【社会】卑弥呼の祭祀用建物跡?奈良・纒向遺跡で柱穴100個超出土★3
1 :
春デブリφ ★:
★卑弥呼の祭祀用建物跡?奈良・纒向遺跡で柱穴100個超出土
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した時期にあたる3世紀前半の小型建物の柱穴が
100個以上見つかり、市教委が1日、発表した。約60平方メートルの狭いエリアに
集中し、小型建物を建てたり壊したりした跡とみられる。遺跡の中心部で柱穴が
集中して確認されたのは初めてで、専門家は「年に数回、卑弥呼が特別に
執り行った祭祀(さいし)用の建物跡ではないか」とみている。
市教委は過去の調査を踏まえ、遺跡の中心部は、卑弥呼の宮殿とも指摘
される3世紀前半の大型建物を含む4棟の建物が東西に並んでいたと推定。
今回、昭和53年に柱穴の一部が確認されていた最も西側の建物の推定地を
調査し、この建物に関連する柱穴は確認されなかったが、周辺で直径10〜
60センチの柱穴を100個以上確認した。
市教委によると、建物群の入り口にあたるとみられ、「特別な空間」として
利用された可能性が高いという。古代祭祀に詳しい辰巳和弘・元同志社大教授
(古代学)は「卑弥呼が年に数回、食物の収穫を感謝する祭祀のたびに建てられ、
祭祀後に取り壊された複数の小型建物の痕跡ではないか」と推測している。
一方、今回の調査では、4世紀中頃に整備された豪族居館の周濠(しゅうごう)跡の
一部も確認された。過去の調査を踏まえ、周濠の規模は東西約65メートル、南北
約54メートル、幅は最大5・8メートル、深さ最大60センチ以上と判明した。
市教委は「3世紀の宮殿エリアを囲むような周濠で、この周辺のエリアが、世紀を
またいで政治や祭祀の神聖な土地として利用されていたのではないか」とみている。
現地説明会は3日午前10時から。JR桜井線巻向駅の西方徒歩約5分。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130202/art13020213480002-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/images/news/130202/art13020213480002-p1.jpg ※前(★1:2/02(土) 16:07:36):
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1359844004/
奈良県は九州から東移した場所なんだけどな。
建物の跡なんか掘ればこのくらいの規模の物はたくさん出てきている
こじつけもほどほどにしとけ
3 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:07:51.48 ID:T9hllyHq0
記念ヒミコ
4 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:08:27.94 ID:csED8Zhe0
ふーん
え? 邪馬台国は奈良にあったの!?
九州じゃなくて!?!?!?
7 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:12:39.20 ID:fPkKdi7N0
8 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:13:57.22 ID:YNAcxkFO0
やっぱ畿内説ですか?
9 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:19:50.53 ID:nONlHil00
奈良県なら天皇関連だろ
なんでもかんでも卑弥呼にするな
10 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:20:35.26 ID:KDuY9YGjO
奈良のほうが信憑性あるね
東原亜希の方がぜってすげーよな?
12 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:23:43.68 ID:xPGKK4x4P
学会ではもうほぼ九州説はあり得ないということになってきているのに、
未だに九州説を主張する人がいるんだな。
13 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:24:13.61 ID:L9WFFmR+0
nhk・朝日じゃないとは珍しい
九州説死亡?
卑弥呼ねぇさん
>>9 邪馬台国=大和国だと思ふ。
天皇の系譜に連なってんじゃないのかな。
2世紀:倭国大乱、出雲の国譲り→3世紀、卑弥呼を共立して奈良に邪馬台国(吉野ヶ里の勢力が畿内へ移動)→
4世紀、日向にいた天皇家が瀬戸内海を通って大阪の和泉へ進出→奈良の邪馬台国を攻略し、邪馬台国の神である
卑弥呼(アマテラス)を伊勢へ移す。
北九州の宇佐周辺に拠点を持っていた秦氏が大阪の河内へ移住。物部氏として武力担当の部族として拡大する。
物部→もののふ(武士)の語源。
18 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:29:52.42 ID:drK9YQnZ0
邪馬台国は天皇家に滅ぼされました
卑弥呼の正体は天照大神!
19 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:32:45.22 ID:f/9QO7ym0
>>18 >卑弥呼の正体は天照大神!
あながち嘘とも言えんわな
壹與とかかもしれんけど
>>17 >奈良の邪馬台国を攻略し、邪馬台国の神である卑弥呼(アマテラス)を伊勢へ移す。
さすがにこれは無理がある
21 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:40:25.81 ID:HgfaJfo30
忌部族の話が出てこない! なんでやろ
邪馬台国って距離と方角が記述通りだと、沖縄になると聞いたが
方角を90度間違ってたら大和だよなあ。
23 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:43:06.71 ID:drK9YQnZ0
>>19 壹與←何て呼んでいいか誰もわからないのが問題だけど
個人的には倭迹迹日百襲媛命ではないかと思ってる
>>20 伊勢のような辺境の地に自ら進んで移動したとは考えにくいし
古代天皇が天照大神を崇拝してた様子も無い事を思えば
アマテラス(卑弥呼?)は大和を追われたと見る方が自然なのでは?
24 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:43:13.82 ID:CnxcjMRP0
アマテラス=オオヒルメの墓なら阿波にあるんだよ。
阿波なら畿内と非常に近い関係なので、
九州説はどう足掻いてもでも不利でしょう。
25 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:44:21.22 ID:T8KxjMTj0
>>23 天照大御神が高天原を追放されたってのは無理があるわ
もうちょっと根拠があれば教えて欲しい
>>23 弥生時代は、人口が最も多かったのは東海地方だったようだけど。
女装はともかく、伊勢はヤマトタケルの軍事拠点でもあったと見れるし
辺境では無いと思うがな。
29 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 01:52:03.69 ID:HgfaJfo30
物部氏がでて なんで古代天皇家祭祀 忌部族が出てこないんだろ
不思議
>>20 実際に伊勢にはアマテラスが祭られてるよね
31 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:02:05.79 ID:ZzynzxhGO
天照大神は、律令制では持統天皇のことですから。
すなわち藤原不比等が作った、死後に神格化された神が天照大神。実は伊勢神宮の呼び名は違います。
大倭根子天之廣野日女尊
高天原廣野姫天皇
神功皇后と重なります。
ありのままに@札幌より
32 :
卍3286卍ss:2013/02/04(月) 02:05:25.90 ID:bI5gpIsG0
>>1 ココに描かせてもらいます。。モー信じてカイホーしてホシイ。。子供にアイタイ。m
34 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:06:41.17 ID:nuHe8uLe0
いや、邪馬台国は九州だろ。
学者はなんて言ってるが知らないが、
当時の交流範囲から考えて九州を指してると思うがな
35 :
卍3286卍ss:2013/02/04(月) 02:07:49.78 ID:bI5gpIsG0
>>1 卑弥呼など 国賊! ドーデモイイ!m 騙されないよーにシテネ。。n
36 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:08:28.98 ID:ZzynzxhGO
造山古墳(つくりやまこふん)は島根県安来市
1号墳は一辺60メートルの古墳時代前期のもので、この時代のものとしては
全国でも最大級の方墳である。昭和11年、13年(1936年、1938年)に竪穴式石棺が次々と発見された。
副葬品には三角縁神獣鏡、方格規矩四神鏡、紡錘車型石製品、ガラス製管玉、
鉄刀、鉄剣、刀子などが発掘された。
3号墳も古墳時代前期に作られた方墳で38×30メートルである。昭和40年(1965年
ここが倭王の眠る土地です。大和朝廷と出雲の豪族は違いますが、出雲こそ倭王、後の大国主命。
つまり邪馬台国出雲説です。
ありのままに@札幌より
37 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:08:31.51 ID:drK9YQnZ0
>>26 >>27 ウィキペディアソースで申し訳ないが
>伊勢神宮を創祀したときの天照大神から倭姫命への神託は『日本書紀』に次のように載せる。
>是神風伊勢國 則常世之浪重浪歸國也 傍國可怜國也 欲居是國
>(この神風(かむかぜ)の伊勢の国は常世の浪の重浪(しきなみ)帰(よ)する国なり。傍国(かたくに)の可怜(うまし)国なり。この国に居(を)らむと欲(おも)ふ)
>— 垂仁天皇25年3月丙申(10日)条
>意味は、伊勢は常世の国からの波が何重も寄り来る国であり、辺境ではあるが美しい国な
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%A7%AB%E5%91%BD それから日本武尊の実在性はおいておくとしても
日本武尊が軍事拠点にしてたのは伊勢は伊勢でも
伊勢国亀山でなかったかな?
>>28 1年前に行ってきたよ。大阪とは思えない
緑と水の綺麗なとこだよね
38 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:09:22.34 ID:H4lR5s5x0
卑弥呼ってキチガイビッチやん
39 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:10:38.42 ID:ZqN59D+a0
九 州 民 発 狂
40 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:10:46.56 ID:HgfaJfo30
私は古事記とかを普通に読んで四国と思いますよ。
四国は古代の地名が普通に残ってます
>>34 当時は中国→韓国→北九州と移動できる時代。九州から波の低く島の多い瀬戸内海を
通って移動するのはたやすいこと。
42 :
卍3286卍ss:2013/02/04(月) 02:12:42.78 ID:bI5gpIsG0
鏡 並べて マエに立たせてミロ! 立てるか?m
>>27 今の中京地方は、弥生時代の「フロンティア(弥生系の開拓最前線)」だった。
活気に溢れていた形跡はあるが、そこが中心だったわけではなく、あくまで辺境だった。
ただ、その辺境に、独自文化が生まれて、畿内中央に、強い影響を与えた形跡が見られる。
俺の理解では、この「辺境の独自文化」こそが、後世の「東日本文化」のずばり源流になる。
この文化の担い手は、徐々に東へ広がって、関東平野を席巻し、最終的に仙台付近まで達する。
ややお国自慢的に冗談めかして言えば、「名古屋は東日本の元祖」と言っても、問題ないと思われる。
そりゃそうと、「卑弥呼」は、一般向けの純然たる「釣りコピー」なんだぜ?
学界の中の人は、誰ひとり相手にしていない。
でも、耳目を引いて、カネも稼げそうだから、わざと釣り文句として煽っているだけ。
釣られるのは恥ずかしいw
44 :
卍3286卍ss:2013/02/04(月) 02:14:52.82 ID:bI5gpIsG0
遊びじゃナイヨ! 神力 アルノカ? ヤマダゾ ワカルカ?m
45 :
卍3286卍ss:2013/02/04(月) 02:17:39.95 ID:bI5gpIsG0
東はダマされ! メシトキに殺され! 略奪! 文化捨てられ 最悪。。m
>41
瀬戸内の航行がたやすい?
あんな暗礁だらけで潮流がきついところがか?
47 :
卍3286卍ss:2013/02/04(月) 02:22:20.09 ID:bI5gpIsG0
伊達家は 神主か何かじゃナイノ?。。。何も知らないの?。。。m
ツイデ。
塩竈神社の古木 観たけど氣になる。。樹医ミセテ。。アト 裏側汚い 氣が悪くなる。m
48 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:23:51.34 ID:ZzynzxhGO
素戔嗚尊は太古、太陽神としての性質を持っていました。すなわち光の神。
スサノオは原始、太一神でした。
(古神道より)
ありのままに@札幌より
卑弥呼っていうのは、個人名じゃないだろ。
わざと悪い字をあててはいるが、本来は日の巫女であり、天照を祀る巫女のこと。
要するに、職業的な祭祀集団が実権を握る国家が、昔の日本にあったに過ぎない。
その宗教国家も、ひとつというわけではないだろうし、邪馬台国はどこか、なんてどうでも良く、九州から近畿にかけてのすべてが邪馬台国だったんじゃね?
50 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:26:28.13 ID:HgfaJfo30
ねぇー東京の酉の市になんで阿波忌部の始祖 天日鷲命様が祭神になってるの?
51 :
卍3286卍ss:2013/02/04(月) 02:26:43.20 ID:bI5gpIsG0
塩竈神社 訳のわからんゴミはステロ 門の中ダゾ!m
52 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:28:05.35 ID:ZzynzxhGO
丑寅の金神=スサノオ(素戔嗚尊)=太一神
ありのままに@札幌より
53 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:28:15.62 ID:drK9YQnZ0
>>48 スサノオは雲の神じゃない?
雲信仰というのがあったかどうかまではわからないけど
スサノオの話にはやたらと雲という字が多すぎる気がする
54 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:28:32.47 ID:ym6dAcSC0
基本的な質問なんだが、
宗像教授って、あれ、デタラメなの?
けっこう信じて読んだんだけど。
DQNネーミングっぽいよね
卑弥呼邪馬台国
56 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:29:04.48 ID:3YbMg9kA0
九州から大和政権が物部系の邪馬台国を侵略したと思ってるけど
本居宣長が国粋主義的な所があるから読みがヤマタイじゃなくてヤマトまんまかも知れんのよねー
57 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:29:43.27 ID:7Tps6roNO
>>49 巫女が統治してた連合国とかって説もあるよね
ちなみに、「古事記」に出てくる、ナガスネヒコが邪馬台国。
ナガスネヒコを倒したニギヤハギ(物部氏)は河内の部族。つまり、天皇家はニギヤハギと
同盟を結んで邪馬台国を倒した。
59 :
卍3286卍ss:2013/02/04(月) 02:30:51.28 ID:bI5gpIsG0
日本は BC?????????クライ 本当は レキシアルンダゾ!m サイコ ダゾ。m
60 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:31:26.32 ID:ZzynzxhGO
>>53 わかりません。
今度、菅谷先生に聞いてきます。(笑)
ありのままに@札幌より
大規模っぽいな
62 :
卍3286卍ss:2013/02/04(月) 02:33:02.02 ID:bI5gpIsG0
オレのべーすは。 詩でデル 昔オトコ ってヤツ。。m
63 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:34:23.80 ID:V1Mx3qSfO
伊都(イト)→「イ」「ト」
壹與(イヨ トヨ)
邪馬台国
ヤマト国
これでもおかしくはないからなぁ
>>53 雲は(土)蜘蛛の当て字じゃないかって話もあるね。
(土蜘蛛 = 大和朝廷に従わない辺境の豪族)
まあ、アマテラス(太陽)、ツクヨミ(月)、スサノオ(雲)で並べているだけかもしれんけど。
66 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:36:35.87 ID:3YbMg9kA0
どうでも良いが早くから大陸文化に染まっていた九州に
巫女を中心とした神権政治が成立する余地はあるんかいな
>>49 卑弥呼という名前は亡くなった時に代替が利くように呼称ではないかと今の学校の教科書に載ってます。
68 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:38:02.20 ID:7Tps6roNO
出雲神話とかに伝わってないのかなぁ
69 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:39:07.43 ID:drK9YQnZ0
>>58 今まで考えたことなかった説だが
大いに有り得ると思う
ところで、どうして物部氏の末裔である石上家は
祖神であるニギハヤヒでなく、フツ神を氏神として祀ってるんだろうな
卑が日か火かもっと別の意味かは分からないが
弥呼は巫女と理解するのがスッキリするからなぁ
>>53 渥美半島っていうのがあるが、このあたりは縄文の大規模な集落が多数あって、アツミ族というのが住んでいたそうな。
それが温暖化にともなって、落葉樹である栗の木が育たなくなり、栗を求めてアツミ族は天竜峡をさかのぼった。
天竜川の源流は諏訪湖であり、魚と栗に恵まれたこの地にアツミ族は集落を築いた。
そのアツミ族の神が諏訪大社のはじまり。
その後、アツミ族は松本盆地から安曇野の方まで広がっていったが、この安曇野という地名はもちろんアツミからきている。
アツミ→アズミ→安曇というわけで、後世ではあるがここに曇の字があてられているのは興味深い。
長くなったが、雲は雨を呼び、雨は木々や作物を育てる。
雲を信仰することは、十分にあり得ること。
72 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:42:02.65 ID:EBWuhkgn0
卑弥呼は朝鮮人
魏志倭人伝を書いたやつがいい加減なライターだったらどうなるのよ
適当な出張レポート出して伝票ごまかすとか、身に覚えないか?
卑弥呼様〜!
75 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:46:30.34 ID:PNztk6nz0
>>73 俺もそう思うw
当時のラノベだったかもしれん
>>73 その通りだと思うよ。だから、まともな学者は、誰も魏志倭人伝をまじめに読まない。
明らかに、途中から記述の信頼性がボロボロになる。
まじめに読めば、九州が真南に数百km伸びて、その先に謎の女王がいることになる。
普通に読めば、ムー大陸やアトランティスと同じレベルの、ただのオカルト雑誌の世界。
地理記述が滅茶苦茶な地理書は、もはや地理書の体をなさない、
と理解するのが、一番穏当。こねくり回して、「ピコーン!こうすると読める!」
とやっているのは、在野の好事家。
77 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:48:29.85 ID:QD4oBoPw0
九州説もうあきらめろよ
いまだにまともな候補の場所すらない
79 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:51:04.75 ID:HgfaJfo30
四国説は???
80 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:53:41.29 ID:ZzynzxhGO
高天原も、そう。
出雲説では朝鮮半島からゴビ砂漠が、高天原です。これ、大真面目な話。(笑)
高天原はどこ?
ありのままに@札幌より
もう青森でいいだろ
ピラミッドもキリストの墓も青森だし
82 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:55:32.33 ID:drK9YQnZ0
>>71 >この安曇野という地名はもちろんアツミからきている。
逆だと思うよ
福岡県の志賀島に志賀海神社というものがある
宮司の姓は安曇!
海神(ワタツミ)の末裔だそうだ
その志賀島の安曇氏が中央に進出した名残りが
志賀高原の安曇野だったり、滋賀県志賀郡安曇川だったりするそうだ
予断だが志賀島は、教科書に出てくる『金印』が出土された場所でもある
>雲は雨を呼び、雨は木々や作物を育てる。
>雲を信仰することは、十分にあり得ること。
そういう信仰ならあってもおかしくはないね
83 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 02:57:00.59 ID:qCOmtfn2P
そういやゴッドハンド先生は今なにしてんのかな。発掘ネタの度にあの事件を思い出す。
>>78 オカルト板に帰ってくれよ、いくらなんでも古地理学(本籍は地球物理学と地質学)を馬鹿にしすぎだ…
海面が30m高かったのは、更新世中期の間氷期で、まだ原人の時代だわいw
過去のどの時期に、どの程度の高さに海水面があったか、というのは、
過去30万年程度については、かなり正確にわかっている。
堆積物を見れば、陸の洪水によるものか、干潟や砂浜だったのか、あるいは海底の泥だったのか、
そんなことは、簡単にわかるからだ。
>>49 なんか次代の女王がイヨって名前じゃなかったっけ?
>>12 これ本気でやってる学者は居らん言うとったで
普段は他の事をやっていて九州説と畿内説を数人でたまに論争するくらいらしい。
87 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:02:34.06 ID:HgfaJfo30
そうそう徳島に 天村雲神社って言う日本に二つしかない神社が
二つ共徳島にあるんだよねー その雲ってのになんか関係あります?
88 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:03:23.96 ID:72Z+5TIc0
>>85 十三歳の巫女で御座居ます
設定からして萌え
90 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:12:51.83 ID:V1Mx3qSfO
倭人伝は伊都国と壹與のところの記述だけガチ
後は物見遊山
91 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:14:15.12 ID:ZzynzxhGO
>>87 古神道の秘伝に、稲荷古伝があります。
関係ありませんが、ふと思い出しました。
雲という艸(くさ)あり
蜘という蟲あり
雲という人あり
鳥の飛ぶも雲息
人の運びも雲息
月日を見るも雲息
雲を渡るも雲息
神の御息と怖るれは
突く息 吹く息 流す息
三雲の祓いと聞こしめせ
ありのままに@札幌より
92 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:14:50.67 ID:drK9YQnZ0
>>89 奈良の御所市に高天原という場所が今でもあるけど
日本中に散らばってた神話を一つにまとめる時
ここの地名を使ったのかも知れないね
魏志倭人伝に適当書いた中国が悪い
ぶっちゃけ畿内でも九州でもいいんだ。実在したのかさえ確認出来れば
関心があるのは現在の皇室との関わり、ひいては日本書記や古事記との関連性なんだよな
早くその研究段階に到達して欲しい
95 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:18:35.23 ID:HgfaJfo30
それ 雲息(くもいき????) なんか感じのいい詩だね
96 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:18:40.39 ID:sIoSsLwG0
..
やっぱり韓国人だったのか
これで確定したな
..
97 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:21:08.25 ID:ImhWJnE10
高天原は奈良県御所市の高天彦神社です
98 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:21:27.46 ID:HgfaJfo30
流す息とは???
99 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:21:50.49 ID:pwloDRxH0
邪馬台をいろんな理由付けて「ヤマト」じゃなくて「ヤマタイ」と読ませて
しまった時点で九州説論者の思惑を感じるな。普通ヤマトでしょ。
国防の面から言っても九州は朝鮮半島から近すぎるよ。奈良が有利。
100 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:22:02.20 ID:635WhSKM0
77: 以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2011/08/11(木) 01:43:43.93 ID:Vgjf6Cd10
日本の学者が、発掘作業中に、大きな発見をする。
それによって、一つの謎が解決に向かう。
謎は、何かの所在に関すること。
101 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:24:02.21 ID:drK9YQnZ0
>>97 行ってきたよ木々に神々しさが漂ってるね
御所市といえば加茂族の出身地である高鴨神社もお忘れなく
102 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:29:37.29 ID:ZzynzxhGO
美保神社(島根県松江市)
賀茂神社(かもじんじゃ)とは、京都府京都市にある賀茂別雷神社(上賀茂神社)と賀茂御祖神社(下鴨神社)の2つの神社の総称である。
これですね。
ありのままに@札幌より
103 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:30:55.59 ID:nuHe8uLe0
>>73 いや、そこよw
現代の事案だっていろんな見方があったり事実誤認があったり。
東方見聞録も伝聞ばかり。マルコポーロもいなかった説さえある。
倭人伝だってどうせ伝聞だろ、九州あたりのことくらいしか伝わってないよw
もはや邪馬台国畿内説でFAw
105 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:36:04.42 ID:ZzynzxhGO
このスレ、最初は1から書いていたけどなんか空気が軽いような。(笑)
すごい暖かさを感じます。北海道なのに不思議。
ありのままに@札幌より
106 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:39:46.68 ID:rdj6UVgc0
>>82 これは大正解
このスレって脳内妄想を得々と語るアホが多すぎるよなw
107 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:39:58.35 ID:nuHe8uLe0
自分が生きてきた昭和、
自分が体験してきた昭和。しかし最近、マスコミや娯楽媒体、あるいは作家や識者の語る昭和が微妙に、或いは大幅に俺が体験した昭和とは、ずれているのを感じる。
極端な話、嘘がまかり通ってる。
それで自分は歴史とはいい加減なもんだと認識した。学者の想像や捏造に気をつけなければと思うよ、まじ
108 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:51:13.93 ID:72Z+5TIc0
>>100 抽象的なこと言っとけばいずれ当たるの法則。
109 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:55:01.37 ID:V1Mx3qSfO
狗奴国はクマソだと思うけど
東海道が狗奴国だとすると
マキムクと東海道が戦争してた形跡が無さすぎる
こうくると倭人伝はシナの記述だから信憑性がない
そもそも戦争なんてなかったってなるのかな
110 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:55:26.55 ID:wPlNPZmg0
そもそも卑弥呼って神功皇后のことだろ?
なんで頑なに「卑弥呼」にしたがるんだ
111 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:56:32.46 ID:i5x3Ciy60
112 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 03:59:24.39 ID:tVq/IhP70
VIP予言スレのこれか?
20.[none]日本の学者が発掘中大発見。謎解決、何かの所在
113 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 04:01:16.98 ID:LZXV0xkI0
倭人伝自体が又聞きの又聞きだから
著者と使者が違うし、使者も邪馬台国とやらに行ったわけじゃない
日本側からは魏に使者を出しているが
大和川からのアナロジーからすると九州の遠賀川上域が重要そうなんだよな、ちなみ北九州の地理は詳しくない
>>82 うーむ、逆と言われてもアツミ族は縄文だしなぁ。
安曇姓より1000年単位で古いことではあるし。
DNAで追えれば良いんだが、たしかに渥美半島から中京にかけての人々の顔つきと、安曇野に住む人々の顔つきは良く似ている。
あんまり美人がいないのな(笑)
あの水行20日とかいうのは中国からのことを言っているんじゃないかと。
そうすると方角は正しいと思う。
奴国(博多)から東に行って南だからどうしても筑後川流域になる。
投馬国と狗奴国の位置さえわかればな・・・
117 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 04:15:04.05 ID:rdj6UVgc0
安曇は海人族だろう、日本で水が張ってある場所なら水行でスイスイ行けたんだよ
安曇は基本的に半農半漁の民で、温厚な民族性ではあるが
海賊行為なんか遣っちゃったりして、粗暴な一面もあったんだ
時々朝鮮や瀬戸内の沿岸域を襲い、食料や生首を略奪したりしていたことは
その時期の朝鮮三国史記の記載や瀬戸内の高地性集落の出現を見れば容易に解るよねw
118 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 04:18:24.15 ID:aSN6gSdoi
日本の建国は
紀元前660年
神武天皇が即位した日
男系
万世一系である
119 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 04:18:59.95 ID:aSN6gSdoi
天皇陛下 万歳
阿部首相 万歳
120 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 04:19:30.31 ID:dEQHcHQ20
いくらオレ達が2000年前まだ土人だったとしてもこのぐっちゃぐちゃの跡が柱跡は無いだろ
これじゃあまだ知能や技術が建造物建てるレベルに達してない
ものすごーーーーーく贔屓目に見てもトーテムポール的なオブジェの跡だろ
建物では絶対無いわ
韓国は女が大統領になったな
日本では考えられん総理大臣
122 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 04:21:04.26 ID:aSN6gSdoi
メソポタミア文明は
今から7000年前
投馬国のツマって爪先とか帽子の鍔と同じだろ、地形的には限られてくる
こういうのって市教委の管轄なの?
韓国は女がトップwww
126 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 04:31:52.43 ID:+BuXae230
信仰の見返りが一番大きい神は誰?
見返りさえもらえれば誰でも信仰するよ。
よし、ここから四国説を推そう
128 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 04:36:28.27 ID:72Z+5TIc0
同じ半島でもエラ張ってない人たちがやってきて国を造ったのじゃふぉふぉ
129 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 05:07:26.19 ID:6mZKyioS0
>>99 あと昔だから国が栄えるには台風きつ過ぎじゃねって気が。
131 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 05:19:40.50 ID:G6idLb8RO
ダイヤモンド映像か、懐かしいよ…
>>89 日本神話上での話で、
天地開闢(あめつちのはじめのとき)から、塩で固まりが出来て島が出来る。
国は男女が木を回って生まれる。
海の外の国引きの概念は出雲にあるが、採用はされてないから、
海外に求める必要はない。
どこかといえば、神話からすれば当然、畿内の天と地。
考古学に当てはめようとすると、環濠集落群と湿地盆地と内海と干潟で
説得性を持って創られたと見て良いだろう。
神話をたどれば、山陰(イザナミ)、北九州(三鬼子)と舞台を移し融合される。
考古学の成果鏡と剣の展開の違いと融合。共通に玉。
陽光の西進は基本の考え、そして天孫降臨となる。
133 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 05:30:32.84 ID:I5NYoTH20
元々、ヤマト(耶麻台)は四国徳島にあった。
毎年の強い台風がかなわんので奈良に引っ越した。
それが東遷の理由。
134 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 05:32:20.82 ID:FfFjt+s20
とりあえず本居宣長が全部悪いというところで今日はお引き取りいただけませんか
135 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 05:35:29.81 ID:WNzoupYr0
まあ何が出てきてもこじつけでしかないだろw
日本には文字が無かったんだから、卑弥呼との関連なんて証明しようがない。
「ヒミコ」なんて名札が出てくるわけはないんだから。だから逆に言いたい放題。考古学者も適当だな。
136 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 05:40:40.14 ID:drK9YQnZ0
箸墓古墳が魏書に書かれてる卑弥呼の墓のサイズと一致してる時点で疑わしい
137 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 05:43:21.78 ID:FfFjt+s20
元はどこにあったかわからないけど、卑弥呼の時代にはここだったってことで丸く収まらないの?
