【政治】拉致問題は「9条あるから」 石原氏、街頭演説で
敗戦国ドイツと日本の相違(2)
ttp://blogs.yahoo.co.jp/sanko24bun/archive/2010/8/15 B 西ドイツはアデナウアー首相指導の下に、冷戦における西側陣営に積極的に参加することを通じて、
主権の完全回復と国際的地位の回復・向上を目指し、その中で長年のライバルだったフランスとの和解に努めた。
このように西ドイツ国家は49年に成立したが、その時点ではまだ完全な主権の回復を遂げてはいなかった。
ところが、50年6月における朝鮮戦争(注)の勃発により、ヨーロッパでは西ドイツが次の東西の“熱い戦争”の
標的にされるのではないかと西側諸国間で危惧されるようになった。アデナウアー首相はそこに西ドイツの
主権回復と国際的同権化への「大きなチャンス」を見いだした(Manfred Mai;「Deutsche Geschicte」、ドイツ史。
2003、Beltz & Gelberg)。
以上のような情勢の下で、西ドイツは51年4月にフランスとともに西欧6ヵ国(仏独伊とベネルックス3国)による
「欧州石炭鉄鋼共同体」(今日のEU=欧州連合の原初形態)設立条約に調印、52年5月には同じ6ヵ国による
「欧州防衛共同体」条約に調印。そして54年10月には米英仏を含む西側9ヵ国会議の「パリ条約」で西ドイツの
占領の終結と主権回復およびNATO(北大西洋条約機構)への加盟が承認された。
そして、55年5月にパリ条約が発効したことを見届けて、同6月に西ドイツは国防省を設置し、
56年7月には徴兵制を導入。こうしてドイツは西半分ながら敗戦後10年で通常の独立国家に戻った。
西ドイツ再軍備までの動き
ttp://nagoya.cool.ne.jp/lazyman/saigunnbi.html 再軍備への動き
再軍備を推し進めたのは、憲法制定会議議長から首相となったアデナウアーであった。彼は朝鮮戦争をきっかけに
防衛力整備(再軍備)の覚書をだした。しかし、国民の間に厭戦ムードがあり、すんなりとはいかなかった。
時期尚早とする人、大国アメリカ主導の軍備に反対する人、アデナウアーが主張した周辺諸国との集団的安全保障
を前提とした再軍備反対などさまざまな意見が交わされたが、 4年近い政争を経て、1954年3月基本法改正法案が
議会で成立した。
当初、アデナウアーは基本法改正に必要な3分の2以上の議員を確保できず、解釈変更で再軍備しようとした。
しかし、1953年9月の総選挙で与党連合が3分の2以上の議員を獲得したのを機会に、「基本法上疑念のない防衛力
を保有する」ことにした。また野党の指導者が、「防衛力の必要性は認める。ただし基本法を改正しないまま再軍備
するのは容認しない」との姿勢をとったことも大きかった。
徴兵制の意味
ttp://blogs.yahoo.co.jp/shigekisatojp/16765086.html ところで、私が今回の廃止論争で特に興味を深く思ったのは、徴兵制廃止に反対する人々の論調である。
意外にも、国防上・安全保障上の理由から反対論を展開している人が見当たらないのである。
反対論の一つ。これはCDUやCSUといった保守派(国防大臣のグーテンベルクはCSUの所属である)からの議論で、
「徴兵制は保守政党のアイデンティティである」というもの。徴兵制は、1956年、CDUのアデナウアー首相により、
国民からの強い反対論や平和運動に抗して導入された。保守派の政治家から見れば、「自分たちが導入した」
という意識が強いのだろうか。
もう一つ、これが興味深いのだが、徴兵制はドイツの民主主義にとって肝要なものであるという議論である。
これはおそらく、戦後ドイツ特有の考え方かもしれない。軍隊を軍国主義に結びつけ、それを民主主義と対立させて
考えがちな、私のような日本人的な考え方とは全く異なっている。
なぜ、徴兵制は民主主義にとって肝要なのか。曰く、もし徴兵制がなかったら、軍隊は市民社会と民主主義から
遊離した専門家集団になってしまう。「制服を着た市民」が存在することで、軍隊は市民社会一般との繋がりを
維持できる、というのである。
「徴兵制は民主主義の正統な子供である」と、徴兵制廃止に反対する人々は主張する。
それは、保守政党だけでなく、徴兵制が導入された頃にはそれに反対していたSPDの政治家のあいだにも共有
された意見のようである。
歴史通:2010年11月号
ttp://web-wac.co.jp/magazine/rekishi/201011r 緊急総力特集
尖閣列島!ならず者国家の侵略が始まった
■田母神俊雄×恵隆之介
犬のシッポ「沖縄」に振り回されていいのか
(略)
田母神
