してねぇのがそもそも悪いのに
ほんっとえらそーにどの口がほざくかと

九州?畿内?どーでもいいわしるかヴォケ!と
191名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:42:11.62 ID:jsfNfaXg0
>>189
それをみて全然違うじゃんといえる解釈がわからんのだが
192名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 15:45:56.13 ID:JAkpLy970
ルーツを細かく調べてみると倭人じゃなくてがっかりだ
193名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:01:07.57 ID:GL/LLWksO
竪穴の柱なんてうちの方の発掘現場でもゴロゴロ出てるはw
194名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:01:37.03 ID:ctWXYzAJ0
関係ないけど、こういうの考えると超能力とか透視とかがいかにインチキかわかるなw。
昔、ある超能力者がテレビで「私には見えます。ツタンカーメンが毒を飲まされで苦しむ姿が…」と言っていたが。w
卑弥呼を透視する超能力者はいないのかw時空を越え
195名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:01:57.13 ID:RuEStotb0
>>190
晋の高祖の事績に関係するネタだからどうでもいいとはならない。
196名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:01:58.19 ID:o/Gj4r+z0
>>189
『隋書』(列伝 東夷 倭国)では下のようになっている。
当該部分は「」でくくった。
倭国(日本)について、「都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也。」、
つまり「邪靡堆(ヤマト)に都す、則ち魏志に謂う所の邪馬臺(邪馬台)なる者也」と
説明している。そのあとで『卑彌呼』(卑弥呼)の話もしている。

倭國,在百濟、新羅東南,水陸三千里,於大海之中依山島而居。
魏時,譯通中國。三十餘國,皆自稱王。夷人不知里數,但計以日。
其國境東西五月行,南北三月行,各至於海。其地勢東高西下。
「 都於邪靡堆,則魏志所謂邪馬臺者也。 」古云去樂浪郡境及
帶方郡並一萬二千里,在會稽之東,與?耳相近。漢光武時,遣使入朝,
自稱大夫。安帝時,又遣使朝貢,謂之倭奴國。桓、靈之間,其國大亂,
遞相攻伐,?年無主。有女子名『卑彌呼』,能以鬼道惑?,於是國人共立為王。
有男弟,佐卑彌理國。其王有侍婢千人,罕有見其面者,唯有男子
二人給王飲食,通傳言語。其王有宮室樓觀,城柵皆持兵守衞,
為法甚嚴。自魏至于齊、梁,代與中國相通。
197名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:06:05.30 ID:RuEStotb0
>>189
倭国の都のヤマトは魏志に載っている邪馬台と同じであるって書いてある。

「大和・日本とは、以前の邪馬台国のこと」は書き方が悪いね。
198名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:08:56.89 ID:NxCzrxQS0
>>188
いや掘っている奴がそう宣伝している事例が多いぞ。
199名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:14:40.89 ID:0uJLdwerO
方角の「南」を「北」に変換しないと、倭人伝の地図は読めないよ。
そうじゃないと邪馬台国の場所は…鹿児島県はるか沖になってしまいます。

ありのままに@札幌より
200名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:17:35.61 ID:R0zd5oad0
>>179

↓西安(魏の首都)の歴史博物館に三角縁神獣鏡が展示してあるよ

夕方、洛陽博物館を訪ねた。唐三彩のコレクションでは、質・量ともに群を抜いているという。
私たちが、興味を持ったのは、青銅器のコーナー。
Tが「これは三角縁神獣鏡ではないか」と言い出し、団長先生・徐先生みな集まってきて、議論している。
後漢時代(AD25-220)の径18.2cmとちょっと小ぶりの「王公王母画像鏡」。内区の図柄は神仙思想、平縁で
なくあきらかな三角縁。「三角縁神獣鏡」の中国出土例なのかと、色めきたった。 
なぜなら、「三角縁神獣鏡」は、「中国から出土しない」ので「日本で造られた」とか、「本当に卑弥呼の鏡?」とか、
「魏が倭の好みで特鋳した」などにぎやかにいわれてきたからだ。
この博物館は、写真撮影禁止。「定説」を覆すには、図録の写真では縁の立面の様子が物足りなく、ちょっと残念。
http://homepage1.nifty.com/sawarabi/seian.rakuyou/24rakuyou/24rakuyou.htm

http://homepage1.nifty.com/sawarabi/seian.rakuyou/24rakuyou/24kagami_1.jpg
201名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:20:17.60 ID:HBvgtDoO0
>>196
なるほどね

魏志が書かれたのが297年で、その後、400年近くたった636年に書かれたのが隋書で

聖徳太子が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」と隋の皇帝煬帝に送ったのが607年
んで、608年に、隋は奈良に役人を派遣していて、その上で書かれた隋書で

(倭国の)都は邪靡堆(つまり奈良)、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。

かぁ・・・・

608年に役人を、奈良に行かせた隋は、奈良が魏の時代の邪馬台国だと、確かに断定しているねぇ・・・
202名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:21:40.08 ID:WO2xb+k90
>>199
そりゃ、読み方のほうに問題ありだろな、上面だけ、ありのままに読むからだろう
203名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:24:49.62 ID:RuEStotb0
>>199
通常は南は東だとするんだけどね。
東西南北は北東南西で隣り合っているんだから。
東洋では方位は分割した面でみるから4分割で南と言うだけだと東南も含んでいる。
だから南となっているのは東では?と見る説が出てくる。
204名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:25:01.92 ID:1ACMJ/K60
鋼鉄ジーグがアップをはじめました
205名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:29:16.03 ID:mKMGI7HpO
>>186
漢書曰わく紀元前百年頃倭国が楽浪郡に使者を派遣し貢物を拝してるから
既にこの時点で文字は最小限用いられていたかと
まして三世紀出土の墨書土器も全国に10例存在しており
邪馬台国の時代文字はそれなりには駆使されていた筈なんだがな

ただ国内の記録媒体として文字が一般に定着するのはあくまで仏教が浸透して以降の話で
口述の音韻に神威を見出す古代神道の影響下では
筆記媒体はかなり軽んじられていたのは確か
206名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:32:23.67 ID:RuEStotb0
>>205
文字が使われていたのは外交文書くらいじゃないかというのは記紀を見ても
応神天皇あたりの記述でそれらしきものがあるね。
207名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:37:21.35 ID:HBvgtDoO0
聖徳太子が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」と隋の皇帝煬帝に送った翌年
大業四年(608年)の時の、倭国・・・つまり、聖徳太子がいた奈良、魏志でいう邪馬台国への行き方は

百済を渡り、竹島に行き着き、南に○羅国を望み、都斯麻国を経て、遙か大海中に在り。
また東に一支国に至り、また竹斯国に至り、また東に秦王国に至る。
また十余国を経て、海岸に達し、そこで倭王から使いの者が来た
竹斯国より以東は、いずれも倭に附庸している。

で、距離こそ書かれていないけど、方位的には、
都斯麻国(対馬国)から一支国という島を経て、竹斯国(九州の筑紫)に上陸してから
東へ東へと進んだと言っているから

奈良が邪馬台国だったとすると、魏志の時の行き方の話の時よりも、さすがに400年も経っているだけあって
正確だね(^_^;

それとも、一支国という島からの、
魏志の時の上陸地点の末廬国

隋書の時の竹斯国(九州の筑紫)

全く別な所で、

魏志の時の上陸地点の末廬国は、そこから南へ南へと行かなければ
奈良に行けないような場所だったのかなぁ
208名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:40:45.82 ID:n+1I+Xjf0
纏向遺跡が日巫女の時代の朝廷の遺跡で
その後いろいろあって同じ奈良に大和朝廷誕生でいいやん

日巫女という名前も、日出国という名前も神道の頂点にある天皇家も日本と言う名前も
なんか全部つながってるし
209名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:45:37.65 ID:K2hODaQn0
卑弥呼の弟は間違いなく天皇の誰かだな
210名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:48:11.07 ID:WO2xb+k90
>>207
>それとも、一支国という島からの、
>魏志の時の上陸地点の末廬国
>と
>隋書の時の竹斯国(九州の筑紫)
>は
>全く別な所で、

当然、別な場所です。
魏志の時代は、末蘆国・唐津から南へ向って佐賀平野を経由し、中九州に邪馬台国ありと想定すべき
随書の時代は、筑紫・博多に上陸して東行の奈良で正解
211名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:52:50.12 ID:HBvgtDoO0
邪馬台国は奈良にあって、

隋書で隋が役人を派遣した時には、もう大和政権は
ヤマトタケルの九州・出雲討伐で、奈良から九州まで、ほぼ完全に支配・掌握していたから
中国から来る、中国に行く、ときに使用した港は九州
んだから、隋書にも、九州に上陸して、東へ東へと、いずれも倭(大和)に附庸している十余国を経て、海岸に達し、
そこで倭王から使いの者が来た・・・とある

んだけど、邪馬台国の時代は、まだ、九州・出雲は別な国で、
中国から来る、中国に行く、ときに、邪馬台国は九州の港は使えなかった
んだから、都斯麻国(対馬国)から一支国という島を経て、九州ではない、もっと日本海側の末廬国という場所の港を使ってて
魏志にも、そこから南へ南へと、倭(この時は邪馬台国)に附庸している国を経て、奈良までたどり着いた・・と書かれている

・・・・とか
212名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:55:09.26 ID:RuEStotb0
>>210

>>207
>魏志の時の上陸地点の末廬国は、そこから南へ南へと行かなければ
>奈良に行けないような場所だったのかなぁ

から>>207は末廬国は九州じゃないのだろうか?という疑問ではなかろうか。
213名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:56:46.69 ID:7w1qlQmc0
出雲の勢力でも九州北部の勢力でもない場所で対馬経由で着く場所ってどこなんだ?
214名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 16:59:02.04 ID:Rds58CBu0
21世紀の今でさえ47都道府県で自己主張激しいんだしな
京都と大阪と東京が争ってる様なことをしてたんだろ昔も
うちの方が先だの大きいだの首都だの中心だの
215名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:01:01.05 ID:M2Ifu+gJ0
>>253
対馬自体が佐渡島とか
形も対島ぽいし
只、どうやって佐渡島行くのってのはあるけど
216名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:02:17.14 ID:4P1xD+4uP
>>211
仮に、末廬国が本州の日本海側(山陰、若狭湾、北陸など)にあって、
その末廬国の港から上陸したとして、山陰や北陸から奈良盆地に行くのに、
「水行十日陸行一月」というのは、どういうルートだと推測する?
217名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:06:07.73 ID:mKMGI7HpO
>>206
仏教がかなり浸透してる筈の七世紀後期の横穴式古墳ですら
壁画遺物はあれど文字遺物出土例は皆無だから

古来からの神威への畏れと文字(異国の文化=穢れ)への抵抗感は半端なかったんだろな
218名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:07:10.70 ID:FQb81/4jO
>>209
卑弥呼が居て、弟(おとと@古語)がいる
天皇(日神子)がいて、大臣(おとど@古語)

通訳が誤訳しても変でくない似てるよね。
古来は本より現代でも、日本じゃ天皇が祭祀と承認を大臣が実際の政治をしてるもんです。

もちろん、弟が大臣でない保証は無いけどw
219名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:07:27.49 ID:Rds58CBu0
中国はともかくなんで朝鮮出してんだろうなという人にかまうなって
220名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:08:16.81 ID:M2Ifu+gJ0
仏教も異国の文化じゃね?
221名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:09:15.23 ID:7w1qlQmc0
>>215
帯方郡が実は黄海側じゃなくて日本海側にありました級の話になってるような。
222名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:10:01.72 ID:WO2xb+k90
>>211
そりゃ対馬の次は、壱岐でなくて隠岐だろ、後世に後醍醐天皇も流されたところ。
そこから松江じゃなくて、福井の鯖イエとか。
223名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:10:22.84 ID:qgc2x1kYO
>>215
偏西風と対馬海流に流されると、朝鮮から佐渡はおろか秋田辺りまで結構簡単に行ける。
224名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:10:40.61 ID:HBvgtDoO0
>>216
うーーーん、上陸時点の末廬国から、距離はいい加減だから省くとして(^_^;
・東南へ陸行して伊都国
・東南に進むと奴国
・東へ行くと不弥国

んでこっから

・南へ水行20日で投馬国

・南に水行10日と陸行1月で女王の都のある邪馬台国・・つまり奈良かぁ・・・

南へ水行で投馬国の水行が琵琶湖だったとしても、20日はかかんないよねぇ・・・
っつーか、何日っつーのも、もしかしたらいいかげんなんかなぁ

不弥国から南へ水行は琵琶湖で
投馬国から南に水行は奈良まで行く川・・・とか・・・
225名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:10:46.22 ID:sZEd178Z0
だからあ邪馬台国は雪が降らなくて
真冬でも野菜の獲れる水銀文化の発達した
九州東岸にあったってのは明確でしょ
226名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:12:20.64 ID:Rds58CBu0
稲も江南のだっていうし中国人が稲と一緒に渡ってるのは分かってる
227名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:13:34.80 ID:RuEStotb0
>>223
それで奈良時代に渤海からの使節が難破しまくっているな。
228名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:14:43.92 ID:Ng0VlPCM0
松本清張が生きてたら今でも九州説を主張してたのかな?
229名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:15:42.55 ID:s4erRunl0
>>222
当時の造船技術や航海技術のレベルでは、陸が見えないところを航海するってのは、
かなり怖かったんじゃないかと思うんだが。
見えてる島を目指して航海し続けてたと思うんで、対馬〜壱岐〜九州北部のルートが
確立してたんじゃないかと思うんだが。
230名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:15:48.98 ID:RuEStotb0
>>226
その頃の江南系を「中国人」と言うのは語弊があるんじゃないかな。
231名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:17:09.30 ID:Rds58CBu0
朝貢で力関係は分かる 中国>倭>三韓
倭は多くの国があってそのひとつが邪馬台国ってだけで大きかったのはどの国か分からないが
卑弥呼には弟がいたし天照と重ねて考えたくなるのは当然だろうね
232名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:17:49.24 ID:HBvgtDoO0
これがさぁ、隋書みたいに距離や日数なんか言わないでさぁ

都斯麻国(対馬国)から【一大国という島】を経て
・東南へ陸行して伊都国
・東南に進むと奴国
・東へ行くと不弥国
・南へ水行で投馬国
・さらに南に水行と陸行で

女王の都のある邪馬台国だよーーーんって書かれていれば

邪馬台国の時代は、まだ、九州・出雲は別な国で、
中国から来る、中国に行く、ときに、邪馬台国は九州の港は使えなかった
んだから、都斯麻国(対馬国)から一支国という島を経て、九州ではない、もっと日本海側の末廬国という場所の港を使ってて
魏志にも、そこから南へ南へと、倭(この時は邪馬台国)に附庸している国を経て、奈良までたどり着いた・・と書かれている

で、バッチリなんだけどねぇ・・・・(^_^;
233名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:18:45.99 ID:RuEStotb0
>>229
海人族や南洋の航海民じゃない限り沿岸航路だろうね。
実際に山東半島付近から渤海・黄海を経て日本に至る航路は沿岸がほとんどだしね。
234名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:19:56.11 ID:M2Ifu+gJ0
>>229
縄文時代から、かなり広範囲に交易してるんだけどね
沖縄あたりから、新潟辺りまで遠くまで行ってる
後、鑑真とか不思議だよね
何度も失敗してるのに頑張ったみたいになってるけど
要は難破しても死にはしなかったって事だよね?
その辺が凄い不思議
北朝鮮の捕まれば死、何度も捕まりましたと同様な感じ
235名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:21:27.65 ID:iyZXATnUO
上のほうにあった安本氏の天照=卑弥呼説は面白いな
天照は創作だろうけど卑弥呼がモデルになったのかも
中国に朝貢してたしてた史実を消したかったとか
卑弥呼の補佐がツクヨミでスサノオのクニと争ったとかさ
236名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:22:02.60 ID:4P1xD+4uP
>>229
西風が強い冬場だと、真っ直ぐに南下しようと思っても東に流されてしまう。
237名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:27:04.16 ID:HBvgtDoO0
>>223 >>227 >>229
あのね、日本海を隔てた日本と中国大陸や朝鮮半島を行き来するためのルートは

朝鮮半島を基点として、
九州にたどり着く南ルート

北にぐるっと廻って、大陸を陸沿いに点々と上っていって
間宮海峡で樺太に渡って、今度は樺太を陸沿いにどんどん南下して
宗谷海峡から北海道、秋田を通って新潟福井までくる北ルート

むかーーーしからあったんだって
238名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:29:02.75 ID:RuEStotb0
>>237
俺奈良時代専攻だったから知ってる。
239名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:29:16.54 ID:C6GH3WEX0
飛鳥に遷都したときに
痕跡消したか 焼野原になったので
やむなく遷都したか
聖武天皇の墓は没後100年以上たって作られたですか
240名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:31:24.17 ID:RuEStotb0
>>239
聖武天皇と天武天皇を勘違いしているのかな?
241名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:31:41.33 ID:mKMGI7HpO
>>220
そう、欽明期の仏教伝来から物部の廃仏に至る流れは
書紀の記述より本来もっと根深く強い抵抗だった筈
蘇我稲目と馬子がかなり強引にねじ伏せて
持統女帝が火葬されやっと成就したかと

それでも持統陵に文字遺物の痕跡は無いけど
242名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:41:43.97 ID:C6GH3WEX0
天智天皇でした
中臣の鎌足が歴史捏造主導っぽい
243名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:44:34.97 ID:G8E9FA+j0
九州説が一番無理が無いと思うわ。
遺跡発掘で結論が出るといいね。
244名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:45:05.54 ID:sZEd178Z0
魏志倭人伝が偽書でなければ
壱岐から糸島に上陸して
陸伝いに関門海峡を抜けて
九州東岸まで来たのは明確
陸伝い始めた時点で表記の方向が真逆になった
245名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:46:31.28 ID:/5vIWsrQ0
結局邪馬台国が大和朝廷になったんだろ
九州説涙目www
246名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:50:25.88 ID:0RuT3NHd0
纒向遺跡の調査でわかったことは大和政権が現地で自生したものではなく、他の有力豪族が打ち建てたものだということ。
247名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:50:38.48 ID:7w1qlQmc0
>>243
邪馬台国とやらが九州のこといってるのは確かなんだろうけど話は盛ってあって
その通りの遺跡が出るなんてのはまず見込めないってのが真相なんじゃないか。
実際は九州北部を勢力にしてるだけの小国で、本州にはもっと大きなクニがあったという。
248名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:51:43.09 ID:iyZXATnUO
そういや日本書紀には大和朝廷成立を示す記述とかないんかな?
249名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 17:54:34.49 ID:ZbUkD58g0
>>229
>当時の造船技術や航海技術のレベルでは、陸が見えないところを航海するってのは、
>かなり怖かったんじゃないかと思うんだが。

陸が見えないところを航海する技術は世界で存在しなかった
神功皇后自らが船に乗り込んで始めてその技術が生まれた
250名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:04:23.38 ID:M2Ifu+gJ0
>>249
ミクロネシアの人とかどうやって太平洋渡ったの?
ムー大陸が実はあったとか?
251名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:08:48.33 ID:+LJmX91L0
>>248
神武天皇が日向から東征して宇佐をへて広島を経て大阪を経て
奈良和歌山あたりの勢力を討って平定したという記述はあるぞ。

まぁ・・・神武天皇は127歳で死んだことになってるから
色々混ざってるか何か勘違いをしてるかというのは確かw

古事記にも同様の記述はある
252名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:15:03.15 ID:6hdpWf2Y0
>>229
>当時の造船技術や航海技術のレベルでは、陸が見えな
>いところを航海するってのは、

そうだよ。
だから対馬と壱岐のあいだの海だけにカン海という名前がついてる。
最初に倭人伝を読むと、普通はここだけに名前があるのを奇異に思うはずだけど、
その理由がこれ。ここだけ唯一、陸が見えない航海。
253名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:16:41.10 ID:f/RSsDCE0
内部が墓である事はアフリカの三角錐建造物と同じ
世界は黒炎竜とブルーアイズホワイトドラゴンの戦い。全部分かった
254名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:22:24.68 ID:hDr5XaSrO
稗田のじいさんが年齢ゆえに色々忘れてた上に
その場しのぎの物語を即興で披露。
後々の混乱を撒き散らしたのである。
255名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:26:41.47 ID:C6GH3WEX0
ヒミコの時代の文書は公開できない
百済から200人奴隷取って
100人は魏に贈ったなんて
256名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:41:01.24 ID:ctWXYzAJ0
>>254
稗田阿礼が誦したことを大安万呂が書いた、というのも盛ってんだろうな。
原案は複数の学者あたりが考えたものを、神からのお告げを神がかり的に誦した、ということにしたくて、稗田を出して来たんだろう。
有り難みと信憑性を持たせるために。
257名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:45:06.41 ID:iyZXATnUO
>>251
うーん
やっぱり詳しくは書かれてなさそうだな
258名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:47:10.37 ID:C6GH3WEX0
武力では圧倒的に不利になった天智天皇は
文字を日本中に公開して文字の威力で支配を
継続する意思を持ったさきがけは古事記で神格化でしたが
同時に貴族の和歌も披露した
太宰府天満宮は天智天皇を祭るべきか
259名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:47:46.26 ID:ctWXYzAJ0
まあ、古代のことは、残っているいくつかの点と点を繋ぎあわせて形作っていくしかないんだろうが、
実際の形とはかなり違う図形になっているんだろうな。
時代と共に変化していく形…
260名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:50:12.04 ID:M9Uu6dL40
おならくっさ〜
261名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:51:08.91 ID:dL7Iq4440
>>251
ニニギがブス出戻らせて不死(神だから)から人並みの寿命に代々近付いてってる途中だから
長寿なのはストーリー的には当たり前っちゃ当たり前
262名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:55:47.96 ID:MDSELQ/P0
記紀の記述だと、神武は紀元前7世紀ぐらいの人間になってしまって、ハチャメチャすぎだけどね。
5世紀中頃が雄略、4世紀後半あたりに応神とあてはめていくと、崇神が3〜4世紀ごろ。
大和朝廷が成立するのは、このあたりだろう。で、4世紀いっぱいかけて王権が確立し、
5世紀の雄略の時代に吉備などの地域政権を平定して日本全体の支配体制を確立したと
いうところではないかと。
263名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:55:55.22 ID:HBvgtDoO0
ということで、

魏志が書かれたのが297年で、その後、400年近くたった636年に書かれたのが隋書で

聖徳太子が「日出處天子致書日沒處天子無恙云云」と隋の皇帝煬帝に送ったのが607年
んで、608年に、隋は奈良に役人を派遣していて、その上で書かれた隋書で

(倭国の)都は邪靡堆(つまり奈良)、魏志の説に則れば、邪馬臺というなり。

を元に、邪馬台国は畿内・奈良、アマテラスは卑弥呼を前提として、
記紀で描かれている出来事を当てはめた物語を作ってみた
264名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:57:28.55 ID:NxCzrxQS0
>>222
魏志倭人伝を読め、方向音痴
265名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 18:58:12.46 ID:HBvgtDoO0
【古代の日本、新たな国出雲の誕生】
九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭は
畿内の奈良の勢力の「邪馬台国」と、西の九州の勢力の「狗奴国」の、2大勢力があった
畿内の奈良の勢力の邪馬台国の女王アマテラス(=卑弥呼)の弟のスサノオは、政争に敗れて畿内を追われ、
敵国である西の九州の勢力の狗奴国との国境の、荒涼とした出雲にたどり着き
そこで盗賊の征伐と引き替えに地元の豪族の娘・稲田姫を嫁にして新たな国造りを始め、稲田姫との間に須世理姫が産まれる
須世理姫はその後、地元の豪族の大国主命と結婚し、大国主命は、西の九州の勢力の狗奴国から来た、渡来人のスクナビコナの
協力・支援を受けて、出雲を畿内邪馬台国・九州狗奴国と並ぶ大国にまで成長させる

【倭国争乱と出雲の国譲り】
畿内の奈良勢力の邪馬台国は、大国にまで成長し、渡来人の元、中国との交易まで始めた、
もともとはアマテラス(=卑弥呼)の弟のスサノオか造った国・出雲を手に入れようとし始め、
アマテラス(=卑弥呼)の息子であるアメノホヒを出雲に派遣して、大国主命に、出雲を委譲することを求める
大国主命の長男コトシロヌシは同意したモノの、次男のタケミナカタは、九州・狗奴国勢力とともに邪馬台国に果敢に抵抗し
「葦原中津国」=出雲は争乱状態となる。
結局、次男のタケミナカタは善戦するが破れ、大国主命は、戦いに敗れた次男のタケミナカタの延命と出雲大社の建設を条件に、
出雲を邪馬台国に委譲することを認め、邪馬台国はアマテラス(=卑弥呼)の孫のニニギを出雲に派遣して、
武力抵抗した次男タケミナカタは奈良の都に送られた後、諏訪に流罪となる一方、長男コトシロヌシは傀儡として出雲に残され、
「出雲」は畿内の「邪馬台国」の属国となり、アマテラス(=卑弥呼)は出雲から魏に向けて使者を送り、
出雲は邪馬台国時代の大陸との玄関口、末廬国(松江)となる
266名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:00:25.50 ID:HBvgtDoO0
【アマテラス(=卑弥呼)の死と後継者・勢力争い(海幸彦と山幸彦)】
アマテラス(=卑弥呼)の死後、邪馬台国の混乱に乗じて、九州・狗奴国勢力が、次の出雲の国王に、
諏訪に流されたタケミナカタの子孫の男王を立て、大国主命の国譲りの後、邪馬台国勢にとられた出雲奪還を計ったが、
アマテラス(=卑弥呼)の宗女、壱与を女王とした邪馬台国勢は、諏訪に流罪になったタケミナカタの子孫である男王
の正統制のなさを提唱して、それまで出雲を治めていた傀儡のコトシロヌシの子孫を王にすべきだと反発して、
ニニギの二人の子、海幸彦と山幸彦も、出雲後継の座をめぐり、畿内邪馬台国コトシロヌシ派と
九州狗奴国タケミナカタ派に分かれ、再び、畿内・邪馬台国勢力と九州・狗奴国勢力の間で緊張が高まり、
ニニギの二人の子の争いは、次第に代理戦争の様相を呈していく

【混乱の収拾と後継者勢力の確定(魏の介入)】
出雲後継の座をめぐり、畿内邪馬台国コトシロヌシ派と九州狗奴国タケミナカタ派に分かれ牽制し合っていた
ニニギの二人の子のうち、九州狗奴国タケミナカタ派の山幸彦が、海神=魏に赴いて事態を告げると、
魏は倭に張政を派遣し、檄文で畿内邪馬台国コトシロヌシ勢の壱与を告諭し、
畿内邪馬台国コトシロヌシ勢力による九州狗奴国タケミナカタ勢力に対しての抵抗は、
宗主国・魏から邪馬台国が諫められるという、思わぬ形てせ終止符をうった
結果、出雲の帰属は、それまでの畿内邪馬台国コトシロヌシ勢から九州狗奴国タケミナカタ勢に移行して
それにより、邪馬台国は、九州・出雲という、中国に対する2つの拠点を失って、大陸とはどんどん疎遠になっていく
一方で、九州狗奴国勢は、邪馬台国勢に追いつくように、
魏の要人の娘と婚姻関係を結ぶなど、どんどん魏との関係が密になっていく
267名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:02:39.14 ID:HBvgtDoO0
【九州勢の権力の拡大と出雲・畿内勢の巻き返し(神武東征)】
魏の後ろ盾を背景に九州・狗奴国勢の権力が拡大していく中、出雲と畿内邪馬台国は名ばかりの国になり果て、
それに危機感を覚えた邪馬台国のカムヤマトイワレヒコが、九州・狗奴国勢と手を組んで
畿内・邪馬台国主流派に対して、軍事クーデターを起こす
それに対して、畿内・邪馬台国主流派は果敢に抵抗するも、九州・狗奴国勢の支援もあり、激戦の末、
邪馬台国のカムヤマトイワレヒコの軍事クーデターは成功し、カムヤマトイワレヒコは天皇を名乗って
畿内の邪馬台国を、新たに大和と改名し、それまでの主流派だった邪馬台国の人々を畿内から一掃する

【九州・狗奴国と、邪馬台国改め大和の蜜月の終了と覇権の確定(タギシミミの反逆)】
初代の天皇のカムヤマトイワレヒコの死後、畿内・大和、の次の天皇を誰にするかで、
九州・狗奴国と邪馬台国改め畿内・大和で意見が分かれ、両者の蜜月は終了する。
そこに再び勢力を伸ばそうとする旧邪馬台国主流派勢が加わり、事態は今度は、
九州狗奴国&旧邪馬台国勢と、畿内大和国勢の戦いの様相を呈していく
結局、九州狗奴国&旧邪馬台国勢が推していた、初代天皇が旧邪馬台国の豪族の娘との間に作った子
カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が勝利して「大和」の天皇となり、
そのことを切欠に、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体であった倭は、
九州狗奴国&旧邪馬台国による天皇が納める日本国・大和政権へと変貌していく
268名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:04:19.61 ID:L+WP0sdzO
氷河期に樺太経由で南下してきた原日本人に、
南方から船で渡来して来た人達が航海術や稲作を伝えたけど、
移住者の数は少数パラパラだったんで吸収されちゃったんでしょ。

航海術で、さらに北上して半島南部あたりまで住み着くようになって、
だいたい、いわゆる倭人が形成されてきたんじゃないかね。

んで、それまで通い婚や婿入りの母系部族社会だったのが、
嫁入りで汎部族的な男系氏族社会に移行したんで倭人の諸部族連合が形成されて、
それが出雲のグループって総称されてんじゃないか。

それに対してアマテラスの部族も男系化することによって皇族が成立し、
始祖は長い旅をしてきた、九州南部に天から降りてきた、
天照大御神の命によって、という具合に起源神話ができたんでしょ。

