まあ最近は手垢のついた単語になっているが、ハードパワーとソフトパワーって概念があってな。
ハードパワーはいわばエネルギー産業や重工業、建築で、ソフトパワーはまあIT産業やサービス業を指す。
もちろん中間的な小物家電はどうなんだよ、て話にもなるがそこはまあおいておいて。
テレビなんかは30年前だったらハードパワーだったかもしれないがタブレットとか考慮すればいまや
ソフトパワーになった、などと言えるかもしれない。
で、クリントノミクスは、今アメ民主の日本担当TPP営業してるナイさんとかがこういう論をぶって、
ソフトパワーに生産力を以降して、共和党ばりの緊急財政と景気回復を果たしたわけだな。
小泉竹中路線はどっちかってとクリントノミクスに近いと思われる。
小泉にとって構造改革は単純に「官から民へ」だったかもしれないが、竹中の頭にあったそれは
「ハードパワーからソフトパワーへ」というクリントノミクスをお手本にしたものかと思われる。
ちょうど竹中がアメリカにいた頃がそういう時代だ。
さて単なる元精密機械メーカーで一相場師のおれの見立てだと、ソフトパワーへの転向だけじゃ
もう経済は回復しないと思われる。
もちろんIT産業にならかの政府の施策をするのはよろしい。それこそすでに成熟産業の体を示して
いるのだから、竹中が大好きな規制緩和で自由競争させた方がいいかもしれない。
動画配信などは規制緩和で今のテレビ以上の利便を発揮することができるだろう。
イノベーションが起こるかもしれない。
まあこの場合既得権益となる新聞テレビ局が猛反発してくるだろうがな
竹中はまずここをやるべきじゃないだろうか。ミキティなんかも動画配信なんかやってたろ、って
ショウタイム買収したのか。
一方、アベノミクスは、時代の流れから事業として見捨てられていたハードパワーにも目を向ける。
参与に藤井聡が入っているのはその表れだろう。
しかしハードパワーは初期投資に大量のお金がかかる。「公共事業は悪」という庶民の固定観念もある。
ハードパワーを重視するというわけではなく、ハードパワーソフトパワーを融合した成長戦略は、
先のナイ教授も、最近意見が変わって、そう言ってたりする。
ハードパワーを育てることを、短絡的に「悪い公共事業」という固定観念によって
竹中のように「ただのカンフル剤」としてしか考えないとすれば、
「構造改革するためのただのカンフル剤」という認識であれば、
アベノミクスは失敗する。
それはカンフル剤であるのは間違いないが、それだけでは終わらせず、
時代から取り残された、株で言えば底値である、ハードパワーについての戦略を
安倍は打ち立てなければならない。
浜田宏一は公共事業反対派だが、藤井聡は公共事業派であり、藤井にがんばって
ほしいのだが、藤井は国土計画という面が専門のため、経済産業の俯瞰としての
ハードパワー・ソフトパワーという見方をして、ハードパワー戦略の一環として国土計画が
ある、という論陣にしてもらえば、アベノミクスの方向性が明確になるのではないだろうか。
竹中を新自由主義者の黒幕のように言う論があるが、まあ確かにおれもそう思うしいいんだが、
竹中が洗脳されているのは、民主党が産業構造改革して共和党のお株を奪う小さな政府化を
実現させた、クリントノミクスだと思われる。
アメリカでは新自由主義者は大体共和党に多いのだが、竹中は結構米民主党な人なのではないだろうか。
竹中の発言は、ところどころ細かいところに、ハードパワーに対する軽視が見られ、これは小泉時代から
彼の人格と言っていいレベルに、一貫していると思われる。
酔っ払ってるので日本語変でした
補正予算も復興用除く公共事業は2兆だし、ちゃんと選別してると思うぜ
国家と経済は別物で、国家が経済を操作することがあってはならない、というのが新自由主義の考えで、
一部正しい考え方だと思われる。
だがむしろ、経済の一局面が集団化固定化したのが国家だ、という考えもなりたたなくない。
農業をはじめることによって国ができた農本主義的考え方だが、これはこれで一理あるとおもわれる。
あくまで仮説というかこういう考え方もできるんじゃないかという話だが、
経済が国家を生んだとも言えないだろうか。
であれば、国家が経済に何かしらの影響を与えることはまるで問題ない。
むしろ国家がどう支配しようとしても、経済という自然現象は、完全には国家の手に落ちない。
人の自然な心は完全には国家と同一化しない。
しかし、ある程度の影響を与えることはできる。
ここでの自然は仏教的な意味であり、万物流転だが、すべてが無秩序で万物流転な世界でも、
人間はそれに影響を与えることはできる。
その結果、かりそめの秩序(のようなもの)を構築することもできる。