【訃報】WHO元事務局長、中嶋宏氏死去 日本人とじて初代

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7名無しさん@13周年
根路銘 国昭(1939年 - )

アジア太平洋地域インフルエンザ・センター長
沖縄県本部町出身の獣医ウイルス学者。獣医学博士。 Wiki

238 音速の名無しさん sage 2009/01/28(水) 05:47:21 ID:c82jBkYi0
1993年、日本にアジア太平洋地域インフルエンザ・センターが作られた。
それまでアメリカ、イギリス、オーストラリアにしかなかったセンターが日本に設置されることになったのは、なぜか。
インフルエンザ・ワクチンは、毎年、WHOの専門家会議で、データをもとに今年流行しそうなインフルエンザを決定し、
それに基づいて製薬メーカーがワクチンを作っている。
それまで日本はその元になるアジア各国の膨大なデータを収集しWHOに送付する仕事だけをやっていた。

担当していた根路銘国昭氏は、これだけの仕事をやってるのに、日本にインフルエンザ・センターがないのはおかしいとWHOに手紙を書いた。
それに対する返事は「WHOも国連の安保理と同じで第二次大戦の戦勝国で構成している。よって日本は入れない。」というものだった。
彼はさらに抗議の手紙を送ったが返事は同じ。それどころか、WHOに批判的人物として、彼と日本に対し冷淡になったという。

ここで普通の日本人ならどうするだろうか。なんとか謝罪して、今までどおりの扱いにしてもらおうと努力するか、
そもそも抗議など最初からしないかもしれない。

だが根路銘氏は違った。
なんと、日本が集めていたアジアのデータを1年間、WHOに送るのをやめたのだ。
インフルエンザの大半はアジアから発生するから、そのデータがないとワクチンが作れない。WHOは大騒ぎになったという。

そして翌年、根路銘氏にWHO専門家会議への招待状が来た。
その会議で、日本にアジア太平洋地域のインフルエンザ・センターを作ることが決定され、彼が初代センター長に就任することになった。