【社会】卑弥呼の祭祀用建物跡?奈良・纒向遺跡で柱穴100個超出土★2
1 :
春デブリφ ★ :
2013/02/03(日) 07:26:44.04 ID:???0 ★卑弥呼の祭祀用建物跡?奈良・纒向遺跡で柱穴100個超出土
邪馬台国の最有力候補地とされる奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡で、
女王・卑弥呼(ひみこ)が君臨した時期にあたる3世紀前半の小型建物の柱穴が
100個以上見つかり、市教委が1日、発表した。約60平方メートルの狭いエリアに
集中し、小型建物を建てたり壊したりした跡とみられる。遺跡の中心部で柱穴が
集中して確認されたのは初めてで、専門家は「年に数回、卑弥呼が特別に
執り行った祭祀(さいし)用の建物跡ではないか」とみている。
市教委は過去の調査を踏まえ、遺跡の中心部は、卑弥呼の宮殿とも指摘
される3世紀前半の大型建物を含む4棟の建物が東西に並んでいたと推定。
今回、昭和53年に柱穴の一部が確認されていた最も西側の建物の推定地を
調査し、この建物に関連する柱穴は確認されなかったが、周辺で直径10〜
60センチの柱穴を100個以上確認した。
市教委によると、建物群の入り口にあたるとみられ、「特別な空間」として
利用された可能性が高いという。古代祭祀に詳しい辰巳和弘・元同志社大教授
(古代学)は「卑弥呼が年に数回、食物の収穫を感謝する祭祀のたびに建てられ、
祭祀後に取り壊された複数の小型建物の痕跡ではないか」と推測している。
一方、今回の調査では、4世紀中頃に整備された豪族居館の周濠(しゅうごう)跡の
一部も確認された。過去の調査を踏まえ、周濠の規模は東西約65メートル、南北
約54メートル、幅は最大5・8メートル、深さ最大60センチ以上と判明した。
市教委は「3世紀の宮殿エリアを囲むような周濠で、この周辺のエリアが、世紀を
またいで政治や祭祀の神聖な土地として利用されていたのではないか」とみている。
現地説明会は3日午前10時から。JR桜井線巻向駅の西方徒歩約5分。
http://sankei.jp.msn.com/life/news/130202/art13020213480002-n1.htm http://sankei.jp.msn.com/images/news/130202/art13020213480002-p1.jpg ※前(★1:2/02(土) 16:07:36):
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1359788856/
2 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:28:48.63 ID:oSC5VtZg0
2
はい九州説死んだーwwwwwwwww
九州(笑)
近年は関西説が当たり前。 引くに引けない九州土人は恥じかく前に取り下げたほうがいい。
6 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:33:30.35 ID:nWQnXN780
で、それが卑弥呼の遺跡だって証明出来るものはあるわけ?
7 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:33:39.60 ID:L4T2pZR60
こんなもの、何処にでも昔は有ったんだよ
でもなあ、日本書紀には卑弥呼は神功皇后だって書かれてるし、 女陰を箸でついて死んだ女が呪術で国を支配していたとも思えない のよねえ。ここが神功皇后の墓だというならわからないでもないんだが。
卑弥呼は韓国が起源 ニダ
10 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:37:25.61 ID:NzlHQSI+0
町興しの為に奈良の田舎者が勝手に邪馬台国が奈良にあったと主張してるだけだろw
11 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:39:32.47 ID:WeIf2McI0
九州涙目か。
12 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:39:34.49 ID:zxehCfO30
箸墓古墳はよ調査して〜 観光におみやげに盛り上がるぜ おみやげは 三角ブチ神獣鏡せんべい
またアクセス稼ぎに畿内vs九州であおるのか・・・・・ 日本国内の文物で卑弥呼なんて記述がない以上 本名ではないしあまりに不名誉な当て字。双方必死になるな
14 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:42:04.06 ID:dFzceZev0
近畿説は無いよ。 理由は色々あるが、例えば1つはこんなの。 3世紀に西日本を 軍事的に 軍事的に 軍事的に 軍事的に 軍事的に 軍事的に 軍事的に 軍事的に 軍事的に 軍事的に 軍事的に 統括できる政治勢力は存在しなかった。これは学会の定説。 ところが伊都国は九州にあって、邪馬台国の代替代理で北部九州を軍事的に統括していた。 つまり邪馬台国は近畿ではないw
15 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:42:23.02 ID:nWepOAn60
普通に魏志倭人伝読めば九州南部なんだけど多分火山灰で埋まってるね
16 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:45:10.48 ID:dFzceZev0
理由は他にいくらでもあるけれど、近畿説はとっくの昔に死んでいる。 バカだから自分が死んでいることに気づいてないけどwww 近畿説って、未だにモモソヒメ=卑弥呼とか、纒向=邪馬台国とか 言ってるレベルのバカだから、問題外ですw 近畿説はゾンビ。自分が死んでることに気づいてない。 単に纒向はすごいぞ〜と言っているだけ。 そりゃすごいでしょ。だって纒向はニギハヤヒの都だからw (神武が目指した国ね)
17 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:45:18.14 ID:22HaHR2l0
>>10 卑弥呼の墓だろうが何だろうがあの辺は変わらんよ
卑弥呼?へ〜くらいなもんさ
反対に吉野ヶ里を心配してあげられる町さ
18 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:48:25.68 ID:dFzceZev0
>>10 そうそうww
近畿説の連中の最大の特徴は「自己紹介」w
何か言うとすぐに自己紹介を始める。
「町おこしで九州説言ってるけど、もうダメだな。」
近畿説のヴァカの得意の決めゼリフwwwwwww
オマエのことなの〜〜〜〜
19 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:50:29.40 ID:Ycm6bbjN0
卑弥呼なんかほんとうはいなかった 弟と名乗る男が一芝居うっていたのだ 1000人の女の召使は「弟」の慰み物であったのだ
20 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:52:36.22 ID:dFzceZev0
近畿説が一番痛いのは、神武東征がほぼ完全に否定されてしまったこと。 あれは記紀の捏造であることは、もう疑いが無くなった。 もはや学会には神武東征を支持するまともな学者は1人も居ない。 そして、近畿説のアホは、これは九州説を否定する材料だと思っている。 もちろん違う。 神武東征が否定されたことで否定されたのは、近畿説のほうw
何処でもええやん
22 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:56:20.80 ID:dFzceZev0
1.神武にあたる人物は多分本当にいた。 2.東征は記紀の作り話し。実際は逆で、恐らくは近畿の大和勢力に招かれて行った。 (つまり神武は近畿勢力の雇われ店長) 3.九州にあった邪馬台国と近畿大和政権は政治勢力としては無関係。 神武を連れてくることで、九州の邪馬台国のブランドだけ近畿へ移植した。 これが真実だと思われ。
九州のステマ部隊もっと頑張れw あと時給いくらなの?
24 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:57:52.84 ID:X/ZoL3xt0
25 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:58:40.46 ID:dFzceZev0
近畿説はただのゾンビです。 バカだから自分が死んでいることに気づいてないw
26 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 07:58:57.91 ID:/Sonx/V9O
宮内庁はすべての陵墓の発掘を許可しろ
なんかこのスレ臭い
28 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:00:39.78 ID:Gj7mKToT0
蛭子さんが見ていた
29 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:00:40.66 ID:X/ZoL3xt0
dFzceZev0の、一人発狂スレにしとけばいいよ。
30 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:00:48.55 ID:Llb6C/NR0
邪馬台国は山口だろ
31 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:01:08.59 ID:dFzceZev0
>>23 ↑
これが近畿説の正体wwwwwwww
分かりやすい〜〜〜〜wwwwwwwwwwwww
ステマはお・ま・えwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
32 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:01:59.26 ID:Ti3fHB4n0
だから、神武東征か邪馬台国をさっさと大河ドラマでやれと。 あんな視聴率取れないのいつまで続ける気だ?NHK
邪馬台国があったら何かいいことでもあるのか? もう存在してないのに 今のご時勢邪馬台国で町おこしは無理だろう
34 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:03:57.55 ID:dFzceZev0
>>27 臭いのは近畿ゾンビwwwwww
さっそく自己紹介乙です〜〜〜wwwwwwwwwwww
>>29 あのなw反論してから言えな、そういうセリフはwwww
反論できずに沈黙してるゴミが言うセリフじゃ無いの〜〜〜〜〜wwwwwwwww
近畿説は
>>23 >>27 >>29 こんなのが言ってる説だと思えば、とても分かりやすい。
どういう類のものか、一発で分かるwwww
35 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:04:09.46 ID:Ti3fHB4n0
そして皆既日食で天照の卑弥呼 いつになったら教科書に記述されるのや!
36 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:05:24.95 ID:NzJQh8ky0
近畿説がゾンビならお前ら何説だ。 それを言ってから近畿説をゾンビ扱いせー お前らこそは「ホームレスの妄想」だ。ボケ。
37 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:06:16.87 ID:dFzceZev0
昔の2chにはこういう必死なレス乞食の火付けバイトが何人もいたが めっきり見なくなったな。さびしい限りだ・・・・・
39 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:08:27.81 ID:dFzceZev0
>>38 >>34 (楽でいいなw)
何にも反論出来ないでいるのに、勝ち誇る近畿クズwwww
2世紀倭国大乱。出雲の国譲り→3世紀前半に奈良の巻向に邪馬台国→4世紀、北九州の 天皇家が大和に侵入邪馬台国をのっとり大和政権を樹立。
さくっと
42 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:11:18.66 ID:dFzceZev0
巻向が壮麗な都市であるのは当たり前。 神武が噂を聞いてわざわざ目指した土地なのだから。 纒向はニギハヤヒの都です。邪馬台国は全く関係ありませんwwwww
43 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:12:47.41 ID:yHGy62hWO
邪馬台=やまと=大和 超巨大な都市機能持った都 時代がドンピシャ 中国と交易していた 倭人伝で無視するとは考えにくい 畿内派はこんな感じなのか?
44 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:13:15.88 ID:xALh7zJ40
九州とは何だったのか
45 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:13:27.70 ID:dFzceZev0
ハイ、手術終了w
魏志倭人伝に書かれている邪馬台国とか卑弥呼とかは、九州北部以外あり得ない。 しかしそのことによって、当時の邪馬台国と同等規模の国が近畿圏にあったことの否定はできない。 というか十分存在し得る。
神功皇后と応神天皇のあたりで九州のヤマト勢力が近畿のアマテラス (は虚構だけど)勢力に入り込んできたんだと思うの。で、以降の皇統は 応神天皇系が続いてる。だから歴代の天皇は伊勢神宮にお参りしないし、 宇佐神宮から神託を得たりしてる。
48 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:15:05.85 ID:Ti3fHB4n0
>>33 邪馬台国を明らかにすることで
欠史八代の実在の有無、何よりも大和・日本の歴史の起こりを
明らかにする点で極めて極めて重要です。
不明なら、例えるなら、明治維新の記録が全く無いのと同じことです。
表札ぐらいつくっておけっつーの
50 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:16:43.06 ID:Xqefry9y0
奈良→邪馬台国 九州→邪魔大国
>>43 「大」はとってつけた字。大日本帝国とか大韓民国と同じ。
国名を指すのにヤマトという言い方と倭(わ)という言い方があったから、
和(倭)を「ヤマト」と読むようになった。
仁徳天皇陵とかあれほどでかくて形が整ったものを作る土木技術はあったのに、文字が使えないとか あれだけのものを作っといて、誰の古墳かを記録出来ないとかふざけるにも程があるって感じ
53 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:21:30.59 ID:E8YU93Po0
>>52 あれだけ目立てばとっくに盗掘されて破壊されてるだろう
そもそも邪馬台国が存在したとされる時代、 九州は今の場所ではなく 四国にも似たような遺跡が埋もれているとか 邪馬台国の土地面積だって分かっていないんだから 近畿、九州両方にまたがってた可能性はないの?
56 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:24:16.25 ID:Ycm6bbjN0
若者は大仙陵古墳と習っている
九州説を唱える人の根拠の一つ、魏志倭人伝の中の位置だけど 魏志倭人伝を忠実に読むと邪馬台国の位置ははるか海のど真ん中になってしまうのであり得ない 魏が金印を渡した国は二国あるが、 位置的に考えて魏が呉や濁を牽制して両国の挟む形で 関係を持った国があるように見せ掛ける為の作為でしか無い
58 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:24:56.02 ID:ZjjlpNgRO
古代の発掘物は九州や出雲が圧倒的に強いから。 で、九州や出雲の文化圏の一部だったローカルな奈良近辺がだんだん盛んになってきて 勢力拮抗→奈良近辺が優勢に という流れ。 日本の首都が京都から江戸東京に移っていく流れを想像するとわかりやすい。 江戸時代に来日した外国人使節団は日本の首都をどこだと表現したか? 日本で一番偉い人が住んでいる宮殿はどこにあったか?
59 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:26:05.36 ID:yHGy62hWO
当時は防災と稲作とシャーマニズムで他に余裕なかったんだろうな
味のマルタイ
あとさー、和がヤマトという国を表すんだから、聖徳太子が作ったと される十七条の憲法の最初の「和を以って尊しと成す」も国家が一番 だって解釈もできると思ってたり。後に続く文章も「個人一人ひとりは いろんな問題はあるから、やっぱり国としてまとまっておくべきだ」と 読めないこともない。まあ曲解だがwww
邪馬台国って出雲なんだろ?
邪馬台国関係はなんでなんちゃって歴史家が湧きまくるんだろうなぁ?
前スレでスルーされたけど 奈良で邪馬台国当時の絹は発見されてるの? 九州では発見されてるけど
65 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:40:31.06 ID:Ti3fHB4n0
話は変わるが、大和タケルは関東まで遠征に行ってました。 何が言いたいかというと、近畿か九州説というより、 既に卑弥呼の時代から日本の本州の大部分(東北・北海道 除く) を制圧してたのでは。 近畿に日本初の中央集権国家(大和朝廷の基盤)を置き、 九州、四国、関東などに拠点を置いていた。
朝鮮半島に攻めてた倭人って近畿も刺青をやってたのか?
当時の九州は近畿の隣で陸続きだったが、地殻変動で今の場所になった。 これなら両方の面子が立つ気がしてきた。
>>64 出てるか出てないか、と言われれば出ている。
1992年に三世末のものらしい「きんちゃく袋」が出土した。
それでも、大和における絹織物生産は4世紀末から
という通説は揺らいでないけど。
69 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:50:21.29 ID:xALh7zJ40
>>53 チョン半島や支那じゃー在るまいし、武蔵野の大地には古墳時代の物が道の脇に置いてある。
神社仏閣は何で無防備だか知ってるか、ごくわずかな人を除いて盗みに入る人が居なかったんだよ。
今の頭で物を考えるな
> 年に数回、卑弥呼が特別に執り行った祭祀(さいし)用の建物跡ではないか これも推測にすぎないのになw 仮定の上に仮定を積み重ねても意味ねえw
>>64 それが、発見されてないんだよね〜
まぁ、既得権益で、どんな理由でも卑弥呼に繋げたいだけ
高松塚は盗掘されてたね…
今の日本の教育の祖は聖徳太子だしな それ以前の教育は知らんが
>>69 持統天皇陵とか鎌倉時代に盗掘されてるよ。
75 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:57:46.47 ID:5CywWdwa0
何で卑弥呼なんつう中国の捏造信じるの。自虐史観に囚われ過ぎ。
前スレでは奈良説のほうが優勢で書き込みのレベルが高かったような… 陰部を突いたミイラって中国で見つかってなかったっけ 血脈を絶つ象徴のような残虐行為が古代行われてた? 海幸山幸や桃太郎みたいなお伽話は異民族同士の争いから創作されたと思うんだけど
77 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 08:59:29.12 ID:xALh7zJ40
>>64 鏡だって九州のほうがわずかに小さい
近畿出土のは九州の現物から型とった孫コピーだということだろ
実際にない年号の鏡も見つかってるのだけど、多いから畿内説有利って・・・
79 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:00:58.26 ID:URY40RW60
掘れば遺跡にあたる地域 見なかった事にして、埋めた場所は腐るほどあるだろうww
>>78 鏡だけで決めるわけでもないだろうけど、
中国の歴史書の記述と発掘されたものが一致してるってことで鏡は貴重よ
81 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:05:53.16 ID:pETCaBi80
邪馬台国は九州だよ、奈良なんてあり得ないから。邪馬台国は強大だからシナ の歴史書に記録があるわけじゃない、朝貢したから記録されただけで、遺物が 残せるほど長続きした国だった可能性は無いよ。
82 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:16:00.63 ID:0Y89c4vBO
>>52 少なくとも漢字はあったはずなのに、それすらいまいち分からないというのは、
大規模な焚書があったんだろうね。
83 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:23:33.02 ID:+Ywe+vAQ0
九州の神武天皇「近畿に攻めるべ」←神武東征 ↓ 近畿「ちょwこりゃ同盟作らんとあかん。」←卑弥呼をトップに据えて同盟作る ↓ 近畿同盟「やべー負けそう。魏に援軍頼むわ。俺らの親分だし来てくれるだろ。」←ヤマトとして使いを出す ↓ 魏「なんか知らんけど倭のヤマトって国が攻められてるらしいな。」←倭国大乱として記録する ↓ 結局攻め入った勢力が勝って政権取る。負けた側のトップだった卑弥呼は天照大神になる。
84 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:31:22.19 ID:9EafV9fe0
朝鮮半島南部や九州北部の倭人が大和政権の源流 その後の大和政権と朝鮮半島の関わりあいが説明出来ない
85 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:37:19.46 ID:fpW12K0HO
厩戸皇子 「和を以てヤマトとする」 「わが弟来目皇子を一大率の将軍タケルとする」 「わが子を山背王、ヤマトの君とする」 「国記、大王記の編纂し和(ヤマト)の歴史とする」
86 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:43:35.19 ID:0NKMXNq/O
重要なのは邪馬台国がどこかというより、日本の統一王朝につながる権威の成立が かなり遡りそうになるってことだね。仮に三輪山信仰の系譜がそのまま天皇家に連なるようなら 縄文時代からずっと、まさに神代からの系譜になる。 巻向が宗教都市であって生活の跡がほとんどないのも面白い。
87 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:48:35.57 ID:BrlTGR8jO
>>86 トーシロなんでいまいちよく分からんのだが
何で邪馬台国どっち(どこ)かに歴史好きな人たちは拘るんだ?
ほぼ同時期に複数箇所で似たようなもんが在った可能性、は駄目なん?
卑弥呼が一人、って実は書き残した人が区別出来てなかっただけとか
お前ら馬鹿すぎて笑える 魏志倭人伝の話として一番可能性が高いのは台湾だろうが 当時の造船技術じゃ瀬戸内海渡れねーよ 朝鮮から来た弥生人が縄文人押しのけて、大和朝廷作ったってのが定説
89 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:54:48.96 ID:fpW12K0HO
大和物産、ニニギやニギハヤヒの物部 大和情報サービス、ヒミコやイヨの語部
90 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:56:43.99 ID:TgURCs3N0
結構真面目なスレだった・・・ 面白くもない釣りをしようとした俺なさけない・・・
91 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 09:58:21.77 ID:0NKMXNq/O
>>87 学会では現時点で邪馬台国の場所を語るのは無意味っていうのが常識だよ。
どういう風にでも語れるから結局、水掛け論にしかならない。
だから発掘や文献の精査を地道に積み重ねていくしかない。研究の現場っていうのは極めて地味な仕事。邪馬台国の場所云々の論文なんて普通は相手にされない。
それに邪馬台国をつけるのは世間に向けた宣伝みたいなもん。
とにかく論争を仕掛けたい目立ちたがり屋や予算が欲しい人が語ったりはするけどね。いわば飛び道具みたいなもの。
あとは水掛け論が好きで手っ取り早く本を出したいアマチュア史家が多いんでしょ。
92 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:01:20.00 ID:e/UDHXnU0
金印 まだぁ?
93 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:01:36.30 ID:fpW12K0HO
語り部が物の怪の話は物語 むかしむかし、あるところにヤマタノオロチという大蛇が追ってな
>>87 ほぼ同時期に複数の箇所で似たような規模の勢力があったのは弥生時代末期
3世紀に入ると奈良県に新しい規格のでかい墳墓が発生
同じ規格の墓が瀬戸内から関東にかけて作られ、のちに九州北部や東北にも出現
でも依然として畿内の墳墓が他の地域の同規格の墳墓より明らかに巨大
まあ確かに邪馬台国がどこだったかってのは考古学の分野では大したことじゃないかも
大事なのはその時期の畿内に全国的な政権の中心地があったってのは動かないということ
>>87 86が言っている様に、邪馬台国の問題は邪馬台国という国が
どうであったのかという話だけではなくて
この国の成り立ちの系譜というか発祥に深く関わっている
「邪馬台国」という存在についてのみ知りたいのであれば
87の言っているようなことで片付けることもありかも知れない
(それでもきちんと証拠を積み上げてからの話だけど)
邪馬台国が近畿にあったのか、九州にあったのかということで重要なことは
その後に続く大和朝廷が深く関わってきていて
もし近畿にあったのであれば、邪馬台国がそのまま大和朝廷に変化した可能性が高くなり
日本の統一王朝の歴史がさらに古くなることになる
もし九州にあったのであれば、別の勢力が近畿に起こり、大和朝廷となったことになる
96 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:09:25.42 ID:fpW12K0HO
でも炭素年代法か知らんけど、最新の科学力で年代を繰り上げちゃいましたは 正直、ゴッドハンド臭がするよなぁ
97 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:09:27.20 ID:7XUAyCua0
奈良県桜井市なんて市名を聞いたこともなかったが、 市役所自ら卑弥呼の里と以前から主張し、ひみこちゃんという、ゆるキャラも作っているんだな
>>95 本当は別の勢力だと思うが
邪馬台国=大和でないとイロイロマズイのよね
>>65 俺もそう思う
3世紀の時点で西日本のかなり広い地域に連合国家が生まれてたんじゃないかと
101 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:16:07.53 ID:z8BjmAzF0
>>52 ○○天皇を××(地名)の△△稜に埋葬したって記事は残っていて
平安時代前期までは、ちゃんと国で管理してた。
朝廷の力が衰えていく内に管理がされないようになってきた上に、
時の流れで地名も変わり、どれが誰の稜だか解らなくなった。
それじゃあいかんだろってことで、江戸時代に文献調査や現地調査の上で、
ここが○○天皇陵だって決めたのが現代に至る。
102 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:21:26.22 ID:fpW12K0HO
文字が普及してないころのほうが国家の統一性があったとか、ほんまかいな 普通は統一性をはかるために文字による情報伝達の統一性が必要になるわけでさ
結局この話は連合国家って決しかないのよ 連合国家、大和の中心勢力が奈良・・・・・大規模遺跡 大和国の勢力の入り口、交渉地、集積地が九州、朝鮮南端・・・・出土品多 魏の使者も結局、和国圏内に入ったが女王に会えない謎がここにある。
104 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:37:31.76 ID:O9eh2VVu0
>>98 橿原の隣だし三輪山あるし、飛鳥近くてヲタにはたまらないエリア内だと思う
105 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:42:39.22 ID:0NKMXNq/O
>>103 まあそんなところだろうね。
ヤマトとなる統一王朝が畿内から発生し、出雲、九州、関東を傘下に収めていったのはほぼ間違いなく
九州からの征服王朝的な東遷もまずあり得ない。(血族間の権力の移動はあったかもしれんが)
だが中国からの使者が邪馬台国(ヤマト?)として九州を訪れていた可能性はある。
>>103 >>105 視点を九州だけ畿内だけって限定するからわかりずらくなるんだよね
邪馬台国を西日本一体の連合国家だと思えばわかりやすくなる
107 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:45:50.30 ID:fpW12K0HO
単に伊都国の自演にしか見えないけどな 出雲を媒介してマキムクとの交易はあったけど 連合国家で政治的な中央化してたってさ ちょっとなぁ 物流を通しての情報交流でさ ヒミコに会えないじゃなくて居ないんだよ でもイヨは居たからさ じゃ、こっちで行こうって話で
>>105 普通に考えると別々の王朝だったんじゃね
109 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:46:59.89 ID:E8YU93Po0
この時代はまだ各地に独立政権があって みんな日本国王を名乗ってた 北九州や出雲の勢力は朝鮮半島にまで勢力を伸ばしていた が最終的に統一したのは近畿の大和政権
110 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:47:03.91 ID:E0IJtHKc0
何か出てきたら速攻卑弥呼とか邪馬台国とか 畿内説の学者とか発掘屋の屑っぷりと来たら
>>110 九州には邪馬台国と結び付けられる発見ないからな
>>52 「でかくて形を整ったものを作ったのは」、主に権力を誇示するため。
文字を使うようになって、ある程度その文字が知られるようになると、神話を広めることによって権力を誇示するようになり、仁徳天皇陵のようなものを造る必要がなくなる。
古代エジプト文明においても同じで、文字の使用が広まり始める直前には巨大なピラミッドが造られていたが、文字が広まった後には巨大なピラミッドが造られていない。
113 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:55:15.54 ID:E8YU93Po0
神道がお祭りの度に建物を建て直すというのはわかるけど 普通は同じ場所に建てるんじゃないかな 100本というのが本当だとしたらジャングルジムか 鳥の巣スタジアムみたいな建物だった可能性も
114 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:55:49.62 ID:fpW12K0HO
魏の使者は九州しか知らない
115 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 10:57:33.17 ID:E0IJtHKc0
>>111 じゃあマキムクが邪馬台国や卑弥呼と結び付けられる理由は?
>>113 毎度正確な一なんて覚えてなくて、このへんだっけ?
ってやってればボコボコ穴あくよ
117 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:02:20.85 ID:E8YU93Po0
>>116 不規則な穴だから説明に困ってるんだろ
場所がズレただけなら一応は何かの法則があるはず
119 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:05:43.85 ID:PJxAJeDb0
穴が百個見つかったら何で邪馬台国になるの? 卑弥呼ん家の表札とか見つかったんならわかるけど穴見つかったから邪馬台国だって雑すぎない? 日本の古代史って全部こんな感じで適当に作られてるの?
121 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:09:13.19 ID:E8YU93Po0
>>115 質問を質問で返したら駄目、今回の発見でも明らかだろ
ちなみに俺は「畿内が首都、邪馬台国は西日本の連合国家派」
で、邪馬台国は九州限定説を補強する発見は近年出てるのかい?
