【福井】 継体天皇が奈良に遷都した日を祝い、福井県越前市で伝統神事「迹王(どお)の餅」 男衆が唄うたい餅集めて練り歩く
1 :
丑原慎太郎φ ★:
2 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:32:17.78 ID:ORVB+QLU0
2
論争開始
丑
磐余玉穂宮のことか?
奈良と言っても桜井の方だけど
6 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:45:17.89 ID:vO+TLgC80
その奈良はなんもなしじゃないか?ww
あったかなあ??www
餅が俺の狙いだ
8 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:47:26.42 ID:SmiHpIah0
名は体を表すと、よく言うたもんで、
継体天皇は、河内王朝とはなんの関係もないのな。
体を継ぐ・・・・。他から来たと名乗っているようなもんやね。
新羅を追われた貧民が、海を渡って倭王になった伝説がある
まぁ、日本の中心は、
名古屋だったわけだが。
11 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:52:38.51 ID:TO0yXi7m0
>>9 勝手に伝説を捏造するなよ、嘘つきチョン
そもそも、前期はもちろん、後期新羅でさえ、おまえらチョンとは赤の他人だぞ。
12 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:54:30.89 ID:F2Q+KY1K0
>>8 河内王朝は、巨大な権力を持っていたようだが、
継体天皇になってからは、大和に入れなかったように、
政権基盤が希薄だったんだね。
13 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:55:21.63 ID:XrHcNz7XO
百済人だろ
藤原氏なんかは百済人の血を引いているとか
14 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:56:45.84 ID:Jtg8Cq+70
オオオオォォォォォォ
粟田部出身のオイラが来ましたよー
(;´Д`)ナツカシス
15 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:57:25.01 ID:hKVsXFE00
>>9 扶余の王が倭へ渡って王になった話なら知ってる
16 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:57:54.99 ID:ADxdAwBa0
足羽山にけいたいてんのういるよね
17 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 15:59:03.18 ID:ucN+5nSY0
>>13 弥生人になぜ一重醤油顔が多いか?
渡来人がたくさん来たから
なので古代から朝鮮系は、たくさんいたのだ
18 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:02:10.60 ID:ucN+5nSY0
目が一重で、醤油顔で、チンポが小さい男は
先祖に朝鮮人がいたと考えられる
19 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:04:51.26 ID:WEJxWhad0
カニ食いてぇ。
間人ガニ。
でも俺通風だからカニ食えねぇ。しょぼん
20 :
【関電 56.5 %】 忍法帖【Lv=33,xxxPT】(1+0:5) :2012/10/14(日) 16:05:21.17 ID:P0bxCxxC0
>一軒あたり約200個の餅をもらい
強要罪だな
21 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:10:59.15 ID:dZtq9WmCO
一軒あたり餅を200個
十五軒から餅を3000個
22 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:11:17.91 ID:IZXN0z+CO
そもそも「天皇」なんて地位は、この頃にあったんだろうか?
藤原氏は大陸系
蘇我などは死後に動物の漢字をあてられて
滅ぼされても尚辱めを今でも受けている
24 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:17:36.24 ID:a03TTcBs0
>>23 馬子とか、蝦夷とか、
入鹿とか、
馬とか、蝦とか、鹿とか、
海豚とか、とんでもない名前にされているからな。
25 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:26:41.61 ID:bQe9HK/u0
もとからいたのも
イギリスから来たのも
アフリカで拉致されて奴隷として連れて来られたのも
今ではみーんなアメリカ人
26 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:30:58.06 ID:ORZspFY3O
仮に、ある民族が他民族の国に攻めいって王位を簒奪したとしよう。
歴史書でその事を、
「王位についた彼は皆から蔑まれ、たいした事績も残せませんでした」
なんて酷い書き方されると思うか?
「どこの馬の骨」でもいいのであれば、力のある豪族が最有力候補になるはずで、
力の無い地方豪族をわざわざ探して跡継ぎをお願いするというのは、
彼に「正統性」だけはあったという事に他ならない。
27 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:32:34.53 ID:IZXN0z+CO
悪いことは全部、蘇我氏だけど
厩戸皇子は普通に天皇で蘇我氏だよなぁ
蘇我馬子がいて厩戸皇子がいたわけだろ?
倭がヤマトと呼ばれ始めて
厩戸皇子の子供が山背大兄王
何となく山戸の由来がわかるよね
「厩」「戸」と「山」「背」の皇子でさ
>>27 なぜその親子から名前を取らないといけなかったのかが
問題だな。
29 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:47:05.74 ID:TO0yXi7m0
>>13 >>14 渡来人≠朝鮮人
便宜的に弥生人と呼ばれている人たちは南方稲作海洋系の民族であり、北方狩猟石器文化の朝鮮人とは何の関係もない。
○朝鮮人がシベリアから半島へ流入してきたのは、早くても中世以降。
もう、朝鮮人の嘘は通用しないので、つまらない書き込みはするな。
30 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:47:39.36 ID:a03TTcBs0
なぜ、蘇我氏の皇子を、
蘇我氏が滅ぼしたことにされたのかもなぞなんだよな。
31 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:50:15.93 ID:D8mCzIVz0
"継体"天皇の名前を捉えて正統性を言うのなら、"持統天皇"にも触れないと片手落ち
32 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:50:25.39 ID:IZXN0z+CO
普通に山戸皇子が居たんだろうな
継体征服王朝
34 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 16:58:52.84 ID:eIMlqAW90
のちの源氏の「五世の孫」ブームのルーツの人w
嫁は皇室からもらってるから、子の安閑天皇は
「女系天皇」なんだよな
35 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 17:03:04.69 ID:rAQSwU9K0
>>26 『日本書紀』によれば継体は応神天皇5世の孫(曾孫の孫)で父は彦主人王、母は垂仁天皇7世孫の振媛(ふりひめ)である。
ただし、応神から継体に至る中間4代の系譜について『記紀』では省略されており、
辛うじて鎌倉時代の『釈日本紀』に引用された『上宮記』逸文という史料によって知ることが出来る。
これによると、男子の直系は
凡牟都和希王(ほむたわけのおおきみ・応神天皇) ─ 若野毛二俣王 ─ 大郎子(一名意富富等王) ─ 乎非王 ─ ?斯王(=彦主人王) ─ 乎富等大公王(=継体天皇)
とされる。
ちなみに、「若野毛二俣王」 から「大郎子」、「乎非王」らは、名前も生没年も不明の人物だ。
王朝の正統性なんて、王権を簒奪した者が、後からでっち上げるのが常識だろう?
36 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 17:06:19.18 ID:IZXN0z+CO
もともと王朝があったのかも怪しいな
いくつかの「王」や「君」が乱立していて
空位になったのを頂いちゃいましたとかが真相じゃないかな
37 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 17:06:24.72 ID:bNVOXHaB0
屈強な男衆がおけを担いで唄を歌いながら集落を練り歩く。
38 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 17:08:00.08 ID:TGskZjlIP
39 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 17:13:46.72 ID:Wp2LZuY+O
>>1 王家だ王家。ウヨなんぞ神武から天皇を名乗ってたとか信じとるからな。
何が王家が皇室を侮辱とか意味不明なことを言ってんだか。未だにさっぱり理解できんわ。別に中国にへりくだって王家としたわけでも何でもないのに不思議としか言いようがない。
40 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 17:17:44.94 ID:ORZspFY3O
>>35 正史ではその正統性を「省略」されだんだろ?
お前自分の言ってる事と矛盾してるぞ。
さらに「中央勢力にどこの馬の骨と蔑まれて都にも入れなかったショボイ天皇」
にしか見えないような酷い扱いを受けている。
王位を簒奪した者が自分の正統性を省略し、自分を貶めるというのはあり得ない。
正統性を云々しないといけないような大きな変化の無い、
普通の継承だったという事。
>>27 雄略天皇が150年も前に大和と詠んでるがな。
蘇我のお陰で聖徳太子がいた事に異論はないが
蘇我を抑えるために推古天皇とデュアルで政務に
当たっていた。山背を滅ぼしたのは入鹿。
42 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 17:26:07.49 ID:/sQOu5NI0
蘇我悪玉論は藤原が捏造した説が最近は有力なのか?
天智天皇は藤原派
天武天皇は蘇我派の復権
持統天皇は藤原派の巻き返し ←記紀の成立はこの頃
とか
この時代の事をあれこれ想像するのは面白いな。
>>34 ?
継体天皇が女系じゃないなら
その子供は普通に男系じゃないの?
44 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 18:07:20.81 ID:IZXN0z+CO
>>41 そこでヤマトタケルですよ
雄略天皇のワカタケルとヤマトを足して割ったら
ヤマトタケルになる
突然に人代の時代に現れる神話的な人物
時系列をいじくるためにアリバイを作らなければならない
やり過ぎてタケルの名はクマソから貰ったとか
倭王武でヤマトタケルのキミと読めちゃう
45 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 18:12:46.71 ID:6b1v/o9j0
天皇は皇帝でもなければ王でもない。日本独自の統治システム。
少なくとも1500年続いた柔軟性ある優れた統治システム。
天皇は英語でもTennouと表記すればいいだけのこと。
天皇制支持だが、俺はウヨもサヨも嫌い。
日本書紀の通りだろ。
世継ぎピンチで、田舎に住んでた男系男子を担ぎ出した。それだけ。
否定する材料が無い以上、穿った見方をせず素直に読めば良い。
今や記紀の正しさが実証されつつある。
47 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 18:33:44.77 ID:MheGFLsb0
大室寅之祐のひ孫が今の天皇(大室明仁)
48 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 18:38:43.69 ID:fSGSafQJ0
実のひ孫なら天皇になれんだろ
大室は一代名跡だよ
>>8 他所から来たのはその通りだが、何の関係もないのなら、
軍事衝突が起こってるはず。
同じ皇族による政権の継承という意識はあっただろう。だから継体。
50 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 18:49:40.66 ID:IG5rmn8vO
万世一系が嘘なのは福井県民には常識
>>34 あほかw安閑は確か皇女の皇子じゃないだろw
52 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 18:51:14.45 ID:DPpEBUgE0
奈良は朝鮮の言葉なんだよね
>>8 体、つまり国体を継げるのは同族なればこそだ
そうそう。安閑天皇の母は尾張氏の出身で、
それじゃ天皇の血をどこから継いでいるのかと言えば継体だ。
そもそも継体天皇が天皇なんだから男系なんだよw
55 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 18:56:15.97 ID:Jc7ulyPy0
継体天皇は偽天皇です。何とか言う神社の何とか言う古鏡に「男弟」と書いてあります。
当時、仁賢天皇の娘の手白香皇女が女性天皇で継体天皇は単なる婿殿です。
>>55 男弟って卑弥呼のか?
