【社会】卑弥呼の祭祀用建物跡?奈良・纒向遺跡で柱穴100個超出土★4
1 :
再チャレンジホテルφ ★:
★卑弥呼の祭祀用建物跡?奈良・纒向遺跡で柱穴100個超出土
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した時期にあたる3世紀前半の小型建物の柱穴が
100個以上見つかり、市教委が1日、発表した。約60平方メートルの狭いエリアに
集中し、小型建物を建てたり壊したりした跡とみられる。遺跡の中心部で柱穴が
集中して確認されたのは初めてで、専門家は「年に数回、卑弥呼が特別に
執り行った祭祀(さいし)用の建物跡ではないか」とみている。
市教委は過去の調査を踏まえ、遺跡の中心部は、卑弥呼の宮殿とも指摘
される3世紀前半の大型建物を含む4棟の建物が東西に並んでいたと推定。
今回、昭和53年に柱穴の一部が確認されていた最も西側の建物の推定地を
調査し、この建物に関連する柱穴は確認されなかったが、周辺で直径10〜
60センチの柱穴を100個以上確認した。
市教委によると、建物群の入り口にあたるとみられ、「特別な空間」として
利用された可能性が高いという。古代祭祀に詳しい辰巳和弘・元同志社大教授
(古代学)は「卑弥呼が年に数回、食物の収穫を感謝する祭祀のたびに建てられ、
祭祀後に取り壊された複数の小型建物の痕跡ではないか」と推測している。
一方、今回の調査では、4世紀中頃に整備された豪族居館の周濠(しゅうごう)跡の
一部も確認された。過去の調査を踏まえ、周濠の規模は東西約65メートル、南北
約54メートル、幅は最大5・8メートル、深さ最大60センチ以上と判明した。
市教委は「3世紀の宮殿エリアを囲むような周濠で、この周辺のエリアが、世紀を
またいで政治や祭祀の神聖な土地として利用されていたのではないか」とみている。
現地説明会は3日午前10時から。JR桜井線巻向駅の西方徒歩約5分。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130202/art13020213480002-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/images/news/130202/art13020213480002-p1.jpg ※前スレ(★1:2/02(土) 16:07:36)
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1359907557/
2 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:10:29.71 ID:dBOZ2Wrc0
2
3 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:11:21.73 ID:hhEN1Yaj0
4 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:13:06.16 ID:dulBwIhE0
時代は邪馬台国より出雲!
このスレは伸びる!
議論に大学の派閥が絡んでるんだろ?
6 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:13:29.41 ID:jFyNKd5A0
卑弥呼のほんとの発音は?
こないだ伊勢神宮行ってきた
今年は式年遷宮といって、20年にいっぺん、社をまったく新しいものに建て替える年
毎年建替えて、五穀豊穣を祝った古い風習の名残りではないかと言われているとも聞いた
8 :
忍法帖【Lv=7,xxxP】(1+0:5) :2013/02/05(火) 00:15:51.64 ID:z60m4W3S0
九州オワタ
10 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:17:49.92 ID:dBOZ2Wrc0
せやな
11 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:18:29.39 ID:z0uCYC94O
吉野ヶ里とは一体何だったのか
最近Q太郎見ないな
こう言うの見るたびに思うけど、邪馬台国しかネタが無いのかと。
他にも原・大和みたいな国があったんじゃねえの?
観光ブランドが欲しいだけじゃん!
14 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:22:40.06 ID:TLsc3eiC0
15 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:23:16.64 ID:8tnKGLiG0
吉野ヶ里にはよく行くけど展示物ガラクタばっかだしな
あと倭人伝に記載されている大宮殿に婢千人が仕えていたイメージが全く湧かないんだよな
あの復元された建物群からは、だからもう九州説は諦めるわ、畿内説の勝ち
16 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:23:51.08 ID:CMIMaMkv0
日巫女
17 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:27:22.34 ID:TLsc3eiC0
奈良が本店、九州は支店って事でいいだろ?w
九州と奈良は当時、接していた
巨大な地殻変動により
神武東征してきたんだから、
もとは西にあったんだろうとか、
それが東に勢力を拡大したんだろうとか、
いろいろ混ざってんじゃないの。
20 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:32:14.32 ID:4J+UjqWl0
誤 卑弥呼(中国人の当て字)
正 日皇女など
邪馬台国九州説を唱えてるのは畿内天皇家の権威を否定したいキチガイバカサヨ・朝鮮人
学者だけ。
22 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:34:43.15 ID:4J+UjqWl0
誤 邪馬台国(中国人の当て字)
正 大和国
台は「ト」と呼ぶことがある。
23 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:36:57.60 ID:xYlcMVDY0
九州説完全終了だなwww
今に見ていろ ハニワ原人 全滅だ♪
25 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:39:20.89 ID:jD9q+2QwO
おまえらバカだな邪馬台国は台湾だぞ
26 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:41:12.97 ID:1DPg8RkJ0
卑弥呼=日女命 が正しい。
27 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:41:25.07 ID:6et3tuP80
やっぱ邪馬台国は奈良にあったんじゃないかw
九州説死亡。
28 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:43:20.92 ID:xYlcMVDY0
>>20、
>>26 俺は姫命(比売命)だな。
よく言われる"○巫女"はないと思う。巫の訓みは「ふ」で、
「巫女(みこ)」はだいぶ時代を下るのだ。
同様に「皇」も新しい。
30 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:47:58.55 ID:EPr+/lGW0
九州説を唱えてる奴の必死さがキモい
31 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:49:57.21 ID:F4Zv4opD0
32 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 00:54:29.27 ID:TLsc3eiC0
卑弥呼は朝鮮半島出身
35 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:05:32.64 ID:OwRTOFiNO
お疲れ様です。
【臺】國(女王の都する所なり)に至るには水行十日、陸行一月。官に伊支馬。次を彌馬升。といい、次を奴佳?という。七万余戸ばかり。
女王國より以北はその戸数・道里を略載し得べきも、その余の旁國は遠絶にして詳かにするを得ず。
邪馬台国出雲の根拠は、↑これです。
つまり九州より北の地方でかつ山と山陰に隔てる街、人口は7万人。
出雲しかありませぬ。
ありのままに@札幌より
36 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:08:30.68 ID:oVWy5sA10
大規模な国家みたいなものがあったということと、その国家が中国で邪馬台国と呼ばれていたこととは
いきなりつながるわけじゃない。こういうことを言うと「その時代に最も大きな国が邪馬台国に決まってる」とか
論理無視の反論を受けるわけだ、これが。
37 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:10:46.17 ID:oVWy5sA10
どっかに「卑弥呼参上!夜露死苦」とか落書きでもしてあるのが見つかれば別だが。
38 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:11:25.09 ID:cBlhNBvL0
邪魔大王国
39 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:11:48.34 ID:l8ydLYsc0
>>35 七万人じゃない。人口でいえばだいたい30万から40万人だろう。
で結局、なんで邪馬台国は畿内説が有力なのか
説明キボンヌ
41 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:13:48.14 ID:jFyNKd5A0
ジパング:
語源については、「日本国」を中世の中国語で発音した音が語源とされ、
マルコ・ポーロがCipanguとして最初に紹介したと言われる。
↑
卑弥呼の場合
邪馬台国で〇〇〇と言われていたものを当時の中国語で卑弥呼と宛てたわけで、実際何と発音するかは不明じゃないか?
便宜的にヒミコといっているだけで。ましてヒメミコなんてこじつけじゃね?
>>30 もう、九州説は観光資源というか利権だからな……
43 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:14:09.56 ID:6et3tuP80
>>37 遺物の麻の下着に「卑弥呼」と刺繍入っていれば、確実なのにな。
44 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:18:02.17 ID:l8ydLYsc0
畿内説の優位な点は、奴国「博多」から投馬国「吉備出雲」邪馬台国「大和」までの連合国としている点。
そしてそれを裏付けるように巻向遺跡から全国各地の貢物が、見つかったこと。
だから全国どこで新たな発掘がされても巻向遺跡との比較がなされ、
その度に畿内説が強化されていく。
九州で新たな発掘がされても、多分そうなる。
日本は今でも読みだけなら「じっぽん」と読める。
ジパングへの変化は無理がない。
マルコポーロ一人の見聞が元だとは言えないし。
卑弥呼については異論なし。
46 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:19:18.22 ID:TLsc3eiC0
>>36 俺は歴史について無知だけど
いくつかの国が存在したと考える方が普通っぽい
そして邪馬台国が他国との外交に積極的だっただけかもしれない。
2番手3番手の国だったから他国との関係強化を計ったのかもしれない・・・
47 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:19:26.44 ID:OsdusyYH0
ハニワ幻人の遺跡にきまっている。
>>44 >巻向遺跡から全国各地の貢物
へえこんなことがあったんだ?
岩手の八幡平説はどうなったん?
でどうして畿内説が有力なのか未だにまともな説明が無いな?
九州説は説になってない 70000戸がどこにあったのかすら提示されていない
和辻哲郎の解釈は面白いね
三世紀の倭人が、魏の使者に日本書紀の原形神話を語って聞かせた
魏使は通訳を介しての理解なのでうまく伝わらない
すなわち、アマテラスが卑弥呼となり、スサノオが補佐役の王弟として伝わった…
それが魏志倭人伝ではないか、という解釈
54 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:42:47.04 ID:etAwS2NP0
(千里≒76km)
始度一海千餘里 至【對海國】
又南渡一海千餘里 至【一大國】
又渡一海千餘里 至【末廬國】
東南陸行五百里 到【伊都國】
東南至【奴國】百里
東行至【不彌國】百里
南至【投馬國】水行二十日
南至【邪馬壹國】 女王之所都 水行十日陸行一月
其南有狗奴國 男子為王 其官有狗古智卑狗 不屬女王
自郡至女王國萬二千餘里
計其道里當在會稽東冶之東
女王國東渡海千餘里復有國皆倭種
55 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:44:01.50 ID:N0mXhe/c0
>>41 日本ジパンと同じように、今でも読めるでしょ。
中国、さらにはエジプト、メソポタミアなんかに比べれば全然「古代」じゃない。なのに何で?何十年も謎のままなの?この分野は他の分野に比べて人材不足なのか?能無しが集まってんのか?
57 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:45:59.79 ID:BfbSzTVe0
つまりはエジプト、メソポタミアなんかは古代じゃないって事だよ(笑い声)
59 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:46:48.04 ID:kCDAx+fy0
>>56 資料が残ってないからな、
意図的に消されたんだよ邪馬台国は
60 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:47:12.49 ID:TLsc3eiC0
文字が存在しなかったのが痛いね。
他の文明は文字によって解明されている
>>52 70000戸って魏志倭人伝の描写だろ?
中国の歴史書で数字が盛りられるのは
いつものこと
「大きな国が朝貢してきた」と主張したいためとかいう説を聞く
つーか畿内説だと70000戸の説明がつくのか?
>>53 なるほどそれは面白い
62 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:47:55.90 ID:l8ydLYsc0
>>48 どうも、にわかに信じられないけど
調査しているとここで農業をしていた形跡も
ないらしい。
>>62 ここってのはマキムクで?
まあマキムク自体で農業をすることもないんじゃないか
65 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:54:25.14 ID:l8ydLYsc0
>>61 魏志倭人伝がもっているのはいいとして、奴国をはるかに上回る大国であるのは間違いないよな
九州内ではそれはどこよ 遺跡はこれから見つかるってことでも良いから
68 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 01:54:57.90 ID:nNyqedWe0
捏造してまで奈良に誘致したいか邪魔台国
>>62 本当だとして、
集落じゃなく、都市になるのか。
>>65 だからなんなんだか解らん?
大きいならむしろ農業関係者がいない可能性が高いと思うぞ
>>67 どうして奴国より大国とするんだか解らんが…
大陸との交易が盛んな北九州のどっかでいいんじゃね?
>>56 じゃ、ブラジルのアマゾンに生息してる部族の歴史なんて分かるのかと。
当時の日本も中国からしたらそんな扱い。
文字数も無かったしな
ナムジを読み直すか
>>70 奴国の人口が2万戸で、邪馬台国の人口が7万戸って倭人伝にあるでしょ
74 :
sage:2013/02/05(火) 02:03:35.11 ID:etAwS2NP0
相も変わらず妄想捏造ばかりだな畿内説は
真摯さと言うものがない朝鮮人か
自慰小説でも書いて読んでいるが良い
75 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:05:04.02 ID:l8ydLYsc0
>>69 イメージとしては平城京だと思った。
まだまだ発掘してみないとわからんけど。
>>13>>56>>60 日本書紀を編纂した時にそれまでの記録は徹底的に抹消しちゃったから中韓の史書に頼るしか方法が無いが、
そっち方面はほぼ調査し尽くしているので後は発掘品から懸命に想像する他無い
それと、記紀即ち自称日本の正史を編纂した皇家が1200年の時を経ても尚日本の頂点に居座っているので、
その権威を揺らがせたり覆したりする様な調査や議論がやり辛いという問題もある
77 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:06:12.68 ID:ejt95czl0
7万戸
昔は1戸≒5人
7×5=35万人の大都市
九州説なんて本当は学者も信じてないんでしょ
地域おこしのためにやってるだけ
考古学者って、遺跡のよくわからない部分はとりあえず祭祀用ってことにしてそう
80 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:09:06.24 ID:TLsc3eiC0
81 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:10:19.12 ID:PWVuNvWk0
狗奴国に住んでいるんだが…魏の後ろ盾を持った邪馬台国に滅ぼされたことになっている。
マキムクの土器で一番多いのが東海というのが気になる所だ
大和朝廷は
>>44の言うような瀬戸内連合だと思っていた
しかし東海との関係の深さをみると
どうもそんな感じがしないな
マキムクと大和朝廷に連続性がない…という可能性もあるんじゃないか
東海との関係性の深さは
マキムク政権は西からではなく東からやってきた可能性を示唆しているように思える
だが天皇は西からやってきたと主張している
>>73 魏志倭人伝の時の奴国かあ
てっきり前漢に朝貢した方の奴国かと
>>66 >伊勢・東海系 : 49%
伊勢方面のバック、陰部から責められたら
ひとたまりも無いな w
84 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:13:15.48 ID:OwRTOFiNO
いずれにしても、戦後の団地開発で天皇陵墓に比定さてた古墳まで壊されて破壊し、さらに盗掘されます。
このような時代は、高度成長期まで続きます。ゴルフ場→マンション開発…古墳の受難期ですね。
ありのままに@札幌より
85 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:16:05.99 ID:PWVuNvWk0
弥生時代なんて日本は中国に貢ぎ物を送ってたからな。
86 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:17:05.66 ID:TLsc3eiC0
もし、将来2ちゃんのログだけが残り、それを宇宙人が見つけて日本について
書いたならトンデモ国家が出来上がるww
87 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:18:01.42 ID:SrHw5V6XO
三韓征伐も住吉大社に力が集まって効果あり
>>76 > それと、記紀即ち自称日本の正史を編纂した皇家が1200年の時を経ても尚日本の頂点に居座っているので、
> その権威を揺らがせたり覆したりする様な調査や議論がやり辛いという問題もある
俺もそんな気がする
マキムク政権を簒奪した大和政権というシナリオが出てこないのは
ただただ奇妙だ
>>82 箸墓が倭迹迹日百襲姫命の墓とも言われているし、
纒向が大和朝廷と無関係と言うのは考えられないんじゃないかと思うが
神武東征が事実ではないことはもはや議論の余地がない
ではなぜ神武東征の逸話が作られたのか
答えは簡単
かつて西に権威が存在したと当時一般に考えられており
時の権力者がその正当な後継者であると主張するために作られたのだ
問題は邪馬台国がかつて西にあった権威を指すのか
それとも逸話を作った者の治める国を指すのかだ
91 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:20:34.32 ID:8tnKGLiG0
邪馬台国は奴国では無いし、佐賀平野近辺は筑後川の氾濫があるから
吉野ヶ里遺跡にしても山の麓の一部に限られるから
倭人伝の記載にある邪馬台国と比べて非常にショボイ国々だし(恐らく名前だけ記載されてる雑魚国家)
宇佐と宮崎はこの時代よりも新しいし、隈本は、隅っこつまりは端っこだし
地域上げて「狗奴国」の根拠地と言ってる位だしw
どう考えても九州惨敗です・・・
92 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:21:21.85 ID:OwRTOFiNO
イスラエルのテルアビブ大学、ここは聖書の権威です。
これに習って、アイヌ語の音韻から倭人伝の人名・地名を解析しては?
ありのままに@札幌より
古代史って
漢委奴国王印が57年でしょ?時系列的にいろいろなんだかな、感がある
こんな感じではないか
1…東海からやってきたマキムク政権がマキムク遺跡を作った
2…西からやってきた天皇がマキムク政権を倒して、跡地を制圧
邪馬台国は九州の天皇なのか
畿内のマキムク政権かは不明だが
畿内の天皇というシナリオはなさそうだ
マキムク政権は九州とは疎遠なのに
天皇は九州から来たと主張しているからな
>>89 誰が言っているんだ?
>>90 大和朝廷は実は東から来たにもかかわらず、
昔は野蛮な出自だったことを隠すため、九州から来たことにしたのか
おそらく奈良の地元の人間からしたら、筑紫日向なんてとんでもない遠くのことで誰も知らずばれない
松平家が出自を無理やり源氏の系図にくっつけたのと同じか
>>82 >東からやってきた可能性を示唆しているように思える
気になるところなんだけど、逆も有り得る。
支持勢力じゃなく、征服支配地だと考えれば。
10%台の地域を縁戚、支持勢力と考えれば帝記と合うちゃうなぁ w
97 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:35:49.95 ID:l8ydLYsc0
>>82 箸墓には、吉備て作られた埴輪を並ぺて
るから
やっぱ北九州から畿内ぐらいじゃないか
倭人伝とも一致するし。
ただそれより東は、どこまで勢力範囲だったのかわからんな。なんかありそうな感じ。
98 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:36:48.71 ID:OwRTOFiNO
オッカムの剃刀
出雲の祖先の地は、島根県だった。しかし何もない京都府に本拠地を移し、そこで栄えた。
ありのままに@札幌より
三世紀の段階だと日本で大陸との交流が活発なのは北九州と聞く
その北九州との関係が疎遠なマキムク遺跡が
邪馬台国の可能性は薄れたように思えるな
しかしマキムクが大和政権である可能性はまだ残っているか…?
しかし九州から来た天皇が九州を掌握していないというのは奇妙だ
マキムクができた時期だけ九州が反乱を起こしていた可能性もあるか…?
>>96 たしかにその可能性もあるが
大和政権の歴史書によれば、西から制圧を進めてきたはずなのに
東の方が先に制圧済みってなんなんだよ?と思う
いずれにせよ大和政権の可能性は低いものと思われる
邪馬台国はたまたま大陸に近く使者を送ることができたただの小国
山と海に囲まれ他国から侵略されにくかっただけ
倭国大乱はその小国で起きた現在の尺度で見れば小さな地方の小競り合いでしかない
全部西の小国で起こった取るに足らない出来事
しかしそれがたまたま魏志倭人伝に残ってしまった
東の大国にとっては大事だ
その小国の正当な後継であることを示す必要ができてしまった
そこで生まれたのが神武東征
熊襲を滅ぼしたのは邪馬台国
邪馬台国を滅ぼしたのが大和国
ヤマトタケルが宿敵であるクマソタケルの名を不自然に継いだのはなぜか
大和国が邪馬台国の名を継いだことの暗喩ではないだろうか
大和朝廷の歴史書と整合性を考えるなら
マキムク政権の後に西から来た天皇がマキムク遺跡を制圧したと思われるが
五世紀の倭王武の上奏文によると「西の蛮族をぶったおしたったww」とか言っているんだよな…
西から来た天皇の発言とは思えない
どうもまだ大和政権とは連続性がなさそうだ
確実に大和政権が出来たといえる時期っていつだよ?
>>97 吉備って岡山あたりだろ?
どうして北九州までが勢力の根拠になるんだか解らん?
>>99 宮内庁が言っているだけですね
しかも研究者を入れずに勝手に決めたんですね
で結局、なんで邪馬台国は畿内説が有力なのか
説明キボンヌ
倭王武=雄略天皇と比定されているわけで、これに反する説はあるのか?
>>104 どうして比定されたんだい?
天皇が九州との関係が深いことは
後年の天皇が九州方言と近縁な言語を話していたことから解る
しかし倭王武にはそんな近縁さを感じさせない
現行の天皇の先祖が政権を握ったのは、もっと後のことと思われる
106 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 02:55:07.15 ID:BfbSzTVe0
大国主の国譲りの話からおそらく負け組になったと想像される出雲族だが
その後、諏訪湖まで行って社を建て、さらに東の埼玉に進み地元民とともに関東最古の神社を作った
それが現在オタクの聖地として参拝されている鷺宮神社なのである
線路が邪魔でもう掘れないんだろ
邪馬台国から追放された朝鮮豪族が作った国があった
そしてその国は銅鐸文化圏を作った
銅鐸はもともと朝鮮発祥のものだ
その国は邪馬台国と交易を繰り返し力を蓄えそしてついには滅ぼした
そして自らが邪馬台国の正当な後継であると主張する
大陸の下僕であることを示す鏡
邪馬台国の後継であることを示す剣
日本土着の文化である勾玉
主張を裏付けるためにこれらを神器とした
そして朝鮮由来の銅鐸は破壊され埋められた
大和国の誕生である
>>100 まぁ自然に神話と合わせれば、長髄彦の都でしょうね。
そしてやっぱり妹がいて、異族ニギハヤヒノミコトと婚姻してんだな。
>>101 >全部西の小国で起こった取るに足らない出来事
>しかしそれがたまたま魏志倭人伝に残ってしまった
所謂「偽僭説」に近い形だがその可能性は完全には否定出来ない。
実際歴史上地方の勢力が「日本国王」を外国に名乗った例もある。
が「それはなかった」というのは「悪魔の証明」であって
そういうレアケースがあったと証明するのはそれを主張する方(=九州説)だ。
結局学術的には九州説なんてもう大昔に消滅していて
作家の面白おかしく書く半分フィクションの世界にしか残ってないのが現実
112 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:13:51.53 ID:zmRSneDe0
その現実とやらが一番不自然で、記紀の記述とも中国の歴史書とも一致しないんだよね
弥生遺跡数で言うなら、福岡は奈良の4倍
銅器なら12倍
鉄器は、弥生時代の奈良からはほとんど出てこない。
むしろ弥生遺跡は奈良周囲のほうが多く、
奈良自体は真空地帯。
そういう空き地だったからこそ、藤原京や平城京を
建てられたのであろう。
大和族は出雲族に対して、蛇は祟る蛇は執念深いなどのプロパガンダを行い
さらにオロチ退治などの創作活動で弾圧の歴史を魔物退治へと書き換えていった
大和族の中に酷いレイシストの渡来人集団が混じっていたたのは間違いない
115 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:17:21.28 ID:TUvWadOx0
中国にキセノフォンとかカエサルくらいの観察眼と行動力を持った人がいたら、
こんなあやふやな古書に振り回されずに済んだのにな
>>113 じゃあ邪馬台国=福岡平野説だなw
九州が誇る弥生時代の考古資料というのは殆ど玄界灘周辺地域に集中する。
豪華な副葬品が埋葬された弥生王墓もその地域だ。
がそれらは通説なら伊都国であり奴国。
更に大国を九州内に探すのはほぼ無理。
故に放射説とか短里とかアクロバチックな解釈で北部九州に収めるか
まだ見ぬ巨大遺跡群がど国家に眠ってると言う夢物語を吹聴するしか無いw
117 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:24:00.22 ID:d2R0HYuZO
イザナキの神とイザナミの神が国造りを始めたのが九州でいいのかな。
◆≪伊邪(ミヤ)国≫
魏志倭人伝の21か国中の1国。
初代天皇の出身地。
後に「みやこ」「みやび」「伊邪那岐」「ミヤザキ」の語源となった国。
魏志倭人伝の時代、ミヤ国は邪馬台国の属国。
◆≪邪馬台国≫
後のクマソの一地域
◆≪高千穂≫
宮崎平野から眺めた九州山脈
◆≪天孫降臨≫
高千穂への天孫降臨はミヤ国の豪族が自らを権威付けるための作り話。
◆≪東征≫
神武東征は史実。ごく少数の独立部隊が記紀の通り吉備の協力で成し遂げた。
傍から見て(考古学的に見て)ヤマトに吉備の影響がみえるのは実動部隊が吉備の
勢力だったため。
ゆえに初期ヤマト王権はミヤ国(日向)の遠い属国。
◆≪クマソ≫
畿内からみた南九州を指す概念ではなく、日向から見たその周辺地域を指す概念。
◆≪弥五郎≫
「景行天皇」とその皇子とされる「ヤマトタケル」のこと。
あるとき周辺国から孤立した日向は、遠い属国の景行天皇(弥五郎)に周辺国の征伐に
協力することを命じた。
遠征の末、周辺国の鎮圧に成功。この功績により「クマソ」の一つから「ヤマト」の
国名を譲り受けた。
そもそも中国人も奈良まで行ったのなら天皇に会うだろw
なんだよ卑弥呼ってw 誰だよw
松浦までの記録で、短里が使われたのは明らか。
短里短日説だと熊本だが、
畿内まで行ける行程説は、公里、短里説共に存在しない。
121 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:31:36.06 ID:zmRSneDe0
各地に各勢力が割拠してて、でも戦国時代ほど密度が高くなくて、独立性が高くて
その中で中国と交流があって朝鮮でもめてたのが九州の勢力ってだけの話だろ
ぎしわじんでんに卑弥呼の後の代に内乱で殺し合った時にアドバイザーの中国人がもっと仲良くしたらどうかと代表者にアドバイスした、というくだりがあった。
名前もでてたけど資料にみえる最初の中国人。てか邪馬台国に中国人がいたことがすごい。
金印が出土したのは九州だから邪馬台国は九州だ
距離も方向も、統一的な修正で、畿内に行き着く方法はない。
短里を肯定し、またあるところから公里となり、
あるところまで南へ行き、またあるところから東に行かなければ、
畿内には行き着かない。
畿内に行き着く行程論は存在しない
125 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:37:25.34 ID:8tnKGLiG0
倭国大乱は九州とその他(あえてそう言う、とまで俺は言う)の争いだったんだろ?
瀬戸内海なんて当時のハイウェーだから、外洋と違くて移動は水行で楽チンパ
目の前に標高5000mの山脈が横たわっていたら戦争どころか人の往来すら困難だが
瀬戸内海はお船漕ぎ漕ぎ楽チンパ、つまり争いも容易く、ひたすらに消耗戦が続くわけだ
それなら和平でもして女王共立して武力以外の手段で争あらそうか?そんなオレ理性的でカッコイイ的なー
ま、そんな感じだろうw
126 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:39:52.06 ID:TLsc3eiC0
1万年後にスカイツリーの後を発掘した人は「祭祀用建物跡?」と言うんだぜw
127 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:43:23.90 ID:PWVuNvWk0
NHKで清盛やってた時、王家に異論者数多くいたが、史実としては、
天皇は王家で、倭王の称号を時の中国の王朝から貰っている。
昔の奈良のお母さん
「ほら、穴ばっかり掘ってちゃダメよ。他の遊びしてなさい」
氏名 改田光崇
職業 名古屋市職員
所属 名古屋市守山区
職級 課長級
住所 名古屋市名東区
職歴 区役所庶務係員→環境局庶務係長→
名古屋市リサイクル推進センター課長→保健予防課長→
保険年金課長→守山区民生子ども課長
奈良の唐子鍵遺跡周辺のトレンチによる発掘調査で、
みずの流れの少ない、厚い堆積層が、弥生期くらいまで
存在したことがわかっている。
おそらくは、奈良湖、あるいはその後の湿地帯で開発が困難だったのであろう。
これを開発できる勢力が外部から参入し、
一気に広がっていったのが、土木工事を得意とする
古墳大好き勢力である。
これが大和朝廷の元祖である。
邪馬台国は津波で滅びた
132 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:46:48.20 ID:1XLq5C7I0
実は卑弥呼は48人いて、総選挙で代表を決めていた
>>132 他国との戦いに敗れたときは霊力が足りなかったとして
その責任を取らされて丸刈りにされたというのが定説
134 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:55:09.76 ID:OwRTOFiNO
…官に伊支馬(いきま)がある
この人が卑弥呼の副官で、かつ出雲風土記に記載された人名でしょう。
かつ、青龍三年銘の青銅の鏡。当時はハイテク!