>>135 歴史学者の方が、もっといい加減ですが?
いやいやその説を、断じて報道するマスコミの方が犯罪レベルですがね。
村井康彦「出雲と大和」
3世紀にもなって文字もなく自分たちの歴史を書き残せないって終わってるだろ当時の日本人
洞窟に壁画を残したクロマニヨン人以下だわ
141 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 05:49:33.92 ID:8eJVh4RwT
岩波新書ででたばかりの村井康彦「出雲と大和」がものすごく説得的
卑弥呼の居所についても恐るべき説得力で確定している
この纒向遺跡も語られているが、卑弥呼とは関係ない
>>84 おまえこそ現代の治水で物事考えてるだろw
奈良の稲作だって標高40m程度からなんだ
海水が浸かってたところは稲作適地には程遠い
そもそも雨降ったら速効流される低地に町作るのか?地層だけで判断してるんじゃない
143 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 05:57:15.13 ID:drK9YQnZ0
魏書に書かれてる
「邪馬臺国」を「邪馬台国」と表記したり
「壹與」を「台与」と表記してる教科書が一番いい加減だと思う
>>140 当時は雇われ外国人的立場の韓人、あるいは漢人が書記業務を執行していた可能性が高い
彼らが居住していたのが博多や難波であったっぽいから、発掘すりゃ出てきそうだけど
発掘できない都市部にあるからなあ
難波宮跡や鴻臚館といった大規模な遺跡ですら発掘作業難航したもの
まあ、とにかく崇神天皇とその周辺の親戚筋だ
146 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:04:46.86 ID:drK9YQnZ0
町おこしがかかってるから
九州も奈良も一歩も譲れない状態
147 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:05:00.03 ID:/kwZ+k+l0
古事記では、島が誕生する順序は、阿波路(淡路島)→四国だから、誰が読んでも
阿波が発祥地である事は明らかだが?
148 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:06:48.28 ID:Mquj14Iw0
>109
クマソ(熊襲)は九州の火ノ国(肥国)の勢力だよ
男王がいて名を卑弥弓呼(彦御子)
官を狗古智卑狗(菊池彦)といった
菊池氏は肥前の古い豪族
149 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:07:51.67 ID:drK9YQnZ0
>>147 それは
イザナギ・イザナミ神話が
元々淡路島の漁民の間だけで信仰されてた
ローカル神話だったって事なんだけどね
150 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:13:04.69 ID:drK9YQnZ0
>>147 だったら邪馬台国は阿波じゃなくて淡路だろ。
畿内説で確定はしてるんだけどね
九州の伊都国自体、邪馬台国の地方支社である、一大率(太宰府ともいう)として記述されてる
んだから本部は近畿に決まってるし
153 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:17:55.30 ID:/kwZ+k+l0
淡路は阿波国です(明治以前まで)
邪馬台国は大和朝廷が確立する前、大和を含む一ローカル勢力。
邪馬台国から大和朝廷に代替わりしたわけでは無い
>>153 なぜウソをつくの?
淡路島は律令でも淡路国であって阿波国に属したことは一度もない。
江戸時代にだって、阿波藩とは別の藩だし、領主を同じくしたことはない。
156 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:27:09.09 ID:drK9YQnZ0
河内王権も大和王権からの引継ぎではないだろうね
157 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:27:21.29 ID:Xi3XdcRk0
158 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:27:55.60 ID:ImhWJnE10
クナ
クマソ
同一視するには無理がある
そもそも魏志倭人伝の距離と方向はデタラメで倭人伝から位置を比定するのは無理がある
159 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:34:35.49 ID:Xi3XdcRk0
160 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:35:27.88 ID:Mquj14Iw0
>>157 読みは「ひみくこ」らしい
彦御子はたくさんある解釈の一つ
161 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:39:44.01 ID:drK9YQnZ0
クナ→球磨(熊本)
だったら無理がなくなるかな?
確かに魏書の信憑性には疑問があるけど
対馬や壱岐といった九州の地名は沢山あるのに対し
九州と機内の間と思われる地名の記述が無い事を思えば
畿内説も少し苦しいんだよな
いやいや
クナ→毛野
だよ
>>161 外国の使節は伊都国より東に行けなかったから仕方ないんじゃね?
164 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:41:34.32 ID:SBsdRAkA0
誰も邪馬台国を見てないし卑弥呼と知り合いが
居るわけでも無いのに
まるで実際に歴史をこの目で見届けてきたかのように語るお前らかわいいなぁwww
165 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:42:27.81 ID:drK9YQnZ0
考古学的には濃尾平野が狗奴国として注目されてるらしい
>>152 ただね景行紀を読むと、九州は姫の国なんだよね。
支社、派遣官僚、官位任命(守)の立証にもなるんだが、
卑弥呼、九州の女酋というもの、この辺からも出ていると思う。
まぁ畿内でも過去あって、遅れた地域で"べぇ"と同じで古い慣習が残っていたとも考えられるが。
神話内での畿内では、唯一ももそ姫なんで焦点になってしまうがね。
なかなか神話から抜けきれない、これもまた日本の楽しめる良いところだ。
欧米の旧約聖書やギリシャ神話のように。
167 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:44:41.45 ID:nuHe8uLe0
>>113 それそれ、
伝言ゲームみたいなもん。今、南米の人間なんか日本人と中国人を区別できずに一律chino(中国人)と呼んだりする。
大昔の中国人だって九州と台湾の区別なんかないんでないか。
邪馬台国は台湾あたりかもしれないよw(入れ墨の風習などもあり…)
卑弥呼=日巫女
太陽崇拝の祭祀を行い、天照大神の原型モデルになった
日ノ本の国創世記にふさわしい祭祀女王
169 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:47:06.10 ID:NTVLxyZG0
畿内は銅鐸文化圏、それなのに記紀には銅鐸の記述は無いし、
発掘される銅鐸は破壊されたものが多い、発掘される場所も何の変哲も無い所で
到底祭器を置くような場所ではない。
銅鐸はよその集団に攻め込まれ、破壊されてそそくさと埋められたという事
つまり畿内はよそのクニに征服された王朝
170 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:49:20.06 ID:ZtFMIDAh0
>>155 いいからタマネギ食ってろ
100m観音のふもとにあるレストラン「アメリカ」最近どうなってる?
171 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:49:52.38 ID:Mquj14Iw0
>>158 狗奴国はクマだよ 球磨とかあるし
熊襲はクマ
後の延喜式で隈になった
肥前菊池氏の出自ともピッタリよ
172 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:50:06.95 ID:drK9YQnZ0
>>163 いや、魏書によると
魏から邪馬台国に張政という人が派遣されてる
173 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:52:15.59 ID:ZtFMIDAh0
174 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:57:07.12 ID:ImhWJnE10
倭人伝の記述から都合よく解釈すれば何処でも比定地になる
もはや思い込みの世界で議論すら無駄なこと
175 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:57:37.76 ID:YWt6bOP+O
ヒミコは日向(ヒムカ)でトヨは豊で地名だとする。
邪馬台国の南の狗奴国は、海幸山幸の話で山幸に「狗のように仕えます」と誓った隼人の国かも知れない
日向は元々は薩摩も含んでいたし、隼人舞いは海幸山幸の様子を表すとか
隼人は呪いとして狗の鳴きマネをしていたというのも面白く合致する。
日向(ヒムカ)の地名の由来が、東(ヒムカシ・ヒムガシ)で九州の東の国というのに合わせて
今でも南風(ハヤ)という言葉があるから、隼人は「南の・人」かも知れない
奈良出身だが、邪馬台国=奈良が常識過ぎて
高校生になるまで九州説自体が存在することを知らなかったな。
九州は中国との貿易拠点で発展した大阪みたいなもんぐらいの認識だな
177 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 06:59:14.48 ID:TUWjYRGbO
卑弥呼も邪馬台国も魏の記録ミスじゃねーのw
物証出なさ過ぎだし日本書記にも出て来ないって本当に在ったのかよ
178 :
Himiko is Empress Jigu, Norinaga Motoori:2013/02/04(月) 06:59:30.42 ID:w81TWNE00
隋書で「大和=邪馬台国だ」ってあるのが東征・東遷があってことだとしたら凄いよなw
180 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:04:20.71 ID:Mquj14Iw0
>>169 銅鐸の文化圏は稲作の伝播と共に広まった古代日本の風俗の一つでしょう
近年出雲地方などで破棄された銅鐸が一箇所の遺構で大量に発見された
これを見ると銅鐸文化が故意に破壊されてることがわかる
その後の銅鐸文化の担い手たちはどうなったか?
彼らは木ノ国の国主に庇護されて一山に入り込み現在まで続いた
それが今の熊野
熊野の神官の本姓は穂積鈴木氏、稲作と銅鐸信仰を表した名ともいわれている
181 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:07:54.43 ID:Mquj14Iw0
>>175 豊国はあきらかにトヨから起こっているでしょう
平安時代の延喜式でも改名されず豊前・豊後となった
投馬国(ツマのくに)はヒムカの南・薩摩のことでしょうね
だから天孫降臨は(元になった話があったにせよ)創作なんだって。
明らかに持統天皇から文武天皇の皇位継承をなぞらえてるだけ。
その元になったのが卑弥呼をはじめとする地域の太陽信仰だったと。
個人的には卑弥呼=アマテラス=神功皇后かと思う。ヤマトの語源も
山門だと思うけどな。
卑弥呼の墓は宇佐神宮だよ。さっさと掘ろうぜ。
184 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:13:42.05 ID:drK9YQnZ0
>>181 投馬国を薩摩と考えた事なかったから
なるほど!と思ったけど
投馬国が但馬国なら機内になってしまうから不思議
一つの巨大集権の誕生は卑弥呼の時代より相当に遅れる。
天皇家の祖先と思われる、他の地域より早く意思統合が行われ特に戦の少ない
畿内勢力の一部が覇権に向けて動き出すのはこの100年後ぐらいから。
それまでは大きな移動もなく、比較的小規模な集落が点在して
交易によって近隣地域が多少結びついている様な状態。
余剰生産力も少なく戦争による収奪がさほど富に結びつかない程度の
開拓度、文明度であった。和国大乱期を経て辛うじて一つの地方勢力
がまとまっていく時期。
神話の様なダイナミズム溢れた統一集権物語は更に後期であるし
幾分割り引いて考えられるべき物である
大和集権ですら豪族連合でしかないのだから・・・・
186 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:17:31.84 ID:nuHe8uLe0
>>168あるいはその他の人に聞きたいんだが、
(自分は古代史には詳しくない)
そもそも当時邪馬台国において卑弥呼と表記されてた訳?
誰かが上で文字がなかったと書いていたが。
それなら〇△□と発音していた名前を中国人が卑弥呼と宛字したことになるが?
>>175 高木彬光が小説の中で面白いこと書いてたよ。
「日向(ヒムカ)」という地名は宮崎にはほとんどないって。
本当かどうかはしらん。
>>186 そういうことになってる。「邪馬台」もそう。
189 :
188:2013/02/04(月) 07:25:13.95 ID:DA2xGCNz0
連投スマソ。
当時の邪馬台国の人の発音を当時の中国人が当て字したってことね。
190 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:27:08.78 ID:lkSHhs0n0
ヒメ(姫)を卑弥呼と宛字したんじゃない?
191 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:27:20.18 ID:FfFjt+s20
>>188 その表記でやまたいって発音はありえないらしいな。
ただ、やまとと発音するかといえばそうでもなくて、とかどうのこうの言ってる人がいたのは見たことがある。
当時の中国語で卑弥呼はどういう発音をしたんだろうか
「ひ・み・こ」って日本語で読みを当てただけだよね?
193 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:32:32.18 ID:FfFjt+s20
だから、なんでやまたいなんて言い出したのか。どういう経緯と意図があってこう言い出したのか
ここを考えていきましょう
194 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:37:02.35 ID:bZe8DR5m0
邪馬台国みたいなショボい国を大和朝廷に仕立てあげようとするのは如何なものかな。
卑弥呼は巫女だろう。すごい巫女がいてみんな崇拝しているよ。の話が倭人伝。
大和朝廷には馬がいたんだろう。邪馬台国には馬はいませんw
195 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:38:38.11 ID:Mquj14Iw0
>>193 後漢書、梁書、隋書などに「耶麻堆」の記述がある
梁書では「かつての邪馬台国」と記されている
196 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:39:08.98 ID:lLa14ueY0
>>187 本当みたいだよ。国名だけが日向。
というところから、どうも国名を付ける際すでに「筑紫のひむか」を誤解した
可能性がある。
>>192 日本人の「ヒ・ミ・コ」って言ったのに
似たような音の漢字をあてたんでね?
もちろん蛮人の国の女王っていう認識だから
「卑」とかいう見下した意味の字をあてたという
「やまたい」はやっぱり山に関係するんでね?山を越えた向こうにある国
あとから聖徳太子あたりが当て字の「大和」をのっけて
「こういう国にしていきましょう」って方針を示した
全て天からのインスピレーションのお告げです
198 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:44:38.00 ID:lkSHhs0n0
卑しい巫女にしたかったんだろうな。
魏も所詮シナ人 当時も今も品性下劣
199 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:45:06.47 ID:TUWjYRGbO
>>189 2ちゃんで連投を謝る人初めて見た
窮屈そうだけどいい人そうだなw
そうだよ、答えは可口可楽(コカコーラ)なんだよ
200 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:45:18.05 ID:YWt6bOP+O
>>194 日向馬って日本書紀にも出てこなかったっけ?
畿内に大和朝廷前に大国があっても良いんだよね、九州発の神武が攻め入るのに四苦八苦するレベルの大国がさ
神武東征・東遷の話のモデルとなる事実があっただけさ
あれ?俺も勝手に九州で決着がついたと思ってたけど、まだ揉めてたのか。
202 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:47:41.47 ID:bo1NM3MP0
大和には戦乱の痕跡がねえだろアホか
203 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:48:17.63 ID:FfFjt+s20
東征にしてもさ、皇族は姫氏の流れだとか自称してたわけでしょ。
そこに当てはめただけの話じゃないの
204 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:48:56.37 ID:YWt6bOP+O
>>196 国海神話だと九州島自体を筑紫の島っていうしな
そもそも倭国大乱と言われてる時期にもあんまり戦闘の痕跡が無い
206 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 07:49:23.99 ID:nip+MGye0
>>23 伊勢は辺境ではないよ。
畿内から東海に出る陸路海路の玄関口だ。
伊勢から伊勢湾を経て三河湾、浜名湖と進めば波のの穏やかな内海で海運ができるよ。
邪馬台国って馬は居ない事になってるけど
馬という字自体はかなり知名に使われてんだよね
後世、馬にした可能性もあるけど
208 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:50:37.10 ID:wo/ffFYw0
>>56 どっちもピャマトゥって言ってる本格的な人いたな
あ、大昔の支那人発音でってことで
それもいろいろあるらしいけど
209 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:51:29.43 ID:FfFjt+s20
>>208 日本人の発音だって今の50音じゃないしな。その辺はなんか突き詰めてもどうもならない感じはするね
210 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:52:35.99 ID:y+JastQZO
>>197 卑弥呼(ヒミコ)って、姫巫女(ヒメミコ)あたりか変化した名前じゃないかな?
固有名詞じゃなくて、内親王の役職名。
伊勢にも昔は皇族の斎姫がいたよね
>>171 . ∩____∩゜.:+___∩: :.+
ワク. | ノ ヽノ ヽ+.:
:.ワク/ ● ● | ● ● | クマ
ミ '' ( _●_)''ミ'' ( _●_)''ミ クマ
. / ._ |_/__ノヽ__ |_/__ノヽ
-(___.)─(__)__.)─(__)─
使者の張政って演義には名前すら出ないんだけど
その辺の武将よりも遥かに歴史へ与えた影響は大きいなあ
213 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:55:20.13 ID:bo1NM3MP0
それに畿内ならなんでわざわざ被占領の歴史をねつ造する必要があんだよ
意味不明すぎだろ
>>212 時代が違うだろ
チョウリョウの息子って話もあるけど
卑弥呼はシャーマンの一般名詞だよ。
そのシャーマンに従って大王が政治をしていたというのを
魏志倭人伝を書いた人が卑弥呼が統治していたと勘違いしたんじゃない。
「大和朝廷」がわざわざ「大和」って名乗った事自体、
やっぱり戦闘はあったんだろーなー
ただ、その頃から日本人は相手皆殺しとかする気質じゃなかったんで
どっかで手打ちして敵同士の一族が結婚とかで和解して
政権を作り上げていく過程で「さあさあもう戦は終わり、大和しませう〜」の
宣言が必要だったんだろう〜
仮に畿内説だとすると、卑弥呼はモモソ姫か、はたまた豊鍬入姫命か
あるいはもっと下って倭姫命か
皇祖神、霊地としては
伊勢ではなく熊野に源流がある
伊勢は古来より気候に恵まれ、天災少なく土地も肥沃、山海の幸にも恵まれ
水清く人心穏やかな天府という理由で鎮座ましまされた聖地。
そらみつ 倭の国を 蜻蛉島とふ
220 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:59:35.88 ID:bo1NM3MP0
221 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 07:59:45.31 ID:Mquj14Iw0
>>212 三国魏の武将・張コウの子供の名前が張政
222 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:00:12.20 ID:r+4B79q5O
ヤマト国の日の神子
東の辺境の大和は太陽が女性人格
女性人格の最高神が中華秩序っつうか世界でもわりと珍しいから報告しただけ。
それだけの分かりきった話でよくもまあこんだけ盛り上がれるなあ文系の馬鹿は。
>>218 あそこは山岳信仰やら修験道やら密教やら混ざりに混ざって最早源流は残ってないのでは?
224 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:00:53.99 ID:DnpCBuxb0
ウリ奈良
九州人/(^o^)\
226 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:03:10.87 ID:Mquj14Iw0
>>218 熊野は各地で放逐された銅鐸信仰の神官たちが開闢した山
本姓穂積鈴木氏。穂積は稲作信仰、鈴木は銅鐸を現している名という
あの時代でも旅する人が方角なんか間違えないよ
太陽あるのに間違えるわけがねえw
卑弥呼は九州
>>197 「魏志倭人伝」とあるように、日本は「ワ」と呼ばれていて、それにある時代の
日本人(帰化人かも)が「和」という漢字をあてた。
で、これも本当かどうかはしらんが、中国の勢力外の国が独立して国を名乗る
場合、国名に大をつけるのが当たり前だったとか。もちろんグレートって意味も
あったんだろうけど、ともかくその意味で国名の「和」に「大」をつけて「大和」と
いう漢字の国名にした。
一方で、当時の日本人は自国のことを「ヤマト」と呼んでいた。だから新しい
国名の「大和」もそのまま「ヤマト」という読み方にした。ヤマトは山門で九州
筑後に地名として残っている。
229 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:05:26.74 ID:YWt6bOP+O
>>196 じゃああれか?
トヨの国が豊国みたいに、卑弥呼(音は不明)の国が日向国になったとか?
いずれにしても、日本書紀の時点で天照大神の誕生の地も天孫降臨の地も日向国って書かれてるから
皇室はそこら辺から来たって話だったんだろうな
230 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:05:50.86 ID:r+4B79q5O
大和は「合議制運営」程度の意味だろ。
その統一性が女性になぞらえられた太陽信仰を中心としたアニミズムだったと。
卑弥呼が君臨(!)とか天皇が支配(!)とか、もうアホだろ文系は。
>>176 無知もはなはだしいぞ
三重松阪の本居宣長は九州説だし
京大は近畿説と九州説に分かれてる
東大は九州説が主流
232 :
鰐淵春樹:2013/02/04(月) 08:06:34.17 ID:3C3A5nM00
その昔 卑弥呼 というAV女優がいてだな
ありゃ最高だったぞ 今じゃ無修正まであるけどな
お前ら見るなよ 絶対だぞ
距離は間違える可能性はあるけど方角は間違えない
235 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:09:40.53 ID:wo/ffFYw0
236 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:09:49.61 ID:XHhPAcLl0
今、主流の本流は九州説
どう考えてもどうひねっても畿内はナイ
237 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:10:15.49 ID:EDVdoaYzi
>>105 お前いい加減コテ付けてくれ
マジうざいからさ
出来れば消えて欲しいが
>>228 日ノ本の国の人間は昔から自分達の言葉と輸入語とを
うまくミックスして元を残しつつ消化吸収しちゃってるなあ
その頃から大和の精神を国是にしようとしてたって事に感動しちゃうね
魏志倭人伝にさえ「わ人は盗みを徹底的に嫌う」とか書かれてたらしいし
239 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:12:24.98 ID:ImhWJnE10
九州説は掲示板では主流なんですかね
ギ(変換出ない)の電波歴史書を見て、「東に○里だから〜」とかそこそこ真面目に数字にとりあったり、
世界各地から、日本全国からのパクり集大成であるキキ神話をやたら史実の反映にしたがったり、
アホ過ぎる。
>>223 日本書記にも著される伊弉冉尊が祀られる花窟神社があり
非常に不便ながら朝廷から必ず宣旨が届けられる政治上の重要地
大和大権の重要な源流である事は間違いない。
後から空海やらが乗っかったのは別にして
242 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:13:53.21 ID:7aXDiPa40
>>232 ウズメがアソコを御開帳したのに釣られてヒキコモリから出てくるなんて
ヒミコは女しか愛さないレズボだったに違いない
あ、男子禁制の巫女だから当然か ☆
244 :
鰐淵春樹:2013/02/04(月) 08:14:58.33 ID:3C3A5nM00
九州でも機内でもどっちでもいいわ
我ら龍族の末裔には変わりない
手塚治先生が書いてある通りキリッ
>>229 天孫降臨はだから作られた話。今の宮崎の高千穂あたりに
山に神が降りてきたという伝承があったんじゃないのかな。
ていうか、どこにでもありそうな話ではある。
ちなみに葦原中国(あしはらのなかつくに)は中津国とも呼ばれる
けど、その中心は大分の中津だという説もある。私は上にあげた
高木彬光の小説で読んだけど。
>>226 放逐される事となったが銅鐸同盟による近畿における地域集合が大和王権の母体
熊野はその後も朝廷との繋がりを保つ
>>115 水軍失ってよるべなくなったあずみんが、古い縄文の土地に入り込んでっただーけ
249 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:19:53.53 ID:r+4B79q5O
どこぞの東の島をごちゃごちゃ行くと、アマゾネス太陽信仰土民がいて、アニミズム合議体でっせ。えろー珍しいですわ。
以上がギシワジンデンの主旨要旨主題。
250 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:20:58.19 ID:n/BTl+7e0
>>246 漫画が歴史を変えそうだなw
思いこみとは恐ろしいもんだ
251 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:22:13.09 ID:WNzoupYr0
>>246 やまと(山の手?)だの中つ国(中の国)だの、日本中どこにでもある地名だからな。
日本中山だらけなんだから。
だから、ありきたりな地名なんてなんの手がかりにもならん。
対馬くらい特徴的じゃないとなあ・・・
252 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:24:09.38 ID:r+4B79q5O
神話は神話。それくらいは理解して欲しい。
253 :
鰐淵春樹:2013/02/04(月) 08:24:14.47 ID:3C3A5nM00
卑弥呼と言わないで!
名前は日向(ひむか)よ
日向小次郎じゃないわよ
>>216 大和朝廷ってのは近代の歴史学の用語だよ。
255 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:26:46.20 ID:zWugi3PO0
しょせん、別荘の一つ。
256 :
鰐淵春樹:2013/02/04(月) 08:26:48.93 ID:3C3A5nM00
日向(ひむか)の旦那は弟よ
そう、近親相姦よ
>>220 蝦夷征伐で殲滅戦なんてやってないだろ。
支配者は首を伐たれたが、民は移住などは強制されたが皆殺しなんてのはない。
258 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:29:35.29 ID:r+4B79q5O
キキ神話だけガイド本から都合よく引用してもっともらしく史実につなげたがる馬鹿文系は、
世界の神話をまるでシランし、日本の各地の伝承もろくに知らん。アタマおかしい。
卑弥呼の国→日向国
トヨの国→豊国
と思ってるけど、卑弥呼の後継者がトヨかイヨかでイヨを取ると
日向国の対岸に伊予国があるから悩ましいよなw
国産み神話だと四国島を「伊予の二名島」って畿内から見たら反対岸になる「伊予」ありきなネーミングなんだよな
260 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:33:06.18 ID:r+4B79q5O
>>257 いわんとする気持ちのベクトル理解できなくも無いが、
惨殺殲滅虐殺ジェノサイドは、日本史にいくらでもあるよ(自分で調べてね)
>>174 うん、トロイは別の有力な比定地が無いんで面白くないが、
邪馬台国はまだまだ楽しめる w
トロイは木馬の足、
邪馬台国は玉手箱から小蛇の骨が出れば完璧 w
262 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:35:59.36 ID:r+4B79q5O
>>259 そりゃ井沢があくまで推理小説として書いた作中の登場人物の台詞に過ぎないよ、日向&豊
263 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:36:39.21 ID:qxoFAEJ40
既に日本の至る所に集落(国)は有ったと思うよ。
柱穴だけで卑弥呼を結びつけるの単純?
264 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:37:04.06 ID:GdyYY6Eu0
団十郎の急死で新歌舞伎座の杮落としの演目の変更は必至だね。
このニュースも当て込んで中村獅童主演で「卑弥呼」にすれば?
倭国の「わ」という音は、大和言葉の一人称が「わ」であることに関係しているのかな?
大和言葉で「私の国」は「わのくに」になるよな。
266 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:41:22.57 ID:r+4B79q5O
>>249 アマゾネスは、他の東夷伝でも日本方向で伝承があったと思うが。
>もう一つの国がありまして、これも海原の中にあります。
>〔そこの住人は〕みな女で、男はいません。
今は、ネットで大暴れしてるが w
268 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:48:47.48 ID:WNzoupYr0
>>265 >>266 「我が名」は「わがな」(わのな)だからな。一人称が「わ」なんだな。
二人称は「な」らしい。
269 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:51:23.73 ID:F9S74Upf0
ジャグラーという言葉をお聞きしたことがありますか?