取りあえず無関係なw
57 :
(´-`).。o山中狂人 ◆abcDBRIxrA :2012/10/14(日) 18:59:58.71 ID:JEHOoO3p0
>>1 歴史上、実在を認められた最古の天皇は第15代応神天皇。
その両親は、いまだ実在を認められていない。
また継体天皇が、応神天皇の子孫かどうかについても論争中。
ただし継体の子、欽明天皇の母は応神天皇の子孫。女系天皇。
神話、伝説は歴史ではない。区別して扱うこと。
<これ、豆知識な
∧_∧___
∬ (・∀・ ) / |
■⊂ へ ∩./...|
i'''(_) i'''i ̄,,,,,,/
 ̄ (_)|| ̄ ̄
58 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 19:02:09.95 ID:MheGFLsb0
継体が応神五世孫って記紀の記述を信じる人は、同じ記紀の武烈暴虐話を否定したがる
継体が簒奪者だったから前王の暴虐話を創作したと考えるのが自然だが
>>54 尾張連草香(くさか)の娘、目子(めのこ)姫ね
目子姫が生んだ2人が皇位につけてる以上、
婿入り説は成り立たないねw
世界最古だの万世一系だの言うけど、
ヨーロッパの場合、庶子には相続権がないので、王の息子であっても王になれず、
3、4代もたったら、お家断絶してしまうだけ
で、そうなったら、女系や傍系があとを次いで、家門名が変わるから途切れたように見えるだけ
日本の場合、側室の子でもあとを告げるし、傍系があとを継いでも家門名がかわらないから、続いているだけ
天皇家だって、ヨーロッパ風の数え方をすると、江戸時代の光格天皇からになってしまって、まだ300年いっていないし、
大正天皇は側室の子だから、側室を認めないヨーロッパからしたら、まだ、100年経ってない
ヨーロッパだって、イギリスもなんだかんだといってもウィリアム征服王から続いているし、
征服と言ったら、なんか前王朝を滅ぼしたように見えるけど、妻がイングランドの王族だった
スペインも遡ったら、西ゴート王国まで行く
だいたい、ヨーロッパの王様は、先祖を遡ったら、ユーグ・カペーやらシャルル・マーニュにまで行くし、
古代ローマやらビザンチン帝国やらとも繋がっているし、神話につながる王家だってあるんだ
>>57 >その両親は、いまだ実在を認められていない。
いや、親は実在するだろとw
63 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 19:15:02.66 ID:ORZspFY3O
>>58 殷の紂王と周の武王のような前王暴虐話は、
簒奪者の善政話と必ずセットでなきゃ意味が無い。
継体は善政どころか政権掌握すら苦労している。
遺伝的連続性がないのはここだけじゃねえだろ
5代か6代も離れてると認めてるわけだが平将門や源義家と同じだぞ
>>60 「進歩的」皇国史観にとって都合が悪いというだけででっち上げられた「定説」だからな
記紀の記述をすべて否定しまくれば日本列島に生を受けた瞬間から支配者だったとか実は半島から渡ってきたとか、妄想しまくれるからな
65 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 19:17:46.20 ID:qjyRrnKI0
>>1 丑臭ぇと思ったら案の定。
だけど、継体天皇もキチンと万世一系だよ。
継体天皇って降下してる人だったんじゃないの
簒奪だと神天皇になってんじゃね
と思うわさ
67 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 19:21:30.10 ID:ccir70FY0
>>9 その言い方はおかしいだろw
そもそも貧民じゃねぇーし、逆に新羅の王様になってるじゃんww
ってか下朝鮮は、その時代は倭国の従属じゃんw
越は蘇我以来の実力者。
68 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 19:22:06.68 ID:m3zSmOum0
イギリスの王室が断絶して、ドイツから招かれた王様を起源にしてるのは、有名だよ。
第二次世界大戦では、ドイツ名の王朝名を嫌って改名してる。嘘も大概にしとけよ。w
69 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 19:22:10.11 ID:7sd6bHsJ0
>>58 え?
全然否定しませんよ?
逆に何で否定すると思い込んでるの?w
70 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 19:32:53.17 ID:ORZspFY3O
>>61 現存する王家はどういう数え方しても天皇の一族よりは短いじゃん。
何が言いたいのか分からん。
71 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 19:33:00.30 ID:IZXN0z+CO
何て言うかな
文字がないころ普及してないころのほうが
人と人の掛け合わせにこだわってというか
それしか文化や文明の共有化の手段がなかったから
むしろ嘘は少ないと思うよ
王族、豪族はみんなトップブリーダーだった
応神なんか人魔法で生まれた人魔の子そのものだし
むしろ文字やそれに付随して仏教が導入された
蘇我氏や厩戸皇子の時代にこそ
大きな改変や嘘が紛れこんで
さらに大化の改新を経て
いろいろな思惑が入ってくるんだな
特に人命とかに
命名とはまさにその通りでさ
継体にしてもそうだけど
オホドを後々の人が継体にしてるわけで
記紀の「命」といっていい
「みことのり」は命だと
72 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 19:49:32.02 ID:KDD/mhDl0
ケータイ家族は女系です。
◯◯入彦にゃんはほとんど大和の皇女の婿殿です。
>>62 いや、そもそも応神天皇があやふやなんだけど。まあ神功皇后が
石を抱いて出産を遅らせたのを信じれる人は別だと思うが。
>>73 >そもそも応神天皇があやふや
応神天皇は伽耶出身だろ。神功皇后の朝鮮征伐から帰って出産したの記述が
ヒントになってる。まぁ、天皇家の万世一系は継体天皇からだよ。
「継」の字にヒントがある。日本書紀は案外正直だよ。
75 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 20:37:41.04 ID:9nyyD2brO
個人的に記紀の記述が信用できない最大の理由は尾張氏の存在なんだよな。
継体天皇を支援したのも天武天皇を支持したのも尾張氏で
一方で巻向遺跡から出土する土器で他地域の物で最も多いのは尾張伊勢の土器なのに
記紀では尾張氏の記述がほとんどない。
記紀の記述がある程度信用に足る内容なのは否定しないしその通りだと思うけど
鵜呑みにして歴史を論じるのは論外だと思う。
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>>68 女系ありで考えてウィリアム1世まで戻ってもせいぜい平安時代中ごろだから天皇家には遠く及ばないのよ、
それより古いデンマーク王家でもやっと奈良時代だからはっきり実在性がわかってる飛鳥時代の天皇から数えても
現存君主では一番古いわけで。
78 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 21:22:05.69 ID:IZXN0z+CO
>>75 フムフム
確かに
神武もわざわざ紀伊半島ルートから来るしね
ヤマトタケルが東征の際に携帯した草薙剣こと
天叢雲剣は紆余曲折の後に熱田神宮へ奉納
あれ?あれはもともとスサノオが所有してたんだよね?
ヤマタノオロチを倒してさ
なぜに伊勢神宮から熱田神宮へと
おっしゃる通り、なぜ尾張方面なのか毎回スルーですね
>>73 そう言いながら、仲哀天皇の崩御から出産まで長いって記述自体は信じるんだね?
それって矛盾してない?