だからいまでも年に一回、
日本中から神々が出雲に集まって、
宴会しながら縁結びを相談するし、
皇族から女性の斎王が選ばれていたのは古代の名残りでしょ。

いまでも沖縄では、
女性が祭祀をつかさどる伝統が残ってる。
269名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:05:41.15 ID:ZbUkD58g0
>>251
神武天皇は日を背にして戦ったから、東から西への移動。
最初は船で島に行きそこ(志賀島?)を拠点として九州を攻めたが
断念して、陸路で攻めることにした
270名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:07:05.16 ID:RuEStotb0
>>261
それ神武天皇が大和入りした後の話。
271名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:09:00.48 ID:WO2xb+k90
平成の稗田のあれ〜がテキトーに即興口承しとるな
末蘆国・松江に喰いついてきたかwww
272名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:09:29.47 ID:mKMGI7HpO
>>258くんはちょっと文章力が低いね

別にスレの流れに合わさなくていいからもう少し分かり易く文意を練り上げたまい
273名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:11:32.07 ID:HBvgtDoO0
書いていて思ったことは

邪馬台国を高天原、場所は九州として、記紀に当てはめて書くよりも

邪馬台国を畿内・奈良、アマテラスは卑弥呼を前提として、
記紀で描かれている出来事を当てはめた物語を作ったほうが

なんかいろいろしっくりくるなぁ・・・ってこと・・・・
274名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:11:56.65 ID:BKVAYadg0
邪馬台国→ヤマタイ国→ヤマトゥイ国→ヤマト国→大和国
275名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:14:01.30 ID:C6GH3WEX0
古事記は非支配地に支配の正当性感じさせる目的だった
としたら出雲や旧神社信仰に対するへりくだったアプローチのため
の創作でまじめに考えれば考えるほど旧神社信仰を天皇家と結びつけるため
創作でした
やまたのおろちと猿飛佐助と孫悟空はやばいです
276名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:15:13.09 ID:RtRE/bTq0
タイムマシンはないから直接は当時を見れないが、
推測でほぼ間違いなさそうなのが幾つもある。

(1)「ヤマタイ」国ではなく「ヤマト」国
  ・・・これはその後の大和朝廷との符号なのは当然で、中国側の漢字の当て方で左右される話ではない
(2)魏の使者は都には行っていない・・・行ってたら記述が詳細かつもっと多いでしょう
(3)使者は北九州には到達している・・・現在も残る地名との符号という事実から明らか
(4)纏向には箸墓という古墳時代最初期の大古墳がある・・・事実であり、しかも被葬者は女性

こういう事実と、ほとんど確かと考えられる事柄から容易に類推できる。
1.魏の使者は都の方角を尋ねたら、南を指されたのでそう書いた
  →北九州から瀬戸内海経由で奈良地方に行くときは船は一旦南下して豊後水道から瀬戸内海に入る
   つまり、現地の人をその方角を指し示した、当時としては奈良の方角を考えてたなんて方が不自然
   これで方角の謎は解ける

2.次に距離の謎だが、水行10日陸行1月は明らかに誇張。
  これは、使者を都へ行かせたくなかったか、使者が行きたくなかったのか、
  どちらかで誇張となった
  或いは両者の思惑が一致したのかもしれず、北九州でもてなして帰らせたと見ればいい

3.距離も方角も謎が解け、ヤマト国の都はやはり奈良地方で、最有力は纏向
  纏向は飛鳥につながるヤマト国の都の最初期あたりに位置づけられるものだろう
  最近の発掘調査結果は纏向が都の体裁を持っていたことが想定されるものが多い
  あとは、箸墓の調査だが、これは永遠の謎とロマンとして封印だな
277名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:15:17.28 ID:5xThTybB0
日本が自前で製鉄できるようになったのは5世紀ころだという
そんな国が自前で製鉄できる朝鮮半島を侵略できるのだろうか
278名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:15:35.12 ID:Kxw6ZJvO0
@女王國東渡海千餘里復有國皆倭種
A又有侏儒國在其(女王國)南人長三四尺去女王四千餘里

とっくに知ってるんだろうけどこれはつらいな畿内説は
@は四国でAは奄美とかのことだろ
279名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:22:04.01 ID:5xThTybB0
3世紀は製鉄どころか馬もいなかったんだろ
5世紀の東日本の大豪族集団と北陸からやってきた継体天皇
何があったのか想像を掻き立てるものがある
280名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:24:09.70 ID:MDSELQ/P0
>>277
鉄を輸入するルートを確立するために、朝鮮半島に侵攻して拠点を築く必要があった。
高句麗の圧力に苦しむ百済がいて、その百済と軍事同盟を結べたから、朝鮮半島で
戦えた。

そもそも、朝鮮半島から鉄が輸入できないと、大和朝廷は吉備に鉄を依存することになる。
最大クラスの地域政権であり、大和朝廷にとって、どうにかして弱体化させなければならない
潜在的な敵国である吉備に鉄を依存するなんて、悪夢でしかないわな。
281名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:25:41.76 ID:L+WP0sdzO
半島は、南の倭人と北の勢力に圧迫されて、
東北部の勢力に悩んでた中華と協力することで、
最終的に半島の統治を確立したじゃん。

と言っても統一の安定が完成するには、
もうしばらく時間がかかったそうだけど。
282名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:28:46.22 ID:4P1xD+4uP
>>278
九州から四国に渡るのに、どういうルートを通ると千余里という距離になるんだ?
283名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:28:48.81 ID:HBvgtDoO0
>>278
そうでもないよ

@女王國東渡海千餘里復有國皆倭種
で、奈良が邪馬台国でも、
関東には墨で文字が書かれた土器が出るくらい立派な国があった
んだから、奈良の東に複数の国があって、みーーーんな倭の人の国
でも、全然おかしくない

A又有侏儒國在其(女王國)南人長三四尺去女王四千餘里
も、奈良に邪馬台国があったとしても
南の海の向こうにコビトの国が・・でも変じゃないし・・・
284名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:29:15.28 ID:WO2xb+k90
>>276
妄想邪魔台国おっかれさん、良く知られてる元ネタだけに力不足はザンネンレス。
285名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:31:57.19 ID:WO2xb+k90
>>283
言い訳がアホくさい
286名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:36:28.95 ID:HBvgtDoO0
>>285
なになに、奈良より東の日本は

国なんか無くて、みーーーんな建物の周りをウホウホ歩き回っているだけだった

なーーーんて思っているの、もしかして(^_^;
287名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:39:27.99 ID:ZbUkD58g0
海里と陸里が同じ数値の距離ってあほらしい
現在でも陸のマイルと空のマイルは距離数値が違うのに
日本の学者はメートル法に脳みそ犯されすぎ。
288名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:39:33.72 ID:tucgQ7UU0
ぶっちゃけた話、奈良が一番弥生遺跡が少なくて、
兵庫や愛知のほうが、弥生遺跡は多い。

奈良文研遺跡データベースより。
289名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:40:27.71 ID:4P1xD+4uP
>>277
鉄器よりも兵の数の方が決定的だったんだろうな。
気候的に寒冷かつ降水量もそれほど多くない朝鮮半島では水田稲作の拡大は日本列島より遅れていたから、
早い時代から水田稲作が広まったいた日本列島に比べると人口(兵の数)的には不利だった。
そもそも朝鮮半島では、吉備や出雲ほど大規模な製鉄遺跡も鉄器も見つかっていないしな。
製鉄のための鉄源や燃料も日本の方が豊かだからな。
290名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:41:09.32 ID:Kxw6ZJvO0
>>282
渡る地点着く地点次第で80kmくらいになるんでないか
>>283
奈良の東方に立派な倭種の国がたくさんあったのはその通りだが渡海はないだろ
渡海でも行けるけど陸路で行けるのにわざわざ渡海と書くもんかねえ
291名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:44:48.11 ID:tucgQ7UU0
九州、あるいは朝鮮半島から運ばれてきた鉄器を、独占加工したのが、
淡路島の鉄器加工遺跡。

九州では、各国独自で朝鮮半島から鉄器を入手できたので、
独占はできないし、鉄による優位性もないのだが、

畿内周辺では、鉄器の数が少ないので、独占出来れば、
大いに他国と比べて優位になる。
292名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:44:51.07 ID:2GZ8IFCPO
>>287
違っていたという明確な根拠もないのに、違うと決めつける方がどうかしている。
293名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:46:30.12 ID:L+WP0sdzO
中華に対して、
実際より大きいふりをした可能性はあるけどね。
294名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:46:32.39 ID:RtRE/bTq0
>>284

具体的な内容が全くないレスしか書けないのでは、
力不足どころ考える能力が欠落してるんだな。

何でこんなスレに居るの。
考える力もないんじゃ見てても面白く無いだろ。
分不相応に文字など読まずに、TVでお笑い芸人でも見てるべきだな。
295名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:46:57.42 ID:tucgQ7UU0
釜山の河口から、松浦川の河口まで直線で、
ピッタリ、短里三千里。

おそらくは天則で測量したものと思われる。
296名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:48:26.33 ID:ZbUkD58g0
>>290
>渡海でも行けるけど陸路で行けるのにわざわざ渡海と書くもんかねえ

船が圧倒的に楽。わざわざ陸路でいく理由がない
297名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:49:38.31 ID:L+WP0sdzO
広域の部族連合があったんなら、
それは航海による交易と絡んでたと思う。

陸路よりも早くて多くの物資を運べる。
298名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:51:19.40 ID:2GZ8IFCPO
>>290
船で行けるのに、わざわざ陸路を行く理由がわからん。
瀬戸内海みたいな安全な海路があり、魏の威光を示すための多くの下賜品を携え、
かつたくさんの貢物を持ち帰りたいと思っているなら、普通は船旅を選ぶだろ。
299名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:57:41.81 ID:4P1xD+4uP
>>290
80kmを千余里と言うのはあまりにも無理がある。
300名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 19:59:08.95 ID:L+WP0sdzO
ただ確か外国の船を瀬戸内海に入れたのは、
平氏の頃が初めてで、それまでは九州どまりだったとか。
301名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:01:04.57 ID:Kxw6ZJvO0
たしかに獣・賊の襲撃や運搬の労を考えれば船旅の方が良い
302名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:01:47.76 ID:Jwo3WUY40
それじゃ何のために聖徳太子は四天王寺建てたのよ
303名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:02:02.76 ID:4P1xD+4uP
>>290
奈良時代や平安時代の記録でも、九州に赴任する国司などは難波から船で瀬戸を渡って九州に向かっている。
貧乏人は陸路だが、金持ちは海路だよ。
304名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:03:59.66 ID:tucgQ7UU0
漢委奴国王印は、倭国王帥升がもらっている。
これは筑前筑後の筑紫の王である。

親魏倭王印は、邪馬台国女王卑弥呼がもらっている。
これは、肥前肥後の肥国の王である。

倭人伝の行程通りにたどれば、肥国の領域から全く出ていない。
松浦も肥国の領域である。
松浦についたのは、肥国に行くのが目的だからである。

筑紫に行くなら当然、糸島や博多に直接向かうだろう。
305名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:07:07.29 ID:sZEd178Z0
大和国の起源は九州ってことには
誰も異論はないんでしょ
ところで記紀って偽書なんですか?
306名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:09:41.03 ID:L+WP0sdzO
神武東征したから西から勢力拡大したんだろう、
って話になっただけじゃないの。
307名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:12:10.94 ID:ZbUkD58g0
>>293
それはない、国の格は歴史の長さで決まる。
「夜郎自大」はそれを理解しない馬鹿を笑った言葉、
308名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:13:14.53 ID:e3/G0rFH0
陸続きならわざわざ渡海と書くわけもなく。
それより、この場合の方角は素直に受け入れるんだな。
309名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:15:11.10 ID:6JnHMVAlO
日本も中国も内乱の時代だから互いに嘘ぐらい付くだろ
310名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:21:24.46 ID:4P1xD+4uP
>>803
陸続きだろうが何だろが、実際に海を渡る船旅をしたならそう書くしかないだろう。
第一、魏使が日本列島の地形を把握していたわけではないんだから、
陸続きか否かさえわからんだろ。
311名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:23:07.88 ID:L+WP0sdzO
江戸末期に欧米の船が来たとき、
勝手に港周辺の測量したりしてたけど、
ありゃ、防衛上は非常に失礼な話だったりね。

なめられると攻められることもあるし。
312名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:23:56.47 ID:e3/G0rFH0
持衰を考えれば、倭人は安易に渡海はしない
313名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:24:16.55 ID:FQb81/4jO
>>251
>神武天皇が日向から東征して宇佐をへて広島を経て大阪を経て、奈良和歌山あたりの勢力を討って平定したという記述

日本の古称の通りだよな→「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(トヨアシハラノチアキナガイヲアキノミズホノクニ)」(『古事記』)

だから豊国+葦原国の豊葦原国、後に安芸・長門・伊予・(元は安芸"=吉備勢力"内だった水穂国(=赤穂)で)『秋の水穂』でたぶん畿内も含んじゃうんだろね
314名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:25:56.37 ID:HBvgtDoO0
>>308
だって、今だって、関東から紀伊半島に行くには
陸続きの名古屋経由じゃなくて、渥美半島の伊良湖から鳥羽に
フェリーで海を渡る方が便利だし・・・・

東に行くなら船が圧倒的だね

方角も、奈良に邪馬台国があって、上陸地点の末廬国が
九州じゃなくて、松江−鳥取あたりなら、ばっちりだもん
315名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:27:58.30 ID:e3/G0rFH0
位置関係の説明だから便利とかの問題じゃないんだよ
316名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:31:33.59 ID:HBvgtDoO0
>>315
だったらなおさらじゃん

船が便利で、船で行き来しているところの位置関係の説明なんだから
317名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:37:43.32 ID:4P1xD+4uP
>>315
船旅が可能な場所に位置しているのに、わざわざそれを伏せる意味がない。

>>314
上総と下総も陸路なら下総の方が京に近いから上下が逆なんだが、
三浦から浦賀水道を渡る旅が普通だったから、三浦の対岸が上総になってるね。
318名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:39:18.39 ID:e3/G0rFH0
陸続きなのに、わざわざそれを伏せる意味がない。
319名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:39:46.44 ID:L+WP0sdzO
古代には通い婚や婿入りで結果的に母系社会だったのが、
有力な部族に嫁入りが行われるようになると男系化するから、
汎部族的な男系氏族社会に移行したんでしょ。

そうなると今度は、
じゃあ男系の始祖は誰なのか、どこから来たのかって話になるから、
創世神話とは別に、男系始祖の起源神話が生まれるんだよ。

この国は天孫の統べる国で、始祖は長い旅をして来て、九州南部に天から降りてきた、
天照大御神の命によって、

と言うのをまとめれば、

天照大御神の命によって天孫降臨し神武東征して国譲りが確認された、
となる。

つまりこれは、
皇族の男系始祖に関する一連の起源神話であって、
勢力が西から拡大してきたと考える必然性は薄いと思う。
320名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:42:11.17 ID:4P1xD+4uP
>>318
魏の使節は陸続きだということをどうやって事前に調査したんだ?
321名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:44:42.94 ID:e3/G0rFH0
横にいる倭人に聞けばいい。
322名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:46:12.20 ID:2GZ8IFCPO
>>318
船旅をした行程の陸路の距離はどうやって計測するの?
323名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:48:32.17 ID:e3/G0rFH0
意味がわからない
324名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:49:40.87 ID:4P1xD+4uP
>>321
新幹線で東京から京都まで旅行をした外国人観光客は、
横にいる日本人に「歩いたらどのくらいかかるか?」なんてたずねない。
325名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:52:25.19 ID:6JnHMVAlO
伊都国(邪馬台国)は
卑弥呼ダミー女王で一芝居した
卑弥呼死後に壹與を建て本当の女王にして狗奴国と和睦
壹與と狗奴国の豪族との間に出来た親族が本州に進出した
その中の一人がイワレビコだろう
326名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 20:55:28.84 ID:e3/G0rFH0
>>324
調査方法を聞かれたから答えたまでだが。
普通調べたり聞くだろ。観光客じゃないんだから。
327名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:00:39.44 ID:4P1xD+4uP
>>326
現実に、帯方郡から明らかに陸続きである狗邪韓国までの距離を水行で記述してあるだろう。
328名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:01:12.97 ID:WO2xb+k90
>>322
なぜ知ってたかなぞ、いまさら分かるかい
仮に魏に聞いても軍事機密みたいなの教えてくれなかった思うけどな
329名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:01:40.76 ID:L+WP0sdzO
倭人達の諸部族による国々が、
男系氏族化して大和連合が形成されたんでしょ。

大和の日の巫女なら、
皇族から女性の斎王が出ていたのは古代からの慣わしで、
沖縄には今でも女性が祭祀をつかさどる伝統が残ってる。

単に、アマテラスとスサノオの神話について話したら、
中華のお役人が勘違いしただけじゃないか、
って説も案外、あってるかも知らんけど。
330名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:04:20.86 ID:e3/G0rFH0
>>327
水行ならわかるが、そこには渡海とは書いてないね。
331名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:08:47.81 ID:WO2xb+k90
ハクショーン
オレのあれがバレたのはなぜだ、おマイのせいか、といってみてももう遅いwww
332名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:16:27.47 ID:C6GH3WEX0
九州王族の朝鮮セオリー
あったとは
333名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:17:02.37 ID:4P1xD+4uP
>>330
不弥国→投馬国→邪馬台国の間にも「海渡」なんて記述はないが?
334名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:17:47.85 ID:z1Ez9fl30
>>333
そっちも水行としかないな
335名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:19:15.31 ID:e3/G0rFH0
>>333
沿岸「水行」したんだろう
336名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:19:49.10 ID:HBvgtDoO0
>>330
鳥羽から渥美半島の伊良湖に海を渡るのは
海岸にそって水行じゃねーからな・・・

文字通り渡海だ

その後、駿河湾も御前崎から伊豆の下田に海を渡らなきゃならねーし
その次は、相模湾を渡らなきゃならねーし
そん次は、東京湾・・と

渡海渡海の連続だ罠
337名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:23:37.08 ID:4P1xD+4uP
>>335
沿岸を水行したのなら、陸続きでしかあり得ないだろ?
338名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:30:40.47 ID:e3/G0rFH0
>>336
持衰にあるように倭人は渡海を恐れる。
特に太平洋は日本海に比べて波も高い。一発大波もある。
可能な限り陸路を行くだろうね。

>>337
不弥国、投馬国、邪馬台国は陸続きということだろう。
339名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:31:02.06 ID:C6GH3WEX0
藤原不比等はホントは幾内豪族に寝返って
わりと有能な王子排除して自分の権威高めて
藤原京なんて名づけたのかも
340名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:34:13.35 ID:sZEd178Z0
おまいら今津波情報で日本地図出てるけど
良く見て見ろよ どこが外敵からの攻撃から安全かって
341名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:35:37.27 ID:mPDw8Enc0
たかだか1800年前のことがわからないなんておかしい
実際はわからないんじゃなくて歴史を改竄したんだろ?
卑弥呼の存在自体怪しいと見るべき
342名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:37:43.60 ID:4P1xD+4uP
>>338
渡海を恐れる倭人が渡海して魏に行くか。

>不弥国、投馬国、邪馬台国は陸続きということだろう。
なぜ陸続きなのに海を行くんだ?
可能な限り陸を行くんじゃないのか?
343名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:40:13.36 ID:M3v7dcz+0
>>329
>大和の日の巫女なら、
>皇族から女性の斎王が出ていたのは古代からの慣わしで


大ウソこくな、無知蒙昧のアホw
首長レベルの巫女やその後の雑用巫女みたいな采女も
元々は全部先住氏族の女だろが

お前の言っとるのはその後の造られた慣わしじゃ、知ったかのボケw
344名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:40:20.22 ID:L+WP0sdzO
半島南部と行き来できるくらいの航海術はあったんだから、
陸沿いの沿岸航路で交易するくらいは普通に可能だったでしょ。
345名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:46:06.72 ID:WW4UdU3g0
天孫降臨は高千穂なんだからどう考えても九州だろ
346名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:47:08.57 ID:e3/G0rFH0
>>342

> 渡海を恐れる倭人が渡海して魏に行くか。

朝貢に価値があると思った。だから持衰をしてまで渡海した。

> なぜ陸続きなのに海を行くんだ?
> 可能な限り陸を行くんじゃないのか?

狗奴国(熊本)に陸路をはばまれていたから。
波の穏やかな有明海を南下した。
347名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:47:33.86 ID:C6GH3WEX0
その後魏から金印貰ってるので
ヤマトの接待で周遊してるのは確か
で 倭人伝の記述は到着するまでは普通でも
行程が破天荒なのはヤマトを攻めらせないための
作文とみればいいですか
348名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:47:57.99 ID:4P1xD+4uP
>>345
卑弥呼と天孫との関連は?
349名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:48:13.76 ID:z1Ez9fl30
>>345
高千穂って本当に宮崎のあそこなの?
350名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:48:23.07 ID:L+WP0sdzO
通い婚や婿入りだと必然的に母系になるんだよ。
これが嫁入りになると結果的に男系になる。

大国主はスサノオにイビられて、最後に駆け落ちしたって、
わざわざ古事記で言及してるじゃん。
351名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:51:06.23 ID:WwoN/5fI0
悪天候じゃない限り海を行くほうが安全に決まってるじゃん。
よそ者の渡来人が無防備に陸行できるとは思えんし。
352名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:52:32.97 ID:4P1xD+4uP
>>346
つまり、合理性があれば陸路より海路を使うってことだな。

可能な限り陸路を使うなら、肥後を迂回して陸路で行くだろ。
353名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:53:11.53 ID:l4FIdWIr0
倭人伝がダメとは言わないが、俺達は日本人なんだから
もうちょっと日本書紀とか古事記も大事にしないか。
自説に誘導したいが為にデタラメ扱いとか、本末転倒だよ。
354名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:53:27.84 ID:RDaKNe5N0
NHK「BS歴史館」で言っていた
魏の都合で、
呉の背後に倭国があった方が良い為に
水行十日陸行一月にして日本の位置を地図上で南下させた、
という説はおもしろかった
355婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 21:56:06.97 ID:yGujSjIE0
「水行」は、沖積平野沿岸地帯の湖沼や氾濫原を
ズンドコ進むことじゃなかろうかと思う俺。
今で言うとメコン河デルタ地帯みたいな感じだから、
せいぜい1日10km以下の行程なのだ。
356名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 21:58:12.46 ID:l4FIdWIr0
>>353
自己レス。
これらがいわゆる大本営発表なのは間違いないだろう。
でも、なぜそう書いたのかという理由があるはずだ。
357名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:01:20.32 ID:4P1xD+4uP
>>353
日本人だから日本人の書いたものを信じるなんてのは学問ではないな。
358名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:01:39.29 ID:e3/G0rFH0
>>352
ケースバイケースだしその時の政治状況もあるだろう。
ただリスクは、基本的に 外洋>>内海>陸路
の順かな。
359名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:03:59.65 ID:4P1xD+4uP
>>358
どい考えてもリスクは、陸路>内海だよ。
360名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:05:11.66 ID:FSpASwWe0
前に見たBS歴史館では完全に畿内説が支持されてたなあ。
361名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:05:40.56 ID:e3/G0rFH0
そこはどうでもいいよ
362婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 22:05:41.84 ID:yGujSjIE0
>>350
駆け落ちっつーか、スサノオはオオナムチを婿と認めてるよね。
363名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:06:11.21 ID:wwI6/Vnr0
韓流でマスコミは畿内説なんだよ、任那日本府とか安東大将軍なんて認めない
364婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 22:08:07.84 ID:yGujSjIE0
>>359
時代は違うが、ホメロスの「オデュッセイア」なんか、
あの穏やかなエーゲ海で難破して、10年間も彷徨ったりしてるぞ。
海をなめちゃいかんのだ。
365名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:08:09.33 ID:RuEStotb0
>>279
三世紀の倭国は製鉄はともかく鉄器が大陸と違って農具などでも主体なのは魏志に書いてある。
366名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:08:18.52 ID:sZEd178Z0
>>346
狗奴国(熊本)に陸路をはばまれていたから。
波の穏やかな有明海を南下した は合ってるよ

南下が真逆になって北上したんですよ

狗奴国は正に熊本ですよ
367名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:11:37.09 ID:L+WP0sdzO
母系で婿として認めてもらうためには、
相手の女性の兄弟、女性の母親の兄弟、母方の祖母の兄弟とかに、
気に入ってもらう必要はあるんだけどね。

駆け落ちしたってことは、
共同体からの女性の略奪になるわけで、
同意による女性の移籍になると嫁入りになる。
368名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:12:02.41 ID:gVHlZqtV0
>>353
まあ、正直、卑弥呼や邪馬台国は所詮、客寄せパンダの類なんだよ。
2ch風に言うとステマかな?
いや、ステルスってわけじゃないが、まあ、そういう類(たぐい)。

卑弥呼や邪馬台国の名前が出ると、マスコミも飛びつくし、観光客も押し寄せる。
本は売れて、テレビの視聴率も上がる。
みんなハッピー。
369名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:13:38.28 ID:47LSbsHX0
もう天皇陵を全て発掘調査しろよ

そうすれば全て解決だろが
370名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:15:00.29 ID:RuEStotb0
>>290
東山道はともかく北陸や東海は後世でも海路が多いよ。
伊勢湾は江戸時代まで海路で尾張に渡っていたんだし。
371名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:18:37.88 ID:4P1xD+4uP
>>364
陸路で遭難することはないのか?
弥生時代には、山陽道や山陰道なんて中国地方を貫く街道はないんだぞ?
熊も出れば狼も出る。山賊も。
372名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:20:16.24 ID:sZEd178Z0
ちなみに おれは 皇統は継承して
然るべきって立場ですからね
古墳のDNA検査なんて
これからどうなっていくんですかね
全世界的にも
373名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:20:19.16 ID:F2SYvnZO0
 古書がある程度正確だという前提で考察した。
 桜井が、記紀どおりに流通拠点の船着き場であったとすれば、地盤隆起の補正も含め
現在でいう海抜50mラインあたりが当時の水辺であったと推定できる。
(ちなみに大阪城建設時の大阪がおよそ7mライン、海面は縄文以前は急激に変位したが、
 奈良の物差しを京都に置き換えると辻褄が合わなくなるため、中央構造線ぞいは伊豆同様
 地盤隆起が顕著にみられたこと前提で話を進める。)

 この海抜50mラインで奥まった入り江状の土地で、現在市街地が存在している西日本の地点は、
九州だと菊池がモアベター、宮崎は一見良い形なんだけど湾じゃないので守りに弱そう。
 その他九州の主要都市はほとんどが海に没する。
 本州は山口が存外にいい形なのだが、四国&瀬戸内は海賊多発地帯の雰囲気満点で継続安定は無理か。
 近畿は富田林、香芝、桜井、天理、大和郡山(奈良多いよ奈良)、加東は微妙?、京都があまり
魅力的な場所に見えないのは、奈良とは逆に地盤沈下して海面低下と相殺された可能性も考えられる。

 こうやって見ると、有史直前は海抜50→30mでの平地拡大地点、平安以降は20m以内で拡大する地点が
栄えていることが容易に見て取れる
 標高20mラインで考えると平安京の右京が史実通り湿地帯となる。(オカルトじゃねーのよ)
374婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 22:21:03.95 ID:yGujSjIE0
>>367
記紀が書かれた頃には父系に移行していたから、
須世理比売も「父の娘」として描かれているよね。
お母さんであるはずの奇稲田姫は登場しない。

>>370
東海道の終点である房総半島は、南が上総で北が下総だもんね。

>>371
それを言ったらワニも海賊も出る気がするぞ。
375名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:21:20.40 ID:wwI6/Vnr0
日本は船で移動するから江戸時代でも道が貧弱だった
376名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:22:16.50 ID:RuEStotb0
>>315
位置は人が住める場所、人が行けるコースに限定されるんだよ。
律令時代でも郡役所へ行く利便で村の所属が変わったりしている。
古代は領域国家でも現代的な面でなく、人がいるところを点と線で結ぶ
ことで国が形成されていた時代だよ。
377名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:23:32.85 ID:4P1xD+4uP
>>374
海賊はまだしも、船旅でサメに食われるやつなんていねーよ。
378名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:26:54.16 ID:KQlVyBxP0
少なくとも熊襲国は宮崎から鹿児島の範囲。
まあ、熊襲国がクナ国とは限らないが、。

これは記紀に明確に載っている
379名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:28:26.28 ID:L+WP0sdzO
たぶん平安時代頃にも母系の名残りは残ってたけど、
古い伝承の意味は分からなくなってたかもしれない。

なぜイザナギとイザナミが声をかける順番が入れ代わったのか、
それによって何が変わったのかとか。
380名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:28:28.73 ID:Tt6oQmmX0
熊襲は東北だろ
サントリー社長が言ったじゃないか
381名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:28:35.87 ID:F2SYvnZO0
(個人的まとめ)
 魏志倭人伝の朝鮮半島の記述から、報告者は距離を10倍増しにして、功績をかさ上げ報告した。
 正直畿内説だと、使者が海賊に襲われそうで無事にたどり着けるかどうかすら怪しいし、
何回遷都してんだよ、位置の特定なんて無理ゲーだ。 
 残る九州だと吉野ヶ里は、立地条件的にただの物見櫓(久留米の高台を経由して大宰府への緊急連絡網か)
しかしながら、この海抜50mラインだと魏志倭人伝のとおり福岡からジグザグに南へ抜ける海岸線が出現する。
 Web上でみて、西日本で県の蚕糸協会が残ってるのは熊本だけっぽいし、チブサン古墳ってのの壁画が
クマモンの顔にしか見えん―――なにこれ現物見に行きてぇww
 さらに、そこから南方にあったと読める狗奴国は、宮崎、八代、出水、鹿屋等の候補地が挙げられるが、
古墳の数や種類からいって、普通に考えれば宮崎となるのだろう。

 阿蘇と宇佐は、対狗奴(宮崎)の陸路と海路の最前線基地に位置する。
 え?そうなると日本書紀は宮崎の王が、もっと強大な畿内の力を借りて九州平定したことになるのだけれど、
両神社の社格が高すぎるという矛盾が発生する。
 少年ジャンプ的展開で、さらなる巨大な敵の前にライバル同士が手と手を取り合った―――今回は
そんな妄想でお茶を濁すこととしたい。
 
 個人的に気になった山口は、姫山や狗留孫山、西方便山に東方便山と、なんだかアレな名前の山が見て
取れるのだけど山口の古代古墳は石棺か・・・
382婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 22:31:58.08 ID:yGujSjIE0
>>377
まあ、たしかにそうだよなw
それはさておき、魏の使者さんたちが渡海したときは、
地元の漁船とかをチャーターしたのかしら。

>>375
飛鳥・奈良時代の朝廷は、中国の王朝に憧れたのか、
無理くりハイスペックな街道を整備してるよね。
383名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:32:28.92 ID:ctWXYzAJ0
陸路か水路か海路か…
熱くなっているところ申し訳ないが、
「水行十日陸行一月」
↑あまりにも丸い(キリのいい)数字じゃないか?w
どの程度信頼できるんだ?しかも「水行した後に更に陸行する」のか、
あるいは「水路で行けば十日だが陸路で行けば一月」と並べて言っているのかも不明だ
384名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:34:10.80 ID:WO2xb+k90
>>381
九州各地のボーリング調査から見ても50mは高すぎる、せいぜい5m余
385名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:36:04.75 ID:2qMVZi5rO
倭人伝読めよ
ちょろっとしか記載がないのにこんなのじゃ絶対に特定出来ない
邪馬台国が当時の日本で何番目の規模の国なのか書いてない以上、どこにあった等の議論は無意味
386婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 22:38:35.81 ID:yGujSjIE0
>>373
関東平野なんかで顕著なように、縄文海進時に形成された
海岸段丘は標高の不連続線になっているから、海抜30mとか50mとか
を水平方向に投射するのはちょっと乱暴な気がする。
問題は海退後に形成が始まった沖積平野で、今から2000年前
はどの程度の「岡」だったのか、というのが重要な気がする。
たとえば新潟平野なんかは、100年前まで「潟」だったわけだし。
387名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:40:34.98 ID:WO2xb+k90
とりあえず、伊都国糸島説は NG
末蘆国の東南陸行500里にある伊都国は、正しくは佐賀平野にあった・・、から出直しだよ
388名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:44:01.64 ID:sZEd178Z0
おまいら もっと 肝胆に 考えろよ
末蘆国は松浦だよな まづうら
389婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 22:45:33.87 ID:yGujSjIE0
>>387
フラクタル理論のブノワ・マンデルブロいわく、
「イギリスの海岸線は無限に長い」

クネクネしてると長いのよw
390名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:45:57.29 ID:WO2xb+k90
松浦は、唐津ボートのあるところだろ
391名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:45:59.49 ID:ZbUkD58g0
>>354
NHK酷いな、魏志倭人伝の原文読んでないの丸分かりじゃないか。
392名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:48:16.03 ID:WO2xb+k90
NHKも、神の手を繰り出すようになったか
393名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:49:47.07 ID:sZEd178Z0
まずは 熊本と鹿児島の野蛮人を避けたんでしょ
表現は悪いけど で 陸伝いに 北上=南下したんだな
想像をはたらかせれば すぐ わかることなんだけどなあ
394名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:53:02.66 ID:F2SYvnZO0
>>384
まじですかー
だったら奈良って、川を延々無駄な遡上して交易していたってこと?