パチンコをしてる人達にとってはお馴染みかもしれませんね
さて、私は幼少のころからドカタ人間でしたのでよく墨壺をいじって遊んだものです
まあ、隅出しと言っても材木に墨をつけて小さな船の模型を作ったり、石に墨をつけて削って加工して置物を作ったり、そんな程度です
ただ、適当に作業するといっても、辻褄の合うようによく計算しなければなりません
基軸を作り360度あらゆる方向から見て分解したり、組み立てしたりして、考えるわけです
もちろん図面などがありませんから、どんな単純な構造であっても数字を暗記しなければなりません
例え単純な構造であっても数字の追い込みをすればゆうに百を超えることがしばしばです
そして、ミリ単位の数字も処理しなければなりません
ですので数字の暗記が仕事を効率的に進められる重要な鍵になるわけです
で、何かいい暗記方法がないかと考えて…まあ、そんな話どうでもいい話でしたね
もうやめておきましょう
ここから、私の墨出しジャグラーの生活が始まったわけですが、結局パチンコのジャグラーには勝てませんでした
なんて言ったらいいかわかりませんが、本物を舐めちゃいかんという教えだったのかもしれませんね
270 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 08:51:57.19 ID:Ty+mMGon0
邪馬台国、ジパング、ワクワク島、ムー伝承…日本もなかなかエキゾチックなイメージの国だねえ
>>268 現在でも沖縄や奄美あたりでは一人称は「わー」だよな。
現代日本語にも「われ」「わし」「わたし」などとして残っているしな。
273 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 08:59:50.60 ID:nip+MGye0
纏向遺跡などの最新の考古学調査で分かったことは、3世紀当時既に大和朝廷の前身となる政権が誕生していたと可能性が高いということだ。
ここが邪馬台国だったかどうかという事については、そうだったかもしれんし、九州のいち豪族だったかもしれん。
ワシは垂仁天皇から任那の王に任命されたツヌガアラシトが、魏に対しても朝貢していたのではないか。
その際、新羅百済に劣る国力を補う為に倭からの使者だと述べたのではなかろうかと仮設を立てている。
274 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:08:31.23 ID:zhTL8qOT0
>>265 3世紀までの倭国は北部九州を中心としてその周辺を指す。
当時北部九州で大和言葉が使われていたという証明が必要だな。
奈良と九州の三輪山付近の地名が酷似してるんでしょ
奈良→九州か 九州→奈良かで移動して故郷に似た山を見つけて地名を付けたとしか思えないんだが…
九州のほうがリトル大和だった可能性高そうだけど
277 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:10:07.67 ID:H7tdxkB/0
ID:r+4B79q5O の立ち位置が理解できない
>女性人格の最高神が中華秩序っつうか世界でもわりと珍しいから報告しただけ。
の話に、自分もずいぶんと執着しているじゃないか
他の大勢の人間にとっても同じように魅力的ってだけだろうに
なんでそう喧嘩ごしなんだ?
神話といっても存在は確実なんだから、内容の正誤を求めるのは当然だよ
民衆に自分らを信仰させるために古い神を吸収して
自分らの神に従えさせて地域の伝承をまとめたわけでしょ
内容は異国の物語を下敷きにした部分があったとしても
登場人物や小さなエピソードにはリアルもあるかもよ
なんにせよ物証が出ない限り、すべてを真実とも作り物とも断定はできん
>>273 ツヌガアラシト=アメノヒボコが使者を出したと考えるのも面白いね。
子孫(母方だけど)で日本書紀では卑弥呼だと言われている神功皇后が
天皇の祖廟の宇佐神宮に祀られているのも興味深い。
279 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:14:39.59 ID:Ty+mMGon0
>>276 たとえば南北朝時代なんかは吉野朝の方たちがしばらく北九州を拠点にしてたみたいなこともあったし、
確かに、リトル大和の可能性の方が高いかもね。
宇佐は九州勢力の中心地だったろうね。
大和王権のどの代かで婚姻により九州勢力を取り込んだ名残がある
281 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:21:17.72 ID:YWt6bOP+O
日本(=朝廷の範囲?)の古称から見ても東遷してるよな
豊葦原国が豊国(北部九州)と葦原国(出雲)が統合した名前で
豊葦原之千五百秋水穂国は字に少し自信が無いが『トヨアシハラノチイヲアキミズホノクニ』って読みが重要
トヨアシハラ・ノチ・イヲアキミズホノクニ→先ず豊と葦原が統合した。その後に、伊予(四国)・安芸・畿内が統合された国
ですよってこったもんな。
282 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:27:19.16 ID:YWt6bOP+O
>>275 面白いよな。「隼人」を調べたら出てくる思うけど、大和朝廷側と隼人じゃ「通訳が要るレベル」に言葉が違ったみたいだしな
283 :
281:2013/02/04(月) 09:34:58.56 ID:YWt6bOP+O
「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)」(『古事記』)
だったら豊国+葦原国の後に安芸・長門・伊予・赤穂(畿内)やろね
284 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:35:49.19 ID:V1Mx3qSfO
都→ト ツ
壹→イ ツ ト
285 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:36:37.64 ID:uOPLrgjJ0
286 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:39:35.97 ID:9stahytUO
USA!USA!
※今から1800年前ほどのかけ声です
>>282 「通訳が要るレベル」というレベルだと完全に違う言語ではないのかな?
語系が同じだとほとんど通じないレベルだとしても一人称などの基本語彙は同じってこともあるしな。
この勝負、奈良が有利になった
289 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 09:44:51.54 ID:nip+MGye0
>>278 ツヌガアラシトは任那に帰国し、アメノヒホコは但馬に帰化している。
この二人を同一視する説があるのは知っているが、別人ではなかろうか。
アメノヒホコの五代孫であるタジマモリが、ツヌガアラシトと同じ垂仁天皇の時代に活躍しており、その年代も異なると思います。
290 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:44:52.38 ID:V1Mx3qSfO
今でも通訳は他の業界に比べても女性が多い
つまり巫女とか神託とか、そういうことだろうな
291 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:46:28.40 ID:XHhPAcLl0
邪馬台国は、西暦660年頃に編纂された類書翰苑には「邪なる馬台国」として書きとめられている
されば、阿蘇山の東南陸行三百里の高知保郷馬台(三田井)こそ女王之都と比定される
故此処に、卑弥呼ならびに台与を遥拝し奉る神社なり、神域なり、廟なり、のあるは当然である
周知のごとく此処には、古代より現在に到るも、
天の岩戸にお隠れになられた天照大神を祀る天岩戸神社西の宮
天の岩戸より御出になられた天照大神を祀る天岩戸神社東の宮
の二社が祀られて有る、そこここの氏素性知れぬ古墳遺跡なぞよりはるかに説得力を持つ由縁である。
奈良が無駄な抵抗を続けてるな
韓国気質を感じる
293 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:49:36.01 ID:9stahytUO
隋書では倭の事を(奈良の)大和に都す。魏志の邪馬台国である
って言ってんだから邪馬台国は奈良でおkアルよ
294 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:51:43.96 ID:YWt6bOP+O
>>287 でも沖縄方言と標準語でも『ウンジュイッペーチュラカーギー』=『ヤバいぐらい凄い美人』とか通訳が欲しいよなw
295 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:51:45.26 ID:XHhPAcLl0
巻向で出るのは罪人の生首晒した100本の柱跡くらいなもの、ガクガクブルブル、、、
>>276 大和朝廷が西を成敗した事になってるのだから、」
地名の類似があれば大和から九州でしょう。
大宰府へは左遷扱いされてるのに。
それに地名の類似なら実は四国の方が多いから。
297 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:55:03.56 ID:nMPZYmRTO
最近、畿内説が強いよな
298 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 09:55:55.65 ID:YWt6bOP+O
>>293 だから隋書のそれは、九州から奈良に東遷したって説明にもなるよな。
>>276 似てるのは、「博多湾岸の地名と、大阪湾岸の地名」だろう。
日下にしても難波にしても、博多湾岸に全部ある。
これはほんとうによく似てる。多分、博多のほうがオリジナルと思われる。
3世紀頃、日本のどこかに邪馬台国があった。
当時、中国からの使者は、朝鮮半島から対馬・壱岐を経由して九州北部にたどり着いた。
そこから先はどういう経路か不明。
3世紀頃の時点で、出雲や吉備には大きな勢力があったはず。
4世紀頃、九州の日向にいた天皇家始祖が東征。大和に入って朝廷をたてる。
東征時点で、大和には大きな勢力があり、天皇家は一度は敗走するほどだった。
このあたりは大体みんなも合意できるとかな?
302 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:03:45.57 ID:9stahytUO
>>298 邪馬台国が東遷したという言葉もしくはそれを匂わす表現は隋書には一言も出てこない
単に場所の説明としては、ヤマト、いわゆる魏志で言うところの邪馬台国である、という表現だけ
阿蘇山は出てくるが、中国では珍しい火山があるよ、くらいの説明。もし阿蘇山近辺かそこらに昔(隋書から見て400年近く前ではあるが)
邪馬台国があったなら、それについての説明くらい有ってもいいはずだが、それはない
もちろん無いからと言って東遷が無かったという結論にならないのも当然ではあるけど
303 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:04:28.18 ID:XHhPAcLl0
>>293 隋書は後世の書
>日本の事を、(東京の)千代田に都す。江戸時代の京の都である・・、といっているようなものさ
304 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:05:41.94 ID:V1Mx3qSfO
和も以てナントカて人が
変名で無礼な手紙を寄越しても許してる隋の煬帝 てさ
単に無能だったんだろうね
>>289 確かに別人であるというか、いくつもあった帰化人系の伝承のうち、別の
系統だった可能性もあるね。
って、グーグル先生に聞いたら内藤湖南がタジマモリが卑弥呼の使者だと
言う説を唱えてたみたいね。面白いwww
>>300 4世紀には九州より瀬戸内の方が強力だからね。
まずそこを飛ばすのに無理がある。
征服統合の後もないし単なる流浪にしても移動手段も移動目的もない。
その上、小勢力の九州から出てきた一団が
すでに日本で一番大きな勢力っだった畿内をどうこうできるってのも
多分にファンタジーが混じる。
>>299 博多という名は九州より河内の方が先だよ。
博多がまだ那の津の時代に河内には博多川が存在する。
308 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:15:46.90 ID:1wTUsQxM0
>>233 >この地図は、明の建文4(1402)年、李氏朝鮮で作成されたもので、現存最古の世界地図だ。
(略)
>この地図には不思議な点が数多く存在する。まずは、日本列島。九州を北にして90度傾いた南北に長い国として描かれている。
>魏志倭人伝では、邪馬台国が北九州沿岸の国から、南の方向にあると記述されているが、この地図で南に進むと畿内方面に至ることから、
>「邪馬台国畿内説」の論拠の一つとなっている。
『混一疆理図』より
↑リンク貼れないからぐぐってくれ
>邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で
これって「自称」じゃなくて?
それとも今の研究では常識なの?
つか、考古学の常識なんてゴッドハンド一人で引っかき回されるような脆弱なもんだけどさ
>>308 李氏朝鮮がバカの集まりだったという説を唱えたいwww
別に嫌韓でもないけど。
311 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:19:42.01 ID:XHhPAcLl0
>その上、小勢力の九州から出てきた一団が
甘いね、天孫族が全九州を制覇し、さらに神武東線が成功したのは鉄の力だ
弱小のはずの信長軍が鉄砲3000丁で大躍進したような時代の変化があったのさ
>>281 その説 w からしても、吉備・大和から西伐している事になるなぁ。
豊・葦原のち(亡くなって)だろ w
この"のち"って面白いね、「いのち」と関係あるんじゃないかな?
313 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:21:58.83 ID:5EJFvo+T0
.
卑弥呼と言われている人物は、神功皇后=天照大御神
.
314 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:24:24.97 ID:5EJFvo+T0
何でも卑弥呼に結び付けるのはやめろ
卑弥呼はそもそも人の名前じゃねーよ
偽歴史を観光目的に使うな
卑弥呼は日本に何人いるんだよwww
>>309 いや、お前が何も知らないだけだよ>>脆弱
あれで一時的に困ったのは旧石器の学会だけだが、若い研究者を中心に
正しい方向に構築しなおされている。
316 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:24:56.54 ID:V1Mx3qSfO
半島南部に倭人のエリアを主に作ったのは九州だろうしな
卑弥呼より神功皇后について調べた方が面白いぞ
>>311 そういう形跡が出て来てから考えよう。
九州の小勢力がわざわざ自分たちより強力な瀬戸内の連合に
戦を仕掛ける動機も余力も戦の跡もない
319 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:29:57.01 ID:bo1NM3MP0
奈良盆地に倭国大乱の痕跡無し
>>304 煬帝「基地外には触れたくないなあ。どうせ海の向こうだし」
結局、邪馬台国は奈良でおk?
九州はいたるところに倭国大乱の面影が残ってると思うの
323 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:33:14.28 ID:zhTL8qOT0
港から類推すると
ヤマトは盆地て意味
324 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:33:44.48 ID:V1Mx3qSfO
さすがに応神の主力は九州だと思うけど
畿内説を支持してるけど、ここで唐突に卑弥呼が出てくる根拠はなんなの?
親魏倭王の金印が出るまではナニも確定しないぞ
文献解釈上も最近では三輪山辺りという可能性が高くなってるよ。
大体戦乱の場所に宮なんて造れる訳がないのは常識だろw
卑弥呼の宮は1000人規模で女性が多い、
王になってからは顔を見た者が少ない
弟がいて政事を伝える。
これはある程度隔離されたような土地でないと無理だから。
三輪=御倭と考えるでしょ、普通は。
327 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:35:26.68 ID:XHhPAcLl0
九州勢力は大陸から入れた製鉄技術と阿蘇の製鉄所で軍事力を進歩させたのだ
九州では鉄鏃なぞ捨てるほど出る
それ以来の「鉄は国家なり」だ
瀬戸内連合なぞチャチいもの
329 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:38:32.35 ID:XHhPAcLl0
とうとう畿内説は語呂合わせに堕したかww
こんどはゴッドマウスな
330 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:38:59.65 ID:bo1NM3MP0
畿内説は天皇の発祥が九州じゃ都合が悪い連中の嫌がらせに過ぎん
334 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:41:54.53 ID:bo1NM3MP0
335 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:41:56.36 ID:V1Mx3qSfO
最初のヤマトは単なる土地柄の意味だったけど
古墳(伊奈利山)の造営のころから
開墾した土地を指すようになった
そもそも奈良の由来も土地をナラすという開墾の意味らしい
つまり伊奈利山と奈良は同義だろう
そのうちにヤマト自体が支配者を意味し
その土地をヤマトと称した
ただ卑弥呼の邪馬台国とやらはプロトタイプの土地柄のヤマトで
人工的なヤマトではない
>>331 うちの近所にも西行法師が座ったという石があるぞwww
三輪山が重要なのは名前だけではない。
その周辺一体が日本で有数の丹の山の宝庫だからである。
>>325 見つかるわけないがな、w
属国の証の印章なぞ、持って帰れるかよ。
漢委奴国王印は捨ててあったのを百姓が発見した。
親魏倭王の金印も、対馬海峡の海の中か、どっかのゴミ箱に捨てられたよ。
339 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:44:45.96 ID:yJF+Xrzy0
>>333 いや、皇室=九州発祥と、邪馬台国=近畿は別もんだろう
「万世一系」を信じてる人には都合が悪いだろうがw
341 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:45:22.72 ID:YWt6bOP+O
>>306 だから「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)」(『古事記』)と言ってる
豊葦原国=北部九州と出雲の連合国が出来て後(ノチ)に安芸・長門・伊予・赤穂と降して行ったんだよ
>>327 鉄鍬は近畿地方から製造が広まったのだぞえ・・・・・・
343 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:47:32.30 ID:bDTSdJ2x0
>>325 それを言う前に、そもそも畿内説の根拠は?www
「纏向ってでっかいんだお」
じゃ根拠にならないからねw
>>338 親魏倭王って別に属国って意味じゃないんじゃね。
朝貢国と属国って別だぞ。
345 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:48:47.69 ID:xPGKK4x4P
そのまま読めばいいんじゃ?
邪馬台=ヤマト、卑弥呼=(ヤマトトトヒモモソ)ヒメミコ
でしょjk
邪馬台国の「台」は当時のシナで「ト」と発音したと何かで読んだ
347 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:50:05.55 ID:bDTSdJ2x0
>>339 そもそも、どっちかにしなきゃだめなの?それが不思議だ。
どっちにも王朝があっと考えないのが不思議だしね。
当時の人口考えれば住む場所はいくらでもある。
九州なら、応神天皇の王朝が宇佐近辺に存在して、
それをシナの東スポが勝手に邪馬台国って呼んでただけ。
その後、半島の拠点を失って、西から東に移動した。
349 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:52:29.22 ID:bDTSdJ2x0
畿内説はバカの頭の中でだけ存在可能。
だから消去法で九州。
んで、実際九州と仮定してほぼ全部キレイに説明つく。
畿内説の根拠なんて沢山あるだろw
候補地に候補者、後の歴史の推移に記紀その他の文献。
東遷があったなら紀元前という事で説明がつく。
南九州から畿内邪馬台国の入ったとすればいいだけの話。
九州説には根拠が皆無で妄想しかない。
>>347 九州で言えば、甘木近辺の地名の位置関係は、奈良のそれと酷似してるし。
九州に存在した王朝が、半島からの侵略を恐れて、国ごと移動した先が奈良、
それだけのことやな。
352 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:55:13.86 ID:rWyIBnxq0
そろそろ次のステージに行くべき。
投馬国→但馬〜吉備
狗奴国→熊野
邪馬台国九州説は寂れた地方活性化の話題作りででっち上げましたの様でロマンがないよね
354 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 10:56:43.52 ID:V1Mx3qSfO
>>348 だよな
文字のない古代のほうが中央集権化してたとか
普通に考えて王権が多様化してたのが古代なんだろうし
日本はただでさえ権力の二重構造の時期が長い国なんだしな
>>351 この後も地方豪族合議制で
王朝らしきものは存在しない。
356 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:00:14.43 ID:bDTSdJ2x0
魏志倭人伝には邪馬台国に王の住居としての「居処」、政治を行う「宮室」
物見やぐらとして「楼観」「城柵」があったと明確に書いてある。
そして、纏向で発見されているのは、上の居処のみ。
また、婢千人が卑弥呼に仕えていたと書いてある。しかし、纏向に
千人もの居住跡は全くない。全然ない。
纏向=邪馬台国はヴァカが言う説www
357 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:00:22.39 ID:bo1NM3MP0
熊野でガンガン戦争してたんかいw
358 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:00:53.60 ID:CnxcjMRP0
>>351 >九州で言えば、甘木近辺の地名の位置関係は、奈良のそれと酷似してるし。
大宰府は左遷先だよ?普通の人は奈良から地名を移転したと考えますw
それに地名の類似なら阿波は説明できるかな?
359 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:01:21.67 ID:V1Mx3qSfO
仲哀天皇→実在性が疑われてます
神功皇后→実在性が疑われてます
応神天皇→仲哀と神功の子供として実在してました!
なんやねんコレw
360 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:01:25.58 ID:01zjAWLr0
ヤマタイとか言い始めたのだれよ、本居宣長?
いい加減やめようぜ。
361 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:01:31.08 ID:YWt6bOP+O
>>318 >九州の小勢力がわざわざ自分たちより強力な瀬戸内の連合に
信じられないかもしれないが、吹けば飛ぶような小さな毛利家が中国地方の覇者になったんだぜ?
362 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:02:40.42 ID:bDTSdJ2x0
>>350 オマエはバカだろwww
それは畿内説を支持する根拠にはなってないわクルクルパーwwwww
妄想てんこ盛りはオマエだカスwwwwwwwww
363 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:02:46.43 ID:SOhYdXuUP
/\ この話題ずっと同じことを
∧∧ \/\ 繰り返してきたような・・
/⌒ヽ) / \/\
i三 U \ / \ /\
..〜|三 |\ | \ |\ / \/\
|\(/~U / .| \ |\ / \ /\
/ \ \/ | \ |\ / \/\
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| \ /| /\ へ / \ / .|
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364 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:03:25.41 ID:bo1NM3MP0
畿内説は中国の史書の都合のいいとこだけつまみ食い
つじつまが会わなすぎる
記紀に書かれてる神武の東征すらも説明できない
>>359 しかも応神天皇と仁徳天皇は事績がそっくり。
>>361 大友宗麟や島津が毛利飛ばして日本の覇者にはなれんって事だ。
367 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:05:23.84 ID:XHhPAcLl0
纏向で発見されているのは古墳築造労働者の飯場と台所カスの桃のタネ
100本の柱跡は、罪人を処刑した時のもの、おーこわ
368 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:05:36.50 ID:bDTSdJ2x0
>>363 うんそうね。近畿説がカスだからねwww
>>356な。
引き分けに持ち込もうとするなカスwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>364 ちょっと違う。神武東征が記紀の捏造であることはもう証明されていること。
近畿説が出来ないのは、「なぜ九州から来たという捏造をやったのか?」ということ。
369 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:06:41.35 ID:V1Mx3qSfO
そこで薩長同盟ですよ
370 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:07:06.46 ID:2TaEIfuM0
当時の倭で最も力が強かった国の遺跡を探すと奈良になってしまうのであって
九州の一豪族に過ぎない邪馬台国が倭の事情を全く知らん魏の使者にハッタリかましたって可能性を考慮すべきなんだけど
九州論者ってそこら辺無視するよな
「九州に倭の支配者である邪馬台国があった」ていう願望を捨てない限り九州説はどうやっても無理なのに
>>358 大宰府は左遷先、w
呪われないように北野天満宮拝んで来いよ、
甘木→天城 地名は漢字みりゃ、どっちが古いか明白やろ、
372 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:07:53.98 ID:od2IkhtU0
使い道が良くわからない遺構をなんでもかんでも祭祀用って言うのやめろよw
>>356 >また、婢千人が卑弥呼に仕えていたと書いてある。しかし、纏向に
千人もの居住跡は全くない。全然ない。
すぐ隣に楼閣の絵図が出た鍵・唐古遺跡があるけどw
ここは弥生期に1000人規模の集落ですぜ。
おまけにここは鏡造神社や勾玉造りをしてる場所に隣接している。
もう一つおまけにモモソ生誕の場所ともされてるよ。
374 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:08:14.16 ID:jzZxJjNE0
畿内説叩いてるヤツらが頭おかしそうだから
畿内説で正解だろうな。
375 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:08:27.32 ID:TV+Oj2vZ0
>>350 畿内説も基本的には根拠はないよ
古墳の年代が微妙に合わないから
それに邪馬台国までの1200里の距離も
多めに計算しても関西までは微妙なのよ
どないもならんな、
東スポの記事を信じて、1500年後に議論するアホがいるんだろうな、
>>359 しかも仲哀の親父はヤマトタケルなんだぜw
畿内でも九州でもどっちでも良いが
日本をまとめる集権国家があったような幻想だけは持つな
せいぜい豪族連合が10月に出雲に集まった、その後畿内で集まるようになった程度だからね
379 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:14:16.46 ID:bDTSdJ2x0
記紀が神武東征という捏造をやったことはもうバレちゃったわけだよ。
だから、ではなぜわざわざ九州から来たという捏造をやったのかという
疑問に答えなければいけなくなった。
この説明は、近畿説では事実上不可能。
>>373 アホか。オマエ。奴婢が何キロも離れたところに全部がかたまって
棲むのかよ。
380 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:14:38.69 ID:JCs3zgax0
381 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:16:07.32 ID:YWt6bOP+O
>>366 もっと信じられないし、理解不能すぎて何を言ってるか分からないかも知れないが
同じぐらいの時代に三河の超弱小家だった松平家が幕府を開いちゃったんだぜ?
382 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:16:48.51 ID:bDTSdJ2x0
>>356の通り。
纏向=邪馬台国は無い。
ヴァカが勝手に妄想で言ってるだけ。
繰り返す。
「纏向ってデカイんだぜ〜」じゃ、邪馬台国である根拠に全くなってない。
これは、ぶっちゃけた話し、ニギハヤヒの都で、邪馬台国は全く関係ない。
383 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:18:47.31 ID:XHhPAcLl0
100本の柱跡は、罪人を処刑した時のもの、
纏向は血塗られた場所、うらめしや〜〜〜
>>379 4世紀半ばから北九州に押し寄せた渡来人の影響ではなかろうか
記紀編纂におけるほころびもこの時期に多い様思う。
まだまだ九州王朝説完全論破まで遠そうで安心だわw
386 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:21:48.57 ID:bo1NM3MP0
>>368 いやまさに>近畿説が出来ないのは、「なぜ九州から来たという捏造をやったのか?」ということ。
これを言いたかったのよ
>>375 別に細かな年代は正直もうあまり関係ないけどね。
1〜2世紀に淡路島に大規模な鉄器製造工場があっただけでも
九州説の根拠は殆ど無いに等しい。
>>379 >アホか。オマエ。奴婢が何キロも離れたところに全部がかたまって
棲むのかよ。
やっぱりその辺の事情は何も知らないんだな、当然水運使うでしょ?
不満ならもっと近くにまだ発掘中途の大福遺跡や芝遺跡も控えてるよw
国の中心となる場所は、昔も今も都市の中心だろ、遺構が残るような田舎は昔も今も国の中心であるわけない。
389 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:22:35.53 ID:bDTSdJ2x0
390 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 11:23:55.70 ID:nip+MGye0
>>382 バカほど他人をバカにしたがる。バカと言う奴がバカとは良くいったものだ。
九州のいち豪族が邪馬台国だった可能性は確かにあるな。
纏向は初期大和朝廷(又はその前身)の遺跡だ。
391 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:25:17.82 ID:V1Mx3qSfO
応神「ハシモトくん!大阪維新の会は僕が元祖や!いや本家かな?w
ま、せいぜい気張りや、僕も親父のことよう知らんねん、変死てことらしいけど
君と一緒やな」
392 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:25:37.35 ID:bDTSdJ2x0
>>387 オマエバカだろww
何だそれはwwwwwwwwwww
それが反論になってると思うのか?wwwwwwww
それから
>>356 >魏志倭人伝には邪馬台国に王の住居としての「居処」、政治を行う「宮室」
>物見やぐらとして「楼観」「城柵」があったと明確に書いてある。
>そして、纏向で発見されているのは、上の居処のみ。
スルーしてんじゃねーよカスwwww
>>390 黙れカスw
>>356>>379 スルーして勝ち誇るなゴミww
なぜか2ちゃんではいまだに九州説根強いのは
大阪アンチ関西アンチが多いからなんだろうな
畿内にあってたまるかみたいな
>>381 まあ統一は半ば織豊による物だが尾張は京に近く、交通の要所
加えて農作物豊か。戦の形跡もちゃんとある。
九州w
あんな土人が住んでいる所なわけねーだろwww
>>381 せめて、もうちょっと戦国時代の歴史ぐらい調べてほしい。。。
397 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:27:53.35 ID:XHhPAcLl0
私たちのご先祖は九州から来ました・・・・・、と白状してるのは、
ほかならぬ近畿の昔偉い人たちなんだからな
今さらどうあがいても無理ボ
398 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:29:00.07 ID:Ufrqpep/0
学説的に云々、これも大いに結構だけど、
やっぱりある程度、神話的なモノを子供には教えるべきじゃないかなーと
どこの国でも、建国の歴史を教えるでしょ
ま、日本の場合は曖昧だけど、ザックリ教えていて、その後いろんな学説があるのを知るのと、
ほとんど知らないで俺みたいに今更、記紀を読んでる人間じゃ、違うでしょw
昭和53年に柱穴の一部が確認されてるのに、ずいぶん時間がかかったな。
九州にきてまで関西弁しゃべくる奴が社会的に袋叩きにあうのは
古代遺伝子のなせるわざだと思う
>>397 私の先祖は天から着ましたとも書いてるんだが
日本人って宇宙人だったんですか?
402 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:29:46.96 ID:bDTSdJ2x0
>>392 >それが反論になってると思うのか?wwwwwwww
やっぱ草の数は知能指数の低さの表れだな。
じゃ、吉野ヶ里が邪馬台国とでも?