80 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 21:46:30.85 ID:/sQOu5NI0
>>75 尾張氏は蘇我氏と近く、記紀編纂を主導した藤原にとって
記述したくない存在。
とかいう本を読んだw
81 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 21:54:27.21 ID:E+qJGAsD0
一般論で言えば、武烈天皇のハチャメチャぶりに反抗した田舎の豪族。
座して死を待つよりも戦って死のう、
と思って戦ったら、なぜか自分が勝ってしまった。
でも自分が天皇に即位したとたん九州で磐井の乱が起こったりして
心中複雑だっただろう。
>>1 継体日王は韓民族の血をひく人だから
韓半島と行き来しやすい東海に面した福井を拠点にしていたんだよな
ホツマは真偽こそ不確かだが、
当時のヤマトへは、日本各地との婚姻政策で、人の出入りが多かったのは確かだろう。
(アマテルは富士宮の出身)
84 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 22:00:31.39 ID:E+qJGAsD0
>>82 それが正しいとすると朝鮮半島は日本の領土。
朝鮮人は地球から出て行けーww
>>80 ホツマは、エミシ神話をヤマト神話に無理やり改変したものかもしれない。
エミシ奴隷が導入された地域では、豪族の立場は複雑だったと思われ。
尾張は元から豊かだったので、エミシ奴隷の需要は少なかったが、
伊勢神宮へ奴隷を送る配送センターでもあった。
>>81 別に反抗してない
白羽の矢が立ったのは死後だ
88 :
名無しさん@13周年:2012/10/14(日) 22:49:53.06 ID:AX1cBzVs0
>>27 ヤマ→陸、内陸、山
ト→人が集まるところ、集落、村、国
元々は固有名詞ではなくて、都市を表す一般的な言葉
水辺、海岸にできた町は、ヤマトの反対でミナトと言う
>>85 そいや日向三代の話は、奴隷として連れてこられた
ハヤトの人たちの神話を取り込んだものだって、
宗像教授が言ってたな。
>>86 >白羽の矢が立ったのは死後
それも大分経ってからな。武内宿禰という帰化人の元締めみたいな
伝説上の人物が連れてきたんだから。
92 :
名無しさん@13周年:2012/10/15(月) 06:45:50.49 ID:65+2al5m0
チョン天皇
93 :
名無しさん@13周年:2012/10/15(月) 07:10:57.74 ID:syMe1nUQO
>>88 問題はそこなんです
一般名詞から人名になり
これが国号になるかならないか
これで何か大きな揉め事になったんではと
地名から高貴な人の名になる
それが身分を現すとなると
もう一つの身分の高い人が怒る
そういう意味でのヤマトの由来で
これはわりと遅い時期の話ではと
その後の記紀で、日本書記では
日本と書いてヤマトと読まそう必死なんですわ
特に天皇の名前としてですよ
事情がありますと語るに落ちてる
>>93 お前の主観はどうでも良いw
とりあえず記紀から読みなおして来いやww
95 :
名無しさん@13周年:2012/10/15(月) 11:09:19.96 ID:syMe1nUQO
ウィルスの書き込みに変わったか
平将門ぐらいの血縁だからな。
>>91 仕えた天皇が言うほど長命じゃなかった場合、普通の寿命になるよ
林家正蔵も長生きだぜ。
市川染五郎も
木村庄之助も
www
>>97 いや、そういう話じゃなくて、仁徳は第16代、継体は第26代だと言いたい。
一代10年でも100年かかるわw
>>93 言われて見れば、「日本、此を耶麻謄と云ふ」(書紀・神代巻)ってのは
奇異だよな。
とにかく「Yamato」という音(音読みの『おん』ではなく、発音の意)に
こだわっていたんだな。
>>101 ううむ、なんか話が噛み合ってない。
「ヤマト」という発音を「耶麻謄」と表記するのは別にいいのよ。
書紀の言ってるのは、
「日本」という漢字で表記された国のことを「ヤマト」と呼びますよ。
ということだよね。
>>99 允恭紀に墓の記述のある人物が、継体朝に生きてる筈がない。
継体天皇を探し出し、迎えた中心人物は大連大伴金村であって、
武内宿禰は継体紀には登場しない。
>>102 春日と書いて「かすが」と読み、長谷と書いて「はつせ」と読む。
日本語にはこういうのが多い。
>>104 「春日(かすが)」とか「飛鳥(あすか)」は枕詞起源だよね。
長谷は知らんかったけど、これも「ながたにの泊瀬」で枕詞なのか。
一方、「ヤマト」に掛かるのは「しきしま」とか「あきつしま」とかで、
日本は出てこない。
>>105 万葉集に、「日の本のやまとの國」とある。
107 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 21:51:56.18 ID:e+6ThuW3O
でも結局は日本をヤマトと誰も読まなかった
最初の出典元の日本書記ですら
誰もヤマト書記なんて読まない
ここが他のやまとことばと原則的に外れてんだよな
>>106 おお、そんな歌があるのか。
書紀の記述も枕詞由来ってことなんかな?
>>107 あ、リロードしてなかったw
たしかに謎だよね。
「ニッポン(ニホン)」と「ヤマト」に分化しちゃった。
110 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 22:01:25.14 ID:e+6ThuW3O
日の本の和訓読みが後なんだよな
わざわざ、やまとことばに言い直してる
「やまと」自体のやまとことばは「大和」のほうに集約されてく
これが「飛鳥」や「春日」の仲間だな
日本で「やまと」は全くもって異質になってる
日本書記すらヤマト書記て誰も読まないだぜ?
出典元なのに
みんな「何かヘン」て思ってたんだな
>>110 日本書紀の元来の読み方は「やまとふみ」だってのが定説じゃないのか?
113 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 22:27:07.42 ID:CuW8W/Cp0
中国の影響を受けた古代日本の風習排除傾向の強い大宝律令でさえも
そもそも天皇は、天照大神が地上に現れた姿、と規定されていて
「明神と御宇らす日本の天皇」(大宝律令『公式令』)、
つまりたった一つしかない天照大神の霊が、歴代天皇という依り代に宿って
姿を 現したのが皇統の実態であり、万世一系なのではなく「万世一帝」と
言うべきもの。
114 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 22:31:42.55 ID:e+6ThuW3O
結局、日本をヤマトと読まない
播磨ならはりま
浪花ならなにわ
河内ならかわち
語源として定着しなかった
ここが言いたい
いかん、混乱してきた。
>>110 たしかに「ひのもと」という訓みは新しい気がする。
日本を「ヤマト」と呼ぶことを忘れた頃に、字面だけを見て
訓んだんだろなと。
>>111 「日下(くさか)」も変だよな。
「日下を玖沙訶と謂ひ」(古事記)
だいたい、橋本さん・橋下さんみたいに、本と下とは互換なんだが、
なんで日本がヤマトで日下がクサカやねん。
ん〜「邪馬台」からヤマト、じゃないの?
117 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 22:55:50.23 ID:e+6ThuW3O
なぜか日本書記が邪馬台国について追求しないからな
邪馬台は日本でヤマトです
と、編纂者の漢人すら思わなかったらしいね
>>113 折口信夫の天皇観がそうだよね。
大嘗祭の時に皇太子は先帝の遺骸と同衾して、「魂」を引き継ぐらしい。
つまり肉体は代替わりしても魂は同一なんだと。
>>112 古事記は「ふることふみ」だけど、日本書紀の「紀」は紀伝体の
ことな気がする。
>>116 そこは何となく頷けるじゃん。
「日本(やまと)」くんって、「希星(きらら)」さんよりも謎だぞw
>>118 根拠ないけど、邪馬台国から出奔した誰かが大和を築き、新しく国号をつけてみたものの、邪馬台国への郷愁捨てがたく、読みが残っちゃったっていうのは?
>>114 むしろ逆で、ヤマトタケルノミコトを日本武尊と書くように、
「やまと」という言葉に「日本」という字を当てた。
語源は「日の本のやまと」であろう。
「飛ぶ鳥のあすか」の「飛鳥」が、文字通り飛ぶ鳥の意であり、
「長谷のはつせ」の「長谷」が長い谷のことであるなど、具体的な事物を表しているように、
「日の本のやまと」の「日の本」も、「日」の「本」という、具体的な事象を指す一般名詞であろう。
121 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 23:13:06.58 ID:e+6ThuW3O
>>120 それだと肝心の「やまと」の意がどこへ行くのか
多分、本来は「やま」のことだろう
さらに「倭」を以って「ヤマト」とも読ませてる
122 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 23:19:08.56 ID:ulYQzUlk0
この記者、継体天皇をやたら推してるけど
旧宮家を復活させてでも男系皇統を維持すべきという主張なのかな
>>119と
>>120の前半
そういうことなんだろうなあ。
ご先祖さまたちにとっては、「俺らの国はヤマトなんじゃ」というのが
先にあって、それをどういう文字で表記するのかは、けっこうどうでも
良かったと。
>>120の後半
枕詞起源説は、どうもしっくり来ないんだよね。
日本の起源が「日出づる国の天子…」だとすると特に。
>>121 「倭」と表記したのは大陸の人らだから、そこは良いんじゃないかな。
倭人もその表記を受け入れて、「倭」を「ヤマト」と呼んだと。
そのうち「『倭』はイメージ悪いから『和』にしましょ」って流れで
「大和(ヤマト)」になるまでの流れはなんとなく納得できる。
問題は「日本(ヤマト)」だよな。
124 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 23:22:34.18 ID:e+6ThuW3O
もっと話たいけど寝ないとな
稲荷山と伊奈利山で話がしたいんだけど(たぶん、これがヤマト)
週末までこのスレあるかなぁ?
125 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 23:23:30.05 ID:ILlA7JaU0
>>124 おお、興味深いな。
たぶんこのスレはそのうち落ちるだろうけど、
またどっかの日本史スレでまた…。
127 :
名無しさん@13周年:2012/10/16(火) 23:27:17.15 ID:CjrBVALA0
>>120 大和は倭(ヤマト)に大をくっつけて大倭となり倭の文字を忌み嫌って和に変えたんだよ。
日本は桓武朝廷時代の相当新しい言葉の筈だが・・・
>>127 日本書紀も日本武尊もそれより遥かに前なんだが
>>88 山巷←一字で書いてヤマトと読むのがいいのか
131 :
名無しさん@13周年:2012/10/17(水) 01:56:20.98 ID:5z4k2t/S0
>>122 明治時代に皇室典範を作ることになり、元老院の「国憲案」は女系女性容認論。
なぜ明治初期、宮内庁や元老院の専門家・政治家たちの草案で、女系女帝容認が
多数派だったのか? それは当時の価値観として男子至上主義や男系万世一系
という価値観自体が有力には存在していなかったから。
倭は白村江で負けてから扶桑に閉じこもってしまっま
>>122 天皇になれるのは、天皇の男系5世の子孫までって主張かもしれんぞ
旧宮家もダメだし女系は当然ダメだから、つまり、今のままでいいってことだろう
それで後が続くかどうかは、それこそ天意であって、我々がとやかく言う問題じゃないと
こういう密かな思いかもな
134 :
名無しさん@13周年:2012/10/17(水) 02:15:54.85 ID:5z4k2t/S0
>>127 「邪摩堆に都する、すなわち『魏志』のいわゆる邪馬臺」『隋書倭国伝』
「國國有市、交易有無、使大倭監之」 『魏志倭人伝』
135 :
名無しさん@13周年:2012/10/17(水) 02:23:59.07 ID:tpoEH/Yy0
越前、岡太神社の「迹王の餅」奉納といえば
(中略)
仕舞ってあるんだぜ
>>133 >天皇になれるのは、天皇の男系5世の子孫まで
これ、自分の家系に置き換えてみれば分かるけど、
実際には「赤の他人」です、という事を婉曲に表現しただけでは(´・ω・`)?