ありのままに@札幌より
135 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:55:11.40 ID:xYlcMVDY0
136 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 03:58:35.38 ID:TUvWadOx0
邪馬台国はその戸数から言ってせいぜい県一つくらいの規模だろ
それから交易も思いのほか発達してたかもしれないし、権力者たちの婚姻関係もあったかもしれない
それらを考慮に入れずに場所を断定するのは早計
考古学なんて証明はほぼ不可能なんだから、あまり凝り固まらない方がいいと思うけどね
倭人伝では、卑弥呼の墓は室なし、柩あり、となっているので、
ほとんどの前方後円墳は適用外である。
ホケノ山も石室があるので適用外。
それ以降のほとんどの前方後円墳も、適用除外であろう。
139 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:04:36.49 ID:TUvWadOx0
>>137 なるほどしかし
たとえば卑弥呼の死から100年後、古墳に移葬された場合はどうする。
国家事業でそういうことしててもおかしくないだろう。
141 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:08:03.15 ID:OwRTOFiNO
現代風表現
その国は、もとまた男子をもって王としていた。
7〜80年まえ倭国は乱れ、あい攻伐して年を歴る。
すなわち、ともに一女子をたてて王となす。名づけて卑弥呼(女王:ひめみこの音を写したとみられる)という。
鬼道につかえ、よく衆をまどわす。年はすでに長大であるが、夫壻(おっと・むこ)はない。
男弟があって、佐(たす)けて国を治めている。
この時代の卑弥呼は、日の巫女=卑弥呼は何代も続きます。
わたしは、続いた卑弥呼をトヨと呼びます。
ありのままに@札幌より
142 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:09:11.49 ID:PWVuNvWk0
古代の日本はロマンがあるなあ
143 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:11:05.32 ID:OwRTOFiNO
すなわち、トヨ。
トヨこそ卑弥呼の本当の名前でしょう…
ありのままに@札幌より
144 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:11:13.87 ID:m1ltlELRP
しかしまあ
>>1にも出てるが
考古学の世界において「卑弥呼」「邪馬台国」はいまだ客寄せパンダの役割なんだなとは思うw
で纏向遺跡にそれが使われると
かつての邪馬台国ブームが忘れられない老人がヒステリー起こすとwww
145 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:11:36.66 ID:1U2hUtKQO
上から〜ヒミコ〜
オカルティックな〜奴め〜
146 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:12:42.66 ID:lLALnpOZ0
今〜に見ていろ ハニ〜ワ原人っ! 全滅だぁ〜♪
中国人の盛りすぎ日本旅行記を真に受けすぎだろ
148 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:14:05.98 ID:ikeLjtbw0
古墳を掘らせろ。宮内庁がじゃましてるんだろ?国賊だよ。
149 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:15:59.25 ID:yro2HRUsP
|`''> ,、 ,,__ ,、 .l~''>
| | |`''-----------'' .\ `ヽ~'ヽ、 / `> | |
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~~'l__ノ  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ` `'''─----------------'~
150 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:16:08.92 ID:1U2hUtKQO
さっさと日本中の古墳を掘り返せばいい
親魏倭王の印が出てくるまでなw
出てきたところが邪馬台国でいいだろw
卑弥呼なら宇佐神宮に祭神として祀られている
152 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:17:50.09 ID:OwRTOFiNO
延喜式からトヨ。
万葉集からトヨ。
あとは専門家にお任せ。(笑)
153 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:18:47.21 ID:QgM0pJ/S0
卑弥呼ってその頃の中国読みでなんて読んだの?
中国はくみし易いから重要視してたってだけで
日本から見たらただのどこぞのカッペ女大将程度のやつだったんじゃないの卑弥呼。
155 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:21:04.67 ID:iW9rKCVZ0
>>150 大化の改新で、それまの天皇家だった蘇我氏から王朝簒奪して
天皇家になりかわったのが現在の天皇だから、古墳を掘り返すと
それがバレるのでやらせてくれません。
最新の学説では、卑弥呼も蘇我氏の一族だし、聖徳太子すら蘇我氏なんでしょ?
エジプトは、紀元前3000年の王様のことまでわかってるからな〜。
掘りすぎてガンガンに盗掘されてるが。
とりあえず古墳を掘るべし。
箸墓は必須だろ。
157 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:23:00.02 ID:OwRTOFiNO
とにかく、神名(出雲・伊勢)は延喜式ではトヨ。
卑弥呼の名前はありませぬ。
ありのままに@札幌より
158 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:25:18.03 ID:jFyNKd5A0
>>147 だよなあw
マルコポーロより遥かに大昔だろ。
黄金の国ジパングより正確な筈もない記述だよな。
いちいち分析したり、古事記や大和朝廷と結びつけたり、無理矢理すぎだろw
159 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:25:21.14 ID:iW9rKCVZ0
天皇制を廃止にするまで真実の歴史はわからないよ。
宮内庁は古墳どころか、古文書も公開していない。
今の天皇家にとって都合の悪い史実が書いてあるからだ。
160 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:26:42.41 ID:R/7dIkK70
161 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:27:13.98 ID:m1ltlELRP
「箸墓を掘れ」という書き込みが多いが余り過度な期待はせんほうが良いだろうw
測量図でも見れば分かるが昔近くの住民がショートカットの為に作った道も走ってる。
盗掘されてる可能性は大だろうし
金印でも出なければ邪馬台国だの卑弥呼だのとの関連も分からないだろう。
現代に例えると卑弥呼=ナカイマみたいなもんだろ。
163 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:30:11.82 ID:PWVuNvWk0
朝廷が存在しないからな、天皇制という用語自体あってはいけない
164 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:31:12.41 ID:CP1Syy3aO
近畿にいた民を滅ぼし大和朝廷をつくったのが神武天皇
神武天皇そのものじゃないかもしらんが、
ほとんど手が付けられなかった奈良盆地を開発した、
土木工事に明るい集団が、他所から入ってきたのだろう。
166 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:39:16.21 ID:CP1Syy3aO
九州から東征した神武天皇は八咫烏に案内されて近畿によい土地を見つけた
古代の農業は盆地の方が有利
平地は水をひかないと耕せない
邪馬台国があった頃は東日本は文明あったの?
ウホウホしてた?
169 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:43:23.07 ID:m1ltlELRP
特に2ちゃんみたいなネット上じゃあ
「東遷説」とか「九州王朝説」とかのトンデモ与太と抱き合わせになってるのが
今の九州説だからなwww
170 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:44:16.52 ID:CP1Syy3aO
>>168 分からない、いたとしても文字として記録がない
171 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:44:29.11 ID:OwRTOFiNO
烏(鴉)とは、出雲族そのものですから。
わたしも祖母の代までは、稲荷の巫女。
ありのままに@札幌より
172 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:49:26.29 ID:m1ltlELRP
>>168 先ず縄文時代は東日本のほうが人口が多く
米の栽培技術も急速に東日本に伝播してるし東日本が後進地域だというのは当たらないのではないかな?
(そもそも米だけで腹いっぱい食えたわけでもない)
昔なら九州が先進地域で人口も多く…と言う日本の全体像が大きく変わってきたのも
邪馬台国論争が過去のものになった遠因だろう。
>>169 畿内説の方がよほどトンデモ。
国が存在した、ということと、邪馬台国が存在した、という事を混同して、その事自体を見ないようにしている。
>>172 論理がおかしい。
縄文時代に東日本が主体だったってことは明かだが、弥生時代は、畿内以西が主体だったのは遺跡を見れば明か。
東北なんて、その後は征伐の対象でしかない。
175 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 04:59:05.84 ID:NiYHan7C0
下級役人まで文字が普及したと思われる
木簡が出るのが7世紀末期。
文字を使えるようになったのは6世紀以降だろう。
それ以前の金石文は、文字を文字ではなく、
オブジェとしてみた扱いに近い。
三角縁神獣鏡の銘文も、文章はかなり稚拙だし、
文字も職人が線を真似ているだけで、書としての体裁がなっていない。
この頃は文字を使えるのはごく僅かで、一般的なものではなかっただろう。
176 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:01:16.26 ID:NiYHan7C0
縄文時代は基本的に森の民。
東日本の定期的に落葉する森林のほうが住みやすい。
弥生時代は平野の民。
農地を確保しやすい平地のほうが住みやすい。
177 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:02:07.16 ID:57P1khdm0
>>169 九州説に不利な情報は頭から否定
20年前から思考停止
ユダヤの陰謀と同列にトンデモ扱いされているのが九州説
2ちゃんだけで声がデカイ
178 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:05:37.06 ID:NiYHan7C0
西日本は常緑樹が多く、冬でも葉が落ちない樹木が多い。
そのため、密林化しやすく、縄文時代の狩猟採集には、あまり向かない。
179 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:05:40.53 ID:jFyNKd5A0
ていうか単純に、
あの頃の中国と交流があったのは九州あたりだろ。
台湾近辺の可能性だってある(倭人伝記載の習俗とか見ると)
180 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:10:27.30 ID:NiYHan7C0
>>177 のような思考停止の批判が多いのも、
畿内説の特徴。
wikiの東征否定派を見ると、墓制と土器の九州進出で否定してるね。
とすると、東征は事実でなく皇統(女系から男系)の必要に迫られた創作か、
又は神話の実際の話、少数によって武力で乗っ取られたと見てもいい。
久米歌を考えると後者が有力で、前者をゴリ押しってのもある。
降臨逸話から中臣の先祖とか怪しんだよね。
そこでゴリ押しで都合が良い発生の場所として、北九州は当時よく知ってるから
よく知らない南九州を持ってきたとか。
まぁ、こう解釈すれば魏志とも多少繋がるんだけどね w
182 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:18:33.23 ID:TUvWadOx0
現時点では邪馬台国というのは国号ではなく地域名であって
魏志の邪馬台国は、ヤマト全体の王を僭称したと見るべきだ。
そうすると「ここは邪馬台国です」と誰が証明してくれるの?
おそらく邪馬台国の規模の集団なら日本中に数個あったと思うぞ
柱穴が集中して見つかっただけでそれを祭祀用の建物跡と考え
祭祀イコール卑弥呼としてるのか?
チョンの歴史捏造と変わらんレベルだな
なぜヤマトに大和という字を当てたのか?
さっき思いついた。
大唐帝国とか大清帝国とかの中華の帝国の正名に似せて、
かつ、シナで蔑称的に使われていた「倭」を「和」に変え、「大和帝国」
という意味で、ヤマトに大和を当てたんだと! おおw
185 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:25:21.73 ID:NiYHan7C0
昔から、纒向を掘っている連中は、
掘っ立て柱の穴を見つけては、邪馬台国。
桃の種を見つけては卑弥呼、
と主張する前科がある。
たしかこの連中は180回近く掘ってるはずなので、
次の予算申請用のリップサービスだろう。
186 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:29:59.56 ID:DoDvrjSGO
他の国の歴史書なんて信用ならない。国内には、全く残ってない話だし。
187 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:31:19.80 ID:TUvWadOx0
たしかに畿内説の一部にはビジネスか利権臭がするw
それに畿内説の方の論拠は論理的じゃないからな
遺跡が出たらその迫力で相手を押し切ってしまおうという感じ
188 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:51:49.30 ID:DoDvrjSGO
神武東征を簡単に否定する奴らにサヨクが多いのは、なぜ?
189 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 05:58:10.85 ID:JtD+THcs0
>>76 >中韓の史書に頼るしか方法が無いが
朝鮮半島の史書は記紀よりも後の編纂で記紀よりも抹消しとる。
それに日本書紀は異説を併記しているから言う程抹消していない。
190 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 06:00:30.09 ID:JtD+THcs0
>>82 初期天皇と尾張氏は婚姻などで関係が深いから矛盾しない。
191 :
181:2013/02/05(火) 06:10:59.83 ID:N0mXhe/c0
嫁入りか婿入りかわからんが、他部族から人を入れた事は
縄文時代から抵抗が無かったと思う。これを婿入りだとすると
出雲の先行天津族と、大和の先行天津族(ニギハヤヒ)の
婿入りはあったろうな。
また魏志に曰く、卑弥呼は鬼人を祭ったとある。
これはわが国では巫女の務め、神を夫にしたという事になる。
神武の大和の妻の母も三輪の神を夫としている。
その後、略で、モモソが三輪の神をまた夫としている。
そしてもう神を生まないようにとホトを突き刺した w
その後、重要な姫は大和以外の地で巫女になってる。
マスオでサザエさんの家系を見たら静岡と九州の家族か w
大阪のマスオさん婿入りはずっと後だな。
192 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 06:12:05.79 ID:QkNRjLE3T
魏志倭人伝によると邪馬台国には四つの官があったと記されている
伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳と(革に是)
伊支馬・・・・イコマ、生駒であり奈良盆地の地名で垂仁天皇の別名が伊支米(いくめ)
弥馬升・・・・ミマスと読めば、孝昭天皇の別名が御真津(みまつ)
弥馬獲支・・・・ミマキと読めば、崇神天皇の別名が御真木(みまき)
奴佳と(革に是)・・・・天皇名にはないが中処とよめば「中央」の意味になる
それぞれの天皇の御陵地を調べると中処を囲むように存在している
卑弥呼は中処にいたとすると、奈良県田原本町がその所在地になるが、市街地になってるため
発掘作業がおこなわれていない
村井康彦「出雲と大和」(岩波新書)
天皇家は、
縄文系
弥生系
のどっちなの?
194 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 06:16:48.51 ID:JtD+THcs0
>>188 津田左右吉で検索。
津田は反共の立憲君主制論者であったがその皇室は皇室、学問は学問とする
近代的学究のあり方が反天皇主義者達に皇室や記紀否定と誤解され、戦後直
後に反皇室反記紀のプロパガンダに利用され曲解された。
それが一人歩きし記紀の内容はデタラメと、サヨクの間で記紀編纂などが陰謀論
として妄信されている。
195 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 06:28:12.21 ID:8tnKGLiG0
魏志倭人伝在っての邪馬台国、中原あっての邪馬台国
その中原の隋という国が、邪馬台国は大和ですよって親切にも教えてるから厄介もんだ
夢もロマンも吹っ飛ぶバイ
196 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 06:34:56.92 ID:DoDvrjSGO
>>194 ありがとう。勉強になりましたm(__)m
197 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 06:35:30.33 ID:JtD+THcs0
>>184 続日本紀とか木簡を読めば律令国の大和国の名称は
倭国→大倭国→大養徳国→大倭国→大和国
と変遷しているのがわかる。
倭国から大倭国への変化は地名に好字二字を用いるべしという飛鳥時代の方針
による。
大漢とか大唐とかの大は天子国や大国としての美称であり、天皇の都のある所と
してヤマトのクニの漢字表記倭国に大をつけて好字二字の形にしたのだろう。
まぁ纒向遺跡が邪馬台国かどうかは別にして、
西暦200年代前半でのヤマト王権の中心地だったのはもう確定だな
祭祀施設でこれだけ規模がでかいのは他にないし
>倭国から大倭国への変化は地名に好字二字を用いるべしという飛鳥時代の方針
これが事実だとすると、邪馬台(ヤマト)という呼び名を古代から使ってた説は否定されるな
200 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 06:52:06.91 ID:TUvWadOx0
>>199 ?
呼び名をヤマトとしててもおかしくないだろ。
倭なんて中国がつけた呼び名なんだから。
漢字が変化してもそれにあわせて呼び名が変わるというわけじゃない。
ヤマトという名称にこだわるわけではないが、否定も肯定もされないだろ
201 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 06:58:56.56 ID:LAjxBER/O
卑弥呼って時の他に「弥」をミって読むことってあったっけ?
とか思った。弥呼が、ヤコ(ミヤッコ=宮子→国造みたいな)とかネコ(「禰子も釈子も」の禰子)もありかな?と
202 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 06:59:03.14 ID:JtD+THcs0
>>199 令制国の名称として大倭国の字が用いられたのは令制とあるように大宝律令以降。
それ以前は木簡から倭国とわかっている。
それらはヤマトノクニと訓読みする。
ヤマトは古代から使っていたことは否定されない。
中国の史書に日本という国号が始めて出たのは、確か遣隋使からだったはずだ
隋の役人が調査したところ、日本という小国を併合してから自ら日本と名乗るようになったとの返答が帰ってきた
日下という地名があり、もともと枕詞で日のもとの草香と呼ばれていた地名だったが
この「日のもと」との言葉がまぎれも無く、日本の国号の始まりではないかとも言われているけどね
>>198 魏志倭人伝に記載のある
巨大な墳墓。
環濠をめぐらせた集落
物見やぐら
さらに巨大な祭儀のための宮殿などが存在する
邪馬台国と同時期にこれらの全ての条件が整った遺跡は畿内の纒向遺跡のみだ
そのことを考えれば、纒向遺跡が邪馬台国である可能性がもっとも高い
205 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 07:02:37.89 ID:oVCNUar40
やはりスレが進むと理論的な邪馬台国東遷説が多くなるな。
>>201 もともと卑弥呼という名称自体、中国の中華思想にもとづき
非中原の国や君主の名称を蔑視の字をあてがう伝統にもとづくものだ
倭との国号にしても、小さくて卑しいとの意味もあり
好意的な名称ではない
漢字の知識が深まるにつれて、倭という名前を避けて日本と名乗るようになったのは当然だろう
>>56 箸墓古墳にしても天皇家の墓として発掘できないから。金印があるなら箸墓古墳に葬られてる
可能性がある。
隋書には倭国伝と日本伝の両方が書かれている。
旧唐書では、倭国はついに途絶えた。とある。
唐の時代の白村江で、九州倭国は壊滅。
畿内日本国に政権が移行する。
>>206 字のあて方はそれで良いと思うんだけど、字をあてられた音の方に違和感があるという話で
弥=ミって音を卑弥呼の他に思い当たらんから弥=ヤとか、弥に似た字の祢=ネを当ててみたら何となく意味が通じるな…と
212 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 09:08:22.21 ID:238HMj600
<新九州説>
開かれた邪馬台国の扉!!
秘密の通路は、末蘆国・唐津から東南陸行500里で佐賀平野へ
その出口、佐賀県小城市に一大率の伊都国があった
>>66 394 自分:日本@名無史さん[sage] 投稿日:2013/01/03(木) 15:54:24.79
>>390-392 お正月なので 大サービスでネタばらししますね。
崇神紀七年 「命伊香色雄而以『物部八十手所』作祭神之物」
これは笠縫でのことですが、(たぶん)巻向に引き続いて、笠縫でも『物部八十手所(日本各地の物部系の人々)』を集めて
祭祀に係わる物を造らせた・・・・ということが、いろいろ詮索しなくても、初めから書いてあるのです。
リークはここまで
214 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 09:35:08.81 ID:d4yklBOU0
.
卑弥呼は人の名前じゃねーよ、ばーか
.
215 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 09:42:31.20 ID:5B02Z++k0
穴=宮殿=卑弥呼
近畿の思考神経ってこの一点張りだな
216 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 09:45:52.28 ID:nLZuad550
九州でも近畿でもいいんじゃない ただ島根も面白いとこだと思うけどね
例えば展示がしてあるよというとみんなそれだけを見るために殺到するでしょ
でも、そこだけじゃないような気がするんだよね
言葉が蝶のようになって境界関係なくあちこち自由に飛んでる感じというのかな…
楽しく見てね! ってフェロモンを出してあちこちで誘ってるというか…
そんな感じにも思えるんだよね
>>76 えー。
本当に邪馬台国なんかあったの?
卑弥呼に関連する伝承も故地も一つも伝わってないのに、
逆に、支那方面の史書に全く出てこない神功皇后の足跡は
九州・瀬戸内海にいーっぱいある。
218 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 09:49:54.75 ID:238HMj600
穴掘り ― 公共事業 − 畿内説
>>88 マキムク政権の最後の長が長臑彦なら矛盾しないじゃん。
防衛線を大阪湾に設定していて外港拠点の河内・難波に人を集めてたら背後を突かれて
難波での決戦ときには本拠地が奪取されていた、と。
>>185 >掘っ立て柱の穴を見つけては、邪馬台国。
>桃の種を見つけては卑弥呼、
>と主張する前科がある。
九州では邪馬台国に結び付けられる新発見がないだけじゃん
221 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 09:54:45.54 ID:Vp9eIEWy0
上古から天皇家の即位の儀式必要な衣 鹿服(アラタエ)
続けてる一族がいてます。 天皇家の祭祀でありその一族の名前は阿波忌部一族
古事記に重要な地名が現在も残ってる四国
国の中心は昔も今も都市の中心部だろ、田舎の集落跡を観光目的で邪馬台国とか言うのはもうやめろよ
漢委奴国王印が九州から発見されたと言われているし
奴国は九州にあったと思う
そして邪馬台国は奴国を傘下におさめていたという
にも関わらずマキムク遺跡は九州との関係が薄い
むしろ邪馬台国ではないことが有力そうなのだが?
>>119 まったくその通りだよな
卑弥呼は神功皇后だとか言われているが
臺與にあたる人が大和政権の歴史書にいない
神功皇后も卑弥呼のように戦乱を収めるためにでてきた人ではない
>>193 血統的には縄文人の可能性もあろうが
その儀礼を見ると、まったく狩猟の香りがしない
文化的には弥生系だろう
血統的にも現在の近畿人が弥生系が多数な所から弥生系の可能性が高い
そもそも卑弥呼の墓とされてる箸墓は後円部が150mもあって、
卑弥呼の墓の記述の「径百歩」から推測される大きさのほぼ倍近く
大きいじゃないの。それとも古代人の一歩は1.5mもあったんかいな。
225 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:02:52.39 ID:238HMj600
畿内の誇大人 一歩は150m
>>217 邪馬台国は無いのに、現代まで引っ張って映画まで作って、バカちゃう?
日本人てほんとアホだと思う。
言っとくけど、徳川埋蔵金も無いかんね?
全部嘘。
村にも中国人にも旅人にも、必ずホラ吹きがいるの、OK?
邪馬台国の存在を信じるより、ホラ吹きの存在を信じろよ。
227 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:07:58.25 ID:5B02Z++k0
倭人伝に奈良周辺のことなんか、一事も出てこないのに、どうして近畿説が出てくるのかその神経が分からん。
だから学説すべてが妄想の塊と化しているから、次々の破たんしている。
卑弥呼の鏡が多すぎて破たんし、鉄器も全く出てこないし、箸墓からは未だ倭に存在しないはずの馬具が出てくるしで、
最近の妄想は穴ポコにご執心みたいです。
>>224 一歩というのは右と左で一歩な。 1.5Mで正解
229 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:09:12.47 ID:238HMj600
>>220 <新九州説>
開かれた邪馬台国の扉・・・秘密の通路発見!!
末蘆国・唐津から東南陸行500里で佐賀平野へ、その出口、佐賀県小城市に伊都国があった。
230 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:12:46.47 ID:smVTEINh0
>>217 日本が立派な国でした、と言うことが気に入らない侮サヨの作り話。
231 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:15:05.64 ID:hh3Gv4w0O
世界各地の神話と日本各地の伝説の、パクり寄せ集め再編集でしかないキキ神話を、
史実かのように妄想して言葉遊びを垂れ流したり、ワジンデンの数値や方角を各論解釈してみたり。
アホとしかいいようが無い。
日本の神話や各地の神社日本の神について、
自分は好きで一ノ宮巡りも30以上して、そこそこ詳しいけれど、
上段のような池沼はいい加減にしてほしい。神話は神話なんだよ。
232 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:15:21.16 ID:PqMLwCkF0
たくさんの建物跡の穴は、古墳を作った労働者の一時的な宿舎だろうとおもわれるが、
それと邪馬台国がどうつながるのかわからない。
おそらくは、今までに何度かあった、掘っ立て柱や、
桃の種や、魚の骨と同じような経過をたどるだろう。
234 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:29:02.67 ID:SkiP8MlE0
インチキ畿内説も頑張るな
235 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:30:14.64 ID:dulBwIhE0
236 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:30:38.00 ID:zmRSneDe0
なんで卑弥呼や邪馬台国が近畿じゃないと困るのか・・・
屁理屈ばっかだよ近畿説
神話を信じてロゼッタ石見つけたりすることもあるから
238 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:33:43.84 ID:StiNH1w50
邪馬台国で騒いでるのは素人だけ……って古代史専攻の某氏が言ってた。
>>227 > 箸墓からは未だ倭に存在しないはずの馬具が出てくる
それは重要だな
魏志倭人伝によると邪馬台国には馬がなかった
しかし馬がなくても馬具を持っていた可能性もあるか?
240 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:37:31.22 ID:PqMLwCkF0
馬具は5世紀以降と言われている。
また、一番古い前方後円墳といわれるホケノ山古墳の下に、
5世紀の古墳があり、ホケノ山古墳築造の際に、壊されていた
と言われている。
むしろ畿内説が有力でない根拠が多く出てきたように思えるが
一体なぜ畿内説が有力になっているんだか
未だに解らん?
242 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:39:41.23 ID:JtD+THcs0
>>200 言っちゃあ何だが、外国人はこういうのがわからないんだよね。
>>203 日本の国号が正式に出てくるのは唐。正確には武則天の周の時。
併合がどうこうというのは倭が日本をというのと日本が倭をという二種類が書かれ
ている。遣唐使に聞いたが要領を得ないと書かれている。
唐側は把握できていない。
その為、壬申の乱が誤解されたのではないか?という説がある。
ただ、昨年それより早い年代(大宝律令よりも前)の百済の遺臣の墓誌に日本と
書かれているのがわかったという発表があった。
日本への改号が少なくとも天武天皇即位、更には天智天皇の頃の可能性がある。
白村江の戦いの頃までには百済では日本の呼称が浸透していた可能性もある。
>>208 隋書には倭国伝(倭の字は誤記と思われる字になっている)だけ。
唐書に倭国伝と日本伝がある。
243 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:40:11.08 ID:zmRSneDe0
>>241 勝手に畿内説ケテーイさせて、他の可能性を叩いてるだけに見える
叩くだけで論議しないのが畿内説の特徴
244 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:40:15.16 ID:jw87HbnD0
卑弥呼ってやっぱ実在したのかな
246 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:44:16.22 ID:zmRSneDe0
247 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:45:15.30 ID:238HMj600
畿内ハエタタキ説
>>243 だって九州説はまず九州のどこなのかも適当だし
もう文献考古両面から説得力ないんだよ
>>242 壬申の乱が史実であるというソースキボンヌ
>>240 それはどういうことだ?
マキムクは三世紀の遺跡ではなかったのか?
後世の物が後年紛れる可能性もあるかな?
>>243 やっぱり単に邪馬台国=大和政権にして
天皇はこんなに昔から日本を支配していたんだ!と言いたいだけに思えるんだよな
古漢籍持ち出すと都合の悪いところは根拠もなく間違いだの誤字だの勘ちがいだの言い出すのが
近畿説支持者の特徴
「卑弥呼」=「日巫女」なんて言ってる人もいるけど、当時の中国語で「卑弥呼」という文字の発音は「ひみこ」じゃないのでは
253 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:48:42.73 ID:Unl/pwQB0
>>249 サヨクだとそう思うの?
一般人からすると、1300年だろうが、2600年だろうが
昔からって感じだよ
254 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:49:20.05 ID:JtD+THcs0
>>249 壬申の乱関連の論文は腐るほどあるが。
手始めに概説書でも読んだら?
255 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:49:35.31 ID:zmRSneDe0
ウヨクとかサヨクとか言い出すのも畿内説だなホント
>>251 卑弥呼は人の名前じゃないし
そもそもヒミコとも読まないだろ
>>251 だからそういう人らはアホなんだよ
やたら神武東征の話もちだしたり
史料もろくに読んでないで表面だけなぞって簡単に「これってこう読めるよね」「こんなことが日本書紀にあるよね」
とかいっちゃう
>>22 そそ
以外に世間の人って、知らないんだよね
だから、実質、邪馬台国と大和朝廷って、連続しているんだよね
そう考えると、当然、邪馬台国の所在地はおのずと近畿地方になる
259 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:52:40.65 ID:JtD+THcs0
キボンヌとかケテーイとか2chでも死語になっているのを使う人たちって・・・
>>252 今でも京都方言は西日本の方言で
九州と一緒にされることが多いわ
少なくとも東日本方言よりは近縁らしい
>>254 ソースキボンヌ
>>136 古代の邑里国家なんてそんなものだよ。というか、今の日本の県レベルの地面の広さを
持ってたのはギリシャのスパルタくらいで、その10分の1くらいが普通。アテナイもローマも
ウルクも町一つとその日のうちに歩いて行って帰れるくらいの広がり。
卑弥呼の方経百歩の墓見つけるか親魏倭王の金印見つけてから九州説全否定しろよw
263 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:53:32.09 ID:PqMLwCkF0
ホケノ山古墳によって切り崩された古墳は、
堂ノ後古墳
埴輪などが出土し、5世紀あたりと見られている。
264 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:53:57.35 ID:zmRSneDe0
>>259 畿内説のやり方が古の2chを彷彿とさせるんだよ
とくにソニーGK事件あたりの
265 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:54:12.71 ID:hh3Gv4w0O
>>256 古中国語でもヒミコとそう遠くない発音だよ。表音文字でしょ(文字の選定には悪意あるが意味は無関係でしょ)
266 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:55:19.55 ID:JtD+THcs0
>>257 当時の漢字の発音が正確にわかればその辺の仮説も全部ふっとぶんだろうかね
268 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:56:37.63 ID:eNqHziQiO
畿内説の圧勝だな
269 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:57:56.82 ID:zCHGdEeU0
もう「奈良=おんだ祭」が頭から離れなくて困る(´・ω・`)
270 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 10:58:52.73 ID:zmRSneDe0
反畿内説派は民主党に似ている
対論出さずに自民の揚げ足取り
>>66 やっぱり、東海以東および北陸の物産を集積して、
河内から送り出すためのセンターなんだろう
九州からの物産は瀬戸内海からやってくる
貿易センターだよ。中国の洛陽と同じ機能というわけ
文明はそういう場所で成長する
273 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:00:58.37 ID:JtD+THcs0
>>270 半角使いとか年季入っていそうなんだが。
274 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:01:23.46 ID:SrHw5V6XO
ムーが九州説やってたな
275 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:01:33.07 ID:zmRSneDe0
サヨクとか朝鮮人とか言い出すのはなんで?>畿内説
ソニー派が任天堂を罵倒してたやりかたそのまんま
>>271 それは畿内説でしょ
相手を罵倒して叩くだけ
近代は明治維新の暗号という本を読んでおけば問題ない
と言っても日本人には刺激が強すぎるが。現政権の事も全て分かる
っていうか、九州説は綱領すら決まらない民主党と同じだろ
未だに、九州の何処の遺跡だって言えない
記紀を読んでみれば、地位の高い人の名前が、ヒミコとか3文字の民衆レベルの名前なわけないだろw
279 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:02:59.94 ID:hh3Gv4w0O
辺境の東の島の奥地までとにかくゴチャゴチャ旅して行くと、
ヤマト国っつうのがあって、この土人国は珍しいことに太陽が女性人格で崇拝されてる合議制タイプの社会らしいでやんす。
唯一の皇帝君臨文明国である中華から見たらおかしいっつうか単に珍しいっすわ。
(・・・えっと、東方方面チョウコウ受付担当としては、一応ワコクは大国っぽいって印象操作でもしとくかな。)
以上がギシワジンデンの要旨と意図。
280 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:03:55.13 ID:zmRSneDe0
>>277 なんで民主党が出てくるのか不明
サヨクとか朝鮮人とかなんでそういうのに持っていくのか
レッテル張りが好きだな
倭の五王だって讃、珍、済、興、武だよ
どんだけー
283 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:06:24.90 ID:Unl/pwQB0
>>280 九州の何処にあるのか建設的な意見を
九州説を纏めた形で言えるの?