年代があわないし。70000戸の人口規模も北部九州には
入る場所がないよ、どうするの?
>>379 神武東征の戦いが事実かどうかはともかく、天皇家始祖が九州からやってきたのは事実じゃないの?
海幸・山幸とかの日向三代のあたりの神話は、東南アジア方面に広く分布する神話の
影響を受けまくってるわけで。
天皇家始祖は、もともとは東南アジアとの交流があった地域=九州からやってきた
と思うのだが。
それも、中国大陸や朝鮮半島と交流があったと思われる北部じゃなく、むしろ南部。
>>319 瀬戸内にはあるぞ。
むしろ九州には乏しいから九州に納めるのは難しい、
ということになる。
406 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:31:22.84 ID:XHhPAcLl0
>>401 そう白状してるのは近畿人の先祖、お里がしれるな
古代には通い婚の母系部族社会だったのが、
嫁入りで汎部族的な男系氏族社会に移行したんだわ。
だから古事記でも、
わざわざ大国主の駆け落ちに言及してるじゃん。
それに対して皇族の始祖は遠くから旅をしてきたのだ、
と言うのが神武東征で、じゃあどこから旅をしてきたのか、
九州の南部だ、その前はどこから来たのか、
天から降りてきたのだ、ってのが天孫降臨でしょ。
つまり皇族の始祖にまつわる起源神話が天孫降臨と神武東征で、
天孫が日本を統べるという確認が国譲りなだけだよ。
神武東征したんだから西から勢力が広がったんだろう、
ってのは錯覚なんだと思うよ。
>>393 根拠がないのと矛盾があるからだろどっちの説も
409 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:32:21.62 ID:bDTSdJ2x0
>>403 >>349なw
(オマエバカだろwww)
近畿説ってこのレベルwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>321 おk
邪馬台国をやめてヤマト国と普段から書くように心掛ければ、
自然とマインドコントロールから抜けられるよ。
ヤマタイコク、と読まなければならない理由なんて一つもないんだから。
>>393 アジェンダじゃないが、そのままおかえしするとしか言えないわ、
「邪馬台国」がさしてる国が何処にあるかで、どうしてそこまで必死になるのか理解できん。
九州or近畿なんて、どうして近視眼的な宗主論争のような話になるのだ。
シナの記録に残ってるのは、北部九州の王朝だよ。
そして、南朝鮮(百済〜任那)、北部九州、出雲あたり、近畿地方で、
王朝と呼べるような人がいっぱいすんで文化的生活してる集団が、各地に多数あったって、
どうして思えないのか、理解できん。それが1000年ぐらいの期間を使って、拡大していくなら、
戦争という手段などで、併合していき、だんだんと日本列島一帯ひろがる統一国家ができてきたと普通に考えられんのかと。
412 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 11:33:26.44 ID:nip+MGye0
>>402 そもそも魏志倭人伝なんざ東方見聞録より古い時代の外国人の伝聞記録じゃないか。
記述内容が全て正確だという根拠は何処にもない。
4世紀半ばに北部九州に大量流入した渡来人達が
百済から来た九州から来た中国から来たと言って畿内に入り込んだのはあるだろうが
勢力として各地の豪族を統合しながら畿内入りしたなんて事実はない
414 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:34:35.99 ID:bDTSdJ2x0
>>408 九州説に矛盾は特に無いよ。
ただし、
1.神武は存在した。
2.しかし、東征は記紀の捏造。征服したのではなく、近畿から招かれて
雇われ店長として神武が即位したということ。
と考えれば、だけどね。
415 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:36:28.66 ID:XHhPAcLl0
私たちのご先祖は九州から来ました〜〜〜、と白状してるのは近畿人www
416 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:36:51.30 ID:bDTSdJ2x0
>>412 ↑
な、やっぱヴァカだろ近畿説ってwwwww
それ言ったら近畿説も根拠が無くなるだろがこのバカwwwwwwww
417 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:38:59.51 ID:V1Mx3qSfO
神話ってのは時系列を反転させるためにあるんだな
応神と神武東征
雄略とヤマトタケル西征
418 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:39:05.62 ID:C50ciwzI0
あと、20年ぐらいしたら
学校の教科書から
邪馬台国九州説が消える可能性は大
やっぱり「邪馬台国・卑弥呼」となると
冷静な史実論争にはならんなぁ。
まあ釣れるんだろうけど酷い話だ
420 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:39:09.06 ID:bDTSdJ2x0
>>414で考えれば、古代日本史の謎とされてきたことは殆ど全部説明できる。
九州説とるなら神武天皇雇われ店長説は有力だと思う
神武天皇じゃない代だったかもしれないけどね
通い婚から嫁入りに代わると、
母系部族から男系氏族になるから当然、
さかのぼって始祖の起源神話も生まれるでしょ。
でも実際に起こったことは、
通い婚だったのが嫁入りになっただけなんだわ。
423 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 11:41:09.70 ID:nip+MGye0
>>416 だからワシは畿内説なんかとってないよ。
任那の二重朝貢説をとってはいるけどね。
纏向遺跡から解るのは、そこが祟神天皇垂仁天皇・景行天皇の都だった可能性についてさ。
纏向遺跡に於いて邪馬台国論争なんてオマケだ。
424 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:41:21.77 ID:bDTSdJ2x0
>>421 有力ってゆうか、近畿説はもう完全に可能性ゼロだから
これしか残ってない。
且つ
これで全部説明できる。
425 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:41:36.28 ID:XHhPAcLl0
私たちのご先祖は九州から来ました〜〜〜、と、ご丁寧にも記紀で供述してるのは近畿人
これほど確かなことはないwww
九州説なんていう”説”は存在しないということをまず自覚しないとね。
説と呼べるのは、筑後川流域説とか博田説とか熊本説とかっていう
個々の説なんであって、それの集合体に”九州説”というラベルがくっついてるだけ。
だから、内部的には九州説同士で矛盾しまくり。
427 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:42:31.84 ID:V1Mx3qSfO
だから畿内派の万世一世派が否定しちゃいけないのが神武東遷だな
428 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:43:13.66 ID:bZe8DR5m0
>>418 二、三年のうちに畿内説が消滅して、四国説vs九州説になるだろうなw
>>414 >九州説に矛盾は特に無いよ。
アホ?本当に偏った知識しかないようだな。
九州説では四国をどう説明するのかな?
国生みでも先に生まれた重要な国だけど。
神武東征だって、早い話四国周囲を回って畿内に入る話だぞ。
大和を実質統治するのは阿波から先導した珍彦(うずひこ)だよ。
これなら神武が下りた場所も説明つくぞw
430 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:46:12.78 ID:XHhPAcLl0
うん、九州説を否定すれば畿内説も消えさる運命にある
記紀はそう言う仕掛けになっとるんだが、畿内人はアホだな
431 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:46:13.05 ID:bDTSdJ2x0
>>414がいいところは、従来説明不可能だったところに自然な説明が出来るように
なること。
例えば、ニギハヤヒは、神武に対してオマエとオレはタメだと言ったにも関わらずなぜ
征服を積極的に受け入れたのか?
近畿勢力が被征服民=奴隷じゃマズイ。
かと言って神武が征服者じゃなくてもマズイ。
だからタメだけど征服されますよってアホな作り話しをしたわけな。
「はつくにしらす」お方が二人いるんだから近畿九州に説が別れて当然といえば当然
433 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:46:31.81 ID:ImhWJnE10
もうとっくに奈良で確定していて
今だに九州だのはここにいるキ印ぐらいしか残っていない
カルト信者のような人達
>>426 畿内説は畿内といってるがもう奈良の一地域に限定してるからな
そっから多少のずれはあっても
九州説は県レベルの違いさえあるしもうめちゃくちゃ
畿内じゃなくて九州だという思いだけでやってるようなもん
>>425 今でも大阪西成区で生活保護受けてる人の22%は九州沖縄出身だからね・・・・・
奈良説なんかこの天皇は存在しないこの天皇は架空って言うばかりなり
437 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:49:17.10 ID:bDTSdJ2x0
>>429 wwww
オマエいいわww論外wwww
それが反論?????wwwwwwwwwwwwwwwww
>>434 これ
>>356>>379に反論してから言ってね〜〜
ダメですよお客さん〜〜〜www
438 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:49:19.46 ID:XHhPAcLl0
処刑柱で血塗られた畿内説〜〜〜、うらめしや〜〜〜
ヤマトというのは纒向あたりから始まって日本全体もいうようになった地名なんだけど
(ちなみに山処の意味で山は三輪山らしい)
邪馬台もヤマトと読めるらしいから、纒向が邪馬台国(西日本を中心とした日本国)の
中心地ってことでいいんじゃないかと
440 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:50:15.69 ID:dX8Ubon2O
邪馬台国は中国人が大和国を見下げて馬鹿にして当てはめた漢字なんだよな
441 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:51:28.12 ID:bDTSdJ2x0
442 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:51:48.03 ID:V1Mx3qSfO
伊都国の近くの一大率が邪馬台国なんだよ
仮に一大率が支店だとしても女王国の本店に毎回お伺いしてその返答を持ち帰って
さらに伊都国に伝えてから魏の使者に伝えるとか
当時の情報伝達力からして手間も労力もかかりすぎ
最低でも支社の一大率の独断でやってる
つまり支社長がヒミコだろう
本社がニギハヤヒなんだよ
さらにヒミコに仕えて詔を使者に伝えてたのが伊都国の皇女で巫女のイヨちゃん
443 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:52:05.50 ID:XHhPAcLl0
邪馬台国 → アホな大和国
>>433 奈良になんらかの国があったのは確実だがそれが邪馬台だという証拠が全くない。
>>440 うん、まあそうなんだけど、それほど漢字の意味にこだわってないって考え方もあるようです
音を再現するのを優先したとかなんとか
たしか中国の後の書物で、日本のことを「魏志倭人伝のあの女王国のことです」って言ってたよ
446 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 11:53:58.75 ID:nip+MGye0
纏向遺跡での発見の他さまざまな考古学的発見から、3世紀当時既に大和朝廷(又はその前身)が成立していたことが推測される。
神武東征が史実だったとしても、それ以前のでき事ではなかろうか。
神武天皇と祟神天皇を同一視する説もあるけども、ならなおさらこの時期の九州勢力が邪馬台国で後に東征したとは考えられない。
447 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:54:19.15 ID:XHhPAcLl0
邪馬台国 → ズルな大和国
448 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:54:27.94 ID:bDTSdJ2x0
>>414以外に日本古代史を説明する方法は無い。
と同時に、
>>414ですべて説明でき、深刻な矛盾は何も生じない。
邪馬台国の読みは、大和だと思ってるから、
大和がどこかと言われたら、近畿でも九州でも良いんじゃねと思う。
結局、支配地域が広がって日本全体を大和と呼ぶわけだし。
卑弥呼とかも、どうせ日巫女か日御子と呼んでたのを名前と勘違いしただけでしょ。
>>386 少し違う。トヨの後だと思うが、4世紀末から5世紀にかけての
戦利品の支那系百済・新羅系使役が、下級官僚から
大君家の大物の官僚になり、秦氏のように豪族の同族の使役を
まとめて欲しいと政策を変えるほどの政治勢力になった影響から。
九州生まれの応神の影響も当然ある。
安倍の外遊に石破が政権を取るってのは十分あるでしょうしね。
その時、九州、加羅勢の応援で政権奪取は自然 w
451 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:55:57.43 ID:qxoFAEJ40
卑弥呼は畿内にいたんだよ。
大和朝廷は九州から来たんだよ。
これで矛盾はない。
>>449 古代では名前を直接的に呼ばないから、日の御子様って読んでた可能性は高いよね
453 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:57:34.59 ID:bDTSdJ2x0
よく考えてみ。
通い婚の母系部族だったのが、
嫁入りするようになると男系氏族化するけど、
何が代わったかと言うと、
お嫁さんが来るようになっただけなんだわ。
でも、いずれ子供が、
男系の始祖に関する質問をするんだよ。
455 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 11:58:47.34 ID:XHhPAcLl0
いみ:
邪馬台国 → アホズル大和国
456 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:00:28.72 ID:4MPVyVEJ0
埴輪原人?
邪馬台国が畿内にあったとすると、当時の九州勢力は何で全然動かなかったのか疑問が
多分土地の人間だけじゃなくて半島からやって来た人もいっぱいいただろうし
第一邪馬台国だって他の国と戦争してて魏と誼を通じる必要があったわけだから、畿内に大勢力の遺跡が見つかったからってだから何?って感じがする
もちろん九州で見つかった遺跡にも同じことが言えるが
458 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:01:55.36 ID:zhTL8qOT0
邪馬台国 やばこいつら馬並みだ=巨根族
>>457 動かなかったというか九州北部と畿内は連合国というか一つの国だったんでしょ
ちなみに朝鮮半島の下あたりも日本の領土w
九州南部の熊襲は抵抗していたみたいだけど
460 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:05:43.48 ID:V1Mx3qSfO
やっぱりクマソが狗奴国なんだろ
461 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:06:15.93 ID:ftgt1NBH0
『魏志倭人伝』には、倭人は、鉄を用いたとある。弥生時代後期において、鉄製品は、北 九州から多く発見され、近畿からは、ごくわずかしか発見されない
。そして、次の古墳時代 にはいると、畿内を中心とする多くの古墳から、莫大な量の鉄器が出土している。鉄器の使 用において、弥生時代の北九州と、古墳時代の畿内とで連続している。
『魏志倭人伝』には、倭人が、養蚕を行なっていたことを記している。また、邪馬台国女 王から魏帝へ献上した絹製品の名が、『魏志倭人伝』にいくつか記されている。
弥生絹は、いずれも、北九州のみから出土している。
安本美典著 卑弥呼と邪馬台国より
462 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:07:08.25 ID:rWyIBnxq0
>>457 巻向と九州じゃ人口が違う。土木建築など技術が違う。今でいうと北朝鮮とアメリカぐらいの違いがある。
勝てんわ。
463 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:08:22.31 ID:r+4B79q5O
やまとこくの日のみこさん でおしまい
>>462 奈良は佐賀と同じぐらいの田舎だぞ
塚、バカ丸出しだろう。勉強しろよw
465 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:11:14.86 ID:XHhPAcLl0
いみ:
邪馬台国 → アホズル大和国 お熱をあげて某外国人達に笑われぬようにな。
くだらないが
畿内説・・・記述と矛盾多し
九州説・・・卑弥呼の都がない
どっちかに正解があると思ったら間違いだね。
おそらく西日本一帯の豪族連合をヤマトと言ったのだろう。
これなら卑弥呼の都も絹も鉄もある
467 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 12:13:31.41 ID:nip+MGye0
>>464 もしかして現在の奈良や佐賀の話をしてますか?
468 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:14:19.09 ID:bZe8DR5m0
そもそも畿内説派は、福岡より奈良の方が都会と思っている人達w
>>466 畿内説で記述と別に矛盾しないけどね。
北部九州」をまとめてたのは伊都、奴国なんだし。
だけど「おそらく西日本一帯の豪族連合をヤマトと言ったのだろう」
で正解でしょう。
470 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:15:48.44 ID:zC9bcU0P0
朝廷出来る前は神社が政治をしてたとすると
北九州の神社あるとこかも
この纒向遺跡のあたりに宗教施設(?)があったことは間違いなさそうなので、
そういう国というか集落があったのは確かでしょう。ただ、それをもって「纒向が
魏志倭人伝に書かれた邪馬台国である」とは言えないってことだわな。
どうしても魏志倭人伝と記紀の記述では、ヒミコ=モモソヒメてのに納得が
いかんのよねえ。もしかしたら記紀には描かれなかった女帝というべき巫女が
いたのかもしれんけどさ。
472 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 12:17:58.59 ID:nip+MGye0
>>468 もう一度聞きますが、もしかして現在の奈良をもとに話をしてますか?
それだと平城京も無かった事になりますが。
473 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:19:32.55 ID:+ZL3PRCO0
>>461 「弥生」は東大のでっち上げた妄想、科学的根拠はない。
魏志倭人伝に出てくる絹製品は「糸兼」これは不稔布(フェルト)
「弥生絹」と称している物は織物(稔布)
つまりこれがあるということは邪馬台国でない可能性がある
無いということは邪馬台国である状況証拠の一つになる
>「弥生絹は、いずれも、北九州のみから出土している。」
北九州のみは邪馬台国候補から外れるって事ですね
当時は九州の部族の中で邪馬台国が一歩抜きん出ていたが、残念ながら大和地方にも強大な部族があり、こちらは後に大和朝廷に連なる。
卑弥呼は周りの部族や大和地方の部族から邪馬台国を護らんと、何度も魏に使いを出し貢ぎ物を送って倭王としての金印を賜るが、残念ながら嵐で舟が沈み卑弥呼には届かなかった。
それから卑弥呼も死んで後は没落の一途。
後の方では大和朝廷が九州一円を討伐して終わり。
475 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:21:30.14 ID:kGkKGqEbO
日本書紀が編纂された八世紀なら当然倭人伝も邪馬台国も卑弥呼も倭国大乱も編纂スタッフは知ってたはずで
にもかかわらずそれら一切無視してるのは何故?
歴史改竄してまで隠蔽しなけりゃならない都合の悪い事情があったのか
ただ単に先祖が歴史編纂に無頓着で自国の歴史が適当な神話でしか残ってなかったからなのか
まぁ編纂百年前の記述ですらかなり曖昧な内容からみるに
後者が実態なんだろな
>>468 奈良盆地説はなぜ奈良に権力が集中したか説明できないもん
船で大和川遡ってみればいい、実際には船つかえないから
少なくともこの時代、王は3人いるのよ
そう考えると国王印ももしかしたら3つあるのかも知れない
女王の邪馬台国と
女王国と同盟組んでる伊都国の王
それに対立してる狗奴国の王の3人が
そして伊都国は九州にほぼ間違いはない
>>471 >ヒミコ=モモソヒメてのに納得がいかんのよねえ。
だが畿内説では記述に一番近い存在だからね。
大体記紀で墓造りまで記述された姫は異例ですよ。
子供もいない三輪神に嫁いだ巫女王という点と、
弟がいて瀬戸内方面を成敗に向かうとかね。
まあヒミコではなくイヨという可能性もあるけどな。
479 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:23:15.22 ID:V1Mx3qSfO
イヨ トヨでイトヨ国
壹與はヒミコの後継者とされてるが
ヒミコが一般名詞に対して壹與は個人を意味する固有名詞だろうな
480 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 12:24:38.78 ID:nip+MGye0
>>475 日本書紀では神巧皇后のところで出てくるよ。
仮説としてね。
481 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:24:50.79 ID:XHhPAcLl0
畿内派も、北部九州派も、現在の佐賀より博多や奈良が都会であることを密かに自慢してる
だから伊都国は糸島で、博多〜奈良ルートに近い場所になくてはならなかった
魏志倭人伝を素直に読めば
伊都国は、末蘆国東南陸行500里の佐賀平野にあった。明白にそう書いてある。
482 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:25:22.36 ID:nMPZYmRTO
金印が出土すれば明確なのになあ
>>472 相手側がな。いつも言ってるだろう、九州みたいな田舎にあったわけがないと。
レス読み返してみな
>>475 記紀成立から500年近く前の話だからねえ。
今でいうと例えば北条早雲が生まれた時くらい?文献が残っている
現代でさえ、北条早雲がどこのだれだかはっきりしてない。古代だと
もっとわからなくなってるだろうね。
批判も多いが、偶然だとしてもこれはほんとよくできてるよな。
これを陳寿さんが意図的にやったとしたらすげえ(その目的・理由はともかく)
帯方郡より倭に至るには7000+1000+(400×2)+1000+(300×2)+1000+500+100=12000
帯方郡より女王国に至るには12000里(里数が書かれていない投馬国と邪馬台国は除外)
九州で元邪馬台国が出来て、周辺国を取り込みながら
移動して、畿内で大邪馬台国になる。
ってのはどうだい?
>>482 金印とか王位を証明するのは墓に埋める類の物じゃないしなあ
三種の神器だってどこかの天皇の墓じゃなくて歴代受け継いでるし
>>476 >奈良盆地説はなぜ奈良に権力が集中したか説明できないもん
船で大和川遡ってみればいい、実際には船つかえないから
余裕で出来るでしょ、宇陀に鉱山があるんだから。
それに大和川=竜田越えがあるので攻められにくいのは
神武東征で語られてるでしょ?
ここの通行権を獲ったら力を持つので後に
河内南部辺りに蘇我や物部が集結してるよ。
489 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 12:30:23.65 ID:nip+MGye0
>>483 > 名無しさん@13周年 [] 2013/02/04(月) 12:14:19.09 ID:bZe8DR5m0
> そもそも畿内説派は、福岡より奈良の方が都会と思っている人達w
これあなたのレスですよね?
490 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:30:59.71 ID:XHhPAcLl0
491 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:33:15.69 ID:XHhPAcLl0
いみ:
邪馬台国 → アホズル大和国
お熱をあげすぎて某外国人達に笑われぬようにな
>>476 今を基準にそんなこと言ってもなぁw
飛鳥時代、巻向のすぐ南、桜井あたりが水運の一大拠点だったのは、史料上の確固とした事実だし。
493 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:33:56.50 ID:kGkKGqEbO
>>480 いかにも「えぇそりゃ一応知ってますよ」的な注釈なんだよね
当時のスタッフもうちょっと真面目に編纂してれば
今こういう不毛な論争延々せずともよかったのにな
494 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:35:10.61 ID:FfFjt+s20
個人的には火山噴火とかの自然災害で落ち延びた人が集まって瀬戸内周辺に勢力ができたような気がする。
火山空白地と古代に栄えた地域って大体一致してないか?
495 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:35:38.49 ID:V1Mx3qSfO
たった一人で西征したヤマトタケルの子供の仲哀が
今度は大軍を率いてまた西征してあっさり敗北
死ぬ前にいきなり表れた嫁さんに詰られ
その息子の応神ヤマトタケルの孫は逆に東征しちゃうんですよアータw
オレはまあどっちでもいいんだけどさ。
畿内だろうと九州だろうと、オレの生活に影響ないし。
ただ、邪馬台国と大和朝廷が関係あるとしたら、どうして古事記や日本書記に関連する
記述がないんだろうとか思っちゃうよな。
497 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:36:50.63 ID:ZzynzxhGO
卑弥呼≒日の巫女=*弥生時代末期〜古墳時代中期「太陽神を祀る未婚のシャーマン」と考えて間違いない。
今の神道祭儀とはかなり違う、入れ墨した女性の巫女を思い浮かべています。しかも独身の女性で世襲はしていない。
代々、一族の中から優れた女性をシャーマンとして選び日の巫女と任命された。
ありのままに@札幌より
>>488 鉱山といっても規模たいしたことないでしょ、牽強付会なんだよね、奈良説って
>>491 それなんだけど、中国がそれを名付けたんだよ
(まあ個人的にはそれほど悪い意味じゃなかった可能性もあると思ってるが)
中国にとってアホズルは、すなわち賢く正義ってことじゃね?w
中国は倭国に攻めてこなかったから、実力は認めてたんだろうね
500 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:39:33.90 ID:x0i+X4a60
>>496 そもそもだな
邪馬台国ってのは魏の使者がそう思って書いてただけで
倭国って認識すら当時の日本には無かったんだぞ
ヤマトって呼んでたのを当て字にしただけだろうな
途中までの国の名前が記されていて、いきなり近畿地方に跳ぶのは、どう考えてもおかしすぎる。
普通に考えて、邪馬台国が近隣の部族から使節団を守るために、あえて遠回り、もしくは複雑な経路を通って通っていたためと思われる。
また、邪馬台国は絶えず周りの部族と争っていたから、そんなに豊かでは無く規模は小さかったと見るのが妥当。
この事から考察するに、邪馬台国があった場所は九州の中央。トンカラリン遺跡があった場所くらい。
近くの江田船山古墳では、日本最古の漢字も出土されているから、かつてはここは、そこそこに豊かだったのではないか。
502 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 12:40:06.48 ID:nip+MGye0
>>493 ワシは任那が二重朝貢をしてたんじゃないかという仮説を持っているが
宋書の倭の五王も含めて朝廷側は外交交渉があったことさえ認識してなかったんじゃないかな。
江戸時代でも、対馬藩や琉球王国がやってた二重朝貢を幕府は知らなくて、対馬藩は後に処分を受けてるし。
>>493 わかんなかったからだろ
史書みてみるとこの時代の記述に邪馬台国がある
でもわれわれの手持ちの歴史はそんな昔のこともうわからん
とりあえず乗っけとこうということ
これについても
「神功のとこにのせてるから卑弥呼=神功と日本書紀は言っている」派と
「神功の時代に中国の史書では卑弥呼って人がいるけどうちとは違うからきっちり分けて書いとくねと言ってる」派
二つがある
505 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:40:47.78 ID:FfFjt+s20
>>499 モンゴルあたりでも苦労してるのに攻めるほどの兵を送るってムリゲーなんじゃなかろうか。
使者を送るにしても運ゲーだろうし。
506 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:40:48.86 ID:zhTL8qOT0
記紀当時
朝廷周辺側 あいつ等いばってるけど元は別島出身の田舎者だぜ
天皇側 ようやく神までの結びつきが出来たわい
507 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:41:10.87 ID:ZzynzxhGO
もしかしたら、日の巫女は今日のアイヌの女性と同じように身体や顔に彫り物があったのでは?
ありのままに@札幌より
>>505 モンゴルはすごく強かったんだよね
というか一時期のっとられましたけどw
そのモンゴルさんが日本に攻めてきたときもお帰り戴きましたね
509 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:42:53.82 ID:kGkKGqEbO
>>484 七世紀までの日本は口述が主体で筆記文字を極めて軽んじてたから
尚更伝わる内容が曖昧になるのは致し方ないとはいえ弊害だよな
古代からちゃんと文字を駆使してれば古墳や遺跡からもかなり分析出来た筈なのに
510 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 12:43:45.09 ID:nip+MGye0
>>501 言葉も通じない異国で道に迷ってた可能性はないかな。
ツヌガアラシトという外国人が道に迷って遠回りして大和を訪ねて来た話が日本書紀に載ってるよ。
当時の奈良は何もなかったよ。
何も無いからこそ、吉備が音頭をとって東海などの各地の勢力による連合政権の中心地を奈良に作った。
俺が生きている間に、邪馬台国の場所がわかるのかも。
江原は、わけわからんやつの過去生とか言ってないで、本当に見えるなら
邪馬台国の場所でも聞いとけ。
513 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:45:17.15 ID:x0i+X4a60
>>505 当時倭国の人口って相当すくない
逆にモンゴル=匈奴とかは遊牧民族だが桁が違うぐらい多い
使者が来てこの程度と思えば兵送ってる
5万ぐらいの魏の兵来たら確実に征服されてただろう
それをしなかったのを見ると攻めても難しいと感じたんだろう
>>498 辰砂の採掘としては最大規模と言われてるけどね。
後に東大寺建てる費用もここの水銀が相当使われてるよ。
更にいうなら鉱山の一つの名がイワレ山。
この意味を理解出来ないと東征なんて何の事かわからないよ。
515 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:45:42.58 ID:FfFjt+s20
>>509 インドの口伝って滅茶苦茶正確だという話を聞くけど、使えん奴だったんだなw
ちゃんとやれと言いたいw
ウリ奈良マンセー
517 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:46:15.11 ID:+ZL3PRCO0
>>476 >奈良盆地説はなぜ奈良に権力が集中したか説明できないもん
卑弥呼および神武天皇が偉大な人だったから。
土地ではなく人が要因
邪馬台国は九州だよ、中国に金印もらって喜ぶような弱小国が後の大和朝廷になるはずがない
>>510 道に迷ったなら、行き方として書くのはおかしい。
当時の近隣の国の勢力図と重要地点と連絡体制を加味しないと正確なことはわからないが、少なくとも使節団には邪馬台国の案内人がいるだろ。
520 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:47:44.69 ID:TUWjYRGbO
>>472 3世紀の卑弥呼の時代に平城京はないだろうよ
奈良は仏教伝来以降のイメージあるな
521 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:48:31.70 ID:FfFjt+s20
>>517 この前の東日本大震災みたいなのこそが当時最大の敵だったんじゃないかな。
あんなのが古代に起こったらいくら栄えた勢力があっても全滅だよ
災害に関する地学調査したら案外どうやって成立したか考察する手掛かりになりそうな気がする
522 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:48:44.38 ID:kGkKGqEbO
>>495 神託での記述だと応神は神と神巧皇后との子で仲哀の血じゃないんだよね
ヤマトタケルの血は仲哀で断絶してるんだよねなぜか
523 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:49:43.05 ID:rWyIBnxq0
九州説の最大の弱点は投馬国の比定が出来ないんだよね。
邪馬台国に匹敵する大国が間にないとまずいんだが。
>>511 吉備が音頭というより、弥生後期から3世紀までで最も勢力が強かったのは
吉備だから(というか河内・大和および北部九州の勢力が落ちた)、吉備が東
遷したと考えたほうが自然では?