陸奥 ムツ
とかも面白い
百済 もクダラでいいんやね。朝鮮読みとか実体と違うんだろうな。
鍛え抜かれた雄どもがふんどし姿で練り歩く祭りじゃないのか・・・
>>136 「天皇の男系5世の子孫が継いだ」って読むのが一番素直だろ
>>136 昔の婚姻ってこんがらがってる印象があるからなあ…
今とはかなり変わってると思うよ?
明治天皇のやしゃごにあたる人が、
日本の考古学者はみんな左翼で神話を否定する為に考古学をやっている。
卑弥呼なんて外国の書物に出てくるだけの人間。
古代日本にあったただの小国の代表者だから教科書に載せなくて良い。
卑弥呼や邪馬台国を研究したり公けにするのは、左翼の工作である
のような趣旨を主張してるっていうのは本当でしょうか?
>>141 その是非はともかく、卑弥呼が
「古代日本にあったただの小国の代表者」だった可能性は、
無きにしも有らずだよ。
>>142 そうなんですか。
その可能性はどのくらいなのでしょうか?
144 :
名無しさん@13周年:2012/10/17(水) 21:17:05.30 ID:8RpX4WAtO
邪馬台国論争はスレ違いだから手短に書くけど文献的にも考古的にも所謂大和王権とイコールで間違いないよ。
金印が発掘されない限り終わらない論争だけど。
しかも記紀の記述と矛盾するわけでもない。
>>144 もうちょっと物証がほしいなあとは思います。
箔を付けるために借用している可能性もなくはないし。
146 :
名無しさん@13周年:2012/10/17(水) 22:14:20.46 ID:gF/rSnzN0
>>23-24 蝦夷と入鹿だけなら分かるが、蘇我馬子は新政権で大臣になった石川麻呂のお祖父ちゃん
なんだから、辱めの名前の訳ないじゃん。馬子の子孫で天皇になった人もいたはずだぞ。
牛は毎度この関係のスレ立てるなwww
本当に朝鮮人と同じメンタリティwww
>>144 >記紀の記述と矛盾するわけでもない
そりゃ単に「時期的には矛盾しない」というだけ。
「大和王権とイコールで間違いない」と言い切れる確証なんて
未だにどこにも無いよ。
>>144 それに時期的な事すら怪しいしな。
最初、箸墓が卑弥呼の墓だと言ってたのが、時期的に怪しいと指摘されると
いつの間にかトヨの墓という事にしたし。
何か好い加減だな、と思ったよ(´・ω・`)
邪馬台国の後継が大和朝廷だよ
ついでに言えば、大和王権などと言うものは存在しない
日本にあったのは大和朝廷
151 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 00:25:30.18 ID:KIJu+1Gu0
>>148 >>149 幼稚な言い草からすると明治天皇の玄孫かい?
放射性炭素年代測定と年輪年代学の論文でも読めよw
放射性炭素年代測定ねぇ・・・
これ自体が怪しいと言われてるんだけど。
そんな事も知らないのか(´・ω・`)?
153 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 00:37:39.79 ID:2TGq81NG0
>>148 >「大和王権とイコールで間違いない」と言い切れる確証なんて未だにどこにも無いよ。
そりゃそうだが、そもそもヤマタイ国って呼び方自体が本居頼長が故意に読み替えたもので
ヤマトと読めるんじゃなかったっけ?
>>150 王権とか朝廷とかはどうでもよい。
元々この国は大王号を使っていたんだから。
むしろ怪しいのは年輪年代。
C14の誤差は正規分布することが期待されるけど、
年輪年代は可能性としての最も古い伐採年代しかわからん。
「これは樹皮だ」という見立てが仮に正しいとしても、
伐採してから寝かしていた、あるいは別の建物から再利用した
可能性は、原理的に否定できないのだ。
>>153 >ヤマトと読めるんじゃなかったっけ?
ヤマトという地名は九州を含む日本各地にあるから、それが証拠にはならんよ。
156 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 00:46:28.94 ID:iBntwxo9O
邪馬台国の位置は永遠に解らないと思う
新魏倭王印の発掘は望めないからだ
通常、印は朝廷交代で返還されるのが常
考古学的にはマキムクと大和政権の繋がりを探るのが重要だと思うぞ
邪馬台国比定は九州説は遺跡的に厳しいだろうからマキムクを調べあげて浮き彫りにしてみたらいい
158 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 02:21:14.46 ID:2TGq81NG0
>>157 (目が)一重のしょうゆ顔じゃないか?
と、二重ソース顔の俺が言ってみる。
159 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 20:16:11.11 ID:GqnAREcG0
>142
卑弥呼はあくまで親魏「倭王」であって
「倭(委)奴国王」にも「倭国王」にも叙されていないんだよね。
「倭国王」位は大きいが
「倭王」は同時に何人いても構わない称号だった可能性が高い。
地方政権なのは見えてたが、
朝貢して来てムゲに追い返すのも何だから、
金印は出すが「倭国王」には叙さないという
折衷案で遇した気がする。
160 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 20:24:28.85 ID:HMp6OgHtO
考古学者の多くが畿内説に拠る最大の理由は土器編年の成果だよ。
年輪年代法や放射性炭素測定法は土器編年の補完に過ぎない。
九州説は土器編年に対する批判がされない以上畿内説を否定できないと言うことになる。
>>156 基本的には少なくとも畿内説が学界の主流になっているのは否定できない。
逆に今は畿内説か畿内否定説の二つしかないと言える。
161 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 20:37:05.82 ID:fV3AX0sa0
162 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 20:40:15.11 ID:GqnAREcG0
畿内説派が抜けてるのは
邪馬台国=当時の列島を代表する政権
と決め込んでる点。
畿内の勢力が当時どれだけ列島中部で覇を唱えていても、
いやむしろ覇権を握っていたならなおさら、
それが魏に朝貢した邪馬台国と考える根拠にならない。
邪馬台国=魏に朝貢し援軍を請うた弱小国
なのだ。
163 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 21:10:56.06 ID:sHoArFzt0
そもそもネトウヨやネトウヨ親爺がしがみ付く九州説の発端は、本居宣長が
「偉大な天皇がおわす日本が中国に朝貢なんぞすてたはずがない! 」
という思い込みで、
「邪馬台国は九州の小国で卑弥呼は酋長だ!大和朝廷とは 関係ない!!!!!」と
強弁したことに始まるんだよね
ちょん髷時代だから許されたただの願望優先の説だからさ
164 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 21:20:47.55 ID:sHoArFzt0
邪馬台国と同時代とされる崇神・垂仁・景行天皇周りの記述は関連する遺跡や古墳
神社も多く残っているから、根拠も無くネトウヨ親爺が全くの虚構したがるのは無学
過ぎるんだよね
天照大神のモデルと言われる卑弥呼と直に皇統を結びたくても結べないから
色々苦心して記紀も編集してるもんね
165 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 21:23:01.53 ID:kiKmrxr/0
黒電話天皇→ケータイ天皇→スマホ天皇→タブレット天皇
166 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 21:25:42.40 ID:GqnAREcG0
>ちょん髷時代だから許されたただの願望
いや日本書紀はその問題を明確に意識して編纂されてると思うけどね。
神功だけ皇后記を特におき
魏志倭人伝から卑弥呼の話を引用してる。
卑弥呼=神功皇后
と思わせ
でも明言しないから「神功皇后が魏に朝貢」と明記されてるわけではない。
167 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 21:26:58.51 ID:+WJkOeIn0
>>53 逆
同族ならばわざわざ「体を継ぐ」なんて言わないし言う必要もない
当時の視点で見れば、同族ならば体を継ぐのは当然すぎるから
そうじゃなくて、「体を継ぐ」とわざわざ諡号しなきゃならなかったということは、
「体を継いでいない」事をカモフラージュしなきゃならなかったということ
九州説ってネトウヨ連呼さんが大好きな東大さんと地元九州ぐらいしかいまさらやってないような。
九州内の記述が詳しくて
突然水行10日と陸行1月。
その間は何?