纏めてから言ったら
>>275 畿内説は一応新発見が相次いでるけど・・
285 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:08:34.27 ID:Ms2oRDnx0
286 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:08:49.11 ID:JtD+THcs0
ゲーム業界、ハードウェア板、ゲハ板には対立をわざと煽る連中がいるそうだね。
四世紀には地方色の合った古墳が五世紀ごろ統一されたや
倭王武の話からすると五世紀頃に近畿を中心とした政府が
日本にあったのはいいんだけど
それが天皇の先祖なのかは、まったく証拠がないようだ
>>259 結局、特に証拠がないのだろ?
288 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:09:10.08 ID:NihNRXlB0
九州とかはどうでも良いけど結局
卑弥呼と天皇家はどういう関係なん?
289 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:09:26.18 ID:238HMj600
>>271 <新九州説>
・・開かれた邪馬台国の扉・・
200余年の論争に終止符、後世の秀吉軍も往来した秘密の回廊発見!!
末蘆国・唐津港から東南陸行500里で佐賀平野へ、その出口、佐賀県小城市に伊都国があった
290 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:10:17.80 ID:aDlUKCH3O
>>276 こんなとこでサヨクの御宣託本宣伝するなよw
291 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:10:23.26 ID:qPl6Wt380
俺はあんまりこの手は詳しくないが壱与か台与か忘れたが台与ってトヨ
っていうんだよね。
邪馬台国はそのままヤマト国になるな。なんで後の日本人はヤマタイコクって
日本語に訳したんだろ。
>>279 重要なのは血統偽装だろ。刺青その他南誘導元々「倭」呼称は大陸起源。
ここまで読んだ感想としては九州説はない感じ
294 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:12:09.65 ID:NihNRXlB0
九州説はムー。
>>287 現状はそこが一番の研究課題でしょ
どのように大和朝廷に発展したのか
もう、邪馬台国が何処にあったとか研究対象ですらない
門司から東京に行くフェリーって豊後水道を南下して高知沖から徳島港経由で進んでいくのだけどさ、
これが水行十日だとどうでしょうかね。
297 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:13:27.33 ID:O/R8hhLP0
近畿説の連中って面白いのは、最後には卑弥呼とか邪馬台国とかどーでもいいじゃんとか
言い出すんだよなwwwww
298 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:14:37.92 ID:aDlUKCH3O
>>285 連続してたら日本書紀の邪馬台国への記述はもう少し明確だった筈
当時の書紀編纂スタッフは倭人伝も当然知っててあへてスルーしたのは
そこに朝廷との連続性を見出さなかったから
まあ、卑弥呼や山本カンスケはさして重要ではないからな。
>>296 邪馬台国の時代は知らんけど
東京行きだから、土佐沖を通るのでは?
大阪行きでもそうなの?
まぁ船も違うだろうけど
>>285 記紀から200年前の先祖のことでさえわからないから外国の記事使ってるんだぞ
ましてや500年前だ
もう忘却のかなただよ
302 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:17:33.73 ID:O/R8hhLP0
近畿説のラスト・リゾートは、キチガイの振りをするということ。
キチガイだったら許してもらえると思ってるみたい。
許すとか許さないとか、そういう問題とちゃうんですがwwww
303 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:18:02.59 ID:hh3Gv4w0O
>>291 当時に比較的近いと思われる中国語読みで、台は「トゥ」「ドゥ」に近い。
要するに「ト」の聞き取り表音文字。まあB層以外は誰でも知ってる話だが。
ヤマタイは素直にヤマト。わざわざタイにしてるのはどうせ先生方の内輪の事情でしょ。
自分は理系出身の神社好きです(趣味は一ノ宮巡拝)。畿内だの九州だのの派閥に興味ない。
304 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:18:46.62 ID:JtD+THcs0
>>298 記紀も魏志倭人伝などもどちらも伝言ゲームの産物。
それぞれ違う方向にずれていたら、たとえ元が同一ものでも一致させるのは難しいだろう。
305 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:19:53.84 ID:O/R8hhLP0
卑弥呼がどうでもいいんなら、このスレ来なきゃいいのにwwwwwwwwwwwwwww
近畿説ウケルwwwwワロタwwwwwwwwwwww
306 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:19:56.82 ID:238HMj600
>>278 2文字ならいいんだな? 邪馬台国は「馬台国」だ!
ザ・ニッポン → 邪・日本
ザ・ジャパン → 邪・ジャパン
ザ・ヤマト → 邪・大和
ザ・ナデシコ → 邪・なでしこ
ザ・ヒミコ → 卑・弥呼
ザ・マタイコク→ 邪・馬台国
>>297 だって奈良にあったのは間違いないんだからさ
アマチュアとは違うんだからどこにあったとかはもうどうでもいい話
>>295のいうように古代日本政治史の流れが重要なわけだし
308 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:20:39.53 ID:IsP4PyZpO
で、九州説の有力候補の遺跡ってどこなん?
畿内説はマキムク遺跡一点なことは解った
>>285 4世紀末から5世紀初めにあった、朝鮮半島侵攻。
好太王碑の文章から、かなりの大軍が船で朝鮮半島に送り込まれたことが判明しており、
当時としては国家的な大事業だったはず。
これが300年後の記紀編纂のときには、ほとんど忘れさられている。
まして2〜3世紀頃のことなんて、ろくに伝承されてなかったろう。
310 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:21:52.92 ID:hh3Gv4w0O
>>298 アタマ悪いとクダラナイ本楽しめそうだから羨ましい
311 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:22:43.50 ID:PqMLwCkF0
畿内説はとくに根拠もないのに、マキムク説一本である。
これは、マキムクを発掘する連中のリップサービスだからである。
>>309 その辺がわからない。大軍を海外に送れるのに文字がなかったのかなあ。
>>297 近畿説は銅鐸の説明も出来ないよ。
邪馬台国が近畿にあって大和朝廷に発展したなら
日本書紀や古事記等にも記載が無いとおかしいけど
どうでもいいらしい。
おまけに、日本書紀も古事記も作り話だからどうでもいい
という奴すらいる。
近畿説論者の言う「まともな研究者」がどんな輩か判るだろ?
アメリカ型の歴史学の欠点が解らない連中なんだよ。
314 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:24:16.76 ID:238HMj600
巻向で出てきたのは、罪人を処刑した柱の穴100本、お〜コワ
315 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:24:23.18 ID:aDlUKCH3O
>>301 記紀編纂からわずか百年前の推古女帝ですら
隋書倭国伝では男王として記述されてて未だにその原因も不明なんだぜ
編纂当事者の大海人皇子ですら書紀の出自は怪しいときてるからな
316 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:24:32.40 ID:O/R8hhLP0
>>308 遺跡はまだ発見されてないよ。無茶苦茶に破壊されてる可能性があるからね。
筑紫平野のどこかにあるよ。たぶん御井のあたり。
纏向が邪馬台国でないことはすでに証明されてること。文句言ったってしょうがない。
違うものは違うんだから。
九州しか可能性が無いんだよ、悪いがw
>>315 天武の出自が怪しいって梅原とか井沢あたりが言ってそうだけど
別にあやしいとこはないよ
318 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:26:01.27 ID:qPl6Wt380
>>295 俺の素人考えでは邪馬台国と大和朝廷って同じでしょ。
それがどう発展したかなんてあんまり興味ない・・・
徳川の時代がどう発展していったかなんてあんまり興味ないのと同じで・・・
>>311 (根拠)
・纒向が今見つかっている遺跡では1番古い都市だった様子が窺える
・箸墓古墳と卑弥呼の墓の大きさがほぼ同じ
・時代も被っている
>>312 雄略天皇と比定されてる倭王武が中国に上表文送ってて、そこには朝鮮半島侵攻の
ことも出てくるから、文字がなかったってわけじゃないみたい。
ただ、記録を残すという習慣が古代の日本には絶望的になかったんだろう。
321 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:27:38.89 ID:ga2N0VMj0
九州も四国も中国(地方)も近畿も中部なんかもヤマトであり邪馬台国と言えば邪馬台国でしょ
全部連合したり、離れたりあったから卑弥呼が斎宮になった
御真津姫命が卑弥呼で豊鍬入姫命がトヨ
卑弥呼が日本書紀であやふやなのは元々春分秋分で年に二回年をとっていたのが
太陰暦導入で辻褄が合わなくなっていたので、
意図的かマジで謎だったかは不明だがそうせざるを得なかった
>>312 交易してはいたから読めるとは思うんだけどね
読めたら、使うような気もするんだけど・・・
>>318 だからそれが一般の歴史好きな人と研究者との違いでしょ
大学の先生が邪馬台国がどこにあったかなんてどうでもいい話と言ってたときは
俺もちょっと驚いたしな
324 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:28:41.31 ID:PqMLwCkF0
畿内説でも本当は、可能性のあるところはたくさんある。
しかし、なぜ、過去に散々論破され、二百回近く掘ってもろくに証拠も出ない、
マキムクが比定地とされるのか。
もうマキムク掘りが仕事になっていて、
予算を獲得しないと失業するからである。
325 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:28:42.56 ID:JtD+THcs0
>>315 大海人皇子の年齢については該当文献の記述間違えの可能性が指摘されていたはず。
326 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:28:46.82 ID:hh3Gv4w0O
>>318 素人の俺も、一行目だけ同意。
二行目以下は人によるでしょうな。
327 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:30:10.45 ID:IsP4PyZpO
>>316 破壊されて現存しないとか…
九州説はムーとか言われる由縁な気が…
328 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:30:38.10 ID:238HMj600
畿内説は、
あの手、この手、神の手、桃の手
329 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:30:51.46 ID:m5ZI/E/60
当時、日本には5000以上の部落があったといわれている
卑弥呼の村は、その一部落に過ぎない
場所は当時、中国の影響力が少しばかりあった地域、九州と考えるべき
>>320 あるいは焚書かよほどの政変でもあったのだろうか。
なんか出土するのを待つしかないんだろうなあ。
331 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:31:23.83 ID:Ms2oRDnx0
>>309 好太王碑に書かれている倭国が、大和朝廷につながらない政権だったという可能性は?
332 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:31:35.08 ID:O/R8hhLP0
>>319 とりあえず上2つは違うだろ。
箸墓とかモモソヒメの墓かどうかすらあやしい。
それに、箸墓は前方後円墳だから卑弥呼の墓ではない。
大きさも違う。大きすぎる。(魏志倭人伝は短里だから歩も短歩で考えなきゃダメだよ)
時代がかぶってるのはある種当たり前。
前スレでも書いたけど、ぶっちゃけた話し、纏向はニギハヤヒ(あるいはその先祖)の都。
だいたい卑弥呼の時代とかぶっちゃうのは当たり前で、そんなもん邪馬台国である
ことの証拠になんか全然ならないw
333 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:32:02.19 ID:ZpcTRQb40
>>313 発展したんじゃなくて
そのものであって魏からの使者が当て字使っただけとの説が有力
ヤマト国数々の小国家の連合体=邪馬台国
だから発展も何も日本書紀や古事記は奈良時代に書かれたもので
創作が相当加えられてるってのがそもそも学者の意見でもあるだろ
334 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:32:28.60 ID:aDlUKCH3O
>>312 日本が文字を記録媒体として本格的に使い出したのはなんと八世紀以降
それまでは口述が主体で文字に記すと「言葉に宿る神威が穢れる」と極力避けられた
七世紀までの古墳からは文字出土は皆無
八世紀になり初めて墓碑銘が出土する
>>320 昔のテレビの録画とか見つかると騒ぐのと同様で
必要性を考えられない時ってのがあるのかもな・・・
336 :
10人に一人はカルトか外国人:2013/02/05(火) 11:32:37.55 ID:YtQ5/dNi0
★マインドコントロールの手法★
・沢山の人が、偏った意見を一貫して支持する
偏った意見でも、集団の中でその意見が信じられていれば、自分の考え方は間違っているのか、等と思わせる手法
・不利な質問をさせなくしたり、不利な質問には答えない
誰にも質問や反論をさせないことにより、誰もが皆、疑いなど無いんだと信じ込ませる手法
↑マスコミや、在日カルトのネット工作員がやっていること
TVなどが、偏った思想や考え方に染まった人間をよく使ったり、左翼を装った人間にキチガイなフリをさせるのは、視聴者に、自分と違う考え方をする人間が世の中には大勢いるんだなと思わせる効果がある。
....
337 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:33:45.68 ID:O/R8hhLP0
>>327 掘って邪馬台国で無いことが確認されてる纏向より10億倍マシかとwww
>>325 まあ、天武天皇については井沢説とかはちと無理がありすぎるようには思うが、
天智天皇の兄であるにも関わらず、大化の改新にはまったく関係した形跡がなく、
大化の改新が終わった後にはじめて歴史に登場するところとかは、不自然に思えなくもない。
>>331 記紀にはそういった記述はないし考古学的にもその時期の権力の移動などを示す証拠はない
340 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:35:56.42 ID:O/R8hhLP0
邪馬台国では無いことが発掘で確認されてる纏向をドヤ顔で出して
「九州説って遺跡がないじゃんプ」とか言っちゃうヴァカが集うスレは
ここですミ?
341 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:36:26.74 ID:IsP4PyZpO
>>337 10億倍って…
まあいいや
九州説の候補地の遺跡、だれか教えてくれませんか?
>>332 違うという根拠を提示してください
特に1つめ
まあ何かというと、纒向以前に都市のような遺跡が他にあったかということが聞きたい
プロじゃないので真剣に聞きたい 教えて下さい
2つめのは、そういうことを論じている論文があったよ
343 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:37:04.46 ID:JtD+THcs0
>>330 厩戸皇子が編纂した歴史書が蘇我邸にあったが、中大兄皇子らのクーデターの際
蘇我蝦夷が自決において邸を焼いた為にその多くが消失している。
344 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:37:34.01 ID:hh3Gv4w0O
>>338 天智と別派閥(利権っつうか政策方針)の代表が天武だったのが重要だよね。
支持基盤も違った可能性があるし。実年齢や生物学的な各種考察はさておき。
つまり
?魏志倭人伝
◯偽書倭人伝
と認定すればすべて解決。
シナ人の非論理的なファンタジー文書をベースに議論するのは時間の無駄。
346 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:39:04.95 ID:O/R8hhLP0
347 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:39:12.38 ID:PqMLwCkF0
弥生期の奈良は、周囲と比べても、
真空地帯といわれるほど遺跡が少ない。
マキムクは初めは4世紀後半〜5世紀後半と言われていたが、
突然100年から150年遡った経緯がある。
土器年代をずらして、開いたところには、l
土器を非常に細かく分類して、伸ばして詰めた。
吉野ヶ里のライフは0よ
349 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:40:28.22 ID:IsP4PyZpO
>>331 倭王武が中国に送った上表文に、朝鮮半島侵攻のことがでてくる。
父の済がやったとね。
で、倭王武は考古学的史料で実在が確認できる最古の天皇である雄略天皇とされている。
ただ、倭王武の上表文だと、武は邪馬台国の卑弥呼の末裔と解釈可能になっちゃうんだよね。
武の王朝は、後漢から宋まで途切れず朝貢してたということになってるから、魏に朝貢してた
邪馬台国も同一王朝としてカウントしないと筋がとおらなくなる。
352 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:41:14.61 ID:O/R8hhLP0
353 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:41:20.16 ID:aDlUKCH3O
>>338 井沢説は流石にトンデモの域だからな
>>337 もうちょっと冷静になれ恥ずかしいw
別に俺らは機内だろうが九州だろうが沖縄だろうが「ありき」で語ってんじゃねえから
九州で納得出来るならいいんだよ別に
根拠が今は脆弱なだけで
354 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:41:59.25 ID:ObKBxVTg0
これは決まったなもう
355 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:42:07.54 ID:PqMLwCkF0
吉野ケ里は場所も時代も違う。
しかし、倭人伝の記録とかなり一致している。
近い文化圏ではあったのだろう。
356 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:42:29.38 ID:hh3Gv4w0O
>>345 ギシワジンデン舐めんなボケっ!
大意、要旨を読めば大変有益な資料。
現代における日本人の特徴そのものを既に書いてくれた名文中の名文。
字面をいちいち解釈しているのは時間の無駄馬鹿の極みだが。
357 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:42:48.28 ID:238HMj600
畿内論者の伊都国糸島説は重大な誤り
<新九州説> 200余年の論争に終止符
開かれた邪馬台国の扉・・・秘密の回廊発見!!
末蘆・唐津港から東南陸行500里で佐賀平野、その出口、佐賀県小城市に伊都国はあった
358 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:43:38.96 ID:O/R8hhLP0
>>342 あのな、キチガイみたいなこと言うな。
>纒向が今見つかっている遺跡では1番古い都市だった様子が窺える
本気で言ってるのかオマエは?
蘇我入鹿邸からまだ何も出てこないのかな
360 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:44:35.02 ID:PqMLwCkF0
ホケノ山の石室から出てきた小枝が4世紀初頭である。
361 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:45:10.02 ID:JtD+THcs0
>>358 本気で言っているので、それを否定する根拠を提示してください よろしく
363 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:45:49.06 ID:O/R8hhLP0
>>353 あのな、恥ずかしいのはオマエだから。
破壊されてる可能性は十分ある。なぜムーが出てくる???アホ???
364 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:46:00.41 ID:ZpcTRQb40
3世紀、卑弥呼の時代に朝貢がありその後4世紀半ばにも倭国からの朝貢の
記述が中国には残ってるがその間の150年が空白の時代とされてる
これってずっと国交があり朝貢が途切れず続いてたって事じゃねーの?
つまり、邪馬台国はその間滅びず倭国として存在しそれがヤマト王権、大和朝廷に
なっていく
365 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:46:25.31 ID:SkiP8MlE0
>>337 邪馬台国ではないことが確認されてるのに、邪馬台国に確定している畿内説論者って、
竹島を実効支配した末裔かもしれんね
>>356 内容の精度が低すぎて、あやしい地図を片手に旅行するようなもので、日本の発掘をベースにして、その中のほんとに参考資料程度にするべきだと思うよ。
367 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:47:57.95 ID:O/R8hhLP0
>>362 う〜ん例えば吉野ケ里遺跡のほうが古いだろ。
バカ?
九州説って教科書にのるのがおかしいぐらいの説だよな。
日刊ゲンダイ程の記事を事実として載せるもんだ
キリストは韓国人!を聖書にのせるようなもんだ
370 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:48:40.26 ID:SkiP8MlE0
371 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:48:51.31 ID:ZpcTRQb40
マキムク遺跡に関しては三輪山一体が元々地名で大和と称したらしく
発掘されたときは年代が4世紀半〜5世紀半のものと言われてる
これもつまりその5世紀頃までそこに都があった証拠
それが何時からそこにあったのかは調べようがない
>>367 吉野ヶ里は都市とは言えないよ
集落ってぐらい?
373 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:49:29.05 ID:IsP4PyZpO
畿内説が否定されてるのは学術上の話?
それとも九州説派の脳内話?
374 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:49:32.35 ID:JE1aIGdNO
ヒミコは日の皇子(ひのみこ)、
邪馬台国はヤマト国。
九州に大きな文化圏があったことは確かだが、
邪馬台国は近畿しか考えられない。
375 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:50:02.82 ID:hh3Gv4w0O
>>366 アタマ悪いか俺のカキコミ全然読んでないだろ。
世界から見た「現代日本人を含む日本人の特徴」を、ギシワジンデンは端的に書いてくれている。
日本人っつうもんを客観視してみろよ。
376 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:50:43.84 ID:aDlUKCH3O
>>343 「国記」「天皇記」自体はもはや読む術もないけど
さほど記紀と異なる内容ではなかっただろうと推測されてるね
古事記が八世紀編纂の筈なのに推古帝で終わってるのがその名残とも言われるが
卑弥呼や台与は斎宮で天皇は弟の方だろう。
378 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:51:02.05 ID:yro2HRUsP
魏志倭人伝の邪馬台国の記述は、魏という国が自分たちの権力を誇示するために
当時の魏からすればはるかに田舎の未開の地、日本の最大の国家である邪馬台国というクニと交流があったって言ってるだけで
実際に邪馬台国が当時の日本の最大のクニだったという証明にはならないって論はダメ?w
379 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:51:09.12 ID:ZpcTRQb40
>>373 九州説の唱えてる学者がそもそも今は激減して絶滅危惧種
今は畿内のどこにあったかが主流だとさ
380 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:52:09.47 ID:O/R8hhLP0
>>372 俺様定義に興味はありませんので、そこんところよろしくw
>>373 散々発掘調査した挙句、魏志倭人伝の記述と丸で合わないことが確認されて
るんだから、否定されてますわなwww
381 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:52:17.18 ID:PqMLwCkF0
少なくとも大和朝廷は、金印を知らない。
記紀を編纂した役人は、漢籍を読みあさって、
金印の話も読んだことだろうと思うが、
大和朝廷にはそれに類する記録は存在しなかったといって良い。
従って、記紀に金印のことは書かなかった。
つまり、前王権との断絶が伺える。
また、聖徳太子の逸話も、聖徳太子非実在説が疑われるくらいに、
漢籍と記録が狂っている。というより、整合しているところがない。
これもおそらくは別の王権で、なんらかの資料や言い伝えが
わずかに入手できた程度であろう。
382 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:52:53.06 ID:qPl6Wt380
>>373 論争が決着すればそれ一筋で研究してきた人が飯食えないからかな?
永遠に決着する気配なしw
383 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:55:13.05 ID:ObKBxVTg0
本当に決定的な証拠でてきても、証拠なんか関係ないと無視してずっと争いそうなこの話題w
384 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:55:33.87 ID:SkiP8MlE0
>>379 御用学者なんか信用してるのか? 原発で何を学んだ?
しかも、古いし情弱かよ
385 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:55:37.27 ID:hh3Gv4w0O
>>378 だからその程度で満足せずに、素直に読めば非常に有益な見解が書かれてんの、
現代日本人にそのままあてはまる特徴が。国際社会における日本人となナニモノなのかが。名著名文なんだ。
そこを読み取らないと、古代史専門家以外にはギシワジンデンなどさしたる意味はなくなってしまう。
>>380 ああ結局根拠出せませんでしたか
ちなみに自分が言っている都市というのは、全国と関わりがあったという痕跡があるところ
纒向に全国の物(壺とか)があるって話を聞いて面白いなと思ってさ
まあ素人なんで正確に覚えてないんだが
>>381 継体天皇の死亡記事において死亡日時わからない上
「百済人の書いた書物には天皇と皇子が一緒にしんだと書いてある
もうよくわからんけど一応のっけとくね」
記紀編纂からたかだか200年も遡らない時代で先祖がいつ死んだかもわからないし
その時不可解なことがあった可能性もあるのにわからないとしてる
388 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:56:20.86 ID:IsP4PyZpO
邪馬台国、九州説も畿内説も決め手に欠けるんだな
九州説は候補地遺跡無くて破壊されて現存しないとか
畿内説有利も言われてしょうがない気がする
389 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:56:40.54 ID:Prq7L7ds0
私たち日本は、列島島国民族で火山民族だから文化が無い
私たち日本は当時は韓国人の下で、道徳と文化を教えてもらっていました
私たち日本の劣等感が酷くて、なんとか歴史を長くしようと必死ですね
FUJIMURAさんが良い例ですよね
自分たちの歴史が長くなれば、それだけ韓民族を下劣に貶めることができる
序列が上がる、世界が尊敬すると考えるネトウヨが涌いているようですけど
全てが誤りみたいですね
390 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:57:34.32 ID:PrR9ni/IO
>>1 何故柱穴だけで卑弥呼とわかる?
お前はサイコメトラーか
>>303 沖縄方言のヤマトゥが原音に近いということか?
392 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:58:58.37 ID:JtD+THcs0
>>387 現代においても戦中のことで不明なものは多い。
しかし戦前戦中戦後を通して帝国議会は連続して存在した。
たかだか半世紀前でもこんなものだよ。
393 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:59:09.81 ID:aDlUKCH3O
>>363 あ〜wだから落ち着けっていうとるだろがw
墳墓破壊どうとかムーとかレスしたの俺じゃねえしw
IDや文脈みりゃわかるだろバカ
394 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:59:27.50 ID:Ms2oRDnx0
>>351 >倭王武は考古学的史料で実在が確認できる最古の天皇である雄略天皇とされている。
そこがほんとなのかしら、と思うのですが。
雄略天皇といえば、一言さんとのエピソードみたいなどうでもいい話が残ってるのに、
海を渡って大遠征したなんて大事なことを書かないってことなんかあるかしら。
魏志倭人伝に関しては、
何をどのように勘違いしたのか、
って話になるような気はするが。
396 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:59:42.41 ID:PqMLwCkF0
>>387 継体天皇という名前が、すでに王権の断絶を伺わせる名前だな。
397 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:59:48.09 ID:O/R8hhLP0
398 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 11:59:49.28 ID:Unl/pwQB0
399 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:01:14.89 ID:ZpcTRQb40
>>388 そもそも中国で国土の半分以上を掌握していた魏国が使者を送って
国交開き交流があったとするならば日本のような小さな列島では
それを支配していた国じゃないと釣り合わないってのがあるから
そうなってるんだが
当時、日本=倭国で最大の国だとするなら畿内にあったとされる
ヤマト王権が有力とするのが一番自然
北九州にしか存在しない小国だとするなら魏の見識ある使者があんな
の無視していいですよぐらいになると思われ
400 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:01:32.61 ID:hh3Gv4w0O
>>391 沖縄の発音は知らんけど、当時に比較的近い(らしい)中国古文(?)の発音だと、
「トゥ」「ドゥ」の中間みたいな感じだよ。ネイティブ中国人に実際読んでもらってみな。
書いてる文章の信憑性がおかしくね?
九州から南って書いてるのに何故近畿になるんだよw
何を目印で北にしてるんだ?書いたやつアホだろ
402 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:02:05.80 ID:O/R8hhLP0
403 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:02:49.86 ID:238HMj600
畿内説は、伊都国糸島の想定で、トンデモ学説
>>397 倭人伝に「女王の都する所」って言葉がある。
都というのは現代の東京のようなところということ。単なる大規模な集落のことではない。
405 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:03:36.67 ID:lIj9jU7x0
>素直に読めば
魔法のコトバ 「 素 直 に 読 ん だ ら 」
これはもう九州説の枕詞と言っていいw
どいつもこいつも「素直に読んだらこうなる」として
結局九州説は九州だったらどこでもOK説になるwww
もっとも真っ当な文献史学者なら口が裂けてもそんな事は言わないだろう。
基本単一史料の倭人伝なら徹底的に史料批判をし
一体何処までその情報が信じられるかを精査する。
そうして結局はこんなもので位置を特定するのは無理と言う結論に大昔に達してる。
が(大昔のタイプの)九州説の連中にはそれが認められない。
暗号を解読すれば必ず位置が特定できる…というのが
ゲームを成り立たせる大前提なのだからw
406 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:04:51.90 ID:hh3Gv4w0O
>>396 携帯天皇については、むしろ逆とも考えられる。
極めて正統な末裔だったから、わざわざ苦労して担ぎ出された可能性が。
>>394 江田船山古墳の鉄剣の銘と稲荷山古墳の鉄剣の銘から、5世紀頃に関東から九州まで
を支配する王朝が存在していたことがほぼ間違いない。そして、鉄剣の銘から
その当時、雄略天皇が実在してた可能性が濃厚。
そして、雄略天皇と倭王武がほぼ同時代。
倭王武が雄略天皇でないなら、関東から九州までを支配する王朝が存在したのと同時代に、
朝鮮半島に大軍を送り込み、「日本各地を支配した」と上表文を書いて中国に送る力が
ある王朝が別に存在したことになる。さすがに、それはありえんかと。
408 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:04:58.07 ID:gTizilGq0
大和 は邪馬台国から来てんじゃないの?
い、卑弥呼・・・
410 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:05:14.39 ID:Unl/pwQB0
>>399 九州説の痛し痒しの部分だよな
使者が来たとすれば、そんな小国行ったのってなるし
来てないすれば、行程自体正しいの?ってなる
でも、行程事態が間違ってるのを暗黙の内に認めてるから、
放射説とか短里とかパズルに熱中してるのだろうけど
411 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:05:17.72 ID:O/R8hhLP0
>>388 近畿はほぼ100%無いんだから、当然九州が有利ですww
>>404 あのな、纏向から離れろ。邪馬台国で無いことが発掘調査で判明してるもの
出してどうするんだカス。
412 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:05:58.99 ID:Gx9wENoL0
畿内は大和朝廷
九州は邪馬台国
なんで同じにしたがる?