123 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:11:49.68 ID:fpW12K0HO
エジプトで思い出したけど エジプトも上下エジプトに分かれてて 上エジプトが王家の谷とかある王家の始祖の土地だけど 国政は下エジプトに移ってピラミッドは下エジプトにあるんだよな どこでも似た構造があるんだな
邪馬台国は、その後、神武に滅ぼされたので、200年くらい日本列島の歴史は闇の中。
125 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:15:44.56 ID:fpW12K0HO
首都なんて概念すらあるのか怪しい
邪馬台国ってクナ国に滅ぼされたんじゃないの?
127 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:16:50.60 ID:MkS6Cw8kO
>>119 邪馬台国をほのめかす→世間の注目が集まる→文科省が予算をくれる からじゃね?
個人的には纒向は邪馬台国じゃないと思う
倭人伝によると邪馬台国は戦争中(大陸から使者呼んだのも後ろ盾が欲しいから)だったし
卑弥呼死後には大きな内乱が起きてるから戦争の痕跡がすぐ見つかってもいいはずなのに
纒向遺跡からはまだ出てきてないどころか異文化が共存してたっぽい(古墳の形が
2パターンある)形跡があるからね
>>127 纏向は規模から行って全国的なクニの首都だったろうから
戦争はクニとクニと国境でするものであって「都心」でするものではないだろう
130 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:22:50.06 ID:E8YU93Po0
熊襲はいつ滅ぼされたんかな 征夷大将軍はあるのに
なんでもかんでも祭祀用にしやがって 倭国大乱の頃だろうし堀があって櫓とかもあったんだろ 中世の城跡見て「これは祭祀用だ(キリッ」と言うようなもんじゃまいか
>>14 軍事でなくてアムフィクテュオニア(祭祀連合)なんだろう
単なる盟主だ。軍事は関係ない
それに軍事的な痕跡をどう証明する?
133 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:27:27.03 ID:fpW12K0HO
クマソとマキムクが戦争してて マキムクに居るヒミコの弟に毎回、戦略をはるばる九州から近畿に伺って戦争してたそうです
135 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:27:45.61 ID:Z32hvak40
まあ最近の考古学的見地では、邪馬台国九州説とか東遷説、 それに騎馬民族征服説は既に死語です。
巻向駅が邪馬台国駅になったりするのか
137 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:30:11.41 ID:9DitzogfO
いじめっ子は許さへんでー
138 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:35:32.82 ID:E0IJtHKc0
>>135 干からびた干物みたいな日本の考古学に興味などねーよ
馬鹿なの?
>>128 掘らせてくれないんだよねw
あと太宰府天満宮も。「天神」なんて名前からして怪しすぎる。
「菅原天神」以前の「天神」はいったい何なのか。
139 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:36:32.97 ID:fpW12K0HO
百襲の襲は熊襲の襲
太宰府は天孫の都だろう。 神武東征はあったし、神武は支流だったと思うね。 やがて、大和の神武系の方が大きくなってしまい、 太宰府九州王朝は、白村江で壊滅した。
141 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:39:10.27 ID:3Q7Wb7Ld0
ここは頭のいいやつばかりだな 何言ってるのかさっぱりわからん 俺は阪神だけでいいや
142 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:39:56.18 ID:Po3kMHIT0
>>103 連合国ではなく合衆国国家で一つの国
資料は日本書紀「掩八紘而爲宇」
魏志倭人伝「舊百餘國」
143 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:40:10.67 ID:Z32hvak40
>>138 >日本の考古学に興ないのに掘らせてくれか?
何処の国の人ですかw
144 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:42:45.57 ID:E8YU93Po0
>>138 とおりゃんせの歌詞から見て
天神=祟り神
145 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:42:58.15 ID:RFohnO/80
>>133 狗奴国を熊襲と断定して良いのか?
狗奴国は毛野国で北関東だという考えもあるよ?
146 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:45:27.13 ID:E0IJtHKc0
コピペも満足にできないのかwww お前こそ日本語で言えや 馬鹿そうだから教えてやる 「日本の旧態依然とした訓個注釈な学者馬鹿ばっかの」日本の考古学だわ そんなことも知らずにこんなとこくんなや馬鹿
147 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:46:28.57 ID:7L+Pa2BJ0
純粋に考えれば、中国大陸に近い九州で決まりなんだよな なんで近畿説があるのか不思議でならない
148 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:46:55.30 ID:3ztbLomQ0
普通に考えて大和王朝が邪馬台国 それを否定する材料が無さ過ぎる
>>5 魏志を率直に読めば九州近辺しかありえない。
新井白石時代から言われてることだぞ。
よし揉め事の間を取って邪馬台国は淡路島か四国説でいいんじゃね
151 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:49:19.52 ID:E8YU93Po0
邪馬台国を大和朝廷と結びつけたいチョン左翼
以前日本史板で見かけた話では 当時九州は中国そのもので外の国としての 認識がないそうな。これどうなの?
153 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:50:00.96 ID:3ztbLomQ0
>>147 都まで行くのに日数が余りにも掛かり過ぎてる
九州から畿内まで移動したなら魏志倭人伝に書かれてる距離と大体合致する
九州に上陸後、瀬戸内海を通り畿内に上陸しそこから陸地移動
>>147 大陸に近い(?)半島が当時からボロボロで弱い勢力だったからねぇ・・・・・
貧弱な小国ばかりで稲作も遅れ大した遺跡もない。
155 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:51:20.59 ID:bzWcEy8x0
【古代の日本、新たな国出雲の誕生】 九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」は 西の九州北部の勢力と、東の畿内の勢力の、2大勢力があった 九州北部勢力の邪馬台国の女王アマテラス=卑弥呼の弟のスサノオは、政争に敗れて九州を追われ、荒涼とした出雲にたどり着き そこで盗賊の征伐と引き替えに地元の豪族の娘・稲田姫を嫁にして新たな国造りを始め、稲田姫との間に須世理姫が産まれる 須世理姫はその後、地元の豪族の大国主命と結婚し、大国主命は、畿内から来たスクナビコナの援助を受けて、 出雲を北九州・畿内と並ぶ大国にまで成長させる 【倭国争乱と出雲の国譲り】 北九州勢力の邪馬台国は、大国にまで成長した出雲を手に入れようとし始め、 アマテラス=卑弥呼の息子であるアメノホヒを出雲に派遣して、大国主命に、出雲を委譲することを求め、 大国主命の長男コトシロヌシは同意したモノの、次男のタケミナカタは、畿内勢力とともに邪馬台国に果敢に抵抗し 「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。 結局、次男のタケミナカタは善戦するが破れ、大国主命は、戦いに敗れた次男のタケミナカタの延命と出雲大社の建設を条件に、 出雲を邪馬台国に委譲することを認め、邪馬台国はアマテラス=卑弥呼の孫のニニギを出雲に派遣して、 武力抵抗した次男タケミナカタは諏訪に流罪とする一方、長男コトシロヌシは傀儡として出雲に残すことで、 「出雲」は北九州の「邪馬台国」の属国となる
156 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:52:44.19 ID:fpW12K0HO
>>145 魏の使者「で、わたしを九州に呼んでどうしろと?」
>>151 こいうのをみると、邪馬台国論争て歴史の問題じゃなくて思想の問題なんだなとつくづく思う。
158 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:53:05.41 ID:E8YU93Po0
中国から九州でも渡るのは命がけだろうが 中国の勢力圏なわけがない
159 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:53:34.81 ID:Z32hvak40
>>146 何だ、厨二臭い奴だね。
じゃ掘った出土物は何を判断基準にするのかな?
ボクの足りない頭で妄想しまくるの?九州王朝とかさw
161 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:55:04.28 ID:bzWcEy8x0
【アマテラス=卑弥呼の死と後継者・勢力争い(海幸彦と山幸彦)】 アマテラス=卑弥呼の死後、北九州勢の混乱に乗じて畿内勢力が、次の出雲の国王に、 諏訪に流されたタケミナカタの子孫の男王を立て、大国主命の国譲りの後、北九州勢にとられた出雲奪還を計ったが、 アマテラス=卑弥呼の宗女、壱与を女王とした北九州勢は、諏訪に流罪になったタケミナカタの子孫である男王 の正統制のなさを提唱して、それまで出雲を治めていた傀儡のコトシロヌシの子孫を王にすべきだと反発し、 出雲に派遣されていたニニギの二人の子、海幸彦と山幸彦も、 出雲後継の座をめぐり北九州コトシロヌシ派と畿内タケミナカタ派に分かれ、 再び、北九州勢力(アマテラス=卑弥呼系)と畿内勢力(スクナビコナ系)の間で緊張が高まり、 ニニギの二人の子の争いは、次第に代理戦争の様相を呈していく 【混乱の収拾と後継者勢力の確定(魏の介入)】 出雲後継の座をめぐり、北九州長男コトシロヌシ派と畿内次男タケミナカタ派に分かれ牽制し合っていた ニニギの二人の子のうち、畿内タケミナカタ派の山幸彦が、海神=魏に赴いて事態を告げると、 魏は張政を派遣し、檄文で北九州コトシロヌシ勢の壱与を告諭し、 北九州コトシロヌシ勢力による畿内タケミナカタ勢力に対しての抵抗は終止符をうった 結果、出雲の帰属は、それまでの北九州コトシロヌシ勢から畿内タケミナカタ勢に移行して それにより、それまでの北九州(アマテラス=卑弥呼系)勢に変わって畿内(スクナビコナ系)勢は、 魏の要人の娘と婚姻関係を結ぶなど、魏との関係が密になっていく
162 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:55:08.51 ID:E0IJtHKc0
BC10Cから稲作が始まってた九州とせいぜいBC3Cの田舎とじゃ、 文化や国家的成熟度に差がありすぎだろwww
163 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:55:29.72 ID:Po3kMHIT0
>>135 東京大学の説は全敗だね
まだ「弥生」が残っているけど、もともと証拠も根拠ないトンデモ説
「東大敷地から土器が出たよ、世紀の大発見今まで見たことのない
もので弥生と名づけたよ」←ただの古墳時代の土器じゃないの?調べさせ戸
「発掘場所が行方不明になりました、再調査できません」
164 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:57:09.70 ID:TBWLKNXy0
今の考古調査では卑弥呼はどこかはわからないが、 卑弥呼がいた3世紀では、日本最大の国家が近畿地方 にあったことは確実。
165 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:57:32.73 ID:fpW12K0HO
出雲は出雲大社が出雲遺跡だからなぁ
166 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:57:36.44 ID:yZ9pn2pB0
九州なんて893と在日しかおらんやんなんて言うか品と言うもんがあらへんねん そんなとこが発展した集落のわけないわなそらwww
なんかのテレビで前に四国説ってあったけど あれは何だったんだ? 四国のどっかから海を渡って関西へいったとかいうの
168 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 11:57:49.45 ID:bzWcEy8x0
【畿内勢の権力の拡大と出雲・北九州勢の巻き返し(神武東征)】 魏の後ろ盾を背景に畿内勢の権力が拡大していく中、出雲は名ばかりの国になり果て、 それに危機感を覚えた出雲は、今度は、巻き返しを図りたい北九州勢と手を組んで 出雲に対しての畿内勢力の発言力の排除に乗り出し、果敢に抵抗する畿内勢を屈服させて、 畿内に出雲と北九州勢、両方の息のかかった『天皇』という王を新たに置くことで、 畿内勢を押さえ込むことに成功する 【出雲・北九州勢の蜜月の終了と覇権の確定(タギシミミの反逆)】 初代の天皇の死後、畿内勢を押さえ込む次の天皇を誰にするかで、出雲と北九州勢で意見が分かれ、両者の蜜月は終了する。 そこに再び勢力を伸ばそうとする畿内勢が加わり、事態は今度は、北九州勢と、出雲・畿内勢の戦いの様相を呈していく 結局、出雲と畿内勢が推していた、初代天皇が畿内の豪族の娘との間に作った子カムヌナカワミミ(後の綏靖天皇)が勝利し、 九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭であった「葦原中津国」は、 出雲と畿内勢による天皇が納める日本国へと変貌していく 天皇が平定する前の日本は、古くからの勢力である邪馬台国を柱とした北九州勢と、大和を柱とした畿内勢力、 そして、その中間地点に新たに出現した出雲勢力の、3っつの大国が存在する地域であり 中間地点にある出雲を巡って、北九州と畿内が争い、新興国【出雲】を誰が手中に収めるか・・で歴史は巡っていたのだ
>>164 それよりも小さい国家も九州にあって、地理的要因から魏に
使いを出し易かったって話はダメなん?
170 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:00:47.20 ID:E8YU93Po0
卑弥呼を大和朝廷の祖にすれば 女系天皇推進の手段になる 弥生式土器なんかずーっとうちの畑に転がってた 平安土器もな 掘ったら縄文時代の人骨まで出たぞ
171 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:02:02.94 ID:Z32hvak40
>>163 大体今は弥生末期の遺跡で最大規模の物は四国の高知だしな。
ここが弥生末期で500戸位の竪穴式住居が確認されてる。
なので現状でも70000戸もの邪馬台国が九州に存在できる
場所なんて、少なくとも北部九州辺りにはないぞ。
勿論巻向遺跡単独でも当然無理だ。
考古学なんて毎年事情が変わっていく。
でも九州説なんて存在し得ない物ばかりですわw
172 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:02:19.55 ID:E0IJtHKc0
>>164 抽象的過ぎてもうなんだか・・・
>>159 掘った「物」自体の分析しかできないエセ理系的スタンスだから
ほんとの理系から馬鹿にされまくってるわけだが
厨二臭い?ボク?九州王朝?
何言ってんのかわからんが、畿内説の学者も研究者も埋蔵物担当者も
そういう言い方がすきなんだよな
こんな品性に欠ける奴らが学者面するから「日本の古代史研究」が馬鹿
にされるんだわ
173 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:03:41.33 ID:yZ9pn2pB0
顔つきを見れば九州人にまともな血筋の物がいないことぐらいおみとうし 間抜けで貧乏くさい面してるやつ多いもの
175 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:05:47.61 ID:TBWLKNXy0
>>169 うん。だから九州説をまだ唱えている人はそんな感じしか書けなくなっている。
176 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:05:47.80 ID:5goiLeSF0
邪馬台国畿内説派だけど 卑弥呼は初期は九州にいて邪馬台国も初期は九州にあったと思うなぁ 個人的に邪馬台国連合は複数の都を採用してたんじゃないかと思うなぁ 卑弥呼の出身地が九州で邪馬台国連合の主導にあって力を持っていたのが畿内 象徴(宗教)としての都である九州と政治としての都である畿内ってな 逆の可能性もあるけどさ 晩年は畿内にいたんじゃないかな 藤原不比等の政治的意図によって作られた記紀に卑弥呼に比例しうるのがアマテラスと神宮皇后ぐらいしかいないしなぁ
177 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:06:35.40 ID:E8YU93Po0
弥生人は鯨を食ってたんだな
>>175 いや、だからそれじゃダメなん?
別に九州説シンパでもないんだけど、その時代に奈良に大きな
国があったのは確かだと思うし、そこまで否定してないよ。ただ
その時代に一番大きな国があったから、そこが邪馬台国だって
いう理屈はちょっとおかしい気はするね。
179 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:08:43.97 ID:pibgnycyO
本屋や図書館の古代史のコーナーに行くと、トンデモ本がいっぱい並んでいて萎える。本当に本屋の人や司書ってなんも知らないなと思いつつ。自分もそうならないように2チャンで勉強している
>>178 で、一番自然な解釈を捨てて九州のどこだと思うの?
九州説って民主党といっしょでさ、畿内説は完璧じゃないと言うばかりで一向に自分たちの候補地探そうとしないのよね。
その理由は明らかで、これといった候補地が見つからないから。だから九州説の人の数だけ候補地がある。
また見つかったのか。 掘ったら掘るだけ何か見つかるから 何も建てられない奈良県。
>>172 本当の理系的な考古学者って誰?
参考にするから文献資料等の所在教えてちょうだい。
183 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:11:35.85 ID:E8YU93Po0
蝦夷の滅亡も大地震・大津波によるもの 多賀城焼き討ちも実は大津波で壊滅した
184 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:12:56.15 ID:MkS6Cw8kO
>>129 >戦争はクニとクニと国境でするものであって
それは「前線」
前線突破した敵は中央に向かってくるから都心部の守りは固くなる
>>178 邪馬台国が当時の倭国ナンバー1という前提ならそれこそ畿内説だろうけど
そういう前提自体ハッキリしないからねえ・・・
畿内、出雲につぐナンバー3辺りの北九州の国家という線もあるし
以上、絹の出土という「科学的物的証拠」で九州説を唱える一個人の意見です
186 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:13:44.35 ID:3ztbLomQ0
魏志倭人伝の内容そのまま素直に考えると 邪馬台国は九州から畿内、中部辺りまで勢力化に治める倭国の統治国家 関東辺りに敵対する国があって戦争状態にあると
187 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:13:50.57 ID:5goiLeSF0
宇佐八幡って畿内からはなれているのに何で道鏡のとき重要視されたのかなぁ
188 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:14:57.07 ID:E8YU93Po0
奥州藤原氏も大地震・大津波が原因で衰退した 飢饉もあるだろうが
189 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:16:18.10 ID:oSC5VtZg0
>>186 素直に考えたらそれこそ、遥か南の海上
沖縄か台湾になるって昔から言われてるだろ
190 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:16:42.76 ID:fpW12K0HO
だから伊都国と一大率の自演なんだよ邪馬台国はさ マキムクにお前は邪馬台国だぞ!とか言ったら一番驚くよ 事実ナガスネヒコは驚いたろ 聞いてないよ〜
>>185 一応、魏志倭人伝にはヤマトを治めてるのが邪馬台国って言ってる
んだから不自然だよな
192 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:17:08.97 ID:E8YU93Po0
193 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:18:00.36 ID:5goiLeSF0
まぁ卑弥呼は実際は北部九州の首長で対立国と優位にたつために盛大に盛った可能性もあるしなぁ
必死な奴らは何なんだ。 2ちゃんねるで吠えてもなんの意味もないのに。
195 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:19:28.39 ID:E8YU93Po0
倭と大和は別の国
196 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:19:31.05 ID:yZ9pn2pB0
当時は人口の多さこそがすべてそして人口はコメによって賄われる 当時のコメはあったかい地方でとれた、だから東北以外のどこかということになる 東北以外の地で最大級の水田あとや遺跡はまきむくゆえにまきむくこそが日本を支配してた
197 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:20:56.64 ID:3ztbLomQ0
知識、見識も豊富な魏の使者が小さな国だったらすぐ見抜くだろ 都までの移動距離や従えてる国やそれぞれの国の人口など 調べてるからかなり大きな国家連合体だったんだろう
>>187 簡単な話、瀬戸内海辺りを倭の拠点と考えると
西の重要拠点だからですよ。
貸泉という、倭国大乱とされる頃の中国の硬貨があるが、
これの出土する場所を追えばいい。
対馬〜北部九州〜讃岐〜阿波〜河内と繋がっている。
199 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:21:36.84 ID:oSC5VtZg0
>>194 何か自分の地元に邪馬台国が在ると嬉しいって連中が居るんだよね
その辺の感情がオレには理解出来んが
仮になったとして、いまや所詮古墳程度
そんな凄い埋葬品が出てくるとも思えないのに
何を期待してるのだろうか?
下手したら、日本4大ガッカリ名所に指定されそうなのに
>>186 好戦的な狗奴国は濃尾平野一帯というのが西日本連合説、畿内の主流かな。
古代、特に重要な「関」と呼ばれる物は
不破関(美濃国)、鈴鹿関(伊勢国)、愛発関(越前国)の3つが挙げられる
関東とかは当分日本の歴史に登場しない
そうです実は邪馬台国は四国です 徐福の移動ルートを考えても、治安の悪さを考えても 近代までは日本海側か大西洋側を移動してるはず そうなると瀬戸内海を移動したと考える近畿説は無理がある 日本神話から繋げて淡路島説でもいい気はするけど
202 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:22:51.59 ID:yZ9pn2pB0
>>197 それなりの規模はあったが巻向には到底及ばない中規模集落の可能性が強い
>>191 そんなこと書いてないよ。倭国をすべる女王がヤマト国に都をおいていると書いてあるだけ。
ヤマト国をおさめているのは伊支馬。
天皇陛下は東京に皇居をおき、東京は慎太郎が知事、と書いてあるようなもの。
(東京の新知事の名前忘れたので慎太郎)
>>180 少なくとも卑弥呼の墓は宇佐神宮だと思ってるよ。
日本で大量に資料が残っている江戸時代や戦国時代ですらあやふやな箇所が多いのに 中国人が書いた倭人伝や権力者の思惑の入った神話を正確に読み取れるはずないだろ。
207 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:26:24.43 ID:xoMlpAu30
邪馬台国は古代からの利権 どこにあったかわからないほうが みんな幸せになれる。
>>206 だって高木彬光の「邪馬台国の秘密」が面白かったものwww
やっぱり宇佐神宮掘ってみてほしいなあ。
209 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:29:30.01 ID:E8YU93Po0
松山から大分に渡る航路はあるからな 陸路だと893にやられる
横からすまんが
>>180 俺は筑後川北部辺りと踏んでるよ
根拠は
>>185 。そこ中心に絹が出土していて、逆に畿内は発見例が乏しい
犯罪捜査と同じで科学的証拠を重視しての結果
211 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:30:05.73 ID:C+b3YFs6O
卑弥呼なんて三国志でブレイクしただけで いち豪族の弱小カルト集団に過ぎないんだろうな
九州説なんて観光目的ででっちあげただけだからな
213 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:30:53.68 ID:fpW12K0HO
邪馬台国 VS 狗奴国 卑弥呼 VS 卑弥弓呼 って何かなぁ
>>199 そりゃこれだけ盛り上がる内容だからね。
歴史に興味のある人が多い以上、
確実にビジネスになるw
215 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:31:00.49 ID:HwouYZ0h0
卑弥呼が居た時代に天皇家は何をしてたの? まだ日本史に登場してないのけ
更迭ジーグ
217 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:32:50.34 ID:E8YU93Po0
アテルイも大地震・大津波・飢饉を指す言葉 そういう人物がいたわけじゃないのだ 土人しかいなかったんだから
218 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:32:59.66 ID:7SJCd5tr0
文字があればねえ。
こう言う考古学的な調査の積み重ねがやがて邪馬台国に繋がっていくよ。 個人的には、未調査の古墳をちゃんと発掘調査すべきだと思うけどね。 もういいかげん宮内庁も許可しろよw
220 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:33:19.42 ID:5goiLeSF0
誰が一番かで揉めていたから総選挙して卑弥呼ちゃんが超時空巫女になったんだ 卑弥呼ちゃんがセンターになると争いがなくなった 卑弥呼ちゃんは興行会社の邪馬台国とともに全国ツアー 晩年は常設の劇場を畿内につくったんだよ 超時空巫女卑弥呼が死んでオタ(クニ)による推しメン争い激化 運営は困ったので卑弥呼の親戚をセンターにするため工作し成功し超時空巫女トヨちゃんが誕生
221 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:33:35.80 ID:yZ9pn2pB0
イザナミ側勢力出雲大社信仰の九州人連合の勢力 イザナギ側勢力伊勢神宮信仰の巻向などの勢力 イザナミ側が負けてイザナギ側に吸収合併されたんだよでも反乱があいついで起こったので 出雲大社などを建ててそれなりの地位を与えて怒りを鎮めたってことだよ 神話読めばわかるべ
>>212 新井白石がいらんこと言ったせいらしいぞ。最初は大和の国と言ってて、
あとから筑後山門だとも言ったらしい。
223 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:35:26.78 ID:Ti3fHB4n0
邪馬台国については 文化庁の予算の9割を使ってでも解明すべきなんだよ。 神武東征の有無、欠史八代の実在の有無 日ユ同祖論など、日本の発祥が不明な点が多すぎる。 邪馬台国はこれらの解決の糸口になるはずだ。 とりあえず、最初の国生み伝説の淡路島や四国から 包括的に日本列島を調査すべき。 近畿や九州だけの問題じゃない。
224 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:35:42.76 ID:pkQauJqW0
コロンブスもインド目指してアメリカ行っちゃったくらいだから 魏志倭人伝の表記とか当てにならんよなw
225 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:35:57.56 ID:viyHgswA0
九州 涙目wwwwww
226 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:37:15.68 ID:1wpYbdofP
九州人必死だな。
227 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:37:41.27 ID:5goiLeSF0
卑弥呼は神託券(握手券)付き銅鏡なんかを売りまくってたんだよ
228 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:38:45.09 ID:yZ9pn2pB0
なぜ伊勢神宮に多くの神々が集まるのかそれは戦争に勝ち続け多くの部族を 吸収合併していった巨大国家だったから
>>227 お前さんのレスの流れに吹いたw
最初の真面目さはどこいったw
230 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:39:18.50 ID:E8YU93Po0
卑弥呼は大和から左遷されて九州に行った
231 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:39:52.10 ID:7SJCd5tr0
九州人は穴にでも住んでたの?
急につまんなくなったな
>>210 >俺は筑後川北部辺りと踏んでるよ
具体的な遺跡名は?
235 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:42:00.96 ID:E8YU93Po0
神話なんだからどうとでも作れる 韓国歴史ドラマレベルでいい
236 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:42:03.75 ID:viyHgswA0
まぁ 邪馬台国は 九州ではないが その前身である 高天原と天孫降臨 は 九州なんだから そこは忘れるなよ
>>210 別の人は宇佐亀山だと言ってるぞw
とりあえず議論を発散させないために、九州説で話し合って一本化してくれないかw
筑後川流域と宇佐では、あらゆることの解釈がまるっきり違うだろ。
畿内説はどっちの相手をすればいいんだ?