ということで総行程ではないかと。
171 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 21:51:03.46 ID:GqnAREcG0
古代は各地の有力豪族が
娘の婿に天照直系の王子を迎え入れ、
中央で政変があれば直系を御輿に担いで
天下取りを狙っていた。
継体もそのような血筋の者として
越の豪族連合に担がれていたと考えて矛盾ない。
応神五代の子孫と明記された史料が残っている以上
応神五代でないと主張するには根拠が必要。
>>9 どう考えてもあり得ません
新羅は倭の属国みたいなものだった
倭の方が新羅よりもはるかに進んだ大国だった
例によって朝鮮人の願望・妄想の類いに過ぎません
>>17 弥生人とは、中国大陸南部から来た非漢民族系の人たちであって、
朝鮮半島から来た人達ではありません
これはすでにDNAで解明されています
>>24 動物の名前は別に悪い名前じゃないんだよ
菟道貝蛸皇女なんて凄い名前の皇女さまもいたが、全然蔑称じゃなかったわけだし
>>158 >二重ソース
粉末ソースとウスターソースが入ったカップ焼きそばはうまかったなぁ
176 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 22:02:55.74 ID:GqnAREcG0
当時の朝鮮半島にどんな人が多く住んでいたかも不明なわけだが。
大陸から楽浪郡の開拓に動員され
逃亡して列島に流入した人数はかなり多いと思うが。
177 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 22:13:11.20 ID:TdxEpoj40
紫式部が暮らしていた事を誇りにする越前市、一方紫式部本人は、「こんなとこいたくねえ!早く帰りたい!」ってボヤいていた。
178 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 22:16:56.92 ID:T7310Ks20
継体ってそれまでの天皇家を征服してとってかわっただけだろ。
自力で天皇になりかわったのだから偉いと言えば偉い。
日本の天皇家の血統が何回かとぎれた内の1人。
179 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 22:19:07.96 ID:N4SV6c6Y0
まーた始まった。
桓武天皇の母親が百済の王族が亡命帰化して10代目だったことを言いたいのだろうけど、
百済や新羅は日本の属国だよ。たとえば新羅の王様は三代目以降は日本からやってきた人物に
とってかわられてしまったほど。
しかも数百年も野蛮な倭人に統治されていたのだから民族浄化していて倭人化していたことだろうね。
まあ桓武天皇の母親が「百済の王族出身」で「帰化して10代目」だったのに差別されていたことを考えれば、
半島が古代から蔑視の対象で格下とみられていたことだけは確かなことだ。
ところで、新羅や百済が日本に文化を伝えたニダ!とか言ってるバカチョンがいるけど、それならなんで
「アリラン」は伝わらなかったのだろうね。
正体不明のエベンキ朝鮮人くん、君たちはいったいどこの何者なんだい?
180 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 22:22:12.82 ID:N4SV6c6Y0
日本人の直接的なルーツは3000年前に台湾からポリネシアの島々へカヌーで渡り始めた人々です。
これはチベット人(長江上流)と日本人(長江下流)にしかないDNAがあることや、コメの伝播ルートが
中国南部→日本→朝鮮半島南部のルートだったことからも科学的に証明されていますw
太平洋側の宮崎県に「天孫降臨」したことや、神武天皇の母親が暖かい海域にしか生息できない「サメ」とされて
いることからもよくわかる。そして神武東征で畿内に上陸した場所もやはり太平洋側の和歌山県と三重県のあたりだ。
そしてポリネシアの島々の人々は今でもカヌーを乗り回しているのだが、ポリネシアの島々には
家族・一族単位でカヌーに乗ってやってきて、今でも血縁者のことを「カヌーの人」と呼ぶらしい。
神武天皇はカヌーというサメに似た乗り物に乗って一族とともに太平洋側の宮崎県に天孫降臨した、
ということだろうね。
いずれにしても、神武東征も「舟軍」で出発していたり、あまりにも古い時代の割には異様に航海に
長けていた民族だということはわかる。カヌーを駆使して南洋からやってきたことをよくあらわしているといえるね。
下戸遺伝子発祥の地であるベトナムあたりが弥生人のルーツということだ。
181 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 22:35:00.62 ID:nIb5cjxK0
古事記の書かれた時代は日本語と漢字と意味の同機が図られてないから
今の日本語の感覚で漢字から意味を引き出すことには何の意味もないよ。
もっといえば、古事記は神話を借りた日本人向け道徳論、
日本書紀は神話を借りた外交文書なので、
同じ事柄の記載でも全く論点が異なるから
これも同じように扱うことに意味がない。
182 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 22:47:22.32 ID:N4SV6c6Y0
そもそも韓国は中世以降に北方から侵入してきたエベンキ朝鮮人の国。
百済や新羅はおろか、高麗との関係さえない、正体不明のゴキブリ朝鮮人なんだよな。
得体の知れない正体不明のエベンキ朝鮮人が勝手にハナクソのような朝鮮半島の歴史にさえ
コビリグソのように寄生しているという現実。
新羅や百済でアリランを歌い踊ってたとでも思ってるのかねバカチョンは。よく南洋からやってきた倭人に征服された
属国に過ぎなかった新羅や百済なのに、日本に文化を伝えたニダ!とか言ってるバカチョンがいるけど、それならなんで
「アリラン」は伝わらなかったのだろうね。
正体不明のエベンキ朝鮮人くん、君たちはいったいどこの何者なんだい?
たとえば、お前ら自分の隣の家の「鈴木さん」がある日、突然に謎の顔エラ怪人に変わっていて「鈴木ニダ」
「お金を貸してほしいニダ」と言ってきたらどうする?
朝鮮半島ってそういう正体不明の犯罪ゴキブリ民族がひしめいてる状態だから犯罪が起きまくるのだよw
だから竹島を侵略して興奮状態にしないと国としてまとまることも不可能という。
>>171 古事記や日本書紀を読む限り、ウマシマジや磯城県主の先祖たちが
神武東征前に築いていた王国がプレ大和朝廷ですな。
その頃は入り婿した副王として男王としての存在ですわ。
その男王が後に天皇とされていくわけなんだが。
不自然な記述が多いから、王朝交替も何回かあったでしょう。
>>180 神武天皇が南方海洋系? 大陸半島系ですわ。
その前に、彦火火出見(ひこほほでみ)という名前もご存知ないとは
困りものですな。
185 :
森(もる)。 ◆AT7dFTbfB. :2012/10/18(木) 23:21:57.96 ID:fmV5OSG90
泳ぐ(おるぐ)。
歩く(ありく)。
186 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 23:25:30.47 ID:6+G8jz0N0
>>185 サヨクが泳ぐする
オオ歩くイ
こうですかわかりません><
>>180 >カヌーを駆使して南洋からやってきたことをよくあらわしているといえるね。
うむ!
日本書紀、応神天皇五年の条に次のような記述がある。
「伊豆の国に命じて速い舟を作らせた。『枯野』と名づけた」
「カヌー」→「カンヌ」→「カンノ」→「枯野」なんだよ。
八丈島では、今でも丸木舟のことを「カンヌ」と呼んでいる。
カヌーという単語は、西洋人がカリブ海インディアンから「再発見」したので
あのへんの言葉だと思われているけど、かつては世界共通語だったのだ。
太古の海は、海の民たちが自由に行き交っていたのだな。うんうん。
>>165 ポケベル上皇はいまいずこ…・(ノД`)
188 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 23:36:19.03 ID:N4SV6c6Y0
朝鮮半島は少なくとも遼、モンゴル(元)、後金(清)に蹂躙された上で服従する破目になってるからね。
だから新羅や百済の話で「現代の朝鮮人」を語っても無意味。古すぎる。
騎馬民族の侵攻だと被害受けるのは政権と軍だけにおさまらない。特にモンゴルの侵攻では朝鮮半島は灰燼に帰してる。
人口が減った上に交配が起こったら影響は当然に大きい。
アリランを歌い踊り、高い頬骨と平面的な顔と、中国人風の名前を持つエベンキ朝鮮人が誕生したわけだ。
さらに中国に優秀なのや美女から奴隷としてどんどん連れていかれ、朝鮮半島は犯罪者の流刑地になっていた。
競馬やってればわかるだろうけど、そんなことやった果てがいまのエベンキ朝鮮人。
このとおり見ての通りのキチガイと不細工だらけになって顔も歴史も整形しないとまともに生きていけなくなってしまった、ということだよ。
http://www.youtube.com/watch_popup?v=pZjk6yomNIA ようするに「迎恩門」でググればわかりますが、朝鮮半島は「アジアの公衆便所」。
だから朝鮮人は外見も中身もアジアの公衆便所から湧いてきたウジムシと便所虫しかいないわけです。
>>187 あ、でも高天原神話の要素を見る限り、天皇家はたぶん
北方系だよな。スサノオの皮剥馬とか、もろにツングース諸族の
話だし。
>>187 海の民たちが、山のことにも長じながら自由に行き交っていたのが
太古の西日本の先住民族の姿ですわ。
正史はその海人族を天皇の先祖の氏族が支配した形に書かれています。
唐古鍵遺跡の銅鐸絵画にも舟は描かれてます。
室生村みたいな山中にも海神社がありますな。
191 :
名無しさん@13周年:2012/10/18(木) 23:46:09.08 ID:0/mAi31K0
昔女首長も大勢いて、戦闘に参加してたんでしょ。
>>190 たしかに、山幸彦が勝ったんだもんな。
ヤマトの民がミナトの民を支配した。
>室生村みたいな山中にも海神社がありますな。
そこが不思議なんだけど、たとえばかつて九州志賀島を本拠にしていた
バリバリの海の民、安曇族はなぜかあるとき故郷を捨てて、その一派は
信州安曇野なんつー山の中に移り住んでたりする。
いったい何があったんだ。
>>180 > 日本人の直接的なルーツは3000年前に台湾から
ポリネシアの島々へカヌーで渡り始めた人々です。
それはどちらかと言えば、よく卑弥呼とされる倭迹迹日百襲媛
の氏族の歴史ですな。神武天皇の氏族の歴史ではないですな。
194 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 00:00:47.90 ID:a+wRy55F0
神道は卑弥呼のことはあまり話に出ないって聞いたぞ。
某京都の宮関係者。
195 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 00:09:10.78 ID:1hrKrA5XO
>>194 「卑弥呼」てのはあくまで中国の歴史書(魏志倭人伝とか)上の呼び方であって、
日本では誰のことだか、実際は何と呼ばれていたかは分かっていない
だから神道に卑弥呼が出てこないのは当たり前
つーか、古代日本を熱っぽく語ってるお前らが、実は何代か遡れば朝鮮人だとか、、、胸が熱くなるなw
>>180 > 神武天皇の母親が暖かい海域にしか生息できない「サメ」とされて
その女系の血を入れたから倭宿禰にも水先案内してもらえたわけですわ。
>>192 > ヤマトの民がミナトの民を支配した
大陸系の民(山門?)が南方海洋系(ヤマト倭=山門・水門族)を支配する仕組みを
造っていったのような意味ならば、その通りでしょうな。
198 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 00:13:38.56 ID:a+wRy55F0
天武系は今の天皇家からは阻害されているんでしょう?