中央構造線は、熊本もしくは球磨まで(の諸説あり)と資料でみていた記憶があったのですけどねー
東端の鹿島付近は平安時代でもほぼ海だったのに

>>386
関東平野は戦後の資料はいっぱいありますよね
でも、今回は箱根やら富士山の噴火で充分作物が取れないと思ってさほど重要視してません(汗
395名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 22:53:26.75 ID:WO2xb+k90
>>393
おまいみたいな、ほんものの野蛮人とはちがうわい、先祖が記紀にでも登場したというのか。
こっちは卑弥呼と卑弥狗呼でちょっと姉弟げんかした程度だわい、記紀によればな。
396名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:01:05.95 ID:RuEStotb0
>>382
交易船を利用したかも。

律令時代の街道は発掘されている主要路のレベルの高さとか、地図や航空写真で検証
されている痕跡とか見ると凄いよね。
397名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:04:18.36 ID:XPqJUAhvP
卑弥呼とか中国の古代の文献に適当にでてくるだけで、それが本当のことかわからないじゃんw
存在してなかった可能性も十分ある
398名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:05:00.09 ID:GBnMHlqI0
八幡平じゃないのか?
399名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:06:29.09 ID:WO2xb+k90
>>394
鹿嶋市役所で海抜35mくらいだろ、あそこは丘になってるから海ではなかったと思うよ
しかし、周辺の平地は2mくらいだから完全に海。今でいえばあのあたりは小島だらけで宮城の松島状態。
400名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:09:07.83 ID:WO2xb+k90
それにつけてもNHKよ、おまいもか、だな。
いいかげんな番組作りおって。銭払ってやらんぞ。
401名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:09:26.54 ID:RuEStotb0
>>394
古代の奈良盆地は河川で奥まで入るルートが主流だね。
河内湾から大和川を上るのは有名だけど、木津川まで上って平城山を越える
ルートとか紀伊国を紀ノ川や熊野川を上って山越えし吉野川を下るとか。
402名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:09:43.21 ID:4S8uk71L0
>>397
もし倭人伝の記事(及び先行史料)が捏造で邪馬台国なんて机上での想像の産物だった場合

今日畿内説と言われてるものはその中に「邪馬台国」「卑弥呼」と言う文言がなくなるだけで
纏向・ヤマトの勃興については何ら変更されることはないだろうが

一方九州説はまるごと消し飛ぶw
403名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:13:25.67 ID:pCbgwZq10
神武天皇以降、歴代すべての天皇の陵墓が宮内庁によって認定されてるけど
九州には一つもないよね
なんでだろうねw
万世一系がおかしいのか、九州説がおかしいのか、どっちかしかないわね
404名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:14:34.50 ID:sZEd178Z0
おれが水銀鉱脈の流れで
日本文明は移動して行ったっち
教えてやってるのに
おまいらの学習能力ときたら
進歩がねえのう
405名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:17:47.75 ID:WO2xb+k90
>>402
願望募って、とうとうそんなこと口走るようになったか。
まあ、いままで伊都国は糸島だと言い張ってた人間は全部が頭を丸める羽目になるわ。
九州説も近畿説もその他の妄想説も含めてな。
末蘆国・唐津港から東南陸行500里の佐賀平野にこそ伊都国あり。倭人伝に書いてある通りだ。
406名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:18:46.99 ID:RuEStotb0
>>403
そりゃ「天皇」は畿内だし、陵墓の所在の記録もそっちに限られているから。
ただ、九州は西都原古墳群に陵墓参考地認定されて宮内庁管轄になっている古墳があるよ。
407名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:25:48.25 ID:4S8uk71L0
>>403
「天皇の墓」じゃないが西都原の女狭穂塚とか男狭穂塚は陵墓参考地として宮内庁より調査が禁じられてる。

まあこういうのを陰謀論で
「宮内庁は重大な事実を隠してる!」(で、大概の場合その秘密を自分だけが知ってるってパターンだがw)
というやつが多いが

まあ役所役人の「縄張り意識」所以だろうなw

>>405
>まあ、いままで伊都国は糸島だと言い張ってた人間は全部が頭を丸める羽目になるわ。

アホはAKBのアレを見てそんな妄想してるんだなw

で、それはいつの話なんだ?どんな根拠証拠が出てくるんだ?www
408婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 23:25:48.33 ID:yGujSjIE0
>>396
なるほど、物の移動は盛んだったわけだから、交易船が
あってもおかしくないか。

そいや、日本書紀に載ってる秦氏の先祖(欽明天皇のころ)の逸話で、
伊勢に商いに行った帰りに山の中でケンカしていた狼を仲裁した、
みたいなのがあるけど、その頃から商いが成立していたのが
すごいなと驚いた。もちろん史実そのままじゃなくて書紀編纂時の社会を
反映してもいるんだろうけど、それだって200年しか違わんし。
409名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:26:00.93 ID:PzNk3J3+0
>>403
>神武天皇以降、歴代すべての天皇の陵墓が宮内庁によって認定されてるけど

これは何の根拠にもならんよ。
明治維新のドサクサで大急ぎで手あたりしだいの比定作業をやってしまったんで学術的には問題だらけなんだけど、その後宮内庁で調査して比定やり直しなんて全くしてないから。
410名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:26:14.64 ID:WO2xb+k90
>>403
一番おかしいのはおまいだ。
高天原、日向三代は神話の世界、その御陵が地上にあったらおかしいだろ。
例え現存していても、分かっていても、口惜しくても、決して宮内庁認定にはできぬ。
よって、むしろ宮内庁認定でない御陵こそ真実事実上の神話の神々の御陵なのだ。おまいなら分かるだろ。
411名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:30:36.39 ID:irBST3kC0
>>402
誰もそんな議論に興味ないから黙ってろ
畿内説支持の奴の方がゲスばかりじゃん
考え変わったわ
412名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:33:16.24 ID:1KY/75IN0
そもそも文明のなんのってのは、

最初に重要なのは魅力の存在で、
それから力による主導権争いが出てくる。

だから最初に貴族や交易が出てくるし、
そのうち武士や戦国時代とかになるんだわ。
413名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:37:11.85 ID:4S8uk71L0
>>411
黙れ?お前に指図される覚えはないはアホがw

興味が無いならスルーしろ馬鹿者。

「もし邪馬台国の存在がフィクションだった場合九州説はまるごと吹き飛ぶ」
というのは意外と九州説の本質を言い表してるんだがw
414婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 23:38:09.30 ID:yGujSjIE0
考えてみれば、古墳ってのはイワナガ姫の呪いなのかも知れんな。
天下ったニニギ命がメンクイだったばかりに、人は有限の命という
宿命を背負ってしまった。その悔いが古墳を作らせたのじゃないかと。

いや、実際は逆で、古墳を作る行為に逆に付加された「物語」なのかも
知れんけど、堅固たる墓というのは、「有限の命」という檻に囚われた
人間の抵抗の形ではあるよね。
415名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:41:26.90 ID:irBST3kC0
>>413
なんだ無知のただの釣りか
416名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:41:55.55 ID:4S8uk71L0
>>414
>イワナガ姫の呪いなのかも

ああそれね。

比較神話学ってジャンルになるんだろうが類似の神話は海外にもある。

要は見た目華やかなモノをチョイスしたために人の命も儚いものになってしまうとかなんとか…

海外の何処かだと石とバナナの二択だったかな?

参考)バナナ型神話
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%8A%E3%83%8A%E5%9E%8B%E7%A5%9E%E8%A9%B1
417名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:42:55.64 ID:1KY/75IN0
コノハナサクヤヒメとイワナガヒメの話は、
いわゆるバナナ型の神話ってやつで、
南方系なんだよね。

あと、オオゲツヒメが体中から食べ物を生み出して、
怒った神に殺されて、各部位から産物が生まれた、
って話も、南方系にあるハイヌウェレ型の神話とかで、

芋を切り分けて植えると、それぞれから芽が出てくるとか、
そういうのと関連してんじゃないか、だそうで。

古事記にも割と南方系の神話が入ってるんで、
航海術や稲作の技術が南方から入ってきた影響もあるんじゃないかなとか。
418名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:43:31.83 ID:amOcuIyh0
古代の

角田美代子みたいなもんか
419名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:45:05.28 ID:1KY/75IN0
沖縄には今でも、
女性たちが祭祀をつかさどる伝統が残ってるよ。

あと台湾には、母系の文化も残ってる。
420名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:45:10.62 ID:JRefRT4+0
日本書紀ができた時にさまざまな氏族に伝わってた伝承や文書を「異端」として抹殺してしまったからなあ。
421名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:46:03.78 ID:iKWOR57y0
これを思い出した

77 : 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします : 2011/08/11(木) 01:43:43.93 ID:Vgjf6Cd10 [126回発言]
日本の学者が、発掘作業中に、大きな発見をする。
それによって、一つの謎が解決に向かう。
謎は、何かの所在に関すること。
422名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:47:20.86 ID:1KY/75IN0
日本書紀では、これ以外にこういう話もある、
みたいに異説併記してるのが当時としては画期的だ、

とか、どっかで読んだんだけど。
423名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:48:46.06 ID:ooDM5uED0
>>11
>奈良の邪馬台国を攻略し、邪馬台国の神である
>卑弥呼(アマテラス)を伊勢へ移す

伊勢へ移されたのは、天皇家の祖神アマテラスですよ。
近年の研究でますます邪馬台国と同時代とされる向きの強い
祟神天皇時代の瑞垣宮には、天皇家の祖神アマテラスと大和の
地主神が二神祀られてましたね。
そのうちの天皇家の祖神アマテラスが、皇女2人による関西圏行脚
の後に、伊勢に落ち着いたでしょう?

デタラメかく前に、日本書紀くらいは読んでおこうよね。
424名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:52:07.34 ID:ooDM5uED0
>>373
船着き場と言っても大和川のですよ。

『紀』によく出て来る長峡のような地形は大和盆地にも
いっぱいあったでしょう。
纒向や箸墓の横は、古代では長岡岬でしたね。
425名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:52:52.06 ID:1KY/75IN0
たぶん順番としては、

もともとアマテラスの部族も母系だったのが、
倭人の一部で嫁入りによる男系化が始まって、
その影響を受けて男系化して皇族が成立、

皇族の始祖に関するさかのぼった伝承として、
長い旅をしてきた、出発地点には天から降りてきた、
それは天照大御神の命によるものだった、

ってなったんじゃないの。
426名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:53:33.28 ID:JRefRT4+0
>>422
日本書記は天皇の権威づけのための政治的な理由で編纂されてる
神話の記紀の間の差とかかなりでかい
427婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/06(水) 23:55:11.53 ID:yGujSjIE0
>>416,>>417
もちろん原型はバナナ型神話なんだろうけど、なぜ日本では
食い物ではなくて桜と石なのか、と考えるわけよ。

桜という植物は積算温度で開花するから、気候の指標になる。
これが手がかりになるんじゃないかと。

なぜ弥生末から突然古墳が作られるようになったかについては
諸説あるけど、有力なのは古墳寒冷期の到来だと言われている。
生産性が低下して飢饉が頻発するようになった時代の中で、
人々が祖霊信仰にすがろうとした結果だと思うのよ。
だから壮大な古墳を作ることに取り憑かれたし、一方では
有限の命と言う宿命を正当化する神話を欲したのじゃないのかと。
で、それを象徴するのが、桜の化身であるコノハナサクヤヒメ。
428名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:55:17.35 ID:1KY/75IN0
古事記が皇族の伝承に関する話なら、
日本書紀は日本の国史として編纂された、

みたいな説明を見たことあるけど、
そういう性質の違いはあるんじゃないの。
429名無しさん@13周年:2013/02/06(水) 23:58:05.18 ID:b1CVdXR80
今ヒミコは俺のチンコ舐めてるけど何か用か?
430名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:08:08.37 ID:cFuo6n2i0
分からないことは分りませんで、
いろいろな話があるなら、みんな並べて書いちゃう、

ってのも一つの手ではあるわな。
431名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:09:40.38 ID:E26wSN4Y0
>>427
>有力なのは古墳寒冷期の到来だと言われている。

でそれに付随してそれまで拝めてた銅鐸とかがご利益なかったんで叩き割って銅鏡にしてしまった
…なんてお話もあるがwww

個人的にはいまいちピンとこない。

むしろ支配層の権力増大とか社会システムの変容の方を考えたい。

単に首長層の権力が増大しただけというのではなく
他地域の有力者との連携とかネットワークづくりそのシンボルとしてこ巨大首長墓。
勿論前方後円墳は全国に広まるし山陰の四隅なんかも日本海側で広がってる。

纏向でも祭祀土坑から炭化した大量の籾殻が出てきて
恐らくは何らかの「共食儀礼」のようなものが行われていたんだろう。

そう言った各地からの有力者が集う場所として考えれば
一次産業の痕跡の希薄な纏向が理解しやすいと思うが
432名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:11:20.25 ID:4vLrwafO0
>>427
典型的バナナ型神話なんだろうけど不細工な姉ときれいな妹ってシチュにしてるのは記紀と聖書ぐらいだよね。
433名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:12:14.98 ID:npXZMAmh0
>>426
それなら異論併記にならず、物語風になる
異論併記の歴史書である日本書紀は世界で始めての科学的歴史書
後世で物証が出てくれば異論が主論になりうる、信憑性が低いと
異論排除していたらもうどうしようもない。
434名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:14:16.83 ID:5pFrYVV30
>>1
何でこのスレ伸び続けてんの?
そんなに大発見なわけ?
435名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:15:12.30 ID:1M8W0ldF0
ロマンだよロマン
436名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:17:27.30 ID:qsqg2hYQ0
天照大神は卑弥呼
これがバレると天皇家に都合でも悪いの?
437名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:17:46.13 ID:eygzRvsc0
>>433
その異論排除を非科学的にも徹底的に行ってまとめ上げたのが明治以来の皇国史観や男系絶対主義なんだがな
438名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:18:55.18 ID:M87/JnUh0
記紀はウンコ
白村江の戦いでケチョンケチョンに負けて、当時の中国に対抗するために作られたファンタジーw

神功皇后の母方の先祖はアメノヒボコで、新羅出身
その神功皇后が三韓征伐してるとか、もうメチャクチャw
倭が朝鮮半島を平定したのは4〜5世紀であり、記紀が伝える神功皇后は、2〜3世紀の人物です
この時点で時系列が破綻してる
439名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:21:14.03 ID:cFuo6n2i0
もとは通い婚や婿入りの母系社会で、
女性が祭祀をになってたところから、

倭人の一部から嫁入りが始まって、
汎部族的な男系氏族化による部族連合が始まったんで、
その影響を受けて皇族が成立しただけじゃないの。

だから天照大御神は皇族の祖神で、
男系の始祖については天照大御神の命により、
天孫降臨して神武東征し国譲りの確認が行われた。

って皇族始祖の起源神話が生まれるわけで、
どれも正しいんと違うか。
440名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:21:17.24 ID:pHOExOmk0
>>434
ある種の人々にとってはロマンと地位と生活がかかってる
441名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:22:58.76 ID:raL97b1DO
>>436
天照が中国に朝貢してたのがばれる
歴史を長くみせてるのがばれる
442名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:23:29.67 ID:1/AmVibv0
卑弥呼ってワキ毛生やしてる人だっけか?
443名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:24:03.72 ID:eygzRvsc0
>>438
記紀が伝える神功皇后は、2〜3世紀の人物です……?
444名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:26:45.63 ID:raL97b1DO
>>438
神功皇后は4世紀だろ
ただキキでは3世紀
てか神功皇后もファンタジー濃厚
445名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:27:46.24 ID:cFuo6n2i0
実際のところ、

皇族の始祖は本当に九州南部から来たのか、
って話になっても、まあ、神話ではそうなってるわけで、

実際に古事記にも南方系の神話が入ってるから、
そっち方面から来た人がいたのは間違いないだろうけど、
本当に皇族の始祖が旅をしてきたのかは、
まあ、神話によれば、そういうことになってる。

皇族の始祖は長い旅をしてきた神聖なマレビトで、
天照大御神の命によって九州南端に天下って、
国譲りによって、この国は天孫の統べる国と確認した。
446名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:27:53.50 ID:qsqg2hYQ0
>>441
ああ、それで古墳も調べないんだね
447名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:32:21.11 ID:cFuo6n2i0
対して大国主は、

多くの兄弟がいる有象無象の中で、
一番下っ端扱いで荷物運びとかしてたけど、

いろいろあって、スサノオのとこから駆け落ちして以降、
大活躍して、大いに勢力を拡大したって話にもなってる。

まあ、どっちにしても思惑はあるんだろうけど、
九州南部から旅をしてきたという神話もあるんだし、
それにはそれで、なにか意味があるんでしょう。
448婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/07(木) 00:32:26.46 ID:VESGYnvI0
>>431
たしかに社会システムの変容なんだけど、その駆動力は
たとえばマルクスの言うような、技術の発展に後押しされるようなものも
あれば、気候変動のような社会の外から強制されるものもある気がする。

たとえば、租税の原型は高利貸だって話があるよね。
翌年の種籾を食べずにとっておくために共同体の長が預かって、
翌春に配った。そのうち「預かる」が「納める」に変形して、
そこから発展して税になったと。これだけ見れば効率を追求した
結果の自発的な発展だけど、そこには「そうせざるを得なかった」
原因があるとも思うのよ。


このシステムは飢饉に強いわけで、
449名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:32:32.50 ID:E26wSN4Y0
>>445
>実際に古事記にも南方系の神話が入ってるから

でもね「天孫降臨神話」はモンゴルとか半島とかの北東アジア系なんだよw

主神の孫にあたる赤ん坊が布に包まれて地上に降りてくるって何処かの神話に瓜二つなのがモンゴルにあったと思うが…

因みに大嘗祭の「真床追衾」はそれを再現したものだとして
天皇家のルーツは北東アジアにあるとか言うお話はあるにはあるwww
450名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:32:41.91 ID:P4mmx6r00
邪馬台国がどこかなんて興味ねえ
古墳についてもっと熱く語ろうぜ!!
451名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:32:43.81 ID:raL97b1DO
>>446
神聖に近寄るべからず
がモットーらしい
宮内庁指定以外は文化庁から許可が下りない
自然のままに
がモットーらしい
452名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:34:24.48 ID:gaumRUUj0
あのさー…もしかして熊本が狗奴国で鹿児島が隼人で宮崎が邪馬台国とか?w
泣きたくなるだろ宮崎w
でも神武の先祖は縁組で隼人と和解していったようなこと書いてるよな日本書紀少し読んだけど
453名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:34:41.98 ID:y4bgPb8z0
>>446
国家的な祭祀をしている場所として墓暴きさせないという考えに思い至らないのだね。
454名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:35:11.29 ID:eygzRvsc0
>>445
神聖なマレビトが罠に嵌めて皆殺しするのか?

マレビトとは、少彦名のうような恵みをもたらす人なんだがな
455婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/07(木) 00:35:55.32 ID:VESGYnvI0
>>448
あ、なんか変なのが残ってた。
最後の行は無視してくだちい。
456名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:36:29.39 ID:qsqg2hYQ0
天皇家を沖縄や南方系にしたい人がいるが
あの顔つきを見れば無理がある
457名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:37:19.83 ID:qXXofuGh0
筑前か筑後か豊後か日向か
どこじゃらほい
458名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:37:43.91 ID:y4bgPb8z0
>>456
どう無理があるのかはっきり言ったら?
459名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:38:27.05 ID:eygzRvsc0
天皇家は沖縄や南方系から一番遠いどころか専門家ではいない

半島系か大陸系だわな
460名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:38:28.79 ID:cFuo6n2i0
台湾にも母系文化が残ってるんだけど、

じゃあ、氷河期あたりに樺太から何かしてきた原日本人と、
台湾に関係があるかと言ったら、たぶん無いんだわ。

ただ、嫁入りと言う文化的な特徴がない場合、
女性が共同体を移籍するとか、そもそもないわけで、
必然的に母系になんだわな。

だから男系に移行した後、
そもそも男系の始祖はいかにして誕生したか、
って神話は、わりと残ってると思う。

んでそれは、創世神話と別になってる場合も多いんじゃないか。
461名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:39:03.57 ID:qsqg2hYQ0
>>457
そこいら全部だよ
>>458
やめとく(´・ω・`)
462名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:41:07.12 ID:cFuo6n2i0
訂正:何か→南下

ただ一つだけ明確なのは、
皇族には男系氏族名が無いんで、

少なくとも氏族としては渡来してないのよ。
凄い氏族名だったりしたら、それはそれで楽しかったんだろうけど。
463名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:41:38.74 ID:P4mmx6r00
岩波文庫の日本書紀シリーズよりも読みやすい日本書紀の現代訳本あったら教えて!!
464名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:42:05.10 ID:y4bgPb8z0
>>461
今上陛下以降に見られる顔立ちでよく言われている目などの特徴は
島津家から入った昭和天皇の皇后の影響だよ。
465名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:42:11.94 ID:eygzRvsc0
>>458
天皇家は鳥トーテム族だな

半島や大陸に多いわ


>>460
原日本人は樺太からだけか?

首狩りの風習は台湾にはないか?

黒潮に乗ってこないのか?
466名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:43:01.11 ID:qXXofuGh0
キミって氏族名じゃないの?
なんとなく

氏姓制度っていまいちよくわかんないね
467婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/07(木) 00:44:16.46 ID:VESGYnvI0
>>449
スサノオ神話もそうだよね。皮はいだ馬を投げ込むあたり、
ツングースっぽいらしい。
大嘗祭の話は折口信夫か。布団が神聖な神の一族って、
なんか可愛いw
468名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:44:17.89 ID:gaumRUUj0
筑前-豊前-豊後-日向で宇佐あたりが都とかかな
469名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:44:40.26 ID:qsqg2hYQ0
聖徳太子がお札から一斉に消されたのは
中国から聖徳太子とされる同じ絵が発見されたからなのは有名
470名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:45:49.82 ID:eygzRvsc0
>>462
氏族としては渡来してないのよってどういう意味だ?
471名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:47:11.62 ID:raL97b1DO
>>469
詳しく
472名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:48:44.71 ID:cFuo6n2i0
台湾からは、太平洋全般に人が広がってるでしょ。
そういう意味では、台湾から日本に人が渡ってる可能性は高い。
ただたぶん、来ても共同体の婿養子になるパターンだと思うけど。

氏族ってのは、大陸系の氏族で言うなら、
要するに男性系の氏族だから明確に氏族名を名乗るんだよ。
皇族には、そういう氏族名が無い。

うちの陛下は、氏族名を与える立場なんで、
自分では氏族名を持ちませんとか説明したって、
確か、中国の公文書にも記録されてるでしょ。
473名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:49:16.38 ID:qXXofuGh0
戦国時代より前の人物の肖像画なんて誰の姿だかほとんどあてずっぽうで決めてんだろ
474名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:50:32.83 ID:BOvVKgab0
もう諦めろよ
見苦しい
475名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:54:06.59 ID:eygzRvsc0
>>472
お前の特徴の幼稚な事はいいから、『タラシ』は?
476名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:54:25.49 ID:cnd28DN20
今に見ていろハニ〜ワ原人っ!全滅だぁ〜!
477名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:55:34.08 ID:qsqg2hYQ0
>>471
中国から聖徳太子と全く同じ絵画が見つかったのでお札から消えた
教科書にもあの顔は載らなくなった
478名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:57:32.39 ID:raL97b1DO
本題わすれそうだが>>1は伊勢神宮や出雲大社の建て替えの義と関係あるのかな?
479名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:57:49.23 ID:cFuo6n2i0
中華に対して独立した天下であることを主張した、
ってのは不都合だから、聖徳太子を無くそうとしてんでしょ。

東北工程とかの一環と違うか。

この点では韓国に同情してもいいけど、
高句麗は後の満洲の系譜であって半島とは違うだろ、
って言っておく。
480名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:58:45.89 ID:eygzRvsc0
>>478
あるだろな
481名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 00:59:29.55 ID:xhk0YF3r0
纒向遺跡は崇神〜垂仁〜景行時代の遺跡だろう。
纒向に都を置くこの時代に、関東から九州まで勢力を拡大したという
記紀の記述によく合う。

つまり、纒向の最大の意義は記紀の記述は意外と嘘が少ないことがわかったこと。
482婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/07(木) 01:00:42.18 ID:VESGYnvI0
>>460
ううむ、面白い。
つまり、ある種の正当化のための神話というわけか。
イザナミから声をかけたから不具のヒルコが生まれた、
みたいな話なんかな?