413 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:06:38.36 ID:TUvWadOx0
お、伸びてるな
邪馬台国って昔から魅かれるんだよな・・・
>>411 >邪馬台国で無いことが発掘調査で判明してるもの
その根拠を教えて下さい
てか、じゃあなんで報道では纒向が有力候補なんだ?
415 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:07:33.48 ID:aDlUKCH3O
>>402 あ〜だから人様のレスくらいちゃんと読めよバーカww
こんな低レベルな奴が九州説持ち上げて
正直九州説を真っ当に支持してる奴らが気の毒だわw
416 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:07:39.27 ID:ZpcTRQb40
この手の議論になると九州説は畿内説を否定する事でだから九州なんだ
とする手法をとり続けそれが今やそんな理論通じませんで絶滅危惧種になった
んで、畿内に関しては2世紀や3世紀のものを特定するのは難しいが
その後、奈良を都とするヤマト王権、王朝が成り立っていく中で中国と
国交を持てるほどの大国はヤマト=邪馬台国だったのではないか?との
説が大きくなって有力とされてじゃあ場所はどこにあったんだ?
が今主流でしょ
417 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:07:50.80 ID:IsP4PyZpO
>>411 破壊されて現存しないのが有利と言われてもな…
なんでも言えてしまうんでない?
畿内は無くてもさ
418 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:08:03.63 ID:O/R8hhLP0
419 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:09:44.54 ID:DgTVBsmN0
魏志倭人伝は
魏の国が呉や蜀をびびらせるために
国交を結んでる国を強く大げさに書いてるってNHKで研究者が言ってた
日本の記述もフィクションを入れて大げさに書いてるから
それを踏まえて読んだ方がいいって
420 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:09:56.72 ID:l8ydLYsc0
巻向遺跡は、実在する最初の天皇と呼ばれる崇神天皇の宮跡。
ただモモソ=卑弥呼は無理がある。
記紀か倭人伝のどちらかが間違っている。
初代天皇は謎だらけでわからんな。
何故卑弥呼はマンコに箸を突っ込んだのか?
何故最初の天皇に、例の漢字「崇」を使ったのか。
421 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:10:20.97 ID:O/R8hhLP0
>>414 >てか、じゃあなんで報道では纒向が有力候補なんだ?
あ〜あ、ゲロっちゃったwww
報道が証拠になると思ってるクズwwwwwwwwwwwwwwww
>>417 畿内は100%無いことは証明済み。
なら、最有力候補は北部九州。
何が疑問なわけ?
422 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:10:35.14 ID:khIvlwuy0
卑弥呼は韓国系
423 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:10:39.37 ID:gTizilGq0
>>416 最近は九州説でも、邪馬台国は小国でした派も居るみたいだよ
425 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:11:22.68 ID:238HMj600
畿内論者の 伊都国糸島説は 捏造の始まり
けっきょく畿内説の、あの手、この手、神の手、ピンクの手
426 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:12:30.69 ID:O/R8hhLP0
>>414 が近畿説の正体をゲロっちゃいました〜〜〜〜wwwwww
427 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:13:15.62 ID:ZpcTRQb40
この話をするとき 思想からは離れろ
428 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:13:42.00 ID:hh3Gv4w0O
>>424 小国だったらわざわざギシワジンデンで主役扱いされないだろ
429 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:15:41.23 ID:238HMj600
>>414 ただいま、近畿説の報道癒着番組を放送しております。
430 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:15:56.49 ID:O/R8hhLP0
纏向はただすごいぞ〜と言ってるだけ。
で、九州説も纏向がすごい遺跡であることに全く何の異論もない。
言ってることは、ただ1点。
すごいぞ〜では、魏志倭人伝の記述と丸で発掘されたものが合わないということを
説明したことには全く全然ならないという、ヴァカでも分かることを言っているだけw
431 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:16:27.55 ID:aDlUKCH3O
>>387 「後に勘校へむ者知らむ」だな
これは書紀中でも一番の暗示的文だが
まぁ実際ほんとにわからなかったんだろな
「二朝並立論」が未だに結論出てないから
「勘学へむ者」が出るのはまだまだ先なんだろな
432 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:16:57.61 ID:ZpcTRQb40
方角の間違いなどはあるが当時の魏は倭国がどれぐらいの国土があるか
ぐらいはある程度把握しているだろう
海洋も発達までは行かなくても倭国からの人間も中国に渡ってたり
逆に半島経由で倭国に来てたのもいるだろう
その中で倭国を統べる国家として邪馬台国と記述しているならば
そんな小国だったとする説はあり得ないな
魏の時代は中国は火薬とか使う文明
433 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:17:05.37 ID:IsP4PyZpO
>>419 俺も邪馬台国は実は小国で大和朝廷とは関係ないのかと
水行うんぬんのくだりもわざと遠方にまで力がおよんでるかに見せかけ…
クニを統一した人物卑弥呼が語り継がれないのが疑問だった
別王国の偉人など忘れさられたものと
九州の小国の話かもと思ったがO/R8hhLP0が電波すぎて胡散臭くなったわ九州説(笑)
434 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:17:48.69 ID:sHcaNyJe0
>>401 当時の魏の文化、技術からして方角を間違えるはずもないから、九州より南にあったんだろうて。それがどこだかは謎。
>>421 報道が証拠というわけではないよ
証拠があったら報道だって纒向を否定するはず
とにかく、畿内は100%無いこと、纒向ではないという証拠を出してくれ
証明済みってそれは君の頭の中だけw
436 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:18:22.89 ID:hh3Gv4w0O
>>427 いや、むしろ思想だけが大事なんだ。
書き手の思想の要旨を読み取ることで、現代日本人にこそ有益な資料になる。
要するに、
菊と刀やユダヤ人と日本人とか、辺境論(正式名忘れた)と同じジャンルがギシワジンデン。
>マスコミが報道するから畿内なんだよw
マジで畿内説論者ってこんなんしかいないわけよ。桃の種が発掘したら、邪馬台国で決定確定とか、アホしかおらん
>>421 九州が100%ないことも証明済みだから、
最有力なのは中国地方だな。
>>426 いや、学者さんも纒向派がいると思うんだが
というか畿内派が殆どだろ
君のような九州派が五月蠅いから口にしないだけで
440 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:20:26.88 ID:lIj9jU7x0
まあ此処を読んでいまだに「邪馬台国論争」なるものが続いていて
「九州説」なるものが「畿内説」に伍しているとなどと思わないようにw
そんなものは大昔に終わっているし
現在畿内説と言われてるものと大昔の畿内説は別物。
(それの成立に大いに助けになってるのが他ならぬ九州の考古学だったりするw)
大体「九州説」と言う言い方が酷いw
方角や距離のとり方でバラつくって話じゃなくて、放射式・連続式、魏使は卑弥呼の下まで行った・行かなかった、etc
およそ好き勝手読みのオンパレードwww
大体、例えば福岡平野と宮崎平野じゃあ歴史的な意味も違ってくる。
前者なら弥生王墓群のある玄界灘周辺地域の最後の輝きみたいな話になるだろうし
後者なら九州内で新興勢力ができたような話になるだろう。
でも味噌も糞も一緒にとにかく畿内でなければ、九州内ならOKというのが九州説。
日本書紀の通りなんだなぁ・・・
日本の歴史ってすげえわ
442 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:21:11.88 ID:ZpcTRQb40
>>434 その方角どおり行くと沖縄になるだろ
使者も上陸、船、上陸を繰り返してるから方向間違えただけが可能性高い
当時は陸路も山を避けて通る道だから正確に解るはずもない
443 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:21:14.49 ID:zmRSneDe0
戦争の痕跡が無いし
堀も無いんだろ?
444 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:21:30.62 ID:TUvWadOx0
>>416 大別すると九州説と畿内説がツートップだからでしょ
畿内説も「九州ではない、だから畿内なんだ」と言うもんでそこはおあいこ
そして邪馬台国とヤマトの連続性が問題になるわけで、
> んで、畿内に関しては2世紀や3世紀のものを特定するのは難しいが
> その後、奈良を都とするヤマト王権、王朝が成り立っていく中で中国と
> 国交を持てるほどの大国はヤマト=邪馬台国だったのではないか?との
> 説が大きくなって有力とされて
これは物証と言えるものもないし、憶測にすぎないんだよね。
そもそも初期のヤマト政権が豪族連合だったにせよそれ以外だったにせよ、
邪馬台国がどういう位置を占めていたのか、皇統にどこかで関係しているのか、
どのような形の権力闘争とか吸収合併とかもしくは滅亡を被ったか、それらについては
すべて歴史小説家の仕事の範疇を出ない
おれは邪馬台国は東遷したという素朴な見解が好きだけど、まあこればっかりはどうしようもない
>>433 魏が邪馬台国に送った品物を、魏が他国に送った品物と比較すると、
邪馬台国は大国に送られるような品物を送られてたわけで。
一地域の領主みたいな存在に送るような品物ではなかった。
少なくとも、魏は邪馬台国を大国と認識してたかと。
>>439 だから、実際に畿内と思っている学者は小数だって、大和朝廷の発掘をしているだけ
447 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:21:59.33 ID:yro2HRUsP
おまえら、ちょっとモチツケw
ここは九州と畿内の間をとって出雲が邪馬台国ってことで丸く収めないか?w
ちょうど地理的にも九州と近畿の中間だし出雲大社もあることだしさwww
九州説の方はいつの間にか草生やしまくりのキチガイしかいなくなっちゃったじゃないかw
449 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:22:55.41 ID:pkWPyUho0
魏志倭人伝<=役人の出張報告なので
経費が30倍水増しされてるのは有名な話。
特に遠くなり情報がすくなくなるほど酷くなる。
>>430 九州にある「魏志倭人伝の記述と合致するもの」とは具体的になんですか?
>>446 でも学者の九州派ってもう絶滅状態らしいけどw
>>432 方角間違う魏w
大国なのにアホだな
>この地図には不思議な点が数多く存在する。まずは、日本列島。九州を北にして90度傾いた南北に長い国として描かれている。
>魏志倭人伝では、邪馬台国が北九州沿岸の国から、南の方向にあると記述されているが、この地図で南に進むと畿内方面に至ることから、
>「邪馬台国畿内説」の論拠の一つとなっている。
九州から南って書いてるって教えてもらったけど
453 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:25:32.33 ID:PqMLwCkF0
そもそも、大和朝廷が正式に成立したのは8世紀。
年号は大化の改新の大化からとなっているが、
その後途切れたりして、安定するのが大宝律令の大宝から。
また、一般的には逸年号と呼ばれるものが、各文書に約二千件以上存在する。
これを並べてみたのが九州年号と呼ばれるものである。
ちなみに、記紀にも消し忘れたのか、九州年号が10件ほど書かれている。
奈良時代以前の白鳳時代の白鳳も、九州年号である。
大和朝廷の年号には存在しない。
454 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:25:54.88 ID:ZpcTRQb40
弥生時代の日本人と三国の時代の中国人じゃ見識から知識から
全然違うわけでそれが小国か大国かそんなものは解る
その上で倭国を統治し数々の小国の連合国家である邪馬台国と記述
してあるのを考えれば大国であったのは明白
また対馬を経て九州に上陸して瀬戸内海を通り畿内に上陸したとすれば
方角以外が全部一致するわけだが
455 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:26:16.14 ID:IsP4PyZpO
>>445 根拠はないが、それこそポーズな気もする
地理的に朝鮮に隣接して?戦況困難のイメージを払拭させるため、朝鮮向こうの大国をおさえてますよと
456 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:26:35.07 ID:JtD+THcs0
>>401 方位の見方が当時と現代で同じなのかということの検証が必要なんだけどね。
時刻だって和時計と西洋時計では違うんだし。
>>451 嘘つくなよ。畿内説論者って嘘つきが多いのは前々から有名だけどなw
458 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:29:00.39 ID:238HMj600
伊都国糸島信者は、近畿説も九州説も、絶滅危惧種だ
これからは伊都国佐賀説の全盛時代になるゾー
459 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:29:22.92 ID:aDlUKCH3O
>>447 出雲があれだけの国家勢力なら
中国への使者派遣くらいしてた筈なんだがな
それとも地理的にあそこは百済経由オンリーだったのかな
460 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:30:34.86 ID:gTizilGq0
俺らが生きてるうちは分からないままだろうな
461 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:30:58.63 ID:52PQnAuu0
九州説なんてもともと村おこしだからな
なくなりゃ困る人がいっぱいいる
必死になるのもよくわかる
462 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:31:11.04 ID:PqMLwCkF0
鎌倉時代に成立した二中歴によると、
九州年号は6世紀初頭の西暦517年の継体から始まり、
西暦700年の大化で終わる。
それから、大和朝廷年号の大宝が、701年から始まる。
ひょっとしたら、九州王朝が畿内に引っ越しただけかもしれない。
>>459 邪馬台国の時代にかなり大きな勢力だったはずの出雲が魏志倭人伝の記述に
ろくすっぽ出てきてないのに、九州北部の描写は妙に詳しいってのが
畿内説に対する批判としてあるんだっけか。
465 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:34:28.58 ID:OwRTOFiNO
物部氏は常陸の豪族ですから、物部神道と出雲神道とは関係ありません。
むしろ出雲族が衰退し、本当の出雲族はサンカ(山の民)として漂泊する。後の部落民。
さらに出雲大社と出雲神道も物部神道とは無関係。
物部氏は、石上神社を始めとして古墳などを作った古代の土木技術者の集合体。物部氏=武の民は誤り。
ありのままに@札幌より
466 :
名無しさん@1周年:2013/02/05(火) 12:34:55.93 ID:tUsItlvX0
京都大学の創造した「邪馬台国」は、纏向でも、
魏志倭人伝に書かれている、
「耶馬壹国」(やまいこく、やまいちこく)は
九州にあった。
>>401 使者が方向音痴だったんじゃねーか?
方向音痴だと方角を間違うのは珍しい話じゃないけど、
水行十日・陸行一月などの日数を大幅に誤ることはありえないから、
九州説はありえない。
468 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:35:49.80 ID:JtD+THcs0
>>464 各国の記述に書かれた時代の違いがあるという指摘もあるね。
奴国あたりが境だったか?そこから北が漢代の記録の使いまわしだとか。
469 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:37:29.01 ID:PqMLwCkF0
いわゆる大化の改新が645年だが、
九州年号の大化695年〜700年に行われたほうが、
しっくり来るかもしれない。
その後8世紀初頭に、大宝律令制定や、記紀編纂、
平城京遷都など、怒涛の国家建設が始まるからである。
いわゆる「大和朝廷」が存在感を持って、仕事をし始めるのはこの辺りからである。
470 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:37:53.47 ID:l8ydLYsc0
結局九州説が説得力があったのは、
弥生末期は小国が分裂して、まだまだ統一されていなかったという認識があったから。
それが荒神谷遺跡や巻向遺跡などで、この当時すでに大国と呼べる国が存在
していることがわかっちゃった。
小国の遺跡しか発見されていない九州は
明らかに、候補地から外れた。
出雲は古墳の形式がちがってたっけ?
かなり独立性の高い勢力がいたらしいね。
472 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:38:09.37 ID:238HMj600
そもそも、伊都国=糸島 が大間違いの始まり
末蘆国から東南陸行500里は佐賀県小城市、ここぞ真の伊都国だ
473 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:38:59.88 ID:lIj9jU7x0
>>461 村おこしと言うより70〜80年あたりの邪馬台国ブームは出版業界の仕掛けだろうw
先ずブームのきっかけが宮崎康平の「幻の邪馬台国」
更にプロの学者を相手に舌鋒鋭く論戦した松本清張は短編「陸行水行」で参戦して「古代史疑」とかを相当売ったはずw
で九州王朝説の古田や東遷説の安本とか出て他にも泡沫のごとく「邪馬台国」をタイトルに冠した本が無数に出た。
まあぶっちゃけ粗製濫造。
もうその時には既に学術的な論争でもなんでも無くなってる。
此処にいる九州説の連中も「畿内説=アカデミズムに名をなさしめるのは気に入らない」と言う浅ましい了見の馬鹿が殆どwww
>>283 いくらでもあるだろ
古典的代表例では
新井白石 本居宣長 白鳥庫吉
出雲は四隅突出型墳丘墓だけど、広島の三次盆地あたりが発祥なんだとか。
日本海側からも瀬戸内側からも遡れるんだよね、三次は。
>JR桜井線巻向駅の西方徒歩約5分
駅から徒歩5分って、住宅でも建てようとしていたんだろ
遺跡を掘り当てたら洒落にならんよな
>>388>>470 九州国立博物館はじめ伊都の博物館とか行ってみ
有力な証拠が腐るほどあるぞ
ホムペもあるので参考に閲覧してみたら如何
>>428 今でもよくあることだが、いずれ劣らぬ複数の大勢力が連合を組んだ場合、
大勢力を長に据えると、他の大勢力の反発を招くので、波風の立たない
小勢力が漁夫の利を得て長に就くことは珍しくない。
メルボルンとシドニーが首都をめぐって綱引きをした結果、
中間にある田舎町だったキャンベラが首都になったり。
あるいは、キングメーカーは表に出ず、自由に操れる小国を御輿として
担ぐ場合だってある。
畿内畿内言っている奴は日本地図を10分眺めろ
480 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:44:57.14 ID:lIj9jU7x0
>>477 通常、畿内説でも伊都国=糸島、奴国=福岡平野、で別に九州説の根拠にはならんなw
そんなものは織り込み済み。
>>345文書は公式記録
当時のエリート中のエリートが担当する
唐の時代の倭と日本(ちゃんと区別してある)に関する文書作成には
唐の高官だった阿倍仲麻呂や井真成も事情聴取されてるはず
483 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:46:04.42 ID:JtD+THcs0
>>479 現代人の地理知識で地図を見ても畿内とも九州とも答えはでないよ。
実在性が有力視される最古の天皇が「多分、本当の初代天皇じゃね?」と
言われる第10代崇神天皇(その前は欠史八代と神武)で、
その崇神天皇は「3世紀から4世紀にかけて存在したんじゃね?」と言われてるから、
邪馬台国の時代と重なるんだよね。
だから、畿内説をとる人は、崇神天皇の時代の記紀の記述に出てくる女性に
卑弥呼を比定することになってくるわけだが。
ただ、記紀の記述(これに頼りすぎるのもアレだが)によると、崇神天皇の時代に
四道将軍送って日本全国を平らげたってことになってくるわけだが。
485 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:46:15.00 ID:Gx9wENoL0
>>473 今まで相手にもしなかった邪馬台国が金になるとわかって学者たちが立ち上がったわけよ
それが現代の尖閣問題。日本(九州説)中国(畿内説)
どんな卑怯な手を使ってでも大和朝廷を中国に売り渡したい畿内派w
長屋王邸跡も壊してヨーカドー建てちまうし勿体無いな
487 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:46:34.53 ID:toXLQZfEO
狗奴国はクマソだと思うけど
>>467 移動距離を捏造したと思うんだけど
大きい国の方が魏には特なんだし
方角を捏造する意味がない
489 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:47:23.79 ID:aDlUKCH3O
>>464 出雲は謎がまだ多過ぎて論証し難い素材なんだよね
倭国大乱時に乱立した一地方政権として捉えれば済むんだろけど
じゃあ何故古事記で出雲だけあそこまで割く必要があったのかと
大和朝廷が出雲を特別視する真意がわからない
490 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:47:27.06 ID:iejyn92WO
日本の西半部全部が邪馬台国だったんだよ。
491 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:47:42.93 ID:OwRTOFiNO
>>471 出雲は四隅突出型墳丘墓。2世紀ごろ鳥取・島根県・京都府で現る初期の墳墓です。
もしかしたら、岩国から広島まであったかも?確認中…
ありのままに@札幌より
492 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:47:45.67 ID:DH4BhcWT0
九州って韓国の血混ざってるのか?
起源説にこんだけ拘るとはw
493 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:48:11.38 ID:238HMj600
>伊都の博物館
そもそもそれが・・・・大間違い、真の伊都国は佐賀県小城市だ、倭人伝にそう書いてある。
494 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:49:04.66 ID:l8ydLYsc0
>>477 まあ奴国の遺跡は沢山あるんだけど。
それの2倍の人口を持つ投馬国と
3倍の人口を持つ邪馬台国の遺跡は見つかっていない。
おかしくないか?
495 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:50:21.51 ID:PqMLwCkF0
松浦から糸島に行くくらいなら、
直接糸島に行ったほうがよい。
それにそこから先がどうにも説明がつかない。
496 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:50:44.03 ID:wdihkd8J0
まあ当時の貧弱な船で渡ってきて、また帰ること考えたらさらに関門海峡渡って
奈良くんだりまでわざわざ行くのかって話にもなるよな。
常識的に考えたら九州だろ。
>>482(補足)
シナが倭と日本をどんなふうに見てたか史料を通して読むことでよくわかる
講談社学術文庫の『倭国伝』が便利
>>477 邪馬台国から測って、100里+100里+水行20日+水行10日+陸行1月もある
遥かに遠い伊都国が九州にあることは、九州ではないことを裏付ける証拠にしかならない。
499 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:51:46.11 ID:TUvWadOx0
それから魏志倭人伝の記述についてだけど、戸数ってどれくらい信用されてるんだ
自分とこが一番大きい!って言った上でサバ読みそうだけど
500 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:52:26.87 ID:BFoOQquh0
>>470 そりゃ違うよ
>結局九州説が説得力があったのは、
>弥生末期は小国が分裂して、まだまだ統一されていなかったという認識があったから。
>それが荒神谷遺跡や巻向遺跡などで、この当時すでに大国と呼べる国が存在
>していることがわかっちゃった。
これはあっているけど、ここからが違う
それがわかって、・・邪馬台国は、その大国だった・・としているのが畿内説
邪馬台国は、たまたま、中国に朝献したから文献が残っているだけで
邪馬台国が当時の日本で一番大きな国だったのか、それとも、邪馬台国は当時の日本では小さな国の部類だったのか
が、ほとんど考慮されていない
つまり、畿内説は
邪馬台国は約30の【国】(←今の感覚で言えば都市)の集まり・連合で、首都が7万人
だけど
畿内にあった別の国は、約2000の【国】(←今の感覚で言えば都市)の集まり・連合で、首都が15万人
という可能性を、ほとんど考えていないんだ
ましてや、たった30の【国】(←今の感覚で言えば都市)の集まり・連合で、
奈良から九州まで、支配出来ていた・・っつーのは、ムリがある
邪馬台国の支配地域は、現代の県レベルだよ・・・
>>494 単純に魏志倭人伝の記述に出てくる国々の人口をそのまま受け取った場合、
「そんだけの人口を持った国々を九州に押し込めるのは無理じゃね?」
という話があったような。
>>491 古墳の分布だけでも結構な勢力だからね。
出雲が候補ってのはわかる気がする。
503 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:53:25.65 ID:lIj9jU7x0
>>485 ID:Gx9wENoL0
失せろゴミ。
お前みたいな本来学術的な場に幼稚な政治的・イデオロギー的なものを持ち込む馬鹿が多いのも(ネット上の?)九州説の特徴だなw
504 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:54:01.14 ID:PqMLwCkF0
松浦までで、公里の1/6であることが確実なので、
里数と日数を1/6したのを短里短日説という。
これで目的地は熊本南部となり、
水行陸攻、総行程万二千余里が完全に一致する。
投馬国は久留米、
邪馬台国は熊本全域
505 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:54:09.24 ID:JtD+THcs0
>>488 当時の人間が捏造しなくても、現代人が現代の地図と用具と知識で見るのとは違うものになると思うよ。
方位だって和時計と西洋時計の違いと同様のものがある。
西洋時計は任意の一点をもって特定の時刻としているが、和時計はある地点からある地点の範囲をひとつ
の時刻としている。
和時計の時刻は干支を使っているが、干支は方位でも使う。見方も同じ。
そしてこれは大陸から入ってきたものだ。
ある方位の対極の端を基点にそれぞれ同じ端を選んで進めば、字面上は同じ方位でも到着点に違いが出る。
>>498 道路が整備されている現代と比べんなよw
だから畿内説論者は・・・アホしかいないって、言われるだよw
507 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:55:25.70 ID:ByE2cljKO
卑弥呼が巫女で出雲はその後を継いだ宗教国家なんだろ
そこから大和朝廷に繋がってるんじゃない?
508 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:55:35.05 ID:238HMj600
>邪馬台国の支配地域は、現代の県レベルだよ・・・
ちがうな、九州レベルと考えれば解決する。
古代の遺物はなんでも卑弥呼の仕業になるのな
510 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:57:21.69 ID:NihNRXlB0
デニケンはなんでも宇宙人
大槻はなんでもプラズマw
511 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:57:43.17 ID:PqMLwCkF0
江戸時代の行政単位である村は、だいたい500石から2000石程度。
集落に家が集まる傾向にあるが、村があまり大きいと、
田畑までの通勤?に時間がかかり効率が悪いから。
同様の理由で、ひとつの集落はそれほど大きいものではなかっただろう。
これらの村が集まったのが小国で今の郡に相当する。
512 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:57:58.99 ID:Gx9wENoL0
>>503 効いてる♪効いてる♪
お前ら畿内説派がお得意の報道で言ってたぞw
これまでの話を総合すると、八幡平で決まりってことだな
515 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 12:59:32.10 ID:hh3Gv4w0O
オマエら何も知らんようだから理系の単なる素人の俺が教えてやる。
昔の中国の地図見ると、日本列島らしきものがひっくり返った描き方されてんのがよくあるんだよ。
九州あたりが大陸に近くて北に位置、そこから近畿→関東→東北にかけての地方が南になってんの。
中国人の素朴な感覚では、九州から東に行くのは南下してる感覚だった可能性はわりとあるんだよ。
中国の古めの地図たくさん探して実際見れば納得するよ。
行程がでたらめなんだから規模もあんまり当てにはならん気はするが。
517 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:00:40.73 ID:Gx9wENoL0
>>227 大正解
畿内説論者は↑を、しっかり読みなさい
518 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:01:09.84 ID:aDlUKCH3O
もうさ、そもそも日本側の記紀文献があまりに適当過ぎてこんだけ混乱してるんだよな
そもそも中国様が邪馬台国記述してなかったら今ごろ存在すら消えてた訳で
もうトンデモ承知で言うけど聖徳太子磯長陵辺りから国記天皇記が銅板彫で全巻発見されるかして
古代史の全面書換でも起こらない限り
この問題は未来永劫解決しないだろ
山内丸山から纏向まで2000年もあるんだろう、その間日本は眠っていたわけではないから、もっと大きなスケールだったと思う。
人口も、人口移動も、いろいろな生産力についても、前方後円墳の巨大さしかり、平安京もそうだし、列島は小さいとか言う認識はおかしくないか。
>>515 また、いい加減な資料で誤魔化すかwww
もうそれは論破されてんだろうが、このインチキ野郎が!
521 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:03:33.76 ID:JtD+THcs0
ID:Gx9wENoL0は具体的なことを何も言わない煽り屋だな。
正直、邪馬台国なんて日本の歴史の中ではどうでもいい存在。
>>519 けど結局は食料生産技術次第な部分はあるし、農業の跡は
残るはずだから、あんまり過大評価もできないと思うぞ。
524 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:05:03.05 ID:lIj9jU7x0
>>518 >そもそも中国様が邪馬台国記述してなかったら今ごろ存在すら消えてた訳で
その場合でも現在考古学とかで言われてる日本の原型が作られていくプロセスはそのまま残る。
単にそこに「邪馬台国」とか「卑弥呼」と言う単語が出てこないだけ。
で九州説の場合無論玄界灘周辺地域の考古資料やそれに基づくその地域の隆盛は残るが
「九州だったらどこでもOK」な邪馬台国妄想は消し飛ぶなw
525 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:05:12.75 ID:hh3Gv4w0O
>>519 日本史は日本人が思ってる以上に世界史に存在感があるし、
一方でちみっちゃくもある。まあ歴史漫画に出てくるヤマタイコクは当時を馬鹿にし過ぎではあるね。
526 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:05:59.45 ID:mLeHXR8w0
出雲はかつてデウモと呼んで
投馬は音を当てたとすればつじつま合う説
527 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:06:57.96 ID:wdihkd8J0
>>522 そそ、古事記や日本書紀に書かれている以外は信じない方が良いんだよ。
皇統から目を逸らしたい連中が必死になってるとしか思えん。
>>506 だったら、その同じ距離感で狗邪韓から諸国の距離を測ったら、
対馬も壱岐も末盧も伊都も朝鮮半島の国ってことになるな。
>>521 お、お前、まさかと思うが、自分で具体的な話をしているつもりか?ww
爆笑させるなwww
530 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:07:37.13 ID:psZooR7A0
>>475 三次盆地は今行っても地域の雰囲気が弥生時代っぽいw
531 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:07:54.27 ID:hh3Gv4w0O
>>522 文系の馬鹿ほど、ヤマト国の現代日本人にとっての重要性を理解できないのはナンで?