>>194 そりゃ卑弥呼さんは鬼道の人だもん。記紀神話でオーソライズされた
神道とは、たぶん別物なのだ
「葦原中国岩は岩も木も草の葉もワイワイガヤガヤしゃべくりあってて
クソうるさい国だったので、皇孫火瓊瓊杵尊は「うるせー」と言って黙らせた。」
『「日本書紀』神代記
>>197 いや、海幸山幸の話からは、そこまで広域の史実までは読み取れない気がする。
もっとローカルな、鉛直方向の話をしたかったの。たとえば昔話の「クラゲの使い」でも
「さるかに合戦(の前半)」でも、山の側が勝っちゃう。その構造は海幸山幸でも
いっしょで、なんかわけのわからん山の民優位の論理が働いているなと。
もちろんそれが、大陸からやってきた天孫族の論理だと言えば、そういう気もするけど。
201 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 00:24:32.23 ID:cOrpprGqP
いいえ
202 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 00:28:17.68 ID:9GYQUlfj0
ヤマタノオロチは実はヤマトのオロチだった!とか、そういう話好きw
>>35 ただ普通前王朝を滅ぼす場合
「前王朝とは違う」ことをアピールするのが普通。
前王朝との血縁を捏造するなんて例はほとんどないと思う
継体天皇って出自が怪しい天皇だよね
何故福井でこんな祭りが?
>>118 そもそもさ、日本(ひのもと)というのは、中国から見た姿だよね。
日本でみたらやはりお日様は海の向こうから出て大陸におちていくわけで。
そうすると、渡来人が地元では倭のことを、日の本の国っていってるんだよ、って
言ってた可能性がないだろうか?または、朝鮮半島を古代日本が支配していた時代に
天皇家が支配していたところ(日本と朝鮮半島の一部)をヤマト、今の日本がある場所を
ヒノモトと呼んでいたとか。
ヤマトという呼び名は、福岡と佐賀の接するあたりには山門っていう地名が昔からあって
(これは陸の入り口、玄関口みたいな意味らしい)、そこから邪馬台国が九州にあった、または
九州にルーツを持つ国だとすると、ヤマト国をヤマトー国と中国人が聞いて当て字にしたら
邪馬台国になっちゃった、なんて考えるとちょっと納得しちゃうんだけど。
206 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 00:35:37.14 ID:Qk2ZBhLa0
任那日本府ってのがあったように、古代の朝鮮半島南部は日本の領土だったのだよ。
倭人は舟軍を駆使して島々を支配する、南洋からやってきた海洋民族だったので、半島の
南部も支配地に入れていた。百済や新羅も日本の属国だった。
巨大な古墳を作りまくっていた畿内の大和王権だが、日本の各地方にも小さな古墳が広がっていて
支配地だった証拠となっているのだが、朝鮮半島南部にも小さな古墳が見つかっているのだw
だから竹島はおろか、朝鮮半島南部も「日本の領土」だったのだから今すぐ正体不明の
エベンキ朝鮮人には退去してもらって返還してもらわないとなw
エベンキ朝鮮人どもに「日本に対して申し訳ない」という気持ちが無いのは歴史をきちんと教えてないからだ。
韓国政府はちゃんと歴史の真実を教えて、韓国人をすべて引き連れて北朝鮮へいますぐ退去しなさい。
207 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 00:41:03.25 ID:Qk2ZBhLa0
人類は7万年前にアフリカ大陸を出た数十人のグループが大本のルーツで、オーストラリアの
アボリジニが5万年前ほど前にはオーストラリアに到達してたぐらいだから、それ以前にも
日本列島にわずかながら人類は到達していたことになるだろう。
実際、縄文人が1万年前ぐらいまでには居た証拠があるからね。火山性の土地なのでそれより以前の
遺物が出ないだけで、もっと前からいたかも知れないが。いずれにしても、それが大国主だろうな。
島根とか鳥取とか、大国主に縁があるあたりは意外にも縄文・アイヌっぽい奴が多かったりするのは
そのせいか。
そう考えると新羅・百済あたりは縄文系の遺伝子が割と濃かった可能性が高いね。少なくとも「アリラン」を
歌い踊るような民族ではなかったのは確実。それが中世になって北方から侵入してきたエベンキ朝鮮人に
入れ替わってしまったということ。
208 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 00:43:54.43 ID:fGafxebtO
>>58 そんな馬鹿でも帝位につけざるを得ないほど王族が少なかったんだろ。
とうとうめぼしい後継者が居なくなって田舎の分家から跡取り立てた、ってだけじゃないのか。
209 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 00:48:58.29 ID:Qk2ZBhLa0
朝鮮半島の付け根にある中国と北朝鮮の国境の白頭山が1000年ほど前に大噴火してる。
火口から40〜50km圏内は広範囲に火砕流で焼き尽くされ火口から300km離れた地点でも
大規模な土石流の痕跡が見つかっている。
その噴火の規模は富士山の貞観大噴火の約500倍、雲仙普賢岳の噴火の約200倍で
数万年前に九州の70%を焼き尽くした阿蘇山の大噴火と同等の規模であった。
ところが不思議なことに、1000年前の白頭山大噴火について中国や日本の史書には記録されているんだが
「朝鮮半島には記録どころか民間伝承すら残っていない」ww
いま朝鮮半島にコビリグソのように住み着いてるエベンキ朝鮮人たちは、中世以降にやってきたってことw
具体的には遼、モンゴル(元)、後金(清)に蹂躙された時に入れ替わってしまったということだろうねw
明治政府による統治が始まる前の、まるでシベリアの草原のような荒涼とした朝鮮半島の画像を見ればわかる。
http://www.youtube.com/watch_popup?v=wq3PpeMbfrY まさしく騎馬民族のテントのような、粗末な建物ばかりでまともに定住社会が成立している様子は無い。
とても古代において漢民族の中国文明の端くれだったとは思えない。三度以上にも渡る騎馬民族による
侵略ですべてを破壊され、すっかり民族が入れ替わってしまったという良い証拠だ。
こちらの動画で西洋人が見た朝鮮半島の姿が記述されているとおり。
http://www.youtube.com/watch_popup?v=pZjk6yomNIA
天皇家でも徳川家でもいえることだけど、権力が集中するとその座を狙う連中もウヨウヨ出てきて
毒殺やなんかの暗殺も増えるんだろう。長期政権が続くと、跡継ぎの子供がバタバタ死ぬんだよね。
いっぱい嫁もいて子供もできるんだけど、弱いうちに殺されたり、青年になると濡れ衣かけられて
殺されたりさ。もちろん子供なんかは流行り病でも死んだんだろうけどね。
長い天皇家の歴史の中では、何度も何度も皇統が途絶えそうになったはず。継体も
そんな中で生まれた天皇なんだろうなあ。
ちなみに福井は京都の植民地みたいな感じで、都に縁の深いふる〜い寺や神社がいっぱいある。
あ、寝ようとした矢先にw
>>205 たしかにそういうのもあるかも知れんよね。
だけど、たとえば俺が中国大陸沿岸に住んでるとして、
海の向こうに日本の島影が見えててその向こうから朝日が昇るなら
「おお、日の本の国じゃ!」とか思う気がするけど、実際は島影も見えないし、
朝日の昇る方向は季節で変わるからなあ…。
ヤマトについては全面同意。ミナトやミサキなんかと同じ、地形を表す
一般名詞が、なんかの拍子に国名になっちゃったと。
>>211 おお、遅い時間に反応ありがとう^^寝てくれ^^
>>211 安曇氏に関しては倭国造と重なり入れ替わる様に、王朝内での地位を固めて
野島海人などを使うようになっているので、仲皇子の謀反の事件以降に
物部系の氏族が分化したように、色々分化したんでしょうな。
たぶん、神武の東征って歴史的事実に近くて、
奈良地方にあったヤマト国(邪馬台国)を吸収合併し、継続性を保つために、
ヤマトの国名を継続することに拘ったんじゃないかな?