終戦から昭和五十年頃までは、アジア諸国から「いざとなったら日本は頑張る国」だと
認められてきたと思います。ところが昭和五十年をすぎた頃から、国際政治の場で
日本に起きることといえば、頭を下げてエヘヘと笑って誤魔化すということばかり。
今回の尖閣問題でも東南アジア諸国などでは、「日本はもう期待できない」と思っている。
思い出すのは、昭和五十二年九月二十八日に起きたダッカ・ハイジャック事件。
パリ発日本行きのJAL機がバングラデシュのダッカに強制着陸させられ、日本赤軍関係
の四人を開放しろと要求された。福田赳夫首相は、六人の日本赤軍を開放して十六億の
金をくれてやりました。「人命は地球より重い」という迷いごとを残したこの事件を、
北朝鮮が見ていた。一ヶ月半後の十一月十五日に横田めぐみさんが拉致された。
そして五十三年から、曽我さん、蓮池さんなど、拉致される人が増えてきた。
結果的に何百もの人が拉致されたと考えられます。つまり、ダッカ事件で人質百七十数名
の命を救った代わりのその倍以上の人が拉致されたわけです。
75 :
74:2012/12/13(木) 07:28:16.85 ID:iDAzN+Q/0
対照的だったのが西ドイツ。ダッカ事件の二週間後の十月十三日に、モロッコから
ドイツに向かうルフトハンザ機がドイツ赤軍にハイジャックされた。ドイツは交渉を
続ける一方で特殊部隊を送り込んで、犯人を射殺した。犠牲者が一人出たが、その代わり
というべきでしょう、北朝鮮による拉致被害者は一人。それも奪還したという。
テロに屈した日本と、テロと闘ったドイツ。差が出たというわけです。
恵
あの頃から、おかしくなってきたんですね。
【拉致問題】日朝首脳会談から10年 横田夫妻「日本はこんな国だったのでしょうか」「駄目でも続けてほしい」〔09/17〕
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1347813305/ −−北朝鮮は拉致を認めたが、その後、実質的な進展はない
滋さん「作家のクライン孝子さんから教えていただいたのですが、ドイツが東西に分かれていたころ、スパイが東ドイツに拉致される事件があると、
西ドイツはあらゆる手段を使って1年以内に解決を図ったそうです。日本は経済制裁を続けていますが、それだけでは事態は動かない気がします」
早紀江さん「政治家や政府の方々には、何度もお願いしています。自分の肉親が拉致されたらどうですか、と。生命の危険を考えてください。貧しくても、
何であっても、昔はしっかり考えていた。日本はこんな国だったのでしょうか。いろいろ考えて、手を尽くしていただきたいと思います」
【衆院選】青山繁晴氏「野田首相は拉致問題を総選挙に利用しようとしている。交渉相手は北朝鮮の工作機関。新政権の手足を縛る恐れ」
http://uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1354210941/ 青山繁晴
「はい。皆さん実は、何とこれも運命の一致なんですね。日曜日に集会をやった、大阪府八尾市の方なんです。
尾上民公乃さん。これはおそらく成人式の写真だと思いますが、まさしく成人になった、
大人になった時の20歳に、失踪になってるけどおそらく北朝鮮に誘拐された、
そして、そのお父様の、尾上支征さんが、僕の隣で、パネルディスカッションになってから、
さっきの写真思い出して下さい、壇上に並んだ、あれ実はですね、大阪ブルーリボンの会、一生懸命考えてくれたんですが、
やっぱり知れてる、横田さんと、有本さんを前に出して、この、尾上さんも含めた特定失踪者の方を、
後ろに、椅子が下げてあったんですよ。ね。で、それを、お願をしてですね、
お願いしたら一発で分かってくれましたが、前に出して、全部横一列に並んでいただいたんです。
で、その上で、尾上さんは、しっかり発言して下さった。
何とおっしゃったかというと、
『憲法を変えなきゃいけない、憲法を変えないと、民公乃は帰ってこない、
憲法を変えて、日本国が、北朝鮮や、その他の国と、対等にものを言える国にならないと、民公乃は帰ってこない』とおっしゃったんです。
ということは、民公乃さんだけが帰ればいいとお考えになってるんじゃなくて、
有本恵子ちゃんも横田めぐみちゃんも、そしてまだ、政府に認定されてない全ての方々も含めて、
全てを取り返すためには、国のあり方を変えなきゃいけない。
逆に言うとそれが変わると、必ず帰ってくるという、実は希望を語られた。
憲法についてたくさんのご意見あると思います。今までこの憲法が一番ベストだと思ってた方、も含めて、
どうぞ、この私たち、同じ立場の、同じこの国の、日本国の主人公を取り返すためには、
何が必要かっていうことを、総選挙に向けて考えていただきたいんです。