532 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:09:04.78 ID:TUvWadOx0
533 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:09:09.74 ID:JtD+THcs0
>>529 あくまでもお前さんのレスを全部見た感想だよw
煽りレスしかない。
つたなくても自分の言葉で語ったものがない。
小学生の時ジャマタイコクと読んでしまったのは甘酸っぱい思い出だ、邪魔な大国って何だよと真剣に考えたもんだ
もしかしてマクモニーグル正しいんじゃね
纒向遺跡は祭祀用だとか言ってなかったっけ
536 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:14:15.65 ID:l8ydLYsc0
>>518 まあそれが面白いとこかも。ただ北朝鮮のような資料と比べて本音が出るときがあるんだよね。
特に天皇の諡には、本音が見える。
モモソ=卑弥呼として
崇神天皇=神を崇める天皇
なんて上手いと思う。
大和朝廷は重要だが、邪馬台国は重要ではない。卑弥呼という婆さんが実に興味深いw
モモソが卑弥呼ならそれはそれで興味をそそる。しかし、違うだろう。姫?巫女と言われる人物はあちこちにいた。
>>527 自称歴史家としてはそうかもしれんが、学術的には記紀を信じている
歴史学者のほうがまれだと思うぞw
それに、皇統から目を逸らしたい連中とか言い出すから駄目なんだよ。
それは別次元の問題。
539 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:18:01.09 ID:wdihkd8J0
>>538 じゃあなんで古事記や日本書紀を義務教育で教えないんだ?
実際、先に入ってくる情報は邪馬台国だの卑弥呼だのどうでも良い情報ばかりだったぞ。
八女で語り継がれる姫は卑弥呼の血筋とも言われているが、たしかではない。
541 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:21:16.19 ID:OwRTOFiNO
余談ですが…卑弥呼とトヨ(何代目かの卑弥呼)の時代は、阿蘇山が噴火し南九州全域が火山灰に覆われていました。
あのころ、本当に九州に邪馬台国なんてあったのですか?
ありのままに@札幌より
天皇家が鬼道を操っていたのかなあ?とは思うけどな。
どうも卑弥呼のイメージと天皇家が重ならない。
543 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:26:06.66 ID:hh3Gv4w0O
女性人格になぞらえた太陽を信仰してる原住民の土地が日本なのだから、
あちこちに日の巫女系(神子だかなんだかシランが)のキャラが見つかるのは当たり前。
だいたい日本の神さまは、世界から見ると女性が多過ぎなんだから。
いちいち挙げてヒミコか?ヒミコか?実はヒミコか!?言ってたらたらきりがない。
つうか、日本人がなんなのか、まるでわかってない証拠。
544 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:26:27.49 ID:238HMj600
>>541 いまでも桜島や新萌え岳で、火山灰にまみれとるわ
545 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:26:59.88 ID:BFoOQquh0
例えばね、倭国に関する中国の記述は
邪馬台国の卑弥呼に会いに行った話し・・・・魏志倭人伝(146−189年)
と
奈良の大和政権の聖徳太子に会いに行った時の話し・・・『隋書』倭国伝(608年)
がある
その両方とも、日本に行く道のりは
都斯麻国(対馬国)から、一支国=一大国という島国に渡り
邪馬台国の卑弥呼に会いに行った魏志倭人伝(146−189年)の時の話だと
そこから末廬国に上陸して、→伊都国→奴国→不弥国→投馬国を経て邪馬台国
で
奈良の大和政権の聖徳太子に会いに行った『隋書』倭国伝(608年)の話だと
そこから竹斯国に上陸して、→秦王国→さらに十余国を経て奈良に至ったとなっている
つまり、もしも、邪馬台国が奈良にあり、九州に上陸して奈良まで行った・・・とすると
国=都市が、全く足らないんだよ
実際問題、九州説同士でも論争がある。候補地が多すぎて絞れないわけさ。
だからと言って候補地を1つに絞ったから、そこが邪馬台国とするのは如何なものかな?
しかも、邪馬台国と関係ない物はスルーして、年代を調節して辻褄合わせをしようとしている。さすがに、九州説はそこまで露骨な捏造はしていない。
陰陽道が伝わる飛鳥時代までは鬼道?
548 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:29:46.24 ID:2rsG5qpH0
1944年に5歳だとしても74歳ですが
左巻きの糞爺が扇風機やヘリコプターを戦時中の音だとか
ただの耄碌でヤキがまわっているだけですよ
549 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:31:15.80 ID:TUvWadOx0
>>542 そりゃお祓いも他の神道の儀式も中国からは鬼道と呼ばれるだろう
歴史を通じての中華文明の特徴は、
自分とこの王朝や文化はパーフェクトな正当性を持っているとして疑わず
その他の地域の文化・文明・宗教・習俗・王朝は正当性を欠いたまがい者である、とあらかじめ決まっているため、
こうした描写になる
550 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:32:02.66 ID:5B02Z++k0
吉野ヶ里を見れば倭人伝の世界がそのまま現れていることがよく分かる。
奈良や大阪にそんな遺跡一つもないよね、無論巻向にも。
551 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:33:04.53 ID:238HMj600
さよう
一大国 → 末蘆国・・
一大国 → 竹斯国・・
では、南行と東行でまるきり行き先がちがう。
>>537 邪馬台国は、それはそれで重要だろう。
邪馬台国のあった3世紀頃にすでに日本を広く統治する王朝が存在していたのか、
4世紀頃と思われる大和王朝による支配が行われるまで統一的な王朝はなかったのか。
これは結構重要な問題ではないかと。
553 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:34:12.47 ID:SdRACSWv0
>>545 別に畿内論者じゃないが
時代が400年以上離れてるってのを完全に無視してるだろ
二世紀の倭の殆ど村みたいなクニを
魏の役人がいちいち都市として認識してたと思うか?
554 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:34:45.57 ID:lIj9jU7x0
>>546 候補地を絞らなくていいから「読み方」を統一しろw
「素直に読んだらピタリとわかる」というのならその読み方がバラバラなら話にならない。
連続式に読んでも素直読み、放射式に読んでも素直読み。
「水行なら○日、陸行なら○日」も素直読み、「水行で○日(続けて)陸行で○日」も素直読み。
で結局素直読みじゃあ決着つかないから今度は考古資料を適当に持ってきて差別化を図り
「百家争鳴」と言うよりgdgdで自滅していったのが九州説。
>>549 それはわかるんだが、天皇家ってそこまで呪術的で
未開シャーマンな政治やってた存在だったのかな?
とも思えたり。
>>555 邪馬台国から300年以上たった遣隋使のときでさえ
お前の政治まるでなってないなとたしなめられるくらいなんだから
557 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:38:30.80 ID:SdRACSWv0
>>549 古事記とか道教の影響受けまくってる気がするけどなあ
箸墓からも大量のモモが発掘されてたし
紛い物は紛い物だけどベースに中国宗教があるのを鬼道と呼ぶだろうか
558 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:38:29.89 ID:hh3Gv4w0O
>>542 もの知らないだけ。
天皇家の本質そのものだろ。
イメージ重ならないとかアホかよ。
559 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:39:32.25 ID:238HMj600
近畿説も九州説も、糸島前原信者は、自滅してしかるべし
>>552 卑弥呼に関心があるんだよ。卑弥呼の墓の中に何があるか、知りたい。
モモソだと無理だろう?いや、無理だからこそ卑弥呼=モモソに仕立てあげたとも考えられるねw
ただ、それ以上に台与の方が謎なんだけどね。
passionataを呼んでこい
もう婆さんだろうけど
>>556 その時もキドウを操り。。。と評されたのだろうか?
って疑問。外部からどう見えるか?
>>555 現代の感覚で捉えると間違えるような。
例えば、平城京は、風水の思想を取り入れてると言われてる。
現代人は、風水を正しい科学としてとらえないが、8世紀の日本では、
風水は外国から取り入れた最先端の科学技術だ。
古代の日本では、呪術的な政治だって、戦争を避けて政治を行うという
最先端の政治思想だったと言えなくもないわけで。
564 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:41:29.74 ID:TUvWadOx0
>>555 それは何とも言えないが、シャーマンはあったかもよ。
未開かどうかは今でも地鎮祭とかやるから何とも言えないな。
儀式を通じた大衆操作や正統性の誇示などは
いつの時代でもあり続けてきているし、
国家はそういうものと切っても切り離せない。
中国人がそういうものの意図を見抜いて鬼道と呼んだ可能性もあるし、
よくわからん儀式だったから鬼道と呼んだだけかもしれない
シャーマンはどうだろ、北の方が多いと思うが
565 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:42:06.19 ID:hh3Gv4w0O
>>555 原始人のアニミズムって世界史の最初にやったろ?
あれを今もやってるほとんど唯一の辺境原住民国家の司祭長が天皇だよ
(ちなみに祭られてる神様の最高位が女性人格)。
イメージしっくりこないのはオマエの理解がおかしいだけだ。
567 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:42:56.19 ID:oaI3vAZ10
盲目の教授先生の夢、オワタ
>>555 雨乞いもするし占いもするし生贄も捧げたんだよ
三種の神器にも意味がある
569 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:46:06.98 ID:5B02Z++k0
邪馬台国の都まで万二千里とはっきり書いてあるのに、
途中経過がどうの、方角がどうのと争っても、奈良まではとても行けない。
570 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:46:03.47 ID:G0Pw5qho0
日本の考古学って派閥があるんだろ?
しかも馬鹿ばかり
なんか見つかれば、すぐ卑弥呼・邪馬台国かよ
いや、天皇家はシャーマンでも良いし、風水でも方位でも呪術でもやってるかもしれんが、
中国から見て鬼道を操り云々に見えるかどうかだよ。
後代の天皇家はそうはいわれてないんじゃないか?
なら卑弥呼と天皇家の間には断絶か変化があったのだろうと言いたいだけで。
572 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:46:52.93 ID:GCEEt550O
>>550 吉野ヶ里は邪馬台国の時代には消滅してる。
つまり、邪馬台国が始まる時に遷都した可能性がある。
573 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:49:20.05 ID:hh3Gv4w0O
>>555 さらに言うと、日本各地津々浦々に「天皇家」があって、
シャーマニズムそのものをやってきてて、いまもやってるのがまさに俺ら現代日本人。
ちょっと外国から日本人を観察してみるとしっくり理解できると思うよ。
そこをズバり指摘してくれてるギシワジンデンの一節は、まさに名文に他ならない。
年代論基礎講座
昔々、特に考古学的な根拠なく決められた年代があった。
これは、主に記紀の記述などをもとにした年代観で、
いまだに九州説が依拠している年代観。
この年代観に特に根拠はない。
しばらくこれでやっていた。
ところが、発掘の事例が多くなってくると、
まず九州の方から舶載の遺物の日本国内での出土年代と
中国内での流通年代があわなすぎるという問題がおこってきた。
この背景には、九州では甕棺の精緻な編年が完成していたということが大きい。
そこで、まず九州の研究者が年代の繰り上げを行った。
これにより、九州の主要な遺跡はほぼ200年より前のことだということになり、
ヤマト国の3世紀にはかつての羽振りのよさが失われていることが明らかとなった。
これにより、まず九州の研究者がヤマト国は九州にはないといいだした。
これが1970年前後のこと。
575 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:49:27.66 ID:5B02Z++k0
>>572 じゃあ、奈良に一つぐらい痕跡が見つかってもよさそうなもんですけど?
100年も戦争してたんだから。
>>542 帝は今も昔は祭祀を司っているだろ。
「鬼道」というの魏からの視点で「得体の知れない怪し占術」ってこと。
魏の公に採用されている占術以外の、東夷の土着の祭祀は魏から見たら鬼道だよ。
577 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:50:45.19 ID:TUvWadOx0
>>571 中国人からどう見えるかで邪馬台国とヤマトの連続性の問題を論じるとは斬新すぎるな
578 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:52:22.09 ID:lIj9jU7x0
>>565 天皇が「神社神道」の範疇を超え自然崇拝そのまんまをやってるかの如きことを言ってるなら違和感があるな
(無論神社神道に自然崇拝は残っているが)
あと最高位=アマテラスというのはそれこそ 「理解がおかしい」
造化三神 特に 天御中主神 がいつアマテラスの下に就いたって?w
ちなみに今でも伊勢神宮に奉納する物を運ぶ船だとか車には「太一御用」の旗が付けられたりするが
「太一」とは北極星のことだ。
579 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:55:22.37 ID:HYrCqOiT0
>>570 あるよ
国宝だって学閥違えば扱い方が全く違うくらい
他の学会も学閥強くてアホばっかだよ
特に考古学はちゃんと議論できてるとは思えない
580 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:55:54.13 ID:hh3Gv4w0O
「鬼道」につっかかってる方へ。
「鬼道」を「祭」に言い換えてみろ。
文明国の中国人から見て、「非科学的」な支配程度の意味で文意を読めば、
書き手の主旨は外さないでしょ。それが「鬼道」。
「祭(まつりごと)」を「政(まつりごと)」、まさに政治と呼ぶのが日本人っつうだけの話。
こんなわかりやすい話も無いだろ。
(道教がらみの話とか知ってますんでレス不要です)
581 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:56:48.75 ID:cW0xxZB+0
狗奴国ってのが神武天皇ってことでいいのか?
582 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 13:57:00.85 ID:lIj9jU7x0
>>574 それが某先生の
「九州の考古学者で邪馬台国が九州にあったなんて考えてる者は一人もいない」
と言う台詞につながるわけやねw
ところがそうう言った背景はネット上では中々出てこない。
大抵は陰謀論宜しく邪馬台国論争を有利に進めるために「年輪年代法」が登場したというお話になってるwwww
583 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:00:01.99 ID:hh3Gv4w0O
>>578 あんたが書いてくれた程度は俺でなくても知ってる人多いです。
厳密に話しをしだしたら面倒なだけだから、
話を簡単にしてるだけなくらい理解しろ、いちいち言わせんなよ。
だから金印掘り出してから勝ち誇れよ
>>574 つづき
しかし、畿内の研究者はかたくなに昔の年代を守っていた。
これは、この古い年代の提唱者が畿内の研究者のボスだったことも恐らく影響している。
結果、同じ時代なのに九州の研究者と畿内の研究者で
実年代で50年から100年ぐらい食い違うということが発生した。
この状態がおよそ15年続く。
こんな状況下で出てきたのが森岡による畿内の土器の編年の見直しと、年輪年代。
この二つは相前後するように1985年前後に登場した。
これらの年代の見直しの結論は、九州の年代でほぼ正しいというもの。
ここに至って、ようやく畿内の年代と九州の年代が一致した。
これが現在の状況。
だから、バカの一つ覚えのように年輪年代を攻撃してもむだで、
九州説を主張し年代がおかしいというなら、
まずは九州の考古学研究者を説得できるだけの、考古学的な証拠が必要。
西王母みたいに特徴が明確に一致すれば簡単なんだがね。
日本側に文献がないし、曖昧な話にしかならんね。
587 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:04:32.02 ID:lIj9jU7x0
>>583 簡略化するのとデタラメを書くのとは違うぞ。
最高位=アマテラス だの 天皇がアミニズムそのまんまを執り行ってるだのは
日本文化の多層的(ごちゃ混ぜ的w)な成り立ちをまんま無視するものだ。
588 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:04:49.50 ID:BFoOQquh0
>>553 時代が400年以上離れてるってのを完全に無視してる
のは
おまえのほうだよ
時代が400年以上離れていて、街道の整備も進んでいた
608年ですら、海から竹斯国に上陸して、→秦王国→さらに十余国を経ないと
奈良までたどり着けなかったのに
それより400年以上も昔で、608年に比べれば、獣道ぐらいしかない
146−189年に、海から末廬国に上陸して、→伊都国→奴国→不弥国→投馬国で
奈良までたどり着けるわけが無かろうが
今の修羅の国、福岡が天つ国な
590 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:06:28.21 ID:aDlUKCH3O
>>560 仮に真正卑弥呼の墳墓が未盗掘で見つかって発掘したとしても
歴史を覆すような遺物の発見は無いだろうね間違いなく
中国の墳墓と違い日本の古墳から「文字」が出土するのは極めて稀
文字が出土しない事にはどれほど確定的であろうと
全ては状況推測に留まり断定は不可能
稀に鏡や剣に銘があっても歴史を動かす程は期待できない
「トヨ」は何らかのキーワードだとは俺も思う
>>590 絵文字とか金の杖とか世界樹とか紋章、象徴する動物でもあれば良いんだけどね。
特定する手段がなあ。
592 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:09:32.97 ID:SdRACSWv0
>>588 二世紀と七世紀の都市の規模の違いに対する反論は?
あと街道無い時代なら海路がメインになるだけの話だし
からくれないに 水くくる とよ
594 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:11:25.27 ID:z9iz8iwtO
畿内説なら知ってるけど九州説って何?って皆言ってますがな
九州説って何ですか?
邪馬台国は何処?
卑弥呼は誰?
卑弥呼の古墳は何処?
答えられないのが九州説
こんなの一説でも何でもない
九州説はマスゴミのステマが発祥の素人の妄想
>>488 捏造があるって事を知っててキミは他にも捏造があるかもとは思わないの?
通常、資料で1つ捏造があったら、その資料全体が疑われて役に立たなくなるよ
596 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:12:36.17 ID:238HMj600
>>584 金印が出ただけでは、持ち歩いたさきで埋めたと言われる。女王の都へ到るルートもだいじ。
なお従来の伊都国糸島説は重大な誤り
<新九州説> 200余年の論争に終止符
開かれた邪馬台国の扉・・・秘密の回廊発見!!
末蘆・唐津港から東南陸行500里で佐賀平野、その出口、佐賀県小城市に伊都国はあった
これは倭人伝の記載通りの場所である。
597 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:12:54.11 ID:MV+LGd1Y0
「卑弥呼ちゃんとゲームしてるとスグに勝つからつまんなーーい!!」
幼少の頃はそう言われてたかもな。
卑弥呼も後世でこんなグダグダな世の中になってるとは思ってなかったろうな。
>>588 畿内説をとり、魏の使者が畿内までやってきていたと考えるなら、
船で瀬戸内海をとおって川を上って畿内に入ったと考えるのが自然だろうね。
九州北部から中国地方の日本海沿岸伝いに船を使ったというのですら、
最後の大和入りのための陸路がきつくなるだろう。まして、中国地方を陸路で
踏破して大和入りというのは、かなり考えづらい。
599 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:13:22.79 ID:l8ydLYsc0
むしろ倭国伝に書かれていたことで興味深いのは飛鳥朝は9万6000戸と書かれていたことかな。
邪馬台国の7万戸と対して変わらないんだ
と思った。
600 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:13:54.45 ID:av5G0Bam0
>>588 魏志倭人伝の陸上交通の表現は凄いよな、
前を歩く奴が草木の中で見えない、つまり主要道路でも藪を掻き分けている状態だもんな。
陸から行くなら1ヶ月、船で行くなら10日だそうだ。
601 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:13:58.97 ID:HYrCqOiT0
>>594 九州説も畿内説も今のところ何も根拠ないよ
「多分こうじゃないか」という妄想だけだよ
602 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:14:50.83 ID:hh3Gv4w0O
>>587 はいはい。誰でも知ってる話をわざわざえらいえらい。つうか面倒なヤツ。
まあ、蛸壷の中で蛸が自分の足の吸盤の数を数えて、足ごとに違いがあるから、
どれかが足だとすると別のを足と言うには違和感がある、とか言い出すレベル、あんたは。
世界(当時のギを含む世界)から見た場合、日本人はアニミズムのまつりごと(「鬼道」)土人で、
拝んでるのが太陽女性さまで、祭上げる係筆頭が天皇でナンの問題も無い。
まあ、蛸の足ごとの吸盤の数に関する一考察でも一生やってろよ。
(基層文化論やら、神話体系やら、神社の系統やら、一通り知ってなおかつ書いてますんでね。
ちなみに、俺個人は、ヤマト系の神社はあんま好きじゃない。
天照らす=最高神、と捉えてるわけでもないからな)
603 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:17:21.59 ID:TUvWadOx0
>>600 用心のために、攻められると想定したんじゃないか。
軍事的に侵攻用に使われるルートを教えてはいけない。
使者の地理感覚を狂わせる必要もあったんじゃないかな
つまり滅茶苦茶なルートを通らされたと
604 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:17:40.11 ID:z9iz8iwtO
志賀島で発見された金印
九州説の九州人は志賀島で金印が見つかったから志賀島らへんが奴国だとか言うけど
貿易の為に使われた単なる港で金印が発見されただけだろ
ここらへんが九州説の幼稚なところなんだよな
605 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:17:56.62 ID:NihNRXlB0
606 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:20:32.98 ID:z9iz8iwtO
九州説では、宇佐神宮の地下に、卑弥呼が眠っているんだろwww
607 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:20:54.43 ID:BFoOQquh0
ましてや、魏志倭人伝によると
海から上陸し末廬国・・4000余戸
↓
伊都国・・・1000余戸で、世、王が居る
↓
奴国・・・2万余戸
↓
不弥国・・・1000余戸
↓
投馬国・・・5万戸余。
だ
日本に上陸したあと出てくる国=環壕集落で、一番小さなものが1000戸
これが当時の【国】=都市の最低規模だ・・としても
それがたった30で、北九州から奈良まで、支配出来ていたとは到底思えない
北九州から奈良まで、一直線に30並べてもムリ
畿内には確かに、邪馬台国を同じ、もしくは上回る都市連合があった・・が
それは邪馬台国ではない
邪馬台国ぐらいの規模の都市連合は、当時の日本には複数存在し
その中で、何らかの理由で中国の魏に朝献したのが、邪馬台国だけだっただけ
っちゅうことだよ・・・
608 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:21:58.69 ID:lIj9jU7x0
>>602 ID:hh3Gv4w0O
で逆ギレしての捨て台詞はそれで終わりかね?w
無論俺が書いてるようなこと殊更専門的な知識とも思ってないが(苦笑
「だれでも知ってるようなこと」に配慮できずオレサマ解釈を垂れ流して突っ込まれたら逆ギレする知ったかぶりがお前だなw
609 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:21:59.06 ID:TUvWadOx0
>>605 一種迷信に基づいたぼったくりタクシーだよw
そうすることで、使者をお迎えするけど、災厄は来ませんようにって。
610 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:22:26.24 ID:JDlf6a6vO
ヤバイヨーホレチャヤバイヨー♪
>>584 たとえ金印が出土したところで、解決はしないよ。
ハムラビ法典の石碑がルーブルにあるからって、バビロニアがパリにあったって
ことにはならないだろ。
612 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:24:37.89 ID:z9iz8iwtO
九州説は早く邪馬台国を見つけてこいよ
613 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:25:03.61 ID:lIj9jU7x0
>>585 >これは、この古い年代の提唱者が畿内の研究者のボスだったことも恐らく影響している。
まあ旧帝大の某大先生のことだがw
(それを九州説の連中が崇め奉ってるのはもうブラックユーモアだなw)
結局年輪年代はその権威を突破するためのツールとして重宝されたって部分もあるんじゃないかな?って思ってるwww
>>609 呪術的謎ステップかwあり得なくないけど
そこまで輸送力移動力に余裕があったかどうか。
615 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:25:54.22 ID:238HMj600
>>607 ま、そんな感じでいいんじゃないの
たまたま卑弥呼は、魏の曹操の縁者の御落胤みたいなあれだったとか
616 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:29:07.00 ID:TUvWadOx0
>>614 まあ憶測だからね
そういうまじない的手続きが古代には付き物じゃんという偏見に基づく
617 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:29:58.82 ID:aDlUKCH3O
>>591 昔京滋で発掘の補助員してて弥生後期の方形周溝墓や竪穴式古墳幾度と掘ったけど
規模の大小関係なくまぁ見事に被葬者を特定できる遺物は皆無だったわ
奈良期以降うじゃうじゃ出て来る木簡や墓碑銘文字遺物に比べ
よその国かよというくらいなんにも無い
古代日本が如何に文字と無縁の生活だったかを痛感する
618 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:30:56.09 ID:hh3Gv4w0O
>>608 ほんと面倒くさい馬鹿だな。
じゃあ聞くけどさ、三国志(を元にした遥か後の世の小説)で、
孔明が攻め込む辺境国家が中華視点でどう描写されてるよ?
ヤマト国も本質的にあれらの国と変わらんレベルで描写されてるに過ぎない。
そこに使われた「鬼道」っつう「ラベル」に対して、違和感がどうのと蛸壷視点で言っても意味ねーってだけの話。
俺のさっきのレスは捨てゼリフでも何でもない。オマエに物事を学ぶ大切さを教育してあげたまで。
619 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:31:03.26 ID:gTizilGq0
よく分からんけど九州ではない気がする
620 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:31:37.63 ID:z9iz8iwtO
九州説は一生教科書に載ることは無いだろうな
九州人の心の中に一生残るだけだろう
621 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:31:47.11 ID:OwRTOFiNO
邪馬台国の補佐役は分かっています。
倭人伝の卑弥呼の補佐役の名前は、伊聲耆(イセキ)です。イセキ= 彦五十狭芹彦命(ひこいさせりびこのみこと)、別名は吉備津彦命(きびつひこのみこと)。
天皇の皇子の一人で桃太郎のモデルです。
卑弥呼の館もこの近くかと思われ。たぶん、出雲。
ありのままに@札幌より
622 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:32:24.78 ID:BFoOQquh0
邪馬台国ぐらいの規模の都市連合は、当時の日本には複数存在し
その中で、何らかの理由で中国の魏に朝献したのが、邪馬台国だけ
だっただけ・・・つまり、
大規模な都市連合の遺構がでてきたから、そこが邪馬台国
なんて、簡単なモノじゃないんだよ
へたすりゃ、
首都が10万人、15万人なんて、邪馬台国をはるかに凌駕する都市連合が日本には存在していた
邪馬台国は、たまたま、魏に朝献して、倭の国王という称号を貰ったけど
当時の日本で一番勢力が大きかったのは、邪馬台国じゃなくて別な国家連合
・・・かもしれないんだから・・・
投馬国=鞆国≒吉備王権
秦王国=幡王国≒宇佐八幡
どっちも瀬戸内海航路でしょ
畿内説のやつは天外魔境Uのやり過ぎ
625 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:34:48.73 ID:yro2HRUsP
σヽ
|| ∧_∧
|i ( ) _
| ̄ ̄\≠⊂/ ̄ ̄ ̄/ 三
_|__( ̄ ̄ ̄o ) ,/ ̄)_
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄  ̄ ̄ ̄ ̄
626 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:36:05.62 ID:lIj9jU7x0
>>620 つうか今でも畿内説・九州説両論併記なんじゃ?
(最近の教科書はどう表記してるんだ?)
厳密に言えば地方の一勢力がタイミングやらがよくて朝貢に漕ぎ着けた…と言う偽僭説のような話の可能性もあるし
なんだかんだで九州説と言うよりアンチ畿内説みたいな連中もいるんで両論併記でお茶を濁すってことで行くんじゃないの?w
627 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:36:34.63 ID:l8ydLYsc0
>>607 あまり考えられないなあ。
高句麗でさえ3万戸。
この当時の日本の人口は、すでに合計値で呉に近いと推定できる。
もし邪馬台国見たいな、国がゴロゴロあったら魏クラスになってしまう。
>>617 となると年代測定とか他の地域の産物の有無とかで見るしかないのかな。
困ったもんだ。。。
桃太郎かぁ…
キビ団子がエサで犬と猿と雉って誰?
630 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:37:25.44 ID:AMQJVL1b0
卑弥呼は韓国人ニダ
631 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:38:07.95 ID:jFyNKd5A0
>>526 昔は、出を で とは読まないだろ。
出る は いづる 。
いづ だよ。
自分勝手な読みを当てはめんな。
>>617 朝鮮半島では4世紀後半に百済が文字による記録を始めたとある
ってことは日本が文字使いはじめたのはせいぜい5世紀初頭
よし記録とってみるかと始めたときにはもう200年前のことなんておぼえちゃいないわな
633 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:38:53.34 ID:gTizilGq0
九州ってなんか出土したりしてんの?
634 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:39:39.40 ID:ldixnY57O
調査してるの市教委ってだけで嘘くせ
調査という仕事が欲しいだけだろ
何も見つからないと金が打ち切られるから穴発見で卑弥呼を出しただけだ
考古学者で捏造した奴いたよな
635 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:39:54.50 ID:OwRTOFiNO
伊聲耆(イセキ)が卑弥呼の補佐役として重要な地位にいたとする。
その場合は、もちろん九州説は説明が出来ない矛盾に陥ることになります。
しかし、出雲説・近畿説なら矛盾は生じないわ。
ありのままに@札幌より
636 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:40:02.87 ID:BFoOQquh0
>>627 そう
だからこそ
魏に朝献・・なんて考えるのは、【邪馬台国ぐらいしかなかった】
つまり、当時の日本で、邪馬台国という都市連合は、弱小の部類だったのさ
>>621 吉備津彦命は四道将軍の1人だから、補佐役を吉備津彦命とするなら、
朝廷本体は大和にあったということになるはずのような。
なんで、卑弥呼の館が出雲ってことに?