母系というと>>417が書いてる太平洋のハイヌウェレや、
ケルトの地母神ガイアなんかが浮かぶけど、そこらへんは
どうなってるんだろ。
483名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:00:44.08 ID:npXZMAmh0
>>464
二重は優性遺伝だからそれはない。
天皇陛下のy遺伝子は一重の遺伝子
484名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:02:53.39 ID:cFuo6n2i0
古代にはもともと、
神社が無かったんだわ。

狩猟文化には狩った獲物に対して、
丁寧にお祭して、その魂を山に送り返す文化がある。
神様が、動物としての服を着るような感じで遊びにきて、
身体を置いて帰る、みたいな解釈らしい。

山には固有の神が住んでいて、
それを特別な木や岩、ヒモロギやイワクラに迎えて、
お祭してから送り返す、というのが祭祀の古い形式で、

そのうちに、お祭する時に神様を迎える建物を建て、
終わったら解体するというようになってきたのが古い形で、
木や岩のヨリシロから、屋敷のヨリシロになったんで、

ヤシロって言うんだと個人的には思ってる。
485名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:02:55.40 ID:eygzRvsc0
>>481
そう

つまり津田ソウキチの偏差値35丸出しの記紀史観が吹っ飛んだ典型だな
486名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:06:35.08 ID:qsqg2hYQ0
>>478
わからないけど震災後に皇室を平安京に戻そうとする勢力が動いている
487名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:08:09.07 ID:cFuo6n2i0
あと一部の地域では、

山から神様を田んぼにお迎えして、
また山に送り返す風習があるらしいけど、

これなんて明らかに、
狩猟文化時代からの名残りじゃないか。
488名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:09:44.01 ID:eygzRvsc0
>>484
建物を建てというより、海辺に産屋のこましなものくらいのものだったろうな

屋代はな

さすがに垂仁の宮城内ではしかりした柱付きだったろうがな
489名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:11:40.65 ID:OQNy05Pp0
>>484
神様の社がたてられるようになったのは仏教の影響かと思った
仏像は野晒しにしないから
490名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:12:11.50 ID:npXZMAmh0
>>485
あれはカルト宗教だからな、「神話は非科学的だから除外する」とか。
それだとトロイアの木馬の神話も否定され、トロイア発見も無かった事にされる
491名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:15:04.86 ID:raL97b1DO
出雲大社なんてただの家だしな
家の中に宝物置いといてお祈りしてたらいつの間にか賽銭投げ入れられる感じになったとか
492婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/07(木) 01:15:13.23 ID:VESGYnvI0
>>487
柳田国男はなんでもかんでも祖霊信仰で説明しようとしたけど、
こういう毎年山から下りてくる田の神や、あるいはナマハゲみたいな
歳神(こっちは海から来る)って、縄文の神々の生き残りだと考えた
ほうがすっきりするよね。
493名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:15:48.49 ID:qsqg2hYQ0
>>488
>建物を建てというより、海辺に産屋のこましなものくらいのものだったろうな

大変重要な発言です
そう、古代の人は貝を主に食べていた
奈良に海がありますか?ありませんね
大分や宮崎が津波で絶滅し神武天皇が東に新天地を求め
八咫烏が案内したという説は非常に信憑性があります
494名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:15:54.38 ID:M1CsLlpL0
邪馬台国=やまとこく=大和国
495名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:18:36.55 ID:eygzRvsc0
>>486
それ京都府や京都市という勘違いな自治体が先走ってるだけだが

維新絡みなんだろうが、関西方面では京都なんかよりずっと古い大阪城の南の高津宮復興の話も

纒向王朝復興の遷都話もあるわな
496名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:21:25.44 ID:mSLu1aNJ0
卑弥呼は役職名で個人名じゃないですよね
ひめみこみたいなものか
邪馬台国はシナに朝貢してたから、後の政権から無かったことにされたんでしょう
そんなの、ありましたっけ?なんか地方にそういうのがあったんだっけ
みたいにとぼけた
シナに朝貢してたということは、シナ領でいいじゃん、みたいなことをシナは言ってきますから
だから、卑弥呼のことはどうでもいいんですよ正直
497名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:21:46.51 ID:raL97b1DO
震災があると遷都してきたのか
古代九州の震災事情わかれば何かわかるかも!?
498名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:26:32.09 ID:eygzRvsc0
>>496
個人名の可能性もあると思うな

某氏の系図などには、日女命という卑弥呼とおぼしき名前も出てくるんだわな

その日女命を卑弥呼とする高水準の専門家も多い

邪馬台国はシナに朝貢してたから邪馬台国を無きものに、みたいなのは本居宣長の私情
499名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:27:49.55 ID:qsqg2hYQ0
>>495
さあ、どうなるのだろうね?ふく一4号機は今年の12月から燃料棒を取り出すという
危険な作業に入るので平安京にお戻りになってもおかしくない
>>497
高知大学の岡村先生が大分の龍神池で調査してたよ
30m級の大津波の痕跡らしい
500名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:28:37.45 ID:cFuo6n2i0
ヤマトの国が邪馬台国でしょ。

卑弥呼は斎宮の勘違いか、
アマテラスとスサノオの神話に関する説明を、
中国の役人が勘違いしたってほうがありそうだ。
501名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:31:47.74 ID:eygzRvsc0
平安京にお戻りになっても、たぶん逆に国底立神を怒らせるだけだわな
502名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:33:05.43 ID:cFuo6n2i0
そもそも中華に朝貢のなんのとか言ってたら、
欧米列強だって中華と交易するに際しては、

朝貢国として扱われてたんだから、
どうでもいいでしょ。
503名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:34:28.37 ID:eygzRvsc0
>>500
卑弥呼が斎宮て、邪馬台国の鬼道とも称される時代にすでに祭祀は律令祭祀だったのか?
504名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:37:10.27 ID:raL97b1DO
>>502
いや、古代は2年に一回貢ぎ物しなきゃならなかった
新羅は年1。
505名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:38:26.25 ID:qsqg2hYQ0
>>501
出雲大社のHP読めば?
これからも皇室を支え続けますっていうような内容が書いてある
506名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:40:19.58 ID:eygzRvsc0
>>505
出雲大社と何の関係があるんだわさ?
507名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:40:44.26 ID:cFuo6n2i0
当時の中華のお役人が、どう勘違いしたか、
ってのがすでに話の主軸でしょ。

どこが勘違いで、どこが欺瞞情報なのか、
いろいろ複雑だから、組合せの数が増えるだけじゃん。
508名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:40:58.15 ID:4vLrwafO0
倭の五王も記紀では朝貢してたことになって無いんだし卑弥呼も朝貢してるからなかったことになってるとしても不思議じゃないかと。
509名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:43:14.30 ID:qsqg2hYQ0
>>506
え?
国底立神って何?
出雲の神様と勘違いした
510名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:45:54.87 ID:eygzRvsc0
>>509
国底立神でも国床立でも天底立でも何でもいいんだが
511名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:47:09.44 ID:cFuo6n2i0
日本側じゃ、そもそも邪馬台国とか卑弥呼とか、
なんだか分らんから混乱してんだが。

大和国の日の巫女だったら、
ああ、勘違いなんだなって分るけど。
512名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:52:41.20 ID:qsqg2hYQ0
>>510
(>△<)
513名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 01:58:27.63 ID:npXZMAmh0
>>507
何も勘違いしていないし、正確に記されている
514名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:01:42.60 ID:E26wSN4Y0
>>507
ぶっちゃけもし邪馬台国が九州だということに決着していたら
何処が同違ったのかという検証に入ってたろうねw

例えばもし吉野ヶ里が邪馬台国だったら
「卑弥呼に仕えた奴婢だけで千人とか盛り過ぎだろうw」とかwww

まあ倭人伝通りのクニがあるとすれば否定するには便利というのはあるわなw
515名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:03:17.36 ID:eygzRvsc0
>>511
仲哀や神功皇后部分の不自然な記述見て編纂者の苦心の理由を考えるのが先だわな
516名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:06:15.89 ID:oqZ6qql90
我が国の皇族が支那に朝貢して倭王に封じられたりする訳がない

よって邪馬台国は九州の地方国家に過ぎず

卑弥呼は大和朝廷の名を騙る熊襲の女酋長である
517名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:08:19.63 ID:cFuo6n2i0
中華は交易を求めてくる国に対して、
汝を王と認める、中華に帰属せよ、

ってやってたから、
細かいことはどうでもいいんだわ。

ただ記録が曖昧で、
適当すぎるのが混乱の種になってる。
518名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:08:47.32 ID:qsqg2hYQ0
穴が100個見つかっただけで奈良説にはならない
50年前は九州で定着していたのだが何で奈良が湧いて出たのか
奈良説で金儲けしたい考古学者か?
519名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:10:28.51 ID:cFuo6n2i0
もともと九州説ってのは、

神武東征があったそうだから、
九州から勢力拡大したんじゃないか、
ってのが最初にあるんじゃないの。

そのへん、どうなんだ。
520名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:12:06.67 ID:E26wSN4Y0
>>518
半世紀もあれば如何な学問も進歩するんですよご老人w

そもそも邪馬台国ブームの時には既に学術的な論争というより
マスコミ(出版業界)のし掛けたものだという側面が大きい。
521名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:13:05.82 ID:EhkVcX3I0
>>472
その王、姓は阿母氏なり。

旧唐書
522名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:13:25.93 ID:qsqg2hYQ0
>>520
忍者や剣道をウリナラ発祥にする朝鮮人みたいだな
523名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:16:59.70 ID:EhkVcX3I0
>>520
土器付着物によるAMS法による年代判定は無意味という学会の結論ぐらい
知っているだろうな?
524名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:17:09.18 ID:ljFKZhsh0
モモソが日本書紀で書かれたように
単なる巫女で処刑されたのなら
なんであのばかでかい古墳で祀る必要が
あったのかわからんが、正体が卑弥呼ならば納得する
525名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:17:28.23 ID:cFuo6n2i0
天のナンタラが姓だとか、
他にも色々あったんじゃないか。

率直に言って、
あんまり意味ないと思うわ。
526名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:17:38.59 ID:E26wSN4Y0
>>518
因みに「金儲け」というならどう考えても九州説だw

小説に漫画、映画に至るまで話しとして面白いのは九州説。

以前にも吉永小百合で「まぼろしの邪馬台国」ってあったろ?w
527名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:20:35.82 ID:qsqg2hYQ0
>>519
津波で九州太平洋側と四国が崩壊して神武天皇が
津波の来ない土地を求め八咫烏に案内されたのが奈良
八咫烏は聖徳太子というロマンス
528名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:21:10.69 ID:EhkVcX3I0
>>524
4世紀の古墳に葬られた人物がどう納得できるんだ?
529名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:21:29.46 ID:E26wSN4Y0
>>523
で?
いくつかの理化学的年代測定法の不備とかがあったとして今の年代観がひっくり返って
昔の京大の某大先生の理論による70年代辺りの年代観に戻るとでも言いたいのかな?ゲラ
530名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:23:29.94 ID:qsqg2hYQ0
>>526
金儲けならJR九州にまかせておけばいいw
そのうち卑弥呼への旅とかいうプランも出来るだろう
531名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:23:37.49 ID:EhkVcX3I0
>>529
誰の年代観?
各人各様の様だが(笑)
532名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:33:23.03 ID:A+qussEpO
邪馬台国の人達はどこから日本に来たわけ?
日本に人類が自然発生したわけじゃないよね?
南方や北方から日本に移民してきた人達が国を作っていったなら同じ民族ならある程度横の繋がりがあったわけだし広範囲に渡って治めてたんじゃない?
533名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:34:05.17 ID:E26wSN4Y0
>>519
東遷説といえば今じゃ安本とかがご本家だが
戦前の和辻哲郎あたりがその祖みたいな人物かな?

何れにせよ東遷説と九州説は一応は別物と考えて置いた方が良い。
少なくとも明治から始まった学術的論争の中では比較的新しいとも言えるのかもしれない。

もっとも2ちゃんとかじゃあ九州説の中に占める東遷説信者…もとい論者って相当なもんだと思うがw
534名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:35:50.99 ID:cB7Lm1rO0
窮州
535名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:40:51.99 ID:qsqg2hYQ0
>>532
大陸からだ
大分で発見された卑弥呼の鏡に龍の絵がある
大陸といっても半島ではない
536名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:41:45.11 ID:cFuo6n2i0
大陸や半島は、
後からだろ。

もとは樺太経由じゃなかったか。
537名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:42:27.55 ID:70mb/1WD0
コーラをイッキ飲みした直後に、ゲップをせずに山手線の駅を全部言うためだけの祭壇(ステージ)
538名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:49:14.63 ID:qsqg2hYQ0
卑弥呼の鏡に豊富に使用されているサンゴやヒスイを考えると南方系と言うのも考えられない事はない
539名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:53:46.65 ID:cFuo6n2i0
古事記の伝承にも南方系は混ざってるから、

北から南下してきた原日本人に、
南方から航海してきた人達が混ざって、
半島南部にも活動範囲が広がって、

いわゆる倭人が形成されたんじゃないの。
540名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 02:58:44.45 ID:qsqg2hYQ0
>>539
南方系なら台湾沖縄あたりかな?
ヒスイの産地だし卑弥呼の鏡に使われている血赤のサンゴ(超高級品)も納得できる
この国の歴史は嘘が多すぎるんだよ
減配合戦で海の底に沈んだはずの安徳天皇も実は高地に逃れて
生きていたという
高知に何故か京都弁を話す村があり安徳天皇の着物を保存しているという
541名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:01:11.34 ID:qsqg2hYQ0
減配合戦 ×
源平合戦 ○
ミスった

一番信用できないのは専門家で学者だ
542名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:06:33.42 ID:cFuo6n2i0
日本人で中国の男系氏族名を名乗ってるとか、
無いから。

半島でさえ、影響は受けてるけど、
発祥は地元だから本貫ってのを重視してるわけで、
中華の出番はありません。
543名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:12:04.43 ID:ljFKZhsh0
>>519
何らかの簒奪があったことは確かと考えていいのでは?
書記でもモモソは出雲系巫女書かれていて、弟は吉備津彦だし。
この当時畿内は出雲だったんじゃないの。
それを神武のモデルになった崇神天皇が簒奪したのでは?
544名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:16:18.97 ID:cFuo6n2i0
もともと母系だったアマテラスの部族が、
出雲系統の影響を受けて男系化して、
皇族が成立したんでしょ。

具体的に言えば嫁入りするようになったってことで、
それまでは通い婚や婿入りで母系部族社会だったのが、
倭人の一部で嫁入りが始まって、男系化したんでしょ。

だから今でも年に一回、
日本中の神様が出雲に集まって宴会しながら、
縁結びの相談をする。
545名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:20:16.18 ID:qsqg2hYQ0
卑弥呼も天照も女になっているが女とは限らない

誰も見たものはいないし妄想でしかない
546名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:23:41.30 ID:cFuo6n2i0
スサノオが来たときアマテラスが男装して迎え撃った、
なんて話も伝わってるし、

沖縄じゃ今でも女性が祭祀をつかさどる伝統が残ってるよ。
547名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:27:22.81 ID:qsqg2hYQ0
女は言っては悪いが産む機械なんだ
自民党の誰かが言ってたがそのとおり
男がいなけりゃ家もビルも橋も出来ない
卑弥呼が女と仮定するなら魔女だったと思う
いわゆる霊能者
548名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:29:14.73 ID:cFuo6n2i0
古代には嫁入りって概念がないから、

女性は自分が生まれた共同体で子供を産むんで、
必然的に母系になるんだわ。

それが結婚して嫁入りするようになると、
女性の共同体から男性の共同体に女性が移籍して、
生まれた子供は男性の共同体に属する。

つまり男系化するんだよ。
549名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:32:18.06 ID:qsqg2hYQ0
女は家庭で料理を作るが一流シェフに女はいない
つまりそういう事
550名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:36:13.18 ID:cFuo6n2i0
ちなみに、

結納金と言うのは女性の共同体に対する男性の共同体の賠償で、
持参金と言うのは、共同体を移籍する女性が自分の財産を持参する、
その名残りでしょう。

集落から集落に女性が嫁ぐときは、
タンスや長持ちの嫁入り行列なんてのが、
昔はあったわけで。
551名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:45:52.63 ID:y4bgPb8z0
>>483
二重は劣勢じゃないんか?
552名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:50:24.34 ID:qsqg2hYQ0
>>550
そういう話は名古屋人が詳しいが中部日本なので
多分このスレにはいない
553名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:50:42.12 ID:ljFKZhsh0
モモソもアマテラスも陰部に棒を突き刺して死ぬ。
これは子孫断絶の象徴かもな。
554名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:54:18.26 ID:E26wSN4Y0
>>553
>アマテラスも陰部に棒を突き刺して死ぬ

は?
555名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:54:38.17 ID:cFuo6n2i0
この男性側が支払う、女性側が支払うってのは、
なんか以外とインドとか中央アジアとか中東辺りでも、
いろいろゴタゴタあるみたいなんだけどね。

日本に関して言うなら女性の共同体移籍に際して、
共同体間の賠償と、個人の財産の移転ということで、
だいたい話はつくんじゃないかと思う。
556名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 03:58:24.98 ID:ljFKZhsh0
>>554
書いてあるのは機織り娘だけどね。
その後岩戸に隠れるんで死んだ原因の象徴と言われる。
557名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:00:10.28 ID:cFuo6n2i0
聞いたことねぇな。

死んでから復活、
とかって話かいな。
558名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:00:17.84 ID:gtl3rZ2s0
当時の巫女イコール卑弥呼
ちまり卑弥呼は複数いたんだよ
559名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:03:48.78 ID:cFuo6n2i0
ヨーロッパのどこかじゃ、
部族ごとに巫女がいたそうだけど、

それが後には運命の三女神になったり、
さらには魔女になったんでしょ。

ネパールのクマリとか、
沖縄のノロとか、

まあ単純に言えば、
神社の巫女さんも同系列の名残だと思うが。
560名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:08:05.35 ID:qsqg2hYQ0
そもそもアマテラスが女神というのが怪しいのだ
宗像大社の沖ノ島は何故に女人禁制なのだ?
卑弥呼も男か女かわからんだろ
はい、次の妄想
561名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:10:35.94 ID:cFuo6n2i0
宗像三女神じゃん。
もとは女神だろ。

秘密基地に女の子を入れるかどうかで、
もめるのを知らんのか。

欧州じゃ大真面目に、
男子のみのクラブに女性は入れないとかで、
じゃあいいわよ、女性のクラブを作るからとか、
ややこしくなってるじゃん。
562名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:15:25.67 ID:qsqg2hYQ0
>>561
よく知ってるね
アマテラスの子供という事になっているが
アマテラスは生涯独身のはずなのに何で子供がいるんだかサッパリわからん
欧州の話がでてきたがキリストの方へ話を移行したいの?
すべてはイスラエルに続く
563名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:16:48.41 ID:cFuo6n2i0
ちなみに、

山の神も女神だけど、
酷く醜いんで女性が山に入るのを嫌がる、

なんて話もあるんで、
山の作業で女性が入ってくるのを、
敬遠する向きもあるんだとか。

事故が起こるとかで。
564名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:24:39.33 ID:cFuo6n2i0
まあ、あれだ、

オコゼの干したのをお守りにしとくと、
自分より醜いんで山の神が喜ぶ、

とかなんとかって話もあるから、
女性が山仕事するには大袈裟でも、
よいお守りかも知らん。
565名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:27:21.76 ID:qsqg2hYQ0
女に選挙権を与えてからこの国がおかしくなった
女とは愚かな生き物
566名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:28:47.93 ID:cFuo6n2i0
元々は共同体に一票ってことで、
戸主と跡継ぎに票を認めてたのが、

個人に一方になっただけで、
考え方の違いじゃないの。
567名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:29:47.61 ID:qsqg2hYQ0
女は子供手当欲しさに某政権を選んだ
結果、このざまぁ
アマテラスが女のはずない
男神だ
568名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:30:57.63 ID:cFuo6n2i0
訂正:一方→一票

もっとも、その考え方でいけば、
未亡人には一票が認められるべきなんだけど、

実際に当時、どういう基準だったのかはよく知らん。
569名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:38:10.67 ID:JJOrdTOS0
【古代の日本、新たな国出雲の誕生】
九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭は
畿内の奈良の勢力の「邪馬台国」と、西の九州の勢力の「狗奴国」の、2大勢力があった
畿内の奈良の勢力の邪馬台国の女王アマテラス(=卑弥呼)の弟のスサノオは、政争に敗れて畿内を追われ、
敵国である西の九州の勢力の狗奴国との国境の、荒涼とした出雲にたどり着き
そこで盗賊の征伐と引き替えに地元の豪族の娘・稲田姫を嫁にして新たな国造りを始め、稲田姫との間に須世理姫が産まれる
須世理姫はその後、地元の豪族の大国主命と結婚し、大国主命は、西の九州の勢力の狗奴国から来た、渡来人のスクナビコナの
協力・支援を受けて、出雲を畿内邪馬台国・九州狗奴国と並ぶ大国にまで成長させる

【倭国争乱と出雲の国譲り】
畿内の奈良勢力の邪馬台国は、大国にまで成長し、渡来人の元、中国との交易まで始めた、
もともとはアマテラス(=卑弥呼)の弟のスサノオか造った国・出雲を手に入れようとし始め、
アマテラス(=卑弥呼)の息子であるアメノホヒを出雲に派遣して、大国主命に、出雲を委譲することを求める
大国主命の長男コトシロヌシは同意したモノの、次男のタケミナカタは、九州・狗奴国勢力とともに邪馬台国に果敢に抵抗し
「葦原中津国」=出雲は争乱状態となる。
結局、次男のタケミナカタは善戦するが破れ、大国主命は、戦いに敗れた次男のタケミナカタの延命と出雲大社の建設を条件に、
出雲を邪馬台国に委譲することを認め、邪馬台国はアマテラス(=卑弥呼)の孫のニニギを出雲に派遣して、
武力抵抗した次男タケミナカタは奈良の都に送られた後、諏訪に流罪となる一方、長男コトシロヌシは傀儡として出雲に残され、
「出雲」は畿内の「邪馬台国」の属国となり、アマテラス(=卑弥呼)は出雲から魏に向けて使者を送り、
出雲は邪馬台国時代の大陸との玄関口、末廬国(松江)となる
570名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:41:25.04 ID:JJOrdTOS0
【アマテラス(=卑弥呼)の死と後継者・勢力争い(海幸彦と山幸彦)】
アマテラス(=卑弥呼)の死後、邪馬台国の混乱に乗じて、九州・狗奴国勢力が、ニニギの二人の子のうちのひとり、
山幸彦を通じて、次の出雲・末廬国の国王に、諏訪に流されたタケミナカタの子孫の男王を立て、
大国主命の国譲りの後、邪馬台国勢にとられた出雲奪還を計ったが、
アマテラス(=卑弥呼)の宗女、壱与を女王とした邪馬台国勢は、諏訪に流罪になったタケミナカタの子孫である男王
の正統制のなさを提唱して、ニニギのもうひとりの子海幸彦を通じて、それまで出雲を治めていた傀儡のコトシロヌシ
の子孫を王にすべきだと反発して、再び、畿内・邪馬台国勢力と九州・狗奴国勢力の間で緊張が高まり、
ニニギの二人の子の争いは、次第に代理戦争の様相を呈していく

【混乱の収拾と後継者勢力の確定(魏の介入)】
出雲・末廬国後継の座をめぐり、畿内邪馬台国コトシロヌシ派と九州狗奴国タケミナカタ派に分かれ牽制し合っていた
ニニギの二人の子のうち、九州狗奴国タケミナカタ派の山幸彦が、海神=魏に赴いて事態を告げると、
魏は倭に張政を派遣し、檄文で畿内邪馬台国コトシロヌシ勢の壱与を告諭し、
畿内邪馬台国コトシロヌシ勢力による九州狗奴国タケミナカタ勢力に対しての抵抗は、
宗主国・魏から邪馬台国が諫められるという、思わぬ形で終止符をうった
結果、出雲・末廬国の帰属は、それまでの畿内邪馬台国コトシロヌシ勢から九州狗奴国タケミナカタ勢に移行して
それにより、邪馬台国は、九州・出雲という、中国に対する2つの拠点を失って、大陸とはどんどん疎遠になっていく
一方で、九州狗奴国勢は、邪馬台国勢に追いつくように、
魏の要人の娘と婚姻関係を結ぶなど、どんどん魏との関係が密になっていく
571名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:43:36.79 ID:JJOrdTOS0
【九州勢の権力の拡大と出雲・畿内勢の巻き返し(神武東征)】
魏の後ろ盾を背景に九州・狗奴国勢の権力が拡大していく中、出雲・末廬国と畿内邪馬台国は名ばかりの国になり果て、
それに危機感を覚えた邪馬台国のカムヤマトイワレヒコが、九州・狗奴国勢と手を組んで、
畿内・邪馬台国主流派に対して、軍事クーデターを起こす
それに対して、畿内・邪馬台国主流派は果敢に抵抗するも、九州・狗奴国勢の支援もあり、激戦の末、
邪馬台国のカムヤマトイワレヒコの軍事クーデターは成功し、カムヤマトイワレヒコは天皇を名乗って
畿内の邪馬台国を、新たに大和と改名し、それまでの主流派だった邪馬台国の人々を畿内から一掃する

【九州・狗奴国と、邪馬台国改め大和の蜜月の終了と覇権の確定(タギシミミの反逆)】
初代の天皇のカムヤマトイワレヒコの死後、畿内・大和の次の天皇を誰にするかで、
九州・狗奴国と邪馬台国改め畿内・大和で意見が分かれ、両者の蜜月は終了する。
そこに再び勢力を伸ばそうとする旧邪馬台国主流派勢が加わり、事態は今度は、
九州狗奴国&旧邪馬台国勢と、畿内大和国勢の戦いの様相を呈していく
結局、九州狗奴国&旧邪馬台国勢が推していた、初代天皇が旧邪馬台国の豪族の娘との間に作った子
カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が勝利して「大和」の天皇となり、
そのことを切欠に、九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体であった倭は、
九州狗奴国&旧邪馬台国による「大和の天皇」が納める日本国・大和政権へと変貌していく
572名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:45:27.52 ID:qsqg2hYQ0
>>570
なんなど田舎に出雲大社がある不思議だよね
日本古代史では九州と山陰の関係が無視される
573名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:46:35.91 ID:cFuo6n2i0
ちょっと凝り過ぎだろ。
574名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:53:37.84 ID:qsqg2hYQ0
地名は歴史
地名に九州が邪馬台国だった事が残っている
大分の耶馬溪とか山水画の世界
九州と近畿に同じような地形で名称が多いのは
神武天皇が東征して大和朝廷をつくったから
575名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:56:37.23 ID:qsqg2hYQ0
神武天皇は卑弥呼の弟です
576名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 04:58:10.02 ID:cFuo6n2i0
皇族の始祖は、
長い旅をしてきた、九州南端から、
アマテラスの命によって、

ってのをまとめると、
天照大御神の命によって九州南端に天孫降臨し、
神武東征して国譲りの確認を行ったという、

皇族の男系始祖の起源神話でしょ。

もとは母系部族社会だったのが嫁入りによって、
男系化したんで男系始祖の起源神話が生まれたんだと思うよ。
577名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:01:57.37 ID:qsqg2hYQ0
>>576
母系文化というより村や町レベルの話では?
中国人でも韓国人でも第一子に女が産まれてきたら悲しむ
578名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:04:49.37 ID:qsqg2hYQ0
中国人は女が産まれてきたら友愛するんだよ
579名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:05:03.72 ID:cFuo6n2i0
だから、もともとは結婚とか嫁入りとかないんで、

うちの娘が子供を産んだら当然、
その子供はうちの子供になるんだよ。
だから母系になるわけね。

嫁入りして嫁いできた娘が子供を産むようになると、
その子供はうちの子供になるんで、男系化するんだよ。
つまり、嫁入りによって劇的な変化が起こるんだわ。

母系部族社会から、男系氏族社会に変化する程度の激変ね。
580名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:08:16.67 ID:y4bgPb8z0
>>562
神様だから。
イザナギが川で穢れ落としした時に生まれたのがアマテラス、ツクヨミ、スサノオの三柱。
どうしてそれで生まれるのかと言われても神様だからとしか言いようがない。
581名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:08:24.38 ID:qsqg2hYQ0
>>579
外孫と内孫と区別するよな
母系ではない
アホかお前
582名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:11:36.67 ID:cFuo6n2i0
嫁入りという文化的な行動が起こる以前には、

そもそも女性が生まれた共同体を移籍しないから、
女性は自分が生まれた共同体で子供を産むでしょ。

それがつまり母系なんだよ。
その段階では、そもそも母系も男系も意識しない。
うちの娘が産んだ子供なら当然、うちの子供になるだけよ。

嫁入りという女性の共同体移籍と、
嫁いできた娘が産んだ子供はうちの子供になると言うのは、
文化的に、あとの話なんだよ。
583名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:11:57.69 ID:qsqg2hYQ0
>>580
マリア様が処女でイエスキリストを産んだのと同じか・・・
584名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:20:51.92 ID:qsqg2hYQ0
>>582
母系社会というのは男子あってからのこと
お前さっきから母系、母系うざいんだよ
何がいいたいんだ?
585名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:21:00.95 ID:cFuo6n2i0
ちなみに母系の文化が残ってる社会の場合、

男性は通い婚や婿入りだったりして、
財産の相続権は長女が継承したり、

子供にとっては父親よりも、
母親の兄弟が大きな影響力を持ったりとか、
考えると分るけど、とっさには判断できない構図になってる。
586名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:21:02.98 ID:guzJ8Zhl0
なんか急にスレが劣化したと思ったら、
こないだどっかのスレ荒らしてたレス師がきてるようだな。w
こいつはしつこい
587名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:23:24.55 ID:qsqg2hYQ0
このスレは母系文化に占領されますた
588名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:24:59.91 ID:cFuo6n2i0
古代の日本は通い婚や婿入りで、

嫁入りするようになって部族連合が形成されてきた、
って言ってるだけだよ。
589名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:27:11.31 ID:y4bgPb8z0
>>583
多神教において神様が生まれるというのは現象が発生するようなもの。
特に自然神の要素を濃く残しているものはね。
神様は自然現象だけでなく過去にあった事件で活躍した人物の事跡の記憶などが合わさっ
ているので、行動に人間的な描写も入り混じる。
だから、神様にはイザナギとイザナミが交わってイザナミの腹から生まれたものもある。
その最後の神はカグツチ。全身が炎に包まれた神様で生まれる際にイザナミを焼き殺して
しまった。
これなどは人間的な出産と非人間的な赤子が混じった話だ。
日本の神様は人間みたいに生めるし、目をこすったり身に着けていた物から神様を生むこと
もできる。
590名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:29:32.23 ID:cFuo6n2i0
大国主の駆け落ちってのは、
ここが大きな変化のきっかけになってるんで、

わざわざ古事記で言及されてる意味があるんだわ。
591名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:31:53.04 ID:qsqg2hYQ0
>>589
炎で包まれた神様って不動明王の事かな?
俺、まじであの神様のおかげで助かったんだよ
信じる信じないは勝手だけど引っ越した家が化け物屋敷だった
592名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:43:29.12 ID:cFuo6n2i0
中国だって漢字で姓と書くだろ。

もとは女の生まれが部族の名だったのが、
男系化して氏族になっただけじゃないのか。
593名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:58:35.72 ID:y4bgPb8z0
>>591
不動明王は密教で大日如来の化身。
インド神話から仏教に取り込まれた神。

カグツチは火の神で、イザナミの死に怒り狂ったイザナギによって八つ裂きにされた。
その血と死体から様々な神が生まれている。
秋葉山秋葉神社が有名で、そのお札は火除けとして火元に貼られる。
594名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 05:58:37.57 ID:rCE87czK0
女太刀卑弥呼
595名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:04:31.61 ID:qsqg2hYQ0
>>593
あの神様の力はすごいよ
大日如来なのか
成田山系?
うちはなんまんだぶなのでよく分からないが
神様は実在するって思うよ
596名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:04:58.86 ID:JJOrdTOS0
>>571の続き ここからが重要でクライマックスだ