これも民主党と同じなんだよな。内部で分裂したまま一向に成案が出てこない。
する気もない。共通点は反自民ならぬ反畿内だけだからな。
議論をはじめたとたんに九州説なんて妄想の産物だと言うのがたちどころに露呈してしまう。
そうして、今は反畿内で固まろう。お---!で思考停止してしまうんだ。
239 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:42:35.16 ID:9EafV9fe0
西暦400年頃には倭が朝鮮半島北部まで万単位で高句麗と戦っているけど 豊臣政権ならいざ知らず当時には北九州に強大な軍事組織があったしか説明出来ない
240 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:42:40.99 ID:fpW12K0HO
魏の使者なら見抜いたから魏の使者はいい加減まで
241 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:43:43.76 ID:b3YTDNbNP
卑弥呼=倭迹迹日百襲媛で決まりやな
>>227 ひみみは最初は可愛いと思ったんだけど最近男とお泊り疑惑が出たからなあ
トヨちゃんに推し変しようかなあ(´・ω・`)
243 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:44:35.73 ID:o+i8VdEg0
鉄器も少なく絹がなくても卑弥呼がと言い続けるしない畿内論者の哀愁が
244 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 12:44:49.32 ID:jbUQTAHT0
卑弥呼なんて、マルコポ―ロの東方見聞録でいうジパングみたいな外国人の伝聞記録だろ。 纏向遺跡は日本武尊の出生地の遺跡として重要なんだ。
この話題に関すると「○○に違いない」「○○はありえない」と断定する馬鹿が多すぎる しかも肯定するのも否定するのも同じ文献が出典というw 5つの国の連合だったって書いてあるのに何言ってんだと思う 古代は持ち回り合議制で物事決めてたんだし、一か所に留まってると考える方が不自然 そして双方とも氷河性海面変動との整合が取れた主張を見たことがない
246 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:45:12.45 ID:E8YU93Po0
朝鮮半島が倭の主力だと考えればいいじゃん そのころはエベンキはいなかったんだし
247 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:45:39.57 ID:5goiLeSF0
>>229 いやふと思い浮かんだからつい(笑)
まぁ日本人のコアなとこにある民族性はたかだかた数千年でかわらないと思うから
今一部の層に人着なAKBなんかみてるとさ
オタの推しメンがセンターになるって構図が卑弥呼みたいだなって思って
銅鏡が握手券付きCDにみえてきてさ
まぁあながち間違っていないとも思う(笑)
>>238 ちなみに邪馬台国はどこかとはいってない点に注意されたし。
>>233 うーむ、わからんなあ
いや未発見の遺跡とかあるかもわからんし
ただ栗山遺跡の辺りなのかな、と思ってみたり
>>238 あのー
九州説の人は、数の論理で畿内説を貶めるために九州説を唱えているわけじゃないんですが
十把ひとからげにしないといけないという前提自体がおかしいですよ
>>247 AKBに頭がイカれてる人って
情報に対するリテラシーがない人だと思うから
あなたのすべての議論が嘘くさくなった
251 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:48:49.06 ID:fpW12K0HO
伊都国が邪馬台国だったと思うけどね 実態としてハッキリしてるの伊都国だけだし 敵対国の狗奴国さえ不明なんだよ
252 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:49:18.62 ID:5goiLeSF0
>>246 まぁ間違いなく半島南部は古代日本のコロニーがあったからな
253 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:49:57.36 ID:pkQauJqW0
この件は永遠に結論でないと思う 近畿にも九州にも大きな集落があったのは確かだから 結論は個人の脳内だなあw
>>249 具体的な遺跡も指定出来ないのに唱えてんの?
大きい遺跡は「科学的物的証拠」の重要要素だと思うけど
255 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:51:30.60 ID:6DtwXrDZ0
ただの穴だけど卑弥呼ブランド強いよな
>>254 大きい遺跡ねえ
小さい遺跡が数多く点在している箇所ではいかんのかね
で、畿内説で絹の出土は九州ほどにあったのかな?
>>253 これで決定!
てなるには何が出土する必要があるかな?
>>250 ウチの会社でもいますよ。
40代独身の人で「AKB48で言うと〜」ってたとえ話とかする人
女子組から徹底的に引かれてますw
興味ないから例えられてもわからないしキモいし。
259 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:52:18.85 ID:bzWcEy8x0
文字がない・・・と言うけどさぁ
東日本の千葉・流山なーーーーんて土地からでさえ
3世紀末から4世紀初めに作られたと考えられる
文字が書かれた土器
が出土している・・・んだよね
http://www.echiba.org/shoukai_11.html 文字がない・・というのは、邪馬台国独自の文字はない・・っつーことで
邪馬台国が文字を使っていなかった・・・というワケではない
んじゃないだろうか・・・
>>247 どちらも宗教的ってことの一致もあるかw
>>250 頭硬過ぎるわ。もっと柔軟に考えなさい。
人間の行動なんて、太古だろうと現代だろうと
本能は変わってないんだしw
261 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 12:53:11.89 ID:jbUQTAHT0
纏向遺跡や周辺の古墳ならびにその伝承、埼玉の稲荷山古墳から出た鉄剣の銘にある大彦命(四道将軍)の名などから 3世紀頃に崇神天皇が実在していた可能性は非常に高い。 外国人の伝聞に基づく邪馬台国論争なんか止めて、記紀との整合性を論ずるべきだ。
262 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:53:17.50 ID:wwyhJY7M0
天皇陵を全部研究できるようにしないとだめだよ 古代史がちゃんと解明できないで何が歴史研究だ 基礎がスカスカな上に何を積み重ねても砂上の楼閣だろう そんなことも出来ないで歴史学とかどの口が言う?って感じだよ
263 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:54:26.34 ID:fpW12K0HO
じゃあ、半島南部で大きな遺跡があって、これが邪馬台国ですって韓国やったら、どうするよ 我田引水で結び付けるのは半島の御家芸だしさ 畿内にも半島南部と同じコロニーがあった こうじゃないかね
>>256 俺は邪馬台国は西日本連合政権、畿内が首都派だよ
絹の出土した九州の地域も邪馬台国の勢力圏内だったんだよ
266 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:55:11.08 ID:viyHgswA0
まぁ 仮に卑弥呼がいたとして その墓地と規模が適合するのが、纒向古墳 以外 に ひとつも存在しないからねぇ 九州に300m級の 3世紀中期後期の 古墳 が 発見されるんなら 話 別だけどなwww
267 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:55:27.21 ID:n0ivPtJ50
>>264 首都に絹がほとんど無いというのも変な話ですな
詳しい学者が移動する政権だと言っていたが同意する 固定利権しか出てこない者に邪馬台国は語れない。闇の雲隠れ
卑弥呼は日巫女だろ? 筑紫平野と奈良盆地、どっちが日のイメージに近い? 近畿説はないわ
270 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:56:50.71 ID:yZ9pn2pB0
邪馬台国は出雲側にあった勢力の一つだと思うねだから女王政権(イザナミの話の元になった)だった ただ邪馬台国が当時一番強い国だったかと言うとそうではないんだなこれが あくまでも当時一番強かったのは巻向の伊勢神宮側の勢力だった
271 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:58:22.86 ID:5goiLeSF0
>>250 私のレスからAKBにイカレてると思ったのよ(笑)
坊主憎けりゃ袈裟まで憎いような人には私の遊び心と皮肉を文脈から読み取ることはできないでしょうなぁ
まぁあなたのような人はヒトラーみても多角的見方ができずある一部だけを抜き取り判断する人なんだろうなぁ
私、そういう紋切り型のレッテル貼りのような奴嫌い
>>260 じゃあ、一部の権力者がバカを騙して
バカを扇動して支配するっていう構造も変わってないだろうね
バカはバカっていう自覚がないから困る
いや、好都合だって
これ、たけしが言ってた
273 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:59:16.93 ID:0NKMXNq/O
正直、巻向を邪馬台国に結びつけるのは今はやめといた方がいいだろ。 箸墓古墳がモモソ姫の墓かもまだ分からんし、ましてそれが卑弥呼とか強引な上に今は検証不能。 そんな事より日本の統一王朝に連なる権威の成立がどうであったか その証拠が段々と出てきてることの方が遥かに重要なんだよ。 邪馬台国云々は、現段階ではどうとでも語れるしケチもつけられるから水掛け論にしかならない。 ランボーとコマンドーはどっちが強いか的な話にしかならん。
>>267 例えば日本は米の産地だけど
東京都心では米作ってないじゃん
275 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 12:59:58.40 ID:E8YU93Po0
277 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 13:00:31.78 ID:jbUQTAHT0
>>262 豪族の古墳でも調べてろ。それなら誰も文句は出ないし、その時代のことは粗方解るだろ。
外堀埋めてから、本命に当たれよ。
掘ったら取り返しつかないんだから。
278 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:01:17.85 ID:NzJQh8ky0
今時、九州説はお笑い 確かに文献的には北九州が有力だが、 それを裏付ける何か発掘したのか。
279 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:01:19.74 ID:Ti3fHB4n0
280 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:02:46.14 ID:bzWcEy8x0
文字がない・・・と言うけどさぁ
東日本の千葉・流山なーーーーんて土地からでさえ
3世紀末から4世紀初めに作られたと考えられる
文字が書かれた土器
が出土している・・・んだよね
http://www.echiba.org/shoukai_11.html 文字がない・・というのは、邪馬台国独自の文字はない・・っつーことで
邪馬台国が文字を使っていなかった・・・というワケではない
んじゃないだろうか・・・
んでさぁ、東日本・・千葉の流山・・なーーーんて、
歴史ではなーーーんも話題になっていないところですら
文字が書かれた土器
が出てくるぐらいなんだから
卑弥呼の時代、3世紀の日本って
案外、大きな権力を持った国が、想像以上にあちこちにポコポコあって
邪馬台国が、当時の日本で一番の大国だったかどうかは、わかんない
じゃないだろうか・・・
>>269 鯰と蛇の、日比べだな。
鯰は阿蘇山
蛇は大物主の奈良大和
282 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:03:58.54 ID:E8YU93Po0
日本じゃ清盛の時代でもチョンが捏造するとすぐバレるからな 韓国歴史ドラマみたいなの作りたければ 卑弥呼の時代しかない
283 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:04:09.56 ID:5goiLeSF0
>>275 ま、あと大陸に近い交易における日本側の集積地だったこともあるやろなぁ
>>267 やたら絹に拘ってるけど、あの記述は「倭人の生活風俗」であって、
「邪馬台国の生活風俗」じゃないですよ。
まず70000戸という数字に注目すると、現状の弥生末期遺跡規模なら
吉野ヶ里や唐古遺跡が何十も必要なんです。
科学的見地をいうなら根本からおかしいでしょう?
卑弥呼は墳墓も残せない雑魚だったとw そんな雑魚がシナまで使者を派遣するかなあ。
286 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 13:06:07.90 ID:jbUQTAHT0
遺跡を調査している先生方は大和朝廷(又はその前身)の遺跡として調査しているんだよね。 だからこそ景行天皇の宮の名である纏向の名がついているわけだ。 マスゴミが話題性だけで邪馬台国を出してきてるが、当の研究者はあまりそういう話はしてないよ。
>>272 そりゃそうだ。
もっと正確に言えば、バカじゃなくって
支配とか被支配とかを考えることをする割合が、
その時の状況によって変化するからだよ。
政治、治安が安定してれば衆愚政治でも問題ないんだしw
逆に抑圧と不安定社会の場合、真面目に考える割合が増加するだけ。
単に考える優先順位ってこと。
289 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:06:34.56 ID:yZ9pn2pB0
イザナミの話の元は九州などの女性信仰の勢力のちに卑弥呼などと呼ばれるカリスマが現れる イザナギの話の元は巻向などの勢力イザナミ側が負けて吸収合併されたと考えればすべてつじつまが合う のちに九州勢力の反乱が相次いだため出雲大社と伊勢神宮を作り九州勢力にもそれなりの地位を与えた
290 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:08:04.81 ID:fpW12K0HO
九州が増えすぎた人口を本州や半島に移民させるようになって、既に半世紀が過ぎていた。 九州の周りの巨大な人工都市は倭人の第二の故郷となり、人々はそこで子を産み、育て、そして死んでいった。 天孫降臨0079、地球から最も遠いヤマト都市サイド3はマキムク公国を名乗り、九州倭国連邦政府に独立戦争を挑んできた。 この一ヶ月あまりの戦いでマキムク公国とヤマト連邦軍は総人口の半分を死に至らしめた。 人々はみずからの行為に恐怖した。戦争は膠着状態に入り、八ヶ月あまりが過ぎた 「第1話 イワレビコ大地に立つ!」
291 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:08:30.80 ID:E8YU93Po0
292 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:09:01.88 ID:5goiLeSF0
>>286 まぁこの調査によって大和王権初期のこと解明してもらいたいわな
>>284 >やたら絹に拘ってるけど、あの記述は「倭人の生活風俗」であって、
>「邪馬台国の生活風俗」じゃないですよ。
ああ、要するに九州北部に来た中国人が現地の九州の人の生活風俗を見て
邪馬台国全体の風俗だと勘違いしたってことか。
294 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:10:37.70 ID:bzWcEy8x0
>>284 あったんじゃねーの????
70000戸程度の集落が何十も、何百も・・・
特別、大きな国があったとか口伝もない、平凡な土地の
千葉県・流山ですら、3世紀の、文字が書かれた土器が出土している
ぐらいなんだから
当時の日本は、想像以上に、近代的で、広い範囲で交流もあった・・んだよ
295 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:11:06.84 ID:yZ9pn2pB0
>>289 違うよ伊勢神宮はまくむく側をたたえるために作られたんだよ
296 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:11:21.54 ID:V+S/xdFn0
>>42 神武が目指した土地一帯にあるのは真実だな
ただニギハヤヒの本拠は大和郡山周辺か河内(沼地・水稲最適地)か
桜井周辺か白方や交野や茨田あたりにあったか、同時の複数拠点
かどうかは解らん
その神武に大和の事を教えたという塩土翁が西日本全域の事がらに
関し以上に通じていて、かつ権力も備えていたようで不気味だな。
影の倭国の王ののようにも見えないことはない
>>259 ああ、流山ね
仕事で行ったときに「『ほにゃらら塚』って地名は古代の古墳があった場所が多いそうですよ」
って話題振ったら、相手知らなくってさ。
お茶持ってきてくれたそいつのばーちゃん裏山がそれだと知ってたw
298 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:13:22.41 ID:5goiLeSF0
>>290 なるほろ
で、マキムク公国が勝つ感じか(笑)
マキムク公国はジオニズムではなくアマテラスイズムでも掲げてたんやろな(笑)
日本の最古の歴史に大きな矛盾があるかもしれない 闇の雲隠れ
300 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:14:00.42 ID:V+S/xdFn0
>>47 宇佐神宮の神託が有り難がれれるのは、辛島氏あたりが優勢になってからの
卑弥呼よりずっと遅い時代だな
301 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:14:26.22 ID:E8YU93Po0
天皇が参拝してたのは熊野大社なんだよな ま、温泉療養を兼ねたリゾート旅行なんだろうけど
記紀の記載をもとに卑弥呼=ヤマトトモモソヒメばかりだが あの時代には他にも卑弥呼の候補になる人物が存在するのではないかと思う 例えば、佐保の大闇見戸女やその母親の春日の建国勝戸女など、この名前から明らかに巫女王だ しかも戸女とは、当時は大王の一族でもそうそう名乗れなかった名前だ 卑弥呼の候補となりえる条件を揃えているからな 大闇見戸女の息子の狭穂彦王の乱も後にあるし 後の倭の大乱に相当する出来事も記載がある 魏志倭人伝の記載でも、もともと倭の大乱を治めるために卑弥呼を建てたとしているのだ 古くから、卑弥呼は巫女集団から選ばれて名目的な女王とされたと考えられているし 当時、佐保は巫女集団を擁する畿内の豪族だった。 そこで九州から大和入りした大王家が畿内勢力と和解の証として、名目上の王として佐保の巫女集団から女王をいただいた こんな歴史も想像したりする
今の天皇陛下の先祖が卑弥呼でいいの?
304 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:16:13.43 ID:yZ9pn2pB0
だいたい邪馬台国が当時の日本の王権握ってたとか考えるからおかしな矛盾点だてくるんだよ 邪馬台国より強大な国家があったと考えればつじつまが合う
当時一番大切なのは鉄だと思う武器や機具としても そしてそれらの跡は北九州、山陰、岡山、淡路島で見つかってる でも考えると五斗長垣内遺跡は異様なのよね 製鉄が始まる前で貿易しないと鉄が手に入らない時代だし そう考えるとそれなりの国がないとおかしいのよね まぁ神様も旅をするしな近畿に場所を移したのかも知れなしけど
>>287 邪馬台国ぐらいの深い時代じゃないけど
大昔はちゃんと文字が読める人は数百人程度しかいなかったらしいね
そうなると、ある種の「知」、または情報というものを取得し
共有できた集団が圧倒的に優位だっただろうなって思う
今の時代の権力者はそこで苦労してる気がする
>>293 更に言うと、九州説の人が良く言う「鉄の大半は九州が最多」なんてのも
ありますが、これも全く虚言です。
魏志倭人伝に「倭には鉄が豊富」なんて何処にも記述ありません。
一文字だけ鉄器も使うとあるだけですから。勿論木製のも使う記述もありますしね。
それに鉄の優位性も淡路島で1〜2世紀最大規模の鉄器工房が見つかったので
殆ど無意味です。
>>291 伊勢神宮が皇祖神となったのは実のところ壬申の乱以降とされている
反乱軍であった大海人皇子の側に立って反乱の成功を大きく助けたからだ
それ以前は太陽神信仰はローカルな信仰だった。
とても有力とはいえないよ
309 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:19:55.75 ID:7SJCd5tr0
淡路島が一番古いんかねやっぱ。
ID:dFzceZev0 が痛ましい件
311 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:22:59.80 ID:V+S/xdFn0
>>270 >巻向の伊勢神宮側の勢力
逆だな
巻向の土地から追い出された側だわな
記紀くらい嫁
それでトヨスキイリ姫 ⇒ ヤマト姫がアマテラスを抱いて流浪だろ
元伊勢で名高い籠神社の土地も経て、御杖村で杖落して⇒伊勢な
>>304 魏志倭人伝の記述が確かなら、邪馬台国にいたるまでの中継した国々
伊予国とか、そういう国々は邪馬台国の支配下にあったわけだし
邪馬台国が相当、強力な王権だったのは間違いないよ
313 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:23:49.82 ID:yZ9pn2pB0
巻向王権国家 邪馬台国九しゅう地方豪族 こうだったと思うね俺は
314 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:23:57.48 ID:bzWcEy8x0
>>297 おれもさぁ、邪馬台国の時代って、九州であれ、畿内であれ、
西日本の話しか出てこないからさぁ、
東日本は、数百ぐらいの、中国や朝鮮とは関係がない
閉鎖された小集落が、ポコポコあったぐらいの未開の地
ぐらいのイメージしかなかったんだけどさ
この流山から出た文字が書かれている土器の話を見て
そのイメージが全く変わったよ
当時の日本は、千葉まで文字が書かれた土器が出るほど
人の行き来が活発で、中国・朝鮮の文化に触れることは
なにも特別な、重要な、大きな国だけが為し得ることではなく、
そんな口伝すらない辺境の地(笑)までも伝わってくるぐらい
とても平凡に、普通に行われるほど、近代的だったんだ・・ってね
315 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:23:58.86 ID:fpW12K0HO
ナガスネヒコ「なら同志になれ、そうすればヒミコも喜ぶ」 イワレビコ「正気か!」
>>296 塩土翁・・・結局仙台に左遷されて塩竈神社に祭られた・・道真公みたいだよね
朝廷から送られた金銭ハンパ無いし不思議な人ではある
317 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:24:23.12 ID:5goiLeSF0
>>307 倭人が古くから半島に倭人コロニーを持っていた理由のひとつが鉄の産出地だったしな
>>308 一説によると伊勢の主神は当初アマテラスではなく男神の太陽神ともいわれているわな
318 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:24:47.14 ID:E8YU93Po0
出雲と淡路島は砂鉄の産地か
>>279 妄想でしょ?
スレチだからもう言わんけど
320 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:27:17.79 ID:E8YU93Po0
321 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:27:28.87 ID:V+S/xdFn0
>>303 それは日本国内では考えてはいけないことだな
>>305 >>307 >五斗長垣内遺跡
>それに鉄の優位性も淡路島で1〜2世紀最大規模の鉄器工房が見つかったので
畿内政権か備前?あたりの製造センターだろうけど
いずれにせよ、「首都」から離れた島にそれを作るなんてかなり大きい政権ができてた証拠だね
九州とか畿内とか一地域で収まる問題じゃないよ
323 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:27:43.66 ID:5goiLeSF0
>>314 青森の三内丸山遺跡から黒曜石や翡翠がでてくるのよね
あの当時から広範囲に交易してたのよね
また三内丸山遺跡を中心点にして円を描くとおもしろいよ
淡路島の鉄は半島渡来とのことだが。 淡路は鉄の生産地でも消費地でもないのかな?加工だけか。
325 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:29:17.94 ID:EuII1HnpO
【結論】 ・邪馬台国=奈良県。 ・高天原=日高見国(茨城県か宮城県か岩手県)。 ・九州説の立場=無し! 今はもう定説だよね。
326 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:29:45.52 ID:bzWcEy8x0
>>306 うーーーん、どうだろう・・・・
もしも、大昔はちゃんと文字が読める人は数百人程度しかいなくて
ある種の「知」、または情報というものを取得し共有できた集団が圧倒的に優位だった
ならば、3世紀の流山には、文字を書かれた土器を、特別に授かるにしろなんにしろ
それなりの大きな国があったことになって
流山には○○国とかがあったとか、口伝が残っていないとおかしい気がするんだけどなぁ・・・・
328 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:31:08.61 ID:5goiLeSF0
>>324 半島から持ち込んだ鉄の一時的な集積地だったのかもな
329 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:32:01.52 ID:E8YU93Po0
330 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:33:21.68 ID:EuII1HnpO
鉄は東北地方も製造してたよ。舞草が日本刀のルーツだから。あれはトルコから来たんだろう。
>>286 ぶっちゃけ考古学者は邪馬台国には微塵も興味ないからね
同一規格の墓制が広く九州から東北南部まで
さらには朝鮮半島南部まで拡がった古墳時代というものの始まりが、
どうやら3世紀の奈良周囲にあったということがわかってしまったから。
それが卑弥呼と同一かそうでないかは分からないしね
むしろこの政権の成立過程として、パッチワーク的に各地の墓制が組み込まれている
その組み込まれていく順番やどの地域が主導的役割を果たしたかについてが今の興味
神武が東遷とかどうとかもうナンセンス過ぎてお笑いレベル
332 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:34:24.17 ID:yZ9pn2pB0
高天原は淡路島じゃね日本始まりの地なわけだし
333 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:35:19.56 ID:Oxy1DZPkO
火高火上国の火上姉子(ひかみあねご)の居所の火上山に建てられた火上姉子神社(現・氷上姉子神社)の創建は2世紀末と伝えられている。 姉子(あねご)とは未婚の女性のこと。 古事記に、日本武尊が氷上姉子を想って歌った和歌が残されている。 火上姉子は日本武尊から草薙剣を託されたミヤズヒメのこと。 火上姉子は海部一族であり、卑弥呼だったのかも知れない。
334 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:35:27.47 ID:fpW12K0HO
文字自体がファッションだったんだよ 誰も読めなかったんじゃね? 伊都国の役人ぐらいしか文字に精通してなかったんだろう だから伊都国と壱与には悪字は使われてない 邪馬台国と卑弥呼はどうせ読めないし おそらく見もしないとわかってた
335 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:36:11.08 ID:s8zrH8xt0
>>331 神武東遷って宮崎にある小国の王が大和に引っ越しただけだから。
なぜそれがお笑いになるの?
336 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 13:36:59.78 ID:jbUQTAHT0
>>302 日本書紀にツヌガアラシトという人物が出てくるが、彼の大和までの道程というのが迷いまくって遠回りしてるんだよね。
魏志倭人伝の道程がデタラメなのは道に迷ったからではないのか。
もっと言えば、任那に戻ったツヌガアラシトが勝手に魏に使いを送ったので大和の記録にそのことがないのではなかろうか。
ツヌガアラシトが大和に来た頃は、豊鋤入日売命が天照大神を祀ってた時期だね。
>>334 それはあるかも知れんね
「この文字なる物はなんか凄いらしい」て感じで有り難がってたのかも
338 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:38:15.90 ID:yZ9pn2pB0
高天原 淡路島 根の国 朝鮮半島 邪馬台国 どこだろ
淡路島は生み損ないだからどうだろう
340 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:39:04.13 ID:Po3kMHIT0
>>326 無文字、唯刻木結繩。敬佛法、於百濟求得佛經、始有文字
「文字が無かったときは結び目で情報伝達
今は仏教の経典経由で文字がある」
文字はあったよ。
341 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:39:51.45 ID:EuII1HnpO
>>331 神武東征を根拠に、九州説を唱えてる人って、恥ずかしいよね。
古事記や日本書紀には、九州なんて、神武の曾祖父のニニギが、天孫降臨した場所ってだけだし。
天孫降臨した場所は、ニギハヤヒも近畿でしたし。
ただ、それだけの根拠だもんね。
342 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:40:15.32 ID:V+S/xdFn0
>>311 311に捕捉だが311のアマテラスは皇祖神としてのアマテラス
卑弥呼のイメージを投影したアマテラスとかニギハヤヒの名前の
天照国照・・・からの借用のアマテラスという名前そのものとは
別の話
九州は昔から僻地だったのか。
344 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 13:42:00.76 ID:jbUQTAHT0
>>321 箸墓が有力候補に上がってる時点でそれはない。
彼女も皇族だよ。
345 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:42:22.40 ID:Oxy1DZPkO
>>325 日高見国は火高火上国(ひだかほがみのくに)から変遷した。
346 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:42:35.81 ID:eEVS0utp0
どこでもいじゃん。 こんな研究に金などかけるのは無駄以外何にも無い。 ハッキリ言って考古学など何の役にもたたない学問。
347 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:42:38.63 ID:bzWcEy8x0
つまりさ、日本には邪馬台国以上の大きな国の集落が 東日本までの広範囲で、いくつもポコポコあってさ その国王達は、別に、中国や朝鮮なんかの後ろ盾なんか必要としなくても 国を維持して、文化交流や国同士の交易など、人の行き来も活発だった でもだからこそ、邪馬台国は、中国や朝鮮なんかの後ろ盾を必要としていた 理由は、邪馬台国がびっくりするぐらいの小国だったから・・・ 当時は、中国の皇帝に朝献して、それが気に入られれば、国王として認められたから びっくりするぐらいの小国の邪馬台国が、日本の中で成立し続けるためには 中国の皇帝に朝献して、中国や朝鮮なんかの後ろ盾が必須だった・・っつーだけで 実際の、日本の勢力図とは、全くかけ離れていた・・んじゃないだろうかね・・
348 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:42:55.96 ID:CNl1VNSSi
また近畿が勝ってしまったか
349 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:43:40.84 ID:yZ9pn2pB0
>>339 天然の要塞である淡路島に巨大国家を作ろうとしたが(流通の便などにより)うまくいかずに
次に天然の要塞となりえる地を探し奈良に拠点を築いたこう考えるべきなのかなやっぱ
あの時代も本家邪馬台国とか元祖邪馬台国、本家卑弥呼とか元祖卑弥呼、みんなが 好きに名乗ってたんだろうな
351 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:44:03.50 ID:E8YU93Po0
天岩戸神社にも行ったけど 全くパワーを感じなかったな 高千穂の峰も火山噴火で真っ白だったし 九州にルーツはない ただの反乱軍がいただけ
352 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:44:10.66 ID:s8zrH8xt0
崇神天皇が纒向に都市建設して、その頃、統合の象徴が卑弥呼だった。 崇神天皇は邪馬台国の4人の官と記載されているうちの一人。 それ以前の歴史なんて考古学ではわかりようもない。 上に書いたように神武天皇の東遷なんて、小国の勢力が移動しただけだから。 たしか磐余から九州の土器が出土してるみたいな事は聞いた事があるが…
描写もろくにないからね。山海経みたいな記述があればなあ。
>>339 それは流された蛭子=エビス
一説にはこれが卑弥呼の国を意味してるという解釈もある。
記紀に卑弥呼は殆ど記述されなかったしね。
なので子(国)と数えないと。
だとすると、流れ着いたのが和歌山や兵庫辺りとされてるので
そこが昔の邪馬台国だったんじゃないの?