638 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:42:00.58 ID:238HMj600
>>627 なんかイメージが違うよ
邪馬台国連合は九州全域のこととかんがえればいい(狗奴国含む)
639 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:42:07.55 ID:jFyNKd5A0
>>509 まあ、こうやって、一般人が食い付くからなw
640 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:43:13.98 ID:BFoOQquh0
>>627 そう
だからこそ
魏に朝献・・なんて考えるのは、【邪馬台国ぐらいしかなかった】
つまり、当時の日本で、邪馬台国という都市連合は、弱小の部類だったのさ
別な、自分より大きい、畿内の都市連合に対抗するために
畿内よりもはるかに大きい、中国の魏という大国の傘下にくだらないと
日本で勢力を保てなかった・・・んだよ・・・
641 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:44:05.71 ID:z9iz8iwtO
モモソ可愛いよモモソ
日向って良いよね。西都原には箸墓より古い古墳もあるし
南西に海の方に突き進んだら天照大神が産まれた「橘の小戸」もあるし
卑弥呼って天照大神じゃね?とか、日の神(火の神なら霧島もあるし)を祀ってたんじゃね? とか言うなら魅力的だよな
@美作国から
643 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:45:30.80 ID:gTizilGq0
村おこしに使えるんなら九州ってことでいいじゃない
644 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:46:02.52 ID:lIj9jU7x0
まあ3世紀頃の出土物の説明に色気出して「邪馬台国」「卑弥呼」の言葉を入れるのは大目に見ようやw
それは畿内でも九州でも同じだろう。
かなり昔のことになるが吉野ケ里なんか当初工業団地として埋められる予定だったものが
邪馬台国に関連があるとして急遽保存にとなったわけで邪馬台国サマサマ一番上手いことやった事例だろうw
それに比べれば説明に「邪馬台国」の文言織り込むなんざあ大したことはないw
645 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:46:06.63 ID:238HMj600
>邪馬台国という都市連合は、
これはおかしい、当時基本は農林漁業国。徳川時代にたとえれば卑弥呼幕府みたな感じだろ。
>>6 ひみこ
卑弥呼はそれ聞いた支那人が当て字しただけ
647 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:46:50.88 ID:OwRTOFiNO
>>637 正直に言いますと、…分かりません。(笑)
ありのままに@札幌より
648 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:47:13.02 ID:jFyNKd5A0
>>496 だよなあ。
単純な話だ。
だいたい、当時旅というのは大変な手間と労力と費用を要する。
海路でやって来て、さらにそこから延々陸路を辿る訳もない。
九州あたりをうろうろだろ
>>19 神武天皇の母君は奈良県出身
これ豆な
色々混ざってるのは正しい
650 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:49:40.83 ID:mLeHXR8w0
>>631 漢字未使用時代に来てるので投馬と音を当ててるので
トウマに似た国名だった可能性はありんす
出雲と表記されたのははるかあと
>>648 貧弱な船だから遠くにいけないってはなしなら、
そもそも朝鮮半島から出ないだろ。
卑弥呼の大河ドラマと言って半分くらい三国志の河北や遼東の戦いが日本や朝鮮に与えた影響を扱う設定にしたら面白そう
当時は関門海峡抑えたものが日本の覇者
654 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:53:43.81 ID:L/TWqS/10
奈良で国大いに乱れたって話は無いよな。
卑弥呼の死後は、しばらくの間荒れるんだぞ。
655 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:55:16.01 ID:238HMj600
>>651 末蘆国からは、東南へ500里歩いてるんだから、いまさら船に乗るか
九州内のそこいらをうろうろで正解
656 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:55:23.67 ID:Unl/pwQB0
>>648 畿内にしろ、九州にしろ
中国の長安辺りからみたら、どちらも対した違いないだろ
658 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:56:07.08 ID:NihNRXlB0
中国人がアバウトなのが悪い。
659 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:56:51.76 ID:z9iz8iwtO
>>654 吉備が謀反したから、鬼退治しに行っただろ、モモソの弟の桃太郎が
660 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 14:57:36.87 ID:BFoOQquh0
魏志倭人伝で邪馬台国が登場するのは3世紀中期
いっぽう、3世紀中期というのは弥生時代が終わる頃であると学校では教わる
弥生時代は集落の周りに濠をめぐらせた環濠集落に代表され、
弥生土器と呼ばれる、低温酸化炎焼成の素焼き土器を使い
住居は、主として竪穴住居
水稲耕作を始めてお米を食べるようになったもののドングリなどの堅果類も良く食し
総柱式の建物にそれらを貯蔵する
・・・と、なかなか芳ばしいイメージで表現される事が多いが
実際はその時代にはもう、
邪馬台国は、30カ国=30の、最低でも人口千人の環濠集落を支配・屈服させ、
伊都国以外の環濠集落からは「王」を名乗るモノを排斥して、変わりに自らの長官、副官等の役人をおき
それら30の環濠集落から、租税や賦役の徴収を行っていたのみならず
法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにしていた
それがもしも、北九州から奈良にかけての広大な地域で・・・ならば
それこそ、とても立派な中央集権国家で、集まる租税や賦役の規模も相当なモノになる
それで首都7万人・・・はツジツマが合わない
>>652 なにげに卑弥呼は黄巾の乱の辺りで王になって孔明が死んだタイミングで魏に接触したんだよな
八重の桜で江戸と会津を交互に扱うみたいになるかな
>>659 ヤマタノオロチ、桃太郎伝説の鬼、共に製鉄集団の事ではという話もあるけど
山陰と山陽、同じ集団を指してるのだろうか?
それとも別か・・・
663 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:00:39.62 ID:s8Lam78+0
>>616 後の方違えである()
兎も角、征服するなら内陸で大船団確保する必要がありますよと
アピールする効果はあんじゃね
664 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:00:54.95 ID:238HMj600
>>656 それでどうした、女王のところへいったのか、いかなかったのか
665 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:02:38.94 ID:Pw04XBJj0
卑弥呼の祭祀用建物 ×
崇神天皇の祭祀用建物 ○
>>620 高校レベル以上で九州説が載ってない教科書はみたことない
卑弥呼
ひみこ
姫巫子
668 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:04:50.69 ID:jFyNKd5A0
>>646 おい、おかしいぞw
仮に卑弥呼が実在したとして、当時倭人が〇△□と発音していたのを中国人が卑弥呼と書いただけであって、〇△□=himikoとは断定できないだろ。
実際当時の発音は不明。
ヒミコというのは倭人伝の文字を日本の学者が便宜的に宛てた読みなんだよ。
669 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:05:52.13 ID:1U2hUtKQO
倭人伝は実は陳寿作のラノベ
671 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:06:34.72 ID:lIj9jU7x0
まあ邪馬台国に関しては当分畿内説九州説両論併記で行くと思うが
今、歴史教科書に纏向って載ってるのか?
邪馬台国に関連があるにしろ無いにしろ日本史にとって相当に重要な遺跡だと思うんだが・・・
672 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:06:59.00 ID:238HMj600
>>661 卑弥呼は黄巾の乱で逃げてきた貴族の一派というのに一票
673 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:07:31.00 ID:NihNRXlB0
縄文時代は削除されてたっけ。戻ったのかな。
>>655 なぜ歩いた後からだと船に乗らないんだ?
そもそも、魏の都である許昌から渤海岸を伝って朝鮮半島を経由して九州まで来ているのに、
その先の畿内まで行くかいかないかなんて、福岡から品川まで来ているのに、
「東京なんて遠くて行けない」と言っているようなもの。
モモソ姫は尋常でない死に方をしたともとれるね。
陵墓も昼夜を徹して作られたとか。
676 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:08:42.96 ID:BFoOQquh0
つまり、邪馬台国が
30カ国 = 30の、最低でも人口千人の環濠集落を支配・屈服させ、
伊都国以外の環濠集落からは「王」を名乗るモノを排斥して、変わりに自らの長官、副官等の役人をおき
それら30の環濠集落から、租税や賦役の徴収を行っていたのみならず
法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにしていた
のは、もっと狭い範囲で
北九州から奈良にかけての広大な地域・・では無い
確実に、北九州ならば北九州、畿内ならば畿内の、
どちらか、片一方の、狭い範囲
そこから導き出される当時の日本の姿は
邪馬台国ぐらいの規模の都市連合は、当時の日本には複数存在していた
という事実
肝心なのは、
複数あった都市連合のウチ、どこが邪馬台国と名乗っていたか
であって
大規模な都市連合の遺構がでてきたから、そこが邪馬台国・・では無いんだ
677 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:09:12.35 ID:jFyNKd5A0
(続き)
何が言いたいかというと、卑弥呼=ヒミコ=ひめみこ、とか関係づけるのは、仮定にもとづいた更なる仮説にしか過ぎない、
ってことだ。
>>664 魏志倭人伝の記述を正面から認めるなら、行っている。
ただ、「使者は九州北部までしか来てない。邪馬台国に関する記述は又聞き」って
説はあるよね。
邪馬台国の風習に関する記述では、東南アジア方面の風習としか思えんものが
けっこうある。又聞きだとすれば、九州南部の国の風習を使者が勘違いして
邪馬台国のものだと記述した可能性が出てくるわな。
>>660 7万人って平安京の半分強くらいの人口だから当時としたらかなり大都会たぞ
中国でもたぶん州都くらいに匹敵する
白村江の戦い以降、防人が北九州に置かれた。
教科書レベルでは、大陸の侵攻に備えてと書かれているが
しかし幾ら何でも防人の駐留期間は長すぎる。
大規模な駐留軍を置くのも、当時であっても膨大な金が費やされるのに
朝鮮半島からの侵攻が、少なくともこれはってのが無かったにも関わらず。
何百年も続いたのだから、大陸の侵攻に対抗してでは説明がつかない。
つまり防人を置くのは、もっと切羽詰った理由があったことが推測される
それは南九州勢力を抑えることにあったと考えるしかなく。
当時は、南九州の勢力は大和朝廷にとって深刻な脅威となりえる力があったことを意味する。
卑弥呼の時代でも、それは代わらなかったようだし
南九州の豪族は、巨大な王権として存在したわけだ。
この南九州が、邪馬台国であった可能性は、残念ながら少ない
魏志倭人伝との整合性が取れないからね。でも、邪馬台国にとっても脅威だったのは間違いないでしょ
筑後弁の八女たいを中国人がヤマタイと聞き間違えたと聞いたが?
卑弥呼の呼は〜と呼ばれたの呼だろ?卑弥は、ひめ。
682 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:12:08.27 ID:DH4BhcWT0
>>655 最初から目的が奈良なら色々な手段使ってでも行くだろ
その考えなら例えば中国で万里の長城を見に行くのが目的なのに
近いからとの理由だけで何もない韓国で済まそうとしてるのと一緒だ
683 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:13:39.01 ID:z9iz8iwtO
モモソヒメミコ
684 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:14:09.01 ID:dlJ+McTk0
>>680 >それは南九州勢力を抑えることにあった
つ 磐井の乱
685 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:14:10.25 ID:238HMj600
>>647 近畿へ行くなら、最初から船でめざすだろ、
わざわざ品川でおりて歩いて日本橋へ行くか?
686 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:14:17.97 ID:1U2hUtKQO
とにかく古墳掘ればなんか解るさ
全部掘らせろ!
687 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:14:38.00 ID:yro2HRUsP
このスレはアツイのでクーラー作動させますね
r──────────┐
| l王三王三王三王三l o==ニヽ
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ゝ 乂━━━━━━━乂_| `-=
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>>677 >仮定にもとづいた更なる仮説にしか過ぎない
仮説以外の定説があるみたいな言い方だな。
魏志倭人伝にせよ、記紀にせよ正確ではないことは明白である以上、
仮説以外にはありえないのに、このスレで仮説を語ること否定するなら、
おまえは何をしにこのスレに来てるんだ?
皇子=みこ、だから
日皇子=ひみこ、というので固有の名称より
支那人「この国のトップは誰?」という質問に
倭人「日皇子(ひみこ)様です」と答えてた線もあるしな
>>217 神功皇后は三韓征伐があるからな
これは日韓併合の時に朝鮮への配慮として扱いが小さくされた経緯があるし
中国側もかつて日本が大陸に進出した記録は島国小日本という点からも都合が悪い
そもそも、邪馬台国の台はトとも読むので、ヤマト国=大和朝廷と考えるのが普通なのは仕方ない
690 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:17:02.07 ID:L/TWqS/10
>>659 謀反程度じゃなくて、各国入り乱れてだからな。
つまり、卑弥呼の時代は、まだ各国統一できてないの。
魏への使者がしばらく途絶えるほど各国入り乱れて内乱になるんだぞ。
691 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:17:06.26 ID:BFoOQquh0
>>679 だから
邪馬台国は、30カ国 = 30の、最低でも人口千人の環濠集落を支配・屈服させ、
伊都国以外の環濠集落からは「王」を名乗るモノを排斥して、変わりに自らの長官、副官等の役人をおき
それら30の環濠集落から、租税や賦役の徴収を行っていたのみならず
法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにしていた
それがもしも、北九州から奈良にかけての広大な地域で・・・ならば
平安京なみになっている
っつーの
692 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:18:02.07 ID:N3n6cw9zO
畿内説
筑紫説
熊野説
出雲説
但馬説
大隅説
鹿島説
琉球説
台湾説
インドネシア説
エジプト説
ムー説
世界いたる所に邪馬台国。
第10惑星説が出てこないだけマシか。
693 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:18:51.92 ID:238HMj600
>>678 近畿説だと、魏使は北九州あたりで引き返したことにしないと具合がわるいからな
九州説なら、倭人伝通り、都に到達し滞在してなんら不思議でない
>>674 スパイかも知れないから直接首都に通さずに様子見させるのは普通
まあ刺青に貫頭衣のトコだよ。
九州でいいんじゃないかw
>>685 都に行くだけが目的だったとは限らない。子供の使いじゃないんだから。
倭人の国全体を見聞することが目的だろ。
他の国の記述でも、各国の都に至る道中の都市の記述もあるし、
道中の諸豪族からの歓待もあるだろう。
現代の旅みたいに、目的地までひとっ飛びみたいな感覚は捨てろ。
>>689 三韓征伐は完全に架空の作り話だろうに。
ありとあらゆる面で実際の記録とあわない。
日本が朝鮮半島に大軍で侵攻したのは、4世紀末から5世紀初め。ヤマト王権が
すでに確立している。
そもそも、神功皇后は応神天皇の母。応神天皇は実在するなら4世紀頃の人間と
されてて、邪馬台国と時代があわない。
邪馬台国が大和朝廷と重なり合うのは、崇神天皇実在説をとった場合の崇神天皇の時代だ。
応神や神功のずっと前になる。
698 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:23:32.62 ID:lIj9jU7x0
>>692 邪馬台国ブーム華やかりし頃には東北・北陸説が普通にあったみたいだがw
699 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:23:40.00 ID:jFyNKd5A0
>>688 いやいやいやいやw
卑弥呼の話題になると、必ず ヒミコ=ひめ、ひめみこ、等、言葉のこじつけ論者があらわれる。
だがちょっと待て。
ヒミコという名前の読みすら確定してない、それなのにそのぐらぐらした土台に石を積み上げて、どや顔されてもね〜
当時は在世中の天皇を名で呼んでたのかなって疑問もあるね。
701 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:26:48.14 ID:BFoOQquh0
つまり、邪馬台国が
30カ国 = 30の、最低でも人口千人の環濠集落を支配・屈服させ、
伊都国以外の環濠集落からは「王」を名乗るモノを排斥して、変わりに自らの長官、副官等の役人をおき
それら30の環濠集落から、租税や賦役の徴収を行っていたのみならず
法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにしていた
のが、
もしも、北九州から奈良にかけての広大な地域・・でならば
邪馬台国は7万人都市どころか、10万人、15万人の大都市じゃないとツジツマが追わない
それこそ、とても立派な中央集権国家で、集まる租税や賦役の規模も相当なモノになる
奈良で決めたことを北九州まで派生させるさせるために、それこそ、街道や宿場など
北九州から奈良にかけての広大な地域において、さまざまな整備が行われていなければならない
だから、邪馬台国の支配地域はもっと狭い範囲で、北九州から奈良にかけての広大な地域・・では無い
確実に、北九州ならば北九州、畿内ならば畿内の、どちらか片一方の、狭い範囲
そこから導き出される当時の日本の姿は
邪馬台国ぐらいの規模の都市連合は、当時の日本には複数存在していた
という事実
その中で、邪馬台国という都市連合だけが、魏に朝献したから、
たまたま、邪馬台国だけが記述として残ってた・・・っちゅうだけ
肝心なのは、
それら複数あった都市連合のウチ、どこが邪馬台国と名乗っていたか
であって
大規模な都市連合の遺構がでてきたから、遺構が一番大規模だから、そこが邪馬台国・・では無いんだ
>>691 >平安京なみになっている
アホだろおまえw
たとえば、平城京ができる直前と平城京ができた直後で大和朝廷支配地域や
支配人口に差ないだろ。
飛鳥時代の都は大王が代わることに遷都されていたから、都といっても
人口一万人にも満たない規模の都市がほとんど。
なんで平城京や平安京が成立した時代と大差ない支配人口なのに、
平安京なみの都市がないんだ?
もう少し頭を使え。
今の知識のまま、この時代にいけたらなあ。
貧弱とはいえ、170センチは大巨人だし、魚醤くらいなら当時の設備でも
作れるから、「料理」を教えられるし、木を温めて丸めて、一輪車くらいなら
作れるし、完全に神扱いされるだろうなあ。
>>697 百済が大和の影響下に入り、新羅が出雲の影響下に入ってた事を考えると
出雲の実績もまとめて三韓征伐とした可能性はあるね
で、白村江の戦いで完結、と
古代韓国の様式であることが一目でわかる
706 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:30:27.55 ID:238HMj600
>>696 おれのこと勘違いしてるな
つまり、末蘆国で降りて東南の佐賀方向をめざして500里も陸行してるからには、
さいしょから九州内を目的にしてたとみるのが適当といいたいわけだ。
707 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:30:45.57 ID:z9iz8iwtO
岡山市を桃太郎市にするとか岡山市長が吐いたけど
おい、まてや。岡山は桃太郎に退治された方の鬼だろ
岡山市は鬼市ってつけろや
709 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:31:17.45 ID:5B02Z++k0
箸墓古墳は前方後円型なのに、なんで卑弥呼の時代になってるんだよ。
この形は古墳時代のずーっと後の形。サイズの径100歩とも合わない。
どうせ近畿の連中は円墳を途中で作り変えたというんだろけどね。
710 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:33:20.52 ID:Y9uZ91fj0
>>703 でも、もっと当たり前のことができなくてバカ扱いかもよ
ちょっと寒けりゃ火にあたりたがるし、薪を集めてこいと言っても生木みたいのをちょろちょろっと
拾ってくるだけだし、何か履かないと歩けないとか気ままなこと言うし、火もおこせないし、
弓もひけない。魚醤を作るとかいっても材料さえ集められない。車輪を作る、ちゃんとした
木を伐ることもできない。
なんてなったりしてな。嘘嘘。神様だよ。がんば
711 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:35:00.71 ID:238HMj600
箸墓古墳を卑弥呼の墓と強力に主張した最初期の一人は糸島出身の人、御当地ソングの嚆矢
>>704 三韓征伐は、白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗したことから生じた新羅コンプレックスで
出来た作り話だよ。
古代日本が朝鮮半島に侵攻してたときのメインの相手は、朝鮮半島の大国・高句麗。
新羅も百済も小国でメインの相手じゃない。
ところが、三韓征伐では新羅との戦いがメイン。ありえない。
第二次大戦を舞台にした、日本軍が勝ちまくる架空戦記みたいなもんだ。
そういう架空戦記が好まれる背景、分からんでもないでしょ?
713 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:37:02.01 ID:BFoOQquh0
>>702 おまえ、自分が言っていることがわかっている????
だから
北九州から奈良にかけての広大な地域・・で・・なら
500年以上も昔の邪馬台国も
7万人なんてショボイ国のワケがねー
って言ってんの
>>706 邪馬台国配下の有力豪族から歓待を受け、その豪族の本拠地が内陸部にあれば陸行するだろ。
なぜ九州で陸行した後に舟で畿内を目指すことはないと思うのかわけがわからん。
715 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:40:02.48 ID:z9iz8iwtO
九州説は九州人の心の中にだけ残していれば良いんだよ
他には迷惑かけるなよ
716 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:42:43.24 ID:Hlkj82HY0
誰か、箸墓を掘ってこいよ
>>713 逆に、九州に邪馬台国があったとすると、九州という一地域に5万戸の投馬国も
邪馬台国のライバル狗奴国もあったということになる。
当時、1戸あたり4人ぐらいだから、九州にある主だった国だけで60万人を軽く超えてしまう。
3世紀頃の日本の総人口が百数十万とされてて、人口的に考えにくいという話になる。
718 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:42:53.92 ID:238HMj600
>>714 それなら倭人伝の方向とまるきり合わないでしょ
(歓待受けたら)南へ向え、と書いてあるのに。
719 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:43:05.66 ID:lIj9jU7x0
>>715 九州人ばかりとは限らないだろうが大方は中高年以上なんじゃ…
かつての邪馬台国ブームとかで被れた連中がメインとか?
戦乱の跡も伝承もない奈良説こそ心の中にしまっておくべき
>>713 おまえ、自分が言っていることがわかっている????
邪馬台国より500年以上未来の邪馬台国よりもっと広大な領域や
領民を支配していた飛鳥時代の都でさえ1万人に満たない
小都市だったのに、なぜそれより500年も昔の邪馬台国に限っては、
飛鳥時代の都よりはるかに巨大な都市でないとおかしいと言えるんだ?
状況証拠とあわせて邪馬台国は九州の小国が盛って伝わっただけ、
畿内にはもっと栄えた場所はあったが別物ぐらいのこと言っておけば
九州説でも落ち着くのに何が出ようと畿内は田舎、九州が日本の中心だったとか吹くから
九州説はまともに支持されないんだろうな。
723 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:47:02.24 ID:238HMj600
>>717 全九州の地理地勢に詳しくないんじゃないの
九州全体だと、北九州2割その他8割りくらい有る、ずいぶん広いんだよ
奈良にうまいもんと戦乱なし、豆な
>>712 三韓征伐は大和側の資料であって
出雲側では朝鮮半島の南東側を支配したこと
南東部であった新羅の伝承に王が海から来て支配された事がある
そもそも神功皇后時代は日本統一されておらず、蝦夷やら熊襲がいて出雲とも争っている時代
付く国をコロコロ変える新羅が、出雲から高句麗に代わり、大和になびいてまた高句麗へ、というのは何らおかしくない
これは100年単位の話だけど
始まりと終わりだけ見たら、日本は半島に出兵したが結局は撤退した、になるけどね
>>723 広いったって、九州だけで日本の総人口の半分以上を占めるなんて、考えられる?
>>718 なぜ一度南に向かったら、その後に畿内に行かないと断定できるんだ?
そもそも日本地図が頭にない人たちの行動なのに。
728 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:51:44.88 ID:BFoOQquh0
>>717 魏志倭人伝で、日本上陸後に出てくる国は
上陸した末廬国・・4000余戸
伊都国・・・1000余戸で、世、王が居る
奴国・・・2万余戸
不弥国・・・1000余戸
投馬国・・・5万戸余
それら5ヶ国合計で76000戸
1戸あたり4人としても30万人
それに邪馬台国の7万戸、を足して、
九州の邪馬台国支配地域にはもろもろ60万人
そのぐらいだろ
729 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:52:10.90 ID:Hlkj82HY0
で、奈良は絹は出たん? 争いの跡は?大量の鉄は? 鏡100枚は?
奈良の馬具って何だよ?なんで馬具が出んの? 考古学の視点から見て、奈良が邪馬台国なわけないだろう
学者もみんなわかってんだよ。大和朝廷とは別だってね
学者いっても生活があるからね。しゃーないわな。もうね、一応、奈良が邪馬台国で、九州が大和朝廷でいいんじゃねぇWW
730 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:52:56.00 ID:LAjxBER/O
マジで日向国面白いよ。
魏志倭人伝によると邪馬台国には四つの官があったと記されている
伊支馬(イクメ)
弥馬升(ミマス)
弥馬獲支(ミマキ)
ヌカト
らしいけど、伊支馬(イクメ)だと生目古墳群てのがあった!
ヒマをみてGooglemapで他も探してみるわ
人権侵害だよな
クマソが倭人を偽って
倭人を蝦夷と罵る
九州説って
732 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 15:53:26.20 ID:EMah3Wsr0
邪馬台国の記述はあれは方違えとかで直行しなかったからああなったんじゃね?
今日こっちの方角悪いからとかさ
もしくは使者を構成国にみせびらかすためとかじゃね
>>728 邪馬台国のライバル・狗奴国がある。
邪馬台国と争ってる相手で、しかも邪馬台国が魏に助けを求めなきゃならないというんだから、
国の規模としては邪馬台国と同等か、それ以上だろう。
邪馬台国の支配下に60万人としても、さらに狗奴国分として7万人〜10万人ぐらいが
九州にいたことになる。
年寄りが亡くなっていくと、それに伴って九州説も減るw
>>701 筋の良い議論だね。ほぼ同意。みんなそこを勘違いしている。
>>712 朝鮮人には認めがたいだろうが、三韓征伐が創作であろうはずがない。
新羅自体が忘れかけてしまった、半島の古い地名を、正確に記しているし、
絶対年代と、神功皇后の身体に関する話以外は、特に矛盾もない。
好太王碑の記述とも、大局では綺麗に一致する。
日本列島から見て、朝鮮を攻めようと思えば、常識的に考えて、慶尚道を狙うことになる。
全羅忠清にこだわるようになったのは、百済との特別な関係ができてから。
それに、白村江以降、100年くらい、日本の朝廷には大唐帝国恐怖症が続くが、
新羅は、特に脅威と思っていた節はないよ。
花の都長安で、「席次を上にしろ」と怒ったり、
「新羅を攻めようか」というネタが、国内の政争の具になったり、
こりゃビビっている国がやる行為じゃないな。
>>731 近畿にはつい最近東北がクマソのクニとか言ってた人が…
738 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:02:56.07 ID:BFoOQquh0
>>721 まず
>邪馬台国より500年以上未来の邪馬台国よりもっと広大な領域や領民を支配していた飛鳥時代
が、間違い
もしも奈良に邪馬台国があれば、邪馬台国が支配していた領域や領民は、飛鳥時代と同じでなければならない
そして、
飛鳥時代は、人口の把握を中央集権が行っていた・・つまり、人口1万人というのは、ほぼ現実に近い
しかし
邪馬台国の7万人・・というのは、訪問した魏の使節団が、自国、中国の都市の規模と比較して・・判断した数値
つまり、邪馬台国は、当時の中国の7万人都市と同じぐらい・・の規模でしかなかった・・んだよ
東晋の記録にある和の五王は、朝鮮半島も支配下であると記されていた
それが倭・百済・新羅・任那・秦韓・慕韓
この五王の内、讃が応神天皇の場合、記された領地が
母である神功皇后が三韓征伐で得た領地と考えても何ら不思議ではない
740 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:08:02.16 ID:BFoOQquh0
>>734 まぁ、九州全体では100万人
西日本で200万人
東日本で200万人
の
合計500万人ぐらいは、最低でもいただろうね
じゃないと、千葉県の流山から、3世紀末の、墨で字が書かれている土器なんて
出土するわけがねーもの・・・
741 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:08:44.06 ID:gTizilGq0
奈良は観光事業が下手だから九州にしといたほうがいい
>>736 古代日本にとって、朝鮮半島侵攻といえば相手は高句麗だよ。
倭王武の上表文でも、朝鮮半島の敵は高句麗であり、新羅なんて眼中にない。
にも関わらず、三韓征伐では高句麗に関する描写がまるで出てこない。建国間もない
弱小国のはずの新羅のことばかり。
本当に三韓征伐やったんだったら、高句麗とのことに触れてなければおかしいんだよ。
そもそも、好太王の碑に出てくる倭国の侵攻からあまり時間がたってない頃に
出された倭王武の上表文で新羅がまったく出てきてないわけで。
古代日本が新羅を支配下においた時期はあったかもしれんが、三韓征伐そのものは
作り話だろ。
>>738 書いてあることの意味が全然わからん。
後世の飛鳥時代でさえ1万人程度の都だったんだから、
邪馬台国の都が7万人というのは当時の日本においては破格の規模の都市だろ。
三国時代の中国でさえ結構な大都市だ。
全然ショボい都市ではない。
>>743 だから広域の国を考えないと駄目なわけよ。
7万の都市なんて考えるだけむだ。
3世紀前半は卑弥呼の下に倭はまとまっていたのだから
卑弥呼が畿内に滞在した可能性はあるだろうな
それが邪馬台国かどうかはともかく
746 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:17:17.52 ID:Hlkj82HY0
7万人か110万人か知らないが、数を数えたのか?数えたと思うか?
町内の人口もわかるか?戸数はわかるか?
それこそ、距離やら方角以上に適当なんだろう
まぁ、その辺を固持しないと畿内に邪馬台国を持ってこれないからな
>>742 それは、戦争の相手方(名宛人)を書くか、戦場を書くか、という違い。
これは、ずっと後世になって、よく似た事が起きている。豊臣秀吉の朝鮮征伐(特に文禄の役)だ。
文禄の役で、豊臣政権が戦争を仕掛けた相手方は、
あくまで北京の大明帝国であって、属国の李氏朝鮮ではない。
同時代的には「唐入り」と言った。この唐とは、明のことであって、漢城の李朝ではない。
だから、名宛人を正しく書くのなら、「日明戦争」というのが正しい。
だが、後世の記述では、普通「朝鮮征伐」と言う。それは、戦場が朝鮮半島だったから。
748 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:20:04.59 ID:LAjxBER/O
>>604 あの金印は「漢に朝貢したイト国王」だよな?
>>744 俺は、
>>691が書いた、
>平安京なみになっている
に反論しているんだが?
平安京というのは広域の国じゃないよな?