外交的にも、国内の他の豪族に対しても、邪馬台国の体制は変わりませんよ。
今まで通りの付き合いをしてくださいって。
215 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 01:05:21.34 ID:Qk2ZBhLa0
韓国と在日の学者が浅はかなところは、半島から簡単に九州に行けると思っているところ。
実際は対馬の窄まった海峡の海流が速すぎて、脱北者がエンジン付きの船で日本に来ようとしても
佐渡あたりで干乾びて毎回死にかけてる。こんな海を古代に渡ることができるのは3000年前に
台湾あたりからポリネシアの島々にカヌーで渡り始めた民族ぐらいだ。
だからこそ広開土王碑をはじめとした古代の歴史資料において、なぜか一方的に倭人に襲撃と
侵略を繰り返され、属国化されて支配される朝鮮半島南部の国々の記録が出てくるわけだ。
おそらく最初の朝鮮半島からの渡来人は「因幡の白うさぎ」だろうな。
白兎は「お前と俺で一族がどちらが多いか比べてみよう、とワニを騙して」日本に渡ってくる話になっている。
先ほども述べたように実は、今でもポリネシア人は一族のことを「カヌーの人」と呼ぶ。
つまり、南洋からやってきた弥生人が朝鮮半島南部にやってきたところでうまく騙してカヌーに同乗し、
日本に密入国した朝鮮人が白兎だったのだろう。
袋叩きにされて半殺し状態で死にかけの白兎を発見したのが大国主っていう地理的条件もわかりやすい。
ようするに朝鮮半島側には日本海をまともに渡る技術は古代になかったということだよw
日本海がなぜ「日本海」と呼ばれるのかがよくわかるねw
>>215 朝鮮半島や済州島の海女の技術の凄さを知らないとは
困りものですな。
もちろん安曇や倭国造の先祖らが、朝鮮半島と行き来してましたな。
正史にもよく出てきますな。
217 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 01:12:39.89 ID:Qk2ZBhLa0
エベンキ朝鮮人の韓国民諸君、日本に対して申し訳ないという気持ちが君たちには無いのが問題だ。
さっさと倭人の領土だった任那日本府を含む朝鮮半島南部から退去してエベンキ朝鮮人らしく
北朝鮮で生きていくことだ。これ以上、日本や世界に迷惑をかけてはいけない。ちょっとは人間らしくなりなさい。
気色の悪い正体不明のエベンキ朝鮮人。こいつらがインカ帝国の跡地に100年前に侵入していたら、
「ウリたちはインカ帝国の末裔ニダ。スペインや欧米諸国は謝罪と賠償するニダ!」と言っていたことだろうねw
歴代天皇陵の考古学調査とDNA調査が出来れば謎も解けるんだろうが・・・
219 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 01:21:05.08 ID:Qk2ZBhLa0
しかし神武東征の「舟軍」って記述は面白いね。一般に手漕ぎの小型のボートみたいなものを「舟」と書く。
3000年前あたりからカヌーで台湾からポリネシアの島々に渡り始めた人類の一部が、太平洋側の宮崎県に天孫降臨したのが
やはり日本人の直接的なルーツということだろう。
あの時代にやたら外洋の航海に長けていた民族は台湾あたりからポリネシアの島々に渡り始めた民族しかいない。
カヌーを身近で強いサメに見立てて神武の母親がサメ、ということになったのだろうな。
普通は陸路を使うだろうにいきなり「舟軍」 で行くというのが非常に特徴的だね。
日本の古墳になぜか「舟型」の棺が多いのはそのせいなのか。
朝鮮半島に任那日本府を建設し百済と新羅を制圧。
古代の超大国であった隋が何度遠征しても勝てなかった高句麗相手に、互角の戦いをするほどの兵力を
朝鮮半島に送り込む動員力。
すべて古代においてありえないほど高度な外洋航海技術が無いと不可能なことだ。
大和朝廷のルーツに海洋民族が深く関わっている可能性が非常に大きい。
そして日本で海軍といえば平家。そして平家は赤い蝶紋。陸軍の源氏が白旗か。
日の丸は倭人を中心とした国家である日本を実によく象徴していると言えるね。
そして倭人の赤が広がる旭日旗にエベンキ朝鮮人や中国人が嫌悪感を抱くのは
本能的なもの、ということか。彼らは倭人ではない、ということ。
>>192 > バリバリの海の民、安曇族はなぜかあるとき故郷を捨てて、その一派は
> 信州安曇野なんつー山の中に移り住んでたりする。
> いったい何があったんだ。
三重県の九鬼水軍が、国替えで兵庫県の内陸部である三田に移り住んだようなものじゃないか?
221 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 01:25:36.43 ID:a+wRy55F0
九州と奈良で地名相似はどう読み解くわけですか?
偶然の一致では済まされないでしょう。
>>221 私は神武の東征等、記紀は、かなり歴史的事実を反映していると思っているので、
九州から大和へ移った人達が、もといた地名を映した可能性が高いと思います。
アメリカにイギリスの地名が多いみたいに。
ただし、後の時代の人達が、記紀を事実だと考えて、ヤマトから九州に行った時に、
記紀の地名を後付けでつけた可能性もあるかもしれません。
継体天皇は それまでの天皇家から遠い親戚に当たるが、天皇の後継がいよいよ直系でいなくなり!
それでも天皇の血を継いでいる! ので 福井で豪族をやってたのを 呼び出されたとか。
と聞いてるけどな
ちょっと 今の皇室に似てるので この辺は よく見る価値がありそうだ
226 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 07:40:11.55 ID:UVVqgPM30
>>219 >しかし神武東征の「舟軍」〜3000年前〜宮崎県に
天孫降臨〜やはり日本人の直接的なルーツ
誇り高き土着隼人に失礼だろがw
浅薄なチラウラ妄想なければメンヘル童話作家にでもなれそうなのになw
相当なメンヘル手腕のおまえは何でも自分の無知で解決しない方がいい
>>223 今でも福岡の久留米に住んでた人が東京に作った東久留米とか、どこか忘れたけど
東広島市とかあるよね。北海道みたいな開拓民の土地には、元住んでた地名を付けてるとこ多い。
女系で継承した天皇?
229 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 08:27:19.85 ID:JrZB2uWm0
婿入りと言う形をとったという事は継体の即位を当時の有力豪族に納得させるには血統としては薄かったんだろうな
武烈天皇の悪行の話や、あからさまに継体なんて名前を付けられてるところから
勝手な想像をすると、娘と息子を殺された物部と大伴が武烈を誅殺したんじゃなかろうか。
いたかもしれない子供も含めて。この暗殺は、力を増した豪族を抑えようとした武烈天皇に対して
身の危険を感じた物部氏大伴氏によって行われたとする。それで、次はもっと御しやすい皇子を据えようとしたわけだが、
思ったような人物(仲哀天皇の5世の孫である倭彦王)には逃げられて、より筋のアヤシイ
継体を連れてきた。政府の有力豪族には反対されたので、皇女を嫁にして、「この人は
怪しいけど、次の皇子は確実に正統を継いでるんだ」といういいわけのような名前なのでは。
要するに事実上女系ってことじゃないの?
以上は蘇我氏の歴史を参考に想像してみた。
>>227 どこまで遡れるかだけどな
九州の地名は記紀から採用して後付でつけた説も根強いから
232 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 10:05:21.20 ID:8Rh+jxts0
>>231 徳島と紀伊半島も何故か同じ地名が結構あるな〜
>>231 土地柄から行っても昔から半島や大陸とのつながりは多かっただろうし、九州の神社は、
全国でもあんまり祀られてないようなマイナーな神様を祭神にしていたり、ヤマトとの関係は
おいといても古くから栄えていた土地(気候的にも災害的にも穏やか)だから、記紀から採用して
付けたとする説はマユツバだなあ。
奈良が邪馬台国かどうかはさておき、日本列島に住んでる人間は、大陸かどこかからやってきた
わけで、上(ロシア方面)か下(南方海洋民族)横(半島や大陸)がルーツなのは間違いないでしょう。
湧いて出たわけじゃなし。
235 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 10:47:12.00 ID:UVVqgPM30
>>219 おまえの好きな天孫降臨だろ
古事記くらいはしっかり見とけよ
天孫降臨の段で邇邇芸命は「筑紫の日向の高千穂の久士布流多気」
に降臨だったな
おまえ、そっくりの伽倻の始祖・金首露の亀旨峰への天孫降臨神話も
知らないのか?
236 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/10/19(金) 10:48:40.04 ID:1lEm4uMpO
237 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/10/19(金) 10:55:10.40 ID:1lEm4uMpO
>>233 騎馬民族征服説ならとっくに否定されとるし、あとは徐副くらいか。
でも弥生時代の始まりが紀元前十世紀まで遡る可能性があるのでそれも怪しいな。
てゆうか邪馬台国の時代は纏向から遺跡が出てて、既に大和に大和朝廷並みの大勢力があったのが解ってるぞ。
(遺跡から推測される街の規模が、後の平城京に相当する)
百済と韓土人は別民族
>>227 東広島は東大阪みたいなもんだろ広島の隣の市だし、
広島だすならまさに北海道にある北広島市だろJK
>>232 さらに房総半島
240 :
三河農士 ◆R2srkOAYfTmd :2012/10/19(金) 11:13:17.78 ID:1lEm4uMpO
日本人のルーツを探る上でもう一つ忘れちゃいけないのは
支那にしろ東南アジアにしろ、現在そこにいる民族が千年二千年前からいたわけではないという事だ。
例えば、タイ王国の主要民族であるタイ人は、元は今の支那の雲南省やそのもっと北あたりに住んでいた民族で
今も雲南省にはタイ人が少数民族として暮らしている。
戦乱等を避けて南下したグループがインドシナ半島でタイ王国を作ったわけで
他にもベトナム(越南)人なども元居た地域から移動してきた人たちだ。
支那もまたモンゴルや満州からの侵略を受けて民族浄化や混血、または強制的な移動を受けており
今彼らがいう漢民族が古来の漢民族とは限らないんだよね。
241 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 11:19:08.83 ID:SFCmnYg0P
この際、万世一系の証拠を確認するために
歴代天皇の墓を暴いてDNA鑑定すればいいんじゃね?
絶対、女官が他の男とデキた子供を
天皇の種って偽ってる例が出てくるから
DNAで繋がってるのはせいぜい500年くらいだと思う。
そうなれば男系女系にこだわる理由は無くなるから
悠仁系が途絶えたら眞子系でいいと思う。
愛子系は無理筋。悠仁天皇誕生の瞬間に眞子系が上位になる。
242 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 11:21:42.14 ID:UVVqgPM30
>>237 古代でもたしか雄略帝の時代にも馬を殉葬したりすることがあったが
馬の殉葬や奉りや神聖視は何の影響だろうな?