という話が日本史板であった。
355 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:45:12.17 ID:oC96SCPM0
>>347 長文書くならせめて真面に勉強してから書け
恥ずかしいから
357 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:45:56.26 ID:REbhtVpnP
/\ このスレずっと同じことを ∧∧ \/\ 繰り返してきたような・・ /⌒ヽ) / \/\ i三 U \ / \ /\ ..〜|三 |\ | \ |\ / \/\ |\(/~U / .| \ |\ / \ /\ / \ \/ | \ |\ / \/\ / \ | .| \ |\ / \/\ |\ /| | \|\ / \ | \ //\ \ / \ | |/ \ /\ > | \ /| /\ へ / \ / .| | \ //\ / \ \ \ / | | |/ \ /\ / \ \ /|/ | | \ /| /\/ \ /| / / | | \ //\/ \ \ /| / | | |/ \ \ / | / | | \ \ / | / .| | \ /| / .| | \ / | | .| .| | |
358 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:46:03.28 ID:N7B6H3cwO
邪馬台国・出雲説 ○1974年、島根県加茂町の神原神社古墳から卑弥呼が魏に使いを送った年、 景初3年の年号が入った三角縁神獣鏡が発見。 ○1984年、島根県斐川町の神庭荒神谷(かんばこうじんだに)遺跡で、 358本の銅剣が出土。 ○銅剣が出土した地点から7メートル離れた場所で、今度は銅鐸6個、銅矛16本が発見。 ○1996年秋、今度は、神庭荒神谷遺跡から3キロほど離れた加茂町の加茂岩倉遺跡で銅鐸が39個も出土。 ○西谷四隅突出型墳丘墓 9号墓 62m×55m×5m 62m×55m×5m 神原神社古墳、加茂岩倉遺跡、神庭荒神谷、いずれも弥生時代から弥生末期です。 補足 ○2C中〜3C中 西谷墳墓(四隅突出型墳丘墓) ○239 卑弥呼 魏に遣使 ありのままに@札幌より
359 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:46:52.96 ID:CWjFt1VPO
中国の文献に出てただけだよな そもそも本当に存在してたんすかね
>>347 小国なら中国まで行って貢物送る国力がそもそもないよ
それ以前に途中の「邪馬台国以上の大きな国の集落」の国境付近を安全に通過できないし
361 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:48:15.20 ID:fpW12K0HO
伊都国の自演だろ そんで伊都国は岩戸国になったとさ
362 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:48:23.26 ID:DSdQlTC1O
そこに岩手県八幡平市が
363 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:48:30.38 ID:E8YU93Po0
高天原なんか熊襲を平定する為の作り話だろ 九州の土人はそれを信じた
>>334 \(^o^)/
現在のこれと同じだろ
やったーだったり
バンザイだったり
オワタ。だったり
365 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:48:52.32 ID:f38pkzCZ0
畿内は大和朝廷 九州は邪馬台国
366 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:48:56.94 ID:bzWcEy8x0
>>365 真面目に考えると、そうならざるを得ないよ
日本には邪馬台国しか大勢力がなかった・・
あとは、孤立した数百単位の集落ばかり・・・
なーーんて、それこそ勉強不足ジャネ???
>>149 あれって最近東方諸国を旅行してきた人の話を聞いた帯方郡の役人が洛陽に来た時に陳寿に語った話でしょ
又聞きの又聞きの伝言ゲーム状態じゃん
つか率直に読めば南方の海の底だし
368 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:49:50.30 ID:N7B6H3cwO
以上の証拠を持って、邪馬台国は出雲地方にあったと思っています。 卑弥呼は大王にあらず。出雲の豪族の女性。その名前は、トヨ。 ありのままに@札幌より
369 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:50:41.00 ID:bzWcEy8x0
>>360 だから奈良はナシ・・・なのさ
海に面して中国にも近い北九州ならば、ぜんぜんOKだけど
370 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:51:01.42 ID:V+S/xdFn0
371 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:51:31.95 ID:EuII1HnpO
九州説の根拠は、宇佐と阿蘇だけらしいよ(笑)
372 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:51:45.78 ID:yZ9pn2pB0
当時日本で支配力持ってたとしたら中国は危険だという認識あったはずだから 九州に本拠地構えるだろうかせめて出城の意味をもった集落作るぐらいのもんだろ
373 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:51:58.61 ID:6Bdld5psO
卑弥呼の祭祀って何の為? 火山の噴火が起こらないように祈ってた? 顔に塗ってた朱は阿蘇が産地だったとか… 「まぼろしの邪馬台国」説もまんざらじゃないとは思ったゎ
>>358 卑弥呼は鏡から考えても太陽信仰だろ
蛇の出雲はありえない
375 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:52:20.03 ID:REbhtVpnP
( ゚д゚) … _(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ DELL /  ̄ ̄ ̄ ( ゚д゚ ) _(__つ/ ̄ ̄ ̄/_ \/ DELL / ( ゚д゚ ) ガタッ .r ヾ __|_| / ̄ ̄ ̄/_ \/ DELL / ⊂( ゚д゚ ) ヽ ⊂ ) (⌒)| ダッ 三 `J
376 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:52:36.17 ID:7SJCd5tr0
卑弥呼って何教なわけ?
>>369 なんで邪馬台国の範囲が奈良の一部だけだと思うんだ?
2〜3世紀の淡路の鉄製造所のレスとかちゃんと読んでる?
378 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:53:33.72 ID:fpW12K0HO
別にマキムクが邪馬台国に拘らなければ年代の繰り上げは必要なかった
379 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:54:24.13 ID:sWeb8Az70
だんだんきのこたけのこ戦争の様相を呈してきたなw
380 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:54:30.55 ID:Po3kMHIT0
381 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:54:33.80 ID:V+S/xdFn0
>>366 >邪馬台国しか大勢力がなかった
吉備や出雲もあったわな
382 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:54:58.30 ID:xoMlpAu30
>>378 そのとおり
年代の繰上げに必死だからな
邪馬台国至上主義にはまいったぜ
383 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:55:08.98 ID:yZ9pn2pB0
例えるなら巻向が中国 邪馬台国がシンガポールのような関係だった
384 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:55:10.36 ID:bzWcEy8x0
>>377 日本には邪馬台国以上の大きな国の集落が
東日本までの広範囲で、いくつもポコポコあったから
>>378 古代史全体が繰り上がっちゃったんだからしょうがないじゃん
別に邪馬台国のためになにかしてるわけじゃない
紀元前10世紀には九州に稲作がやってきた、っていう弥生時代遡上論なんだ
386 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:55:25.80 ID:f38pkzCZ0
九州に有力な場所が存在するが、なぜかくわしく調査をする事をしないらしい。 そこが卑弥呼の都だろう。しかしながら、邪馬台国は謎のままの方が学者としては生活に困らん
>>384 >日本には邪馬台国以上の大きな国の集落が
>東日本までの広範囲で、いくつもポコポコあったから
具体的にはそれはどこ?
あなたが考える邪馬台国跡の遺跡も教えて
>>373 弥生期に水銀朱の産地は阿波、徳島しかないよ。
倭人伝の記述で冬温暖で悔人の里を思わせる記述は
四国の海部辺りの記述が一番近い、青玉も丹山も確認済みだし。
邪馬台国が阿蘇なら真っ先に火山の記事が書かれると思う。
>>380 なんか紋章とか象徴する動植物とかないんかなあ。
390 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:56:26.34 ID:E8YU93Po0
弥生遺跡だって日本中から出てるからな 埼玉にさえ古墳もある
391 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:56:48.46 ID:N7B6H3cwO
ヒント 大国主命の国譲り ありのままに@札幌より
392 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:57:04.63 ID:V+S/xdFn0
393 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 13:57:22.76 ID:jbUQTAHT0
>>369 当時の奈良(大和)の国力を過小評価してませんか?
東は北関東まで、西は九州まで勢力が伸びていたのが考古学的にわかってきてますよ。
当時の奈良は北陸東海の陸路と瀬戸内の海路の交わる交点でもあり
人口的にも後の平城京にも匹敵する都市でしたよ。
394 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:58:21.04 ID:HoVX/D5x0
卑しい皇女とは、何事だ!! って韓国だったら起こるだろうな。 このへんが文化のある国とない国の違いの余裕だな。
>>369 別に西日本全体の連合なら、近畿で問題ないだろ。
邪馬台国は連合国だったし、ましてや、
邪馬台国と主に敵対してたのは狗奴国以外に出てくるのかよ?
纒向は卑弥呼の年代に合わせて捏造しまっくっているから いろいろと辻褄が合わないことが出てきているな
397 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:59:04.69 ID:yZ9pn2pB0
邪馬台国かどうかは置いといて奈良が古代最強の国家があったことは遺跡跡から見るに間違いないでしょ
>>393 卑弥呼って都市のイメージとなんか合わないな^^;
399 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:59:44.06 ID:pkQauJqW0
>>393 それって何に書いてあるのかな?
アホな俺に教えてくれw
>>388 火山?
聞いた話だ。見たわけではない。
401 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 13:59:48.23 ID:V+S/xdFn0
>>388 あんた水銀厨かw
まぁ
>>331 で書いたとおり
各地の勢力が初期政権の成立に関与してるんだけど
阿波讃岐の勢力の関与が強いんだよな
403 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:00:28.80 ID:bzWcEy8x0
>>387 それはどこ・・・じゃなくて
それは特筆すべき事じゃなく、当たり前のこと・・だったんだよ
だから、文字が書かれた土器が出た千葉・流山周辺にも
○○という大きな国があった
なんつー口伝すら残されていない
大きな国があったことが【特別なこと】【珍しかったこと】ならば
千葉・流山周辺には、○○という大きな国があった
という口伝が残されてなきゃおかしいだろ?
404 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:00:34.65 ID:E8YU93Po0
中国に朝貢するようなへたれ国家は九州にしかない
405 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:01:39.23 ID:EuII1HnpO
邪馬台国は大和国でOKだよ しかし大和国も日向国も単なる天孫降臨の土地でしかなかった つまり中央ではない 高天原が中央だから その高天原がどこなのかとすると 太陽の出る国、日の本にある つまり日本という国の起源ともなかった日本列島東方にあった日高見国が高天原なのである そこから、当時は船が交通手段だから、船で大和国や日向国に天孫降臨した わけさ
頭悪いからさっぱりわからん 京大が畿内説で東大が九州説なの? 邪馬台国→大和朝廷なのか 邪馬台国≠大和朝廷なのか
407 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:01:41.17 ID:5CywWdwa0
>224 その通り、全くあてにならん。 おまけにMade in Chinaでっせ、意図的な捏造や大げさな作り話満載。 100%信じる者の気がしれん。
>>376 >>380 そう神道だろうな。そして、卑弥呼は物部氏の女だろう。
だからこそ天皇家に匹敵するような力を持ち、半島と結びつきの強い蘇我氏の仏教導入に反対し
卑弥呼以来の古代から続く神を大事にしようとしたと。
409 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:02:19.09 ID:xoMlpAu30
>>404 おれもそう思う。
近畿は国内各地とのやりとりで忙しく
中国にかまってる暇などなかった。
411 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:02:35.38 ID:yZ9pn2pB0
中国と手を結びたがっていたということはあのあたりに力の拮抗する敵対的な国家があったことは間違いない
412 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:03:33.90 ID:V+S/xdFn0
>>388 大和の丹生川かもっと有名じゃないか?
神武天皇はどこの河原で対ナガスネ打倒祈願の祭祀を行った?
413 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:03:55.19 ID:YMGqYanv0
金印北九州で出たので倭国は北九州では 倭国が北九州ならヤマトも北九州発では
414 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:04:00.19 ID:bzWcEy8x0
>>393 >当時の奈良(大和)の国力を過小評価してませんか?
>東は北関東まで、西は九州まで勢力が伸びていたのが考古学的にわかってきてますよ。
っつーことは、邪馬台国が奈良(大和)だったら
邪馬台国は、東は北関東まで、西は九州まで勢力が伸びていた
っつーことになっちゃうけど(^_^;
415 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:04:31.89 ID:f38pkzCZ0
>>396 大正解、つじつまを合わせようと必死。メディアを利用して、歴史を曲げようとしている
416 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 14:04:53.65 ID:jbUQTAHT0
>>399 「大和・纏向遺跡」石野博信編・学生社・第一版2005年5月1日
この当時での調査で平城京並みの都市だったと結論づけられている。
417 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:05:22.73 ID:E8YU93Po0
今は伊勢のイオンがへたれまくってるがな
>>402 水銀厨の主張をまんま書いたのがわかったかw
だが海部氏の里というのは注目していいと思うからな。
近くに物部村に夜須川もある、田村遺跡は注目していい。
419 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:06:25.49 ID:EuII1HnpO
大和国も日向国も単なる天孫降臨の地でしかない。
420 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:06:57.19 ID:0sD5eFuPO
倭人伝みたら女王国から東に海を渡った先にも倭人の国があるって書いてあるけど 奈良って海から遠いイメージだよなw
421 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:07:06.41 ID:fpW12K0HO
ほんとは狗奴国が熊襲だってわかってるんだろ
422 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:07:20.64 ID:yZ9pn2pB0
高天原が奈良 邪馬台国が九州 当然なら側の勢力が強かったので九州側は中国の手助けを必要とした こう考えれば地理的にもおk
423 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:07:53.22 ID:HoVX/D5x0
そもそもさ、中国側の資料をもとに日本で探すってのがおかしい気もする。 邪馬台国、卑弥呼、日本側にそんな名前が実在したはずがないし。 邪馬台国はみつからないかもしれないけど、普通に考古学やってれば普通に何かみつかりそう。
424 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 14:09:36.49 ID:jbUQTAHT0
>>415 さっきも書いたが、纏向遺跡の調査団は邪馬台国なんかあまり意識してないよ。
景行天皇の遺跡だから纏向遺跡なんだよ。
>>373 今もやってるか知らんが
阿蘇には小学生の女児に火の護りをさせる儀式があったはず
選ばれた女の子は1月以上学校公認でその作業にあたる
知ったときは愕然としたw
>>403 もっとでかいサキタマ古墳がすぐそばにあるだろ
426 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:09:53.82 ID:V+S/xdFn0
>>408 狭義の物部ではないかもな
近いだろうが
ただ道鏡事件などは物部王国だった美し国、虚見津ヤマトの復権につながる
事件だった可能性もあるな
427 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:10:06.98 ID:EuII1HnpO
>>420 古代史を学ぶ人の間では、当時は船が交通手段ってのは、通説。
428 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:10:09.77 ID:7SJCd5tr0
429 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:11:11.98 ID:bzWcEy8x0
つまりだ 日本には邪馬台国以上の大きな国の集落が 東日本までの広範囲で、いくつもポコポコあって 大きな国があったことは【特別なこと】【珍しかったこと】 じゃないんだよ 【大きな国があったこと】が、特別なこと、珍しかったこと じゃなく 【中国に朝献した国】が、特別なことで、珍しかったんだ だから口伝が残っている・・・・ そして、 【中国に朝献した国】が、特別なことで、珍しかったから、口伝が残っているだけ なんだから 邪馬台国が、当時の日本の大国かどうかは、疑わしい むしろ、中国の後ろ盾がなければ消滅しかねないほどの小国だった ・・と考えた方が筋が通る
430 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:11:39.56 ID:E8YU93Po0
大和朝廷を邪馬台国や卑弥呼に矮小化させようとする 左翼・チョンの陰謀だろう
431 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:11:58.97 ID:Oxy1DZPkO
>>383 水銀朱が古代日本史を解く鍵ですね。
諏訪〜三河湾〜紀伊半島〜四国〜九州と続く中央構造線沿いが水銀朱の産地。
マキムクも水銀朱の産地に近い。
もうすでに九州説自体がノイジーマイノリティだからなぁ
433 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:12:08.78 ID:V+S/xdFn0
>>418 あまり記紀のことはいいたくないが
なぜ、記紀に「東遷」という記述をしなければならなかったのか、
その前提としてヤマトよりも西からやってきた勢力の存在を無視できなかったんだろうな
>>427 であろうね。淡路島で製鉄やるんだから。
436 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:13:13.60 ID:f38pkzCZ0
>>424 はいはい、ガッツリ邪馬台国を意識していますよ。バレバレの嘘をつくな
437 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:13:20.38 ID:EuII1HnpO
ホツマツタエでも、地元の伝え聞きでも、高天原が日高見国なのは、しょーがねーよ。 近畿にも九州にも、高天原の場所と言われ伝わった土地なんてねーだろ。
438 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:14:13.03 ID:pkQauJqW0
>>416 まずは読んでみるよ
しかし、刺青の土人が九州から関東までいたとは思いたくないなw
439 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:14:23.06 ID:yZ9pn2pB0
地理的に考えれば邪馬台国は九州だよだって一番中国と接してるわけだし ただ邪馬台国はそれは度強い国だはなく巻向のほうが強かった
440 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:14:28.33 ID:s8zrH8xt0
>>434 ヤマト王権の成立に何らかの理由で絡んでるんだろうな。
崇神天皇の出自とはあまり関係なさそうだけど…
441 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:15:02.01 ID:V+S/xdFn0
>>408 卑弥呼以来の古代から続く神を大事にしようとしたのはそうだろうが
温故知新の立場で祭祀変更はしたんだろう
442 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:15:31.10 ID:dMRAe/ZO0
卑弥呼って卑しい呼称だな
443 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:15:43.86 ID:kZlxRL230
卑しい巫女とかいってるやつ
この設定をカルラ舞うで使って欲しい 永久保先生おなしゃす
445 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 14:16:08.69 ID:jbUQTAHT0
>>414 そのとおりだよ。
そもそも邪馬台国はヤマト国の音訳だろ。
記紀の記述からして祟神天皇から景行天皇までの期間にそれら地域を征服した事もわかっているし、遺跡からの出土品からもそれがうかがえる。
446 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:16:14.42 ID:CWjFt1VPO
>>423 日本書記にちょろっとでも出て来そうなものだよね
無かったか中国の勘違い記録なんだ、多分w
>>436 でも、なんで淡路島なんだろな
製鉄でなく鍛冶なんだから普通は近くでするだろ
>>440 そう言われちゃうといいにくいけど
案外、崇神ってのは阿讃勢力なんじゃないかと思ってる
萩原2号墳みたいな石囲い木槨水銀朱塗りなんて文化を持ってきた
太陽信仰持ち込んだのもこいつらなんじゃないかな
449 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:18:34.78 ID:bzWcEy8x0
>>445 邪馬台国は、東は北関東まで、西は九州まで勢力が伸びていた
って????
んなバカな(^_^;
450 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:18:37.03 ID:8y9IWLgW0
行ったことないけど歴史関連の板も こんな煽り合いで盛り上がってるんだろうなってのは 良くわかった で卑弥呼って実在しないんでしょ?
卑弥呼は捏造 嘘歴史
452 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:18:47.53 ID:V+S/xdFn0
>>427 唐古鍵でも立派な船の絵が出てるな
ヤマトは海人族の固有地だな
453 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:19:00.23 ID:yZ9pn2pB0
高天原は奈良 邪馬台国は九州 高天原のほうが強かったので中国の助けを必要としたこう考えればしっくりくるな
三国志時代の呉の漢字発音で邪馬台を読むとヤマトゥだけど ホコト国はハカタになるって話はどうなんだ? ホコト国を博多の位置に当てて行程を測ると邪馬台国は八千穂に 古代の呉音だと卑弥呼はヒメゴ(姫御?)だとか…
>>447 合理的には説明できんのなら宗教上の理由とかかもな。
>>352 三世紀に本州の宝物だった銅鐸が消え
代わって九州の宝物だった銅剣や銅鏡が本州の宝物となるなど
文化の交代が起こっている
明らかに九州勢力が本州にいたっていると考えるのが妥当だ
457 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:20:43.69 ID:YMGqYanv0
倭国を邪馬台国と書いたのには漢と交流あった ヤマト国滅ぼす意図あったのかも 百済滅ぼされて北九州ではやばいから 近畿に移動ですか
458 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:21:32.60 ID:Oxy1DZPkO
だから日高見国は火高火上国の「ひだかほがみのくに」が「ひだかみのくに」と変化したと
>>446 >>423 卑弥呼は女王(ひめみこ)がなまったものだろう
邪馬台国のヤマタイはヤマトがなまったものと考えられる
白昼の死角、人蟻、刺青殺人事件、成吉思汗の秘密、破戒裁判
邪 纏向の姫御の神道 馬 馬の存在 台 巨大な前方後円墳 大陸シナ人が、当時の大和の特徴を当て字にしたものだろう で、ヤマトとかヤマデイとかシナ人の発音の問題かも知れない。
462 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:25:07.82 ID:V+S/xdFn0
>>424 それ10年前の話
石野氏も巻向センター長も文献史学に通じ始めているわな
464 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:26:07.85 ID:EuII1HnpO
元々、日本人は倭って呼ばれることが嫌だった。 倭が日本に変わった理由を調べれば分かる。 つまり、中国の知っている倭は芦原中国のことであり。 高天原は日ノ本の国のことであった。 大和国のずっと東方にあって、一番太陽に近い場所である。
465 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:26:56.02 ID:pkQauJqW0
邪馬台国の記述は魏志倭人伝しか無いのかな?
466 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:27:20.95 ID:yZ9pn2pB0
結局高天原が奈良で邪馬台国が九州ってことだろうな間違いない
467 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 14:27:28.40 ID:jbUQTAHT0
>>449 何を根拠に否定されますか?
少なくとも纏向遺跡からは北関東から九州までの地域で作られた土器が出土しているし
この地域のこの時代で始まった前方後円墳が全国に広まっていってるし
埼玉の稲荷山古墳から出た鉄剣には四道将軍の大彦命の名が刻まれてましたね。
邪馬台国が九州だというなら景行天皇に征服された地方豪族のー人という可能性しか残ってませんよ。
468 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:27:29.31 ID:fpW12K0HO
何か日本人の朝鮮化を別のアプローチでやられてるみたいで怖いな
5世紀には関東から九州まで支配確立 4世紀には大規模な半島遠征 大和から同心円状の広がり方を見ると3世紀にはそこそこの勢力がないと厳しいわな 3世紀には漢人の楽浪郡帯方郡が健在だし
470 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:28:06.10 ID:nL3aUDfV0
もういいかげんに学者さんたちは、自分たちが知らない巨大建築物跡が 出土したらなんでもかんでも「祭祀用建物」とか宗教がらみにするのを やめてほしい。 人間いつの時代もそんなに宗教の事ばかり考えてられるもんじゃないぞ この巨大施設にしたって巨大なレストランだったかもしれないじゃないか
しょぼい地方勢力に墳墓やら奴隷の大量殉葬は無理だろうねえ。
奈良と九州は地名が類似してるんじゃなかったっけ どっちかが高天原でどっちかが葦原中国じゃないの
473 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:30:54.27 ID:V+S/xdFn0
>>470 わざわざ中華思想の最も嫌う女王を2回も共立した理由はなんだろな
474 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:31:41.40 ID:0U6+nMZs0
仮に、おまいらの妄想どおり、 日本に寺が出来た当時の昔から親シナチョン体質化しちゃってたと 百歩譲ってやるとする。 でわ、 チョンのウリナラであるヤマトの国ナラ県で 原始人シャーマン女性系部族卑弥呼の異物が多量に発掘されたって事はだな、 正義の為にツチグモ土人や縄文時をバッタばった成敗したと言う ウリナラシナ正統皇道説がぶち壊れる事になるのだが。 教科書上外交上それはあってはならぬ事になるのだわ。
475 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:32:25.87 ID:fpW12K0HO
そもそもヤマトタケルと景行天皇が被ってるのが謎だな さらにヤマトタケルの仲哀天皇が九州で変死 これのどこに統一性があるのか 交易してた国の物が出てきたらそこは支配下だったとか この半島式思考パターンが怖いな
この国のタタリを恐れていたという風習を忘れちゃダメだろ
政敵追い落とす→異常気象→政敵祀るor遷都 この繰り返しでしょ
だから生活に使われた形跡のない遺跡は、滅ぼされた側を祀るもの
それを卑弥呼とかおかしくてやってらんねー
>>467 そこ崇神天皇時代に遠征したって書いてるじゃん
まさに四道将軍がw
477 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:33:50.65 ID:pkQauJqW0
ネトウヨ的発言は控えてほしいねえ せっかく面白いところなのにww
478 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 14:34:38.44 ID:jbUQTAHT0
>>474 纏向遺跡からの出土品は記紀を否定するものはとくに出てないよ。
むしろ補完している。
>>470 政(まつりごと)という言葉があるように古代にとって祭と政は同じ意味を指してた
五穀豊穣によるムラの経済の安定こそが政治の中心
480 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:36:30.46 ID:OwiJB4WsO
>>429 そう考えるのが自然。
邪馬台国なんてなかった。
で、魏史に出てくるのは九州にどこにでもある国家だな、残念ながら。
馬の埴輪が出てきて箸墓だけ年代離れてるってどういうの
482 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:36:42.37 ID:yZ9pn2pB0
まくむくが高天原で当時最強だったこれでFA?