東海地方(S字甕が関東・中部に広がる理由も含めて)との関係はわかんな
いけど、纒向造都以降の両者には確かに連合的な印象も感じる。
邪馬台国は日高見国で完結だな。
邪馬台国=ヤマト=仙台
奈良=台与の都と考えると辻褄はあうけど
問題は卑弥呼の時代から都を移転してないのかどうか
伊勢の移動と倭迹迹日百襲姫命で三輪山の神を考えると
都が移転してないとは言い切れない
527 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:54:20.73 ID:XHhPAcLl0
>>523 九州説といっても、古びて安っぽい伊都国糸島説の北部九州派のやつだろ
魏志倭人伝の記述通りに伊都国を佐賀平野に比定すれば、投馬国に相当する立派な国が有る
528 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:56:02.17 ID:uv5q5NQk0
>>418 本来なら70・80年代にも消えていたんだろうね。
それがマスコミ主導で(まあ学者先生もそれに乗っかたんだがw)『邪馬台国ブーム』なるものが作られ
それがいまだに影響してると…
「邪馬台国論争」なるものが未だにあると思ってる馬鹿が多いことwww
>>526 巻向が突然計画的に建設され始めるのは200年前後。
トヨからとするのは年代が合わない。
530 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 12:58:16.65 ID:ZzynzxhGO
邪馬台国の時代は、とにかく現代の日本列島とは違います。
言葉も違い、風俗習慣も異なり、宗教も現代の宗教=神道・仏教などまだ日本に導入されていない時代です。
卑弥呼の時代からあとになって物部神道が隆盛します…
その時代の宗教は、おそらく北方系統のシャーマンの系譜。
ありのままに@札幌より
ミッチ、早くジーグーパーツを!
532 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:02:13.22 ID:ZzynzxhGO
現代人は、遺跡から発掘さてた銅鐸の使い方なんて誰も知りません。
しかし卑弥呼の時代は弥生時代末期。この時代に銅鐸を使っていました。
ありのままに@札幌より
533 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:02:47.69 ID:GzqFq301O
九州には何も無いよね。
534 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:03:40.98 ID:V1Mx3qSfO
>>522 やはり神話は時系列を反転させてるじゃないかな
どう考えてもヤマトタケル神話で
応神の後の雄略がやった実績の西征の後先の順番を変えた
問題はなんでかだよね
有力な王号と血統が二つ以上あったが
これを記紀を作成したさいに強引に一系統にしたためだろう
しかし、応神のところではどう足掻いてもそれが限界だったんだろうな
邪馬台国の畿内派の本質はこの一系統「神話」の維持だと見てる
とっくに奈良で決まってんのに
九州のやつが未だに揚げ足とりでゴチャゴチャやってる状態だろ
536 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:04:19.25 ID:661U+1SZ0
これまでの歴史家って馬鹿ばっかりなんだな
魏志倭人伝の邪馬台国が実在するわけないじゃん
中国人の役人が話盛って報告書書いたに決まってるじゃん
そもそも言葉も通じない国にやってきて、内地に踏み入っていくわけ無いだろ
日本の海岸についたらそこのちょっとした集落でジェスチャー交えてなんとなく情報得て創作活動開始ですよ
小説ですな
ほら女が怪しげな呪術で国を納めてるって面白いだろ?
面白すぎて卑弥呼卑弥呼って現代まで伝わるくらいだから、文才ある中国人だったね
537 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:05:05.82 ID:8eJVh4RwT
魏志倭人伝によると邪馬台国には四つの官があったと記されている
伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳と(革に是)
伊支馬・・・・イコマ、生駒であり奈良盆地の地名で垂仁天皇の別名が伊支米(いくめ)
弥馬升・・・・ミマスと読めば、孝昭天皇の別名が御真津(みまつ)
弥馬獲支・・・・ミマキと読めば、崇神天皇の別名が御真木(みまき)
奴佳と(革に是)・・・・天皇名にはないが中処とよめば「中央」の意味になる
それぞれの天皇の御陵地を調べると中処を囲むように存在している
卑弥呼は中処にいたとすると、奈良県田原本町がその所在地になるが、市街地になってるため
発掘作業がおこなわれていない
村井康彦「出雲と大和」(岩波新書)
538 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:05:28.30 ID:GzqFq301O
遺跡で考察しても大和国だし。
古文書で考察しても大和国。
いったい九州説に何の根拠があるのか?
ほくそ笑む
官名だすとミミで困るだろ近畿説は
ビルドアップ!バンバンバンバン♪
九州には矛盾がないんじゃなくて何もないだけw
畿内説に鉄と絹のこと言えば幼稚園児みたいないいわけするから
何も手がかりがないからこそ怪しいこともあるわけよ
544 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:12:40.46 ID:V1Mx3qSfO
文字のない古代のほうが巨大な統一連合国家があった
いきなり帝政ローマが先にある考古学的逆転理論で
抵抗してるのはクマソと狗奴国であるが
どちらも取るに足らない小国で別物だけど
魏に錦御旗をくださいと朝貢して頼み込んでるですよね
九州の妄想説に付き合い良すぎ
546 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:14:30.51 ID:GzqFq301O
>>542 鉄なんか日高見国でも取れた。日本刀のルーツは東日本だ。つまり製鉄技術だ。
547 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:14:54.34 ID:XHhPAcLl0
いみ:
邪馬台国 → アホズル大和国
>>529 都が移転したとしても
何もない場所に作らなければいけないコトない
549 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:15:58.91 ID:kGkKGqEbO
>>534 実際は何度も断絶してその都度新たな大王推してたのを
むりくり一系統に繋げちゃったもんであちこち齟齬を生じてるんだよな
今の皇統は継体が始祖かな?それとも欽明かな?
>>534 記紀にそんだけの深い思惑はなかったんじゃね?
4世紀末から5世紀初めにかけて行われた倭国の朝鮮半島侵攻。
好太王碑から、この侵攻があったことはほぼ事実だが、これが記紀が編纂された
8世紀初めの時点で、日本側では記録も記憶の伝承もろくに行われてない。
いつ、誰が、朝鮮半島のどの国を攻めたかということすら、まともに伝わってない。
伝わってたのは、「遠い昔、大王の誰かが朝鮮半島に攻めに行った」程度のことだけ。
西征も、順番を意図的に変えたのではなく、伝承があやふやになりすぎてて、「西征はあった」
ということは伝わってても、いつ、誰がやったのかはあいまいで、時系列も混乱したまま
伝わってたんだろう。
551 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:17:30.16 ID:GzqFq301O
九州はクマソのくせに、ウリナラこそが倭人ニダとか言って、九州より東方を、異人と侮蔑するキチガイ。
琉球方言のヤマトゥは本来は生活圏から離れ過ぎてる畿内人でなく九州人のことだったんだと思うんだよね。
つまり九州にヤマトゥ(=日向の山幸彦?)が居て、巍にも使者をだしたりしてた。
で、ヤマトゥ国が東遷しながら東征して行った時に畿内には
神武(もしくはそのモデル)が敗走するぐらいの強国(纏向とか)があったのも東征神話の範囲内だし
隋書で奈良の地を首都にする大和は巍史のヤマトゥ国と同じ、と書いてあるのと何の矛盾もない。
地方の小国が天下取るなんて実例は歴史の中にいくらでもあるしな
553 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:19:03.78 ID:C50ciwzI0
九州説を唱えてる奴は
吉野ヶ里遺跡が発掘された時
「ここが、邪馬台国です」とか言っちゃう馬鹿者w
伊狗馬 都弥雄 額厭真江 綾目逝 などの地名が魏志倭人伝に出てくれば奈良決定的だな
奈良は田んぼばっかりだから掘り返すの楽だけど、博多とか北九州市は掘り返すの大変だね
556 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:21:55.58 ID:GzqFq301O
>>553 今朝日新聞で邪馬台国報道についての連載やってるけど
吉野ヶ里は完全にマスコミ向け、地域振興のためやったというのがよくわかる
畿内説の学者がマスコミ引き連れて吉野ヶ里いくわけだからなw
プロレス的というか
近畿説は九州説を妄想と決めつけてもいまだに金印は出てこないよなw
559 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:23:10.90 ID:tVbUWcP00
>>553 彼等、それも恨んでるらしいよ
初めから学者連中は吉野ヶ里は違うと知ってたのに黙認したから
故に自分達は吉野ヶ里がダメになって九州説になったのだと
つか、まだまだこんな大物が発見されるんだなぁ
もういっそのこと奈良全域掘り返した方が良いんじゃね
562 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:25:41.53 ID:kGkKGqEbO
>>550 古代の人には「言葉にいかに魂(本質)が宿ってるか」が問題で
中華みたく文字で歴史を正確に記録する事はさほど意味の無い事だったんだろうな
まぁそのせいで今おおいに迷惑してる訳だが
563 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:29:35.18 ID:GzqFq301O
茨城県だな。常陸(日立)は、国之常立神が国主となった、日高見国である。高天原である。
ここから、地上界の中央、つまり幕府を大和国とし。
辺境の九州に、ニニギをおいた。
つまり、九州は地方であって、邪馬台国は大和国にあった。
はい論破。
564 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:29:44.82 ID:zC9bcU0P0
565 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:31:58.08 ID:8eJVh4RwT
魏志倭人伝では邪馬台国は狗奴国との交戦状態になって以後のことは書かれていない
狗奴国=熊襲とすると九州の勢力と戦争になったのだろう
多分狗奴国による邪馬台国侵略が神武東征でこれによって大和朝廷ができたと考えるべきなんだろう
天皇家は九州勢力、もっと言えば縄文系なんじゃないかな
>>556 山幸彦の兄の海幸彦が隼人の先祖とされてるからじゃない?
記紀を元に強引に日本の歴史を考察すると、九州勢力が東征して近畿を征服、しかし段々力を蓄えた畿内豪族たちが崇神かどうかは知らんけど、とにかくある段階で天皇位を乗っ取る
(以後、神武の子孫は畿内隼人として生きることに)
しかしその後も隼人の根拠地・南九州との戦いは続き、8世紀になってようやく決着が着いた…と
567 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:33:50.66 ID:bo1NM3MP0
中国の史書からして倭国と大和は別で、大和に統一されたって認識じゃん
568 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:34:30.60 ID:GzqFq301O
九州に縄文系いないだろ。
569 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:36:53.21 ID:bo1NM3MP0
570 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:37:54.95 ID:GzqFq301O
>>566 九州は、ニニギが天孫降臨した、単なる辺境の地。その孫なんだから、そりぁ海幸もいるだろう。
ただ、それだけのこと。
571 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:39:54.01 ID:C22OU0W60
纏向遺跡が邪馬台国最有力候補地なら狗奴国の最有力候補地は現・愛知県西北地域の
一宮市萩原遺跡を中心とした中島遺跡群が最有力候補地だなぁ。
因みに中島遺跡群は纏向、吉野ヶ里、と同規模の遺跡群だ。
>>567 旧唐書の日本と倭国が別という認識は単なる混乱。
573 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:40:42.15 ID:zhTL8qOT0
古事記 神話が主、天皇伝はおまけ(背後の思想や主義が主なので別名が多い)
日本書紀 神話部分ははおまけ
574 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:42:00.00 ID:gQ3+RqXc0
邪馬台国ハワイ説
神話どおりに行くと、天皇家始祖は、まず出雲の地に降りたって、その地を治めていた
大国主命一族を殺害し、出雲の地を乗っ取る。
ところが、出雲を本拠地とせずに、九州の日向まで移動し、そこを本拠地とする。
日向で海幸・山幸が生まれ、山幸の孫に神武天皇が生まれる。
神武天皇が、九州を北上し、中国・瀬戸内を経由して近畿に入ろうとするも敗走。
それで、南から回り込んで、熊野に上陸してそこから近畿に再侵攻して近畿入り。
神話での天皇家の移動をおおむね正しいとし、邪馬台国が近畿にあったとすると、
「邪馬台国と大和朝廷は基本的に無関係」という話になるわな。
576 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:43:51.63 ID:H8O5r9pz0
伊都與角
>>566 物部が元の隼人(の一族)だって説もあるのよね。
578 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:45:08.80 ID:bZe8DR5m0
無関係なのに無理やりこじつけるのが畿内説ww
579 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:46:30.67 ID:BFRxfG/y0
卑弥呼が女王に共立されたころの畿内は、鉄器も殆ど無い遅れた地域。
銅鐸を崇める出雲の支配下にある単なる下部組織。
こんなところが邪馬台国のはずがない。
580 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:46:47.53 ID:GzqFq301O
>>575 おおむね正しいとするのに何で年代を無視するの?
邪馬台国が大和朝廷の根拠がわからん
信長が活躍した40年後には江戸幕府でしょ。それで信長が江戸にいたと主張しているようなもの
582 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:47:20.89 ID:zhTL8qOT0
大国主命は今で言う中央集権主義思想みたいなもの
「命」は根本の考え方て意味
近畿派と九州派…この二つの派閥は、原因も定かでない論争を百年も続けていた。
はじめは局地戦が続いていたが、おれが論文発表するころには戦線が拡大し、
二つの派閥に属する200余りの研究機関が戦火に巻き込まれていった。
おれは戦った。はじめは生まれ故郷の奈良のためと信じて戦った。
だが、戦いは長引くばかりで終わりがなかった。おれは疲れた。誰もかれもが疲れていた……
>>575 記紀自体しょせん「作り話」なので、前提が間違ってます。
正直いって学者的に邪馬台国が九州にあろうと奈良にあろうとどうでもいい話だそうだ
その時代に畿内に大きな政治的権力があってのちの大和朝廷につながるような統一政権となったということが重要で
邪馬台国が九州でしたとなってもそうですかで終わる(まあそんなことはありえないけど)
586 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:53:22.36 ID:GzqFq301O
天孫降臨なんて高天原からみたら辺境の地なんだよ
スサノオは朝鮮で天孫降臨したり出雲で天孫降臨したり
ニギハヤヒは大和国だろ
ニニギは日向だ
ようするに高天原は機内でも九州でもない、当然朝鮮でもない
高天原は茨城県だ
邪馬台国は大和だけど
現在は畿内説が一番有力だよ。
卑弥呼の人物特定としては、孝霊天皇の皇女倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそ
ひめのみこと)は、『日本書紀』の倭迹迹日百襲姫命または倭迹迹姫命、『古事記』の夜麻登登母母曾毘賣命が、
近年、卑弥呼と同一人物として推定される候補の中では最有力の説となってきている。
『日本書紀』により倭迹迹日百襲媛命の墓として築造したと伝えられる箸墓古墳は、
邪馬台国の都の有力候補地である纏向遺跡の中にある。
1の記事がなんで卑弥呼と結びつくのかは以上の理由がある。
588 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:54:34.60 ID:8eJVh4RwT
>>575 無関係でしょう
奈良にあった邪馬台国を神武東征で征服して成立したのが大和政権
ただ邪馬台国は敗戦したのではなく、帰順した=国譲りをしたことになってるから
出雲族の政権だった邪馬台国は滅びたけどその国譲りの見返りに出雲大社がつくられたことになる
三輪山信仰を始め、奈良の神々が出雲の神ばかりだというのは邪馬台国が出雲族の国だったことを
示しているからね
>>585 話題になって金が出る(場合がある)から、お互いに言い合ってるだけ
だと聞いた。学者的には資料や発掘したものが全てだから、現時点では
なにもわからないでFA。そこを外野がああだこうだいうのが楽しいし、正しい。
590 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:54:52.95 ID:V1Mx3qSfO
古代のゴッドハンドは神話作成
現代のゴッドハンドは炭素年代法をいじくる
たった40年をいじくっただけであら不思議
>>581さんはうまいこと言うなぁ
>>580 実在が確認できる最古の王と言われる応神天皇が3〜4世紀あたりの人間でしょ。
さすがに神武東征で開かれた畿内の大和朝廷が邪馬台国の原型とすると、
色々と計算あわなくない?
卑弥呼から100年後の人間が応神ってのは、さすがに伝承とうまくかみ合わんかと。
畿内にあった大国は邪馬台国ではなく狗奴(=熊野)国である
紀伊〜狗奴韓国(任那)にまで至るなかなかの勢力圏を誇る
楽浪帯方周辺の浪人や製鉄屋を吸収して軍事強国に成長、
魏と敵対して246年には帯方太守をぬっ殺す
247年、魏の傀儡、九州邪馬台国が東征してくると老女王もぬっ殺す
266年、魏が滅亡するとトヨタン13歳ロリ嫁を貰って邪馬台国と和睦した
…という夢を見た
593 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:55:46.41 ID:bo1NM3MP0
記紀が作り話だとしても、何ゆえに九州から侵攻したなどと書く必要があるのか
高千穂なんて、非支配者層の視点だぞ。
どげんか高千穂で天孫降臨したんのです!
って、非支配者層の視点だろw
九州はありえん
ホント集権国家幻想が好きだな。カルトに嵌るぞ君らw
日本書記や神話の組み立てが権威付けだからそういうミスリードに乗せられるのだろうけど・・・・・
596 :
sage:2013/02/04(月) 13:58:04.55 ID:BFRxfG/y0
しかしレベルが低い低すぎる話にならん
2ちゃんねるの日本史板ですら着いて行けないだろうな
597 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:59:38.32 ID:V1Mx3qSfO
やっぱ熊野と熊襲と同じグループなのかな
598 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 13:59:41.83 ID:zhTL8qOT0
高天原は神の生まれる場所、神とは力や方向性の根本性質の分類
何でもかんでも実在の人物や場所に当てはめても無意味。
>>475 つまり、伝承に忠実で史実のための創作はしてないのよ。
だから矛盾が多いし、変だなぁも多い。
ただ当てはめようとか他では創作臭いところはあるけどね w
600 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:00:59.47 ID:C50ciwzI0
まずは神武天皇実在説を否定することから始めよう
601 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:00:59.79 ID:bo1NM3MP0
>>597 南九州〜紀伊半島〜房総半島って海流のあれで関係深いっぽいね
倭迹迹日百襲媛命(やまとととひももそひめのみこと)
生没年不詳(生年:紀元前92年以前) - (没年:紀元前88年以降)は、
孝霊天皇(紀元前342年 - 紀元前215年)の皇女。
巫女的な性格をもつ。
紀元前92年に崇神天皇に頼まれて、災害がつづく理由を占うと、三輪山の大物主神が
神懸かりして、我を祀れば国は治まるといった。そこで崇神は、神の娘大田田根子を大
神神社の神主にすると、平和になったという。紀元前88年には、四道将軍の一人、大彦
命がきいた童歌から武埴安彦命の反乱を予言したうえ、彼の妻吾田媛と二手に分か
れて攻めてくるとも予言し、的中させている。
>>380 それも興味深いが、同時期の金印とよく似てる
江戸時代に模造することは不可能
>>343 邪馬台国への航路を長々と挙げていくつかの国を通過してるとこを見ると瀬戸内海だな
従って畿内説をとる
邪とか卑とかネガティブな漢字って魏に見下されてたんだろうなぁ
そんなのを日本史の最初に習ってなんか変な感じ
日本で最も有名な女か
>>588 なんか言ってるコトがおかしくね?
邪馬台国=出雲族の国だと
邪馬台国は蛇神信仰だぞ
それでヒミコって・・・
607 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:07:20.09 ID:8eJVh4RwT
>>603 それは違う
魏志倭人伝で書かれた航路は日本海と考えるべき
出雲を経て久美浜湾から上陸して陸路10日で邪馬台国
>>605 確か歴史上の人物で1番の有名人だったような 認知率99%ぐらいの
箸墓古墳(はしはかこふん)
纒向遺跡の箸中に所在する箸中古墳群の盟主的古墳であり、出現期古墳の中でも
最古級と考えられており3世紀半ばすぎの大型の前方後円墳である。この古墳を、
『魏志』倭人伝が伝える倭国の女王「卑弥呼」の墓とする(邪馬台国畿内説)説もある。
従来、構築年代が3世紀末から4世紀初頭であり卑弥呼が死亡したされる3世紀前半
との時期にずれがあるためその可能性は少ないといわれてきたが、最近年輪年代法や
炭素年代測定法による年代推定を反映して古墳時代の開始年代を従来より早める説
が提唱されており、箸墓古墳の築造年代を卑弥呼の没年(248年頃)に近い3世紀の
中頃から後半と見る説も出てきている。
現在は宮内庁により第7代孝霊天皇の皇女、倭迹迹日百襲姫命大市墓(やまとととひ
ももそひめのみことおおいちのはか)として管理されており研究者や国民の墳丘への
自由な立ち入りが禁止されている。倭迹迹日百襲姫命とは、『日本書紀』では崇神天皇
の祖父孝元天皇の姉妹である。大市は古墳のある地名。『古事記』では、夜麻登登母
母曾毘売(やまととももそびめ)命である。
>>602 崇神天皇は配下が魏の使者に「ああ、モモソヒメがこの地を
納めてるんですよ。男王はたんなるつけたし」って言われて
黙ってたってことだよなwww
>>608 小野小町は?いや別にどうでもいいけど・・・
612 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:11:25.92 ID:tVbUWcP00
>>603 その同時期の金印とやらが怪しくね?
今の中共が見つけたんだから
>>593 神功皇后自体が斉明天皇の幻影なので、九州から大和へ帰る理由が必要となる
亡くなってしまったからね
中大兄皇子が遺体を伴って帰ったとき、皇族の誰かが反乱したというのは事実なのかもしれん
日本書紀の話の多くは、制作年代の事件をネタ元としてる
関係者先生方の本音
確定したら本が売れなくなるから、確定するな
邪馬台国と言われる国は渡来人徐福一行の末裔が作った国だろ
徐福一行が上陸したと言われる筑紫平野にはヤマトと呼ぶ地名が多い
徐福が初代天皇の神武天皇とも言われている
616 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:14:16.04 ID:bZe8DR5m0
>>607 トンデモ野郎の相手はしたくないが、
前方後円墳の拡がりは畿内を中心として瀬戸内海を西へ広がっている
最初期の前方後円墳で大型のものは九州北部にはない
むしろ宮崎県の西都原には存在している
日本海などまるで無関係
>>615 そういえば徐福一行が最後に上陸したとされる静岡に
前方後方墳の辻畑古墳があったな
>>613 反映法ってやつか
さすがにその考え方は50年くらい古いぞ
620 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:18:34.00 ID:nuHe8uLe0
>>189 ありがとう。
そうするとヒミコという読み方さえあやしいし、ヒメミコだのなんだのいうなぞらえも殆ど無意味だな。
>>192 俺もそれが知りたい。
学者は調べてないのかな?
>>581 古墳時代の開始がこのあたりまでさかのぼってきたからだよ。
古墳時代=大和朝廷まで否定するような馬鹿ならもうしらんけど。
>>617 当たり前それは大和朝廷成立後のことだから
邪馬台国の時代では日本海航路がメインだった
それは日本海流によって航海が可能だったから
瀬戸内海は風がなく航海は困難を極めた
神武天皇の東征は瀬戸内海だが苦労している
>>613 さらに中大兄皇子(天智天皇)の次の天武天皇の系譜があやしいとなれば
記録としてはどんどんあやしく感じられるんだよねえ。面白いからいいけど。
625 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:22:10.19 ID:GzqFq301O
九州説は諦めが悪いぞ。
626 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:22:29.36 ID:kGkKGqEbO
>>610 それから四百年経た隋書倭国伝ですら
日本の大王は「阿毎多利思比孤」って男王が統治してるってあって
推古女帝の存在ガン無視してるんだから困ったもんだ
>>189>>620 お前ら本気でらないのか?
その理由を
中国人が漢字を研究する際に日本の資料が不可欠なのを
628 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:24:15.12 ID:UPnt3niY0
>>523 豊芦原国ー豊(女王国)芦原(出雲=投馬国)
>>622 瀬戸内海は潮の満ち引きで水流が変わり、驚くほどの速度で船を運ぶ
無知をさらす前に勉強したまえ
>>620 むしろ学術としては、その中国人が当てた音を元に、
当時の倭人の発音を推定するという方が本流だと思うが。
631 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:26:10.62 ID:C22OU0W60
因みに前方後方墳の発祥地も愛知県西北部(尾張国)の
低地部なぁ。
632 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:26:21.14 ID:zhTL8qOT0
>>609 夜麻登登母母曾毘売命、ではなく夜麻登ゝ母ゝ曾毘売命
やまとすもすそびめ=やまと巣燃すぞひめ命
これで、倭迹ゝ日百襲姫命と概ね字義が合う
633 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:28:32.54 ID:GzqFq301O
高千穂の神主さんや
阿蘇の神主さんは
今頃、顔真っ赤?
箸墓伝説
神話のなかでは、三輪山の主である大物主命と神婚する女性として有名である。
倭迹迹日百襲姫神と大物主命との神婚の話は、いわゆる箸墓伝説といわれるもので、
「日本書紀」の崇神天皇の条には、次のように記されている。
倭迹迹日百襲姫神は大物主命の妻となったが、夫は夜に通ってくるだけで、その顔
を見ることができなかった。そのことに日々不満を募らせた倭迹迹日百襲姫神が、ある
夜、是非顔が見たいと強引に迫った。そこで大物主命は、「朝になったら櫛箱に入って
いるが、姿を見ても決して驚くなよ」と告げた。翌朝、櫛箱を開けた倭迹迹日百襲姫神が
中にいた小さな蛇を見て驚き叫ぶと、蛇はたちまち若者の姿となり、恥をかかされたこ
とを激怒して、大空に飛び上がって三輪山に登ってしまった。それを見て自分の行為を
後悔した倭迹迹日百襲姫神は、箸で女陰を突き刺して死んでしまう。箸は丹塗矢と同
様に、来訪する神が宿る依り代と考えられ、箸で女陰をつく話は、妻となる巫女と神の
交わりを象徴するという。のちに倭迹迹日百襲姫神が葬られた墓は、昼は人間が、夜は
神が作ったといい、それを当時の人々は箸墓と呼んだという。現在、その墓とされるの
が大和(奈良県)の三輪山麓西側にある箸墓古墳で、日本でもっとも古い巨大古墳(全
長約280m)である。
>>633 高千穂は邪馬台国とかもともと言ってないような?