都市だろ。
750 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:20:56.13 ID:BFoOQquh0
つまり
みんな学校で教わった
集落の周りに濠をめぐらせた環濠集落に代表され、
弥生土器と呼ばれる、低温酸化炎焼成の素焼き土器を使い
住居は、主として竪穴住居
水稲耕作を始めてお米を食べるようになったもののドングリなどの堅果類も良く食し
総柱式の建物にそれらを貯蔵する
・・・と、なかなか芳ばしいイメージで
邪馬台国が登場する3世紀中期の日本を連想しているけど
当時の日本は、千葉県の流山まで、墨で字が書かれている土器かやってきているぐらい
人口も多く、人の交流も活発で、近代的だったんだよ・・・・
そんな時代に
たった30の、最低でも人口千人の環濠集落を支配・屈服させ、
伊都国以外の環濠集落からは「王」を名乗るモノを排斥して、変わりに自らの長官、副官等の役人をおき
それら30の環濠集落から、租税や賦役の徴収を行っていたのみならず
法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにしていた
国なんて、いっくらでもあったんだ、それこそ、九州から関東まで、無数にね
もしも邪馬台国ひとつだけが、北九州から奈良にかけての広大な地域を支配していたら
そりゃもう、集まる租税や賦役の規模も相当なモノになる
それこそ、街道や宿場などさまざまな整備が、通信連絡方法含めて
奈良時代なみに、北九州から奈良にかけての広大な地域において、行われていなければ変
卑弥呼亡き後に邪馬台国は滅んだと思うけどね。
752 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:22:23.79 ID:238HMj600
>>726 日本の総人口の半分といっても6000万人ではないだろ、その100分の1だ。
まず一戸4人の60万人の推定がどれだけ正しいかのことがある
倭人伝では戸と家は書きわけているから、1戸4人にどの程度の妥当性があるか検討が必要。
少なからぬ奴婢もいただろう。ま、30万人くらいはいても不思議ではない。
つぎに当時は水田稲作に切り替わって人口の増えつつある時期で、
九州各地、特に有明海周辺には水田適地がたくさんあり、稲作に適し、開田も進んでいた。
当時は焼畑も主要な農業の姿であったが、九州の畑適地は本州以上に多く、気候にも恵まれている。
げんざいでも、熊本県は県土の7割?だかが農用地であり、驚くほどの広さである。
そして、倭人伝の記述をもとにするならば、人口が合いそうにないからといって
倭人伝の方向や距離を我々が変更できる理由にはならない。
たとえ60万人の推定でも、誤差を考えれば桁違いの過剰人口とは思えないからね。
当時としては(今もだが)、九州は本州各地よりはるかに農業に適していたといえる。
このことも頭に入れたうえで、倭人伝を読む必要があると思う。
753 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:23:49.62 ID:Hlkj82HY0
754 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:24:17.37 ID:g9JWrr56O
57(こんな)金印欲しかった
>>709 3世紀中葉に死亡したと推測される卑弥呼が、
3世紀中葉に造成されたと推測される箸墓に葬られているのが不自然か?
それに、周代の「歩」は1.35m−トル。
100歩=135メートル
卑弥呼の葬られた塚は、百余歩。
箸墓の後円部は約145〜150メートル。
ピッタリじゃん。
>>753 諸説あるみたいだよ
正直、本物としても出所は怪しい
卑弥呼は渡来系韓国人、李ミコ
後年韓国人に支配されていたと認めたくない倭人が
卑しいと言う漢字をつけて卑弥呼(ヒミコ)と僭称するようになった、豆な
ひみことひるこ
>>742 まぁある意味で勝ち組は新羅だな
秦から亡命して出雲大和高句麗の支配を転々としながら
最後には唐の力を借りてライバル百済、目の上のたんこぶ高句麗を滅ぼして
和を半島から撤退させて朝鮮半島の支配に成功したからな
759 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:27:10.00 ID:BFoOQquh0
今の感覚で言うとね
日本のGDPは、想像以上に大きくて
その大きなGDPの日本で、北九州から奈良まで支配地域に治めている国
が、中国の人口7万人の都市と同規模
じゃ、全くツジツマが合わないのよ・・・・
やたら長いだけで
なにを言ってるだかよくわからんやつがいるな。
もっと簡略に書けないのか。
自分の言いたいことをもっと直截に書けよ。
761 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:28:08.95 ID:nsmB/lUg0
>>750 ヒミコって宗教指導者じゃないの?
力で屈服させてたとは思えん。
762 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:28:19.92 ID:lGKazrYN0
倭の五王 応神天皇270年〜310年
卑弥呼 175年〜240年
応神天皇は卑弥呼の跡継ぎだ。
漢帝国から金印を受けるくらいの権力者が日本に何人も居たとは考えにくい
邪馬台国の基盤が大和政権に移行したと考えるのが自然
765 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:29:26.83 ID:jFyNKd5A0
>>751 だろうな、ていうか発展的解消みたいな…
だから中国の史書にもでて来ないんだろう
767 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:30:37.07 ID:v+FnseN5O
妻木晩田は17haに400軒
吉野ヶ里は40haに350軒
都市的様相は規模と密度、あと先進性を考える時に鉄器は外せませんよね
吉野ヶ里の墓域にはかめかんが約3000だから数字の扱いは慎重にしなきゃならないのでしょうけど
768 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:30:44.59 ID:Unl/pwQB0
>>755 そういえば、一部の九州説の人が短里とか言ってるけど
古墳の大きさも変わる事にならんのだろうか
769 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:30:49.99 ID:Hlkj82HY0
本当は箸墓って三世紀後半から四世紀なんだよな。しっかりわかってんだけどな。それは言わない約束事。
しかも、箸墓って二つに合体してる。
つまり、モモソだけの墓ではないかも知れんのさ
771 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:30:54.77 ID:m1ltlELRP
>>722 つうかそういう一種爽快感を感じない「こじんまりした」w説じゃあ
ここにいるような九州説の連中には魅力がないんじゃないのかな?
大抵が「九州王朝説」や「東遷説」の抱き合わせで
少なくとも畿内の後塵を拝するような真似は真っ平御免てメンタリティの馬鹿が
ほとんどなんじゃ・・・w
772 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:32:05.37 ID:jFyNKd5A0
>>756 と、しないと畿内説学者の話が成り立たない。つー話も有名でっせ
漢帝国から金印を受けるくらいの権力者が日本に何人も居たとは考えにくい
邪馬台国の基盤が大和政権に移行したと考えるのが自然
中国人が、当時の中国人の都合が良いように、中国人向けに、王沈の魏書(
もしくは共通の書物)と、適当な伝聞と、伊都国に滞在した郡使の報告書だけで書
いた文をどうして盲信できるのかが不思議。邪馬台国がどこだなんて無駄なこと
考える前に少しは資料批判しろよ。
>>769 従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり卑弥呼が死亡したされる3世紀前半との時期にず
れがあるためその可能性は少ないといわれてきたが、最近年輪年代法や炭素年代測定法による年
代推定を反映して古墳時代の開始年代を従来より早める説が提唱されており、箸墓古墳の築造年
代を卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の中頃から後半と見る説も出てきている。
>>765 いや、卑弥呼の時代=三国志の時代なわけで
中国も大陸国家として安定してなかったから
栄枯盛衰していく国と共に記録が消えた可能性は普通にある
>>757 逆だろう。 最近わかったんじゃなかった?
780 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:38:56.39 ID:jFyNKd5A0
志賀島の金印なら、農民が水田の溝の補修工事中に見つけた、
ということになってるよ。まあ、しかし真贋論争は発見当初からあるけどな
781 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:39:03.40 ID:s8Lam78+0
>>774 金印が国内に残ってるってことはその代で滅んだってことでしょ
>>759 なら、難波宮だの飛鳥板葺宮だのが人口1万人に満たない都市なのは辻褄が合わないってことだな。
783 :
名無しさん@お腹いっぱい:2013/02/05(火) 16:39:46.06 ID:x+cp6++90
倭人伝に出てくる地名が九州ばかりだよ。
白村江で闘って敗れたのは九州勢か。
784 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:41:29.08 ID:Unl/pwQB0
>>783 キミ、白村江の戦いが何年か知ってる?
後、大化の改新の年号とか
>>758 それこそが、「朝鮮というエスニシティ」の、悲劇の始まりだけどな。
朝鮮半島というのは、北アジアの大陸強国高句麗と、太平洋に浮かぶ海洋島嶼国家倭国との
地政学的な草刈り場というか、プロレスのリングのようなもので、
リングの真ん中で、双方に踏みつけられて、右往左往していたのが、新羅と百済(と任那の酋長連中)だった。
原住民としては、踏みつけられてばかりでは、かなわないので、西の中華帝国に隷属することにより、
北の高句麗と、南の大和を、「中華の虎の威を借る狐」として両方退け、生存空間を確保した。
というのが、統一新羅の定義、つまり「朝鮮という民族」それ自体の定義。
・西の中華に隷属すること
・中華パワーを笠に着て、北と南の勢力に敵対すること
これが、朝鮮民族の存在意義。この2つの行為をし続けないと、朝鮮という民族はそもそも存立できない。
786 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:42:23.68 ID:BFoOQquh0
で
だから、邪馬台国の支配地域はもっと狭い範囲で、北九州から奈良にかけての広大な地域・・では無い
確実に、北九州ならば北九州、畿内ならば畿内の、どちらか片一方の、狭い範囲
で
『隋書』倭国伝で、聖徳太子の、日出ずる處の天子遣隋使の後、倭国に使者を出した時(608年)
その奈良までの行き方は
都斯麻国(対馬)を経て海を渡り、東に行って、一支国、竹斯国を通り、さらに東に行って秦王国を通り、
さらに十余国を経て、海に出て、奈良まで行った・・とある。
島国の一支国から日本に上陸した地点は竹斯国で、北九州の 筑紫
いっぽう、
『魏志倭人伝』で邪馬台国に行ったとき(146−189年)
その邪馬台国までの行き方は
一大国→末廬国→伊都国→奴国→不弥国→投馬国
島国の一大国から日本に上陸した地点は末廬国
そこで、邪馬台国に行った時の末廬国と、奈良に行った時の竹斯国は同じ場所なのか
・・・っつー話になる
例えば、『隋書』倭国伝で奈良に行った時の上陸地点は九州・・・だったけど
『魏志倭人伝』で邪馬台国に行ったときの上陸地点は松江(出雲)・・だとすると
邪馬台国の支配地域はもっと狭い範囲で、北九州から奈良にかけての広大な地域・・では無い
確実に、北九州ならば北九州、畿内ならば畿内の、どちらか片一方の、狭い範囲・・でも
邪馬台国は畿内・・・となる
つい最近でも敗戦を終戦といいかえた民族だからな、壬申の乱でのちの日本が負けたんだよ
788 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:44:43.57 ID:F9pp8urj0
専門家抜きでギャーギャー言ってもなぁ
おれはまた奈良に行きたいわwww
日帰りでもいいなぁ
天皇家以外の古事記も残ってればなあ
>>785 まぁそうなんですよね
791 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:46:14.01 ID:BFoOQquh0
つまりは
邪馬台国の支配地域はもっと狭い範囲で、北九州から奈良にかけての広大な地域・・では無い
確実に、北九州ならば北九州、畿内ならば畿内の、どちらか片一方の、狭い範囲
当時の日本は、邪馬台国ぐらいの規模の都市連合は、複数存在していた
だから肝心なのは、
それら複数あった都市連合のウチ、どこが邪馬台国と名乗っていたか
であって
大規模な都市連合の遺構がでてきたから、遺構が一番大規模だから、そこが邪馬台国・・では無いんだ
792 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:46:49.90 ID:BFoOQquh0
794 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:46:58.91 ID:D4ENiOPM0
>>733 大分といえば豊国=トヨの国だよな!
南の狗奴国(狗のマネする隼人の国)に追いやられた日向(ヒムカ)の国が移動するにもバッチリだわw
795 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:47:32.60 ID:238HMj600
>>782 当時の人口の推定9割は農民・漁民・奴婢・賎民で、一割に満たない人が都市に住んでいたわけだ。
農村含みの全人口・戸数・家数を言ってるのか、都市だけのを言ってるのか、
確認しないと議論の意味ない。
ちなみに戸という時はクニの全人口。
>>777 なんで早めんの?
しかも別の正確な測定方法があったんだよ。それは、権威ある人達によりなかった事にされている
797 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:49:58.68 ID:s8Lam78+0
松江=末廬ワロすワロす
1000年飛び越えたw
>>771 だから現実じゃなくてロマンて言われちゃうんだろうな。
真実は九州説支持者にも畿内説支持者にも面白くないものなんだろうけど。
>>793 そうそう、邪馬台国ではスキューバダイビングが流行ってたもんな
>>794 証拠なら九州のほうが何ぼでもある
個人的考えだが邪馬台国が天変地異で滅んだ後に
近畿に大和朝廷を建立したのだと思う
津波でやられない土地を神武天皇が見つけた
802 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:53:11.23 ID:Ydm3m/xeP
そもそも、
邪馬台国(やまたいこく)という呼び方自体が漢字表記に引っ張られてるんじゃない?
邪馬台国というのは古代シナの文官が書いた当て字なんだから、
聴き取った「やまと」を「邪馬台」で当てた可能性はないのか?
>>798 たしか、レーザーかレーダーで地中の何かを計れる。何年も前だから、クグルとあるかも知れん
遠いから興味なかったけど日向国マジ面白い。生目の他にも何かないか、とりあえず大きい河の周りを探してたら
御陵伝説の地だとかあったから検索したらニニギの墓だとかって設定みたいだなw
805 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:57:32.19 ID:hFtLx1jD0
卑弥呼が九州王朝の女王だとするとブーディカみたいだな
806 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:57:40.26 ID:BFoOQquh0
>>797 別に松江じゃなくてもどこでもいいよ
『隋書』倭国伝で奈良に行った時の上陸地点、竹斯国は九州・・・だったけど
『魏志倭人伝』で邪馬台国に行ったときの上陸地点、末廬国は山陰から信越にかけたどこか
で十分
当時の日本は、邪馬台国ぐらいの規模の都市連合は、複数存在していた
んだから、もしも邪馬台国が畿内にあったなら、
一番近くの自分の支配地域にある海への出口
から、中国へ行こうとするのは当然だろ
だから、
邪馬台国の支配地域はもっと狭い範囲で、北九州から奈良にかけての広大な地域・・では無い
確実に、北九州ならば北九州、畿内ならば畿内の、どちらか片一方の、狭い範囲
肝心なのは、それら複数あった都市連合のウチ、どこが邪馬台国と名乗っていたか
であって
大規模な都市連合の遺構がでてきたから、遺構が一番大規模だから、そこが邪馬台国・・では無い
807 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 16:58:20.35 ID:D4ENiOPM0
邪馬台国の女王、卑弥呼の墓との説もある奈良県桜井市の箸墓古墳(前方後円墳、全長28
0メートル)について、古墳の周囲から出土した土器の「放射性炭素年代測定法」と呼ばれる
科学分析の結果、西暦240〜260年に築造されたとの研究成果を国立歴史民俗博物館(千
葉県佐倉市)の研究チームがまとめたことが29日、わかった。248年ごろとされる卑弥呼
の死去した年代と合致し、邪馬台国の所在地論争に一石を投じそうだ。31日に早稲田大学で
開かれる日本考古学協会総会で発表される。
研究チームは、同古墳前方部近くの周濠から発掘された「布留(ふる)0(ゼロ)式」と呼
ばれる土器の表面に付着した炭化物を測定。放射性炭素年代測定法は経年による炭素の減少具
合を使って、土器の年代を割り出す科学的な手法で、測定の結果、240〜260年の範囲に
相当したという。
測定した炭化物は、食べ物の煮炊きの際に土器に付着したとみられる。
発掘状況から土器は、箸墓古墳の完成間もない時期に廃棄されたとみられ、築造時期に近い
としている。
箸墓古墳はこれまで、土器の形式によって年代を絞り込む考古学的手法によって、270年
前後の築造とされ、中国の史書「魏志倭人伝」に記された卑弥呼の次の女王、壱与(いよ)(=臺与(とよ))の墓との説もある。
放射性炭素を利用した年代分析は、炭化物に不純物が混じると年代がずれ、誤差が大きいと
して、批判的な見方も根強い。研究チームは、箸墓古墳出土の土器だけでなく、周辺の古墳で
見つかった土器でも測定を試みており、ここでも、同様の年代が出たことから、「分析結果の精度は高い」としている。
2009年5月29日(金)15:35 産経新聞
九州も年代を調節したら、さらに候補地が増えたりして。楽しそう♪
810 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:02:05.63 ID:+HqKTyfI0
卑弥呼時代は邪馬台国は九州にあり、九州各国の中では親分格であった。
それは戦争を繰り返しながらやがて連合体へとまとまっていく。
次に一大勢力の出雲と協力しながら、中国地方の小国を次々と併呑、
やがて三輪山周辺のトップと手を組み近畿内の小国を次々と併呑。
落ち着いたところで奈良が拠点の新政府を作る。
力関係は各トップの中で邪馬台国が勝っていたので、
都作りのときに、そのまま九州時代の町名をもってきたのだと思う。
大和政権は色んな地方種族出身者の連合体で、
記紀成立時にも、まだ政府内に出雲派の力は残っており
出雲派への配慮から、征伐ではなく、国譲りとなった。
ソースは俺
811 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:06:46.55 ID:s8Lam78+0
倭の五王に征伐された歴史は困る人が畿内説ごり押ししてると考えると納得するだろ?w
813 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:08:00.05 ID:BFoOQquh0
邪馬台国の支配地域はもっと狭い範囲で、北九州から奈良にかけての広大な地域・・では無い
確実に、北九州ならば北九州、畿内ならば畿内の、どちらか片一方の、狭い範囲
肝心なのは、それら複数あった都市連合のウチ、どこが邪馬台国と名乗っていたか
であって
大規模な都市連合の遺構がでてきたから、遺構が一番大規模だから、そこが邪馬台国・・では無い
邪馬台国は九州にあり、規模は吉野ヶ里程度、しかし
畿内にはもっと大きな遺構が出るほど、もっと大きな国があった
でも、全然不思議じゃない
複数ある大規模遺構のウチ、どこが邪馬台国と名乗っていたか・・が重要なんだよ
遺構の規模なんか重要じゃないんだ
たまたま魏に朝献したから、邪馬台国は倭の王にされて、記述が残っているだけで
邪馬台国が日本で一番大きな国だったわけじゃないんだから・・・
>>810 一度国を譲ったが今の皇太子夫妻があれなので
また表に出てこざるをえなくなるのでは?
皇室の存続が怪しい
815 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:13:48.68 ID:+HqKTyfI0
邪馬台国時代に国譲りだと、皇統2600年がゲフンゲフン
>>811 神武と欠史八代が架空で、崇神が実質的な初代天皇って説はけっこうあるかと思ったが。
この場合、崇神の事跡のうち、初代にふさわしい事跡は神武に持ってかれてることになる。
祟り神こええええ
通りゃんせの唄こええええ
>>815 2600なんて明治にこじつけた数字はもはやどうでもいい、
確実視されてる1300年程度でも十分現存世界最古の君主家なんだし。
820 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:18:32.65 ID:238HMj600
卑弥呼は、後漢の夏侯氏か曹操の遠縁の貴族で、黄巾の乱の余波で一族で渡来した。
邪馬台国経営でいちおう成功したので、魏王朝ができたのを機会にあいさつに出かけたら、
そうかそうか、まんざら知らぬ仲でもなし、そうだ親魏倭王にしてやろう、
と言うことで金印などなどたくさんのお土産をもらった。
そんなところじゃないかと・・
>>816 神武と祟神の間が架空で神武の時代は紀元前後って話じゃなかったけ
822 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/05(火) 17:23:20.57 ID:BhtUkHnF0
>>819 一応最初にこじつけたのは奈良時代の日本書紀では?
古事記の方がもっと大きな数字が書かれてるけど抜けてるところも多いんだよね。
要するに、よくわからんってことだね。
>>795 そんなはなしは関係ないだろ。
首都人口7万人というのが、邪馬台国の首都としてショボいか否かというはなしなんだから。
邪馬台国より何百年も未来の飛鳥時代の都の人口が1万人に満たないというのに、
邪馬台国の都の人口が仮に7万人なら破格の人口だということに変わりはないだろ。
824 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:25:42.37 ID:z9iz8iwtO
一年二倍説をとると卑弥呼はモモソになる
後の倭の吾王も神功に重なる
モモソの弟の桃太郎だって豊鍬入姫命だって魏書の卑弥呼の弟と台与に繋がる
もう畿内説で良いじゃないか?
>>821 崇神が実在したとすれば3世紀頃で、邪馬台国と重なる。
神武に関しては、かなり実在性が怪しいはず。
826 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:26:03.71 ID:BFoOQquh0
オレはほぼ、アマテラスが卑弥呼のことだったと思うよ
当時、卑弥呼の話を大和王権がアマテラスとして語っていた・・・と
それが後日、邪馬台国・卑弥呼だったとバレちゃっただけの
とってもシンプルな話し
んだから、邪馬台国はたぶん九州
827 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:28:12.54 ID:z9iz8iwtO
そう、ヒントは桃である。
828 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:29:14.72 ID:BFoOQquh0
>>823 はいはい
遠く、関東の千葉でまで、墨で字が書かれた3世紀末の土器が出てくるぐらい発展していた当時の日本で
北九州から奈良にかけての広大な地域を支配していた国の首都が
当時の中国の人口7万人の都市と同じ形容されるのは、ショボすぎです
829 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:32:56.29 ID:BFoOQquh0
>>828 訂正
>>823 はいはい
遠く、関東の千葉でまで、墨で字が書かれた3世紀末の土器が出てくるぐらい発展していた当時の日本で
北九州から奈良にかけての広大な地域を支配していた国の首都・・・ならば
当時の中国の人口7万人の都市と同じ形容されるのは、ショボすぎです
832 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/05(火) 17:34:03.19 ID:BhtUkHnF0
>>825 大和朝廷の勢力を拡大したのは祟神天皇で
神武天皇は瀬戸内水道の覇者だったかもしれんが、畿内より東には支配が及んでなさそうなんだよね。
創業者ではあっても、当時はいち豪族にすぎなかったかも。
>>828 現実に飛鳥時代の都が、7万人どころか1万人にも満たない人口だったことは
どう説明するのかな?
さー。説明してもらおうか。
834 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:36:01.39 ID:238HMj600
>>823 数字が、首都人口なのか、クニ全体の人口なのか、はっきりさせて議論しないと。
ともあれ、邪馬台国七万戸なのに、首都人口7万人なんてありえませんよ。
たぶん邪馬台国の首都人口は数千人どまり。
835 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:37:54.44 ID:z9iz8iwtO
九州人の心の中に残っている九州説とか無礼極まりないよな
あいつら本島(本当)の倭人を異人扱いするんだぜ
836 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:39:16.55 ID:IsP4PyZpO
七万人の食料とか一日分が想像できないな…
>>834 だから、邪馬台国の都として「多すぎる」というならわかるよ。
「ショボすぎる」と言ったいるやつがいるから反論しているだけ。
838 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:40:12.35 ID:BFoOQquh0
>>833 もしも当時の中国人が、人口1万人の飛鳥時代の都を訪れて
人口7万人の中国の都市程度・・・と形容するか・・っつーの
飛鳥時代の人口1万人は、ある程度、実際の都市人口に基づいた数字
だけど
邪馬台国の7万戸は、中国の都市に置き換えて、邪馬台国の規模を表現した数字
いっしょにすんな(笑)
839 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:41:10.15 ID:238HMj600
日本の人口と、東京都の人口を、ごちゃ混ぜにするような話もどうかと思うね。
840 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:41:45.24 ID:BFoOQquh0
>>838 訂正
>>833 もしも当時の中国人が、人口1万人の飛鳥時代の都を訪れて
大和の国は人口1万人の中国の都市程度・・・と形容するか・・っつーの
飛鳥時代の人口1万人は、ある程度、実際の都市人口に基づいた数字
だけど
邪馬台国の7万戸は、中国の都市に置き換えて、邪馬台国の規模を表現した数字
いっしょにすんな(笑)
841 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:42:57.14 ID:z9iz8iwtO
九州説は宇佐神宮の地下に卑弥呼の古墳があるんだよなwww
842 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:45:24.26 ID:Bp7+qw1kO
843 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:45:42.90 ID:z9iz8iwtO
九州以外の人は阿蘇山なんて興味ないから阿蘇阿蘇ばっかり言ってると「あっそー」って言われるぞwww
845 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/05(火) 17:48:18.50 ID:BhtUkHnF0
本当に使者が邪馬台国まで来たのか、それ自体怪しいと思うがな。
846 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:48:17.55 ID:IsP4PyZpO
通は阿蘇山じゃなくて英彦山
848 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:49:09.69 ID:z9iz8iwtO
ヒメミコ(姫命)とヒコミコ(彦命)だろ簡単さ
>>838 つまり、古代日本の都市としては破格の規模という意味だろ。
平城京以前に、魏の使節が日本に訪れたとして、人口7万人以上か同等規模と形容される都市が日本にあったのか?
850 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:50:05.15 ID:lIj9jU7x0
五万戸、七万戸と言う数字に関しては一・三・五・七と言う奇数=陽数を好む中国人の修辞
…と言う松本清張あたりの説に賛成だなw
まあ「素直に読んだらピタリと分かる」と吹聴してる
九州説の連中にはマジにその規模のクニを九州の中に見つけてきてもらおうw
ついでに卑弥呼に仕えた奴婢だけで千人だが吉野ケ里の最盛期で1000〜1200人だったらしいから
集落丸々が卑弥呼に仕えた人間という事になる。
これをさらに一次産業従事者が支えていたとなると集落の規模は何処まで膨らむのやらwwww
851 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:51:25.78 ID:BFoOQquh0
距離の感覚にしたって
邪馬台国の人間に、「次の立ち寄り先までどのくらい?」って聞くと
歩いて3日・・とか、船で1日・・とか言われちゃって
かかれている「里」は、中国での自分たちの行程に照らし合わせた感想
つまり、邪馬台国の7万戸は、中国で言えば7万戸ぐらいの都市・・っちゅうことで
もしも
遠く、関東の千葉でまで、墨で字が書かれた3世紀末の土器が出てくるぐらい発展していた当時の日本で
邪馬台国が、北九州から奈良にかけての広大な地域を支配していた国の首都・・・ならば
ショボすぎです
852 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:51:32.70 ID:TUvWadOx0
853 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:51:34.47 ID:8tnKGLiG0
贔屓目で見ても九州説はないよ、人口もそうだし距離もそう
一方畿内は方角を45度北に傾けさえすれば、全てが解決するんだわ
てか九州にある遺跡や博物館巡りしたら自ずと答えは出てくると思うんだけどなあ
卑弥呼の時代よりも遥か以前より北陸、畿内、九州、沖縄、に至るまで活発な交易が行なわれていたし
その証拠は幾らでも見つかるよ、争いだけが無かったと見るのは無茶すぎなんだよなあ
争いによってなだらかな融合が起こり、それがあの時代には畿内〜九州北部にかけて既に
出来上がってたと見るのが常識だし、学会でもそう捉えてるんだろう?
だから邪馬台国=畿内がほぼ確定化して話が進んでるんだよ、もうそろそろ諦めようよw
854 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/05(火) 17:53:42.73 ID:BhtUkHnF0
>>850 纏向遺跡では、水田跡や農具の出土が少なく、住民の多くは農業に従事してなかったことがわかっているそうですね。
855 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:53:44.59 ID:BFoOQquh0
>>849 遠く、関東の千葉でまで、墨で字が書かれた3世紀末の土器が出てくるぐらい発展していた
んだから
その程度の都市は、複数なきゃおかしい・・・だろ、あちこちに
856 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:54:06.75 ID:Nx+CmsXQ0
九州は朝鮮同様通過点だろ
邪馬台国=畿内が有力だと思う
857 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:54:18.57 ID:s8Lam78+0
>>816 そうそう
崇神の事績をひっぺがして架空神武にひっつけるための何かしら合理的な理由がいる
858 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:56:22.28 ID:238HMj600
>>850 だれも邪馬台国の首都人口が7万人などとは言っておらぬぞえ。まあ、数千人がいいとこだ。
それに比べ飛鳥の都の1万人は破格の大きさ。
それはだれしも認めるだろう。
>>851 もし難波宮に魏の使節が来たら難波宮の人口を何十万人と見積もったんだ?
860 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 17:58:17.61 ID:lIj9jU7x0
>>854 そう、よく「纏向は人の生活の臭いがしない」とか言う表現をする人がいるが
祭礼に特化したような雰囲気はあるw(無論今後の調査により変わる可能性もあるが)
>>1のビルドアンドスクラップを繰り返したような跡もその一つかな?
そうするとそれを支えた集落は更に外部に求めるしかなく纏向だけで済む話じゃなくなる。
ひょっとしたら畿内説の弱点を突いたつもりかもしれないが
その纏向の特異性こそが畿内説の有力な材料になりうるw
奈良のこれかガチなのかね
九州お疲れってことか
関東なので関係ないが
>>855 都市がなければおかしいという根拠は?
何と比較しておかしいといっているの?
863 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:00:20.61 ID:s8Lam78+0
でも『神武』即位はともかく2600年になんらかの王権が確立したことが
口伝で残されてたということは有り得るんじゃないかと思いはじめた
水稲耕作起原が遡ったのを見るに
864 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:01:35.49 ID:mLeHXR8w0
漢字の概念無い時代なら素直に
火見子
以上の意味はなかったかも
865 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:01:37.31 ID:BFoOQquh0
>>859 人口を見積もった・・・んじゃなくて
都市の規模を形容した・・んだよ
中国で言えば7万戸ぐらいの都市の規模だ・・・ってね
もし難波宮に魏の使節が来たら
どのぐらいの人口の中国の都市と同じぐらい・・と考えるかねぇ
>>855 全然おかしくない。
現実に数万人規模の都市が何個も存在してないし。
868 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:03:24.20 ID:FDGFsRQi0
>>851 神話の時代からして「道案内するために待っていた神(権力者)」とか
すでに国体ができあがってる感じなんだよね
イザナギ・イザナミが神さまに相談してアドバイス受ける描写もあって
国作り以前から、すでに日本国は出来上がっていたんじゃないかとw
日本の歴史は想像以上に長いのかもしれない
869 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:03:38.85 ID:TUvWadOx0
>>861 そういうことでなく、学問より願望が先走ってる状態
870 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:04:14.76 ID:BFoOQquh0
>>862 のっぱらばっかで、住処の近所でウホウホ言っているだけの地域だったら
遠く、関東の千葉で、墨で字が書かれた3世紀末の土器なんか
出てこねーだろーが
>>865 人口7万人と形容される都市は、実人口は何万人くらいなんだ?