え、いまだに九州説とか言ってるやついんの?マジで?
484 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:37:04.28 ID:V+S/xdFn0
485 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:37:11.59 ID:EuII1HnpO
北海道の蝦夷は土人だけど 東北の蝦夷は倭人だよ ナガスネヒコと似たようなもん つまり日ノ本は東日本にあった 奈良県と宮崎県は、単なる天孫降臨した、地方でしかない。 魏志倭人伝には芦原中国の中央であった、奈良県を邪馬台国としているだけ。 江戸時代に例えるなら、江戸が奈良県で、朝廷が東日本。九州の立場は無し!
486 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:39:53.24 ID:yZ9pn2pB0
>>485 じゃあ当時で最大規模の遺跡があるはず巻向なんかめじゃないぐらいの奴な
487 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:40:02.82 ID:Oxy1DZPkO
>>467 問題はその時代だよ
例えば箸墓は、魏志の「棺あって槨なし」の記述に合わない
>>487 なんでキカイダーとドクターヘルなんだよw
490 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:43:13.84 ID:yZ9pn2pB0
>>487 ただのはやりの模様で別に持ち主がそれしてたと限らん
なんか妄想とかこじ付けばっかりで九州説は受け入れんわ やっぱり物証が一番大事だわな そして飛鳥時代の流れも含めた歴史的事実から 古代の中央集権国家は畿内とくに奈良盆地にあって発展してきたとするのが妥当だろ
492 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:43:47.40 ID:Oxy1DZPkO
やべ、自分にアンカーつけた(笑)
487 は
>>478 の誤り
493 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:45:19.69 ID:N7B6H3cwO
実は、宇佐神宮は出雲大社より後世に造られたものです。 ヒメオオカミは、邪馬台国とは一切関係ありませぬ。あれは神功皇后の行宮あとですから。 ヒント 朝鮮征伐 ありのままに@札幌より
494 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:46:41.72 ID:KNaxXjEM0
九州は高千穂があるんだから卑弥呼は関西に譲っては
ユダヤもキリストも東方に足をつけて寝られなかった。 キリスト教の地図が東方を北側にしてる理由もこれであり。 イスラエル国歌で東方に行くと連呼するのもこれであり。 釈迦が東の小国と名指しして仏教を伝えることを弟子に託したのもこれである。 太陽が出る国、日ノ本こそ、人類のルーツである。
496 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:49:44.87 ID:oSC5VtZg0
>>488 唯一の心の拠り所魏志倭人伝
いい加減信用するの止めなよとは言わないけど
せめて、補完する資料なり見つけてきなよ
497 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:50:20.24 ID:EtF/a4ui0
わりとどうでもいい
498 :
カルトよりキチガイな連中がいればカルトのことは問題になりづらい :2013/02/03(日) 14:50:44.94 ID:YyqYTyDR0
在日カルト宗教団体は、信者や敵対者に対して組織的な威圧、監視、嫌がらせを行い マインドコントロールしなければ組織を維持、拡張することができません そのため証拠を残さず、訴えられないように、集団で威圧、監視、嫌がらせを行う「ガスライティング」という手法が必要なのです 在日カルト教団がどのように信者のマインドをコントロールしているのか知って下さい [ガスライティング 集団ストーカー カルト]などで検索を! 外国人工作員が隠れ蓑にしているのはカルト宗教団体 10人に一人はカルトか外国人 異常に気づけ!
キカイダーというより科学くんに見えた。 皮はいだ頭部がモデルだったりしてw
500 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:52:50.61 ID:xALh7zJ40
邪馬台国は沖縄から台湾までだった、にしとこw
瀬戸内出身だけどうちの地元の住吉神社では 神功皇后の三韓征伐のお神楽よくやってるし伝説も多いよ 淡路島は一番最初に作られた島だし 瀬戸内海から大陸に出兵してたのは確実のような気がするんだけど
箸墓=卑弥呼の墓説は年代がほぼ破綻してる 倭迹迹日百襲姫と卑弥呼を同一人物とするコトは不可能だろ
503 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:54:01.31 ID:fpW12K0HO
やっぱ応神ときにマキムク王朝と入れ代わってるわ そんで雄略天皇がほんとはマキムク王朝の血統でまた取り返した気がする
504 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:54:11.81 ID:59s8+cjMO
ヒミコを卑弥呼とか当て字で呼ぶのはいい加減やめろや 名前なのか職名なのかもわかってないのに名前だと誤解するだろが
>>496 自説の都合に合わせて、文献を採用したり否定したり、便利な話だなw
506 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 14:58:20.22 ID:EuII1HnpO
中国神話も東方がルーツだし。 こりぁまいったね。日本人すごすぎw
邪馬台をヤマタイ 卑弥呼をヒミコ なんて読んでるけど… 記したのは、古代中国人なんでしょ? 当時の中国人は、何て読んでたの?
508 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:02:18.93 ID:EuII1HnpO
とりあえず、邪馬台国は畿内説でOKでしょ。 で、九州の劣等感は、まだ続いてるの?
ペリー提督いわく「邪馬台国は皆の心の中に存在するものである」
510 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:04:33.66 ID:32euW5+l0
ヤマト国が大和にあって当たり前だろ。 どうしてヤマタイなんて発音するんだよ。 魏志の固有名詞の当て字は、一文字一音節が基本だろ。
>>505 現物が出ると変えざるおえない部分も当然あるだろな
キミは何が目の前にあろうと、確定してない資料を基に決めた事を変えないの?
魏志倭人伝はあくまで検証出来てない資料だから
>>511 畿内説は確定してない考古資料を基に決めてるよね?
古墳が作られたのは鉄板なんだから 古墳のある地をまず第一候補とするのが普通だろ 古墳は持ち運び出来んし
>>512 現物があるからそうしないと不味いよね
魏志倭人伝もちゃんと検証出来るなら、十分証拠として成り立つけどね
卑弥呼なんてただの池沼だろ。
516 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:12:57.15 ID:OTLnMQPp0
在日やカルト在日とかやたら神武天皇やニギハヤヒを プッシュするね。 高千穂の高って故国高麗の高じゃないかなと。 その他高江とか。 そもそも出雲豪族縄文人説を真っ向から否定してたのが学閥だが、 結局数年後に多量の縄文出土品が出てダンマリになったよね。 おなじじゃん。 シナ藤原やチョン末裔系日本人(?)が日本に巣食ってる限り 日本庶民に未来はなさそ。
517 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:15:41.07 ID:OTLnMQPp0
ユダヤ人、ニダヤ人、フジヤ人. . . 薄れて行く貴重な縄文人の血
>>514 その現物を邪馬台国の物だって強弁してるって言ってんの
記紀は最初は神話から始まっているが イスラエル人の歴史書でもある旧約聖書は神話から始まっているし ギリシャ叙事詩であり歴史書であるイリアスも神話から始まっている つまり古い時代には神話は歴史でもあり また、歴史書は経典・聖典でもあったのだ それを理解しないと、記紀の内容も読み解けないよ まあ、上記の通りの理由で、いささか脚色もあったのも事実でしょうけど 記紀の記述は思ったよりは真実を書かれているのは間違いないね
旧約聖書が事実だったら色々嫌過ぎるなw
521 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:19:14.98 ID:EuII1HnpO
日本人をチョンとか言う意図って何?
九州の福岡にまちがいないね。 ここは卑弥呼の血統で美人やアイドルがたくさん。 そして彼女たちが年をとると...
523 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:21:15.04 ID:fpW12K0HO
邪馬壹国が本当だから
>>519 でも考古学の成果と比較して補完されなければ妄言とせざるを得ないんじゃねか
畿内の大和朝廷と九州の邪馬台国を同じにすんなよ。御用学者。 原発で何を学んだ?w御用学者のインチキを学びますたwww
526 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:24:34.16 ID:0sD5eFuPO
こういう 後頭部に思いっきり石をぶつけて相手を仕留める 戦が石合戦の時代って、簡単にかたわにされたから非情だよな。 明治以前の兜を被って戦をしていた時代って、本当に残酷の極みだな。火器の発明は、ある種人道的だな。
スレチなんだろうが、霊視できる人間に言わせれば、出雲方面から来た卑弥呼王朝の畿内説ってことで乙らしい ただし、その当時の畿内が西日本一帯を治めていたわけじゃないワロスだと その裏付史料が出て来ただけだと思ってる 卑弥呼朝は中東からの渡来系が入畿後、王権簒奪されてヤマト立朝に至る 神功皇后はさらに降って三韓征伐に行ったときに和人支配下の朝鮮半島任那地域から応神を迎えた
>>518 まぁ100%邪馬台国で正しいとは言わないけど
どの道社会的影響の少ない事項で、100%確定するまで想定もせず
発表もしないってのは、アホのする事じゃね?
ある程度、成果みたいな物を発表しないと、又レンホウみたいなのに予算カットされかねないだろ
あと、そんなに魏志倭人伝が正しいと思うなら何で検証出来る資料が見つからないの?
>>527 戦国時代の武田家には石投げ部隊ってのが存在したらしいね
どこの大名家にもあったんだろうけど
旧約聖書ではヨシュア記のジェリコの戦いがエグい オウム真理教なみ
武田のあれは工兵部隊じゃなかったっけ。
卑弥呼の時代の奈良は平安時代の埼玉みたいなもんでしょ
534 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:31:12.27 ID:f38pkzCZ0
535 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:31:30.98 ID:3Q7Wb7Ld0
昔、ある工事現場で遺跡が出てきて、作業員があまりにも珍しいからその一部を頂戴しちゃったんだよね でも結局見つかってすぐに返還させられたらしい それが記事になってて本人は、なぜ盗んだことがわかったのだろう…って不思議がっていたらしい 当時、遺跡よりもこっちの話の方が面白かったな
536 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:31:31.44 ID:4whg2IV50
前スレ
14 名前: 名無しさん@13周年 [sage] 投稿日: 2013/02/02(土) 16:18:55.16 ID:iZVFJMbY0
>>10 教科書はわからんことはわからんと書くので大伴金村あたりからしかはっきりしたこと言わないんじゃね
邪馬台国は魏志にこんな記事があるよくらいで
教科書の執筆者は学術的によくわかっていない事でもイデオロギーに則した断定的な記述をすることがある。
537 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:33:31.28 ID:xoMlpAu30
マクモニーグルによると 卑弥呼は山口出身で 奈良に行ったりきたりしてた。 と透視してた
>>530 弓、長刀、刀なんか軍記物語の中だけの話しで、
実際は、放火と石合戦だけでしょ?
兜ととか鎧とか、主に投石から身を守るためだけのものなんだし。
539 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:36:57.87 ID:yZ9pn2pB0
根の国ってあわじしまの大うず潮のことだろ
>>529 ?
卑弥呼とか邪馬台国とか言わなきゃいいだけの話でしょ?
普通に考えたら大和朝廷の遺跡なんだし
541 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:37:41.40 ID:6Bdld5psO
542 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:39:51.44 ID:bMfFL1gI0
大和 − 邪馬台国 天照 − 卑弥呼 ここに出雲は絡んでこないの?
543 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:41:50.41 ID:EuII1HnpO
出雲の古墳は新品だもん。
544 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:41:51.62 ID:ZZbh4QEZ0
日本の都は大和朝廷、その後の京都とか、 江戸に移るまで国の中心は近畿から動かないんだよね。 邪馬台国がもし九州だったら大和朝廷をわざわざ近畿まで 都を移す理由が何か一つでも残ってるはずだが何もない。
>>542 出雲はその前の時代なんじゃね?
記紀がある程度本当ならという条件付きだけど
或いは倭国大乱が国譲り神話の基に成ってるのかもしれんけど
546 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:42:05.60 ID:CPW2Bv6aO
飛ぶ鳥と書いてなんであすかと読むの?
>>542 出雲って風土記が残っていただけじゃん。
それを古事記編纂等の時に上手く利用しただけで。
とりたてて特別な存在だったわけでもないでしょ。
>>541 今の山口って言う意味でしょ。
山口のどこかは忘れた。
ただいま。
>>245 うんうん。
おれは魏志の「水行」は湿地帯の行程だと想像している。
縄文海進が終わっても急に沖積平野が出現するわけじゃなくて、
無数の湖沼と氾濫原で葦が生い茂るズブズブの大地なのだ。
古事記の冒頭もそうだよね。
そこを行くのが水行。渡海とは区別されている。
てなわけで、俺もやっぱり
>>210 同様、筑後平野かなと。
550 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:44:31.76 ID:EuII1HnpO
出雲は九州みたいなもんだしね 一地方だよ
551 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:45:43.84 ID:N7B6H3cwO
邪馬台国出雲説 これが、卑弥呼(トヨ)の陵墓でしょう。 ○造山古墳(つくりやまこふん)島根県安来市 1号墳は一辺60メートルの古墳時代前期のもので、この時代のものとしては全国でも最大級の方墳である。 昭和11年、13年(1936年、1938年)に竪穴式石棺が次々と発見された。 ○副葬品には三角縁神獣鏡、方格規矩四神鏡、紡錘車型石製品、ガラス製管玉、鉄刀、鉄剣、刀子などが発掘された。 3号墳も古墳時代前期に作られた方墳で38×30メートルである。 昭和40年(1965年)には竪穴式石室からは斜縁二神二獣鏡、碧玉製管玉、ガラス小玉、刀子、 ヤリガンナが出土している。 この他兵陵最高所には全長50メートルの前方後円墳(2号墳)や、小型古墳の4号墳があり、 この2基は6世紀前半頃に築造されたものと考えられている。 近隣には、大成古墳もあり造山1号墳同様、古墳時代前期に築造、全国最大規模の方墳であり、 石棺からは三角縁神獣鏡・素環頭大刀などが明治44年(1911年)に出土している。 この素環頭大刀の復元を刀匠 河内国平が行ったがその現物は安来市立和鋼博物館に展示されている。 これが、卑弥呼の陵墓です。(比定) ありのままに@札幌より
552 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:46:50.62 ID:4whg2IV50
>>542 記紀や風土記に見られる「出雲」には少なくとも複数あると見られている。
風土記にある出雲国。
記紀神話に見られる大国主などの神々の出雲。
記紀の人代に見られる大和盆地など畿内の出雲系氏族。
それらは単純にイコールで結び付けられないようだ。
そして少なくとも下の二つは大和と天照に絡む。
('A`)やはり記紀の記述に従って、日本国最初の地である淡路島が 邪馬台国の中心地だと思うな
554 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:48:56.06 ID:ZZbh4QEZ0
古墳から人骨とか出てこないの? 卑弥呼は1000人の奴隷と一緒に埋まってるらしいから 人骨がわんさか出てきた古墳が卑弥呼の墓でしょw
555 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:50:13.19 ID:N7B6H3cwO
出雲に造られ、後に国譲りで大和朝廷にすべての権力を奪われ、僻地になった大国主命の都=邪馬台国。 それが出雲です。卑弥呼も出雲に眠っています。 ありのままに@札幌より
556 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:50:41.03 ID:4whg2IV50
>>549 湿地帯も水行に含む可能性はあるが、湿地は日本列島沿岸部に沢山あったから九州のみ
とするには材料不足では?
>>388 水銀採取・精錬は山中を移動しながらやるので、
遺構が遺跡として残りにくいんだよね。
だから民俗学的な傍証である「丹生姫神」の
分布も考慮すべきではなかろうかと。
559 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:53:39.96 ID:rkLoUpkW0
卑弥呼なんてクソババア、どうでもいいだろ。 いい大人がなぜ騒いでいるのか理解不可能。
法隆寺を建てたのは?
561 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:54:20.83 ID:zpVVmKff0
>>542 >>516 読んでるかい?
出土品造成時期が科学的推定法ですればそれは事実。
それは最低限のルール。否定するのは基地。
政治的な人間は黙殺するか乱開発黙認でゼネコンに土地を破壊させる。
行政にはそう言うブラックな面もある。話を伸ばせばゼネコンの元親はベクテル。
ブッシュが株主を務める反日グローバル外資な。
逸れたな。
つ スサノオ(海洋系x農耕系x漂着ペルシア系縄文)ー出雲
出雲国群(藤原系の出雲大社じゃない本宮系)
の話題が絡むと歴史の図柄合わせが超複雑になるから、
たぶん皆避けてる。
>>556 九州説だと水行が長すぎる、という指摘に対する反論だよ。
ズブズブの湿地を進むのは大変なのだ。
九州以外だとしたら、瀬戸内ルートにしろ山陰ルートにしろ、
「渡海」が入るわけで。
563 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:55:02.19 ID:N7B6H3cwO
古墳のルーツは、四隅突出型墳丘墓(1〜2世紀)。 これも島根県から京都府がルーツ。 ありのままに@札幌より
564 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:55:03.93 ID:bzWcEy8x0
>>467 5世紀に、奈良の「大和政権」が関東から九州まで支配確立したんだから、
もしも、奈良が邪馬台国で、3世紀には既に、
東は北関東まで、西は九州まで勢力が伸びていた
ならツジツマが合わないだろ???
つまり、3世紀に奈良にあった国は、
邪馬台国にしても、邪馬台国じゃないにしても
東は北関東まで、西は九州までなんて、広大な勢力を誇る国じゃなく
もっと、小国、小さな勢力で無ければならない
それで、もしも、奈良に邪馬台国があったなら、
海まで出るのはキビシくなる
565 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:56:31.70 ID:zpVVmKff0
>>542 >>516 読んでるかい?
出土品造成時期が科学的推定法で合致すればそれは事実。
それは最低限のルール。否定するのは基地。
政治的な人間は黙殺するか乱開発黙認でゼネコンに土地を破壊させる。
行政にはそう言うブラックな面もある。話を伸ばせばゼネコンの元親はベクテル。
ブッシュが株主を務める反日グローバル外資な。
逸れたな。
つ スサノオ(海洋系x農耕系x漂着ペルシア系縄文)ー出雲
出雲国群(藤原系の出雲大社じゃない本宮系)
の話題が絡むと歴史の図柄合わせが超複雑になるから、
たぶん皆避けてる。
<1語抜けてた、二重投稿ごめんなさい
566 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 15:59:08.12 ID:4whg2IV50
>>564 教科書的な大和政権というものは近年の発掘の成果が反映されていない概念だよ。
>>564 >5世紀に、奈良の「大和政権」が関東から九州まで支配確立したんだから、
3世紀の「纏向政権」の時点で既に関東から九州まで及んでたって言われてる
鉄を産する出雲は早期からの王権で出雲大社の遺跡を見ても現在の規模を上回る。 出雲の王権の系統は、畿内に入った卑弥呼の系統に融和していたが、 ナガスネを従えて畿内豪族を抱き込んだ九州方面からの王権に変わった。 統治に政と祭が必要で、縄文以来、自然崇拝を行う畿内豪族の天照の祭を 神武朝が吸収して今に至るだけだろうと。
569 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:00:37.66 ID:N7B6H3cwO
出雲に豪族の連合国があり、そのトップは中国とも交易をしていました。 これが邪馬台国≒倭。日本とは別の国です。その集団の中に巫女がいて、卑弥呼の名を持っていました。 ありのままに@札幌より
>>564 どの辺の辻褄が合わないの?
1度平定すると反乱とか起きないの?
又、屈強に抵抗する人達は居ないという根拠は?
572 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:02:49.15 ID:bzWcEy8x0
>>566 東は関東から、西は北九州まで、勢力を伸ばしたのは
邪馬台国が無くなって、大和政権になってから
奈良に邪馬台国があったにしても、
邪馬台国が、東は関東から、西は北九州まで、勢力を伸ばした
わけじゃないのよ
573 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:05:03.00 ID:N7B6H3cwO
結論 九州説・畿内説に変わり、邪馬台国出雲説を提唱します。 たぶん、わたしは50人目。(笑) ありのままに@札幌より
>>567 纏向から各地の様式の土器が出てくるけど、
東海、出雲、吉備なんかと比べて、北部九州の様式は
新しい(つまり遅くなって服属した)って話なかったけか?
いま手元に資料がないので、うろおぼえですまんが。
575 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:06:18.78 ID:YMGqYanv0
弥 意味 満ちる あふれる いよいよ 卑弥呼 意味 いやしさに満ち溢れていると申す
576 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:07:17.57 ID:bzWcEy8x0
>>571 だから、奈良が邪馬台国・・は無いんだよ
1度平定すると反乱とか起きない・・・わけじゃなく
又、屈強に抵抗する人達は居ないという根拠も無いから
奈良に邪馬台国・・は考えづらいの
奈良には大国があっただろうけど、それは邪馬台国じゃない
577 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:07:43.91 ID:6Bdld5psO
>>556 宗像大社って女の神様を3人祭ってるのがあるけれど…
昔は海上交通、今は交通安全の神様だけど。
宗像って豪族がいたって…
578 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:07:56.04 ID:yZ9pn2pB0
卑弥呼なら今俺の隣で寝てるが日本は俺のもんらしいぞ
誰か分かりやすくアニメ化して欲しい
580 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:09:33.63 ID:bzWcEy8x0
1度平定すると反乱とか起きない・・・わけじゃなく 又、屈強に抵抗する人達は居ないという根拠も無いから 邪馬台国は、すぐに、へたすりゃ自分の国から、 中国に向けての船が出せる海に面していないと・・・
581 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:10:01.17 ID:ZZbh4QEZ0
>>573 出雲は倭人伝的にどうなんだろうね。
毎回、九州か機内の二択になってるけど。
>>577 宗像は「胸形」、胸に刺青をしたバリバリの海の民だよね。
なんとなく美乳三姉妹神を想像するが、そこはそれw
583 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:10:48.51 ID:4whg2IV50
>>572 邪馬台国は当時の大陸人が聞き取りされた伝聞を記録したもの。
「大和政権」は現代人の仮説。
どちらも観察対象と大きな距離がある。
>>572 >>576 >邪馬台国が無くなって、大和政権になってから
少なくとも4世紀中葉には東北中部から南九州まで定型化した前方後円墳が確認されてる
これは畿内の政権がそこまで及んだ結果と言われてる
で、邪馬台国の時代(3世紀)に本には邪馬台国以上の大きな国の集落が
東日本までの広範囲で、いくつもポコポコあるなら
たった100年間で邪馬台国の広大化と日本の統一が恐ろしい勢いで進んだことになる
この理由はなぜ?
分類すれば、こんな所か。 ・国力派 奈良 畿内 ・距離派 北九州 ・皇道派 邪馬台国=大和朝廷 つまり奈良 ・御国自慢派 自分の住んでる地域、自分の好きな地域 ・その他 上記以外 元々中国の資料なんだから、決め手は意外と中国から 出てきたりするかもね。せめて天皇陵も最低限の学術 調査できりゃあね。
だが中国から来た人は瀬戸内海を見て「河」だと言う
587 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:14:23.82 ID:4whg2IV50
>>577 それは海人族が広く活躍していたという話で直接の根拠とならないよ。
海人族は少なくとも東海まで分布していたんだから。
588 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:14:44.79 ID:W5FB4YsF0
邪馬台国の風俗を見る限り、九州だろ
589 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:16:27.66 ID:EuII1HnpO
「ひこみこ」の「ひこ」は「彦」であり「彦」は「大神」の意味である。 また「大神」は「大三輪」と呼ぶ。 つまり邪馬台国の奴国の狗奴国の「ひこみこ」とは「大三輪命」である。なんちって、テヘペロ。
590 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:16:46.08 ID:bzWcEy8x0
>>584 逆逆
邪馬台国の時代(3世紀)に、日本には邪馬台国以上の大きな国の集落が
東日本までの広範囲で、いくつもポコポコ
なくて
邪馬台国なんて大きな国は珍しかった
なら
千葉にも大きな国があったという口伝が、必ず残っているはずだろ
3世紀には、もう、文字入りの土器が出ているぐらい、発展していたんだから
それがないということは、大きな国なんか、珍しくも何ともない、当たり前のこと
だったんだよ
>>585 魏の明帝の墓を掘ったら、有明海産のムツゴロウの干物とか
出てくるかも知れんなw
つうか卑弥呼とか邪馬台国とかそもそもデッチ上げだろ
九州、特に日本海側は冬結構寒いんだけどね。北九州から熊本にかけて 雪も降るし 勘違いしてる人多いんだけど。九州は1年中暖かいとか
594 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:19:54.82 ID:W5FB4YsF0
>>593 えっ阿蘇山の地熱で暖かいんじゃないの?
595 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:20:06.42 ID:4whg2IV50
>>590 三世紀より古い大規模遺跡は日本列島各地にあるが。
>千葉にも大きな国があったという口伝が、必ず残っているはずだろ
関東は毛野国とか日高見国とか。
>>590 「大海上国」ってカッコいいよな。
特徴的な副葬品の石枕の分布から推定したら、
房総から霞ヶ浦岸、西は武蔵までの大帝国だ。
>>588 九州でも北部九州ではないですよ、決して冬温暖ではない。
それに北部九州に奴国や邪馬台国まで治めるような
土地もないし遺跡も有り得ないから。
大体「倭人伝」であって「邪馬台国伝」じゃないと、
何度も既出なんだけどね。
>>590 毛国ってのがどの辺までの広さかはわからないけど
そこそこ大きいのが北関東を中心にあった気がしたけど
千葉が範囲に含まれるかは不明
初代卑弥呼は、相当古い時代の人と思われる。たぶんまだVHSのテープの時代とも伝えられているよ。
>>590 >千葉にも大きな国があったという口伝が、必ず残っているはずだろ
>それがないということは、大きな国なんか、珍しくも何ともない、当たり前のこと
要するに千葉が単に既に畿内の政権の勢力内にあっただけだろ
601 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:21:48.68 ID:W5FB4YsF0
魏志倭人伝など、ページで言えば一ページ少々くらいの容量でしかない記録だろ もともと魏の歴史書に東夷の蛮地に過ぎない日本のことを詳細に描くわけも無ければ 魏が強い興味を抱くわけもない 魏志自体は、当時の記録としては信頼性の高い記録だと思うが 魏志倭人伝に関しては、どこまで信じられるかは疑問は残るけどね
603 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:22:34.06 ID:EuII1HnpO
九州説は九州人の劣等感だろ。
奈良も京都も出雲も、今の海抜30mまで沼地状態なら無茶苦茶交通の便が良いし、護りやすい場所
大宰府なんて長崎方面からのピンポイントの関所になる
あれ?って思った使いやすそうな九州の菊池って場所も古墳あるし
関東平野なんて全部沼地だよ沼地
>>584 繰り返すけど崇神天皇時代に遠征した
四道将軍が二手に分かれて進軍し、会津若松あたりで再結集してる
そして前方後円墳のある地点は記紀のルートとほぼ一致してる
605 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:22:54.68 ID:bzWcEy8x0
つまりだ 当時の日本には 北九州に大きな国があり 奈良にも大きな国があり 関東にも大きな国があった それだけあるのだから 四国・・・にも大きな国があっても 信越・・・に大きな国があっても 南東北・・に大きな国があっても 不思議ではない むしろ、無かったと考える方がおかしい それらの大きな国のウチ、中国に朝献したのが「邪馬台国」と呼ばれる国だった っつーだけで、「邪馬台国のみ」記述が残っている・・んだ 邪馬台国が、東は関東から、西は北九州まで、勢力を伸ばしてた わけじゃないんだよ
606 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:23:55.34 ID:b0SHUcKa0
九州説は既にユダヤの陰謀レベルのトンデモ扱いになってるよ 頭の固い爺さんが2ちゃんだけで騒いでいるだけ
>>601 金印といっても委奴国王でしょ?