636 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:33:59.51 ID:nuHe8uLe0
>>627 意味不明。
漢字は中国発祥だろ。w
日本の「音読み」 はすべて当時の中国の読み方(漢音、宋音等)をもとにしているんだが
>>634 卑弥呼の墓って径百歩とかあったと思うけど、箸墓説は後円部の径が
そのくらいだという話なの?
神武東征は皇族の男系始祖の起源神話だから、
勢力の拡大がどうとかとは関係がないでしょ。
皇族の始祖は旅をしてきたマレビトだった、
と言ってるだけで、古くは母系部族社会だったのが、
有力な部族に嫁入りが行われるようになって、
男系氏族化すると、始祖の起源神話が生まれる。
地味に重要なのは皇族に男系氏族名がないことと、
皇族から日の巫女である斎宮が出てたことだよ。
640 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:35:14.79 ID:bIBq1U5GO
旧唐書に倭国伝と日本国伝が別々になってるのはなぜ?
641 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:35:32.84 ID:kGkKGqEbO
>>630 さっきの自己レスで出した
阿毎多利思比狐=あまたりしひこ=天垂りし彦なんかまんまそうだな
阿輩懸弥=おほけみ=大王もそう
その辺でみれば卑弥呼なんかはひのみこ=日御子(巫女)でいいんだろな
>>556 >何でクマソがヤマトゥなん?
ヤマトゥ(山人?=山幸・大和)と隼人(ハヤトゥ?=海幸・狗のマネする)は別でしょ 熊襲のクは狗かもね〜っと
>>637 現状での規模は墳長およそ278メートル、後円部は径約150メートル、高さ約30メート
ルで前方部は前面幅約130メートルで高さ約16メートルを測る。その体積は約37万立
方メートル。周辺地域の調査結果から、本来はもう一回り大きかったものと思われる。
644 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:38:05.91 ID:bo1NM3MP0
>>640 畿内説のひとによると、都合よく混乱してたらしいw
>>626 聖徳太子を倭王と間違えたとか、推古は女だからナメられるので隠していただの、
ちょいと苦しいんだよね
裴世世は一年も滞在している
この場合、中国側に嘘を書く動機はない
おそらく、最初の女王は斉明(皇極)天皇なのだろう
万世一系をひねり出したのも斉明だ
我が子と子孫を永遠に天皇とするための母親の執念だよ
そのために、“昔から”女が天皇になった時代もあったと言いたくて、
推古やら飯豊だのを作り出している
>>643 ありがとう。
昔の一歩は1.5mもあったのか、僻地にそんな大きな墓が作れるとは
思ってなかったのか、あるいは適当にきりのいい数字にしたのか。
まあ大きすぎるってのが否定する根拠にはならんか。
647 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:41:30.35 ID:C22OU0W60
卑弥呼は尾張氏系譜に記される、天火明六世孫、宇那比姫命(うなびひめ)だろう。
それとも倭姫命かなぁ?
>>644 旧唐書は出鱈目が多い
本紀と伝とでまるで違うことが書いてあったり、誤字も凄まじい
そのため後に新唐書が編まれるはめになった
あれをまんま信じると古田武彦のようになる
649 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:43:18.99 ID:GzqFq301O
もう九州人の郷土愛から来る九州説は諦めようよ。
>>121 ポジション的には田中角栄の子の田中真紀子のポジションだったからね。
しかし、田中真紀子は結婚し非常に利己的で傲慢で口が悪いのに対し、パククネは独身で
聡明で客観的に物がみれる。
個人的な資質が全然違う
651 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:48:49.89 ID:bo1NM3MP0
畿内説は辻褄が合わないからキモチワルイんだよ生理的に
日本神話もあるんだし始まりは淡路島=邪馬台国でいいんじゃね
653 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:50:32.79 ID:ZzynzxhGO
卑弥呼時代は、イギリスではブリテン時代。
伝説のアーサー(アルトリゥス)が異民族の侵略に苦戦して、撤退したころ。
熊祖も蝦夷をケルト人に置き換えると面白い。(笑)
アルトリゥスは映画キング・アーサーの主人公。
ありのままに@札幌より
654 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:51:10.03 ID:XHhPAcLl0
畿内説のよりどころはキキ、キキ
655 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:51:50.20 ID:bo1NM3MP0
>>639なんかが辻褄合わない典型で、
それで疑問を持ってる相手が納得するとでも思ってるのか不思議
なんでわざわざ九州から侵攻したなんて記紀両方に残す必要があったのか
656 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:54:18.14 ID:kGkKGqEbO
>>645 推古女帝が後世の創作だとしたら
厩戸皇子が大王だったのか
押坂彦人大兄皇子が大王だったのか
それとも蘇我馬子が大王だったのかが問題だな
657 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:56:06.02 ID:bo1NM3MP0
なにも九州が当時の日本の権力の中枢なんて九州論者は言ってない
ワンノブゼムで、たまたま中国に近かったってだけだろ
なんで卑弥呼の時点で、少なくとも西日本統一みたいな話になるのか>畿内説
658 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:56:09.61 ID:ZzynzxhGO
ちなみに、蝦夷の英雄アテルイは異民族ではありません。
たぶん、ふつうの東北の豪族でしょう。
ありのままに@札幌より
660 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:56:45.21 ID:UPnt3niY0
>>588 畿内にも吉備とか出雲系の人達がいたのを東征してきた神武が征服したんだろ
だから 豊葦原之千秋長五百秋之水穂国(とよあしはらのちあきながいほあきのみずほのくに)を見たら分かるように
「あき」の他に最後に取り込まれた「『アキの』水穂国」があるんだよな
661 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:56:45.73 ID:XHhPAcLl0
なんと畿内説は裸の王様が多いことよのう
われこそ王様たちの裸祭りじゃあー
662 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:58:01.57 ID:uv5q5NQk0
>>649 「九州説」ぐらいならまだ「郷土愛」で済むが・・・
これが「東遷説」だの「九州王朝説(ウリナラ九州説)」とかになると
もう中央に対するコンプレックスあるいはルサンチマンだからなwww
663 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 14:59:45.80 ID:XHhPAcLl0
台所ゴミの桃の種をほじくりだしただけでもキキで講釈たれよるわい
>>660 ていうか、出雲や吉備の人とおなじように、九州各地の人も畿内にいて、
わざわざ征服せんでもその一派が権力を持ったと考えてもいいと思うん
だがどうだろう。
665 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:00:00.13 ID:bo1NM3MP0
九州説だとよほど都合が悪いらしい・・・相手を納得させずに仲間内でレスのやりとり
まるでゲハ盛んなりし頃のようなw
戦後GHQが三韓征伐を否定するために畿内説を押したって話があるな
667 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:01:09.83 ID:GzqFq301O
神武東征が九州の根拠w
神武以前の歴史を調べろよw
魏志の記述から言っても九州説だろ
669 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:04:14.62 ID:GzqFq301O
670 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:04:19.02 ID:kGkKGqEbO
>>659 隋書倭国伝の記載は開皇二十年(西暦600年)だから
入鹿ではちと苦しい
古代には、
九州ってフロンティアでしょ。
そっちのほうから、
南北の人や物が来るんだよ。
そもそも魏志倭人伝より千年も後になって書かれた明史日本伝でこれだよ
日本は古来より王がおり、臣下では関白という者が最も尊いとされ
山城州の頭目、信長がこれになっていた。
ある日信長が猟に出ると木の下で眠る者がおり、跳ね起きて衝突しそうになった。
何者かと問い詰めると、名を平秀吉と言い
薩摩州の奴隷で、雄健ですばしっこく口が上手かった。
信長はこれを悦び、馬の管理をさせ、「木下人」と名づけた。
後に重用され、信長のために策を尽くし、二十余州を切り取り、摂津州鎮守大将となった。
参謀に阿奇支なる者がおり、罪を得て、信長は秀吉にこれを討たせた。
にわかに信長は部下明智に殺される所となり
秀吉は阿奇支をまさに滅した時に変を聞き
部将行長らと共に勝ちに乗じて兵を還し、明智を誅したので威名は益々振るった。
信長の三子を廃し、関白を僭称し、信長の衆をことごとく収めたのが万暦十四年である。
673 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:06:41.92 ID:GzqFq301O
674 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:06:53.27 ID:XHhPAcLl0
畿内説 方角ねじまげて、距離ひきのばし、やっこらさあの 奈良のクニ
ねつ造でなくてなんじゃらほい
北海道のほうは、
たぶん氷河期からずっと大陸と交流が続いてたんで、
アイヌの文化は追加で発展したんじゃないの。
676 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:09:41.06 ID:yJF+Xrzy0
皇紀2600年(笑)とか言ってるようでは、解明はまだまだ先だろうね
朝鮮ファンタジー一緒だw
もはや「万世一系」なんて誰も信じてないんだから、
宮内庁が比定している古墳を一から洗いなおすべき
>>672 だいたいあってるだろ
それで中国の史書はでたらめですよってか
678 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:13:17.48 ID:GzqFq301O
親の教育が悪いと万世一系を否定したり九州説にゾッコンになったりするのか。
679 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:14:09.37 ID:uv5q5NQk0
>>1 しかしこうやってビルド&スクラップを繰り返したような様は
現在の伊勢神宮なんかに見られる「遷宮」を彷彿させるな
(伊勢の場合20年おきだっけ?)
680 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:15:51.16 ID:XHhPAcLl0
>>678 自分の親のことを悪く言ってはいかんぞえ
681 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:15:57.51 ID:UPnt3niY0
>>669 水行なら10日で行けるけど、陸行したら1ケ月かかるよ。って書いてあるのを
水行と陸行の両方やるからじゃね?
682 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:16:58.80 ID:za63ulXIO
九州九州言ってるのは九州人でしょ
小学校から洗脳されんだってねかわいそう
奈良県民は無関心過ぎ
家立て替えるとき何か出土しても見なかったことにしてまた埋めとくらしい
683 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:17:58.03 ID:bZe8DR5m0
とにかく畿内説の辻褄合わせは無理がありすぎ
>>682 あと関東人。
関東人も邪馬台国は九州だったって習ってるし、中国の文章からしても九州だったと習ってる。
>>681 不弥国から1200里をどう解釈すんのよ
686 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:19:39.67 ID:UPnt3niY0
>>682 普通に考えて、学校教育は畿内に洗脳してるだろ
687 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:19:45.17 ID:9stahytUO
神武天皇の東遷が史書の通り紀元前600年ごろなら機内説も東遷も説明できるからおk
688 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:20:42.78 ID:TUWjYRGbO
おれは子供の頃は四国説を聞かされたのに
全然出て来ないじゃないかw
689 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:21:02.30 ID:GzqFq301O
神武東征以前の歴史を無視する九州説など辻褄合わせのむちゃぶりだろ。
もう太宰府が邪馬台国とかアホかと。話にならん。
さすがY染色体O3が多すぎる九州人の吐くことだな。
690 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:21:56.64 ID:B710lRgU0
邪馬台国への日数・距離
「水行十日、陸行一月」などの表現は、先に水路を10日行ってから、続いて陸路を一月進んだという意味ではない。 地勢によって、沿海水行したり、山谷を乗り越えたり、川や沼地を渡ったり、
陸路を行ったり、さらに、天候などの事情によって進めなかった日数や、休日、祭日その他の日数も加算し、卜旬の風習も頭に入れておおざっぱながらも、整然とした「十日」「一月」で表記したのであろう。
つまり、「水行十日、陸行一月」は、かかった総日数であって、実際に旅行し進み続けた日数ではない。
「南。水行十日、陸行一月」の意味は、不弥国から邪馬台国までの旅程ではなく、朝鮮の帯方郡から邪馬台国のまでの道のりを要約したもの(古田武彦)
「郡(帯方郡)より女王国にいたるまで1万2000余里」とある。ここから、帯方郡から伊都国までの距離1万500里を引くと、のこり1500里が伊都国から邪馬台国までの距離になる。
壱岐と対馬の距離1000里のわずか1.5倍の距離であり、これは邪馬台国が北部九州の域内であることを示す。
「郡(帯方郡)より女王国にいたるまで1万2000余里」とある。さらに、倭人伝の記述から、、
帯方郡から狗邪韓国まで7000余里
狗邪韓国から末盧国まで3000余里
残りの、末盧国から邪馬台国まで2000余里
となって、A:B:C=7:3:2である。帯方郡から狗邪韓国までの実際の距離は500キロなので、末盧国から邪馬台国まではその7分の2の約140キロになり、邪馬台国は、北部九州の範囲内である(1里=約70m)。
倭人伝は「倭の地を周旋すれば5000余里ばかり」とある。これは倭の地を、九州の範囲とすればを整合する値である。
もともと古代には神社を建築してなくて、
木のヒモロギや岩のイワクラなんかの、
いわゆるヨリシロに神様を降ろしてお祭りして、
終わったら送り返してたんだわ。
そのうちにお祭りするときだけ建物を建てるようになったのが、
やがて常設されるようになってきて、いまのヤシロになってる。
神様の屋敷で依り代だから、
ヤシロね。
692 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:22:38.91 ID:za63ulXIO
693 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:22:49.28 ID:uv5q5NQk0
>>683 今時倭人伝に対して辻褄合わせして比定しようなんて学者はいない。
東方見聞録の「黄金の国ジパング」そのものを探すような話。
実在したのはジパングのモデルになった日本という国。
倭人伝そのものの国なら人口七万戸、卑弥呼に仕えた奴婢だけで千人
100才の老人がゴロゴロしていて…と言う国が九州おろか日本の何処にあったんだという話。
695 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:23:45.53 ID:BUzab7D50
弥生遺跡数で言うなら、福岡は奈良の4倍
銅器なら12倍
鉄器は、弥生時代の奈良からはほとんど出てこない。
大学に籍にあった学者が言った説で一番ぶっとんだ説が、
「邪馬台国は埃及(エジプト)にあり」だな。
>>669 伊都国からの各国の記述は放射状に考えれば全部九州内に治まる
因みに東方見聞録の日本の記述
はじめ大ハーンの軍が本島に上陸し、都市を占領したが、そのとき彼らは一つの塔を強襲し、そこにたてこもった人々が降伏をがえんじなかったので、八人をのこして、全部の首をはねた。
あとにのこった八人は、どんなことをしても傷さえ与えることができなかったのだ。これは外からは全く見えないように、上手に腕の皮膚と肉の間にうめこんだある石の力なのである。
この石の魔力によって、これを体内にもっているものは、刀でいくら切っても傷がつかない。
これを知った将軍は、棒でなぐれと命じた。彼らが殺されると、その石をえぐりだしたが、非常な貴重品としてあつかわれた。
このデタラメさに比べたら明史の後期戦国史の記述は見事としか言いようがない
道は阿波より始まる
邪馬台国は淡路島
700 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:28:27.50 ID:uv5q5NQk0
>>695 なまじ倭人伝の行程記事がなければ福岡平野が九州説の大本命だったろうなw
がそこはいくら考古資料に恵まれていても通説なら人口二万戸の奴国。
そこから先更に五万戸の投馬国、七万戸の邪馬台国を見つけないといけないと言う無茶ぶりw
>>693 何を言ってんだ?年代をごまかして辻褄合わせようと企んでるだろうが
この、ゴッドハンド野郎が
702 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/04(月) 15:29:42.14 ID:nip+MGye0
>>519 ちっともおかしくないでしょ。
こんなに苦労して行って来ましたよと、誇張されててもおかしくないぐらいだ。
>>700 するってえとやっぱり西都原がある日向国に行き着くしかなくなるな
昔の南米植民地の地図なんか見ると、
港湾の入口が実際より狭く描かれてたりするし、
防衛上の理由で、嘘を教えた可能性はあるけどね。
>>695 福岡は弥生中期までは良かったんだけどね〜。
女王国は福岡、つまり卑弥呼は福岡にいたと思っている。魏書を素直に読めば
そうなる。帯方郡の使者は伊都国に滞在した(つまり伊都国から出られなかった)
と書いてあるし、国々の詳細は北部九州だけなんだし。実際に邪馬台国へは行っ
ていない。
要は、陳寿さんが何を思ったかあるいは狙ったのか、邪馬台国の後に女王之所
都と入れちゃったのがすべての原因w
706 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:35:12.67 ID:nuHe8uLe0
>>693 ほぼ同意。
ついでに古事記も同じく。そもそも稗田阿礼が誦したものを太安万呂が筆記というが稗田が男か女かさえ不明。
稗田の誦した一言一句を何かになぞらえたりこじつけたりして日本の成り立ちを論じてもねー…
古事記ってよく読めば民話だろw
707 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:36:17.79 ID:DZdc9H+O0
>>679 祭祀のたびにいちいち新築したのだろうか。神殿という物は平安時代に仏教の影響で固定施設になったらしい。
それまでは祭祀のたびに神霊が憑依する施設を作ったらしい。
708 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:36:45.44 ID:XHhPAcLl0
邪馬台国は
九州上陸地点の末蘆国(唐津)から、およそ東南方向2000余里(約140〜150km)だ。
魏志倭人伝にはそう書いてある。近畿なぞ方角でも距離でも到達するわけがない、広島だって遠すぎる。
709 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:37:19.73 ID:uv5q5NQk0
>>701 馬鹿の一つ覚え「ゴッドハンド」w
年代をごまかす?
じゃあ聞くがその昔教科書に「古墳時代の始まりは3世紀末4世紀初頭」と書いてあったその根拠
と言うか元になった理論は何処のどの学者の理論か知ってるのか?ゲラ
まあ答えを言っちゃうと某K都大学の某大先生だが勿論畿内説で
かつての九州説の連中にしたらそれこそラスボスみたいな存在だったw
でその時代に既に九州の考古学者は
「邪馬台国は既に古墳時代」を言う結論に到達してた。
今の考古学の年代観はなんてことはない
(年代の指標たる舶載品の豊富な)九州の考古学に合わせただけ。
とある九州の考古学者いわく
「長年邪馬台国を弥生時代と言ってきた考古学者の大罪」www
>>696 ピラミッドと王家の谷、同じ太陽神の争い
邪馬台国を紐解くヒントはエジプトにあるのかも知れないw
ちなみにネパールでは昔、
クマリが王様の任命を行う儀式のときに、
軍勢が押し寄せてきて王様が逃げちゃったんで、
仕方がないから押し寄せてきた軍勢の長を王様に任命した、
なんて話があるそうだけど祭祀権は、
クマリに残って現在まで続いてる。
クマリは、ある特定の氏族から選ばれる。
ネパールをクマリ女王国と言ったら勘違いだが。
712 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:41:41.57 ID:XHhPAcLl0
>>705 すべて読んでいないのにテキトーなこと書くな
魏使は邪馬台国に到着し、しばらく滞在したと書いてある。卑弥呼を助ける人物が男弟だとも知っている。
>>708 魏里は400mほど
つまり800kmだ
715 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:43:55.59 ID:TUWjYRGbO
古神道は九州
神仏習合は京都? というイメージが強い
間違ってるかね
でも天照大神の出雲大社や祭殿の厳島神社は中国地方なのな
717 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:44:37.59 ID:XHhPAcLl0
>>713 それでは、海上の距離がまるきり合わぬ。魏志倭人伝が1里400mでないことは明白。
718 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:46:14.51 ID:rdj6UVgc0
>>700 確かナ国のナは、広い地域、という意味があったと思う
金武遺跡に菜畑形跡、福岡平野部には数多い遺跡が存在するし
大宰府近辺も奴国の版図だったことは素人目にも分かる
おそらく九州でも1〜2位を争う大国だったことは間違いないと思う、それが2万余戸
対して邪馬台国7万余戸、これをどう捉えるか?
普通に考えれば九州に邪馬台国が無いことくらい、バカでも分かるよね
>>708 相変わらず同じ事をw
魏志倭人伝読んだら九州に邪馬台国が存在できる場所はない。
70000戸もの住居跡のある遺跡を探して来たら?
熊本方面なんて倭国かどうかも怪しい位だぞ。
まーた、畿内説派の都合のいい解釈かよ。倭人伝の距離やら方角は間違いだのなんだの言うわりには
倭人伝の人口や戸数には絡んでくるwww
721 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:55:27.32 ID:rdj6UVgc0
>>720 中国の視点から見た学者は方角はあまり関係ないといってたぞ
呉の存在といえば、説明しなくても分かるよな?
色んな学者さんに九州説はNOを突きつけられてるのよw
722 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:56:02.05 ID:XHhPAcLl0
>>719 7万戸を城柵の中の戸数と思ってるだろ
戸は農林漁業者や奴婢たちの粗末な住居だ、国中に散在してる。遺跡としてまとまって出るわけはない。
戸と家はちがう
城柵に守られたしっかりした建物は家、つまり1千家などとあらわす。
>倭人伝の人口や戸数には絡んでくるwww
あれ?九州説は倭人伝を素直に読むのじゃないの?
じゃ、戸数や距離も読まなきゃな。
>>720 魏志倭人伝の記録をそのまま当てはめたら、邪馬台国は幻のムー大陸かアトランティス大陸に
あったことになってしまうわけで、距離や方角に関しては修正せざるを得んからねえ。
朝鮮半島から対馬・壱岐を経由して九州北部に上陸するまでのところは魏志倭人伝も
信頼できて、位置も比定できるわけだから、そこまでは信頼してもいいのではないかと。
728 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 15:59:07.43 ID:GzqFq301O
お、また九州説が論破されてるな。
自分たちの国を我が国と呼ぶ人たちが住む地域と、
それぞれの集落を指して国と呼ぶのが、混じってるだけじゃないの。
自称からきた呼び方が倭国で、
ヤマト連合化して自分たちで決めた国号が日本でしょ。
>>713 確かに魏の時代は1里=300歩=約430mグライにはなるんだけど
そうなると他の距離が計算合わなくなるのよね
邪馬台国は日本列島からはるか離れた場所に存在するコトになってしまう
距離や方角なんて簡単な事だ。
奴国が本州西部にまたがる国、
関門を占めるのが伊都国王、で女王国が山口や伊予からでOK。
邪馬台国は瀬戸内海東部で宮を三輪に持ってゆく。
これで畿内説は戸数や距離も問題なし。
記紀で阿波が国生みの始まりという点もクリアしてるよ〜
>>723、725
はぁ?それ論破されてんじゃん。読み返してこいよw
734 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:02:02.07 ID:JnEHVn180
ようするに古代に外洋航海術を持っていたのは台湾からポリネシアの島々に
カヌーでわたり始めた人々しかいない。倭人のルーツはこれだ。
だからこそ天孫降臨も太平洋側の宮崎県だし、神武東征も陸路をとらずに
「舟軍」でいきなり出発してやはり太平洋側の和歌山県に上陸するわけだ。
「舟」という文字も象徴的。ボートみたいなもんを舟と書くわけで帆船のような
「船」ではなかったのだ。これもボートであった証拠。
なぜか古代に三韓征伐など一方的に倭人側が朝鮮半島を襲撃し支配する
歴史があるのも、この外洋航海術が倭人側にしかなかった証明になる。
古墳の棺が「舟形」が多いのもその証拠である。
>>722 あんた、魏志倭人伝、読んだことないでしょ。
邪馬台国の位置は距離じゃなくて船と陸の「時間」で示されてたと思うけど
737 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:04:28.81 ID:XHhPAcLl0
>>735 あんた、魏志倭人伝、読んだことないでしょwww
>>717 確かに海上の距離はあわないが
それは朝鮮半島や朝鮮海峡がやたら長大に捉える地理認識だったため
その後の距離みてみればだんだんズレがなおってくる
たとえば末蘆国から奴国まで100里
これが7km?近すぎだろw
氷河期に北海道の方から南下してきた原日本人に、
南方海洋方面から航海技術を持ってきた人達とか、
あるいは稲作の技術を持ってきた人達とかが混ざって、
半島南部まで勢力圏を広げてさらに混ざったけど、
北と南から圧力を受けた半島は大陸と手を結んで、
南北に追い出したんじゃないの。
>>734 三韓征伐は、4世末から5世紀初めにかけてあった倭国の朝鮮半島侵攻の記憶が、
8世紀初めに日本書紀編纂のときにわずかに残ってて、その記憶を強引に当時の
朝鮮半島情勢にあてはめてでっち上げたシロモノだろうに。
そもそも、造船技術に関しては日本は大陸側にぶっちぎりで負けていた。
天智天皇時代、白村江の戦いで日本が大敗したのは、竜骨の技術を中国・新羅連合軍は
知ってたけど、日本・百済連合軍は知らなかったからなんだし。
741 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:06:54.41 ID:XHhPAcLl0
>>736 読みが浅い、距離と時間の併用で書いてある。
隋書にはヤマトとヤマタイは同じだって書いてあるんだよな
んで遣隋使の存在がある以上当時のヤマトは自らが魏書に記されている存在と同一と考えていたってことになる
聖徳太子すらイタかどうか怪しいのに
>>733 読むに値する記述なんて皆無じゃないかw
たぶん、中華側の誤解による事実誤認もあったんだろうけど、
それをさらに日本側が見て混乱する、とかもあったんじゃないか。
邪馬台国はヤマト国で、卑弥呼ってのは日の巫女で斎宮のことだと思うが。
746 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:10:11.42 ID:XHhPAcLl0
>>738 末蘆国から伊都国まで500里、伊都国から奴国までが100里。
ちなみに伊都国は、糸島でなく佐賀平野だ。
倭人伝にそう書いてある。
大和朝廷を邪馬台国にしたい理由はなんだろうね。銭w
学者からしたら、邪馬台国なんてどうでもよかったんだよな。それが、まぼろしの邪馬台国がヒットして、金になると知ったわけ。
要するに、尖閣を我が国だと言ってるシナみたいなもんが、畿内説w
748 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:11:27.07 ID:TMrUZfj60
>>740 竜骨の船はヨーロッパが発祥じゃないか?
中国のは箱型を組み合わせてつないでいく構造で骨組みがない。
749 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:12:11.12 ID:nMPZYmRTO
卑弥呼(河合奈保子)「喧嘩を止めて〜」
里程があるところは使者が実際におもむいて日数のとこは伝聞でしょ
隋書にははっきり「倭人は距離を日数で計る」と記述してあるぞ。
投馬や邪馬台国は倭人の伝聞距離だよ、
それだけ遠方だという事だね。
>>747 邪馬台国を畿内とすると当時すでに西日本を統一した政権が存在したことになって日本の歴史にハクがつく
753 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:14:19.81 ID:XHhPAcLl0
>>750 倭人伝を最後までよく読め。魏の使い張政は女王の都に到達し、しばらく滞在してる。
九州でいいだろ
関西は起源説好きだなww
こういう歴史学に興味あるんだけどなんて言うの?古代史?