【狭穂彦王の叛乱と大和の天皇の決起】
それからしばらく、 倭は、代々の九州狗奴国&旧邪馬台国による「大和の天皇」が納めていたが
11代目の崇神天皇の時、纒向珠城(たまき)宮に遷都して、その4年後に、妻である皇后の兄が
皇后に天皇を暗殺させようとするという大事件が起きる。皇后は傍らで寝ている崇神天皇に対し
一度は刃を向けるが、腹に天皇の子を宿していることに気が付き、目覚めた天皇に全てを語った後
兄の元に逃れてしまった。しかし、天皇は皇后を深く愛しており、その腹には子もいるので、
穏便に済まそうとしたが、その処分に対して、九州狗奴国&旧邪馬台国は、謀反を起こした者は
兄共々討伐せねばならないと頑強に主張し、兵を差し向けることを決定してしまう
天皇はその兵の中に、自らの息のかかった者を忍ばせ、皇后と子供の奪還を命じるが
皇后は自らの罪の重さを自覚して奪還には応じず、産まれた子のみを兵に託す
兵から子を渡された崇神天皇は、自分の無力さを嘆き、九州狗奴国&旧邪馬台国に対して決起することを誓う

【大和の天皇の軍事クーデターの実行(九州巡幸)と実権の完全掌握(ヤマトタケル)】
狭穂彦王の叛乱より、決起の時期を伺っていた11代目の崇神天皇は、その機会恵まれず、
第3皇子である12代目の景行天皇に、全てを託して世を去る
景行天皇が即位して11年目に、周防国で小さな謀反の報を受けると、天皇はいよいよ決起して
これを征伐するという理由をもって、8月に天皇自ら西下し、
九州狗奴国&旧邪馬台国勢に対しての軍事クーデターを敢行する。
天皇は、九州狗奴国&旧邪馬台国勢を次々に撃破しながら、11月にようやく、九州狗奴国の本拠地である日向国に入り
ついに、軍事クーデターを成功させ、日向高屋宮を建て、大和に帰還する
しかしその6年後、逃げ延びて密かに力を蓄えていた九州狗奴国と旧邪馬台国の残党が、再び九州で謀反を起こし
景行天皇は完全討伐を命じて、第二皇子ヤマトタケルを向かわせ、ヤマトタケルは命の通り、
それらの残党をことごとく討伐して、天皇は名実ともに、日本の実権を完全に掌握する
597名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:11:43.06 ID:RD+MZU1G0
邪馬台国=日本全土
だからあちこちでそれ関連のが見つかってる
邪馬台国は想像するよりでかい国だったんじゃないか
598名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:17:12.50 ID:cFuo6n2i0
倭人たちの国がいろいろあって、
大和連合化したんでしょ。
599名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:20:08.02 ID:/IJPpS7p0
月氏国というのは後世の記録では「月支」国となっていたそうだ
よくこの字を見て欲しい
「日本」の対義語じゃねえか?
日本の国号って西の月支に対応するものとして命名されたんじゃね?
600名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:20:19.80 ID:qsqg2hYQ0
>>596
読んでいたら気持ち悪くなった
知らないほうが幸せな事もあるのだな
601名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:23:21.90 ID:/n5XSAeI0
研究成果とその成長を、支那韓の文献や批判に振り回される必要はない。
その研究成果は、研究の元(名称など)が国史から出ている以上、
あくまでも日本の国史との比較で、その整合性を問うて整理する事が肝要。

しかし支那の文献、南北鮮の批難中傷も無視抹消するのではなく、
副次的な参考として楽しんでも良いだろう。
それが日本の未来志向だ。
602名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:28:47.66 ID:JJOrdTOS0
>>600
あの『平清盛』よりは、マシな大河ドラマに出来そう・・・かな(^_^;

最後は天皇が完全勝利でバッチリだし・・・(^_^;
603名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:32:34.87 ID:wVUVkIUQP
>>591
不動明王は密教で出現した尊格だからなー。
密教が形成されたのは5世紀ころの北インドや中央アジア東部だが、
不動明王などが属する明王の仏像や仏画が認められるのも、
北インドや中央アジア東部でも7世紀ころ。
密教の断片が日本に伝来したと思われるのは早く見積もっても7世紀初頭くらい。
神話の成立時期とは合わない気がする。
604名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:37:51.65 ID:JJOrdTOS0
んでね

これを聖徳太子役の役者が、法隆寺で誰かに話し聞かせる・・という形でストーリーを進めていくの

大河ドラマの題名はズバリ『日出ずる』

なーーーんてね(^_^;
605名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:39:34.70 ID:qsqg2hYQ0
>>603
仏教は自分の家が浄土真宗なのに全く知りません
サッカーのエンブレムで三本足の烏が使われてから
「なんだこれは」と調べ始めたのです
調べていたら日本の歴史がある時期からすっぽりと抜け落ちているのに気が付きます
606名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:42:28.16 ID:/IJPpS7p0
皇祖五神と対になる宗像三女神が宗像で祀られてるわけだろ?
そして最初の客観的日本国王は、金印で有名な博多の王である
そして天孫降臨の地は宮崎・熊本にある
なぜ邪馬台国の九州説を近畿派はやっきになって否定したがるのか
近畿は九州に実は相当のコンプレックスがあるのではないですか?
607名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:43:24.25 ID:72RubmE8O
やっぱり邪馬台国は九州だよな。
畿内にあったのはタカミムスビ=高木神が天下って云々て日本書紀にも書いてあって
やっぱり九州から来た天照の裔に降ったって書いてあるし
畿内に大国があったって記紀のままに認めた上で九州(日向国→豊)は素直に成り立つんだよな
608名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:49:54.66 ID:wVUVkIUQP
>>605
むしろ真宗だから仏教の歴史を知らないのかも。
浄土真宗は「選択的一神教」といわれ、仏教の中でもかなり排他的で、
他の宗派に関して不寛容だからな。
阿弥陀如来と観世音菩薩と法然、親鸞、蓮如などの諸祖師以外はシカトだから。
609名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:54:00.37 ID:xDJ2C6780
>>596
纒向の数百メートル南東に水垣の宮をつくられた第10代の崇神天皇などは
上記の研究の結果『ミマキイリヒコ』と言われたことから
朝鮮半島から九州に上陸し更に歩を進めて畿内の進出し、大和に在った
邪馬台国を征服し 勢力下に治め、大和朝廷の原型を完成させたと言う学者も
多数います。

『イリヒコ』というのは当時の主流であった女王に仕える婿養子の男王と
いうことです。
610名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:54:22.75 ID:qsqg2hYQ0
>>608
同級生に住職の息子がいてお布施でパチンコしてた(´・ω・`)
611名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:54:25.22 ID:/IJPpS7p0
考えて見れば世界史の表舞台に日本が登場するのは
モンゴルを博多軍が打ち破ったのが最初だし、
江戸時代に最先端の西洋文明を受け入れたのも長崎であるし、
江戸幕府を滅ぼし、京都と東京を征服したのも鹿児島であるし、
西洋の植民地世界支配を終焉に導いたアジア主義の本拠地も福岡であるし、
2chの九州叩きには日本の歴史を世界レベルで動かして来た九州への、
所詮国内しか頭にない田吾作どものルサンチマンを感じる
612名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:55:06.49 ID:wVUVkIUQP
畿内説にも九州説にも、どちらにも合理的なところもあるし、
矛盾しているところもあるから、九州に違いないとか畿内以外はあり得ないとか断定することは、俺はできないわ。
613名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 06:59:00.41 ID:xDJ2C6780
卑弥呼や台与の邪馬台国との関係性もハッキリ示せない正史も
ワケあり満載ですが、その現在の皇室の祖先とは関係の無い
邪馬台王朝のように、万世一系とされる皇統にも実は、『イリ王朝』
『ワケ王朝』等、天皇とされる系統には何系統が存在し
万世一系ではなく、何回か交代をしている説が一般的です。
専門家のよっては『古王朝(崇神・成務・仲哀)』『中王朝(仁徳以降)』
『新王朝(継体以降)』などです。
専門家の中では常識です。
614名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:00:36.02 ID:t8ZRp4Hr0
>>565
まぁしかし脳の出来(遺伝)は母系優勢だそうだから
キミが男でも女でも母親の出来=自分の出来なんだよ
615名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:01:58.75 ID:qsqg2hYQ0
>>611
あれってモンゴルじゃないよ
挑戦だよ
日本政府は隠しているが弾薬の堤からわかってる
616名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:03:03.70 ID:WRhulRwGO
>>611
別に九州を貶める気はないが、元寇にせよ長崎出島にせよ、
中央政権が九州の地を防波堤として使っていただけで、九州の人たちが
主導的に歴史を動かしたわけじゃないからな。
617名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:03:47.84 ID:L7GSX32K0
九州説の団塊サヨクが朝から必死だね
現実逃避か
民党惨敗で、心の友中国は自衛隊にレーダー照射
海江田は政府の姿勢正すと言うも、サヨク民主党3年間レーダー照射隠蔽
2chすら居場所ないもんな
次は何処行くの?
618名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:06:47.50 ID:/IJPpS7p0
ま、ぶっちゃけ邪馬台国って碑文でも出て来ないかぎり予測でしかない
ギリシアとかユダヤの遺跡って考古学発掘全盛時代に、安易に
古典に出て来る地名をこれだと決め付けまくったせいで、現在その修正するにも大変らしいぞ
最初の学説がいい加減な比定だと分かり切ってて、もっと必然性が高い合致があっても、
それを覆すには確実な証拠が求められるわけで、間違ってるだろうなあと思ってても、そのまま定説になってるのが多いそうな
619名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:07:19.60 ID:wVUVkIUQP
>>615
元寇に朝鮮が加わっていたことを日本政府が隠しているっのは初耳だ。
極当たり前に語られている話だと思うが?
たぶん教科書にも書かれていると思う。
620名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:09:55.96 ID:qsqg2hYQ0
>>619
みのもんたの番組でみなかった?
嘘ばっかりのテレビだがあれは本物だった
621名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:13:26.91 ID:wVUVkIUQP
>>620
んなもん誰が見るかよ。
ミノとか聞いただけで虫酸がはしるわ。
622名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:14:58.33 ID:xhk0YF3r0
纒向は崇神、垂仁、景行のいずれかの時代の遺跡だろうから
邪馬台国畿内説は邪馬台国=崇神〜景行朝ということになる。

ただそうなると倭人伝の記事と、記紀が伝える崇神〜景行の事跡が合わない。
たとえば
■国中が乱れたので女王を共立したら収まった。
■女王の死後また乱れたので少女を共立して収めた。

要するに倭人伝の記事は信頼できないと言うことになる。
(記紀の信憑性は纒向の発掘により高まった。)
だから、畿内説なら卑弥呼は「いない」という結論になるのではないか?
623名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:17:46.45 ID:qsqg2hYQ0
>>621
まぁ、大和民族というのは
西日本というのは確かだ
624名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:21:28.98 ID:xDJ2C6780
>>618
そもそも九州説にしろ、邪馬台国や卑弥呼を蔑視するのも、その起源は
本居宣長が 「現人神の天皇がおわす日本が中国に朝貢などしてたわけが
ない! 」 という思い込みで、
「邪馬台国は九州の小国で卑弥呼は女酋!大和朝廷とは一切関係ない!!!」
と意味なく断定したことで始まったのです。
ややこしいヤマタイ国という呼び方自体も、本居宣長が故意に読み替えるまでは
素直にヤマトと読んでいたのです。
625名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:31:25.29 ID:xDJ2C6780
>>622
日本書紀はその問題を明確に意識して編纂されています。
神功だけ皇后記を特におき、魏志倭人伝から卑弥呼の話を引用しています。
卑弥呼=神功皇后と読者に思わせて、お茶を濁そうとだけして
他方で明言は避けています。

古代は倭郷の地の土着豪族の娘の婿に天照直系の王子を婿入りさせ
国体の基礎神とも言える国土神の神威によって、国をおさめめようと
しました。その頃は入り婿した副王として男王としての存在です。
その男王が後に天皇と記述されていくわけなのですが。
飢饉や天災や中央での政変があれば大物主や倭神に祈るしかありません
でした。
626名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:37:45.08 ID:qsqg2hYQ0
>>625
母系社会論者のおまえ
いい加減にしろよ!
627名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:45:44.08 ID:KVZTp4Nj0
倭人伝は、少なくとも松浦までは、公里の1/6で書かれている。
当然それから先も1/6で読めば、熊本南部になる。

それ以外に特殊な読み方は必要ない。
628名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:46:46.17 ID:yUuWhaJwO
関西で邪馬台国畿内説を熱烈支持してる奴は実は表向きは少ないんだよね
つかあんましお国自慢的な事全国に公言するのを恥として躊躇う気風が強い
内心期待しつつむしろ畿内説の弱点を論理的に解説したがる傾向がある

逆に何ら恥じらいなく声高に九州説を強弁する九州人にはどん引きしてる
「え〜もう別にどっちでもええやんみっともないな」っていう感じ
629名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:51:37.90 ID:KVZTp4Nj0
記紀は金印を知らない。

記紀を編纂した役人は、漢籍を参考にして、
金印の存在は知っていただろうが、

大和朝廷に実物も伝承も伝わっていないため、
かきようがなかった。
630名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:52:04.70 ID:/IJPpS7p0
と、恥らう素振りで相手を貶める、慇懃無礼という奴だねw
631名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:55:17.21 ID:7jcvjdIV0
松浦だけは昔も今も松浦なんだな
632名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:56:13.34 ID:KVZTp4Nj0
行程論で畿内にいく方法は全くない。

松浦までは短里、正しい方向で、
松浦から公里、南を東に突然チェンジしなければならない。

そんなチェンジが可能なら、日本中どこでも行けてしまい、
畿内でなくても良い。
633名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 07:59:38.20 ID:9ufpLvAC0
>>622
各専門家の見解を見る限り、寧ろこの年代の記紀の信憑性って寧ろ益々低くなってるだろ。元から全く信憑性ないけど
634名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:02:17.95 ID:qsqg2hYQ0
>>632
海がない奈良を考えれば奈良は消える
この動画が信憑性ある
http://www.youtube.com/watch?v=RciEIpyYq-o
635名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:03:51.23 ID:/IJPpS7p0
元から全く信憑性ないってのはないよ
そういう態度が一番いけない
636名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:03:57.42 ID:lXCTIL+o0
>>626 ID:qsqg2hYQ0

お前が言ってることが無茶苦茶だわw
637名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:06:57.42 ID:KVZTp4Nj0
九州の景行天皇の事績から推測すると、
それらの事跡は4世紀当たりということである。

景行天皇の参考となった人物はその頃の、
九州を席巻した豪族であろう。
638名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:07:05.20 ID:m89GbbIV0
>>626
初代のイワレ日子から十四代くらいまでは625さんの言う通りじゃないか。
639名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:07:20.94 ID:yUuWhaJwO
>>622
そう、書紀に絡めて畿内説を掘り下げると現時点ではどうしても卑弥呼の存在が邪魔になる

卑弥呼さんは九州に居て貰った方が正直何かと都合良かったりする
640名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:10:46.38 ID:qsqg2hYQ0
>>637
九州の豪族と言えば熊本の菊池だ
641名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:13:18.95 ID:CaEpG0vf0
>>626
もともと日本は女帝の国だったんじゃなかった?
卑弥呼とか。
642名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:14:35.93 ID:qsqg2hYQ0
>>641
卑弥呼が女という証拠は?
男かもしれないじゃない
643名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:14:44.48 ID:T3XbPN60O
>>639
記紀が卑弥呼の存在を(自分達が持つ史料や伝承の中で)認識していなかったか、敢えて表に出したくなかったのはほぼ間違いないよね
それか実在していない=巍志は嘘という結論になる
だとすると何故わざわざ中国人は嘘を書いたのか。はたまた記紀編纂者は存在を隠そうとしたのか

お前らの妄想を聞かせてくれ
644名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:16:41.65 ID:LkLuf7EH0
>>641
双系ともいわれるけど双系どころか『記紀』『風土記』みるだけでも日本国中小さいクニの女王だらけ

九州の神夏磯姫に和歌山の名草姫に荒川戸辺に丹敷戸辺に・・・・きりがないわ

おまけにその代表格が邪馬台国の卑弥呼に台与だからね
645名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:18:32.45 ID:T3XbPN60O
>>642
たしかに。でもなんでわざわざ巍志は女だなんてことにしたんだろうな
巍志編纂者は邪馬台国まで来てない、要は伝聞だけを基に書いたなんて説もあるんだけど
にしても女首長が居るって風説だけはあったわけでね

色々想像出来て面白いよな
646名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:21:27.75 ID:qsqg2hYQ0
>>643
俺の妄想でいいなら…

卑弥呼は大陸から渡ってきて九州を統治していた霊能者でアマテラス
弟が初代天皇の神武天皇
647名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:22:25.87 ID:M/ELyL03P
>>643
卑弥呼・邪馬台国はあくまでも3世紀の帯方郡の使者の報告書によるものだからね。
9世紀の記紀の編者からすれば、昔の記録が焼けてしまった以上、誰に相当するか
認識できなかっただろうね。だから神功皇后を創作したんだろうね。
648名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:24:00.57 ID:izyxHvJw0
>>646
朝からアホが全開かww
649647:2013/02/07(木) 08:26:55.97 ID:M/ELyL03P
9世紀×
8世紀○
650名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:27:15.73 ID:yUuWhaJwO
>>643
記紀編纂時には普通に訳わからん状態だったと思う
邪馬台国も卑弥呼も倭国大乱もうちに伝わる伝承となんでかどうしても繋がらないし
まるっとスルーした方がいっそ丸く収まるよねって感じなのが実際のとこじゃないかな?
651名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:27:23.98 ID:qsqg2hYQ0
>>648
アホでいいんだよ
真実は誰も知らない
古代の歴史なんかゼニゲバ学者が勝手に捏造してんだし
652名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:29:15.09 ID:KVZTp4Nj0
久留米から八女、大牟田に至る筑後南部は、
久留米高良大社の豪族と、熊本北部の菊池氏の前身に当たる豪族で、
取り合っていたのではないかと思う。

弥生期以前に進んでいたらしい海退期に、
広大な農地が生まれているからである。

岩戸山古墳も熊本文化の色が濃い。
653名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:29:55.66 ID:xDJ2C6780
宮内庁管理の陵墓を発掘できたらいいんですけどね。
質と量とも価値の高い有益な遺物が出てくるでしょうね。

でも天皇陵発掘は日本人にとってパンドラの箱になりかねないような気もします。
654名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:33:58.47 ID:qsqg2hYQ0
>>652
筑後は色々と歴史深いね
邪馬台国は30の国を治めていたので筑後だけじゃなく
九州北部と思う
655名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:39:05.31 ID:KVZTp4Nj0
筑後南部には、上妻、下妻の地名がある。
ひょっとしたら、ツマ国ではないかと考えないこともない。

まあ、話半分で留めているが。
656名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:40:22.80 ID:qsqg2hYQ0
>>655
朝倉に高木神社がある
あそこの神社が全てを知っているよ
657名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:40:40.58 ID:yUuWhaJwO
>>653
期待裏切って悪いけどたとえ宮内庁が全面許可して全陵墓発掘調査したところで
さして歴史を書き換える発見など無いよ絶対にね

あらかた盗掘されてるしたとえ未盗掘でも中国みたいに
被葬者を識別できるような文書遺物などをそもそも埋葬する習慣自体がなかったのよ倭国には

まぁ江田船山や稲荷山は例外中の例外
658名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:47:49.80 ID:nmx0pIcp0
>>625
祟神天皇、垂仁天皇のところを読むとまさにその通りなんだよな。
宮中内での神の祀り方が間違ってるって両天皇が大倭の神様にドエライ目に
遭わされてるもんな。
天照大御神の皇孫がただの大倭の土地神に怒られてるんだから天皇のお立場は一体・・
と思ってしまった。
659名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:50:34.29 ID:pFgC12EK0
>>658
邪馬台国の神様って怖かったんだね
660名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:50:44.29 ID:KVZTp4Nj0
高木神社というのは、イザナギ、イザナミより古い時代の、
高木神を祀っているのかな?

高木神の子孫の思兼神と、八意神、武内宿禰が、
高良大社に祀られているのを思い出した。
661名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 08:56:28.41 ID:qsqg2hYQ0
662名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 09:18:54.73 ID:72RubmE8O
奈良に攻め入ったのがミマキイリヒコつーなら、ミマキがまんま地名か美称ミ+マキかは知らんが
イリヒコを「婿入り」って無茶だわなw
素直に「攻め取った」+「彦だか日子」だろよっと

母系とか婿入りとかいい加減に飽きた
663名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 09:33:40.26 ID:mbJbz0tV0
奈良県高市郡の豪族が天武天皇ですか
天智天皇の天と武で体を表したかった
古事記で歴史曖昧にしたのがきっかけかも
664名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 09:35:45.86 ID:qsqg2hYQ0
エノク文字も出てこないね
文字の解読もできない学者だらけ
665名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 09:45:45.27 ID:38gyixS/0
>>662
つ//search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%A9%BF%E5%85%A5%E3%82%8A+%E5%8F%A4%E4%BB%A3%E3%80%80%E5%A4%A9%E7%9A%87&amp;amp;aq=-1&amp;amp;oq=&amp;amp;ei=UTF-8&amp;amp;fr=sb-kingbrw1&amp;amp;x=wrt
666名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 09:51:11.15 ID:fsl5FhXa0
>>664
霊能者w 
オカルト板へ帰れよw

オメーの頭の中はウジ虫だらけw
667名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 09:58:07.65 ID:72RubmE8O
>>491
>出雲大社なんてただの家

あれが高く高く作る設定になったのは、状況によっては灯台の役割をさせる目的があった。という説は好きだな
668名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 10:03:38.84 ID:pHOExOmk0
そもそも 伊都国糸島説こそ あやしからん

魏書東夷伝曰く、末蘆国の東南500里は唐津から鉄道唐津線にそいて佐賀平野なり。
そこに伊都国・奴国・不彌国あり。南有明海に面す。ここまで帯方郡から1万500里〜1万700里。

此処よりおよそ南方へ短里1500里〜1300里(約100km余)に、邪馬台国あり。←熊本県に相当すべし
その中に卑弥呼の都あり。←史跡の語るに 火の国臼杵郡知保郷ならん(上知保郷=西臼杵郡高千穂町)

此処には上古より、お隠れになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 西の宮 あり、
また、お出ましになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 東の宮 が鎮座ましまする。

されど記紀いわく、高天原・日向三代は天上の神話なれば、現世地上に神々の御陵あるはずもなく、
故にこの二社はご皇室・国家の御参詣かなわず、火の国の土豪衆民にて祀り来たれしもの也。
669名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 10:07:26.79 ID:hpX7Yxoy0
>>2
おもしろカッコいいぜ
670名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 10:21:33.91 ID:T2zKzJ6LO
>>657
かなり盗掘されてるだろうし、副葬品が発見される可能性は低いとは思うけれど、何ひとつ発見されないとは言い切れないだろ
まあ、調べてみたら何も無かったという場合も有り得るが、逆に何か見つかる可能性だってある
671名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 10:28:50.70 ID:4EQ8NGhk0
美術的には価値が無くとも史料的には価値があるものが出る可能性とかね
遺体を打ち付けた杭とか出たらとか夢が拡がりんぐ
672名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 10:34:33.70 ID:hpX7Yxoy0
卑弥呼(日巫女)と日食が天照神話のモデルなんだろうな
当時の日食は九州で起きたことは確定してるので、天照(日巫女)の勢力は九州地盤

スサノオは出雲に拠点を置く勢力で天照(日巫女)と対立、和平のための政略結婚で五男三女を生む
三女は九州に祀られており、長男の息子はニニギノミコトで宮崎に地盤を築く
ニニギの曾孫がカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)で東征を行う

卑弥呼の拠点が奈良だとつじつまが合わないよ
673名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 10:46:25.71 ID:qsqg2hYQ0
>>672
要約してくれてありがとう
自分が不思議に思うのは何故に無理やり奈良にしようとしているのかだ
半世紀前までは普通に九州説だった
674名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 11:04:41.97 ID:KiJtSVUZ0
>>442
それは黒木香では
675名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 11:08:49.91 ID:pHOExOmk0
>>673
せっかくのところだけど、九州説にも奈良説を防げるだけの説得力が欠けていたんじゃないかと。
半世紀前の九州説といえば、伊都国糸島説でしょ。
それでは方向を捻じ曲げた点は奈良説と同じで、あとの行程が長いか短いかだけのこと。

しかし魏書東夷伝を素直に読めば、唐津の東南、陸行五百里の佐賀平野に伊都国は有ったはず。
そして伊都国・奴国・不彌国も佐賀平野に並んでいた。それがホントの九州説らしさじゃないの。
九州説もそこから再出発してはどうかなあと思う。
676名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 11:20:46.35 ID:qsqg2hYQ0
>>675
自分でも呆然としている
邪馬台国は九州が定番だったのに
いつのまにか奈良になっている
本当にびっくりするよ
九州から移動しただけで同じ民族だから許せるが
邪馬台国が東北説とかなら絶対に許せないからな

>伊都国・奴国・不彌国も佐賀平野に並んでいた。それがホントの九州説らしさじゃないの

地名に歴史が残るからね
邪馬台国は鹿児島と熊本南部、宮崎南部を排除する九州一円と思う
677名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 11:32:06.94 ID:qsqg2hYQ0
地名の歴史と言えば大分の耶馬溪は邪馬台国の名残かな
風光明媚な山水画のような場所は日本でもここだけと思う
だが大分は村山富一を排出したので大嫌い
678名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 11:48:52.51 ID:yUuWhaJwO
>>670
天皇陵から墓碑銘や被葬者事績銘入剣なんかが出土すればそりゃ世紀の大発見なんだろけど
首捻りたくなる程そんな遺例は皆無

あれ程高度な古墳築造技術を有しながら
被葬者銘を後世に遺そうって意志がかけらも感じられない副葬内容は何なんだろうね
わざと隠そうとしてるのかそういう事自体に価値を見出さなかったのか

日本でそういうのに力入れるのは薄葬令以降の太安万呂や小野毛人墓碑銘が初見なんだよね
679名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:01:27.65 ID:bnClt0R60
どれくらい教科書が変わるのか楽しみだな。そもそも九州説って一体何だったんだろうな。
680名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:02:26.28 ID:L7GSX32K0
>>678
ピラミットだってそうなんだから
案外そんなもんなんじゃね?
681名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:11:51.73 ID:yUuWhaJwO
>>680
同時代の中国陵墓なんか盗掘後でも歴史資料のタイムカプセルだよ
古代朝鮮陵墓ですら日本のそれとは比べ様ないボリューム

東アジア限定でもそんなもんでもないんだよ
682名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:15:27.81 ID:pHOExOmk0
>>678
最近の地質ボーリング調査によると
卑弥呼の時代、九州東岸では巨大地震・巨大津波があり、当然その余震も続いていたらしいらしい
それはスサノオと天照のいさかいに読み取れなくもない
つまり突然の巨大古墳出現は、地中・海中の神々の怒りを鎮めるためだったのではないか
そう考えると、当時は墓誌など埋める理由は薄かったのかもしれない
683名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:15:37.39 ID:wVUVkIUQP
>>676
九州は支那方面からのゲートウェイになるわけだから、
ゲートウェイの地名は記録にでてくるだろう。
だからといって、邪馬台国がゲートウェイの近く(九州)に
あったかどうかは別の話。
現実に、「水行二十日」とか「水行十日 陸行一月」とか、
そのゲートウェイとして登場する地名から、邪馬台国が
かなり遠方であったという推測が可能な記述がある。
例えば、現代なら外国から日本に旅行に来た人のブログには
千葉県(成田)の地名が登場するだろうけど、だからといって
外国人旅行者の目的地が千葉だったわけじゃないのと同じ。

また、隋書には『都のあるヤマトとは、魏志にいうところのいわゆる「邪馬臺」のことである』
と書かれているし。
684名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:24:13.70 ID:6kjW/EX60
卑弥呼は魔法少女だったんだから
Q兵衛に聞けばいろいろ教えてくれるだろ
685名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:28:13.06 ID:pHOExOmk0
>>683
>隋書には『都のあるヤマトとは、魏志にいうところのいわゆる「邪馬臺」のことである』

都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也
都をヤマトにおく、魏志に言う処のヤマタイなる「者」なり、となっている。
「者」は場所でなく明らかに権威を指している
つまり、
現在の日本の東京都は、江戸時代の京の都の権威にあたる、といってるに等しい。
686名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:30:42.20 ID:zWDmu2IiP
>>628
そそ。
元々京都奈良大阪の人たちは邪馬台国なんかどうでもいいと思ってる。
日本という国が奈良&大阪から発祥して、京都が都だったという事実だけは
変わらないから。
687名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:32:12.18 ID:Y1fH6bPYP
>>683
ゲートウェイである伊都国を中心に各国の方角と距離を当てはめれば
全部九州内に収まるという説があってわりと説得力ある
688名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:35:29.10 ID:RNlbz6qoP
お前らが九州の地名ばっかり言うから、黒霧島のCMを思い出して呑みたくなってきたわ
689名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:37:35.25 ID:Y1fH6bPYP
>>686
どっちかと言うと畿内の連中が声高に割り込んできたという印象が強い
690名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:40:00.78 ID:wVUVkIUQP
>>685
現代の中国語でもそうだけど「者」は別に人間とか権威とかを示すだけにつかわれるわけじゃない。
日本語の「●●のこと」。英語なら「mean」と同じ用途で使う。
「邪馬臺者也」は「邪馬臺のことである」「It means the YAMATAI」と訳すべきだよ。
691名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:43:57.85 ID:yUuWhaJwO
正直纏向は巍志の邪馬台国とは別物だと思う
記紀崇神朝以降の記述にある程度整合性持たすなら
邪馬台国はあへて繋げず纏向を応神へと連なる皇脈の基盤舞台とみなし事績を紐解く方が
色々考察の邪魔が省けるんだよね

記紀編纂スタッフも隠蔽とかじゃなく多分同じ思考に至って邪馬台国をあへてスルーしたんだと思う
692名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:45:03.45 ID:bbtrjdKu0
>>686
少なくとも大阪は発祥じゃないぞw
693名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:45:56.42 ID:pHOExOmk0
>>690
It means ならば、邪靡堆と邪馬臺の場所は同じ、とは断言できないだろ。それをいいたいわけだ。
694名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:47:16.41 ID:qsqg2hYQ0
申し訳ないが邪馬台国って土人の世界だっと思うんだ
奈良が土人を引き取るって?
695名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:51:36.60 ID:L7GSX32K0
>>692
大阪に宮があったことがあんじゃね?
696名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:52:07.00 ID:wVUVkIUQP
>>693
いや、場所をさしていることは確実。
「都於邪靡堆」の「於」は物理的な場所への存在を示しているわけで、
その物理的場所としての邪靡堆が邪馬臺のことであると述べているんだから、
邪靡堆も邪馬臺も物理的な場所だよ。
697名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:53:48.74 ID:yUuWhaJwO
>>692
河内王朝のことじゃね?
698名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:55:09.65 ID:SXMF8y0/0
>>686
奈良のツレは
「田舎とか言うな元首都だぞw生粋の都会っ子だ。
お前らこそ純粋な田舎もんだw」
ってネタで言うw

でも卑弥呼とか興味なし
699名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 12:57:46.47 ID:pHOExOmk0
>>696
都於邪靡堆、則魏志所謂邪馬臺者也

邪靡堆には於がついてるけど、則魏志所謂邪馬臺者也には於はついていない
700名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:00:43.75 ID:skuBPMnw0
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛命
弟王=崇神天皇
纒向遺跡=磯城瑞籬宮

以上が今のところ最有力ってことでいいのかな
701名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:02:37.29 ID:KiJtSVUZ0
>>700
1番下のは有力じゃなくて事実
女王の都=纒向遺跡(磯城瑞籬宮)
702名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:04:38.91 ID:GamCfv7O0
気にするしない、以前の問題で、

距離と方向は一致せず、弥生遺跡の少ない奈良に、
なんで邪馬台国があると思ったんだ?