伊都国と国王の存在、奴国エリアと考えると何の矛盾もない。
608 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:25:00.54 ID:4whg2IV50
>>594 阿蘇あたりも雪が降るよ。
平均気温とか日照時間とか降雪とかなら静岡あたりの方が九州より暖かいとなるんじゃないかな?
>>600 房総内陸部あたりは大和からみて北関東よりも奥地だからね。
現代の地理知識しか頭にないとこれがわからない。
609 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:25:38.99 ID:6Bdld5psO
>>604 崇神天皇の時代には東北まで支配が及んでたってことか
西暦で言うと3〜4世紀あたり?
611 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:26:19.59 ID:ZZbh4QEZ0
>>605 古墳作れるぐらい大きな国は各地にないでしょ
畿内説ってアホウか歴史捻じ曲げる意図ある奴しかいないでしょ
614 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:27:19.22 ID:W5FB4YsF0
邪馬台国論争は、今後も続いていくだろ 考古学を離れて学閥論争 イデオロギー論争じみたところにまでいたっているもの 誰もが否定できない決定的な証拠 それこそ卑弥呼が魏より賜った金印が、卑弥呼の墓から発掘されるまで 決して結論は出ないだろう しかし近年の発掘で、畿内説が優位に立っているのは間違いないね
616 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:28:04.00 ID:Th9g3UG80
>>605 その中でも圧倒的に大きい勢力は遺跡から考えて畿内だよね
もし邪馬台国が九州なら、
邪馬台国よりはるかに大きな勢力が東に存在したことになり、
そのことに「倭人伝」でまったく触れていないのは不自然
だから邪馬台国=九州は絶対ないと思う
617 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:28:24.72 ID:EuII1HnpO
>>604 そうそう、福島県の会津の由来は、会うから来てるんだよね。
>>605 3世紀半ばの時点では瀬戸内から関東まで、
4世紀になる頃には九州北部から東北南部まで
奈良県で作られたのと同一規格の古墳を作っている
奈良の勢力を宗教的権威として祭り上げた連合体があったってことだろう
619 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:29:00.33 ID:4whg2IV50
>>609 記紀にも倭人伝にも各地に国があって連合したりしていることが書かれているから。
620 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:29:21.21 ID:bzWcEy8x0
>>600 >>608 だから
>千葉が単に(3世紀には)既に畿内の政権の勢力内にあっただけ
ならば
その、3世紀の畿内の政権は、邪馬台国じゃ無い・・・
つまり、邪馬台国は畿内ではない・・・んだよ
>>605 ってかさ、もっかい書くけど
3世紀の纏向遺跡には関東から九州までの幅広い範囲の土器が出てるの
あなたの理屈だとその理由を説明できないだって
622 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:29:51.12 ID:7SJCd5tr0
何にしろでかい墳墓のないトコは論外だわな。
>>615 金印が仮に出ても九州説の人は否定しそうだけど
もう意地になってるから。基本、一般人しかもう居ないから学会的には何も問題ないし
624 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:32:01.06 ID:bzWcEy8x0
>>616 んだから
その中でも圧倒的に大きい勢力は遺跡から考えて畿内
で
邪馬台国よりはるかに大きな勢力が東に存在した
だからこそ、邪馬台国は、朝献して中国の後ろ盾を得なければならなかった
んだよ・・・
そうしないと、存在出来なかった・・んだ
625 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:32:08.53 ID:BTdkYFl30
(゚゚)
>>621 それが3世紀だってのは、測定で出た一番古い値を取っただけだろ
>>616 「女王国から東に海を渡ったら、また倭種の国があるよん」
って書いてるじゃん。
628 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:32:24.45 ID:EuII1HnpO
金印!金印!なんて言ってるけど 足利義満だって金印みたいな日本国王だったし 百済王末裔多々良の大内の大名だって中国から日本国王って呼ばれてたんだよ 歴史を熟知してる人なら「金印」を根拠にしない!
629 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:32:42.58 ID:4whg2IV50
ID:bzWcEy8x0は芸スポなどに出没するキチガイと色々似ているんだが。
630 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:33:26.24 ID:YMGqYanv0
幾内の支配者を連合軍で滅ぼした 可能性あるんでは
631 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:34:08.08 ID:W5FB4YsF0
>>628 だからそういうののひとつが邪馬台国だったんじゃないの?
632 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:35:01.17 ID:4whg2IV50
>>616 それね、九州説でも畿内説でも邪馬台国の東方の倭人勢力の候補があるんだよ。
633 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:35:09.74 ID:bzWcEy8x0
>>621 3世紀の纏向遺跡には関東から九州までの幅広い範囲の土器が出てるの
と
そこが邪馬台国だった
のとは別
中国に朝献したのが「邪馬台国」と呼ばれる国だった
から、「邪馬台国のみ」記述が残っている
だけで
日本で一番勢力があったのが、邪馬台国だった、わけじゃ無いの
考古学って掘ればいいだけの知恵遅れでもできる仕事だからなあ、学問じゃないよ
635 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:37:16.68 ID:bzWcEy8x0
>>621 3世紀の纏向遺跡には関東から九州までの幅広い範囲の土器が出てるの
と
そこが邪馬台国だった
のとは別
中国に朝献したのが「邪馬台国」と呼ばれる国だった
から、「邪馬台国のみ」記述が残っている
だけで
日本で一番勢力があったのが、邪馬台国だった
から、「邪馬台国のみ」記述が残っているわけじゃ無いの
636 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:37:27.24 ID:CK9HsY3a0
戦後の自虐史観教科書は何故か中国の文献(コロコロ変わる)から引用している 倭→ オチビさん って意味 邪馬台国→ヤマトコクの事だろう 漢字を見るとバカにしているのがわかる
>>629 もう相手にするのやめた・・
いくら反論してもつかれるだれだ
>>635 俺もおまいの考えに完全に同意なんだが、
いちいち繰り返すんじゃねー! w
639 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:38:32.24 ID:W5FB4YsF0
>>636 倭の語源は不明だよ
矮と混合されたのは後世
まーた関西たこやき学者の根拠に乏しい捏造か 大阪民国だけあって何でもデッチあげ捏造大好きw 東大など中央の学者や 九州の学者は認めて無いよ
邪馬台国は岩手ということでとっくの昔に決着がついてるわけだが
まあ流通期間の限定されている貨泉の流れを見るだけでも 中国人が河内平野あたりを目指していたのは確実だから。 明らかに北部九州から瀬戸内方面を目指している。 これだけでも倭国=九州説が成立しない事は確実だしな。
643 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:40:12.63 ID:6Bdld5psO
稲作の前は栗が主食で、栗の栽培して、栗を舟で運んで日本中で物々交換してたって以前NHKだったと思うけど番組があった。 栗の頃から各地に豪族みたいなのがいたと思う。 東北地方に栗の木が多いのはその名残らしい。 稲作と共に西から東へ何かの勢力が移動して行って大和朝廷になったのでは? クマさんと食べ物似てるw
>>639 「我が国」とか環濠集落の「輪の国」とかあるね
倭猿はウリナラファンタジーをパクッたニダ、謝罪シル!
646 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:41:42.19 ID:ZZbh4QEZ0
大和朝廷との時代的なつながりも含めた複合的理由から 纒向遺跡で決着してると思うんだけど九州説の人は諦めないね・・・。 大和朝廷が九州にあったら九州説でいいと思うけど。
>>646 邪馬台国が九州で、その一部勢力が東遷して纏向の大和朝廷になった
649 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:44:27.14 ID:CK9HsY3a0
橿原宮が最初の都だろ?纒向遺跡で何が問題なんだ? 九州からきて橿原で落ち着いたでいいんでないかい
650 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:45:01.72 ID:ZZbh4QEZ0
>>647 東遷する必要性がわからないんだよね。
中国の後ろ盾が欲しいなら尚更おかしい。
>>647 邪馬台国が九州にあったかは別として
東遷したじゃなくて九州から東海くらいまでの国が連合するときに
中間地点である近畿に中心地を置いたのかもね
652 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:46:33.44 ID:EuII1HnpO
高天原(朝廷)=日高見国。 以下、芦原中国。 邪馬台国(幕府)=大和国。 九州(地方)=日向国。←単なる地方w 出雲は芦原中国って定説だろ。
>>646 ,
>>647 ,
>>649 纒向が大和王権につながってるのは間違いないけど、
邪馬台国が同一じゃなきゃいけない理由がわからん。
前スレでも書いたけど、魏志倭人伝に出てくる女王国の
風俗(服や武器や宗教)は大和時代とは不連続だぞ。
654 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:48:08.67 ID:bzWcEy8x0
>>638 中国に朝献したから、邪馬台国は、日本で一番大きな勢力だった
なんて、短絡的に考えている人が多すぎるんだよ・・・
中国皇帝に朝献なんて、大抵は、
その地域で一番勢力が弱い国が、国の存続のために
虎の威を借るために貢ぎ物をして
中国皇帝から
「んじゃ、そこの王様はおまえね」
って言って貰うためにするんだから
一番大きな勢力が、朝献した邪馬台国のわけはなく
畿内に邪馬台国が無いのに、
畿内に関東までの一大勢力があっても、全然不思議じゃない
・・・んだよね・・・
>>643 トチ餅だっけ?灰のアルカリでアクを中和して作る東北の餅
そこまでして食うか?と思ったけどそれしか食い物なかったんだよね、多分
>>639 自分のことを「ワ」と言う国の人という記述がある
656 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:49:10.41 ID:fpW12K0HO
ナ国の南に狗奴国 狗奴国がクマソでクマソに負けそうだから 方針を転換してクマソと手を結んだからだろう
「東遷する必要性」 これは現代人が考えてもしょうがないかもな。 いわゆる神のお告げで東遷しただけかもしれないし。
658 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:50:26.28 ID:f38pkzCZ0
>>615 >しかし近年の発掘で、畿内説が優位に立ってい るのは間違いないね
オレオレ詐欺とかに引っ掛かるタイプやね。畿内は発掘すればするほど邪馬台国からほど遠い証拠が出てる
しかし、それは報道をしない。なぜなら、既得権益の御用学者にとって都合が悪いからである。これが真実なんだよね。
>>644 輪で思い出したけど、よく神社にある「茅の輪くぐり」は
長江流域の稲作民(ワ族)由来らしいね。
日本では稲作に可換な生態系である葦原を聖視して
「豊葦原」という美称にしたけど、あっちでは葦じゃなくて
茅なんだって。
660 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:52:11.38 ID:EuII1HnpO
>>655 日本刀のルーツは東北の舞草である。つまり製鉄技術である。
卑弥呼はモモソ姫 その弟とされてるのは崇神天皇 クナ国は四道将軍と闘った東海勢力 吉備に遠征に行ったのは桃太郎 もうこれは鉄板なんだよ ここから議論を始めないとどうにもならないね。
>>650 それは天孫降臨の地が「ソジシのムナクニ」、背中の肉のように痩せた土地だと言われていることから明白
痩せた土地に追いやられた分家の起死回生策
664 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:54:02.82 ID:N7B6H3cwO
>>581 倭人伝では、水行10日で女王の都に至る…と沿岸の街の記述があるのみです。
博多湾・瀬戸内海・四国を除くと沿岸の弥生時代から古墳時代の都は、やはり出雲から鳥取・京都府のどれか。
いずれにしても大集落(遺跡)は多い。
ありのままに@札幌より
邪馬台国は古代日本国の連合国家の中心国であった訳だろ 各地に大国はったにしろ、当時最大級の巨大な宮殿と巨大な古墳、集落があったところ が邪馬台国ということになる。 邪馬台国はどこかという議論の前提には古墳と遺跡が絶対条件だろ
>>653 >前スレでも書いたけど、魏志倭人伝に出てくる女王国の
風俗(服や武器や宗教)は大和時代とは不連続だぞ。
倭人伝の気候風土に一番近い阿波周辺や讃岐とは関連が深いけどな。
巻向周辺なんて鯛やカツオ等海の幸関連の出土品が多いんだよ。
曽我なんてモロ出自は海洋系だし。
>>643 2世紀にはもう青森でも稲作してたくらいだからな
稲作と勢力の移動を絡めた場合下手すると記紀の記載に近いくらいまでヤマトの始まりが遡るかもしれん
668 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:56:10.58 ID:Hn5UZu+80
別荘の一つが見つかったの、よかったな。
669 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:56:58.85 ID:EuII1HnpO
九州説は観光客を呼び込む為の歪曲。
阿波は確かに臭う。 淡路から阿波にかけてはヤマト政権成立に極めて重要な関わりをしてるフシがある。
オレは本居宣長に従って素直に九州説を採るわ 国語力解釈力がオレらとは雲泥の差だもん
>>621 残念ながら肝腎の九州がない。
東海や日本海側が多く、崇神期において本州で、いわゆる畿外へ進出しようとしていたのをうかがわせることはある。
また、九州で初期の前方後円墳が作られたのは、石塚山、津古生掛、宇佐あたりからで、
おそらく、いずれも邪馬台国連合から外れた地域だ。
旧邪馬台国連合が、原ヤマト勢力の傘下になるのは、それより後代。
>>653 > 前スレでも書いたけど、魏志倭人伝に出てくる女王国の
> 風俗(服や武器や宗教)は大和時代とは不連続だぞ。
いや風俗で言ったら、江戸時代と明治は不連続だよ
674 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 16:58:52.90 ID:jbUQTAHT0
>>650 支那の後ろ盾なんて本当に必要だったのか?
あいつら軍隊の渡海能力ないじゃん。
二重朝貢をしてた琉球王国や対馬藩みたいのが北九州か朝鮮半島にいたんじゃね?
古代都市ってのはそれなりの交通の要衝に成立するんだよ、だから要衝でない奈良は京都に都を奪われた
676 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 16:59:06.50 ID:bzWcEy8x0
【古代の日本、新たな国出雲の誕生】 九州北部から畿内までの範囲に広がる複数の国の集合体=倭=「葦原中津国」は 西の九州北部の勢力の「邪馬台国」と、東の畿内の勢力の「狗奴国」の、2大勢力があった 九州北部勢力の邪馬台国の女王アマテラス(=卑弥呼)の弟のスサノオは、政争に敗れて九州を追われ、 敵国である東の畿内の勢力の狗奴国との国境の、荒涼とした出雲にたどり着き そこで盗賊の征伐と引き替えに地元の豪族の娘・稲田姫を嫁にして新たな国造りを始め、稲田姫との間に須世理姫が産まれる 須世理姫はその後、地元の豪族の大国主命と結婚し、大国主命は、畿内・狗奴国から来たスクナビコナの援助を受けて、 出雲を北九州邪馬台国・畿内狗奴国と並ぶ大国にまで成長させる 【倭国争乱と出雲の国譲り】 北九州勢力の邪馬台国は、大国にまで成長した、 もともとはアマテラス(=卑弥呼)の弟のスサノオか造った国・出雲を手に入れようとし始め、 アマテラス(=卑弥呼)の息子であるアメノホヒを出雲に派遣して、大国主命に、出雲を委譲することを求める 大国主命の長男コトシロヌシは同意したモノの、次男のタケミナカタは、畿内・狗奴国勢力とともに邪馬台国に果敢に抵抗し 「葦原中津国」=日本は争乱状態となる。 結局、次男のタケミナカタは善戦するが破れ、大国主命は、戦いに敗れた次男のタケミナカタの延命と出雲大社の建設を条件に、 出雲を邪馬台国に委譲することを認め、邪馬台国はアマテラス(=卑弥呼)の孫のニニギを出雲に派遣して、 武力抵抗した次男タケミナカタは狗奴国に引き取られ諏訪に流罪となる一方、長男コトシロヌシは傀儡として出雲に残され、 「出雲」は北九州の「邪馬台国」の属国となる 出雲についてはこんなとこじゃないだろうか つまり、卑弥呼とケンカした弟が、畿内の勢力との国境の出雲まで流れ着き 畿内の勢力の助力を得て、出雲を大国にまで成長させて 卑弥呼の弟が死んでから、邪馬台国が もともとは、ウチの王様の弟が造った国だからと、 その子孫に、国を併合することを迫った・・・
>>669 現状、吉野ヶ里くらいじゃね?
それも意外とショボいとか
>>666 それも一理あるな。
ともかく、大和王権に持衰は見られないし、
上下非対称の木弓もないし、袈裟衣・貫頭衣も
見られないのだ。
>>670 アワ=倭だって普通考えるだろ?国産みだって淡路島からなんだから。
おまけに三輪山=御倭山。背景は宇陀の丹山だし。
東遷らしきものがあったとすると、九州なんかより
ずっと可能性が高い。
680 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:02:27.95 ID:CK9HsY3a0
こう思う ・九州から日本の中心へ向けて東征 ・出雲族と戦って勝つ (八俣の大蛇伝説) ・熊野へ到着 (三輪山へ誰かを幽閉 ここの神は蛇 大物主神) ・奈良で国家統一達成 蛇あるいは天狗と言われる人達は鼻の高い渡来人(出雲族)だった可能性 神武の伝説として三輪山へ登った女性から神武が生まれたとある 1代〜10代の天皇は蛇信仰していた 11代目で飢饉が流行り 大物主神と一緒に祭っていた天照のせいじゃないか?となり 天照を伊勢へ移動させる この時天皇の娘が同行した名残で今でも 女性皇族が祭主を勤める アマテラスとスサノオは兄弟じゃなくて別の部族だったのでは? 出雲の火祭りの火は今でも熊野まで取りに行くらしい
681 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:02:30.90 ID:bzWcEy8x0
>>665 邪馬台国は古代日本国の連合国家の中心国であった
・・かどうかはわかんねーんだって
中国に朝献したのが「邪馬台国」と呼ばれる国だった
から、「邪馬台国のみ」記述が残っている
だけで
日本で一番勢力があったのが、邪馬台国だった
から、「邪馬台国のみ」記述が残っているわけじゃ無いの
へたすりゃ、邪馬台国が、古代日本国の連合国家の中心国=畿内勢力への反乱国
でも、不思議じゃないのよ・・・
>>673 その連続性をを訴えてるのが、畿内説論者の学者なんだけどねwww
天皇家に鬼道をあやつる伝統なんてあったかねえ。 出雲とかじゃないのかな。
684 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:04:17.99 ID:oSC5VtZg0
687 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:07:23.47 ID:N7B6H3cwO
弥生時代から古墳時代前期の日本は、今とは逆に朝鮮半島南部から東シナ海が表日本でした。 つまり裏日本が表日本でした。鳥取・島根県と京都府が日本の中心部です。 ありのままに@札幌より
>>674 大義名分て奴でしょ。
明治維新で、薩長が天皇を戴いたように。
実際使者が行ったり、向こうからも来てるんだから、そんな事言っても始まらん。
>>679 そこはどうなんだろうなぁ…。
和銅6年の「諸国郡郷名著好字令」によると、
粟→阿波 だし。
690 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:07:59.80 ID:EuII1HnpO
九州説だと、ちょっと倭のスケールが、ちっちゃくならないか? 九州説は、なんかショボい
>>666 >倭人伝の気候風土に一番近い阿波周辺や讃岐
そういえば東四国って畿内政権とどんな関係だったの?
692 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:08:55.56 ID:6Bdld5psO
>>655 狩猟で肉、漁で魚とか貝とかも食べてたと思うよ
ウニとかなまこ最初に食べた人って凄いと思うw
稲作と共に土地と労働力を確保しながら移動して行ったのかも。
昔は戦いになっても労働力確保の為に皆殺しはしなかったと思う。
693 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:09:07.92 ID:WAZsd9680
>>690 馬がいなかったようだから、そんなもんじゃないの?
695 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:10:01.09 ID:W5FB4YsF0
697 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 17:12:15.09 ID:jbUQTAHT0
>>688 日本側のほとんどは支那なんて知らんのに大義名文になるのかね?
>>687 >つまり裏日本が表日本でした。鳥取・島根県と京都府が日本の中心部です。
それは変、出雲神話では引っ込む為に大きな神殿建てろと言って
中央から退いてあの位置に行ったはず。
第一出雲大社は本来丹波亀岡にあったとも言われてるし。
>>664 瀬戸内海通ったのなら、それ書くだろうしね。あんな多島海って、中国には無いんじゃないかな。
700 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:12:48.17 ID:EuII1HnpO
>>681 卑弥呼の墓は径百余歩ほどはある円墳ないし前方後円墳であるなら
巨大な古墳があるところじゃないといかん訳だろ
古墳があることは前提であるはずじゃないのけ
702 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:13:09.37 ID:f38pkzCZ0
そうなんだよ。邪馬台国には馬がいないのにな、奈良から馬に関係するものが発掘されたんだよねwww ねーねー、なんで大々的に報道しないの?www
>>675 河内平野の地形が古代と中世以降では別物だからね
昔は奈良も海に近かった
704 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:15:06.97 ID:/ey9Yhym0
宮殿跡地が見つかってる時点で畿内だぞ
奈良は湖かなんかじゃなかったか?
706 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:15:17.51 ID:W5FB4YsF0
萩原2号の調査結果以来、阿波勢力がヤマト王権の確立に大きなインパクトを与えたんじゃないかというのは よく言われてるが、ヤマト王権の祭祀を担当し、最初期の有力勢力とされる忌部氏といい、 阿波はどんどん掘り返すべきだね。
>>697 しらないも何も、漢の頃から使者出してますが。周に出した形跡もある。
これらが全部嘘の訳ないし。漢鏡もあるし。
>>698 亀岡が甕岡で保津川がおまんこ川か、おもしろい
711 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 17:16:41.84 ID:jbUQTAHT0
朝鮮半島の覇権をめぐって魏の承認を得ようとしての朝貢ならまだわかるのだが 魏の軍事力が全く及ばない日本列島で魏を後ろ盾にしても意味ないだろ。 金印を見せたって誰も平伏しないよ。
>>702 >そうなんだよ。邪馬台国には馬がいないのにな、奈良から馬に関係するものが発掘されたんだよねwww
魏志倭人伝の著者は九州までしか行ってない、女王国には行ってない
そこで馬を見なかったから「邪馬台国は馬がいない」って書いたんだろう
発掘が進まないと分からんけど、倭は3世紀後半に半島でけっこう鉄を獲ってたんじゃないかなあ 今言われてるよりもずっと多く。
>>689 粟だって倭から取ったかもしれないよ、
食物の基本だし。
>>691 >そういえば東四国って畿内政権とどんな関係だったの?
何時の政権の事かわからないが、常にとても深いですよ。
例えば度々出てくるモモソ姫は元々讃岐辺りで幼少を過ごしている。
おまけにこの辺りで評判も高くて後に三輪神に嫁ぐとかね。
>>694 現状は4世紀末に渡来となってるけどわからんよ
骨が見つかってないだけかもしれんし
モモソ姫(≒卑弥呼?)が原始ヤマト政権に有力勢力であった、 阿波讃岐の有力氏族の娘というのはけっこうあると思うね
>>716 いやあ、中国の使者が北九州まで来たのは確定で、乗馬の習慣も北部九州から始まったはずだから、見てないと言うのはおかしい。かなり細かく風俗書いてるし。
719 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:23:10.20 ID:0sD5eFuPO
ヒミコは日向でトヨは豊、天照大神が産まれた橘の小戸も高千穂も日向。 ヒミコが死んで日向の次にリーダーになった豊国が葦原国(出雲)と統合したのが豊葦原国。 後から色々統合してトヨアシハラノチイオアキミズホの国になるんだよっと
720 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 17:23:34.04 ID:jbUQTAHT0
>>715 本当に魏の使者は邪馬台国の宮殿に行ったのか?
邪馬台国の宮殿に行ったことのある人から聞いたとかではなくて。
722 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:23:41.16 ID:Oxy1DZPkO
723 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:24:07.96 ID:EuII1HnpO
でもさ神武東征する前 神武の曾祖父のニニギが日向で天孫降臨した時 なんで道案内した猿田彦命は伊勢神宮にいたの? 九州説のおかしさは記紀を無視してるところなんだよなー
724 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:24:39.74 ID:CK9HsY3a0
ム〜も混ぜてちょw FBIの超能力捜査官、ジョー・マクモニーグルが邪馬台国と女王・卑弥呼を透視したところ、 彼女は長門市の部族を治めていたシャーマンで その類稀な能力を買われて 部族連合(=邪馬台国)の長となったんだと。 邪馬台国は奈良県桜井市の鳥見山付近にあり、卑弥呼は夏は奈良で政権を担い、 冬は山口県に戻って自分の部族の政治を治める2重の生活を送っていたらしいが、 山口県・豊田湖にある安徳天皇陵こそが その卑弥呼の墓だと言うのだ!! ムーどない?
馬具が出たといっても墓から出た訳でもない、周囲の溝。 まあ讃岐や阿波に多い銅鐸に馬の絵なんかないからな、 瀬戸内は勿論、当時の河内や奈良盆地は水運が主だ。
>>718 >>乗馬の習慣も北部九州から始まったはずだから
この根拠って何?
あと当時は絶対数が少ないとかはありえないの?