自分たちのことをワと呼ぶ人達の領域となると、
単純に集落や連合を超えて領域が広がってただろうし、
倭人達の複数の国があって、
それらがやがてヤマト連合にまとまっていって、
みずから国号を日本と称したんでないかい。
757 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:15:19.32 ID:V1Mx3qSfO
九州の比定地は場所も方角も距離も問題ないんだよな
ここに邪馬台国が畿内派が入ると混乱が生じて
敵対してる狗奴国の比定地も畿内ってなるから
当然にクマソが狗奴国と比定されなくなって宙に浮くんだよな
758 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:15:46.45 ID:TMrUZfj60
>>747 韓国の学者はなぜか九州説が多いねw
その方が都合いいらしいよ。
>>712 君こそよーく読んだほうがいいよ。
郡使は倭王に拝仮(この仮という文字も問題だが)しているが、邪馬台国へ行った。滞在した。
などとはどこにも書いていない。
ちなみに、よく知らない国の情報を集めるのは郡使としては極く当たり前のこと。
それから俺は中華書局版の魏書を全部読んだよw
761 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:17:20.59 ID:XHhPAcLl0
>>751 倭人の習俗はそうかも知れぬ、文字もなかったというくらいだからな、
しかし魏志倭人伝は魏側の人間の手になる文書だ。ごちゃまぜにするな。
>>743 少なくとも蘇我氏と組んで国粋派である物部氏を滅ぼし仏教を通じて外国との交易を進めた皇子が存在した
それを後になって聖徳太子と呼んだ
それだけの話であり否定する必要はない
神武東征は、西側から勢力が拡大してきたって言ってるんじゃなくて、
もっと素朴に解釈したほうが分りやすいよ。
子供たちが大人に対して、
天皇の始祖について質問するところを考えれば、
遠くから旅をしてきた、そこに天から降りてきた、
とかで神話ができるんでないかい。
765 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:18:27.86 ID:zhTL8qOT0
畿内説は、何でも朝鮮発祥にしたがるのと発想が同源の臭い
766 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:19:31.02 ID:JnEHVn180
>>740 倭人による朝鮮半島は広開土王碑という朝鮮半島側の記録もあるし疑いようがない。
そもそも卑弥呼は「呉の太伯の末裔」を中国に称しているし、倭人の刺青の風習も呉の
太伯が刺青をして出奔したという記録と一致するね。
しかも湖南人と倭人のDNAが近いというのも、中国南部から舟でやってきたことを
証明するといえる。稲作の伝播ルートもやはり中国南部からとコメのDNA解析で証明されているのも
非常に興味深い話だ。
蘇我氏の功績をすべて聖徳太子の功績にすりかえたんじゃね
大久保利通や伊藤博文の功績をぜんぶ明治天皇の功績にしちゃうような感じか
>>761 >しかし魏志倭人伝は魏側の人間の手になる文書だ。ごちゃまぜにするな。
だが戸数や距離からは相当巨大な国としか判断できないよ。
北部九州に存在できる場所は100%ない。
770 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:22:10.32 ID:JnEHVn180
そして神武天皇の母親は「暖かい海域にしか生息しないサメ」とされていることも
象徴的だ。身近で強い生き物を崇拝する古代人。カヌーのような乗り物で南洋から
やってきた倭人らしいといえる。
一方で朝鮮人の神話では先祖は「クマ」がルーツという。これはアリランとともに
朝鮮人が北方からやってきたエベンキ系であることの証明だ。
「ベルクマンの法則」というのがあって、クマは寒い地方にいくほど「巨大化」するからだ。
暖かい南方だとマレーグマみたいに小さくなってしまう。朝鮮人の正体はベーリング海付近から
南下してきたエベンキ系の民族で、彼らが遭遇した巨大なクマを崇拝したのだろう。
なんで皇族の男系始祖についての神話が生まれるかと言うと、
古代には嫁入りではなく通い婚や婿入りで、
必然的に母系部族社会だったのが、
有力な部族に他の部族から嫁入りが行われるようになってくると、
汎部族的な男系氏族化が起こるわけよ。
そうなると今度は逆に、お父さんのお父さんのお父さんのお父さんの、
一番最初は誰なの、って話になってくるんだわ。
だから創世神話とは別に、始祖の起源神話が生まれる。
772 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:22:17.03 ID:XHhPAcLl0
>>760 その時点で、女王はすでに親魏倭王となっているから、その倭王は卑弥呼である。
よって、女王の都で拝したと考えるのは当然。
ちょっと邪馬台電気に行ってくる
九州説の難点
魏から女王たちに贈られた品々や位が、西の大月氏国に匹敵する最恵国への待
遇であり、小領主へ贈られたものとは考えにくいこと[8]。
奴国2万余戸、投馬国5万余戸、邪馬台国7万余戸、更に狗奴国といった規模の集
落が九州内に記述通りの順番に収まるとは、大月氏国が10万戸の人口40万人、ま
た考古学では当時の日本の人口が百数十万人とされている事などから、考えにくい
こと。
中国地方や近畿地方に、九州をはるかに上回る規模の古墳や集落が存在していること。
古墳築造の開始時期を、4世紀以降とする旧説に拠っているが、年輪年代学、放射
性炭素年代測定などの結果からは3世紀に遡るという結果が出ていること[9]。
3世紀の紀年鏡をいかに考えるべきかという点。
775 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:25:50.76 ID:V1Mx3qSfO
いよいよ本質に迫ったな
ここで使者は邪馬台国と女王国の使い分けをするわけよ
邪馬台国とは何だ?
女王が居る所が邪馬台国の都としてる
それが女王国で邪馬台国の本国だ
女王は人間だから動くことが出来る
一大率の所に女王がくれば、そこが都だ
そして壹與が女王になれば、そこが都だ
名実ともに伊都国が・・
魏の使者は壹與が女王になったことをことのほかに祝福してる
>>739 そうそう。素晴らしい。その通りなんだ。
朝鮮半島は、地政学的に完全な「草刈り場」なんだよ。
あそこに、何か「中心性」があると勘違いすると、東アジア古代史は、本当に何も分からなくなる。
そして、高句麗は、明らかに朝鮮とは無関係。ここを切り離さないと、日本史も分からなくなる。
>>740 白村江の戦いは、日本側の致命的戦術ミスだろ。
単発の海戦それ自体で、キールの有無は、あんまり関係ない。
朝鮮西岸の干満差を、黄海対岸の大唐帝国は熟知していた。日本側は知らなかった。
せいぜい、有明海程度だと思っていたのだろう。
欽明失地以降、日本は朝鮮の地理について、すでに疎くなっていたのだ。
逆に言えば、日本海岸の新羅は、干満?なにそれおいしいの?という状態だから、
この連合軍、実質的な指揮権は、完全に唐帝国にあったことになる。
>>774 畿内説の難点も書けよw
汚ない真似すんなよ。
本当に畿内派は竹島を実効支配した、どこぞの奴らと変わらんなw
大和朝廷と結びつけるから奈良から他に目を向けない人と
距離の計算から九州から他に目を向けれない人の戦いだから
決着付くワケもないけど
少し他に目を向けて四国・淡路説をよく考えると
イロイロ不思議は飛び出してくるのにな
考古学は1つずつ矛盾点を潰していかなければ仕方がないだろに
779 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:28:44.72 ID:XHhPAcLl0
>>769 だから、北部九州に限定するからそうなるのだ。北部九州に29カ国を収容できる土地は100%ない。
しかし九州はまだまだ広い。
まー、宮崎県の西都原古墳を見たことがあるんかいね。一目見れば九州に対する考えが一変するだろうよ。
はやくから薮田嘉一郎や森浩一は、古墳時代は4世紀から始まるとする当時の一般
的な理解にしたがって、「三角縁神獣鏡は古墳ばかりから出土しており、邪馬台国の
時代である弥生時代の墳墓からは1枚も出土しない。よって、三角縁神獣鏡は邪馬
台国の時代のものではなく、後のヤマト王権が邪馬台国との関係を顕示するために
偽作したものだ」とする見解を表明し、その後の九州論者はほとんどこのような説明
に追随している。しかし、このような説には以下のような点が問題として挙げられる。
三角縁神獣鏡を、呉の鏡または呉の工人の作であり、呉の地が西晋に征服された2
80年以降のものとする説もあるが、様式論からはかならずしも呉の作であるといいき
れるものでない。
少なくとも銘文にある徐州を呉の領域であるなどとはいえない[10]。
これらを280年以降の製造と考えると、紀年鏡に記される年号が何ゆえに三国時
代の235年から244年に集中しているのか、整合的な理解が難しい。
また、九州説論者の見解では、いわゆる「卑弥呼の鏡」は後漢鏡であるとするが、
弥生時代の北九州遺跡から集中して出土する後漢鏡は、中国での文字資料を伴う
発掘状況により、主として1世紀に編年され、卑弥呼の時代には届かないのも難点
のひとつである。
2世紀のものは量も少ない上、畿内でもかなり出土しており、北九州の優位性は伺えない。
東の海を渡った先にまだ国があるってんだから普通に考えると九州っぽいけどな
783 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:31:48.20 ID:JnEHVn180
そもそも倭人による古代の朝鮮半島支配は数百年におよぶ。初期の倭人による
襲撃がほぼ「海賊的」なものであったといえる。
いやぶっちゃけると倭人は半分「海賊」に近い状態だったのだろう。
古代の地中海周辺の青銅器文明の国々は「海の民」と呼ばれる
海賊集団に略奪されて滅亡してしまったのは有名な話だが、
これほどまでの蛮族ではなかったにしろ、古代の朝鮮半島を
数百年にわたって襲撃を繰り返し支配した「倭人」もやはり
南洋からやってきた「海の民」と呼ばれるにふさわしい蛮族だった。
やがて朝鮮半島支配も数百年も経ち、中国が文明の力をフルに発揮して
組織的に対抗するようになったので倭人は撤退に追い込まれてしまった。
ソマリア海賊が先進国の軍艦に追い払われるのと同じ構図。
784 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:32:41.03 ID:C22OU0W60
狗奴国尾張一宮
785 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:32:48.39 ID:YWt6bOP+O
>>740 >白村江の戦いで日本が大敗したのは、
百済が内部分裂したからだよ
畿内説の難点
年輪年代学では原理的に遺跡の年代の上限しか決定できない上に、まだ専門家
の数が少なく、日本の標準年輪曲線は一つの研究グループによって作成され、正確
データの公表すらなされておらず追試検証が行われていない。
倭国の産物とされるもののうち、鉄や絹は主に北九州から出土する[注釈 12]。
「魏志倭人伝」に記述された民俗・風俗がかなり南方系の印象を与え、南九州を
根拠とする隼人と共通する面が指摘されていること。
「魏志倭人伝」の記述は北九州の小国を詳細に紹介する一方で、畿内説が投馬
国に比定する近畿以西に存在したはずの吉備国や出雲国の仔細には全く触れられ
ておらず、近畿圏まで含む道程の記述とみなすのは不自然。
「魏志倭人伝」を読む限り、邪馬台国は伊都国や奴国といった北九州の国より南
側にあること。[注釈 13]。
787 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:33:18.09 ID:e+qlqrJX0
古代の朝鮮半島は鉄の産地だから任那を拠点に日本から何度も遠征に行っていて新羅や高句麗と何度も戦っている
雄略天皇が朝鮮半島へ外交上の優位を得る為に中国の皇帝に何度も使いを派遣して朝貢に行っても高句麗や新羅より上の官位はもらえなかった
軍事力と経済力は十分にあった日本はこの時点で中国への朝貢をやめて天下大王すなわち天皇を名乗った
つまり天皇の天下とは朝鮮半島も含めた天下。今それをいうと戦前の侵略を正当化するとか批判されるけど事実は事実。というかこれこそ日本が中華圏から脱した瞬間
>>782 まあ、それこそ伊勢あたりから伊勢湾、三河湾あたりを海を越えると
表現したと考えてもいいのかも。
>>783 古代中国の史書を読むと倭人は半島にも住んでたらしいぞ
つまり襲撃云々以前に先にそこに存在していたことになる
その後和種中枢の興味が半島から東日本に変わってしまって軍事的支援が弱まったのが衰退の理由だろうな
>>781 鏡が出すぎて、畿内説論者が顔面蒼白になった話もしてあげてw
791 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:35:21.96 ID:RBdWLQm9O
>>776 おいおい、現地詳しい百済人の水先案内人位ついていたはずだから、干満に関する知識云々は流石に関係ないだろ。
792 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:35:24.70 ID:JnEHVn180
793 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:35:28.12 ID:yJF+Xrzy0
>>783 「アメ」とか「アマ」は、「天」という意味だけでなく、「海」という説もあるね
アメノホヒ(ニギハヤヒ)を祖神とする海部氏とか・・・
ちなみにアメノホヒは神武より先に「アメの岩船」で大和に来ている
倭は朝鮮半島に侵攻したあと半島の南端を統治して経営していたので
ただ略奪を繰り返すような海賊とは違うでそ
なんかさっきからチョンくさい書き込みが見受けられる。
日本人のふりしてもわかるぞ。
>>788 古代中国の地理認識では
伊勢湾が大きく切り込み琵琶湖若狭湾まで繋がっていて
ようは本州がそのラインで半分に割れてる
海ってのはその境目と捉えるのが穏当
どっちかっつーと、侵攻って言うより単に、
船で渡って住みついちゃっただけの気もするけどね。
最終的に、東北部の勢力を制圧したい唐と、
南北から挟まれて苦しい新羅の思惑が一致して、
連合軍で南北に対抗したんじゃないの。
ネトウヨ・・・かな?
800 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:38:45.52 ID:JnEHVn180
>>789 現在のエベンキ系の朝鮮人は1000年前に白頭山が大噴火して朝鮮半島が
滅亡した以降に北方から流入したアリランを歌い踊る民族。
で倭人のルーツは何かというと、当然ながら7万年前にアフリカ大陸を出た
人類がどんどん東へ行った結果だ。オーストラリアのアボリジニが5万年前には
オーストラリアに到達していたというから、日本の縄文人などもそれに近い可能性がある。
そう考えると「アリラン文化は存在しなかった新羅と百済」が、実は縄文人などと
近い人類だった可能性が高いということがわかるね。
>>792 もっとも畿内説の説明は路程において「南となってるのは東の誤り」
なんだから、この場合も東じゃなくて北になっちゃうから苦しいんだけどね。
まあ琵琶湖を海だと思ったとかはあるかも。
>>790 三角縁神獣鏡を卑弥呼が魏皇帝から賜った100枚の鏡であるとする説 - しかし、既
に見つかったものだけでも400枚以上になること、中国社会科学院考古学研究所長王
仲殊が「それらは漢鏡ではない」と発表したことなどから、九州説の側から「三角縁神
獣鏡は全て偽作」との反論を受けた[注釈]。
注釈
ただし九州説の側も「全てが偽作」であることの論証を明確にしているとは言い難く、オ
リジナルのものが伝来した可能性自体を排除できてはいない。逆に畿内説の側は、多く
の鏡の年号が235年から244年の範囲内に納まるにもかかわらず、邪馬台国とは無関
係であるとするのは逆に無理があると再反論している。
百済は中華系と違うんかな
大陸からの珍しいものを北方の国の何かと交換して暮らしてたんじゃね
新羅の起源は倭人、新城だったら国名からして大和言葉とだろ
806 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:43:13.23 ID:zhTL8qOT0
>>793 海を「あま」と読むのは、海中を天に準えて表現する時
神武東征に関しては、
天孫降臨から国譲りまでが一連の流れで、
要は、皇族の始祖に関する起源神話が重点なんで、
西のほうにあった勢力が東に拡大していった、
ってのは、解釈が違うんじゃないかと思う。
808 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:43:30.01 ID:e+qlqrJX0
>>776 白村江の戦いは日本百済連合軍の足並みの悪さも原因。滅亡した百済の将軍と日本の百済亡命貴族の仲の悪さとか日本側も大化の改新を引きずっている
中大兄皇子の息子の持統天皇と大海人皇子の革新派と保守派の争いは特にひどい
まあそもそも白村江の戦い前に百済は滅亡しているしわざわざそこに行って戦うこと自体日本側のモチベーションは低い
809 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:43:43.51 ID:lRpMxwee0
どっかの国が
穴を掘り出すんぢゃないかな
>>677 実際出鱈目だろうに。あの記述、「平秀吉は薩摩国の人」で、
日本人なら鼻からコーヒーを吹く、という定番のお笑い文書だぞ。
中華文明の、「地理の認識と、(彗星と超新星以外の)天文の認識」は、本当にgdgd。
中東や欧州、あるいはインドの文明とは、ちょっと体質が違う。
ともかく、倭人伝の地理記述は、博多から先は使いものにならないので、
「ディスる」
というのが、一番誠実な態度になる。クソ資料は切り捨てる、というのは、全ての学問の常道。
巻向で柱穴が出てきたことと、卑弥呼はおそらく全く関係がない。
そもそも卑弥呼なんて、1800年前に書かれたオカルト記事みたいなもんだw
国産の鏡は大量生産されてたんでしょ
特に奈良に国産鏡の生産工場が
812 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:46:15.66 ID:tVbUWcP00
>>717 海路は別なんじゃね?
どう考えても、
朝鮮半島→対馬
対馬→壱岐
壱岐→九州北部
が、一緒になる訳ないんだから
畿内説派は竹島や尖閣をほしがる民と同じ思考。論破してもしてもきりがない
天孫降臨、神武東征の神話ってのも、
もとは子供のなんで、どうして攻撃とかでさ、
お父さんのお父さんの、ずーとお父さんは、どこから来たの。
遠くから旅をしてきたんだよ。
遠くってどのくらい。
ずーっと、ずーっと遠くの九州の南端だよ。
じゃあ、そこには、どこから来たの。
えーと、空から降りてきた。
とかじゃないの。
まあ、だいたいこんなもんだろう。
816 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:51:22.28 ID:e+qlqrJX0
>>803 百済は中国の支援を得たいが為に当時の皇帝が仏教にハマっていることを知り歓心を得たいが為に国を挙げて仏教を取り入れた
日本は雄略天皇の時代に中国との交流が途絶えたから最新の文化や学問を百済から仕入れていた
その関係で仏教が日本に入ってきた。ちなみに仏教関連の知識との交換で日本側は百済に武力を提供していた
なんで九州説とる奴がコリアン扱いなんだよw
九州説はたいていの人が朝鮮半島の一部は倭人が支配したと考えるもんだぜ
819 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:54:43.64 ID:nuHe8uLe0
ちょっと…
昔のあめ・天とあま・海とか、上カミと神カミとかその種の言葉の関係を説いてる人は、
まず上代特殊仮名遣いを知ってるんだろうな?w
なんでも似てるからって結びつけてるけどさ。
今の五十音では測れないぞ、昔の言葉は
820 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:55:03.87 ID:L5eT8ycM0
卑弥呼は朝鮮人だしな
821 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 16:55:32.05 ID:JnEHVn180
王権のルーツを語る神話でいきなり「舟軍」で出発だったり聖地となる
上陸地点が太平洋側だったりするのは非常に重要。
ルーツが海洋民族で無い、大陸系の民族だったらこうはならないからね。
卑弥呼は朝鮮半島も支配していた。
824 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:00:27.38 ID:zC9bcU0P0
大宰府があるところがイツ国で吉野ヶ里が
奴国で1里700メーターで70キロですか
>>819 古代史の好事家は、日本語音韻史を等閑視するよね。
かと思うと、言語学板に、たまにリアルで降臨して、他人の話を一切聞かずに荒らしていくらしい、
結構有名なトンデモ本を出版した、Fというおっさんがいる。あれはあれで、甚だ困るけどw
でも、本当に日本語音韻史を無視するのは、歴史好きというより、宗教家。
真正の神主から、スピリチュアルを称する古代史好きに至るまで、
あいつらの、言語史のディスりっぷりは異常。
変な語呂合わせに執着する奴は、このスレでも、歴史というより宗教寄りの発想をとってると
みなして良いと思うw
>>818 そもそも、九州説の元祖は、本居宣長の「偉大な大和朝廷が中国に朝貢するなんて
ありえん!だから、中国に朝貢していた邪馬台国は、大和朝廷とは無関係の、九州の
1小国だ!」って説だから、国粋主義の極みのはずだよな。
827 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:03:00.13 ID:e+qlqrJX0
少なくとも倭の五王時代までは朝貢してるね
828 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:03:44.99 ID:tVbUWcP00
829 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:03:53.44 ID:RW+GKCaX0
まあ現代の中国の歴史編纂事業にとっては結構重要だと思いますよ
卑弥呼の朝貢。
大和=邪馬台国なら中国人も納得でしょうw
830 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:04:07.63 ID:zhTL8qOT0
>>819 古事記が字義よりも音表記に拘って書かれているのは、
音から意味を拾い取るほうが正確に伝わると思ったから。
古くは通い婚や婿入りの母系社会で、
有力な部族に嫁入りするようになってくると、
男系化するから、始祖の起源神話が必要になってくる。
実際に、ヤマトには南方系の人達も来てたから、
古事記には南方系の神話も含まれてるんだろうけど、
じゃあ実のところ皇族の始祖は誰なのかとなると、
そこはまあ、老人の記憶に頼るしかないわけで、
ようするに神話でいいんじゃまいか。
天下って旅をしてきた神聖なマレビト、ってことでしょ。
それは天照大御神の命によって天孫降臨したと。
中共に朝貢してるねは現代日本じゃまいかODAで
日本古代史政治的イデオロギーの中立などあり得ないと輿石なら言うのかな
835 :
テラワロス:2013/02/04(月) 17:11:15.88 ID:GzqFq301O
九州説の根元、九州王朝は、日向を中央としたニニギ王朝では?
そしてアマテラスのいた高天原が畿内。
つまり、卑弥呼は神功。
中華主観で言うなら、
中華は諸民族諸国によって成り立つ天下なんで、
中華に基準するか、従わない蛮族に二分されちゃうから、
中華と交易を行うのであれば中華に帰順せよ、
ってんで、中華皇帝が諸民族諸国の王を任命する、
みたいになんだわな。
モンゴル、満洲、朝鮮、日本、フィリピン、ベトナム、
相手が英国やアメリカだって、同じ理屈でやってたし。
愛してるよ☆
「愛」という言葉をご存知ですか?
実はこれ「音読み」、そして現代中国語そのものでもあるんです。
代わりになる言葉は何か他に日本語にありますか?
・・・ありませんね?
手づかみでごはんを食べて、石ころ石器で毎日殴り合いをしていた日本人に、
箸や道具や文字だけでなく、愛の心や気持ちまでくれたのが中国人なんです。
>>830 残念だが、あんたのは、ただの「スピリチュアル語呂合わせ」にしか見えん。
なんちゃって念仏で、プラセボ効果はあるかもしれんが、他には、何も意味は無い。
文献資料の音を研究するなら、最低でも、
・上代以前の日本語の音韻史。少なくとも上代8母音通説のあらましと、森博達の7母音説の具体的な音声
・隋唐期の中国語音。最低でもカールグレン復元音
・それ以前の中国語音。いわゆる上古音の後半部分。地域差も含めて理解すること。
・これらが日本に、バラバラと伝わってきた時の、大変に複雑な古音の音価。
これだけを知っていないと、話にならない。これ、プロが数十年研究しても全貌が分からない、
本当に難しい世界なんだけどな。
愛
めでる
ことほぐ
840 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:17:38.93 ID:JnEHVn180
>>837 倭人と皇室が記録どおりもっとも中国文明で最も格式と徳が高い周王室の末裔で
漢民族の文明保存がもっとも濃いのだから、王朝交代が繰り返し起こり、そのたびに
まともな人間が虐殺され国外に華僑として亡命を繰り返して劣等化した中国を
日本が支配するのがもっとも中国人にとって幸せということになるね。
>>834 昔は3倍4倍でお返ししてくれたもんだが
最近は向こうも落ちぶれて全く見返りがないんだよな
んでおいしくないとわかると歴史的に日本は交流を打ち切るのさ
そんなに遠くない将来そうなるんじゃね?
あー、でも残念なことに、
皇族には男系氏族名が無いんで、
少なくとも氏族として渡来したんではないだろう。
844 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:19:16.53 ID:RW+GKCaX0
>>837 嘘も満足につけないとは・・・
愛という語がどんな意味だったのか少し調べればいいのに
845 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:19:22.71 ID:+ZL3PRCO0
>>509 口述だから良いんだよ。
権力者が頭の中に手を入れて書き換え捏造ができないから
846 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:20:45.86 ID:JnEHVn180
海幸彦が山幸彦に負ける、というエピソードどおり、先住の縄文人に
南洋からやってきた弥生系が吸収されたというのが正しいだろう。
847 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:21:17.23 ID:rdj6UVgc0
>>826 だからサヨクもチョンも極右!とファビョって否定すりゃいいのにね
全くの逆だもんw街宣右翼みたいw
>>845 捏造出来ない替わりに
記憶もしてない感じだけど
魏志倭人伝によると邪馬台国には四つの官があったと記されている
伊支馬、弥馬升、弥馬獲支、奴佳と(革に是)
伊支馬・・・・イコマ、生駒であり奈良盆地の地名で垂仁天皇の別名が伊支米(いくめ)
弥馬升・・・・ミマスと読めば、孝昭天皇の別名が御真津(みまつ)
弥馬獲支・・・・ミマキと読めば、崇神天皇の別名が御真木(みまき)
奴佳と(革に是)・・・・天皇名にはないが中処とよめば「中央」の意味になる
それぞれの天皇の御陵地を調べると中処を囲むように存在している
卑弥呼は中処にいたとすると、奈良県田原本町がその所在地になるが、市街地になってるため
発掘作業がおこなわれていない
村井康彦「出雲と大和」(岩波新書)
850 :
ぴーす ◆u0zbHIV8zs :2013/02/04(月) 17:24:05.89 ID:+Le+TiWWO
ノストラダマスと違って過去の話だから永遠に
答えが出ることがない
単に中華のお役人が、
日の巫女の斎宮を女王と勘違いしただけ、
くらいの話だと思うんだけどね。
852 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:28:36.90 ID:GzqFq301O
昔々、今の茨城県や東北地方には、後の常陸国を中心とする、日高見国があった。太陽から、一番近い場所に有り、日ノ本と呼ばれた。高天原である。
ここから豊葦原中国である、朝鮮半島南部の倭人領や出雲にスサノオを、日向にニニギを、畿内にニギハヤヒを天孫降臨させた。
つまり、これらは日ノ本の辺境の地である。
なので、例え九州に邪馬台国があっても。
それは東方の高天原の辺境の地なのである。
調子こくなよ九州ども!
853 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:29:38.93 ID:+ZL3PRCO0
>>837 「愛」は肉欲を意味する言葉だから野蛮(仏教)
「ラブ」は神への信奉を意味する言葉だから人に対して使うのは不遜(ユダヤ・キリスト教)
不遜な使い方をする「ラブ」の訳に如何わしい「愛」を当てたのは日本人の皮肉
854 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:30:38.51 ID:zC9bcU0P0
倭国の同盟国九州北から四国中国地方で
周遊して帰ったとみればいいですか
関東の人ってこういうのに興味持ったらどうすんの。
わざわざ新幹線に乗って桜井まで来るわけ。
桜井なんてほんと何もないところだけど。
856 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:32:55.84 ID:4MPVyVEJ0
>>850 ミッシェル・ノートルダムがなんだって?
857 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:34:00.96 ID:PHvufKxkO
>>846弥生系が来たとかねつ造なんだってね
歴史詳しい人が教えてくれた
某国の日本乗っ取りの下準備かな
何年前から準備してたか、わかるよね
沖縄あたりだと、今でも女性が祭祀を執り行ってるでしょ。
たしか祭祀のときだけ建物を建てる、とかもなかったかな。
たぶん、母系社会時代の女性による祭祀から、
嫁入りして汎部族的に男系化してきた名残りで、
斎宮は皇族から出ていた、
ってな感じじゃないか。
859 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:39:30.55 ID:GzqFq301O
日本書記記載の古代関東地方にあった秀真国のホツマツタエが本当ならば天皇陛下のY染色体はD2となる。
歴史は逆手から見るべきだ!