同時期の古墳や墳丘墓は、日本中に腐るほどあるだろ。

いや、時期を考えれば、弥生期の古墳や墳丘墓も、
奈良以外の方が多いだろ。
703名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:07:57.53 ID:KiJtSVUZ0
>>702
古墳が沢山あるということは重要ではない
邪馬台がヤマトと読めることと、記紀によればヤマトが日本の中心だったって事が大きい
704名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:08:56.98 ID:L7GSX32K0
>>702
通常、まずその資料が検証が出来てるいるものかどうかから入るんじゃね?
705名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:11:05.86 ID:v+3wDp+80
>>628>>686
なんでこのスレで

「九州人が執着してるだけで、自分達はどうでもいいと思ってますよ〜 ホントこまったもんですわ〜」

みたいなガキのアピールしてんだよw
こっちが関西人のいやらしさにドン引き
706名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:16:20.14 ID:yUuWhaJwO
>>705
それそれ、そういう野暮で不粋なレスは逆に九州説の足を引っ張るから今後はやめれ
707名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:21:26.15 ID:v+3wDp+80
>>706
野暮で無粋なのはどう見てもおまえだろ
708名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:27:53.60 ID:M/ELyL03P
>>702
弥生期の古墳?はともかく、弥生墳丘墓(関東の周溝墓ではなく墳丘を盛り上げる墓の意)に関
しては河内のほうが多いだろうね。U様式段階からあるし。俺は、奈良は庄内期に都造営の
地として選ばれたと考えている。選んだ主体はたぶん吉備だと思うが、だからそこが邪馬台
国というつもりはない。ただ地名はそうそう変わらないという考えは持っているが。

>>703
政権の基礎となる勢力の根拠は考古学データでしか得られないので、古墳(横穴は除く)の多さ
も重要。
709名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:32:43.77 ID:yUuWhaJwO
>>707
一応俺は九州説支持なんだがな
こっちは論証的には邪馬台国は九州濃厚なんだと認識してんのに

お前のような余裕無いレス見るとこっちが不安になるんだよ
710名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:35:33.67 ID:5w1ip6MR0
地名なんてのは移住先に容易に持ち出しちゃうからな
ニューなんちゃらだのウエストなんちゃらだの
根の国から来たから根来とか
711名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:35:34.37 ID:v+3wDp+80
>>709
余裕アピールするのが好きなの?
言うのが遅れて悪いがおれは九州説支持してないからw
残念でした関西人
712名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:37:03.39 ID:72RubmE8O
>>682
九州南部に地震の後とかっていうと
先祖が高千穂に降臨したり、日向国の山で棚田やってた邪馬台国に対して
平野部に居た隼人が津波にやられて弱体化したのに攻め込んで戦奴(仁徳天皇に仕える隼人を参照)にしたのが
海幸山幸の話のモデルかもな
713名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:41:47.45 ID:wVUVkIUQP
>>699
別に後半には「於」はいらないだろ。
「A=物理的場所」「B=A」なんだから、必然的に「B=物理的場所」になる。

「都が物理的に位置している邪靡堆とは魏志にいういわゆる邪馬臺のことである」
と解釈するのが自然。
714名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 13:43:48.39 ID:raL97b1DO
畿内派も九州派も仲良くしろよ
なににせよ、日本のなりたちの重大な遺跡に違いはない
発掘調査の進展を座して待て
当時の日本を浮かび上がらせればイロイロ見えて来るだろう
715名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 14:05:06.42 ID:JJOrdTOS0
まぁ、
邪馬台国が九州にあったなら、畿内にはそれと同等かそれ以上の国があったっつーことだ

邪馬台国が畿内にあったなら、九州にはそれと同等かそれ以上の国があったっつーことだ

関東にも、墨で文字が書かれた土器が出てくるぐらい、国があったわけだし
出雲神話で高天原に敗れたタケミナカタが流された諏訪にも、大きな国があった

隋書では、隋の時代に、中国に通訳を伴ってやってきて、自分は倭の王様だと言った国が
たった45年間で、30余国もあったと書かれていて、邪馬台国もその中の一つの国

たまたま邪馬台国だけが、記述として残っているけど
当時の日本は、想像以上に発展していて、
中国に渡ることも特別な国だけが出来ることではなかった

群雄割拠だったんだねぇ
716名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 14:35:15.14 ID:/n5XSAeI0
>>715
>タケミナカタが流された諏訪にも
そうなのよ、これが神武に抵抗した長髄彦と関係があるらしい。
長髄が諏訪と関係が有れば、巻向の土器の半数が
伊勢東海方面というのが繋がる。
神武=崇神とすれば、箸墓のモモソと繋がるけどね w
717名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 14:40:27.00 ID:bbtrjdKu0
>>710
歴史地理学なんかでも小字名たよりにいろいろ考察するけど
地名って思ったほど遡れないから信用しすぎちゃダメだとよく言われる
718名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 14:45:20.25 ID:nkTHO8R80
まだ決着ついてないんだ。
結論言うと邪馬台国は四国だよ。
719名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 15:15:11.37 ID:pHOExOmk0
そもそも 伊都国糸島説に 疑問あり

魏書東夷伝の末蘆国東南500里は、唐津から鉄道唐津線沿い東南の佐賀平野にあたる。
ここに伊都国・奴国・不彌国があり、南は有明海に面していたと理解すべきではないか。
ここまで帯方郡から1万500里〜1万700里となる。

そして此処から南へ短里1500里〜1300里(約100km余)に邪馬台国はあったと思われる。→距離的に熊本県に相当。
その国の中に卑弥呼の都があったという。
今、史跡を訪ねれば古の火国臼杵郡知保郷に行きあたる。→上知保郷 →西臼杵郡高千穂町。

ここには上古より、お隠れになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 西の宮 がある。
また、お出ましになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 東の宮 もある。
さらには、日向三代の神々をお祀りする高千穂神社もある。

記紀によれば高天原・日向三代は天上の神話なので、現世地上に神々の御陵のあるはずはない。
じつはこの三社は、古くからご皇室・国家の公式御参詣・御庇護はなかった(というか憚られたのではと思われる)。

その代わりの現世遥拝所として、宇佐に宇佐神宮、伊勢に伊勢神宮が造営されたのではないか?
そしてこの間、上記三社は火の国の土豪衆民らにより、村社として祀り護られてきたのではないか?
720名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 15:19:52.16 ID:2FluA4rC0
>>685
こいつ日本語検定5級かよw
721名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 15:41:01.51 ID:ykvzeG9l0
ここに書いてる人で箸墓古墳を実際に見た人はどれぐらいいるんだろうね。
自分は見てきたが本当に巨大だ。

あれが最近の説のように3世紀半ば前後に造られたものなら、
当時の支配者階級の中でも大王(大女王)クラスと見て間違いない。
被葬者が女性ということも併せて考えれば、邪馬台国(の都)は纏向と
いうことで推定するのが一番有力。

後は箸墓の年代推定のみ。特に年輪年代法による推定は本当に正しいか。

当時の日本の中の別の国(当然もっと小さい)が独自に朝貢した可能性は無くはないが、
長安などから見てるならともかく、朝鮮半島に中国の出先機関があった。
朝貢受ける場合も情報収集してちゃんと確かめて、
基本的に代表となりえる国のしか受けなかっただろう。

とにかく邪馬台国語りたい人は、九州説やその他でもまず箸墓は見て貰いたい。
722名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 15:46:16.56 ID:n3kU7uls0
てか邪馬台国問題は畿内派・九州派共に木を見て森を見ず
記述の内容に振り回されてさも畿内だけ、九州だけにしか着目していない点で
あらゆる歴史分野の中でも妄想枠が強すぎ
当時は瀬戸内、出雲、九州南部、東北にも巨大な集落があって豪族が割拠していた事を全く想定してない
東征や大和朝廷に繋がるうえでの瀬戸内(岡山)四国(土佐・阿波・愛媛)の軽視は頂けないな
視野を拡大しろ、歴史は点ではなく流れである事をさっさと身につけてくれ
四国は何もないと思われてるだろうが、あそこの中身はかなり濃いぞ
四国が邪馬台国だとは現時点では限りなく低いけど
忌部とか久米、日本にただ一つしかない発酵茶が土佐にあったりとかなり考察が深まる要素がてんこ盛り
723名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 16:29:43.55 ID:raL97b1DO
>>722
ここじゃなく、君の研究あれば考古学会に提してみては?
所詮アマチュアは学者の意見から推測することしかできないし
724名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 16:31:30.10 ID:M/ELyL03P
>>717
埋蔵文化財(考古学)でも埋没古墳や川の跡なんかを小字を頼りに調べることはある
けど、村(集落)の中でしか認識されない小字と、村を超えて共通認識される広域名
を同列に扱えないでしょ?たとえば現代でも大阪府を西東京都に変えるとかなりの
混乱が生じるでしょ?
 異論はあるだろうけど、対馬・壱岐・松浦・糸島が変わってないにヤマトが変わる
とはそうそう思えないのだけど。他民族が攻めてきて入れ替わらない限りね。
725名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 16:39:55.28 ID:zuKxk2dQP
>>721
俺は、母方の実家が大和郡山なんで箸墓なんて何度も見ているけど、
見たからって個人で造成年代推定なんてできるわけもないし、
見ても意味はないと思うが?

>基本的に代表となりえる国のしか受けなかっただろう。
そんなことがあるわけがない。
朝鮮が三国に分かれていて、百済や高句麗の勢力の方が盛んだった
時代にも新羅の朝貢を受けている。
726名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 16:48:09.51 ID:zuKxk2dQP
>>722
あれが軽視されている、これが考慮されてない、という文句を言うのではなく、
あれを重視し、これも考慮した結果としてどういう仮説に至り、
その仮説を裏付けるどういう事実があり、今まで解決できなかったどういう矛盾が解決されるのかを
明確に述べないとまったく意味がない。
あんたが言ったいるようなことなんか百も考慮した上で、どの仮説も成り立っているんだから。
727名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 16:51:58.77 ID:mbJbz0tV0
箸墓をヒミコにすると推古天皇の立場無くなるので
ノーサイドにしてはどうだろう
728名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 16:59:46.51 ID:raL97b1DO
箸墓は突然巨大化したわけだから、よっぽどの権力者だったんだろうな
卑弥呼に照らし合わせると納得できるものがあるが、卑弥呼でなくてもどんな埋葬者なのか興味ある
モモソだったとしたら、なんで国家事業ばりの墓が建てられたのか

暴くの無理ならせめて年輪法、炭素年代法の追試でもしてもらいたいもんだ
729名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:09:19.48 ID:7++hofcG0
各地の古墳の発掘調査はするべき。今ならなるべく非破壊的に調査する方法は
あるだろう。そう言った調査の積み重ねが大事で、そこが抜け落ちてる。
730名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:23:42.44 ID:ykvzeG9l0
>>725
>造成年代推定なんてできるわけもないし

年代推定は専門家に任せるしかない。
ただし、その年代が卑弥呼や台与の墓(或いは合葬墓)である可能性のある
ものであったらどう考えるかということを言っている。

同時代で突出した墳墓なのは間違いないのだから、
卑弥呼や台与に重なる時代であれば、その時代の日本で最大の力を持った
国の都(中心地)が近くにあったと考えられ、
同時代に邪馬台国が朝貢していても、もっと大きい国が別にあるならば
そちらの方により興味が湧く。

こういうことを云いたいから、箸墓の巨大さが重要で、見るべきと申し上げた。
どうしても邪馬台国だけに焦点当てたいならそれも良し。
最終的には金印などが偶然見つかるのを期待するということだろう。
ただ、そういうものがもしあったとしても一番可能性の高いのは箸墓の中だろうが。

朝貢の話の方は、「三国」時代と云うような一応鼎立の時代と、
大和に大型政権があって地方にずっと小規模の別の国があり、
その朝貢を受けるかという話とは別だろう。
中国側も朝貢受けるにあたってはむやみに受けずに、
格というものを判断してたことは想定される。
邪馬台国がそれだけの格のある国なら、それにふさわしくある程度は
箸墓や纏向宮殿?に対峙できるような遺物があって当然。

そういうものの候補はあるかな。
そしてそれを考える際には、箸墓に対峙するものということで、
箸墓は見た上で考えて欲しいし、そうすべきだろうと云うこと。
731名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:33:51.58 ID:zuKxk2dQP
>>730
>その年代が卑弥呼や台与の墓(或いは合葬墓)である可能性のある
>ものであったらどう考えるかということを言っている。
見に行かなくても考えることはできる。
実際に見ることで、考えることに対してどう資するのかな?
732名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:38:47.91 ID:vYazCQHKO
>>730
魏が朝貢き訪れた国の格を判断して朝貢を拒否したという想定は、どんな事例から想定したのよ?
733名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:39:51.88 ID:ykvzeG9l0
>>731

一次情報の重要性って知ってる?
或いは現場現物主義って知ってる?
734名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:44:40.64 ID:ykvzeG9l0
>>732

ではどんなのからでも受けてたというようなことを
推測される事例を反論として先に出して頂戴。
735名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:47:24.57 ID:zuKxk2dQP
>>733は箸墓に行くことでどんな一次情報を得たのかな?
現場主義で具体的にどんな収穫があったのかな?
736名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:48:47.58 ID:k2XWo9H/O
応神の正統性を示すために神功皇后を作られたとするなら
そのモチーフは壹與をモデルとしたんだろう
737名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:51:56.91 ID:ykvzeG9l0
>>735

其の説明でわざわざ>>730を書いたのに読解力ない人は相手にしません。
あなたは日本語の読解力に自信ある方ですか?
738名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:54:38.71 ID:pHOExOmk0
>>730
箸墓が卑弥呼と完全同時代であればの仮定の話ね。じつはそれが最大の問題。
なお箸墓が大きいのは確かだが、
後円部に限れば西都原の男狭穂塚ニニギ陵とそう変わるものではない。隣接女狭穂塚もいっしょに考えれば似たような工事規模。
739名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:56:23.19 ID:vYazCQHKO
>>734
国が小さいことを理由に朝貢を拒否したという事例がないだろ?
現実に西域に多数乱立する小さな都市国家からも朝貢を受けている。
740名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:56:33.85 ID:RTQ5KYmWO
魏でクシャーナ朝の君主を入朝させた曹真に対抗した司馬イが邪馬台国を過剰に大国として扱ったって話も三国志好きとしてはたまらんものがあるな。

まぁ根拠が邪馬台国の貢物に対して魏の下賜品が豪華過ぎるとかだったしトンデモ説の類なんだろうが。
741名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 17:58:45.27 ID:fje1PF9gP
畿内説だとさ、九州各地に比定されてる各国から邪馬台国のある畿内まで遠過ぎないかい?
中国四国地方に比定される国ほとんどないだろ?
おかしくね?
742名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:01:08.00 ID:ykvzeG9l0
>>738

西都原も行ってみたが、箸墓とは比べ物にならないような印象。
あなたも箸墓は見た上で言ってる?

>箸墓が卑弥呼と完全同時代であればの仮定の話ね。じつはそれが最大の問題。
これは当然で、だから同時代とすればと書いたわけだが。
余りに当たり前過ぎるような話は避けてほしいね。
書くなら、こちらの話とは別のレスに書いてくれよ。
こちらへのレスだと読まざるを得ないから無駄。

>>728の人とは同意見だな。
743名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:01:25.36 ID:zuKxk2dQP
>>737
>>730の具体的にどの部分が、実際に箸墓を訪れたことで得た一次情報なのかな?
具体的にお願いするよ。
744名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:05:45.88 ID:WRhulRwGO
>>737
おまえは箸墓に実際に行ってどのようにして大きさを計測したんだよ。
745名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:10:15.27 ID:pHOExOmk0
>>742
お気持ちはわかるけど、卑弥呼と同時代かどうか、もう少しはっきりしてからいいんじゃないのといいたいわけさ。
それより先に、
伊都国が糸島でなく、倭人伝の記述通りに佐賀平野だったら前提がまるきり崩れるんじゃないのと心配なわけよ。
746名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:10:24.53 ID:raL97b1DO
西都原のは畿内型帆立て貝式古墳が判然としてるからな…
5世紀初頭ですでに畿内の勢力下
747名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:10:55.84 ID:vYazCQHKO
>>737
箸墓が同時代では突出した規模であることは実際に行けば一次情報として得られるのかな?
748名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:15:03.67 ID:pHOExOmk0
>>744
いまどき、航空写真でみて計る方が手っ取り早いんじゃないの。
749名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:15:48.77 ID:AjKxsIlp0
もっとも悩ませてる距離の問題なんだが

あの国は今も昔も変わりなく
歴史を正しく伝えない
距離が捏造だと理解すれば
大和を語る九州の一部勢力が
虎の衣を着たいがためシナの使者を召喚した
巫女の酋長がいたが大和の勢力で伊予または豊と呼ばれる
勢力に滅ぼされたが正解なんだが
正解を出さない正解もあるって事だ。
750名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:21:33.59 ID:vYazCQHKO
>>748
ID:ykvzeG9l0は実際に見聞して一次情報として規模を把握し、同時代では突出した大きさであることを一次情報てして把握したらしいぞ。
751婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/07(木) 18:24:40.30 ID:VESGYnvI0
>>722
>瀬戸内(岡山)四国(土佐・阿波・愛媛)の軽視は頂けないな

うどん県を軽視すんなw
752名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:28:42.44 ID:wVUVkIUQP
>>751
弥生時代のうどんってどんなんだろw
753名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:31:54.40 ID:mbJbz0tV0
前方後円墳は上空から見ると鍵穴のように見えて
でかい前方後円墳作れば神になれて再生できると
ヒミコにバカにされて真に受けて金使って潰れたかもしれないのが
凄い
754名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:34:42.69 ID:raL97b1DO
古墳ファソなら実物見たくなるのは真理。
稲荷山と上野博物館は圧倒的だったわ
展示物が
今年は群馬と箸墓と伊勢神宮行く予定
755名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:37:21.63 ID:L7GSX32K0
>>753
3世紀の讃岐って大規模な都市人口を養う事可能なの?
水がない気がするけど
756名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:39:09.34 ID:wVUVkIUQP
>>754
この目で見たい気持ちはわかるが、個人的に実見聞したからといって箸墓と邪馬台国との関連なんて何もわからんよ。
757名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:39:46.21 ID:L7GSX32K0
>>752
うどんって奈良時代からじゃね?
758名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:41:18.90 ID:lgmcMAJy0
>>721
初めて見たときは驚いたよ。
地元だから古墳はいろいろ見に行ってるが、箸墓は別格だね。
759名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:41:25.29 ID:mbJbz0tV0
古墳の製造技術者派遣して財宝と引き換えに
製造して国力あげるの押さえて金儲けしたのが
九州王だとつじつま合うです
760名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:41:57.92 ID:L7GSX32K0
>>756
そんな事言うなよ
本人が行きたいって言ってんだから行かせてやれよ
別にアフリカの奥地に行くって言ってる訳でもなし
761名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:42:44.72 ID:wVUVkIUQP
>>757
いや、平安時代からのはず。
一応、弘法大師が製法を唐から持ち帰ったことになってる。
762名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:44:47.71 ID:raL97b1DO
>>756
見ないよりいい
個人的には邪馬台ってより当時の日本に興味あるだけだが
763名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:52:09.63 ID:mbJbz0tV0
九州から遷都して古墳なんて
アホらしくて作らんわ
764名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 18:59:55.35 ID:zuKxk2dQP
>>762
具体的に何がいいんだよ?
俺は箸墓も桜井茶臼山古墳も大山古墳も応神陵も履中陵も、岡山県の造山古墳も作山古墳も
見たことがあるけど、邪馬台国を特定する上で得るものなど何もないぞ。
はっきりいって、巨大古墳なんて実際に肉眼で見ても大きさなんてまったく判定できない。
どの古墳の格が上だなんて、外観を目でみてわかる訳がない。
765名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:09:18.87 ID:gjms2PGz0
大仙耳原陵と箸墓神大市姫陵はパット見からもうデカかったな
766名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:10:31.26 ID:isW25OJX0
邪馬台国の墓制がどうだったのかわからない限り古墳は決め手にならんな
767名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:11:48.27 ID:raL97b1DO
>>764
さあな
ただ見ないよりは見た方がいいんじゃないって話だよ
768名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:15:22.49 ID:xdnuNOZT0
天皇陵は大部分は土関西人に盗掘されてるだろ
769名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:15:51.11 ID:lgmcMAJy0
しかし、記紀が書く世界って、考古学と相反するようなことはないな。
古い昔にこの列島に落ちてきた先祖がいた。
人口が増え、一派が東へ広がっていた。
九州に残った一族のうち食いつぶしたあるものが東へ行き、先に来ていた
一族と争い勝った。

言葉や伝承(昔、東の新しい土地を求めて旅に出た兄弟がいた・・)で
お互いに同じ一族だと共通の理解があったんだろうね。

九州の片隅で後に弥生人になった一族か。
770名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:18:38.60 ID:zuKxk2dQP
>>767
いやー、見ても見なくても変わらんよ。
邪馬台国を特定する上では、まったく意味はない。
771名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:19:10.29 ID:k2XWo9H/O
稲荷山古墳というのが全国各地にあるが
古墳が稲荷山のことを指してるわけで
稲作や稲荷山(伊奈利山)は当時の人工的な開拓地を指してるんだな
772名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:22:28.38 ID:L7GSX32K0
>>770
キミの頭の中には邪馬台国しかないの?
773名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:30:31.51 ID:rhq1HKkS0
>>765
神大市姫陵の名前出すってどんだけマニアックなんですか。

神倭伊波礼彦と同クラスの姫が大市にいた歴史事実があって、その陵墓が

箸墓ってことですからなあ。
774名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:31:52.89 ID:zuKxk2dQP
>>772
なぜ俺の頭の中が関係あるんだ?
俺は>>721が、邪馬台国を語るならまず箸墓を実際に見てからにしろと書いたから、
それに対して、邪馬台国を語る上において、箸墓を実際に見ても何も資するものはないと言ったまでだが?
何か問題でも?
775名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:34:28.39 ID:mbJbz0tV0
文字の普及をさせなかったのは
何でも言う事信じて巨大な古墳作って
難波宮滅ぼすような仁徳がいた方がいいと思ったからなのか
776名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:41:27.47 ID:raL97b1DO
文字の使用は中国は早過ぎるとして日本は遅い方なんだろうか
777名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:41:37.46 ID:WRhulRwGO
>>772←こういう横柄な的外れ野郎って何なんだろうね。
778名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:44:40.27 ID:k2XWo9H/O
紙の製造の問題
779名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:46:43.08 ID:AjKxsIlp0
〉777
文字は日本発祥の文化
780名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:47:15.94 ID:V8bayCy70
福岡、佐賀説、まじやばいのう。ほんと・・・
781名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:52:11.50 ID:raL97b1DO
>>779
Karaの人ニダか?
782名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:53:59.14 ID:nBloMiwf0
当時の魏の測量技術が爆発的に進歩して朝鮮半島の地理まで正確なのに倭の地理が無茶苦茶なのは
無関心とはぎゃくに
783名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 19:56:47.73 ID:raL97b1DO
>>782
参問された倭人?がお馬鹿だったのだろう
784名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:07:13.60 ID:pHOExOmk0
伊都国はほんとうに糸島だったのか? 