727 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:25:26.26 ID:W5FB4YsF0
>>712 都合のいい解釈だな、おいwww
だから、畿内説はインチキなんだよ。
紀では卑弥呼は神功の時代。 モモソ姫なんぞとは関係させていない。
>>723 記紀が編纂されたときは、(当然ながら)伊勢は大和王権の
勢力化になっていました。
という以上の意味はない気がするw
731 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:26:30.92 ID:aMuoDUDt0
邪馬台国のライバルだった狗奴国の官は狗古智卑狗→菊池彦 九州肥国(火国)の熊襲、菊池氏でしょう
とりあえず、九州方面やる人は、3世紀やるより1世紀・2世紀やる方が遥かに生産的で面白いと思うよ
733 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:27:30.31 ID:bzWcEy8x0
>>711 魏の軍事力が全く及ばない・・わけがないだろうが
千葉にまで文字入りの土器が来ているっつーのに(^_^;
結局、邪馬台国の敵対国として、狗奴国が記述されているけど
当時の日本の大部分を占めていたのが、邪馬台国なのか、狗奴国なのか
はたまた、それ以外の別の勢力なのか・・は
わかんねーんだよ
別に、狗奴国のほうが、九州以外ほとんど勢力下に置いていて、
邪馬台国はそれに対抗しようとした九州の一勢力に過ぎなくても
全然不思議じゃない・・・っつーか
邪馬台国が畿内にあって、九州まで、日本のほとんどを勢力下に置いていたクセに
一部の勢力の狗奴国と、ずっと戦闘状態・・っつーほうが考えづらい
734 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:29:28.96 ID:W/Z9RL/00
三国志時代の中国洛陽あたりの主食は米じゃないよ、漢族の主食は粟(アワ) 南の長江以南の呉の主食が米(コメ)
>>733 長い事蝦夷と戦ってるし
薩摩からも結構な期間、税が来なかったろ
邪馬台国じゃなく伊都国が本当の首都だった説を俺は支持する。 漢委奴国王印は漢「委奴」国王印だったってやつ。 邪馬台国は邪って付けられてんだぞ。
>>219 朝貢の品である朝鮮由来のものが確実に出土するからだよ。
学問を知らない馬鹿が勧告が日本を作っただの韓国が日本に
教えてやっただの曲解する間は不可能。
おそらく、それまでは親公孫氏の立場をとっていただろうから、 魏には戦々恐々だったのでは。
>>729 >紀では卑弥呼は神功の時代。
仮に神功皇后が卑弥呼に比定できるなら
邪馬台国=大和で何の問題もない。
母親だって二上山麓、葛城の姫だとわかってるし。
宇佐神宮を掘り返すわけにもいかんしな
741 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:31:59.11 ID:aMuoDUDt0
倭は魏志倭人伝が記される前から史記、漢書、後漢書に 長江の砂洲などに住した越系の漁民と記されている おそらく北東アジアの沿岸域に分布した南方系海民の総称 当時の日本は倭人(漁民)の邑国が最も発展した地域ということで 倭国と推定されたんでしょう
742 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:32:27.46 ID:EuII1HnpO
743 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:32:39.14 ID:W5FB4YsF0
>>739 >神功皇后が卑弥呼に比定できるなら
できるのか?
744 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 17:33:10.86 ID:jbUQTAHT0
>>733 渡海能力ないじゃん。
それに仲哀天皇の頃でも新羅が何処にあるのかわかってないくらいだし、日本は外国に対する知識全然なかったんじゃないか。
>>729 書紀が神功皇后を卑弥呼に比定したから、皇紀が不自然に伸びたわけでね
>>743 俺は比定してないから、大体子を産んでるし卑弥呼像とは遠い。
>>744 交易自体は縄文期からやってたし情報もある程度入ってたんじゃないかな
ただ卑弥呼直前は大乱のせいで情報が途絶えてた可能性はあるけどさ
748 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:36:47.81 ID:s8zrH8xt0
>>744 神宮皇后は新羅の王子の子。
知らないはずがない。
>>741 鳥越憲三郎先生は神話の変質から、揚子江下流域の「倭族」が
北へ移動して山東半島、朝鮮南部を経由して九州へ至る
ルートを推定してたよね。これはなるほどと思った。
広義の「倭族」を一言で言うと、「玄関で靴を脱ぐ人たち」。
なんか親近感が湧くw
750 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:37:44.93 ID:bzWcEy8x0
>>744 んだから
海外に目が行ってる邪馬台国と、大和王権は、別物
なのさ
751 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:38:00.38 ID:aMuoDUDt0
>>733 邪馬台国の諸国や狗奴国の説話は九州の勢力のことでしょう
九州以東にも邪馬台国に匹敵、あるいは凌駕する連合国家はあったと思う
魏志倭人伝にも裸国、歯黒国などの邪馬台国とは異なる倭種の国の記述がある
これが出雲や吉備、四国、近畿、関東の勢力でしょう
752 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 17:38:48.22 ID:jbUQTAHT0
>>733 魏には渡海能力ないじゃん。
それに仲哀天皇の頃でも新羅が何処にあるのかわかってないくらいだし、日本は外国に対する知識全然なかったんじゃないか。
あとその土器についた墨の跡は本当に文字なのか?
ふきこぼれの跡だと言われても違和感無いぞ。
753 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:39:59.93 ID:bzWcEy8x0
倭国が後の大和政権と別物だとは思えないなあ、畿内の地名は北九州のコピーだし
>>723 猿田彦は時代とともにいろんな神と融合しているから参考にならん
つーか、これに関しては明らかにミスリード誘ってるだろ日本書紀
756 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:40:43.63 ID:EuII1HnpO
>>745 要するに、記紀編纂時の日本人も、魏志倭人伝に記されてる、国名に(?)だったんだよね。
ま、魏志倭人伝に信憑性は無いかもしれないが、朝鮮半島南部も倭の勢力下だったのは事実。
757 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:41:16.33 ID:59KMOVPw0
発音鮮明な言葉が有って もし文字を用いなかったとしたなら 相当記憶力頭脳明晰な人々が生まれるのではないのか! とりもろそう日本!
>>763 指が汚れたんでこすりつけた跡にも見える。
759 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 17:41:49.16 ID:jbUQTAHT0
>>750 ワシは任那が二重朝貢をしてたんじゃないかと考えているんだがね。
760 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:43:20.85 ID:bzWcEy8x0
>>751 まぁ、なんにしても
当時の日本で一番勢力があったのは邪馬台国
っつーのは、無い罠
邪馬台国が一部の小国で、畿内には、それよりももっと広い地域を勢力としている国があって
デッカイ遺跡や、日本各地のモノがザクザク出てきても
全く変じゃないしね・・・
761 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:44:27.67 ID:59KMOVPw0
日本はシナとかの大陸半島とかよりも古来から 人間として優れた人々によりつくられた国なのではないのか!? 法により! とりもろそう日本!♪
>>751 だが弥生中期頃からは出土物を見る限り、中国人は確実に東方面、
瀬戸内方面に向いてるよ。
邪馬台国=九州説ではその辺りの矛盾と、70000+50000以上もの
戸数を抱える国を何処に存在する?という問題をクリアできない。
763 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:47:47.26 ID:EuII1HnpO
朝鮮半島南部の倭人国の狗邪韓国、これがキャラとかカラと呼ぶから。 狗奴はカトの国だ!
>>753 どっかの「田」の字よりはそれっぽいのは確かだな
765 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:48:28.98 ID:YMGqYanv0
古代中国との接点あるのですか 皇は王の上に北極星を意味する白を置いた 自らを世界の中心とする意味を持たせた字は 始皇帝がはじめて使ったらしい漢が滅びて日本に 亡命した漢の王族受け入れたのがヤマト国で 魏の使いは旧王族捜索に来たのかも
766 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:48:33.12 ID:Oxy1DZPkO
「日本の女神様」がよくかる本 戸部民夫著 第1章 日本神話の女神 P135 みやずひめのみこと 彼女こそが卑弥呼である(ぇ
767 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:48:45.98 ID:59KMOVPw0
古来より人は何を伝えようとしてきたか!? 法である! 発音鮮明な日本語を作ってきてくれて先人のみなさんありがとう!♪ 日本人をなめんじゃねえぞ! と言ってあげてください 不法言動や 不法占拠や 不法占領とかするな! 分かったか野蛮人ども!?
邪馬台国とは魏史に書かれた邪馬台国であり、卑弥呼が治めた国、張政や梯儁の赴いた所であって 当時の日本列島で一番大きい国とかではない 例えば近畿に葛城王朝とかあって大きな国だったとしても、それは邪馬台国ではないわいな つまりこの発見された遺跡が邪馬台国のものであるという根拠が抜けている やっぱ邪馬台国は九州だったろうというのが常識的発想
こんな昔の事どうでもいい。考古学って何かの役に立ってるのか?
>>762 まずよ、日本を知れw
奈良は福岡より断トツに田舎だ
畿内説よりはな、奈良が都会だと思ってんだよwww
771 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:51:59.94 ID:bzWcEy8x0
>>759 オレは、
奈良に、日本の大部分を勢力下に置いていて、中国のことなんか屁とも思っていない狗奴国
九州に、その狗奴国に滅ぼされかねないから、どうしてもそれより大きな大国の後ろ盾を得て対抗しないとならなかった邪馬台国
っつー図式だと思うけどなぁ・・・
772 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:52:13.14 ID:Oxy1DZPkO
773 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:52:38.36 ID:59KMOVPw0
>>767 日本人のほとんどが賛成してない消費税を採決した連中も野蛮人なのか?
日本人をなめんじゃねえぞ!と言ってあげてください
卑弥呼の時代の税制を知っているのか!?
774 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:52:54.61 ID:E76W/6jB0
>>736 素直に考えれば そうだと思う
近畿にあれば なんで 九州のことを細かく書かなきゃなんないんだ
まっすぐ ナラへ行けよ、と。
776 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:54:03.41 ID:EuII1HnpO
九州説は、かぞちつじょみたいな思考だから、興味ない。
777 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:54:27.73 ID:aMuoDUDt0
>>760 マキムクの遺構は邪馬台国に匹敵、あるいは凌駕する近畿の勢力の遺構でしょう
あのあたりは日本各地の地名が変名もあることから
各地から貿易によって土着した各地の人々が住居し
後の蝦夷や日高国など、東国への中継貿易などで栄えた地域なのではないだろうか
778 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:54:55.66 ID:W/Z9RL/00
巻向で出たという晒し首の柱跡の件はとんと話題にならんな 当時、処刑は最大・最強の祭祀だけどな ま、生首並べてたんじゃニュースにならんじゃろ
畿内説論者って、バカしかいないからねw
>>775 知ってどうするの? その情報から現代に何かを産み出せるの?
>>770 だが奈良は都にはなったからね。
大体福岡って岡山から持ってきた地名だけどなw
782 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:57:42.16 ID:gK0bufDB0
元々、九州説なんてありませんでした。 京大での話、誰も九州説をとる者がいないので、教授から、 「お前やれ」と言われたのが、九州説の始まりです。
783 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:57:58.27 ID:EuII1HnpO
九州は万年地方
784 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:58:47.99 ID:59KMOVPw0
>>779 なにいっ#
畿内や九州とかだけでなりたっているのではないことをも忘れるな!
日本人のほとんどが賛成してない消費税を採決した連中も野蛮人なのか?
日本人をなめんじゃねえぞ!と言ってあげてください
卑弥呼の時代の税制を知っているのか!?
>>781 まーた、都合のいい解釈かよwww
博多はどうなんだよ、おいwww
畿内説論者なんて守銭奴とバカしかいないからね。
>>781 太宰府は発展、平安京は田んぼの下になったけどな
787 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 17:59:21.68 ID:bzWcEy8x0
>>777 んだから
邪馬台国は、朝献したから記述が残っているだけで
邪馬台国の規模が、マキムクの遺構に匹敵するかどうか
邪馬台国以外、マキムクの遺構に匹敵する規模の国がなかったのか
どうかは、わかんねーっつーよりも
マキムクの遺構に匹敵する規模の国なんか、いくつもあったんだよ
当時の日本は、想像以上に発展していたの
788 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 18:00:01.94 ID:jbUQTAHT0
>>771 大和で任那の王に任命されるも、朝鮮半島には大和の力が及ばない為
ツヌガアラシトが帯方郡から独立国としての承認を得ようと、大和をダシに交渉しようとした
なんて仮設を立ててるけどね。
この方が魏に朝貢する動機として自然だろ。
北九州あたりに邪馬台国があったとして畿内大和と戦うのに魏の名前を出しても効果ないだろ。
789 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:00:02.41 ID:oSC5VtZg0
>>785 博多も文献記録上じゃ河内の柏原の方が早いんだけどねw
791 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:01:34.63 ID:EuII1HnpO
>>786 貿易で成り上がったんでしょ。
戦国大名の大内氏みたいなモノだよ。
792 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:01:37.06 ID:aMuoDUDt0
>>762 渡来人や亡命外国人は邪馬台国より以前、さまざまなルートで
縄文時代にすでに東国へ到達していたと思うよ
独善的な考察ではあるけど…魏志倭人伝の人口や戸数は最近言われている
大月氏との比較→司馬氏と曹氏の功績の比例などのからくりも
ふくまれていると思う
洛陽から大月氏(曹真による朝貢の功績)の距離、
洛陽から邪馬台国(司馬仲達による朝貢の功績)の距離、
そして人口や戸数はほぼ比例しているという考察がある
>>780 真実はいつも未来への糧となる
なぜなら人の目指す未来は常に真実をもとに描かれるから
だから真実と思っていたものが嘘なら思い描く未来も歪んだものになる
794 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:02:34.61 ID:59KMOVPw0
>>785 はかた
?
まさか
はかがおおい ということなのか?
まさか?
たしかに防塁跡も残っている
しかし
結局は
日本人のほとんどが賛成してない消費税を採決した連中も野蛮人なのか?
日本人をなめんじゃねえぞ!と言ってあげてください
卑弥呼の時代の税制を知っているのか!?
ということじゃないのか!?
796 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:04:05.96 ID:bzWcEy8x0
>>788 別に、畿内大和と戦うのに魏の名前を出す必要もないんじゃね
軍事支援さえありゃいいんだから
797 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:04:29.03 ID:oSC5VtZg0
>>793 いやさすがに邪馬台国が何処にあろうと現在への影響は乏しいだろうな
798 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:05:35.49 ID:0plhhqMk0
>>769 刷毛で土掘るだけで、いい日当になるしwww
高松塚壁画で もう 30年 飯食ってるしwww
>>797 ところがどっこい、現代の政治的意図から近畿にないと困ると思っている人もいるのだよ
800 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:07:32.51 ID:LJeQ8+zd0
陵墓いくつか調べれば解るんじゃね?
>>797 同意。近現代の歴史ならともかく、邪馬台国って…。こういうの追求して飯喰ってる教授とか存在価値あんのかね。
802 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:08:14.08 ID:59KMOVPw0
>>797 なにいっ#
邪馬台国とかで
日本人のほとんどが賛成してない消費税を採決した連中も野蛮人なのか?
日本人のほとんどが賛成してない消費税を採決した連中からも目をそらさせようとしているのではないのか!?
日本人をなめんじゃねえぞ!と言ってあげてください
卑弥呼の時代の税制を知っているのか!?
ということじゃないのか!?
>>799 そりゃ居るだろ
各自、思想を持つのは自由だ
只、現実問題として影響ないと言ってるだけで
804 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:09:19.30 ID:EuII1HnpO
九州に無いと、高千穂の神主や、阿蘇の神主が困るからよ。 阿蘇なんて、さほど歴史ある神社じゃないくせに。 まさにトンデモ。
805 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:10:00.82 ID:jCXniCNp0
また神の手で捜したのかw
806 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:10:40.84 ID:f38pkzCZ0
>>797 邪馬台国が近畿のショボイ国であるほうが都合のいい連中がいるのは確か
北九州から朝鮮半島支配してたなんて事実にしたくないのよ
>>795 続日本紀だと柏原の伯太川(博多川)の記述の方が先だよ。
810 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:12:50.23 ID:f38pkzCZ0
考古学なんてなぜ学ぶのか? 人間は一生学び続けるべきです。人間には好奇心、知る喜びがある。 肩書きや出世して大臣になるために学ぶのではないのです。 ではなぜ人は学び続けるのでしょうか?それが人間の使命だからです。
812 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:13:25.58 ID:oSC5VtZg0
>>807 単純に考えて、九州北部にあるより畿内にあった方が国はデカイだろうな
地図知らんの?
813 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:15:10.34 ID:EuII1HnpO
>>807 九州説以外は、倭国を九州に収めちゃう、スケールのちっちゃい九州説論者とは、違うと思うよ。
博多は「那の津」やけん! 川は那珂川やけん!
815 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:15:39.99 ID:aMuoDUDt0
今回出土した纒向の遺構は九州の邪馬台国とは別の 古代日本に栄えた大きな勢力の一つ 当時の日本にはこういった邑国がたくさんあって それらが時代を経るごとに争乱や外交で 密接に融合していったと考えるのが妥当 ヤマトの発祥はおそらく九州の宮崎あたり これが大陸との朝貢で次第に北九州に北上して連合化し 同時期に日本各地で邑国を形成した国々と融合していった 東遷もそういう流れの中で起こり近畿に定着した
816 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 18:15:42.89 ID:jbUQTAHT0
>>796 軍事支援なんて無いじゃん。
海渡れないし、それ以前に通路になる朝鮮半島だって征服してないし。
818 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:16:14.88 ID:f38pkzCZ0
>>811 考古学に価値はあっても
正直、邪馬台国の場所はあんまり価値はないよ
それが仮に何処にあろうが、存在しようが
そんなに価値あんなら世界中の研究員が調べてるだろ
821 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:17:53.14 ID:W5FB4YsF0
畿内に邪馬台国よりでかい国が在ったでいいやん
もし邪馬台国が近畿にあったとしたら 当時の瀬戸内海が朝鮮北九州間と同じくらい安全に航海できる場所だったということになる
>>810 それが結構関係あるんだけどね。
百済や新羅、魏からの人の移住がなされた場所も近いからな。
で、九州の博多は何時から使用されたの?
824 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:18:35.45 ID:aMuoDUDt0
>>804 阿蘇氏は出雲の出雲氏、和歌山の紀氏(木国)とならぶ最も古い豪族の一つ
おそらく皇室よりも古い系統
825 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:18:46.87 ID:bzWcEy8x0
例えばね、中国と交易しようとすると、どうしても、日本の王様と認めてもらわんとならんのよ 武器を得るにも、なんにしても んで、一方の中国は、朝献してきたヤツが、本当に日本で一番勢力があるヤツなのかどうかなんて かんけーねーの めんずらしいモノ持ってきて、気に入ったら、「んじゃ、アンタ王様、取引してやるよ」・・って言うだけなんだから んなもんだから、日本はずっと、勢力が弱いヤツが、なんとか勢力を保つために、力が弱くなると中国に使者を送ってきた 南北朝時代の足利義満が、天皇先置いて中国から、日本国王なーーーんて呼ばれちゃったりしたのも、そのため 義満は、幕府の力が弱くなって、財政的にも二進も三進もいかなくなったのをなんとかするために、中国を頼ったわけだ んで、そういう力の弱い国=邪馬台国を、中国の後ろ盾があるにもかかわらず平定して、大和政権を造ったからこそ 聖徳太子は、どーだとばかりに、対等な立場で、中国と交易をしようとした・・・と
826 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:19:04.77 ID:EuII1HnpO
九州説論者は、九州以東の人を、異人と差別する国賊。
827 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:20:44.94 ID:bzWcEy8x0
>>816 中国との交易自体が、最大の軍事支援だよ
828 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:20:47.66 ID:0Opj/MnX0
卑弥呼なんてのは外国の古文書に書かれてるだけの、どこの馬の骨かも解んねえのに 持ち上げ過ぎなんだよ。
>>826 つか、古代の日本列島を考えるときに、
なんとなく現代の中央集権な思考を当てはめちゃうのも
問題な気がする。
>>825 倭王武=雄略天皇は?
あと聖徳太子と邪馬台国じゃ時代が全然違うw
831 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:21:46.41 ID:W/Z9RL/00
畿内には古い神社が無いからな、だから穴掘りしたがるんだろ 九州高千穂には、天照大神を御祀りする由緒正しき天岩戸神社がある。 皇祖日向三代をお祀りする高千穂神社もある。 天孫二神の古墳もある。
卑弥呼は近畿でいいだろ。 九州はもっと熊襲大事にしろ。正史からすると悪者になって しまうが一応九州の豪族だぞ。
833 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:23:08.34 ID:aMuoDUDt0
>>820 東遷による纏向・奈良への大和朝廷の定着は邪馬台国よりもうちょっと後だと思う
おそらくトヨが亡くなった後、紀元280〜300年ぐらいの頃ではないかと思う
今回の纏向の遺構は年代的に見ると邪馬台国と同時期に発達した
プレ近畿大和朝廷といえる勢力でしょう
834 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:24:11.25 ID:W/Z9RL/00
ま、せいぜい生首棚の柱穴でもほじくってるこった
835 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:24:30.70 ID:EuII1HnpO
記紀で考察するに、九州説はありえない。 神武の曾祖父のニニギが、九州で天孫降臨しただけの場所である。 記紀に九州が多くのる理由は、これのくせに、九州説はそれを根拠にする歴史素人。
>>833 むしろ纏向の年代が、300年前後以降だと思う
>>831 九州の古墳はちと新しすぎるのがな…
まあ後世に作りなおした可能性も否定出来ないけどさ
838 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 18:25:53.84 ID:jbUQTAHT0
>>827 交易と軍事を一緒にはできんだろ。
いくら軍備に経済が必要だといっても。
関係するとしたら武器の供給くらか?でもそれって九州でも出てないし。
鏡は軍事に全く影響しないし。
839 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:26:34.13 ID:59KMOVPw0
>>807 >邪馬台国が近畿のショボイ国であるほうが都合のいい連中がいるのは確か
>北九州から朝鮮半島支配してたなんて事実にしたくないのよ
?
一理も二里もあると思いますが、
朝鮮半島の言葉とかは なんで
発音明瞭な日本語(もちろん北九州含む)とかの言葉と異なるのですか?
>>835 高天原=邪馬台国
卑弥呼=天照大御神
畿内説は記紀を無視する隠れ左翼
841 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:28:37.54 ID:EuII1HnpO
阿蘇なんて国造みたいなものなのに、それを根拠にしてる時点でw 非支配者層の思考、それが九州説。
842 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:28:47.45 ID:bzWcEy8x0
>>830 5世紀の倭の五王なんか、まさしくそうだろ
聖徳太子と邪馬台国じゃ時代が全然違う
けど
図式は同じ
>>837 平原弥生墓は?
そもそも卑弥呼の墓って古墳なのか?
845 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:30:50.01 ID:/Kyscf+f0
九州説を唱えてる引きこもりどもはさっさと火山灰の下を掘りに行ってこい 自分が灰になるまで掘って掘って掘りまくれ!
円墳って言われているな
神武東征したんだから勢力が西から拡大したんだろう、 ってのが錯覚なだけだよ。 そうじゃなくて、 皇族の始祖は九州南部から旅をしてきたマレビトだった、 という話で、天孫降臨から続く男系始祖の起源神話でしかない。 つまり、通い婚の母系部族社会から、 嫁入りで汎部族的な男系氏族社会に以降した、 ってことを神話的に伝えてるんでしょ。
>>843 一番古いものでも畿内より100年以上新しいでしょ
主だったものは更に新しい
849 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:33:07.03 ID:xVXpuX/S0
魔神英雄伝ワタル
850 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:33:41.69 ID:bzWcEy8x0
>>839 まぁ、邪馬台国は、
畿内で見つかった遺構の国とは比較にならないショボイ国・・だったと思うよ
>>848 別に古さを競い合ってるわけじゃない気が…w。
要は、3世紀後半の古墳があるかどうかじゃないかと。
>>844 普史に卑弥呼の晩年頃倭国から来た使者が前方後円墳を完成させたと報告した話があるからな
それを信じれば前方後円墳だろうという話
853 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:35:33.67 ID:59KMOVPw0
>>840 >高天原=邪馬台国
>卑弥呼=天照大御神
>畿内説は記紀を無視する隠れ左翼
?
高天原 蒜山高原も有力候補の一つ
卑弥呼 天照大御神 古来から 日本人は太陽によりも生かされていることに感謝している
畿内説も 卑弥呼の時代の税制をも考えるべき!
消費税など上げてる時では無い!
854 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:35:39.74 ID:bzWcEy8x0
>>839 まぁ、邪馬台国は、
畿内で見つかった遺構の国とは比較にならないショボイ国・・だったと思うよ
邪馬台国が畿内で見つかった遺構の国なみに立派だった・・と思うから変になる
大和国の日巫女なら斎宮のことだから、 皇族から斎宮が出ていたのは古代からの名残りで、 古くは女性が祭祀をつかさどってたんでしょ。 沖縄には今でも風習が残ってる。
なんで、ヤマタイなんて読ますんだろ。 ヤマト国 ヤマダイ国 のどっちかだろ。
857 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:38:33.34 ID:3Q7Wb7Ld0
700年頃になぜ人麻呂が石見に赴任したのか? そこが歴史のスポットかもしれないな 歌聖が石見に赴任した意味ってなんなんだろうね
858 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:39:47.10 ID:W/Z9RL/00
>>835 記紀ではニニギ以前は高天原にいたんだから、
記紀及び後世の書物の上での痕跡が九州に有るはずなかろ、
神代高天原といえば聞こえはいいが、まさに日本史の史実(実物)としては抹殺されたわけだ
だけど民間信仰としてはあるんだよ、村社として代代領主などの庇護を受けてきたのがな
天岩戸神社や高千穂神社はその典型なんだ。
記紀にないというのはむしろ真実を裏付けるものである。
>>847 > 皇族の始祖は九州南部から旅をしてきたマレビトだった、
西日本の勢力をバックに侵入してきた一軍人だろ。
> つまり、通い婚の母系部族社会から、
> 嫁入りで汎部族的な男系氏族社会に以降した、
どうにかこうにか奈良盆地を支配したものの、その死後、現地部族に乗っ取られてしまいましたとさ。
で、奈良盆地から外へ勢力を伸ばしたのは崇神以降。その一代前だったか?