>>857 縄文は元々海の文化でもあるからな
昔から海を越えての交易は盛んだった
なんせ埼玉の縄文遺跡から100%漢族と思われる骨が出土したくらいだ
異民族による文化の刷新って概念自体が大陸的発想
862 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:44:33.45 ID:GzqFq301O
>>861 朝鮮半島人のY染色体と日本列島人のY染色体は別物だから
Y染色体で考察すると朝鮮半島経由は明らかにむちゃ
現代の朝鮮半島と関係ないし
864 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:53:07.37 ID:GzqFq301O
朝鮮半島人のY染色体のO2b*と
日本列島人のY染色体のO2b1は
別経由でY染色体のO2から別れたとWikipediaに書いてある
ソースは「朝鮮民族 Wikipedia」でググってくれ
あと朝鮮半島にはY染色体のO2b1はほぼ皆無で
日本列島にもY染色体のO2b*はほぼ皆無
ということがググれば出てくる
要するに朝鮮半島人はゴキブリなり
ベットぎしぎし倭人伝
>>851 勘違いもなにも、「日の巫女の斎宮」は「斎王」というれっきとした"王"ですが。
867 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:55:07.76 ID:zC9bcU0P0
ああ、
混乱をさけるために伊勢では斎宮って言ってるだけで、
本来は斎王か。
ヒミコは日巫女なのかヒメミコなのか、それとも両方なのか
870 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 17:59:38.48 ID:GzqFq301O
卑弥呼って倭姫命かな?
自分たちの国をワが国と呼ぶ倭人たちの、
ヤマト国の日の巫女じゃないの。
872 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 18:02:21.01 ID:GzqFq301O
豊鍬入姫命が台与なら卑弥呼は何だ?
>>793 肝心な「雨」もある
雨と太陽
=Amen-Ra=
である
日ノ本の国のアルファは淡路島ではなく、阿祖山(富士山)である。
874 :
追加:2013/02/04(月) 18:03:21.17 ID:WBI1PvRi0
>>866 つい最近も 三笠宮智仁殿下のご息女、彬子さんが
自分で正式名の「彬子女王」で銀行口座を作ろうとして、
名字もないし、銀行に訝しがられたという話を 自分でしゃべっていた。
>>855 まぁ、間違いなく、畿内にあろうが九州にあろうが
ガッカリ名所に認定されるだろうな
日本4大ガッカリ名所
札幌時計台
高知の播磨橋(字あってないかも?)
あと1つ何だか忘れたけど、それに匹敵するガッカリ名所
876 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 18:12:36.48 ID:jzZxJjNE0
あ”ーーーーーーーーーっ!!
タイムマシーン欲しいなぁぁぁぁあああああ!!
877 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 18:19:28.06 ID:T5rpoTbL0
卑弥呼は田油津媛
台与が豊受大神な
878 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 18:21:21.48 ID:zC9bcU0P0
漢和奴国王イン貰ってるのは文字を
使えたのでないですか百済や周辺地域支配
する根拠で漢の時点で漢字使ってたのに
消し去ったのにはわけがある
畿内説をとるが立場だが…
親魏倭王の金印が出るまではナニも確定しないぞ
絶望的だろうがな
881 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 18:40:00.02 ID:zC9bcU0P0
百済が滅んでから神話のような古事記
国が作るのは凄いアル
882 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 18:43:39.21 ID:XHhPAcLl0
>畿内にあろうが九州にあろうが、
>ガッカリ名所に認定されるだろうな、日本4大ガッカリ名所
皆さんに、宮崎の西都原古墳群の見学をお勧めしますよ。決してガッカリしない。
その川向うの新田原古墳群なんて、広い畑のなかに古墳がニョッキリ、それをかすめて自衛隊の戦闘機がガガアーーーーン
千数百年の時間が凝縮されてる、まさにタイムマシーンの世界だよ。
>>882 無理じゃね
所詮、土が盛ってるだけだから
せいぜい花の季節に、周りの花綺麗だねって言われる程度
884 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 18:56:09.35 ID:XHhPAcLl0
うん、西都原の方は古墳公園だから迫力ないね
川向こうの方は、広いイモ畑かなんかの中に遠慮なくニョキニョキ古墳が生えてて、
空にジェット戦闘機だから、宙返りジェットコースターなみけっこう衝撃ある、関西・関東の人なんかショック死にご注意だね。
885 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 18:57:39.78 ID:W2MA34O20
プヨとエベンキを一緒にしてはいけない
まぁー、黄金で作られた等身大の卑弥呼像とか
オリハルコンや、プラチナで出来た天浮舟が出てきたら
一大センセーショナルを巻き起こしそうだけど
そんなのが古墳から出てきそう?
887 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 19:13:22.27 ID:XHhPAcLl0
そうだ、吉村作治先生にお願いしてみよう、天の浮舟。
朝鮮半島とは戦いを
中国には乞いながら様々な技術を下請けで教えて貰っていたとか
>>889 続き
古事記に出てくる、ナガスネヒコが邪馬台国。
出雲の勢力が広大だったことは、京都に鴨川、上賀茂神社、下鴨神社という出雲の加茂族の痕跡が残る。
邪馬台国ってのは連合国家の名称で、現代のEU(ヨーロッパ連合)みたいなものなんだよ。
EU本部がベルギーの首都ブリュッセルにあるのと同様、卑弥呼の居城も九州や畿内にあったとは限らない。
対海国はイギリス、伊都国はフランス、一大国はドイツ、みたいな感じかな、オレの中では。
894 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:12:46.78 ID:BUzab7D50
佐賀周辺が二万戸
久留米周辺で5万戸
熊本全域で7万戸
895 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:13:32.97 ID:DnEGMTYY0
>>892 倭国の盟主権が奴国、伊都国など北九州から畿内の邪馬台国へと移ったという
のが穏当な考えだろう
邪馬台国が移動したとか九州にあったとかそういうのではなし
897 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:15:59.46 ID:BUzab7D50
佐賀周辺が二万戸
久留米周辺で5万戸
熊本全域で7万戸
倭人伝の行程通りに行けばこうなる。
ちなみに、短里短日説による。
松浦までで中国で使われていた里の1/6であることが
推測できるから、里と日数を1/6したもの。
方向は倭人伝のまま。
倭人の住んでる地域が半島南部あたりまで広がってて、
徐々に、それぞれの国が集合して、
ヤマト連合化してから自分たちの国を、
日本って名乗ったんじゃないの。
899 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:28:49.59 ID:GzqFq301O
【現代の定説】
・邪馬台国=大和国
・卑弥呼=モモソ
900 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:29:43.56 ID:zC9bcU0P0
しかしまあ 日本の古代文字は殷の鼈甲文字に
起原あって古代文字の駆逐させたのは万葉文字ですか
901 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:30:45.04 ID:XHhPAcLl0
>>897 おおむね広がりとしては、そんな感じでいいんじゃないの、
もうひとつの選択肢として5万戸は宮崎方面(宮崎〜川南あたり)というのもありうるけどね。
902 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:31:05.69 ID:a2hWlYD30
ヤマタイコク=ヤマトコク
903 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:33:27.76 ID:zC9bcU0P0
古代文字との融合がひらがなだったです
904 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:36:40.68 ID:XHhPAcLl0
卑弥呼 = 卑・弥呼 = 卑なる弥呼 = ミコ
邪馬台国 = 邪・馬台国 = 邪なる馬台国 = マタイ国
905 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:37:07.73 ID:YWt6bOP+O
906 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:40:09.50 ID:5/+5slfo0
邪馬壹国が正式名称です。
907 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:40:25.43 ID:YWt6bOP+O
>>903 それはない。漢字から平仮名・片仮名への変遷の過程も残ってるから、それはない
908 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:43:32.30 ID:GzqFq301O
しっかし九州説は大変だな。記紀と照らし合わせられないから、永遠に妄想を語るしかない。
それに比べて畿内説は、記紀とも魏書とも、照らし合わせることができるし。
あとは、墓箸を掘るだけだね。
909 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:45:38.21 ID:zC9bcU0P0
漢字は鼈甲文字から進化したものなので
融合しやすかった
日本の古代文字は鼈甲文字
漢字はその進化
910 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:46:45.15 ID:XHhPAcLl0
あとは、墓穴を掘るだけだね。 に見えた。
911 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:47:16.11 ID:TUWjYRGbO
>>907 カタカナもそうなの?
関係無いけどユダヤ文字とそっくりなんだよなカタカナw
偶然なのか、あの類似性興味あるわ
912 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:48:51.62 ID:DnEGMTYY0
>>896 そもそも、「日本」を「ニホン」「ニッポン」と読むようになったのは江戸時代以降だったらしい。
それまでは「ヤマト」と読んでいたらしい。
オレの考では、「倭」も「大和」も「日本」も、読み方(発音)は「yamat」なんだよ。
最後の母音は時代や地域によって変化したに違いない。
それを魏の使者が聞いて「邪馬壱」「邪馬臺」の字を当てたのだろう。
結論でた?
914 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:58:11.30 ID:DnEGMTYY0
>>903,
>>911 平仮名や片仮名が漢字から派生したものであることは紛れもないのだが、
それ以前に日本独自の文字があったことは否定できない。
「白村江の戦い」で負け、焚書されたと、俺は思ってる。
915 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:58:54.38 ID:YWt6bOP+O
>>911 うろ覚えだけど
以→い
伊→イ
とか、途中の状態込みでちゃんとあるから興味があるなら一度調べるとスッキリするでげす
916 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 20:59:55.24 ID:Z7EWWX8pO
日の巫女でヒミコなんだろ?
917 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:00:39.73 ID:a2hWlYD30
>>908 九州説は諸説が乱立しすぎてるからな
磐井にあったとか、宇佐にあったとか、都城にあったとか
バラバラ滅茶苦茶
918 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:03:55.81 ID:XHhPAcLl0
>邪馬壹国が正式名称です。
魏の人間が耳にし、それを文字にしたのは、邪馬壹国で間違いない。
しかし、邪ぱん、邪っぷ、みたいな感じだったかもしれぬぞえ。。。
919 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:05:29.58 ID:7L+Kq+GY0
邪馬台国は阿波ですよ 阿波忌部の動画オススメします
920 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:05:48.15 ID:TUWjYRGbO
>>914 サンカ文字ってのがあるよね、各地方でバラバラの。いつ頃からあるのかは謎だが。
あぶり出し文字なんかは忍者の祖(ry
>>915 あ、なんか見た事あるかもw
921 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:08:31.86 ID:WXLMAnol0
何で卑弥呼の祭祀用建物跡と推定できるの。
そもそも魏志倭人伝の旅程は関西方面には向かっていない。
922 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:09:58.04 ID:GzqFq301O
>>913 邪馬台国=大和国=モモソ=卑弥呼=箸墓
何が何でも邪馬台国にしたいようだ
旧石器程遠事件忘れてないからな
924 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:12:41.33 ID:YWt6bOP+O
>>908 いや、九州説こそ記紀の「天照大神が日向国の橘の小戸で誕生」「日向国の高千穂に天孫降臨」「海幸山幸で隼人を降した(後の薩摩も元は日向国)」から「東征したら畿内に既に大国(纏向とかもあって当然)があった」
とか以降の歴史も含めてスルッと納まるからw
卑弥呼の国がヒムカなら南に狗のマネする隼人の狗奴国があってもokだし
ヒムカが狗奴国に一度は追いやられて日向から北の豊(トヨ)国から再スタートして
葦原国(出雲)と国譲りで統合しながら「豊葦原之千秋長五百秋之水穂国」作るのも神話の通りだし
記紀を踏まえるとムリがあるのは畿内でしょ
925 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:12:55.54 ID:XHhPAcLl0
ザ・ニッポン → 邪日本
ザ・ジャパン → 邪ジャパン
ザ・ヤマト → 邪大和
ザ・なでしこ → 邪なでしこ
926 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:13:23.33 ID:a2hWlYD30
>>921 魏志倭人伝信じたら
奄美が邪馬台国か?
>>852 600年ごとに津波で流されてる地域が何言ってる?
>>924 神武東征は紀元前な
邪馬台より遥かに昔
九州説は魏志倭人伝以外に何かないのか?
930 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:23:05.44 ID:YWt6bOP+O
>>928 いやいや「紀元は2600年〜♪」まで信じてやしないよw
931 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:29:38.46 ID:GzqFq301O
九州説を唱えてる人らは、九州説を知らない。
みーんな独自の妄想で語ってるから、グチャグチャになってる。
畿内説はもうすでに卑弥呼=モモソって確定してるんだから、
九州説もそろそろ卑弥呼が誰なのか、それが記紀と照らし合わせても矛盾がないのか、
そして卑弥呼の古墳はどこなのか
とっとと決めてくれ
だから九州説は永遠に妄想するしかないようになるんだよ
932 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:30:06.02 ID:zC9bcU0P0
ま 大宰府はかつて今で言えば横浜のようなもんでも
あんな所には行きたくないとイみきらわれて八幡宮作ってもらったですか
卑弥呼なら宇佐神宮の下で寝ているよ
亀山って甕山だろうな
934 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:33:07.36 ID:DnEGMTYY0
>>929 吉野ヶ里遺跡(佐賀県)と邪馬台国を結びつける人もいる
>>930 信じる信じないは置いといて、書物に書き残されているという事実は大きい
935 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:33:58.36 ID:YWt6bOP+O
>>931 >卑弥呼=モモソって確定
仮定だろw
箸墓に「ワタシが卑弥呼」って書いてあって親魏倭王の金印や魏の旗が入ってたのか?
936 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:36:02.22 ID:ZzynzxhGO
卑弥呼の陵墓は、造山古墳(つくりやまこふん)。
島根県安来市。
ここの三号墳に眠る。
ありのままに@札幌より
937 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:36:02.93 ID:TH/UCLzUO
青森県で紀元前一万年前の土器が出土してたらしいんだけど、地元自治体が乗り気じゃないらしいんだ。
938 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:36:10.51 ID:GzqFq301O
939 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:36:55.61 ID:XHhPAcLl0
>>931 畿内説は卑弥呼=モモソ確定でいいんだな、シメシメ。
ま、どこに決めようと、トンデモに変わりないけどなwww
>>922 お、おう…。
>>838 そこよそこ。
埼玉氷川神社の「氷川」は出雲の「斐川」を持ってきた地名で、
つまり武蔵への出雲族の進出を反映して…、みたいな話が
通説なんだけど、氷の「ひ」は甲類で、斐伊川の「ひ」は乙音なんだよな。
シンプルな解釈は美しいけど、美しいからと言って真実に
近いとは限らないというかなんというか…。
941 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:38:40.34 ID:CnxcjMRP0
>>930 >いやいや「紀元は2600年〜♪」まで信じてやしないよw
九州説得意のご都合主義ってやつですかw
記紀出すなら国の始まりは淡路島を無視するなよ。
>>924 葦原国は大阪のこと。淀川河口の現在の鶴見、寝屋川、枚方、門真などのあたり。
当時、そのあたりは海(湾)だった。大阪城および上町台地が岬のように突き出ていた。
淀川から運ばれた砂がそのあたりにたまり、葦原が生い茂り、島が続々と生まれてきていた。
その、島が生まれる様子が国生み神話として語られている。
水銀がキーワードね
阿蘇から発して中央構造線に沿って
東に移動して行ったんですよ
その途中の所にヒミコ様がいたんですよ
四国じゃないでしょうな
944 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:41:28.84 ID:XHhPAcLl0
宇佐神宮は、卑弥呼を祀る本宮の影武者みたいなもの
畿内説の輩に荒らされちゃかなわんから、とりあえず宇佐で防ぐため
>>937 東北各県は
「神の手」の影響であんまり遺跡発掘に乗り気じゃないんだよなw
九州説はもうダメだろ。
畿内のどこにあったのかは分からんが。
親魏倭王の金印が、とんでもないとこから出土する展開が一番面白くなりそうww
台湾とか
>>931 モモソの確定はないよ
一番近い線ではあるが、そもそもそこまで記紀自体に信憑性がない
海部氏勘注系図の件もあるし
951 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:46:10.34 ID:XHhPAcLl0
畿内も、神の手だか、桃の手だかで終わるじゃろ
>>941 ところがあれは全部九州の話だって説があってね
953 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:48:49.83 ID:a2hWlYD30
記紀否定しだしたw
954 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:49:53.74 ID:GzqFq301O
九州説飽きた。次いくべ次。
九州説で妄想しすぎて、オエッてなりかけたわ。
自然に考えようぜ、もう。
955 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:49:55.41 ID:zC9bcU0P0
蘇我入鹿は阿蘇系でだとわかりやすい
野蛮人討伐軍閥は蘇我と物部と藤原
956 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:52:24.35 ID:GzqFq301O
だからさ、
もともと嫁入りって概念がなくて、
通い婚や、住みこみから婿入りみたいな感じなんで、
女性は自分が生まれた共同体で子供を産むから、
必然的に母系だったんだよ。
それが有力部族に娘を嫁がせるようになってくると、
ここで初めて、男系って概念が生まれてくるわけね。
そうなると、お父さんのお父さんのずーっとお父さんは誰なの、
って子供が聞くから、遠くから旅をしてきたんだよ、そこには天から降りてきたんだよ、
天照大御神の命によって天孫降臨して神武東征して日本を統べることになったんだよ、
って具合に皇族の男系始祖の起源神話が生まれるわけで、
これは世界の起源神話とは別で、時代的には新しいでしょ。
958 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:54:22.53 ID:XHhPAcLl0
九州説の仮定も出してないのにもう飽きたか。辛抱出来ぬならそれでもいいぞ、
ま、月末辺り、某新聞にドカーンとな。
九州説とかたがついたら次は記紀厨との無意味な戦いが待ってるんだろうな…
960 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:55:45.50 ID:zC9bcU0P0
そうだよあんな出来たばかりの藤原京で
戦やるのが不思議
>>942,
>>949 古大阪湾はまず砂洲でせき止められて潟湖になって、
徐々に縮小していったから、島がボコボコ生まれるという
雰囲気じゃない気がする。
淀川の運ぶ泥が海側にはほとんど出ていかなかったらしいことは、
大阪湾岸には古くから潜水漁を生業とする海の民が住んでいた
ことからも想像できるのだ。大阪の土着の神である住吉神の
「すむ」というのは「潜水する」という古語で、今でも九州方言に残っている。
962 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 21:59:09.92 ID:PhLPGy7Y0
妻が使っている鏡に景初四年と書いてあるのだが
それは年代物ですな。
966 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:04:54.61 ID:YWt6bOP+O
>>941 ID辿って貰えば解ると思うが、東征のはじめは豊国と葦原国の連合国から始まってると言ってるのね、だからニギハヤヒと出くわした時に
ニギハヤヒと同じ出雲族の葦原国の物を持ち出して「俺ら同族やん」て言えるわけ
で、交渉するなら相手の言い分も聞きつつ(国のはじめは淡路島)、ナギ・ナミが別れてから
天照大神とかが日向の橘の小戸で生まれてその末裔が「今こうして高木神の末裔のニギハヤヒと再会したんですやん」的な妥協点の産物じゃね?
晩酌が回ってきたから文章が変かもだけど「畿内ありき」で考えるよりは「最初からそこに居たのに、放置して三輪山の大物主に祟られる」よりはマトモだろw
三輪も、蛇(巳)がトグロ(輪)を巻いたような円錐形の山って意味だし
三輪とか美輪とか字を変えてミワヤマは各地にあるっしょ
神道は統一した教義じゃなくて、
プロトコルの共有で成り立ってるから、
神々林立するんで、仏教を導入して、
横のつながりを図ろうとしたかな。
結果的には、なんだかんだで、
神道が縦糸なら、仏教は横糸、
全体として大きな織物みたいになってて、
これはこれで良かったのかも。
968 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:05:15.98 ID:zC9bcU0P0
徳川が関東の空疎地を発展させたように
近畿も侵略者が発展させたのはあるのでは
原口先生!原口先生!
このままじゃ、このままじゃ
佐賀が・・・佐賀が・・・
諏訪の伝承には国譲りの話がなくて、
土着部族のモリヤと移住してきたスワが争って、
スワが統治して、モリヤが祀ることになった、
と伝わってる。
971 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:10:21.27 ID:7L+Kq+GY0
水銀(朱)なら徳島県の阿南市の若杉山鉱山ってのがありますよ
那賀川をさかのぼり、鷲敷町との境には四国霊場二十一番札所の太竜寺がある。この太竜寺の北側の「若杉山」の標高140〜170mの山腹斜面に遺跡が広がる。1950年代には遺跡の存在は知られていたが、1古墳時代の初めまでが朱生産のピークと考えられる。
全国的にみても辰砂を採掘する遺跡として唯一のもの。水銀朱は古墳時代前期などに古墳の埋葬主体に大量に使用される。若杉山遺跡で産出した水銀朱も各地の古墳築造時に運び出されていったものと想定され、古墳時代の広範囲な流通を知る上でも非常に重要な遺跡である。
972 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:11:05.68 ID:YWt6bOP+O
>>942 出雲の大国主命の別名が「蘆原醜男」じゃん、大穴持ちはせいぜい大山の伯耆の出身で良いよね
つか大国主って、
多くの主なんじゃないの。
スサノオのとこでイビられて、
駆け落ちしてから大活躍するようになったとかで、
要するに母系部族社会から男系氏族社会に移行して、
出雲に神々が集まって行うのは、
宴会しながら、縁結びの相談だったりすんだよね。
>>964 松前健先生は、出雲の巫ゲキ集団(ゲキは巫偏に見)の
活動によって出雲の神々がメジャーになったという説を唱えて
いるよね。オオナムチ神話(白兎とか兄神・舅スサノオとの確執とか)に
あるように、もともと出雲は医療先進国で、その技術を背景に
出雲の神々をメジャーにしたと。
975 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:14:52.31 ID:9ko8bebh0
ナラって朝鮮語だよな
近畿説支持者は韓国人だな
976 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:16:19.94 ID:YWt6bOP+O
>>948 だよなw
なのに畿内を言う奴らに限って「確定してる」とか言う不思議w
977 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:17:22.72 ID:CnxcjMRP0
どっちかっつーと、
古代の倭人は半島南部まで勢力圏にしてて、
まず出雲系のグループが男系化したんじゃないの。
古事記の順番からすれば、その後で、
天孫降臨して神武東征して国譲りの確認、
もともと天孫の統べる国だ、って話になってる。
まあ、古事記の冒頭にさかのぼれば、
柱を廻り合った男女が声をかけるのは、
女性から男性に移行してるけど、
大事なことだから最初に言いました、
とかと違うかなとか。
979 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:19:27.83 ID:7L+Kq+GY0
ザ 邪馬台国ってな感じで 大河ドラマ作って欲しい。
>>975 >ナラって朝鮮語だよな
朝鮮人の願望ですよ、稲作半島起源と同じ戯言。
韓国の学者は九州説多いぞw
981 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:21:15.10 ID:wr2wWYol0
卑弥呼が死んだ後は、大小の国が戦争して大いに乱れるんだぞ。
でも奈良にそんな話は無いよな。
日の巫女を弟が務めるって話になったんで、
男性が日の巫女を務めると言うのは、
前例がないことだ、とかで荒れたんじゃないの。
んで結局、イヨという娘が日の巫女に就任することになった云々とか。
>>952,
>>977 あの壮大なホメロスの叙事詩「オデュッセイア」だって、
エーゲ海(ぶっちゃけ300km×300km)の中の出来事だしなw
984 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:24:04.19 ID:DnEGMTYY0
985 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:24:13.85 ID:zC9bcU0P0
一国は今の大宰府で奴国は今の吉野ヶ里でいいですか
>>981 モモソの弟は桃太郎のモデルだよ。
畿内周辺を成敗しにゆく記述あるけど。
>>978 それは神話と違う。先に姉と弟で別れて、別れて後はアマテラスは高千穂神話とかになるし
スサノオは半島から紀州→播磨→出雲って移動してる
988 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:27:58.26 ID:7L+Kq+GY0
朝鮮がよくでてくるけど。
天皇家が行う儀式 四方拝とか新嘗祭とか 外国にはそんな行事あるの?
>>981 そこはいかにも当時の九州の描像っぽいよね。
小規模な環濠集落が乱立して争っていた。
990 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:30:17.63 ID:9ko8bebh0
柱で出会って唱える言葉は古代アラム語で「まぐわおうぜベイビー」
母系の文化は南洋にも残ってるけど、
その一方で台湾辺りだと、
大陸の祖父はいても、大陸の祖母はいない、
って言葉があるそうなんで、一般的な話として、
船で広域を航海するようになると、
男性主体だから、男系化しやすいんじゃないか。
んで、通い婚から嫁入りして男系化すると、
それまでの部族社会から、汎部族化して、
広域連合が形成されやすくなる。
ローマ建国に関する逸話にも、
初期のローマは男性ばかりだったんで、
近隣の集落を騙して女性を連れ去ったんで戦争になったが、
やがて和解して、一緒に住むようになった、
なんて話がある。
992 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:32:37.59 ID:DnEGMTYY0
>>978 >古代の倭人は半島南部まで勢力圏にしてて、
もちろん、歴史的事実ですよ。『広開土王碑』に刻まれています。
ただし4世紀の話なので、卑弥呼の時代より100年程後です。
>まず出雲系のグループが男系化したんじゃないの。
っていうか、出雲は半島からの渡来系だと、自分は思います。
ちなみに、当時の半島人と現代のコリアンは別人種ですので、ご安心ください。
倭人伝の記録は肥前、筑後、肥後の記録。
筑前との境界である吉野ケ里から鳥栖にかけては、
戦が絶えなかった。
このあたりの遺跡からは、戦によって死んだ遺体が
多く出土する。
おそらくは、肥前肥後を含む肥国が、環有明海連合として存在し、
それを筑紫が破ってできたのが筑後。
これがおそらく倭国騒乱。
3スレまできて九州説、畿内説で決着がつかないのであれば
一旦四国の方で邪馬台国は預かってやらないコトもない
そういう結論として邪馬台国は四国
995 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:35:01.08 ID:XHhPAcLl0
されば、阿蘇山の東南陸行三百里の日向知保郷こそ女王之都なり
上古よりここには
天の岩戸にお隠れになられた天照大神を祀る天岩戸神社 西の宮
天の岩戸より御出になられた天照大神を祀る天岩戸神社 東の宮
の二社が祀られて久しい
996 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:35:16.75 ID:2ZZRgJbD0
「アースウォーカー」に奈良の高原の駅近くに住む塗料会社の代表取締役の息子と蕎麦屋の息子に
勧誘されたのがなつかしいな〜。
彼らはセルシオ、ランボルギーニに乗ってたけど。
儲かってたのかな?
>>991 まあ、船乗りは港毎に女がいるもんなあw ←偏見
いや、なんで半島の南部まで倭人が住んでたかったら、
氷河期辺りから樺太や北海道を経由して、
原日本人が南下してきたところに、
南方から航海術を持った人達が渡来してきて、
稲作とかも伝わったんじゃないの。
でも人数的には少数だったんで、日本側に吸収されちゃったけど、
技術は伝わったからさらに北上して、半島まで勢力圏になったとか。
けっきょく「女王国から東に海を渡る」も「神武東征」も含めて
一番に自然な物語りが作り易いのが九州で
畿内に合わそうとするとムリヤリ感が強すぎるのよね
1000 :
名無しさん@13周年:2013/02/04(月) 22:39:59.09 ID:GzqFq301O
九州説は早く結論出してくれよ。
いつまで考察し続けるんだよ。
大神の分家の宇佐神宮がなんだって?
ったく本家でもないところが、何を語ってるんだか・・
1001 :
1001:
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