魏志倭人伝にいう末蘆国(唐津)の東南500里は、鉄道唐津線沿いに進んだ佐賀平野にあたる。
ここに伊都国・奴国・不彌国があり、南は有明海に面していたと考えると倭人伝の記述と完全に一致する。
ここまで帯方郡から1万500里〜1万700里となる。
そしてここから南へ1500里〜1300里(約100km余)に邪馬台国はあったと思われる。→ 距離的には熊本県にあたる。
その邪馬台国の中に卑弥呼の都があったという。
今史跡を訪ねれば、上古の火国臼杵郡知保郷に行きあたる。→ 上高知保 → 西臼杵郡高千穂町。

ここには上古より、お隠れになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 西の宮 がある。
また、お出ましになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 東の宮 もある。
さらには、日向三代の神々をお祀りする高千穂神社もある。
しかし記紀によれば高天原・日向三代は天上の神話であり、建前としても現世地上に神々の御陵のあるはずはない。
じつはこの三座は村社であり、古くからご皇室・国家の公式御参詣・御庇護を得ることはなかった(むしろ憚られたのではと思われる)。
そこで代わりの現世遥拝所として、宇佐に宇佐神宮、伊勢に伊勢神宮が造営されたのではないか?
そしてこの間、上記の村社は火の国の土豪民衆らにより、祀り護られてきたのではないか?
785名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:15:40.57 ID:72RubmE8O
>>782
嘘の報告してもバレる範囲は正確に報告して、バレそうにない辺りからは方角はともかく、距離は話を盛って苦労話にして
褒美が多くなる工夫だって言われるね。
786名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:18:19.69 ID:FR+2U42V0
>>776
支那を前提にすれば、明らかに遅い。
奈良時代以前の日本は明らかにガラパゴス状態だったと言える。

そもそも「ヤマト」の漢字表記一つ取っても「夜麻登」、「邪摩堆」、
「邪馬臺」、「夜摩苔」、「夜莽苔」、「揶莽等」、「野麼等」、
「野麻登」がある訳で、文字の統一=政治的な統一が前提にあると見るべき。

それを踏まえれば、『大和』を『ヤマト』と読むより、
『邪馬台』を『ヤマト』と読むことの方が分かりやすいw
787名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:24:38.96 ID:zuKxk2dQP
>>786
外国の人名や都市名などの表記が統一されないのは、相手国の政治統一なんて関係ないよ。
現代の中国でも、オバマの表記は統一されていないし、
アメリカやヨーロッパのマイナーな地名は表記がバラバラだ。
788名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:28:34.98 ID:M87/JnUh0
アマテラスの正体は、天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)である
天足(あまたらし)=天照(あまてらす)
その嫁さんが卑弥呼である

↓の系図では空欄になってるが、宇那比姫のことである
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/f/fc/Emperor_family_tree_of_Japan_1-10_%28ja%29.svg/531px-Emperor_family_tree_of_Japan_1-10_%28ja%29.svg.png

尾張氏の系図にも出てくる
少なくとも、倭迹迹日百襲媛(いわゆるモモソ)は卑弥呼ではない
789名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:32:41.95 ID:jZ6NPNp90
>>764
 重要なのは、大きさ云々よりも巨大古墳が布留0式段階で突然作られたということなんだよ。
それだけでも纒向に都した勢力は、外のどの地域よりもぬきんでて大きな力を持っていたとい
える。
 また布留0式は、大和より発し、(異論もあるが)ほぼ全国へ送られた土器で、それ以降、地
方の土器は布留式土器に置き換えられていくということが重要なんだわ。これが何を意味す
るのかということね。
 そんな初期大和政権の存在を彷彿させる時期に作られた巨大古墳であるという意味で箸墓
の存在は考古学的にも古代史的にも非常に重要なんだよ。
790名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:37:21.37 ID:zuKxk2dQP
>>789
その、巨大古墳が布留0式段階で突然作られたということとやらは、
実際に古墳を見に行くことで体感できるのか?
791名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:41:25.49 ID:ePUaW3nvO
「卑弥呼市」に改名フラグのニュースですよね?
792名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:43:56.64 ID:4lLw1s19O
>>782
呉をビビらすために話を盛った説はあるね
場所的に建業の真横に燭より規模の大きな船を自在に操る国があってそこと手を結んだと
793名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:47:58.40 ID:jZ6NPNp90
>>790
ほんとうに体感したいのなら、布留式土器を始め考古学を勉強してから見に行ってくださいな。
794名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:53:41.64 ID:zuKxk2dQP
>>793
現地に行って、巨大古墳が布留0式段階で突然作られたということがどう体感できるのか教えてくれよ。
いかに勉強したところで、突然作られたことが、現地に行くことで体感できるとはとても思えないが?
今でもリアルタイムで箸墓が突然に作られ続けているのか?
795名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 20:58:59.33 ID:72RubmE8O
>>789
そんなに布留式土器は便利だったかお買い得だったんかね?w
日本産の黒曜石の石器が見つかるところが、日本の領土だったとか言われたら信じるの?
796名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:02:51.44 ID:72RubmE8O
>>792
それで呉も邪馬台国を目指して船出して迷子になって
辿り着いた台湾で虐殺と略奪したとかねw
797名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:06:12.52 ID:jZ6NPNp90
>>794
 低レベルで意味不明な言いがかりに逐一答えるのもなんですが、
私はあなたの「体感できるのか?」という問いに好意で答えただ
けすよ。理解する気も、勉強する気も、体感する気もないのなら
無視していればどうですか?
798名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:06:46.81 ID:pHOExOmk0
倭国の大乱後、卑弥呼は諸国の妥協でやっこらさ共立された
女王になっても南の某国といさかいしてる
死んだら死んだでまた騒動、おまけに魏に援軍を頼んでる

卑弥呼の墓にしては、箸墓は立派すぎる、超立派すぎる、だから怪しい
799Himiko is Empress Jigu, Norinaga Motoori:2013/02/07(木) 21:08:47.98 ID:htRkpMpl0
馭戎慨言 - 日本外交史 本居宣長 (著), 山口志義夫 (翻訳)
Gyojugaigen, Norinaga Motoori
http://www.amazon.co.jp/dp/4990361717

卑弥呼は神功皇后(じんぐうこうごう)の不正確な伝聞
Himiko is the incorrect hearsay of the Empress Jingu

Empress Jingu 神功皇后 tenure AD 192-200
http://en.wikipedia.org/wiki/Empress_Jingu
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f0/EmpressJinguInKorea.jpg
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E5%8A%9F%E7%9A%87%E5%90%8E
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/1/17/Jingu.jpg


『後漢書』にある「一女子がいた。名を卑弥呼と言った」とは、息長帯姫尊
(おきながたらしひめのみこと)=神功皇后の御事を、三韓などから誤り
混じりに伝え聞き申し上げて書いたものである。「卑弥呼」は姫児(ひめご)
と申すことで、神代の巻に「火之戸幡姫児千々姫命」(ひのとばたひめご
ちぢひめのみこと)、また「万幡姫児玉依姫命」(よろずはたひめごたまより
ひめのみこと)などと書かれている姫児と同じである。
姫を比弥(ひみ)と言っている用例も古い書物に見られる。だからこれは、
御国人(日本人)が常日頃尊んでこのように申し上げていたのを、韓人などが
聞いて伝えたものを御名と思い込んだのであろう。
 「妖気で大勢の人を惑わすことが出来た」
などと言っているのは、戎人(からびと)が大御国の神の道を知らないために、
このような妄言を言うのである。

Because Chinese people and Koreans did not know Japan well, they recorded
the Empress Jingu as Himiko by mistake.
800名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:09:05.88 ID:VkIJ+us30
【神】大市姫に【神】倭伊波礼彦か

神大市日女のモデルの人物の重要性が窺い知れる。
考古学専門の学芸員だけど、恥ずかしながら気付かなかった。
2チャンネルは初めて訪れても勉強になるものだね。
801名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:09:48.81 ID:jZ6NPNp90
>>795
きちんと勉強すれば布留式土器の拡散の意味と黒曜石の分布の違いが理解できますよ。
頑張ってください。
802名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:12:41.36 ID:zuKxk2dQP
>>797
的外れな好意を示す前に>>721からの流れを読んでからにしてくれませんか?
803名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:14:17.21 ID:maLq1EwN0
>>773
>>800
そんなに重鎮な首長レベルの女性と言ったら先ずは卑弥呼だよな
804名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:15:49.67 ID:eibc67CK0
>>792
晋の官の書いた書だから魏以外の外交は無視なんだろうけど呉と日本列島の関係ってどんなだったんだろう。
805名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:21:18.09 ID:vYazCQHKO
>>797
どういう流れの中でのレスかくらい追ってからレスすればいいのに。
ホント、横柄な的外れ野郎が多くて困る。
806名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:21:25.12 ID:isW25OJX0
>>804
狗奴国と通じていたという話がある。敵の敵は味方、ありがちな話やね
807名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:26:33.14 ID:spJOXomV0
2世紀:倭国大乱、出雲の国譲り→3世紀、卑弥呼を共立して奈良に邪馬台国(吉野ヶ里の勢力が畿内へ移動)→
4世紀、日向にいた天皇家が瀬戸内海を通って大阪の和泉へ進出→奈良の邪馬台国を攻略し、邪馬台国の神である
卑弥呼(アマテラス)を伊勢へ移す。
北九州の宇佐周辺に拠点を持っていた秦氏が大阪の河内へ移住。古事記でいうニギハヤヒとして
天皇家と同盟し、奈良の邪馬台国を乗っ取る。ニギハヤヒは後に物部氏として勢力を拡大。

物部氏の祖先、ニギハヤヒが降臨したとされる大阪交野市にある磐船神社
http://b-spot.seesaa.net/article/109675827.html

高天原と呼ぶにふさわしい風景
http://pds.exblog.jp/pds/1/200908/02/95/e0187395_21301935.jpg
http://jc4.c.blog.so-net.ne.jp/_images/blog/_a99/jc4/P9270033.JPG?c=a2325

ナガスネヒコ=邪馬台国

河内湖が葦原 葦原中国
http://inoues.net/kawtiko.jpg
808名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:30:30.04 ID:FR+2U42V0
>>787
固有名詞は特に顕著だね。
日本海を東海と呼ぶ国だってあるw
方言札などがあった戦前の日本だと当然日本海統一。

漢字が『文字』として完成される為の下地を作ったのは、明らかに
秦の始皇帝が行った、文字と度量衡の統一。
日本に置いて、度量衡の統一で言えば、秀吉時代だからねw
809名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:33:23.23 ID:M87/JnUh0
卑弥呼=アマテラス、というバカな考えはいい加減やめた方がいいw
810名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:37:27.63 ID:EeysbhQD0
>>807
天孫降臨神社だな。

でもな、それを認めるなら、神話通り本貫が筑紫にあるって事も認めるんだな。
物部も蘇我もみんな筑紫が本家なんだぜ?
しかも、十種の神器も三種の神器も筑紫のもの。
なんで邪馬台国が奈良なんだ?んん?
811名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:39:35.51 ID:FIQZv65j0
このスレ1から見たけどすげー面白いww
勉強になるおすすめの本教えてくれません?
812名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:40:54.95 ID:72RubmE8O
>>801
結論ありきでしか物を言わんヤツの話は聞く気もないが、気が向いたらね。

根本的に記紀を話の通りに読んでも、畿内が大国になってても問題ないし
弱小国家が一代や二代で大国を押し破って天下取るなんて日本史・世界史ともに枚挙に暇がない
にも拘わらず、大国があったし畿内だから大和朝廷≒邪馬台国にするのが意味不明。
なら信長や秀吉や家康や頼朝はもとより明治新政府も否定する必要がある。

失われた帝紀や旧辞も踏まえて記紀が編纂された時点で、大和朝廷の皇室は日向国から東遷してきたのと
畿内に大国があったのを皇室が併合しての大和朝廷が大前提であるから記紀の記述であり
であるからこそ、邪馬台国=大和朝廷を言う人間こそ、邪馬台国の所在地を畿内の外に置く必要があるのに、それをしない矛盾も含めて
結論ありきな畿内が丸ごと嫌いになる。そこが記紀の記述通りにスッキリすれば、少なくとも俺程度に東征を支持する人間は減るんだがね
日本書紀の記述通りに発掘されるたびに書紀の正確性が確認されてんだから、少なくとも〜あらすじはあのままで正解でしょ
813名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:42:24.75 ID:raL97b1DO
>>809
天照は流石に後世の創作だろうが、卑弥呼がモデルになったと個人的には思う
日向の地から外国からの防衛に優れた神聖な美和山がある畿内に一族居をうつしたとか
地名の類似もそのためとか
814名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:43:51.35 ID:aSHLK/dZ0
古事記や日本書紀は奈良の王朝が自分らを正当化するために国家事業として作ったんじゃないの?
815名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:46:24.94 ID:P4mmx6r00
>>814
どちらかというと日本書紀がそうだね
816名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:46:43.23 ID:vYazCQHKO
>>814
逆に聞きますが、
古事記や日本書紀は奈良の王朝が自分らを正当化するために国家事業として作ったわけじゃないという説なんかあるのか?
817名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:48:29.19 ID:aSHLK/dZ0
ひえださんがどうたらこうたらとか
818名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:48:39.50 ID:FR+2U42V0
少なからず『ジングウ』という名称は、孔子の『詩径』中の『魯頌』
(魯は周の分家国、姫氏が王族で、魯頌は、魯の王族の祭式音楽)
『悶宮〈ひつきゅう〉の詩』に対する鄭玄の注釈で明確に

『周王朝の遠祖の「姜(女原)」(きょうげん)という女神の依る所、
故に廟を神宮と曰う』と定義されてる。

伊勢神宮や神功皇后は、中国神話に登場する三皇五帝、テイコクの妻である
姜嫄が由来と見るべき。姜嫄は、道教に置ける最高神、天帝の足跡を踏んで
農耕神であるコウショクを生んでる。
819名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:50:08.01 ID:raL97b1DO
天皇支配の正当性を訴える日本書紀なら、対抗馬勢力もいたはずだよな
そんなところの王なんか載せたくないよな
あれ?
820名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:52:42.40 ID:isW25OJX0
ちょ、朝貢なんてしていないんだからっ!
821名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:55:18.52 ID:raL97b1DO
>>811
火の鳥 黎明編
822名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:56:52.19 ID:26WnzEbD0
>>814
奈良の王朝が自分らを正当化するための国家事業の産物にしては
一書に曰くで異伝を正直に載せ過ぎて、絶対化したい天皇家の権威の
足元を揺るがす記述が多いという面もあるが
823名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 21:59:47.27 ID:KVZTp4Nj0
まあ、日本書紀がお手本にした中国史書ってのは、
王朝が交代してから、あとの王朝が書くものですからな。

九州から大和に王朝が変わったので、書記を編纂したのでしょう。
824名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:01:38.09 ID:72RubmE8O
卑弥呼の所在地を考える時に、人口の維持から水稲作を考えると筑紫の平野部は魅力的だよな
でも、それは現代の農業の考え方だと気付いて欲しい。
河川の氾濫その他を最小限に考えて『限られた水の水稲栽培の最大限の利用法は棚田』であると

そう思って2ch手元の端末機でGooglemapの宮崎県を見たら天孫降臨した日向国って、かなり魅力的だぜ
上の方のレスでも津浪の後が云々あるけど、
事実を踏まえて対立相手が海の被害にあったのを降ろした山の民の裔が、東征とか記紀に合わせ易い。
それが環太平洋域に共通の…ってんなら、津浪で大多数が生き残って主導権を握るのは山に居た側で神話を紡げるのはどちら側って当たり前な結論に行き着くわな
825名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:03:21.47 ID:raL97b1DO
>>823

8世紀の日本でそんなことあったとは思えないな
826名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:08:25.16 ID:eibc67CK0
>>825
九州、大和とか関係なく
天武帝はそもそも簒奪者じゃないか。
だからそのタイミングで作ろうとしたのは不思議でもなんでもない。
827名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:11:50.58 ID:mD0q/OpD0
>>825
継体天皇のひとつ前の武烈天皇の描写は、明らかにおかしかったりする。
古事記の側にはほとんど事跡が紹介されてないのに、日本書紀では悪逆非道の
大暴君として描かれてる。で、その悪逆非道ぶりってのが、ほとんど中国の歴史書で
出てくる暴君の描写の剽窃。

つまり、継体天皇の承継の正当性を示すために、その先代の天皇は大暴君であったことに
されたわけで、このあたりもろに中国の思想に基づく王朝交代の正当性の理論。
828名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:14:34.48 ID:g6AnBSL50
>>773
日本書紀でも「昼は人が造り、夜は神が造った」と書かれてるから
大市比売って神懸った人だったんですね

>>827
それは大学で習ったことあります
829名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:17:28.42 ID:p8kZuf4U0
811さん 日本国の隠された歴史 阿波忌部一族オススメします。
古事記にも出てくる徳島の女神オオゲツヒメ様が
なぜ名前を変えて伊勢神宮の外宮に祭られてるのか?
なぜ伊勢神宮の周りの地域の方言が阿波弁と似ているのか?
なぜ毎年伊勢神宮に石を献上するのか?
なぜ天皇陛下が交代する時に阿波忌部が大麻(日本古来の大麻草で中毒性は無し)
大麻で作る織物。鹿服(アラタエ)といい 天皇陛下が即位の儀式の時に神棚に奉り
先祖霊を受け継ぐ儀式をされます そんな天皇家の祭祀がなぜ日本の歴史から消されたのか
830名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:17:53.73 ID:KVZTp4Nj0
大和朝廷の年号は、大化からとなっているが、
途中で途切れたりして、安定したのは大宝から。

初めての律令である大宝律令も大宝から。
記紀の編纂はちょっと遅れて8世紀初頭。
遣唐使の再開も8世紀初頭。
風土記の編纂もこの頃。

と、猛烈な勢いで国家構築が行われたのが8世紀初頭。

大和朝廷が事実上、整備された国家の形を持ったのは、
この頃から。

記紀にさえ残っている、二千件あまりの九州年号と思われる逸年号。
これが終了したのは、鎌倉時代の二中歴によると、西暦699年。
翌年が大和年号の大宝である。

九州年号は途絶えた。
831名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:22:27.85 ID:KVZTp4Nj0
九州年号の最後は大化、であり、699年に終了した。
九州年号の大化から、大和年号の大宝に改新されたのである。

大和年号の大化は、本当にあったのだろうか?
832名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:25:45.42 ID:SOAF1wCT0
>>829
阿波忌部より讃岐忌部の方がプレ大和朝廷成立の裏舞台に居たと思うがね

伊勢などはただの後付けの人工神社じゃわい
記紀成立に間に合わせで創った当時の御用神社
明治時代の橿原神宮みたいなものじゃ
833名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:27:12.63 ID:KVZTp4Nj0
ちなみに、九州年号の始まりが、6世紀初頭の「継体」からである。
834名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:28:47.49 ID:cFuo6n2i0
古代には通い婚や婿入りだったのが、
嫁入りに変化してきたんで皇族が成立したんでしょ。

だから天照大御神は部族時代からの神様で、
嫁入りによって男系の皇族が成立しても流れは続いてるって考えれば、
矛盾する点はないよ。
835名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:31:56.95 ID:aNGJ+biL0
>>834
そのコピペはまだマシだけど、その他の
お前のウンコ脳みそのコピペ粘着もういいからw
836名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:36:19.59 ID:p8kZuf4U0
讃岐忌部の事詳しく教えてください。
837名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:36:37.24 ID:pVDl+Zrm0
>>786
別にガラパゴスじゃなかろうw
漢字というのは、そもそも中国語のために創られた、それも表意文字なんだから、
まったく言語系統の違う、上代日本語を記そうと思うだけでも、
頭の痛くなるような障壁を、なんとか克服しなければならない。
そして、この時点で、漢民族以外で、
漢字を転用して自国語表記にあてることに成功した民族は、ひとつもない。
つまり先例はない。この状態で、日本だけガラパゴスというのは酷だ。

むしろ、東アジアというのは、それ自体が「全体としてガラパゴス」で、
ユーラシア西方の、沢山の民族に使われて「こなれた」文字を知らない。
838名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:36:37.97 ID:JJOrdTOS0
しかしさぁ、隋書によれば
三国魏の時代、通訳を伴って中国と通じたのは三十余国。皆が王を自称した・・・だろ????

んで、魏は220年 - 265年だから、その間わずか45年
つまり、たった45年間の間に邪馬台国の他に30ヶ国以上の倭の国が、入れ替わり立ち替わり魏の皇帝に使いを送り、
皆が「自分が倭国の王様だ」と言っていたわけだ

ほんで、邪馬台国で卑弥呼が擁立されたのは、まぁ189年だとしても、魏はその30年後に出来た国だから、
魏が出来た時にはもうすでに、卑弥呼を頂点とする邪馬台国は、既に存在していたわけだよね

んで、魏志によると、その邪馬台国は、日本から大陸に渡る際に重要な
對馬國・一大國という海の中の島を、完全に自分の属国として押さえている

対馬が邪馬台国に押さえられている
対馬が邪馬台国に押さえられていて、他の国は朝献するために津島は使えない・・・にもかかわらず、
日本からは30数カ国の船が次々に、朝献するための船を中国に乗り着けていたわけだ

まさか邪馬台国が、中国から「アンタが日本の王様だよ」と言われているにもかかわらず
「オレは日本の王様だって、中国に言いに行くんだ」っちゅう国に、対馬を使わせるわけがない
から
対馬を使わずに、どうやって他の国は、日本から中国に渡ったんだろーねぇ・・・

一大國はともかく、對馬國=対馬は、
当時、船で日本から中国に渡るためには、どうしてもかかせないだろー・・・と、今の人間は考えるけど

当時、船で日本から中国に渡る技術は、そんな現代人のイメージなんか及びも付かないほど
そうとう高かったんだねぇ・・スゲーな
839名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:37:03.01 ID:cFuo6n2i0
樺太経由で大陸と行き来あったのを別とすれば、
九州は当時の日本にとって世界に対する玄関口だったから、
新しいことは西からやってくるってのがあったんだろうけど、

朝廷が九州から近畿に移動してきたってのは、
神武東征を前提として考えてるからじゃないの。
840名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:38:43.57 ID:raL97b1DO
>>826 827
よくわからん(笑)
日本書紀は天皇ってこんなに偉いんだよ的な話じゃないの(笑)?
むしろ君らの王朝より永く続いてるから対等、もしくはこっちが上だからよろしく
みたいなさ

いや、俺は知識浅いでレスしてるけどスマン
841名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 22:55:42.01 ID:cFuo6n2i0
倭人の住む地域には小国林立してたのを、
最終的に大和がまとめたんでしょ。

それを指して国譲りって言ってんだと思うが。
842名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:00:13.33 ID:p8kZuf4U0
832さん 詳しく讃岐忌部教えてください
843名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:07:13.00 ID:RJb+guR3I
邪馬台=大和(やまと)
卑弥呼=皇女(ひめみこ)
844名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:14:24.68 ID:F5oOTcyX0
どう考えても四国が怪しいだろう
845婆 ◆HKZsYRUkck :2013/02/07(木) 23:18:31.88 ID:VESGYnvI0
>>838
対馬と壱岐は、女王国の配下ではなかったんじゃないん?
九州側からも朝鮮半島側からもほどよく離れているから、
どっちかが支配しようとしても維持が難しそう。

んで、なんとなく中継ぎ港になっちゃって、住人はのほほんと
魚獲って暮らしてるの。
846名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:27:33.77 ID:raL97b1DO
2世紀頃
九州勢「朝鮮とか中国とか攻め込まれてやばいっすw」
出雲「やべー、まじやべー」
吉備「大乱や〜我のクニ大乱や〜」
日向「ちょwうちらで三輪山あたりから指揮すっから。あそこなら攻められねーべ。いいよねみんな」
出雲「えー、じゃあでかい家くれたらいいよ」
九州「おっしゃ、日向がそういうなら。防衛はまかせんしゃい」
吉備「じゃあ、あたし埴輪作る!」

こんな感じじゃろうか邪馬台国
そのうち萌え萌え邪馬台国論争とか描くやつでてきそうだな
847名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:28:05.43 ID:cFuo6n2i0
邪馬台国は大和で最初から近畿にあって、
神武東征は勢力の拡大や移動を意味しているわけではない、

としても、卑弥呼が何なのか分らんが、
たぶん中国のお役人が何か勘違いしたんだろう。

斎宮あたりのことだと思う。
848名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:34:35.32 ID:cFuo6n2i0
あと、陸路でどうこう、水路でどうこうってのは、
現代の地図で見ても意味が無いんじゃないか。

当時の中国の地図とかあるんなら、
それで見たほうが妥当だと思うけど。
849名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:35:18.27 ID:j+kBTaT80
斎宮www しかも斎宮あたりwwwww

中卒は来るなよww
850名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:40:21.27 ID:cFuo6n2i0
日本側で該当に心当たりないんだから、
中国のお役人が、何を勘違いしたのか推測するしかないでしょ。

祭祀の古い形式としては、
女性が祭儀をつかさどってた可能性はあるから、
その絡みじゃないのか。
851名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:42:40.36 ID:p8kZuf4U0
阿波忌部族の一派であった天富命の孫で、先祖の天日鷲命が開拓した讃岐平野に進出し、讃岐国造となる
って讃岐忌部調べたら出てきたんだけど・・・・ 実際はどうなんですか?
852名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:43:25.34 ID:raL97b1DO
水行陸行のくだりは数字がきっちりしすぎてるから、それ程遠いの意味じゃないのか?
当時の暦は知らないが一ヶ月って曖昧だろ
あとは写本した土地によって東西南北を書き換えたとかないんかな
じぶんとこで使用するなら東西南北あわせなきゃならんやろし
853名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:44:33.61 ID:cFuo6n2i0
日本の形はともかくとして、

古い地図で日本の大きさが、
大陸に比べて大きく描かれてるなら、
なんか意味があるのかもよ。
854名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:51:12.95 ID:n3kU7uls0
四国、瀬戸内の古代史はこれから注目しといた方がいいぞ。
現時点で
四国最初の可能性がある政庁『愛媛松山の久米遺跡』
弥生時代で最大級の広さを持つ遺跡集落『高知』
今でも天皇家に衣を作っている忌部氏の租阿波忌部『徳島県剣山麓』
銅鐸多数出土や現時点で日本で水銀採掘加工がある遺跡を持つ『徳島県』
前方後円墳のプロトタイプがあり青石を畿内に送っていたであろう徳島県』
竹取物語の舞台で阿波忌部の建築部門、畿内で活躍したであろう讃岐忌部『うどん県』
様々な地方の物が発掘されている阿南海部の芝遺跡『徳島県』
日本史上で唯一其所にしかない発酵茶が存在する『高知大豊』
国産み神話で淡路→四国と現在の四国からは考えられないほど謎の優遇
だが邪馬台国、大和政権云々ではなかった事にされている四国瀬戸内
855名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:51:23.90 ID:URX45Hb20
神功皇后がたまたま出先の九州にいた時に
魏の使いがやって来た説ってないの?
856名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:55:27.26 ID:cFuo6n2i0
神功皇后が特異な呪術を云々、
ってのは正直、どうかと思う。

まあ、出産延期くらいはやったんだっけ。
でもなんか違うと思う。

アマテラスとスサノオの神話について話したら、
中国のお役人が勘違いしたって説の方が、
説得力はある気がする。
857名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:56:07.23 ID:p8kZuf4U0
岡山の備前焼も以前はインベ焼きでしたからね
858名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:56:54.92 ID:XOjbzGx70
三国志自体、史実を基にしたフィクション的要素が強いから
859名無しさん@13周年:2013/02/07(木) 23:57:34.95 ID:npXZMAmh0
>>848
現代の地図に照らし合わせて何ら問題ない。
そのまま読めば正確に奈良に行くよ。
魏志倭人伝は嘘偽りなく正確に記されている
860名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:02:14.44 ID:n3kU7uls0
特に四国大豊の発酵茶は食い物の伝承が現代まで続いていると言う意味で貴重
861名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:02:38.47 ID:T2zKzJ6LO
>>806
近攻遠交策で考えると、耶馬台国と呉は東シナ海を挟んで隣り合っていたために、耶馬台国を挟んで反対側に有った呉に狗奴国は接近し、それに対抗して耶馬台国は呉を挟んで隣に有った魏と結ぼうとしたのではないだろうか?

まあ、先に耶馬台国が魏と親交を結んだので、それに対抗するために狗奴国は呉に接近したのかもしれないけれど、構図としては同じだね
862名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:04:06.83 ID:cFuo6n2i0
倭人の国が、どこまで連合形成してたか曖昧だから、
可能性が増えちゃうんだわな。
863名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:07:23.61 ID:Vipw+8X5O
>>854
四国は縄文遺跡がすごいんだっけた
あとは徳島の墳丘が畿内墳に影響与えたとの説や
力持った勢力がいたのだろうが、次第に畿内に取り込まれていった
864名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:10:19.79 ID:f+9G0GWb0
>>857
マジ?それは知らなかった。
吉備も独立した部族だと思っているけど
忌部の知識は当事の日本だとやはりオーバースペックだな
秦氏・忌部・物部・蘇我・大伴『久米』
などの中国からの渡来系はやはり四国又は淡路が初めっぽい気が
865名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:15:14.42 ID:e8hG5tOm0
中華からの渡来って言うと、
生々しい今の政治が絡んじゃうんで、
あえて突き離したくなるけどね。

神聖視されてんなら、遠望する島だったから、
って理屈も成り立つし。
866名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:15:21.58 ID:Q59qOV7/O
九州説のせいで日本はトンデモ説が増えた。
バカを増やした償いはとってもらうぞ。
867名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:18:25.51 ID:g1MZjq0l0
忌部氏は渡来系って言うわれてますけど 実際どうなんですか???
東南アジア経由の大麻は中毒性ありますよね?
日本古来の大麻(大麻草)は中毒性ないじゃないですか・・・
渡来系だとして外国の国では麻を神事として使う習慣あるんですか???
868名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:21:55.00 ID:Jhv+yBiY0
>>850
女性が祭儀をつかさどってた可能性なんかじゃなくて
女性シャーマンの生ライブが当時の祭祀なんだよ
869名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:22:24.32 ID:e8hG5tOm0
もともと中国でも部族社会だったんで、
漢字が出来てきたころには嫁入りとかなかったから、
部族の女性が産んだ子供は、部族の子供だったんでしょ。

だから姓という字は女の生まれと書く。

それが部族間で嫁入りが行われるようになると、
男系化するんで、氏族が成立してくる。

半島でも男系氏族の発祥の地である本貫は、
姓(つまり氏)とセットで扱われてるし。
870名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:24:50.93 ID:W00h+fKk0
>>856
記紀とかまともに読んだことある?