中心がずっと畿内にあったというのは自然ではあるけど
中国に行ったり来たりしやすいのは九州だよな
873 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:08:29.03 ID:lIj9jU7x0
>>861 邪馬台国という事じゃなくて纏向・ヤマトの勃興ということに関しては東日本は否応なしに関わってくる。
西日本だけで考えると纏向の発生発展は理解できないだろう。
纏向空出土する外来系土器に東海系が多いことはよく知られてるし
三角縁神獣鏡も関東のものがより古い様式のものがあったにもかかわらず
西方の鏡群が先に配布された…なんて無茶な理屈がかつてあったがそれも昔の話。
結局今「畿内説」と言われてるものは「畿内vs九州」なんてみみっちい話じゃなくて
列島全体を見渡して出てきてる話。
874 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:10:07.06 ID:aDlUKCH3O
欠史八代は記紀の記述がほぼ欠落してるが故にこのスレでも架空の扱い受けてるけど
単に記紀編纂時に事績が不明だっただけで架空だという確証は実は何一つ示されてないんだよな
本来ほんとに架空の大王でっちあげるなら逆にあること無いこと適当に仕立て上げればいい話なのに
ご丁寧に事績不明!とだらだら書き連ねる事が実在を伺わせる由縁に思えるが
まぁ実在したとして何をしたかなんて知る由もないが…
それこそ記紀に記述が無い前提で架空を立証するなら
卑弥呼こそ記紀に一文字も無い故に架空でなければならない
倭人伝云々など記紀が無視したレベルの異国の伝承なんだから…
>>870 出てこないという根拠は?
現実に数万人規模の都市なんていくつも発見されてないし。
おかしいというからには、スタンダードな何かと比較しているんだよな?
何と比較しておかしいといっているの?
877 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:12:14.84 ID:BFoOQquh0
>>871 魏の国内の話では、一つの州だけで50万、100万っつー数字がボコボコ出てくるから
中国じゃ、そこら辺にゴロゴロあった都市程度・・・なんだろーな
878 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:12:17.02 ID:FDGFsRQi0
「やまたい」=「やまと」=「日本」 だから、九州も畿内も「やまたい」だよな
かつて東京府東京市が存在したように、「やまたい国、やまたい市」 だった可能性もある
九州も 「やまたい国」 で、畿内も 「やまたい市」 だったとすれば矛盾は無い
879 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:12:33.46 ID:lIj9jU7x0
>>872 それは現在の畿内説にとって何らネックにならない。
当然大陸半島との外交窓口は玄界灘周辺地域だろうと言う話になる。
実際、福岡平野じゃ極初期の前方後円墳(いわゆる纏向型)が出現し近畿系の土器を積極的にインポートしてる。
880 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:14:14.25 ID:BFoOQquh0
>>875 のっぱらばっかで、住処の近所でウホウホ言っているだけの地域だったら
遠く、関東の千葉で、墨で字が書かれた3世紀末の土器が出るぐらい
人の交流がねーだ炉
881 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:14:50.06 ID:238HMj600
これまでの伊都国糸島説は重大な誤り
<新九州説> 200余年の論争に終止符
・・・開かれた邪馬台国の扉!!・・・
末蘆・唐津港から東南陸行500里の佐賀平野、その出口、佐賀県小城市に伊都国はあった。
882 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:15:38.35 ID:z9iz8iwtO
>>868 そこで国之常立神が作った日高見国ですよ!
常陸、日立、まさに日ノ本
邪馬台国と大和王権は別物
素直に渡来系に征服されたと認めようよ
884 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:17:16.62 ID:z3XTTWrE0
おいおい昔のアリの巣だろ
こんなので卑弥呼とかないばい
>>882 日立という地名は江戸時代になってからじゃね
886 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:17:58.43 ID:hFtLx1jD0
>>873 ヒストリアの卑弥呼の回で、奴国は濃尾平野にあったんじゃないかってやってたな
女王卑弥呼が統治する邪馬台国と武勇に優れた男の王が支配する野蛮な奴国。
纏向から出土した土器が東海系のものばかり見つかって、奴国に一度占領されたのでは?
とか言ってなかったっけ
>>877 中国の州?
三国時代の州って荊州、益州、涼州とかいった州のことだよな?
一つの州だけで日本列島よりずっと広いんだが?
888 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:19:30.83 ID:FDGFsRQi0
889 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:21:05.08 ID:TUvWadOx0
魏志の邪馬台国は、ヤマト王権と姻戚関係はあるかもしれないが
ほとんど別物だと思うな
ただし渡来系じゃないとは思うが
近畿に特徴的な顔立ちの人が多いのは、秦氏の存在によるところが大きいだろうし
京美人大好きです
890 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:21:08.52 ID:XZtJ9BPi0
え?
大和って倭(やまと)だし
891 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:21:15.58 ID:BFoOQquh0
>>887 そっ
その中に、50万、100万っつー数字がボコボコ出てくる
7万なんつーのは、ただの普通の町レベルだよ
892 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:21:30.99 ID:aDlUKCH3O
>>880 流山の墨書土器にさっきからえらく拘ってるけど
三世紀の墨書土器は西日本に別に何例もあるんだが
ひょっとして千葉の人?
>>880 交流がないって根拠は?
現実に古代日本に数万人規模の都市なんてほとんど見つかっていないけど、交流はあった。
894 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:23:41.34 ID:BFoOQquh0
>>892 西日本で何例あろうがどーでもいい
関東まで出た・・っーことが肝心
895 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:25:14.77 ID:z9iz8iwtO
九州人の妄想はもう飽きた。
程度の低い反論しか出来てないって分かってるのかな?
国譲りの神話で、大国主命より日本の大権を譲られた事になっている
これは完全に畿内勢力が、出雲勢力に屈服していた歴史を示唆する事だ
そのことは、記紀を編纂した時代の知識人たちには広く知られていた事なのだろう
だから、出雲王朝に反旗を翻し、王権を奪った歴史を正当化するために、国譲りの神話が必要だったのだ。
それで卑弥呼の時代には、出雲勢力は邪馬台国に服従していたと考えられる
魏志倭人伝には、邪馬台国に従う国として出雲らしい国が出てくるからね
邪馬台国が畿内であったとすれば、それ以前に出雲の王権を簒奪する
古代の関が原があったのでしょうね
897 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:26:19.82 ID:BFoOQquh0
>>893 っつーことは
もしも、古代日本に数万人規模の都市なんてポコポコ見つかったら
おまえは自分の考えを変えちゃうの????
898 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:26:46.23 ID:aDlUKCH3O
>>894 稲荷山鉄剣出土も関東なんだし別に関東だから珍しい訳でもあるまいて
ここで殊更関東ageしても意味ないぞ
>>891 例えば、荊州とか益州とか全体で50万人ならば、邪馬台国で7万人というのは、
すげーデケーと思うが?
900 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:29:25.75 ID:BFoOQquh0
>>898 そう、珍しい事じゃなく、普通にあったこと
つまり、それだけ当時の日本には、大きな都市がポコポコあって
想像以上に人や物資も交流していた・・んだよ
7万戸と形容される都市が、特別な都市で、邪馬台国だけしかなかった
なーーーんて考える方が変
901 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:31:07.29 ID:z9iz8iwtO
グンマーは毛野民族
奴国=野国=毛野国→グンマー
なんちって
>>897 当然だて思うが?
これまでの発見と異なる新たな考古学的な発見があったなら当然考えを変えるよ。
宗教じゃないんだから、奇妙な信念に基づいて固執する必要はないよ。
903 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:32:00.16 ID:BFoOQquh0
>>899 荊州とか益州とか全体で・・・ならね
だけど、州の中の一部地域の話で、50万、100万が、を、どーしたこーしたって話だから(^_^;
904 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:33:23.77 ID:+nzfednT0
邪馬台国論争はこれで決着やね
あとは 箸塚古墳の発掘を許可してくれるかどうかにかかってるね。
905 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:34:50.21 ID:BFoOQquh0
>>902 んじゃ、7万戸も、特別な都市だったのか、普通にあった都市だったのか
おまえにゃ判断出来ないはずだよな
7万戸の都市なんか発見されてねーモノ
906 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:35:08.78 ID:hFtLx1jD0
907 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:35:20.31 ID:TUvWadOx0
邪馬台国=ヤマト王権ということはありえないんだよな
邪馬台国が日本一の大都市を奈良に置き、すでに西日本の大部分を服属させてた、ていう荒唐無稽な話はさすがにちょっと
908 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:35:26.14 ID:aDlUKCH3O
>>900 近江の三世紀伊勢遺跡なんかそういう意味では巻向以上の規模だしな
規模だけなら邪馬台国は滋賀にあったといえる
まぁ何故かマスコミは殆ど取り上げないけど
909 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:36:08.39 ID:z9iz8iwtO
箸墓古墳を発掘するならモモソのY染色体も調べてほしいね
おいらのY染色体と合致するか気になるから
って、モモソは女だからY染色体ねーかw
邪馬台国論争ってイデオロギー的に
九州か近畿か決めつけて
あとで理由こじつけてるのばっかりだからつまらん
>>900 ボコボコというのが何個くらいのことを表現しているのか知らないが、
仮に7万人都市が10個あったと仮定して、その10都市以外にはまったく都市がなかったとしても、
同時の日本の関東以西の人口が300万人だとして都市への人口集積率は25%にもなってしまうんだが?
福岡県京都郡みやこ町17歳
913 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:39:31.93 ID:z9iz8iwtO
ま、簡単な話し、九州には古い古墳が全く無いんだよね。おいらは、厨房の時から、九州説はあり得ないと、思ってたよ。
914 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:40:04.07 ID:BFoOQquh0
>>908 結局、4大文明とか教わって
当時の地球には、文明は4っつしかなかった
その4っつ以上の大きな文明は存在しなかった
って言うのと同じなんさ
邪馬台国が九州から奈良まで支配していた・・なーーーんちゅうのは
九州か奈良、どっちにあったとしても、それは、せいぜいその地域だけを支配していた国で
複数あった、日本の都市連合のウチの一つにしか過ぎない
九州から奈良まで・・なんて、大国家じゃ無いんだよ
915 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:40:45.94 ID:8tnKGLiG0
九州説のその必死感が痛々しく感じるのは
恐らく俺だけではないはずw
>>913 九州だけでなく太平洋側はあまりないよ
ヒントは津波
>>903 州の一部?
>一つの州だけで50万
と書いたのはおまえだよな?
話が変わってきているし。
918 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:44:09.29 ID:BFoOQquh0
んだから
邪馬台国は7万戸の都市・・・じゃなくて
中国の7万戸の都市と同じ規模
だっつってんだろ
実際に7万戸あった、32万人住んでたっつーわけじゃねーの
919 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:44:46.90 ID:dlJ+McTk0
律令制における「大国」
(国力による分類)
大和国、河内国、伊勢国、近江国、播磨国、越前国、
武蔵国、上総国、下総国、常陸国、上野国、陸奥国、肥後国の13国のみ
近畿 5
関東 5
東北 1
中部 1
九州 1
九州の「大国」は肥後国のみ
当時の国力って人口とニアリーイコールだと思う
もちろん時代はズレてるけど、九州にそんだけの人口を抱える都市があったとは思えない
>>905 7万戸というのは邪馬台国の人口であって、都市の人口ではないでしょ?
それに戸というのは人数ではなく世帯数だし。
921 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:45:21.75 ID:BFoOQquh0
>>917 全然かわってねーよ
一つの州だけで50万、100万っつー数字がボコボコ出てくる
922 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:45:31.88 ID:Unl/pwQB0
>>914 それはキミみたいなアホだけだと思うよ
一般人は年号も一緒に記憶してるし、それ以外の文明についても授業受けてるから
923 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:46:20.78 ID:BFoOQquh0
924 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:46:34.77 ID:PqMLwCkF0
帯方郡から、松浦までは、短里を使わなければたどり着けない。
当然それ以降も短里を使用しなければならない。
帯方郡から、公理を使えば、行き着く先はパプアニューギニアかマリアナ諸島。
畿内説論者の言うように、方向を東に変えれば、ベーリング海峡である。
従って行程論では、畿内に行き着く方法はない。
松浦までの各点の距離から、公里の1/6の短理が導き出される。
これと同距離と思われる記録は、魏志倭人伝だけではなく、
隋書倭国伝、百済伝、周髀算経にある。
同様に日数と里程を共に1/6した説を、短里短日説という。
これだと、方向、距離、地勢、総合距離の万二千余里が、完全に一致し、
全く矛盾がない。
925 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:47:36.83 ID:XHu3zBoCP
>>915 もうほぼ畿内説で固まってるからな
ただ観光に利用してる自治体が多いからはっきり特定するのは難しいかも
>>918 魏の使節は、邪馬台国全体で7万戸というのをどうやって数えたんだよ?
927 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:49:07.46 ID:aDlUKCH3O
>>914 まぁ継体朝になってからでも九州磐井を満足に平定できてなかったのに
三世紀で西日本平定なんてかなり無理あるのは確かだな
928 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:49:37.55 ID:238HMj600
これまでの伊都国糸島説は重大な誤り
<新九州説> 200余年の論争に終止符
・・・開かれた邪馬台国の扉!!・・・
末蘆・唐津港から東南陸行500里の佐賀平野へ、その出口、佐賀県小城市に伊都国はあった。
929 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:50:19.21 ID:BFoOQquh0
>>926 邪馬台国は7万戸の都市・・・じゃなくて
中国の7万戸の都市と同じ規模
だっつってるオレに聞くな(^_^;
930 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:50:35.29 ID:z9iz8iwtO
>>919 我が故郷、陸奧國も大国か。九州に勝った。
>>930 陸奥って東北6県中4県位含んででは?
相当広そう
932 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:53:57.96 ID:BFoOQquh0
>>927 そ
邪馬台国が九州から畿内まで征服して、
変わりに自らの長官、副官等の役人をおき
租税や賦役の徴収を行っていた
なら
その中心の邪馬台国が
7万戸の中国の都市レベルだ・・・なーーんて言われるわけがねーんだよね(^_^;
>>921 州全体で50万人、100万人てはなしだろ?
州の一部で50万人、100万人なのか?
>>929 中国の7万戸の都市と同じ規模の邪馬台国の都市の規模は7万戸ではないのか?
934 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:55:23.21 ID:PqMLwCkF0
大和国が大国なのか。
まあ、首都があるところだからな。
しかし、その奈良盆地の大きさは、
九州の肥後国のごく一部の人吉盆地と同じ程度。
>>909 遺骨が残されているかどうかも疑問ならば残っている遺骨からDNAが採取できる可能性も乏しい
箸墓はアレだけ規模のでかい古墳だ。盗掘にあってない可能性は低いし
936 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:57:05.86 ID:BFoOQquh0
>>933 中国の7万戸の都市と同じ規模の邪馬台国の都市の規模は7万戸ではない
じゃなくて
邪馬台国が九州から畿内まで征服して、
変わりに自らの長官、副官等の役人をおき
租税や賦役の徴収を行っていた
なら
その中心の邪馬台国が
7万戸の中国の都市レベルだ・・・なーーんて言われるわけがねーの
937 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:57:16.21 ID:hFtLx1jD0
さっき邪馬台国を占領したのは奴国だと書いたけど、正しくは狗奴国の誤りだった。
この狗奴国の男王の名前がヒミココと言って、卑弥呼と仲が悪くて戦争を仕掛けていたらしい。
卑弥呼はその戦争の最中に亡くなったんだと。
>>927 一応、記紀だと崇神天皇(実在したとしたら3世紀頃)のときに四道将軍送って
日本全国を平定したことにはなってる。
>>932 「言われるわけがねー」という根拠がない。
940 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:58:26.39 ID:lIj9jU7x0
つうかそもそも列島の半分以上を強固に支配する中央集権体制を考えなければならない必然性はない。
「そんなものは考えられないから畿内説はない」というのが(古いタイプの)九州説の限界。
一度邪馬台国から目を離して列島を俯瞰するなら
ローカル色を塗りつぶしたような土師器が出現し九州以東では四隅や楯築、前方後円墳・後方墳墓と言う巨大首長墓が出現し
列島は統合の動きを見せ始める。
無論最初から強固な中央集権国家が出現したわけでもない。
その後の時代も大化の改新や律令制度の確立
…その他常に中央集権国家を目指す勢力とそれに抵抗する勢力のせめぎあいで歴史は進む。
ぶっちゃけ徳川家康だってできるものなら西国大名を尽く滅ぼしてもっと強固な中央集権国家を作りたかっただろうw
941 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 18:58:39.30 ID:BFoOQquh0
逆に
畿内なら畿内、九州なら九州を
征服して、
変わりに自らの長官、副官等の役人をおき
租税や賦役の徴収を行っていた
なら
その中心の邪馬台国が
7万戸の中国の都市レベルだ・・・でツジツマが合う
律令制下の数字は、数百年後、大和朝廷の専制確立後に大規模な移民等駆使した人為的計画的な開墾による。
地場の力が淘汰し合っていた段階の弥生古墳時代とは別物だ。
中世ヨーロッパの都市なら10万人も住んでれば大都市だ
アホばっかりだな
944 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:01:27.87 ID:BFoOQquh0
>>940 別に
列島の半分以上を強固に支配する中央集権体制を考えられなくても、畿内説はある
っつってんだろ
考えられないのは、畿内説や九州説じゃなくて
邪馬台国が列島の半分以上を強固に支配する中央集権体制だった
っつーこと
945 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:02:01.05 ID:TUvWadOx0
大宝律令の施行後、夜逃げが増えまくったのは学校の教科書でみんな習ったと思うんだが、
あれは左翼史観じゃなくて一応本当のこと。
全国の人間を土地に縛り付けて租税を徴収しし始めたことで、
日本の当時の経済活動は著しく阻害され、交易も下火に。
何が言いたいかと言うと、邪馬台国の時代の方が実は民衆も豊かだったんじゃね?ってこと。
国の規模が県くらいしかなくても経済活動が活発なら大都市を形成できる。
ヨーロッパの古代、中世の都市国家を見れば納得できる話。
邪馬台国自体の勢力圏は小さかったと思うけど。
946 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:02:44.54 ID:toXLQZfEO
そもそも邪馬台国の時代って古墳時代じゃないだろ
947 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:02:49.02 ID:hFtLx1jD0
狗奴国は濃尾平野にある説が有力視されているようだが、
実際にそうだとしたら、尾張って戦国時代以前にも活躍してる事になるんだよな!!
戦国武将を大勢輩出するようになった下地ってこの時代から受け継がれていたんじゃない?
948 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:04:32.21 ID:aDlUKCH3O
>>938 四道将軍の話はまぁもっとしょぼーい規模で一応そういうのはあったともいえるんだろが
あくまで点と線レベルの話だったんだろな
949 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:04:48.92 ID:IsP4PyZpO
日本書紀編纂者は何故神ぐう皇后を卑弥呼にあてたのか学説はある?
950 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:05:55.00 ID:jFyNKd5A0
よくわからんが、
当時の中国の使者や史書はそんなに有能で正確なものだったのか?
コロンブスでさえ、
自分の発見したのはインドと思っていた訳だろ?w
その1000年以上前、間違いや勘違いは多いし、方角や数に関してもあんまりアテにならないと思うがな
>>936 7万戸どころか、1万人に満たない都市が大和朝廷の都だという現実から目を背けないようにな。
952 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:06:50.04 ID:TTyhqMTs0
邪馬台国は九州だと思うがな
>>1は同時代の王国だろ
>>949 編纂の時年表作ったら神功皇后紀がちょうど卑弥呼の時代とあったため
954 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:10:02.89 ID:IsP4PyZpO
955 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:10:37.03 ID:toXLQZfEO
>>949 それ重要だよね
少なくとも記紀を編纂した連中は
倭国大乱は九州での戦いから始まりだと思ってたんだな
>>950 あれは(今日の基準の)インドだと勘違いしてたんじゃなくて
当時の呼び方で日本でも中国でもない東のほうの国を漠然とインドと呼んでたから
東に行ってたどり着いた不明な場所もインドにしちゃっただけ。
957 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:13:45.08 ID:IsP4PyZpO
>>955 トンデモかもだが、「これ以上中国さんに好き勝手書かさせねえ」
なら正しいのかいちゃる
で日本書紀編纂に踏み切ったとか…ないかな
958 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:15:02.92 ID:238HMj600
奈良盆地なんか筑紫平野の十分の一ほどしかないもんな
とうぜん長くは持たなかったわな
959 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:15:30.35 ID:lIj9jU7x0
3世紀には既にヤマトが勃興していて広範な連合体を形成していたとしても
邪馬台国はそれと別に九州にあった
…と言う理屈は成り立つがじゃあ具体的に何処なんだという話になるが
大抵の場合は漠然と九州か
「オレサマ流素直読み」根拠の比定地を挙げるだけ。
畿内説が九州説に優勢を誇ってるんじゃなくて単に畿内説の不戦勝というのが現在の様子。
960 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:17:44.96 ID:LAjxBER/O
>>913 >ま、簡単な話し、九州には古い古墳が全く無いんだよね。おいらは、厨房の時から、九州説はあり得ないと、思ってたよ。
西都原古墳群には三世紀前半のもあるけど、脳みそが厨坊のままなの畿内厨
961 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:17:57.74 ID:238HMj600
>>959 不戦勝が聞いてあきれる、ただの場外乱闘だ
>>958 奈良盆地の王権は少なくとも1700年はもっているけどね。
963 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:20:51.55 ID:TUvWadOx0
まともでない近畿派は考古学やる前に論理学とか帰納法とかについて勉強しろよ・・・と思う
その上で想像力を使って議論するならいいのだが
964 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:20:57.45 ID:dlJ+McTk0
>>949 卑弥呼=神功皇后では?と言ってるのは後世の学者連中であって
記紀の編纂者たちは言ってないと思うが・・・
>>959 話が盛ってあるからふさわしい場所が見つからないんだろうな。
九州の小国家が魏あいてにほら吹いたのが邪馬台国で別の本物の大国が既に畿内にあっただけなんじゃないか。
>>964 二つ意見がある
一緒にのっけてるから両者は同じだと編纂者は言ってるという説と
あえて別にしてることで両者は違うのだと主張しているという説
>>949 結局、古代でまともに女帝やってたのが神功皇后ぐらいしかいなかったということかと。
一時的に政治を行った女性としては飯豊皇女がいるにはいるが、これは暫定的な措置だし。
>>950 司馬遷の時代から中国の歴史書は、なかなか公正な判断をしてきたのは事実だよ
もちろん、当時としてはとの注釈はつくけどね
魏志倭人伝に関しては、実際に使者が邪馬台国に赴き
調査したわけだし、比較的、信頼できるだろう
ま、当時の魏が彼らにしてみれば東夷の蛮地に過ぎない日本に、さして興味はもっていなかったでしょうけど
969 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:23:11.33 ID:IsP4PyZpO
>>964 神ぐう記は明らかに倭人伝の記述を引用してるんだろ?
970 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:23:27.42 ID:Bg68cp480
>>950 ちょ、バカすぎるw
これに共感している奴もアホすぎるwww
おいおい、本気で言ってんのかよ?
絶対に邪馬台国は畿内じゃないな。確信した。だってね、畿内説派って本間もんのバカしかおらんwwwww
971 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:25:01.02 ID:lIj9jU7x0
>>965 なんせ畿内説を否定するときに散々「倭人伝の記述に合わない」としてるからなw
そんななにからなにまで合致するような場所があるはずもなく
具体的に挙げずに畿内説にイチャモンつけるだけならそりゃ楽だろうって話w
ここの九州説の連中にしても具体的に九州の何処其処と根拠をあげて言う奴はほとんどいないw
>>949 神功皇后は、卑弥呼と同様にシャーマンであるとの側面があったからだと言われている
実際、神功皇后は神がかりをして神託を下しているしね
あと、魏志のことは記紀の編纂のおり、調査したのでしょうけど
卑弥呼に相当できる人物が、皇后以外にはいなかったからではないの?
973 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:26:26.99 ID:Bg68cp480
畿内説論者の学者も苦労するはな、援護がアホしかおらんw
974 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:26:52.08 ID:jFyNKd5A0
>>970 え?俺?
俺は九州と思ってるよ(もし日本にあったなら)
975 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:27:25.96 ID:sT83+Wey0
>>949 神功皇后が朝鮮半島への航路を始めて開拓したから。
それまでは大陸へは琉球諸島伝いで渡っていた。
976 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:27:38.27 ID:hFtLx1jD0
九州説も論理としてなくはないと思うけど、考古学的証拠を見せてもらわないと
977 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:27:39.72 ID:238HMj600
978 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:28:08.19 ID:v46i5ryN0
ムー文明とか九州説とか、ロマンあって好きだなあ
>>973 学者で邪馬台国の位置論なんかやってる奴はあほばっかりだけだどなw
980 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:28:36.77 ID:Unl/pwQB0
>>965 中国の商人もいるだろうから
全くの無名の小国が大国を装うってのは無理だと思うよ
981 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:29:59.51 ID:TUvWadOx0
>>971 近畿説にも根拠はないけどね
纒向の存在は根拠とは呼べない。そちらの解釈で自説の主張に援用してるだけだから
982 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:30:07.24 ID:lIj9jU7x0
>>979 つうか学者でいまだにそんなことに拘泥してる奴っているのか?
そんなことをやってるのはマニアを顧客に持つ作家さんだろうにwww
>>971 邪馬台国にまでいたる道を素直に読めば、畿内にまで行き着くのだし
魏志の記述との差異は、それほどない
問題なのは、畿内からは北九州では多く発見されている、魏志倭人伝の記述にある環濠をめぐらせた集落などが発見されなかった事に尽きる
984 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:31:02.10 ID:238HMj600
>>976 好き勝手掘れれば苦労せんけどな、奈良みたいな田舎はいいよなあ。
985 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:31:06.59 ID:IsP4PyZpO
>>972 編纂者はそんなバカだったのか?
あれだけ注釈やら付け足しキキなのに
重大事項が適当すぎる
>>965 その可能性も否定できないな。
奴国が、巨大な勢力になりつつあった邪馬台国を領土化し、都を
置いていると魏に嘘をついた可能性な。ま、それを認めると、な
んでもありだけどなw
>>985 わからなかったんだろ
日本が記録とりはじめたのがさほど古くないし
500年前の文字もない時代のことを覚えてるわけがない
>>984 理由はどうあれ考古学的な根拠がないことは否めない。
纏向って邪馬台興業(株)桜井営業所くらいの地位じゃない?
990 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:33:56.65 ID:hFtLx1jD0
俺、九州説主張してるレス無視してもいい?
そのひとたちで勝手に夢見てればいいでしょwwww
991 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:36:03.23 ID:lIj9jU7x0
>>983 「宮室・楼観・城柵」の所謂3点セットは九州説の大好きなネタだが
魏志倭人伝の何処に「環濠」が出てきたっけ?
ちなみに池上曽根とかは吉野ケ里より古く大型建物の規模も吉野ケ里のそれを凌駕してる
また吉野ケ里の建物も構造物が出土した訳じゃなく
山陰の時の絵を参考にしてたりするというオチwwww
報道が全ての畿内説派。バカだから、しゃーない。まともに相手にしても、理解力がない。そもそもが、売国奴だしな。
大和朝廷を中国に売り渡そうとしているチョン&シナが畿内説派らしいが、本当かもなw
993 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:39:49.28 ID:lIj9jU7x0
>>992 つまり朝貢した九州は売国奴の末裔ということかw
お前みたいな馬鹿は学術的な思考はできないんだからさっさと失せろゴミwww
みなさん。わかりますね。
>>992みたいなのが典型的は九州派です。
>>993 おい、チョン。日本は渡さんぞ。この民主党員が!日本から出ていけやw
996 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:44:32.44 ID:Bg68cp480
>>994 いや、本当は俺は畿内説がいいなぁ〜、ロマン派ですが、w
ただし、モモソが卑弥呼って限定だけど
997 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:45:12.99 ID:lIj9jU7x0
>>995 そう言えば小沢は騎馬民族説みたいなことを言ってたらしいが
文化の急激な変容で王朝交代劇を語るのは
九州説に多く生息してる九州王朝説と何ら変わらないwww
まあネットと言う環境のせいなんだろうが学術的な好奇心じゃなくて
こういった幼稚なウヨサヨ論で頭突っ込んでくる馬鹿が九州説には多いのが困ったところだw
998 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:45:23.52 ID:toXLQZfEO
また演出戦になった
999 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:45:50.02 ID:TUvWadOx0
なんで最後に勝ちを印象付けようとしてるんだw
どっちも期待してればいいじゃないか。
九州説を援護してしまったが、実はどこでも可能性あると思うんだけどそれ言っちゃおしまい的な
1000 :
名無しさん@13周年:2013/02/05(火) 19:46:27.32 ID:238HMj600
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