>>239 そっちのことでしたwすんません
>>237 どっか一つの民族が移動してきたとは思ってないよ。あっちこっちから来てると思います。
>>242 やっぱ日本には馬はあんまりいなかったからじゃね?
245 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 11:28:42.15 ID:r89i6XB0O
>>241 500年前は戦国時代だから、そこで切れた可能性は無くはないが、どうだろうな
それに持統帝以降は火葬。DNA鑑定できるか解らんし、近い血族同士でも結婚してるから、もし出来たとしたら恐らく関係がある、という情報が出てくる可能性が高い
だから血統が繋がっていることはほぼ疑いないという結果になると思われる。ただ男系の証明は難しいだろうけど
後、当時の住まいでも、基本的に天皇の妻を知らぬ間に別の男性が妊娠させるのは難しい。一応分かれてたしな
継体天皇まで遡れるかは解らんけど。まあどっかで仕込まれた可能性は確かにゼロではないだろうけど
246 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 11:32:24.13 ID:UVVqgPM30
>>241 竹田恒泰氏などの家系(旧伏見宮系)は、戦国時代より前から分岐しているけど。
248 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 11:36:47.99 ID:r89i6XB0O
隋書には倭国について、ヤマトが都する所。魏志の邪馬台也、とある
少なくとも当時の中国人は邪馬台イコールヤマト、つまり当時なら飛鳥と考えていた事にはなる(当時からみて邪馬台国は300年以上前の話ではあるが)
現在の倭人伝の写本は宋本が底本になってるけど、これ以前の版では方位が正しく書かれていたかも知れない
方位さえあってれば、水行十日とかは近畿にまんまあてはまるしな。。
神武東征は実は卑弥呼以前の話なのかもしれんなあ。。
>>246 貴人の埋葬にはお付きの人とか家来とか人間も埋めてたよ。貴重なら貴重なほど
埋めることに意味があったのでは?その後埴輪や石人石馬なんかにして埋葬してるし。
250 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 11:42:01.16 ID:YjLke6l30
>>29 われわれは、朝鮮半島に住んだことのある人間を朝鮮人と呼ぶ。
その朝鮮人が日本に渡ってきた場合在日朝鮮人と呼ぶ。
これは今も昔も名称の差はあっても考え方は変わっていない。
>>234 定説はあてにならない
ご遺体のDNA鑑定しないと
253 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:01:00.74 ID:Z+DfIgdj0
>>242 > 古代でもたしか雄略帝の時代にも馬を殉葬したりすることがあったが
> 馬の殉葬や奉りや神聖視は何の影響だろうな?
馬の殉葬は大王墓には見られない。
もっと下っ端の墓。
254 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:04:31.74 ID:k8IHpiV2O
ジャッソー!
ジャッソー!
255 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:04:40.07 ID:UVVqgPM30
>>253 大王か高尾張出身の有力豪族かそんなもの関係ない
その文明や文化における馬の立ち位置の問題だろw
256 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:06:20.65 ID:Z+DfIgdj0
>>249 > 貴人の埋葬にはお付きの人とか家来とか人間も埋めてたよ。
埋めてねーよw
> 貴重なら貴重なほど埋めることに意味があったのでは?その後埴輪や石人石馬なんかにして埋葬してるし。
埋めてねーよ、飾ってただけ。
天皇は男衆なんぞ見とうない
258 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:07:48.18 ID:k8IHpiV2O
259 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:12:08.29 ID:Z+DfIgdj0
>>255 > 大王か高尾張出身の有力豪族かそんなもの関係ない
> その文明や文化における馬の立ち位置の問題だろw
言ってること分からないが騎馬民族説が成り立たないのは言うまでもない。
260 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:12:54.26 ID:UVVqgPM30
>>256 埋めてたが
垂仁の兄弟の有名な例もあるだろ
馬が人間並みかそれ以上の扱いに見える点が気にかかるんだわ
261 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:15:52.10 ID:UVVqgPM30
262 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:16:34.59 ID:Z+DfIgdj0
>>260 > 埋めてたが
> 垂仁の兄弟の有名な例もあるだろ
殉葬だとでもいうのか。
同時死だろ。
> 馬が人間並みかそれ以上の扱いに見える点が気にかかるんだわ
見えない。
263 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:17:18.84 ID:jOu3FYkP0
豪族の一人が天皇名乗ったんだろ?
言ったもん勝ちだったなw
朝鮮半島に進出したときに馬が権力の象徴ぽくなったか
もしくは騎馬民族の出で定住化した一族が頭取ったかのどちらかだろう
265 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:28:53.73 ID:UVVqgPM30
>>262 まさか宣化天皇陵付近の墓のことも殉葬の呻き声の記事も知らないのか?
日本書記巻六の11月2日見ろ
正史の有名記事すら知らなくて、「騎馬民族」、「見えない」とか
言ってるのかw
266 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:29:25.44 ID:Z+DfIgdj0
まだ騎馬民族説に感化されてるやつがいるので言うが、
半島南部にまで進出してた騎馬民族の甲冑は日本には見られない。
熊本の小さな小さな古墳にみられるくらいだ。
一方、日本(倭軍)の甲冑は半島南部はおろか、
百済地域にまで波及する。
書紀のとおり、大和朝廷が半島南部や百済を支配してた証拠だ。
267 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:32:07.79 ID:Z+DfIgdj0
>>265 >
>>262 > まさか宣化天皇陵付近の墓のことも殉葬の呻き声の記事も知らないのか?
> 日本書記巻六の11月2日見ろ
それを本当だと思ってるやつはほとんどいない。
> 正史の有名記事すら知らなくて、「騎馬民族」、「見えない」とか
> 言ってるのかw
>
>>266に書いた。
268 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:40:23.26 ID:UVVqgPM30
>>266 おまえは垂仁皇子の倭彦の話も野見宿祢の埴輪説話も知らないのかw
それで、どうやって「一方、日本(倭軍)の甲冑は半島南部はおろか、
百済地域にまで波及する」とか
「ガンダム最高」みたいな自己主張並べてるんだ?w
>>250 一般的な定義ではないがYjLke6l30のいる集団の定義ではそうなのだろうな、
朝鮮に入植後引き上げた一家まで在日と行っていた放送局があったがその人たちのお仲間かな。
270 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:43:17.40 ID:Z+DfIgdj0
>>268 > おまえは垂仁皇子の倭彦の話も野見宿祢の埴輪説話も知らないのかw
知ってるが今のところ日本に殉葬跡はない。
書かれてるから「あった」にはならない、あきらめろ。
> それで、どうやって「一方、日本(倭軍)の甲冑は半島南部はおろか、
> 百済地域にまで波及する」とか
> 「ガンダム最高」みたいな自己主張並べてるんだ?w
自己主張でなく考古学的事実を言ってるだけだが。
271 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:54:38.11 ID:UVVqgPM30
>>270 埴輪の起源説話も知らない考古学かw
きちんと考古学の議論しようぜw
>>259 ついでに、高尾張出身の有力豪族は『播磨国風土記』 の雄略時代の尾治連祖の
長日子死亡時の馬と女の殉葬の話だが
考古学は文献や伝承とは別の角度からアプローチする学問なんじゃないの?
273 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 12:59:31.56 ID:UVVqgPM30
>>270 考古学の話は? どうした?
しようぜ
>>270 特に日本の考古学の研究の実務上はそうだな
しかし、今の時代は色々な反省から参照は大いにする
それでお餅の味は迹王なんだい?
275 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 13:04:11.65 ID:UVVqgPM30
うまい
277 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 13:05:14.84 ID:ZlaWWFPNO
>>272 の言う通りで、考古学は文献や伝承ではなく発掘成果から歴史を探る学問。アプローチが違うよ。
例えば魏志倭人伝にも、卑弥呼が死んだときに殉葬があったとあるが、日本で殉葬のあとが発掘された試しがないんだわ。
日本人が史書を編纂するときに、古代の中国にならって殉葬の記述をしたんじゃないか、という説もあるくらいだ。
278 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 13:09:40.15 ID:UVVqgPM30
279 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 13:13:40.63 ID:UVVqgPM30
>>277 考古学から具体的に陵墓の話でもしてくれよw
万世一系についても考古学の立場から語ってくれよw
考古学が専門なんだろ?
>>237 街の規模はそこまで大きくないです。
その時代としては非常に大きな街ですけどね。街というか都市っていう人もいる。
でも平城京はもっとでかいです。
まぁ大陸の影響は受けてる一族だとは思うが
半島ではなく渤海ではないかと
考古学上万世一系になるよ
俺も細かい事はわからんが形式などから
文献上三輪王朝だ河内王朝だという王朝交代も考古学的に完全に否定されるから
284 :
名無しさん@13周年:2012/10/19(金) 14:10:03.27 ID:Z+DfIgdj0
>>271 > 埴輪の起源説話も知らない考古学かw
> きちんと考古学の議論しようぜw
>
しつこいやつだな。
殉葬は今の所ないとされてるいがいに言いようがない。
おまえ自身が「説」といってるではないか。
説は事実ではない。
>>250 在日って言うのは、今、半島に住んでいて朝鮮人と言われるものと同民族限定じゃないのか?
渡来人の中にも同じ民族はいたのかも知れんが。
日本海側ってときどき滅茶苦茶起源が古い御社やお祭りがあるから侮れない
弥彦神社とか岩船神社(村上市)とか
祭りで舟が山を登る