860 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:41:19.14 ID:blyYIY1V0
魏志倭人伝には 「邪馬壹国」と書いてあるんだよ。
861 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:43:53.66 ID:aCg0wk6A0
>>87 九州説にこだわるやつらは、歴史好きなんかじゃなくて、
中央権力が嫌いなサヨクと、九州郷土愛で現実が見えないアホだけだよ。
現実的には、考古学的物証の豊富さから、邪馬台国は奈良以外にはありえない。
高天原と黄泉の国があって、その中間に中つ国があったんだろ そんで中つ国が中国地方だと
863 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:44:30.22 ID:aMuoDUDt0
>>855 沖縄の先史〜按司時代の王統以前は天孫氏とよばれる大国主(うふくにぬし)が
25代に渡って緩やかに君臨していた
天孫氏は阿摩美久(あまみく・あまみきよ)と呼ばれる海民を始祖とする
おそらく邪馬台国や古代の西日本、朝鮮半島、中国沿岸、東南アジアの
南方系漁民集団、つまり当時の東アジア沿岸に分布していた
倭人の統率者たちと同じ系統でしょう
864 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:44:55.16 ID:59KMOVPw0
>>854 卑弥呼の流れも
天皇皇族の流れも
私利私欲には決して走らないことを心がけられているはず!
日本人のほとんどが賛成してない消費税を上げるような時ではないのではないのか!?
ご先祖様方々も消費税を上げてる時ではない とおっしゃっているに違いないと思われる。
865 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:45:04.83 ID:EuII1HnpO
>>858 神武の曾祖父のニニギは、日向で天孫降臨したんだから、
宮崎県に、天孫降臨した場所と呼ばれるところがあっても、不思議じゃない。
しかし、天孫降臨した場所ってだけであり、そこが高天原と言うのは疑問である。
つまり九州説は、非支配者層の視点である。
>>847 >天孫降臨から続く男系始祖の起源神話でしかない。
その男系始祖の元になる女性神の天照が産まれたのも、高千穂と同じく日向の橘の小戸
山幸に下された海幸を祖とする隼人と言えば南部九州じゃんか
867 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:47:00.15 ID:aCg0wk6A0
>>831 九州の語り部で、「自分の祖先は神武の親戚だ」と言ってる人間がいるのかな?
いるなら、一人でも紹介してくれよ。
結論から言って、九州には、神武の親戚なんていないんだよ。
だから、神武東征が作り話だってことがすぐわかるわけよ。
魏から送られたオリジナルの鏡以外の考古学的物証なんて意味ないよな
869 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:47:22.89 ID:3miqAmPw0
>>860 ついでに日本書紀には卑弥呼=神功皇后=壹与と無理やりはめ込んでいてヤマトと邪馬壹国は無関係だと図らずも告白してしまっている
870 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:47:29.85 ID:f38pkzCZ0
>>861 >現実的には、考古学的物証の豊富さから、邪馬 台国は奈良以外にはありえない。
なるほど。じゃあ、絶対に奈良じゃないじゃん。勉強しろよw
>>852 前方後円墳て現代の用語なんだが、
前方後円墳とはっきりわかるように書いてあるの?
872 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:49:12.53 ID:EuII1HnpO
もう九州説は単なる郷土愛だな。
873 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:49:21.49 ID:aMuoDUDt0
>>858 高天原はおそらく朝鮮半島を指していると思う
古代の朝鮮半島はさまざまな民俗がゆるやかな邑国を
形成し混在していた
その中の沿岸部に分布した海洋民の倭人の首領が日本に到達し
混血を続けながら九州で大きな勢力となった
そういう日本内外の倭人の権力者たちの流入は当時の東アジアでは
ポピュラーなものだったのかもしれない
古事記の冒頭、国産みに際して、 イザナギとイザナミは柱を巡り合い、 声をかけるのが女性から男性に代わってるでしょ。 またスサノオのところで邪険にされた大国主は、 最後に駆け落ちして、それから大活躍することになる。 そして天孫降臨と神武東征があって、 この国は天孫の統べる国だという確認がなされる。 通い婚の母系部族社会が嫁入りによって、 汎部族的な男系氏族社会に移行した、 って考えれば筋は通るよ。 皇族は古代の祭祀権を継承してるんで、 皇族から斎宮が出てたのは、その名残りでしょ。
875 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2013/02/03(日) 18:50:14.94 ID:jbUQTAHT0
>>867 阿蘇のー宮、タケイワタツの命は神武天皇の親族という事になってるね。
877 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:51:08.20 ID:0Opj/MnX0
>>867 ところでキリストの親戚は誰だか解ってるのか?
神武天皇はそれより600以上年前のことだぞ
デジタルの今の時代ですら改竄ができて100%の真実を残すのは難しい。
879 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:51:24.16 ID:aCg0wk6A0
>>870 奈良以外で、邪馬台国の候補地があるなら言ってごらん?
バカにされるのを承知で言えるものならな。
880 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:51:51.17 ID:f38pkzCZ0
政権は違えど一応、九州には金印がありますけどね ニヤニヤ 奈良って、金印あるの?ww
>>860 現存の写本にはな
他の引用文献は全部邪馬台国になってる
旧国名郡名で日本地図見てみればいいよ 奈良こと大和国は郡名が大ざっば、まだ河内国のほうが複雑
884 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:53:16.35 ID:rmN5Fz0s0
九州にあったり、近畿にあったりすることで 飯をくいっぱぐれる可能性があるやつとか でてくるの? なんかあまりにもどっちでも よさそうなことに感じるんだけど、どっちだ こっちだって大人が論争しているように見える だけど。
東北説からハワイ説まで候補地はなんでもあるよ
886 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:53:51.45 ID:EuII1HnpO
>>873 偽書だが、ホツマツタエでは、高天原は日高見国らしい。
日本の名称の起源ともなった国だ。
偽書だが、九州説並の、信憑性はあるだろう。
>>879 ほれ、奈良は大和朝廷だ、つーの。
邪馬台国みたいなショボい国とは違うだろうw
888 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:54:27.03 ID:W/Z9RL/00
くりかえすが、 宮崎県西臼杵郡高千穂町の天岩戸神社や高千穂神社は千数百年以上続く由緒ある村社だ。 しかし高天原の神々を祀る神社や廟が現存し、それを皇室や国家が庇護し祀っているとなれば、話がおかしくなる。 高天原神話が誤りか、当該神社等が誤りか、どうなんだ・・、となる。 それを避けるためには、当該神社等は皇室や国家としては関知ぜずの方法しかない。 おわかりであろう。
889 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:54:27.40 ID:blyYIY1V0
>>869 「壹与」も「邪馬壹国」も両名記存在していても全く問題はないと思う。
キターー 歴史の一ページ、教科書に載るぞ是。
邪馬台国論争は永久に終わらせてはいけない。九州にせよ奈良にせよ決着したら、 じゃあ邪馬台国では無いもう一方の遺跡群は何だったのだ? と、 学会や観光界の興味がそっちに移ってしまい、本当に元邪馬台国だった側が 大きな損害を被る。 だから、こっちこそが邪馬台国だと、 双方が激しく応酬している状態を継続することが全員の利益と幸福になる。 邪馬台国論争は永久に続けなければならない。
892 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:54:53.64 ID:59KMOVPw0
>>866 >日向の橘の小戸
?
福岡にも日向も小戸もある 本州にも有る
893 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:55:33.61 ID:aCg0wk6A0
>>880 中国の属国になったことがそんなにうれしいの?
俺なんか、中国の属国になった歴史なんてイヤでしょうがないけど、
邪馬台国は奈良だって現実をちゃんと認めてるけどね。
894 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:56:21.51 ID:3miqAmPw0
>>867 某大家の採録した奈良の伝承に「自分の先祖が神武の進入に抵抗したことが近隣にも知られていて戦中は肩身の狭い思いをした」というのがある
>>881 それ後漢書の引用だよ
895 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:56:22.66 ID:aMuoDUDt0
>>871 おそらく前方後円墳などの墳墓の文化は北東アジアの文化の影響を受け
北日本から東日本、西日本へと伝播しながら変化・巨大化していったのではないだろうか
古代の墳墓はイナリ(稲荷、古代の山の神格)に推定されるのでは
>>893 こういう、現代の国際関係をあてはめて嬉しいだの嬉しくないだのと考える人がいるからややこしくなる
897 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:57:15.83 ID:YMGqYanv0
ま 朝日新聞がねつ造報道するのはわけがあって 魏志倭人伝のねつ造のわけも似たものかも
898 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:57:22.44 ID:oSC5VtZg0
>>891 その、こっち側ってのが九州に存在しないから最近特に馬鹿にされてんのよ
九州説の人に聞いても色々だし
邪馬台だとヤマタイ 邪馬壹だとヤマイ?
901 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:58:42.31 ID:EuII1HnpO
>>880 百済王の末裔の多々良姓の守護大名の戦国大名の大内氏も中国から日本国王って呼ばれちゃったよ
ところで何でマンコを箸でつつくの? 何で死ぬの?
903 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 18:59:33.02 ID:aMuoDUDt0
>>886 なるほど東国発祥説か なかなか面白い説だ
日高国というと後の蝦夷の系統だな
いろいろあって当然だよ、どこだかはっきりしたことは分からないのだから わからないのに奈良だと言い切っちゃうのがおかしい
905 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:00:54.99 ID:f38pkzCZ0
>>893 だから、ショボい国なんだって、奈良の大和朝廷を無理やりショボい国の邪馬台国に仕立てたい人は
左翼なんだろうか?いや、売国奴かもしれんな
そもそも、既得権益の御用学者を後押しする畿内説論者は日本人じゃないかも知れんなwwwwww.
卑弥呼にも色々諸説があるしな 神功皇后だったり当時の天皇陛下の娘だったり違う国の女酋長だったり
907 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:01:57.13 ID:0sD5eFuPO
>>892 記紀神話に「日向の橘の小戸」って書いてあるから、そこを突っ込まれても困るわw
>>866 で書いた海幸山幸だと山幸に敗れた海幸=隼人の祖は「狗のように仕えます」って誓うんだが
邪馬台国の南にあるのは『狗奴国』だよね
908 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:02:34.21 ID:aMuoDUDt0
>>899 邪馬台はヤマトでしょうね
九州にも山都、山門などヤマトの発祥とされる地名もある
邪馬壹だと…どうなのかね
>>899 読み間違えて書き写したんだと思われ。
それ以外の部分はほとんど一緒だから。
読みは現代読みで読んだらいけない。
当時の読み方ははっきりとわかってないがおそらくやまちゅ。
ヤマトの当て字と見るのが一番理にかなってる。
910 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:03:18.77 ID:f38pkzCZ0
>>902 まともな意見だ。モモソが卑弥呼なら、倭人伝にもマンコ刺さって死んだと、記載されるよなw
911 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:03:44.81 ID:YMGqYanv0
魏志倭人伝のねつ造の意図はごしょくに お前らよりはるかに強大な能力あると思わせるため 粉飾しまくったとは
912 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:05:40.80 ID:3miqAmPw0
>>899 邪馬臺は普通に読むとヤマダイ、「臺」を「ト」と読む例は(特に3世紀前後において)絶無
邪馬壹は「山委」という説あり金印の「委奴国王」の「委」
>>908 >邪馬壹だと…どうなのかね
や・ま・と
914 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:06:22.34 ID:aMuoDUDt0
かつての宮崎、まだ延喜式で日向と呼ばれる前は ヒムカ(日に向かう)の国と呼ばれていたそうだ この辺から見ても古代日本の発祥の重大地域のひとつでしょう
まあ、単純に言うと、 王国の集まった経済圏が帝国なんで、 中華主観では彼等の天下に関係を結ぶ国は、 中華に従属する国であるってんで、 皇帝が国王を承認するんだわ。 だから日本は、中華と異なる独自の天下であるって、 天皇の称号を用いたんじゃないの。 基本的に中華主観では、 中華に従属するか、従属しない蛮族の二つしかない。
916 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:06:58.75 ID:4whg2IV50
>>653 古墳時代と奈良時代とか江戸時代と現代とかも不連続な部分が結構あるよね。
917 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:07:14.27 ID:0Opj/MnX0
だから何で外国人の主観で書いた古文書を揺るぎない根拠として その邪馬台国があたかも日本の中枢的存在だと決めつけないといけないのかが良く解らん。 ましてや、その場所さえどこに存在したかすら解らん状態でw
918 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:08:05.53 ID:59KMOVPw0
>>873 >高天原はおそらく朝鮮半島を指していると思う
?
違うと思う!
言葉が違いすぎる。
竹島不法占拠も、法により早く止めさせて上げてください。
919 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:08:30.20 ID:fWnrgan30
邪馬台国は人気あるな 「邪馬台国はおらの県だべ」ってって 全都道府県に一個はあるだろ
920 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:08:42.24 ID:3miqAmPw0
ついでに臺=大委という説あり
921 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:09:43.92 ID:EuII1HnpO
>>914 なぜ日向と呼ぶのかというと
日向の東方に日高見国があるからだとされている
つまり、日高見>>><越えられない壁>>>>日向
>>916 古墳時代から飛鳥時代は朝鮮半島のインパクトで
江戸時代から明治時代は欧米のインパクトじゃね
923 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:10:27.49 ID:aCg0wk6A0
>>917 考古学的には、3世紀の日本の中枢は、奈良ということがわかっており、
ヤマト朝廷に発展していったことが事実としてある。
もし、奈良に邪馬台国が無いとしたら、
日本の中枢として発展していたヤマト王権とは全く関係ない、しょぼい地方政権が邪馬台国ということになる。
そういうことでいいなら、日本中、どこに邪馬台国があってもいい。
マジレスすると、そういうことだが、納得したかな?
あのな、ヨボヨボの婆さん(卑弥呼)が死んだぐらいで、あわてふためくような国(邪馬台国)が、 奈良の大和朝廷なわけないじゃんwww.
925 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:10:56.94 ID:GnmtepHH0
日向は東(ひむがし)
以外と単純だと思うけどね。 たとえば倭国だって、 おまえたちの国は何と言う国か、 って聞かれたらなんて答えるかね。 日本人は自分達の国を、 我が国って言うじゃん。
ここで大都会岡山がアップ
928 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:13:08.51 ID:59KMOVPw0
>>921 ?
一つの説に過ぎないのでは?
なぜ日本と呼ぶのか?
>>917 なんでかって言うと、ヤマトとかヒコとかミミとか、古代日本語がぽんぽん出てくるからだろ
930 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:13:42.98 ID:GnmtepHH0
倭国 大和国 倭が大きくなったのでおおわ
931 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:13:57.16 ID:fpW12K0HO
もともとタケルはクマソの親分の屋号
932 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:14:17.88 ID:4whg2IV50
>>721 房総の安房は阿波から海人族が移住した国だそうだしねえ。
>>927 ネタにマジレスもなんだけど
マキムクで一番発言権の大きそうなのが吉備岡山じゃなかったけか
934 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:14:33.52 ID:0Opj/MnX0
>>923 要するに意味無い議論なんだろ。
魏志倭人伝の文書の内容で場所の特定が出来ない時点で終わってる話だと思うんだよ。
935 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:14:47.90 ID:aMuoDUDt0
>>918 当時の朝鮮半島は、現在に続く朝鮮人の系統が推定されないほど
多くの民族が流入していたマージナル・ゾーン(多文化地域)で
半島沿岸部では中国沿岸部や東南アジアから渡ってきた
古代日本と同系統の倭人(南方系海洋民)が住んでいたんよ
その分布が東アジアで広域化した理由は南方系海洋民の
倭人が有した航海術でしょう
福岡は諦めろ
>>934 だから文書の内容で特定できるし考古学上もそれっぽいのは見つかってるし
そういうことなら確かに終わってる話なんだけどな
938 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:16:05.80 ID:59KMOVPw0
>>929 そうだったのか?
けど
ヤマトとかヒコとかミミとか今でも普通に言われているよ
とりもろそう日本!
>>923 ネタだか釣りだか知らんが本気じゃないよね
だけど帝大の古代史学学閥もこの程度のレベルなのが現実で恐ろしい・・・
941 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:17:06.45 ID:6TtpAkm/0
卑弥呼は韓国人 これは近年明らかにされて学者の中では既に定説
942 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:18:16.41 ID:aMuoDUDt0
>926 倭は我(わ)に通じるらしいからな 今でも自分のことを我(わ)と呼ぶ地域がある それは沖縄だ 我→わ、わー、わん
>>924 卑弥呼は婆さんじゃないぞ
「長大」は成人してるってだけの意味
>>908 やま、と、は日本の基本語彙だからその組み合わせは全国にある。
それに漢字導入前に「やまと」の地名があったら音読みのやまとにならない。
大和、天照みたいな当て字か邪馬台みたいな読み重視の意味不明な漢字になる。
つまり山門は漢字導入以後の地名です。
>>939 帝大(東大)は九州説だったような
まあ現在の東大は知らないけど
946 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:19:15.05 ID:aCg0wk6A0
>>939 本気でマジレスしたのですが、何か?
どこか、おかしなところがありますか?
よぼよぼじゃなくてマツコデラックスみたいな婆さんだったと思うね
948 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:20:26.15 ID:W/Z9RL/00
卑弥呼は漢の夏侯氏の系譜
949 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:20:27.34 ID:59KMOVPw0
>>931 >もともとタケルはクマソの親分の屋号
?
なるほど?屋号なのか? けど日本武尊はちがうぞ。
なんで日本人のほとんどが賛成してない消費税増税を採決したんだ!
野合じゃないのか!?
雇用は増やしても、消費税や物価は上げてはいけん! 違憲状態ではないのか!?
950 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:21:11.13 ID:fpW12K0HO
でも日本でヤマト読みさせようとした日本書紀には違和感あるわ いやこれがほんとの違和感だわ
952 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:21:28.99 ID:f38pkzCZ0
>>943 婆さんだぞ、また都合のいい解釈かよ。捏造すんなよww
>>943 180年ごろに即位して魏使が会ったのが240年ごろなら十分婆さんだろ
大和と名前が似てるから近畿とか朝鮮人並みの脳みそだな
956 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:23:01.35 ID:EuII1HnpO
>>928 何で倭人は国号を倭から大和ではなく日本としたのだろう?
個人的な推測だが日本とは高天原のことであり
大和はその日本に属する国でしかないと思う
日本、日ノ本の由来は日高見国というのは、個人的な推測ではなく、単なる一説であるが
>>950 春日と書いてカスガ、長谷と書いてハツセ
958 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:23:33.20 ID:W/Z9RL/00
伊都国はサガン、邪馬台国はクマモン に決定
まあ偉大な王だったらしいのでババアだろうがなんだろうが死ねばみんな動揺すると思うけど
960 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:24:03.52 ID:OUUR9yd70
>>917 しょうがないさ、その当時日本には独自の文字がなかったから
歴史資料としては当時の人物が書き残した書物は一級資料
あとはその書物の信用性を吟味するしかない
961 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:24:27.24 ID:YMGqYanv0
夏 周 秦 漢 百済 高句麗 の王族がたどりついたのも北九州 長汚染もだとは
>>916 纒向から出土するものは、当然ながら大和王権へ
連続してるんだよ。たとえば道教的なアイテムである
桃の種とか。
不連続と言えば空間的なものもあって、当時の近畿地方の
遺跡は、少数のクニが周辺の農村を抱えたものが多くいけど、
北部九州では、青銅器工房や絹生産などの共通の文化を有した
多数の環濠集落が並立していた。
こっちもやっぱり、魏志倭人伝の記述は、大和的じゃないんだよね。
邪馬台って地名じゃなくてシンボル的名称だろ、どう考えても 八幡宮の総本社が宇佐神宮であるのが興味深い
964 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:26:24.76 ID:MNIHwLLb0
隋書倭国伝 その国境は東西五月行 南北は三月行にして 各々海に至る その地勢は東高くして西下り 邪靡堆に都す すなわち『魏志』のいわゆる邪馬台なる者なり もう大昔に確定してんのよ、邪馬台国=畿内大和w てか九州説厨は九州北部の国々がしょぼすぎる件にあまり触れようとしないよなw 伊都国一千余戸、九州の中枢で在ったであろう奴国ですら一万余戸そこら それに対し邪馬台国は一国で七万余戸、そんなもん九州に比定できる場所は不可能 いい加減諦めろw
>>961 辿りついた連中がハッタリで王族を名乗っただけだと思うけどね
今の日本人だって先祖が源氏か平家なら王族の末裔を名乗っても嘘じゃないし
966 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:26:40.55 ID:fpW12K0HO
>>957 それには違和感がなかった
けど日本でヤマトなんて誰も馴染まなかった
これは事実でしょう
違和感があったんだよ
ヤマト書紀すら読んでくれない
967 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:26:48.20 ID:jPTlu1zp0
(魏志倭人伝と、古事記日本書紀を重ねようと苦労している人たちへ) (オシロワケに注目することだ (名前からして応神の系統の先駆だが、 (この人物が魏志倭人伝のどこに当てはまるのか、 (ちゃんとヒントが残されているんだよ (鍵は景行帝の奥さんの属する世代 (そこに無理やり景行天皇を持って行ってみなさい (魏志倭人伝の誰にあたるか見当がつくだろう、さらに (倭人伝と古事記の重ね方がわかるだろう (そうすればいろんな事がほぐれる様に見えてくる (当時の大和王権の二重構造も見えてくるだろう=賀茂が大物主の祭祀権を奪った理由でもあるが (それが解消したのが応神の代だという事も、なぜ九州が大和に干渉するのかも
九州から関西へ移動したんじゃないの?
969 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:27:52.65 ID:TBWLKNXy0
>>922 いや逆なんだわ。むしろ韓国では5世紀頃の前方後円墳が次々に見つかり、
とりあえず見なかったことにしている。
5世紀には大和朝廷が韓国まで及んでいたのは確実だと思う。
>>964 お前、勉強しろよ。奈良って佐賀と同等の糞田舎だぞ。
お前、バカなんだから、勉強しろよww
皇族には男系氏族名がないでしょ。 つまり少なくとも氏族として渡来したわけではない。 倭には矮小の意味もあるから、 和に置き換えて大をつけたんじゃないの。 みずから名乗る国号としては、 ひのもとの国で日本に決めたんでしょ。
972 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:29:55.66 ID:EuII1HnpO
973 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:30:14.25 ID:MNIHwLLb0
>>970 反論になってないことに気付いてるか?バカw
974 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:30:25.31 ID:3miqAmPw0
>>954 それ後漢書(の計算間違い)
>>962 >北部九州では、青銅器工房や絹生産
それ女王国の特産物…
>>964 「台」じゃねえし…その国の特筆すべき地形に阿蘇山が挙げられてるのはなぜ?
>>969 インパクトってのは倭の朝鮮半島進出のことだよ
邪馬台国の敵国狗奴国が南に位置していたということは まぁそういう事だ
>>888 日本の神話なんて、島根〜鳥取〜丹後の狭い範囲で説明がつく。
大和政権が自分の領土と言いたいがために範囲を広げただけじゃね。
要するに、すべてを解き明かす鍵は桃なんだよ
肥の元、日ノ本、日本、ニッポン、バンジャーイ
980 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:32:24.22 ID:fpW12K0HO
隋の煬帝は御し易かったけど この成功体験が唐の時代には裏目に出たんだろうな
>>974 >それ女王国の特産物…
うむ。まさにそうなのだな。
982 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:32:51.25 ID:EuII1HnpO
阿蘇は単なる国造だって 日本全国に国造があったの知らないの?九州人は
>>973 なってるが、それさえ気づかないのか?
お前、バカすぎだろう。そこまでバカ奈良、プッ
ちなみにタケルは本来、 名前じゃなくて尊称でしょ。 アイヌも人間を意味するとか言うけど、 立派な人物の尊称にも使われてたらしい。
>>968 九州説、畿内説はどっちも言ってる奴がいるけど、移動説だけは誰ももう言ってない
986 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:35:30.56 ID:N7B6H3cwO
邪馬台国出雲説では、高天原の舞台は誰も注目しなかった朝鮮半島です。 ゆえに歴史の上では抹殺。(笑) ありのままに@札幌より
987 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:35:39.65 ID:fpW12K0HO
ヤマトも尊称じゃね? ファラオみたなもんでさ
988 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:37:49.22 ID:Y7wYejT+0
もう決着はついてるんだよな
990 :
トヨ>>>モモ :2013/02/03(日) 19:38:08.83 ID:EuII1HnpO
邪馬台国=大和国 高天原=日高見 九州の立場=無し
991 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:38:31.14 ID:fpW12K0HO
カムヤマトイワレビコがヤマトにやって来たっておかしいよな クマソタケルがクマソタケルに居たとはならんだろ
日本書紀や古事記の記述なんて、しょせんは天武天皇一家が自分たちの皇位簒奪を正当化するために書いたプロパガンダだよ。 一定以上の過去の人物たちの業績も、実は天武一家が実際に行った行動をトレースして過去の出来事に置き換えただけ。 「第何代天皇の御世に甲が乙を……」という記述も、実は天武天皇関係者の名前に置き換えてもしっくりくる。 「書かれている内容にはいくらかでも過去の事実が含まれているに違いない」=「天武天皇たちはそれを”少し”捻じ曲げただけ」 という考えは危険。 「全て嘘」=「天武天皇一家のねつ造」というのが事実だ。
993 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:39:01.24 ID:0sD5eFuPO
>>927 岡山県民だが、ソレはないw
神武が畿内に入るのに苦労したぐらいに畿内に大国があって不思議はない。
だけど、巍に朝貢したのが畿内のそれである確証はないし
九州の地方勢力が朝貢したのが邪馬台国だとして何の問題もない。
邪馬台国=プレ大和朝廷=畿内と決めつける方が意味不明
たかが柱の穴でどうしてそんな妄想ができるんだか
>>984 ,
>>991 南九州ではいまだに、クマソタケルが俗謡で歌われてるもんな。
まあ、「中央に楯突く気概」が西南戦争で再認識された
せいでもあるんだろうけど。
COME YAMATO イワレヒコ! ってことで、ヤマトへおいでませイワレヒコって意味だろ
997 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:40:08.16 ID:N7B6H3cwO
大和朝廷≒邪馬台国ではありませぬ。 前提は、倭と大和朝廷は別の国。その集団のトップが倭王。倭王は中国と交易し、朝鮮半島に植民地を持っていました。 またの名は出雲族。 ありのままに@札幌より
邪馬台国が特定されると日本の皇室には大ダメージだからな
ヤマトはたぶん、地形に由来する地名だと思う。 ミナトって言葉があるだろって言われりゃ、 まあそうかなとは。 倭国は倭人の自称からで、 日本が自分達で決めた国号だろうと。
1000 :
名無しさん@13周年 :2013/02/03(日) 19:40:49.38 ID:MNIHwLLb0
九州説って宇佐だの阿蘇だの佐賀だのバラバラすぎだよ、しかも皆がしょぼいw どれかに絞れよなw
1001 :
1001 :
Over 1000 Thread このスレッドは1000を超えました。 もう書けないので、新しいスレッドを立ててくださいです。。。