神功皇后の呪術とか言ってるけど
871名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:25:34.91 ID:y6tZIV2g0
383 名無しさん@13周年 2013/02/06(水) 22:32:28.92 ID:ctWXYzAJ0
陸路か水路か海路か…
熱くなっているところ申し訳ないが、
「水行十日陸行一月」
↑あまりにも丸い(キリのいい)数字じゃないか?w どの程度信頼できるんだ?しかも「水行した後に更に陸行する」のか、
あるいは「水路で行けば十日だが陸路で行けば一月」と並べて言っているのかも不明だ
872名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:25:42.25 ID:pzi0nAl60
伸びまくりだな
こんなに邪馬台国に興味ある奴いたのか
873名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:25:57.83 ID:e8hG5tOm0
卑弥呼は怪しい術を使って国を治めてるんでしょ。
皇后とは合わないんじゃないか。
874名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:26:44.91 ID:f+9G0GWb0
宮崎や九州南部、高知とかは南方系で今でも明らかに濃い
そこに入ってきた渡来系が大麻を持ってきたつうか
それより前からあった可能性もあるし南方系が持ってきた?
875名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:29:49.84 ID:fMpznUoT0
>>873
当時の国政、天文学=怪しい術
876名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:29:59.15 ID:e8hG5tOm0
邪馬台国が近畿にあっても、
南方系の影響は受けてる。

古事記を見れば明らかにね。
だからたぶん、九州南部あたりから、
人が来てたのは確かだと思うよ。
877名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:31:10.72 ID:NQlByrvB0
卑弥呼は怪しい術がショボかったら権力欲の強い男首長の林立の中で共立されるわけないじゃん
878名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:32:29.01 ID:Vipw+8X5O
>>867
麻はイロイロ使用法があるから神聖視されていた
日本自生の麻も飛ぶよ
なんでしってるかはヒミツ
879名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:34:56.66 ID:6PcInpcH0
>>873
神功皇后の神かかりの言葉に逆らった
仲哀天皇は即効どうなったっけ?
880名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:37:36.10 ID:e8hG5tOm0
皇后がヒミコだと、

後をイヨが継いだってのが、
なんだか分らなくならんか。
881名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:38:46.16 ID:Niqs1fRp0
>>854
×なかった事になっている
◯対立する間すらなく、瞬速で畿内政権と一体化した(母体かもしれない)

もともと、大和政権(皇室の直系の起源・大王家)は、
今では、国土軸から外れた僻地に近い扱いの、奈良盆地の「南の端」で成立した、かなり南方寄りの政権で、
中国地方ですら「北寄り杉」であって、紀伊半島南部や四国との関係が深い。
東国要素も、伊勢だとか、渥美半島だとか、どうも温暖な南岸寄りに傾く。

九州渡来かどうかはともかくとして、大和政権自体が、かなり南方的要素を含んでいる
亜熱帯政権だ、ということは、確実に言えると思う。
882名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:38:51.77 ID:f+9G0GWb0
南方系は割りと関連性が見出だせるけど
出雲と吉備は謎だな。

ぶっちゃけ邪馬台国何処とかよりも
当事の豪族勢の躍進とそのルーツのが楽しいわ。
関東は千葉県の安房=阿波としか関連性見いだせん
883名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:40:39.71 ID:g1MZjq0l0
謎ですよねwwww
その神事に使う 大麻草も四国になく 現在は群馬で栽培されてるし。
千葉県の房総の神社には阿波から開拓に来た阿波忌部の記述が残ってるけど
徳島県の神社にはそれらしい記述がないし。
謎が多い忌部www
884名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:41:29.30 ID:uKPFJeU00
>>879
確か仲哀天皇は翌日だったか即死状態だったな。

怪しい術とか呪術とみたいなコワサとは次元が違う感じだ。
喪狩りも先送りされてたな。
885名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:42:58.38 ID:e8hG5tOm0
たぶん氷河期辺りに、
樺太経由で日本に南下してきた原日本人は、

ながいことかけて広がってって、
南方から渡来してきた人達の航海術や稲作技術と出会ったんでしょ。

そのうち稲作の伝播で狩猟から農耕に変化してく流れの一方、
航海術で半島南部あたりまで活動範囲を広げた集団のほうが、
嫁入りによって男系化したんじゃないの。

大国主は駆け落ちしてから勢力を拡大し、
いまでも年に一回、日本中の神様が出雲に集まって、
宴会しながら縁結びの相談するでしょ。
886名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:44:37.79 ID:tDWAO+4T0
A-B-DR  奈良 大阪 島根 岡山 広島 宮崎 鹿児 沖縄 韓
24-52-15. 10.08  8.96. 10.54  9.31 8.55  8.94 8.28  2.77 2.5
33-44-13  5.43  4.59  4.66  3.58 3.60  3.43 3.38  1.41 3.9
24-07-01  3.88  3.75  5.98  4.96 4.96  3.87 2.69  1.45 2.6
24-54-04  2.77  2.83  2.36  2.95 2.93  3.68 3.18  4.45 1.5
02-46-08  2.05  2.19  2.55  2.18 1.81  2.17 1.68  1.45 2.0
26-61-09  1.11  1.70  2.62  2.11 1.67  2.26 1.47  1.26 0.9
11-62-04  1.19  1.36  1.38  1.04 1.78  1.04 0.97  1.04 1.9
24-61-09  1.72  1.53  0.93  1.57 1.45  1.67 1.76  0.95 0.5
24-59-04  0.97  1.09  1.22  1.32 1.14  1.16 1.68  4.29 1.0
11-54-04  1.34  1.02  1.31  0.99 0.99  1.13 1.48  0.71 0.4
Analysis of HLA gene frequencies and HLA haplotype frequencies for bone marrow donors in Japan
Moriyama Y, Kato K, Mura T, Juji T.
Japanese Red Cross Society
887名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:46:01.19 ID:V3LjMpQK0
>>882
特に出雲は不思議。国造と天孫は敵対しているかと、思えばくっついてるし。
くっついているかと思えば戦ってるし。
888名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:47:35.57 ID:g1MZjq0l0
ルーツいいですよね。私の先祖は愛媛の河野水軍(海賊)www
久米氏の事はしりませんでした。 調べます。
889名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:47:37.99 ID:f+9G0GWb0
南朝と北朝の争いだと阿波忌部は南朝側だっけか
あまりこの辺りは関係無いのかな
明治政府設立と共にまた衣作れるようになったらしいけど
890名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:48:13.61 ID:jGc5Q1Kv0
>>885
航海術で半島南部あたりまで活動範囲を広げた集団のほうが
嫁入りするのか?w

竜宮城に行ったのは浦島太郎は女だったのか?w
浦島子は無しなw
山幸彦はどうだ?w
891名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:49:41.26 ID:fWYhYOG+0
魏志倭人伝にある倭国大乱。
それって、だいたい2世紀後半のことなんだろうけど、
ちょうどその頃、銅鐸がいっせいに投棄されたことと関係があるような気がするんだよね。

そう考えると、大乱があったのは近畿から東海にかけてじゃないかな?
とすると、伊勢の可能性もあると思うんだ。
そもそも、邪馬台国も大いなる謎だけど、それ以上に銅鐸が謎なんだよな。
892名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:50:24.66 ID:Vipw+8X5O
>>883
おい…
麻なんて世界中でありふれた生命力強い雑草だよ…
実は食用や油に茎は繊維に戦後GHQがくるまでは大麻畑はたんぼのように有り触れた光景だった
それ程人間の生活に密着してたんだよ…
いらない葉っぱは焚火に入れられ…どうなったかは知らん
893名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:51:15.15 ID:okyiPTWL0
>>891
コインの裏表ね
894名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:53:08.61 ID:e8hG5tOm0
嫁入りってのは、文化形態なんだよ。

自分の部族から他所の部族に女性を移籍させる、
ってのは、文化的な合意が形成されてないとできない。

だから初期には、略奪になる。
たとえ女性の同意が得られていたとしても、
共同体間の関係としては、略奪になるんだわ。

だから男性側の共同体は女性側の共同体に対して賠償するし、
女性は、自分の財産を持って男性の共同体に移籍するでしょ。

つまり結納金と持参金の原型だよ。
895名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:54:47.25 ID:1EVJ2HwL0
邪馬台=ヤマト
卑弥呼=(モモソ)ヒメノミコト

当時、実質的にモモソがヤマト国内で霊能力を用いて独裁者として君臨し、
崇神天皇も含め、誰もモモソに逆らえず、モモソの言いなりになっていた。
それを外国人である魏の使者が見て、ヤマト国は女王が支配している、と思った。

と妄想してみた
896名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:55:57.04 ID:Q59qOV7/O
要するに、我が先祖の清和天皇のルーツは、茨城の日高見の高天原ってことか。
人類のルーツは茨城から始まり、西に拡散して諸文明を起こし、また東の日本へと戻った。
そういえば、世界各国には神話があるが、神視点なのは日本しかないもんな。
897名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:56:48.16 ID:6k2aVhpT0
毎度おなじみのID:cFuo6n2i0 → ID:e8hG5tOm0の詰らんコピペww
898名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:56:59.52 ID:DTgPPc+B0
【卑弥呼の祭祀用建物跡?】
『邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、…』

安本美典先生がこんな記事のタイトルと書き出しを見たら怒るよ。
899名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:57:05.69 ID:Vipw+8X5O
>>891
魏の後光を受け天として鏡文化の発展をさせたんじゃないかな卑弥呼は
神鏡は中国の紀元前からの文化を取り入れたかと
神鏡は太陽をもしたのだけど、太陽神の始まりの卑弥呼を日本書紀では消した
我が国の太陽神が中国に朝貢してた事実をしらせたくないため
後半は俺の予想
900名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:57:09.07 ID:o/9hi7H50
目がシバシバして性穴に見えた。寝よ
901名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 00:58:37.40 ID:tDWAO+4T0
母系社会は土地に強く固定される未開的土人的社会では結構見られる
それでは男が征服したり移動した先で新たな系を作れない
文明化と共に母系制が廃れあるいは滅ぼされ世界的に男系化していったのはこういう背景があってのことだよ
902名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:01:11.92 ID:e8hG5tOm0
母系部族社会の結束は強いんだよ。

それが、互いに女性を交換するってことは、
信頼関係がないと出来ない。

つまり部族間の結束は強まるし、
汎部族化して連合が形成されるだろう、
とは思うよ。
903名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:01:55.11 ID:f+9G0GWb0
>>888
自分の場合、久米氏を知ったのは戦国時代の三好氏からだけど
三好もどうやら元々愛媛出身っぽいんだよね、菊ヶ森三好氏ってのがいるし
で久米と三好は元々同族、中国地方の三次は出雲辺りから来た渡来系らしいが。
904名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:02:12.99 ID:SdHvcn4G0
>>898
数理統計学の扱い方で坂田隆氏に完膚なきまでにボコボコにされた人か
905名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:02:23.15 ID:Q59qOV7/O
中国神話も、東夷がルーツだもんな。要するに、漢民族の父母も、日本人である。
906名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:03:00.87 ID:g1MZjq0l0
阿波忌部は南朝側に付きましたから最後まで抵抗したみたいです。
50年も抵抗し 相当苦労してたみたいです。
当時の政府に反抗したのですからね・・・・祭祀職は・・・
まぁー足利氏の第一子分の細川氏に弾圧されずに部下として命を助けて貰ったのは
救いです。
907名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:05:02.71 ID:Q59qOV7/O
天皇は元々、ひらたい民族ではなかった。Y染色体はD2だろう。
908名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:08:02.95 ID:g1MZjq0l0
三好氏ですかwwww 実は嫁のおじさんが三好氏の本書いてますww
これも何かの縁 勉強します。
909名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:09:42.99 ID:f+9G0GWb0
天皇=弥生顔ってのは解らんでもないが
明治天皇の存在があるからなあ
明治天皇は南方系っしょ?
910名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:10:28.51 ID:fWYhYOG+0
>>899
卑弥呼が鏡の文化を取り入れたという推測に異論はないんだけど、
銅鐸を遺棄したかのように埋めていることが疑問なんだよね。
鋳潰して鏡を作ることも出来ただろうに、なぜ埋めたのか?と言う疑問。

まあ、邪馬台国とは直接関係ないけど、
時期が近いから、なんらかの関係があると思うんだよね。
911名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:10:54.40 ID:iK+YXBjm0
仮に天皇家のDNAを調べたら韓国系だとなったとしたら
ネトウヨ的にはどうなの
912名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:13:02.28 ID:5ek+cXzR0
>>895
祟神天皇自身が、百襲姫の予言によって武埴安彦の反乱の危機から救われてるからねえ
そりゃ逆らえない
913名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:13:16.07 ID:Q59qOV7/O
継体天皇陛下は意富氏族。多氏族である。
914名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:13:38.83 ID:Niqs1fRp0
つうかさあ、今時、母系部族始原説なんて、信じている奴がいるのかよ…

ホモ・サピエンスの群れの掟は、どこまでいっても父系(男系)だよ。
群れを離れて、他の群れに所属が変わるのは、メスと決まってる。オスではない。
その証拠が、語学力。女子生徒のほうが、語学の成績は一般に良い。
母語以外の言語を習得できないと、嫁入り先で暮らせないからな。
915名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:14:59.81 ID:e8hG5tOm0
継体天皇は母系部族連合において、
汎部族的な氏族の文脈で後継者を探索した、
って話になってんでしょ。

よくある話だ。
916名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:17:54.92 ID:Fsb7xSG+0
>>914
近場で悪いが琉球は母系じゃない?
917名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:19:44.86 ID:3zgULR240
>>909
つうか天皇の顔って実際問題天皇のルーツの顔じゃなくて
藤原氏のルーツの顔になっちゃってるよねあんだけ何世代も
藤原氏の母を持つ天皇が繰り返されてるんだから。
918名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:19:53.96 ID:g1MZjq0l0
大麻草と麻を勘違いしてますね。大麻草は中毒性ないんですよ。
919名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:20:18.74 ID:8RmD+mvD0
>>913
いきなり深すぎるだろそれ
915が全くついていけてないじゃん
920名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:22:03.75 ID:f+9G0GWb0
まあ、四国瀬戸内は知名度であまり話題にならんが
物証や遺構とかでかなりの差をつけてると思うし
邪馬台国云々議論の外からピースを埋めていく事に期待
逆にユダヤ云々は消えてもらいましょう(笑)
921名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:22:29.40 ID:e4avbmzU0
>>913
青の○○・・・・・・これ日本の成立の秘密の裏側ですよね
922名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:23:45.47 ID:e8hG5tOm0
ユダヤ人が母系で、
王は男系ってのは、

必然的な類似であって、
関連があるからとは違うでしょ。

歴史的に言うなら、
あっちのが古いんだけどさ。
923名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:25:53.60 ID:1EVJ2HwL0
>>911
天皇のY-DNAが韓国・朝鮮系である可能性は著しく低いよ
およそ日本人男性の4割がD2系、3割程度がO2b1系
D2は日本人限定で、O2b1も朝鮮半島に少数いるが、
日本から進出したものと考えられている
天皇家の家系は古来より日本で最も繁栄した家系なので、
同系の遺伝子を持つ人口割合が少ないとは考えられない

韓国では、日本では少ないO2b*やO3が多数なので、天皇家のY-DNAとは違うと考えて良い
それにしても、天皇そのもののY-DNAを調べるのは無理としても、
男系の平民の旧皇族がいるわけだから、そのY-DNAを調べたらいいのに
天皇のY-DNAは男系旧皇族なら全く同じなんだから
924名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:26:40.61 ID:hp89PKZW0
>>922
壊れたラジオ五月蠅いだけだよ
925名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:26:48.14 ID:Q59qOV7/O
竹内文書では、人類のルーツは日本となる。
超古代の天皇は、世界を支配し、世界に男系子孫を派遣させていたからである。
つまり人類は、日本から西へ行き諸文明を起こし、また東の日本へと戻って来た。
古代の関東地方にあった、秀真国のホツマツタエと合致する。
中国神話もルーツは東夷だし、外国の諸宗教も東方をルーツとしている。

つまり、天皇はロムスカ・パロ・ウル・ラピュタみたいなものか?
926名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:29:33.85 ID:Vipw+8X5O
>>910
俺の予想だけど…
銅鐸には補食者が主に描かれてる。また狩りの様子も
狩りへの信仰を意味していたのが、稲作信仰=太陽の運行信仰に変わったからではないのか
狩りへの信仰を続けたが成果は出ず、銅の無駄が指摘されて…銅鐸は廃止、変わりに太陽を信仰しだしたとか
>>918
大麻も麻もかわりないよ
おおあさとかいいたいの?
927名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:29:48.58 ID:zG4fHYWl0
>>923
天皇家の家系は古来より日本で最も繁栄した家系w

強制国譲りをさせたんだからまあ繁栄もしたことだろう
928名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:31:11.61 ID:e8hG5tOm0
中近東あたりが文明揺籃の地としては妥当で、
日本は、かなり遅れて文化が発達したとは思うけどね。

後から似たような経緯をたどった面もあるだろうし、
知識として伝わってきた面もあるでしょ。

日本は、いろんな意味で辺境だったんで、
ちょっと奇妙な経緯をたどったかもしれないけど、
あんまり突飛なことを言われても困る。
929名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:32:05.94 ID:V3LjMpQK0
>>895
おそらくそれでFA。
モモソが卑弥呼→天照だと思われ。
海部氏勘注系図でモモソ「日女命」とかかれていた点。
日本書紀でのホトに箸をついて死ぬ死に方と天照大神の
ホトに機をついた娘のせいで、岩戸に隠れたと書かれている点。
など倭人伝だけでなく色々な書物と符合してしまう。
930名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:33:20.80 ID:e8hG5tOm0
卑弥呼は職名で、
イヨは個人名と違うか。

卑弥呼はイヨが継いだ、
ってどういう解釈よ。
931名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:34:19.65 ID:3zgULR240
>>923
このスレにもちょいちょいいるような自分は源氏だとか平家だとか自信もって言える奴は
試しに自分でやってみてもいいようなもんだね。
932名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:36:33.82 ID:e8hG5tOm0
団塊のナンタラは、

天皇が日本を侵略して云々、
とか考えてるんで、

我が郷土の先人は中央の支配に抵抗を、
とか頭痛くなるようなこと言ってるんじゃないかと。
933名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:36:40.76 ID:Q59qOV7/O
>>931
でもさ、Y染色体検査って、手間もかかるし、お高いんでしょ?
934名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:37:26.64 ID:Vipw+8X5O
>>930
信仰心の厚い民衆を動かすには巫女の力が必要だったのだろう
男王の時に天災が起きたとか
935名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:37:56.84 ID:PBOiasTyO
邪馬台国がどこにあってもいいよ
奈良に活発な考古学の成果があるという事実
これだけで十分
936名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:38:46.09 ID:e8hG5tOm0
男性が巫女をつとめるのは、
前例がないことだ、

って騒動なら容易に想像できるんだけどね。
937名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:42:57.31 ID:RhX2RtIt0
>>910
祭祀で使われたのなら呪術的に破棄されたのではなかろうか?
938名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:45:22.27 ID:e8hG5tOm0
ネパール人に聞いてみりゃ、

クマリを男の子で代用するとか、
現役のクマリを外国に連れ出すとか、
どう思うかって話で、

それは無理なんじゃないか。
939名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:45:28.26 ID:g1MZjq0l0
アラタエを作る大麻の事わかってないんだね
940名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:47:56.83 ID:tUHyN1zOP
魏志倭人伝に書いてあるというなら、日本のどこかに魏志倭人伝時代の中国人の遺物が残っているはず。
日本は中国に朝貢貿易していたわけで、中国からの文物もあるはず。
941名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:49:01.99 ID:e8hG5tOm0
あるじゃん。
942名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:57:26.63 ID:RhX2RtIt0
>>829
>なぜ伊勢神宮の周りの地域の方言が阿波弁と似ているのか?

阿波も伊勢・志摩も海人族の勢力圏だからじゃないかな?
943名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 01:59:38.28 ID:3zgULR240
>>933
これとか参加すると約2万円でY染色体(男系)、ミトコンドリア(女系)の解析してもらえる
https://genographic.nationalgeographic.com/
944名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:03:28.78 ID:Vipw+8X5O
>>939
中毒性?
ならマリファナ全般に中毒性はないな
945名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:10:41.91 ID:g1MZjq0l0
徳島県の佐那河内村の学校の校歌に 忌部海部の手と手をつなぎ南北文化の力を
集めた血脈この地に受けて真理探り平和を築き って 校歌ありますし。
なにかしら関係はあると思います
946名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:16:07.03 ID:g1MZjq0l0
そうくると思うたよ。 私はアラタエを作る時に日本古来の大麻は中毒性ないと
神主さんから聞いたんで ではなぜ大麻をとりに群馬県まで行かないといけないの?
947名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:16:09.38 ID:fMpznUoT0
>>945
忌部って後藤田家の旧名で
天皇家や
イスラエル十氏族に繋がるとか
948名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:16:23.02 ID:fWYhYOG+0
中央構造線(フォッサマグナ)
ttp://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d2/Tectonic_map_of_southwest_Japan.png

ここに辰砂(丹朱、水銀)の鉱脈があって、古代のハンター(安曇や出雲系と思われる)が殺到した。
辰砂は古代から現代において、重要な鉱物。
(古墳にもよく見られる赤い染料で、奈良の大仏にも使われてる)
メッキや金属の精錬などに使われる。
また、古代中国では、不老不死の妙薬とも伝えられている。
949名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:24:20.72 ID:e8hG5tOm0
出雲なら分かるけど、
安曇とか意味不明だわ。

なにそれ。
そういうのが最近になって出来たのか。
950名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:33:00.49 ID:e8hG5tOm0
はっきり言って、
バカじゃないか、

ってのが多いな、
最近は。
951名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:35:00.25 ID:fWYhYOG+0
>>950
自己紹介乙
952名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:36:31.47 ID:e8hG5tOm0
うん。

みんな同類で、
バカなんだろ。
953名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:42:14.28 ID:e8hG5tOm0
しかし、

バカの独占は許せん。
誰がバカの棟梁かは正々堂々と決めるべきだ。
954名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:44:53.83 ID:Vipw+8X5O
おまえは基地害だな(笑)馬鹿に失礼
955名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:47:09.32 ID:g1MZjq0l0
阿波の阿呆は明日千葉県に出張なんで寝ます。
956名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 02:54:41.07 ID:V3LjMpQK0
たぶん日本書紀のここらへんが、倭人伝の頃だろ。

大和大国魂神はも大和王朝創建以来、天照大神と共に宮中に並斎されていたが、崇神天皇5年、国内に疾病 多く、死亡者が続出。
崇神天皇6年、天皇は、二神が同床にあるのは畏れ多いこととして、天照大神を倭の笠縫村に 移し、
磯堅城(しかたき)の神(ひも)ろぎを立てて豊鍬入姫(とよすきいりひめ)に祀らせた。
957名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 03:00:00.75 ID:e8hG5tOm0
ずいぶん失礼な無味乾燥に解釈するとして、

もともと自前の天照では国をまとめきれないと見て、
分離したんじゃないか。

そのあと、仏教の導入に踏み切ってるし。
958名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 03:03:18.42 ID:1EVJ2HwL0
>>956
卑弥呼=モモソヒメ
の場合には
台与=豊鍬入姫
でほぼ確定で良いよね
959名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 03:06:30.71 ID:Vipw+8X5O
>>957
シャーマンの時代がやっと終わろうとしたんだな
960名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 03:11:02.65 ID:e8hG5tOm0
でも日本は八百万の神々の国だよ。
そこんとこは、どうあってもゆずれない。
961名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 03:26:09.99 ID:fMpznUoT0
>>949
安住氏安曇氏は海人族の神主とかの家系じゃなかったかな
962名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 03:26:19.77 ID:Rpbs6hicO
とりあえず、天照大神の神鏡の文字は
Ehyeh Asher Ehyehです。

この説は絶対に譲れない。

ありのままに@札幌より
963名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 03:29:00.58 ID:e8hG5tOm0
中央集権に抵抗した、

とか団塊がホザいてるだけな気もするんだが、
正直な感想。
964名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 03:29:28.28 ID:qzGkKQAs0
古代神聖天皇は剣山で復活する!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

古代神聖天皇は剣山で復活する!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

古代神聖天皇は剣山で復活する!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

古代神聖天皇は剣山で復活する!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

古代神聖天皇は剣山で復活する!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
965名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 03:46:10.52 ID:2YSdwIJJ0
みこみこナ
966名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 04:15:33.38 ID:lBgpttnQ0
>>962
ありのままのバカ来てんね
967名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 04:21:01.21 ID:/CeGIyAo0
>>956
その大和大国魂神という聞き慣れない神は現在も
宮中で天照大神と共に並斎されてるの?
968名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 04:44:28.21 ID:OtsDo6jl0
>>956
天皇は、二神が同床にあるのは畏れ多いこととして、天照大神を倭の笠縫村に移し……て

自分らの先祖神を笠縫村に移すって、これはっきり言って天皇が思いっ切りビビってんじゃんか

コエー(((((((( ;゚Д゚))))))))
969名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 05:50:09.64 ID:hjWKAOdf0
邪馬台国の神サマ無双キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!
970名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 05:55:41.32 ID:LvnNvM6GO
本当は蛇が神様なんだろ
971名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 05:55:49.22 ID:K8rEe78y0
神話に騙されてはいかん
972名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 05:58:44.79 ID:aJgU6z5N0
ヤマト王権は男王だから卑弥呼と関係ないんじゃね
973名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 06:10:29.78 ID:LvnNvM6GO
今度は倭人伝を信じてはいけないってくるよ

記紀の神話は真に受けるな
倭人伝はシナだから信じるな

けど邪馬台国は畿内に比定したい
何がしたいんだか
974名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 06:14:46.54 ID:Y84XwofT0
>>972
古代ヤマト王権のド真ん中の箸墓古墳には誰が眠ってるんだよ
975名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 07:21:37.05 ID:WbWbBLrJI
ナムジでは徐福の子孫の都が纏向だった
976名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 08:21:53.90 ID:otyWTIj70
伊都だから糸島! 伊都国はほんとうに糸島にあったのか? 

魏志倭人伝にいう末蘆国(唐津)の東南500里は、鉄道唐津線沿いに進んだ佐賀平野にあたる。
ここに伊都国・奴国・不彌国があり、南は有明海に面していたと考えると倭人伝の記述と完全に一致する。
ここまで帯方郡から1万500里〜1万700里となる。
そしてここから南へ1500里〜1300里(約100km余)に邪馬台国はあったと思われる。→ 距離的には熊本県にあたる。
その邪馬台国の中に卑弥呼の都があったという。
今史跡を行けば、上古の火国臼杵郡知保郷に訪ねあたる。→ 上高知保(西臼杵郡高千穂町)。

ここには上古より、お隠れになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 西の宮 がある。
また、お出ましになられた天照大神をお祀りする天岩戸神社 東の宮 もある。
さらには、日向三代の神々をお祀りする高千穂神社もある。
しかし記紀によれば高天原・日向三代は天上の神話であり、建前としても現世地上に神々の御陵のあるはずはない。
そこで身代わりの現世遥拝所として、後世に宇佐に宇佐神宮、伊勢に伊勢神宮が造営されたのではないか?
じつは高知保三社の格付けは村社にとどまっており、古くからご皇室・国家の公式御参詣・御庇護を得ることはなかった。
(想像だが、むしろ公のご参拝は憚られたからではないのかと思われる)
よってやむなく村社として、火国の土豪民衆らにより、祀り護られてきたのではないかと思う。
977名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 09:12:52.23 ID:W90NoByuO
>>852
俺の完全な推測だが、水行陸行の日数が整った数字なのは、
目的地までの行程の途中では、停泊港や宿泊した村々で現地の有力者から様々な歓待を
受けることになると思うんだ。
なんせ同時の日本の人々からすれば魏の使節なんてものは、宇宙人の使節団が
来たようなものだから、港々村々では空前絶後の大々的なレセプションが行われるはず。
だから、実際には歓迎行事やらで魏志に書かれているより多くの日数を費やしていたんじゃないかな。
だから、報告にはレセプションで費やした日数をさっ引いて正味の日数を概算したわけだから、
その結果として日数が丸まったんじゃないかと思う。
他にも海路なら船の故障だの、時化や風待ち潮待ち。陸路でも荒天やら川止めやらいろいろな
攪乱要素があるだろうから、距離感を伝えるための報告用の日数は鉛筆を舐める必要があっただろうし。
978名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 09:31:13.93 ID:y4G1sRsQP
自分に「知識がない」ことを知らないのはとても恥ずかしいことだ。
そのことにすら気付けない人間は、おおよそ他人の同意を得るのは困難だ。
979名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 09:37:56.89 ID:eHnneD8t0
邪馬台国は四国だよ
980名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 12:32:57.17 ID:LvnNvM6GO
風は西から東へ吹いてる
雲は九州から本州に流れてる
981名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 12:40:55.95 ID:otyWTIj70
>>977
日数は、たとえば魏王の詔書・文書・賜物などを伝送(駅伝送)するに要する日数だ。
歓待なぞと、下っ端小役人のような物ほしそうな事を言うでない。
中国人に笑われるわい。
982名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 12:54:53.27 ID:D1UFJWIm0
記紀の記載に基づけば、崇神天皇の時代に、大和朝廷は四道将軍送ったりして
中国方面の平定にかなり力を割かなければならなかったことが分かる。
つまり、出雲・吉備のあたりは畿内の大和朝廷にとって敵だった。

邪馬台国が畿内にあったとすれば、魏の使者は出雲・吉備の勢力圏内を安全に抜けて
こなければならないんだが、邪馬台国は出雲・吉備と同盟を結べてたんだろうか?
それとも、出雲・吉備は敵であっても、瀬戸内海は出雲・吉備の勢力圏外で
安全に航海できたんだろうか?
983名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 13:08:55.09 ID:ACwPdRbE0
>>981
しかしさぁ、距離の概念が、時間でしか認識されていなかった・・って日本人らしいよなぁ

こんな昔から日本人は

実際に、どのぐらい離れているかなんて、どーでもいい
「それをするのにどのくらい時間を要するのか」
だけわかっていれば良い、ことたりる

実際に、どのぐらい離れているかより、そっちのほうが重要なんだから

っていう、【仕事】優先の国民性だったんだね(^_^;
984名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 13:13:59.51 ID:Kb6YRg3AO
>>983
日にち計りしかできないくらい遠くまで交流してたのかもしれない
985名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 13:17:41.00 ID:otyWTIj70
日はかりだけとはまるでモンゴル帝国
いや、さてはモンゴル方面からの渡来人か
986名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 14:00:18.33 ID:Ye76Srbp0
もう邪馬台国はメキシコあたりでいいよ
987名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 16:38:54.94 ID:1UVLJUdP0
親魏倭王印貰ったので
ヤマタイ国でなくてやっぱり倭だったのに
魏志倭人伝信じて
ヤマトにしたとは
988名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 16:49:28.20 ID:RhX2RtIt0
>>982
瀬戸内は戦国時代も色々だったしねえ。
989名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 16:53:14.15 ID:RhX2RtIt0
帯方郡などのように中原の植民地としてそれなりに長く勢力圏にあれば
在中の技官などによってそれなりの測定はされているだろう。
倭はその外だから魏人であっても日計りになるんじゃなかろうか?
990名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 17:02:22.65 ID:0+9cdS0F0
>>956>>968
ホントに怖いのはその次からですよね

天照大神を以ては、豊鍬入姫命に託けまつりて倭の笠縫邑に祭る。仍りて磯堅城の神籬を立つ。
亦、日本大国魂神を以ては、淳名城入姫命に託けて祭らしむ。然るに淳名城入姫、髪落ち體痩
みて祭ること能はず。

いやはや、祟神天皇が倭大国魂神を皇女淳名城入姫に祀らせたが、髪落ち体痩せて祭祀が
できなくなった、とありますがただ事ではありませんよね
その後の垂仁の皇女淳名城稚姫も倭大国魂神を祀ろうとして同様の状態になりできなかっ
たんでしたね
991名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 17:08:34.74 ID:1UVLJUdP0
飛鳥に遷都したのは海と陸の旅で
こじつければ魏志倭人伝の場所に近いと
思って選んだ可能性あるとは
992名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 17:09:10.18 ID:KJQkJoWv0
おお、なんかすごいニュースがきたな
993名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 17:09:11.11 ID:o5qGfYYqP
>>981
もう少しちゃんと俺のレスを呼んでほしい。
魏使は駅伝じゃなく冊封使なんだから接待漬けだよ。
994名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 17:52:10.01 ID:otyWTIj70
>>993
内心、接待うけたい気持ちはわからんでもないがのう
2ちゃんでは、オレは酒と女の話は飽きたわといえ。あちこちの外人が読んでるし、検索でもすぐ引っ掛かるからの。
995名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 18:31:42.08 ID:o5qGfYYqP
>>994
波濤を越えて命がけの旅をして、最果ての東夷の国まで赴いたのも
接待と進物の役得があればこそだろ。
つか、卑弥呼を抱かせろアル!
996名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 18:33:10.25 ID:oRHNdo3UP
お〜
997名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 19:05:54.18 ID:oRHNdo3UP
ひぃ〜 w
998名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 19:09:01.55 ID:wSfBMX3L0
みぃ〜
999名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 19:09:04.08 ID:/ntdhD6z0
>>668
次スレはよ
1000名無しさん@13周年:2013/02/08(金) 19:12:41.45 ID:RMBgF/5P0
九州説終了のお知らせでした
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